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寄付って(津軽泳の費用)

 もう90歳を過ぎた母はまだまだ元気で、たまに私とウナギを食べに行くことを楽しみとしてくれている。
 いつだったか3.11(2011年)の東日本大震災があった後、その話から阪神・淡路大震災(1995年1月17日)の話に移った。それは義援金のことである。
 1995年当時は父も元気だった。そんな父を思い起こしながら、、、
母「お父さんがね、阪神・淡路の震災があった時、『おい、被災地にお金を送ってやれ』って言うのよ。だから私は言われたとおりに送ったのに、その後、いくら待ってもお礼のひとつも来なかったわ」
私「フ~ン・・・、でもね、困っている時って、お礼を言いたくとも言えないくらい困っているんだよ。ホントに困っている時って、言いたくても言えなくて、それも困る一つなんだよ」
と言って、そんな自分の体験談をした。それは“心配するといけないので”という理由でそれまでは黙っていた。

 1975年(昭和50年)、大学を卒業して家を出て、自分では独立したつもりで最も生意気だったころかもしれない。障害者にリレーで津軽海峡を泳がせようと、シャカリキになっていた。
 津軽を泳がせるためのお金集めをした。100社回って10社でもいいから話を聞いてもらい、1社でもいいからスポンサーになってもらえればいい。そういう思いで100社以上は回ったと思う。話を聞いてくれたのは10社以上あった。しかし肝心なスポンサーは、商品提供という形ではあったものの、お金に関しては一銭も集まらなかった。
 当時の社会はまだ障害者について理解がなく、公共のプールでも障害者が入ることすらままならなかった時代である。同時に1973年のオイルショックから、時代はバブルが弾けた昨今に似て、景気はとても悪かった。
 それでも会社を回り続けた。そこで聞いたのは、
担当者「お金を提供するには“純然たる寄附”と“コマーシャルとして使う”の2点なんですよ。例えばコマーシャルで、可愛いモデルさんがコーラを飲んで『美味しい!』と言えばコマーシャルにもなりますが、身体の不自由な方が『美味しい!』と言ってもイメージとして良くはならない。したがって純然たる寄附行為しか残っていないんです。でもね、今の時代は何処も厳しい。我社も同じなんですよ」
とのことだった。
 それからは会社回りから財団法人など地方公共団体に移って行った。
 中でも印象に残っているものは、当時の日本船舶振興会の笹川会長にお会いできたことだ。その頃“船の科学館”がまだ建築中で、完成間近な科学館の中で笹川会長は
会長「ああ、これ(船の科学館)は100億だよ」
と上機嫌で話されていた。
 しかし障害者の津軽泳に関してはまったく興味を持ってくれなかった。
 次には国に行くことにした。当時の厚生省である。それは、その前年にNHKで私を紹介してくれて、当時の厚生政務次官につながりが出来たからだ。
政務次官「厚生省としてあなた個人にお金を上げることは出来ないが、あなたを新聞に載せることは出来るから。そうすれば新聞を読んだ人から寄付が集まるよ」
と、新聞に津軽泳と私を載せてくれた。
 確かにそれによって寄付金は少し集まった。しかしショックな出来事もあった。それは子ども新聞にも私の記事が掲載されたのである。小学4年生の男の子から封筒に400円と手紙を入れて送ってくれたのである。
手紙「ボクはプラモデルが大好きな小学校4年生です。子ども新聞を読んで身体に障害を持つ人たちが津軽海峡を泳ごうとしていて困っていることを知りました。プラモデルを買おうと思って貯めた400円ですが、皆さんに使っていただこうと送ります」
 涙が出てきた。笹川会長の100億より、この子の400円の方が価値はあると思った。何故なら私も子どもの頃はプラモデルが大好きで、この子の気持ちが痛いほどわかるし愛おしく思えたからだ。
 それまで私は生活費と津軽を泳ぐための費用は分けていた。しかしそれではいけないと、自分の生活費も津軽の費用に寄付をした。
 実際の津軽泳は当ブログ「海上保安部」をご覧いただきたい。いずれにせよ津軽に行っている最中は良かった。問題は帰ってからである。お米を買うお金すらなくなっていた。
 父とは「オレは独立する!」とケンカ腰で家を飛び出した私だ。こんな形で家の敷居なんてまたげなかった。腹が減ると食事時に親戚の家を訪ね、「そんなつもりでは・・・」と言いながら食べさせてもらった。一件だけでは家にバレるといけないので何件かにまたがって親戚回りをした。
 そんな時、『いつかは自分で遠泳を出来るようにし、尚且つ自分で飯が食えるようになってやる』と思ったものだ。もちろん、400円をくれた子どもにも、その他、寄付をしてくれた皆々様にもお礼は出来なかった。お礼をしたくとも、お礼をするお金がなかったからである。
 その時、『寄付は良くない。泳ぐなら、泳ぐ人が費用は負担すべきだ』と思うようにもなった。

 その津軽泳はNHKテレビで紹介され、母と一緒にその番組を観ていた時、
私「応援する人のメガホンを買うお金がなくて、段ボールを丸めてメガホンを作ったんだ。段ボールのメガホンなんて、、、、カッコ悪いよな」
とぼやいたら、
母「何が“カッコ悪い”ですか!」
と本気で叱られた。

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