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わくわく、どきどき、台風の目。

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2014年5月の記事

5月20日 スキー仲間とライヴの感想

 今年5月17日に行われたライヴに来てくれた私のスキー仲間(当ブログ「大雪のレジェンド」に紹介)が、『スペシャル(空を歌ってみよう♪そして…)』ということで私の大好きなビールを飲む会を開催してくれました。
 場所は渋谷。こんなときじゃなけりゃ渋谷なんて行かないのでビックリ!!
 まず失敗したのは地下鉄で行ったこと。地下が言葉では表せないほど複雑怪奇、まあ東京生まれの田舎者、この私が地上に出るまでウロウロ、オロオロ、何と10分も掛かってしまいました。
 次にビックリしたのが外国人観光客の多さ。テレビでは時折やっているのだけれど、渋谷駅前にあるスクランブル交差点。まあカメラ片手にした外人の多いこと。『これはまさに東京の新名所か?』と思わせるほどでした。
 そういえばオーストラリアの水泳仲間、ペニーが来日した時(当ブログ「4.オーストラリアからのお客様(津軽:9/14 - 28)」参照)もダイちゃんが東京の田舎者の私を助けてくれて、渋谷駅前のスクランブル交差点前にあるスターバックス(ペニーはコーヒーが好きなので)へ連れて行ってくれました。ダイちゃん曰く「ココがスクランブル交差点を一望するのに一番良い場所なんですよ」なのだそうですが、『ただの雑踏の交差点』としか思えない私にはちょっと理解不能。でもペニーたちはしばらくその雑踏を眺めて楽しんでいました。(何故??)
 まあこの時(2011年)以来に渋谷へ来たわけですから、何と3年ぶりなのですが、すでに浦島太郎状態になっている???
 何はともあれ会場に行くのに助かったのがiPhoneの地図アプリ。まあ幹事のダイちゃんがそんなことを予想していて、ちゃんと住所をメールに入れておいてくれたのです。
 それを頼りに歩いて行くとダイちゃんから「今どこですかぁ~?」との電話。ホントに彼は気を使ってくれます。
 そして間もなく“KIRIN ICHIBAN GARDEN”に到着。東京近郊ではテレビでCMもやっていますが、“一番搾り麦汁”と“二番搾り麦汁”との飲み比べが出来るのです。確かに一番搾り麦汁はほんのり甘く、二番搾り麦汁は美味しくない。。。。

P5201520 店に到着!

 ただこの店は入場するときに2分間の映画(キリンビールの)を観なければなりません。これは“ちょっと、、、、”だけれど、良いのは精算がイギリスのパブ方式で、食べたり飲んだりの注文するときにお金を支払います。
 まあ食べ物は我々みんなでシェアしたけれど、飲み物は飲みたい人が精算して飲むので気兼ねなく飲めます。(特に呑兵衛の私は!)
 で、肝心要のライヴの感想ですが、、、、、、「楽しい雰囲気で面白かったけれど、toraさんの歌はねぇ~・・・」とのことでした。(フン!)
 美味しい食べ物と美味しい飲み物、楽しい仲間と楽しい会話。これがあれば言うことなし!
 楽しい時間はあれよあれよという間に過ぎていき、そして“試し”ではないのですが、二次会で他の店へ行き、山手線に同名の駅のあるEの生ビールを飲んでみました。すると、、、やっぱり違う!!!!! ぜんぜん違う!!!!! 出来立ての一番搾りに全員が軍配を上げました。やはり出来立ての一番搾りは美味しい!!!!

P5201522 一番搾りが一番!

 そんなこんなで帰ってきたのだけれど、東京の田舎者が酔っぱらって無事、江戸川の家まで帰れるか、皆さんに心配していただきました。特にウリちゃんは定期的に「今どこですかぁ~?」、「寝ちゃダメですよぉ~」と私の帰る時間を計算してメールで送ってくれるのです。
 ありがたぁ~~~い私の仲間です。

湘南の主さんの「アメリカ・ニューヨーク、マンハッタン島を泳ぎました。ついでにリバティー島も泳ぎました。」(38/38)

38・帰りました

 飛行機の席は31番で横5列席の真ん中。右端に石井先生、左端は若い日本人女性だった。乗務員が食べ物、飲み物のオーダーを聞いてくると、左端の女性が私に声を掛けてくれた。1人旅のようだ。石井先生は座席に備え付けられている小さなモニターで映画を見ている(?)眠っている(?) 本人は「4本も映画を観た」と言っていたが、私から見ると半分以上は寝ていたように思うのだ・・・
 空港を飛び立って21時半過ぎに夕食が出た。パスタを私は注文した。そして午前3時半にハンバーガーも出た。長い、長い空の旅、これに耐えなければ家には戻れない。
 トイレには12時半ごろに行った。なるべく眠らないようにと、今回のニューヨーク行きの記録をノートに書き留めたりして時間を潰す。時々アイマスクを着けて目を休めてはいたが、2~3時間は眠ったかもしれない。でも頑張って眠らないようにと書き物をしていた。
 帰りの飛行プランはアラスカを過ぎるまでは行きと変わらなかったが、アラスカを過ぎてから千島列島の右側を飛行していた。行きは北海道上空まで日本列島を縦断していたのだが、帰りは直接羽田を目指して飛んでいる。
 最近の飛行機内の乗務員は年配の方が多いように感じる。昔は女性の憧れの職業の一つだったのだが、今回、行きも帰りも若い人にはお目に掛かっていなかった。

231 日本の空港は仕事がとても早く、もうトランクが流れてきた

 羽田空港へ着陸したのが午後8時45分。約13時間の長い、長い飛行機の旅だったが無事に日本に戻れた。だが着陸後、飛行機はノロノロと滑走路を移動してやっと到着ポットへ到着。そこから更にバスに乗り換えて到着カウンターの建物に着いた。入国手続き、検疫検査を経てトランクを受け取りに行く。入国手続きをしている時、既にトランクなどの流れてくるベルトコンベヤーが動いており、『流石、日本の国だ、やることは手際が良い』と思った。
 トランクを受け取り、税関を抜けた時点で時計は午後10時半を回っていた。いつもそうだが、海外からの帰りは慌ただしく、石井先生は「トランクを宅配便で家に送るから」と言って「では、お疲れ様でした」と別れた。2週間一緒に生活をしていたが、お別れは非常にあっさりとしたものだ。

232 今回も大変お世話になった石井先生と無事日本に帰れました

 バスで家まで帰る予定をしていた私は2階のバス発券カウンターへ行き、時刻表を見たら“大船、藤沢方面行のバスは10時40分が最終”。時計を見ると既に時間は過ぎていた。残念、係りの人に聞くと「戸塚方面行なら未だ間に合う」とのことだった。が、諦めた。「タクシー乗り場は」と聞くと「1階です」とのこと。タクシー乗り場へ行くと何人か待っていた。係りの人が「何人ですか?」と聞いて来た。「一人です」と答えると「それならそこで待っていて下さい」と言われ、列の後ろに並んで待った。係りの人が次々と誘導しており、私は「4番目のクルマに乗って下さい」と指示された。“個人タクシー”と書かれていた若い運転手だった。
 行先を「藤沢」と告げて「分かりますか?」と尋ねたら、「分かります」との返事。「そちらへ行くのに高速道路を使いたいのですが、良いですが?」と聞いて来た。「早く帰れるのなら何処を通っても構いません」と言う。
 タクシーに乗ったのは多分10時50分過ぎぐらいだったと思う。タクシーに乗る前に家に連絡。「バスが無くなったのでタクシーで帰るから」と告げた。そしてタクシーの中で色々な話をした。
運転手「どこへ行ってらしたのですか?」
私「アメリカ、ニューヨークのマンハッタン島1周スイムリレーレースに参加して来ました。そしてその1週間後に自由の女神像のあるリバティー島の1周スイムレースにも参加しましたよ」
運転手「凄いですねぇ~!! 羨ましいです。そしてどうでしたか?」
私「とても楽しかったし、私の生涯に残るとても良い思い出に残るスイムでしたよ」等々、旅行に関する事やオープンウォーターレースを楽しんでいること、ドーバー海峡は2度も横断し、来年3度目の挑戦を予定していることなどなど。
 運転手は大学でスポーツをやっていたそうで、話が大変盛り上がった。それ以上に私の年齢が、彼の父親と同年齢ということに驚いていた。彼の父親は既にリタイヤして“毎日サンデー”なので、一日1万歩を目標に歩いているとか。万歩計について、「私も万歩計を着けて歩いているが、歩数ではなく距離の分かる方が楽しいですよ」とアドバイス。「今、私は地球2周目に向かって毎日歩き続けています」と話した。道路がとても空いており、藤沢まで40分掛からずに来た。時間は11時半を回ったくらい。料金の端数切捨て、「楽しい話をありがとうございました」と逆にお礼を言われた。料金は15,000円だった。

P8100462 ニューヨーク・マンハッタン島を泳ぐ

 家の玄関を開けるとあまり早いので家内はビックリしていた。トランクの荷物の整理は明日行うことにして、取り敢えずは風呂に入り、汗を流してサッパリとしてから旅の土産話を少しした。そして家内への土産のバックだけは、トランクから出して渡した。
 日本の蒸し暑さは『異常』と思われるくらい暑い。蒸し暑くて中々寝付かれなかった。

酔っ払いは行ったり来たり

 この記事は都内の交通、特にJR(電車)についてご存知の方はよりリアルにお分かりいただけると思います。でもなるべく説明しながら話を進めますので、想像しながらついて来ていただけるとありがたいです。
 さて、落語の世界では酔っ払いに“上戸(酒飲みのこと。飲めない=下戸)”というのがあって、酔った時に出る“癖”も「上戸」と言います。「笑い上戸」とか「泣き上戸」とか、、、、、まあお笑いの中で出てくる分には構わないのですが、「眠り上戸」、それがリアルな私です。

 5月のゴールデン・ウィーク、土日祝日に忙しい私は、それまでにバンドの旅行とかライヴで土日を割いたため、その振替の水泳教室をゴールデン・ウィークに入れていました。
 そんな中、学生時代のスキー部の先輩が山形から東京に出てくるというのです。ですが時折、東京へ出てくる先輩は私が祝日に忙しいことを知っていて、まあそれでもゴールデン・ウィークくらいしか出てこられないので「5月4日の夜に会おう」との約束になりました。

 大学で苦学生だった私はアルバイトの他にスキーと水泳をやって、それ以外に赤十字のボランティアをやっており、まあそこで障害者たちと知り合い、それが現在の仕事、“スイミングクラブを立ち上げて遠泳を目標に障害者たちへ水泳指導をする”につながって行くのですが、それこそ人気芸能人並みの秒単位のスケジュールでとても忙しかったですね。ですから当時の学生必修科目だった麻雀も覚えなかったし、仲間同士で何処かへ行くこともあまりしなかった。まあ友だちがあまり居なかったんですね。自分では『充実している』と思っていましたが、今になると学生時代の友だちが少ないのは反省点ですね。
 で、大学二年生になった時にその先輩が現れて、「スキーか水泳、どちらか一つにしろ。昔からな“二足の草鞋は履けない”って言うんだ」と叱ってくれたのです。でも私は先輩の言うことを聴かず、どちらも辞めずに続けていました。
 すると先輩は何を思ったか、スキー部の練習が終わると私と付き合って水泳の練習に行くのです。ハッキリ言って水泳部の連中には嫌がられましたね。でもその先輩は水泳の練習を止めることはしなかった。
 何だかそれから先輩とは二人三脚のようになって、スイミングクラブを立ち上げた私は家を出て独り暮らしをするようになるとその先輩も同居し、何だか二人暮らしになって当クラブの手伝いをしてくれるようになりました。そして佐渡海峡(佐渡赤泊⇒新潟寺泊)も一緒に泳いでくれるようになったのです。

 都合で先輩は山形に帰ると地元のスイミングクラブへ就職し、どちらかというと“スポーツ後進県”である山形、引いては東北の水泳レベルの向上に貢献し、「東北に先輩有り」と言われるくらいコーチとしては有名になっていきました。
 また何故か山形赤十字のボランティアや障害者水泳、障害者スキーにも手を出していくようになりました。
 そんな先輩ですので付き合わないわけにはいきません。

 5月4日午後6時、上野で先輩が滞在しているホテルに程近い御徒町のアメ横入口で会い、ドイツ料理の店へ行きました。先輩は私がドイツに生活していたことを知っており、気を使ってドイツ料理の店を選んでくれたのです。まあお互いにビール好きもあったからですけどね。
 そこのビールから始まり焼鳥屋さんとか焼肉屋さんとか、、、、まあ何件か回ってかなり飲んで、午後9時頃だろうと記憶しています。上野で先輩と別れたのは。。。。。

 江戸川区は都内でもお隣は千葉県という東京の中でも東の端っこ。上野からその江戸川の我が家まではJRで都内をクルクル回る山手線で秋葉原まで行き、千葉方面に向かう総武線で新小岩下車。そこからバスです。まあそんなに難しくはない。。。。
 上野からは御徒町、秋葉原と二つ目の駅で乗り換えです。『座ると寝るぞ』と心の何処かでささやく私が居るのですが、車内は空いていて座ってしまう。。。。すると予想通り、たった二つの駅の区間が起きていられない。。。。おそらく船を漕いでいたのでしょう、フッと眼が覚めたのは新橋でした。『オッ、ココなら総武線快速に乗れる』と思ったのですが、それは扉が閉まる瞬間で降りることは出来ませんでした。『よし、品川で乗り換えだ。品川まで寝ないようにしなきゃ』と一生懸命寝ないようにしましたよ。
 品川も総武線快速が止まります。頑張って寝ないで品川で総武線快速千葉行に乗り換えを無事に終了。ただそこでも車内は『こちらへどうぞ』とばかりに席が空いています。その誘惑で座って、、、、、気が付いたのは新小岩などとっくに通り越した終点の千葉。
 駅の構内放送では「東京方面への快速電車は終了しています」とのこと。仕方なく各駅の総武線東京方面行に乗って、またまた座ってしまう。。。。。寝ないように努力して新小岩の一つ手前、小岩までは起きていたのですが、ハッと気が付くと新小岩を一つ通り越した平井。『またやっちゃった』と戻ろうとすると、駅構内放送では「次の電車が終電です」だと。。。。。その終電に乗って新小岩に到着したときはすでにバスはありません。仕方なくタクシーでの帰宅になります。

 このように書くと「その先輩と一緒に上野で泊まっちゃえばいいじゃないか」という声が聞こえてきますが、それは多忙なゴールデン・ウィーク。翌日は朝から仕事なのです。
 まあ忙しかったので睡眠不足もありましたが、この『“眠り上戸”は何とかならないか』と思いました。お粗末なお話はこれでお仕舞い。

2008年5月27日 キンちゃんの大瀬崎~淡島間約10km×4-way solo swim

 この詳細は当ブログ「キンちゃんが行く」Vol.20をご覧ください。

<記 録>

  • 1st leg: 04:10 淡島 ⇒ 06:40 大瀬崎 2時間30分
  • 2nd leg: 06:40 大瀬崎 ⇒ 11:42 淡島 5時間02分
  • 3rd leg: 11:42 淡島 ⇒ 15:25 大瀬崎 3時間43分
  • 4th leg: 15:25 大瀬崎 ⇒ 19:30 淡島 4時間05分
                合計:15時間20分

<データ>
  天 候: 晴れ
  気 温: 19.9~26.2℃
  水 温: 19.9~22.4℃
  波 高: 0.5~1.0m
  風向・風速: 主に午前中=東~東南、午後=西 0.9~6.3m/sec
  流向・流速: 主に西 0.0~0.5kn
  ピッチ: 62~64回/min

P5270001 大好きな船頭さんと

P5270002 行ってきます。

P5270003 力泳開始

P5270005 アップ

P5270008 大瀬崎の折り返し

P5270015 この季節、ミズナギドリが飛来します。

P5270020 ミズナギドリは人懐っこいです。。。。

過去にこんなこともありました。。。。。


P5270023 淡島の折り返し

P5270024 力泳を続ける。

P5270025 “ドーバー2-way”という夢があるから出来る。

P5270026 大瀬崎の折り返し

P5270027 どアップ

P5270029 諦めない気持ちを大きく持って

P5270042 船頭さんも、、、、

P5270052 応援してくれる。。。。。

P5270054 ミズナギドリも。。。。。

P5270055 嬉し涙でゴーグルも曇る。。。

P5270060 無事に終わった。。。。

P5270062 ファァァァァァァ・・・・・・

2006年5月27日 湘南の主の海練習 桐花園プール(外)

スタート:06:00  ゴール:18:00
遠泳時間:12:00  結果:12時間完泳
水温:20~21℃  ピッチ数:51~59回/分
天候:雨  気温:14~18℃

 当方が参加していないため写真がありません。ごめんなさい。

2009年5月26日 キンちゃんの淡島~大瀬埼間(約10km×4-way solo swim = 40km)

 この詳細は当ブログ「キンちゃんが行く」Vol.29をご覧ください。

<記 録>

  • 1st leg: 淡島 04:36 ⇒ 大瀬崎 07:20  2時間44分
  • 2nd leg: 大瀬埼 07:20 ⇒ 淡島 09:54 2時間34分
  • 3rd leg: 淡島 09:54 ⇒ 大瀬崎 16:37  6時間43分
  • 4th leg: 大瀬埼 16:37 ⇒ 淡島 21:02 4時間25分
       合計=16時間26分

<データ>
   天 気: 曇りのち晴れのち曇り
   視 界: 5~10海里
   風 向: 主に北ないし西
   風 速: 0.7~7.0m/sec
   気 温: 17.3~23.2℃
   水 温: 19.2~22.0℃
   波 高: 0.5m
   ピッチ: 59~63回/分
   流 向: 朝は西、昼は東に弱く、夕方から再び西に弱く
   流 速: 0.0~0.8kn

P5260005 大好きな船頭さんと

P5260006 行ってきます。

おはようございます。本日(5月26日)はキンちゃん淡島〜大瀬崎4-way(40km)です。
朝の4時36分に淡島をスタートしました。天候は曇り、風はほとんどありません。水温19.2℃、気温17.3℃。
潮汐関係は次の通りです。

   2009/05/26(火)
 日出 04:34        日入 18:49
 月出 05:42        月入 20:58
 月齢 1.6         潮名 大潮
  干潮 00:20 0.88m   満潮 05:36 1.58m
 干潮 12:36 -0.11m   満潮 19:40 1.64m

はたしてどういうことになりますやら!

P5260007 淡島をスタート

P5260009 まだ暗いです。

P5260010 大瀬崎の折り返し

今、1-way (1st leg)を終了しました。記録は2時間44分。水温19.2℃、気温17.3℃です。
途中、ミズナギドリがやって来てキンちゃんとニラメッコしました。
その後にイルカの群れと遭遇しました。ただ出ている時間が短いのと出る場所が予測出来ないので、写真撮影は無理でした。
今、2nd leg を泳いでいます。

P5260015 5月の富士山

P5260012 淡島の折り返し

3時間14分でした。2-wayの記録は5時間58分。6時間を切ったのは自己ベストかもしれません。
今、キンちゃんは3rd legを泳いでいます。

P5260015_2 力泳中

P5260016 余裕中

P5260019 大瀬崎の折り返し

ひがぁ〜しぃ〜!
キンときぃ〜山〜、キンときぃ〜山〜。
にぃ〜しぃ〜!
潮風のうぅ〜み〜、潮風のうぅ〜み〜。

みはって、はっけよ〜い、ノコッタ、ノコッタ!

「さあ両者ぶつかった! 潮風の海、風速7m/secと1ノットの潮で押した、押した〜!」
「オー、キン時山それを堪えた、堪えた! それどころか1.5ノットの泳力で押し返した〜!」
「さあ、四つに組んでの押し合い相撲になった〜! はたしてどちらの力が強いか〜!?」

な〜んて相撲実況中継のアナウンサーが口角泡を飛ばしながらしゃべる声が聞こえてきそうな潮と風でした。
時として、100mを10分も掛かることがありました。

そんなこんなで3rd legに掛かった時間は何と2-wayより長い6時間03分、3-wayは12時間01分でした。

キンちゃんは現在4th legを泳いでいます。

P5260022 力泳再開

P5260026 力泳は続く

P5260028 暗くなってきました。

今日は朝日と夕日を拝みました。
4th legも逆潮で、結局4時間25分掛かり、4-way合計で16時間26分掛かりました。

P5260031 大瀬崎に到着してきたよ!

P5260033 ただいま~♪

P5260036 よく泳いだよ

とりあえず4-wayを泳ぎましたが、やはり大潮は潮が安定しません。他にもたくさん課題がありました。

しかし次回は5-wayです。日程はまた大潮だし、また潮風とノコッタ、ノコッタになるか!?
キン時山、潮風の海に負けるなよ!

明日に向かって泳げ!

湘南の主さんの「アメリカ・ニューヨーク、マンハッタン島を泳ぎました。ついでにリバティー島も泳ぎました。」(37/38)

37・さらばニューヨーク

 時間は午後3時を回ったところだった。少々早いがのんびりと空港へ向かう。トランクの中身が来た時よりの重たい。多分土産物の分が増えたからだろう。地下鉄の階段の上り下りがとてもきつかった。何とか残りの力を振り絞ってクリヤーした。私たちの勘違いかどうか分からないが、ニューヨークの地下鉄は駅の表示と実際に走っている電車番号が違っていることがある。そのためにJFK空港へ行くE線への乗り継ぎ駅を通過してしまった。あわてて次の駅で下車、各駅停車の電車に乗り換えて一駅戻った。重たいトランクを持っての移動なのでとても大変。日本のようにエスカレーター、エレベーターが駅構内には設置されていない。何とか目的の電車E線の地下鉄の乗ることが出来た。これで一安心。車内には大きなトランクを持った乗客が目立つ。いつも乗っていた地下鉄の4・5・6番の乗客とは質が違うように見えた。
 地下鉄を降りて空港へ行くエアーラインは別料金で$5取られる。今までお世話になったメトロカードの残金を調べたら私のカードは残金無し。石井先生は$1.95の残り。同じ日にメトロカードを購入して、同じように行動していたのに、この違いは何なんだ!! カードに$5を入金してエアーラインの検札機を通過。駅港内でメトロカードが不要になったら貰う(?)か買います(?)と乗客に声を掛けている人が何人かいた。確かに残金があっても、もう使うことは無いので不要だとは思うのだが、何と商魂たくましいアメリカだこと。

226 JFK空港内は出国審査、荷物審査で大混雑

 空港に着いたのは予定よりも大分早く4時15分頃。少々早いと思ったが空港内は出国検査待ちの長蛇の列が出来ており、早めに来て正解だった。
 搭乗券のチェックインは、今はパスポートを機械にかざすだけで直ぐに出来る。以前のようにチェックカウンターに並ぶこともない。確かに各空港会社のチェックカウンターには人が殆ど並んではいない。『そのうちチェック・イン・カウンターは無くなるかもしれない』と思った。国内線はパスポートが不要なので従来通りカウンターは必要だとは思うが・・・・・
 検査が遅々として進まない。検査待ちの人の中には出発時間の迫っている乗客がおり、係員が行列の間を聞いて回っている。その人たちを優先的に検査窓口へ連れて来るので、待たされている我々の列が中々前に進めない状態。しかも窓口のパスポートチェック員は2人だけと信じられないような仕事の進め方。非常に非効率的な運営で、『日本では考えられない状況』と思う。並ばされること約1時間、やっと私たちの番が回ってきた。パスポートチェックは直ぐ終了。係員も相当疲れている様子だった。
 パスポートの検査が終わると直ぐに手荷物検査であるが、靴まで脱がされるのである。そして電磁監査では両手を挙げてのポーズで通り抜ける。難なく私は通過。当然と言えば当然のことなのであるが、何とも厳しい検査である。

230 出発を待つJFK空港の出発ロビー

 私たちの乗るアメリカン航空の飛行機は16番ゲートとなっていた。ゲートの前に陣とってザックを置き、石井先生に荷物番をお願いして、買いそびれた土産物を見に行く。スーパーマーケットで買えばとても安く買えるが、空港内の売店はとても高い。ついでに私はNY市警の帽子を買ってしまった。残った小銭を全て石井先生に渡して荷物番を交代した。待っている間、隣に座っていた2人ずれの若い日本人女性に話しかけて時間を潰す。
 やっと搭乗のアナウンスが入り、機上の人となる。出発は19時10分だったが、離陸したのは30分以上遅れて19時45分だった。滑走路まで飛行機の長い行列が出来て、離陸の順番待ちがとても長かった。

2007年5月24日 キンちゃんの「アイランドスイム 2-way solo swim」

 詳細は当ブログ「キンちゃんが行く」Vol.6を写真は2007年5月24日 キンちゃんの「アイランドスイム(城ヶ島~江ノ島)2-way solo swim」写真集をご覧ください。

場所:神奈川県藤沢市片瀬西浜~同県三浦市城ヶ島間(約22.5km)
記録:合計:13時間51分

  • 1st leg 片瀬西浜04:09 ⇒ 城ヶ島14:37 10時間28分
  • 2nd leg 城ヶ島14:37 ⇒ リタイヤ18:00 3時間23分

<データ>
  天候:曇りのち晴れ
  水温:19~20℃
  気温:19~23℃
  波高:0.5~3.0m
  風速:0.5~11.0m
  風向:主に西ないし南
  流速:0.3ノット
  流向:北
  ピッチ:63~66回/分

2006年5月23、24日 キンちゃんの淡島~大瀬崎間二日で5-way solo swim

23日:2-way完了!

  • 1st leg: 淡島 → 大瀬崎 = 3時間27分
  • 2nd leg: 大瀬崎 → 淡島 = 3時間20分
    合計:6時間47分

<データ>
 天候:曇り、晴れ、雨
 水温:18~19℃
 波高:1m

P5230003 力泳中

P5230006 アップ

24日:5-way完了!!

  • 3rd leg: 大瀬崎 → 淡島 = 4時間17分
  • 4th leg: 淡島 → 大瀬崎 = 3時間51分
  • 5th leg: 大瀬崎 → 淡島 = 4時間46分
    合計:12時間54分

<データ>
 天候:晴れ
 水温:18~21℃
 波高:1m

P5240019 力泳中

P5240021 アップ

P5240032 淡島の折り返し

P5240040 大瀬崎の折り返し

P5240041 淡島到着(夜になっちゃいました)

5月17日 DIS ライヴ ワールド ツァー 日本公演 2014

 “ワールド ツァー 日本公演”といったって、年に一度しかやらないのです。でも、名前くらい大げさにした方が気分は乗ってきます。

 内容は次の通りです。

  • テーマ:空を歌ってみよう♪♪♪
  • 日 時:2014.5.17(土) PM4:00開場 PM4:30開演
  • 場 所:ライヴスペース「キャバリーノ」
           ☆ Live Space “CAVALLINO”
  • 会 費:All 1,000円(飲み放題 おつまみ付き)
           食べ物の持込は自由 差し入れ大歓迎
  • プログラム:懐かしのJポップ ジャズ オールディーズ ブルース マジックショー その他プレゼント有り

 で、テーマである「空を歌ってみよう」は私、toraがMCをやることになりまして、第一部で喋りました。それは去年のテーマ「チョッピリ映画音楽」から始まって、遠泳の話、空(観天望気)の話、昔のグループ・サウンズは海、星、ビーチがあると曲が作れた話、星の話、天体潮汐(鳴門の渦潮)の話、GPS(ナビゲーション)の話、天文航法の話、黄昏(色、時、語源など)の話、行きたいところ(宇宙)の話から若田光一さんの話まで、ところどころで楽曲に絡み合わせながら喋りまくりました。
 続いて第二部はマジックショーやプレゼント配布など、楽曲を絡ませながら進めました。一生懸命やりましたよ。
 お客さんは“団塊の世代”が中心で、おおむね好評でした。まあ100%“お付き合い上のお言葉”とわかっているのですが、嬉しかったですね。
 お越しいただいた皆様、ありがとうございました。残念ながらお越しいただけなかった皆様、来年も新たなテーマで行いますので、是非お越しください。

P5171449 真剣

P5171450 MCだよ

P5171452 歌っちゃっています。

P5171455 よく喋ります。

P5171496 口にくわえているのは声を変える道具です。

P5171497 乗ってきました。

P5171505 頑張っています。

P5171512 良い感じ~♪

P5171515 全体

P5171517 終わりました。

2011年5月21日 キンちゃん、デンバー(米)のプールで80km泳

 日本国内でキンちゃんの願いである“24時間以上続けて泳ぐこと”の出来るプールが見つからず、デンバーに住む友だち、ニック(水泳仲間:スイミングコーチ)が「うちのプール(彼の勤めるGreenwood Athletic and Tennis Clubのプール)なら何時間でも泳がすことが出来るよ」ということで、その言葉に甘えて行くことにした。デンバーのニックの家へ。

P5240090 デンバーのニックの家で(右下にいる犬の名前は何と「ドーバー」。何ともニックらしい命名)

<結果>

         距 離     時 間         積 算      現 地 時 間

  1. 10km  3時間23分19秒   3時間23分19秒  09:00~12:23:19
  2. 20km  3時間30分21秒   6時間53分40秒     ~15:53:40
  3. 30km  3時間34分47秒  10時間28分27秒         ~19:28:27
  4. 40km  3時間41分17秒  14時間09分44秒         ~23:09:44
  5. 50km  4時間07分16秒  18時間17分00秒         ~03:17:00
  6. 60km  4時間18分53秒  22時間35分53秒         ~07:35:53
  7. 70km  4時間09分47秒  26時間45分39秒         ~11:45:39
  8. 80km  3時間58分19秒  30時間48分58秒         ~15:48:58
    (栄養補給、トイレ等で止まった合計時間:1時間03分30秒)

天候:晴れ時々曇り
気温:7~23℃
水温:27℃
補給:炭水化物+果糖+茶類=300ml/40分毎

 この詳細と写真は当ブログ「キンちゃん30時間(80km)泳のご報告」をご覧ください。

キンちゃんの泳ぎ1.

キンちゃんの泳ぎ2.

2011年4月19日 キンちゃん、ゴゾ・スイムトレックの6時間泳

 古い方の資料から検索しているので、比較的新しい(2011年以降)については見逃しがちでした。本来は4月19日に掲載しなければならない記事ですが、一ヶ月遅れで掲載します。
 「スイムトレック」とは“スイム”+“トレッキング”=“泳ぐ遠足”のような企画で、海での水泳合宿のようなものです。誘ってくれたのはキンちゃんの友だちアンナ(スウェーデン)、スタッフはドーバーのビーチボランティアがほとんどでした。
 ですから最終的には「水温16℃未満の海で6時間泳の証明(ドーバー泳に必要)」を発行してくれるのですが、今回はその時の模様です。
 ちなみに2011年は3.11東日本大震災があった年で日本国内では自粛ムードいっぱいだったのですが、あえて私たちは行くことにしました。ところが思わぬところに風評被害があって(飛行機が日本へ飛んで来ない)、やはり“災いを呼ぶトラ”健在だったようです。
 また「ゴゾ」とはイタリア、シチリア島の南93kmほどのところにあるマルタ共和国にある一つの島です。地中海海岸沿いのいりくんだ入り江は美しい港の景観を創りだし、海水は透明度100mほどの美しさを持っています。
 この詳細は当ブログ「メインイベント(4月19日)」及び「なんとか」をご覧ください。

Img_1146 何と「ドーバー泳の母」ことフリーダに、ゴゾでお会いしました。

Img_1628 仲良しアンナとキンちゃん

Img_1371 ボクササイズでトレーニング?

Img_1616 スイムトレックでは講義もあります。(ストレッチの講義)

P4191051 今から6時間泳のスタートです。(キンちゃん右から4人目)

20110416_gozo_week_3_146 行くべ、行くべ

20110416_gozo_week_3_148 みんな出て行った!

Img_1477 キンちゃんの力泳

P4191063 スタッフはゴムボートで監視。

P4191109 途中、栄養補給

P4191119 キンちゃんはスペシャル飲料

P4191168 アンナは途中で「肩が痛い」と言い始め、スタッフに変更

20110416_gozo_week_3_153 スイマー「寒くてダメだ。。。」 アンナ「大丈夫?」

P4191212 アンナ「あんたはちゃんと泳ぎなさいよ!」 キン「わかったよ」

P4191228 いつでもいらっしゃい!(アンナ)

Img_1496 キンちゃん、アップ

20110416_gozo_week_3_162 監視中(スタッフ)

P4191257 「大丈夫かぁ~~」(スタッフ)

P4191258 アンナ「あと少しだから頑張りなさいよ!」 キン「わかった」

20110416_gozo_week_3_174 美味しいよ♪

20110416_gozo_week_3_175 スタッフとして参加した私

20110416_gozo_week_3_185 私「ホラ、飲め!」 キン「ありがと」

P4191320 キンちゃん、力泳中

20110416_gozo_week_3_187 スタッフ「もうすぐ終わりだ。どうだそっちは?」

Img_1509 そろそろ終わり??

P4201365 ようやく終わった(キンちゃん右手前)

Img_1510 (お互いに)よくやったね♪

20110416_gozo_week_3_209 よく泳ぎました。(キンちゃんは手前右から2番目)

P4201367 お疲れ様

P4201371 やったね♪ イェイ

P4201428 {おまけ)“地中海”って景色でしょ!?

2009年5月19日 キンちゃんの淡島~大瀬崎間 3-way solo swim

<記録>

  • 1st leg: 淡島 05:39 ⇒ 大瀬崎 09:59  3時間20分
  • 2nd leg: 大瀬埼 09:59 ⇒ 淡島 12:05 3時間06分
  • 3rd leg: 淡島 12:05 ⇒ 大瀬崎 16:31  4時間26分
       合計=10時間52分

<データ>
   天気 晴れのち曇り
   視界 10~20海里
   風向 主に北ないし西
   風速 0.0~6.5m/sec
   気温 17.7~22.2℃
   水温 19.6~20.4℃
   波高 0.5~1.0m
   流向 朝は西に弱く、10:00以降は東ないし東南に強く
   流速 0.0~0.5kn

P5190001 今日は3-wayです。

P5190003 大好きな船頭さんと

P5190004 行ってきます。

P5190005 淡島をスタート

本日、キンちゃんは淡島〜大瀬埼間の3-wayを泳いでいます。
水温も気温も約20℃。風もなく薄曇り。富士山がうっすら見えています。

P5190006 大瀬崎の折り返し

P5190009 力泳中

P5190014 アップ

P5190016 どアップ

P5190020 富士山が綺麗です。

P5190022 富士山をバックに

P5190024 淡島の折り返し

現在キンちゃんは3rd legに入っています。
経過は
1st leg(淡島⇒大瀬埼):3時間20分
2nd leg(大瀬埼⇒淡島):3時間06分
2-wayトータルで6時間26分
なかなか絶好調なタイムなのですが、今、風と波が出てきました。
3rd legはどうなることになりますやら!

P5190034 富士山のように“日本一”になるんだ

P5190040 力泳は続く

P5190046 トリャァ~!!

P5190050 トォォォォォ~~~~~!!!!

P5190052 大瀬崎到着!

何だか「コマ送り」のような動画ですね。あまり迫力もない・・・。
でもキンちゃんは、富士山のような日本一のスイマーを目指しています!
090519_132654.3GPをダウンロード

P5190053 ただいま~~~

P5190054 今日も無事に終わりました。

P5190055 変顔

P5190056 変顔(鼻水)

P5190058 変顔終了

結局、3rd legは逆潮、逆風で4時間26分掛かってしまいました。3-wayの合計は10時間52分。まあ11時間を切れたから良いかな?
キンちゃんお疲れ様でした。
皆さん、ご声援ありがとうございました。

湘南の主さんの「アメリカ・ニューヨーク、マンハッタン島を泳ぎました。ついでにリバティー島も泳ぎました。」(36/38)

36・最後のニューヨークを

 8月18日(月)夜中に目が覚めた。その時急に思い出したのである。今朝、ロジャー氏のスタートを応援のためバッテリーパークへ行くことにしていたが、バッテリーパークからはスタート出来ない。もしかしたらピア25の船着き場かも知れない。折角応援に行っても会えなくては淋しいし、申し訳ないと思い、今朝5時起床となっていたが、その時に石井先生に調べてもらおう思った。

P8180178 ロジャー氏が参加するペアスイムの大会本部テント

 又、一寝入りして目を覚ますと午前4時を回っていた。石井先生も目を覚まして携帯をいじっていたので、スタート地点について私の考えを説明した。石井先生も「そうですね、それでは先ず調べましょう」とパソコンを開きチェックしたが、やはりスタート地点はバッテリーパークだった。が、集合場所はピア25の少し手前のクルーザーなどが停泊しているノースコールのハーバーだった。

P8181214 石井先生とロジャー氏

 スタートが“7時”と言われていたのが集合は“5時15分”となっている。急いで仕度をしてアパートを出たのが4時半過ぎ、地下鉄は休日と早朝が重なり本数が極端に少なくてかなり待たされた。ウォール駅で下車、西に向かって歩く。何度か歩いたことのある大通りに出たのでそのままハドソンリバーまで行き、少し北へ歩くとハーバーが見えてきた。薄暗い街灯の中に人々が集まっている。5時20分だった。

P8181215 地下鉄のホームに変わったベンチが?

 ロジャー氏は直ぐに分かった。石井先生が日本のオープンウォーターレースに参加した際の参加賞のTシャツをロジャー氏にプレゼント。ロジャー氏はとても喜んでいた。そしてこれは「メイドイン・チャイナか?」とジョークを飛ばしていた。今日の参加チームは21チームと立札が並んでいた。
 この大会はバッテリーパークからスタートして、そのまま南下して約20km先にある島までのペアスイムだそうである。詳細はよく分からないが楽しそうなレース、ボートもカヤックもサポートで着くそうだ。
 『NYCは色々な大会を企画・実行している団体だなあ』と思ったが、運営がイマイチだ。今日は7時にスタート出来るのだろうか??
 今日は私たちも10時にはアパートを出なければならないので、ロジャー氏のスタートを見届ける事が出来ない。彼に別れを告げて元来た道を辿り地下鉄に乗る。ニューヨークの地下鉄は24時間営業なので、早朝の車内は夜勤帰りと思われる人々が多く乗っている。
 私たちが住んでいる125 ST駅周辺にはいつも黒人系、スパニッシュ系の人たちがたむろしているが、早朝は少ない。でも路上で寝ている人があちらこちらに見える。まさしくスラム街だ。小学生くらいと思われる年齢の子どもが何人もたむろしている所もあった。
 アパートに戻り、ここでの最後の食事を食べる。残らないようにと全てを食べ尽くしたが、調味料の塩、醤油が残り、アパートのオーナーであるりょう君に渡した。

185 アパートでの最後の朝食メニュー

 日本への帰りの便はJFK空港を19時10分発なので、空港には2~3時間前の午後4時ごろまでに着けば良い。それまでの4~5時間はまだ余裕がある。もう一か所くらい見学出来る筈と、石井先生がパソコンでニューヨークのお勧めスポットを検索した。すると一か所だけ行っていない所があった。「ロックフェラー・タワー」だった。それではとそこへ行くことにした。
 大きなトランクを持っての移動は大変なので、$10出してトランクをアパートに置かせてもらえることになり、とても助かった。確か空港でもトランクを預かってくれる所はあったが、一個$28位したと思った。

197 賑やかで観光客の多いマジソン・スクウェアーガーデン

 身軽になって地下鉄に乗り南下してニューヨークの繁華街へ向かった。東京でいうと渋谷辺りだろうか? ロックフェラー・ビルの場所は事前に調べておいたはずなのに、どうしたことか中々ビルが見つからない。道路の両側は高層ビルなので見上げても中々どのビルか分からない。が、突然ロックフェラー・ビルが現れた。ビルの中へ入ると非常に格調の高い感じがした。

P8181219 格調高いロックフェラー・ビルの入り口

 チケット売り場が分からず中をウロウロ歩き回る。係員に尋ねると「地下にある」とのこと。石井先生は既にチケットを持っているので私の分チケット$25を払って買った。
 エンパイヤー・ビルと同じように先ずは持ち物検査とボディーチェック。そしてビルの中をグルグル歩き回されてやっとこさっとこエレベーターの前に到着。このエレベーターの天井は透明で、見上げるとエレベーター塔内部に点々と青く光るライトが見えてとても綺麗だった。

211 エンパイヤー・ビルをワシ掴みに

 ロックフェラー・ビルの展望台は76階。しかもエンパイヤー・ビルと同じように外へ出られるのである。更に階段を昇り、79階まで昇ったら屋上である。本当にビルのテッペンまで昇ることが出来た。360度の視界、直ぐ傍にエンパイヤー・ビルも見える。でもあちらの展望台の方がはるかに高い。だが景色はこちらの方がよく分かる。眼下にはセントラルパーク、ハドソンリバー、イーストリバー、そしてはるか彼方の地平線。日本のように山は見えない。
 今朝バッテリーパークからスタートしたロジャー氏の姿が見えないかと大きな双眼鏡で覗いたが分からなかった。大きな橋の間から島が見えた。多分あの島までのレースだったのかも知れない。まぁ~予定通りスタートをしていれば既にゴールしている時間ではあったが。

218 ロックフェラー・ビルはてっぺんまで昇れる

 最上階の展望台で日本人の二組のご夫婦連れにお会いしてお話をしたが、私と同年齢位だろうか? 9日間の観光旅行はツアーではなく、自分たちで計画して来たとか。私たちはマンハッタン島一周スイムレース、リバティー島一周スイムレースに参加したこと、今住んでいるアパートがハーレム街にある事などを話して大いに盛り上がった。
 ビルから降りる時、石井先生が急に「トイレへ行きたくなった」と言ってエレベーターに乗って降りて行った。待つことしばし、又エレベーターに乗って戻って来た。聞くとトイレは1階下にあるそうだ。「76階、そこでうんこをしてきた」と自慢している。こんな高い所でするなんてめったにないことだ。ロックフェラー・ビルは流石、トイレも非常に綺麗だったそうである。

 昼食はこのビルを探しているときに見つけた“すし”の看板が出ていた店へ行ったが、“すし”は休みのようだった。そこで近くにあった他の店に行くと、店内はバイキング形式で食べる物が色々並んでいた。それをパックに入れての計り売りである。あれもこれもと私はパックに一杯詰め込んでしまったが、何と$20分も詰め込んでいた。
 石井先生はピザと煮物を少々とペプシ・コーラを買っていた。しかしこのペプシが「とても薬臭くて飲めない」とギブアップしていた。コーラはやっぱり「コカ・コーラ」でしょ!! 食事を終え、地下鉄でアパートに戻り、トランクを受け取って今度はJFK空港へ行く。

2005年5月17日 キンちゃんのウェット着用海練習

 2005年5月17日、ウェット(トライアスロン用のロングジョン)着用の海練習(愛知県西尾市(三河湾)東幡豆(はず)海岸~前島(うさぎ島))
 その他
(水温などのデータはありません)

 2005年、この年、キンちゃんは夢である“ドーバー2-way solo swim”に向けて、陸上競技「三段跳び」の要領でホップ(津軽1-way solo swim)、ステップ(ドーバー1-way solo swim)、ジャンプ(ドーバー2-way solo swim)と計画した。
 その初めの津軽海峡は5月に予定を組んだのだが、その頃の水温が何と8℃。ドーバーがいくら冷たいとはいえ12℃以上はある。そこで津軽はウェット着用で泳ぐことにした。
 テストとして初めはトライアスロン用のロングジョン(袖なし)を着て5月に練習。その間、スイム用のフルスーツを作って津軽に臨んだ。しかし、肝心の津軽は悪天候のため泳げずに終わった。。。。。。。。

P5170017 5月17日 ウェット着ると暖かいよ。

P5170018 5月17日 よく浮くしね♪

P5170022 5月17日 こんな感じです。

P5170027 5月17日 とにかく練習しなきゃ!

P5200029 5月20日 フルスーツが出来上がりました。

P5200030 5月20日 でもこんなに浮いちゃうよ♪

P5240033 5月24日 やっぱり水着で泳ぐのが好き♪

P5240040 5月24日 水着が一番だよ♪

P6010047 6月1日 ウェットまで用意したけれど、津軽の神様は私に泳ぐ許しをくれませんでした。でも大丈夫。また今度があるさ♪(津軽の船頭さんらと)

2006年5月16日 湘南の主さんの片瀬西浜~逗子海岸 2-way solo swim

<記録>

  • 1st leg: 片瀬江ノ島 06:00 → 逗子 11:28 = 5時間28分
  • 2nd leg: 逗子 11:28 → 片瀬江ノ島 15:21 = 3時間53分
            2-way 合計: 9時間21分

<データ>
  天  候:晴れ・曇り・小雨
  水  温:18~19℃
  波  高:0.5~1.0m
  気  温:19~23℃
  風  向:北東・南
  風  速:1~2m/sec
  ピッチ数:50~53回/分

P5160001 今まで失敗ばかりしていた。。。今日は上手く行くだろうか。。。

P5160002 行ってきます。。。

P5160003 片瀬西浜(新江ノ島水族館前)をスタート

P5160007 力泳中

P5160010 逗子海岸の折り返し

P5160014 アップ

P5160015 どアップ

P5160020 力泳は続く

P5160022 江ノ島を越した

P5160023 片瀬西浜(新江ノ島水族館前)をゴール

P5160024 ようやく成功した。。。。

2007年5月15日 キンちゃんの淡島~大瀬崎間 2-way solo swim

 この詳細は当ブログ「キンちゃんが行く」Vol.5.を写真は“2007年5月15日、駿河湾(淡島~大瀬崎間)の海練習(写真集)”ご覧ください。

<結果>

  • 1st leg 淡島08:52 ⇒ 大瀬崎12:41 3時間49分
  • 2nd leg 大瀬崎12:41 ⇒ 淡島15:41 3時間00分
             2-way 合計:6時間49分

<データ>
  天候:晴れ時々曇り
  水温:18~19℃
  気温:20~24℃
  波高:0.5~1.0m
  風速:1.0~6.3m
  風向:北西&南西(主に西)
  潮:流速=0.3~0.5ノット
    流向=西&東(10:00頃までは西 その後東)
  ピッチ:64~72回/分

2008年5月14日 キンちゃんのアイランドスイム2日で2-way on 2nd DAY

 この詳細は当ブログ「キンちゃんが行く」Vol.19 の“4. アイランドスイム2日で2-way(約20km×2) 2nd DAY”よりご覧ください。

  • 2nd leg: 城ヶ島⇒江ノ島1-way(約20km×1-way)
  • 場   所: 神奈川県三浦市三崎町城ヶ島⇒同県鎌倉市腰越(相模湾)
  • 方   法: Solo swim
  • 記   録: 城ヶ島 06:30 ⇒ 江ノ島 17:27
              10時間57分

<データ>
  天候: 曇りのち雨、のち晴れ
  気温: 10.1~16.5℃
  水温: 16.0~18.5℃
  波高: 1.0~1.5m
  風向・風速: 主に北、ないし北東 3.2~10.2m/sec
  流向・流速: 主に東、ないし東北東 0.3~0.5kn
  ピッチ: 63~68回/min

P5140004 城ケ島をスタートです。

P5140005 伴走船は打ち合わせ中

P5140013 江ノ島へ向かって力泳開始

P5140016 風が強いです!

P5140017 気合が入ります!

P5140019 力泳中

P5140025 江ノ島に近い腰越のビーチに到着!

2008年5月13日 キンちゃんのアイランドスイム2日で2-way on 1st DAY

 この詳細は当ブログ「キンちゃんが行く」Vol.19 よりご覧ください。

  • 1st leg: 江ノ島⇒城ヶ島1-way(約20km×1-way)
  • 場  所: 神奈川県鎌倉市腰越⇒同県三浦市三崎町城ヶ島(相模湾)
  • 方  法: Solo swim
  • 記  録: 台風2号接近のため中止
 この日、「嵐を呼ぶ女」ことキンちゃんが呼んだのか、季節外れの台風2号が接近したため遠泳は中止。湘南の主さんお勧めの「平塚総合体育館温水プール(長水路:50m)」へ行って泳ぐことになった。
P5130002左から:キンちゃんの友達で、数年前に藤沢へお住まいになった増田さん、キンちゃん、湘南の主さん

2004年5月12日 キンちゃんの駿河湾(三保⇒戸田)1-way solo swim

キンちゃんの駿河湾(三保⇒戸田)1-way泳

<記録>
三保松原(静岡県静岡市清水区)04:26 ⇒ 戸田(静岡県田方郡:現 沼津市)19:14
        時間:14時間48分

<データ>
  天候:晴れ
  水温:19~20℃
  気温:18~25℃
  風向:北東
  風速:3m/sec
  波高:1m

 写真は当ブログ「2004年5月12日、駿河湾(三保⇒戸田)1-way(写真集)」をご覧ください。

海外で活躍する日本人妻(3/3)

 1980年に私は障害者スポーツを勉強したくてドイツに暮らしていたことがある。もちろん飛行機は高い直行便ではなく安い経由便。パキスタンのラーワルピンディーでトランジット(乗り換え)なのだが、この時も空港のレストランに私とほぼ同世代の日本人女性が働いていた。話を聞くとパキスタンの男性と結婚したらしい。“海外で活躍する日本人妻”はけっこういるものだ。
 ドイツで当初ドイツ語学校に私は通っていて、同じクラスにポーランドから来た“ヨランテ・ソボダー”という女の子と仲良くなった。彼女のお父さんはドイツ人。第二次大戦でポーランドに侵攻し、そのまま帰れなくなった在ポーランドドイツ人である。ドイツは日本と同じ敗戦国でありながら福祉政策は日本より10年くらいは進んでいると思われた。まあ戦争により多くの傷痍軍人が生まれ、その福祉政策から障害者スポーツが発展したと思われたから私もドイツへ行こうと思ったわけだが、確かその10年後くらいに日本でも在中国日本人孤児たちの話題が出てきていた。
 ヨランテはドイツに帰化するためにやって来ていて、ドイツ政府は彼女のために10か月間の語学学習と10か月間の職業訓練、合計20か月の期間も生活も含めて保証していた。
 そんなヨランテが「私も一緒に日本へ行く」と言いだした。それは私が帰国する直前だった。その言葉にビックリし、『蒼い眼の金髪女性を連れて帰ったら親はもっとビックリするだろう』と思われた。
 まあドイツのお金でドイツ人になるためにドイツへ来たヨランテに、日本へ行くことは幾多の面で困難だった。だがもしホントに日本へ来たらどうなっていただろう。“日本で活躍する外国人妻”になっていたかな??
 ドイツ語学校では世界中から若者が集まっていて、就労のために中東から来た若者が多かった。中には母国の政情が悪く、逃げて来た者や「国にいる父親が殺された」とか、まったくもって平和ボケしている私にはショッキングな話題がたくさんあった。
 そんなある日、散歩をしているとすれ違いのドイツ人紳士が私に話しかけてきた。「ヒロヒトは元気か?」と。『ン?“ヒロヒト?”日本人っぽい名前のようだが誰だ?』と思った。しかし「知らない」と答えるのも何なので「元気です」と答えた。するとその紳士は「そうだろう。彼は神様だからな」と言った。その“神様だからな”で初めて気が付いた。“ヒロヒト”とは昭和天皇のことだ。
 そのドイツ人紳士はおそらくドイツと同盟国だった日本についてよく知っていたのだろう。平和ボケしている私は恥ずかしかった。

 平成になった今、おそらくマラッカのシ・ルサ・インにいたハルオさんのお母さんもお亡くなりになられているであろう。子どもの頃よく見た路上で座りながら頭を下げている傷痍軍人もほとんど居なくなった。もちろん私が戦争を知っているわけでもないのだが、子ども心に戦後の混乱期は見てきたように記憶している。
 だがほぼ同世代の安倍晋三さんが日本の首相になって、日本は何処に行こう、何処に行かせようとしているのだろう。いろいろ理由はこじつけているが、“軍事”のような言葉が見え隠れしているのが恐ろしい。“海外で活躍する日本人妻”ではないのだが、今や国境とは何なのか、テレビを観ながら思ってしまう。同時にボケーっと昔のことを思い出した。
 そうそう、他にもマラッカに行った時、マレーシアのヌグリ・スンビラン州にある“スレンバン ”と呼ぶ街の雑貨屋で働くキャロラインだったか、、、、いや、もっと短いな、カレンだったかな?? とにかく“Ca”で始まる名前の女の子とも仲良くなった。。。。そんな昔を思い出してはニヤニヤして鼻の下を伸ばしている気持ち悪い私でもあった。

湘南の主さんの「アメリカ・ニューヨーク、マンハッタン島を泳ぎました。ついでにリバティー島も泳ぎました。」(35/38)

31・再びニューヨークを散策

 8月17日(土)昨夜は夕食を食べずに寝たので、今朝はお腹が減っていてもよいはずなのだが空腹感が無い。腹が減り過ぎたのかも知れない。いつもと同じパン、目玉焼き、野菜、果物の朝食。『ニューヨークも明日までなので残りの食料品の整理もしなければ』と買い物は控え、有るのを極力食べて片付けなければいけない。

P8170149 ニューヨークの街角に立つ道路標示、案内板

 今日は石井先生のお気に入りのダイヤル式の鍵を手に入れたいと言っていたので、「アパートの近くのプールで鍵を買いたいと」とプールへ行ったが、そこには無く、プールの入り口にいる係の人からは「近くの店で買って来なさい」と言われたが、何処にその店があるのかわからず諦めた。行きがけに最後の洗濯物をコインランドリーに預けた。「午後4時半過ぎに出来上がる」との事だった。地下鉄の駅まで戻り、私のカメラの電池を買うために42STまで行くことにした。インターネットで調べた通り筋を左右キョロキョロしながら探すが全然見当たらず、かなりあちらこちらをウロウロと歩き回った。
 グランド・セントラル・ターミナル駅周辺をウロウロ。ターミナルの上を走る道路が今日は歩行者天国なのか、歩行者、自転車で一杯。私たちもつられて道路をしばらく歩いた。しかし目的が違うので元の道に戻り、カメラ屋を探す。中々見つからず、諦めかけていた時にカメラ屋が見付かった。やはり5AVで53ST付近だった。カメラ屋へ入り、「バッテリー」と言って電池切れのバッテリーを見せると、「カメラを見せろ」と言われた。「オリンパス」だと言うと、「こんな古いカメラはやめて新しいカメラにしろ」と店員が言う。「ともかくバッテリーは有るのか?」と再度聞くと、「ある」とのこと。店の奥から1個持って来てくれた。「あぁ~良かった、いくらか?」と尋ねると、「裏に書いてある」と言われて見てビックリ!! 何と$69、日本円で6,900円+消費税等を含め、$76。日本で買うと1本700円くらいだ。約10倍の値段。でも仕方ない、無ければカメラが使えないので1本購入した。前のアパートに2本も置き忘れてしまったことが改めて悔やまれる。早速カメラに電池を装着、カメラは勢いよく作動してくれた。あぁ~良かった!!

P8170153 “歩行者天国”ってニューヨークにもありました

 そのまま北上して歩いて行くと、右手に大きな建物が見えたので近寄って見た。図書館だった。中へ入りグルッと一回りして出て来たが、館を出るとき荷物チェックを受けた。本の持ち出しチェックなのかな?
 その後、石井先生の持っているチケットで何処か行きたい所を探したら、“メトロポリタン美術館”があった。場所はもう少し北の方角で78ST。地下鉄駅を探して乗り、美術館の近くの駅で下車、そこから歩いて美術館へ行く。
 美術館入り口の階段下でストリートライブをやっていた。5人組の黒人でベースギター1台、1人が歌い、バックの3人がコーラス? とても上手だった。そう云えば地下鉄の電車の中でも歌っていた黒人や、ギターを弾くメキシカンに遭遇したこともあったけ。そして地下鉄の駅構内でギターを弾いている老人も見た。日本では直ぐに警察官か駅員が飛んで来るような光景だったなぁ~。流石アメリカ、自由の国なのか?

P8170161 メトロポリタン美術館前でストリートライブを

 美術館の中は余りにも広過ぎて1日ではとても回りきれない。世界各国の古代の出土品などが物凄い量で並べられている。日本の展示ブースもあったので寄って見たが、仏像、巻物、屏風などで、日本のイメージが全然わかない展示品ばかりだった。誰が選定して展示したのか分からないが、ガッカリであった。館内をグルグル2時間ほど見て回っただろうか? 出口に近い所でエジプトの彫像のようなものに出会った。その横で彫像に手を触れて写真を撮ってもらっていたら、係りの人が飛んで来て「触れるな!」と注意を受けた。うかつだった。歩き疲れたので外へ出る。

P8181212 獣の顔をした彫像と一緒に

 帰りは地下鉄を使い125ST駅へ向かう。帰りがけに今朝頼んでおいた洗濯物を取りに寄ったが、洗濯は終わっていたものの、未だ洗濯槽の中に入ったままだった。時間が4時前だったのだ。

P8170169 洗濯機がずらりと並ぶランドリー店

 アパートへ帰る道沿いに日本で言う“100円ショップ”の様な「¢99」と書かれた看板を出している店がある。以前にも一度寄ったことはあったが、石井先生が「もしかしたらこの店に例の鍵が有るかも知れない」と言って再度店の中へ入り、隅から隅までじっくり探したが私には見つからなかった。無いようなので出入り口へ向かうと、石井先生がカウンターの所で何や支払いをしている。「やはりないですねぇ~」と言うと「いや有りました」と石井先生が鍵を見せてくれた。「本当だぁ~!」、カウンターの後ろの大きな吊るし棚の所にあったようだ。「私も一つ」と言って購入した。手に入って良かった、良かった。
 アパートへ帰る前にスーパーに寄り、夕食と朝食の食料を調達。今夜も私のリクエストで大きなビーフステーキ用の肉を買った。今日は昼食抜きだったので先ず素麺を茹でて食べた。
 遅い昼食の後、又私はスーパーへ出向き、友人への土産物を買いに行く。そしてそのまま洗濯屋へ寄り仕上がった洗濯物を持ってアパートへ戻った。
 今度はビーフステーキを味わいながらゆっくり食べた。味付けは塩、コショウだけだがとても美味しかった。

P8140080 お世話になったアパートのキッチン

 いよいよ明日は帰りとなる。明日の朝10時までにアパートを出なければならない。次の予約が入っているそうである。でも帰りの飛行機は19時発なので、空港には午後5時ごろまでに行けば良いのでその間どうするか?
 先ずは石井先生の友人で南アフリカのロジャー氏が明日、「20kmのペアスイムに参加する」と言うので、スタートを見に行くことにした。スタート時間は朝の7時と言う事なので、アパートは遅くとも6時前に出なくてはいけない。従って荷物は今夜中に纏めておかなくては。その荷物はアパートに置かせてくれると言う。しかし$10の料金は取られるが、その方が安心である。荷物を預けておけば午後2時ごろまで最後のニューヨークを楽しむことが出来る。
 夕食後、早々と荷物を纏め、準備万端となった。が、いつものように石井先生は片付けが終わった途端に何と、ソファーで眠ってしまった。ビンビールが半分以上飲みかけのままである。

2006年5月9日 キンちゃんの淡島~大瀬崎間 2-way solo swim

<記録>

  • 1st leg: 淡島:09:20 ⇒ 大瀬崎:12:30 = 3時間10分
  • 2nd leg: 大瀬崎:12:30 ⇒ 淡島:17:25 = 4時間55分
         合計:8時間05分

<データ>
  天候:曇り時々雨
  水温:17℃
  波高:1m
  風向:東
  風速:8m

P5090002


スタートです!

 5月9日、いつものように桟橋には釣り客がおり、前にも見かけたことがある釣り客が「頑張って泳いで!」と声をかけてくれた。たまにしか泳ぎに来ない私も周りの人が少しずつ覚えてきてくれて嬉しい。

P5090003


空はどんよりしています。

 船から下り、足元の水温を確かめる。「暖かいじゃん! 先生、水温いくつ?」、「17℃だ」。2週間前より3℃も上がっている。これはもう余裕の私である。淡島まで船で行く時、波の様子を見ていた。「ああ、往路は波に乗って行けるな!」

P5090004


アップ

 案の上、推測通りの後ろから来る波に押されている。のんびりと波に乗りながら気持ち良く泳いでいた。小さいクラゲの団体もいたが、私の身体より少し下気味にいたので刺されることはない。でも嫌いなので「早くおらんくならないか」と思い、ふと船を見ると先生が目を閉じて寝ている気配である。泳ぎながら、私は手で水飛沫をかけ、起こしてあげた。

P5090009


力泳中

 始めの補給が熱くて飲むのに時間がかかる。「熱い!」と言うと、次からは調度飲み易い温度に調整されている。これは水温が14℃の時、17℃の時、それぞれ補給品の温度も変えなくてはならないので、はっきりサポートしてもらう人には伝えなければならない。

P5090013


力泳

 波に乗りながら大瀬崎まで3時間を切りたかったが、ちょっと波と遊び過ぎか、3時間10分かかってしまった。しかしながら往路に波に乗って泳いだということは、復路は難儀である。大瀬崎はやはりダイビングスポット、魚の団体さんをよく見かけて楽しかったが、案の定、復路の大瀬崎を出るまでが一苦労であった。

P5090027


もうすぐ大瀬崎

 船は向かい風で上下に揺れ、波はバチャバチャ。調度折り返しは12時半だったのだが、私は信じられない光景を目の辺りにした。お腹が空いたのか、先生がカップラーメンを食べ出したのだ。あの半端な揺れじゃない時に! もう少し大瀬崎に着く前とか、揺れが済んでから食べれば良いのに。つくづく『先生はただ者ではない、それとも変わり者か』と感じた。普通の人では、あの船の揺れでは食べないし、海水が入ったりして食べられないだろう。

P5090029


大瀬崎の折り返し

 今日は先生にお願いして、スイミングゴーグルの交換の練習をしようと計画していた。昼間は日差しの関係で黒のレンズ。夜はクリアーに変えるからである。まだ手がかじかんでなかったからスムーズに出来たが、『かじかんでいる時も練習をしなければ』と思った。

P5090038


栄養補給

 復路は4時間以内で淡島まで着こうと思いっきり泳ぎ、クラゲの団体さんに何回かお会いしたが、ヘーッチャラで突っ走った(泳いだ)。時々“ヌルヌル”とか“ヒリヒリ”としたが、最高記録を作りたかった。そんな折、先生が気晴らしのジャンケンをしてくる。負けずに私もやり返す。「だから遅くなった」と言い訳しているのではない。長時間、単調な動作の繰り返しでも飽きが来ないよう気晴らしをしてくれているのだ。そのくらいの余裕を持って泳がなければならないし、このようなコミュニケーションを取りながら泳ぐのが私は好きだ。

P5090055


どアップ

 何隻か釣り船を見掛けた。いつもより、多い感じがする。泳いでいる私を見て、みんな唖然とし、近づいて来た釣り船もいたらしい。手を振って私は愛敬を振りまこうとも思ったが、少し離れていたので止めといた。

P5090062


もうすぐ淡島

 何せ、水が暖かいということは自分に余裕が出来る。25日とは大違いだ。スイミングゴーグルを変えた後でも「おかしい! 先生の顔がカッコ良く見える」と冗談を言い、船に乗っている人を笑かすことも出来る。

P5090065


気合を入れて

 淡島に近づくにつれ、だんだんと海が凪いできた。まあ私が泳ぐ時はいつもこんなもんである。船が止まりビーチまで一人で泳ぐと、魚の群れが歓迎してくれた。

P5090073


淡島到着

 17時25分。無事、淡島のビーチに立ち、船に到着の合図で手を振った。復路は4時間55分。合計8時間5分かかった。7時間切ろうとダッシュして泳いでいたのに、今までにない記録で非常にがっかりし、練習不足を実感した1日であった。しかしこれもめげずに、また今度が楽しみな私であった。

P5090075


お疲れ様でした。

P5090077


疲れてないよ。ベェーだ!

(当ブログ2006年5月9日、駿河湾(淡島~大瀬崎間)の海練習(写真集)にも記載)

海外で活躍する日本人妻(2/3)

 ドーバーでもイギリス人と結婚した日本人妻に時折お会いすることがある。「久しぶりに日本語を話しました」だそうだ。だがこれから書くことは、そういった「日本人妻」には全く関係がない。ただマラッカの話をしたので、その関連した、「災いを呼ぶ男」と呼ばれる所以になった飛行機の話をしたくなった。宜しければお付き合いいただきたい。
 マラッカ海峡横断泳が終わった後、私はすぐには帰国せず、そのままジブラルタル海峡横断泳(タリファ:スペイン⇒セウタ:スペイン領モロッコ)でスペインへ行った。その旅程はクアラルンプール(マレーシア)からMAS(マレーシア航空)でバンコク(タイ)へ。そこで大阪から来るJAL(日本航空)に乗り換えてローマ(イタリア)へ。再びイベリア航空(スペイン)だったかアルタリア航空(イタリア)だったか、それに乗り換えてバルセロナ(スペイン)に入る予定だった。
 MASは予定通りクアラルンプールを出発してバンコクへ到着。バンコクのトランジット・ルーム(乗り換えの待合室)でJALを待つことになる。ところが、、、JALがなかなか飛んで来ない。。。ローマで乗り換える予定があるので私の心情としては遅れることが許されないのだ。
 イライラして待つが、待てど暮らせどJALは飛んで来ない。時間的にみて、ローマでの乗り換えはかなり難しい時間帯になってきた。そこで我慢しきれなくなった私はバンコクの空港内にあるJALのカウンターに行って事情を話す。
 すると係の女性はバンコクからローマへ飛ぶ飛行機の時刻表を調べて「大阪から来るエア・インディア(インド航空)に乗れば、ボンベイ(現:ムンバイ)で乗り換えになりますが、ローマでの乗り換えに間に合います」と言って、親切にJALのチケットをエア・インディアに切り替えてくれた。
 再びトランジット・ルームに行って今度はエア・インディアを待つ。ところが、、、、、エア・インディアが飛んで来ない。。。。。
 どうあがいてもローマの乗り換えには間に合わない時間帯になった。『それなら日本語が通じるJALの方が良い』と思い、今度はエア・インディアのカウンターに行って「JALに戻して欲しい」と頼んだのだが答は「No」だった。
 渋々トランジット・ルームに戻り、いつ来るのかわからないエア・インディアを待つ。すると、、、私が乗る予定だったJALが飛んで来て給油を済ませるとローマへ向かって飛んで行った。。。
 何時間待ったのかもう記憶にないが、かなり待ってようやくエア・インディアが飛んで来てボンベイへ。当然、ボンベイからローマへ飛ぶ飛行機が待ってはいない。聞くと次のローマ便は三日後だそうで、半強制的に私は三日間、ボンベイの滞在になる。
 まあ学生だったから出来たのか。。。ローマからバルセロナへ飛ぶ飛行機はたくさんあって、すぐに乗り換えることが出来た。まあめでたし、めでたし。

 そのスペインからの帰りである。マドリッドからローマまでは予定通り飛んだ。それはイベリア航空だったかアルタリア航空だったか記憶にないが、取り敢えずローマでJALに乗り換えることになる。
 ローマから東京まで飛ぶJAL便は毎日運航していたが、たまたまこの日のJALは“北回り”しか飛んでいなく、“南回り”のチケットしか持っていない私はローマで一泊の滞在になる。まあお陰様で映画ではないが、予定にない楽しい“ローマの休日”を送ることが出来た。
 ちなみに当時、日本とヨーロッパを結ぶ飛行機は“北回り(アンカレッジまたはモスクワ経由”と“南回り(アジア、中東を幾つも経由する)”とがあった。もちろん貧乏学生の私は安い南回りの便を選ぶことになる。
 南回りは約4時間飛ぶと寄港して燃料を入れ、また4時間飛ぶと寄港して燃料を入れ、更に乗務員が交代する。その乗務員が三交代、つまりローマを飛び立って6回目の着陸地が東京(羽田)になるのだ。24時間掛かった。だが学生だった私にはいろいろな国に行けて楽しかった。
 そんなトランスファー(経由地)でテヘラン(イラン)に着いた。空港に降り立つと自動小銃を持った私と同年代の兵隊がたくさんいた。その内の一人がニコニコしながら私に近寄って来て話しかけてきた。何でも彼の趣味はコイン収集だそうで、世界の珍しいコインを集めているとのこと。「交換してくれ」と言うので私は日本の穴の開いているコイン、5円玉を財布から出して渡した。彼は「これは珍しい」と喜んで彼の持っている七角形のコインを私に渡した。
 初め、自動小銃を持った兵隊が近付いてきたときにはビックリしたが、話すと何の変哲もない青年だった。ただ、同世代でも生まれて育ったところが違うだけで片や国を守る兵隊、片や海を泳ぐスイマー。その違いがショックだった。

湘南の主さんの「アメリカ・ニューヨーク、マンハッタン島を泳ぎました。ついでにリバティー島も泳ぎました。」(34/38)

34・リバティー島1周スイムレース

 どのくらい待たされたのか分からないくらい待たされたが、先頭の方で拍手が聞こえてきた。やっとこさっとこ動き出した。列が少しずつ動き出し、桟橋の先端へ近づくと「ピッ、ピッ」と電子音が聞こえてくる。足に着けたタグが計測器の前を通過する時の音だ。計測器の前で私は止められた。大きな船台が船着き場の先端に横づけされている。が、波の上下で船台が大きく揺れている。計測器を通過、ピッと音がして船台に乗り移るが小さな手摺り付きの渡し板を通過した途端に、船台が上下に大きく揺れた。大きな船台から更に海へ入るために横づけされた小さなはしけに乗り移るのだが、ここは梯子で下へ降りる。前後左右にサポートの人がいて、手を差し伸べてくれている。梯子に乗り、下へ降りてはしけに移る。はしけには身体の大きな人がいて、「ゴー、ゴー」と言って海へ入るように指示している。勢いよくジャンプして私は飛び込む。かなり波立っている。最初のオレンジ色のブイの内側を泳ぐ人、外側を泳ぐ人と、どのようなコースを泳げば良いのか分からない。いちおう私は内側を進んだ。

P8171197 ライトにて照らされた自由の女神像を見ながら泳ぐ

 多少フォロー気味の波なので進みが速い。呼吸をする度にライトアップされた「自由の女神像」を見ることが出来る。やっと念願の叶ったスイムが今、始まったのだ。側を泳ぐスイマーと私はよくぶつかる。泳ぐ距離が1.2kmと短いので、エンジン全開のフルスロットルで私は泳いだ。今考えると『もっとゆっくりと周りの景色を楽しみながら泳げば良かったかなぁ~』と思ったが、この時はレースの大幅な遅れで少々苛立ちもあったのかも知れない。先を泳いでいるスイマーをどんどん追い抜き前に進む。海面が穏やかになってきた。風向きが島の陰になってきたのだろう。この辺りではコース設定のブイを見かけなくなった。同時に自由の女神像が大きな木々に遮られて見えなくなってきた。もう一か所あるフェリー乗り場のあるところまで来た。多分島の反対側になるのだろうか?

P8171200 美しい光のファンタジーを見せるマンハッタン島の夜景

 フェリーが停泊していたので私は少し離れてその場所を通過したのだが、フェリーのギリギリの所を泳いでいるスイマーもいた。そして又、島に近づき前へと進むが、この辺りからゴール地点までは方位が南側に面しており、風波が一番キツイ所。島からの返し波があり、海面には三角波が立って非常に泳ぎ辛い場所だった。が、構わずグングン進む。女神像の正面を過ぎ、ゴールまであと一息だが、波に揉まれて思うようには進まない。スタートした桟橋の先端に大きな船も見えてきた。大きなオレンジ色のブイが右手に見えたが、その左側を泳いでいたら、サポートのカヤッカーから「ブイの右側を泳ぐように」と指示を受けた。ブイに向かって方向転換して何とかブイを左側に見て通過することが出来た。すると、そこには最後の頑張りでダッシュするスイマーの集団が力を振り絞ってゴールを目指して泳いでいる。何人ものスイマーとぶつかり合い、ぶつかり合いしながら泳いだ。ゴールのはしけには梯子のステップが二つ掛かって居るのが見えた。そこから全力ダッシュ。はしけの横腹が見えたのでスピードを落とし、梯子にたどり着いた。梯子を上り海から上がる。更に大きな梯子を上り船台へ移り、渡り板を通過してやっと電子音の「ピッ」の音を聞く。そこを私の横を走り抜けていった女性がいた。ここまでが今回のスイムで計測される時間のようだ。島までの桟橋をゆっくり歩いて行く。桟橋には応援に来ている家族、友人たちがカメラ、ビデオを片手に待っていた。島の入り口で足に着けた計測用のタグの回収をしており、返却する。そして荷物の置いてある場所へ向かう。辺りはかなり暗くなっている。
 荷物置場へ着くと石井先生は既に泳ぎ終えて水着姿で待っていた。石井先生は泳いでいる途中でロジャー氏に会い、「彼が一緒に付き合って泳いでくれた」と言っていた。荷物を受け取り、着替えて時計を見てビックリ! 何と8時10分過ぎではないか!! 帰りのフェリーは確か7時15分発だったのにどうなったのだ?
 するとスタートした時間は7時半過ぎ? これはいくらなんでも酷過ぎはしないか? スタート時間が何故遅れたのか、スタート地点の近くに待機していた石井先生に聞くと、どうも船台とはしけがうまくドッキング出来なくて時間が掛かったようだ。毎年開催しているはずなのに何ともお粗末な原因。腹が立つより呆れかえった。腹が立ったのはレースの遅れで、帰りのフェリーは9時15分になってしまったこと。

P8171201 何度見ても美しいマンハッタン島の夜景

 仕方ないので時間潰しに石井先生とライトアップされた自由の女神像の写真を撮りに行った。そしたら未だ海から上がって来るスイマーが居たではないか。もう辺りは真っ暗闇である。ビックリ、シャックリだ。よくこんな暗闇の中を泳いでゴール出来たものだ。サポート体制はどうなっているのだろうか? カヤックはどうなったのか? ブイはうまく回収出来たのだろうか? ともかく日本では考えられない時間帯での大会だし、それが大幅に遅れたのだ。いくら自己責任の国だとはいえ、これは明らかに運営ミスのように思えるのは私だけなのかな??

P8171199 ライトアップされて美しい姿の自由の女神

 腹が減ったので食べ物でもと配給されている所へ行ったが、腕に着けているタグをみて「ダメ」と言われた。どうもタグの付け方でパーティーに出る、出ないを仕分けていたようだ。本部のテントに沢山置いてあったバナナも無くなっていた。役員は撤収作業で忙しそうに動き廻っている。9時15分の船に乗り遅れまいと必死の後片付けだ。周りを見ると皆さん食事にありついている。主催者側の都合で遅れたレースなのに、それを全く考慮してくれないことに腹立たしさを覚えたが、エントリー時点で早く帰ると申告してしまったので諦めた。唯一良かったのは、リバティー島から眺めるマンハッタン島の夜景、とても素晴らしい。しかし残念だったのがカメラを使えなかったことだ。この素晴らしい夜景を撮影出来ないのが悔やまれる。昼間リバティー島でボケーッと待っていた時間をカメラのバッテリー探しに費やしたかった。
 「帰りのフェリーは桟橋の反対側の船着き場から出る」と言うのでそちらへ回った。かなりの人数が乗っていた。フェリーの2階席の一番前の席に座ったが、直ぐ側で日本語が聞こえてきたので振り返ると、若い青年と女性2人組で、男性が泳いだのを女性陣は応援に来たようだった。彼はアメリカに住んでいて、女性陣はニューヨークへ遊びに来た様子だった。
 帰りの地下鉄で大会本部の役員の人と一緒になった。彼はとても疲れているように見えた。124 ST駅で降りた時は午後10時を回っていたので少々不安を感じた。駅周辺には未だ黒人系の人があちらこちらでたむろして、大きな声で話し込んでいる。が、私たちには気も留めない様子だったので少々安心した。足早にアパートへと急ぐ。時間が遅いので私は食事を抜きにしたが、石井先生は素麺を茹でて食べていた。
 『何とも後味の悪い今日一日だったなぁ~』と思いつつ、疲れていたので直ぐに横になり寝てしまった。

海外で活躍する日本人妻(1/3)

 先日、ボケーっとテレビを観ていたら、「海外で活躍する日本人妻」のような内容の番組をやっていた。しかもこの“海外”というのはかなり辺鄙なところだ。何人かを紹介していたが、地元の方と結婚された女性の年齢は40歳前後とみられた。
 そんな番組を観ながらちょうど40年前のことを思い出していた。昭和49(1974)年5月である。マラッカ海峡横断泳(インドネシア:ルパット島⇒マレーシア:シ・ルサ・ビーチ)を目的に、生まれて初めて飛行機に乗って、生まれて初めての海外旅行である。当年とって21歳、大学4年生になったばかりの頃だった。
 マレーシアの首都、クアラルンプールに飛行機が到着する直前である。機内で入国管理の紙が配られた。そこには到着日の宿泊先を書く欄があった。しかしそんなことは知らない私。隣に座って仕事でよくクアラルンプールに来るとおっしゃる紳士に伺うと、「私と同じフェデラルホテルにすればいいよ」と教えてもらう。しかし貧乏旅行の私、民宿のような安い宿に泊まるつもりでいたのにとんでもない。だがクアラルンプール市内に知っている宿もないのでその紳士に付いて行くことにした。
 幸運にもたまたまフェデラルホテルのマネージャーが“イコマさん”と呼ぶ日本人で、「マラッカを泳いで渡る日本人」ということでとても興味を持ってもらい、何と歓迎レセプションなどもしていただいた。そしてゴール予定地点のシ・ルサ・ビーチで“シ・ルサ・イン”と呼ぶ宿を紹介していただいたのだ。
 シ・ルサ・インの代表者は日本名で“ハルオさん”、正式な名前は“ハリー・チャンドラーさん”だったか“ハリー・チャラヤーさん”だったか、、、日本人のお母さんとインド人のお父さんを持つハーフだ。
 助かったのはハルオさんが日本語をしゃべれること。年齢は当時、私には40歳くらいと推定した。まだ独身で、ピストルを持っており、ピストル競技ではアジア大会に参加したこともあるスポーツマンだ。
 またお姉さんは“セツコさん”と呼び、重度の障害者(脳性麻痺)で椅子に座ったままだった。たまたま私が「障害者に水泳指導をしている」と言うと、それは歓迎していただき、いろいろと協力的に動いてくれた。

 おおっと、話が変わってきたので元に戻そう。今回の主役はハルオさんのお母さんだ。年齢は70歳を越していると私は推定した。またマレーシアは元々イギリスの植民地でもあったため、英語の普及率は極めて高く、お母さんは日本語、英語、マレー語、ヒンディー語が堪能だった。
 さて、当時の私の年齢の推定が“正しい”と仮定して話を進めよう。仮に少しくらい違っていても、それは10歳以内であろう。たいした問題ではない。
 マラッカに行ったのは1974(昭和49)年。そしてお母さんの年齢が70歳ならば、1904年の生まれになる。日露戦争、日本海海戦の時代でそれこそバルチック艦隊が出てくる明治時代。そんな頃に彼女は生まれた。
 ハルオさんが40歳と仮定すると1934年生まれ。セツコさんと呼ぶお姉さんがいるのでお母さんが結婚したのは1930年頃と推定される。昭和5年、つまり昭和一桁の頃にインド人男性と結婚したのだ。ということは大正の終わりか昭和の初めの頃にお母さんはインドに行くか、ご主人が来日していたか、取り敢えずその頃に出会っていたということだ。
 結婚後二人の子どもを授かり、その内の一人が障害者。その子育てに忙しい頃に日本では第二次大戦へと入って行く。
 あくまでも私の推測にしか過ぎないが、彼女は時代に翻弄されながら波乱万丈の人生を歩まれたのではないだろうか。明治に生まれ、大正を生き抜き、昭和初期で国際結婚され、インド、マレーシアで活躍される。
 テレビで観た「海外で活躍する日本人妻」は少なくとも平成の時代に移住している。時代が違うので簡単に比較は出来ないが、少なくともお母さんの時代より世界は狭くなっており、海外へ行くのも連絡を取るのも楽になっている。

湘南の主さんの「アメリカ・ニューヨーク、マンハッタン島を泳ぎました。ついでにリバティー島も泳ぎました。」(33/38)

33・ただ待つ。耐えに耐えてひたすら待つ

 島には14時半ごろ着いたのだが、既に受付を済ませているスイマーもいる。大会本部も忙しく動き回っているが、参加者の集まりはイマイチ。我々はこのまま夕方の6時までここでボケーッと待つことになる。こんな状態ならもっとユックリ来れば良かったなと思うが、今更どうしようもない。

P8171186 リバティー島スイムの大会本部のテント

 大会本部の近くで待機していたので、大会本部の進行状況がよく分かる。選手は三々五々集まってはいるが、本部の言う“早めに来る選手”は少ない。参加される選手はこの大会の進行状況をよく知っているのかも知れない。大会のボランティアの人で遅い人は5時過ぎに来る人もいた。待つ。ただ待つ。時間の来るのを待つ。耐えに耐えていた。
 石井先生の友人で南アフリカのロジャー氏も今回「このレースに参加する」と言っていた。彼もドーバー海峡のソロ横断成功者の1人である。今回はこの大会ではなく、土曜日に開催されるバッテリーパークから20kmほど先にある島までのペアスイムに参加するのが主目的で、今日は肩慣らしかな? がっしりした体格でイカにもスタミナ、馬力がありそうな身体つきだった。

P8171188 石井先生の友人で南アフリカのロジャー氏と一緒に

 午後5時過ぎになると、いつの間にやら島に観光客の姿が見えなくなり、リバティー島1周スイムに参加する選手と応援者、家族だけになっていた。ネットで調べた時の参加者は333人となっていたが、実際はもっと少ない。参加者に配られるスイムキャップの残り数がどのくらいか確認をしたところ、エントリータイムの遅い100番台のキャップのグリーン色が一番多く残っていた。ピンク色の私の貰ったキャップが一番残り少なかった。

P8171189 マンハッタン島をバックに。海にブイも浮かんでいる

 いよいよレース前の説明が始まった。ここまでは時間通りの進行。でも説明は英語なので私には全く分からず、参加者から質問なども出されていたが何を質問したのかな? 水着に着替え、荷物を指定された場所へ置き、番号の若い順に並ばされた。再三、並び順通りの番号を確認される。しかしここから先がちっとも進まない。何度も何度も番号チェックをされる。長い、長い行列が出来ている。

P8171191 夕闇に包まれてきたマンハッタン島の景色

 先頭は船着き場付近、私は大会本部のある広場付近、後方は広場をグルリと囲むような状態。しかし何故か列が動かない。何処からスタートするのかもよく分からない。島全体は岸壁に囲まれているのでどのようにスタートするのだろうか。どうも船着き場からのスタートのようだ。今日、最後のフェリーが出航すると、側で停泊していたクレーンを付けた船台がタグボートに押されて船着き場の先端に横づけされた。いよいよか? 列が少し動き出した。しかし又、停まる。船着き場の桟橋と島の接点付近で私は立ち往生。南東風のかなり強い風に吹きさらされる所だ。石井先生は100番台なので桟橋の先の方なので、もっと吹き曝しで寒いのではないだろうか?

P8171194 夜空に映し出される自由の女神像

 何故この動かない状況が続いているのか、全く分からないまま時間はどんどん過ぎて行く。辺りは薄暗くなってきた。スモークのゴーグルでは『まずいのではないか』と思わせるくらいの暗さだ。時計を持っていないので時間が全く分からないが、6時スタートの予定だったが1時間以上経過しているように思う。海にはサポートのカヤック、ボート、ブイなどが設置されて準備は万端。だが一向に列は動かない。大会役員が行ったり来たりと忙しそうに動き回っている人、のんびりとスイマーと話し込んでいる人など、様々だ。スイマーの皆さん、私を含め辛抱強くスタートの合図を待っている。

2006年5月3日 湘南の主さんの海練習 片瀬西浜~逗子海岸(2-way)

<データ>
  スタート:06:18
  ゴ ー ル:12:58
  遠泳時間:6:40
  結果:途中棄権
  水温:16~17℃
  波高:0.5~1.0m
  ピッチ数:50~56回/分
  天候:晴れ
  気温:11~23℃
  風向:北東
  風速:5~7m/sec

P5030001 本日の打ち合わせ中・・・。

P5030002 片瀬江ノ島、新江ノ島水族館前をスタート

P5030004 力泳開始

P5030007 栄養補給

P5030009 力泳中

P5030013 船から安全を見守る。。。

P5030016 逗子海岸の折り返し(写真中央でビーチに立っているのが湘南の主さん)

P5030019 力泳は継続したのだが、、、、

2009年5月2日~3日 湘南の主さんの「箱根芦ノ湖~東京日本橋間激歩」

東京~箱根間往復大学駅伝競走 復路コース(110㎞)

23時間 ノンストップ歩行記録   湘南の主 65歳

 この詳細と写真は当ブログ「湘南の主も行く」Vol.05をご覧ください。

2011年4月29日~30日 湘南の主さんの「撃沈でした」

藤沢~箱根・芦ノ湖~藤沢間24時間歩行記録

挑戦者 湘南の主 66歳

 この詳細と写真は次の当ブログをご覧ください。

  1. 今年も
  2. 準備は
  3. 暗いスタート
  4. 明るいほうが
  5. 気合を入れて
  6. おかしいなぁ~
  7. どうしたものか?
  8. 再度、気持ちを入れ替えて
  9. 撃沈だな
  10. 反省と問題点
  11. 歩行記録
  12. エネルギー補給

2010年4月29~30日 湘南の主さんの「東京~箱根間駅伝コース往路を制覇」

東京~箱根間往復大学駅伝コース

歩いた人 湘南の主 65歳

 この詳細と写真は次の当ブログをご覧ください。

  1. 計画
  2. 泳ぐのがベスト
  3. 目標を持つ
  4. 準備は!!
  5. エネルギー補給!!
  6. 前途多難???
  7. 鈴ケ森刑場
  8. 何があったのだろう?
  9. やっと行程半ばまで
  10. 頑張れるのか?
  11. ダメージ
  12. 後日談
  13. 消費カロリーについて
  14. 東京・箱根間大学駅伝コース往路の時間経過
  15. その他

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