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わくわく、どきどき、台風の目。

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2014年8月の記事

2006年8月31日 キンちゃんの津軽海峡 3-way solo swim (1st leg: 青⇒北)

2006年8月31日~9月04日 津軽海峡3-way   37時間24分

  1. 1st leg 2006年8月31日 11時間43分(青→北)
  2. 2nd leg 2006年9月02日 15時間28分(北→青)
  3. 3rd leg 2006年9月04日 10時間13分(青→北)

 詳細と写真は「2006年 キンちゃんの津軽海峡 3-way solo swim(ウンの付き)1st leg 」をご覧ください。

  • 日付:2006年8月31日
  • 場所・方法:津軽西口・3-way(1st leg) ソロ(青⇒北)
  • 出発時間:04:46
  • 出発地点:津軽半島小泊岬権現崎
  • 到着時間:16:29
  • 到着地点:松前半島福島町浦和
  • 記録:11時間43分
  • 公認:海峡横断泳実行委員会
  • 船名:昭 勢 丸
  • パイロット:藤田  久義

コメント:日本の海峡は、夜間泳が困難。
 当初、3-wayは一気に泳ぐ予定だったが、夜間泳が「危険」と判断されているため、昼間に3回に分けて行うことになった。

2005年8月30日 キンちゃんの津軽海峡 1-way solo swim (青⇒北)

出発時間:06:39
出発地点:青森県下北半島佐井村磯谷
到着時間:18:15
到着地点:北海道函館市戸井浜町
記録:11時間36分
公認:海峡横断泳実行委員会
船名:第31栄幸丸
パイロット:安宅  勉
コメント:5月に出来なかった津軽の1-wayを行った。
 キンちゃんにとって、ドーバーの2-wayで落ち込んだ気持ちを復帰するのに大いに役立った遠泳であり、大きな波や、渦の中を泳いだ経験は、その後のキンちゃんの海峡横断泳に向けての特効薬になっている。

 詳細と写真は下記をご覧ください。

8月25日 帰りも温泉

 リズは「来年の予約をする」と言って私に2015年の日程を調べさせた。そしてまた来年来ることになった。心が少し安堵になった私。。。。。
 今日の深夜、羽田発の便で彼女らは予約をした。JR函館駅を午後2時頃に乗る電車で羽田に行く。
 午前中にパッキングを終えると「また温泉に行きたい」と言う。海岸線沿いにある水無海浜公園である。
 前に来たときは満潮に近いので高い方の湯船だが、今回は干潮に近いので下の方の湯船、、、、、というよりまさに岩場の合間にあるホントに岩風呂??? 岸側から熱い源泉が出ている。海側からは海水がそれを埋めている。ちょうど下からは源泉が出ていて上からは波がジャブジャブと来て混ぜながらの入湯。“これぞ温泉!!!”といった感じ。
 お昼にはムーイに戻り、お昼は何と即席ラーメン。まあまあ買った余り物の処分変わりだが、何ともアメリカ人らしい????
 JR函館駅まで送って行くと、今日は休みだったムーイの支配人Nさんが見送りに来てくれた。ホントに気を使ってくれてありがたいことだ。

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ムーイの支配人Nさんと函館駅で

 ムーイに戻ると雨がジャンジャン降っている。『こんな時に荷造りでクルマに乗せるのも嫌だなぁ~』と思いつつ、やらなければ。。。。。
 夜は漁師のAさん宅でご馳走になった。やはり出てくる話題は最近の異常気象。漁師も困っているようだ。
 そして明日の朝、私も東京に帰る。。。。。。。。

8月24日 結論は午後8時

 今日はお天道様が出ているも風が強く天気は良くない。ホントに明日は泳げるのだろうか??? もう後がない。。。。。いちおう漁師のAさんからは今夜8時に結論を出してもらう。明日の好天を祈るばかりである。
 イライラする私たちの気がそれるようにと、ムーイの支配人Nさんが彼女らに「浴衣を着せる」と言う。いろいろと気を使ってもらってありがたいことだ。
 それではファッションショー!!!!!

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いかが???

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きれい???

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オホホホホホ

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ステキでしょ!?

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これで何処かに出掛けようかしら??

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アメリカの仲間にも見せちゃおう!!!!!

 そして結果なのだが明日は泳がない。Aさんに言わせるとやはり「最近の天候はおかしい」と言う。私たちは帰る準備にかかった。

2012年8月27日 クレイグとクリストフの津軽 1-way solo swim

 2012年8月24日、津軽泳のためにクレイグ(アメリカ)とクリストフ(ドイツ)が函館にやってきました。特にクリストフは2007年までのドーバー記録保持者で、7時間02分で泳いでしまいました。津軽も“記録”を狙って来ています。
 この日、泳いだのですが残念ながら双方とも失敗してしまいました。クリストフハ帰国しましたが、クレイグは再トライです。はたしてどうなることになりますやら。。。。。

8月23日 ゴーゴーゴー

 ♪ゴーゴーゴー 風が泣いているゴーゴーゴー
 ゴーゴーゴー 風が叫んでいるゴーゴーゴー ・・・・♪
と歌っても若い人たちには“?????”となるでしょう。これはザ・スパイダースの「風が泣いている」という曲です。同世代の方々にはお分かりでしょうが、ちょっとお分かりにならないお若い方々のためにYou Tubeを埋め込んでおきましょうね。マチャアキがまだ若いです!!

 この日はまさにこんな感じ。風がゴーゴーと泣いて叫んでいました。それでもリズは「泳ぎたい」と言うのでビーチに行きましたが、波はジャブジャブで風がビーチの砂を吹き飛ばすので足に当たってピチピチと痛いです。今日はこの風でカヤックは出せません。それでも妹のペギーとともに泳ぎに行きました。
 もちろん彼女たちもその辺は心得ていて、沖には出て行きません。ちょうど波が崩れる少し沖合付近を岸とは平行に泳いで行きます。この辺がベテランスイマーの楽チンなところ、ラフウォーターではどのように泳いだら良いか知っています。いろいろ注意しなくてよいので楽チンな私。。。。。
 岸に並行して15分くらい泳ぎ、Uターンして15分。スタート地点まで戻るとボディサーフィンをして遊び始めた。まあオーシャンスイマーならわかると思うのですが、これ、楽しいんですよね。波が高いときじゃなけりゃできないし。。。。。。ただ問題は水着の中が砂まみれになること。。。。ま、それでも楽しけりゃいっか!!??!!
 (でもホントは「Liz Go Go Go Go!!!」と津軽を泳がせて言いたい!!!)

 「ランチはまたお寿司が食べたい」と言う彼女ら。『ヒェ~~~~、またクルクル(回転)寿司かい!? また寿司ネタの説明をしなければならないの~??』と思った瞬間、ムーイの支配人であり地元出身のNさんに何処に連れて行ったらよいか相談した。前に私が連れて行ったクルクルお寿司屋さんは“観光客相手”だそうで、「値段と味が釣り合わない」のだそうだ。
 Nさんお勧めのクルクルお寿司屋さんを紹介してもらったのだが、、、、、
私「そこさぁ~、メニューが英語で書いてある?」
N「ちょっと待ってね。電話で聞いてみるわ」
結果、英語のメニューはあるそうだ。やった! そこに決まり!!
 行ってみると人気店のようで30分待たされた。まあそれだけ美味しいということだろう。ただ私にとっては“ネタを英語にしなくていい”というのが楽チン。
 さて、ここにシブがき隊の「スシ食いねェ!」を埋め込んでおきます。皆さんはこの曲に出てくる寿司ネタをいくつ英語に出来ますか?

 とにかく英語のメニューは写真の下に英語が書いてあって、それを見て板さんに指で示せばOK! 今回は私も美味しく好きなものをいただく事が出来た。
 お寿司屋さんから帰ると温泉に浸かりディナーである。漁師のAさん宅からいただいたお豆腐にメロンを皆でいただいた。お昼が遅かったし、更に待たされた時間もあるので夕飯はこれで充分。お豆腐は卸生姜にお醤油を垂らし、ホントは鰹節でも乗せたいところだが鰹節は無し。まあそれでも美味しくいただいた。メロンは男の私が切るので大雑把。四つに切って中の種を除いただけである。そしたらリズがナイフを使って食べやすいサイズに切ってくれて、めでたし、めでたし!

8月22日 前線が津軽海峡上空に

 早朝2時に眼が覚める。3時にはムーイを出発してAさんの船が停泊している漁港へ行く予定だ。荷物チェックをする、忘れ物がないように。。。。。
 自画自賛だが、だいたい起きたい時間に起きられる私は目覚まし時計を必要としていない。それはちょっと自慢だが、まったく自慢できない困ったこともある。それは物忘れが激しいことだ。「今、生きている時間の半分は、探し物をしている」と言っても過言ではない。ホントに困ったことだ。
 そこでいつも荷物表を作ってチェックしている。今回もそう。。。。。

 そんなことをしている3時ちょっと前に漁師のAさんから電話が入った。
A「前線が予想よりも早く移動してきている。今、津軽海峡の上空にいるから今日は無理だな」
私「わかりました。。。。。。。」
A「滞在の延長は出来ないか? 月曜(25日)くらいになれば落ち着くと思う」
私「わかりました。リズたちに相談してみます」
 そういえばさっきから外では雨の音がしている。まあ雨で遠泳が中止になることはない。何故ならばスイマーは水の中なのだから。。。。。問題は風だ。

 午前3時ちょっと過ぎにリズたちは私の部屋のドアをノックした。彼女らを部屋の中へ向かい入れ、事情を話す。そして「26日(火)に帰る」ということで承諾してもらう。そしてAさんにその結果を知らせる。実を言うと私も東京で仕事が待っている。ギリギリの線だ。
 ベッドへ横になったがなかなか寝付けない。『いっそのこと起きて部屋でも片付けるか』ともそもそ動き出す。この遠泳でお弁当代わりに買っておいたおにぎりも食べなくちゃ。。。。。
 お腹が膨れると瞼が重くなる。『ちょっと横に、、、、』と思ったら寝ていた。

 1時間くらい寝ただろうか。6時半ころに明るくなった外を見ると土砂降りの雨。おまけに雷まで鳴り出した。『フゥーーーーー』、出るのはため息ばかりである。

<追伸>
 本日(24日)お昼頃、漁師のAさん宅へ行ってきた。
A「この風が夜までに収まれば行くが、今の状態ではダメだな・・・」
Aさんの奥さん(窓から外を見ながら)「朝から比べると風が収まってきた。このまま収まれば良いけどね・・・」
 結論は今夜の8時。もし泳いでいれば私たちの現在位置は“こちら”でわかります。どうぞ泳いでいることを祈ってください。

8月21日 今日が最良?

 「今日の午前中は泳ぎたい」とリズが言う。それならと午前中はビーチ練習をすることにした。昨日まで盛んに喉に手を当てて痛い素振りをしていたリズだが、今はその素振りがなくなったので快復して来たかな?
 いちおう明日泳ぐ予定でもあるので漁師のAさんに預かってもらっていたカヤックを引っ張り出し、リズについて漕いでみた。海はほとんど風もなく凪いでいた。入水ポイントからビーチの右端までが約600m。そこで折り返して左端まで約1km。そして今来た道を戻るコース。合計約3.2kmを1時間で泳いだ。まあそこそこのスピードである。

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リズの力泳(漁師のAさん宅前ビーチにて)

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カヤックで伴漕した私

 泳ぎ終わると漁師Aさん宅前にて水浴びをさせてもらい、一旦ムーイに戻ってシャワータイム。そしてまたムーイの支配人Nさんが「ラーメン作ってあげるから」と言う。再びお言葉に甘えてラーメンをいただくことにした。味噌、醤油、塩、いろいろな味から選ぶ事が出来る。各々に選んだのだが会話内容が味噌や醤油の原料になった。まあ平たく言えば大豆なのだが、それをどうやって味噌、醤油にしていくのか。。。そんなの訊かれても困っちゃう。。。。。
 たまたま知り合いに群馬県で「ネイチャーガイドロッジ・あるきんぐクラブ山の家」というのをやっている者がいて、“手前味噌”と呼ぶ味噌作りを毎年行っている。それは美味しいし毎年いただいていて、聞きかじりではあるが作り方を聞いたことがある。それをヒントにあーだのこーだの説明した。
 ちょっと話はずれるがクルマを運転中、助手席に座っているリズがアメリカの“失業者対策”について話してきた。「日本はどう?」と。。。。。アメリカではかなり酷いらしい。。。。。
私「アメリカほどではないが、日本も“ニート”と呼んで、若者が就業できずに困っている。云々・・・・・」
 一方ペギー(リズの妹)は、3.11の震災の話、津波の話、福島の原発問題について話してきた。そういえば終戦記念日にリズと戦争の話をしたな。。。。どうもアメリカ人はこういった社会問題の話をするのがお好きなようだ。。。。。
 取り敢えず味噌、醤油の作り方でも、ビーチ沿いにある漁民の庭で干している昆布のことでも、社会問題でも「どうやって?」とか「どうして?」とか「どう思う?」などの質問や意見を求められることが多い。アメリカ人だからかな?
 ムーイの支配人Nさんの作るラーメンは絶品で、皆さん完食! スープまで綺麗に飲み干した。さらにデザートのメロンやコーヒーまで、、、、、Nさん、ありがとう!!!!!

 食後はスーパーでお買い物。と言っても昨日にほとんど購入は終わっているのでたいしたものは無し。ただ遠泳中、私のお弁当になるおにぎりは古いものを食べ、新しいものに置き換えなければならない。
 お買い物も短めに終え、ムーイに帰ってきた。そしてリズたちには早めに休んでもらい、私は機材の運搬(必要物品を船に運ぶ)のため、漁師のAさん宅へ行った。

<追伸>
 翌22日は悪天候で結局は泳いでいません。実際は潮の関係から“22日まで”なので21日に泳がなかったことを惜しまれるのですが、スイマーの体調悪化ですから仕方ありません。漁師Aさんの「もう少し日延べは出来ないか」とのことで期間を延長しました。潮は少し速くなり始めますが、リズの泳力なら大丈夫でしょう。
 もちろん海上保安部を初め、各漁協、海運会社には変更の知らせを完了させました。
 次回は今回のブログが公開される24日(日)か25日(月)の予定です。何処を泳いでいるかリアルタイムにわかるサイトは“こちら”です。
 もしかすると今現在、リズは青森から北海道に向かって泳いでいるかもしれません。

<再追伸>
 残念ながら天候が悪く、24日現在、泳いでいません。明日が笑っても泣いても最終日です。天候が良くなることを祈ってください。

8月20日 観光

 天気は徐々に良くなっている。漁師Aさんの言うように「悪い天気は続かない。おそらく明日21日(木曜)か明後日22日(金曜)」だそうだ。そこで今日は午前中に水無海浜温泉、午後には函館市内にある教会へ行くことにした。“函館”と言えば坂道や異国情緒豊かな教会がポスターになる。まあそこへ行こうというのである。
 恵山にある水無海浜温泉はムーイから見て東方約20kmにある。一方函館市内の教会はムーイから見て西方約30km。つまりムーイの前を行ったり来たりする。するとムーイの支配人Nさんが「昼食はここで食べて行きなよ。親子丼ご馳走するから、、、素麺やチャーハン食べる人だったら親子丼も食べられるよ。そうしな」と言ってくれた。ここはお言葉に甘えることにしよう。
 水無海浜温泉は海辺にある露天で、満潮になると湯船が海に没してしまう。つまり冷たくて入れない。逆に干潮になると温泉だけになるので熱くて入れない。まあ海水と温泉が混じり合ってちょうど良い塩梅になるのだが、そこは海の干満との帳尻はあるので入浴できる時間が公表されている。そして本日は朝からお昼までなのだ。つまり午後からは入れない。尚、湯船は二つ、高低差のある二段になっていて、海面の高さで入る湯船を決める。
 ちなみに彼女たちはムーイに来てから毎日、隣にある温泉施設へ通っている。公共浴場なのだがロジャーたちと違ってスッポンポンになっても大丈夫な人たちなのだ。それに熱めのお湯、温めのお湯、泡風呂、水風呂、サウナまである。広いお風呂はやはり気持ちが良いのだと思う。それに何人かの人と会話を楽しんでいるようである。まあまったく日本へ来て問題なし。
 水無海浜温泉には更衣室があって、水着に着替えて出てきた彼女たちの手には身体洗い用のタオルが。。。。。ちゃんと私の言いつけを守って入っていることがわかって“偉い!”と感心するとともにちょっと可笑しかった。
 先に入っていた人もいたが、後から入ってきたおじさんは地元の人らしく、おじさん「朝はここにイカが入っていて、茹でられちゃっていたよ」
私「へぇー、その茹でられたイカはどうしちゃったんですか?」
おじさん「カモメの朝食さ」
そんな会話をしてリズたちに説明したら、とても感心していた。
 湯温は40℃くらい。水温は19℃くらい。暑くなると水に入り、寒くなるとお湯に入りを繰り返していた。それにリズと私は泳いじゃったりもした。

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日本の温泉、最高!(湯温は約40℃)

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暑くなったら海で涼む(水温約19℃)

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泳いじゃおう・・・。

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涼しくなったらまた入浴

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そしてまた海へ

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日本の温泉は楽しい♪

 露店温泉を充分に楽しんだ私たちは一旦ムーイへと戻る。そこで支配人Nさん特製の親子丼をいただく。美味しくて皆さん完食。まあまだ食器を持たない習慣は直っていないが、美味しく食べられればそれで良い。

 午後は函館市内の教会へ向かう。途中、海岸沿いの道路から函館山の山頂がクッキリ、ハッキリと見えた。今までずっと雲の中だったので、『今日は函館山に昇るチャンス』と思い、急きょ函館山へ昇ることにした。今ならクルマで上がれる。。。
 教会は函館山を降りてきた途中にあり、有名な坂も教会の近くにある。
 函館山山頂からの景色は抜群に良かった。夜景などで有名なのは北に向かって函館市内を見下ろしたところ。まあ誰も皆さん北に向かって函館市内を見ているのだが、私たちは南も丹念に見て回った。何故ならばそこには津軽海峡があり、その向こうには青森県が見えるからである。どのようなコースで泳ぐのか、リズにイメージさせた。

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函館の山頂からは絶景の眺望が、、、

 存分に函館山山頂の景色を楽しんだ後、教会、坂道へと向かった。教会はロシア建築のものとフランス建築のものである。両方ともカトリック教会のようだがリズたちはカトリックではないようだ。まあ宗教関係はあまり深く突っ込まないようにしている。
 その周辺の歴史的建造物を見学しながら有名な坂道へ行く。何で有名なのかわからないが、写真を撮る人が多いので私も撮った。しかしリズたちは函館山山頂であれだけ写真を撮ったのに、他には何も撮っていない。ただ、クルマで移動中に発見した電柱が「日本最古のコンクリート電柱」だそうで、それは英語でも書かれていた。リズはむしろそういうものを写真に収めていた。
 余談だが、有名な坂のそばでアイスクリーム屋さんが割引券を観光客に配っていた。彼女たちはそちらの方が気になるようで、ソフトクリームを買った。もちろん私にもごちそうしてくれたのだが、呑兵衛で辛い物好きな私がソフトクリームを食べるのは珍しい。

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何で有名なのか、よくわからない坂だが
、、、

 スーパーでの買い物である。明日泳ぐなら、それなりのものを買い込まなければならない。スーパーの駐車場で漁師のAさんへ電話する。そして「明日、泳ぐ」ということになった。水や食料など遠泳に必要なものを買い込む。
 ムーイに向かった帰り道である。突然リズが、、、、、
リズ「喉が痛いので、もし明日と明後日の海の状態が同じならば、明後日に出来ないかなぁ~。もちろんAさんの判断で“明日”と言われれば泳ぐけど、明後日の方が私は体調が良くなると思う。明日はちょっと泳ぐだけにしておきたい」
と言い出した。
私「医者に行くか?」
リズ「それほどでもない」

 もちろん海の状態が二日続くなら、スイマーの体調の良い日を選んだ方が良い。漁師のAさんに聞くと
A「ウ~~ン、、、明後日の方が少し風は強くなると思うが、まあそれほど変わらないと思う」
ということで、泳ぐ日は明後日になった。

 だが機材だけはもう漁船へ運ぶことにした。いつでも出発できるように・・・。

8月19日 食事の話

 朝から豪雨である。“土砂降り”と言うが、ムーイ内は我々が滞在している宿泊棟(コテージ)まで行くのに受付棟から橋を渡って行く。その橋の下を流れる清流の小川が濁流の大川に変わっている。おそらく『こんな状態を見て“土砂降り”と名付けたのだろう』と思った。
 何をするといっても何も出来そうもない。ただ雨でもやらなければならないことがいくつかある。その中で優先順位を付ける。そう、函館市戸井支所の支所長へご挨拶に伺うには何とかなりそうである。また食事の食材は、毎日スーパーへ通って手に入れることにしている。冷蔵庫が小さいからだ。したがって雨が降ろうが行かなければならない。
 たまたま戸井支所にアポイントを取ると、「今日は午前11時ならOK!」とのこと。したがって本日は戸井支所への表敬訪問と買い物。それ以外は天候次第だな。

 話は前後するが、17日、つまりリズたちが到着した日の夕食はムーイのレストランで食べた。メニューは日本語しかないが、壁には写真が貼られている。その写真から焼肉を頼んだ。彼女らは盛んに何の肉か、豚、羊、鳥、牛などを気にしていた。『何故だろう?』と思いながらも注文したのはセットで、それはいろいろな肉が食べられるセットだった。そして焼くときも何の肉か気にするのだが、結局は何でも食べるので問題はない。ただ何の肉か気にする理由はわからないままだが。。。。。
 続いてご飯類である。ちなみにスーパーへ行ったとき、彼女らはカップ麺を購入していたし、「ラーメンは美味しい」と言っていたから『麺類は大丈夫』と思っていた。まあムーイのレストランにはラーメンもうどんも写真で貼ってあるのだが、彼女らは盛んに麺の太さを気にしていた。もっと細い麺、素麺?
 結果的にはうどんを選んだのだが、私がチャーハンを頼むと「えっ、チャーハンがあるの?」と聞いてみんなチャーハンになった。チャーハンは日本語のメニューしか載っておらず、写真は貼っていなかったからだ。
 その一件から昨日(18日)「今晩は私が素麺を作ってごちそうするは」と素麺を作った。函館市内より近い(と言っても10kmくらいはあるが)スーパーに行って素麺と素麺汁、生姜を買う。素麺は六束入って一袋だ。普通、一束で一人前だと思う。『六束入っていれば大丈夫!』とレジに並ぶとレジ係がリズたちを見て「足りないんじゃない?」と言う。『ウ~ン、、、、麺類は好きそうだし、二袋でも良いかな、、、、ま、余れば私が食べればよいし・・・』と、素麺をふた袋にして素麺汁も大きいものにした。
 生姜は卸生姜にして「素麺汁に食べる直前に入れる」と説明する。彼女らはキュウリとレタスでサラダを作ってくれたが、ドレッシングが何と“しょうが焼きのたれ”。『えええええ』と思ったが生姜は好きなようで、これまた食べるとけっこういける。今度お試しあれ。
 取り敢えず大鍋で二袋(六束)全部茹でるとけっこうな量になる。『四人で食いきれるかな・・・???』と思いきや、心配には及ばなかった。完食。。。。。

 これからが本題である今日の話。
 戸井支所ではいつも暖かく出迎えてくれる支所長を初め、皆さんがいつものように笑顔で対応してくれた。ただ外が雨なので外での写真は撮れなかったが、何だかんだと楽しかった。

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戸井支所で

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支所室内で

 函館市内へ出るとお昼。「昼食は何がいい?」と聞くと「お寿司」と答えてきた。『へぇー、お寿司かい。まあ函館のお寿司は美味しいが・・・・』
 回転寿司に連れて行くと「東京で行った」と言っていた。『へぇー』と思いながら私の本音は別にあった。それはお寿司が流れて来るのだから好きなお皿を取って食べればよい。寿司ネタをあーだのこーだの説明しなくともよいと思ったのである。
 だが、実を言うと回転寿司にあまり私は行ったことがない。だからといってとてつもなく高額を請求されるお寿司屋さんにも行ったことはない。が、やはり普通のお寿司屋さんが私は好きだ。しかし『寿司ネタを英語にしなければならない』と思うと、、、、やはり回転寿司だな。。。。。
 ところがところが、、、入った回転寿司屋さんは寿司も回転しているが、テーブルには小さなモニターがあって、そこから注文するスタイルなのである。まあ回転してくる寿司を取っても何も問題はないのだが・・・。モニターはタッチパネルで寿司の写真も出てくるが、英語のものはなかった。結局は寿司ネタを私が説明する破目になるので、回転寿司を選んだ理由があまりなくなってしまった。だが、注文したお寿司は新幹線に乗ってやって来るのだ。それは回転台の脇にレールが敷いてあって、コンピュータ制御で注文したテーブルに新幹線がお寿司を運んでくるのである。テレビでは見たことあるが、実物は私も初めて!!!
 そこで彼女らが何を注文するか観察した。「イカ、タコ大丈夫」と言っていた彼女たちだが、やはりイカやタコは注文しなかった。ウニやイクラもダメ。貝類もダメ。やはりお魚だが光物はダメ。どっこいお新香巻きはOK! で、最も人気があったのがサーモン。。。。。ウ~ン、、、、、サーモンはサラダにしたりオードブルにしたりで嫌いではないのだが、お寿司のサーモンはね。。。。イクラほどは食べないな、、、私。。。。
 お寿司屋さんを出ると雨は休止状態。『今がチャンスかな?』と思って彼女らを五稜郭タワーや五稜郭に連れて行くことにした。リズたちもロジャー同様、「歴史は好きよ」と言っていたからである。だが、もう少し天気が良けりゃ良かったな・・・・。

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五稜郭タワー“土方歳三”の像と一緒に
土方歳三、彼を私は「ラストサムライ」と説明した。

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ハッハッハ、写っている人は誰でしょう?

 その後のスーパーでの話である。彼女たちは昨晩ご馳走した素麺のお礼に私へ「チャーハンをご馳走したい」と言うのである。『えええ、チャーハン???』
彼女たち「長いお米(おそらくタイ米のこと)は売っていない?」
私『えええ、本格的じゃ~ん!』
定員に聞くと「ない」とのこと。仕方なく日本米を購入。
私「ご飯、炊けるの?」
彼女たち「私の家には炊飯器があるのよ」
私「へぇー、、、でもさあ、お米、オレが炊くから、、、」
彼女たち「あら、私にだって出来るわよ」
と言って炊き方の説明をしてくれたが、お米の国の私だもの、それこそ米磨ぎから始まって最後の蒸らしまで、“チャーハン”という条件で少し固めに炊きたかった。
私「ご飯炊きだけは私にやらせて!!!」

 ご飯が炊き上がる時間を計算して台所を彼女らに開放。いやいや彼女らはすでに台所の内容は熟知しているし、そんなに広い台所ではない。“彼女らに解放した”というより“私が追放された”が正しい表現だろう。何だかアメリカのお母さんが三人いるような感じで面白かった。そして、台所を占拠した三人のお母さんたちは、昨晩、私が茹でた素麺の大鍋を駆使してチャーハンを作っていった。残念ながら大きめな中華鍋やフライパンがなかったからである。
 「これが美味しい」と彼女らが買っていたのは何と“柿ピー”。しかもちゃんと容器に入れて、それをつまみに大好きなビールを飲んで待っている私は何と幸せ者。
 女性が作ると不思議なもので、それはチャーハンだけではなかった。スープ、サラダ、その他、何品かがテーブルに並んだ。まあチャーハンは日本のお米だし大鍋で作っているので、パラパラしたいわゆる“チャーハン”を期待するのは間違っている。でもみんなでワイワイやりながらのチャーハンは美味しいし楽しかった。

 取り敢えず、“和食OK!”、“麺類OK!”。アメリカ人らしいハンバーグとかステーキがなくともOK!!! そして彼女らはスーパーで買った“しょうが焼きのたれ”や“素麺汁”の開いたボトルを写真に収めていた。帰ってから日本食スーパーでご購入予定だそうである。

8月18日 Test swim

 どうも私が荒天を連れてくるのか、函館の天気は悪い。誰もが『こんな日は泳がないだろう』と予想できる。しかし漁師のAさんに言わせると「悪い天気は続かない。これから良くなる」と言う。ちなみにAさんは慎重な性格で、天気の良い日も「良い天気は続かない」と言う。だが今までが台風11号の影響で悪すぎたようで、これからの好転に、好天に期待したい。
 ただAさんは「ちょっと泳いでみるか」とも連絡があった。「午後からなら少しは風も止むだろうから午後にしよう」と言うことで、午前は曇天の中、函館の朝市に出掛けることにした。
 ちなみに津軽海峡の狭い部分は西側が竜飛(青森)~白神(北海道)間、東側は大間(青森)~潮首(北海道)間でどちらも17kmくらい。で、我々の滞在しているムーイは潮首のさらに東にある。つまり潮首を境に西に函館市内、東にムーイとなるのだが、この潮首を境に多いに気象が変わってしまうことが面白い。
 今回もムーイは涼しい雨だったが、潮首を超すと蒸し暑い曇天に変わった。つまり函館市内は雨もないが蒸し暑い。

 函館の朝市は相変わらず高い! カニなど大きなものもあるが、高すぎてとてもではないが手が出ない。アメリカでも日ごろ目にするメロンなどは「高い!」とリズたちも驚いていた。
私「函館の朝市は観光客目当てだから高いんだ。地元の人は買わない。。。」
リズ「なるほど。。。」
 “観光客目当て”で良いこともある。品揃えが豊富なことと、正札に英語で書かれているものが多いこと。それに売り子が少しの英語が話せた。また店舗の中に“イカ釣り”のコーナーがあって、釣ったイカをその場で調理して出してくれる。それを彼らは熱心に見ていた。それに何と言っても無料の“Wi-Fi”が朝市周辺で使えること。これは外国人観光客にとっては嬉しい。
 まあ“市”というより「“朝市”というイベントを毎朝やっているところ」と表現した方が正しいと私は思う。観光地だから観光地値段があって、それを承知で買われるのなら何も問題はない。しかし観光地として有名な静岡県の熱海では同じようにして値段を釣り上げた結果、“誰も来なくなった”という実態がある。朝市の値段が高いのは地元函館の住民でも有名である。最近の熱海ではそれに気づいてバタバタして、ようやく少しは復活しているようだが、函館で同じ二の舞を踏まないことを祈るばかりである。
 しかしソフトクリームや焼きトウモロコシを頬張りながら歩けるのも観光地の良いところで、彼らもそれらをパクつきながら朝市を楽しんだ。

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函館朝市で

 次に赤レンガ倉庫に行った。そこにはたくさんのお土産屋さんやレストランが軒を並べている。思い思いにお土産屋さんを見て回った。その中でお箸屋さんがあって、大きな箸が飾られてあった。定員さんに頼んで私はそれを持たせてもらった。「箸より重いものを持ったことがない」という日本の諺を彼らに教えるためである。

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箸より重いものを持ったことのない私

 その後、ロジャーたちと入ったことのあるレストランで昼食。彼らは和食でも何でも大丈夫なようで、箸を起用に使えた。しかしよくよく観察していると“食器を持って食べる習慣がない”彼らはお茶碗や丼に入ったご飯を、食器を持たずに箸だけで摘まんで食べていた。それはたいへん。
私「あなたたちにとってお行儀の悪い食べ方や食べる時に出る音、それは日本ではおおむねマナー違反ではないんだ。例えば丼に直接口を付けて箸でご飯を掻き込むことも、それはある意味“美味しい”の表現で、食事を作ったシェフにとっては嬉しい行為なんだ。味噌汁だってお椀を持って箸で掻き混ぜながら口につけて啜る音を出しながら飲んでまったく構わない。むしろスプーンで味噌汁を飲む方が普通じゃないんだ」

 そんなこんなをしている間にパイロットのAさんから電話があった。
A「泳ぐ用意はできたよ」
私「あっ、今、函館市内で昼食を採っています。食べ終わったらすぐに行きます「
A「そっか、そっか。では船で待っているから」
私『ヒェ~~~~~』

 これを私は「スイムテスト」と呼んでいる。実際に船を出してもらって本番さながらに泳ぐのであるが、それは泳ぐテスト、泳がせるテストであり“ぶっつけ本番”を避けるためのテストでもある。お互いに経験することで何が問題か、どうすれば良いのかが見えてくる。これは私には『必要なこと』と思うが、残念ながら他では何処もやっていない。
 1時間ほどのテストスイムが終わりリズは上がってきたが、「喉が痛い」と言い始めた。それは海を泳ぐとよく出る症状らしいが、それから喉飴をよく舐めるようになった。ちょっと心配。。。。。

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泳げる!!!

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はしごを使って降りるんだ。。。。。

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行ってきます!

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とても深くて青くてきれいな海。。。

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力泳中

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終わった。。。。

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とても楽しかった!!!

8月17日 リズも函館へ到着!

 朝、一度4時頃に眼が覚めた。トイレに行って戻るとまたベッドの中へ。函館の最高気温は23℃位か? 最低気温は20℃以下になるので気持ち良く爆睡できる。それでも7時には起きて近く、、、、と言っても7~8kmあるが、セブンイレブンに行って朝食と昼食を買う。朝食はセブンイレブンの駐車場で取り、ゴミはそのまま店舗のゴミ箱におさらば。昼食を持ってムーイに帰ると荷物整理から始めた。
 リズたちは14時58分函館着の電車でやって来る。もちろん新幹線利用。午後2時にムーイを出れば充分に間に合う時間だ。それまで荷物の整理と昼食。とは言ってもあらかじめ預かっていた荷物と少しの自分の荷物を自分の部屋に持ち込むだけ。簡単である。
 日本の鉄道は非常に正確で、定刻通りにリズたちの乗った列車は函館へ到着。まずはリズたちをムーイに案内して、それから再び函館市内へ戻ってスーパーへ。ムーイでは自炊だからである。それと私のビーチサンダルが壊れてしまったので新たなサンダルが欲しかった。
 さらにムーイにあるレストランは週末、祝日のみの営業。つまり本日は日曜日なので営業しているのである。午後3時にJR函館駅で彼女らを拾って、ムーイに案内して再び函館市内のスーパーで買い物し、再びムーイに戻れば午後6時過ぎになっている。それから食事を作って食べて片付けて、、、、は酷なので、ムーイのレストランで食べることにした。
 それからが驚きである。彼女らはムーイの隣にある温泉施設に「行きたい」と言うのだ。「大きいお風呂だけど全裸になるんだよ」と説明しても「OK!」と言う。ムーイのレストランでもお箸を起用に使うのだ。初めて日本に来たにしてはかなり日本について勉強したのだと思う。「ラーメンが食べたい」と言うし、「お刺身OK!」と言うし、、、、これで日本語が話せればもっと良いのだが。。。。。。

 ここから先はあくまで私の主観であるので、ご意見のある方もいらっしゃるだろうが、あくまで個人的見解であることをご承知おきいただきたい。
 彼女らを見ていると、良きにつけ悪しきにつけ『アメリカ人だなぁ~』と思う。例えばオバマ大統領を見てみよう。おそらく彼は『アメリカが中心で世界が回っている』と思っているに違いないような外交を行っている。まあ一つのクラスで言うと学級委員みたいな。。。。しかしヨーロッパ諸国を含め、多くの国々は『いつまでもアメリカ主導の世界ではない』と感じている。変な話だが“アンチアメリカ”はたくさんいるのだ。一方、逆を見ると“アンチアメリカ”=“アメリカを意識せざるを得ない”ともなるのだ。
 実際、フランクでフレンドリーなのはアメリカ人。よく面倒を見てくれるし楽しい。しかし態度がデカイ、調子がいいと来ている。根本的に歴史がないというか、ヨーロッパのように歴史や伝統に縛られていないというか、自由度は確かに大きいのだが、それでダメになるのもアメリカ。まあ“個”になった人々の寄せ集めのようなイメージがある。しかしそれでいて素晴らしいものには素直に「素晴らしい」と認めるのもアメリカ。まあ懐が大きいのだろう。
 2011年3.11の震災。一番初めに「toraは大丈夫か」とメールをくれたのはオーシャンスイムで世界的に有名なアン・クリーブランド(アメリカ人女性)。それこそオーシャンスイムでは“神様的存在”のアンからメールが届いただけでもビックリした。ちなみにアンはドーバーの2-wayを泳いだスイマーだけが入れる“2-way Club”と呼ばれるクラブを運営していて、キンちゃんがこのクラブに入ってくることを首を長~くして待ってくれている。現在、アンはヨガにはまっていてあまり泳ぐことはないようだが、それでも今回、リズが津軽泳に挑戦することで応援メッセージが届いている。これもアメリカ人。
 3.11の話に戻るが、震災に対する多くの届いたメッセージの中で、最も感動したのはやはりアメリカ人のデビッド・バレラ(男性)。たまたま障害者相手に水泳指導をしているから敏感なのかもしれないが、「障害者のために~~をしてあげる」とか「被災者のために~~をしてあげる」という一方的上目線のメッセージが多い日本人に対して、デビッドは「日本の震災被災者のために何かが出来る栄誉を私に与えてください」というものだった。そして割合から言って、最も多くのメッセージが届いたのもアメリカ。もちろんアメリカに限らずどんなメッセージに対しても「自国の赤十字を通じて日本赤十字に寄付をしてください」との返事をしていたが、決して上目線にならず、一方的にならないメッセージを『いつかは言えるようになりたい』と思う私であった。もともとボランティアなんて人のためにやるのではない。“自分のために行い、ひいてはそれによって受けた他人がハッピーになり、ゆえに自分もハッピーになる”のが正しい。
 日本には「世のため人のため」とのたまう政治家がたくさんいるが、黙って見ていると“自分のため”がほとんどで、『何だかおかしい』と思っているのは私だけではないと思う。
 と言いつつ、『オレは自分のためにやっているかなぁ~』と思うと常々疑問を持ってしまう私でもあった。

 いかん、いかん。つい愚痴になってしまうので話を戻そう。
 とにかくアメリカという国は、国民も含めて偉大ではあるが、繊細さというか、“微妙”に対しては不器用だと思われるのである。白黒ハッキリしているのがお好きなようで、ゆえに裁判が多い理由でもある気がする。いずれにせよリズたちを見ていると『ああ、アメリカ人だなぁ~』と思われるのである。

2011年8月19日 キンちゃんのドーバー海峡 2-way solo swim (E/F/E)

8月19日(金)13:22(イギリス時間)、イギリス(ドーバー)からフランスまで泳ぎ、再びイギリスに泳いで帰るという2-wayをスタートさせました。
現在、フランスに向かって(1st leg)力泳中。
はたしてどうなるでしょうか!?

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キンちゃん、1st legで持病の大腿部痛と左肩痛のため中止をしました。
時間は18時間12分。

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<データ>
 
 こちらをご覧ください。

<詳細>
結果:1st leg: サンファイヤホー 13:22 ⇒ カレー 07:34(イギリス時間:翌日)
   18時間12分
   2nd leg: 大腿部痛と肩痛のため中止
   合計=18時間12分

概況:天気 晴れ時々曇り
   視界 10海里
   風向 主に南
   風速 3.1〜7.6m/sec
   気温 13.4〜17.9℃
   水温 17.0〜18.6℃(イギリス側17.5℃、海峡中央部17.0℃、フランス側18.6℃)
   波高 0.5〜1.5m
   ピッチ 40〜66回/分(少数は片手クロール)

 報告はくしくも現在、津軽泳のために来日しているLizがドーバーの2-wayを成功させた当ブログ「ドーバー2-way」と「ドーバー、今年の報告」(キン)をご覧ください。

 写真集は当ブログ「4. ドーバー海峡横断泳」よりご覧ください。

8月16日 再び北の海峡へ

 深夜1時半くらいだろうか、寝たのは。。。。。何だかんだと函館へ行く準備をしていたらそんな時間になってしまった。そしてトイレに起きたのが4時半。それから寝ると寝過ごす危険があるため、そのまま起きて出掛けることにした。睡眠時間3時間。まあいつものことだ。
 クルマで青森へ向かうため首都高に乗る。おお、日の出だ。首都高は少し高い位置にあるため、日差しが右側から入ってくる。北へ向かう私にとって、右(東)から陽光が入るのは間違いなく北を目指している証だ。そんな東西南北で自分の位置を確認しているためか、地下は嫌いだ。都会には地下が多く、いつも迷子になる。海や山なら迷子にならないが、東京生まれの東京育ちにしては都会が苦手な私、困ったものだ。
 そんなことを考えながら走っていると、東(右)からの日差しはあるのに上からは雨が降ってきた。変な天気だ。通り雨かな?
 ところが北へ向かって走れば走るほど日差しはなくなって雨は本降りになってきた。外気の温度はさほど上がらないが、湿度がひどい。窓を閉めるとフロントガラスが曇るので、四面ある窓をちょっぴり開けて走行。取り敢えずお盆休暇のUターンラッシュは今日がピークだそうで、早いうちに宇都宮以北にいたかった。
 上り線の渋滞が本日のピークらしいが、下り線もいつもより交通量が多い。とは言っても長距離では飛ばさない私にとって、皆さんが追い越して行くのでさほど問題はない。ただ問題はパーキングエリア内での渋滞。まあクルマ、車、自動車(くるま)、人、ヒト、ひとでごった返している。。。。。。トイレは並ぶ、弁当買っても支払いで並ぶ、とにかくエライことになっていた。
 途中、どうしても眠くなり、1時間ほど寝た。まあ一人だから気ままに寝たりもできるが、家族連れで渋滞の中を帰るお父さんは大変だろうと思う。そしてまさにその通り、上り線ではいたるところで渋滞があった。この国民の大移動、それを知ってもクルマを利用する皆さん。ホントにご苦労様です。
 前回は朝の5時40分に家を出ている。今回は朝の4時45分。1時間ほど今回の方が先行しているのだが、前回は3時間に1回の休憩。今回は2時間に1回の休憩。しかもパーキングエリア内は混んでいるし、途中、1時間ほどの仮眠もあったので仙台付近では遙かに前回の方が先行していた。
 前回の青森着の時間を参考に今回の青森着の時間を計算すると、“午後4時半ころに到着”と予想できた。そこで調べると青森17:05発のフェリーに間に合いそうだ。さっそくフェリー会社に電話を入れて予約を取る。すると係りのお姉さんが「本日は混雑しているので少なくとも1時間前までには来てください」と電話の向こうで言う。『余裕を持った時間だし、急げば着かないことはない』と思われたが、それで余裕がなくなることを私は嫌った。
私「次の便は何時発ですか?」
係「青森を19:10発で、函館には23:00着の便です」
私「ああ、そちらに変えてください」
係「わかりました」
そしてムーイのNさんへ「ムーイ到着は24時頃です」と連絡を入れた。
 何だか急にタップリの余裕が出来てしまった私は休憩と休憩時間を増やした。それでも4時50分には青森港に到着でき、17:05発のフェリーは「間もなく出航します」との放送も聞こえた。
 “ダメ元”で乗船手続きをしているとき、受付のお姉さんに「この船に乗れませんか?」と聞いた。お姉さんは奥に行って何処かに電話して「大丈夫です。間もなく出航なので急いで乗船してください」とのこと。ラッキー!!!
 とにかく愛車VOXYが乗って乗船扉が閉められた。何とトラック軍団の後ろなのだが間に合ったのは嬉しかった。
 船内では夕食を済ませ、このブログ原稿を書いていた。フェリーは予定通り20時45分に函館港フェリーターミナルへ到着。クルマに乗って下船準備をしていると、何とトラック軍団の車列から先に下船が始まる。つまり私はトラック軍団の車列の後ろに金魚の糞のようにくっついて、乗用車の車列より先に下船出来ちゃったのである。乗用車で最も先に乗ったドライバーさん、申し訳ない。でも私が悪いのではありません。ごめんなさい。
 ムーイには午後9時45分に到着。夜勤のおじさんが「早かったねー」と言い、「一つ早いフェリーに乗れちゃったから」と返事をした。
 取り敢えず函館のムーイに到着。明日の午後3時には函館に到着するリズたちを迎えに行かなくちゃ!!

8月15日 リズことエリザベス・フライ

 8月14日、アメリカの有名なオーシャンスイマー、リズことエリザベス・フライ(55歳)が津軽海峡横断泳のために来日した。たまたま14日は湯治のために私が居なかったのだが、彼女の知り合いである飛行機のパイロットが日本便に乗っているようで、よく日本について知っていた。そのパイロットとリズの妹であるガスキル、またリズの友だちであるデブラと計四人での来日だった。
 ちなみにリズの主な泳歴は次のようなものである。

  • ドーバー海峡    (イギリス:34キロ)    4回(往復泳1回を含む)
  • カタリーナ海峡   (アメリカ:20マイル)   1回
  • マンハッタン島一周 (アメリカ:28.5マイル)  2回
  • エーダリ・スイム  (アメリカ:17.5マイル)  2回(往復泳1回を含む)
  • タホ湖              (アメリカ:25マイル)   1回   他

 ちなみにこの中の“ドーバー2-way(往復泳)”はキンちゃんがドーバーを泳いだ時とバッティングしていて、このブログでも「ドーバー2-way(2011年)」で紹介している。

 翌15日に彼女たちの宿泊しているホテルで私は会う約束をしていて、我が家からホテルまでクルマで行ったのだが、その最短コースの途中に靖国神社の前を通過することになっていて、その手前1km位のところから警察のバリケードが張られ、よく軍歌など大きなスピーカーでまくし立てている日の丸のクルマ軍団を制御していた。
 まあ通れないことはないのだが、やはりそのバリケードの手前には日の丸のクルマがズラリと路上駐車をしていて、『マズイところに来ちゃったな・・・』と思った。
 普段、お盆でもあるし、夏休みであるはずの私は“終戦記念日”とは知っていても、靖国神社の周辺がこんなことになっているとは知る由もなかった。まあ別の意味での「靖国問題」でもあると思う。

 いつものように時間には余裕をもって出て来ているので遅刻することはないが、リズたちを東京観光に連れて行く予定があるので『靖国神社付近は寄らない方が賢明』と考えた。また17日には新幹線で彼女たちも函館へ行くので、『新幹線の予約も必要だろう』と考えた。そこでまずは東京駅へ。それからアメ横へ連れて行ってスポーツショップ、次は友だちのレストランでランチ。その後は浅草で“フルコースだな”と計画した。これはロジャーたちを連れて行った経験が生かされている。

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アメ横で(左からGaskill、Liz、tora、Debra)

 まずは東京駅。迎賓館の前を通って皇居から東京駅へ。これを得意になって私はガイドした。運転手兼ガイドである。
 彼女たちが持ってきたのはJR東日本で使える外国人専用のチケット。まあロジャーと同じものだがJR北海道では使えない複雑な代物。『また面倒な説明をしなきゃいけないのかなぁ』と思いきや、さすが東京駅。ロジャーたちの上野駅とは違って係りの人が外人さん。英語がペラペラなので全く問題なくパスとチケットをゲットできた。皆さんももし外人さんを電車に乗せるパスを持って来た人がいたとしたら、東京駅に行くことを私は推奨します。と言っても東京にいる人だけの話だけれど。。。。。。。。。
 その後は御徒町に行ってアメ横見物。ただロジャーたちのような“顔色変えて”というほどでもなく、スポーツショップで水着を見せた時もあまり感動は無いような様子だった。
 次にレストランだが皆さんは“谷根千(やねせん)”ってご存知だろうか? これは東京の街、“谷中”、“根津”、“千駄木”の頭文字を取ったもので、いわゆる“下町”の人気スポットである。ちなみに私はこの近くで生まれて育っているのだが、いつ頃からだろうか、ガイドブックを片手に闊歩している外人さんを多く見かけるようになったのは。。。。。まあ上野に近いし、上野には外人さんがよく使う(専用の?)日本旅館があって、もし友だちの外人さんが「日本旅館に泊まりたい」と言ったら『そこに連れて行こう』と私は思っている。おそらく近くにお寺は山ほどあるし、イキな下町の風情はタップリと残してあるからだろう。そんな谷中に友だちのレストランがある。まあフレンチなのだがだいたい日本に来る外人さんの多くを私は連れて行っており、そのほとんどが「美味しい」との好評価を得ている。
 食後、そのレストランから100mほどのところに「いせ辰」と呼ぶ千代紙や日本手ぬぐいを売っている老舗(専門店)があって、外人さんに日本のお土産としてたいへん好評なのでそこに連れて行った。するとパイロットから「手ぬぐいはどんな目的なのか?」と聞かれ、それこそ“晒(さらし)”の話から入った。晒を染めて浴衣にすること。着古した浴衣は手ぬぐい(顔や手を拭いたり身体を洗ったり)になること。それも古くなると赤ちゃんのオムツや雑巾になること。今では染物が綺麗なので手ぬぐいとして販売されていることなどなど。
 やはり外人さんから見ても染めた綿や千代紙の色彩は特別なようで、「素晴らしい」と言っていたし、リズは千代紙を何枚も買っていた。おそらくお土産にするのだろう。
 次に浅草へ行ったのだが、人、人、人、人でごった返していた。さらに駐車場は満杯で、とても停められそうにない。そこで急きょ江戸東京博物館に変更。それでも彼らのカメラには、クルマの車窓から見える人力車や東京スカイツリーを何枚も納めていた。
 江戸東京博物館へはロジャーたちに好評だったことと、英語のボランティアガイドさんがついてくれるからだった。到着したのはちょうど3時頃。受付のカウンターへ行って待っていると、係りの人が来て「今日は終わり」と告げられた。するとリズたちは私に向かって「toraがやればいいじゃん!」と言う。「えええええええ」と言いつつも、ロジャーたちと回ったことを思い起こしながら見よう見まねでやってみた。まあ展示の説明文には英語もあって、そのほとんどは自分で読んでもらったのだが、まあそこそこわかってもらえて良かった。ロジャーたちと来たことが下見になっていた。特に綿の展示があって、布を作って染めて着物に仕立てて、その後は古くなった綿を手ぬぐいにして最後は雑巾と、とことん使う日本人の「もったいない精神」を見せた気がした。

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江戸時代のタクシーに乗って喜ぶリズ

 またリズとはクルマの中で日本の終戦記念日について話したのだが、アメリカにも同じ日に同じような記念日があるらしく、そんなことも話した。
 江戸東京博物館の帰り、このまま帰ると靖国神社の前を通るコースになるので首都高に乗り、湾岸線周りの東京湾レインボーブリッジ経由で帰った。このコースはちょっと近未来型の景色を楽しむ事が出来る。もちろん同乗されている皆さんはカメラを回していたのは言うまでもない。

 ホテルで皆さんを降ろすとリズたちの重いバッグをクルマに乗せ、私は事務所に戻って津軽を泳がせるための機材も乗せた。そして家の近くのスタンドで燃料を満タンにすると我が家に戻り、衣類などをパッキングしてクルマに乗せた。明日は再び函館までドライブだぁー!!! えっ、リズたち?? 彼女たちは17日の新幹線でやって来る。リズの明日(16日)は、東京都体育館の屋内プール(長水路:50m)で練習だ。

夏休み、何とかと煙は高いところに昇りたがる。

 夏休みを例年ではカレンダー通りにお盆の8月13日から15日までの3日間をいただくのだが、今年は11日から14日までの4日間をいただいた。『1日多いぜ、ウッシッシィ~♪』と思っていたら、大企業ではお盆を挟んだ前の週の土曜から翌週の日曜日まで、何と9連休ももらえるのだそうな。。。。通りでお盆の前の週は道路が混んでいた。。。。。まあそんな羨ましい大企業はさておいて、この夏休みは涼しい温泉で汗疹の治療に専念しようかと、古くからスキー場と温泉で有名なとある場所へ行くことにした。汗疹の湯治目的である。
 そのスキー場は標高1,800mにあって寒いことでも有名。そうそう、映画「私をスキーに連れてって」の舞台になったスキー場と言えば、お分かりになる方も多かろう。またこの周辺のスキー場は子どもの頃から通っていたが、最近はちょっと遠くなっている。だがスキーでしか来たことがないので、雪のない山は初めて。リフトだけは搬器(イス)もないので変な感じがするが、ゲレンデは散歩コースになっていて、いたるところに高山植物が咲いている。

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 それにしても私にしては、最高気温が“20℃くらい”というのが嬉しい。
 温泉の湯質は硫黄泉で白濁色をしている。源泉は80℃くらいあるらしいが、もちろんある程度冷ましてから湯船に入れている。熱いお風呂が苦手な私でも入れる程度の湯温にしてあるが、まあ5分が限度かな? ぬるいのに長く入っていられない。また硫黄泉は身体にちょっと攻撃的で、少しの傷や汗疹でガサガサになった肌にピリピリと刺激的。『ウ~ン、効いてるぅ~』という感じ。それでも不思議なのは、初めの方の頃はピリピリしているのに、だんだんそのピリピリ感はなくなって、普通に入れるようになる。お肌が治ったかな?

 さて、標高1,800mといえばもう少しで標高2,000m。すると『ちょっと昇ってみようかな』という気になる。もちろん“湯治目的”で訪れている私には山登りの道具など持って来ていない。なのでクルマ使用になる。
 それほど遠くない場所に国道ではあるが日本最高地点があって、標高2,172mである。そこに行ってみるとやはり近くにある最も高い山に登りたくなる。もちろんリフト使用。

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 観光目的でスキー場のリフトが山頂近くまで観光客を連れて行ってくれるのだ。そこには展望台があって遠くの山々が望まれる。しかしそれは“山頂近く”であって山頂ではない。国土地理院の“三角点(2,307m)”のあるところまで昇ることにした。何故か三角点は観光客に関心が無いようで私が昇った時に、他に昇って来る人は居なかった。
 やはり何とかと煙は高いところに昇りたがる。その煙じゃない方が私のようである。

 翌日、ちょっと忘れ物を思い出して下界の街まで買い物に行った。すると下界は気温が30℃。湿度タップリで物凄く蒸し暑い。速攻で山に戻ると外気は20℃。気持ちいい。
 ちなみにこのとき、何十台もの観光バスと会った。みんなキンちゃんの近く、愛知県のナンバープレートだった。とにかく同じバスが何十台(もしかしたら何百台)もあって、乗っているのは同じ服装をした若者たち。『変な宗教団体か?』と思いきや、学習塾の合宿だとか。テレビでやっていた。そういえば以前にスキーでこの地を訪れた時に、同じ宿で学習塾の合宿をやっていた。夜中の12時過ぎまで勉強をしているのだが、レジャーで訪れているお客さんが多い中、勉強に深けさせるのはいかがなものか。中には「今度はスキーでここに来るんだ」と言っている子どももいた。

 まあ皆さん勉強に頑張ってもらって明るい日本を築いてください。それにしても一日三回湯船につかると全身から硫黄の匂いが。。。。。異様だな。。。。。

汗疹(アセモ)の話

 夏になると出てくる私の悩みは“汗疹(アセモ)”である。もともと太めの体格もあるのだろう、ものすごく汗っかきだ。それでいてあまりクーラーが好きではないと来ている。いや、クーラーが好きではないのではなく、クーラーの効いた部屋から外に出た時のあの「“モワー”っとするのが嫌いだ」と言った方が正しい。だからクルマに乗っているときも一人だとエアコンは切って窓を全開にする。雨でも降って窓を開けられない場合は室内の除湿をするためにエアコンを使用するが、温度は28℃に設定。外に出た時の“モワー”感をあまり感じないようにするためだ。
 どうも子どもの頃から体温が高めのようで、兄弟で家にいると「お前がいると蚊取り線香はいらない」と兄たちに言われるくらい夏になると私は虫に食われた。話によると虫に食われるタイプは体温が高めだそうだ。それでいて皮膚が弱かったので掻き毟ったところがたいへん。見事に私の腕や足は瘡蓋だらけになった。もちろん身体中汗疹だらけで皮膚はガサガサ、瘡蓋だらけ。そんな皮膚が丈夫になったのは、両親が毎年海に連れて行ってくれたお蔭だと思っている。その結果、今の私がある。
 体温が高めなのは今も変わらないし、虫に食われやすいのも変わらない。ただ変わったのは薬を塗っても皮膚が爛れなくなったことだ。そう、子どもの頃には薬で皮膚が爛れてしまうので薬も濡れなかった。それで瘡蓋だらけになったのだが、今は虫刺されの薬が塗れるようになった。
 ところが問題は汗疹。特にパンツのゴムの部分とか、背中とか、、、、いわゆる“汗が溜まる場所”。だから変な話、今も私はシッカロールが手放せない。そういえばドーバーでフリーダたちはスイミングキャップの管理にベビーパウダーを使う。シリコンやゴムのスイミングキャップはどうしても劣化の途中でベタベタになってくっついてしまうのだ。それを防ぐためにベビーパウダーを使うのだが、それが私には良い匂いで、時折お腹に塗ったりしていた。

 そのくらい汗かきなので、仕事でも練習でもプールに入って着替える時、背中にシャツくっついてたいへん。あらかじめ肩の方までシャツを掻き上げてから脱ぐのだが、それでもくっついてたいへん。
 どうにか着替えて出てきたとき、ロッカーを開けるとシャツに染みついた汗が成熟してほのかに香る汗臭さ。しかも汗で濡れているシャツを「エイ、ヤッ、ター!」と着るのである。汗疹が出来ても仕方ないか??

 練習用プール、教室用プール、障害者用プールと、ジプシーのように私はあちらこちらのプールに出入りしている。ところがプール水を循環させるためのタンクを屋上に設置している練習用プールは何と水温が33℃。炎天下のタンクはどうしても水温を上げてしまう。加えてプール利用者の増加。これで練習をする気が失せてしまう私。教室用プールは屋根がドーム状になっていて開くようになっているのだが、教室の子どもが「寒い」と言ったとかで閉じている。また連取用プールと同様にタンクを屋上に備えているので水温が33℃。「何処が寒いってー!!??!!」と言いたくなってしまう。
 ところが障害者用プールのタンクは地下に備えてあって、まあ夏でも冬でも31℃を保っている。ある日なんてここのプールに入って思わず「冷て!」と私は言ってしまった。31℃もあって冷たいと感じるなんて、他のプールがいかに熱いかが分かろうというものだ。

 ロジャーが帰った翌日から私は仕事に復帰している。連日の暑さの中で熱いプールに入って教室をしている。ちっとも涼しくない。しかもお盆前の週は皆さんお忙しいようで、道路は渋滞しているし、プールも時間によっては大賑わいだった。
 特に道路は工事が多いのか、片側二車線の国道にミキサー車やトラックが駐車で左車線を占拠し、結局は一車線のみで走っているから大渋滞。連休前になるといつもこんな感じだが、それでも続ける水泳教室。これじゃ「汗疹になってください」と言っているようなものか??

7月27日 江戸東京博物館

 今日ロジャーは南アフリカへ帰る。成田発18:10の香港経由でヨハネスブルグまで帰るのだ。午後4時までに成田空港へ着けるように逆算すると、午前中に観光が出来る。函館で預かった荷物を午前9時までにホテルへ持って行き、その後は江戸東京博物館へ連れて行こう。函館でロジャーが歴史好きなことを知り、ホテルから成田へ向かうなら、両国にある江戸東京博物館はその途中に都合よくある。
 ホテルから両国へはクルマで首都高に乗る。助手席に座ったロジャーは相変わらず子どものようにキョロキョロ見回して東京の景色を目に焼き付けていた。
ロジャー「この川は何ていう名前?」
私「隅田川」
(ちょうど水上オートバイを楽しんでいる若者を見て)
ロジャー「ここでは泳がないのか?」
私「昔は泳いでいたが、今は泳がない」
ロジャー「何故?」
私「水が汚くなってきたからだ」
ロジャー「東京の街はとても綺麗なのに、どうして川だけは汚いんだ?」
私「・・・・・」
 確かにニューヨークのマンハッタンを泳いでしまうスイマーにとって、また他の外国でも視る限り、川は荒川でも隅田川でも多摩川でもさほど汚いとは思えないし、むしろもっと汚い川でも泳ぎを楽しんでいるスイマーはたくさんいる。だが、やはり日本では泳がない。(実際は泳いだことも数回あるのだが・・・)
 考えてみればドーバーもさほど綺麗ではないし、日本には綺麗な海があるからだろうか??

 江戸東京博物館へは午前9時50分に到着。それはとてもラッキーだったことだった。入口から入るとカウンターがあって、ボランティアが館内を案内してくれるという。しかも言葉は日本語、英語、フランス語、中国語、韓国語、その他いろいろ。
 しかも受付は午前10時からで、係の人が準備をしていた。『ラッキー!』と思った私はロジャーたちに説明して少し待たせた。「受付は10時からなのでもう少しお待ちくださいね」と言う係の人の前を私は一番で並んだ。そして、受付が始まった段階で何と私の後ろには長蛇の列が。。。。。。
係「何語ですか?」
私「英語です」
係「どちらから来られた?」
私「南アフリカ」
ボランティアの婦人「アッ、私行きます!」
と言って名乗りを上げてくれたのは年の頃、60歳くらいのご婦人だった。
ボランティア婦人「南アフリカから来られた?」
ロジャー「そう」
ボランティア婦人「今日は私が案内します。ここにある橋は“両国橋”と言って江戸の町に入る入口です。この橋を渡ると、私たちは江戸時代へとタイムスリップします」
 何だかこの説明がネズミーランド(“東京”と名付けても“千葉”にあるネズミが主人公の夢(?)の国)の入口で同じようなことを言うお姉さんのようでおかしかった。
 ロジャーはとてもお喋りで楽しい。すぐさまこのボランティア婦人と仲良くなって、館内のガイドを楽しんでいた。それはボランティア婦人も同様なようで、ボランティア婦人が私へ「何時まで?」と聞くので「今日、午後6時の成田発で帰ります。その前にランチをするのでお昼頃まで」と答えると、「久しぶりに楽しい案内が出来て嬉しいわ。今日一日でも良いけど、11時半までにしておきましょうね」と言ってくれた。だが歴史音痴の私にとっても、いい加減な案内をしなくても済むことがラッキーだった。
 中でも可笑しかったのは“庶民の生活”で江戸時代の家屋に人形が住んでいるのだが、それを見ていたロジャーとリンゼーの側に、同じように見ていた親子がいて、お母さんは和装で60歳くらい、息子さんは30歳くらいのちょっと長髪で、ポニーテールのように髪を後ろでひとつにまとめていた。
お母さん(ロジャーに向かって)「江戸時代はね。捨てるものが無かったのよ。すべてをリサイクルして今の東京より優れた生活を江戸庶民は暮らしていた」
ロジャー:(日本語なのでポカーン・・・)
お母さん(ボランティア婦人に向かって)「通訳さん、そのように通訳しなさい」
ボランティア婦人「はい」

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江戸時代、職人の家

 このお母さんの“江戸時代、庶民の生活”は30分くらい解説が続いた。その内にボランティア婦人も私も英語と日本語がゴチャゴチャニなって、
お母さん「日本語で言ってくれなきゃわからないわよ」
と言いだす始末。

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江戸時代、庶民の家

 とにかく勢いのあるお母さんで、それはロジャーもリンゼーも楽しんでくれたようだ。ボリンティア婦人とお母さんに「ロジャーは津軽海峡を泳いできたんだ」と私が話すと、お母さんは茶道の師範のようで、息子さんは鍼灸師。しかし「針を使わない」と言っていたので、盲人(障害者)に水泳指導している私にとって、“針を使わない鍼灸師”とはちょっと理解不能だった。
 それにしても立派な体格をしているロジャーを見て「なるほどー」と皆さん関心をされていた。
 「11時半まで」とのことだったが、ボランティア婦人はもう乗りに乗ってしまってもう12時近く。「そろそろランチに行きたいので・・・」と私が言うと、「ここが最後」と言って丹念に案内してくれた。ホントにありがたかった。

 江戸東京博物館に近いレストランを私は予約してあって、そこにロジャーとリンゼーを連れて行った。最後のランチである。
 そこでまたいろいろ話した。で、結局はおおむねロジャーたちは日本をたいそう気に入ってくれて、日本に着いた日、秋葉原へ買い物に行くと街から夕焼けチャイムが鳴りだした。顔色を変えたロジャーが
ロジャー「これは何だ? 何処から聞こえてくるんだ?」
私「“家に帰りましょう”という音楽だ。街から子どもたちへのメッセージだ」
と答えるとスゴク感心していた。そんな些細な音や景色をものすごくよく観察していた。
ロジャー「日本は素晴らしい国だよ。人も文化も素晴らしい」
 「是非ともtoraには南アフリカに来てほしい。案内するよ」と言ってくれた。
 話は尽きなかったが時間は制限があった。成田空港には3時50分に到着。
 「また会おう」と約束して別れた。

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また会おう(成田空港で)

7月26日 南国の東京へ

 フェリーに乗るには「出港30分前までにターミナルへ来て手続きを済ませてください」と言われてある。函館フェリーターミナル午前8時10分発なので、まあ朝7時半までに着けば充分だろう。逆算すると6時50分、余裕を見れば6時半にムーイを出れば良い。6時に起床して最後にムーイで預かってもらう荷物を預け、6時40分にムーイを出た。
 7時20分にターミナルへ着いて手続きを済ませるとコンビニへ行って朝食を買う。フェリーに乗るまでの間、朝食を済ませる。
 一緒に並んでいるクルマのナンバープレートを見ると、遠くは東海ナンバー、関東ナンバーのクルマも多くいて嬉しくなった。来た時よりも混んでいて、子どもが何人かいたのは夏休みの始まった証拠だった。
 少しでも寝ようと横になったがなかなか寝付けない。デッキに出たりロビーに行ったりウロウロしてみたが、寝るための効果は何も無かった。「フゥ~」とため息をついて横になってウトウト始まったのは11時半頃だったと思う。その途端、船内放送で「降りる準備」の案内が流れた。もう寝ているなんて騒ぎではない。愛車VOXYに戻り、下船準備を完了して待っていた。
 青森フリーターミナルへは定刻の“12:10”より少し遅れた12時20分に接岸した。降りると「ウォ~~、暑い!!」。函館は最高気温がだいたい28℃。30℃以上に上がることはなかった。それが青森は、、、、、、、、30℃以上はある。。。。。。たった津軽海峡と陸奥湾を渡った100kmほど南側で、こんなにも温度が違うのか!!??!! 更に南にある東京へ帰るのが思いやられる。

 例によって私は長距離運転で飛ばすことはない。東北道に乗っても時速70~80kmで走行する。途中、約3時間毎に食糧購入とトイレタイム。食料は運転中に食べられる簡単な食品。つまり休憩時間は長くて20分はない。そうすると面白いことがわかった。
 青森まで同行したフェリーのトラックで派手なものが数台あったのだが、もちろん東北道で抜かされて行く。ところがしばらくすると同じトラックが再び抜いて行くのだ。おそらくトラックドライバーは食事休憩などしていたのであろう。それからまたしばらく走って行くと、再び同じトラックが抜かして行くのだ。トイレ休憩か?
 それはあたかもウサギとカメの競争で、トラックがウサギ、私はカメだ。したがって結果的には私の方が速かったか??
 いずれにせよ抜かされたクルマの台数は数え切れず、私の抜かしたクルマは一台もない。ただし、金魚の糞のように私のクルマの後ろにくっついてきたクルマもたくさんあったことを付け加えておく。
 燃費はやはり1リッター当たり20kmの走行距離だった。

7月25日 オレはガッカリしてないよ。

 朝、起きると今日のやることを考える。

  1. そろそろ帰るので“帰る準備”をしなければ。。。。。
  2. ロジャーが借りていたレンタカーの返却
  3. ロジャーたちが帰る東京への新幹線予約
  4. ロジャーたちと函館最後のランチ
  5. 防水デジカメ用ストラップ(フロート付き)の購入
  6. 8月にまた来るので預かっていただく荷物(機材)の洗濯と乾燥
  7. 冷蔵庫の中も在庫の食材を食べ終えなけりゃ。
  8. 衣類の洗濯もしなければ。。。。。
  9. ロジャーたちの重いスーツケースも運んであげなけりゃ。。。。。
  10. その他、エトセトラ、-etc-

 そんなことを考えながら洗濯物を洗濯機に入れ、スイッチオン。朝食を作り、冷蔵庫の残った食材をチェックする。よし、飲み物以外は全部食べた。お借りした食器や調理具をお返しし、荷物を種類別に分けた。そして洗濯物を乾燥機へ。
 約束していたお昼前にレンタカー屋さんへ。ロジャーはすでに返却し終えており、私の到着を待っていた。JR函館駅へ明日のロジャーたちの東京へ帰る新幹線の予約へ行く。『ここはJR北海道だから、JR東日本への乗り換えはまた面倒なのかな?』と思ってみどりの窓口へ。案の定、面倒臭いことをいろいろ言われる。それをロジャーに説明しようとしたら、すでにロジャーは何かで調べ終わっていたようで、どうしたら良いのか分かっていたので助かった。それからロジャーたちの滞在しているホテルへ行って、重いスーツケースを預かり、お昼を食べにロジャーたちと赤レンガ倉庫群のレストランへ行く。
 「ここ、ここ」とロジャーに教わった駐車場にクルマを入れるとき、入口にいたおじさんが白いチケットをドライバーである私に渡しながら早口で何かを喋った。「ハァ~?」と聞き返すと「そのチケットはレストランで支払いの時に見せるとスタンプを押してくれるんだ。そのスタンプがあると駐車料は無料になる便利なチケットさ」とロジャーに教わった。何だか日本語で喋られたことがよくわからないのに、英語で教わったことの方がよくわかることが妙におかしかった。それにロジャーたちがここのレストランによく通っていたことも判明した。
ロジャー「ここは美味しいんだ。初めてか?」
私「ああ、初めて入るレストランだ」
 テーブルに案内されてメニューを眺めながらいろいろ喋った。そしてそろそろ何を食べるか決めた頃、ロジャーとリンゼーが「席を替えよう」とテーブルを移動した。「どうしたの?」と私が聞くと、「子どもだ。子どもが近くの席に着いた」とロジャーが言う。そしてロジャーもリンゼーも口をそろえて「日本の子どもたちはレストランでうるさい。そしてその親たちはそれを注意しようともしない。南アフリカだったらそのうるさい親子共々レストランから追い出されるだろう」と言う。日本のレストランで子ども連れはマナーが悪い。それは私も常々思っていたことだった。
 そこで食事をしながらロジャーたちに「日本の印象」について聞いた。それによるとレストランの中の子ども連れを除いて日本人は親切で優しい。安全だし綺麗だし、日本の文化や習慣も素晴らしい。云々。おおむね気に入ってくれたようだ。
 続いて話は昨日の水泳になった。いろいろ喋っているうちにロジャーが言ってくれた。「オレはガッカリしてないよ」と。。。。。
 そして「来年の8月、また津軽を泳ぎに来るさ」と言う。この言葉で私はかなり気持ちが楽になった。

 話は変わるが私の持っているデジカメは防水だ。メーカーの資料によると「水深10mの防水機能、高さ2mからの耐落下衝撃機能、-10℃の耐低温、100kgの耐荷重」となっている。まあ10mも潜らないが、2~3mくらいなら潜って撮影することがあるので必要。耐落下衝撃機能も以前にキンちゃんとドーバーへ行った時、デジカメを落として壊した経験があるので必要。耐低温はスキーをやるので必要。耐荷重は使い方が荒っぽい私に必要となる。
 で、問題はデジカメを海で落とした時だ。10m程度の浅い海は私たちの場合、少ない。そこでデジカメのストラップが私の場合、フロート(浮き)になっているのだ。つまり水中でデジカメを離しても浮いてくれる。同じメーカーの同じような機能の付いたデジカメをロジャーも持っていて、「このストラップ(フロート)と同じものが欲しいが何処で売っている?」と聞かれ、「東京の電気街(秋葉原)だ」と答えたのだが、『東京に帰って秋葉原までロジャーたちを連れて行くのも大儀だな』と思った私は『函館の“○×カメラ”とか“◎☆電気”とか、大型量販店にあるだろう』と、“ヤマ○電気”の場所をムーイで聞いておいたのだった。
 レストランを出てロジャーに「函館の電気街へ行くよ」と言ってヤマ○電気へ。これが喜んだ。どうやら南アフリカには電化製品の大型量販店は無いようで、テレビのコーナーにあったバカデカイテレビ、定価22万円台が5万円台で売っている。時代は“4K”になっているのでそれまでのものが安く出回っているようだ。それが欲しくなったようで「こんなに安いのか、信じられない!」と言って何枚も写真を撮っていた。
 もちろんデジカメのストラップ(フロート)も売っていて購入したが、最近、日本で売っている“単価が1円(ただし2年のネット契約が必要)”のタブレットパソコンが「南アフリカでも使えるか?」と欲しくてたまらない様子だった。まあ答えは日本国内専用なので南アフリカでは使えないのだが。。。。。
 デジカメのストラップ(フロート)以外にも何点か電化品を購入していた。『こんなに喜ぶならもっと早く連れてきてあげれば良かった』と思った。

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防水デジカメ(左の黄色いストラップがフロートになっている)

 ロジャーたちをホテルまで送り、急いで私はムーイに帰った。洗濯物は乾燥機に入れっぱなしだし、潮だらけになった機材やクルマも洗って干したかったからだ。
 夕方になってから洗ったが、やはりジャブジャブ洗って干して拭いてやると何ともサッパリして気持ちが良い。
 そしてそれら海で使う機材はほとんどが次回も使うので、8月に頼んでいる漁師さん、Aさんのお宅に預かってもらうことにしている。洗った機材を愛車VOXYに積んでAさん宅へ。預かってもらう上に「ご飯、食べていきな」の言葉に甘えて夕食をご馳走になる。
 そうそう、Aさんは今年、今ある海沿いの自宅以外に、丘の上にもう一つの家を購入した。Aさんは「地震があった時のために」と言い、Aさんの奥さんは「これで年取ってもパンパースを買うお金もない」と言う。いずれにせよ「見せてくれる」と言うので丘の上の家に案内してもらった。
 その大きな窓からは津軽海峡が一望できる。斜地にあるので一階と二階に玄関がある。テレビにはAさんの好きなカラオケが出来る設備があった。
 Aさんは7年前に新艇の漁船を購入している。そして今年は家を購入。御年70を超しての家の購入だがスゴイなぁ~。。。。。
 「50、60、洟垂れ小僧、70を過ぎてようやく自分なりの生活が出来る」とおっしゃるAさん。恐れ入谷の鬼子母神!!

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丘の上のAさん宅(二階の玄関)

 

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写真左下の黒い扉が一階の玄関

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二階のリビングにあるカラオケ設備

 

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二階の広い窓からは津軽海峡が一望できる。

 Aさん宅でご飯をご馳走になり、新しい家も拝見させていただいてムーイに戻った。持ち帰る荷物をVOXYに積み、明日は早いぞ。東京まで運転だ!

2013年8月10日 NYC マンハッタン島一周リレースイム

 マンハッタンは周囲を川と海に囲まれたアメリカ、ニューヨーク州にある一つの島で、「マンハッタン区」と呼ばれる一つの行政区です。幅は東西に約4 km、長さは南北に約20 kmと細長い形状をしており、外周は約50kmで、「ニューヨーク・ニューヨーク」とニューヨークを2回言わせることから、「ニューヨークの中のニューヨーク」、まさにニューヨークと言えばマンハッタンを指しているようです。
 そのマンハッタン島を泳いで一周するこのレースの面白さは、何と言っても潮のタイミングに合わせて泳ぐことでしょう。マンハッタン最南部、自由の女神像のあるリバティー島の前、バッテリーパークを“干潮時”にスタートをして、上げ潮に乗ってスイマーはマンハッタン島東側のイーストリバー、ハーレムリバーを上り、“満潮時”でマンハッタン島の最北端、西側のハドソンリバーに出ます。ハドソンリバーを下ると下げ潮と川の流れが加わって、時速10kmものスピードでスイマーは降りてきて、バッテリーパークにゴールするレースです。
 あまりに遅いとハドソンリバーに出る前に下げ潮が始まるので、今、上ってきたハーレムリバーやイーストリバーを逆戻りすることになります。したがってイーストリバーやハーレムリバーに架かる橋の下、通過には制限タイムがあって、それよりも遅いと失格になります。
 この面白いスイムレースに「津軽海峡水泳倶楽部」として湘南の主さん、キンちゃん、泳ぐドクターO(オー)先生、陽子さんの4名が参加しました。

 この大会の概要はNYC SWIMの「MANHATTAN RELAYS」をご覧ください。

 この報告は湘南の主さんの「アメリカ・ニューヨーク、マンハッタン島を泳ぎました。ついでにリバティー島も泳ぎました。」より

を、更に雑文は

をご覧ください。

2007年8月10日 キンちゃんのドーバー 2-way solo swim (E→F→E)

<データ>

 詳細はこちらをご覧ください。

<記録>

  • 場所・方法:ドーバー・2-way solo swim (英⇒仏⇒英)
  • 出発時間:09:30
  • 出発地点:Shakespeare's Cliff
  • 到着時間:23:24
  • 到着地点:Wissant
  • 記録:13時間54分
  • 公認:CS&PF
  • 船名:Suva
  • パイロット:Neil Streeter
  • コメント:当初8月6日に泳ぐ予定だったが、天候の悪化が見込まれるため10日に変更した。
     実際10日も天候が悪く、この日に泳いだスイマーでフランスまでたどり着いたのはキンちゃんだけだった。
     キンちゃんはフランスまで泳ぐ途中、大腿部痛を訴えたため、1-wayで終えることにした。

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スタートしました!

イギリス時間8月10日、09:30、ドーバーのシェイクスピアビーチよりキンちゃんの2-wayがスタートしました。

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1-wayで終わりにしました。

キンちゃんが13時間54分でフランスに到着しました。
しかし大退部痛のため、2-wayは断念しました。

 報告は当ブログ

をご覧ください。

 特に「Vol.04(最終回)」の「今年を振り返って」は必見です。

 当ブログ「名言」より

 8月11日土曜日。朝は寝坊してゆっくりの朝食。それでも「11時までにビーチに行くよ! 栄養補給の手伝いしなくちゃ!」と、キンちゃんの心はすでにビーチで練習するスイマーのためのボランティアになっている。ビーチに着くや否やバリーがやっている栄養補給を隣から手伝った。「靴と靴下濡れちゃった。干しといて!」と、日本風にビニールシートをビーチに敷いて荷物を置く作業をしている私の所に飛んで来てビーチサンダルに履き替えながらそう言うと、すぐさま一目散に波打ち際まで走って戻って行った。靴のまま波打ち際まで行けば波が足に掛かる可能性は限り無く高くなると言うのに、目の前の自分のやりたい気持ちが身体のコントロール機能を失わせてしまっている。まるで子供だ。
 ビーチではキンちゃんの1-wayの成功を知っている人たちが「ウェルダーン!」とキンちゃんを抱き締める。キンちゃんは抱き締められることと栄養補給の手伝いとを忙しそうに同時進行でこなしていた。こちらの方はフリーダが私を呼び、「昨日の詳細を話せ。」と言う。しかしキンちゃんのパイロット、ニールとフリーダは親子関係なので、ほとんどの詳細は知っているのだ。フリーダの知りたがっていることは、何故キンちゃんの足が痛くなるかの原因である。「原因は不明なのだ。」と話すと、涙を浮かべながら悔しがっていた。それを見た私の方がビックリしてしまった。そしてフリーダは言った「ミユキを日本人初の2-way成功者にさせよう!」と。
 それから今日はずっと私の方はフリーダに会えば「日本の大将として、云々…。」と、お説教ばかり食らっていたのである。

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ドーバーの大将フリーダ(左)

 キンちゃんの昨日は水温17℃前後だが、気温は15℃前後と寒い日だった。空は雲で覆われ、風も吹いている。いつもなら多少寒くとも平気で船の窓や扉を開けっ放しにする船のクルーたちも、さすがに今回は窓も扉も閉め切って全員キャビンの中に入っていた。外に出ているのはコートを着込んだ私だけである。
 公式ではスタートが9時30分になっている。泳ぎ出して1時間もすると波は2mに成長し、2時間後には2m以上になり、時折3mの波が伴走船「スバ」を大きく揺らした。とにかく何かに掴まっていないと船の壁に叩き付けられるか、落水するかのいずれかである。それでも幸いなことに平均5〜6m/secの風は追い風で、平均波高2.5mの波も追い波だった。この風波によってキンちゃんはグングン進んだ。
 少し前にスタートしたスイマーがいる。それを追い越した。別に競泳ではないのだが、追い越すのは嬉しいし、追い越されるのは悔しい。つい20mくらい近くで抜かして行ったので、相手のスイマーもよく見える。この波高で相当難儀をしているようであった。

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ほぼ同時にスタートしたスイマーがすぐ側に!

 比較的キンちゃんはラフウォーターを得意としている。何と言っても「嵐を呼ぶ女」なのだ。増してや追い波なら喜んで泳ぐだろう。
 また、少し遠いがあきらかにドーバー泳に挑戦している船が視覚にあった。しかしその船も直に後方へと遠のいて行った。
 比較的「ラフウォーターが好きだ」と言ってもフラットな水面に比べれば体力の消耗は激しい。また肩が痛くなるのではないかとも心配した。同時に雲で覆われた空は陽の光をシャットアウトしている。陽の光は低水温を泳ぐスイマーにとって身体を暖めるための歓迎すべき友達なのだ。一番の心配は夜間泳で陽の光の断絶だった。大退部痛が出やすくなる。しかし今回は昼間から大退部痛の心配をしなければならなかった。
 そのうちに追い越されたスイマーはこの波高に耐えられなくなったのか、姿を消して行った。また遠くに見えたスイマーも直に姿を消した。クルーに聞くと、「今日は4名のスイマーがチャレンジしていて、まだ続けているのはキンちゃんだけ」ということだった。クルーの全員はキンちゃんが小さな身体で大波の中を力泳する姿を見て「ミユキは大変ストロングだ!」と感心していた。「ミユキにとって、1-wayはすでに簡単か!?」とニールが言うほど順調だった。
 そんな折り、モーゼではないが、「空」という空間が大きく二つに割れた。ドーバー海峡に縦断して雲の切れ目が出来て青空が広がり始めたのだ。イギリスは晴れてホワイトクリフが輝きを増した。そしてその雲と青空の境線は、イギリスからフランスに向かってドーバー海峡を横断しているのである。「早くここまで来ないかなぁ〜…」と、待ち侘びる気持ちは子供に帰っていたかも知れない。

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空を二分したモーゼの雲

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モーゼの雲の下へ向かうキンちゃん

 「イシイ!」と操舵席にニールが呼んだ。彼は私に海図を見せて、「今回はとても良い! 前回に比べて速いしコースも良い。2-way泳ぐなら…。」と、すでに帰りのコースまで考慮している。しかし「ありがとう。」と返事をしながらも、顔は笑えなかった。何故ならキンちゃんの泳ぎがそろそろ大退部痛の泳ぎになっていたからであった。
 モーゼの空の割れ目の境線はようやく我々の上空を通過し、青空が広がった。待ちに待った歓迎すべき友達、「陽の光」が差し込み始めたのだ。ところがすでに午後4時を充分に過ぎ、友達であった陽の光はキンちゃんの大退部痛を取るまでの力は失っていた。そして海は、モーゼの境線の通過後、徐々に穏やかになり、フラットな、誰もが泳ぎやすい波高1.5m未満、風速4m前後の穏やかな海になったのである。しかも前回10時間で来たグリネ岬の正面は、今回8時間で到達していたのであった。クルーの誰もが2wayを確信した。さすがに私も「2-wayは無理かもしれないが、1-wayの到着は12時間を切るだろう。」と思った。それほどグリネ岬は目の前に迫っていたのだ。

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それでも力泳は続く

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同じく2-wayを目指すスイマー、マイク(イギリス)が伴泳する。(30分)

 ところがドーバーの神様は「甘いな…!」と言わんばかりにキンちゃんの大退部痛を悪化させ、グリネ岬の前の潮を速く流し始めたのである。
 ちなみに去年友達になったインド人女性ソロスイマー、レシミが今年もドーバーにやって来た。アキシャは彼女と知り合いのようで、嬉しそうに私たちのところに彼女を連れて来たのである。その彼女も泳ぎがかなり速い。

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インド人女性スイマー、レシミ(中央)と

 去年、彼女はドーバー泳を9時間でグリネ岬の前まで行った。ところが残り3マイルから逆潮になり、その残り3マイルを泳ぐのに3時間も掛かったと言う。まあ11時間代で彼女は成功したのだが、その話を湘南の主さんに話したら、「3マイル手前で3時間…、オレには耐えられるかな…。」と言っていたのを思い出していた。
 今、まさにキンちゃんがその状態なのだ。そこから流され始めてグリネ岬の南側に到達する予定が、どんどん流されて北側のヴィサンのビーチに到着するまで何と5時間以上も掛かったのである。
 キンちゃんの大退部痛は悪化傾向にあり、すでに午後10時を越し、辺りは暗くなっていた。「これでは帰りは無理だ…。」と諦めた。グリネ岬の正面は魔物が住んでいる。
 イギリス時間午後11時24分、フランスのヴィサンのビーチに到着してこの遠泳は終了した。記録は13時間54分だった。

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航海はしても後悔はしていないことを公開します。

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応援をありがとう!

 今日は「ドーバーレガッタ」が始まった。ビーチでは海上を使ったイベントが行われるので、スイマーの練習も正午で終了する。そんな折り、19時間近くで成功させたダミアンがビーチに来た。彼はキンちゃんが2-wayまで泳げなかったことを知り、「ドーバー泳はエベレスト登山に似ていると言われている。しかしドーバー泳の2-wayはエベレスト登山より遥かに難しい。」と言った。とても名言である。

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ダミアン(イギリス人)とキンちゃん

 ビーチのボランティアは午後3時で終了したが、しばらくはビーチで海のイベントを眺めていた。その時、フリーダから「今日の夜、7時からフーバーハウスでバーベキューをやるからいらっしゃい。」と言った。フーバーハウスとは協会のボランティアたちがよく使うレストラン&喫茶店で宿もやっている。我々の宿から100mくらいの近さにある。我々はこのバーベキューに参加した。そこで驚いたのはこの店主がすでにキンちゃんや私のことを知っていたことだ。ちょっとは有名かも知れない。そこでイギリス人スイマーたちとディナーを楽しんだ。しかしまだ疲れも残っていたので、我々は早めに退散した。

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フーバーハウスのオーナー(彼もチャネルスイマー)

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アリソンと(フーバーハウスにて)

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フーバーハウスにて

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フーバーハウスにて

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仲良くなったマギー(左:ドイツ)

 ちなみに本日はメキシコ人女性スイマーリレーチームが泳ぎ、何と女性リレーチーム2-wayでは18時間59分で世界記録を樹立した。また友達になったドイツ人ソロスイマー、マギーは、1-wayソロを11時間40分で木曜日に成功させていた。皆みんな、ウェルダーン!

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今期泳いだチャネルスイマーたち

7月24日 ロジャーの津軽海峡 1-way solo swim (青→北)本番です!

<データ>

  • 天候:曇りのち晴れ
  • 水温:19.2~23.5℃
  • 気温:23.0~24.5℃
  • 波高:0.5~1.0m
  • 風向:南西ないし西
  • 風速:1.4~5.0m/sec
  • 流向:06:00まで南西 08:00まで西 09:00まで北 以降北東
  • 流速:↑1.0~1.2kn  ↑1.0kn    ↑1.0kn    ↑2.0kn
  • ピッチ:55~61回/分

<記録>

  • 場所・方法:津軽海峡・1-way solo swim (青⇒北)
  • 出発時間:05:18
  • 出発地点:青森県下北郡佐井村願掛岩隣のビーチ
  • 到着時間:
  • 到着地点:
  • 記録:6時間30分
  • 公認:津軽海峡水泳倶楽部
  • 結果:11:48、北東に流れる強い潮で成功の確率が著しく低くなったため中止
  • コメント:03:30頃、佐井村沖約1,000mで佐井に向かって2ノットの潮を観測したため、微妙に船を移動させながら潮の状態を見た。結果、当初04:00のスタート予定だったのが遅れた。
     当初、順調に進んでいたが、09:00頃から北東に流れる強い潮(2ノット)に入り、それから2時間経過してもその強い潮から逃れることは出来なかった(西に向かって泳いでいても、北東の大間方向へしか進まなかった)。
     結果、北海道へ到着できる可能性が著しく低下したため、11:48に中止を決めた。

P7241788 スタートを待つボート

P7241789 スタートするロジャー

P7241796 力泳するロジャー

P7241806 当初、順調だった

P7241807 順調を知らせるリンゼー

P7241818 力泳は続いたが、、、、、

Rogertreking 西に向かって泳いでいるのに、大間へ戻るように進んでしまった。

7月23日 泳ぐ前日は

 ドーバーを泳いだスイマーに感想を聞くと、「ドーバーなんて簡単よ!」とか「あんな難しい海峡はない」と言う。どちらも嘘ではないと思う。もちろん、それまでに準備してきた時間やスイマーの能力によって出てくる感想は違うだろうが、最も違うのは“泳いだ時の環境だ”と私は思う。例えばCSAでもCS&PFでも(両方ともドーバー泳を公認、支援する団体)「水温16℃で6時間泳いだ証明書」が必要となる。これによれば“ドーバーの水温は16℃”と思われがちだが、実際はあくまで私の経験では13℃の時もあれば19℃の時もあった。いずれにせよ20℃以下なので冷たいことに変わりはないけれど、13℃と19℃では多いに違う。
 まあ“平均が16℃”なのだろうが、たまたま13℃で泳いだスイマーと、たまたま19℃で泳いだスイマーとでは感想が大きく違っても頷ける部分ではある。まあ“例え”で水温のみを書いてみたが、実際は昼に泳いでいるのか夜間泳か、波浪はどうなのかで内容は大きく変わる。
 世界中の海峡を泳ぎまくっている有名なオーシャン・スイマー、ダーレン・ミュラー(アメリカ人男性)は「津軽はドーバーより難しかった」と言っているし、キンちゃんは「ドーバーより津軽の方が、変化が多彩なので印象的」と述べている。つまり単純に“水温のみ”では語れないし、環境の変化で大きく印象は左右される。
 スイマーはある程度その辺を考慮して対応できるよう練習をしてくるのだが、泳がせる立場としては極力良い環境で提供したいと思っている。しかし自然相手のこの企画、こちらの思った通りになってくれないのが現実である。
 一般にオリンピックの水泳競技でも「水温は25℃」とか“波消しブイ”とか、泳ぐ環境をスイマーに合わせている。ところがオーシャン・スイマーは環境に自分自身を合わせなければならないのだ。これが“オーシャン・スイミングの醍醐味”と私は思っている。
 それにしてもこちらの「津軽を泳ぐためのガイドライン」はロジャーも充分に理解してくれているし、そのガイドラインを越した環境(天気)が続いているのも理解してくれているロジャーは「来年、また来るかな・・・・」ともつぶやいている。
 いちおうロジャーのパイロットであるKさんは昨日、「24日にGoの予定だ!」と言ってくれたのだが、今朝になって「24日は朝、夕に天気は良いものの、お昼ごろに強風が吹く」と言い始めた。その“強風”というのはガイドラインのちょうど“やる”、“やらない”のライン上なのだ。特に問題なのは、“強風がお昼頃”ということ。「もう少し様子を見たい」というKさんの心情は“成功させる”という責任感もあって、痛いほどわかる。
 予定通りに泳いだとすれば、お昼頃はマグロで有名な大間の沖合を泳いでいることになる。大間の沖合、つまり津軽の本流に乗っている頃に強風が吹く。難所に難物が乗って来るようなものだ。これにKさんが引っかかっている。
 ところが“やる”、“やらない”を私は海上保安部や地元漁協、海運会社、その他関係各所に連絡を入れなければならない。そのほとんどは担当者が午後5時までしか電話の側に居ない。そんな本来ならあまり宜しくない人的都合で私はKさんに結論を出すことに急がせた。本来ならもう少し様子を見たがっていたKさんだったのだが。。。。。
 結局Kさんは“Go”サインを出した。それからロジャーと私は慌てて翌日の食料や水の買い出しに動き出した。明日(24日)の予定は

  • 0時00分:ロジャーたち起床
  • 0時30分:ムーイへ
  • 1時00分:toraと合流(荷物検査)
  • 1時30分:漁港へ
  • 2時00分:荷物を船に乗せ次第出港
  • 3時30分:青森県下北郡佐井村願掛岩沖合に到着
  • 4時00分:遠泳スタート

とこんな具合だ。日出が4時20分頃なので、空が明るくなった4時にスタート予定を逆算してこうなった。
 ひたすら明日の好天を願う。

7月22日 そんな簡単じゃないんだよ。

 天気は相変わらず悪い。ロジャーも私もパソコンで最新の天気予報を入手している。それによると24日かな。。。。。今回のパイロット、Kさんも「24日かな」と言う。。。。。
 とにかく天気待ちをしている間、ロジャーはパソコンのデータ、私たちが今まで泳いできた航跡が記入されている海図とにらめっこしながら「もっと北からスタートした方が良いんじゃないか」と言う。
 予定では青森県下北郡佐井村にある「願掛岩」と呼ばれる大きな岩の横のビーチからスタートする予定だ。ただ本音を言うと、青森県から北海道まで、あるいは北海道から青森県まで泳げれば良いので“ここからここまで”と決めてあるわけではない。
 それを決めたのは某テレビ局が企画した「24時間テレビ」内で行われた「津軽海峡横断リレー」。これはスタート地点、ゴール地点、時間までも制約された企画でそれこそ大変だった。
 まあそんな制約はないので自由で良いが、ホントにロジャーの言うようにスタートは北に移した方が良いのか。それはそうとは言い切れない。
 天気が100%予報通りにならないように、実際の潮の流れは予報通りではない。だいいち、パソコンの潮予想では風の影響が加算されていない。すなわちあくまでも“数式から出した予想”なのである。したがって計算では「右に流れる」と予想しても、実際には「左に流れる」ことも珍しくはない。それにそれは実際に当日、海に出てみなければわからないことなのだ。
 ドーバー泳のパイロットも、津軽泳の漁師も、「大潮だからと言って悪いばかりではないんだよ」と口をそろえて言う。確かにそうだ。小潮だから良いと言うばかりではないのと同じように。。。。。
 しかしそれは当日になってわかることであって、予測する立場にあってはやはり統計と確率から導き出す以外にない。「大潮と小潮、どちらに確率が高いですか?」と聞けば必ず「小潮」と答えるのは重々承知している。だからと言って「その通りにもならない」とも承知している。そこは、毎日仕事で海に出ている漁師の統計を信じる以外にない。
 パソコンから導き出したロジャーの案。「そんなに簡単なことじゃないんだよ」と私はロジャーに言った。漁師の経験(統計と確率)から導き出されたコースを信じて、私たちは泳ぐ以外にないのである。
 そしてロジャーのパイロット、Kさんも「青森に行く間に潮を見よう。そうして決めた方が良い」と言ってくれた。『それが良い』と思うしロジャーの泳ぎと船頭さんの腕を私は信じるしかなかった。

2006年8月6日 湘南の主さんのドーバー 1-way solo swim (E to F)

 2005年7月7日、キンちゃんとドーバーへ行ったときはイギリスのヒースロー空港到着前に飛んでいる飛行機の機内で「ロンドン同時爆破事件」の話を聞いた。そしてその混乱するロンドンに到着し、そのロンドンを何とか通り越してドーバーまで行くことが出来た。
 2006年8月9日、湘南の主さんのドーバー泳が終わってヒースローから成田へ飛行機が飛び立った直後に「ロンドン旅客機爆破テロ未遂事件」が発生した。まさに“間一髪”だった。
 思い起こすとその日、やけに自動小銃を持った警察官らしき人々がヒースロー空港内にウロウロしていた。おそらく情報はイギリス政府に届いていたのだろう。
 以来、ペットボトルや化粧品、チューブの歯磨き粉に至るまで透明のビニール袋に入れるなど、規制が厳しくなったのはご存じの通り。
 そんな“危機一髪”は私、けっこう多い。以来キンちゃんは「嵐を呼ぶ女」、湘南の主さんは「幸運を呼ぶ男」、そして私を「災いを呼ぶ男」と呼ぶようになった。
 まあそんな思い出はさておいて、本題に移ろう。

<データ>

 詳しくはこちらをご覧ください。

<記録>

  • 出発地(時間):Shakespeare Cliff (07:46):イギリス
  • 到着地(時間):Between Sangatte and Blériot-Plage (23:36):フランス
  • 記録:15時間50分
  • 船名:Seafarer
  • パイロット:Chris Osmond
  • クルー:Tony Mitchinson
  • オブザーバー:Simon Mitchinson
  • 天候:晴れ時々曇り
  • 風力:0.3~3.3m/sec
  • 風向:主に南 南から南西
  • 気温:18~25℃
  • 水温:18~19℃
  • 波高:0.5~1.5m

 詳細は下記の当ブログをご覧ください。写真もふんだんに使用しております。

~2006年8月6日 「神は微笑んでくれた」(ドーバー海峡単独横断泳成功)湘南の主~より
   1.いきなりゴール
   2.なぜ、ドーバーなのか?
   3.練習は厳しく
   4.いざ、ドーバーへ
   5.ドーバーの神は微笑んでくれた
   6.やりましたよ~!
   7.感謝

~2006年 「月に向かって泳げ!」~より(~サポーター(トラ)から見たドーバー~)
   1.プロローグ
   2.「月に向かって泳げ!」
   3.出発
   4.いろいろ
   5.ドーバーの素晴らしさ(エピローグ)

7月21日 表敬訪問

 函館に来てけっこうバタバタしていた。ロジャーたちに日本での生活を楽しんでもらうために何かのテレビではないが、“お・も・て・な・し”なのだ。その内に連休になってしまい、函館市戸井支所に挨拶へ行くのを怠っていた。そこで戸井支所にアポイントを取る。ロジャーは午前中に市民プールで泳いでいるので、昼食後の2時頃にお会いすることにした。
 ロジャーは「服をちゃんとしたものにした方が良いか?」と聞くので、ホントはその方が良いのかもしれないが、私ですら“ちゃんとした服”など持って来ていないので、「オレもこの服で行くし、気にしなくて良い」と答えた。まあ諸共なのだ。
 ロジャー、リンゼー、私の三名で戸井支所の支所長、Sさんとお会いする。
私「ロジャー、こちらは戸井支所の支所長、Sさんです」
ロジャー「オオ、戸井のボスですか。私はロジャーです」
S「はい。私が戸井のボス、Sです」
ロジャー「こちらはリンゼー、私のママです」
S「ママ? 奥さんではないのですか?」
ロジャー「リンゼーの言うことを私が聴かないと彼女はムチで私をたたきます。だから私は彼女の言うことを聴かなければなりません。リンゼーは私にとってママなのです」
そう言いながらみんなで笑った。
 お喋りロジャーを時折私は『うるさいなぁ~』と思うことがある。が、こういう時はお喋りロジャーに助けられる。気を遣わなくても良いからだ。
 日本の印象、津軽海峡や函館のこと、もちろん昨晩の花火大会も含めてしばらく楽しいお喋りが続いた。その内に「外に出て写真を撮ろう」ということになり、写真撮影で戸井の広報にも掲載された。

P7221780
戸井支所長(ボス)、Sさんと

 それからムーイに行ってミーティング。戸井支所で写真撮影をしていた時、支所長のSさんが「ああ、この風じゃあ泳げないなぁ~」と言っていた。。。ホントに24日までに天候は回復するのだろうか。。。。。。

P7221785
ムーイで私の浴衣を着る

P7221787
オレ、最強(I’m strongest man)

7月20日 スカイロケット

 津軽海峡を安全に泳ぐためには、そのガイドラインをハッキリさせることであり、ガイドラインを超す状況下で泳ぐわけにはいかない。今回、「7月20日から24日までの5日間(小潮期)で“天候の良い日”に行う」というものだ。
 ガイドラインの内容を列記すると長くなるのでやめておくが、極々常識的に考えて9割以上の人が「今日は天気が良い」と思う日に行うようにしている。
 7月20日に入り、小潮期にはなっているのだが、いかんせん天気が悪い。おおよその天候の先行きも東北地方に前線が停滞しているせいか、良くなる見通しはつかなかった。
 この辺はロジャーも理解しているし、契約では「ガイドラインを越した状況下で泳ぐことはない」というところにサインもいただいている。もちろん、ロジャー自身が世界中のいろいろな海を泳いでいるので、私の提示しているガイドラインが「甘過ぎる」とご意見もいただいているほどだ。したがって契約上では泳げずに終わっても問題はない。しかしせっかく「南アフリカ」という遠い国から来ているのだ。何とか泳がせて、しかも成功させて帰らせたい。

 昨日、ロジャーたちに函館観光をさせた帰り、クルマでムーイに向かっていると、「7月20日午後6時より花火大会のため交通規制」という看板が道路上に張り出されていた。『フ~~~ン・・・・、花火大会か。。。。。ロジャーたち、行くかな?』と、帰ってからメールで誘ってみることにした。
 ネットで調べると函館新聞社主催で午後7時45分からだそうである。さらに調べると摩周丸(旧国鉄時代の青函連絡船:現在では記念館になっている)の開館時間が午後6時まで。午後7時より花火見物のために入館料500円で公開させるらしい。3,000円出すと20名限定だが、座席と和風弁当がつくらしい。まあこれは先着順らしいし、第一、ロジャーたちは和食など口にしない。したがって500円で充分。
 またムーイの支配人、Nさんの話によると「クルマは大渋滞を起こすので避けた方が良い」とのこと。
 それらも含めてまずはロジャーに「明日の夜は函館市内でスカイロケットがあるようだ。行くか?」とメールをすると、「行く、行く」という。そこで詳細と「ゼッタイにクルマでは行かないように」とメールしたのに、案の定クルマで行ったようだ。
 翌日、「スゴイ渋滞だったよ!」とロジャーが口を尖らせて言って来た。「ええ、だから“クルマでは行くなよ”って言ったのに!」と私。「でもスゴク綺麗だった」と満足気なロジャーの顔を見てホッとしている私だった。
 『あの風の中でも花火大会はやったのか。。。。。風、止んでくれないかなぁ~』と思う私が居た。

2002年8月3日 ドーバー海峡 1-way relay swim (E to F)

「チーム・奥澤」12時間03分 横断泳成功

  • 日付:2002年8月3日
  • 場所・方法:ドーバー・1-way リレー(英⇒仏)
  • 出発時間:06:57
  • 出発地点:Shakespeare's Cliff
  • 到着時間:19:00
  • 到着地点:Cap Blanc-Nez
  • 記録:12時間03分
  • 公認:CSA
  • 船名:Seafarer
  • パイロット:Chris Osmond
  • スイマー:泳ぐドクターO(オー)先生、湘南の主さん、キンちゃんら6名
  • コメント:キンちゃんはこのリレー泳で物足りなさを感じ、ソロスイムを決意する。
     しかしソロスイムでも1-wayではなく、いきなり2-wayを目指す。この辺が「キンちゃんらしい」ところ。

 このキンちゃんの報告は「2002年 ドーバー海峡横断泳手記」をご覧ください。

 ここでは主に湘南の主さんの報告「ドーバー海峡・リレー横断泳に挑戦」<今、ドーバー海峡を泳いでいますよ~~>より一部を抜粋して公開します。
 尚、この湘南の主さんの報告は素晴らしいので近いうちにそのすべてを公開することにします。

 

「8.今・ドーバーを泳いでいます」より

8月3日(土)

 午前4時起床。軽く朝食を済ませた。早く寝たのに何故か頭がぼんやり。やはり興奮して熟睡できていないようだった。
 昨夜、石井先生たちは22時過ぎに戻って来たそうで、小田切さんはソロ横断泳に見事に成功したとの事。14時間57分。良かった、本当におめでとう。自分の事のように嬉しく感じました。
 宿の前の階段で記念撮影をして、5時に出発。既に空は明るい。公園を横切ると大きなカモメが「グワー、ゲワー」と鳴きながら、じろじろ我々を眺めていました。
 ハーバーの入口で石井先生が荷物用台車を借りてきてくれたので、そこに荷物を載せ、ポンツーン(桟橋)をシーファラー号の停泊場所へ向かいます。
 まだ誰も来ていません。ほどなくパイロット、クルー、オブザーバーが見え、慌ただしく出航の準備を始めました。その間、我々はポンツーンに腰を下ろし、これから始まるドラマに思い思いの夢を見ているようで、みんな無口になっています。
 出航の準備が整い、各自の荷物を船に積み込みます。出発前に円陣を組み、最後の「気合入れ」のため、全員でエールの交換を行ないました。6時20分。ドーバー海峡横断に向け船が港を出ます。港内は鏡のように静かな海面でしたが、防波堤を出た途端、急に船は大きく左右、前後に揺れだしました。天候は薄曇り。ですがさほど寒くはありません。もっとも完全防寒装備ではありますが・・・
 防波堤沿いに船は進んで、スタート地点のシェークスピアビーチへと向かいます。防波堤の返し波で船が大きく揺れています。我々のそばをもう一隻の船が走っています。我々と同じドーバー海峡横断チャレンジ組の船のようでした。
 シェークスピアビーチへ降りる道路からの長い階段が見えてきました。昨日、小田切さんの応援のために降りてきた階段です。何故か懐かしく感じてしまいます。昨日見た光景同様に、船がゆっくりとビーチに近づき、船尾をビーチに向け停止しました。第一泳者の真鍋さんが船尾のステップから海に入り、ビーチに向かって泳ぎ出すと、ビーチに上がってスタートの合図を待っています。
 オブザーバーの「スタート」の合図と同時に、船の汽笛も鳴りました。午前6時57分。ついに我々のドーバー海峡横断のスタートが切られました。直ぐ右隣でもスタートした船が見えましたが、ソロか、リレーか分かりません。(後日、聞くところによるとイギリスのリレーチームと判明)
 うねりがあり、船が大きく揺れる中、アッという間にビーチから離れてしまいました。三角波で、真鍋さんはとても泳ぎ辛そうに見えます。港の入口が後方に見えてきました。空は相変わらずどんよりしています。波高は1m前後ですが、返し波の入った不規則な波が続いています。そろそろ自分の泳ぐ時間が近づいてきました。オブザーバーの「ファイブミニッツ!(交代5分前)」の合図で着ている物を脱ぎ、プールサイドコートをはおり、スタートの準備をします。「ワンミニッツ!」のコールでプールサイドコートを脱ぎ、船尾のステップへ移動。ゴーグルの点検をしてゴーサインを待ちます。
 「ゴー!」の合図で船の左側を泳いでいる真鍋さんを追い越します。これでCSAのルールに則った“交代”が終了です。
 今度は船尾から船の右側に周り泳ぎ出します。奥澤先生と私は泳ぐとき、呼吸が左呼吸なので選手交代のときに面倒なことになっています。
 「今、本当にドーバー海峡を泳いでいるんだ・・・。夢ではない」と、不思議な思いで泳いでいます。まるで夢を見ているような感じです。奥澤先生に誘われてから、「あれよ、あれよ」という間にドーバーへ来て、そして今、自分がドーバー海峡を確かに泳いでいる・・・。
 水温は港内で練習していたときと変わらないので、このままの水温なら何とか頑張れそうですが、何が起こるか分からないのが海での泳ぎ。透明度は良いのでしょうが、海底、周囲には何も見えません。色はブルーでとても綺麗な色をしています。
 データを記入している藤田さんが私を見ています。「デッキで皆さん何を話しているのだろうか?」
 石井先生がビデオカメラで撮影しているので、Vサインとキラキラ星でサインを送りました。先生の笑っている顔がよくわかります。
 「30分」の表示が出されました。魚でも見えれば退屈しのぎなるのですが、ストローク数を数えながら泳ぎます。未だ変則的な波があり、呼吸の度に何度か海水を飲まされました。水温が低い以外は、日本の海で泳いでいるのと変わりなく感じます。違うのはサポートの船が横にいて、船を見ながら泳ぐ。前を見ても目標がないので、一度も前を見ることはありませんでした。船からも離れることなく泳ぎ続けていられました。
 残り「5分」の表示。次の泳者、菱沼さんが準備をしている姿が確認できます。交代のタイミングが分からずそのまま泳ぎ続けていると、菱沼さんが私の横を通り過ぎて行ったので「無事交代完了」と思い、船尾に近づきステップに上がりました。
 「寒さは感じない。気温も高くなってきたのだろうか」とりあえず第1回目の泳ぎは終わりましたが、何故か「物足りなさ」を感じました。「もっと全力で泳げば良かったのかな?」 本来、自分の気持ちの中には、「ドーバー海峡は厳しい!!」との思いがあり、それが何事もなく、淡々と普段の練習と変わりなく泳げてしまったことによる不満かもしれません。
 次の泳ぎに備え、しっかりと防寒対策をして菱沼さんの応援をします。船に乗っているパイロット、クルーはTシャツ、短パン姿なのに、私はニットの帽子、手袋、プールサイドコートの重装備。船の中は何とも奇妙な風景になっています。菱沼さんが泳ぎながら大騒ぎをしています。どうやらクラゲの大群に遭遇したようです。いつも日本ではクラゲの大群の中で泳いでいるのに、騒いでいる姿がとても可笑しかった。マブチモーター全開で、毎分90回以上のピッチでドーバーの海を突き進んでいます。
 次は藤田さん。紅一点の参加。今回のメンバーの中では一番安定した泳ぎで、しかも寒さにも強いしスタミナも抜群の弾丸娘。彼女も自分の持ち時間を楽しみながら淡々と泳いでいます。
 奥澤先生の番になりました。緊張はされていない様子です。息継ぎが奥澤先生は私と同じ左オープンなので、船の右側をゆったりとしたストロークのマイペースで泳いでいます。先生も寒さには強いので心配なし。海面も非常に穏やかになり、又、天候も回復して暖かくなってきました。まるでプールで泳いでいるように穏やか。
 ドーバー海峡のハーフポイント(海峡中央部にあるブイ)が近づいて、「このまま順調に行けば、栗山さんの2回目のスイムは無くなるのでは」と冗談も飛び出す快調な泳ぎです。
 6番目の泳者、栗山さんは早々と水着姿になり、かなり緊張している様子で、寒さ対策のへそ絆創膏と足先絆創膏をしっかり貼って待機しています。交代の合図で泳ぎ出しましたが方向が分からなくなったのか、ドーバー(イギリス)の方向に泳ぎ始めてしまいました。みんなで大騒ぎして合図を送り方向転換させて、船の進行方向(フランス)に合わせて泳ぎ始めてくれました。
 船との距離を保つのが難しそうで、パイロットから注意を受けました。栗山さんの目が苦しそうに何か訴えているように見えます。後で聞いたら30分を過ぎた辺りから手足が痺れてとても辛かったそうです。泳ぎ終わった後もステップには上がれず、クルーに引きずり上げられていましたが、足が痙攣して動けなくなってしまったようです。キャビン上がっても震え収まらず、本当に辛そうで言葉も出ません。盛んにガタガタと震える手でホットドリンクを飲んでいました。温かいものを身体に入れ、少しは暖まったようで、ようやく口を開き、「これがドーバーか、厳しい」と一言。「出来ればこれで終わって、次は泳ぎたくない」と本音を漏らします。よほど辛かったのだろうと思いました。
 2巡目に突入。エースの真鍋さんはスタートの時、「一緒に出た船(イギリスチーム)に追いつくぞ!」と張り切って泳ぎ出しました。彼は船酔いをするのと極端な怖がり屋。泳いでいるときも船にピッタリくっついて離れません。船上から応援していても、「何を言っているのか」と直ぐ顔を上げて確認する始末。
 みんなの声援もただ「いいから飛ばせー!!」「飛ばせー!!」の応援コールだけです。その甲斐があったのか、先行する船が少し大きく見えてきたような感じがしました。
 2回目のスイムの時が私にも巡ってきました。泳いでいる私の眼にも、既にフランスは見えていましたが、何処に着くのか分かりませんので前を見ることは今回もありませんでした。しかし船上の皆さんが私の泳いでいるときに顔を出してくれないのが寂しい・・・。
 石井先生がまたビデオ撮影していたのでVサイン、キラキラ星で合図して答えました。「これでドーバー海峡を泳ぐのも終わりか」と思うと、何だかとても寂しい気分になってしまい、涙が出そうになってきました。
 海面は午前中と比べものにならないくらい穏やかで、アットいう間に1時間が過ぎてしまいました。
 1巡目の調子だと、「全員が2回は泳がないのではないか」と思っていましたが、反転した潮に流されて思うように距離が伸びなくなっています。この分だと真鍋さんまでは巡りそうな雰囲気となり、「やはりドーバー海峡だ。何が起こるか分からないな」と思いました。
 菱沼さんも泳いでいる最中に突然、「サポート船の前に大きな貨物船の通過を見てビックリした!!」と言ってクルーの人に話しています。しかし「これが最後か」と寂しく上がって来ました。
 藤田さんは石井先生にラノリンをたっぷり塗ってもらい、「楽しむしかない」と元気よく泳ぎ出して行きました。ラノリンは海水で冷やされると反応して白くなり、ワセリンより落ちにくいそうで長時間効果が持続するそうです。
 天気も良くなり、防寒用のコートが不要になるほど暖かくなってきました。奥澤先生の泳いでいるときにフランスの3マイルポイントを通過しました。あと少し。到着目標のフランス海岸は、「ヌーディスト・ビーチ」であるらしい・・・。
 俄然、応援も賑やかになり「飛ばせー!!」、「飛ばせー!!」の大合唱。オブザーバーに交渉して、全員でフランスに上陸、ゴールしても良いとお墨付きを戴くことに成功しました。しかしグリネ岬は遥か彼方の右前方に見えています。でも船は反対の左方向へ流れる潮にどんどん押されて、ヌーディスト・ビーチは遠のくばかり・・・。2回目の泳ぎを嫌っていた栗山さんも、フランスを目前に控え、気合を入れて泳いでいます。幸いにして風、波もなく、非常に穏やかな海となり、泳ぎやすい状況で、しかも暖かくてこの上ない好条件が揃ったドーバー海峡横断泳日和となりました。
 しかし、穏やかな海とは対照的に、潮の流れは意外と速いようで、ヌーディスト・ビーチはどんどん右方向に遠のき、代わって断崖絶壁が目の前に現れました。オブザーバーからは、「全員でのゴールは危険なので、最終泳者一人に限定」と断られてしまいました。
 栗山さんも自分の持ち時間を泳ぎ切りましたが、残念ながらフランスに到達出来ません。しかし今度は 元気に上がって来ました。
 再度、真鍋さんに交代。彼はドーバー海峡横断泳で一番美味しいところ、「スタートとフィニッシュ」を経験することが出来た幸せ者です。
 船は断崖絶壁から200~300mぐらい手前で停船。代わりにゴムボートが真鍋さんをサポートしてビーチに向かいます。船から見ると、「何処かに上陸する場所があるのか」と心配するくらい凄い断崖絶壁の場所へ着いてしまいました。肉眼ではよく見えませんが、どうやら大きな岩の上に立ち、「バンザイ」のポーズを取る真鍋さんの姿がかすかに確認できました。
 オブザーバーの、「ゴール!!」のサインが出て、思わず船に残っていたメンバーから「バンザーイ!!」「バンザーイ!!」の雄叫びが飛び出しました。周囲は未だ充分に明るい日差し。
 19時00分完泳。急に身体の力が抜けていくのが分かります。そして目標を達成した満足感が体中を満たしていきました。
 スタートの時、シェークスピアビーチで一緒にスタートして、先にゴールしたライバル、イギリスチームの船が側へ寄って来て、お互いに完泳成功のエールを交換。双方の船から喜びの雄叫びが飛び代わり、ひとしきり大騒ぎとなりました。
 真鍋さんを乗せたゴムボートが戻り、それを見て又みんなで「バンザーイ」コール。真鍋さんの満足そうな表情が印象的でした。
 帰りは、エンジン全開のフルスピードでドーバー港を目指して疾走します。船の中ではみんな無口になり、ドーバー海峡横断成功の思いにふけっているように見えました。緊張から解き放たれ、急に疲れが出てきて帰りの船の中ではうつらうつらしていました。
 ドーバーの港へ戻ったのが22時過ぎ。藤田さんから今日の横断をサポートしてくれたキャプテン、オブザーバー、クルーの方々へ、Tシャツなどのお土産を渡してお礼を言うと、今度はキャプテンのオズモンド氏から「CSA創立75周年記念」ということで、CSAの紋章を象った素焼きのプレートを一人に1枚ずつ戴きました。とても良い記念品になったので嬉しくなりました。

2005年8月2日 キンちゃんのドーバー 2-way solo swim (E⇒F⇒E)

 このブログで何回も書いているが、2005年はキンちゃんにとっても私にとっても最も印象的な年であったことは間違いない。
 この年はキンちゃんの目標である“日本人初のドーバー 2-way solo swim”のために陸上競技の“三段跳び”の要領でホップ(津軽海峡 1-way solo swim)、ステップ(ドーバー海峡 1-way solo swim)、ジャンプ(ドーバー海峡 2-way solo swim)と計画を立てた。
 5月の津軽泳は悪天候のために出来ず。7月14日のドーバー 1-way solo swimは17時間03分で初成功はしたものの、今回の報告である 2-way solo swimはフランスを折り返して約4時間後にオブザーバーより“危険”と判断され、中止を余儀なくされた。
 その後、折り返したフランスのヴィサンのビーチへ記念の砂を取りに行った。そのフランスへ向かうフェリーの中で海を見つめていたキンちゃんがいきなり泣き出した。それは私の胸に飛び込んで泣いたのだが、キンちゃんの涙、鼻水、涎で私のTシャツはビショビショになるくらいだった。キンちゃんが“自分の敗北”を認めた時だったからだ。「もう泳ぎたくない。泳ぎたいと思えない」と。
 『これではいけない』と思い、5月に泳げなかった津軽を9月に泳がせた。見事に成功! 「ドーバー泳より印象的だった」とキンちゃんは述べている。更に今回失敗に終わったドーバー 2-way solo swimが、“この年の最も印象的だった女性の水泳”ということで、「ガートルード・エーダリ賞」をCS&PF(ドーバー泳を公認する団体)から受賞される。
 それこそ“泳ごう”という意識が首の皮一枚まで削ぎ落とされたのに、更に「必ずドーバー 2-way solo swimを成功させよう」という強い意識に変わったのだ。
 そんな印象的な水泳。。。。。
 2001年の9.11(アメリカ同時多発テロ事件)があって、アメリカに同調したイギリスの空港は危ないと、2004年の時はわざわざ私はフランスのシャルル・ド・ゴール国際空港からドーバーへ入ったのだが、『もう大丈夫だろう』と2005年はヒースローに飛んだら、飛んでいる飛行機の中で「ロンドン同時多発テロ(7月7日)」を聞いた。
 飛行機の中でCAから「ヒースローに着いても、地下鉄もバスも動いていません」と聞いて、「どうすればいいんですか?」と聞いても「わかりません」とCAは答えるよりなかった。
 何とかかんとかヒースロー空港からドーバーまで行くことが出来たのだが、すでにドーバーに着いたのはかなり遅く、ドーバー市内の店はすべて終了していた。そんな時にドーバーのアパートでキンちゃんが作ってくれた素麺が美味しくて、今も私が生きてきた三大美味しいもののひとつになっている。

<データ>

 こちらをご覧ください。

<記録>

  • 場所・方法:ドーバー・2-way solo swim(英⇒仏⇒英)
  • 出発時間・地点:08:45 Shakespeare's Cliff(イギリス)
  • 到着時間・地点:22:26 Wissant(フランス)
  • 記録:13時間41分
  • 公認:CS&PF
  • 船名:SUVA
  • パイロット:Neil Streeter
  • コメント:フランスを折り返し、3時間52分泳ぎ続けたが、オブザーバーより「危険」と判断され、17時間33分で断念した。翌3日、02時18分の出来事だった。
     1-wayで公認してもらえた(英⇒仏:13時間41分)が、キンちゃんは2-wayが成功しなかったことについて、非常に落ち込んだ。しかしこの努力が認められ、2005年のドーバーを泳いだ女性による最も価値のある賞として「The Gertrude Ederle Award」を受賞する。
     ガートルード・エーダリ(Gertrude Ederle:1906年10月23日~2003年11月30日:アメリカ人)は、史上初の女性ドーバー完泳者(1926年:14時間39分:仏⇒英)。
     「人々は『女性がドーバー海峡を泳ぐことが出来ない。』と言いましたが、私は自分自身で泳ぎきれることを立証しました。」(エーダリ)

 写真は当ブログ「2005年8月2日 キンちゃんドーバー2回目の成功!!(写真集)」を、ガートルード・エーダリ賞は「2006年3月13日 キンちゃん、「ガートルード・エーダリ」賞受賞」をご覧ください。

7月19日 函館観光と歴史

 ロジャーたちは函館市内の函館山に近い高級ホテルに滞在している。そこから30kmほど離れたキャンプ場“ムーイ”に滞在している私とはクルマで40分ほどの位置である。当初、海練習のためにロジャーは「ムーイに通う」と言っていたが、ここのところの悪天候(強風)でロジャーは市内にある市民プール(長水路:50m)で泳いでいる。もちろん「あのプールは大きくて綺麗で良い」とご満悦なのだが、午前中に1時間も泳げば終わってしまう。。。。。
 「函館駅前の朝市は行ったし赤レンガ倉庫群は毎日夕食に通っている。それ以外の観光へ連れて行ってくれ」と連絡があった。まあ天候待ちの私も時間があったので「OK!」と返事はしたものの、“観光”などというものは私の得意な分野ではない。何処へ連れて行ったら良いのやら。。。。。。
 クルマで函館市内へ向かう。ビーチ沿いの道路は波が砕けた飛沫が霧のように白く漂っている。『クルマが錆びる。。。この辺の家屋は塩害で大変だろうな。。。』などと思いながら走り進むと函館山の山頂は雲の中だった。『函館山観光はダメか・・・・・』
 何年か前に横浜港と函館港は“開港100周年”のイベントをやっていたな。。。ペリー(黒船)は下田と函館に来て開国を迫ったのだ。まあ長崎の出島にオランダとの国交はあったものの、幕府は函館を開港した。その影響で函館にはエキゾチックな洋館が多いのだ。まあ私の歴史知識はこれまで。それだって合っているかどうは疑わしい。。。。。
 取り敢えずロジャーに「クリスチャン?」と聞くと「そうだ」と言う。そこで“函館ハリストス正教会”へ連れて行った。ちなみに日本では教会での結婚式で、カトリックの教会で結婚式を挙げてプロテスタントの教会で披露宴をするなど平気で行うが、『それはおかしい』と思う程度の宗教知識。それ以上深いことを私に望まないように!
 函館ハリストス正教会は入場するのに靴を脱いでスリッパに履き替える。これは日本人にとってさほど抵抗はないが、外国人にとってみるととても不思議な習慣に見えるようだ。ムーイのコテージに滞在している私だが、そこも土足厳禁。すると外から裸足になって入って来る者もいるが、「日本の家屋に入るには清潔を保つために“玄関で靴を脱ぐ”」ということを理解してもらうには少し時間を必要とする。とにかくリンゼーは自分が履いたスリッパの写真を撮っていた。よほど珍しかったのだろう。。。。。
 それからブラリ散歩をしながら洋館と坂を見る。洋館には解説が日本語と英語で書いてある。その英語をジックリとロジャーは読んでいた。ちなみに坂はよく函館のポスターになる有名な坂があるのだが、どの坂がその坂なのか。。。。取り敢えず適当な坂で写真を撮った。

P7191756
函館の坂(何坂?)

 坂を下ると赤レンガ倉庫群に出る。リンゼーの好きそうなショップやロジャーの好きそうなレストランがたくさん並んでいる。それに今日から日本は三連休。そこをクルマで通っていると港の中で水上オートバイのショー(?)をやっていた。数台の水上オートバイでクルクル回ったり宙返りをしたり、いろいろなパフォーマンスを繰り返していた。オートバイ好きのロジャーにはちょうど良い見世物かもしれない。クルマを端に寄せて止めると車から降りてこのパフォーマンス(?)、ショー(?)を三人で楽しんだ。

 水上オートバイのアクロバットショー(?)を見ながら、ロジャーが“解説をよく読む”という姿を思い出して私は“ハッ”と頭に浮かんだ。
私「ロジャー、函館山は雲の中で良くないが、タワーに登ろう」
ロジャー「東京スカイツリーか?」
私「函館スカイツリーだ」
と言いながら再びクルマを走らせた。
 ロジャーはお得意のiPad地図アプリからタワーを見ながら「ゴリョウカク?」と聞く。
私「そうだ。“五稜郭タワー”だ」
 五稜郭タワーに上る。眼下には星形の五稜郭、遠くには津軽海峡や函館空港へ着陸しようとする旅客機が、手が届くように見える。そして展示物に日本語、中国語、ハングル、英語で解説が書かれている。たいそういい加減にその歴史を説明した私だが、ロジャーには私の解説のいい加減さがよくわかったと思う。それほど熱心に彼は解説を読んでいた。
私「リンゼー、ロジャーは歴史好きなの?」
リンゼー「そうよ。彼は歴史が大好きよ」
 タワーを降りて五稜郭に入ったころには遥かに私よりロジャーの方が詳しくなっていた。そして私はあることをひらめかした。それは彼らを東京にある“江戸東京博物館”へ連れて行くことだ。

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五稜郭前で

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変身中

P7191762
いかが?

P7191765
Lindsay goes Geisha

 五稜郭に入ると500円で貸衣装を着させてくれる業者がいた。そこで写真を撮らせてくれるのだ。
ロジャー「リンゼー、撮ろう!!」
リンゼー「嫌だ私、、、、恥ずかしい!!」
ロジャー「イイから、イイから」
と、リンゼーは恥ずかしながらも浴衣を着る決意をつけた。
リンゼー「違う、もっと右の、もっと赤いやつ。。。。」
と、品定めもうるさかったので差し詰めそれほど嫌でもないようだ。。。。
 五稜郭見物。。。。すでにロジャーは私より詳しくなっていた。。。。。

P7191779
五稜郭、楽しんでくれました。

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