無料ブログはココログ

日本ブログ村

  • メモ

人気ブログランキング

  • 人気ブログランキング
    人気ブログランキングへ

わくわく、どきどき、台風の目。

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »

2018年7月の記事

水着の歴史

1) 水泳の歴史
 水泳の歴史は古く、「人類が生まれた頃から誕生していた」とされている。その目的は①水中食物の狩猟採集、②水辺(川とか海)の向こうへ行くための交通手段、③水難から身を守るための自己保全、④宗教的な意味合いがある沐浴、⑤衛生のため洗身などだ。
 その後は主に⑥戦士の訓練(戦闘と護身)として水泳は発達した。他にポンペイでは海水浴の様子が描かれた壁画が発掘され、古代から⑦レジャーとしての水泳もあったことが分かる。
 日本でも江戸時代初期の武道に“武芸十八般”があって、その中一つに水泳があった。(目的は⑥と同じ)

2) 水着の誕生
 この水泳の古い歴史から見ると水着の誕生は意外に最近で、何と160年くらい前。イギリスから⑧水泳の体育的価値が認知され、スポーツとして普及された頃、水泳専用の衣類、“水着”として誕生する。
 当時の日本は黒船率いるペリーがやって来た幕末の時代だ。それより以前は古着とか下着、あるいは裸で泳いた。
 誕生した頃の水着は「スイムーツ」呼び、この“スーツ”とは今もサラリーマンが着用しているスーツと同じ意味。袖と膝まで覆うパンツの上下揃いの服を“スイムスーツ”とした 。
 素材は濡れても透けないサージやフランネル、アルパカなどの生地で作られている。しかし今見れば『これで泳ぐの?』と思うくらい街着に近感じがする。
誕生当初の水着(1858年)

3) 裸=野蛮人
 更に昔、16世紀を中心とする大航海時代のパイオニアたち、コロンブスやマゼランらの文献を紐解いてみると、南方の原住民を「衣類もまとわぬ野蛮な住民」という表現が幾多に視られる。その“裸=野蛮”という図式が19世紀になっても西洋文化の根底に根強く残っていたのであろう。“泳ぎやすさ”より“肌を露出する”という問題の方が大きかったのではないだろうか。
 実際、男性用の水着を見ても、今で言えばTシャツに半ズボンという感じ。どちらかと言えば今の女性用水着に近い。

4) 男女間格差の時代
 またアメリカ(ボストン)ではこんな事件もあった。
 1907年、“水上のバレリーナ”と呼ばれた水泳選手、アネット・ケラーマン(オーストラリア)が水中の動きを妨げるスイムーツよりも動きやすい、首周りや手足が露出したワンピース型の水着を着用してビーチに現れた。今見ればごく普通のワンピース水着だが、これは当時の男性用水着に近い。これが公然わいせつ罪(裸体陳列罪)で逮捕されてしまう。
アネット・ケラーマン

 ただ当時、 欧米では女性の権利を拡大する運動が盛んな時代で、1910年に「女性が活動的なワンピース水着を着る権利」のアピールとして受け入れられるようになった。
 1896年、アテネで行われた近代五輪第一回大会から水泳競技は誕生していたが、女性は参加できなかった。女性が参加できるようになるのは 1912年の第五回ストックホルム大会から。その空白の16年間の裏には「男女間の格差と水着の問題」が社会的背景にあったと想像する。

5) 戦争と水着
 それからの水着は生地が薄く小さくなる歴史。日本でも戦後になるといわゆる“水泳パンツ”が登場する。女性用ファッション水着ではツーピースが発表され、男性には“ウッシッシ”の歴史かも知れない。
 興味深いのは1942年の大戦中、アメリカでは軍需物資確保のため“女性用水着の生地使用量10%削減”を水着メーカーに義務付けた。戦時中とはいえ、国家がメーカーに生地削減を義務付けたことが面白い。
 さらに生地を削減して作られたツーピースを「ビキニ」と呼び、1946年にフランスのデザイナー、ジャック・エイムよって発表された。
 1964年にはアメリカのルディ・ガーンリックよりビキニのブラジャーを省略した「トップレス」が発表され、1970年代後半に脚回りの裁ちを高くした「ハイレグ・カット」が登場する。
 Tバックは元々ブラジルの先住民がアマゾン川で漁をする際に着用した日本の褌のようなものが源流。ブラジル人にとって Tバックは民族衣装としての側面を持つ。水着としてのTバックは1970年代に南アメリカ、特にブラジルで流行が始まった。欧米では1990年代から安定した人気を得ており、特に北欧や東欧諸国では大衆に受けいれられ、今日では一般化されている。
 日本でもTバックはバブル期末に流行したが、1992年に苦情が多く、2011年の時点で都内近郊の公営プールでTバックを着用できる施設は数少ない。

6) 水着を科学する
 1950年頃、スポーツの世界に科学が入って来る。トレーニングや生理学等々。さらに1960年頃になると競泳水着はハイテク化へと進化する。その目的は水に対し⑨水着表面の流れを良くする。⑩摩擦抵抗や造波を軽減する。身体に対し⑪身体の動きを水着が邪魔しない。となる。
 水着に化学繊維が導入され、材質は当初ナイロンだったが、1970年代からは⑫ポリウレタンやポリエステルの導入(伸縮性の向上)、⑬身体と水着の間へ浸入する水を防ぐ形へと変化、⑭裁断縫製の技術進歩(身体の凸凹に合わせた立体製法により縫い目無しの水着が登場)、⑮超極細繊維の低抵抗素材で特殊プレス加工(表面を平らでなめらかに仕上げることで表面摩擦抵抗を驚異的に減少)、⑯フィット感、運動性アップのためハイレグ水着の登場と、生地はます小さく薄くなる。
 1990年代、科学は水を“受ける”から“流す”に変化。これは移動する物体の抵抗から生まれる“渦を消す”という発想だ。ご存知のようにゴルフボールにはディンプル(えくぼ)がある。ディンプルのあるボールは無いボールよりよく飛ぶ。これはディンプルがボールの飛んだ後についてくる渦を削減するからだ。水着にもイボイボを付けたり、抵抗の多い生地と少ない生地の縞模様で作ったりし、「⑰渦を小さくする」という考えだ。しかしこれはスイマーにあまり人気がなった。
 2000年代になると“高分子ポリマー”と呼ぶ新素材の生地が誕生し、“水着の考え”まで一変する。それは「水着が身体の動きを邪魔しない」から、より積極的に「⑱水着が身体の動きをアシストする」という考えだ。撥水性や摩擦抵抗がさらに優れた高分子ポリマーの生地(水着)で身体を覆って、“泳ぎをアシストする”という考えが加わり(⑲いわゆる「鱗水着」)、更に身体の位表面積を小さくして「水の抵抗を小さくする」という発想だ。だが水着は小さくきついので、更衣には30分くらい要する。この科学技術の結集された高速水着を⑳「レーザー・レーサー」と名付けられた。

7) FINA(国際水泳連盟)の考え
 2007年、“FINA”は「これは本来のスポーツ精神から逸脱している」と新素材の水着の使用を禁止。FINAは「記録を伸ばすために“なんでもあり”という状況ではない」というのが理由だ。従って今の競泳水着は幾つかの制約を設けるようになった。
 現在、FINAは水着まで管理している。それは水着の進歩としては大きく後ずさりしたような気がする。しかし近代の競技スポーツすべてはルールの制約を受けながらも道具やウェアの絶え間ない開発で大きく記録伸ばしてきた歴史がある。「少しでも速く泳ぎたい」という人類の願いがある限り、今後もハイテクを駆使した新型水着が登場するであろう。

8) 水着の多様化
 いずれにせよ今や水着の進歩は日進月歩。競泳用やファッション水着に限らず、一般ユーザー向けの各種水着、競泳以外のスポーツ水着、水着とは言えないラッシュ・ガードやウエット・スーツなどなど。
 健康づくりの一環として水泳を楽しむ、競選手以外人々が増加し、水着やこれを基にしてデザインさた幾多な機能を備えた水着の市場が拡大した。更に今ではデザインの違う複数水着を、TPOに応じて使い分けが出来るようになっている。
 スポーツ、レジャー、ファッション、健康・医療目的として水泳の種目が拡大している。それだけ水に接する機会が増えている訳で、地表の70%が水というブルー・プラネット(地球)。水着の誕生によって多くの人々が楽しめるようになった。良いことだと思う。

被災地巡り

 このたびの西日本を中心とした“平成30年7月豪雨”では甚大な被害が出たと伺いました。一日も早い復旧をお祈りしています。どうかお身体には気をつけて下さい。心よりお見舞いを申し上げます。

 2011年の3.11東日本大震災で、同年7月1日に石巻に行った(本ブログ「被災地(石巻)に行ってきました。」参照)。そのショック以来、毎年行ってその復興ぶりを確認しようと行っている。今年も7月16日から二泊で石巻を訪れた。

Img_0393

 いつもだと北海道の出張の帰りに寄っていたのだが、今年はたまたまその出張が無かったので、クルマで伺うことにした。クルマにしようと思ったもう一つの理由は動作がノロくなったバーさんを今回は連れて行くからだ。

Img_0394

壊すのか建て替えるのか? 門脇(かどのわき)小学校

 逆を言えばクルマなので石巻から南三陸まで、海岸線に沿って走った。被災地も道路もまだまだ工事中だが、とにかく海岸線に沿って高い堤防が、それは河川の土手のように作られている。
 いつだったか地元漁師のお母さんが「高い堤防が作られたら海が見えない。私たちにとっては海が見えない方が怖い。それよりも高台に逃げる避難路を整備して欲しい」と言っていた。その言葉の通り、漁師にとっては“怖い”と言う海を見えなくしている土手のような堤防がずっと作られていた。

Img_0397

いつだったか、門脇小学校の前には花壇が作られていたのだが、今は。。。。。

 毎年お会いできることを楽しみにしていた地元漁師のお母さん方は、引っ越しをしたのか今年はお会い出来なかった。そういえば去年、「復興団地に当たった」とか言っていたなぁ~・・・。元気でいれば良いが。。。。
 途中、集団登校する小学生の列を見た。おそらく彼らは被災後に生まれたであろうから被災を知らない。いずれにせよ被災からの時間を感じた今回の旅だった。

 東京に戻っても暑い日が続いています。“命に係わる危険な暑さ”だそうです。皆様もお身体お大事に、熱中症に注意して下さい。プールも水温が暑いし。。。。。

ポーカーフェイス

 夏だけスイマーが多くなった今日この頃、先日プールに入って泳いでいると、ご婦人が入って来て一緒のコース内になった。そのご婦人は私よりもゆっくり泳がれるので、抜かさせていただいた。

 プールで同一コース内に入っている前のスイマーを抜かした経験のある方はご存知と思うが、そこそこエネルギーがいる。

  1. 壁が近ければ無理せず、壁で前のスイマーが止まってくれればそこで抜かす。
  2. 前のスイマーが止まらずターンして行ったら、蹴られないよう少し感覚を開けてターンをし、対向者が居ないことを確認し、さっさと抜かす。
  3. 壁までまだ少し距離があるなら対向者を確認し、さっさと抜かす。
  4. 対向者が居る場合は無理して抜かさない。
  5. 壁まで中途半端な距離だったら、そこでターン(ショートカット)する。

 まあこんなことをとっさの判断として泳いでいる。

 今回の場合、3.に当たるのでさっさと抜かさせていただいた。で、ターンする。すると、、、、、ン? さっき抜かしたはずのご婦人スイマーが前を泳いでいる。仕方ないので再び3.で抜かさせていただく。ところが、、、抜いたはずのご婦人スイマーが再び前に。。。。。。これを何回も繰り返している。

 結論からするとこうだ。ご婦人スイマーは私に抜かされた壁手前5m付近でターン(ショートカット)する。そして再び私に抜かされた壁手前5m付近でターン(ショートカット)する。つまりそのご婦人は25mプールの中央15mを往復して泳いでいるのだ。一往復50mを泳ぐ私に対して30mという計算だ。

 おそらく私が憎くてやっているのではない。抜かして行った私の作る波を嫌っているのだ。だからさっさと抜かされれば波の無い方向へターン(ショートカット)する。ご婦人はそれで満足かもしれないが、常に25m毎に抜かさなければならない私は満足しない。そこそこのエネルギーが必要だからだ。水温は33℃もあるのに!!!!

 休憩時間の時にそのご婦人を見てやった。悪びれる様子も無く、ニコニコとした愛想のあるご婦人だ。そんな時、私は顔に出てしまうようでポーカーフェイスになれない。別の練習会だったが一緒だったスイマーは同じような状態になった時、ニコニコしながらご婦人に注意しに行っていた。そのくらい心広く持ちたいものだが、なかなかそれが出来ない。

チョッピリ映画音楽

 今年6月23日(土)、我々中学の頃から続けている、長いだけで腕前はちっとも進歩しない親父バンドのライヴを行った。最近においては腕前が無いだけに、やはり同期でジャズをやっているもうちょっとは腕前のある他の親父バンドをゲストに迎えたり、仲間の落語や私のトークなどで時間を費やしたりしている。

 まあ腕前が無いだけにここで公開するのは控えたい。ただトークの方は毎年「みず、ミズ、水、こぼれ話」ということで、「水着の歴史」や「潮の話」などをさせていただいていた。ところが今回のライヴテーマが「チョッピリ映画音楽」と言うことで、私の仕事であるスイミングクラブ(障害者対象)から障害者がキャラクターの映画の話をさせていただいた。

 まずは障害者についてお話しさせていただいた。身体障害者、精神障害者、知的障害者。これらの各々について説明させていただく。まあこの辺は都内某区の講習をしているので得意の分野か?

 そして障害者が出てくる映画の話。初めはディズニーのフック船長が出てくるピーター・パン。ディズニー繋がりでファインディング・ニモ(2003年:第76回アカデミー賞で長編アニメ賞を受賞)。ニモはクマノミという熱帯障害魚で、生まれつき右胸鰭(むなびれ)が小さいせいで上手く泳げないという設定。それでもニモとニモの父親は「幸運のヒレ」と呼び、前向きに捉えている。(捉え方が日本と違う?)

 ディズニー映画に障害者のキャラクターが多いのは過去のアメリカのインディアンや黒人問題など迫害の歴史からの反省にある。基本的にアメリカは移民で成り立っている多民族国家であることから、弱者やマイノリティー(社会的少数派)に対して平等で優しい国であるという建前のためだ。
 日本映画では座頭市。勝新太郎で有名だが2003年には北野武監督、ビートたけし主演でも作られた。国内の観客動員数は200万人。複数の賞を受賞。

 だがこれらは創作で、実在をモデルにして作られた映画はレインマン(1988年アメリカ:第61回アカデミー賞、第46回ゴールデングローブ賞、第39回ベルリン国際映画祭においてそれぞれ作品賞を受賞)。主演はダスティン・ホフマン、トム・クルーズと豪華。
 主人公の弟、チャーリー(トム・クルーズ)は自分の経営している会社の経営が思わしくない。そんな彼の元に父の訃報が届く。遺産目当てに故郷に帰ったチャーリーは、財産が知的障害の兄レイモンド(ダスティン・ホフマン)への信託財産として運用されることを知る。遺産を手に入れようと、チャーリーは兄が入所している施設から強引にレイモンドを連れ出しロサンゼルスに戻ろうとするが、その道中でレイモンドの持つ特殊な才能と、幼い頃に彼と交わした交流を思い出す。そしてチャーリーは知的障害とは何かを知り、レイモンドの幸せを願って父の遺言通り遺産を兄に戻し、更に兄を元の施設へと送る。

 この主人公はサヴァン症候群と呼んで、知的障害や発達障害などのある者のうち、ごく特定の分野に限って優れた能力を発揮する者の症状。
 日本人で有名なサヴァン症候群は山下清画伯。裸の大将放浪記として何度も映画やドラマになった。瞬間記憶能力が優れ、見た瞬間にまるで写真のように景色を覚えてしまう。

 他に有名なのはフォレスト・ガンプ/一期一会』(1994年アメリカ:第67回アカデミー賞作品賞、第52回ゴールデングローブ賞ドラマ部門作品賞を受賞)。主演はトム・ハンクス。
 主人公は知能指数が劣るが、純真な心と周囲の人々の協力を受けて数々の成功を収めていくヒューマンドラマ。
 無名だが、私の生徒が出演した春男の翔んだ空(1997年)。主演は永六輔。
 飛行機事故で亡くなった特殊学級教師「野杉春男」とその教え子たちの生活を描いた映画だ。
 この映画のメインは最後の運動会のシーン。かけっこの“ヨーイ・ドン”でスタートすると、遅い子が途中で転倒する。すると速い子はクルリと戻って遅い子を助け、一緒にゴールする。
 今の健常児たちが全ての場面で競争の矢面に立たされ、上位を目指すことばかり求められて優しさを失っていく社会に一石を投じる内容。
 ちなみにこの“速い子”を演じたのが、ダウン症候群で私の生徒。野杉先生の名言:「生きるために教師になるな、教師のために生きよ」。
私「レンタルビデオ屋さんなどで借りられます。是非ご覧ください」
MC「この映画の何処に出演されたのですか?」
私「いっさい出演していません」

 皆さんは「ヘルプマーク」ってご存知ですか?

 こちらのマーク(赤地に白十字とハートが描かれている)です。これは「義足や人工関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々が、周囲の方に配慮を必要としていることを知らせることが出来るマーク」です。
 これは知的障害者の“迷子札”としても使われています。中を開けると「あなたの援助を必要としています」と書かれていて、住所、氏名、年齢、電話番号、どのように対応したら良いかなど、個人情報が記載されています。
 最近では「席譲りアプリ」と呼んで、電車内で席に座りたい妊婦と譲りたい乗客を無料通信アプリ「LINE(ライン)」で繋ぐ社会実験が始まったそうです。他に子ども(障害児)にGPS末端を持たせ、保護者が見守るサービスもあります。でも最も良いのは困った人の側に居る“あなた”が援助することです。
 『援助はしたいが何をされるか分からないので怖い』と思う方は多いと思います。この“怖い”の原因は“分からない”という部分です。是非とも勇気を出して、この“分からない”を乗り越えてください。

メキシコから来た英雄スイマー

 7月1日(日)、メキシコのOWS界では国民的英雄であるNoraが、彼女の弟子であるMarielとタンデムで津軽海峡を泳いだ。6時間20分52秒だそうで、ワールドレコード。

 去年だったか、Marielが試み、彼女は天候の悪化で成功はしなかった。その時もNoraが来ていて彼女らの帰り、東京のホテルで夕食を共にした。

 「7月5日(木)に東京に来て、8日(日)に帰国する」と言う。そこで6日(金)に会い、Noraと彼女のお母さん、Noraの18歳になる息子(Max)の三名を東京案内することにした。

36641598_2291695520848419_805872646
お台場にあるホテルの前で(左からNoraのお母さん、中央Nora、右Max)

 Noraのお母さんにお会いするのは初めて。10年くらい前になるのかな。Maxとはドーバーで会っていて、その頃はまだ可愛い男の子だったが、今では立派なハンサム青年になっていた。それこそメキシコのトム・クルーズだ。

 Maxが都内見物の行きたいところをリストにして出してきた。まあ築地(朝が早いので没)とか東京タワー(最寄りの駅から遠いので没)とかスカイツリーとか浅草とか明治神宮とか渋谷のスクランブル交差点とか。。。逆に私が行かせたいところもある。江戸東京博物館とか水上バスとか。。。ま、両方の意見とコースの設定をして計画を立てた。

 (お台場の)ホテル⇒江戸東京博物館⇒(水上バスで)浅草。これがどういう訳か両国の水上バス乗り場が工事中で使えない。そこで都バスで東京スカイツリー(天候が悪く、上がらない)⇒浅草⇒上野からアメ横に行きたかったが時間も無くなって明治神宮⇒竹下通り⇒渋谷のスクランブル交差点⇒新宿歌舞伎町。とまあこんなコース。

 この間、両国で天ぷらの昼食、新宿でしゃぶしゃぶの夕食。箸が不器用なので「スプーン借りようか?」と聞くと三名とも「箸を使う」と意地を張る。

 浅草が最も興奮していたな。後でNoraからお礼のメールが来て、しゃぶしゃぶが最も気に入ったそうな。。。。

 「今度はノース・チャネル(北アイルランドとスコットランドの間)かな」と言う。メキシコの英雄スイマーは疲れを知らない。それよりも何よりも、Noraとドーバーで初めて会った時はスイマーの顔をしていて、前回、東京で会った時は女性の顔をしていて、今回はお母さんの顔をしていた。まだ他の顔もあるのかもしれない。

ハロ

 6月30日(土)朝、いつものように自宅からクルマで都内某区のプールへ向かう。途中、川を渡るのだが、その橋から富士山が見えた。冬には頭が真っ白になった富士を見ることは珍しくないが、今時に見えるのは珍しい。しかも頭の先まで真っ黒だ。やはり富士のイメージは冬かな?

 プールに到着し中に入る。そこのプールはドーム型の天井で開閉が可能だ。すると天井が開いている。「おお、天井が開いている。7月からじゃないの?」と係のお兄ちゃんに話すと「暑いですからね」と言う返事。お役所仕事だから暑さに無関係で“7月以降じゃなけりゃ開けない”と聞いていたのに珍しい。

 昨日、気象庁は関東甲信地方が梅雨明けしたとみられると発表した。関東甲信地方が6月に梅雨明けするのは初めてのことだそうで、通りで富士が見えたのかもしれない。いずれにせよ天井が開いているのは気持ち良い!

 このプールのドーム型天井、ガラス張りだから一年中空は見られる。だがそのガラスさえない空は更に気持ち良く見える。もうウキウキして空ばかり見上げていると、太陽の周りに虹のような輪が。。。。。

 この輪は「ハロ(Halo)」と呼ぶのだそうだ。英語の「こんにちは」の意味の“ハロー(Hello)”じゃないよ。日本語では「暈(かさ)」と言うらしい。太陽に薄い雲がかかった際にその周囲に光の輪が現れる大気光学現象のことだそうだ。

 このハロ現象に気付いたのは私以外に親子連れが居て、お父さんは「上空に氷の粒が浮いていて、それに太陽の光が当たって輪になって見えるんだよ」とかなり専門的に語っていた。それに対して5歳くらいの息子君は「ふ~~ん、プールの飛沫が空に上がっちゃったのかな」と、まあ可愛らしい発想。

 プールでは写真も撮れないので「プールから出たら」と思っていたが、残念ながらその時点でハロは消えていた。恥ずかしがり屋かな?

 ハロの写真や興味のある方は“ウィキペディア”をご覧ください。いずれにせよ今日で半年が終わる。半年の終わりに良いものを見た。明日(7月)からは東京都の障害者専用のスポーツ施設もリニューアルオープンするし、気持ちの良い残り半年が始まりそうだ。

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »

北海道函館の潮汐

ウェブページ

2018年9月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

BV

  • BV