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わくわく、どきどき、台風の目。

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2014年10月の記事

離岸流

 海岸で“リーフカレント”とか“リップカレント”ってご存知ですか? どちらも岸から沖に向かって流れる「離岸流」のことを言います。「名前くらいは聞いたことがある」とおっしゃる方も「いや、聞いたこともないなぁ」とおっしゃる方も、今日は離岸流について語りたくなりました。ちょっとばかり耳を傾けてください。

東映 荒磯に波

 これは東映映画のオープニングに上映される波のシーンで、おそらく一度はご覧になったことがあると思います。さて、波が“ザバ~~ン”と岩に当たってシーンは終わってしまいますが、その後どうなったでしょう?
 ご存知のように波には「寄せる波」と「引く波」とがあります。ところがこの東映映画のように「打ち寄せる波」はありますが、「打ち引く波」なんて言うのは聞いたこともありません。つまり寄せる波は岩の上でも“ザバ~~ン”と当たって行きますが、引く波は岩と岩の間を“ザザザザザァ~~”と通って沖へ逃げて行きます。寄せる波のように岩に当たって上を通過するということはありません。
 ですが、普通、寄せる波と引く波は水の分量が変わりません。ですから岩と岩の間では寄せる波よりも引く波の方が岩の上を通過しない分だけ強い流れが生まれるわけです。これが離岸流です。
 昔、鹿児島県の屋久島から種子島までトラジオンの子どもたちと泳いだことがありまして、ゴール直前、種子島の岸近くがこの東映映画のようなビーチでした。もちろん波に乗ってダッシュで岩場の間を入って行くのですが、離岸流で押し戻されてしまうのです。そこで、引き波の時に押し戻されないように私は片手で岩につかまり、反対の手で子どもの手を掴んで、寄せ波が来るタイミングに合わせて子どもを岸の方へ投げて行きました。
 もちろん投げられた子どもはダッシュで岸に向かって泳ぎますから岩場の向こうへ行くことが出来ます。何とか子ども全員を投げ終わって無事に岩場を越したのですが、いざ自分が中に入ろうとすると上手く行きません。誰も私を投げてくれないからです。しばらく寄せる波に乗って中に入ろうとするのですが、すぐに引く波によって元に戻されてしまいます。それを何回か繰り返しているうちに、「ああ、遭難するってこんな状態なんだろうなぁ~」と思ったものです。
 結局は岩につかまって引く波をこらえ、寄せる波に乗ってダッシュでようやく私も岩場の向こうに泳ぎ入ることが出来ました。
 まあここでは離岸流を“岩場”というわかりやすいシチュエーションで説明しましたが、実は海水浴場のような平坦な浜でも離岸流は生まれます。それはむしろ“岩”のようなわかりやすい波の通過の障害があると良いのですが、海面上では何も無いのでわかりにくいのです。
 しかしよくよく観察していると、横一列に並んでやって来る波の所々に波の低い部分があります。そして時折その部分は波が崩れることもなく、波が他より低い部分があります。そこが離岸流の生まれているところです。

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波の泡が沖に出ている部分が離岸流です。

 上手なサーファーなど、簡単に沖に出たい人はこの離岸流に乗って行きます。しかし子どもなど海水浴客はそのまま沖に持って行かれてしまうので、注意しなければなりません。
 詳細は「海上保安庁海洋情報部」の“離岸流”のホームページや、次の動画をご覧ください。

離岸流

新遠泳(海峡横断泳など)入門 (2014年改訂版)その3/3.

第三ステップ <協力者を得る>

 地元の役所、関係する個人または団体、マスコミ等に届けて必要な協力者を求める。
 以前に同じ海域を泳ぐなど、同等の企画を行なった個人若しくは団体がいたら、そこからの情報を得よう。それは生きた情報源だ。それが見付からなかったらトラジオンに聞け。お金は無いが、toraはニコニコしながら協力するだろう。
 例えば中々首を縦に振らない海上保安部も、鶴の一声ではないが有力者の一声でスーッと話が通ってしまうことがある。思わぬ余禄が手に入ることさえある。ただし協力者が現れても頼ってはいけない。あくまでも補助程度に留め、「自分でやるぞ」という心構えが必要不可欠だ。時として協力者やマスコミに振り回される危険性もあるので充分注意しなければならない。そして、大きな声で「NO」と言える勇気も必要だ。
 一つのことを成し遂げるのにたくさん協力者が必要だが、協力者はあなたと同じ『感動を味わいたい』と思っている。それに応えるのは“前向きの努力のみ”と知ること。
 ここまで終えればその遠泳の「90パーセントは完了」と言って過言ではない。あとは実際のトライに望むばかりだ。だが遠泳は時の運。結果の善し悪しや思わぬ方向へ行ってしまうことも、神のみぞ知るというものだ。しかしこれが遠泳。大自然の中へハダカ一貫で飛び込んで、全て計画通りになったら面白くない。何が起るか分からないところに期待、不安のハラハラ、ドキドキ、ワクワクがある。
 遠泳の出発とは、終着駅のあやふやな列車の見込み発車みたいなものだ。『百里歩む者は、九十九里をもって半ばとす』。100パーセントしか信用出来ない者は遠泳などおやめなさい。成功への90から99パーセントの間に遠泳の醍醐味がある。

新遠泳(海峡横断泳など)入門 (2014年改訂版)その2/3.

第二ステップ <必要な伴走(監視)船の確保、関係各所へ計画書の届、許可申請など>

 伴走船は泳ぐ目的に充分合ったもので、且つ合法的なものでなければならない。大き過ぎても小さ過ぎても伴走には不向きである。大き過ぎれば喫水(船舶が水に浮いているときの、船体の最下端から水面までの垂直距離)が深いので岸に寄れないし、小回りが利かない。また緊急時の乗下船に困難だからである。小さすぎれば沖合には出られないし、スタッフの乗船定員の問題も出てくる。尚、船舶には法律で航行区域が定められており、泳ぐ海域がその区域の内でなければならないし、泳者も乗船者として数えなければならない。
 尚、航行区域、乗船定員などに関しての詳細は「JCI(日本小型船舶検査機構)」のホームページをご覧いただきたい。
 経験上から言うと、大きめの小型船舶(総トン数10トン程度)でパイロットは地元の漁師が良いと思われる。その方が潮にも詳しいからだ。また陸上との連絡を確保する上で漁業無線の利用も考えねばならないから、地元漁業協同組合に依頼して探してもらうのが一案であろう。
 尚、「漁船」は主に漁労に従事することを目的にした船であって定員に“旅客(泳者及びスタッフは旅客)”を持たない(定員は“船員”のみ)。したがって遠泳には不可。「小型兼用船」は漁労目的以外にも対応した船(定員に“旅客”を持っている)であるので遠泳の伴走船として可能である。いずれにせよ「小型兼用船」以外でも小型船舶の詳細はJCIのホームページをご覧いただきたい。
 関係各所、つまり管轄する海上保安部、警察署、消防署(救急)、漁業協同組合、定期航路を持つ海運会社、マリーナなどに届けておく。ちなみに港内とその付近等は遊泳禁止区域である。どうしても遊泳禁止区域を泳がなければならない場合は管理者の許可が必要になる。この辺は地元役所などに訪ねて管理者の所在地を知り、必ず許可を取ること。
 尚、海上保安部に提出した“届”には、出来るだけ「受理印」を捺印してコピーを返してもらおう。そのコピーは海上保安部が「届を受理した」証拠になる。ただ海上保安部は立場上、『指導』という名目でいろいろと言ってくることが多々ある。がしかし、それは出来る範囲で対応することにして、全てが総て指導通りに出来ない場合がある。この無理難題には「出来ません」とはっきり言おう。その上で受理印が捺印された届は、その他の関係各所に届を提出する際に役立つことが多い。
 ちなみに病院の場合、救急隊が選択するので届けても意味をなさない場合が多い。したがって何らかの理由で『届けた方が良い』と思う者は届ければいいだろう。

新遠泳(海峡横断泳など)入門 (2014年改訂版)その1/3.

 20年くらい前だろうか、「遠泳入門」を公開した。しかしその当時から比べると今はかなり法律も変わったし、海を取り巻く環境が変化した。総体的にみると「泳ぎやすくなった」と言って良いだろう。しかし諸外国から比べてみても日本特有の事情があるし、環境がある。それを理解した上で泳いでいただきたく、久しぶりに「改訂版」を作る気になった。

 海峡横断など少し大袈裟な遠泳を行なうには、次の三つのステップから進めていく。

第一ステップ <計画書作り>

 このためには泳者の能力(泳力、耐寒能力、波酔いをしない能力など)を高めるトレーニングを充分に行なうこと。そして、泳者の能力に合った海域の選択である。泳者の能力が高まるに連れて泳ぐ海域の選択数が増し、逆に海域が決まっていればその環境に合わせたトレーニングが必要になる。
 泳者のトレーニングは科学的に、且つデータを出すこと。同時に泳ぐ海域のデータを入手し、双方の特徴を考慮した上でいつ、どこで、誰が、何を、どうするといったシミュレーションを制作する。またこのシミュレーションの中には泳ごうと思う海域の問題点(自然、交通、法律など)を探っておく。
 次にこのシミュレーションを基に具体的な遠泳の方法と安全対策を明確に列記する。
 例えばサメなど泳者に危害を及ぼす危険性のある魚類が現れた場合の対応、大型小型を問わず他の船舶が接近して来た場合の対応、泳者を含むスタッフの病気やケガの対応、夜間泳がある場合の対応、陸上との連絡確保、遠泳の中止、休止、コースの変更等の基準、監視者などスタッフの役割分担、問題点の対応等きちんと整理する。
 こういったシミュレーションや安全対策は裏付けが明確で、どんな相手に説得するにも充分満足出来るものでなければならない。従って計画書には、動機及び目的、具体的な方法(泳者、海象などデータも含む)、安全対策、乗船名簿、連絡網等、簡潔明瞭に記載されていること。

人命救助と海難事故(その2/2 海難事故編)

 昔、神奈川県は三浦半島の先端にある城ケ島を泳いで一周する(約6km)「城ケ島ロングディスタンススイミング大会」を開催していた。その開催後、同じ城ケ島でトラジオンのキャンプを開催する。
 そのキャンプのプログラムの中で、『遠泳をもっと普及させよう』と考えていた私は「遠泳講習会」を開催した。インターネットを使って公募したのである。すると二名だが参加者が現れてくれた。
 ところがこの頃は南風が強く、海は荒れていた。普通なら海では泳げないような状態である。しかしせっかく参加費も頂戴して『泳がせないわけにもいかない』と思い、『三浦側は港内だし、そこなら泳げるだろう』と開催場所を移した。
 トラジオンのキャンプサイトは城ケ島の南側、太平洋に面した向きにある。そこで城ケ島ロングディスタンススイミング大会の本部に使っていた城ケ島大橋の下にある公園に、参加者をトラジオンのゴムボートに乗せて移動した。
 ちなみにトラジオンのキャンプサイトにはトイレも水道もない。このような施設は城ケ島のいろいろなところにある公園や駐車場に設置してある。もちろん大会本部として使用した公園にもトイレと水道設備はあるのだが、おそらく心無い公園利用者がいて、水を無駄に使ったであろう、水道の蛇口にはハンドルがないのだ。つまりレンチなど工具を使ってひねり出す以外に方法はない。この辺、公園管理者にお願いして我々はレンチを使って水を出して良い許可を貰っている。キャンプサイトで使用する水はポリタンクに公園の水道水を入れてボートで運搬しているのだ。
 遠泳講習会でせっかく橋の下の公園まで行くのだから、ポリタンクを受講生と一緒にボートに乗せて行ったのだ。ところが、、、、、『しまった。レンチを忘れた!』
 講習生とポリタンクを公園で降ろすと、一人キャンプサイトまでレンチを取りにボートを飛ばした。それは“飛ばしたら危険”とわかっていても、『待たせている』という気持ちから気が焦るのだ。

 ちょっとここで“船型”について触れておきたい。船型には「排水量型」と「滑走型」があって、主に大型船は走っていても止まっていても、水に浮いている船の高さが変わらない。これを「排水量型」という。一方、主に小型船は「滑走型」といって、止まっているときよりも走っているときの方が船体は浮いているのである。例えば「水中翼船」や「モーターボート」は滑走型の典型で、滑走状態になると船体が水から浮いて抵抗を少なくして走る事が出来るのだ。もちろんトラジオンのゴムボートは滑走型で、飛ばすと船体がパン、パンと水から跳ねながら走るのである。

 さて話を戻そう。慌ててはいけないが焦っている私はちょっと飛ばし過ぎた。港を出て城ケ島を迂回するために南を向いて走っているとき、南風と風によって運ばれる波でパンと跳ねた。
 それこそ大判型の煎餅を想像していただきたい。船外機と私は船尾にいるのだ。つまり船尾が重い。そこに波によって船首から跳ねたところに前からの風であおられ、そのまま真っ逆さまにザブ~~ン!!
 『ああ、やっちゃった!』と思いながらも『まずは落ち着いて!』と自分に言い聞かせながら周囲の状況を確認する。船内に置いてあった救命胴衣などが風と波にプカプカと運ばれて行く。運ばれて行く先を見るとテトラポットだ。このままだとボートごとテトラポットに呑まれて木端微塵になることは誰もが想像出来る。

Img_0768
ちょっと見難いが事故現場は③付近。“FB”と書かれた左側が岸壁になっていて、南側にはズラァ~~~っとテトラポットが並んでいる。

 被害を最小限に留めるために、側にあった救命胴衣二着を手に持った。浮力の高い救命胴衣を支点にボートを起こそうと試したが、ゴムボートとはいえエンジンが付いているので重さは100kg近くある。それに煎餅のような形はそう簡単に反転させることなど出来なかった。
 『仕方ない。このまま運ぼう』とボートを持って泳ぎ始めた。ところがある程度引っ張ると何かに引っかかっているようでボートが動かない。ハッと気が付いた。アンカー(錨)が効いているのだ。ボートがひっくり返って船内に設置してあるアンカーが落ちて効いている。船尾のアンカーロープを引き上げてアンカーを上げる。そのアンカーをひっくり返って上を向いているボートの船底の上に乗せた。ところが波でボートが揺れてアンカーはずり落ちてしまうのだ。『仕方ない。持って行くか』
 片手にボート、反対の手にはアンカー、両腕には救命胴衣が通っている。その状態のまま立ち泳ぎで城ケ島の港内へ運ぶ。ようやく港内に入ると風から見れば陰になるので波も風も無くなる。そして浅瀬で私自身が立てる位置まで来るともう一度ボートが反転できないか試してみた。
 そんなことをしている私のところへ何処から来たのかレスキューのスピードボートがビュ~~~っと。。。。。誰かが通報したのだろう。。。。。
レスキュー「一人ですか? 一人ですか?」
私「はい。一人です」
レスキュー「怪我はありませんか? 大丈夫ですか?」
私「はい。怪我はありません。大丈夫です」
 そんなやり取りをしている間に空にはバタバタバタバタバタと大きな音が。ヘリコプターが飛んで来たのである。レスキューの隊員とヘリとは無線で何かを話しているようだ。そして、私の無事を確認するとレスキューとヘリは帰って行った。
 その場(岩場)でボートの反転が出来なかったのでそのまままた泳いで港まで運ぶことにした。すると、城ケ島大橋の上をサイレン鳴らしながら救急車と消防車がやって来るのが見えた。『一週間前にもあの自殺騒ぎであれを見たなぁ。でもあれはオレを目的にしていないといいなぁ』と思って願った。しかしその願いは外れ、彼らの目的は私自身だった。
 港で救急隊に何も怪我のないことを知らせ、消防隊にボートの反転を手伝ってもらい、遅れてやって来たパトカーの警官と長い長~い事情聴取である。
 それが終わるとボートを一時港に預かってもらい、みんなが待っている橋の下の公園へ私は歩いて行った。皆さん、首を長~~くして私がやって来るのを待っていてくれていたのだが、ボートで行ったのに歩いて来たからビックリ!!!
 講習会の内容は、今回の一連の海難事故を説明し、「だから皆さん海では注意してくださいね」で終わった。まさにリアルタイムな実体験だからである。
 橋の下の公園で受講生と待っていた我らがスタッフのWが一言。
W「いやぁ、ヘリが低空でホバリングしていたから“何かあったのかな”とは思っていたけれど、それがtoraさんとはね。。。。。人命救助もしたけれど、海難事故もしたのでプラスマイナス0(ゼロ)だな」
だって!!!

人命救助と海難事故(その1/2 人命救助編)

 昔、神奈川県は三浦半島の先端にある城ケ島を泳いで一周する(約6km)「城ケ島ロングディスタンススイミング大会」を開催していた。その開催後、同じ城ケ島でトラジオンのキャンプを開催する。
P7190039城ケ島ロングディスタンススイミング大会の風景
P7190042
 城ケ島大橋は城ケ島と三浦半島を結ぶ橋で、橋の下には公園があってそこがこの大会の本部を設置する。スイマーは城ケ島大橋の下でスタートとゴールをするのだ。これは遠くからも見えるのでわかりやすい。
 しかしトラジオンのキャンプはこの大会本部のある場所の真反対で行うのだ。そこで大会で使用した機材はそのままトラジオンのキャンプで使われるため、運搬する。つまりA班は大会本部の撤収、B班は機材の運搬、C班はキャンプ設営となる。
 ちなみにトラジオンでは3隻のインフレータブルボート(エンジン付きゴムボート)があり、機材はそれに乗せてピストンで海運するのだ。その中の1隻をスタッフのA君と私が操船する。そう、我々はB班なのだ。
 それももうそろそろ運搬も終わる最後の操船だった。島を迂回して外に出たところで
A「あんなところにブイがありますよ」
おそらく漁師が仕掛けで設置したブイだろうと思った私は
私「ああ」
と生半可な返事しかしなかった。
A「あんなところに、、、、おかしいですよ」
確かに場所としてはおかしい。それによくよく見るとそのブイにはワカメがたくさんくっついている。
私「じゃ、確認に行くか」
とブイを見に行った。
 するとそれはブイではなく、人の頭だった。ワカメに見えたのはその女性の髪がザンバラに顔に掛かっているからだった。服は着ている。辺りを見回すと断崖絶壁以外何もない。釣り人すらいない。
私「泳いでいるの?」
女性「・・・・・」
私「落ちちゃったの?」
女性「・・・・・」
 ちょうど水面はその女性の顔を上がったり下がったりしている。しかし眼は心の窓。彼女の瞳は「助けて!」と叫んでいる。
私「おい、助けるぞ!」
A「わかった!」
 ボートの上はキャンプ用機材で一杯になっている。スペースがあるのは我々が操舵するための船外機がある最後尾。ちょうど燃料タンクの部分にほんの少しのスペースがある。Aと私は彼女の上腕を持って「せーの」で上げる。うつ伏せ(伏臥位:ふくがい)の状態でボートに上がるや否や、彼女は燃料タンクの上に「グェ~~」と嘔吐した。その嘔吐物が酒臭いのなんのって。。。。。
 だが嘔吐するということは生きている証拠だ。呼吸はある。しかし意識はない。意識はないが、グーグーと鼾(いびき)をかき始めた。これは頭部強打の疑いがある。頭部強打の場合はむやみに動かせない。そおっとそおっと操船してキャンプサイトに向かった。
私「おーい、人を拾ってきたぞ! ベッドだ。キャンパスベッドを用意してくれ!」
 キャンプ設営をしていたC班の連中が慌ててベッドを組み立て我々のボートまで来てくれた。
私「頭部強打の疑いがあるんだ。そおっとそおっと運んでくれ」
 彼女はベッドで横になってもグーグーと鼾をかいていた。ちょうどケータイは不携帯だったので、おそらくデートで来たのであろうカップルのお姉ちゃんがケータイを持っていたのでお借りした。119番に電話するのだ。
119「火事ですか? 事故ですか?」
私「事故です。海で人が浮いていました」
119「場所は何処ですか?」
私「城ケ島です」
119「城ケ島? そこは何処ですか?」
私「ハァ? そちらは何処ですか?」
119「東京の救急司令室です」
 『そうだ。城ケ島の大会プログラムに“緊急連絡先”として地元の消防署の電話番号が書いてある』と思い出した。
私「ああ、いいです。近くの消防署の電話番号がわかりましたから」
と言って切った。そして地元消防署に電話する。
消防「ああ、そこまでは救急車が行けないのでボートで漁港まで運搬してきてください」
私「分かりました」
私「おーい、漁港まで運搬してくれってよ。またボートに乗せるぞ。そおっとそおっと運んでくれ」
とA、T、私の三人で彼女をボートに運んだ。そしてC班代表のTを残してAと二人でそおっとそおっと操船して漁港へ向かう。
 城ケ島の三浦側に入ると城ケ島大橋を救急車と消防車がサイレン鳴らしながら走っているのが見えた。『あれか』と思いながらも慌てずそおっとそおっと操船して漁港に入る。すると救急隊がフラッシュライトで我々のボートを誘導する。誘導されるままに岸壁に着岸すると、ダダダと乱暴に救急隊が我々のボートに乗って来て、これまた乱暴に彼女を運び去って行った。
 それから救急隊の隊員と状況説明である。この時、私の着ていた大会Tシャツが役に立った。そのTシャツには城ケ島の地図が描かれているからである。「ここで浮いていて、こちらに運んでから電話した」などなど。
Img_0768大会Tシャツ
城ケ島大橋の左が本部、スタート地点。①、②、③と泳いで行く。
トラジオンキャンプサイトは⑤に近いT2のところ。女性は④のところで浮いていた。
救急車が来た漁港は②のところ。
 いつの間に来たのやらパトカーが止まっていて、再び警察官に状況説明をした。それが何人にも聞かれて何回も答えた。同じ状況説明を繰り返しするのも疲れたほどだ。
 すでに辺りは暗くなり始めた。ちなみにトラジオンのボートは灯火設備がないので夜間は操船が出来ない。この騒ぎを見に来たやじうま漁師に頼んでこの日はボートを漁港に置かせてもらうことにした。我々はトボトボと歩いてキャンプサイトに帰る。
 翌日、ちょっと用事があって私は居なかったのだが、キャンプサイトにいた我々スタッフに刑事が会いに来たらしい。話によると、どうやら彼女は自殺目的で海へ飛び込んだのだそうだ。そして靴とバッグを置いて飛び込んだらしく、刑事はその靴とバッグを探しに来たのだとか。どうやらバッグは見付けたが靴は見付からなかったのだそうな。。。。。
 友人Wから
W「人命救助でしょ。これは警視総監賞かもしれないな。それ貰ったら、交通違反キップなんて綺麗サッパリなくなっちゃうから」
と言われてまんざらでもない私。
 しかし実際は、、、、、しばらくしてから神奈川県警から一通の封筒が届いた。中には手紙とテレホンカード。手紙には「城ケ島で飛び込んだ女性は韓国国籍の38歳になる方で、自殺目的だったようです。運ばれた救急病院の医師によると“もう少し遅かったら危なかった”と言っておりました。退院するときには“もうあんな馬鹿なことはしない”と言って帰って行きました」と書かれていた。
 だが心理学者によると、自殺経験者は再犯する確率が高いのだそうな。。。。。
 でももうオレの目の前では飛び込むなよな。何回も事情聴取やら調書やらを取られて大変だったんだから。それにしても警視総監賞がテレホンカード一枚か。。。。この頃、神奈川県警は悪いことしてマスコミに突っ込まれていたからな。仕方ないか。。。。。

10月13日 どんぐり

 今月は休みが7日と13日しかない。このうちの7日はとても良い天気で夜に泳ぐドクターことO(オー)先生と湘南の主さんと私の「無彩な三人組」で一杯やった。この神田までは我が家から歩いて行ったのがとても楽しくて、13日も「何処かに行こう」と楽しみにしていたのである。
 ところがこの日、まるで狙いを定めたかのように台風19号がやって来た。この台風は強烈らしく、報道関係では「用の無い限り外には出ないようにするか、非難するように」と警告を出していた。こりゃ外に出られないね。。。。。
 ここのところ今年の報告書を書くためにノートやパソコンの前に座るのだが、どうも上手くいかなかった遠泳の原稿はなかなか進まず、気晴らしというか、逃げるためにウロウロと歩くことを常としていた。
 そんな時に見つけたのがどんぐりの木である。木の下にはどんぐりがたくさん落ちている。それをたくさん拾った。ただちょっとやぶ蚊が多く、昨今の“デング熱”の心配もあるので短時間で拾い集めなければならない。それでもけっこう刺されたな。虫除けのスプレーをかけてもあまり効果はないように感じた。
 ちょっと余談だが、蚊に刺された後にプールに入ると私の場合は治る。理由はわからないが、水の中で皮膚がふやけるのが良いのか? とにかく綺麗さっぱり治るので、プールに入る前に拾うようにしていた。
 週に2~3回、暇があると拾い集める。500個以上拾ったと思う。それを『何に使うかなぁ~』と考えるのも楽しい。まあそれは報告書から逃避しているのだが。。。。。
 こんな時のネットは便利で調べるとだいたいはコマとか人形とか弥次郎兵衛などの玩具。他にはリースとかの装飾品が多かった。『ウ~~~ン、もう少しオレらしいものはないかな』と考える。
 ちなみにこのどんぐりの種類は何というのか、これもネットで調べた。すると葉、木肌を見てもそれは「マテバシイ 」という名前のどんぐりであることがわかった。さらに調べると、それは食用に適する こともわかった。どうも縄文人は食べていたらしい。
Img_0769 IMG_0769マテバシイの木肌
Img_0770 IMG_0770マテバシイの葉
Img_0771 IMG_0771マテバシイのどんぐり
 以前から『石器時代の石器を使って狩猟をし、捕った獲物は当時の調理法で食べてみたい』という夢を私は持っている。ちなみに渓流でイワナやヤマメなど素手で私は捕まえられる。が、それじゃ意味がない。やはり石の釣り針など作らなきゃ!
 とにかく今はこのどんぐりをどのようにするか考えるのが楽しい。でも、、、、、報告書はどうするんだ?????

10月7日 その5/5.「酔夢、睡夢、睡眠グ」

 江戸川の我が家から神田の樽やさんまで散歩を楽しんでいる。湘南の主さんとは約束の午後7時を少し過ぎたところ、樽やさんの前でお会いした。泳ぐドクターO(オー)先生からは「少し遅れるので先にやっていてください」と連絡をいただいている。
 湘南の主さんと樽やさんに入り、先にビールで乾杯。ドーバーから帰って来てお会いするのは初めて。
 湘南の主さんはお元気そうで、今も海で泳いでいるとのこと。普通、「もう冷たい海で泳がなくていいんだぁ」と安堵の気持ちになり、海では泳がなくなるものだが湘南の主さんは違った。いずれにせよ大なり小なり“燃え尽き症候群”がやって来る。目的を全うした後の新たな目的が見つかるまでに出る虚無感、一種の心因性(反応性)うつ病のような状態になる。
 この対応には『セルフ3が必要』と私は考えている。セルフ1は生まれてすぐに誕生する感情。セルフ2は思春期に生まれ、セルフ1をコントロールする心理。これは正常な成長と共に誰もが発達する。しかしセルフ3は誰しもに生まれ、発達するものではなく、自分で気づき、鍛えないと生まれてこない。いわゆる“修行”が必要なのだ。
 ある意味、この修業は無意識にやっている方もいて、“セルフ3”という意識はないかもしれないが、あきらかにセルフ1、セルフ2をコントロールしている。よくよく観察していると、一流のスポーツプレーヤー、一流の芸術家に多い。
 そういう意味では湘南の主さん、さすがに70年の人生経験がモノをいっている。湘南の主さんが“セルフ3”をご存知かどうかは知らないが、確かに自分自身をコントロールされていることが会話の中でよくわかる。余計な心配は要らない。
 そのうちに泳ぐドクターO(オー)先生もいらっしゃった。話題が広がり今年、先生が行かれたフランスの水泳の話なども伺った。人生の諸先輩方の何気ない話の中から考え方や生き方のヒントがふんだんに隠されている。そのような話を伺うのが私は好きだ。
 美味しいビールを飲むほどに、美味しい料理を食べるほどに美味しい話に花が咲く。とても貴重で楽しい時間だった。
 帰りはもちろん電車とバスだ。帰ると今までの欲求不満や悩みが解消されたのか、ぐっすり眠る事が出来た。不思議なことにそれから毎夜よく眠れる。何と7時間も寝ているが、それでもまだ眠いくらいである。それは暑くもなく、寒くもないちょうど良い気候がそうさせているのかもしれないが、読書の秋、食欲の秋、スポーツの秋、いろいろある秋の中で、私は睡眠の秋なのかもしれない。

10月7日 その4/5.「針灸治療院」

 東京は江戸川区の我が家から神田まで散歩を楽しんでいる。距離は10kmくらいだろう。午後2時頃に家を出て、ちょっと寄り道しながらも5時には神田に着いてしまった。泳ぐドクターO(オー)先生と湘南の主さんとの待ち合わせは午後7時にJR神田駅に近い「樽や」さん。まだまだ2時間もある。
 神田は本屋さんでも有名で大きな書店が軒を並べている。しかしそれは同じ神田でも駿河台の方。距離は1km以上ある。本来、京葉道路は神田付近で(後に調べたら「両国橋」で)靖国通りと名前が変わる。もし途中で神田駅方面へ曲がらなければ、そのまま駿河台方面へ行っていたのだが、『本屋さんに行こう』なんて考えが何処にもなかったものだから神田駅方向へ曲がってしまった。それに『本屋さんに行って立ち読みしていたら時間を忘れる』という思いもあって、本屋さん行きは諦める。
 『何処で時間をつぶそう』と思っていたら喫茶店を発見。最近は「コーヒーショップ」とかいって美味しいコーヒー屋さんは増えたが“時間をつぶす場所”としては不向きに思うがいかがだろう。その点、喫茶店は良い。それに紅茶を頼んだらティーポットで出て来てタップリ、ティーカップ二杯分はあった。とても良かった。しかし紅茶はイギリスの方が美味しいと思う。何故かなぁ~? 水が違うのか???
 それでも1時間が限度。喫茶店を出ると外は暗くなっていた。目的の樽やさんはJRの鉄道高架下にある。その周辺を散策すると和洋中のレストランや居酒屋などが軒を連ねている。そんな中に「○×針灸治療院」の名前があった。しかも「すぐできます」と書かれた紙が貼りつけられている。それに「保険適応」の看板も。
 このブログを古くからご覧になっている方は私が左肩関節亜脱臼とその付近の腱の部分断裂していることをご存知だろう。それはもう数年前で、医師からは「治療が終わったので後はリハビリがてら充分に腕を動かすように」と言われている。それからプールでは毎回ストレッチを欠かさないのだが、相変わらず左腕は150°くらいまでしか上がらない(右腕は180°まで上がる)。それに痛みが完全に消えたわけではない。
 とにかく水泳の“蹴伸びの姿勢”が出来ないし、バタ足でビート板の上に両腕が乗らない(左腕が落ちてしまう)のだ。それでもクロールは何とかごまかせるが、バタフライや平泳ぎが出来ない。これは水泳指導者として由々しき問題。
 湘南の主さんのドーバー泳が終わって、重複障害(全盲+知的障害)D君の母親Mさんとじゅんこさんと私の三人で、新宿のレストランでささやかな昼食会を行った。まあこの時、津軽やドーバーの報告も兼ねているのだが、Mさんがご近所の針灸治療院に通われていることを聞いた。1回が30分程度だが保険も効いて480円とのこと。『それなら通える』と私も思った。
 ちょうど去年の今頃、左肩のことでマッサージに私も通っていたのだが、確かに1回が2時間くらいかけてやってもらえて5,000円。時間と料金から言えば良心的だが2時間は私にとってちょっと長い。それに「週に2~3回は通ってください」と言われて二ヶ月くらいは通っていたが、月に5万円くらいの出費は懐が痛い。それにマッサージを受けた後は気持ちが良いのだが、肩関節の可動域が広くなった実感はなかった。
 それから一人でプールに入るとストレッチを繰り返しているのだが、最近は一人でやるストレッチに限度を感じていた。まあ神田まで通えるとは思ってないが、冷やかしがてら入ってみることにした。保険証は名刺サイズなのでいつも財布の中に入っている。
 入ると問診票にいろいろ書かされ、先生(「施術師」ではないかと思うが)に問診されて温めとストレッチとマッサージ。これが初診料も含めて1,330円。そしてこれは嬉しい誤算だが、我が家から1kmほどのところに姉妹店が二軒もあることを知らされた。そして紹介もしてくれたのだ。2回目以降は480円。これなら通える。
 湘南の主さんとの待ち合わせはJR神田駅で午後7時。『7時前には終わる』と思っていた針灸治療院を出たのが午後7時。慌てて湘南の主さんへ電話して樽やさんに向かってもらった。何故ならば樽やさんは針灸治療院と神田駅の中間にあるからだ。

10月7日 その3/5.「両国橋」

 江戸川区の我が家から神田まで散歩を楽しんでいる。歩いて行く楽しみの一つに“寄り道”がある。八百屋さんで、何とキュウリが7本入って100円。ここのところ野菜が高値でよく行くスーパーでもキュウリは1本40円前後。7本入って100円は安いので買ってしまった。
 また作業用品屋さんで安い肌着を売っていた。最近流行の化繊で出来ていて保温力と撥水性が高い肌着だ。長袖だしこれから冬に向かって汗っかきの私にはちょうど良いと思えた。それが税込みで499円。それも買ってしまう。また店内には作業用品が所狭しと売られている。『へ―、こんなものがあったら便利だな』と思える商品がたくさんあって、それを見ているのも面白い。
 そういえば先日、トラジオン生徒のS君が結婚した。その二次会で庭石の売買を商売にしているS君の友だちと話した。「江戸川区ですか。仕事で私も時折江戸川に行きますが、とにかく河川が多いですよね。橋を幾つ渡るかなぁ~」と言う。
 確かに河川はたくさんあるが、それが日常になるとあえて数えたことはない。しかし我が家から千葉方向へ向かうとすぐに旧江戸川があって、その向こうは江戸川。それを越すと千葉県になる。しかしそこに行くまでに幾つかの細い河川があったようにも思うが、あまり千葉方向へ行かないので本当のところは知らない。ただ、都心方面へ我が家から幾つ橋を渡っておるのかは『今回、数えてやろう』とは思っていた。
 中川、荒川、旧中川、横十間川、大横川と渡って来た。これから隅田川の両国橋を渡る。そこから先、神田までは橋がないと思う。つまり我が家から神田に出るまで京葉道路では六つの河川を渡ることがわかった。
 ちなみに「両国橋」の名前の由来は武蔵国(むさしのくに)と下総国(しもうさのくに)の国境に掛けた橋から「両国」ときたものらしい。『江戸時代ならこの辺は最大の繁華街だったのだろうな』と思うが、当面私なら音楽を思い浮かべてしまう。
由紀さおり 両国橋 (1982)
 ところが江戸時代の歌人「戸田茂睡(とだもすい:1629年5月19日~1706年4月14日)」も「下総国本所に江戸浅草より百余間の橋を架けさせらるる。武州下総両国へ掛りたる橋なるがゆゑに両国橋と名付けるなり」と歌っている。
 両国橋を渡ると神田はもう目と鼻の先。別に待ち合わせの7時まではタップリ時間があるので急ぐ必要もないのだが、足が勝手にとっとと動く。

10月7日 その2/5.「亀戸」

 江戸川区の我が家から神田まで散歩を楽しんでいる。ちなみに東京と千葉を結ぶJR総武線は京葉道路と並行して走っていて、「亀戸(かめいど:地元では「かめえど」と言う。江戸弁?)」という駅がある。地名の由来は元々「亀島」もしくは「亀津島」と呼ばれる亀の形に似た島であったことによるらしい。そういえばこの周辺には向島、牛島、大島(おおじま)、柳島など、「島」がつく地名がたくさんある。後にこれら島の周辺に土砂が堆積して周りの島々と陸続きになり、亀島は亀村と呼ばれるようになる。そして臥龍梅庭(がりゅうばいてい:「臥龍」とは中国の小説、「三国志」に出てくる隠れた英雄、「諸葛孔明(しょかつこうめい)」を譬えたもので、まだ雲雨を得ないため天に昇れず地にひそみ隠れ寝ている龍のこと。そんな龍に似た梅があった庭かと思われる。まあ諸葛孔明のような賢人で、まだ志をのばす機会を得ないで民間にひそみ隠れている英雄のことを指しているようだが、それは私のこと?)の井戸「亀ヶ井」と混同されて「亀井戸」と呼ばれるようになり、さらに「井」が取れて亀戸となったとか。
 ちなみに亀ヶ井は今も梅林で有名な「亀戸香取神社 」にある。おそらくこの辺に臥龍梅庭があったものと思われる。更に亀戸香取神社は武道修行の人々が香取大神を祖神と崇めていた。この由来から「スポーツ振興の神」として、スポーツ大会・試合の勝利を願う多くの参拝者が訪れ篤い祈りを奉げている。すなわち我々水泳愛好家とは無縁ではないということだ。
 しかしこの周辺に「島があった」と感じられるような山や谷も何もない。だが亀戸には「亀」にまつわるいろいろなものがある。その中で最も大きなものが京葉道路と明治通りの交差点、そこに架かる歩道橋である。写真で撮ろうと思ったが、あまりにも大きいのでグーグルアースから引用しよう。
Kameidop
京葉道路、右(東)が千葉方面、左(西)が都心方面
明治通り、上(北)下(南)を通っている。
亀は東(右)に向いているが、分かりづらいのでマップも見てみよう。
Kameidom
お分かりだろうか?
 そうそう亀戸天神には池があってたくさんの亀がいる。しかしこれは亀戸という地名に関係があるのではなく、飼いきれなくなった亀を「亀戸だから」という理由で放した亀が多くなったらしい。したがって外来種が多いそうだ。

10月7日 その1/5.「身体がムズムズ」

 久しぶりに泳ぐドクターO(オー)先生、湘南の主さん、私と、「無彩な三人組」が東京の神田で集まることになった。場所はよく利用させていただいている「樽や」さんで、時間は午後7時から。
 今月、休日が7日と13日の2回しかない私の我が儘を聞いていただいた7日のこの日、ものすごく良い天気である。どうにもこうにも身体がムズムズしてジッとしていられない。
 本来なら今年の上手くいかなかった遠泳の報告書を書かなければならないのだが、なかなか進まない。上手くいった遠泳ならいくらでも出てくるが、失敗は何を書いても“言い訳”に感じてしまう。ノートに向かってもパソコンに向かっても、ボーっとしている時間が無駄に過ぎ去っていた。気分としては逃げたいからだ。
 そんな状態だったから余計に外に出たかった。『よし、今日は神田の樽やさんまで歩こう』。時折、プールまで歩いて行ったりする私。寄り道しながら歩くのが私流。昼食の後、午後2時頃に家を出た。
 東京都と千葉県を結ぶ「京葉道路(けいようどうろ)」は、東京の“京”と千葉の“葉”をつけた名前らしい。だがおそらく私なら“東”と“千”を取って「東千道路」と名付ける。文字の頭を取った方がわかりやすいと思うからだ。ま、私の考えとは無関係に「京葉道路」と名前がついてしまっているのだから仕方がない。
 我が町、東京の江戸川区は千葉県と隣接しており、この京葉道路が区内を東西に貫いている。そして我が家から京葉道路まで1kmほどの距離にある。ちなみに京葉道路は神田付近から「靖国(やすくに)通り」と名前が変わり、そのまま真っ直ぐ行けば四谷(よつや)、新宿方面と都心を東西に縦断する。
 ちなみに京葉道路からみて我が家は北側。また仕事場のプールも北側。つまり京葉道路を利用して行き来する場合は北側の歩道を歩くことになる。ところが神田は京葉道路からみて南側。すなわち進行左側の歩道を歩く。まあ道路の左右どちらを歩いてもさほど変わりはないのだが、右側(北側)を歩くのは度々ある。が、左側は初めて。何だかちょっとウキウキ気分だ。
 家を出て近所の小松川境川親水公園 に向かう。この親水公園は人工の小川が流れる全長4km弱ほどの細長~い公園だ。ところどころ膨らみがあり、そこは普通の公園で狭い部分はウォーキングコースになっている。そしてこの親水公園を流れる小川の水は、京葉道路の向こうに流れる中川の取水を利用しているのだ。
 この親水公園を歩いて京葉道路の下をくぐり左側を出る。するとすぐ小松川橋に出て中川、荒川を渡る。この時、違いは単に道路の右か左かを歩いているだけなのに、『こんなにも景色が違うのかぁ~』と驚いた。右で歩いているときは右に東京スカイツリーが見える。ニョキッと目立つタワーなのでどうしてもそこに眼が行きがちだ。だが左側の護岸は2011年の3・11、震災の前に話題になっていたスーパー堤防が見える。堤防の上には近代的なマンション群が並んでいる。緑も多く、見た目は綺麗だが、スーパー堤防構想は震災の陰に隠れて見えなくなっているように思う。ただ、個人的な意見としては「人間の力が自然に勝てるわけがない」ということだ。スーパー堤防も同じこと。それは震災を経験すれば誰でもわかるはず。増してや遠泳など自然と仲良しにならないと成功は出来ない。それは自然を理解することだ。
 ちなみに我が町江戸川区には区役所前に「荒川河川水位表示塔 」がある。リアルタイムで荒川の水位が見られるのだが、だいたいの水面の位置が私の背丈より上にある。「ゼロメートル地帯」と言うが、「マイナスメートル地帯」と呼んだ方が正しい。いずれにせよ河川も多いことから低い土地であることがよくわかる。大事なことは、そんな地域に住んでいると知ることだ。
 長い小松川橋を越した頃は気分も上げ上げで足取りも軽い。ある意味、道路の左側(南側)を歩いたのは正解だと思う。ビルの日影が多く、涼しく歩けるからだ。右側(北側)は日向で大変だと思う。

海を泳ぐ楽しさ

 昨今の水泳界では「OWS」が静かなるブームになりつつあります。「OWS」とは、Open Water Swim の頭文字を取ってできたもの。すなわち「オープン」、「開かれた」とか「境が無い」とかの意味で、そのような「生きた自然の水の中を自在に泳いでレースをしてしまおう」と言うニュースポーツです。
 距離としては800mで短め。ちょっと長いと3,200m。超長距離級になると、50,000mのOWSレースもあるそうです。
 1998年、私の水泳仲間に「熱海で3,200mのOWSレースがあるので出ませんか?」と誘われたのが、海で泳ぐ楽しさ、OWSを知ることになるきっかけでした。
 学生時代、水泳部だった現役の頃、バタフライと自由形を専門種目にしていた私は、社会人になってからも毎年7月に行われるジャパンマスターズに出場していましたが、好みはやはり長距離泳なので800mや1,500mの自由形にも出場しておりました。しかし、この当時は長距離泳の大会数が少なく、遠く北海道まで大会求めて出かけたりしていました。海でのOWSレースがあるなんて、友だちに誘われるまでまったく知らなかったのです。
 このレースに参加するまで3,200mと言う距離を続けて泳いだことは一度もありません。熱海のOWSの話を聞いたのが4月。5月には申し込み完了。そして7月には「3,200mを泳ぐ感覚」を、いつも泳いでいるプールで練習していました。
 生まれて初めてのOWSレース。胸が"ワクワク"、"ドキドキ"してきます。レース当日、周囲にいる人が「とても速そう・・・」に見えてきます。「完泳できれば良い・・・マイペースで泳ごう・・・」と決意したのでした。
 “ヨーイ ドン!!”の号砲でスタートを切り、バシャバシャと走って海に飛び込み、泳ぎ始めた瞬間、「何よ、これぇー!!」とビックリしました。隣を泳ぐ選手とぶつかるのです。殴る、蹴る。中には隣の選手のスイミングゴーグルやスイムキャップを剥ぎ取る人まで出る始末・・・。
 普通、プールで行なわれる競泳大会は、1レーンに入る選手の数は1名で、隣同士の選手がレース中に接触などするわけがないのです。規則でもレース終了前に隣のレーンに入ることは禁止され、誤って入ったとしても「失格処分」になります。また大きな長水路(50m)のプールで横幅が最大でも9レーン。すなわち、スタートする人数は最大でも9名までです。
 ところがOWSではレーンを分けるコースロープなど張ってあるわけもなく、時には100名以上の選手が入り乱れての同時スタートです。スタートからして肌と肌が触れ合う・・・。もっと驚いたことに、泳いでいるときは肉体と肉体がぶつかり合う、まさに「肉弾戦」のスイムレースなのです。
 ビックリはしましたが、負けず嫌いの私はその中で前のスイマーを抜かすは抜かすは・・・。
 OWSレースはプールの競泳大会とは違う・・・。スタート前の「完泳できれば・・・」なんて言う“しとやかさ”などどこ吹く風。何しろ初体験だったもので、始めの頃は「あっ、しまった。触ってしまった。ごめんなさい、悪気はありません」などと、それでも遠慮気味に考えていたのですが、1周800mを4周するこのレース。後半に入ってくると周回遅れの選手ともぶつかってきます。すると「何よこの人!! もう少し離れて泳いでよ!! 泳ぎにくいじゃん!!」などと、自分自身があきれるような、知らなかった自分がそこにいるのです。新たな自分を見ることが出来ました。自身の開拓と発見です。
 レース中は選手同士のぶつかり合い、抜きつ抜かれつの肉弾戦。その相手の人数も数知れず。顔は参加選手全員がスイムキャップとスイミングゴーグルで隠しているので分からないのです。判断の頼りは腕に書かれたゼッケンナンバー。その他には水着の色や柄くらいでしか判断材料がないのです。
 結局いっしょに泳いだライバルはレース終了後の陸に上がったときにしか、その風体やお顔などを知り得ることはなく、しかもそのライバルがどう見ても私より年配の方だと、「げーーーーーー、スゴイ!!!!」と感心し、「今度こそは負けられない・・・」と思うのでした。
 OWSレース初体験。知り得なかった自分自身の発見。そしてライバル。このとてもおもしろいレースを知ってから、「OWS」と見聞きすると、なぜか胸が“ムズムズ”するのです。以来、私はOWSレースのトリコになりました。
 マスターズ&オープンウォータースイマーのための情報誌、月刊「ドゥ スイム」に出会ったのは、そのような頃でした。「私と一緒のようなスイマーがいるんだ・・・」と嬉しくなり、毎月郵送されてくる「ドゥ スイム」が楽しみで、「まだかまだか」と待っていました。そしてその雑誌を読みながら、「今度はどのレースに出ようか・・・」と考えていた日々が続きました。
 1番嬉しかったのは、“ドゥ スイム”の郵送を「今か今か・・・」と待ち望んでいた12月のことでした。「今月は来るのが遅いなー・・・」と毎日郵便受けを見に行っていた矢先・・・、なんと24日の夜に届いたのです。「サンタさんの贈り物だ!!」と思い、嬉しくって嬉しくって涙が出てきました。
 グアムのレースに出られたのはこの“ドゥ スイム”の情報のおかげです。海外旅行も初体験で、とても緊張しました。ココスからグアムまで(3,500m)のレースで、スタート地点のココスまでは、他の選手と一緒に船での移動です。みんなは友達同士で話しをしています。私は1人、「いいなぁ、みんなと同じように私も話しをしたい・・・」とは思えど、緊張しっぱなしでとても話せない状態。でも、どんなスイマーがいるかはチェックしていました。表情、体格、日焼け、持ち物、着こなし、振る舞い、会話の内容などなど・・・。だって私は敗北を味わいにわざわざグアムまで来たわけじゃない。
 スターターの篠崎(日本を泳ごう委員会:このレースの企画団体)代表によるピストルの号砲で老若男女入り混じっての同時スタート。いざグアム島へ。
 2人の男性に囲まれ、私は2,000mぐらい泳いだろうか? 頭を叩かれたり(わざとじゃない)隣のスイマーの作る波やしぶきで海水を飲んだり、抜きつ抜かれつを繰り返したりでたいへんでした。しかし3人で作る洋上バトル泳などなど・・・。泳ぎつつもいろんな場面が繰り返し、そのドラマがこれまたとてもおもしろいのです。
 「ゴールしたらどんな顔か見てやる!」と、泳ぎながら腕に書かれてあるゼッケンナンバーと水着を覚えました。しかしグアムが近くに見えてくるにしたがって、自然と3人が離れて行ってしまったのです。それからは自分のペースになり、縦縞や横縞のお魚、カラフルな熱帯魚を見たりで、のんびり楽しんで泳ぎました。
 しかし1人で泳ぐのはとても不安ですね。「私の泳いでいる方向はあっているのか?」とか、「周囲のスイマーたちは先に泳いで行ってしまったのか・・・」とか・・・。前のスイマーのしぶきも見えなかったのです。
 ところがこれがまた不思議。さっきまで一緒に泳ぎ、「その後、行方不明・・・」と思っていたスイマーがまた隣に泳いでいるのです。「ウワォー!!」と思いながら、再び2人のバトル競いが始まり、ゴールを目指しました。
 立てる浅瀬まで着いたのは良いのですが、「立とう」と思っても膝や腰がガクガクしてしまってすぐには立てません。サポートの外人さんに少し手を引いてもらって、やっと歩ける状態。そしてゴールイン。
 周囲からの歓声がとても印象的でした。
 ゴール地点で私は最終スイマーの到着を待ちながら、完泳し、上がってくるスイマーにねぎらいの声を掛けていました。そして最後に感動したドラマがあったのです。それは最終スイマーが仲間のスイマーに連れ添われながらゴールしたシーンでした。
仲間「最後まで一緒に泳ぐと約束したじゃないか! よくがんばったね! おめでとう!!」
最終スイマー「本当に完泳できて良かった! ありがとう!」
 2人は抱き合い、そして泣きながら喜んでいました。もうもらい泣きで私は涙が溢れ、そのシーンがにじんでよく見えません・・・。そして仲間がいるうらやましさを実感したのです。
 「本当に良かったね。おめでとう!!」と、うらやましさと同時に素直に最終スイマーを称えることができる自分がそこにはいたのです。
 OWSレースではこのようなドラマを幾度か見ることが出来ます。「レース」とは言えど、勝つだけが目的ではないんだ・・・。完泳を目的にした最終スイマーに、「レースに参加する意義は?」と、またひとつ何かを教わった気がしました。
 近代オリンピックの創設者、クーベルタン男爵の言葉を思い出します。
 「オリンピックは勝つためにあるのではない。参加することに意義があるのだ」
 昨今の競技スポーツはクーベルタンの言葉に対抗し、「勝つため」だけを求め過ぎている気がします。「勝つため」だけを強いられて育ってきた競泳選手時代・・・、残念ながらこういうドラマをプールで味わったことはありません。
 その後も私は今に至るまで、いろいろなレースに出場していろいろなスイマーにお会いしました。そこにはそれぞれに数え切れないほどのドラマがありました。そしてこれからも私のドラマは続きます。
 「海で泳ぐ楽しさみんなに伝えたい・・・。真のスポーツの意義と参加する楽しさを知ってもらいたい・・・」
 「アホな奴だ」と思う方がいらっしゃるかもしれませんが、私は海で泳ぐのが好きです。仲間も大好きです。そしてこれからもどこまでも泳ぎ続けて行きます。
 皆さん、どこかの海で私に会ったら気軽に声をかけて下さい。そしていっしょに泳ぎましょう。いつまでも、どこまでも・・・・。

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2002年10月末日 キン

9月9日 帰国日にドーバー城見物

 今日、19時15分ヒースロー発の羽田便で帰国する。宿のチェックアウトは午前10時。まあヒースローには午後5時までに到着すればよいわけで、帰りもタクシー利用になっている。(往復割引を使用しているので)
 ドーバーからヒースローまでは2時間みれば大丈夫なようで、午後3時に宿を出られるよう手配した。
 荷物のパッキングは昨晩に済ませてある。冷蔵庫もカラッポ。洗濯洗剤などドーバーで消費する消耗品は綺麗サッパリ使って残っている物はない。それに“ドーバーの生活費”として湘南の主さんから預かったポンドも、帰りのタクシー代として充分に使えるほど余った。
 今日の朝食は宿のブレックファーストを頼んでいるので思い出のイングリッシュ・ブレックファーストになるだろう。ちなみに内容はしょっぱいベーコンに目玉焼き、ビーンズにソーセージ、マッシュルームに焼いたトマト、トーストに紅茶かコーヒー、オレンジかリンゴのジュース、ヨーグルトにシリアルなどである。決してまずくはない。しかしイギリスに行かれたことのある方はご存知だろうが、これが毎日続くのである。したがって『今日の朝食は何だろうなぁ~』と期待する楽しみはない。とにかく毎朝飽きもせず同じなのだから。。。。。

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イギリスの朝食

 朝食後、荷物はキッチンに置かせてもらってドーバー城に行くことにした。ドーバー城は宿から坂を上って階段も上がった丘の上にある。歩いて15分くらいだろうか、何と言ったって宿の住所は“城丘通り○×番地”。ドーバー城の建つ丘に上がる坂道の入口にある。ドーバー城へは近いのだ。

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ドーバー城

 ドーバーのビーチ練習をするスイマーは、ドーバー埠頭の近くに行くとドーバー城を見上げながらの水泳になる。更にドーバー城に上がったお客さんが海を見下ろす展望台があって、湘南の主さんは泳ぎながら『あの展望台に上がってみたい』と思っていたそうである。また2002年にキンちゃんらと来たときは、あまり時間がなくてゆっくり観ることが出来なかったそうだ。

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ドーバー城のテッペンからいつも練習しているビーチを望む

 ちなみにドーバー城には第二次大戦中に使用した“シークレット・トンネル(秘密基地)”があり、それを見物するツアーもある。湘南の主さんはそれも知らなかったので、そのツアーにも参加することにした。

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ドーバー港の向こうにうっすらとフランスが見える(展望台にて)

 ドーバー城はもちろん中世(1180年代)に造られたもの。「ヘンリーⅡ世が云々」と説明があるが、まったく歴史音痴な私。ただ、当時の生活がどんなものか、王室や貴賓室、大きなキッチンや礼拝堂を見ることが出来、ボランティアもたくさんいるので説明を聞くこともできる。この時もドイツから来たと思われる修学旅行(?)、遠足(?)の生徒さんなどがたくさんいた。

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城内の大きなキッチン

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王室

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寝室(ベッドは意外に小さい)

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王の使用したもの?

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礼拝堂

 またこの日、王室では暖炉に火が入り、城内全体に焚火の匂いがした。湘南の主さんに言わせると「燻すことによって害虫退治になる」のだそうだ。なるほどね。。。。

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火の入った暖炉

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迎賓の晩餐会場

 外に出ると広い城壁の中には当時の砲台や第二次大戦中に使った機銃などがたくさん展示されている。やはり戦勝国は戦時品を堂々と展示している。まあミクロネシアの島々などを訪ねると日本の戦時品を見る事が出来るが、敗戦国の日本としてはやはり消したがっているように思える。

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第二次大戦中に使用した機銃操車に乗ってご満悦の湘南の主さん

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こんなもの使わない時代が続きますように

 この時、湘南に主さんが「人類の歴史は戦いの歴史」とポツリ呟いた。確かにドーバー城も第二次大戦も“国取り合戦”なのだ。この湘南の主さんの呟きは、平和ボケしている私の頭に“ガツン”と響く言葉になった。

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人類の歴史は戦争の歴史?

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投石台(死んで腐った馬も投げたそうです。病原菌巻き散らし作戦。今の毒ガス作戦と同じ?)

 城内にはお土産屋さんやレストランがある。城内を巡る連結車も走っている。レストランで昼食を採るとその連結車に乗ってシークレット・トンネルへ。

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連結車

 シークレット・トンネルが掘られたのは1940年(だったかな?)。その直後、1942年(だったかな?)に地下病院が掘られて創られている。取り敢えずかの有名な“ダンケルクの戦い”のダンケルク(フランス)に近いし、この時の司令塔としてシークレット・トンネルは使われたようだ。激しい戦火になって行くので、慌てて掘った地下病院なのだろう。

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地下病院

 シークレット・トンネルのツアーに並んでいる間に地下病院のツアーが先にあったのでそちらに入った。中は長いトンネルを区切って病室や診察室、手術室を作ったようだ。ガイドの説明によると、戦中のこともあって電源確保に大変だったとか。。。。。いずれにせよ驚いたのは、この当時からトイレは水洗だったことだ。日本で水洗トイレを見たのは1960年以降と私は記憶をしているが。。。。。

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シークレット・トンネルのガイドツアーに並ぶ

 念願のシークレット・トンネルに入ると初めに歴史の展示に入る。暗い部屋に入って“宣戦布告”のラジオ放送を聞くのだ。そして戦争の経過、会議などの展示や上映を見ることになる。そして長い、長いガイドの説明。。。。。
 この頃から私はソワソワし始める。時間がない。3時までには宿に戻らなければならないのだ。ツアーガイドに断わって外に出ると宿に飛んで帰った。ドーバー城まで上がるのに15分くらいかかったが、走って降りたら5分も掛からず、3時03分に宿へ帰った。

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宿の玄関で(左から私、湘南の主さん、宿のアレックス)

 タクシードライバーはもう待っていて、キッチンに置いてある荷物を載せるとタクシーはヒースローに向かって飛ばして行った。
 時間通り午後5時10分前にヒースロー第三ターミナルへ到着。お土産を買って湘南の主さんも私もコインの貨幣は使い切った。財布は軽くなり、羽田へ向かって機中の人となる。この日、月は満月で“スーパームーン”だそうだ。そんな月を飛行機から眺める。

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翼の下にあるのが機内から見たスーパームーン

 それにしても“スーパームーン”の日(大潮)にドーバーを泳いだアメリカの少女、シャーロットはホントにスゴイと思う。

2009年 8月 3日 キンちゃんのドーバー海峡 2-way solo swim (E/F/E)

 「おやおや、また記載漏れですか?」と言われそうな日付ですが、そうではありません。トラジオン誕生日を自分で祝うために、最も私の印象的な遠泳を取っておいたわけです。“3日”だけは合っているでしょう。でも実はこの遠泳、結果から言うと“失敗”なのです。でもフランスを折り返しているため“1-way”として登録してもらいました。ともあれ、キンちゃんのドーバー泳の実績を見ていただきましょう。失敗、成功も含めてすべてご覧いただきます。

       キンちゃんのドーバー海峡横断泳履歴
~1-way solo swimは8回、Relay swimは1回の成功~

  1. 2002年 8月 3日 12時間03分 (1-way relay swim)
  2. 2004年 7月24日 失敗 (以下全て1-way solo swim)
  3. 2004年 7月30日 失敗
  4. 2005年 7月14日 17時間03分
  5. 2005年 8月 2日 13時間41分 (The Gertrude Ederle Award 受賞)
  6. 2006年 7月18日 13時間34分14秒
  7. 2007年 7月10日 13時間59分
  8. 2007年 8月10日 13時間54分
  9. 2008年 7月23日 14時間02分
  10. 2009年 8月 3日 17時間18分27秒
  11. 2010年 9月 3日 失敗
  12. 2011年 8月19日 18時間14分

 ついでに津軽泳も紹介しておきましょうね。でもこれは“成功したもの”のみです。

  1. 2005年 8月30日 11時間36分 青⇒北 (1-way)
  2. 2006年8月31日 37時間24分 青⇒北⇒青⇒北 (3-way)
     1st leg 11時間43分 (青⇒北)
     2nd leg 15時間28分 (北⇒青)
     3rd leg 10時間13分 (青⇒北)

 この中で最も印象的な年は2005年でした。キンちゃんドーバー泳を初めから“2-way”を目標としており、2004年の時には2-wayはおろか、1-wayすら出来ずに終わりました。この時、ドーバー泳の母と呼ばれているフリーダから「あなたは1-wayから始めなさい」と言われ、2005年に初めて1-way solo swimに成功します。同じ年のその後に2-wayを狙ったのですが、フランスを折り返して3時間後にオブザーバーから“危険”と判断され、余儀なく中止になってしまいます。
 終わってから、折り返したフランスのヴィサン(Wissant)に行って、「砂を取って来よう」と私が誘います。そしてカレー(Calais)に向かうフェリーの中で、恥も外聞もなくキンちゃんは大声を上げて泣きます。それはドーバー2-wayに“負けた”と初めて認めた時でした。
 「これはいかん。このままでは泳ぐ気力が失せてしまう」と、その年の5月に悪天候で泳げなかった津軽泳を復活させ、8月の下旬に泳がせて見事、成功させるのです。
 また、その失敗に終わった2-wayが、その年の「女性が泳いだ最も印象的な水泳」としてCS&PF(ドーバー泳公認団体)“ガートルード・エーダリ賞”を受賞します。これで首の皮一枚でやっとつながっていた“泳ぐ気力”が何倍にも倍増します。この2005年、泳ぐ気力が最低から最高まで動いたので印象的な年だったのです。

 2006年の時は、そんな過去があるのでキンちゃんも“練習目的”としてドーバーへ行くのですが、思わぬところから泳ぐチャンスをもらい、練習のつもりで泳いだドーバー泳がベストタイム。グリ・ネ岬に到着する事が出来たのです。やはりリラックスして泳いだのが良かったのでしょうか?
 ちなみに湘南の主さんもこの年の8月6日に泳ぎ、見事15時間50分で成功させました。それは「日本人最高齢(62歳)チャネルスイマーの誕生」になったのです。
 また、同年にキンちゃんは津軽の3-wayも成功させて、飛ぶ鳥を落とす勢いで“夢のドーバー2-way”を手元に引き寄せました。

 しかしその後のキンちゃんはフランスまでは泳いで行くものの、折り返しは諦めて“1-wayのみ”で終わってしまい、精彩を欠けるようになります。
 2009年の時もそうでした。キンちゃんは「1-wayで終わらせていい」と言うのです。しかし私は「行けるところまで行こう」と話して泳がせました。その裏には「とにかく折り返したい」という気持ちがありました。
 ところが1-wayが17時間18分27秒も掛かってしまいます。これは例年より遅く、キンちゃん自身も泳ぎながら「1-wayでいい」と言います。しかし私は「とにかく行けるところまで行こう」と説得してフランスを折り返させます。とにかく行けるところまで泳ぎ続けさせたかった。。。。。
 この時、パイロットのニールが「帰りは良い潮が流れている。絶対に折り返させろ」と言ってくれたのが後押しにもなっています。とにかく行けるところまで。。。。。

 大いに流されたフランスはカレーのさらに北側のビーチを折り返してイギリスに向かいました。すると皆さんから応援メッセージが山のように届きます。。。。
 そんなこんなを実況から紹介していきましょう。

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行ってきます!(バックはシェークスピアビーチです)

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力泳開始

 キンちゃん、イギリス時間の午後7時48分に、シェークスピアビーチからフランスに向かって泳ぎ始めました。2-wayに向けて、夢がかないますように!

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夜間泳もなんのその

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明け方を泳ぐ

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ドーバー海峡の日の出

CP8040427栄養補給(カモメも欲しがる?)

 キンちゃん、イギリスのシェークスピアビーチを出発して16時間が経過しました。フランスまで3マイル(約5.5Km)。しかし強い潮と風に阻まれて、10Km以上真横に流されています。フランス到着まで今しばらくお待ち下さい。

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フランスが見えてきた!

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ヨットも応援に?

 イギリス時間の午後1時08分に折り返しました。1st legは17時間20分です。皆さんの声援が後押しになっています。ありがとうございます。

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フランスの折り返し(手を挙げているのがキンちゃん)

 イギリスのシェークスピアビーチを泳ぎ始めて24時間が経過しました。ドーバー海峡の中間にあるブイを、我々は「ハーフポイント」と呼んでいますが、普通、チャネルスイマーはだいたい6時間で通過します。しかし行きに、キンちゃんは9時間で通過しました。フランスからの帰りはもう少し早く通過できそうです。

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カレー(フランス)の沖合を通過中

 これから夜がやって来ます。暗い、寒い、眠い、上がりたい等など気持ちを暗くさせる素材が容赦なく襲って来るでしょう。それをどうやって乗り越えるかが正念場ですね。

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ドーバー海峡の夕暮れ

 キンちゃんはドーバーのハーフポイントを抜けて真っ暗闇の海をひたすらイギリス目掛けて泳いでいます。まだゴールまではかなりあるのに、ドーバーで知り合った多くの仲間から激励のメールが届いています。何やらゴール地点にプレスを含む500人の方々が集まる噂もあります。そんなことは何も知らずに泳ぎ続けているキンちゃんです。

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再び夜間泳へ

 キンちゃん、ドーバー海峡残り4分の1のところで、大腿部痛のため、リタイヤしました。イギリス時間0時30分です。合計28時間42分泳ぎ続けたのですが、残念です。応援して下さった方々、ありがとうございました。

 昨日(8月5日)の0時30分にドーバー泳を中止し、家に戻ってから簡単にお風呂に入り、そのまま爆睡です。
 キンちゃんは普段から早起きで、毎朝5時には起きて朝食の準備をするのに、この日は10時まで寝ていて朝食は私が作りました。
 それでも朝食が終わればビーチに行き、ビーチにいる水泳仲間に会いに行きました。「アイタタタタタタ、身体のあちこちが痛い!」と言いながら、身体を引きずりつつも・・・。
 応援してくれた仲間に会いたかったのでしょう。案の定ビーチには多くの仲間がキンちゃんを讃えてくれて、「よくやった!」と抱きしめてくれました。

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ドーバーのビーチでお弁当をパクつくキンちゃんと私

 まあイギリスまで残り7km。フランスからイギリスまで3/4、2-way全体で言えば7/8まで泳いだわけです。残りの距離はいつも練習していた淡島~大瀬崎間(約10km)より少ない。今考えれば『この時、泳がせておけば。。。。』と思うのですが、「もう泳げん!」と泣き叫ぶキンちゃんと「ダメだ、泳げ!」と怒鳴る私の声が、真っ暗なドーバー海峡に響き渡っていた光景が今でも走馬灯のように思い出されます。

 これが今までの遠泳では最も印象的で、今でも悔やんでいます。『あの時、何で泳がせなかったのか』と。。。。。裏には『チャンスはまだある』という私の甘えもあったのでしょう。
 しかし“最も印象的な津軽泳”が2009年で、“最も印象的なドーバー泳”も2009年。こう見ると2009年がピークだったかもしれませんね。

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とっても変なキンちゃん

 ま、そんな印象的な水泳をリンクさせました。ご覧になっていただければ幸いです。

2009年9月2日 キンちゃんの津軽海峡縦横断泳

 タイトルをご覧になって「あれぇ~、期日が9月2日になっているぅ~」と気付かれた方もいると思います。これは“忘れた”のではなく、“取っておいた”と思ってください。何故ならば“最も印象的な津軽泳”だからです。トラジオン誕生日の祝いに数年と一ヶ月前の記事ですが公開しようと思っておりました。でもこの遠泳、失敗しているのです。でも私にとっての津軽泳で最も印象的なのでご勘弁ください。
 この頃、キンちゃんに自信をつけさそうと100kmを超す遠泳をやりたかったのです。当初、やったことのある高知県の足摺岬⇒室戸岬(120km)を狙ったのですが、幾多の問題で泳ぐ事が出来なかったので、次に考えたのが今回の遠泳。実は2006年にキンちゃんは津軽の3-wayを成功させているので、その1st legのスタート地点(青森県小泊の権現崎)から3rd legのゴール地点(北海道戸井の浜町)まで一気に泳いでしまう計画です。距離にするとやはり120km。

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スタート直前に

 当日の状況を紹介しましょう。

 5時間で竜飛崎の西1.5マイルの地点。北東の風7m、波高1.5m、水温23℃で残り100kmくらいです。間もなく本流に乗れるので、スピードアップすると思います。

 09:30現在、白神(北海道)と竜飛(青森)を結んだ線上で、竜飛崎から1.5マイル沖合を進行中。速度は3ノット程度です。もう少し北海道側、本流でも北海道に近い端を通る予定。船崎は矢越を向いています。

 現況

  • 現在時:11:44
  • 出発後:8時間00分経過
  • 現在位置:
  • 北緯 41゜24゛38.7゛゛
  • 東経140゜25゛08.0゛゛
  • 竜飛崎と矢越を結んだ線の中間から30度方向に0.5マイル出た辺り。
  • 天候:晴れ
  • 水温:22.8℃
  • 気温:22.5℃
  • 視界:10マイル
  • 波高:1.0m
  • 風向:東南東
  • 風速:6.9m
  • 流向:東北東
  • 流速:2ノット
  • 速度:4ノット
  • 方位:35度
  • ピッチ:63回/分
  • 調子:良好

 栄養補給:キンちゃん10時間40分経過の栄養補給です。

 現在の時刻、14:24。GPSによると後残り8時間、22:30頃に到着です。風が西に変わり、海面は穏やかになってきました。

 函館山まで後10マイル。ちなみに1マイルは1.852kmです。すなわち函館山まで後20km弱。津軽海峡の真ん中から見える函館山は、クジラが浮いているよう・・・。写真を撮ろうと思ったのですが、遠すぎてNG。

 間もなく日が暮れます。

 干潮を越すと潮が流れると思いますが、現在(18:00)潮はほとんど動いていません。東の風が強いので、少し北海道寄りのコースへ修正中です。
 リタイヤ:9月2日、20:29、キンちゃんリタイヤしました。場所は函館山の南、約7マイルの地点です。風波の影響が大きかったことと、逆潮で進まなかったことが原因です。今、戸井に向かって帰る途中です。

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津軽海峡から見た函館山

 まあこんな具合だったのですが、詳細は“津軽泳の詳細”を、報告は次をお読みください。

10月1日 トラジオン、41歳の誕生日に心機一転

 1973(昭和48)年10月1日、障害を持った子どもたちの遠泳を目的にトラジオンスイミングクラブは誕生しました。それから41年、今日はトラジオンスイミングクラブの誕生日です。41年前の会員さんもすでに50歳を超え、皆さん、元気に暮らしています。それは未だにつながりがあるわけで、その世代、その世代で横のつながりがあることは嬉しい限りです。
 思い起こせば1974年の初島~熱海間の遠泳から始まり、津軽海峡、伊豆下田~伊豆大島、佐渡海峡と泳いできました。そして今は遠くドーバーなど海外に行くようにもなり、海外のスイマーを津軽にお招きするくらいになりました。それは41年前には信じられないことで、これらはそもそも皆様のおかげです。本当にありがたい限りです。
 会員さんも親、子、孫まで続けられているご一家、30年以上継続されている会員さん、そういった会員さんたちに支えられて現在に至っています。今でも結婚をされて新たなスタートをしていく方もいて、『立派になって。。。』と眼が綻んでしまいます。

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2014年9月27日、めでたく新カップルが誕生しました。
呑兵衛の私を気遣ってドリンクをくれました。

 今までの誕生日には過去歴とか時代の変遷などを書いてきたのですが、そろそろ『そんなに長く続けられないなぁ~』という思いも強くなってきつつある中で、『どうせ短いなら未来を楽しもう』という考えに一新しようと決意しました。心入れ変え、過去を振り返るより未来を見つめようと思う事にしました。
 もちろん未来には“過去”、“現在”の過程があって未来になるのですから無視するわけにはいかないのですが、“前向きになるか”、“後ろ向きになるか”では大いに違うと思います。
 そこでこのブログも今までは『過去のデータを紹介して、それが参考になれば』と思ってやっておりました。まあすべてがすべて紹介できたわけでもないのですが、参考資料としては『もう役目を果たせたかな』と思います。
 またブログの更新の回数ですが、半年以上、毎日更新して来ました。これにはちょっと“意地”もあってやって来たのですが、内容がマニアックだし、更新にはけっこうエネルギーも必要で“生みの苦しみ”もあったわけです。
 毎日楽しみにこのブログをご覧になっている方もいるかと思います。時折、プールで「見ていますよ」とおっしゃっていただけるスイマーもいます。でもこれからは“楽しみ”の中で更新していきたいと思います。
 こだわりとして“水泳のブログだから水泳の記事を入れる”としていたのですが、少し“こだわり”を捨てて自由にやって行きます。元々“ブログ”とはそんなものかと。。。。。これからもよろしくお願いいたします。

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北海道函館の潮汐

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