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わくわく、どきどき、台風の目。

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2015年1月の記事

2014年ドーバー泳、2回の世界高齢記録更新

先日、ドーバー泳の支援及び公認をしている団体、“CS&PF”から2014年の特徴ある横断泳の報告(珍記録)がこの団体のホームページより公開された。

これによると2014年のソロスイムの成功者は61回(1回の2-wayを含む)で、リレースイムの成功チームは62回(2回の2-wayチームを含む)だ。
尚、詳細は成功した水泳のリストをご覧ください。

気になったものを少し紹介しよう。
特筆すべきは2回の世界最高齢記録が更新されたことだ

  • 1回目:2014年8月20日、オーストラリアのシリル・バルドック(Cyril Baldock:70歳9ヶ月)はイギリス、シェイクスピアビーチから12時間45分後に、フランス、グリ・ネ岬の岩の上に立った。これは2011年に最高齢記録を達成したロジャー・オルソップ(Roger Allsopp:イギリス)より5か月上回っている。
  • 2回目:2014年9月6日、南アフリカのケープタウンから来た外科医、オットー・タンニング(Otto Thaning:73歳)は12時間52分でドーバー泳を成功させ、世界最高齢記録は更に更新された。

この中で驚くのは2名とも12時間台というかなりの速さで成功させていることだ。これは平均記録よりもかなり速い。

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湘南の主さん(左:日本人最高齢チャネルスイマー)とオットー(右)

  • 2014年9月7日、アメリカのニュージャージーから来たシャーロット・サミュエルズ(Charlotte Samuels:16歳)は、20時間44分27秒でフランスに到着した。
    これでアメリカが提唱する「トリプルクラウン(ドーバー、マンハッタン、カタリーナ完泳者)」の最年少記録を達成した。
  • アメリカのドーリー・ミラー(Dori Miller:43歳:現在はオーストラリアのボンダイ・ビーチ在住)は2-wayを26時間21分で完泳した。
  • アメリカはニューハンプシャーから来たボブ・フェルナルド(Bob Fernald:47歳)は、CS&PFの下で2014年の最も速い1-wayスイマーになった。10時間50分。
  • 来日経験もあるジェームス・セルター(James Salter:49歳)は彼の息子フィン(Finn:17歳)と“二人のリレー”というユニークな水泳で、1-wayを14時間57分で成功させた。(スペシャルカテゴリー)

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2014年ジェームス親子

  • トニー・ベイリー(Tony Bailey:48歳:イギリス)は平泳ぎにて1-wayを25時間26分で完泳させ、ペーター・フッカー(Peter Huecker:57歳:ドイツ)はフロントクロールにて1-wayを23時間5分で完泳させた。
  • 湘南の主さんが泳いだ時にもニールのボート“SUVA”のクルーになってくれたサム(Sam Jones:42歳:イギリス)は、9月19日に16時間38分で成功させた。

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ニールのボート“SUVA”の船内でのサム

  • シュリ・チンモイ(インドの宗教家)のアンギカー・ササ・ジョルジェビッチ(Angikar Sasa Djordjevic:セルビア共和国)は、ドーバーからドイツのハイデルベルクまでトライアスロンで完成した。
    9月6日、彼は18時間41分でカレーまで泳ぎ、ブリュッセル、マーストリヒト、アーヘン、ビンゲン(フランクフルトに近いライン川沿い)まで自転車、ビンゲンからハイデルベルクまで127kmを走り、9月11日、5日と5時間でイギリス、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツの5か国を周った。

しかしこれは2010年にドイツの友人“ヴァサンティ”がすでに行っている。

主だったものを紹介したが、詳細は団体のホームページより確認して欲しい。

あまりにも天気が良いので

冬になると東京からも富士山を眺めることが出来ます。
高いところがあまり好きではない(高所恐怖症)私ですが、気分一新して東京の北区にある「北とぴあ(ほくとぴあ)」、17階にある展望ロビーに行ってきました。
江戸川の我が家の方からでは東京スカイツリーの向こうに富士山が見える(西方)のですが、プールのある北区では方向が違いますね。

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北西方向
東北、上越新幹線など、京浜東北線と並んで線路が見えます。
左に塔(アンテナ)が見えます。陸上自衛隊十条駐屯地。この隣にプールがあります。

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北方向

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北東方向
写真中央に筑波山が見えます。(写真をクリックすると拡大画面になります)

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東方向

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南東方向
右側に針のように立っているのがスカイツリー
スカイツリーの手前に平らなところがあるのですが、わかりますかねぇ~。
尾久掃車場(旧:田端尾久機関区)です。今はJR東日本になっていますが、国鉄時代はもっと広かったんですよ。

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南方向
線路右にある緑は飛鳥山。飛鳥山を回るように通っているのは明治通り。明治通りには東京唯一の都電が通っており、その中でもここだけは都電と道路が共存している。

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南西方向
新宿の超高層が見えますが、ガラス自体があまりきれいではないのできれいに見えない。

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西方向
左側(太陽の右下)に富士山があるのですが、わかりますかねぇ~?

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富士山
アップしてみました。
時期によってですが、富士山の向こうに太陽が沈むので綺麗ですよ。

ウ~~ン、ただ方向だけを撮った面白い写真は無いですね。
写真はこちらの方が面白いかも。。。。。

シリーズ「人と決まり」 8.海を泳いで感謝状?

 1988年だったか、日本(対馬)から韓国(釜山)まで泳いだ。当時(今も)、日韓関係は戦中のいざこざもあって、以来“近くて遠い国”というイメージがあった。実際、当時の韓国では日本の歌謡曲でさえ法律で禁止されていた。そんな韓国へ友好親善のメッセージを持って、、、、何て書くとカッコ良すぎるが、とにかく「泳いでも行ける近い国」というPRは持っていた。
 だが泳いで行こうが飛行機や船舶利用だろうが、“外国に行く”という行為はいろいろな決まりに制約される。つまり泳いで行く時にスイマーは出国手続きをしなければならないし、税関や検疫の審査も通らなければならなかった。同様に韓国に入国するときはCIQ(税関・入国管理・検疫)を通らなければならないし、伴走した船も同様な手続きと審査が必要だった。
 まあ笑い話だが、パスポートを頭に括り付けて泳いで行かなければならない。
 一般に、国際空港や国際港はCIQの係官が常駐している。まあ俗に言う「国の玄関」から普通は出入国する。ところが遠泳などのように「国の壁を乗り越えて出入国する」といった行為はこのようなCIQの係官を現場まで呼ばなければならない。これがたいへん。
 ただ“決まり”なので違反さえしなければ何とかクリアーできる。

 この遠泳が成功に終わって帰国してからである。都から記念品をいただくことが出来た。しかし言っておくが「ください」と言った覚えはない。頂戴出来るモノはありがたく頂戴するが、頂戴したいがために泳いでいるのではない。
 続いて居住している区の政治家から、その区の水泳連盟へ「表彰でもしてやれ」と言ったらしい。そこで私たちは区の水泳連盟に呼び出され、「こういうことを黙ってやられると困るんだよね」と文句を言われた。
 ちなみにこの頃、日本水泳連盟の会長は古橋先生である。ここで“古橋先生”と呼んでいるのは私の学生時代の恩師だからで、毎年、古橋先生には欠かさず遠泳の報告をしていた。だから先生は私のやっていることをご存知だった。また日水連は“競泳”が目的であって、海峡横断泳を認める行為をしないことも私は知っていた。したがって区の水泳連盟にも届けずに行っていたのだが、区の水泳連盟会長からは「水連に加入するように」と言われた。
 言われるがまま加入したのだが、続いて会長からは次のように言われた。
 「当水泳連盟には“表彰規定”というのがあって、それは“国体以上の大会に参加して上位に入った”とか“当水泳連盟に20年以上貢献した”とか。そういったものに一つも当てはまっていないんだ。したがって表彰することは出来ない。そこで感謝状を発行することにする」
 再び断っておくが区の水泳連盟に「表彰してください」と言った覚えはない。水連も“区の政治家に言われたから仕方なく”という感があった。それにしても感謝状。何に感謝されているのか?????
 感覚的に言うと『むしろ感謝状はおかしい』と思うのだが、皆さんはどう思われるだろう。
 例えばアメリカの“殿堂入り”など、国や規定を超えて、素晴らしいものには「素晴らしい」と言える懐の深さが感じられる。日本の国民栄誉賞も、国境や規定を超えて外国人にも与えて良いような気もしているが、「日本国民じゃなければダメ」と言われるんでしょうね。

シリーズ「人と決まり」 7.身体障害者と小型船舶操縦免許

 クルマの運転免許は“オートマ車”などの誕生により、身体障害者へも大きくその取得枠が広がった。その変化に追い付いていないのが小型船舶の操縦免許取得枠。おそらく小型船舶をよく知らない人は「クルマは“オートマ車”のように簡単に運転できるようなったが、船はそこまで船自体が簡単に操縦できるようになっていないのではないだろうか」と思われることだろう。ところがどっこい、漁船の操縦するリモコンは皆さんがテレビやビデオで使うリモコンに少し毛の生えたような大きさのもので驚くほど簡単に操縦できる。つまり漁をしながらも操縦できるようになっているのだ。
 もっと便利というか困ったことは、「オートパイロット(自動操舵装置:以下“オーパイ”と表示)」まで船にはある。これをセットすると目的地まで船が連れて行ってくれるのだ。これはクルマより進歩している?
 ただこのオーパイ、障害物を避けてくれるほど進歩はしていない。
 伊豆の下田から伊豆大島まで泳いでいる時のことだった。この日、風もなく絶好の遠泳日和。もちろん漁船が伴走している。すると左舷後方(8時の方向)からヨットが接近してきた。ヨットも風がないため帆をたたみ、エンジンを用いて航海している。つまりお互いは“動力船”の関係。すると海上衝突予防法による“横切り船”の関係になる。皆さんにおいては「避航船と保持船との関係」と書いた方がわかりやすいかもしれない。
 この場合、相手を右に見る方が避航船(ヨット)、相手を左に見る方が保持船(漁船)となる。つまり漁船は針路を保持し、ヨットが避けなければならない。
 ただこのヨット、フラフラとどんどん接近してくる。漁船には「遠泳中」という大きな表示を掲げ、泳者の伴走をしているので急激な進路変更は出来ない。そこで漁船はヨットに向けて音響信号(警笛)や発光信号(フラッシュライト)などで知らせるが、ヨットは一向に転進しようとする行為が見えない。
 更に近付いてヨットのスキッパーも確認できるようになった。転進しないはずである。ヨットの皆さん、デッキで日光浴しながら寝ているのだから。。。
 肉声でさえ聞こえる位置まで近付いて初めてスキッパーの眼が覚めた。そこで慌ててヨットが左へ転進して後2mで衝突は避けられた。ところが怒った漁船の船長は「バッカヤロー! テメェー、待てぇー!」と怒鳴ったが、追い掛けられる状況にもなく、ヨットはとっとと逃げて行った。ヨットがフラフラ接近したのはオーパイだからだ。
 夜中に360度陸上が見えない洋上で仮眠をとるためにオーパイにするならわからなくもないが、大島付近で昼間の洋上、オーパイにして寝ているヨットマンの心境はわからない。
 まあ何が言いたいかというと、こんなヨットマンでも小型船舶操縦士の免許を持っているということだ。

 さて、小型船舶とは総トン数20トン未満のエンジンなどが付いた動力船で、主に海、湖、河川を航行する船だ。この小型船舶を操縦するには日本の場合、免許が必要。だが“小型船舶を操縦するには免許が必要”と決まったのは最近(数年前)のこと。過去においては少し違った解釈だった。平たく言うと、小型船舶には小型船舶操縦士(船長)が乗っていれば誰が操縦しても構わなかった。何故なら船舶職員法によると「小型船舶操縦士(海技免状)」は、区分として「船長」になる。
 だから私などは自分の船を障害者でも子どもでも操縦させた。経験をさせたかったからだ。
 そもそも“船長”とは船舶の最高責任者・管理者をいい、必ずしも四六時中、船長が操縦しなければならないという訳ではない。つまり船長の指示によって操縦する人を決定出来る権限があり、船長の命によって操縦する人が、必ずしも免許を持っている必要はないということだ。つまり船長とはある意味“責任免許”なのだ。ところが身体障害者には小型船舶操縦免許を取得するのに難しい。それは「悪条件下で操縦が出来るか」というところが問題らしいが、“責任免許”と考えた時に当てはまらないような気がする。
 そもそも小型船舶操縦免許を取得するには①身体検査、②学科試験、③実施試験に合格しなければならない。そしてそれは身体検査に合格しないと学科試験の受験資格がなく、学科試験に合格しないと実施試験の受験資格がない。つまり取れるものから取るのではなく、身体検査から順番に合格していかなければならないのだ。
 この身体検査で引っ掛かるのが身体障害者。もちろん視力や聴力がないなら仕方が無い。しかし問題は船長として的確な判断と管理責任能力があるかだ。その能力を確かめることなく受験資格を与えていない。これが問題だ。逆を言えば、管理責任能力がなくとも身体に障害が無ければ受験資格があり、更に実際、どうみても管理責任能力など微塵もみられないヨットマンが免許を取得し、問題を起こしている。声を大きくして私は言いたい。それはそんな者に免許を与えた日本にも責任があると!

 過去に海ではどんな身体障害者が活躍していたかを調べてみた。

  • フック船長:ピーター・パンと戦って左手を切り落とされ、ワニに食べさせられてしまったようだ。まあこの頃の海賊といえば義手、義足、義眼。まさに身体障害者オン・パレード。
     ただ童話でディズニーによってかなり内容がアレンジされているので実在した可能性は低いように思う。
  • 白鯨:1851年に発表されたハーマン・メルヴィル(米)の長編小説「白鯨」(映画にもなった)は、船長のエイハブがかつて“モビィ・ディック”と渾名される白いマッコウクジラに片足を食いちぎられ、鯨骨製の義足を装着していた。
     小説だがおそらくモデルがあったと想像される。

 上記は童話や小説だが、次は実在した正真正銘の船長。

  • マゼラン:世界一周就航に成功させたかの有名なマゼランは1509年2月3日、ディウ沖(インド)で起きたイスラム船との海戦で片下肢に重傷を負っている。海戦にポルトガルは勝利し、インド洋でのポルトガルの覇権を確立するが、この負傷でマゼランは「生涯片足を引きずって歩いた」とものの本に書いてある。
     おそらく今の障害名で言うと「片下肢不完全麻痺」で、身体障害者手帳等級なら4級程度だろう。小型船舶免許を取得するにはまさにグレーゾーン。

 他にも身体障害であっても有能な船長は実在されていると思うが、私の調べたものでは上記の程度。だがいずれも船長として有能な者ばかりだ。
 トラジオンSCが誕生したころ、一般の公共施設(プール)では「危険だから」という理由で障害者がプールに入ることは出来なかった。おそらく同様の理由で船舶免許の扉が閉ざされていたと思われる。これらそもそもの原因は一般に障害者についての無知無理解。

 問題は大きく二つあると思う。

  1. 小型船舶に対する免許制度そのものの必要性
  2. 障害者は船長になれないのか

 海外で小型船舶(20トン未満)に免許制度を導入している国(地域)はそれほど多くない。言い換えると小型船舶そのものに免許制度は無くとも「小型船舶を操縦するには無線機と無線の免許が必要(ハワイ州)」などがある。まあこの方が実用的。つまり障害の有無は無関係。日本もアマチュア無線を運用するには無線技士の資格が必要になるが、年齢制限がないので小学生でも楽しめる。
 実際、日本の家族がクルーザー(小型船舶)でクルージングに出た。ところが船長であるお父さんの具合が悪くなり、小学生のお嬢さんを除く全員が倒れてしまった。そこでそのお嬢さんはお父さんの操縦を見よう見まねで操船して無事に寄港したという話である。
 1996年、14歳(中学3年生)で東京~サンフランシスコ間をヨットで単独横断した高橋素晴少年(新潟県)は、“18歳以上”という小型船舶免許の年齢制限のため免許は持っていなかった。しかしある程度の大きさ以上の一般のヨットは港内航行用にエンジンを持っている。港内や危険な海域では必ず汽走しなければならないからだ。
 船舶免許を取得できない高橋少年だが、安全のため無線の電源確保としてエンジンをヨットに搭載したかった。逆を言うとエンジン付きのヨットを使用したのだが、船舶免許がないためにエンジンからプロペラ(スクリュー)を結ぶシャフトを切断したのだ。もっと言えば日本の“船舶免許”という障壁のためにわざわざプロペラシャフトを切断するといった危険行為をしなければならなかった。つまり“決まり”が危険行為を促進させたのだ。
 「緊急の場合を除いてエンジンは使わない」という制約でも書かせて特例でも認めればいいのに、日本では決まりが危険行為より優先されるようだ。
 ある日、小型船舶操縦免許を発行している日本の役人と話したことがある。第一に小型船舶に免許制度は必要ないということ。次に百歩譲って小型船舶に免許の制度を維持するならば、傷害の有無ではなく、操船の可否及び責任の所在がはっきり出来る者にして欲しいと。
 役人は答えた。「海外に免許制度を作っていない国は確かに多いが、実際は保険に加入しなければならず、それが障害者だった場合は保険金がべらぼうに高く、実質上、障害者は操船できないのと同じなんですよ」。
 この答を聴いた私は悲しくなって反論する気にさえならなくなった。何故なら問題の本質をこの役人はわかっていない。法によって解決できる道筋を閉ざされているのと、お金で解決できるのとではまったく違っている。
 確かに自己責任が取れない日本人には免許制度も致し方ないのかもしれない。過去、城ケ島を一周するOWS大会を私は開催していた。この時に「大会中のいかなる事故発生においても、当大会実行委員会は一切の責任を追わない」という誓約書を参加者に書かせても、裁判になると大会主催者側に過失責任が問われる変な日本の構造。これではいつまで経っても日本人に“自己責任”育つわけがない。そこには、国の天下り管理者がそうさせない努力をしているからだとも思っているのだが。。。。。

 最近(平成26年4月1日以降)、身体障害者への小型船舶操縦免許取得枠が変わった。詳しくは「小型船舶操縦免許」及び「小型船舶操縦士身体検査基準表(船舶職員及び小型船舶操縦者法施行規則別表第9)」をご覧いただきたい。

 更に最近では動力船であっても次の要件に満たされた船ならば小型船舶免許も船舶検査も不要で操船することが出来る。つまり障害者でも子どもでも可能になった。
要件:“船の全長×0.9=3m未満”に2馬力未満の船外機をセットされている舟。但し2馬力未満の船外機には非常停止スイッチ、キルスイッチ、遠心クラッチ、中立ギア、プロペラガードなどどれか一つ有することが必要。

バレンタインスイム

2月14日(土)に湘南のビーチで「バレンタインスイム」を開催予定です。
ウェット着用可。
興味がある方はご連絡(※)ください。
詳細をお知らせします。

※:メッセージ欄にメールアドレスとお名前を入れてポストしてください。
  当ブログ上には公開されません。

シリーズ「人と決まり」 6.裁判員制度(死刑は反対)

 2009(平成21)年、裁判員制度が生まれた。そして同年、いや前年かな? 裁判所から裁判員候補の登録通知が来た。どうやら選挙管理委員会がくじで私を選んだらしいが、『人が人を裁くなんて到底できない』と考えていたので辞退したかった。しかしこれといって明確な事態事由もなく、結局は一年間、裁判員候補とあいなった。どうやらこれは国民の義務のようで、くじで当たった人はほとんど裁判員候補になるようである。
 それにしても何で私になんか当たったのだろう。知人には裁判員になりたくてウジウジしている人もいるのに。。。。そういう人がやれば良いのに。。。。とにかく裁判員制度が始まって初めの裁判員候補である。まあ何とくじ運の強いこと。。。。今、考えると宝くじを買っておくべきだった。。。。。。
 何はともあれ呼出状(選任)が来れば裁判所に行かなければならない。しかもその裁判は“重い刑事裁判”と聞く。人の一生を左右する裁判だから、余計に気が重くなる。
 結果から言えば裁判所からの呼出状は来なかったので裁判員にはならなかったが、『もしなったら』と考えて自分なりに刑法を勉強した。
 『人を殺してしまった』を例えて浅学菲才の身でだが紹介しよう。

  • 殺人罪:人を殺そうと思って殺した。つまり故意による殺人。最悪なのは“身代金目的、誘拐、殺人”など。刑は死刑又は無期若しくは5年以上の懲役。
  • 傷害致死罪:ケンカなどして腹を立て、『ケガくらいは負わせてやろう(暴行)』と思ったが、打ち所が悪くて相手が死んでしまった。刑は3年以上の有期懲役。
  • 過失致死罪:クルマを運転中に思わぬところから歩行者が飛び出して、交通事故で相手が死んでしまった(業務上過失致死罪)。刑は5年以下の懲役若しくは禁錮又は100万円以下の罰金。(過失致死罪のみは50万円以下の罰金)
  • 正当防衛:夜道を歩いていて、痴漢が来て、相手を殺さなければ自分が殺されていた。刑は無罪。
  • 勲章:自国のために敵国の兵士をたくさん殺した。(自国のために活躍した)

 いちおう刑の重い順に並べた。また最後の“勲章”は1947年のアメリカ映画、「殺人狂時代(製作・監督・脚本・主演チャールズ・チャップリン)」をちょいとばかり思い浮かべたからだ。まあ“ジョーク”と思って欲しい。
 ただこの映画、内容はチャップリン演ずるアンリ・ヴェルドゥが殺人を繰り返し、裁判で処刑台に上がる直前に「大量殺人者としては、私などアマチュアだ」、「戦争でより多くの人を殺すプロは英雄として勲章をもらい、通常で少しの人を殺すアマチュアは犯罪者として死刑になる」、「殺人はビジネス、小さい規模ではうまくいかない」などの言葉を残す。
 この映画の作られた時代は第二次大戦直後であった。圧倒的物量で勝利したアメリカではあったが、かなりきつい“ジョーク”だと思う。
 さて、刑事事件(相手が死亡した)では裁判で当事者に殺意があったか、殺意は無くともケガくらい負わそうと思ったのか、まったく偶発的な事故なのか、相手を殺さなければ当事者が殺されたのか、この辺が論点になる。
 ちなみに刑法上に「人を殺してはいけない」という法はない。殺してしまった場合、どういう意図で殺したのか、それによって刑が極刑から無罪まで存在する。
 まあ「人を殺すと大変だよ」という抑止力のつもりなのだろうが、大泥棒として油による釜茹での刑になった“石川五右衛門”は、辞世の句に「石川や浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ(海辺に無数にある砂がなくなっても、世の中に泥棒がいなくなることはないであろう)」と詠んだ。つまりどんな抑止力にも利かない人はいるということだ。
 さて、裁判員裁判はいわゆる抑止力の利かない人。つまり刑事事件としては重いものを行う。最近で言えば“地下鉄サリン事件(199年)”に関与したとして、殺人罪などに問われたオウム真理教元信徒・高橋克也被告(56)の裁判がそれだ。
 まあ考えただけでも気が重くなる。いずれにせよ無罪にはならないだろう。
 これと同じくらい気が重くなることがある。例えば殺人罪で捕まった被告人に出た判決に対して、「あんなの死刑にすればいいのよ」という意見。更にそれに同調する一般人。被害者の親族になったつもりなのかもしれないが、簡単に「死刑」という言葉を平気で出す心理。“ドキ”っとして「本気かい」と気が重くなる。
 言っておくが「死刑」は“合法的殺人”である。被告人がどんな重罪をしようとも、無抵抗な被告人に対して殺意ある殺人を“処刑”という名でするのである。刑事上で視れば極刑に処する行為である。
 やはり死刑は良くないと思う。「懲役200年の刑」とか「300年の刑」とか。。。こちらの方が気が楽だ。特に死刑執行人に対しては気が楽になるだろう。
 ちなみに日本では自ら命を絶つ自殺行為でさえ刑事上では“殺人”とされ、認められていない。
 ただホスピスに入るような末期患者、あるいは末期患者の親権者が望むなら“安楽死”は「有り」だと思う。
 今日はちょっと重い話題になったが皆さんには考えてもらいたくてあえて出した。

シリーズ「人と決まり」 5.シーマンシップ(太平洋一人ぼっち)

 これは堀江謙一さんの1962年5月から約3ヶ月かけて、小型ヨット“マーメイド号”による太平洋単独横断航海(兵庫県西宮⇒サンフランシスコ)成功させた話から始めよう。
 当時、「小型ヨットで太平洋単独横断航海など出来ない」と言われた。まあこれはおそらく今の日本人にもある“目の上の瘤(たんこぶ)”とか“出る杭は打たれる”のように、排他的精神の一部のように感ずる。どうして先進諸外国のように「成功させろ!」とか「航海を楽しめ!」と、後押しする言葉を言えないのだろう。日本の「触らぬ神に祟りなし」が無関心を生み、「最先端を行こう」という意気込みに水を掛ける。
 当時、ヨットによる出国が認められなかったため“密出国”になった。もちろんパスポートもアメリカ入国のためのビザも持たぬ“不法出国”である。
 捜索に出た海上保安部も、マスコミ取材に対して「仮にアメリカまで辿り着いたとしても、堀江君はすぐに身柄を拘束され日本へ強制送還されるだろう」とコメントした。
 日本のマスコミもこぞって「無謀」とか「迷惑行為」と堀江青年の行為を非難した。
 そうとは知らぬ堀江青年、一人太平洋を航海する。ちなみに“風”が頼りのヨットは「無風」が荒れた海より恐ろしいそうである。
 ちなみに海の男たちには「シーマンシップ」と呼ばれる精神がある。これは洋上で困った船舶を発見した時は“お互いに助け合おう”という精神だ。したがって太平洋洋上で小さなヨットが浮いているのを見れば、何事かと視に行く。
大型船「どうした? 大丈夫か?」
堀江「大丈夫。今、ヨットによる太平洋単独横断に挑戦しているんだ」
大型船「そうか。無事の航海を祈る」
 こうして大型船は無線で堀江青年の行為を周囲の船舶に打電する。
 他の大型船もマーメイド号を見れば無事を確認し、それを打電する。
 結局はこうした行為、シーマンシップがアメリカ合衆国にマーメイド号の現在置、堀江青年の無事を知らせることになった。
 マーメイド号がサンフランシスコの金門橋を眼の前にした時、堀江青年は自らの行為、不法出国を心配したそうである。『入国できるのだろうか』と。しかし遠い日本から一人で太平洋を横断してきた行為に、アメリカ人は喝采で歓迎した。
 当時のサンフランシスコ市長が「コロンブスもパスポートは省略した」と、尊敬の念をもって名誉市民として受け入れ、「一ヶ月間の米国滞在を認める」となった。
 これが大きく報道されたところ、日本国内のマスコミ及び国民の論調も手のひらを返すように堀江青年の偉業を称えるものに変化した。
 この辺がポリシーの無い日本人精神を見るような思いをする私だが、皆さんはどう思われるだろう。
 帰国した堀江青年は密出国について当局の事情聴取を受けたが、結果、起訴猶予となった。

 決まりが優先か、人の行為が優先か、日本では“決まり優先”のように感ずる。典型的なモノがJRの新幹線。まずは駅で切符(乗車券、特急券)を購入し、改札口で切符の検査(改札)がある。続いて新幹線の改札口で再び検査(改札)。新幹線の中で検札。目的の新幹線駅で改札。目的の駅で改札。合計5回も検査するのだ。これほど旅客を信用していないシステムは無い。
 JRに文句を言うと決まって「決まりですから」との返事。このことについて怒っているのは私だけではないと聞いている。
 スポーツでも学業でも優秀な人は日本にもたくさんいると思う。しかし最先端を行こうと思うと途端に“決まり”という足かせをかせられる。決まりの先に行く環境がないからだ。
 実際、小学校でも評価しにくい道徳の時間は評価しやすい国語、算数、理科、社会などに押されて少なくなっている。つまり善悪の教育が不足した状態で社会に出てくる。挙句の果て、自らの判断がしづらく、決まりに委ねることになる。だが「悪法も法」であるように、決まりがすべて“善”とは限らない。
 したがって決まりの先に行こうと思う者は、育む環境のある海外へ行ってしまう。
 やはり日本の歴史や文化に問題があるのだろうか。

シリーズ「人と決まり」 4.海上保安部(監視船)

 確か1995年頃だと記憶している。津軽海峡でも西側は何回か泳いでいるので東側、つまり青森の下北半島佐井から北海道の函館市汐首の間を泳ぐ計画を立てた。東側はおそらく初の遠泳で、障害者と健常児によるリレー方式だ。
 この時、青森の船を使った。それはご当地の漁協が所有する密漁監視船だった。当時、この漁協では「休漁日(きゅうりょうび)」と呼んで週に一日だけ出漁をしてはいけない日を設けていた。
 ところで海峡横断泳などちょっとした規模の遠泳は小潮の天気の良い日に泳ぎたい。つまり自然の都合は人間の都合とは違うのだ。泳ぐのに都合が良い日は休漁日だろうが何だろうが泳ぎたい。逆を言えば泳ぐのに都合が良い日は休漁日と無関係。更に年に数回しかないチャンス。そのチャンスを見逃したくない。
 漁協に加盟している船は、休漁日にいかなる目的であろうとも出すことを禁止している。だから泳ぐための伴走目的であろうとも船は出せないのだ。
 ところが密漁に来る船は曜日に関係がない。昨今のサンゴを狙った中国漁船ではないが、そこは無法地帯になるので捕り放題になる。まあほぼ泥棒行為に近いので、密漁者は昨今の「育てる漁業」など考えていない。
 そんな密漁を阻止するための監視船だ。必要とあればいつでも出て行く。
 漁協の決まりとして漁船は出せないが、監視船なら良いだろうということになった。この監視船には旅客定員も持っている。更に組合長自ら操舵してくれることになった。嬉しい限りだ。
 ここで法律上の詳細はちょっと省略するとして、純然たる漁船は船員(漁師)以外乗れないことになっている。ところが漁師をしながらも釣り船もやろうと考える漁師は、旅客(釣り師)を乗せるための検査に船を合格させた。このような船を「小型遊漁兼用船」と呼ぶ。
 当時、遠泳の伴走を頼むとき、この小型遊漁兼用船の船を探した。旅客定員を持っているからだ。だがこれを海上保安部に届けると「これ(遠泳)は遊漁(釣り)ではないだろう」と受理してくれないのだ。
 ここで海上保安部(公務員)のずるいところ。「違う」と言うだけで正解は絶対に教えてくれない。つまり行政機関ではあるが、管轄が国土交通省ではないからだ。口では言わないが、顔が言っている。「答えは国土交通省に聞け」と。
 そこで小型船舶を国(国土交通省)に代わって検査事務及び登録事務を行う「日本小型船舶検査機構(JCI)」に行って「海上保安部でこのように言われてきた」と相談した。
 するとJCIの担当者も「ウ~~~ン・・・」と頭を抱えてしまった。何故ならば釣りのためはあっても遠泳のための小型船など存在しないからだ。
 誰だって遠泳で安全性を高めようと思えば船を側に着けるとわかることだ。ところがそれが法制化されていない。言い換えると答えは無い。鯔の詰まり、頭を絞った挙句に「監視船」ということで“臨時航行許可書”を取った。
 管轄する国土交通省(JCI)が「ウ~~~ン・・・」と頭を抱えるような難問に、管轄外の海上保安部のために臨時航行許可書を取る。更に本来なら臨時航行をする場合はその理由や場所によって船の設備や搭載船具の検査をしなければならない。ところが小型遊漁兼用船が監視船になったところで何ら設備や船具の変更がない。つまり書類だけが一時期変更するだけで、船舶を検査するわけではない。これっておかしくない?
 人によっては「書類だけで済むなら簡単で良い」という輩もいるが、検査もしないこの法律、まったく私には意味が解らない。逆を言えば書類変更だけで手数料が発生する。答えもないのに。。。。。。
 現にこの書類(臨時航行許可書)、海上保安部に持って行っても保安官は見もしない。おそらく彼らも「答えはない」と知っているからだ。「変更した」ということに意味があるらしい。(バカバカしい!←私)

 ちなみにこの法律、2002(平成14)年に規制緩和で「小型遊漁兼用船」は「小型兼用船」と“遊漁”が取れた。意味は「遊漁(釣り)以外でも使って良い」ということだ。
 当時、国(旧:運輸省)に向けて「意味のない法律」として私は抗議した。おそらく同様に思った人はたくさんいたのだろう。国(国土交通省)は「時代の変化に伴い、多様化するニーズに云々」と相変わらず上目線での答弁だったが、規制緩和には成功した。したがって今は“小型兼用船”を遠泳に使用して何ら問題がない。
 尚、小型船の詳細についてはJCIから問い合わせて欲しい。

 さて話を戻そう。津軽海峡を泳いで渡るために“密漁監視船”を使うという話だ。もちろん2002年の法改正(規制緩和)の前だ。海上保安部では「密漁の監視ではないだろう」と言う。『ああまた来たよ。答えもないのに。。。。』と思っていると、「この書類(船舶検査証書)、見なかったことにしよう」と保安官の方から言ってきた。
 ありがたかった。『ああこの保安官、分かっているな』と思った。何だかとても嬉しかった。
 前にもこのブログに書いた記憶がある。海上保安部に遠泳届を提出に行った。当時は担当が警備・救難課(現在は「交通課」)である。この届を出しに行った数日前に当地では大雨が降り、子どもが河川に流され海まで至ってしまったらしい。そこで警備・救難課では大忙しのようだった。
 そんなところに届を提出に来た私に、担当者大忙しで上司と思しき保安官が受け付けてくれた。その時、「水泳国日本の名を世界に広めて欲しい」と言って“ドン”と受理印を捺印してくれた。
 もちろん、大忙しの最中でも保安官と私のやり取りを見ていた担当保安官は迷惑そうな視線でこちらを見ていたことが印象的に覚えている。
 この時も嬉しかった。バックでは子どもの水難で大騒ぎしている中、海を泳ぐ行為に後押ししてくれた。『この保安官のためにも絶対に失敗は許されない』と私は心に誓った。

 さて、最近に思うことは規制緩和などで海上保安部も過去の官僚的態度からかなり緩和された。それはそれで『良いことだ』とは思っているが、結局は法律の外か内かを見ているだけで、自身の判断がそこに無いことが寂しい。
 そうそう、こんなこともあった。海上保安部へ遠泳届の提出に行った折、担当保安官は私の話をジックリと聞いた後、新米と思しき若い保安官を呼んで遠泳の計画書を読ませた後に「お前だったらどう思う」と聞いた。
 すると「危険なのでやめさせた方が良いと思います」との答え。この答の裏には“上司を満足させるための答”としか感じなかった。それは上司の保安官も同様に感じたようで、上司保安官と私は眼を合わせて寂しそうにため息をついた。
 新米保安官には申し訳ないが、これはテストのようだった。
 もちろん海上保安部を出る私の手には受理印の捺印された書類があることは言うまでもない。

 皆さん、最近、増えたと思いませんか? 決まりがないと自分で判断できない人。スポーツマンシップとかシーマンシップ(次回掲載)とかは何処に行っちゃったんですかねぇ~?

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北海道函館の潮汐

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