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水着の歴史

1) 水泳の歴史
 水泳の歴史は古く、「人類が生まれた頃から誕生していた」とされている。その目的は①水中食物の狩猟採集、②水辺(川とか海)の向こうへ行くための交通手段、③水難から身を守るための自己保全、④宗教的な意味合いがある沐浴、⑤衛生のため洗身などだ。
 その後は主に⑥戦士の訓練(戦闘と護身)として水泳は発達した。他にポンペイでは海水浴の様子が描かれた壁画が発掘され、古代から⑦レジャーとしての水泳もあったことが分かる。
 日本でも江戸時代初期の武道に“武芸十八般”があって、その中一つに水泳があった。(目的は⑥と同じ)

2) 水着の誕生
 この水泳の古い歴史から見ると水着の誕生は意外に最近で、何と160年くらい前。イギリスから⑧水泳の体育的価値が認知され、スポーツとして普及された頃、水泳専用の衣類、“水着”として誕生する。
 当時の日本は黒船率いるペリーがやって来た幕末の時代だ。それより以前は古着とか下着、あるいは裸で泳いた。
 誕生した頃の水着は「スイムーツ」呼び、この“スーツ”とは今もサラリーマンが着用しているスーツと同じ意味。袖と膝まで覆うパンツの上下揃いの服を“スイムスーツ”とした 。
 素材は濡れても透けないサージやフランネル、アルパカなどの生地で作られている。しかし今見れば『これで泳ぐの?』と思うくらい街着に近感じがする。
誕生当初の水着(1858年)

3) 裸=野蛮人
 更に昔、16世紀を中心とする大航海時代のパイオニアたち、コロンブスやマゼランらの文献を紐解いてみると、南方の原住民を「衣類もまとわぬ野蛮な住民」という表現が幾多に視られる。その“裸=野蛮”という図式が19世紀になっても西洋文化の根底に根強く残っていたのであろう。“泳ぎやすさ”より“肌を露出する”という問題の方が大きかったのではないだろうか。
 実際、男性用の水着を見ても、今で言えばTシャツに半ズボンという感じ。どちらかと言えば今の女性用水着に近い。

4) 男女間格差の時代
 またアメリカ(ボストン)ではこんな事件もあった。
 1907年、“水上のバレリーナ”と呼ばれた水泳選手、アネット・ケラーマン(オーストラリア)が水中の動きを妨げるスイムーツよりも動きやすい、首周りや手足が露出したワンピース型の水着を着用してビーチに現れた。今見ればごく普通のワンピース水着だが、これは当時の男性用水着に近い。これが公然わいせつ罪(裸体陳列罪)で逮捕されてしまう。
アネット・ケラーマン

 ただ当時、 欧米では女性の権利を拡大する運動が盛んな時代で、1910年に「女性が活動的なワンピース水着を着る権利」のアピールとして受け入れられるようになった。
 1896年、アテネで行われた近代五輪第一回大会から水泳競技は誕生していたが、女性は参加できなかった。女性が参加できるようになるのは 1912年の第五回ストックホルム大会から。その空白の16年間の裏には「男女間の格差と水着の問題」が社会的背景にあったと想像する。

5) 戦争と水着
 それからの水着は生地が薄く小さくなる歴史。日本でも戦後になるといわゆる“水泳パンツ”が登場する。女性用ファッション水着ではツーピースが発表され、男性には“ウッシッシ”の歴史かも知れない。
 興味深いのは1942年の大戦中、アメリカでは軍需物資確保のため“女性用水着の生地使用量10%削減”を水着メーカーに義務付けた。戦時中とはいえ、国家がメーカーに生地削減を義務付けたことが面白い。
 さらに生地を削減して作られたツーピースを「ビキニ」と呼び、1946年にフランスのデザイナー、ジャック・エイムよって発表された。
 1964年にはアメリカのルディ・ガーンリックよりビキニのブラジャーを省略した「トップレス」が発表され、1970年代後半に脚回りの裁ちを高くした「ハイレグ・カット」が登場する。
 Tバックは元々ブラジルの先住民がアマゾン川で漁をする際に着用した日本の褌のようなものが源流。ブラジル人にとって Tバックは民族衣装としての側面を持つ。水着としてのTバックは1970年代に南アメリカ、特にブラジルで流行が始まった。欧米では1990年代から安定した人気を得ており、特に北欧や東欧諸国では大衆に受けいれられ、今日では一般化されている。
 日本でもTバックはバブル期末に流行したが、1992年に苦情が多く、2011年の時点で都内近郊の公営プールでTバックを着用できる施設は数少ない。

6) 水着を科学する
 1950年頃、スポーツの世界に科学が入って来る。トレーニングや生理学等々。さらに1960年頃になると競泳水着はハイテク化へと進化する。その目的は水に対し⑨水着表面の流れを良くする。⑩摩擦抵抗や造波を軽減する。身体に対し⑪身体の動きを水着が邪魔しない。となる。
 水着に化学繊維が導入され、材質は当初ナイロンだったが、1970年代からは⑫ポリウレタンやポリエステルの導入(伸縮性の向上)、⑬身体と水着の間へ浸入する水を防ぐ形へと変化、⑭裁断縫製の技術進歩(身体の凸凹に合わせた立体製法により縫い目無しの水着が登場)、⑮超極細繊維の低抵抗素材で特殊プレス加工(表面を平らでなめらかに仕上げることで表面摩擦抵抗を驚異的に減少)、⑯フィット感、運動性アップのためハイレグ水着の登場と、生地はます小さく薄くなる。
 1990年代、科学は水を“受ける”から“流す”に変化。これは移動する物体の抵抗から生まれる“渦を消す”という発想だ。ご存知のようにゴルフボールにはディンプル(えくぼ)がある。ディンプルのあるボールは無いボールよりよく飛ぶ。これはディンプルがボールの飛んだ後についてくる渦を削減するからだ。水着にもイボイボを付けたり、抵抗の多い生地と少ない生地の縞模様で作ったりし、「⑰渦を小さくする」という考えだ。しかしこれはスイマーにあまり人気がなった。
 2000年代になると“高分子ポリマー”と呼ぶ新素材の生地が誕生し、“水着の考え”まで一変する。それは「水着が身体の動きを邪魔しない」から、より積極的に「⑱水着が身体の動きをアシストする」という考えだ。撥水性や摩擦抵抗がさらに優れた高分子ポリマーの生地(水着)で身体を覆って、“泳ぎをアシストする”という考えが加わり(⑲いわゆる「鱗水着」)、更に身体の位表面積を小さくして「水の抵抗を小さくする」という発想だ。だが水着は小さくきついので、更衣には30分くらい要する。この科学技術の結集された高速水着を⑳「レーザー・レーサー」と名付けられた。

7) FINA(国際水泳連盟)の考え
 2007年、“FINA”は「これは本来のスポーツ精神から逸脱している」と新素材の水着の使用を禁止。FINAは「記録を伸ばすために“なんでもあり”という状況ではない」というのが理由だ。従って今の競泳水着は幾つかの制約を設けるようになった。
 現在、FINAは水着まで管理している。それは水着の進歩としては大きく後ずさりしたような気がする。しかし近代の競技スポーツすべてはルールの制約を受けながらも道具やウェアの絶え間ない開発で大きく記録伸ばしてきた歴史がある。「少しでも速く泳ぎたい」という人類の願いがある限り、今後もハイテクを駆使した新型水着が登場するであろう。

8) 水着の多様化
 いずれにせよ今や水着の進歩は日進月歩。競泳用やファッション水着に限らず、一般ユーザー向けの各種水着、競泳以外のスポーツ水着、水着とは言えないラッシュ・ガードやウエット・スーツなどなど。
 健康づくりの一環として水泳を楽しむ、競選手以外人々が増加し、水着やこれを基にしてデザインさた幾多な機能を備えた水着の市場が拡大した。更に今ではデザインの違う複数水着を、TPOに応じて使い分けが出来るようになっている。
 スポーツ、レジャー、ファッション、健康・医療目的として水泳の種目が拡大している。それだけ水に接する機会が増えている訳で、地表の70%が水というブルー・プラネット(地球)。水着の誕生によって多くの人々が楽しめるようになった。良いことだと思う。

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