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わくわく、どきどき、台風の目。

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »

2015年6月の記事

日々リハビリにストレス大

 ここのところ週3~5回のペースで通院し、手(右小指)のリハビリを行っている。当ブログ「5月20日 久しぶりのプール」にも書いたが、リハビリも3ヶ月を超すと固まって頭打ちになるそうで、4月3日の手術だから7月初旬までには何とか復帰したいと考えている。それに病院でリハビリが認められている期間は通院日数に関係なく術後150日まで。つまり8月いっぱいくらいで打ち止めになる。それまでに何とか。。。。
 現在の患部の状態を見てみよう。

Img_0990
グーにした状態:子指先が掌につかない。

Img_0991
パーにした状態:小指が伸びきらない。

 普通、小指の根本の関節は90°程度曲がる。ところが患部の小指は25°くらいしか曲がらない。これはおそらく金具を入れたからだろう。他の関節(中央、先)も曲がる角度が左手(健常側)と比べて浅い。更に広げた状態でもピンと伸びずに少し曲がったままになっている。それでもリハビリを始めた直後から比べると曲がるようにも伸びるようにもなっている。
 ただ問題は“待ち時間”がかなりストレスになっている。病院のリハビリは予約制ではないので通院のたびに待つことになる。早くても1時間。時に2時間、3時間と待つこともある。先日は理学療法士から「今日は混んでいるのでかなり待ちます」と言ってきた。言い換えると「後日また来てほしい」ということだ。この時は「わかった」と言って帰ったが、この“待ち時間”が読めない。
 月に1回程度の通院でも“2時間”とか待たされると人は「嫌になる」と言う。それが週に3~5回。。。。。
 ストレスは時間ばかりではない。1回の費用はそれほど高くないが、回数がかさむとバカにならない。もちろん保険から出るが、先日、保険会社に通知すると、「保険から支払われるのは受傷した日から180日以内で通院日数は最大で90日」と言ってきた。今のペースで行けばやはり8月いっぱいで打ち止め。
 保険金請求には診断書(実費)が必要になる。中間請求も可能だそうだがその都度診断書が必要になるそうだ。したがって保険会社の担当者曰く「治療が終わってから請求した方が良いのでは。。。」。つまりそれまで自己拠出。。。。経済的にもストレスが大きい。
 2ヶ月ほど休職したし、時間も経済もストレスが大きいので最近はイライラしている。仕事でプールには入っているものの、時間が無いので自分の練習は出来ないでいる。そのイライラも加わっているかもしれない。だがいずれにせよリハビリも保険も有効期間があるのでその期間内は通院し、ものと状態に少しでも近づくよう努力するつもりである。

6月6日 ライヴ

DISライヴ ワールド ツァー 日本公演 2015

「DISベスト盤ライヴ(+演芸)」のご案内

  1. 日時:2015 .6.6(土) PM4:00開場 PM4:30開演
  2. 場所:ライヴスペース「キャバリーノ」
       ☆
    Live Space “CAVALLINO”
       (JR京浜東北線「川口駅」東口より徒歩5分)
  3. 会費:All 1,000円(飲み放題 おつまみ付き)
       食べ物の持込は自由 差し入れ大歓迎
  4. プログラム:懐かしのJポップ ブルース ボサノバ
       漫談  落語  その他  プレゼント有り

とまあ内容はこんなもの。実を言うと今回で11回目の公演。毎回いろいろな催しを考える。例えばテーマが「海」とか「空」とか。。。。。それは“海”や“空”の音楽をやるが、お客さんたちは平均年齢が60代後半なので加山雄三とかベンチャーズとか、、、、「GS(グループサウンズ)」と呼ばれる昔、若かった人たちが好む(知っている)を考慮してやっていた。
 ところがだんだん同じ曲になってしまうので、去年辺りから「演芸」のようなことをやり始めた。去年はマジックショー。
 今年の楽曲はいっそのこと“ベスト盤”ということで、今までで比較的評判の良かった曲を並べた。そして演芸の方では“落語”。
 毎年、夏の遠泳報告を私はさせていただいているが、「今年は落語風に」ということになって、それなりにアレンジして披露させていただいた。
 たまたま今回の練習中、小学校の同期生で医師になったDr. HIがサックスをやっており、2曲ほど一緒にやることになった。加えて同じく小学校の同期生、八百屋(当時)のMSがベースをやっており、私が歌う時は交代して弾いてもらった。何故ならばベースが担当の私だが、ベースを弾きながら歌うのが出来ない。
 ちなみに我親父バンドは小学校からの同期生。まるで同期会のようになったが、そこに何と私の姉が飛び入りで参加した。姉はフルートである。
 視界のMYにも歌ってもらって、大いに盛り上がったとやっている者たちは思っているが、実際の評判はどうだったか不明だ。。。。。。
 このブログをご覧になってご参加いただいたAkiさんご夫妻も、ありがとうございました。来年もまた行います。是非お越しください。

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ライヴ直前:左からDr. HI(サックス)、私、MS(ベース)

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ライヴスタート

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ベースのMSに加わってもらって私はボーカルへ

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ドラムス、AS!!

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ベース、tora!!

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ギター、SD!!

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遠泳報告、落語風に。。。。。

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MC & ボーカル、YM!!

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サックス、Dr. HI!!

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盛り上がって(?)、フィニッシュへ!!

5月15日 ニックの結婚式(パーティ三昧パート2)

 5月17日(日)、ブライアンと最後の朝食を取る。ブライアンは今日、午後の便でロチェスターへ帰る。月曜の朝には私も帰国するのでお互いに帰りのパッキングをする。するとニックから「お昼を食べに行こう」と連絡が入った。
 ブライアンはホテルをチェックアウトして私とニックの指定したレストランへ行く。ニックにしてもこれが三人で食べる最後のお昼となる。レストランは日曜だからだか混んでいて、しばらく並んでからのお昼になった。
 話は尽きなかったがブライアンが帰る時間になった。レストランを出てニックと私はブライアンにハグして別れを告げた。
 今度はニックのクルマでニックの新居へ。

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ニックの新居

 ニックの家に着くと、ニックの愛犬“ソオ”が迎えてくれた。ソオの他にも“ドーバー”と呼ぶ愛犬もニックは飼っていた。今回、愛犬ドーバーには会えなかったが、それだけニックがドーバー海峡を思う気持ちが表れていたように思う。

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ニックとソオ(ラブラドール・レトリバー?)

 ニックの家で、ニックは私に話した。「5年後に、オレはもう一度ドーバーを泳ぎたいんだ。その時に手伝って欲しい」。。。。。
 ニックが結婚式に私を招待した理由がここでわかった気がした。サポートの依頼なのだ。何で5年後なのか理由はわからない。が、私自身、私のサポートレベルはそれほど低くないと自負している。だがここのところドーバーでも津軽でも、ずっと失敗を繰り返している。人は「自然相手だから」と言ってはくれるが、こうも失敗続きだと自信喪失になる。
 ニックには、「悪いが5年後の私はどうなっているかわからない」と答えておいた。

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4年ぶりのソオ。私を覚えてくれていた?

 ニックの家から私の行きたかったショッピングモールへ、ニックはクルマで送ってくれた。4年前にも来たこのショッピングモール、とても大きくて日本食のフードコートもある。まあ寿司などが売られているが、正直言って『日本食?』と思う。“日本風”が正しいと思うが、日本で食べられる洋食もその国の人々から見れば『“洋食風”なんだろうな』と思う。
 ショッピングモールで欲しかった土産品は「コーンピック」と呼ばれるもの。トウモロコシをまるごとガブリとやる時に役立つピックだ。トウモロコシの両端に挿すと持ち手になって便利。値段も手ごろだし小さいので荷物にもならない。
 4年前、ニックの家で厄介になっていた時にニックの友だちが来てコーンピックでトウモロコシを食べた。もし日本なら焼きトウモロコシにして醤油だが、アメリカでは茹でトウモロコシでバターだ。茹で上がったトウモロコシにコーンピックを挿し、バターの塊の上を擦るのだ。
 日本的な『もったいない』と思うのはバター。すべてのバターが使われる前に残ったバターは廃棄される。それはバターに限らず台所にあるコーヒーメーカーなども機械にセットすると簡単に美味しいコーヒーがいただける。その分、セットするプラスチックの部品が使い捨てで廃棄される。
 テーブルに置いてある粒コショウの入れ物、岩塩の入った入れ物。日本なら手動で“ガリガリ”やるものだが、アメリカではそれですらモーターが入っている。おまけに出口にランプもあって、料理上にどのくらい調味料が入ったか見易くなっている。「便利」と言われれば便利だが、『そこまで、、、』という気がしてならない。
 以前、アメリカで環境整備のためにガソリン代が上がることになった。ところが国民は『値上げした分、働かなきゃ』との考えだそうだ。つまり“節約”という発想が無い。
 1997年の“京都議定書(気候変動枠組条約締約国会議)”にアメリカが乗って来ないのは、こういったアメリカ人気質だと思われる。彼らにとっては“節約”より“稼いで寄付をする”を取るのだ。“便利”を追求し、大量消費をする。電気自動車でさえ“パワー(力)”がなければダメなのだ。早かれ遅かれ日本もそうなると思う。こう言っている私でさえ、アメリカの便利にお世話になっているのだ。だいいち、お土産にコーンピックを選んでいる。。。。。

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ゴルフ場を眺めながらのパーティ

 時間が来て、ニックがショッピングモールへお迎えに来てくれる。そこからニックは私を連れて彼の友だちの家へ行く。その友だちとは4年前、当時ニックの家のご近所で、大きなジャグジーがあった家だ。今はゴルフ場の隣に住んでいて、大きなゴルフ場を眺めながら暮らしている。久しぶりに会うココの奥さんは私を覚えてくれていた。
 そこで再びパーティ。メンツはニックの親戚で変わり無し。でも私にとって最後のデンバーの夜なので心行くまで楽しんだ。特にゴルフ場が見えるデッキではスマホと最近流行りの“小さいが音質の良いアンプ付きスピーカ”がステキな音楽を流している。ご主人はリクエストを受け付けて、古き良き時代のアメリカ音楽をビールと一緒に楽しんだ。

<おまけ>
 翌朝、ホテルからタクシーでデンバー空港へ。タクシー料金を支払うとものの見事にUSドルは使い切った。『いや~、上手くドルを使い切れたな』と思い、出国手続きをして搭乗口へ行く。するとお腹が“グ~~~~”。。。。。
 『ドルは無いし、困ったなぁ~、腹減ったし、、、朝飯喰ってない。。。』と思いながらバッグの中のドルの財布を奥に入れて円の財布を手前に出した。
 『何だ円がある。。。』と思いながら空港内の両替所へ。『パンとコーヒーくらいだから1,000円も替えれば良いか。。。』と思い、替えてからパンやコーヒーが売っているショップへ。いちおう足りないと困るのでサンドイッチと水を手にしてレジへ行くと、レジ係のおばさんが「足りない」と言う。『えええええ、一つのパンと一本の水が1,000円以上するのぉ~~』と思い、水を返そうとすると、後ろに並んだアジア系のご婦人が私の足りない分を出してくれた。
 何だかとてもみじめな気分だが、「ありがとう」と言って水とパンを手に入れた。するとレジ係のおばさん、「ラッキーだね」と言いながらポテトチップスを私に渡した。『だったらポテトチップスではなく、水をくれればいいのにぃ~』と思いながら「ありがとう」と言ってポテトチップスも手に入れた。
 搭乗口前の待合所でパンとポテトチップスを水で胃袋に流し込む。腹はやや満足。そして機内へ。機内では日本へ着く前に機内食が2回出る。もちろん完食。
 5月18日(月)午前10時頃、デンバー発の便で成田へ。翌19日(火)午後3時頃、成田着。何だか一日損した気になる。
 税関を出て外に出ると眼の前にショップがある。デンバーで買おうとした同レベルのパン(サンドイッチ)と水が630円。それでも“安い”とは思わないが、デンバーは高過ぎる!!!!!

5月15日 ニックの結婚式(パーティ三昧パート1)

 5月16日(土)夕方、デンバーの中心街でニックのご親戚一同様とショッピング(お土産)が終わった後、それぞれのクルマでデンバー郊外(我々の滞在しているホテルに近い)にあるニックのご親戚の家へ行く。
 これがまたたまげた。それは広大な土地なのだ。何と馬を飼っていて乗馬をやるらしい。その訓練をする馬場もあって、鶏も10羽程度放し飼いになっている。この家の奥さんの話によると、「毎日の料理に使う卵には不自由しない」とのこと。羨ましい。
 それに驚いたのは台所の大きさ。炊事場も冷蔵庫も何もかもが大きい。おそらくキッチンとダイニングだけで我が家よりも大きいのではないだろうか。。。。とにかく家は屋敷で部屋の数はいくつあるのかわからない。おそらく30室以上はあると思う。

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大きな台所

ニック「音楽をやる部屋にドラムが置いてあるから叩きに行こう」
私「へぇー、スゴイな」
とついて行くと、ドラムセットとハープ、グランドピアノが置いてある。まあ親父バンドをやっているからまったく叩けないわけではないが、あまりにも高級そうで『壊したらたいへん』と少しだけ叩いて終わりにした。

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ダイニングにある生ビールサーバー

 ダイニングで奥さんの美味しい手料理とビールをご馳走になりながら談笑が進む。まあニックの結婚式からずっとお付き合いしているご親戚一同様は、メンツが変わらないので緊張感も解けて、下手な英語の私でも打ち解けるようになった。
 話題がクルマの話になるとご主人が「うちのクルマに試乗するか」となって、私も乗れることになった。御主人が運転し、後部座席に座った私を含めて5名の定員満席状態。
 “TESLA”というアメリカ製の100%電気自動車だ。もちろん音は静かで近くのハイウェイに出るとご主人は“グッ”とアクセルを踏む。5名が乗っているとは思えない加速。シートに身体が押し付けられて脳ミソが置いて行かれるような体感の加速力。これで電気自動車だ。ガソリンエンジンのクルマよりスゴイかもしれない。。。。。
 日本では見たことのないクルマなので『日本には無いのだろう』と思っていたら、あった。“テスラ”と呼ぶが、お値段もスゴイので(結果的にはガソリン代は電気代に変わるから安くなるかもしれないが)、私には手が出ないだろう。。。。。
 楽しい時間はすぐに過ぎ、酒類を飲まないブライアンとホテルへ帰る。ちなみに前回のブログで次のように書いた。

 急いでホテルへ帰る。ホテル前の駅から遠回りしてホテルに向かう途中、ガソリンスタンドとコンビニが同じ店でやっている場所を行きに調べておいたのでそこでお昼とビールを買う。いやいや正確に言うとお昼は買えたがビールが買えなかった。レジ係のおじさんから“IDカード”の提示を求められた。
私「IDカード?」
レジ「そう、IDカード。それが無ければビールを売ることが出来ない。。。」
私「IDカード何て持ってない・・・・」
レジ「じゃビールは売れない」
 何でだ? ニックやブライアンとビールを買いに行った時はIDカードの提示など求められなかった。日本人だからか???

 この話をブライアンとニックにしたら、「未成年に見えたんじゃないのぉ~」とゲラゲラ笑われた。
 今回のご親戚の家は我々の滞在しているホテルに近いので、行きにこの店の前を通った。「ココだ、ココだ、ココでオレにビールを売ってくれなかったんだ!」と怒鳴ると、「ココはガソリンスタンドだよ」とニックは更に笑って言った。
 だが帰り、ブライアンはこの店に入ってくれた。ビールを取って私がレジに並ぶと例の通り「IDカード」とレジ係に言われた。ブライアンが自分自身のIDカードをレジ係に見せ、無事に私はビールを手に入れる。これは寝しなに飲むのだ。

5月15日 ニックの結婚式(デンバー散歩)

 5月16日、ブライアンと別行動をとることになった私は日本に持って帰るお土産が欲しかったし、現金が底をついてきたので銀行へも行きたかった。そこでデンバーの中心地に行くことにした。
 以前デンバーへ来たとき、ニックの家からとても大きなショッピングモールへ電車で行ったことを思い出していた。そこでお土産が買える。
 我々が滞在しているホテルから電車の駅までの直線距離は300mといったところだろうか。。。。ところがホテルと駅の間にはハイウェイが通っていて、そのハイウェイの下を潜るトンネル経由で駅まで行くのでかなりの遠回り。ホテルから徒歩10分くらい掛かる。『ホテルから駅までのハイウェイを潜る地下道でも作ってくれたらなぁ~』などブツブツ思いながら歩く。

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ホテルから見たデンバー:ハイウェイの向こうに並行して電車が通っている。駅は写真より右で写っていないが、駅に行くには写真左のハイウェイの下を潜るトンネルを通らなければならない。

 東京でもそうだが電車に乗るのにスイカとかパスモとかIC乗車券がある。デンバーでも同様でIC乗車券があるのだが、買い方がよく分からない。それに電車は一往復だけなので、「必要もなかろう」と現金で切符を買うのだが、目的地がよく分からない。“大きなショッピングモールは駅前にあった”という記憶だけで、駅名を思い出せない。
 駅の路線図を見ていると“ユニオンステーション”というのが中心のように描かれている。銀行にも行きたかったので“ユニオンステーション”へ行くことにした。
 車窓から眼を皿のようにしてショッピングモールを探したが、結局はわからないままユニオンステーションへ。駅前をブラブラ歩きながら銀行を探し、そこでクレジットカードを使って現金化したかった。ところが、、、、、クレジットカードをATMに入れると、“暗所番号”と出てくる。しまった! 普段、クレジットカードなどあまり使わない私は暗証番号を覚えていない。。。。。。
 おそらく普段、日本で使っている取引先銀行の暗証番号だろうと入力するが、全部けられてしまう。。。。。マズイ、、、現金化できない。。。。。。
 約10枚持っているクレジットカードのすべてがけられてしまった。やり方が悪いのか????
 銀行を変えてみても同じ状態で『困ったなぁ~』と思っていると暗雲が上空を覆い始めて雷が鳴りだした。デンバーではここのところ毎日お昼頃になると雷が鳴り、時に大雨が降った。今朝のテレビでの天気予報も「お昼頃雨」と“雷マーク”を映しながら言っていた。
 急いでホテルへ帰る。ホテル前の駅から遠回りしてホテルに向かう途中、ガソリンスタンドとコンビニが同じ店でやっている場所を行きに調べておいたのでそこでお昼とビールを買う。いやいや正確に言うとお昼は買えたがビールが買えなかった。レジ係のおじさんから“IDカード”の提示を求められた。
私「IDカード?」
レジ「そう、IDカード。それが無ければビールを売ることが出来ない。。。」
私「IDカード何て持ってない・・・・」
レジ「じゃビールは売れない」
 何でだ? ニックやブライアンとビールを買いに行った時はIDカードの提示など求められなかった。日本人だからか???
 この続きは次回のブログで紹介します。取り敢えずビールは諦めてホテルに戻り、お昼を食べながらインターネットを使ってデンバーで使えるクレジットカードを調べていた。
 するとブライアンが私の部屋にやって来て、「ニックの親戚がデンバーへ来たお土産が欲しがっているそうで、“一緒に行こう”と言っているが行くか?」と聞いてきた。「ちょうど良い。私もお土産が欲しくて午前中に市街まで行って来たんだ。それで現金が欲しくて銀行に行ったんだが何処もクレジットカードが使えなかった」とそれまでの経緯を説明する。
 まあ結局、午後はブライアンと行動を共にすることになった。外はそれまでの暗雲と雷は去り、重い雲に覆われていたものの雨粒は落ちてこなかった。ブライアンのクルマで昨日行われたニックの結婚式場へ。どうやら結婚式で使われた演出グッズの多くはニックとヴェネッサのものだそうで、ニックはそれを引き取りに来る目的もあったようだ。
 結婚式演出グッズをニックのクルマに乗せると駐車場に入れ、私たちはデンバーの中心街を散策する。「午前中にここへ来たんだ」と私が話すとみんなはビックリしたように「何処へ来たの?」と聞く。「あすこさ」と私の指差す場所はユニオンステーションだった。

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ユニオンステーション

 ユニオンステーションへ来た目的をみんなに話し、お土産店を覘きながら銀行に寄ってATMでクレジットカードが使えるか調べた。今度はブライアンがいるから心強い。
 お土産を欲しがっているのは女性が多い。そして女性は甘いものが好きなのは万国共通? デンバーのお菓子屋さんに入った。そこでビックリ!!!!! 何と日本のお菓子が!!!!!

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デンバーのお菓子屋さんで売っている日本のお菓子

 値段は日本で売られているものの4倍くらいするが、人気があるらしい。そういえば確か、野球の選手がプレー中にガムを噛む。そのガムはほとんど飲んでしまうそうで、それがグミになるとガムのような感覚で噛め、更に飲み込むことが出来る。甘いものが苦手な私は食べたことないが、グミの甘さは甘い物好きなアメリカ人には合っているようで、ガムから日本のグミに変えているらしい。以来、日本のお菓子がそうとう売れるようになったとか。。。。。。
 銀行の方はあっちもダメ、こっちもダメで「ここで最後にしよう」入ったATM。このカードもダメ、このカードもダメで最後の一枚。「これで諦めよう」と入れたカードが使えた。ホントに最後の最後で使えた嘘のような本当の話。
 皆さん疲れたのでユニオンステーションの待合室で一休み。構内には飲み物や軽食が販売されているからだ。
 ニックのおばさんの話によると、「このユニオンステーションは2年前に完成した新しい観光と交通のスポット。これからはココを起点に発達するでしょう。」とのことだった。
 しかしヴェネッサは「駅の中にあるホテルは一泊が700~800ドル(約10万円)もするのよ。高過ぎよ!」と怒っていた。

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ユニオンステーションの中は小さいがヨーロッパ調の格式ある建物

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休んでいるとアメリカンヒーローたちが現れた! 記念撮影!!

 もともと「電車よりもクルマ社会」のアメリカ。交通インフラとして電車に着目し始めたのかもしれない。とにかくデンバーのハイウェイはラッシュ時の渋滞がスゴイ! この渋滞もほぼ慢性化しているようだ。

5月15日 ニックの結婚式(英語)

 5月16日(土)、ブライアンとホテルで朝食を取る。「今日はどうする?」とブライアンに聞くと「疲れた」と答えた。それはそうだろう、毎日、英語の下手な私に付き合っているのだから。。。。。。。
 ロチェスターのブライアンの家で厄介になっていた時、ブライアンの9歳になる愛息、ジョエルに私の英語の発音を徹底的に直された。大人なら遠慮もあろうものだが子どもは遠慮容赦なく直してくれる。まあありがたい話ではあるが、こうも直されるとショックが大きい。
 ブライアンとの会話でもお互いにわからなくなるとメールのやり取りになる。そういえばニックとブライアンに「キャリユキへ行くか」と言われた。「キャリユキ??」と聞くと「日本語だよ。お前、それもわからないのか?」とニックに言われた。『日本語??』と思っていると、すかさずブライアンから“Karaoke”とメールが入る。『何だ“カラオケ”かぁ~』とわかるが『“キャリユキ”とは言わないだろう』と思う。
 実を言うと6月6日に我々親父バンドのライヴがある。そこで私は「この素晴らしき世界(What a Wonderful World. )」を歌わなければならない。そこで発音がどうか、知りたかったのでブライアンとニックに聴いてもらっていたからだ。二人の意見、「まあ雰囲気はあるね」。とだけ。。。。。
 どんな楽曲か、YouTubeを埋め込んでおきましょうね。

 まあ結果的にはカラオケに行くことは無かった。それに、英語の出来ない私に付き合っているブライアンは疲れたことだろう。今日はお互い個々に動くことにした。それにブライアンは明日(17日)ロチェスターへ帰る。それに私もそろそろ帰国する。

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ホテルの窓から見た景色:遠くにコロラド山脈の残雪が見える。またハイウェイの向こう脇に並行して軌道(レイルロード)が通っている。

 この日、私はデンバーの中心街へ行くが、それは次回のブログで紹介しよう。今回のテーマは「英語」だ。
 ブライアンとデンバーへ来てブライアンの運転するクルマの助手席に座る。ブライアンはスマホのナビアプリを頼りにクルマを走らす。ナビアプリは「国道○×線を右折」などと言っている。その発音は私より遥かに良い。ナビアプリの画面を私も見ながら何処をどう走っているか、デンバーの街中を理解しようとしている。
 何気なく景色を見ている私の眼に「コロラド(Colorado)」の字が入ってきた。
私「ねえ、ブライアン」
ブ「ん?」
私「“Colorado”という字の最後、“ado”を取ったら“Color(色)”になるよね。
ブ「ああ」
私「日本では“Colorado”を“コロラド”、“Color”は“カラー”と読むんだ。
ブ「何で?」
私「そのように聞こえたからじゃないかな?」
ブ「どっちも“Colo”で同じじゃないか」
私「そうだけど。。。。。」
 ブライアンの“Colo”の発音は“コロ”と“カラ”の中間。日本語には無い発音だ。
 そういえば我トラジオンもスペルは“Trudgen”と書く。意味はクロールの原型を作った人の名前だが、日本のモノの本によると「ツロージェン」と書かれているものもある。だがどちらも“Trudgen”で同じ人を指している。正確な発音は“トラジオン”と“ツロージェン”の中間なのだ。皆さんには聞き取れるかな?

 どちらかというとブライアンよりニックの英語の方が分かりやすい。イギリス英語とアメリカ英語の違いも分かってきた。おそらくそれは“方言”なのだと思う。言語と方言の違いも難しいところだが、取り敢えず私の英語はまったくダメだと気付かされた。

5月15日 ニックの結婚式(結婚式当日)

 朝、ニックから「泳ぎに行こう」と連絡があった。「ええ!?? 今日は結婚式なのにぃ?」と聞くと「もうまな板の鯉さ」ということで午前中は泳ぎに行くことになった。結婚式は午後3時からだからだ。ブライアンとニックの指定したプールへ行く。ただ残念ながら私は骨折の治療中なのでプールに入ることは出来ない。
 ちなみに私の骨折には2本の金具が患部に入っていた。そこで主治医に「この金具を取ってくれ」と診察日にお願いした。しかし主治医は「まだ骨がくっついていない。あと二週間は外せない」と言う。そこで私はアメリカへ行く説明をして、「金具など入っていたらセキュリティチェックで引っ掛かってしまう。ただでさえテロに狙われている国、つまらないことで引っ掛かりたくない」と説得をする。
 結局、「何があっても責任は持てない」と言う主治医に「すべて自己責任」と約束して金具を抜いてもらった。もともと抜くために金具の一部が皮膚から露出している。それをペンチで抜くのだ。麻酔もしないし痛くない訳は無いが、とにかく抜いてもらったのがありがたい。それは手術後五週目のことだった。
 ついでに言うと翌日お風呂に入った。五週間以上も入浴をしていなかった私は患部の皮脂がボロボロになっていた。それをきれいに洗い流す。それはそれは気持ち良かった。
 ただ主治医は患部の小指が何かに引っ掛かったりなど、予期せぬ動きがあると再び骨折する恐れがあるので、薬指を当木代わりにしてテーピングで止め、包帯で止めた。つまり金具が薬指に変わっただけで、固定していることに変わりはない。
 ニックやブライアンらの泳ぎを羨ましそうに眺めながら、私はカメラマンに徹した。

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左からブライアン、ニック、テッド(ニックの幼馴染み)

 プールから上がるとデンバーのファストフード店へ行き昼食。レストランも良いけれど、やはり下町のファストフード店が私には落ち着く。
 昼食が終わるとニックは床屋さんへ。アメリカの床屋さんは面白い。見学者用の席が用意されていて散髪している姿を見続けることが出来るのだ。ニックは徐々に二枚目になっていった。

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Before

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After

 床屋さんを出ると解散。ブライアンと私はホテルに戻って着替え、再びデンバーの街へ出て行く。ニックの結婚式場は思ったより質素で小さい。ニックが「極親しい仲間30名くらいしか呼んでいないから」と言っていたがまさにその通りだった。
 華やかさはあまりなかったが厳かで良い結婚式だったと思う。(式場では撮影禁止なので写真はありません)

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外に出てから

 結婚式に続いて披露宴。披露宴会場で初めてニックの兄弟に会った。そこでニックの小さかった頃の思い出などを聞けて楽しかった。
 ちなみにニックに感想を聞くと、「疲れた」の一言。
 ニック、末永くお幸せに!!

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ニックのお父さんとお母さん

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ニックの兄弟:左からニック、妹さん、お兄さん(ニックと同じ、水泳コーチをしている)

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新郎のニック(左)と新婦のヴェネッサ(右)

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ブライアンとオーストラリアから来たニックの親戚

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ヴェネッサと私

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おおっと。。。。。

5月15日 ニックの結婚式(ロチェスターからデンバーへ)

 5月14日、ブライアンと一緒にミネアポリスからデンバーへ行きます。この時に驚いたこと。それはロチェスターからミネアポリスにあるブライアンの実家まで行き、ブライアンのお母さんに空港まで送ってもらう。まあアイディアとして驚くことは無いのですが、驚きはブライアンの実家が豪華なこと! これはスゴイです!!!
 とにかく敷地が広い。敷地の入口に番号を押す機械があって、クルマから手を伸ばして番号を押す。すると扉が開いてクルマごと中へ。“家”と言うより“屋敷”と呼んだ方がピタリとする玄関の前へ。ブライアンの案内で屋敷の中へ入る。『“豪邸”というのはこういうのを言うんだろうなぁ~』と思う屋敷だ。
 どうやらブライアンのお父さんは造園関係の仕事をしているらしい。そういえばブライアン、私に名刺をよこした時『お花屋さんかな?』と思っていたのだが、どうやらお父さんと同じ造園関係の特に“生花”を扱った仕事らしい。
 ブライアンの実家の前には湖があって、庭はそこまで繋がっており、湖畔にはプライベート桟橋とボートまである。「この湖で泳いだんじゃないの?」と私がブライアンに聞くと、「ああ、この湖は端から端まで1マイルなんだ。だから22回泳ぎ続けたよ。何故ならドーバーが22マイルだからさ」と答えた。

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庭は湖畔まで繋がっており、プライベート桟橋とボートがある。

 ミネアポリスを14:29(ミネソタ時間)発の飛行機に乗る。デンバー到着は15:35(コロラド時間)。ブライアンが借りたレンタカーでデンバー・マリオット・テック・センターへ行く。ブライアンはデンバーに来たことが無いのか、スマホのナビアプリを起動して行った。ブライアンと私はここに滞在する。
 夕食はニックの実家へ行ってパーティに参加する。ニックの結婚を祝って親戚縁者が集まるそうだ。ニックの家も映画「ビバリーヒルズほにゃらら」に出て来そうなプール付きの豪邸だ。
 以前ニックの家へお邪魔した時、ニックは気を使って私たちを彼の実家に滞在させてくれた。この時デンバー在住の日本人にもお世話になったが、その日本人に実家の住所を言うと「ああそこは大邸宅でしょう」と言う。どうやら日本(東京)でいう田園調布とか麻布とか、、、、、高級住宅が並ぶ地域らしい。
 確かに家には客間が多くあり、その一つ一つはバス・トイレ付きで、まるで高級ホテルのようなだ。しかも「台所は自由に使って良い」と言う。その台所も大きくて、、、でも何をどのように使って良いのやら。。。。。とにかく東京の下町で生まれて育った私には豪華過ぎてどうしたらいいのか全く分からず。。。。。
 そういえば学生時代の恩師、故古橋先生(古橋廣之進:元日本水泳連盟会長、元日本オリンピック委員会会長)の言われていたことを思い出す。「アメリカの台所はスゴイ! 設備が整っていて、我が家の台所もあのようだったら母はかなり楽をしただろう」と。大戦直後、水泳でアメリカに行っていた時代を思い起こしての言葉だった。
 確かに同感だが日本では和包丁一本あれば、まあだいたい何とかなる。ところがアメリカでは肉用の包丁とかパン用の包丁とか、、、、とにかく包丁だけで何本も目的別にある。それは包丁ばかりでなく、いろいろな道具がズラリと並んでいる。冷蔵庫も大きく、水道が冷蔵庫内を通っていて、冷たい水が冷蔵庫の中の蛇口をひねればいくらでも飲むことが出来る。食洗機も信じられないほど大きい。知らないものだらけの台所、そこを「自由に使っても良い」と言われても。。。。。
 結局はニックに相談して彼の住んでいる庶民的な家へ移ることにした。貧乏人の私にはその方が落ち着く。

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ニックのお父さんのコレクション

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前にお世話になったお礼にと、日本のオカメ・ヒョットコを送ったのだが残念ながら飾られていなかった。。。。。

 ニックのお父さんが庭でバーベキューに腕を振るう。ニックのお父さんやお母さんに会うのも久しぶり。とにかくニックの親戚縁者に挨拶をする。そしてバーベキュー。
 「プールの水温は16℃。ドーバーの練習するにはちょうど良い」とニックが笑いながら言った。とにかくドーバーはニック、ブライアン、私の共通な話題なのだ。
 ちなみにブライアンの実家からミネアポリスの空港へ向かう途中、ブライアンのお母さんからレストランで昼食をご馳走になった。この時、私が食べたのがハンバーグ。そしてここ、ニックの実家でお父さんが腕を振るっているバーベキューもハンバーグ。うう、、、、美味しいけどダブルハンバーグはちょいときつい。。。。。。

5月15日 ニックの結婚式(まずはロチェスターへ)

 ドーバーで知り合った水泳仲間、ニック(アメリカ:デンバー在住)が結婚をする。お相手はヴァネッサ。以前(2011年)にニックが働くプールでお世話になったことがある。そう、彼の仕事も水泳コーチなのだ。その時、ヴァネッサも紹介してもらっているのでまったく知らない間柄ではない。
 2010年、ニックのドーバー泳で私がサポートした。この時、同じアメリカ人でブライアン(ロチェスター在住)がいた。ブライアンは残念ながら天候不順でドーバーを泳ぐことは出来なかった。しかし陽気なアメリカ人。彼の趣味は料理なので、美味しい彼の手料理をたくさんいただいた。
 翌年にブライアンはドーバーを泳ぐのかと思いきや、彼の愛娘さんが病気になったと連絡が入り、その後ブライアンがドーバーへ来ることは無かった。
 でもブライアンが気になって、ニックから「ブライアンも結婚式には来る」と聞いていたので、せっかくのアメリカ、ロチェスターに行ってブライアンとも会うことにした。

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ドーバーのB&Bで料理好きのブライアンとその手伝いをする私

 ロチェスターはミネソタ州にある。「ミネソタ州って何処?」という方のために、アメリカ中西部の北、カナダに接する州である。アメリカではミネソタを「アメリカの冷蔵庫」と呼んでいるようで、とにかく冬は寒い地方である。ブライアンからのメールにも「早く暖かくならないかな・・・」とよくこぼしていた。
 そう、ご年配の方には“暁テル子”の「ミネソタの卵売り」(作詞:佐伯孝夫、作曲:利根一郎)でご存知の方が多いかもしれませんね。YouTubeを埋め込んでおきましょう。

 成田を夕方に出発してデンバーへは同じ日のお昼に着きます。理屈では分かるのですが、同じ日の夕方に出てお昼に着く。。。。何だかタイムマシーンに乗ったようでおかしな気分。。。。。そのままミネアポリス(ミネソタ州)行きの飛行機に乗る。ミネソタもコロラド(デンバー)と1時間の時差があり、『アメリカは広いなぁ~』と思う。

 ミネアポリスの空港にはブライアンが迎えに来てくれていた。そこからブライアンの住むロチェスターまでは距離にして約200km。そこをたったの2時間でハイウェイを突っ走る。スピードリミット(制限速度)は55~65マイル(約90~105km)。ブライアンは平均70マイル(約110km)で走る。日本でも普通のスピードかもしれないが、交通事故以来めっきり飛ばさなくなった私。かなり飛ばしている感じがして少し怖かった。

 ブライアンには11歳の女の子(エミィ)と9歳の男の子(ジョエル)がいる。奥さんの名前はジェシカ。2010年にジェシカにもあっているが、子どもたちと会うのは今回が初めて。
 ブライアンから「娘が病気になった」と聞いてから数年が経つ。ブライアンは私へ「娘の病気は落ち着いた」とメールでよこして来たが、決して「治った」とは書いてこなかった。今回、ブライアンの自宅に厄介になることで、その理由がわかった。エミィは片麻痺である。おそらく脳の血管系の病気で片麻痺になったと思われる。
 障害児の水泳教室をやっている私なので、それを知っているブライアンは私に話しやすかったのかもしれない。それは時に一日で数回のメールをよこすほどで、まあそれにいちいち返信している私も英語が出来ないからある意味“スゴイ!”と思うが、とにかくブライアンとは頻繁にメールのやり取りをしていた。
 ただ、ブライアンのイメージが変わった。ドーバーで会っていた時は“陽気なアメリカ人”だったが今回は“生真面目”がピッタリのブライアンだった。
 勝手な私のイメージだが『アメリカ人は取り敢えずハグして笑って明るい』というものだ。だが、今回のアメリカ旅行で“それは南アメリカ”と判明した。北アメリカの人たちは生真面目だ。それはドイツ人のイメージだったのでブライアンに「祖先はドイツ人?」と聞くと「そうだ」と答えた。おそらくブライアンの何処かにドイツ人の血が入っているのだろう。とにかくそこには生真面目なブライアンがいた。

 ロチェスターではメイヨー・クリニックを案内してもらった。とにかく冬は雪がスゴイので、病棟ごとは地下でつながれている。しかしその地下も何となく平衡感覚がおかしくなるような作りだ。とにかく極緩やかだが通路に傾斜がある。『不思議だ』と思っていたら、車イスやストレッチャーの移動に考えられたらしい。とにかくその傾斜は日本のものより遥かに緩やかだ。
 それに驚くのは病院内にその病院の博物館があることです。それは日本で見たことはありません。帰国してからですが、たまたまケガ(骨折)した私は病院通いしていましたので、ドクターに聞くと誰でも「メイヨー・クリニックは有名だ」と知っていました。

5月20日 久しぶりのプール

 恥ずかしながら私は今年3月末日に右手をケガ(骨折)しました。当初、本人は骨折などと思っていませんが、すぐに腫れてきたし痛みは取れませんでした。それでも野暮用があって一泊で出掛けましたし、3月30日にはプールにも入りました。もっとも手が痛くて100~200mくらいしか泳げませんでしたが。。。。。まさかそれから5月20日までプールに入れなくなるなど思いも寄らずに。。。。。

 3月31日、周囲の連中から「病院に行った方が良いんじゃないの」と言われ、やっとのことで重い腰を上げました。と言っても病院は時間が掛かるので近所の接骨院へ。。。。
 「骨折ではないと思うけど、ウチにはレントゲンが無いので、病院へ行ってレントゲンを撮ってもらった方が良いんじゃない」と接骨院の先生。それでも患部に超音波を当ててくれて、不思議とこの超音波、当てると痛みが和らぐのです。
 仕方なくその足で病院へ。レントゲンを撮ると骨折と診断。「30度に折れているよ。これは手術だね。MRI撮って来て」とドクターの指示でMRI撮影。立体的な画像を診ながら「うん、やはり手術だね。麻酔をするからそのための検査をしてきてくれる」。
 胸部レントゲン撮られて、血液採られて、オシッコ採られて、血圧などなど。。。。。いろいろ検査をやられました。
 結局、病院に入って検査を終了して出て来るまで6時間。。。。。だから病院は嫌なんだよ。。。。。

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手術直後。応急手当は患部の上下(前後)の関節まで固定するが、術後は更にその先の関節まで固定する。

 4月1日、検査結果を聴きに再び病院へ。4月3日に手術が決まり、当日は日帰り入院だそうで、その説明をいろいろと受ける。。。。。
 それでも4月2日にはドーバーのエマからもらったSUVAの旗を持って湘南へ行き、湘南の主さんと撮影。(当ブログ“SUVAの旗”参照)
 また4月4日からスキーキャンプの予定が入っていたので、そのための準備を着々と進めている私でした。チャチャっと手術してそのままスキーに行こうと考えていたのです。

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レントゲン

 普通、骨折の手術は金具を患部に埋め込んで、骨折部が治ったら再び開腹して金具を取るという作業だと思っていました。ところが実際は、金具の端が皮膚から出るのです。こうすると切開は一度で済むと。。。。。
 まあ切開は一度で済むかもしれませんが、金具が皮膚から出ていますから、その露出部を毎日消毒しなければならない。。。。。つまりスキーはダメ、お風呂もダメ、雑菌の多いプールなどはもってのほか、手さえ洗うことも出来ない。。。。。

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金具が出た手

 当初、箸が使えないのでスプーン。しかも左手。顔を洗うのも左手で猫が顔を洗うようにします。
 それから一ヶ月、患部の痛みもだいぶ和らいで、一週間に一度のペースでレントゲン撮影をし、経過観察。「もう抜きましょうよ」と言う私にドクターは「まだ骨がちゃんと出来ていません。まだまだです。若いと骨が出来るのも早いんですけどね」と言うから「オレ、若いよ!」と文句を言う。それでも5月からはリハビリが始まりました。

 5月16日にデンバー(アメリカ)に住む水泳仲間、ニックが結婚をします。それに招待をされているので私はデンバーへ行く予定がありました。
 「先生、アメリカへ行くのにこんな金具着けていたらセキュリティチェックで引っ掛かっちゃうよ。ただでさえテロに狙われる国、この辺は厳しいよ。それに先生、風呂にも入っていないし、このままじゃ病気になっちゃうよ」と、「あと二週間は外したくない」と言うドクターを無理矢理に説得して金具を抜いてもらいました。「何があっても責任は負えない」とドクターと約束しながら。。。。手術から五週目、5月8日のことです。
 ドクターは金具代わりに私の薬指を当て木にしてテーピングで止めました。とにかく小指が何かに引っ掛かるなど、不意な動きが心配のようです。
 それでも5月9日はお風呂に入れて嬉しかったですね。プールは人と接触する可能性があるのでまだ禁止。。。。。
 デンバーの結婚式の様子は次回、このブログで紹介します。
 5月20日、レントゲンからようやくドクターからもテーピングを取ることが許され、プールに入ることが出来ました。でも一ヶ月以上小指は金具や薬指に支えられていて、久しぶりに独立します。やはり少し怖かったな。。。。。それに小指はほとんど動かない。。。。。それでも久しぶりのプールは気持ち良く、新鮮な気持ちになれました。
 今はリハビリ中。。。。。プールにも入っていますよ。ちょうど今日は術後二ヶ月になるので、リハビリも三ヶ月を超すと固まって頭打ちになるのだそうで、残り一ヶ月でどのくらい復帰できるか、何とか元に戻そうと思っています。

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