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わくわく、どきどき、台風の目。

心と体

キッキング・エイジ(Kicking Age)

 ちょっと変な話から始まりますが、“健康”と“長寿”はイコールではありません。つまり長年スポーツに親しんだ元気な方が長生きで、スポーツ嫌いで病気がちな方が短命ではないということです。しつこく言うと、スポーツをしていた群とスポーツをしていなかった群との寿命比較に差はありません。
 ただスポーツをしていた群は死ぬまで元気で、スポーツをしていなかった群は加齢とともに健康から離れ、寝たきりなどから潮が引くように死を迎えます。まあこれもあくまで統計と確率ですが。。。。
 一般に高齢者は加齢とともに健康から離れていくと思われがちですが、加齢とは無関係に健康維持をされている方々を「キッキング・エイジ(Kicking Age)」と呼ぶようです。お元気で年齢を蹴飛ばしちゃうからですかね?
 そんなキッキング・エイジの写真集を南アフリカのロジャーが私へ送ってくれました。その中には今年、73歳でチャネル・スイマー(ドーバー完泳者)の世界最高齢記録を更新したオットー(南アフリカ:下記写真7番目)が紹介されているからでしょう。もちろんロジャーには了解済みで、この素晴らしい人生を送られている方々の写真集を当ブログでもご紹介しましょう。

 ちなみに長寿世界一は日本だそうです(平均寿命ランキング・男女国別順位参照)が、私個人の意見としては「日本は世界一長生きの国ではあるが、寿ではない」です。『“寿”という字を使うには問題があるなぁ~』と思うのです。まあ選挙も近いことですし、真の長寿国になるがための政治をやってくれる方に投票しようと思っています。皆さんも行ってくださいね。選挙。
(↑↑↑この一言が余計なのかなぁ~? 反省)

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お灸

 子どもの頃、悪いことをすると親に「お灸を据えてやる」と叱られたものです。でも、未だかつて親からお灸を据えられたことはありません。ところが、最近は悪いこともしていないつもりなのにお灸を据えられています。それは、左肩です。
 以前に左肩関節は亜脱臼と腱の部分断裂で「左腕が上がらない」とこのブログでも紹介しておりました。その後、我が家のご近所で保険の利く整骨院へ通うようになりました。マッサージと電気(温熱療法)です。
 病院のドクターからは「充分に動かすように」と治療が終わり、リハビリに専念するようアドバイスをもらい、日頃プールではストレッチを丹念にやっているのですが、どうも可動域が狭いのと痛みが抜けたわけではないのです。そこで再び整骨院通いが始まったという訳で、今のところ週に2回程度通っています。
 そこで気が付いたのですが、一人ではできないストレッチをマッサージ師とやります。この“一人ではできない”にようやく気付いたのです。文章にするのは難しいので省略します。とにかく関節の可動域を広げるストレッチです。実はこれ、ハッキリ言って痛い!!
 でもそれで驚くほど可動域が広がったかと言うとそうでもなく、結局は「お灸をやってみよう」ということになり、お灸が始まったわけです。ですから今はお灸にマッサージに温熱療法。
 それは昔のように皮膚の上に直接艾(もぐさ)を乗せて点火するのではなく、画鋲(がびょう)をイメージしていただいて、押す部分が台座で針の部分が細い円柱形の艾だと思ってください。台座の画鋲なら押す部分にシールのような糊がついていて貼れるようになっています。そこを皮膚に貼り、艾の先端に点火します。ですから直接火が皮膚に触れることはありません。
 台座にはいろいろな厚さがあって、その厚さによって温度調節ができるってわけです。
 艾の原料ってヨモギだと知っていましたか? 知らなかったのは私だけか、周囲の方々は皆さんご存知でした。
 昔はよくキャンプに行っておりまして、流木で焚火をするのですが、ごくたまに香木を焚いたりすることがあります。流木の中に香木が混ざっていたのでしょう。それで一度だけですが、たぶん白檀(びゃくだん)かと思われる香木を焚いたことがあります。それはそれは焚火の周辺がもう良い香りで。。。。。
 お灸の煙はあまり良い匂いではないので、『ヨモギが白檀のような香木だったら良いのになぁ~』と思ったりもします。でも後から調べると高級な艾は煙が少なく良い香りだそうです。高級な艾でお灸をされてみたい。。。。
 そうそう、肝心要の効能ですが、現在はあまり感じていません。まあ新薬のように“目に見えて良くなる”ということはないのでしょう。
 ぜんぜん話が違いますが、私はスモークされた食材が好きです。「いきなりどうした?」って。。。少々煙の話をしたものだから、スモークチキンか何か食べたくなりました。ああ、腹減った。。。。。
 ちなみに針をやったことはあります。ぎっくり腰で痛くて、それでも水泳教室をやっていると、盲学校の体育教諭をやっている知人が「タダで針をやってもらえる」と言うのです。「じゃあ頼む」とついて行くと、それは盲学校の針・灸のコースで、授業のモデルになるのです。
私「おい大丈夫かよ。生徒が針を打つのだろう?」
知人「大丈夫だよ。指導している先生はベテランだから」
 そんなこんなでしばらく盲学校の教室へ通うことになったのですが、そんな話は別の機会にしましょう。

運動神経

 「運動神経」をウィキペディア(ネット辞書)で調べると、“運動神経(うんどうしんけい)とは、体や内臓の筋肉の動きを指令するために信号を伝える神経の総称である。頭部では脳神経、体部では脊髄神経として、中枢から離れて末梢に向かうので、遠心性神経という名称でも呼ばれる。”となっています。

 一般に“運動”は次のようなメカニズムで行われます。

  1. 認知:目、耳など感覚器(アンテナ)から外部情報を受け取る。
  2. 判断:脳で情報に対する適正な対応を決める。
  3. 動作:適正な対応(信号)を、脊髄を通して各筋肉へ伝え、身体を動かす。

 運動神経とはこの③の脊髄から筋肉へ一方通行に信号を伝える神経を言うのです。

 ン? よく言う「運動神経が鈍い」とか「運動神経が悪い」とか言う“運動神経”とは違うのでは? とお気づきの方もおられたことでしょう。
 もし、この「運動神経が“鈍い”」とか「“悪い”」という言葉をそのまま鵜呑みにしてウィキペディアやメカニズムの意味合いで取ってしまうと、“体や内臓の筋肉の動きを指令するために信号を伝える神経”が鈍い、または悪いわけですから「筋肉の動きが困難、または不能」と言うことになります。

 「ポリオ(急性灰白髄炎)」という病気は“ポリオウイルス”と呼ばれるウイルスによって発症する感染症のことで、腸管に入ったウイルスが脊髄の一部に入り込み、主に手や足に麻痺があらわれ、その麻痺が一生残ってしまうことがあります。つまり運動神経に悪さ(切断)して、その先の筋肉を動かすことが出来なくなる麻痺です。子どもの頃に発症するケースが多いので「小児麻痺」とも呼ばれています。
 普通、「運動神経が“鈍い”」とか「“悪い”」という言葉は「ポリオになった」と言う意味ではありません。俗にいう“運動音痴”など、「運動学習に時間が掛かる」、あるいは「スポーツ習得が不得手」などを指すようです。それは“ウィキペディアやメカニズムの意味合いでの神経”を指しているのではない、少し複雑な運動習得の良し悪しを言っているようです。

 「スキャモンの発達・発育曲線」に沿って、各年代の発育・発達期に適正な運動刺激があると運動音痴は生まれないはずですが、「子どもの頃は病弱だった」とか「ひきこもり気味だった」など、何らかの事情で子どもの頃の適正な運動刺激が少なかった方々に運動音痴は多いようです。
 逆に言えば、オリンピック級のアスリートたちは「子どもの頃から活発だった」との報告があります。この辺が運動音痴になるかならないかの分かれ目のような気がします。
 それでは、“運動音痴”と自覚している大人に「運動学習は無理か?」と言うとそんなことはありません。実は“運動学習の効果は適正な練習内容と練習量(回数)に比例する”からです。特に自転車、水泳、スキー、スケートなど、バランス系、持久系の運動で不可能を可能にするには練習量(回数)です。ただし練習量(回数)を決定する疲労の具合で話はちょっと変わってきます。

<例>
 100回練習すると、誰もが可能になる運動学習をする。

  • Aさんは子どもの頃に病弱であまり運動はしないで大人になった。
  • Bさんは子どもの頃からジッとしていることが嫌いで活発だった。

 AさんとBさんを比べると、どちらも100回の練習で可能になるのは変わりません。しかしAさんはBさんに比べ、体力が劣るので10回くらい練習すると疲れてしまいます。BさんはAさんに比べ、体力が優れていますから、50回の練習でもへこたれません。差は、この“10回で疲れる”と“50回でもへこたれない”です。
 これは単に回数だけの問題ではなく、運動学習に向かう積極性の差も出てきます。つまりAさんは“疲れる”ことを知っていますから教室中にも「お先へどうぞ」とか順番を譲ってしまいます。(待っている間は何もしない)
 Bさんは“へこたれない”ので(気持ちは)先を争って練習します。(Bさんが来るまでの間、自主練習をしている)
 この積極性の差が、AさんよりBさんに練習を1回でも多くします。したがって結果、時間的にはAさんに比べ、Bさんの方が先に可能になります。

 俗に言う「運動神経が良い」とは子どもの頃から活発で、現在でも体力があり、運動に向けて積極性のある人のことを言うようです。
 運動音痴を自覚する方は、運動に向けて積極的になることでかなり改善できるようです。「ダメだ」と思うのではなく、運動に関心を持ち、「必ず出来る」と思い続け、“楽しむ(充実感、達成感など)”を味わうことです。

バレンタインスイムのお誘い

2月14日(木)に「バレンタインスイム」を行います。

このイベントはアメリカ(メイン州)にお住まいで、昨年津軽海峡を泳いだパット(看護師)が、「世界の心臓病を撲滅させるためのPR活動」として行っています。

「日本でも広めて欲しい」と一昨年から2月14日に泳いでいます。

  1. 日付:2月14日(木)
  2. 場所:湘南海岸
  3. 内容:30分くらい泳ぎます。(ウェット着用可)
  4. 費用:無料(自己責任でご参加ください)
  5. 定員:10名
  6. 申込:コメント欄にお名前・連絡先などを記入してください。(公開されません)
  7. 問合せ:お問い合わせも気軽にコメント欄に入れてください。
  8. その他:コメントをいただいた方に直接詳細をお知らせします。

バレンタインスイムのホームページ"Valentine's Day..Swim for your Heart."で、下記の日本人の写真が表紙を飾っています。

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私は「生かされた」のか?(18/18)

   18. 復帰出来たか?

6月30日(土)
 午前5時起。いつものものように朝食を摂る。家内も5時過ぎに起きてきた。荷物は昨夜の内に纏めておいたので問題なし。藤沢駅6時43分の電車に乗ることになっているが、早めに家を出ると6時半には駅に着いてしまった。間もなく原田さんが来た。彼女も体調不良でこのところあまり練習が出来ていなかったようである。甘粕さんも見えた。改札の内側から青木さん、中川さんと、次々に集まって来た。時間になり。改札を抜けて電車のホームへ向かう。早い時間にも関わらず、ホームにはかなりの人が電車を待って並んでいた。既にホームで待っている仲間もいた。大船、横浜と大会に参加する仲間が乗り込んで全員揃い、12名集まった。
 今回の会場は埼京線の新習志野駅前の“千葉国際プール”で、「ソウルオリンピックの100m背泳ぎで金メダルを取った鈴木大地選手の偉業を称えて作られた」と聞いている。会場までは藤沢から2時間弱掛かる。今日は梅雨の中休みで朝から強い陽射しである。会場には8時半過ぎに着いたが既に開場されており、すんなりと中へ入ることが出来た。クラブごとに座る席が決まっているので“席取り”の心配もない。安心である。
001 今日は25mバタフライの一本だけ。しかも午後からのレースなのでレース前のウォーミングアップは止めた。今回は「連続出場50回の表彰」を受けることになっている、家内は15回の表彰だ。連続出場は55回の石井さん、50回は私を含め、三名もいる。石井さんが連続出場最高者かと思ったら、「第一回から出場している方もいますよ」と石井さんが教えてくれた。凄い人がいるものだ。
 プレゼンターは北京オリンピック大会800mフリーのゴールドメダリスト、“柴田愛選手”だった。私の出番はかなり後なので、仲間のタイムを記入しながらレースを観戦していた。そしたら以前、マスターズ大会で良く顔を合わせた“中部さん”を見た。彼はセントラル系のクラブではなかったはずだが、この大会に出ているということは、クラブを変えたということだ。何故、彼と知り合ったかと言うと、“眞壁(まかべ)”と“中部(なかべ)”と呼び名がよく似ており、しかも年齢区分が同じで、泳ぐ種目もフリーが主体で、レースで名前をコールされた時、彼は私と良く聞き違えたそうで、それで私に声をかけてきた。彼もセントラルなら必ず私が『出ている』と思って探していたそうである。もう10年近くは会っていなかったと思う。
 東戸塚の中村幸太郎さんが訪ねてきた。彼も50回近くは出場しているはずだが、今回から水泳を止めた、というより泳げなくなったそうである。以前、心臓の悪い時期があったのだが、会社を早期退職したらすっかり良くなったそうだ。ストレスが原因だったようだ。それで前からやりたかったトライアスロンに挑戦するためのトレーニングを始めたら、心臓病が再発。狭心症でカテーテル手術を、私が肺炎で入院していた時期に行ったそうである。退院してから少し泳いだら何とか泳げたが、泳いだ後が苦しくて死にそうだったそうで、「もう水泳は諦めた。他に何かやることを今考え中だが、金儲けのことを考えているととても楽しくなるので、“金儲けを考えようか”と思案中」だそうである。もし私が中村さんのような立場になったらどうなるのか? 考えただけでも恐ろしい。『肺炎を侮らないようじっくり回復させていこう』と心に誓った。レースは30分ほど遅れて進行している。
 私の出番が来た。今回の200mフリーは無理なので25mバタフライだけ。25mの競技は出場者が多い。招集場で私の隣に座った人が声を掛けてきた。「前回の辰巳のプールでの100mフリーでは、1/00秒差で負けた」と言う肥後さんだった。今回は200mフリーにはエントリーしていないそうである。片方の耳が聞こえなくなってしまったそうである。
 70歳に近い年齢になると、半年も経つと色々とあるものだ。私もそうだが・・・・・・
002 以前なら25mのダッシュはノーブレで泳げたのだが、今はとても無理で、途中2回も呼吸を入れた。やはりかなり体力が落ちている証拠だ。しかし何とか18秒台で泳げて三位に食い込んだ。その後のタイム制限リレーにも出させてもらった。このリレーは「100mを2分に最も近いタイムで泳いだチームが勝つ」と言う。スピードを競うレースではないので誰でも参加出来るユニークな競技で、内田さん、家内、私の三人で参加した。内田さんが50mを最初に泳ぎ、次が家内、ラストの私はバタフライ。で、ゆっくり泳いだつもりだったが、コーチが後でこっそり私のタイムを教えてくれた。「25秒で泳いでいた」と。ちょっと速すぎたかな?
 今回もリンパマッサージを受けたのだが、申し込みが遅かったので16時20分からだった。
 マッサージを受けて席に戻ると家内と奥津さんしか残っていなかった。内田さんと小林さんが50mのフリーにエントリーしていたはずなのだが、二人とも「疲れたから」と言って先に帰ったそうである。
 帰りに三人で新習志野駅前のショッピングモールで早めの夕食を済ませ、のんびりと家に帰った。家に着いたのは午後7時半過ぎ。やはりかなり疲れたが、『これで私の肺炎発症の区切りがちょっぴりついたかな?』と思った。が、『いや、やはり海泳ぎが出来るまでは未だ駄目だろうな』と思い改めた。

7月1日(日)
 5時起床。昨日のレースの疲れは全くない。家の前の県道467号線の街路樹は山桃の木で、今の時期、実を一杯につけている。朝一番で山桃の実を取りに行く。住友生命のビル前の木は沢山なってはいるが、未だ熟れていないので、向かい側で沢山実が落ちている木に狙いをつけて、釣竿を利用した伸縮自在の特性網で高いところの赤く熟れている実を重点的に採った。家に戻り、ザルに入れて水洗いし、黒ずんだ熟れた実だけを選り分けてパックに入れて冷蔵庫に保管。熟れた実は甘みがある。朝食後、家の周囲の雑草取りを昼近くまでかけて取り除いた。綺麗になり、とてもサッパリした感じである。
 昼食後一休み。パソコンの再配達を今日の午前中に届くよう依頼をしておいたのだが来ないので、再度連絡を入れたら「7月7日の配達になっています」との回答。「出来れば今日の午後にして欲しい」と再度依頼をした。折り返し連絡があり、「今日は難しいので、明日の夕方なら何とか出来る」とのことなので、明日の夕方の配達にしてもらった。
 今日は湘南の海が“海開き”の日になる。だが生憎の空模様。いつもなら海開きに合わせて泳ぎに行くところだが、毎年お世話になる西浜監視所へ差し入れだけを持って行く。しかも電車に乗って海まで行った。ついでに新しく作った私の名刺も持って行く。海の家でやたらと若いギャル達が集まっているところが何軒かあった。あの集まりは何なのだろう? 又、全く人の気配のない海の家もある。西浜監視所は毎年リーダーが変わるようで、今年のリーダーは見覚えのない青年だった。が、私を覚えているライフガードもいた。大体大学生が多いようで、中には高校生、一般社会人、消防署勤務の人たちと、多彩なメンバー構成で活動している。午後から雨が降り出してきた。

7月2日(月)
 朝は曇っていたが、10時過ぎから晴れて暑くなってきた。仕事を終えて歩いて家に戻ると、娘の麻純が来ていた。今、勉強中のエステで、家内につけまつげを一本ずつ付けていた。根気のいる手仕事だが、出来上がりはかなり良かった。
 6月分の仕事の出勤簿の提出を忘れていたので、大急ぎで記入して会社へ郵送した。
 夜、スイムトレーニングへ行く。2,900m泳いだが未だ体が戻ってこない。特に今日のメニュー、「プル+キック+スイムを50mずつの150m×6本」はとてもきつかった。その疲れが抜けないまま、100mスイム4本はタイムが1分45秒以上も掛かってしまい、『もうこのまま体力が戻らないのではないか』とかなり落ち込んだ。

7月3日(火)
 午後から小田急線湘南台駅のつのだ歯科へ行く。左上の歯がすり減って痛みを起こしてから二週間ぐらい経過。痛みは相変わらず治まらず、先週から痛み止めの薬を飲んでいるのだが、とてもつらい二週間だった。が、どうやら痛みは多少和らいできた。

7月4日(水)
 朝から暑い。九州地方では梅雨の大雨で大変な事になっているのに、関東地方は昨日降っただけで大雨ではなかった。
 仕事仲間の五藤さんから連絡があった。7月2日に会社の野村さんからFAXが入り、「仕事仲間で湘南台のマンションの管理人が死亡した」とのこと。内容は「6月29日(金)の夜9時過ぎにマンションの居住者から、“管理員室内で管理員が倒れている”と管理会社に連絡があった」そうである。考えてみれば確かに管理員は通常一人勤務で気楽ではあるが、万が一の際は手遅れになることは十分考えられることだ。しかし家族はこの事態をどう考えていたのかが分からない。勤務時間は午前中であり、その後何処かへ出かける予定がなければ、夜の9時過ぎまで何も連絡がないのはおかしいと思うはずだが、その辺りがどうなのか良く分からない。このような事例があったということを家族に話しておくことは大切なことだと思った。
 午後プールへ行く。本当は海へ泳ぎに行きたいところなのだが、いまいち泳力に自信が持てないのと、『又肺炎を発症させてしまったら』と考えると二の足を踏んでしまう。
 すっかり忘れていたが、今日は家内の66回目の誕生日だった。明日は何かをプレゼントしよう。

7月5日(木)
 今日は亡くなった兄の命日だ。昭和43(1968)年、今から44年前。もう44年も経つことになるのだ。しかも私が肺炎で入院してとても苦しんでいる時に、兄の出てくる夢を見た。普段全く忘れているというより、思い出さない兄である。その夢にはやはり亡くなった母まで居たし、私の子供も出てきた。全く訳が分からない夢だったが、家内に話をしたら、「お母さんとお兄さんが貴方を守ってくれたんでしょう。だから命日にはお墓参りに行った方が良い」と言われた。
 仕事を終えて家に戻り、昼食の後、家内が買っておいてくれた花を持って墓参りに行く。何となく心が晴れたように思った。本家ともやし屋の墓にもお線香をあげてきた。いつも墓参りに行くとお線香を上げる無縁仏の墓の線香立てに、火の消えたお線香が一杯置いてあったので、火を着け直して供養をした。だがライターの調子が悪く、中々火がつかなかったので、お線香ではなく手を焼いた。
 帰りに町内の和菓子屋松月さんに寄って、家内の誕生日祝いに和菓子の詰め合わせを作ってもらい、プレゼントした。

7月6日(金)
 午後のスイムトレーニングでは水泳復帰後、初めて上級者コースで泳いだ。泳ぎの流れがあるので非常に楽に泳げた。しかも50mダッシュでは41~42秒台で泳げた。
 家に戻ったら丁度生協が納品に来たところだった。荷物を受け取り、食事を作っていたら電話が鳴り、「パソコンのセッティングに今日行きたい」との連絡だった。「4時には出かけるから」と言ったが、「それまでには終わりますから」と言うので来てもらうことにした。しかし古いパソコンの調子が悪くデータの移行がうまくいかず、後は自分でやるしかないことになってしまった。
 4時15分過ぎに順鳳堂医院の横山先生の治療を受けに行く。「随分と良くなってきている」とのこと。特にビックリするのは右脇に下の汗疹がきれいに消えていたこと。私はとても汗かきなので、毎年夏時期になると体中汗疹だらけになる。特に脇の下はひどくなり、皮膚科へ行って付け薬をもらっていたのだが、横山先生に「何処か気になるところはありませんか?」と尋ねられた際に、汗疹のことを話したら「分かりました。治りますよ」と言われた。どうやら原因は肝機能が影響しているらしいのだが、この治療のおかげで低下していた肝機能が復活してきたようだ。
 治療が終わり、家まで歩いて帰る予定だったが、雨が降り出してきたので電車で帰ることにした。家内は今、とてもはまっている太極拳を習いにスポーツクラブへ出かけていた。

7月7日(土)
 七夕だが生憎の曇り空だ。朝からパソコンのデータ移行を行うが、中々うまくいかない。古いパソコンが直ぐフリーズしてしまうので、とても時間が掛かっている。又、バックアップ用に購入した後付のハードディスクにはデータが入っていなかった。どうもUSBコネクターの接触不良のようだった。
 午前中風間医院へ行き、来週の藤沢市の健康診断の予約を取ってきた。夜、スイムトレーニングへ行く。一番端の7コースは水中ウォーキングなどの流れが出来ており、その流れに逆らって泳ぐとガックリするくらいスピードが鈍る。でもこのコースで泳ぐと力が付きそうな気がしてきた。息切れは相変わらずで、やはり心肺機能回復がかなり遅れてきているようだった。

7月24日(火)
 二ヶ月半ぶりに海で泳ぐ。天候は曇り空。南の風で風力3、気温31度、水温27度。
 石井先生から頼まれていた、荒川さんの海泳ぎ練習の相手を今週末にしなければいけないので、そのためにも是非海で泳いでおかなければならないのである。
 既に海水浴シーズンが始まっており、片瀬西浜の遊泳エリア内で泳ぐことにした。いつものように西浜の監視所にご挨拶をしてからエリア内を二周半泳いだ。
 今の時期としては透明度が割合に良く泳ぎやすい。最初はとても不安だったが、泳ぎ出したらそんなことをすっかり忘れて海泳ぎを楽しんだ。
 5月中ごろに発症した肺炎から約二ヶ月半ぶりに海への復帰。未だ肺炎は完治したわけではないが、一応、海泳ぎが出来るまで復活できたことは本当に良かったと思う。
 もしかしたら、左肺機能が失われて水泳は不可能でも不思議ではないと思われた時もあったことを考えると、今、海を泳げるまでに回復したことに感謝である。
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2006年8月6日、ドーバー海峡完泳(15時間50分)

   船名:Seafarer 2
   パイロット:Chris Osmond
   クルー:Tony Mitchinson

 ここから先は、出来ればベートーヴェンの「月光」(Beethoven "Moonlight Sonata")でもBGMにして聴きながら読んでいただけたらありがたい。

 「何処に、何処に向かって泳げばいいんですか?」
 フランスのビーチは遠浅で、湘南の主さんをイギリスから水先案内してきたクリスの“シーファーラー 2”は、喫水(船が水に浮いたときの、水面から船体の一番下までの垂直距離)からそれ以上進めず、その動きを止めたからだ。
 そこから先はシーファーラーに積んであるシーカヤックで湘南の主さんをフランスのビーチまで案内をするのだが、チラッと見るとカヤッカーのトニー(クルー)は着替えたり腕にランプをつけたりでモタモタしている。そこでとっさに
「月! 月に向かって泳いで行ってください!」
と私は答えていた。
 すでに辺りは暗闇になっており、東の空にようやく浮かんできた満月に近い月が何とか薄く岸を見せていた。しかしすでに15時間以上泳ぎ、増して近視で海面にいる湘南の主さんに「その岸を見て」と言うのは無理だろう。
 ちょうど良い塩梅に月はフランスの向こうに上がっており、その月光の反射が海面に一筋の帯のように落とし、それはそれは美しく映し出している。もちろん残念ながらスイマーからその美景は見えないだろうが、月は多いに有効な道標となるはずだ。
 湘南の主さんが道標に従って泳ぐ。帯のような反射は泳ぎが作る引き波によって崩され、キラキラと細かい光になって広がっていく。暗闇ですでにシーファーラーから直接スイマーを見ることは出来ない。しかし湘南の主さんを追う反射の変化によって、その位置はわかるのだ。
 それはまさにハッピーエンドで終わる映画のラストシーンのような光景だった。

 62歳。“日本人最高齢チャネルスイマー(ドーバー完泳者)誕生”となった。その湘南の主さんが「70歳になったらもう一度ドーバーを泳ぎたい」と言う。そんな万年青年の湘南の主さんを、いつまでも応援したいと思う。

 藤沢市長との対談はこちら

私は「生かされた」のか?(17/18)

   17. 思うほどには?

6月20日(水)
 台風4号は足早に走り抜けていき、今朝は東北地方で海へ抜けていったそうである。風は残ったが、空は抜けるような青空が広がっている。プランタに植えていたトマトの苗が風で倒されていた。アジサイ、アスパラの鉢も横になっている。相当強い風が吹いたようだ。マンションの方はどうなっているのか心配だ。今日は「気温が30℃を越す」との予報である。いつもの時間に家を出て電車に乗り、鵠沼海岸駅で降りると風と波の音が聞こえてくる。とすると、マンションは凄いことになっているに違いない。
 案の定、マンション建屋周辺はどこから飛んできたのか落ち葉で一杯。玄関ドアは潮風でベタベタだし、アプローチは水浸し。駐輪場の自転車は全て倒れている。今日の仕事は建屋周辺の清掃と、ドア等の雑巾がけで終わった。
 403号室の居住者のエアコン配管用ダクトが昨夜の強風で壊れて室内に落ちてきて、そこから「雨水が入り込んで室内はビショビショになった」と連絡があった。室内を見せて頂いたが、配管用の穴をガムテープとビニールシートで塞いであり、床にはタオルや雑巾が敷き詰めてあった。早速会社に連絡。担当部署に現状報告をして早急に修理のお願いをした。
 屋上のテラスへ上がり海を観察。白波で真っ白で砕ける波が霧のようになって陸地へ降り注いでいる。メガネが直ぐに潮風で曇ってしまうくらい物凄い潮風が吹いている。この潮風の後始末の清掃には一週間は掛かってしまうだろう。
 午後プールへ泳ぎに行き、トータル2,500mほど泳ぐ。帰りにクラブの近くで、息子と同学年で私たちと一緒にマスターズクラスで泳いでいた清水さんに会う。今は結婚してお産のために実家へ来ている、そしてこの2~3日が予定日だとか。でもあまりお腹の大きさは目立たなかった。

6月21日(木)
 朝刊に昨日の台風4号のために、「逗子海岸から片瀬江の島間の海の家でかなりの被害が出ている」と報道されている。仕事の帰りに片瀬西浜へ回ってみようとカメラをバックへ入れて出勤した。が、思ったより早く10時過ぎに雨が降り出してきた。残念だけど西浜行きはあきらめた。でも昼ごろは雨がかなり小降りになってきたので「予定通り行けば良かったのに・・・」と悔やまれる。
 運動の後に飲むドリンク剤をドラックストアへ買いにいく。毎月20%引きの割引券の広告が入るので、そのたびに買いに行っている。今回はその割引券が六枚もあるので、毎日行かないと使いきれない。
 今夜は6時から小型船舶免許の更新講習会が藤沢市民会館小ホールで開催される。4月ごろに案内がきており、5月20日に申し込んでいたが、肺炎で入院してしまったので受講日程を変更してもらった。家の近くで開く講習会場所を探して何とか今日受講出来るようになった。最初に身体検査で手足を係員の指示に従って動かし、そのあと検眼となる。
 今回の講習会は“50名限定”と案内には書かれていたが、何人か空席があった。小型船舶の免許更新も自動車の免許更新と同じようで、教本から抜粋しての講義が40分程度、ビデオ映像が20分ぐらいと殆ど意味のないような内容の講習会だった。でも『これで生活している人もいるのだから』と自分に言い聞かせていた。新しい免許は10日後ぐらいに郵送されてくるそうだ。
 この講習会を受けるとき、家の前の路地で水道管の破裂があり、道路が水浸し。緊急車両が来て工事に入っていたが、私が講習会を終えて家に帰った8時過ぎ、この工事も終わったようで車両が走り去って行った。

6月22日(金)
 朝からかなり激しく雨が降っている。台風5号が熱帯低気圧に変わり、梅雨前線を刺激しているようだ。11時過ぎまで降っていたが、その後は上がって良かった。海は低気圧の通過で風は北寄りなのだがうねりが残っている。引地川の汚れた川の水が海に広範囲に流れ込んでいるのがよく分かる。あの水を飲んだら病気になりそうだと誰しも思うだろう。
 午後スイムトレーニングに行く。今日もスピード練習。距離は1,400mと少ない。しかし相変わらず私はスピードが上がらない。一緒に泳いでいる内田さんは「不整脈が出ている」とかで、スピードを抑えながらマイペースで泳いでいた。この年になると色々と体の変調が出てきて、中々自分の思うように行動できなくなるものだ。
 夕方、パソコンのモニターが入荷してきた。しかしモニターだけではどうにもならない。ダメ元で動かなくなっていたパソコンの電源を入れてみた。すると何と動いた! コンセントを抜いていたのが良かったのか? しかし動くには動いてくれたが、使用できるまでにかなり時間が掛かり、又、直ぐにフリーズしてしまう。このパソコンは何をやるにしても時間が掛かる。

6月23日(土)
 膝の具合が悪い。半ズボンで足が冷えているようだ。梅雨時は湿気が多く、「寒露」という言葉があるくらいで、意外と体が冷えているので要注意だ。そのため昨日の午後から長ズボンに変えたら冷えが和らぎ、膝の痛みも多少薄れてきたようだ。やはり冷えは体に良くない。
 今朝は地主の金井さんへ、半年毎の地代の支払いに行く。8時半ごろ電話をしたら直ぐにでた。来るのを待っていたようにも思える。体調を崩して入院したことなど話しをした。
 歯の痛みが相変わらず続いている。虫歯ではなく、歯のすり減りにより神経が出てきているようだ。常に痛みがあり、不愉快極まりない気分である。
 10時半に順鳳堂の予約が取ってあるので治療に出かける。めずらしく時間通りに治療が始まった。悪かった左の肺よりも、今は「右の肺の方が良くない」とのこと。「左肺が悪かったので、右肺に負担が掛かっているのだろう」との横山先生の説明だった。12時半ごろ治療が終わり、家まで歩いて帰る予定だったが、途中でトイレに行きたくなり、小田急の藤沢本町駅のトイレに寄った。だがここで思わぬ大失敗を演じてしまった。いつも治療で待たされることが多いので待ち時間に本でも読もうと、今日は本を持って治療に出かけた。しかしトイレに寄った時、駅の改札をパスモで通過して、本と一緒に財布を持ったままトイレにより、本と財布をトイレの棚において用を足した後、何故か本だけ持って財布を置き忘れてしまったようだ。電車に乗り、藤沢駅で改札を抜けようとポケットを探ったが財布がない。どこのポケットを探しても財布がない。おかしい? どうしたのか? 一瞬パニックに陥る。『待てよ』、と自分の行動を冷静に振り返ってみた。『財布が無い行動はどういうことだ。ポケットへ入れたつもりがポケットへ入らずそのまま落とした? 落とした所は電車の中? 駅の改札付近? 何処で落としたのかなぁ~~? あぁ~~そうだ、トイレに寄った時かもしれない。そうだ、絶対そうだ!』と思いだし、駅の紛失物等の受付窓口へ駈け込む。「財布が無くなったこと」、「どうも藤沢本町駅のトイレに忘れてしまったようだ」ということを係りの駅員に説明。「財布の色は?」、「中身は?」等々を聞かれ、「茶色で中には車の免許証、健康保険証といくらかの小銭が入っている」ことなどを知らせた。
 「少々お待ち下さい」と言って奥へ入り、電話で確認しているようだった。直ぐに戻ってきて「確かに藤沢本町駅のトイレに置き忘れで、保管されています」とのことだった。良かったぁ~! 係りの方が「どうしますか?」と聞いてきた。「直ぐこれから取りに行きます」と答え、丁度入って来た電車へ乗り、再び藤沢本町駅へと向かう。駅の窓口へ行くと、既に藤沢駅から連絡が入っており、係員から「眞壁さんですね?」と名前を尋ねられた。「はいそうです」と答えると奥から見慣れた財布を持ってきてくれた。良かった、本当に良かった。ホッとした。「お金も入っていますが、間違いありませんか?」と尋ねられ、中身を確認。「間違いありません。大丈夫です!」と返答。財布は対応してくれた駅員の方が拾っておられたそうである。だから無事に落とし主に戻ってきたのかもしれない。財布の中には1万6千円入っていたので、もし他の人だったら戻ったかどうか分からない。本当にラッキーだった。
 藤沢駅へ戻り、係りの方に再度お礼を言って、やっと駅の改札口を通り抜けることが出来た。でも、何故、財布をポケットへ仕舞わずに手に持ってトイレに寄ったのか、自分の行動が解せない。
 夜、スイムトレーニングへ行く。今月末の大会に向けてのスピード練習が主だが、私は相変わらずスピードが上がらず、息切れが激しい困ったものだ。『まぁ~、回復には半年掛かる』と思ってはいるのだが、情けない。
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2006年7月4日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

6月24日(日)
 曇り空、昨夜は天気予報を聞かなかったので、今日の空模様はどうなるのか分からなかったが、ウォーキングに出る。8時45分スタートで家に戻ってきたのが11時05分で、2時間20分、10.2kmを歩いた。藤沢橋から海へ向かい、藤沢警察署の三叉路で左方向へ進んだ。しかしその辺りからポツリ、ポツリと雨が降り出してきた。そのまま休まず歩き続けるが、降りはひどくなる一方で、路面はビショビショ、私もビショビショ。所々で店先や家の軒先で雨宿りをしているウォーカーやランナーの人を見かける。だが、海に近づくに従って雨は小降りになってきてくれた。良かったぁ~~!
 海辺へ出る。海には相変わらずサーファーが多い。波は小さいのだが、関係なく海面に漂っている。サーフビレッジ前のビーチバレーコートでは中学生か高校生の大会が行われているようで学生が集団で来ていた。
 海の家は台風4号の被害状況は見当たらなかった。海の家の進捗(しんちょく:物事の進み具合)状況は完成している家は少なく、『未だ床張り状態のところもあるな』ど、進行具合はかなりばらつきが見える。海岸には木材の残骸が沢山散らばっている。地引網も何組か来ている。西浜の監視所は未だ基礎を作っている状態だった。
 家に戻り、シャワーを浴びて昼食。午後2時過ぎに大船のショッピングセンターへ少し大きめの植木鉢を買いに出かける。休日のショッピングセンターはかなりの混雑であった。
 種無しの金柑の苗を植えた。来年は実をつけてくれるだろうか? そのあと、植木鉢の整理をしているとき、浴室の出窓の面格子に左肩をひどくぶつけて痛めてしまった。かなり痛みがある。
 夕方、パソコンが何とか動いてくれたので、津軽海峡の視察感想の報告書を纏め上げた。一ヶ月ほど続けた“トイレへ行く回数のチェック”は昨日で終了。肺炎発症前とほぼ同じ状態に戻ってきた。やれやれである。

6月25日(月)
 昨夜、雨が降った跡が見えたが、今朝はもう降ってはいなかった。昨日ぶつけた左肩の痛みは大分治まったようで良かった。でも歯の痛みは相変わらず治まらない。早く医者へ行かなくては・・・・。9時過ぎに歯医者の予約を取る電話を入れた。今日の17時15分に予約が取れた。良かった。
 今日は北風で肌寒いが、海は波が小さいのにサーファーが沢山浮かんでいる。腰高当たりの所の波を捉えてサーフィンをやっているが楽しいのだろうか?
 仕事を終えて帰りは歩いて家まで帰る。歯の痛みは強くなったり和らいだりの繰り返しだが、痛いのには変わりはない。夕方歯医者へ行き治療を受けるが、どの歯が痛いのか良く分からないくらい痛みがかなり広がっていた。取りあえず痛み止めの薬を飲んで様子を見ることになった。出来れば私も『あまり歯の治療はやりたくない』と思っている。
 夜、スイムトレーニングへ行く。息切れは大分治まったように思うのだが、筋力が戻ってこない。50mは50秒、100mは1分45秒、200mは3分45秒も掛かっている。私の好きなスイム、パドルスイムでも100mは1分35秒掛かっている。まぁ~、「元に戻るのには半年くらい掛かる」と言われているので、今のタイムなら“上出来”と言うべきなのかもしれない。

6月26日(火)
 “梅雨の中休み”で、今日は朝から太陽がギラギラと輝いている、しかし風は北寄りなので涼しいし、湿度も低いのでとても爽やかで過ごしやすい気候だ。
 午後、昼食の後、3月に更新手続きをしたパスポートを横浜の関内まで取りに行った。パスポートをもらうには印紙代として16,000円の費用が必要になるので、給料が出るのを待っていた。横浜方面へ行くのは随分久し振りとなる。山下公園前のビルの二階に神奈川県のパスポートセンターがあり、ここまで出向かなくては取得できないのである。パスポートを貰った後、帰りは海沿いを歩き、写真を撮りながら横浜駅まで歩いた。あまり絵になるような景色は少ない。
 パシフィコ横浜の横にある公園前で何年か前にオープン・ウォーター大会があり、ここの海で泳いだ記憶がある。とても汚い海で、泳いで海から上がると体中が薄汚れて、大会事務局は簡易シャワーを設置していて、そのシャワーを浴びたことを思い出した。今日の海もかなり汚れていた。今考えれば『よくこんな海で泳いだものだ』と感心する。
 夜、石井先生から電話があり、海人くらぶの「田丸さん」が“ドーバー海峡をリレーで泳ぐ”という情報が入ったので、「どんな内容か知っていたら教えてほしい」とのこと。又、石井先生の所でパートとして働いている“荒川さん”という女性が「今年、湘南オープンレースの10kmにエントリーしているので、海泳ぎの面倒を見てほしい」との依頼もあった。
 海人くらぶは以前私も入会していたこともあり、「知り合いがいるので確認してみます。荒川さんの件については了解しました」返事をした。

6月27日(水)
 今朝も良い天気である。眞壁農園で鉢植えの野菜や植木に散水をしてあげる。日中は日差しが強いので、「朝晩の涼しい時間帯に散水をした方が良い」と何かで聞いたか言われた。
 昨日の国会で“消費税増税法案等”が裁決され可決した。しかし増税に反対する与党の民主党から大量の反対がでて、大騒ぎをしている。もうどうでもいいから国民主体の政治をやってほしいものだ。
 荒川さんから早速電話があり、7月20日ごろまでは色々あるので海練習は出来ないが、それ以降なら大丈夫とのこと。土、日でなくて、平日でも大丈夫だそうである。平日なら私も午後からなら泳げるので、「荒川さんの都合の良い日の連絡をくれたら、一緒に泳げるかもしれないから連絡を下さい」と回答した。
 午後、クラブのプールで自主トレーニング。フリー200m×1、100m×1、バタフライ&バック50m×10、キック200m×2、100m×1、フリースイム500m×1、プルスイム1,000m×1の合計3,000mスイム。だが相変わらず力が入らず、バタフライも25mが精いっぱいだった。が、何とか10本は泳げたのは良かった。夕方内田マッサージ行き、筋肉の疲れをほぐす。
 小型船舶の免許が郵送されてきた。これが最後の更新になるのだろうかな?

6月28日(木)
 歯の痛みが治まらず、左顔面が少し腫れ上がってきたようにみえる。どうしたものか?
 夕方順鳳堂医院の横山先生の所へ治療を受けに行く。「肺の具合はかなり良くなってきている」と言われた。左顔面の腫れについて聞いたら、「歯の痛みより、位置からして“副鼻腔炎”の可能性がある」と言われた。そう言われるとこの2~3日よく鼻をかんでいた。歯の痛いところと副鼻腔炎とが重なっていたのか? 私はてっきり『歯の痛みで腫れているのか』と思ったのだが・・・。歯の痛みは相変わらずだが、痛みのある方で噛んでもあまり痛みを感じなくなってきている。
 「午後から雨になる」と言われていたが、とうとう降らずに過ぎたようだ。

6月29日(金)
 今朝は左顔面の腫れが大きくなってきたように見えた。早めに医者へ行った方が良さそうなので、午後行くことにした。
 午後はスイムトレーニングに参加。今日は一段とパワーが出なくて辛かった。特にキックは最悪だったが、何とかメニューはこなす事が出来て良かった。でも1,600mしか泳いでいないのに、とても疲れた。
 家に戻った時、息子の俊介が「財布を無くして家に入れないので、鍵を貸してほしい」と言って車の中から出てきた。その財布には車のキー、家のキー、車の免許証、保険証、カード類等々が入っている。その全てを落として、気が付いて探しに行ったが既に無かったそうである。私もつい先日財布を落としたが、私の場合は本当にラッキーで良く戻ってきたものだ。
 泳いだら顔面の腫れが少し引いたように思えたので、医者へ行くのは見合わせることにした。夕食後、内田マッサージへ行く。夜に行くのは初めてだったが、「今夜は患者さんが多い」と言っていた。マッサージに来る患者さんの人数はその日の天候にかなり左右されるそうだ。
 明日はいよいよセントラルマスターズ水泳大会。連続50回出場が掛かっている大会でもある。
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2006年7月4日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

私は「生かされた」のか?(16/18)

   16. 復活だぁ~~

6月11日(月)
 夜中に雨が降ったようで、屋根、地面が濡れている。今日から仕事に復帰。5時20分頃起床。食事を摂りながら新聞に目を通し、ラジオでニュースを聞きながら食べる。昨日大阪のミナミで通り魔殺人事件があり、二名死亡と伝えていた。
 いつもの7時25分の電車に乗る。仕事仲間で管理人の菊名さんに会う。代行の木村さんは既に来ていた。今日まで代行員をお願いしてあるので、私は残りの雑草を取ることにした。今日の天気は「晴れ」と言っていたが、曇ったままだった。お蔭で何とか中庭の雑草を一掃することが出来た。
 仕事が終わり家まで歩きで帰った。夕方5時に予約してある順鳳堂医院の横山先生の所へ治療を受けに行く。今日は7時に終わった。いつもながらこの時間でも待っている患者さんもいるのだ。
 それだけ体調の悪い人が多いということだ。しかも一般の病院では治療が出来ない、よく分からない患者さんたちである。
 オープン・ウォーター・スイマーの貴田選手が『日本人初、ロンドン五輪のオープン・ウォーター種目に出場することが決まった』と新聞記事に出ていた。世界のレベルは非常に高くて、1時間に5km以上のスピードで泳ぐのである。貴田選手も湘南オープンの10kmで2時間を切って泳ぐ選手であるが、世界でどこまで通用するのか楽しみである。

6月12日(火)
 天気予報では『昼ごろから雨で夜半まで降り続く』と伝えている。気温も20℃前後と涼しいようだ。今日から本格的に仕事に取り組むことになる一人仕事だ。無理せずぼちぼちと進めよう。雨は予報よりかなり早く9時過ぎに降り出してきた。冷たい雨である。
 仕事を終えてから軽く食事を摂り、一ヶ月振りにスポーツクラブへ泳ぎに行く。サウナに入ったが、10分間がとても長く感じられた。一ヶ月ぶりのプール。筋力がかなり衰えてスピードが全く出ない。無理せずのんびりと泳ぐ。フリースイム100m2本、バックスイム100m2本、バタフライスイム25m4本、フリーキック200m1本、バックキック200m1本、個人メドレースイム100m1本、フリースイム500m1本、合計1,500m。キックは50mが1分半以上も掛かっている。スイムもフリーの50mが1分ぐらいだった。
 まぁ~初日なのでこのくらいにしておこう。
 プールへ行く前にギャラリーで水泳仲間の西村さん、小宮さん、有賀さんに会う。小宮さんはフェイスブックで私が入院していたこと、病状も知っていたが、西村さんと有賀さんは全然知らなかったそうである。確かに私が肺炎で入院していることを伝えたのは、西野幸ちゃんだけ。しかもその時点ではドクターから「肺機能が戻らないかもしれない」と言われていたので、幸ちゃんには「もしかしたら泳げなくなるかもしれないので、皆さんには言わないで。私から皆さんには話をしますから」と口止めをしていたのである。でも治療の抗生物質がうまく効いて肺機能は後遺症もなく、うまく回復してくれたので今日、こうしてプールで泳げることになったのだ。
 1,000mぐらい泳いだところで、いつもマスターズトレーニングでお世話になっている橋本コーチにお会いする。私の泳いでいるのを見てコーチ室から出てきたようだった。「今週の金曜日のトレーニングには参加しますから」と伝えた。橋本コーチは家内から私の病状を聞いているので承知している。

6月13日(水)
 昨日一ヶ月ぶりに泳いで体を本格的に動かしたせいか、夜中にトイレへ行く時間が少し遅くなった。疲れて良く眠れたためかもしれない。今朝の雨は上がったが肌寒い気候だ。
 仕事先のマンションの居住者に私が休んでいた理由を知らない方がいて、「どうしたんですか? 又、海外へでも行っていましたか?」と聞いてきた。休んでいた理由を説明。すると「それでは無理をなさらないように」とねぎらいと励ましをいただいた。
 仕事を終えてから今日もプールへ行った。今日は2,000m泳いだが、相変わらずスピードは全然上がらない。今日のメニューはフリースイム200m×2本、100m×1本、フリーキック200m×2本、フリースイム100m×1本、500m×1本、400m×1本、バタフライ25m×4本。泳ぎ終えた後に血圧測定をしたが、心拍数が100回/分を超えていた。いつもなら80~90回/分ぐらいなのに、やはり筋力、体力がかなり衰えていることの証明だろう。血圧は115/70と正常の範囲なのだが・・・・
 夕方、7月7日に行われる藤沢市の沿岸の住民を対象とした“津波避難訓練関係”の資料を、勤務先のマンション今居住者へ配布するために、必要部数をコピーしに近くのコンビニへ行く。
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2006年6月13日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

6月14日(木)
 朝から陽射しが眩しい。でも気温はちょっとひんやりで、風も北風だ。でも日中は強い陽射しで暑くなってきた。マンション正面の花壇の植木を刈り込み、落ち葉を片付けたらとてもサッパリして気持ちが良い。帰りはいつものように歩いて帰るが、今日は東海道線の“一本松”の踏切を抜けて家に戻った。
 午後は昼食を食べながらのんびりと過ごす。夕方、家の植木、鉢に散水。植えたゴーヤの苗がかなり伸びて花が咲き出し、小さいながらもかなり沢山小さな実がなっている。今年は良さそうだ。昨年は苗が多過ぎて、立てたネットが重みで崩れそうになった。
 トイレへ行く回数がかなり少なくなってきた。暑いせいなのかもしれないが?・・・・

6月15日(金) 
 今朝も眩しい陽光。一ヶ月振りのスイムトレーニングに参加する日でもある。水泳用具をバックに詰め込んで仕事へ出かける。トレーニングメニューをどの程度こなせるのか、楽しみでもあるが、不安でもある。仕事を終えてプールへ向かう。プールでは何人の人にも「しばらく見ませんでしたね」とか、「体調を崩していたと聞いていますが、大丈夫ですか?」と声を掛けられる。
 水泳大会で連続出場しているセントラルマスターズ開会が今月末に開催される。私は今回が連続50回となるので何としても出場したいと思っている。「試合が近いので、今日はスピード練習です」とコーチの説明があった。1回の泳ぐ距離は短いので何とかメニューをこなすことが出来たが、インターバル練習はきつい。特に今日はキックがきつかった。もともとキックが苦手な私だが、病み上がりで本当にきつかった。トータル距離は1,100m+300mだったが、今日はキックがきつかったぁ~~。
 夕方のテレビで「オウム真理教」の最後の手配犯人、「高橋容疑者が午前中捕まった」と報道されていた。1995年に指名手配されて以来、逃亡生活17年となるそうだ。人相も手配当時とは似ても似つかぬ顔写真で手配されていた。

6月16日(土)
 天気予報では「今日から明日の午前中まで雨」とのこと。梅雨特有の静かな雨がシトシト降り続いている。昨夜からパソコンの調子が悪い。以前と同じ現象の再発か? エラーのアラームが出て動かなくなる。いよいよ駄目か?
 石井先生から連絡が入った。「今、津軽海峡横断泳のため北海道は函館へ行っているのだが、今回泳ぐアイルランドのスティーブン選手は本日未明に津軽海峡横断泳に挑戦することになりそうだ」ということ。今の津軽海峡の水温は9~10℃だそうである。キンちゃんが先週函館で泳いだときの報告にもあったが、やはり同じように“10℃前後の水温”だったとか? 湘南の海とはあまりのも水温が違いすぎるではないか。
 今朝もパソコンの電源を入れたが、やはり同じアラームが出てしまい困り果てている。何度か電源の入力を繰り返していたら、何とか動き出したではないか! しかし動きはすこぶる悪く、文章を入力すると直ぐに固まってしまうことが頻繁に繰り返される。
 石井先生から「スティーブンが今日泳ぐ」と連絡が入った。「パソコンで泳いでいる進捗状況が見られますよ」とのこと。そのサイトを開いてチェックする。スタートが7時を回っていた。本来なら夜明けと同時ぐらいのスタートのはずなのに、遅いスタートの時間がとても気になった。スタートしてからは順調に進んでいたように見えたが、10時過ぎから動きが止まってしまった。昼ごろ一度、石井先生に「どうしたのか?」とメールを送った。そのあと私は津軽海峡視察の報告書をパソコンで入力しながら纏めていた。そして時々津軽海峡横断泳の動きをチェックしていた。やはり午前中から動きが止まったままだった。再度、15時ごろメールを送る。そうしたら石井先生から直接電話が入った。やはり中止にしたそうである。安宅キャプテンから「今日は難しいかもしれない」と事前に話があったそうで、泳ぐ準備をして全員船に乗り、函館湾内をクルージングしたそうである。しかし思ったより海が静かで「それなら」とスタート地点へ向かったので、スタート時間が遅くなったとか。スタート地点の青森県の下北半島、佐井村は下北半島に風がさえぎられてベタ凪状態。なのでとりあえずスタートを切ったという経緯があった。しかし下北半島をクリヤーする辺りから北東の強風、風速15m/sec以上の風がまともに当たり、海は大しけとなって、流石のスティーブンもギブアップして中止になったそうである。
 スティーブンはスタッフとしてスイム関係者四名、カメラクルー五名を同行させているそうで、船は二隻用意したとか。スポンサーがついており、泳ぎの撮影についてはかなり厳しい制約があったようだ。クルー以外には撮影できないようである。又、人数が多いので食事の準備も大変なようで、コーヒーなどは缶で購入しても直ぐに無くなってしまうとか。パン、バターも一箱が1回で無くなるとか。そのため「毎日ショッピングモールへ買い出しに出かけている」とも言っていた。ニューヨークから宇都宮エリさんも駆けつけているようで、私に電話を掛けてきた。明日ニューヨークへ戻るそうだ。宇都宮さんの話では、「石井先生は人が良いから何でもかんでも“OK”と言ってしまって自分で苦しんでいるから、今は私が仕切って、ここでは私が威張っているのよ」とも言っていた。『頼もしいお人だ』と思った。
 何とか津軽海峡横断泳の状況がつかめてホッとした。「後一回チャンスがあるかも知れない」と石井先生が言っていた。多分18日(月)になるはず。『何とか泳いで成功してもらいたい』と思う。
 夜、スイムトレーニングへ行く。昼間のトレーニングよりも距離を泳ぐので多少不安はある。私がスイムトレーニングを休んでいた理由を知らせたのは幸ちゃんだけ。他に林さん、内田さんが知っているだけ。だから橋場さんは私に「何処へ行っていたの?」と聞いてきた。やっとプールへ戻れてきたので、“何故休んでいたか”を一通り皆さんに説明をした。今日は一番端の7コースで内田さんの後ろで泳いだ。今月末に開催されるセントラルマスターズに向けてのスピード練習なので、泳ぐ距離は少なかった。それで何とかメニューはこなせた。しかしスピードは相変わらず全然上がらないし、息切れもあるし、まぁ~焦らず体力の回復を図ろう。
 帰りにフロントで石谷さんに会う。「お父さんには暫く合わなかったですね」と言われたので、「肺炎で二週間ほど入院していた」と報告。石谷さんも気管支炎で二週間ぐらい体調不良だったそうである。「ジブラルタル海峡横断泳の報告書は、石谷さんのお母さんのお仲間内で回し読みしているので、今しばらく戻ってきません」と言っていた。
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2006年6月13日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

6月17日(日)
 朝のうち雨が降っていたようだが、7時過ぎには止んでいた。非常に蒸し暑い朝だ。ゆっくり朝食を摂り、9時15分過ぎにウォーキングに出る。県道464号線で藤沢橋まで行き、更にそのまま直進。国道43号線を歩いて引地川まで行き、川沿いに進んで国道30号線と交差しているところから30号線に進路を変えて、134号線とぶつかる茅ヶ崎の浜須賀交差点へと出た。ここまで家から約1時間半。海沿いのサイクルロードを江の島方向の東へと向かう。海には相変わらずサーファーが大勢浮かんでいる。うねりはあるが、サーフィンにはあまり良く無い波のように見えた。江の島水族館前まで約50分で到達。水族館前に建ち始めた海の家は1/3ぐらいまで完成間近だが、まだ床板を張っている状態の家もあり、進行状況にかなりバラつきがある。地引網はどこもやっておらず、今日は中止したようだ。
 家に戻ったのは12時35分で、3時間20分歩いたことになる。距離は17.1km。やっと時速5km/hのペースで歩けるようになったみたいで、少し体力、筋力が戻ってきたように感じられた。
 パソコンがいよいよ駄目になってしまったようだ。電源を入れてもアラームが鳴ってしまい、電源が入らない。どうも湿度も関係しているように思うのだが、今日は蒸し暑いので尚更駄目みたいだ。そう云えば昨年の夏の暑い盛りには、扇風機で箱を冷やしながら使っていたっけ。そこで扇風機で風を送って冷やしながらやってみたが、はやり駄目である。
 夕食の後、駅前のビックカメラへパソコンを見に行った。録溜めの映画を見ていると、アメリカでは“DELL”のパソコンが画面によく出てくるので、『買うなら“DELL”にしよう』と思った。DELLは基本ソフト以外、別途購入してダウンロードするシステムになっているそうだ。明日、購入手続きをすることにした。

6月18日(月)
 昨夜は非常に蒸し暑かった。そのため多少寝不足気味である。石井先生の話だと津軽海峡横断泳のスティーブンの再挑戦が行われているはずだが、パソコンが壊れているので動きが分からず、石井先生にはお忙しいとは思ったがメールを打った。折り返し7時前に先生から電話があり、「今日は予定通り午前5時ごろ青森の佐井村、願掛岩をスタートしました」とのこと。水温は13度、波高は1m、南西の風4~5m/secと、まずまずのコンディション。何とか泳ぎ切ってほしいと祈る。
 午後4時過ぎに石井先生に電話を入れる。「今日も潮が悪くて進まず、“進む”というより“戻る”というくらい速い潮で、佐井村を抜け出すことが出来なかった」そうである。今年は異常気象で潮の流れも例年になく複雑で、船頭さんも頭を抱えているとか。
 16時半ごろパソコン購入のため、駅前のビックカメラさんへ行ったが、担当者が別の顧客対応に追われて中々手が空かない。やっと話をすることが出来たが、「あと20分ぐらい待ってください」とのことだった。そこで今日は諦めることにした。
 18時半ごろ石井先生から電話があり、「18時18分に津軽海峡横断泳は中止にした」と言っていた。結局、今日一日泳いだが、佐井村を離れることが出来なかったそうである、とても残念な結果だ!!
 台風4号が日本に接近。現在沖縄付近で、明後日の午前中に関東地方に接近するようだ。19時過ぎに娘の麻純が来た。家内の足の爪にネールを施すために来たそうである。「今日は父の日だ」と言って私にお小遣いをくれた。
 夜はスイムトレーニングへ行く。サウナに入り、体を温めてプールへ向かう。月曜日のトレーニングは退院以来初めてだ。今夜は珍しく参加者が10名もいた。メニューは2,500m。やはりスピードは出ない。水泳仲間は私が居なかったのは、『又、海外にでも行っていたのでは』と思っていたようだ。月曜日のメンバーには未だ話していなかったので、肺炎だったこと、体力が未だ全然戻ってきていないことなどを説明した。
 以前、セントラルで泳がれていた正木先輩から葉書が届いた。どうも練習仲間の美紀ちゃんから私の病状を聞いたらしい。

6月19日(火)
 台風4号接近のニュースが朝から流れている。関東地方は今夜半がピークのようである。「午後から雨が降る」との予報。
 マンションの屋上から湘南の海を見るが、いつもと変わらぬ静かな海で、波もさほど高くない。台風は小型なのだろうか? 風も強くはない。海では朝から台風のうねりを期待していると思われるサーファーが沢山浮かんで波待ちをしている。
 今日も仕事の帰りは藤沢駅まで歩いて帰る。台風の影響を受けているので、駅近くでチョッピリ雨の洗礼を受けてしまった。それ以降は雨が降ったり止んだりのハッキリしない天候を繰り返している。風も少し強まってきたように思う。午後3時半過ぎの天気予報では「紀伊半島辺りに上陸しそうだ」と言っていた。
 ビックカメラへパソコンの購入手続きに行く。「118,000円余りで、10日か、二週間ほど掛かります」との説明だった。
 台風4号は午後5時ごろ紀伊半島に上陸したそうである。上陸後はスピードを上げて北上。関東は真夜中頃通過で、明日の朝は東北地方へ抜けていく予報。
 正木さんへ葉書の返事を書いた。私は今、歯がとても痛む。夜9時過ぎには風雨が強まりテレビでJRの運行見合わせの発表があった。

私は「生かされた」のか?(15/18)

   15. いよいよ始動だ!!

6月4日(月)
 リハビリを兼ねて今日から出勤。マンションへ8時に着くように家を出る。いつもと違い、早い時間に動き出したので多少頭がふわふわしている。
 代行員の木村さんは7時半ごろに来ているようだ。小田急線の柿生から来ているとのこと。通勤に1時間半くらい掛かるそうで、「家を6時ごろ出てくる」と言っていた。043
 マンション業務は彼に任せておいて、私は中庭の芝生の雑草取りに専念した。入院前に途中まで進めていた雑草取りだが、三週間ほど休んでいる間に雑草は驚くほど大きく成長していた。だが芝生が成長していない。とても見苦しい状態になっている。3時間ほど進めたがあまりはかどらなかった。
 帰り際に502号室の近江さんの奥さんにお会いする。「緊急入院していた」と報告。「無理しないように」とねぎらいの言葉を頂く。向かいのマンションの管理人の菊名さんにもお会いする。「月、水、金にリハビリを兼ねて来るから」と告げて、家まで歩いて帰る。暑くなったのでトイレへ行く回数が少なくなったが、逆に喉の渇きが感じられる。
 いつもの昼食を食べながら録溜めた映画を見て過ごし、夕方、鍼灸院の順鳳堂へ治療に行く。これがとても不思議な治療方法で気功、お灸、熱鍼を組み合わせた治療法である。西洋医学で治らない患者さんでいつもいっぱいである。夕方5時の予約で入ったが、治療の終わったのが19時前、実際の治療時間は1時間も掛かっていないと思う。だがベッドで横になり、待たされている時間が半分くらいはあるのではないかなと思う。行くときは電車で行ったが、帰りは家まで歩いて帰った。45分くらいだろうか? 病状はだいぶ良くなってきているとのことだった。まずは安心だ。

6月5日(火)
 台風3号が沖縄付近にあり、そこから延びる前線で曇り空。予報では午前中晴れだが、スッキリしない空模様である。9時過ぎに家を出てウォーキングに出掛ける。今日は旧一国沿いに歩き、引地川まで行く。約35分、そこから川沿いに海岸に出る。松浪交差点の大きな地下道を抜けて鵠沼海岸へ出た。台風が近づいているので南風が入っているのだが、波はあまり高くないし、サーファーは相変わらず多い。台風の波を期待して海へ来たサーファーもいるはずだが、当て外れか?
 帰りは境川沿いに北上して歩く。途中で私の通っているスポーツクラブへ寄った。11時半からマスターズのスイムトレーニングが始まるからだ。12時過ぎにクラブに到着。皆さん元気に泳いでいる。ギャラリーで見ている私を見つけて何人かの方が手を振ってくれたので、それに応えて私も手を振った。泳ぐのはもう少し辛抱、辛抱。
 昼食を作り、それを食べながらテレビの録溜めた映画を見て一休み。14時半過ぎにシャワーを浴びて汗を流し、小田急線の湘南台駅のつのだ歯科へ行く。なぜわざわざ湘南台の歯科まで通っているのかと言えば、東京の大森に勤務していた時に、職場の近くにあった歯科へ通っていた。退職する際に「藤沢方面で先生のお知り合いの歯科医はおりませんか?」と尋ねたら、「湘南台で開業している」とのことで、紹介状を書いて頂き、以来通っている。もう10年になるかな? この、つのだ歯科は技工士の腕が素晴らしい。今回は特に悪いところは無いが、2ヶ月に一度くらいの割で歯石や歯の汚れを落としてもらっている。次回は8月末の予約をした。歯科医お勧めの歯ブラシを五本購入した。
 今日は良く歩いた18kmぐらいかな?

6月6日(水)
 台風3号の接近に伴い関東地方は雨模様の予報であり、今日もリハビリを兼ねてマンションへ行く予定にしたが中止にした。
 退院後、排尿量を毎日計測していたのだが、何を間違えたのか計量の目盛が狂っていた。『カップ一杯が200ccだ』と思っていたのだが、250ccだったのだ。今まで計っていたデータに50ccをプラスする。それから見ると排尿量は正常に戻ってきたようにも思う。回数もかなり減ってきた。良いことだ。後は腎臓のダメージがどのようなものか? 今日泌尿器科へ行くので分かるはずだ。10時過ぎに平本クリニックへ行く。外は北風で冷たい。おまけに弱い雨も降っている。尿の精密検査では特に悪いものは検出されていないとのこので、先ずは一安心である。再度、採尿して調べてもらったが、まだ若干血尿が出ているそうだ。前立腺肥大の薬を28日分出してもらう。045
 目薬も無くなってきているので帰りにシティー眼科へ寄り、検査と検眼をしてもらう。今日は右目の視力が0.9まで見えた。眼圧も11~13で「良好」と先生に言われた。「白内障も進行はしていないので、まだこのままで問題なしです」とのことだった。いつも薬をもらっている駅前の湘南薬局へ行き、目薬と前立腺の薬を購入する。
 今日は午後から雨が上がるとの予報なので、午後からウォーキングの予定にした。14時半過ぎに家を出る。「午後から天気は回復する」と言っていたが、その通りだ。しかし北寄りの冷たい風がかなり強く吹いている。Tシャツで家を出てきたのは失敗だった。境川沿いにか海へ出る。台風の通過にしては波が大きくない。北風が強いためだろう。サーファーは江の島水族館前から鵠沼海岸にかけてびっしりと浮いている。サーフビレッジのトイレへ寄ったとき、毎年夏にお世話になる西浜のライフガードに方にお会いする。彼から「サーフィンをやっているときに沖を泳いでいる湘南の主さんを良く見かけますよ」と言われた。
 家に戻ったのは17時過ぎ。今日も2時間半ほど歩いたことになる。今日は外が寒かったのと、Tシャツだったので体が冷えてトイレへ行く回数が多かった。やはり冷えは厳禁だな。

6月7日(木)
 まだ北風でチョットひんやりした空気。晴れの予報だが8時過ぎはまだ雲に覆われている。庭にネーブルの苗を植えて四年目。今年は沢山花が咲き、実も沢山つけている。ゴーヤも植えて二週間ぐらい経つが、もう既に小さな実がなっているではないか。今の時期、植物は一番成長するころなのか?
 日差しがでたらウォーキングだ。9時半近くに家を出る。いつもの境川沿いに海へ向かう、今日の風は南寄りかと思いきや、海へ出たら東の風だった。多少波気があり、サーファーが海面一杯に浮かんでいる。海岸線沿いに西へ向かって歩く風は完全にフォローだった。
 西浜の海の家はほぼ完成している小屋もあれば、鉄骨の骨組みだけという小屋もあり、かなりばらけた進行状況である。いずれにしても7月1日の海開きまでには完成するはずだ。松浪交差点から引地川沿いに旧1国まで歩く。ここまでで約2時間。ここから家まで約35分なので、ほぼ予定通り。12時までに家に戻れた。シャワーを浴びてサッパリしてから昼食を作り、いつものようにのんびりと食事をする。
 夜、6時半から順鳳堂医院の治療へ行く。15分ほど待たされる。ベッドへ案内されても中々治療が始まらず、治療が終わったらなんと9時少し前、帰りは奥さんの車で家まで送ってもらった。肺炎かなり回復してきているとのことだった。

6月8日(金)
 今日は朝から太陽がギラギラと輝いている。リハビリと職場復帰を兼ねていつもの時間にマンションへ向かう。今日もマンションの中庭の芝生の雑草取りを行う。普段の業務の中では中々出来ない仕事である。今日は日差しも強いが南風も強い。庭の中でも一番広い部分の作業が残ってしまった。来週の月曜日まで代行の管理員がいるので、それまでに何とか終わらせたい。11時半ごろ作業を終了して帰りは家まで歩いて帰る。
 午後はいつものように録溜めの映画を見ながらのんびりと昼食。夕方一ヶ月ぶりくらいに近くのマッサージへ行く。来られなかった訳を説明。今日は鍼治療なしで、下半身のみのマッサージを受けた。今日は気温が高いせいかトイレへ行く回数が夕方までに6回と少なかった。
 「沖縄、九州、四国、関西方面が梅雨入りした」との気象庁の発表があった。関東地方も明日は一日雨とのことなので、多分、梅雨入り宣言も間近であろう。

6月9日(土)
 昨夜から降り出した雨が、今朝はかなり強くなったり弱まったりと降り続いている。肺炎で入院した時の生命保険の入院給付金請求の書類の診断書を入院先の山内病院へ9時過ぎ取りに行った。雨にも関わらず待合室は待ち人で一杯だった。診断書は直ぐ貰えたが、5,250円も請求された。家に戻り、必要書類に記入。“運転免許証のコピーが必要”とあり、近くのコンビニへコピーをしに行く。書類を再度確認して郵便局へ出しに行った。
 昼食は例によって録溜め映画を見ながらのんびりである。ウォーキングは雨の様子を見ながらと待つが、15時過ぎに外へ出てみる。雨は相変わらず降りやまず、傘を差し、雨靴を履いて出かける。傘、雨靴を履いてのウォーキングは初めてである。境川沿いに海へ向かう。風は北寄りで歩くのにはフォローのだ。傘が風を受けて押してくれるので楽なはずだが、100mの歩数が140歩といつもより多い。雨靴に傘の出で立ちが影響しているのかも知れない。いつも歩いている川沿いの道だが、雨降りの時に歩くのは初めてで分からなかったのだが、水溜りが道幅一杯に広がっている所が何か所もあった。水はけが非常に悪いのを初めて知った。
 海へ出るとサーファーが多いのにビックリである。ざっと人数を数えてみたが、江の島水族館前から鵠沼海岸のサーフビレッジ前までで600人近くは浮かんでいたように見える。うねりはあるが、北風なのでかなり穏やかな海になっている。もっとビックリしたのはサーフビレッジ前のビーチバレーコートで小雨の中、ビキニスタイルの女性が泥だらけになりながらボールを追いかけて練習していたこと。『そこまでやるかぁ~~』という思いがした。帰りは鵠沼海岸駅から小田急線に乗り帰ることした。約1時間半のウォーキングだった。

6月10日(日)
 雨上がりの今日は日差しが眩しい。先週末に長後のアパートへ雑草取りに行ったが、庭のレットロビンの枝おろしまで手が回らなかったので、今日やることにした。道具一式を持ち電車で行く。荷物をアパートへ置き、先に本家へトマトを買いに行った。本家の久雄さん、洋子さんご夫妻が枝豆の出荷をしていた。トマトを三袋購入。
 アパートへ戻り植木の剪定。バサバサと切り落とすが、かなりの量が出た。それを今度は小さな鋏で細かく刻んで、ごみ袋へ入れるがこれがかなり大変な作業。でも細かく刻んだおかげでごみ袋を三個に纏めることが出来た。家に戻ったのは12時半過ぎだったから3時間以上かかったことになる。
 昼食後は録溜め映画を見て過ごし、夕方、ウォーキングを兼ねてディスカウントショップまで1時間ほどかけて歩いて行った。いよいよ明日から仕事である。マンション用の小さなハイビスカスの鉢を二つ購入した。
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2006年5月16日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

私は「生かされた」のか?(14/18)

   14. 社会復帰のリハビリ

6月1日(金)
 今日から6月。もう半年が過ぎたことになるのか、9時前に家を出て勤務先のマンションへ向かう。昨日、会社での管理員全体集会で各マンション用のヘルメットと救急医薬品が支給されたので、マンションへ置きに行ったのだ。そして代行管理員の木村さんと1時間ほど話し込んでしまった。
 その足で長後のアパートまで行き、庭や通路の雑草の伸び具合を確認。2~3か月手入れをしていなかったので、やはりかなり雑草がはびこっていた。隣との境のブロック塀は既に撤去されていた。長後の本家へ寄り、トマトを二袋購入。丁度10時のお茶の時間だったので、従弟の久雄さん、洋子さんご夫妻と久雄さんの弟、かずみさんがいたので30分ほど話し込んでしまった。肺炎で入院していたことを話した。
 家に戻ったのは12時前。昨夜は少々食べ過ぎたので、昼食はミニカップ麺だけで済ませた。そのあとは録溜めしてあった映画を夕方まで見て過ごした。夕食も軽く済ませた。

6月2日(土)
 朝はゆっくりと起きて、いつもの朝食を食べながら新聞に目を通す。9時ごろ長後のアパートへ行き、雑草取りを始める。昨日確認したはずだが思ったより雑草が多く、時間が掛かった。特に自転車置き場の裏側は蔓(つる)草がびっしりはびこっており、手間がかかった。庭の方も雑草と植木の落ち葉でびっしり溜まっていて、大きなごみ袋が一杯になるほどだった。
 あれやこれや手入れをしていたら12時を回ってしまったので今日はこのくらいにして家に戻り、いつもの昼食を作って食べながら又、録溜めの映画を見る。夕方、ウォーキングに出て1時間半ほど歩く。しかし歩く速度が落ちているようだ。1時間で5kmを歩けなくなっていた。体を動かし始めてからか、トイレへ行く回数が大分少なくなってきたように思う。今日は11回。薬の効果が出てきたのか? しかし夜中に必ず2回はトイレへ行く。夜は1回の排尿量は250cc以上だが、昼間は100~150ccと少ないのが気になる。

6月3日(日)
 天気予報で「今日は一日中雨が降ったり止んだり」とのこと。7時現在は降っていないが・・
 朝食後、腹筋50回と腕立て伏せ50回をやる、退院後、今日で三日目の筋トレだ。
 9時15分過ぎにウォーキングに出る。天気が良い方へ変わったようで、雨の降る気配が感じられなくなったのである。薄日も射してきて汗ばむ陽気。小田急線の線路沿いに鵠沼海岸駅まで歩き、そこから海へ出る。風は北寄りで海は波も小さいのだが、休日なのでサーファーが大勢浮かんでいる。サーフビッレジ前ではビーチバレーの大会があるようで、コートが沢山設置されてテントも立っている。月初めの恒例、湘南月例マラソン大会も開催されており、朝からとても賑やかな海辺である。
 新江の島水族館近くの「との網」の地引網は盛況で4~5張りブルーテントの下で大小グループが飲食をしており、とても賑やかな風景だった。今度は境川沿いに藤沢まで戻り、奥田公園から家に向かう。マンションの近くで水泳仲間の延とも子さんに出会う。新林小学校の校庭で何とかゴルフをやってきたそうである。家に着いたのは11時30分過ぎで2時間15分歩いたことになる。帰りがけに駅によって明日から使う通勤用の定期を購入した。
 そのあといつもの昼食の支度をして、テレビを見ながらゆっくりと昼食を摂る。明日から月、水、金の三日間リハビリを兼ねてマンションの仕事をする予定。
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2006年5月16日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

私は「生かされた」のか?(13/18)

   13. やっと退院へ

5月29日(火)
 午前1時38分、地震が発生した。昨夜、最後の点滴が22時ごろ終わり、『針も抜かれてやっと治療が終わったな』と感じた。会社、友人宛にメールで本日無事退院できることを報告した。
 体調はすこぶる快調である。入院時風間医院から借りたレントゲン写真が渡された。最後の朝食、体重は62.4kg。体脂肪も落ちたが、筋肉もかなり落ちている。元に戻すには半年ぐらいは掛かるかも知れない。
 9時半ごろに家内が迎えに来ることになっているので、荷物を纏め、着替えて退院を待つ。家内が窓口で入院、治療の支払いを済ませ、15日間で約15万円也。命との引き換えであれば安いものだ。領収書と引き換えに山内病院の診察カードが二階のナースステーションで返却された。入院費用を払わずに「ドロン」をする患者さんが時折いるそうだ。同室の患者さんや看護師さんにお礼を言って病院をあとにする。041
 二週間ぶりに外へ出る。とても気持ちが良い。やはり外の空気は新鮮だ。外の景色、家の周りは全く変化なし。やはり『我が家が最高だ!』とつくづく思った!!
 持ち帰った荷物を整理し、一段落してから泌尿器科へ行く。我が家から歩いて5分ほどの所にある。今、私の住んでいる場所は藤沢市の中心部にありながら、静かな住宅地であり、役所関係、銀行、スーパーマーケット、病院、JRの藤沢駅、小田急線等は10分以内で行けるとても便利なところである。よく「歳を取ったら田舎暮らし」と言うが、私には今の所が最高の住家だと思っている。
 泌尿器科へは一年半ほど前初めて行った。前立腺肥大で尿の出が悪いのと、頻尿が激しくなり、投薬治療で半年ぐらい通院していた。お蔭様でかなり改善されて良かった。で、もう一年くらいご無沙汰している病院ではある。肺炎で入院している間に多い日で一日20回以上トイレに行く状況になっている。一日に点滴を5~6本を二週間近く打たれれば『無理もないかな』とは思っているのだが? 先生には肺炎で二週間ほど入院、点滴をかなり打たれていた事などを説明した。採尿検査で血尿が出ていると説明を受けた。「明日、エコーで調べるからなるべくおしっこを溜めた状態で来て下さい」と指示される。
 午後は家内がテレビの録溜めしておいてくれた映画などを夕方まで見て過ごす。夜、7時半ごろ、家内が良く通って治療を受けている東洋医学鍼灸、順鳳堂医院の横山先生の所へ治療に行くことになった。先生の奥さんがわざわざ我が家まで車で迎えに来てくれた。
 ここの治療方法はとても不思議な治療で、気功、お灸、鍼、熱芯鍼等を用いて治療を行う。西洋医学で治らない、見放された患者さん(?)でいつも満員の状況。予約制だが患者さんの病状に合わせて治療をするので、具合の悪い患者さんが来ると時間が掛かり、待たされることもしばしばである。先生は私の両手首に何か所か印をつけてその印で脈をとるようにそっと指先を当てて何かを調べている。
 1時間半ぐらい治療を受けた。横山先生曰く、「肝臓は強いが、腎臓がかなり弱っています」。確かに点滴をかなり打たれているのでその影響かもしれない。肺は悪かった左よりも右の肺がかなり疲れているとのことだった。しばらくは通院することにして来週の予約を取る。
 治療を終え、又、車で送ってもらった。家に着いたら午後の10時半を回っていた。治療を受けて体が活動的になったのか? いつもなら風呂へ入った後は直ぐ寝付くのだが、今夜はなかなか寝付けなかった。しかしトイレへ行く回数は相変わらず多い。

5月30日(水)
 朝は5時前に目が覚めてしまった。ポケットラジオを聴きながらうとうとして、6時過ぎに雨戸のシャッターを開ける。着替えて二週間ぶりに我が家での朝食、納豆、めかぶ、もずく、りんご、バナナ、自家製ヨーグルト、それにチーズを加えたものが私のいつもの朝食の内容である。それらを、新聞を見ながらゆっくりと食べる。
 今日の家内はスポーツクラブのメニューが午前、午後とあるので9時過ぎには家を出て行った。私は尿を溜めて10時過ぎに泌尿器科へ行くが、どうしても我慢できず、検査する前に病院のトイレへ駈け込んでしまって失敗。受付に「午後又来ます」と言って帰ってきた。
 生命保険で入院費用の請求が出来ないか 保険会社へ行って調べてもらったが、「この保険は払い済みという手続きがされていて、特約は解除されているので入院給付金は出ません」と言われた。そういえば“払い済み”という手続きをした記憶がよみがえってきた。残念!!
 昼食はいつもの野菜の蒸し焼き? タジン鍋を使っての料理とまでは言えない代物だが。午後から再度、泌尿器科へ行く。失敗しないように早めに行き、無事にエコー検査を受けることが出来た。特に悪いところは無いようであり良かった。尿は「精密検査に出したので、一週間後に検査結果が分かるから又来てください」とのことだった。
042_2 家に戻り、2時半過ぎからウォーキングに出る。二週間振りに海へ向かう。いつもなら海を見ると『海が私を呼んでいる。泳ぎたいなぁ~』と思うのだが、今日は海を見ても『泳ぎたい』という思いが湧いてこない。変だなぁ~~~。境川を北上して家の近くまで戻り、少し寄り道をしてディスカントストアーに寄って野菜の苗木「オクラ」を二本買った。今日は2時間半ぐらい歩いたが、少々疲れたかなという程度の疲労度だった。夜、パソコンのメールを開いたら100件近くのメールが届いていた。昼間歩いたので今夜は良く眠れることだろう。

5月31日(木)
 相変わらず夜中には3回もトイレへ行く。しかし排尿量は250ccと量が多くなってきたので良い傾向だ。目覚めは5時、6時にはベッドから抜け出し、朝刊を見ながらゆったりとした朝食を摂る。食事のあと、腹筋40回、腕立て伏せ30回をやる。これは昨年の秋、体育の日から始めた筋力アップの一環として始めた運動である。何とか目標回数をこなす事ができた。
 入院したので生命保険の入院給付請求の確認を保険会社にして、書類作成して入院先の山内病院へ提出。「担当医師の記入に一週間くらい掛かる」と言われた。費用は5,250円。
 その足で勤務先のマンションへ向かう。多少頭がふらつく。私の勤務するマンションの真向いのマンションの管理人の菊名さんに会う。30分ほど立ち話をしてしまった。
 私の勤務するマンションは木村さんが代行管理員として業務を行ってくれている。休んでいた間の経過、書類等の説明を受けて、月末の報告書を作成。それを会社の担当者へFAXを送った。木村さんが日付ごとにメモを残しておいてくれたので報告書作成は大助かりであった。仕事は常にきちんと整理・整頓をしておくことの大切さを痛感した。清掃マニュアルを作成しておいて良かった。
 昼食後、勤務先の会社の期首管理員全体集会が東京の大井町の駅前ビルで開催されるので出席する。15時45分ごろ会場に到着。久し振りに仕事仲間と顔を合わせる。
 私を知っている仕事仲間の10人中10人が「鉄人が入院したんだって?」と聞かれた。そして「もう出てきても来ても良いのか?」とも聞かれた。「そう、リハビリを兼ねて、皆さんの顔を見に来たんだ」と告げる。
 今年は管理員の出席率が良く、200人以上が参加との説明があった。各担当から昨年度の業績報告、今年度の活動方針、その他お願い等々のセレモニーが約1時間40分続いた。永年勤続10年の方が四名もいた。セレモニーの後は懇親会で飲み食いの時間が約1時間あり、色々な方と懇親を深めた。19時ごろお開きとなった。多少疲れたが皆さんと話が出来、出席して良かった。
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2006年5月3日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

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