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わくわく、どきどき、台風の目。

日記・コラム・つぶやき

トラジオンSC誕生日

Dover
ドーバー海峡(イギリス(Dover)から見たフランス)

 本日、10月1日は我トラジオンの誕生日である。1973年、障害児の社会に出た時に出会うであろう困難を克服するための精神力を養うため、遠泳を目標にトラジオンSCは誕生した。当時、弱冠二十歳の大学生だった私が、卒業論文を書くためでもあった。

 以来、卒業してもトラジオンを続け、今日で44歳になった。誰も祝ってくれる人などいないので、勝手に一人で祝杯を挙げることにする。と、“一人で”などと言っているが、実は多くの人々に助けられて続けてこられた。改めて携ってくれたすべての皆さんに感謝を申し上げる。

 ちなみにトラジオンとは人名で、イギリス人の“J・A・トラジオン”から頂戴した。彼は1873(明治6)年、現在のクロールの原型となった泳ぎを、南アメリカの原住民の泳ぎを参考に考案。当時は「トラジオン・ストローク」と呼び、水を掻いた後の腕を水面上に交互に出すことによって、より速い泳法を実現。この時のキックはあおり足だったが、その後イギリスのリチャード・キャビルがバタ足を導入し、さらにスピードの速い現在のクロール泳法となる。

 ここで言う遠泳は、隊列を組んで平泳ぎで「エンヤコーラ」とか言いながら集団で泳ぐものではなく、海峡横断泳など一人で行なう長距離泳で、スピードを求められるところからクロールで泳ぐため、トラジオンの名前を頂いた。

 当時、「遠泳」という言葉の響きが、それこそ赤フンなど締めて集団で泳ぐ、あの古式豊かな水泳に感じられ、あまり好きではなかった。かと言ってロング・ディスタンス・スイミングでは長ったらしすぎるし、マラソン・スイミングではマラソン、いわゆる42.195kmを走る競技ではないから、それも違う。

 後にOWS(Open Water Swimming)という名前も出たが、後々OWSとはプール以外の水で泳ぐ“水泳競技”と知らされ、『競技ではないのでこれも違う』と思うようになった。

 他にオーシャン・スイムという言い方もあるようだが、それならドーバーのようにチャネル・スイミングと言った方が、海峡横断泳にはピンとくる。

 ああダメだ、ダメだ。またまた理屈っぽくなっている。とにかく、あーだのこーだの考えて、結局は「遠泳」に戻った。古式豊かでも、最近流行りの横文字やカタカナより分かりやすいと考えるようになった。そうまでなるのに44年も掛かったということだ。

 さて、一人祝杯、もう一杯飲むことにしよう。これは一杯ではなく、いっぱいになってしまうかな?

Wissant
ドーバー海峡(フランス(Wissant)から見たイギリス)

プール利用者の時代変化

  • 平均年齢

 昔、“プール”といえば子どもや若者が中心の施設でした。ところが最近では特に午前中などプールを覘いてみると変わりましたね。ご年配の方々が熱心に歩いていらっしゃいます。
 まあ歩いたり泳いだりで昨今の健康志向の高まりに伴うトレーニングなら結構なことですが、ちょっと困るのが「井戸端会議」ならぬ「プール内会議」でお喋りに夢中になっていらっしゃる輩。ハッキリ言って迷惑です。
 プールではお互いに“譲り合い”が基本。ところがお喋りの輩はお喋りに夢中でほとんど動きません。つまりお喋り以外の方(本来の目的に伴う方々)が譲る一方なのです。
 まあお喋りすることがダメ!と言っているのではありません。お喋りするのはプール以外でも可能です。しかし水中トレーニングや水泳はプールの中でしか出来ないのです。
 もしお喋りの輩たちに譲り合いの心があるのなら、プールから出て思う存分喋ってくれれば良いのです。ほとんどの場合、お喋りの輩はご年配たちなので周囲は黙っていますが、もう少し譲り合いの気持ちを持ってください。
 いずれにせよプールを利用する方々の平均年齢は過去よりも遥かに高くなりました。

  • 水着

 次は水着以外の、ラッシュガードやウェットを着用してプールに入って来る輩が増えましたね。昔は水着以外の着用は認めてくれなかったのですが、昨今ではそのまま外を歩いても、「エッ? 着衣泳?」と思う様な普段着でプールに入ってきてしまう輩もいます。
 これには古くからスイマーの私には抵抗があります。やはりプールに入るのは水着でしょ!!
 スイミングクラブでも女性水泳コーチは“冷え”を予防する意味からウェットを着用されている輩が少なくないですが、水泳を教える立場として、「コーチは水着が基本」と思っている私は古いコーチだからでしょうか?
 まあ個人的には好ましくないと思っていますが、これも時代の流れですかね。

  • 親子水泳教室

 過去、「親子水泳教室」といえば“幼児”と“お母さん”が中心でした。ところが最近は「イクメン(子育てする男性(メンズ))」が普及されたせいか、あるいは女性なので“冷え”を嫌うのか、お父さんの参加がグッと増えましたね。
 たまたま私の通っているプールでは70~80%がお父さんで、お母さんの割合を越してしまいました。まあプールは何ヵ所か通っているので、何処のプールでも同じ傾向(お父さん>お母さん)があります。
 少し前までは“子育て”といえば「お母さんの役割」と思っていたのですが、これも時代ですね。

  • 障害者は

 過去、身体障害児を公共のプールへ連れて行ったのですが、プールの中にいる一般の子どもの驚きはたいしたものでした。それは手がない(異様に細い)、足がない(異様に細い)、奇形を見てそれなりのショックを覚えるようです。
 自分たちの身体とあまりにも違う体型を、『プールに入るとそれがうつるのではないだろうか』と心配になり、プールを出て行ってしまうのです。それは見慣れない異様な体型を見た子どもの素直な反応なのかもしれません。
 先日、ダウンちゃん(ダウン症候群)を二名連れて公共のプールへ入りましたが、二名の小学生女児がやはり明らかに自分たちとは違う顔形をしたダウンちゃんを見て、プールから出るまではないものの、意識してダウンちゃんがこちらへ来ればあちらに行き、あちらに行けばこちらに来ると避けていました。
 やはり気持ちはともあれ、自分たちとは違う顔形に受け入れることが出来ないようでした。
 この辺は昔から変わりはありません。

5月3日 姪っ子の結婚式

 姪っ子が「八芳園」で結婚式を上げました。
 いつまでも『小さい』と思っていましたが、立派にお嫁に行く年齢になっていたのですね。
 綺麗だよ。おめでとう!!

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プールの無礼者たち

 3月21日、月曜日だが20日(春分の日)の振替休日。タケちゃんマンのプール練習は午後にタケちゃんマンのリクエスト通りの時間帯にした。
 タケちゃんマンは夕方から家庭サービスで、午後3時からにしたのだが、いつも行っているプールは臨時の点検だとかで休館になっていた。仕方なく最も近い他のプールへ。
 そこは過去に私の練習用として使っていたプールで、常連のスイマーに無礼なおばさまグループがあって、そのグループとバッティングすると私は泳ぐのをやめて出て行ってしまうほどである。
 そんなことがあって今では足が遠のいているが、タケちゃんマンの練習には『あのグループとバッティングしないと良いなぁ~』と思いつつ、しっかりバッティングしてしまった。
 『あああ・・・』と思いながらも別なコースなら問題無し。
 いつものプールでいつもの時間なら一つのレーンでほぼタケちゃんマン独りで泳げるのだが、時間帯からしてそんなわけにはいかなかった。そこでアップ終了後、休憩時間から次の休憩時間までの50分、ノンストップで泳ぐよう指示した。
 スタートして10分後、例の無礼グループのおばさまたちがタケちゃんマンの泳ぐコースへ・・・。最悪のパターンだ。
 7名のおばさまたちは例によって隊列を組んで泳ぐ。7名となると隊列の長さは15m程度になるのだが、後ろからタケちゃんマンが来ようが前のおばさまがターンすれば後続のおばさまも続けてターンする。止まって後続者を優先するなどといった行為はまったくしない。
 しかも25mのプールで7名を一気に抜くなどほとんど不可能。
 丹念に一人ひとり抜いて、ようやく全員抜いてもすぐに後続のスイマーに追い付いてしまう。かといっておばさまには“譲り合う”などといった気持ちはまったく無い。
 そんな状態に顔を渋くして見ていると、一人で来たと思われる少し若いおばさまAが「何しているんですか?」と聞いてきた。Aはバシャバシャバシャと泳ぐが、すぐに息が切れて一休み。それを繰り返している。
A「何しているんですか?」
私「見ているんですよ」
A「監視員ですか?」
私「いいえ、違います」
A「何しているんですか?」
私「見ているんです」
A「すいません。監視員、変な人が見ているんですけど~!!」
私「ハァ~~~???」(おメエなんか見てねーよ!!!)
 監視員は来たが、私のことを知っているので注意と言うよりも世間話をした。その時、無礼なおばさまグループに注意をしないのか聞いた。
監視員「注意はしているんですけどねぇ~。まあ違反ギリギリなんですよ」
 まあ、ますます私はこのプールが嫌いになった。無礼なおばさまやグループがあって、それが大手を振って泳いでいるプールなど行く気にはなれない。
 プールから出た後、タケちゃんマンに「おばさまグループによく我慢したね」と「変な人と間違えられた」話をしたら、「ストーカーだったんですね」だって!!!
(プンプン)

この日のことを忘れない。

5年前の今日。こんな日でした。この震災を忘れないよう、5年前の震災とほぼ同時刻にこのブログを公開します。

近況報告

 年の瀬になるまで忙しかった。忙しい最中に新たな問題が生まれ、その問題の優先順序が若いので、年内に終わらせたい用事が後回しになって、『年を越せるかなぁ~』と不安になった。
 それでも幾つかの万事休すな用事は残ったものの、何とか年を越せる段取りは取れたように思う。(勝手に思っているだけかもしれないが)
 ブログ、ちょっとは更新しよう。

10月4日 姪っ子の結婚式

 姉の次女が10月4日、結婚式を迎える。神前式の結婚式で、境内では雅楽の越天楽が演奏されている。それを聴いていると、笙がスコットランドのバグパイプに聞こえてくるのだが、いかがなものだろう。

雅楽:越天楽 Gagaku:Etenraku

スコットランド バグパイプ [勇敢なるスコットランド行進曲]

 越天楽は今でこそ舞が無いが、おそらくこの曲が出来た頃はあったと思われる。一方バグパイプは行進曲だからリズミカルだが、楽器として似ているし、音としても似ているように思う。でもそれって私だけ???

 いずれにせよ結婚式が終わって披露宴へ。そこで私は乾杯の挨拶をしなければならない。依頼した姪っ子からは「5分以内に」と言われたが、「3分も掛からない」と答えておいた。更に当日、司会者からの打ち合わせで「どのくらい?」と訊かれたので、「1分で終わります」と答えた。
 本番は緊張したのであまり覚えてないが、1分も掛かっていないだろうと自負する。
 それが終わり、宴もたけなわになるとアルコール類を持った客人が私の所に来て注ぐ。それはビール、日本酒、ワイン、シャンパンなどなど。。。。
 どうも遠泳をやっているのが面白いのか、珍しいのか、ドーバーや津軽のことの質問を多々受ける。どうも皆さん関心はあるようだが、「泳ぎたい」と言う人が現れない。やはり遠泳って一般的ではないのかな?
 飲むほどに酔い、酔うほどに飲む。すると私の悪い癖だ。無性に眠くなる。そして記憶もなくなるのだ。
 津軽泳で函館に行っていた時、成功の祝賀会で函館のお寿司屋さんに行った。そこまでは覚えているが、その後に行ったカラオケはまったく記憶が無い。
 そのことを思い出し、姪っ子に恥をかかせないためにも自分のお尻を他人にはわからないように抓って眠気を取っていた。
 いずれにせよめでたい。いつまでもお幸せに!

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10月1日 トラジオン誕生日

 津軽泳が終わって東京に戻り(9月26日:土)、即座に仕事に戻ったものの、どうも帰りのフェリーで風邪でもひいたのか、体調が思わしくない。プールに入りたくないのだ。それでも週末はトラジオンの多忙日。何とかしなければ。。。。。
 何とか週末を乗り越え、ようやく定休日(火曜)を迎えたものの、バンド練習が残っていた。実は私、親父バンドをやっていて、11月1日に老人ホームの秋祭りにイベントとしてライヴを行う。その練習をしなければならないのだ。
 9月はドーバー、津軽と遠泳のイベントが組まれており、私の都合で練習が出来ないでいた。そこをまた“体調が悪いから”という理由で休むわけにもいかない。まあ久しぶりのバンド練習で気分転換になるかもしれない。とにもかくにも行くだけ行って、下手なのは元々だから仲間には諦めてもらおう。
 そんな日々が続き、10月1日になった。いや、私自身は日々の延長で9月31日のような気がしていた。いつもの木曜日。いつもの仕事を淡々とこなしていた。いつものように。。。。。
 いつものようにプールへ行くと、受付にある日付が“10月1日”になっている。「あっ、今日から10月ですね」などと挨拶代わりに話すと、「そう、今日は“都民の日”ですよ」と受付嬢が答えてきた。「“都民の日”って、昔はカッパのバッジが売られて、それを着けていると都の施設はタダになったり安くなったりしていたんですよ。知っていましたか?」などと昔話をした。
 ン? 都民の日? なんだ今日はトラジオンの誕生日じゃないか!? と、ようやく気付く私だった。指折り数えると当年とって42歳だ。おお、厄年だ。通りでここのところあまり良いことが無いわけだ。
 まあドーバーや津軽が上手くいったので“よし”と考えなければならないのだろうが、怪我をしたり、そのための通院が長引いたりで仕事も順調とは言えない。それに見通しも2020年に東京オリンピック・パラリンピックを迎え、仕事場としている都の施設も造り替えるという。その工事の間、プールは使えないし、他のプールも重度の障害児が多くなったトラジオンとしては使いづらい。そろそろ年貢の納め時かな? 考えれば考えるほど明るい話題は無く、先行き暗いことばかり。
 だがこのままじゃいかん。もっと前向きに、積極的な考えにしなけりゃ!!
 そう思い、その日の晩酌はお祝いとしてビールを1本多く飲んだ。

東京に向かって

 9月25日、朝食は在庫処分がほとんど完了しているため、ご飯が残っているだけ。まあそれしか残っていないということは、ある意味無駄が無かったということだ。
 湘南の主さんが納豆をくれたので、それをご飯にかけて食べる。残ったご飯は塩むすびにして私のお昼のお弁当。
 ムーイに別れを告げて函館駅へ。湘南の主さんを降ろすとガソリンスタンドとトヨタのディーラーへ。何故ならば私はクルマのオイル交換をほぼ2,000km毎に行っている。普通は5,000km毎だがクルマを長持ちさせるのはこまめなオイル交換が重要。オイルエレメントも交換したかった。
 ガソリン満タンにして函館のフェリー埠頭へ。それでもフェリー埠頭には午前11時には着いてしまって、函館発11時35の便に間に合ってしまう。だが私の予約は次の14時35分発の便。キャンペーン割引の便なのだ。貧乏な私は待つことにした。タップリある時間でゆっくり昼食を食べる。
 するとSさんから電話が入った。Sさんは以前、外国人スイマーが津軽を泳ぎに来日した時、通訳のボランティアをしてもらった。現在はSさん、函館近郊に越してしまったのでなかなかお手伝いをしてもらえないが、私たちが水無海浜温泉に行っている間、わざわざムーイまで函館銘菓を持参して合いに来てくれた。もちろん我々は水無海浜温泉に出掛けていたのでお会いすることは出来なかったが、銘菓は皆さんで美味しくいただいた。
 お礼を言い、函館のことや津軽泳のことをいろいろ話した。もちろんSさんはスイマーではないから水泳の話しではない。函館の普通の人が、津軽泳をどのように捉えているか、函館の人々の気質などを忌憚なく話し、いろいろなことを聴かせていただいた。ちなみに津軽を泳いでいる時に、函館のFMラジオ局に投稿してくれたのはSさんだ。
 話は止めどなく出て時間はすぐに過ぎてしまう。フェリー埠頭の乗船放送が流れて、慌ててSさんに別れを告げ、私はフェリーの旅客になった。

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さよなら函館山

 相変わらず“キレイ”とは言えない日本のフェリー。雑魚寝部屋に入ると横になって眠ろうとした。青森から東京までは寝ないで運転するつもりだからだ。
 青森のフェリー埠頭には18時25分着。その頃からか、喉が痛い。どうも無理にフェリーで横になっていたのがいけなかったようだ。風邪かな?
 青森から東京に向かう各県のサービスエリアでトイレ休憩。そしてのど飴と珉珉打破を購入し、南下して行く。
 南下して行くにしたがって天気は雨へ。皆さんが函館に滞在している間に雨は一滴も降らなかったのに、やはりオレは“災いを呼ぶ男”かな?
 行きはクルマの燃費が悪かった。おそらく雨天で、フロントウィンドウの曇りを取るためにエアコンを使用していたからだ。そこで帰りは雨でもエアコンを使わずに帰る。お陰様で、無給油で我が家まで帰ることが出来た。やはりエアコンは燃費を悪くする。
 我が家に到着したのは9月26日午前5時30分。約11時間の運転。津軽を泳いだ13時間06分よりは早い。
 2時間ほど仮眠をとると仕事に出掛けた。『喉が痛いのでプールに入りたくないなぁ~。でも今日(土曜)は3本もプールに入らなければならない。

戸井支所に表敬訪問

 お忙氏のサラリーマン諸氏が、このシルバーウィーク中に帰れなかったのに、もう一つのメリットがある。それは函館市戸井支所に全員で表敬訪問へ伺えることだ。もし予定通りに帰ってしまった場合、残った湘南の主さんと私だけで伺う予定だった。全員で伺うことが出来れば、支所長も喜ばれるに違いない。
 ムーイの支配人、Nさんとも親しくしていただいて、思い出深いものになっただろう。

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ムーイの支配人、Nさん(中央)と

 9月24日、お昼近くの電車でお忙氏たちは函館を出る。午前9時に支所でお会いする約束で伺った。
 戸井支所ではマスコミ関係などでご協力をいただいている。やはり地元じゃなければわからないことは山ほどある。そこをバックアップしていただいている。実を言うと他にも今回の遠泳中に私たちのことを函館のFMラジオ局から放送してもらった。もちろん我々には聞くことが出来ないのだが。。。。。

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函館市戸井支所庁舎前にて支所長(前列中央)らと(全員揃って良かった)

 記念品をいただいてお忙氏たちを湘南の主さんとJR函館駅に送る。そして駅前で記念写真を撮る。これで解散。どうも私はこういうのが苦手。でもいつかは解散しなければならない。。。。。

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思い出をたくさん持って帰ります。

 ムーイに帰って湘南の主さんが「函館最後の海泳ぎがしたい」と言う。荷物番としてお付き合いすることにした。そのビーチで待っている時、遠くから獣の姿が。。。。馬か??? いや、鹿だった。それも親子で。(頭が馬鹿は私・・・)

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雌鹿の親子と思われる。

 そうとは知らぬ湘南の主さん。いぶし銀になって上がってきた。

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いぶし銀の湘南の主さん

 身体の潮を抜くためにAさん宅の水道のホースで洗い流す。するとAさんはウニのダイビング漁師なのでヘルメットダイビングのウェットスーツが干してある。その一つをお借りして湘南の主さんが着てみた。

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まるで熊のよう。。。。

 これも思い出になっただろう。

 ムーイに帰るとAさん宅へカヤックを取りに行った。去年からカヤックは預かってもらったまま。タケちゃんマンが2017年にドーバーソロスイムを試みる予定だ。これから使うことも多くなるだろう。
 当初カヤックはキャリアに乗せて帰るつもりだった。そのためにキャリアも東京から持って来ていた。ただ、津軽海峡はフェリーで渡るので問題はないが、青森から東京までの東北道は不安だった。風でカヤックが飛ばされるかもしれない。そうしたら、カヤックが壊れただけの問題では済まなくなる。。。。。
 可能な限りVOXYのスペースを広げ、Aさんとカヤックを車内に入れてみた。入った。。。。。良かった。“屋根にカヤックが乗っている”というストレスが無くなる。
 しかし車内はカヤックが大幅に場所を陣取り、他の荷物を載せるには工夫が必要だった。しかも眞壁さんを乗車させるスペースも必要だった。何故ならば明日、湘南の主さんを午前中に函館駅まで送る。
 再びムーイに戻ると荷物をクルマに積む。何とか眞壁さんが乗るスペースを確保して乗せることが出来た。そんな姿を見たNさんが、夕食をバーベキューにしてくれた。“最後の晩餐”だ。
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最後の晩餐

 部屋に戻る。当たり前だが部屋の荷物はほとんどがクルマに運ばれていて殺風景。早く寝よっと。

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