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わくわく、どきどき、台風の目。

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2015年10月の記事

マキさんの「津軽海峡横断レポート」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳にマキさんが報告書を作ってくれました。どうぞお楽しみください。

津軽海峡横断レポート
<今回参加するにあたっての課題>

  1. ドーバーに向けた海峡横断の経験
          潮、波、風等に対する対応力
  2. 長時間の船内待機

P9210101
夜明けとともにスタートする私

<印象に残った事>
 船の情報をよく観察していた事、観察する余裕をもって泳げた事

 波の状態により船との距離感を調整する。波が出てきた際、船の返し波に影響の無い距離感

P9210123
力泳する私のアップに耐える

<船上の仲間とコミュニケーション>
 日暮れまで泳いだ事により、少しでしたが夜間泳の体験。
 夜間泳の間は視覚情報が減り日中よりも、集中して泳げました。

Img_1123
津軽のサンセットスイムを楽しむ私

<感想>
 過酷な状況でありながらも終始楽しみながら泳ぐ事が出来ました。
 今回の完泳なスイマー、オブザーバー、ボートクルー、各自の知識・経験が、一体となり達成できたと思いました。

Dsc_8075
ヤスさんとゴールした私

 湘南の主さんに「今回集まったメンバーでなければ達成出来なかった」と言って頂けて大変嬉しく思いました。

 このような機会を頂きありがとうございました。

タケちゃんマンの「津軽海峡横断リレー泳レポート」その3.

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳にタケちゃんマンが報告書を作ってくれました。3回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

タケちゃんマンの「津軽海峡横断リレー泳レポート」その3.

■感想
--- 何より成功が一番嬉しかった

  • 今回、経験豊富な方々と共に泳ぎ、このコースをこのメンバーで成功できたことが一番嬉しかった。
  • 先生、クルー、地元の関係者、メンバー、全ての力が集結し、繋いだリレー遠泳だったと感じた。
  • リレーの楽しさ/醍醐味を再認識できた。

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(2巡目のマキさん)

======泳ぎに関して======
■泳ぎで良かった点

  • 3本泳ぎ続けることができたこと
  • 良い意味で終始緊張を保つことができたこと
  • 最後に良いと思える泳ぎができたこと

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(2巡目のヤスさん)

■悪かった点、改善が必要な点
1) 船とのコミュニケーション

  • 船からの指示が見える位置で一定して泳げていない
  • 船に対する意思表示が不明瞭で、自分が理解しているのかを分かってもらえない

2) 泳ぎ

  • 速度が足りない...
  • 海泳ぎが足りない
  • 頭が少し上がり気味
  • 肩の動きが小さい(写真でも泳ぎが小さく見えていることから)

3) 身体

  • 左肩が弱い(筋力、柔軟性とも)
  • 脚が疲労蓄積に弱い
  • 全体的に泳ぎが小さい(以前から指摘されていたこと)

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(2巡目の湘南の主さん)

■今後の取り組みたいこと
1) 船とのコミュニケーション能力向上

  • 船との距離を一定に保つ練習(風上、風下など様々な条件をこなしていく)
  • 泳ぎながらコミュニケーション練習(カヤック、ボート伴走などでシミュレーション)
  • 意思表示の練習(意思表示したい時は少しストロークに時間を掛けて、コンタクトをする)

2) 泳ぎの改善

  • 泳ぐ速度の向上(まずは50m/55sec→50m/50sec、スピード練習も入れていく)
  • 海泳ぎの強化(海の機会を逃さない、左呼吸時に間延びしない、負けない、ピッチ数を向上させる...63~65ぐらいか)
  • 頭の位置探求(もう少し低い位置を保てるように、フラットを目指す)
  • 肩を大きく動かす泳ぎの習得(バタフライなど、他の泳法も参考にして肩甲骨が大きく動かせるようにする)
  • 痙攣しない、負けないキックの習得(キック練習)
  • スイムレコード(きちんと数値化して、見える化する)

3) 身体作り

  • 身体作り(大きくする。基礎代謝を落とさずに、まず2014年8月時点の体重に戻す)
  • 酸素摂取能力の向上
  • 持久筋力/持久力の向上
  • 左肩強化(痛くならない肩、可動域拡大)

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(3巡目のマキさん)

======泳ぎ以外の面======
■記録

  • 風速、風向、気温はWind mateで計測、記録
  • ピッチは泳者を見て、1分間回数を計測、記録
  • 水温はAさん(パイロット)から聞き取り、記録
  • ヤスさんが泳ぎ始める際、ヤスさんの時計でラップ取得
  • 双眼鏡で泳者上陸地点の観測

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(1巡目の私)

■記録面での反省

  • 当初、計測時に船首に上らなかったため、風速が少し低めになってしまった
  • 双眼鏡を使いこなせなかった

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(2巡目の私)

■今後の取り組み、記録能力の向上

  • 基本動作を再確認
      →船に乗る前に、計測の位置、計測に掛ける時間等、再確認する、条件を揃える
        分担も再確認する
  • 双眼鏡操作の熟練度向上
      →肉眼だけに頼らず、近くで見えている時から双眼鏡で追尾し続ける

                          2015年9月29日

タケちゃんマンの「津軽海峡横断リレー泳レポート」その2.

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳にタケちゃんマンが報告書を作ってくれました。3回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

タケちゃんマンの「津軽海峡横断リレー泳レポート」その2.

■合宿入りするまでの流れ
--- 仲間は経験豊富な方々、よくまとまることができた

 チームメンバが決まり、湘南の主さんがリーダーとなった。自分以外はいずれも経験豊富で心配がない方々。唯一自分が足を引っ張るのではないかと感じていた。
 メンバーは普段はそれぞれの場所で仕事や練習をしていることから、実際に会える機会は限られ、Hさんの湘南OWS 10Kmシミュレーション、湘南OWS 10Kmの2回しかなかった。
 ところが、練習会はそれぞれの担当があり一同に会することはできず、また湘南OWS 10Kmも自分が時間ぎりぎりの到着で、これまた一同に会することはできなかった。
 合宿入りする前にメンバー、先生とで交流会をしたかったのは事実である。
 逆に短期間でよく纏まったチームになった。湘南の主さんの過去の苦い経験が活きたからだと思う。

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(1巡目のマキさん)

 ■合宿生活
--- すばらしいロケーション

 合宿上のある函館市戸井ウォーターパークに到着。ここは海からも近く、自炊ができる。焼き肉ハウスもあり、『最高だ』と思った。

 部屋では炊事関連をヤスさんとマキさんがリードし、炊飯は先生、自分は食器洗いを主に行った。
 食事の間も水泳に関する話題が絶えることはなく、普段では考えられない楽しい時間を持つことができた。

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(1巡目のヤスさん)

 ■リレー泳の開始
--- 日程は突如決まる

 20日の夕方、海練習を終えて浜に上がると「明日泳ぐことになった」旨、先生から告げられる。ここから急きょ明朝の準備が始まる。
 準備を終えて、当日2:30ごろに港に到着、戸井の港から青森の佐井を目指す。
 朝5時17分にトライアルはスタートした。
 リレーは1人1時間。順番を飛ばしたり、調整したりすることは一切無し。流れが速いからといって、時間短縮→ダッシュも当然無し。
 メンバーはそれぞれの力を出し切り、次の人へとリレーを続けて行く。
 これはルールにのっとったリレー泳の醍醐味だと思う。

 たまたま前日に海練習をしたのだが、『この練習ができて良かった』と後で思った。

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(1巡目の湘南の主さん)

■ゴールまで
--- 日没までに終わらないかもしれないという不安があった

 二巡目が終わり、午後1時過ぎ。日没まで4時間とちょっと。この時点で北海道はまだ遠く彼方に見えていた。
 この時は、「このままでは到着できずに終わるのでは?」と少し焦りがあった。

 塩梅が良くなりだしたのは3巡目ぐらい。『2巡目の泳ぎが最低だった』と感じていた自分は「最後は悔やむことなく、最善を尽くして泳ぐこと」を考え泳ぎ始めた。
 特に船からの距離に関し、1巡目はヤスさんから、2順目は湘南の主さんから指摘を受けていたこともあり、船との距離を可能な限り縮めることは意識して泳いだ。

 自分の3巡目が泳ぎ終わり、船の前方を見ると、北海道が目の前に近づいていた。“あれ?”という感じだった。
 パイロットのAさんをはじめとするボートクルーの判断が良かったのだとつくづく思う。がまんして泳ぎつなげた甲斐があったと強く感じる。

 3巡目、湘南の主さんに変わる。湘南の主さんはなんと船の先を泳いでいた。この情景は「北海道に向け、船を先導して泳ぐスイマー」だった。
 この時点で「成功するかも」と思えた。

 4巡目、マキさんの持ち時間がちょうど終わるころ、瀬田来に行くことになった。
 ヤスさんとマキさんが到着地点を目指す。岩への入り方が事前の話どおりにならず、少し緊張が走ったが、18時23分にゴール。

 『メンバーと一緒に辛抱して泳ぎ続けて良かった』と、つくづく思った。

タケちゃんマンの「津軽海峡横断リレー泳レポート」その1.

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳にタケちゃんマンが報告書を作ってくれました。3回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

タケちゃんマンの「津軽海峡横断リレー泳レポート」その1.

■水泳の再開
--- 動機は運動不足で不健康な自分の改善

 tora先生がドーバー海峡の横断泳を指導/サポートしていることは知っており、ドーバーへのあこがれも持っていた。

2014年夏、Facebookメッセンジャーで
 「水泳から遠ざかり20年(大学生の時に水泳関係のアルバイトをしていた)、漠然とドーバーという思いはあり、ただ相当の覚悟もいるだろうとも(私が)考えている」旨、先生に伝えたところ「覚悟よりも信念」、「頑張れぇ~~~~~!!!!!!」「自分を信じること」と励まされた。

 このやり取りの後で水泳を再開することになる。先生から水泳を習っていたのは小学生のころだから、実に35年ぶりとなる。

 手始めに2014年8月2日、どれだけ泳げるのかを自分なりに確認した。最初はまったくダメで、1本あたり100mしか持たず、トータルでも100m×10本を泳ぐのが精いっぱいだった。
 こんなことで本当に大丈夫なのかという不安を持ちながらも少しずつ泳ぐ距離を伸ばし、プールで6,000mに到達することはできた。

 しかし、「このまま泳ぎ続けて、はたしてドーバーに辿り着けるのか?」という疑問は拭い去ることができずにいた。
 そこで2015年5月、先生に頼みこみ、先生から水泳を習うこととなった。

2015年9月21日、津軽海峡横断リレー泳(スタート時のマキさん)

■津軽リレー遠泳参加を決めるまでの経緯
--- 津軽は突然決まった

 今年のドーバー視察の件はずいぶん前から決まっており、ドーバーでの練習は想定をしていた。また、今年は湘南OWS 10Kmの大会のことも決まっていた。

 したがって今年は

  • 水温16度での水泳がどのようなものであるのか
  • 海レースの10Kmがどのようなものであるか

 この2点を肌で感じとり、自分に対する課題出しができればと思っていた。

 2015年7月上旬、tora先生からドーバーの宿に関するメールを受信した。そのメールを読み進めると

  • 今年、津軽を泳ぐ予定だったアメリカ人が昨日「来年にしてくれ」と言ってきたこと
  • そこで私に交代で泳いでもらうこと
  • ソロは無理だろうから湘南の主さんにも聞いて、「リレーならOK」とのこと

との記載があった。自分が“Yes”を言う前提で話を進めていたようで、あっという間に津軽海峡横断リレー泳が決まった。

 当初日程は8月21日から25日という話であったが、こちらの休暇取得の事情もあり、9月20日から24日にしてもらった。都合をつけやすいという点では今回はとても助かった。
 ただし、日本のルールで日中でなければならないことから、今後は日照時間優先で日程を考えたほうが良いと感じる。

湘南の主さんの津軽泳報告「7・総括」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳に湘南の主さんが報告書を作ってくれました。7回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

7・総括
 今回の津軽海峡リレー横断泳成功の要因を考えてみた。先ずはメンバー、一人ひとりの泳力があったこと。ヤスさんと私はドーバー海峡横断泳の経験者。タケちゃんマンは2017年にドーバー海峡ソロ横断泳を目指す。マキさんは来年リレーの2-wayでドーバー海峡横断泳を目指す。各自、海峡横断泳に対する意識が非常に高いスイマーであったこと。
 でもメンバーを集める時は全く意識をしていなかったが、結果的には素晴らしいメンバーが揃った。そして津軽海峡横断泳中は強風と大荒れの海で、激しく揺れる船上で船酔い、泳ぎでの波酔い者も出ず、各自の持ち時間をしっかりと泳ぎ、次のスイマーに繋げていった。長時間大きく揺れる船上での体調管理は非常に重要であるが、今回のメンバーには全く問題なく、泳ぎ終わった後はパクパクと食べて飲んでいた。
 そして忘れてはならないのが“海峡横断泳の成功の可否はボートキャプテンの長年の経験、知識によるところが非常に大きい”こと。ドーバー海峡横断泳を例にとると、人気のボートキャプテン(すなわち海峡横断泳の成功率の高いボートキャプテン)の予約は3年先、4年先までふさがっているとか。
 そのくらい海峡横断泳は非常に難しい、勿論、スイマーの泳力も必要なのは言うまでもないが・・・・・
 先ず、いつ泳ぐか? 天気図とにらめっこして、長時間天候の安定する日時を決める。海に出たら風、潮の流れに対応しながら、スイマーを如何に早く、速く、横断させるかを過去のGPSデータと突き合わせながら進路を決める。等々、一時も目を離せない緊張感を持って船を走らせている。
 今回、特に印象に残ったのは、ボートキャプテンが今泳いでいる海の状況を見ながら、「この潮なら北海道側の潮は動いていないのでは?」と言い放った。
 我々は今、目の前の海の状況しか分からないが、海と共に暮らしている人は、先の先まで海の状況を判断して読める。
 このような優秀なボートキャプテンが先導してくれたから今回の成功があったのかも知れない。
 非常に難しい下北半島側からのチャレンジの成功。これはボートキャプテンの適格は判断によるものかもしれない。

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ボートキャプテンのAさん(左)と私(右)。実は同い年。

 そして宿泊先のムーイの方々の親切な気持ちも心を和ませてくれた。
 日を追って、私は海峡横断泳の嬉しさ、誇らしさがこみあげてきている。
 今回の成功の一番は寄せ集めのメンバーでしたが、メンバーに恵まれた事。個々の泳力があり、あの風、うねりの中、自分の持ち時間をしっかり泳いでくれたことが今回の成功に繋がったと思います。一緒に泳いでくれたヤスさん、タケちゃんマン、マキさん、そしてサポートしてくれたtora先生、本当にありがとうございました。これからまだまだ海峡横断泳のチャンスはあるかと思いますが、いつでもチャレンジできるよう、日頃から海泳ぎ練習を積極的に行って欲しいと思います。
 津軽海峡横断泳成功、本当に嬉しく、誇らしく思います。又、機会がありましたら一緒に泳いでみたい今回のメンバーでした。

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ムーイの支配人、Nさんを囲んで(ムーイにて)

 そして、名刺を新しく作り直しましたよ!!
 「生涯現役」を私としては貫き通すつもりですが、これからは海峡横断泳を目指すスイマーのサポートもしていきたいなと考えております。

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名刺
オーシャンズ・セブンに登録されている津軽海峡を泳ぐことは、私にとっても非常に意義ある海峡横断泳になる。これで三海峡(ドーバー、ジブラルタル、津軽)を泳がせてもらった。

 津軽海峡リレー横断泳の航跡を海図に書き込んだ。今回、移動した距離を書き込んだ海図から算出した所、50km以上になる。1時間泳いでも1.1kmしか進まない所もあれば、7.3kmも進んでいる所もある。泳ぎだして8時間経過辺りで、本流の流れに乗ったようで、1時間で5km以上進んでいた。

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海図

湘南の主さんの津軽泳報告「6・津軽海峡を泳ぐ」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳に湘南の主さんが報告書を作ってくれました。7回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

6・津軽海峡を泳ぐ
 ボートキャプテンから「下北半島からの津軽海峡横断泳の成功の可否は、船の右舷側の真横、つまり3時方向に常に函館山を見ながら泳げていれば、成功の可能性は大きい。しかし船の舳先1時、12時方向に函館山を見ながら泳ぐ状況であれば、かなり厳しい横断泳になるだろう」と言われていた。
 幸いに4時間経過の時点で函館山を3時方向に見ながら泳げていた。下北半島、大間も大分遠ざかっている。しかし北海道には近づいている気配は感じられない。2巡目辺りから風が強くなり出した。平均風速で7m/secを超し、最大では15m/sec以上は吹いていたのではないだろうか?
 うねりも1m以上、最大では2m近くはあるだろうが、風向きが潮の流れと同じなので良かった。もし潮の流れと風向きが逆だったら、多分、中止になるであろうと思われるくらいの海面の状況になっている。
 しかしメンバーはこの状況でも自分の持ち時間を淡々と泳ぎ、責任を果たしている。タケちゃんマンは相変わらず船から離れて泳いでいる。マキさん、ヤスさんは楽しんで泳いでいるようだ。うねりに乗りながら、私も楽しく泳がせてもらっている。そして船上から見守る仲間にキラキラ星合図で答えて泳ぐ。
 2巡目が終り、函館山が舳先の1時方向に見えている。大間もさっきより近くなってきている。心配だ!!
 本流の流れに入ったようで大型船の往来が激しくなってきた。風も強いし、うねりも大きいし、此処が正念場の泳ぎとなる。

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本流は大型船の航路。最も注意を払って泳がなければならない。

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リレーは、前の泳者を次の泳者が追い越した時に成立する。

 各自の泳ぎが3回目に入る。海の状態はかなり悪いが、皆さん自分の持ち時間をしっかりと泳ぎ、本流の流れに乗ってガンガン進みだした。うねりもファロー気味でひとかき、ひとかき面白いように進む。やっと北海道の地が大きく見え出し、下北半島が小さくなってくれた。私の番が回ってきた。此処までで11時間。太陽が西の水平線の上に赤く輝いている。船の右舷を泳ぐ私には、うねりが大きく船が近づけない。近づき、大きなうねりが入ると船の下敷きになる可能性があるからだ。船は止むを得ず、私の後方に位置を変えて走っている。何と私は船を従えて泳いでいるのだ!!
 通常なら船に進路を先導してもらわないと、どちらへ向かって泳げばよいのか分からないはず。しかし此処が私の海泳ぎの真骨頂。湘南の海で鍛えた“目に入るものは何でも進路の目標にする”が大いに役立った。左呼吸で顔を上げた時、丁度、水平線の上に真っ赤な太陽が見えた。『そうだ。この太陽を真横に見ながら泳げば良い』。時々後ろを見て船の位置と旗のなびく方向を確認。“進行方向は間違いなし”を確信。この状態で1時間を泳ぎ切った。これは前代未聞の泳ぎではないだろうか!
 マキさんは頭にグリーンのフラッシュライトを着けて泳いでいる。日没が5時半頃。ゴール間近なのでtora先生が海上保安部に連絡を入れて、ゴールまで泳がせてもらう許可を取り付けた。
 つるべ落としの井戸ではないが、アッという間に太陽が沈み、暗闇となる。マキさんの頭に取りつけられたフラッシュライトが頼り。船がこれ以上先には進めない所まで来た。ゴールは直ぐそこ。ここでヤスさんと交代の時間となった。ボートキャプテンが「この先は岩礁地帯なので注意が必要」とのアドバイス。
 tora先生から「一人では危険なので、マキさん、ヤスさんの二人でゴールするように」と指示が出された。ゴール先には新聞社の記者が待って居るとのこと。陸からライトが点滅してゴールの位置を知らされている。でもその手前には暗闇でも微かに分かるが、岩礁があることが分かる。「その右側を泳いで行けば大丈夫」と指示されていたが、実際はその左側を泳でいたようだ。陸からライトが左右に振られて陸に上がったことが分かった。tora先生がフォーンを鳴らす。午後6時23分だった。13時間06分の遠泳だった。
 二人が船に戻って来た。ヤッター、ヤッター、とうとう泳ぎ切った。私は何とも言えない感激に満ち溢れた。皆さん本当にありがとう、ありがとう!! 私の最後の海峡横断泳、見事に成功!! とても嬉しい!!
 素晴らしいメンバーにめぐりあえて本当にありがとう!! 幸せな気持ちでいっぱいです。
 そして翌日の函館新聞、北海道新聞に私たちの快挙が掲載された。

湘南の主さんの津軽泳報告「5・スタート」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳に湘南の主さんが報告書を作ってくれました。7回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

5・スタート
 集合場所はボートキャプテンの船が停泊している隣村、浜町の漁港。ムーイからクルマで10分と掛らない。時間が早かったか、キャプテンはまだ来ていないが、クルーの人が居た。初めてお会いする方だった。名前はKさんと呼び、キャプテンの弟さん、Zさんの息子さんだそうである。荷物を降ろしているうちにキャプテンらも来て全員集合。
 ボートの乗組員は全員身内の方でチームワークは抜群に良い。船内では手際よく出航の準備と遠泳の準備が進められている。船に乗り込み午前2時半過ぎに港を出る。

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深夜、戸井漁港で

 暗闇なので海の状況は分からないが、風波無しのとても穏やかな海だと分かる。イカ釣りの集魚灯があちらこちらの海面に光っていた。船首に私たちが身体を横に出来る場所を確保してくれたので一休みさせてもらう。
 目指すは下北半島の佐井村の願掛岩海岸。4時半頃到着沖合に到着。日出を待つ。
 辺りが次第に明るくなり、スタート地点が確認出来た。トップバッターは一番若いマキさん。ヤスさんのカヤックが先導しながら、スタート地点の海岸へ向かう。どうやら海岸に着いたようである。マキさんが大きく手を振るのが見えた。tora先生がフォーンを鳴らす。午前5時17分、いよいよ私たちの津軽海峡リレー横断泳の挑戦の火ぶたが切られた。
 風弱く、うねりも小さく、今のところはベストコンディションの海ではないだろうか? しかしこの状況がいつまでも続くわけがない。それが海峡横断泳の厳しさでもあり、醍醐味でもある。
 第一泳者のマキさんは淡々と泳いでいる。しかし向かっている先はほぼ真西の竜飛岬(青森)、北海道南岸とは平行に進んでいる(北海道方向へは向いていない)のである。つまり海流に逆らっているので進みが悪い。
 スタート時の水温22.7℃、気温18.5℃。北東の風1.5m/sec、波高0.5mと、非常に穏やかな海の状態でのスイムとなった。マキさんは快調に泳いでいる。彼は海峡横断泳が初めてだが、それを感じさせない素晴らしい泳ぎ。
 1時間はあっという間に過ぎる。二番手はヤスさん。つい先日津軽を泳いだばかりで、又、挑戦。ゆったりと楽しむように泳いでいる。しかし進みが悪い。ヤスさんが持参したGPSによると“15分泳いで200mしか進んでいない”と表示されていた。潮の流れが相当速い。
 ボートキャプテンは海の状態を確認するためにあらゆる物をチェックしていた。海面に浮かぶ小さな旗の立っているブイを見ながら「さっきまでブイが潮に流されて倒れていたが、今は真っ直ぐに立っている。潮がたるんできたな。良い塩梅だ!!」というように。
 タケちゃんマンも海峡横断泳は初挑戦。泳ぎに問題ないが、直ぐに船から離れてしまう。ジェスチャーで「こっち、こっち」と合図すると近寄ってくるのだが、又いつの間にか離れてしまう。
 船から上がった時、「どうして船から離れてしまうのか?」と尋ねたら、「私は真っ直ぐに泳いでいるつもり。船が勝手に離れてしまう」と言っていた。そう言えば私も初めてボートのサポートで泳いだ時、タケちゃんマンと同じような気持ちで泳いだことを思い出した。
 いよいよ私の泳ぐ番が来た。梯子に掴まって先生のカウントダウンを聞きながら待つ。「ゴー」の合図で海に入りタケちゃんマンを追い抜く。これがリレーの交代。私以外は皆さん船の左舷側を泳ぐが、私は左呼吸なので船の右舷側を泳ぐことになるので、船が下がって位置を変えてくれた。
 船に私はぴったりピッタリくっついて、皆さんの顔が見える位置で船上の人たちとコミュニケーションを取りながら、楽しく泳がせてもらった。声援に応えてキラキラ星で応答した。
 このころから風向変わり、風力が徐々に強くなって、うねりも次第に大きくなりだした。海水の透明度は抜群に良い。大間のマグロの顔を見たかったが見えなかった。代わりに「シイラ」という魚が飛び跳ねるのを見た。
 1時間はあっという間に過ぎ、マキさんと交代。
 スタートから4時間後の海は水温23.1℃、気温21.4℃。風向は西、風力は平均で3.8m/sec、波高0.5mと風が強くなり始めたが、潮の流れと風向が同じなので風の割に波は大きくないのが良かった。

湘南の主さんの津軽泳報告「4・ムーイ」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳に湘南の主さんが報告書を作ってくれました。7回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

4・ムーイ
 今回の宿泊先はtora先生御用達の「函館市戸井ウォーターパーク」で通称「ムーイ」。tora先生はかなり前からここを利用している。3年前には私も2回ほどお世話になっている。函館市内からクルマで40分ほど掛る。オートキャンプ場やテントでも泊まれる。ベッドのあるコテージもあるので安心して泊まれる。レストランもあるが、基本は自炊。ここの支配人のNさんがとても良い人で、今回も随分とお世話になった。特にマキさんは「マキ、マキ」と可愛がられていた。
 隣にスーパー銭湯の様なお風呂屋「ふれあい湯遊館(ゆうゆうかん)」があり、ムーイで入湯券をくれるので風呂の大好きな私は毎日ゆっくりと湯船に浸かっていた。
 海泳ぎはクルマで5分ほど走った隣村「浜町」で、今回のボートキャプテンの家の前の海岸で泳がせてもらった。遊泳禁止場所らしいが、誰も咎めには来なかった。
 此処での海泳ぎの帰り、ボートキャプテンの家に寄り、様子を伺ったら「明日21日(月)に泳ぐ、港に午前2時集合」と聞かされた。
 今回の横断泳、予定は“20日から25日までの間”で、“海の状態、天候の良い日”となっている。丁度シルバーウイーク期間中なので、会社勤めの方には休みを取るのに多少良かったのではないだろうか?
 海の状態、天候は時々刻々と変化する。漁師さんも「予報は予報、実際に海に出て見なければ分からない」と言っている。

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ムーイでは自炊。作る人、片づける人、役割分担で生活する。

 意外と早く泳ぐ日が来た。チョット心の準備が出来ていないが、早急に泳ぐ準備をしなくては!!
 函館市内まで買い物に行く時間がもったいない。ムーイから一番近いコンビニまで(約5km)買い出しに行く。私の用意したものはカロリーメイト2箱、バナナ4本、一口サイズのアンパン5個入り、ベビーチーズ2個、そしてチョコレート2枚。でもこのチョコ、日差しに照らされてドロドロの溶けて食べることが出来なかった、水は1リットル。日出から日没まで約12時間、まぁ~これくらいあれば大丈夫だろう。
 防寒対策は万全を期して、冬物を沢山持ってきたので安心。ベンチコートが有れば何とかなるはず。
 夕食を早々と済ませ、なるべく身体を休ませるようにと早めにベッドに潜り込むがなかなか寝付かれない。でも横になっているだけでも身体は休まるはず。
 ウトウトして時計を何度も見ながら、午前1時過ぎに皆さんに声を掛けて起こした。いよいよ出陣のときが来た。

湘南の主さんの津軽泳報告「3・津軽でも違いが」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳に湘南の主さんが報告書を作ってくれました。7回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

3・津軽でも違いが
 津軽海峡を泳いで渡るルートで一般的なのは、青森県の津軽半島側の小泊、もしくは竜飛岬辺りからスタートし、日本海から津軽海峡へ流れ込む海流に乗りながら北海道の白神埼、もしくは渡島福島辺りにゴールするルートだろう。初めて海峡横断泳に挑むスイマーやオープンウォータースイマーにはお奨めのルートだ。
 このルートでの津軽海峡横断泳を行っている某グループは、日本で唯一“世界オープンウォータースイミング協会(WOWSA)”に登録されており、「津軽海峡横断泳をサポートする協会だ」と聞く。しかしこの協会、「何でもありで泳がせる」とのこと。何でもあり? すなわちルール無し? 誰がどのように泳ごうと、ウエットスーツ着用も自由? 少なくとも“オーシャンズ・セブン”に登録されている津軽海峡、「ルール無し」はないだろう。
 更に何ヵ月も前から「いついつの日に泳ぐ」と日にちが決まっていると聞く。予備日は翌日とのこと。これもおかしなことだと思う。気象予報士でさえ何ヵ月も先のことなど分からないのに、どうして日にちを特定しまうのか? 不思議? もしその日の海が荒れて泳げなかったらどうなるの? 1日で海が治まると良いのだが・・・・・・、日本人社会の現状に合った海峡横断泳なのだろうか? 私に言わせれば「神風・横断泳戦法」だ。もっとドンと構えた横断泳であって欲しい。
 本来、『海峡横断泳は厳しく、辛く、体力、気力の極限までを要する泳ぎだ』と思う。「何でもあり」で泳ぎ、成功して「海峡横断泳をやりました!」なんて言って欲しくないのが私の偽らざる気持ちである。
 もっとドーバーのように格式と品格と威厳を持った海峡横断泳にして欲しいものだ。最低限のルールは必要だと思う。日本のオーシャンスイマーを育てる為にも、津軽海峡横断泳が世界のスイマーになめられない為にも。

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戸井浜町(函館市)のビーチで練習する。

 tora先生が責任者を務める「津軽海峡水泳倶楽部」は下北半島側で、マグロで有名な大間から南へ15km位の所にある下北半島の佐井村からのスタート。津軽海峡の流れに逆らいながら西へ進み、徐々に本流の流れに乗って函館の戸井を目指して泳ぐというtora先生こだわりのルート。
 青森の大間と北海道の汐首岬が津軽海峡で最も狭い部分。距離は約18km位ではあるが、そこで真っ直ぐ北海道を目指して泳げば200%太平洋へもって行かれて北海道にはたどり着けない。非常に厳しく辛く難しく、そして面白い、正に“オーシャンスイマー向け”のルートと言える。
 しかも海峡横断泳の老舗、ドーバー海峡横断泳に沿ったルールで泳ぐ。つまりリレーメンバーは4名で一人1時間ずつの交代。ノーマルな水着とノーマルなスイムキャップのみ。順番は絶対に変えないし、順番飛ばしも無い。
 同様に泳ぐ日は海の状態の良い日なので、小潮回りの1週間程度の日数を要する。
 今回のサポートをしてくれるボートキャプテンに聞いた。「津軽半島と下北半島のどちらのルートが難しいか?」。キャプテンは「下北半島スタートの方が難しい」ときっぱり答えた。
 益々燃えてきた!! これぞまさしくオーシャンスイマーが挑む海峡横断泳のルートだ!!

湘南の主さんの津軽泳報告「2・ドーバー(イギリス)と津軽(日本)の違い」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳に湘南の主さんが報告書を作ってくれました。7回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

2・ドーバー(イギリス)と津軽(日本)の違い
 海峡横断泳の醍醐味は何と言ってもソロスイムであろう。リレーもそれなりに楽しめるが、自分の持ち時間を頑張って泳げば次のスイムまで身体を休ませることが出来る。しかしソロの場合はスタートからゴールまで一人で泳ぎ通さなければならない。でも成功した時の喜びは生涯忘れることの出来ないくらい記憶に残る。
 海峡横断泳の元祖、ドーバー海峡横断泳に初めて“水着のみ”で泳いで成功したイギリス人のマシュ・ウエッブは20回以上挑戦したそうである。そして1875年8月24日~25日にかけて、何と21時間41分、しかも平泳ぎで完泳した。今から140年前の出来事。以来、ドーバー海峡は海峡横断泳を目指すスイマーの憧れの海峡となっている。
 ノーマルな水着とノーマルなスイムキャップのみ。油脂類を身体に塗ることは許される。本当にシンプルなルール。
 最大の敵は低水温。これに打ち勝つには低水温での練習しかない。
 2014年にドーバーへ行ったとき、過去の偉大なチャネルスイマーの写真展が開催されていた。年代が何時ごろかははっきりしないが、ドーバー海峡を制覇したスイマーへの熱狂的な歓迎ぶりが垣間見える。

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「偉大なことに、簡単なことは何もない」(マシュ・ウエッブ)

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チャネルスイマー(ドーバー完泳者)は英雄になれる。

 日本の海を泳ぐ場合、特に津軽海峡は海上保安部の指導で「日出から日没まで」とされている。つまり潮汐に関係ない。ドーバー海峡の場合は潮汐が非常に大きく影響するので、夜中のスタートもあり得る。事実私が昨年ドーバーを泳いだ時は夜中の3時過ぎのスタートであった。
 「津軽に比較して、ドーバーの方が遥かに多い大型船舶が航行しています。その分AIS(自動船舶識別装置)の普及も著しく、ドーバー泳をサポートするボートにはすべてAISが搭載されています。これに比較して日本の小型船にはほとんどAISは搭載されていない。この辺を海保が気にしているところですが、AISは最近のシステムで、AISが普及される遥か昔から海保はうるさかった。この辺が日本に遠泳を始めとする海洋レジャーの発達が抑えられたところ。最近は遠泳以外でもこの“規制緩和”の方向にありますからかなり緩和されましたが、まだまだですね。遠泳の認知度も含めて」とtora先生は話す。
 更に「海外の場合、休暇を続けて1ヶ月くらい取るのは普通で、むしろ法令で“休暇を取らなければならない”となっている場合もあります。日本では有給休暇でさえ“取りにくい”状況にあります。この辺の社会構造も変えないといけませんね」と続く。
 まぁ~確かにドーバー海峡を目指すスイマーで長い人は1ヶ月ぐらい滞在しているようだ。日本人と海外人の休暇に対する考えに相当相違があるのも事実なようだが・・・・
 津軽もドーバーも同じ「海峡」と名は付いているが、それを囲む環境はまったく別なもののようだ。

湘南の主さんの津軽泳報告「1・メンバーを集める」

 2015年9月21日(月)、津軽海峡横断リレー泳(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)を湘南の主さんが中心になってリレーチームを編成し、1-way relay swimを試みました。チーム名は「マ・ナ・セ・ス」。メンバーは次の4名です。
   第一泳 マキさん
   第二泳 ヤスさん
   第三泳 タケちゃんマン
   第四泳 湘南の主さん
 結果は13時間06分で成功しました。詳細は当ブログ「失敗できないぞ!」をご覧ください。
 この遠泳に湘南の主さんが報告書を作ってくれました。7回に渡る力作です。どうぞお楽しみください。

1・メンバーを集める
 2014年9月、“70歳の記念に”と挑んだドーバー海峡ソロ横断泳。残念ながら12時間で途中リタイヤ。
 5年間、このドーバー海峡ソロ横断泳に向けて練習を重ねて来たのだが、夢は叶わなかった。自らリタイヤを告げた時、自分の体力の限界まで泳ぎ尽くしたので悔いは無かった。この時、自分の体力の限界を感じ、『もう海峡横断泳は無理であり、これからは湘南の海を楽しんで泳いで過ごそう』と思っていた。
 しかし7月の初めにトラジオンのtora先生から電話があり、「今年の津軽でキャンセルが出ました。もし良かったら泳ぎませんか?」とお誘いがあった。そう言えばオーシャン・セブンに登録されている津軽海峡を泳いでいないな! そう、今までに日本国内での海峡横断泳はやっていなかったのである。でも、もう一人で泳ぐ力は無いので『リレーなら泳いでもいいかな?』という思いはあった。
 そこで「リレーなら泳いでも良いですが、今からメンバーを探すのは大変ではないかな」と言ったらtora先生の教え子のタケちゃんマン(2017年ドーバーソロスイムを予定)を泳がせるとのこと。“あと二人なら何とかしよう”とtora先生と手分けしてメンバー探しを始めた。

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70歳にドーバーを泳いだ

 海峡横断泳となると“誰でもいい”と言うわけにはいかない。それなりに泳力、経験のあるスイマーの方が成功率は高い。特に今回泳ぐルートはかなり厳しいスイムになるはず。
 まず、私をドーバー海峡リレー横断泳に誘ってくれた東京は江戸川区船堀で内科医院の先生をされているO(オー)先生に声を掛けた。当初の計画では「8月21日~25日の間で泳ぐ」となっていた。しかしお盆過ぎで皆さん休暇を取った後なので、休みを取るのが難しい。
 そこで9月のシルバーウイークの20日~24日の小潮回りでも可能となった。この方が探しやすい。
 色々と考えてtora先生が「山梨のヤスさんはどうか?」と聞いてきた。ヤスさんなら私としては願ったり叶ったりであるが、既に津軽を泳いでいるし、近々また津軽を泳ぐと聞いている。どうかなあ~?
 tora先生がヤスさんにアタック、そして条件付きながら“OK”のサインを頂いたとのこと。やったぁ~~。
 あと一名、海練習でいつも大変お世話になっている、青森のHさんに相談した。「どうしてもいなければ私が泳いでも良いですよ」と言ってくれた。そして埼玉のマキさんを紹介された。彼とはHさんの練習会で何度か一緒に泳がせてもらっているので、泳力は全く問題ない。
 彼に話をしたら興味を示してくれたが、来年ドーバー海峡のリレーメンバーになっているとのこと。そこを何とか拝み倒して承諾を貰った。やっとこれでリレーメンバー4名が揃った。7月の24日に最終決定。津軽を泳ぐ2ヶ月前である。そして、最終的に全員がそろったのは何と、9月19日の出発当日であった。メンバーの年齢構成もタケちゃんマン40代、ヤスさん50代、マキさん30代、私70代、更にtora先生は60代と、バラエティーにとんでいる。普通ならリレーを組む時は比較的、年齢の近い人同士が多いと思うのだが。

ドーバー泳、タケちゃんマンの報告

 2017年にドーバーソロスイムを目指すタケちゃんマンに、私は「“百聞は一見にしかず”で実際のドーバー泳を見た方が良い」と言っていた。ホントはリレーで実際に泳いだ方が更に良かったのだが、一人でリレーは出来ない。
 たまたまニューヨーク在住の日本人、Tさんがドーバーソロスイムを試みると言う。そこでタケちゃんマンと私を「その水泳の見物をさせて欲しい」と頼んだ。“OK”の返事をいただき、ドーバーへ伺ったのだが、、、、、

 今回、Tさんのドーバー泳を見学させていただいて一番強く感じたことは、『泳者の力量も必要ですが、パイロットやサポートの協力があって、初めて成功させることができる』ということです。

      1. 記録取り
 先生に教えてもらいながら、記録を取りました。私が担当したのは主に気温、風速、風向、ピッチ数(分)です。
 定期的(1時間毎)に取りました。計測時に数字を記憶して記録紙に転記するのですが、船の上から船内に移動するまでの間に数字を忘れてしまうことが何度かありました。後述しますが、立てる位置は揺れが大きく、日常よりも過酷な状況で、記憶以外の部分に頭をたくさん使っているのが一因かと。

      2. フィード(栄養補給)
   (1) ロープ
 Tさんが用意したロープが細いこと、巻取りにて必ずくせがつく仕組みだったことから、ロープがしょっちゅうねじれました。
 そういうこともあり、Tさんスタッフがフィードしてからめた部分を解いたり金具のひっかかりを解消したりなど、雑多なことではありますが手伝いました。
 尚、このねじれが原因で途中からフィードがうまくいかなくなりました。これは先生の気転で解消しました。ロープ準備の手伝いもすることができました。
 フィードは受ける側もそうですが、提供する側の熟練度が必要だと感じます。(経験値がものをいう部分)

   (2) フィード位置
 今回のボートは立てる位置が海面から高めでした。(2メートル以上あるように感じました)
 立つ位置が高いボートのときには、その場所は揺れ幅が大きくなります。海に放り出されないように注意が必要です。フィードは命がけだと存じます。

      3. 応援
 船の上に立って、泳者をなるべく見ているというものでした。位置の関係で飛ばされないようにするのがけっこう大変でした。大変ではありましたが、大きく崩れることなく泳ぐTさんを見ることができました。Tさんは泳ぐマシンでした。一番の収穫かも。

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ドーバーを力泳するTさん

ケンのドーバー泳報告

 2015年9月7日(月)、ドーバー海峡横断泳をニューヨーク在住の日本人、Tさんが1-way solo swim (E to F)を試み、10時間42分という好記録で成功させました。
 この水泳に同行したTさんのスイムクルー、ケン(Kenn Lichtenwalter)が報告書を書いてくれました。ちょっと長いです。
 それを要約しました。少し原文と違う表現もありますので、原文はこのページの下の方にコピーしました。英語に堪能な方はそちらをご覧ください。
 尚、遠泳の詳細は当ブログ「9月7日 遠泳報告」と「遠泳報告(後編)」をご覧ください。

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ドーバー海峡をイギリスからフランスに向かって力泳するTさん

 Tがドーバー海峡を泳ごうと決意するのは、今から6年前を思い起こす必要があります。その時以来、インターネットでオープンウォータースイミングを研究し、長距離スイマーの関係する本を買い、世界中からドーバー海峡横断泳を成功させるために必要なものをすべて吸収しました。
 ドーバー泳を成功させる理由は、Tの唯一の願いです。この願いを達成するために、彼自身がオープンウォータートレーニングを手配し、他の長距離イベントに参加し、冬の水泳トレーニングを行いました。そして耐寒能力を上げるために体重を20ポンド(約10kg)増やし、毎日プールで10,000ヤード(約10km)泳ぎました。また泳中の栄養補給としてどのようにしたら良いかを研究し、準備し、それですべてが完了します!
 彼は水温60°F(約16℃)の冷水に慣れるために、泳ぐ予定の期間よりほぼ一週間早くドーバーに到着しました。さらに彼は計画し、準備するために彼のパイロットを探しました。更に炭水化物中心の食事を採りました。そして彼のクルーとしてフィリスと私はできるだけ早い機会にドーバーへ行くことにしました。
 Tはドーバー泳をスケジュールするために、2年以上前から予約に取り掛かり、泳ぐ潮の期間(スロット)で最も有利な日付を選択するためにまだ利用可能であった“一番”を探しました。結局2015年9月5日から11日までの期間でスロット1を取ることが出来ましたが、彼が泳ぐ最初の可能な9月5日(土)は悪くて、ドーバーでは良いように見えている天気はフランス近くだけでなく、ドーバー海峡全般に全く異なる物語です。泳ぎを開始するためには、風速は適度な量の下であることが必要です。ところが土曜日と日曜日の両日は強風で泳げず、後は好天になることを毎晩祈るばかりでした。
 それは日曜日(9月6日)です。明日の月曜日(7日)はおそらく泳ぐのに都合の良い唯一の日になるだろうと想像が出来ました。Tは最終的に日曜の夜、月曜の早朝5時30分に泳ぎ始める確認を得ました。Tはすでに補給品のほとんどを持ってきて、他に必要な物品はドーバーで購入が完了していました。したがって明日の泳ぐための準備にはほとんど時間を必要としていませんでした。
 月曜日早朝3時30分、目覚まし時計のアラームが鳴り、Tの温かい補給品のためのお湯を沸かしました。4時30分に私たちがボートパイロットと約束したマリーナに到着すると、ドーバー泳のための公式なボートが今日は全部で12隻も出ることを知りました。
 スタートはちょうどドーバー港の隣にあるホワイトクリフの下、シェークスピアビーチです。空は晴れわたっていましたが日出前1時間でまだ暗く、気温は40°F(約5℃)、水温は62°F(約17℃)でした。そこをTは飛び込み、岸まで泳いで行きました。
 Tは公式で5時38分にスタートしました。ドーバー泳のための彼の目標は14時間で終了することでした。彼はスタート後、東に流されながら泳いで行き、その時に西からわずかな風が吹いていました。栄養補給の計画ではハマー持続エネルギー、カーボプロ、希釈されたリステリン、炭酸抜きコーラ、いろいろな種類のバーやメタサルト錠剤(塩化のサプリメント)を含め、詳細な補給スケジュールにこだわりました。Tは様々な時間で上記のいずれかの特定の投与量で30分毎に供給するよう私たちに指示しました。そして最後まで彼は暖かい持続エネルギーに依存していました。
 彼のストローク数はスタート後ゆっくりで60回/分でした。始まったころの波は大きいものではなく、T安定したペースを維持し、補給時間はほとんど30秒以内に終わらせています。約3時間後、私たちはドーバーを縦断する大型船の航路に達しました。するとパイロットは、「Tはおそらく12時間で完泳出来る偉大なペースで泳いでいる」と言いました。しかし状況は刻々と変化します。簡単に予測は出来ません。さらに進んで行くと、うねりと波は大きくなりました。パイロットによると「天候が悪い方へ回り始めるのは、北海に押し上げる潮が大西洋に戻る時、ボトルネック(細い部分のこと)のドーバー海峡では複合される結果だ」だそうです。
 Tは結果として、成功のためにこれらの増加した風波と戦わなければなりませんでした。第二に荒れた風波はボートにも影響し、私たちはTの泳ぎを監視しながらも揺れるボートのデッキ上で栄養補給品を提供し、次の補給品の準備をする難題に直面していました。それでもデッキ上での私の感覚は、『この悪条件の中で私たちはすべての離れ業が可能になった』と思いました。この時のTのストローク数は着実に58~64回/分を維持していました。
 Tは泳いでいる間、「どのくらい泳いだのか、どのくらい泳がなければならないのか、そういったことは知りたくない」と言っていました。そして彼自身、腕時計さえしませんでした。
 Tが泳ぎ始めて驚くほど早く左肩の痛みを訴え始めました。Tはそれを軽減させるためにストロークを調整しました。でもTのストローク数が決して変わるわけではありません。私たちは後でTは一度も振り返っていないことを知りました。スタート地点のホワイトクリフがちっとも遠くなっていなかったら、大きく落胆するでしょう。しかしホワイトクリフは数マイル後ろに見えます。
 泳ぎ始めてから6時間、Tはドーバー海峡を縦断する大型船航路のフランス側に入りました。つまりハーフポイントを越したわけです。ここではフランスもイギリスも眺めることが出来ますが、Tは振り向きもせず、前を見ることすらせず、黙々と泳いでいます。それは見ることによって距離感をイメージし、実際はそのイメージ通りに泳げなくて落胆することを知っているからです。さらに潮はいっそうタフに流れるかもしれません。Tは彼の右にあるエスコートボートだけを見て泳ぎ続けました。
 課題は、イギリスに最短地点であるフランスのグリネ岬へどのようにTを導いて行くかです。パイロットはTの最適な到着点を、彼のペース、潮流と今後の潮の変化を予測しています。フランスへ最短で到着できる最適な方法を考え出しています。Tがグリネ岬へ到着できなかった場合、彼は一度フランスから離れて回り込む必要が生まれてきます。それは彼が安全に到着するためですが、少し時間の掛かることでしょう。あるいは潮が急変すれば到着できなくなるかもしれません。ボートのGPSには過去のデータが蓄積されており、そこからTの泳速が維持されているならば到達できるでしょうが、そこは岩礁で、安全面に問題がありました。
 私たちは公式なルール(スイマーは身体のすべてが水から離れて到着とする)でフランスに到着するため、岩場の危険回避のために素早く上陸できる地点で最も近い点を探しました。それはグリネ岬の先端ではなく、ちょっと南でした。そこを見付け、ボートは到着点の沖合まで行きますが、喫水の関係でボートがそれ以上近付けない地点まで来ると、私は彼の安全を確保するために最後の15分間を一緒に泳ぎ、上陸しました。またTが大きな石に登って確実に到着したことを確認する役にもなりました。結果、Tは公式に“到着”が見なされ、“成功”で終わったのですが、Tはさらに周囲の何かを探しています。公式なオブザーバーとパイロットは「すべてOK!」と宣言しました。でも唯一の落とし穴は、お土産用の小石が巨大な岩と岩の間に落ちており、拾うことが出来なかったことです。普通ならばドーバーはビーチに到着するので砂を持ち帰れますが、Tの到着は岬の先端だったので記念品を持ち帰ることが出来ません。しかし彼は最も短い可能な距離を泳がなかったけれども、イギリスの陸から泳ぎ始めて、フランスの陸に立ったのです。私の友人はドーバー海峡を泳いで渡ることに成功しました!
 Tの泳ぎはすでにいつもの泳ぎにはなっていません。到着した岩場の下の海面からボートまでは泳いで帰らなければなりません。その時、ようやく私には追い付きましたが。私はボートに戻るとTにハイタッチをし、抱きしめて「11時間を切ったぞ!!!」と叫びました。するとTは驚いていました。Tは努力して最終的に自分自身の目標を達成し、非常に多くの時間を思い出し、感情が込み上げてきて涙を流しました。彼の記録は良好な風が彼を押しましたが、彼の栄養補給と規則正しいストローク、それらの訓練が成功を呼んだのだと思います。それを6年以上も続けたイカス奴!
 Tの記録、“10時間42分”は今年の遅い秋まで協会から公認されませんが、彼は119人目と日本人初のトリプルクラウン(マンハッタン島マラソンスイム、カタリーナとイギリス海峡)を完了した男性になりました。(<<補足>>参照)
 意志の証、イギリス海峡を泳いで壮大なオープンウォーターの偉業の一つを達成する熱意。物凄い偉業だよT!

ケン

<<補足>>日本人初のトリプルクラウンについて
 後ほどTさんから「日本人初のトリプルクラウンは、サクラちゃん(サクラ・アダムス:日系二世。ドーバー泳公認団体“CS&PF”の代表者、ニック・アダムスの奥さん)だよ。ボクじゃない」と連絡がありました。

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完泳したTさん(右)を労う私(左)

To recap Yuta's English Channel you need to go back 6+ years ago when the idea of doing such a thing first entered his mind. Since that point he's bought books, researched open water swimming online, followed some of the best long distance swimmers from around the world, all to absorb what it would take to complete the English Channel.

The reason this needs to be brought up is the single focused desire Yuta has had to complete this endeavor. It's led to participating in other long distance events, arrange his own open water training, do winter swimming, gain 20+ pounds, swim 10,000+ pool yards time and time again, prepare what to feed and how to feed to the nth degree.  All to finish!

He arrived in Dover almost a week early to begin acclimating to the time change and the colder water temps in the low 60s. He sought out his pilot to further plan and prepare.  He ate most all of his meals with carbs in mind. Phyllis and I as his crew joined him shortly before his earliest possible opportunity.

For scheduling an EC crossing it pretty much takes signing up 2+ years in advance. In doing so this allowed for him to be number one in his tide and to select the most advantageous date that was still available. Nevertheless all swimmers are at the mercy of Mother Nature no matter what day, month or order of the tide one may be in. His first possible date to swim was Saturday September 5th. In spite by all appearances the weather looking fine in Dover it can be a totally different story in the Channel as well as close to France. To even consider beginning the swim, winds need to be under a moderate amount of knots. This turned out to be the case for his first two possible days as there were high winds for both Saturday and Sunday which we only ever know whether it is a go or no go the night before.

It was Sunday and there were murmurs that Monday could be doable and very possibly the only day the entire upcoming week. Yuta finally got the confirmation Sunday eveningfor a 5:30 AM start on Monday.  Yuta had already brought most of supplies and purchased whatever else he needed in Dover.   Consequently he was ready on short notice for any available time slot.

Monday the alarms went off early at 3:30 to heat the water for his warm feeds and be ready in time to meet the boat at 4:30. When we arrived we learned that likely all 12 of the official boats were going out given this small ideal window. The start is just a short boat ride to Shakespeare Beach under the White Cliffs of Dover.  Air temp was in the high 40s, skies were clear but still under an hour before sunrise. Yuta jumped in to swim to shore where the water temp was 62.

He officially got underway at 5:38. His goal for crossing was to finish in 14 hours. There were slight winds when he started and coming from the west which given he was swimming to the east would be in his favor. The plan was sticking to a detailed feed schedule that included Hammer Sustained Energy, Carbo Pro, diluted Listerine, flat Coke, Kind bars and Metasalt tablets. Yuta was to be fed every 30 minutes with specific dosages of any of the items above at various times. As it played out he pretty much relied on only the warm Sustained Energy.

His stroke count started in the low 60's. The conditions of the water was minimal chop at first. Yuta kept to a steady pace and really minimized the time on his feeds to mostly under 30 seconds.  By the time we arrived in the English shipping lane at approximately 3 hours into the swim, the pilot indicated Yuta was on a great pace of likely finishing in 12 hours. Even still the conditions can change quickly and are often unpredictable. As we got further along the swells and chop increased.  We were told this was as a result of the conditions in the North Sea where the weather had begun to turn for the worse and pushing the waves down to the Channel which is further compounded as being a bottleneck until reaching the Atlantic.

Yuta as a result had to contend with this increased wave activity for practically all of the swim. Secondarily the turbulence also made for big challenges in stationing on the deck of the boat while keeping an eye on Yuta, providing his feeds and preparing additional provisions. My sense for those on the deck we all came away with bruises.  Thru all of this Yuta steadily maintained a stroke count from 58-64.

Yuta had said that he didn't want to know how far he had gone or had left, he even for the first time I ever recall didn't wear a watch to track his own time.

Alarmingly early in the swim he mentioned some left shoulder pain, but he adjusted his stroke to alleviate it. Even with this his stroke count never wavered. We later learned he did not once look back. The White Cliffs are visible for several miles into the swim which can be discouraging leading to an impression of not making progress.

At 6 hours into the swim Yuta entered French waters encountering France's shipping lane going in the opposite direction, south to north. The same impact of not looking back can be the same looking forward. Land can be seen but gives false hope of how close you are. Additionally the tide could change for a third time making getting to the finish even tougher. Nevertheless Yuta kept his head down not looking back or forward only to the boat on his right guiding him across. The challenge is figuring how to optimize Yuta finishing at Cap Gris Nez, the shortest possible point to France, with the current pushing him strong to the south. If he misses the Cap then he'll need to tack back in order to touch land. The pilot is trying to project his pace, the currents and upcoming tide change to get to the optimal landing point. If he is too far out when the tide changes he may end up adding more hours to the swim or not be able to finish at all which we learned later occurred to a swimmer encountering the latter.  Yuta at the pace he was maintaining was likely to beat the tide change and it would be just a matter of reaching a pile of reasonably safe rocks that he could finish onto.

We had reached a point where he was so close it was just a matter of time and deciphering where he could clear out of water to officially be standing on French soil. Since the boat was not able to take him right to the shore I ended up joining for the last 15 minutes to ensure his safety.  It also allowed me up close to see him get onto shore by swimming onto and climbing further up a boulder. He handled it quite smoothly though after standing there was a little unsure that was deemed an official landing and whether he needed to get further inland.  The official observer and pilot all declared it was! The only pitfall was he had no French pebbles to collect as souvenirs only massive rocks were in the vicinity. The reality is there are very few "beaches" to truly land on in this area. His landing was not quite the tip but just south of it.  Though he did not swim the shortest possible distance he started on England soil and stood on France's and that my friends is swimming and finishing the English Channel!

Yuta's swim was not quite done he still needed to swim back to the boat first though he caught up with me standing on my own rock underwater.  I gave him a high five, embraced him and yelled "great job you finished in under bleep bleep 11 hours!!!". He was surprised. When he did get back on the boat Yuta was overcome with emotion for having finally accomplished a goal he had been striving for and focused on so many years. While his fast time could be attributed to the favorable winds pushing him east it was also as much as how disciplined he was with his feeds and never wavering from his high stroke rate. Simply a man on a 6+ year mission!

With his unofficial time of 10:42 which won't get ratified by the association until later this fall he became the 119th person and the first Japanese male to complete the Triple Crown (Manhattan Island Marathon Swim, Catalina and the English Channel).

A testament to the will, dedication of accomplishing one of the grandest open water feats swimming the English Channel. Awesome job Yuta!

Kenn

Swimtrek
航跡図

10月12日 海練習

 10月12日、久しぶりに湘南へ海練習に行った。タケちゃんマンが「2017年にドーバーをソロで泳ぎたい」と言い、それならと函館の漁師、Aさん宅に預かってもらっていたカヤックを持って帰ってきた。
 同時に津軽で泳いでもらったマキさんが2016年、リレーでドーバーを泳ぐと言う。それならば合わせて練習しようと企画したのだ。その結果報告を記載しておく。

  • 日付:2015年10月12日(月:体育の日)
  • 場所:神奈川県湘南(サザンビーチ⇔片瀬西浜新江ノ島水族館前)
  • 参加:1.タケちゃんマンM(2017年ドーバー1-way solo swim予定)
       2.マキさんM(2016年ドーバー2-way relay swim予定)
       3.アキさんF(2016年ドーバー2-way relay swim予定)
  • サポート:tora
  • 方法:サザンビーチ⇔片瀬西浜新江ノ島水族館前間7.5km×2-way group swim
  • 結果:復路、サザンビーチ手前約2kmの地点で中止

<動機及び目的>
 近い将来、ドーバーを泳ぐ予定のスイマーばかりなので10km以上の距離泳を経験する。

<方法>
 神奈川県茅ケ崎市サザンビーチから同県藤沢市片瀬江ノ島海岸新江ノ島水族館前までの7.5kmを、3名のスイマーに2-way(約15km)を経験してもらう。
 悪天候、スイマーの体調悪化の場合は直ちに遠泳を中止し、陸上に上がる。
 このために衣類、履物をカヤックに乗せる。
 遠泳中、1時間毎に栄養補給をする。補給品は各自持参。
 カヤックは最も遅いスイマーにスピードを合わせ、ほぼ30m以内の場所で泳いでもらう。

<結果>
 事前情報は地元湘南の主さんより入っていた。前日(11日:日曜)は南風が強く、波は高くて泳げる状態ではないと。
 12日朝6時。「ウネリはあるが、状況は良くなった」と湘南の主さんより連絡有り。
 13日朝9時にサザンビーチ駐車場に集合。準備を完了させ、いざ出陣。
 確かにウネリがあり、サーファーが波の崩れる場所を陣取っている。その沖に出るには、同時にカヤックが沖合に出やすい場所は、サーファーがあまり居ない波の崩れない場所である。
 そこから入ろうとすると漁協のおっさんらしき人に「そこから入るな」と注意される。「何処から入れば良い?」と聞くと、「隣の海水浴場なら良い」と言う。距離にして100mもないが、サーファーは場所に限らず海に居る。それはどうやって注意するのか不思議。
 取り敢えず“海水浴場”と言われた場所へ移動する。だが波は高く、沖合にはサーファーがたむろしている。ここを沖まで出なきゃならないのか。。。。。
 シットオンタイプのカヤックは材質がポリエステル。クルマの車内にも乗るほどの小さなもの。沈はしやすい代物である。
 カヤックに乗り、沖合に出ようと漕ぎ出すが、波が来ると元に戻されてしまう。そのうちに大きな波が来ると見事に沈。衣類などはデカ防水バッグに入れてカヤックに括り付けてあるから落ちないが、皆さんの採る補給品や緊急用のライフジャケットなどはすべて落ちた。カヤックで採ろうと思っていた私の補給品が全て無くなった。スイマーには「補給品には容器に空気を入れて沈まないようにしてほしい」と言っていたのに、自分だけはやっていない。まあスイマー皆さんの補給品が無くならずに良かったが。。。。。。
 カヤックをスイマーの皆さんの波の崩れる沖まで運搬してもらい、スイマーの皆さんにカヤックを押さえてもらって乗船する私。。。。ちょっとカッコ悪い。
 「さあ行こう」と言ってスタートしたのが午前9時45分。スピード(GPS)は時速3km以上を保っている。潮が逆かな?
 湘南の海は普通、江ノ島から茅ケ崎方向へゆっくり流れている。つまり“行きはよいよい、帰りは怖い”の逆で泳ごうと思っていた。ところがどうも“行きはよいよい、帰りは怖い”の状態のようだ。
 1時間目の補給時(スタート後4kmの地点)。マキさん、アキさん、タケちゃんマンの順で一列に泳いでいる。マキさんの提案でタケちゃんマンがトップになって泳ぎ始める。
 2時間目の補給時(ゴールまで1kmの地点)。マキさん、アキさんが遅れ始める。どうもアキさんに脱水症状が出始めたようだ。水分補給を多めに採ってもらう。
 新江ノ島水族館前沖合に来るまでに、頭の直径が30cmもある大型のクラゲに遭遇する。クラゲはスイマーを追い掛けるが、スピードはスイマーの方が速いので、何とかやられることは無かったと思う。
 また南風が緩やかに吹いている程度で風に問題はないが、ウネリはけっこうあった。おそらく昨日の残ったウネリだろう。
 サザンビーチから新江ノ島水族館前までに潮境を少なくとも5回ほど通過した。けっこう潮が複雑なので驚く。現在の場所は緩やかな南風だが、沖の船を見る限り西風だとわかる。おそらくその西風は間もなくやって来ると思った。
 本日、泳いでいるはずの湘南の主さん(オレンジ色のヴイが目印)を探すと同時に上陸地点を探す。何故ならばサーファーが所狭しと浮いているからだ。
 なるべくサーファーの密度が少ない場所を狙って上陸。もちろん波で沈する私。カヤックから落ちたものはスイマーが拾ってくれた。
 12時25分到着。上陸後、カヤックに括り付けたデカ防水バッグにはマキさんがいろいろと食材を入れてくれたようで、アンパンとカステラを貰う。補給品が無くなった私としては嬉しい補給。
 午後になると風向きが変わることは予想が出来た。GPSにスタートしたサザンビーチをセットする。早く帰らねば。
 すでにカヤックで沖に出ると沈するので、あらかじめスイマーたちとカヤックを沖合に出す。沖で乗船すると、「行くよ」と私が言ったのは12時45分。
 帰りは富士山を目掛けて泳ぐ。物標としては大きくてわかりやすい。しかし午後1時を過ぎると南風が強くなってきた。
 午後1時45分(サザンビーチまで4.5kmの地点)。時速は3km以下に落ちて進みが悪い。風も強くなって補給ではスイマーにカヤックを持ってもらわないとすぐに流される。
 午後2時を過ぎると強い南風は少し東も入り、おそらく風速6~7m/secくらいだと思われる。漕いでいるカヤックが辛い。身体を寝かせてなるべく風の影響がないような体制で漕ぐが、疲れるので元の姿勢に戻す。でも戻すと風を受けるので再び寝た姿勢へ。それを何度も繰り返す。同時にアキさんが「疲れた」と言い始める。
 強い南南東の風は午後2時30分頃に少し穏やかになった。とは言え、何もしなければすぐさまカヤックは風に流される。
 午後2時45分(茅ケ崎Tバーの手前1kmの地点)。栄養補給時にスイマーの表情を確認。マキさん、タケちゃんマンは問題ないようだがアキさんに覇気が無くなった。風波も強くなったので、ここで私は“中止”を決断した。カヤックがこの逆風の中、継続する自信も無くなってきつつあったからだ。
 陸に向かっては追い風、追い波なので速かった。もちろん私は上陸前に沈。
 それでも上陸し、4名全員でカヤックを運搬し、サザンビーチへ。途中、茅ケ崎の無料シャワーでカヤックや私を洗いながら。。。。。

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マキさんのデータより

<反省点>
 まあ無事に帰ってきたわけだが反省点も多い。
 オープンウォータースイマーは10km(3時間)まで強いが、それを越すと“ガク”と落ちる。それを知っているのだから15km泳は行き過ぎだったかも知れない。12kmくらいから始めなければならないかも。。。。
 風が強くなるとカヤックは弱い。湘南のようなオープンのビーチではなく、三浦半島の三戸浜のような閉ざされた湾内の方がカヤックはやりやすい。
 まあ次回(11月3日)はもう少し考えよう。

10月4日 姪っ子の結婚式

 姉の次女が10月4日、結婚式を迎える。神前式の結婚式で、境内では雅楽の越天楽が演奏されている。それを聴いていると、笙がスコットランドのバグパイプに聞こえてくるのだが、いかがなものだろう。

雅楽:越天楽 Gagaku:Etenraku

スコットランド バグパイプ [勇敢なるスコットランド行進曲]

 越天楽は今でこそ舞が無いが、おそらくこの曲が出来た頃はあったと思われる。一方バグパイプは行進曲だからリズミカルだが、楽器として似ているし、音としても似ているように思う。でもそれって私だけ???

 いずれにせよ結婚式が終わって披露宴へ。そこで私は乾杯の挨拶をしなければならない。依頼した姪っ子からは「5分以内に」と言われたが、「3分も掛からない」と答えておいた。更に当日、司会者からの打ち合わせで「どのくらい?」と訊かれたので、「1分で終わります」と答えた。
 本番は緊張したのであまり覚えてないが、1分も掛かっていないだろうと自負する。
 それが終わり、宴もたけなわになるとアルコール類を持った客人が私の所に来て注ぐ。それはビール、日本酒、ワイン、シャンパンなどなど。。。。
 どうも遠泳をやっているのが面白いのか、珍しいのか、ドーバーや津軽のことの質問を多々受ける。どうも皆さん関心はあるようだが、「泳ぎたい」と言う人が現れない。やはり遠泳って一般的ではないのかな?
 飲むほどに酔い、酔うほどに飲む。すると私の悪い癖だ。無性に眠くなる。そして記憶もなくなるのだ。
 津軽泳で函館に行っていた時、成功の祝賀会で函館のお寿司屋さんに行った。そこまでは覚えているが、その後に行ったカラオケはまったく記憶が無い。
 そのことを思い出し、姪っ子に恥をかかせないためにも自分のお尻を他人にはわからないように抓って眠気を取っていた。
 いずれにせよめでたい。いつまでもお幸せに!

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10月1日 トラジオン誕生日

 津軽泳が終わって東京に戻り(9月26日:土)、即座に仕事に戻ったものの、どうも帰りのフェリーで風邪でもひいたのか、体調が思わしくない。プールに入りたくないのだ。それでも週末はトラジオンの多忙日。何とかしなければ。。。。。
 何とか週末を乗り越え、ようやく定休日(火曜)を迎えたものの、バンド練習が残っていた。実は私、親父バンドをやっていて、11月1日に老人ホームの秋祭りにイベントとしてライヴを行う。その練習をしなければならないのだ。
 9月はドーバー、津軽と遠泳のイベントが組まれており、私の都合で練習が出来ないでいた。そこをまた“体調が悪いから”という理由で休むわけにもいかない。まあ久しぶりのバンド練習で気分転換になるかもしれない。とにもかくにも行くだけ行って、下手なのは元々だから仲間には諦めてもらおう。
 そんな日々が続き、10月1日になった。いや、私自身は日々の延長で9月31日のような気がしていた。いつもの木曜日。いつもの仕事を淡々とこなしていた。いつものように。。。。。
 いつものようにプールへ行くと、受付にある日付が“10月1日”になっている。「あっ、今日から10月ですね」などと挨拶代わりに話すと、「そう、今日は“都民の日”ですよ」と受付嬢が答えてきた。「“都民の日”って、昔はカッパのバッジが売られて、それを着けていると都の施設はタダになったり安くなったりしていたんですよ。知っていましたか?」などと昔話をした。
 ン? 都民の日? なんだ今日はトラジオンの誕生日じゃないか!? と、ようやく気付く私だった。指折り数えると当年とって42歳だ。おお、厄年だ。通りでここのところあまり良いことが無いわけだ。
 まあドーバーや津軽が上手くいったので“よし”と考えなければならないのだろうが、怪我をしたり、そのための通院が長引いたりで仕事も順調とは言えない。それに見通しも2020年に東京オリンピック・パラリンピックを迎え、仕事場としている都の施設も造り替えるという。その工事の間、プールは使えないし、他のプールも重度の障害児が多くなったトラジオンとしては使いづらい。そろそろ年貢の納め時かな? 考えれば考えるほど明るい話題は無く、先行き暗いことばかり。
 だがこのままじゃいかん。もっと前向きに、積極的な考えにしなけりゃ!!
 そう思い、その日の晩酌はお祝いとしてビールを1本多く飲んだ。

東京に向かって

 9月25日、朝食は在庫処分がほとんど完了しているため、ご飯が残っているだけ。まあそれしか残っていないということは、ある意味無駄が無かったということだ。
 湘南の主さんが納豆をくれたので、それをご飯にかけて食べる。残ったご飯は塩むすびにして私のお昼のお弁当。
 ムーイに別れを告げて函館駅へ。湘南の主さんを降ろすとガソリンスタンドとトヨタのディーラーへ。何故ならば私はクルマのオイル交換をほぼ2,000km毎に行っている。普通は5,000km毎だがクルマを長持ちさせるのはこまめなオイル交換が重要。オイルエレメントも交換したかった。
 ガソリン満タンにして函館のフェリー埠頭へ。それでもフェリー埠頭には午前11時には着いてしまって、函館発11時35の便に間に合ってしまう。だが私の予約は次の14時35分発の便。キャンペーン割引の便なのだ。貧乏な私は待つことにした。タップリある時間でゆっくり昼食を食べる。
 するとSさんから電話が入った。Sさんは以前、外国人スイマーが津軽を泳ぎに来日した時、通訳のボランティアをしてもらった。現在はSさん、函館近郊に越してしまったのでなかなかお手伝いをしてもらえないが、私たちが水無海浜温泉に行っている間、わざわざムーイまで函館銘菓を持参して合いに来てくれた。もちろん我々は水無海浜温泉に出掛けていたのでお会いすることは出来なかったが、銘菓は皆さんで美味しくいただいた。
 お礼を言い、函館のことや津軽泳のことをいろいろ話した。もちろんSさんはスイマーではないから水泳の話しではない。函館の普通の人が、津軽泳をどのように捉えているか、函館の人々の気質などを忌憚なく話し、いろいろなことを聴かせていただいた。ちなみに津軽を泳いでいる時に、函館のFMラジオ局に投稿してくれたのはSさんだ。
 話は止めどなく出て時間はすぐに過ぎてしまう。フェリー埠頭の乗船放送が流れて、慌ててSさんに別れを告げ、私はフェリーの旅客になった。

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さよなら函館山

 相変わらず“キレイ”とは言えない日本のフェリー。雑魚寝部屋に入ると横になって眠ろうとした。青森から東京までは寝ないで運転するつもりだからだ。
 青森のフェリー埠頭には18時25分着。その頃からか、喉が痛い。どうも無理にフェリーで横になっていたのがいけなかったようだ。風邪かな?
 青森から東京に向かう各県のサービスエリアでトイレ休憩。そしてのど飴と珉珉打破を購入し、南下して行く。
 南下して行くにしたがって天気は雨へ。皆さんが函館に滞在している間に雨は一滴も降らなかったのに、やはりオレは“災いを呼ぶ男”かな?
 行きはクルマの燃費が悪かった。おそらく雨天で、フロントウィンドウの曇りを取るためにエアコンを使用していたからだ。そこで帰りは雨でもエアコンを使わずに帰る。お陰様で、無給油で我が家まで帰ることが出来た。やはりエアコンは燃費を悪くする。
 我が家に到着したのは9月26日午前5時30分。約11時間の運転。津軽を泳いだ13時間06分よりは早い。
 2時間ほど仮眠をとると仕事に出掛けた。『喉が痛いのでプールに入りたくないなぁ~。でも今日(土曜)は3本もプールに入らなければならない。

戸井支所に表敬訪問

 お忙氏のサラリーマン諸氏が、このシルバーウィーク中に帰れなかったのに、もう一つのメリットがある。それは函館市戸井支所に全員で表敬訪問へ伺えることだ。もし予定通りに帰ってしまった場合、残った湘南の主さんと私だけで伺う予定だった。全員で伺うことが出来れば、支所長も喜ばれるに違いない。
 ムーイの支配人、Nさんとも親しくしていただいて、思い出深いものになっただろう。

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ムーイの支配人、Nさん(中央)と

 9月24日、お昼近くの電車でお忙氏たちは函館を出る。午前9時に支所でお会いする約束で伺った。
 戸井支所ではマスコミ関係などでご協力をいただいている。やはり地元じゃなければわからないことは山ほどある。そこをバックアップしていただいている。実を言うと他にも今回の遠泳中に私たちのことを函館のFMラジオ局から放送してもらった。もちろん我々には聞くことが出来ないのだが。。。。。

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函館市戸井支所庁舎前にて支所長(前列中央)らと(全員揃って良かった)

 記念品をいただいてお忙氏たちを湘南の主さんとJR函館駅に送る。そして駅前で記念写真を撮る。これで解散。どうも私はこういうのが苦手。でもいつかは解散しなければならない。。。。。

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思い出をたくさん持って帰ります。

 ムーイに帰って湘南の主さんが「函館最後の海泳ぎがしたい」と言う。荷物番としてお付き合いすることにした。そのビーチで待っている時、遠くから獣の姿が。。。。馬か??? いや、鹿だった。それも親子で。(頭が馬鹿は私・・・)

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雌鹿の親子と思われる。

 そうとは知らぬ湘南の主さん。いぶし銀になって上がってきた。

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いぶし銀の湘南の主さん

 身体の潮を抜くためにAさん宅の水道のホースで洗い流す。するとAさんはウニのダイビング漁師なのでヘルメットダイビングのウェットスーツが干してある。その一つをお借りして湘南の主さんが着てみた。

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まるで熊のよう。。。。

 これも思い出になっただろう。

 ムーイに帰るとAさん宅へカヤックを取りに行った。去年からカヤックは預かってもらったまま。タケちゃんマンが2017年にドーバーソロスイムを試みる予定だ。これから使うことも多くなるだろう。
 当初カヤックはキャリアに乗せて帰るつもりだった。そのためにキャリアも東京から持って来ていた。ただ、津軽海峡はフェリーで渡るので問題はないが、青森から東京までの東北道は不安だった。風でカヤックが飛ばされるかもしれない。そうしたら、カヤックが壊れただけの問題では済まなくなる。。。。。
 可能な限りVOXYのスペースを広げ、Aさんとカヤックを車内に入れてみた。入った。。。。。良かった。“屋根にカヤックが乗っている”というストレスが無くなる。
 しかし車内はカヤックが大幅に場所を陣取り、他の荷物を載せるには工夫が必要だった。しかも眞壁さんを乗車させるスペースも必要だった。何故ならば明日、湘南の主さんを午前中に函館駅まで送る。
 再びムーイに戻ると荷物をクルマに積む。何とか眞壁さんが乗るスペースを確保して乗せることが出来た。そんな姿を見たNさんが、夕食をバーベキューにしてくれた。“最後の晩餐”だ。
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最後の晩餐

 部屋に戻る。当たり前だが部屋の荷物はほとんどがクルマに運ばれていて殺風景。早く寝よっと。

帰りたい、帰れない。けどちょっと嬉しい

 今回、泳ぐ期間は9月20日から24日まで(小潮)。この間の天気の良い日に泳いだのだ(9月21日)。ちなみに今年5月のゴールデンウィークに対抗した“シルバーウィーク”と呼ぶのだそうで、9月19日から23日まで5日間の連休があった。このシルバーウィークと泳ぐ期間がほぼバッティングしているのでヤスさん、マキさん、タケちゃんマンが参加する気になった。ただし“遠泳が完了したらすぐに帰る”という条件で。。。。。
 泳ぐ期間をカバーする日程、9月19日から25日までを私は組んだのだが、特にヤスさんは「泳ぐ日が23日以降になった場合、泳げずとも帰宅する」と厳しい条件が加えられていた。湘南の主さんや私はしっかり泳ぐ期間を確保したが、他の皆さんは“お忙氏”の現役サラリーマンだ。
 21日に泳ぎ終わって、即座に帰宅の段取りを組もうとするが、さすが“シルバーウィーク”。国民の大移動の時期なので、22日も23日も新幹線、飛行機も含めて予約がいっぱい。つまり帰りたくとも帰れないのだ。
 お忙氏たちは慌てて会社の上司に連絡を取り、24日に休暇を貰って帰る日に当てた。まあその伸びた分だけ楽しみも増えたと思うのだが。。。。。いずれにせよ本日(9月23日)は帰るためのパッキング、食材の在庫処分、生物のお土産買いとなった。ちょっと私には寂しい光景だ。。。。。
 湘南の主さんはこだわりの食材を最後までこだわり続けた。ヤスさんはマキさんと一緒に食材の購入、料理まで活躍してくれた。タケちゃんマン、私は後片付けに専念する。誰が決めたわけではないが、知らず知らずと役割分担が決まっていて、チームワークが取れるようになった。
 津軽海峡を泳いで渡るという行為に、急きょ決まったことでもあるが、神奈川、山梨、埼玉、東京というバラバラの地点から集まった。“水泳大好き”、“遠泳大好き”という共通の好みはあっても、初めての共同生活。実際の遠泳が更にチームワークの絆を強くしたと思う。それが解散する。。。。。

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マキさん(左)とマキさんを名前だけで女性と間違えたムーイの支配人Nさん(右)

 遠泳はリレーであればチームワークは重要だが、それはスイマーだけではない。船が風波や潮の状況でスイマーを急がせたり、船がスイマーの後を追ったりする。もちろんスイマーはそれが可能なレベルを持たなければならないし、急がせる船に追い付こうとする泳力を持っていなければならない。しかもこれらは舵を握る船頭さんとスイマーとの以心伝心なのだ。一つも「ああしろ」、「こうしろ」と言った会話は無い。会話は無くとも気持ちは繋がる。そこには“成功させよう”という一つの気持ちにみんなが向かっているからだ。
 この成功させようという気持ちにムーイの支配人、Nさんが加わる。成功させるために、陰になり日向になり応援してくれた。ありがたいことだ。
 この日、函館の朝市で昼食を採る。夜は在庫処分の食事。いつものようで、少しでも皆さんと長くいられることが、私には嬉しかった。

函館観光と祝勝会

 昨晩(9月21日)はムーイに帰った後、風呂に入ってムーイのバーベキューハウスで乾杯し、完泳を祝った。今日(22日)の朝はゆっくりして函館の市内観光へ行くことになった。まあ帰りの切符を買ったり、お土産を買ったり、今日の夕飯以降の食材を買ったりと、主に観光と買い物だ。
 ムーイを出ようとすると、支配人のNさんから「祝勝会をしませんか」とお誘いがあった。「船のスタッフ、Aさん、Zさん、Kさんも入れて全員でやりましょう」とのこと。さっそく快諾してAさんに連絡を入れる。
 観光、、、、というよりも、昨晩上陸した“瀬田来町”を誰もが行きたかった。何故なら到着した時は暗くてよく見えなかったからだ。

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「ここに着いたんだよな」、「そうそう」

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チーム全員でパチリ!

 次は函館山。普通は函館山から市内に向けて(北向き)見るのだが、私たちはしっかり海側(南向き)も見る。昨日泳いだ海が、滔々たる遠泳の思いを想い起すことだろう。

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函館山から見た市内

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函館山で全員集合

 次は朝市。お土産を送るのに品定めをする。明日も来るのだ。続いて金森赤レンガ倉庫。お土産屋さんやレストランがズラリと並んでいる。皆さんのお買い物をしている間、混んでいる駐車場を避けて私はクルマで外に待機する。
 ちなみに函館市戸井支所のご協力により、新聞(北海道新聞&函館新聞)に今回の遠泳を取材していただいた。その新聞(遠泳リレーで津軽海峡横断、水泳倶楽部)を入手するのも今回の目的。
 五稜郭は行ったが五稜郭タワーは上らなかった。まあ上から五角形の五稜郭や函館市内を眺めるのも素晴らしいのだが、あまり時間が無い。

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五稜郭

 その後、八幡坂へ向かう途中、函館では異国情緒溢れる教会見物。(湘南の主さん、タケちゃんマン)

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教会

 そして“函館”といえばよくポスターになる八幡坂へ。

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八幡坂

 この函館観光の間にAさんから「Kの奥さんが今日、誕生日だそうで、Zも何処か、お祝いに行くらしい(KさんとZさんは親子なので)。だから祝勝会に行くのは私だけ」と連絡が入った。Aさん一人なら私のクルマでどうにかなる。場所が函館市内だからだ。それをNさんに連絡する。
 続いて食材を買いにスーパーへ。そろそろ合宿も終了するので、食材も考えて購入する。
 そんな観光と用事を済ませ、一時ムーイへ。そして入浴。
 祝勝会はNさんのご主人とお知り合いの函館市内にあるお寿司屋さん。まあ美味しいし、皆さんとの会話が楽しくて、帰りの運転はマキさんがしてくれるということで、安心して私は美味しく飲んで、美味しく食べて、、、、すると安堵の気持ちと睡眠不足と酔いがいっきに眠気を模様して、不覚ながら寝てしまった。
 その後、カラオケに行って楽しく過ごしたらしいが、いっさい私には記憶がない。ただ、翌朝起きた時に、ちゃんとパジャマを着て自分のベッドに寝ていたので帰巣本能は生きていたのだと思う。

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祝勝会

失敗できないぞ!

 空に明るさが増し始めた頃、ヤスさんが初めにカヤックで船から佐井のスイミングハウス前に向かって漕ぎ出した。それを追うようにしてマキさんが泳ぐ。船はスイミングハウス沖約100mで待機し、二人の行動をみんなで見守る。
 マキさんがスイミングハウス前のビーチに上がり、ヤスさんから“出発準備完了”の合図が出る。オブザーバーの私は時計を見ながら9月21日午前5時17分ジャストに出発合図(ホーン)を鳴らす。残念ながら太陽は東から上るので、我々からは佐井の山々の向こうから上がることになる。つまり辺りはいまいち明るくない。

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スタート地点を確認するマキさん

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2015年9月21日午前5時17分

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朝日は願掛岩の向こうに上がる

 皆さんの力泳が始まると天気はすこぶる良くなった。ところが途中から潮が逆に流れ始める。自分で持って来た簡易GPSのスピード表示が“1km/h”とか“2km/h”とか。。。。。進んではいるのだが極めてゆっくり。。。。。
 前もそうだった。この辺りから潮にぶつかって進まないとか流されるとか、、、、取り敢えずバックはしていない。大間(下北半島の最北端)方面にも流されていない。とにかく“進んでいる”を信用するしかなかった。

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力泳するマキさん

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力泳するヤスさん

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力泳するタケちゃんマン

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力泳する湘南の主さん

 途中から風が強くなってくる。Aさんに言わせると「風向き(西風)に対して波が大き過ぎる。これは潮が動いていないんじゃないか?」。『えっ!? 潮が動いていない? それって本流が動いていないということ?』と心配になる私。『また今回もダメなのか』と。。。。。
 船の向きが今までほぼ真西に向いていたのを、少し船首を北に向けた。途端、GPSのスピード表示が“6km/h”とか“8km/h”とか。。。。。最大でタケちゃんマンが泳いでいる時は“10km/h”なんて数字も出してくる。Aさんの「これは潮が動いていないんじゃないか?」は“普段より潮が速くない”という意味で、実際はグングン進む。

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強風の中、船を誘導して(?)泳ぐ湘南の主さん

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強風の中を力泳するヤスさん

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大波の中を力泳するタケちゃんマン

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大波で見え隠れする湘南の主さん

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サンセットスイムのマキさん

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完泳を喜び合うマキさんとヤスさん(瀬田来町)

 そうして日没を迎える。公務員が帰宅する午後5時前に海上保安部に「少し日没は過ぎるが、もう少しなので継続させてほしい」と連絡した。すると「届には“日出から日没まで”と書いてある。それで受理しているのに云々」とお役人らしい返答をしてきた。「そこを何とか。日没後1時間も掛からずにゴールするので」と説得した。
 その言葉通り、我々の遠泳は午後6時23分に北海道函館市瀬田来町(せたらいちょう)に到着した。

 遠泳の詳細は次のようになる。

  • 日付:2015年9月21日
  • 場所:津軽海峡(青森県下北郡佐井村⇒北海道函館市瀬田来町)
  • 泳者:チーム「マ・ナ・セ・ス」
       第一泳 マキさん
       第二泳 ヤスさん
       第三泳 タケちゃんマン
       第四泳 湘南の主さん
  • 方法:1-way relay swim
  • 出発:午前5時17分
  • 到着:午後6時23分
  • 記録:13時間06分
  • 天気:晴れ
  • 水温:21.7~23.5°
  • 気温:18.5~22.2°
  • 波高:0.5~1.5m
  • 風速:0.9~7.5m/sec
  • 風向:主に西
  • 流速:0~2nt
  • 流向:主に北東
  • ピッチ:マキさん    74~75回/分
        ヤスさん    59~62回/分
        タケちゃんマン 57~58回/分
        湘南の主さん  57~61回/分
  • 日出:午前5時22分(北海道函館)
  • 日没:午後5時37分(北海道函館)
  • 満潮:8:31    19:31(函館)
  • 干潮:1:57    13:02(函館)
  • 月齢:7.8(小潮)

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航跡図(☆から隣接する☆までが10分。海峡中央部の速さがわかる)

Tsugarumap5
今回のスイムルートは過去にソロで2回泳いでいる。他にソロスイムのルートを参考までに書き込んだ。

 終わった。無事に成功で終わって本当に良かった。

 尚、津軽海峡の海流予測においては“MIRCマリン情報”をご覧いただきたい。

こだわりの遠泳

 9月21日午前2時、「時間だよ」と湘南の主さんにたたき起こされた。2時間は寝ただろうか。とにかく何故か汗まみれで起きた。急いで着替えて皆さんをクルマに乗せ、港へ。Aさんはまだ来ていなかった。
 しばらく待つとAさんらもやって来て、クルーはAさん、Zさん(Aさんの弟)、Kさん(Zさんの息子)となった。手早い準備が完了すると、我々も船に乗り込み出港。皆さんは船首にある覆いがある所で休んでくれた。機関室の隣に配電盤のある小さな部屋がある。そこに私は入って無理矢理横になり、今までのことを思い起こしていた。
 過去、津軽海峡横断泳は青森から北海道へ、あるいは北海道から青森へと、いろいろなルートで泳いできた。同時にドーバー海峡など、いろいろな海峡横断泳を行ってきた。今まではそのリスクの大きさもあり、他の海峡泳経験者、直接、私のよく知ったスイマーしか受け入れないようにしてきた。
 そこには「日本人は海峡横断泳を知らなすぎる。“オープン・ウォーター・スイムの延長線上に海峡横断泳がある”と思っているのではないだろうか。それは100%間違っているとは言えないが、100%合っているとも言えない。いずれにせよ世界の海峡横断泳に比べると、日本は先進諸国に大きく差がついている」というのが私の意見がある。
 ただ、少なくとも“オーシャンズ・セブン”(世界のオーシャンスイマーが憧れる七大海峡)に津軽が含まれた以上、いい加減な横断泳など認めたくない。
 しかし、今になってはその“オーシャンズ・セブン”も『くだらない』と思うようになってきているのだが。。。。。。。。。

 過去、日本にも住んでいて、日本人の奥さんを貰ったアメリカ人、S・Mが“WOWSA”(World Open Water Swimming Association)を作り、“オーシャンズ・セブン”とか言い始めた。S・Mは日本にいた頃、津軽海峡の2-wayを成功させている。おそらく自分が泳いだことがあるから津軽をオーシャンズ・セブンに入れたのだろうと私は思っている。
 当時は気さくなアメリカ人として、泳ぐレベルの高さもあって私とも親しくしてもらっていた。しかしWOWSAを作り始めた頃から約束は破る。人のデータは取る。いい加減なことを言うようになり、私には“信頼のおけない人物”となった。噂にはいろいろ聞いているが、いつからこんな奴になってしまったのだろう。。。。。
 去年、南アフリカのロジャーが津軽を泳ぎに来た。潮が速くて6時間ほど泳いで失敗に終わったのだが、そのことをS・Mではネット上(Tsugaru Channel Swimming Association (TCSA) 津軽海峡遠泳協会)の“Go West To Swim North To Hokkaido”で「私たちは何故日本の津軽海峡を試みる泳者が本州の東の半島(下北半島)から出発するかを理解できない。海流、潮流などは、泳者が津軽海峡を首尾よく横切ることを防止するためにしばしば証明した」などと書いている。これはそれこそ“ロジャー”と人名さえ出してはいないものの、まさにロジャーの航跡図を出して私を批判している。まあ取材があったわけではないし、よく知りもせずに、面白くない。
 ここでちょっと言わせていただくと、西側(津軽半島)の小泊から出るルートは私の考案したもの。そのルートでリレーやソロで成功させている。それでさえS・Mは自分の泳いだ「竜飛埼~白神岬間の方が良い」と言っていたくらいだ。ただ東側(下北半島)ルートがここのところ、失敗続きだったのは間違いない。。。。。
 ただ近い将来、こんな会話が生まれるだろう。
A「津軽海峡を泳いできたよ」
B「へー、スゴイね。僕も津軽は泳いだが、君は西側? それとも東側?」
A「西側」
B「ああ、女、子どもが泳ぎたがる方ね。真のオーシャンスイマーなら東側だよ」
と、必ず東側の方がステータスが上がる。
 まあ別に特許を出願したわけではないから誰がどのルートで泳ごうとかまわないのだが、批判されると面白くは無い。だがそんないい加減なS・Mだから、世界のオーシャンスイマーにはS・Mを私と同じように信用しない者も多いことをここに書き加えておく。
 ちなみに東側(下北半島)からのルートは過去に子どもや障害者のグループで、リレーで私は成功させているし、ソロでも2回ほど成功させている。
 更に少ししか私は関わっていないが、ご婦人方4名(チーム名「ムーン・ドロップス」)が2007年10月1日にリレーで東側のルートで遠泳を成功させている。したがってS・Mの記事、“津軽海峡初泳!女性だけのチームで挑戦し成功した”というのは事実無根である。『タイトル通りだ』と思っているこのチームメンバーには申し訳ないが、いい加減なS・Mだから、よく知らず(調べず)に記事にしているだけだ。まあ“西側で初”というなら理解できないこともないが。。。。。。。

 いい加減な遠泳でも「津軽泳を成功させた」などとS・Mが書くから、それを私が批判すると「それが日本のやり方」と言う。それでいてS・Mが開いているネット上の会議室では海峡横断泳のルールが厳しくなってきつつある。まあ真逆を平気で言うのだから日本も舐められたものだ。
 もうS・Mの“オーシャンズ・セブン”はどうでも良い。というより『むしろその名義を借りて利用しよう』と考えるようになった。そういう意味では多いに華やかにしてもらいたい。
 いずれにせよ我が道を行きたい私は昨今、海峡横断泳の世界基準となりつつあるドーバー泳のルールに準じることにする。したがってウェットスーツは禁止。水中にサラシなどを流してスイマーの目印(泳ぎやすくする)にするような行為はしない。
 その他水着のこと。スイミングキャップのこと。スイミングゴーグルのこと。ワセリンやラノリンなど脂類のこと。耳栓のことなど細かなルールを決めている。
 津軽泳の標準カテゴリーではソロ(1名)かリレー(4名)だ。スペシャルカテゴリーとしてリレーの人数を変えることは可能だが、5名以上の場合は追加料金が発生し、最大でも10名だ。少なくとも世界に恥じない津軽海峡泳を目指して!
 そんなことを考えていたら船は下北半島の佐井沖合に着いた。辺りはまだ暗い。時間にして午前4時半ごろだった。

泳ぐ日は突然に

 我々の合宿生活がスタートした。基本的に午前中は練習、午後は買い物などフリーの時間にしておいた。ところが昨日、船頭さんのAさんから「明日、明後日は泳がない」と言われていたものだから、今日(9月20日)の時点で言うと“今日、明日は泳がない”ということだ。
 湘南の主さんからの提案で、「水無浜海浜温泉に行こう」となった。“水無海浜温泉”とは海岸にある露天風呂である。潮汐の関係で満潮では海に沈み、干潮では温泉のみになるので熱くて入れない。波が良い具合に浴槽へ入り、ちょうど良い温泉になるワイルドな温泉なのだ。
 まあ『いつしか連れて行こう』と私も思っていたので快諾した。ムーイの受付に行って温泉に入れる時刻表を入手した。潮汐で入浴が可能になったり不可になったりするので“入浴時刻表”なるものが存在するのだ。それによると入浴時間は深夜から朝の4時まで。。。。。
 それでも皆さんスイマー。津軽海峡を泳いで渡ろうという豪傑だ。少しくらい波が入っても冷たくても問題無い。そこで午前中は恵山の麓、海岸沿いにある水無海浜温泉へ。
 ちなみに恵山は火山で青森県は下北半島にある恐山と兄弟関係にあるようだ。恐山より小粒ではあるが、火山らしい山肌が露出している。火山と言えば、北海道では雌阿寒岳が噴火した。また9月17日、南米西部チリ中部沖を震源とする地震が発生した。その津波が19日早朝に日本へもやって来た。それ以外にも日本において噴火情報が頻繁にある。天変地異が近付いているのか???
 いずれにせよ津軽海峡を泳いで渡ろうという豪傑は、誰も居ない、波がザブザブと入るワイルドな水無浜海浜温泉を楽しんだ。

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水無海浜温泉を楽しむ

 お昼はムーイのバーベキューハウスにて焼肉を食べる。午後はビーチで練習だ。当初、船頭さんのAさん宅に預けたカヤックで先導しようと思ったが、あいにくAさん不在でカヤック無しの練習になった。皆さんの荷物はビーチで私が番をする。
 1時間ほど泳いでいる間、荷物番をしている私の所にAさんがやって来て、「明日泳ぐかもしれないので準備してください」と言って来た。『ええええーー、今日、明日は泳がないんじゃないのぉ~~』とも思うが、それ以上に明日、泳げることが嬉しい。
 「わかりました」と答えると皆さんの上がって来るまで待った。その長いこと。。。。。。
 「水はキレイだし、イワシの大きな群れを見た!!」と興奮気味に上がって来る皆さんにAさんとの会話を話した。
 皆さんの反応は私と同じ『えええ、明日は泳がないんじゃないの?』と『明日泳げることが嬉しい』とのように見える。

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函館市戸井浜町のビーチで練習を楽しむ(対岸は青森県)

 それから急いで函館市内にあるスーパーへ。買い物をすると急いで夕食を作り、食べて明日の用意をして入浴して、遠泳機材を私は今日中に船に運びと、大忙しで就寝につく。
 明日の予定は

  • 午前2時起床
  • 午前2時半、港に集合
  • 集合次第出港
  • 午前5時、佐井(青森)沖到着
  • 準備完了後、遠泳スタート(日出5時11分)

となっている。気持ちでは『早く寝なきゃ』と思うのだが、なかなか寝付けない私だった。

全員集合

 9月19日(土)、今回の参加者であるスイマー全員が函館にやって来る。13時42分函館着のスーパー白鳥5号でやって来るのだ。もちろん函館駅までクルマでお迎えに行くし、それまでに受け入れ態勢を整えておかなければ。。。。。
 昨日までの疲れもあって爆睡した後、朝飯を食べる。実は、、、、昨日ムーイまで来る途中で昨日の夕飯、今日の朝飯をコンビニで買っておいた。ところが昨晩はバーベキューハウスでビールを飲みながら焼肉を食べた。その分の食材が余っている。朝から昨日の夕飯分、今日の朝食分を食べる。食欲旺盛。絶好調だ。
 クルマから機材を降ろし、自分の部屋まで運ぶ。チャチャッと部屋の受け入れ態勢を整え、皆さんが来たときに食べるであろうお米を研いでおいた。何故ならばムーイの生活は自炊だからだ。
 駅に行く途中で船頭さんのAさん宅に挨拶に行く。ちなみに今回の「津軽海峡横断リレー泳」は9月20日から24日までの期間の天候の良い一日に行われる。コースは青森県下北郡佐井村 ⇒ 北海道函館市戸井を予定。方法は日本人スイマー4名によるリレー方式だ。つまり明日(9月20日)から泳ぐ期間に入る。そこでAさんに「いつ頃泳げますかね?」と聞くと、「ああ、明日、明後日は無いな」と答えた。
 函館に向かっているスイマーのヤスさんから「明日は泳ぎますかね?」と質問メールがあったので、Aさんの答えをそのままメールにして送った。
 函館駅に到着し、皆さんの到着を待つ。今回の参加スイマーは全員男子、黒一色だ。ちょっと紹介すると湘南の主さん(70歳代)、ヤスさん(50歳代)、タケちゃんマン(40歳代)、マキさん(30歳代)で、私(60歳代)が入ると華やかに年齢が広がる。昨今、同世代同士しか付き合わないご時世からすると、この年齢の広がりが私は嬉しい驚きだ。
 ちなみに恥ずかしながらマキさんとは面識がない。しかし湘南の主さんがよくご存知のようで、それなら安心である。再度ここに書くが、マキさんは男性。
 今朝、ムーイの受付に行くと支配人のNさんが
N「送られた荷物に女性の名前があって、部屋をどうしようかと困っちゃった」
私「ン??? 我々のグループに女性なんていませんよ」
スーツケースに貼られたタグの書かれた紙を見せて
N「ほら“マキ”と・・・」
私「これは男。それに“マキ”じゃない。ホントはM」
N「なんだ。心配して損しちゃった」
と言って笑った。
 Mさんには申し訳ないが、ここではこれから“マキさん”と呼ぶことにした。

Img_1019
全員集合(左からマキさん 湘南の主さん タケちゃんマン ヤスさん)

 函館駅からスーパーへ。途中でパン屋さんにも寄って食材を購入。これから皆さんとの生活が始まる。
 津軽海峡の泳いだ航跡図を描いた海図が私の部屋にある。それを広げるともう遠泳談義。それはそれは楽しかった。皆さんずぅ~~っと話した。

クルマの燃費が悪いぞ!

 我が家から青森の北海道(函館)行きフェリー埠頭まで約700km。愛車がVOXYになってから2回ほど青森まで行っている。その2回ともが途中無給油で行けている。したがって今回も「無給油で行ける」と信じていた。何故ならば過去の2回、燃料計では1/5くらい残っていた。つまりまだ100kmくらい走れる計算だ。
 ところが、いくら青森に向かう前に仕事で使ったりノラに会いに行ったりしたとは言え、100kmも走っていない。つまり計算上では無給油で青森まで行けるはず。。。。。それが、、、、、青森県に入ると燃料計は1/5以下に。。。。
 『まあ燃料計に警告ランプが点灯したら、高速から降りよう。何故なら高速上のガソリンは価格が高いからだ。それに青森まで入れば下を走っても充分にフェリーの時間は間に合う』
 てなことで警告ランプが点灯し、碇ヶ関インターチェンジで降りる。一般的にインター近くのガソリンスタンドは低価格なのだ。ところが、、、、碇ヶ関インターチェンジはけっこう山間部で、近隣にガソリンスタンドが無いのに焦った。
 それでも呑気なおじさんが一人店番をしている小さなスタンドを発見。値段は少し高いが、青森のフェリー埠頭まで間に合えば良い。20リッターを給油。函館に安いガソリンスタンドを私は知っている。
 碇ヶ関インターチェンジ近くの小さなガソリンスタンドから青森のフェリー埠頭までは約50km。朝のラッシュ時間を想定しても、2時間と掛かるまい。
 結局、午前11時前にはフェリー埠頭に到着し、予約していたフェリーの前便(11時35分青森発 15時25分函館着)に間に合ってしまう。しかし予約したフェリーに乗るのだ。何故ならキャンペーンをやっていて、その指定された便(14時35分青森発 18時25分函館着)なら安いからだ。その待ち時間、昼飯喰って寝ていよう。
 寝ながら考えた。何で燃費が悪かったのかと。。。。。。
 過去2回と今回のクルマの違いは、タイヤを替えたことだ。VOXYを買った時についていたTタイヤからYタイヤに替えた。本当はBタイヤに替えたかったが、Bタイヤは高かった。後はタイヤ性能からYタイヤを選んだが、それは食いつきの良いタイヤだ。どちらかというとTタイヤは燃費を良くしてある。まあその分、食いつきは悪くなるわけで、食いつきの良し悪しは燃費の良し悪しと繋がる。しかし“人様を乗せる”という考えでは少しの燃費より食いつきの良いタイヤを私は取った。
 今回、燃費は約10%も落ちている。タイヤを替えただけでそんなに燃費は落ちるのか??
 他にはほとんど夜間走行なのでライトを点灯していた。ずっと雨なのでワイパー君は大活躍していた。それで?? いやそれはバッテリー関係だろう。。。
 もう一つの考えられる原因はアエコン使用だ。東京からずぅ~~~~っと雨だった。扉にはサンバイザーがついているので少し窓を開けながら走ったが、どうしてもフロントガラスが曇る。そこでエアコンを使って曇りを取って走っていたのだ。後から聞くと、クルマのエアコン使用は燃費が10%くらい犠牲にするそうだ。
 まあそれはずいぶん後になってからわかったことだが、取り敢えず過去の2回はエアコンを使用していない。

 フェリーには1番で乗れた。それは3時間以上も待っていたからだが、けっこう私、1番が好き。フェリーに乗ると即座に爆睡。でもさあ、ドーバーを渡るフェリーと比べると値段は高いのに小さくてワンランクもツーランクも落ちるよね。“客室”といったってただの雑魚寝部屋。まあいいけど。。。。。

 函館のフェリー埠頭到着。燃料はまだある。給油は明日にして、取り敢えずムーイ(函館市戸井ウォーターパーク)に向かう。
 午後7時過ぎにはムーイに到着。受付でお風呂券をもらったが、私としては夕食を採って早く寝たかった。祝日前だったのでバーベキューハウスがやっており、そこで焼肉とビールで乾杯。もう風呂にも入らずベッドに潜り、荷物もクルマに乗せたまま爆睡した。

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