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わくわく、どきどき、台風の目。

日記・コラム・つぶやき

仏作って魂入れず(障害者の公共施設)

 皆さんが何処かへお出かけしたとき、トイレに困った事はありませんか? 今回は公共施設と言っても、誰もがご厄介になる“トイレ”を例えてお話ししてみましょう。

 その昔、発展途上の国々を私も巡ったことがありまして、公衆トイレに困ったことが多々ありました。先進国となった日本、皆さんはトイレに困ったことなどそんなにありませんよね? ところが障害者用のトイレはどうでしょうか。

 最近は障害者用のトイレも充実されつつあるのですが、よくある「誰でもトイレ」、動けなくなって車イスを利用するようになった父を高速道路のサービスエリアにある“誰でもトイレ”に連れて入ろうとしました。ところが先に入っている方がいる。仕方なく外で待っていますが、待てど暮らせど出て来ない。

 『困ったなぁ』と思いながらも待っていると、しば~らく経ってようやく出てきたのは二十歳前後と思しきお姉ちゃんが二人。しかもド派手な化粧と服を纏っています。おそらく着替えと化粧に時間が掛かったのでしょう。

 地方に行きまして、小さな駅には後から取って付けたような障害者用トイレがあります。入ろうとすると鍵がかかっている。駅員に言って開けてもらうのですが、中は汚くて、ちょっとそこにお尻丸出しで直に座ろうとは思えない。

 おそらく誰でもそうだと思うのですが、『トイレに行きたい』と思うときはそこそこ切羽詰った時で、ようやくトイレに到着しても、いちいち駅員に言って鍵を開けてもらわにゃならないわけで、その時間に切羽詰った状態は頂点に達します。更にそのトイレは汚いことでショックが・・・。

 鍵をかける理由は夜中などに良からぬ輩がトイレでいたずらをするからのようで、その予防だそうですが、昼間は管理者である駅員が在沖しているのですから“昼でも鍵”はないと思います。

 更に掃除はいつしたのか、何処から入って来たのか真っ黒になった葉っぱがこびりついているところを見ると、おそらく一ヶ月以上はほったらかしになっていたと思われます。これではきっと、管理者である駅員さえもそこで用足しするのはためらうでことしょう。

 トイレではありませんが、昨今、障害者を対象にした水泳指導者の養成講習で講師を私はさせていただいています。公共のプールからの依頼ですが、その施設のエレベーターの階を選ぶ押しボタン、ここには点字案内が貼ってあるものの、外からエレベーター前までやって来る点字ブロックがありません。盲人はどうやってエレベーター前まで行ったら良いのでしょうねぇ。

 ノーマライゼーションとかバリアフリーとかが叫ばれるようになって幾年。「仏作って魂入れず」ではありませんが、利用する障害者が一般の人と同じように、気持ち良く使える公共施設であってほしいものです。

被災地巡り

 このたびの西日本を中心とした“平成30年7月豪雨”では甚大な被害が出たと伺いました。一日も早い復旧をお祈りしています。どうかお身体には気をつけて下さい。心よりお見舞いを申し上げます。

 2011年の3.11東日本大震災で、同年7月1日に石巻に行った(本ブログ「被災地(石巻)に行ってきました。」参照)。そのショック以来、毎年行ってその復興ぶりを確認しようと行っている。今年も7月16日から二泊で石巻を訪れた。

Img_0393

 いつもだと北海道の出張の帰りに寄っていたのだが、今年はたまたまその出張が無かったので、クルマで伺うことにした。クルマにしようと思ったもう一つの理由は動作がノロくなったバーさんを今回は連れて行くからだ。

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壊すのか建て替えるのか? 門脇(かどのわき)小学校

 逆を言えばクルマなので石巻から南三陸まで、海岸線に沿って走った。被災地も道路もまだまだ工事中だが、とにかく海岸線に沿って高い堤防が、それは河川の土手のように作られている。
 いつだったか地元漁師のお母さんが「高い堤防が作られたら海が見えない。私たちにとっては海が見えない方が怖い。それよりも高台に逃げる避難路を整備して欲しい」と言っていた。その言葉の通り、漁師にとっては“怖い”と言う海を見えなくしている土手のような堤防がずっと作られていた。

Img_0397

いつだったか、門脇小学校の前には花壇が作られていたのだが、今は。。。。。

 毎年お会いできることを楽しみにしていた地元漁師のお母さん方は、引っ越しをしたのか今年はお会い出来なかった。そういえば去年、「復興団地に当たった」とか言っていたなぁ~・・・。元気でいれば良いが。。。。
 途中、集団登校する小学生の列を見た。おそらく彼らは被災後に生まれたであろうから被災を知らない。いずれにせよ被災からの時間を感じた今回の旅だった。

 東京に戻っても暑い日が続いています。“命に係わる危険な暑さ”だそうです。皆様もお身体お大事に、熱中症に注意して下さい。プールも水温が暑いし。。。。。

ポーカーフェイス

 夏だけスイマーが多くなった今日この頃、先日プールに入って泳いでいると、ご婦人が入って来て一緒のコース内になった。そのご婦人は私よりもゆっくり泳がれるので、抜かさせていただいた。

 プールで同一コース内に入っている前のスイマーを抜かした経験のある方はご存知と思うが、そこそこエネルギーがいる。

  1. 壁が近ければ無理せず、壁で前のスイマーが止まってくれればそこで抜かす。
  2. 前のスイマーが止まらずターンして行ったら、蹴られないよう少し感覚を開けてターンをし、対向者が居ないことを確認し、さっさと抜かす。
  3. 壁までまだ少し距離があるなら対向者を確認し、さっさと抜かす。
  4. 対向者が居る場合は無理して抜かさない。
  5. 壁まで中途半端な距離だったら、そこでターン(ショートカット)する。

 まあこんなことをとっさの判断として泳いでいる。

 今回の場合、3.に当たるのでさっさと抜かさせていただいた。で、ターンする。すると、、、、、ン? さっき抜かしたはずのご婦人スイマーが前を泳いでいる。仕方ないので再び3.で抜かさせていただく。ところが、、、抜いたはずのご婦人スイマーが再び前に。。。。。。これを何回も繰り返している。

 結論からするとこうだ。ご婦人スイマーは私に抜かされた壁手前5m付近でターン(ショートカット)する。そして再び私に抜かされた壁手前5m付近でターン(ショートカット)する。つまりそのご婦人は25mプールの中央15mを往復して泳いでいるのだ。一往復50mを泳ぐ私に対して30mという計算だ。

 おそらく私が憎くてやっているのではない。抜かして行った私の作る波を嫌っているのだ。だからさっさと抜かされれば波の無い方向へターン(ショートカット)する。ご婦人はそれで満足かもしれないが、常に25m毎に抜かさなければならない私は満足しない。そこそこのエネルギーが必要だからだ。水温は33℃もあるのに!!!!

 休憩時間の時にそのご婦人を見てやった。悪びれる様子も無く、ニコニコとした愛想のあるご婦人だ。そんな時、私は顔に出てしまうようでポーカーフェイスになれない。別の練習会だったが一緒だったスイマーは同じような状態になった時、ニコニコしながらご婦人に注意しに行っていた。そのくらい心広く持ちたいものだが、なかなかそれが出来ない。

チョッピリ映画音楽

 今年6月23日(土)、我々中学の頃から続けている、長いだけで腕前はちっとも進歩しない親父バンドのライヴを行った。最近においては腕前が無いだけに、やはり同期でジャズをやっているもうちょっとは腕前のある他の親父バンドをゲストに迎えたり、仲間の落語や私のトークなどで時間を費やしたりしている。

 まあ腕前が無いだけにここで公開するのは控えたい。ただトークの方は毎年「みず、ミズ、水、こぼれ話」ということで、「水着の歴史」や「潮の話」などをさせていただいていた。ところが今回のライヴテーマが「チョッピリ映画音楽」と言うことで、私の仕事であるスイミングクラブ(障害者対象)から障害者がキャラクターの映画の話をさせていただいた。

 まずは障害者についてお話しさせていただいた。身体障害者、精神障害者、知的障害者。これらの各々について説明させていただく。まあこの辺は都内某区の講習をしているので得意の分野か?

 そして障害者が出てくる映画の話。初めはディズニーのフック船長が出てくるピーター・パン。ディズニー繋がりでファインディング・ニモ(2003年:第76回アカデミー賞で長編アニメ賞を受賞)。ニモはクマノミという熱帯障害魚で、生まれつき右胸鰭(むなびれ)が小さいせいで上手く泳げないという設定。それでもニモとニモの父親は「幸運のヒレ」と呼び、前向きに捉えている。(捉え方が日本と違う?)

 ディズニー映画に障害者のキャラクターが多いのは過去のアメリカのインディアンや黒人問題など迫害の歴史からの反省にある。基本的にアメリカは移民で成り立っている多民族国家であることから、弱者やマイノリティー(社会的少数派)に対して平等で優しい国であるという建前のためだ。
 日本映画では座頭市。勝新太郎で有名だが2003年には北野武監督、ビートたけし主演でも作られた。国内の観客動員数は200万人。複数の賞を受賞。

 だがこれらは創作で、実在をモデルにして作られた映画はレインマン(1988年アメリカ:第61回アカデミー賞、第46回ゴールデングローブ賞、第39回ベルリン国際映画祭においてそれぞれ作品賞を受賞)。主演はダスティン・ホフマン、トム・クルーズと豪華。
 主人公の弟、チャーリー(トム・クルーズ)は自分の経営している会社の経営が思わしくない。そんな彼の元に父の訃報が届く。遺産目当てに故郷に帰ったチャーリーは、財産が知的障害の兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)への信託財産として運用されることを知る。遺産を手に入れようと、チャーリーは兄が入所している施設から強引にレイモンドを連れ出しロサンゼルスに戻ろうとするが、その道中でレイモンドの持つ特殊な才能と、幼い頃に彼と交わした交流を思い出す。そしてチャーリーは知的障害とは何かを知り、レイモンドの幸せを願って父の遺言通り遺産を兄に戻し、更に兄を元の施設へと送る。

 この主人公はサヴァン症候群と呼んで、知的障害や発達障害などのある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状。
 日本人で有名なサヴァン症候群は山下清画伯。裸の大将放浪記として何度も映画やドラマになった。瞬間記憶能力が優れ、見た瞬間にまるで写真のように景色を覚えてしまう。

 他に有名なのはフォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年アメリカ:第67回アカデミー賞作品賞、第52回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞)。主演はトム・ハンクス。
 主人公は知能指数が劣るが、純真な心と周囲の人々の協力を受けて数々の成功を収めていくヒューマンドラマ。
 無名だが、私の生徒が出演した春男の翔んだ空(1997年)。主演は永六輔。
 飛行機事故で亡くなった特殊学級教師「野杉春男」とその教え子たちの生活を描いた映画だ。
 この映画のメインは最後の運動会のシーン。かけっこの“ヨーイ・ドン”でスタートすると、遅い子が途中で転倒する。すると速い子はクルリと戻って遅い子を助け、一緒にゴールする。
 今の健常児たちが全ての場面で競争の矢面に立たされ、上位を目指すことばかり求められて優しさを失っていく社会に一石を投じる内容。
 ちなみにこの“速い子”を演じたのが、ダウン症候群で私の生徒。野杉先生の名言:「生きるために教師になるな、教師のために生きよ」。
私「レンタルビデオ屋さんなどで借りられます。是非ご覧ください」
MC「この映画の何処に出演されたのですか?」
私「いっさい出演していません」

 皆さんは「ヘルプマーク」ってご存知ですか?

 こちらのマーク(赤地に白十字とハートが描かれている)です。これは「義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることが出来るマーク」です。
 これは知的障害者の“迷子札”としても使われています。中を開けると「あなたの援助を必要としています」と書かれていて、住所、氏名、年齢、電話番号、どのように対応したら良いかなど、個人情報が記載されています。
 最近では「席譲りアプリ」と呼んで、電車内で席に座りたい妊婦と譲りたい乗客を無料通信アプリ「LINE(ライン)」で繋ぐ社会実験が始まったそうです。他に子ども(障害児)にGPS末端を持たせ、保護者が見守るサービスもあります。でも最も良いのは困った人の側に居る“あなた”が援助することです。
 『援助はしたいが何をされるか分からないので怖い』と思う方は多いと思います。この“怖い”の原因は“分からない”という部分です。是非とも勇気を出して、この“分からない”を乗り越えてください。

ハロ

 6月30日(土)朝、いつものように自宅からクルマで都内某区のプールへ向かう。途中、川を渡るのだが、その橋から富士山が見えた。冬には頭が真っ白になった富士を見ることは珍しくないが、今時に見えるのは珍しい。しかも頭の先まで真っ黒だ。やはり富士のイメージは冬かな?

 プールに到着し中に入る。そこのプールはドーム型の天井で開閉が可能だ。すると天井が開いている。「おお、天井が開いている。7月からじゃないの?」と係のお兄ちゃんに話すと「暑いですからね」と言う返事。お役所仕事だから暑さに無関係で“7月以降じゃなけりゃ開けない”と聞いていたのに珍しい。

 昨日、気象庁は関東甲信地方が梅雨明けしたとみられると発表した。関東甲信地方が6月に梅雨明けするのは初めてのことだそうで、通りで富士が見えたのかもしれない。いずれにせよ天井が開いているのは気持ち良い!

 このプールのドーム型天井、ガラス張りだから一年中空は見られる。だがそのガラスさえない空は更に気持ち良く見える。もうウキウキして空ばかり見上げていると、太陽の周りに虹のような輪が。。。。。

 この輪は「ハロ(Halo)」と呼ぶのだそうだ。英語の「こんにちは」の意味の“ハロー(Hello)”じゃないよ。日本語では「暈(かさ)」と言うらしい。太陽に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことだそうだ。

 このハロ現象に気付いたのは私以外に親子連れが居て、お父さんは「上空に氷の粒が浮いていて、それに太陽の光が当たって輪になって見えるんだよ」とかなり専門的に語っていた。それに対して5歳くらいの息子君は「ふ~~ん、プールの飛沫が空に上がっちゃったのかな」と、まあ可愛らしい発想。

 プールでは写真も撮れないので「プールから出たら」と思っていたが、残念ながらその時点でハロは消えていた。恥ずかしがり屋かな?

 ハロの写真や興味のある方は“ウィキペディア”をご覧ください。いずれにせよ今日で半年が終わる。半年の終わりに良いものを見た。明日(7月)からは東京都の障害者専用のスポーツ施設もリニューアルオープンするし、気持ちの良い残り半年が始まりそうだ。

6月になって

 “ジューンブライド(June Bride)”は、「6月に結婚する花嫁は幸せになれる」のだそうで、この梅雨の頃でも結婚式を挙げるカップルが少なくないそうだ。まあ菓子屋がチョコを売るために2月のバレンタインデーを日本へ導入したように、結婚式場が暇になりやすい梅雨の時期にヨーロッパの文化であるジューンブライド(June bride)を日本へ導入したとしか思えない私は下衆の勘繰りだろうか・・・。

 ただ『日が長くなったなぁ~』と思ったら、何と明日は夏至でちょっとビックリ!! 冬至にはカボチャを食べて柚子湯に入るとか、春分や秋分の日は祝日にもなっているしお彼岸だし、牡丹餅やお萩を食べたりする。ところが夏至には何もない・・・。何か可哀そうな気がする私だが、梅雨と重なっているのがいけないのかもしれない・・・。

 取り敢えず5月から6月にかけて開催された都内某区の障害者水泳指導者養成講習会が昨日終了し、ホッとしている。残りは今月末に行われる我々親父バンドのライヴだ。今日はその練習がある。7月に津軽を泳ぐため来日予定だった南アフリカのロジャーらは来年に順延した。それは今年の2月に亡くなった実母のことで私がバタバタしており、その間に彼らの泳ぐための準備が遅れてしまったからだ。

 だが今日、オーストラリアの友だちから「2名のスイマーが近日日本へ行く」と連絡があった。彼らの目論見は何か。今のところ詳細はよく分からないが、とにかく「東京見物くらいなら付き合える」と返事はしておいた。

 現在、2021年にドーバー泳を狙うタケちゃんマンの練習がある。しかしそのタケちゃんマンの調子がすこぶる悪い。どうしたら良いものか・・・。

 どうも梅雨の影響か、気分までうっとおしい。7月になったら障害者のスポーツ施設も1年5か月ぶりにリニューアルオープンするし、気分転換して明るく元気に行こう!! 本来、夏の私は元気印で夏至は好きなのだ。

忙しくなるぞ! 大丈夫か? 健忘症!

 昨年10月頃からの母の介護に始まり、2月の死去、3月の法事に至るまでの遺品整理、4月になってからこの半年分の貯まった仕事の遅れを取り戻そうとバタバタしていた。ようやく元の状態に戻りつつある中で、このブログも久々に更新する気になった。

 現在、5月から6月にかけて開催される都内某区の障害者水泳指導者養成講習会の講師として、資料作りにまい進しなければならない。

 6月末には我々親父バンドのライヴが行われる。その練習も始まっているし、7月には南アフリカのロジャーらが津軽を泳ぎに来る予定。その準備もしなければならない。

 他にこれから旗日にはドーバー泳を狙うタケちゃんマンの海練習がある。まあとにかく“忙しくなる”ということだ。

 忙しくなることは悪くないことだが、最近進んでいる私の健忘症を何とかしなければならない。

 先日、我が家の掃除をしていたら、私名義の1977年以前の銀行通帳が出てきた。これは昔、海外旅行をするためのパスポートの申請で預金通帳が必要だったために作ったもの。今の人が聞いたら「何でパスポートの申請に預金通帳が必要?」と思われるかもしれないが、昔はある程度の預金が無いとパスポートの発給は出来なかった。

 もう名前も変わってしまった銀行だが、「この通帳は生きている」と言う。そこで解約をするのだが、当時の住所や電話番号がスラスラと出てくる。それに驚いていた銀行員に対して、「昔の住所や電話番号はね、まるで昨日のことのように覚えている。ところが昨日のことはね、まるで大昔のことのように覚えていられない」と言うと、大声でその銀行員は笑った。

 昔、ケータイもスマホも無い時代は駅に「伝言板」なる黒板があった。必要な電話番号は頭に叩き込んである。それが今でもスラスラと出てくる。おそらくスマホ時代の若者には通じまい。クルマでもカーナビがあるので道路を覚える必要が無い。考える必要が無いのでヒトはバカになる。

 時折、普段電話で掛けることのない自宅の電話番号が出なくって、書類を書くのにスマホで調べることがある。バカになっているのだ。何とかしなければ。

 いずれにせよこのブログはしばらく更新されないかもしれない。読まれている方に、先に謝っておきたい。どうもすいません。

Uさんと津軽泳、そしてN氏

 先日、我が家の近くへUさんがやって来た。その主目的は私に新聞記事を見せること。それは本年4月2日日本経済新聞朝刊25ページに記載された“津軽海峡 「横断泳」の聖地に”という記事。
(リンク先は日経の会員じゃなければ最後までお読みできません。続きをお読みになりたい方は、日経電子版の会員になる。日経新聞4月2日朝刊をお探しになる。または私までご連絡ください。)

 Uさんは東京でも西方の山間地にある桧原村にお住まい。ほぼ私と同い年で、昔から海峡横断泳をやっていらした。かなり昔からUさんのことは存じ上げていたが、あまりお話をしたことはない。

 そのUさんが最近私に接近してきたのは、私の海峡泳の恩師、N氏について調べ出し、追っかけをしてからだ。

 N氏はおそらく日本の海峡横断泳のパイオニアだ。北海道は相撲界のウルフこと“千代の富士”と同じ松前郡福島町の出身。高校時代まで相撲部で、千代の富士の先輩にあたる。「俺は千代の富士を倒したことがある」と言うのがN氏の自慢話。

 東京の大学に進学してから海峡横断泳に開眼し・・・、いや、それまでの夢だった故郷、幼いころからの遊び相手だった海、津軽海峡を泳いで渡ったことが、海峡泳の開眼に繋がったのかもしれない。いずれにせよドーバー海峡も津軽海峡も泳いで渡った日本人初のスイマーとなった。

 ただドーバー泳はその低水温から途中、ウエットスーツを着用したので公認はされていないし、津軽泳も途中、船に乗っているので厳密に言うと“成功”とは言い難い。

 ただそれは今、日本人に海峡泳の認識が深まったからで、そこまで深まる引き金として、N氏の存在は大きいと言える。

 大学生だった私はN氏にくっついてあっちこっちに行かせていただいた。そのN氏は水泳からウィンドサーフィンに移行し、“ウィンドサーフィンによる太平洋横断”を企画してから、その練習として1991年に行った、日本~台湾間のセーリング中に遭難し、帰らぬ人となった。

 それはUさんのご指摘通り、N氏の影響を私は大きく受けている。そしてUさんはご自分でまとめられたN氏の原稿「泳道(“えいどう”N氏の好きだった言葉)」を私に渡してくれた。これから楽しみに読ませていただくことにする。

バチッ子(母への想い)10/10

八丈島

 吾輩のスイミングクラブは春休み。だが母の一件があって何度も教室を休んだ。その振替教室をやらなければならない。春のスキーキャンプもある。自分の家には荷物の入れ替えなどで帰るものの、ゆっくりとしている時間は無かった。

 また長女が「八丈島に行こう」と誘ってくる。何故八丈島か。それはもう四〇年くらい昔になるが、吾輩は両親を連れて八丈島に行ったことがある。その時、航空会社がストをするとかで、ストになったらその旅行は取りやめになっていた。ところがストは回避され、我々は行くことが出来た。ところがそのストの一件で他のお客さんのほとんどはその旅行をキャンセルした。つまり我々一行が宿泊したホテルはガラガラ状態。

 ホテルのお風呂(温泉)の隣にはプールがあって、それは“温水プール”ではなく「温泉プール」と書かれていたので、水を温めたプールではなく、温泉水を引いてプールにしたのだろうと思われた。誰も利用者は居なかったので、父はお風呂からスッポンポンのままプールで泳いだ。それが吾輩には父の泳ぐ姿を見た最後になる。

 そんなこんなで印象が強く、そのことを聞いた長女は「母を偲ぶ旅行がしたい」と行くことになった。

 二泊三日の時間が取れるのは、吾輩にとって四月一日からしかなかった。八丈島では印象深い思い出以外に残っているものは無い。従ってどのホテルに泊まったのか、温泉プールは残っているのか、実際に行っても全く分からなかった。

 ようやく吾輩は家に帰った。我が家には吾輩が「猫の額庭」と名付けた小さな庭がある。手入れは年に一回やるくらいのボーボー状態。夏に庭木に毛虫がついたのか、葉のあちらこちらが喰われていた。端から綺麗に食べてくれればそれほどでもないが、あちらこちらを食い散らかしてくれたので、それが気に食わなかった。それでもそのうち鳥がやって来て、毛虫は鳥の餌食になるのだろうと放っておいた。何故か我が家の庭木には、野鳥がよくやって来ていたからだ。

 母の一件で川口に行きっぱなしになる秋頃、庭木の葉がボロボロになっていたのに、春になった今の庭木は新芽が芽吹いて青々としている。『自然はスゴイなぁ』と感心すると共に、時間の流れを感じた。

 何はともあれもう四月。そろそろ吾輩も日常の生活に戻らなければ。

バチッ子(母への想い)9/10

四十九日

 四十九日とはこの世を去り、極楽浄土に往って生まれるまでに七日毎、七つの修行を終えなければならず、七七四十九で法事を行うことだそうだ。通夜、告別式を終え、お骨になった母が家に戻ってから四十九日の法事が終わるまで、吾輩は母の修行に付き合うことにした。それは毎朝炊き立てのご飯を茶碗にてんこ盛りにして箸を挿し、仏壇にお供えすることだ。仏はご飯の湯気を食べるのだと言う。

 三月二四日に四十九日の法事を終えた。その日の朝まで吾輩はご飯を供えた。きっと極楽浄土まで無事に往って生まれてくれたことだろう。父に会っているかもしれない。

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