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わくわく、どきどき、台風の目。

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2013年10月の記事

2006年10月31日 大瀬崎~淡島3-way

 詳しい報告は「キンの海練習2.」をご覧ください。

  • 1st leg: 大瀬崎→淡島 4時間21分
  • 2nd leg: 淡島→大瀬崎 2時間59分
  • 3rd leg: 大瀬崎→淡島 3時間59分
                合計: 11時間19分

Pa310009
船頭さんと

Pa310011
大瀬崎をスタートしました!

Pa310013
力泳開始

Pa310017
「どうだぁ~!」って感じですね。

Pa310018
「負けないぞぉ~!」って感じですか?

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大海原は気持ちイイ!

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バックにうっすら富士山が見えます。

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大好きな栄養補給が終わっちゃった・・・。

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淡島の折り返しです。

Pa310045
今度は大瀬崎を目指します。

Pa310048
バックは沼津です。

Pa310066
いつもお世話になっている船頭さん

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アップ

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力泳

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再びアップ(グフフ)

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再び力泳

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楽しいです!

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嬉しいです!

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爽快です!

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最高です!

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大瀬崎を折り返し

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イェ~イ!

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日没が早くなってきたなぁ~・・・。

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でもそれが練習なんだ・・・。

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楽しまなくちゃ!

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とうとう日没

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これからが練習だ!

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夜の栄養補給

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力泳

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ちょっと見にくいですが、後頭部にはケミカルライトがついています。

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力泳

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背中にもケミカルライトがついています。

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力泳

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もう少しです。

Pa310165
力泳

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終わりました。

予告

 このブログは今からちょうど7年前の2006年10月より始めました。内容は主に海の泳ぎを中心に、キンちゃんや湘南の主さんの海練習を取り上げてきました。
 最近、キンちゃんが事情により私と海練習を出来なくなったので、2006年10月以前の2004、2005年の海練習を中心に紹介させていただいてきました。
 ところが「冬の海練習をしたい」という方が現れたので、これから先は来年の夏までに過去の海練習を月別に掲載させていただくことにします。つきましてはすでに掲載されて記事の再掲載もありまして、そのことはご勘弁いただきたいと思います。

 尚、これからの海練習を希望する方に周知します。当ブログで掲載する記事は参考にしていただけますが、当方は一切の責任を持ちません。特に次のことを注意して下さい。

<自己責任>

  1. 「危険は自分にある」と自覚できる者、日常、水泳の練習を欠かさずに行っている者に限る。(『▼△さんと一緒だから大丈夫』という考えを捨てる)
     水着:初心者の場合はウェットスーツを着用しましょう。
     泳ぎ終わった後の保温方法を考えておきましょう。
  2. 漁業権など、海を仕事にしている人の邪魔をしない。
     航路を除く、陸岸から4~6km沖合まで日本の海のほとんどは漁業権がある。
     航路、港内及びその周辺は原則的に泳げない。
  3. 準備、計画、実施、報告を必ず行う。
     準備:安全基準のガイドラインを作る。

   海象・気象予報を元に海上コンディションを推移する。
  風速、風向。波高、視界、天候、気温、水温、水質、流向、流速など
  月齢(潮名)、潮汐(潮位)、日出没、月出没

   危険を察知するトレーニング(危険を察知したら練習は中止)
  監視(危険な生物、船舶の接近)、気象・海象の悪化、泳者及びスタッフの病気などによる体調の変化

   表示を行う。
  「遠泳中」などと書かれた表示板を掲げる。
  泳者は目立つ水着、目立つスイムキャップを着用する。
  必要に応じて音響(ホーン)、発光(フラッシュライト)の設備を設ける。

   陸上との連絡方法を確保する。
  携帯電話など

   その他
  見張り員は海中転落事故防止に努め、救命胴衣を着装させる。
  海上などに工作物・標識等を設置しない。
  海練習当日には再度、参加者の健康状態をチェックする。
  参加者全員「傷害保険」に加入する。

 計画:データ収集
  海上保安庁海洋情報部や気象庁などの情報

   海のデータ

   計画の立て方
  目的、方法(いつ、何処で、誰が、何を、どうする)、安全対策、準備品
  救急用品、救命具、防寒具、雨具、計測器(時計、温度計、風速計など)
  海練習用品(ロープ、笛など)、栄養補給品、飲食品、GPS、カメラ、
  双眼鏡などの用意と掲載

 実施:データの収集(気象、海象、泳者のピッチと状態)
  風速、風向。波高、視界、天候、気温、水温、水質、流向、流速の計測
  泳者の状態(健康状態、ピッチ数、栄養補給の摂取状態)
  栄養補給:加温してありジェル、もしくは液体の物が良い。
  低体温症:海練習の中止

   体調が変化してきた場合の対処法
  足がつる、脈が速くなる、頭が痛い・重い、吐き気がする、寒気がする、脱力感がある、胸が苦しい、気が遠くなる(海練習の中止)

   天候悪化の場合の対処法
  安全基準のガイドラインを超すようなら海練習の中止

 報告:忘れないうちに早目に行う。

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2009年7月17日 ドーバーのビーチで練習仲間と
左からスティーブ(オーストラリア)、キンちゃん(日本)、マギー(ドイツ)、ジェニー(スティーブの奥さん)

10月28日 無駄な時間(続き)

 3月9日の交通事故で骨折した右手中指の治療は、半年後の9月に不完全なまま「症状固定」となった。担当医からは「昔なら後遺障害で14級くらい取れるのだが、最近は厳しくなったので無理だろう」とのことだった。
 今回の事故解決に向かって私は弁護士に依頼しているが、その弁護士と話し合って“ダメ元”で一応は後遺障害の申請をすることにした。何故ならば右手中指は曲がりきらないし伸びきらない状態で、痛みも消えたわけではないからだ。
 9月の下旬に弁護士は私へ「後遺障害診断書」の用紙を郵送した。しかしそれを私が受け取ったのは10月8日(火)だった。病院で整形外科の担当医が診察する曜日は月曜の午後からで、ニアミスでそれを私は病院に持って行くことが出来なかった。
 10月14日は体育の日で休診。翌週21日に持って行くのだが、病院の受付嬢から「診断書の完成まで2~3週間かかります」との返事。つまり担当医の診察日を待つ必要はなかったわけで、弁護士から届いた診断書の用紙はそのまま病院に持って行ってしまった方が早かったわけだ。そこで、
 最近、こちらが気を使って無駄な時間を過ごすことが多くなっている。何でだろうなぁ~?????
とは「10月21日 無駄な時間」に書いたとおりだ。
 今回はその続き。

 10月25日(金)、病院から電話があった。
嬢「もしもし、こちら○×病院です」
私「ああ、はいはい。」(もう診断書が出来たのか? 早いじゃないか!!)
嬢「先日ご依頼の診断書の件ですが」
私「ああ、はいはい。」
嬢「担当の先生から“診断書を書くに当たって診察をしたいので、来院して欲しい”とおっしゃっているのですが、いつごろ来られますか?」
私(だから前回はわざわざ診察日に行ったじゃねぇか!!)「わかりました。来週の月曜日(28日)に伺います。」
 『こうして無駄な時間が過ぎて行くんだ』(ブツブツブツブツ・・・)

 担当医が“午後の診察”と言っても午後2時から。そこで私はいつものように『お昼(ランチ)は病院の近くで』と思い、正午頃には診察券を受付の箱に入れ、近くの定食屋でお昼をいただく。これで診察順は1番か2番。遅くとも3番目になる。
 ところが今日はどうだろう。順番が4番、5番を呼んでも私の名前は呼ばれない。時間は2時30分。『30分待っても呼ばれないのはおかしい』と、受付に「まだ私の名前が呼ばれないのですが、、、」と言いに行く。すると「ちょっとお待ちください」と言いつつ、受付嬢はカルテが積んである箱を確認に行った。すると、一番下に私のカルテらしきものが。。。。。。慌ててそのカルテを持って整形外科にお嬢は走った。やはり受付嬢が1番のカルテを運び忘れたのだ。
 『あ~あ、オレはこういう星の下に生まれたんだろうなぁ~・・・』
 6番の患者さんの診察が終わり、私の名前が呼ばれたのは2時45分。『この45分、返せよな!!』
医「ああ、レントゲンを撮って来て下さい」
私「はい・・・」
 レントゲンの伝票を持ってレントゲン室の前に行くとすでに5名のご婦人たちがレントゲンの順番待ちをしている。『ご婦人は更衣にも時間が掛かるし、遅いんだよな。右手中指の撮影なんて、更衣はないし1分も掛からずに終わってしまうんだがな・・・』
 まったく予想通りの待ち時間だった。

医「レントゲンではきれいに幹部はくっついていますね。それでは曲がる角度を計測しますので、おもいきり握って。。。。。はい、今度はおもいきり開いて」
と、関節の角度が測れる定規のようなもので私の右手中指の角度を測った。
医「昔なら14級が取れるくらいだが、最近は厳しくなったのでまあ難しいと思うよ。いちおう診断書は作るけど、それを決定するのは私じゃない。だがこれで“症状固定”ということで一段落は間違いない」
と言った。

 会計で名前が呼ばれる。
嬢「診断書作成料が1万と500円です。」
私「ヒェ~~、高いなぁ~!!」(弁護士は「5千円くらい」と言っていた)
嬢「お持ちじゃないなら次回にお持ちください。」
私「いや、持ってはいるけど高いよ!」
 なけなしの1万500円を支払う。その時間3時40分。
 ダメ元の診断書を書いてもらうのに高額な費用と多くの時間を使った。だが、「2~3週間かかる」と言われていたのに1週間で終わった。それで『良し』と考えなきゃ! 何事も前向きに、前向きに!!

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2009年7月11日 ドーバー(イギリス)のビーチにて
スイマーであり、ボランティアでもあるキンちゃん
スイマーにワセリンをゴム手袋をして塗る。

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左にいるパーカーを着た小さいのがキンちゃん
ドーバー海峡を泳いで横断しようとする人たちはデカイ!!
いつも思う。「このデカイ人たちと同じ土俵に上がるキンちゃんはエライ!」と

10月27日 大事なタイムスリップ

 アベック台風の27、28号が通り過ぎ、今日はうららかに晴れた秋の日になりましたね。クルマに乗って窓全開で走るととても気持ちが良い。それに東京からは朝に富士山を見ることも出来ましたよ。

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黒いシルエットのような富士

 でも“富士山”と言えば「頭は白い雪が・・・」という私のイメージですが、今の季節は何だか「富士山のシルエット」という感じ。。。。。

 夜はトラジオンOB会。初代トラジオン会員が集まりました。皆さんすでに“50歳代”っていうからビックリ!!
 図書館で調べた新聞記事を私は持って行きましたが、当時のアルバムを持って来てくれた者もいて、皆さん40年前にタイムスリップ!!

 不思議ですね。アルバムの写真はもう色あせていて年代を感じるのに、皆さんは当時の皆さんに戻ってしまう。。。。。。。。
 海を泳いだいろいろな思い出に、皆さん大いに盛り上がりました。そして残念ながら今回は用事で来られなかった仲間のために、来月(11月)にも再びOB会を開催することになりました。やったー!! そして楽しかったなぁ~!!!

 中学の頃に結成したエレキバンドが今も“親父バンド”として月1ペースで練習しているし、年1ペースでライヴも開催しています。その練習の時はバンドメンバー全員が中学時代に戻ってしまう。。。。。

 高校の友人たちと会った時もそう。大学のOB会は今も案内が来ますが、我々の世代はもう大学の教授陣より年上になって来たので同世代同士で話し合い、「そろそろOB会に行くのをやめよう」と決めました。逆に言えば我々の世代はけっこう結束が強く、同世代同士ではけっこう会っています。その時も大学時代にタイムスリップする。。。。。。。

 昔なら「戦友」と言うのでしょうかねぇ~? “同じ釜の飯を食った”仲間というのは絆が強い! そしてこの不思議なタイムスリップをする時間。。。。。けっこう『大事な時間』と私は思っています。

オーストラリアのOWS

 2011年に来日し、津軽海峡を泳いだペニー(Penny Palfrey:オーストラリア)も推薦するコーク アイランド(オーストラリア)のOWSです。何とも陽気で良いですね。

Cork Distance Week 2013
↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
 動画ですが、YouTubeではないのでそのままこのブログに埋め込むことが出来ません。

 ごめんなさい。

エピック・スイムのウェンディ、米“チャーチル賞”受賞!

 このブログ「8月21日 Epic swim(エピック・スイム)」でも紹介したウェンディ・トレヒョウ(Wendy Trehiou:ジャージー)が、アメリカ、ニュージャージー州の州法に定められた「チャーチル賞(1965年)」を受賞することになりました。

 “チャーチル賞”は勇気と持久力と忍耐力のある行為に対して、ニュージャージー州在住の審査員によって認められます。それは1965年の発足以来、今に至るまで五人の人々が受賞者になっていますが、以前の受賞者を見てもそれは大きな価値があると言って良いでしょう。

 ウェンディの信じられないほどの39時間にも及ぶドーバー2-wayのエピック・スイム、癌を克服するための化学療法と放射線治療に耐えました。2012年6月26日に15時間以内で最初の1-wayを成功させ、長い間の野心と夢は、多くの人々に勇気と不屈の精神として影響を与えました。その功績を称えられたものです。

 「私は癌により地獄に行って戻りましたが、それは献身的なドクターや医療関係者のおかげです。私は泳いでフランスに行ってイギリスに戻りましたが、それは成功させるために情熱を燃やした私のボートの乗組員のおかげです。」と、ウェンディは極めて謙虚なインタビューの答。

 いずれにせよこの栄誉は彼女の優れた業績が認められ、勇気ある行為として「チャーチル賞」が授与されたわけです。
 おめでとう!! ウェンディ!!

 津軽海峡水泳倶楽部でも賞を作りますかね?
 「中島正一賞」:世界初の津軽海峡完泳者
 「藤田美幸賞」:世界最多津軽海峡完泳者
 いかがでしょう???

ラフ&チョッピー ウォーターの教室(2)

 今日も昨日に続いてOWS教室です。昨日同様アメリカのOWSコーチ、レスリーに登場していただきましょう。

Swimming in Rough and Choppy Water - Open Water Swimming

 でも、、、キンちゃん好みのラフ&チョッピーはもっとスゴイです。(レスリーには内緒!)

たまには真面目にOWS教室(1)

 以前にもこのブログで登場していただいたアメリカのOWSコーチ、レスリー・トーマス(Leslie Thomas)に再びOWSのレッスンをしていただきましょう。

Breathing Skills For Open Water Swimming

レッツ エンジョイ!!!

おやおや、キンちゃんがこんなところに!

 キンちゃんファンの皆さん、「最近、キンちゃんはどうしているの?」とお思いのことでしょう。どうも元気そうなのですが、実は私もわからないのです。
 でも偶然にもキンちゃんが今年7月13日に泳いだメイン州(アメリカ)のP2P(the Peaks to Portand)でファルマウスに行った時に、昨年、津軽海峡を泳ぎに来たパット(Pat Gallant-Charette:ウェストブルック在住)と会って海練習をしているアメリカの新聞記事を発見したのです。

アメリカンジャーナル

 表題は「スイマーの気持ちは言葉の障壁を超す」とでも訳しましょうか。「お互いに言葉(英語と日本語)は通じないけれど、身振り手振りで会話が出来る。」のようなことが書いてあります。
 まあ元気なようで良かった!!!

 そうそう、「オーシャンズセブン(世界七大海峡)」(ドーバー、ノース、クック、津軽、ハワイ、カタリーナ、ジブラルタル)に挑戦しているパットが、今年泳いだノースチャネル(アイルランド北海峡)のビデオも発見しました。

North Channel Swim 2013

 もう少しで成功したのに残念です。(詳しくはこちら
 でも今はクック海峡(ニュージーランド:北島~南島間)に向けて泳いでいることでしょう。

 そういえば、現在ニューヨーク(アメリカ)在住の日本人男性が来月(11月)に日本へやって来ます。そして東京で私とお会いする約束をしました。
 彼は私たちが今年マンハッタンに行っていた時、カタリーナ海峡(アメリカ:セントカタリーナ島~ロスアンゼルス間)を泳いでおりました。したがってその時にお会いすることは出来ませんでしたが、マンハッタン島一周はすでにソロで泳ぎ終わっており、再来年はドーバー海峡(イギリス~フランス間)に挑戦したいようです。
 これでトリプルクラウン(アメリカで提唱している称号。カタリーナ、ドーバー、マンハッタンの三つを完泳させた者に贈られる)完了!!
 今からお会いできるのが楽しみです!!

 日本でも作りますかね、「日本トリプルクラウン」。ドーバー、津軽、佐渡辺りでいかがでしょう???

10月21日 無駄な時間

 今年3月9日の交通事故で骨折した右手中指は、半年後の9月の時点で完治はしていなかった。要するに中指はパーにしても伸びきらないし、グーにしても曲がりきらない状態だ。医師からは「症状固定(これ以上は治らない)」と断言され、「保険会社と話し合ったほうが良い」とアドバイスされた。
 たまたま今回の事故においては保険会社とのやり取りを私は弁護士に依頼し、円満な事故解決を願っていた。普通、症状固定の場合は「後遺障害」と呼んで、保険会社に損害賠償(慰謝料)請求をしなければならない。
 担当医からは「昔なら“後遺障害14級”くらい取れるのだが、最近は厳しくなった。まあ後遺障害の申請しても無理かも・・・」と言われた。だが実際に中指が動かない、痛むという実態はある。そこで弁護士に相談をしたのだが、結果的には“ダメ元”で申請はすることにした。
 弁護士は9月の下旬に私へ“後遺障害診断書”の用紙を郵送したらしいが、私の手元に届いたのは10月8日(火)だった。何だか最近、我が家は郵便事情があまり良くない。もう少し早ければ7日(月)に用紙を病院に持って行くことが出来た。何故ならば私の担当医は月曜の午後が診察日だからだ。
 翌週の14日は「体育の日」(祝日)で病院は休診。結局21日まで待つことになる。そして本日(21日)、用紙を持って病院まで出かけたのだが、、、、、、、、
 後遺障害診断書用紙と診察券を持った私と病院の受付嬢との会話
私「今回のケガで後遺障害の診断書を担当の先生に書いてもらいたいのですが、分かる範囲(住所、氏名など)でこの用紙に私が書いた方が良いですか?」
嬢「ああ、それはすべてこちらで書くので何も記入しなくて結構です。」
私「ああ、そうですか・・・」
嬢「こちら(別)の紙に住所、氏名、連絡が出来る電話番号を書いてください。」
私「わかりました。」
嬢「診断書が出来上がるまで2~3週間かかります。出来上がりましたら連絡しますので取りに来てください。」
私「えええ!? 今日、出来上がるのではないのですか? わざわざ担当の先生がいらっしゃる今日(月)まで待って持ってきたのに!!」
嬢「先生に診断書を書いてもらっても、その後にこちら(事務)でもやらなければならないことがあるので、今日中には出来上がりません。」
私「それでは月曜まで待った意味がなかったわけですね!?」
嬢「申し訳ないのですが、出来上がるまで2~3週間かかります。」(苦笑)

 3月9日の事故は土曜の深夜で、病院に行ったのは翌々日の月曜だった。現場検証をした警察官に「必ず診断書をもらい、それを警察署まで届けてください」と言われ、その場で書いてもらった診断書はその日のうちに警察署まで持って行った。だがあの日、「3月11日 病院」にも書いたが、私の中指の治療をしたのは外科の先生で、診断書を書いてもらうために午後に来る整形外科の先生を待った。そんな経験があるのでわざわざ“担当医の来る月曜の午後”にこだわっていたのだ。
 弁護士から診断書用紙が届いた段階ですぐに病院へ持って行っていれば、今頃は出来上がっていたかもしれない。そう思うとこだわって待っていた時間は何だったのだろうかと思う。
 最近、こちらが気を使って無駄な時間を過ごすことが多くなっている。何でだろうなぁ~?????

P1000461
2011年8月27日 ドーバー(イギリス)のビーチで結索(ロープワーク)を練習するキンちゃん
(指を使うのは、脳を活性化させる効果が期待できます)

トラジオンOB会

 伊豆大島の災害があって、大島まで、あるいは大島から泳いだ思い出を思い出していたら、もっと具体的に“昭和”の頃に泳いだ思い出を捜してみようと思いました。
 何故ならば10月27日に「トラジオンOB会」があって、“昭和”の時代のOBが集まるからです。
 ところが古い資料は全部処分してしまっていて、記憶も朧(おぼろ)になっているので図書館に行ってみました。何回か新聞に掲載させていただいていたので、その古い記事をコピーさせていただき、OB会でお披露目しようという考えです。
 何回かテレビにも出させていただいていますが、当時(昭和50年ころ)、我が家にはビデオもなくて、動画も残っていません。

 本当は“国立国会図書館”にでも行けばもっと資料も集まるのでしょうが、そこまでの時間もなく、近所の図書館で探しました。すると何件かの記事を発見!! さっそくそれをコピーしました。
 このブログでも公開できるかと思って図書館の係員に聞くと、やはり著作権の問題で、インターネットで流すのはNGだそうです。残念!!
 でも何だか自分たちの記事で、自分たちの写真が掲載されているのに、著作権は新聞社にあるのでしょうか? 何だか不思議。

 津軽海峡を泳ぐための「津軽海峡水泳倶楽部」を作って、去年は過去の津軽海峡を泳いだ新聞記事を捜しました。
 今年は海を泳いだ記事ばかりではなく、泳いだ人物を紹介する記事も多いのに気づきました。“ひと”とかのタイトルで紹介されています。

 そういえば先日、障害者専用のスポーツ施設でトラジオンOBのM君(健常者)と偶然に会いました。彼は今、障害者の移動介護従事者を仕事にしているようです。しかも現役のトラジオン生徒(重度知的障害)を介護している。。。。奇遇ですね。
 もちろんM君も小学校の頃トラジオンで海を泳いでいて、テレビにも出ています。(NHK教育「都会っ子、海に挑む」15分)
 他にもスイミングのコーチになったりスキューバダイビングのインストラクターになったりした者(これを私は「水商売」と呼んでいます)など、まさか私を見てではないのでしょうが、福祉関係や水商売で活躍しているOBが多いです。
 みんな立派になって!! そんなことを嬉しく思うのは年を取った証拠ですかね!!??!!

P7190241
2011年7月19日 タリファ(スペイン)のキンちゃん

10月17日 久々の3,000m

 最近は夏に比べてプールが空いてきましたね。とは言え、私の行くプールは完泳コースでだいたい夏で4~5名。それが最近は3~4名になった程度。まあ数字で言えば20~25パーセントが減ったわけですが、一コースで3名入っていたら、私が入ると4名になるのでやめておきます。
 そんな時は、子ども用プールに入ります。そう、私の行くプールには15m×3コースの子ども用プールがあって、コースロープは張っていないのですが、夜は子どもに付き添いが居なければ入って来られないし、入ってきても親同伴だから鬼ごっこのような動きが読めない遊びはしないし、だいいち空いているしね。。。15mしかないけれど、『25mプールでひしめき合っているよりもマシかな?』と思って、、、、、、

 昨日(16日)の完泳コースは2名だったのでいつものようにインターバルをやりました。そしてフリーコースでストレッチ。
 久しぶりに姿見が出来る大きな鏡の前で肩の動きを観察したのだけれど、相変わらず腕が上がるのではなく、肩で上げている。。。。。。。。きっともう癖になっていると思うのだけれど、左肩は痛いし腕だけで上げようとすると無理。。。。。。。
 だから泳ぐ距離は2,000mくらいで後はストレッチをやっている。

 ところがところが、今日はどうだろう。プールはガラガラに空いていて、一人一コースの割合。まるでプールが「泳いで、泳いで!!」と私に言っているようで、それはもうストレッチなんてさておいて、泳ぐは、泳ぐは!!!
 「気持ちンヨカぁ!」って感じで久しぶりにロングをやったよ!

 だけどそれも1時間くらいまで。徐々にスイマーが集まってきて一人で泳いでいたコースは3名になった。。。。。。ま、今ぐらいに来るスイマーは常連さんだから、一見(いちげん)さんが来た時のように泳ぎ難くはないのだけれど、『“気持ちンヨカぁ”を譲っても良いかな』と思ってフリーコースに移りました。

 一人で泳いでいる時は『今日は4,000mコースか!?』と思ったけれど、『そうそう、肩のストレッチもしなきゃ』と3,000mでやめておきました。

 でも一人で泳いでいる時は、ホントにほんとに本当に気持ち良かった!!!

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2011年 タリファ(スペイン)のキンちゃん

2005年10月18日 淡島~大瀬崎2-way

 資料が古いパソコンに残っているかもしれませんが、新しいパソコンで見つけることが出来ませんでした。詳細をご紹介することが出来ません。ごめんなさい。。。。。。

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今から泳ぎます!

 

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淡島のホテル前をスタート!

Pa180039
風が結構ありますね。

Pa180041
それでも元気よく泳ぎます。

Pa180043
大瀬崎を折り返します。

Pa180048
力泳

Pa180051
淡島を目指します!

 写真もあまり良いものが無く、枚数も少ないです。キンちゃんファンには申し訳ありません。(by トラ)

台風26号と伊豆大島の思い出

 ここのところ「数十年に一度」とか「百年に一度」とか「千年に一度」とか、そんな災害が多発しているように思います。今回の台風26号も「十年に一度」とかの台風だそうです。伊豆大島には大きな被害が出たようですが、皆様のお住いの場所はいかがですか? 伊豆大島の被災された皆様には心よりお悔やみ申し上げます。

 伊豆大島と言えば、伊豆下田から大島までは何回か泳ぎました。昭和51年には身体障害者のリレーで、昭和61年には身体障害者のソロで、それ以外にも泳いでいます。
 また平成12年ころには大島から房総館山まで泳ぎました。(失敗に終わりましたが)
 そんな思い出があるので他人ごとではありません。

 以前に「自分遠足」をしまして、それは一日でなるべく多くの乗り物に乗る企画です。
 東京から“新幹線”で熱海へ、熱海から“バス”で熱海港へ、熱海港から“高速船”で伊豆大島(元町)へ、元町から“タクシー”で空港へ、空港から“飛行機”で羽田空港へ、羽田空港から“モノレール”で浜松町へ、浜松町から“山手線”で東京へと、七つもの乗り物に乗りました。この時も大島に行ったのです。
 他にも何回か大島に行って楽しんだ思い出があります。

 被災された大島の皆様には早く日常生活が戻るよう、心よりお祈り申し上げます。

 話は変わりますが、10月15日の夜、知的障害者のための水泳指導者養成講習会は通常に開かれました。
 普段は電車で会場まで行くのですが、帰りに電車が止まったら困ると、私は自分のクルマで行きました。もちろん会場での出席率は50%。十年に一度の台風が近づいていましたからねぇ~。
 それでも来ていただいた受講生にはご苦労様でした。それにしても主催者側は日にちを変えるとか出来なかったのかなぁ~・・・。

ときめかないな・・・

 知的障害者のための水泳指導者養成講習会が開かれます。いちおう講師の私は久しぶりに教科書を作りました。
 まあ教科書といっても参考資料です。なぜならば受講生の多くは福祉施設に勤める人たちがほとんどで、知的障害の専門知識は彼らの方が多く持っていることでしょう。
 でも現場(プール)での指導経験は私の方が多いと思われます。そこで実際にあったエピソードなどをもとに、どのように対応したのかを書いてみました。
 その多くは失敗談ばかりです。上手くいった話も良いけれど、失敗は成功のもと、失敗談の方が関心持てるかな、と思ったのです。
 合計3冊作ったけれど、今、読み返してみるとちっとも面白くない・・・・・・・・・・。
 もうちょっと読み手の心ときめくような文章が書けないかな・・・・・・・。
 明日から講習が始まるけれど、、、、もちろん障害者と触れ合ったことがない人もいるし、、、、、、どうしよう・・・・・・。
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2007年10月9日 キンちゃん、地元の水泳仲間四人と淡島~大瀬崎を泳ぐ

2006年10月10日 淡島~大瀬崎3-way

<N先生とデュオ>
 天候はすこぶる良く、船の上は暑かったそうです。水温は23度。これも茹だるくらい暑かったです。
 最近はベタ凪が多く、晴れ女はN先生みたいです。

  • 1st leg 3時間50分
  • 2nd leg 3時間37分
  • 3rd leg 3時間38分
    合 計: 11時間05分

 すべて4時間を切ったのは新記録!
 N大先生は1st legと3rd legに1時間泳いで上がりました。
 今まで一人で泳いできましたがデュオは初めてで、N大先生は速いから私が足を引っ張ったかもしれません。でも私には海の上でのスピード練習になりました。
 結構2人で泳ぐのも良いですね。「また、私と一緒緒に泳いで下さい。」と頼みました。私にとって偉大な先生2人に囲まれ指導してもらい、優秀な船頭さんに誘導され貴重な1日でした。

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 おそらくカメラを忘れたのだと思います。写メで撮影した写真が2枚あっただけでした。キンちゃんファンの皆様には申し訳ありません。(by トラ)

ブログの文字を大きくしたい方へ

 「このブログの文字が小さいので見えずらい!!」とクレームをいただきました。
 今回は大きく太字で書いています。いかがですか? 読みやすいですか?
 でも普通の文字でも、「パソコンの文字を大きくする方法」があります、
 その方法は、、、、、、、、、

 お手元のキーボードの左下にある「Ctrl」(コントロール)キーを押しながら、マウスの真ん中にあるホイール(車輪)をクルクル回してみてください。

 先に送ると画面の字が大きくなっていきます。
 逆に手前に引くと字が小さくなっていきます。

 ぜひ試してみてください。

テスト
テスト
テスト
テスト
テスト
テスト
テスト
テスト
テスト
テスト

 上の字が読めましたか?

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2007年10月9日 キンちゃん、地元の水泳仲間四人と淡島~大瀬崎を泳ぐ

問題:この写真の中で、キンちゃんは何処にいるでしょう?

答:一番奥の黄色いスイミングキャップ

上向きになったかな?

 ここのところいろいろあってずっと凹んでおりました。考えてみるとトラジオンも私も厄年、それが原因かなぁ~?
 そんな中、超、ミラクル、ウルトラ、スーパーお姉さんのAkiさんから「トラジオン40周年」のお祝いをいただきました。
 超、ウルトラ、スーパー、ミラクル、メッチャ嬉しいです!!!!!!
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琉球泡盛の古酒(これからチビリ、チビリやります!!!)

 またスキー仲間からこれからやって来る冬に向けてのミーティングのお誘いがあり、新宿に出掛けてきました。何と酔っ払いになることが大好きな私に合わせていただいてビール専門店です!
 そしてなんと、カバン屋さんのダイちゃんからビールメーカーのベースボールキャップをいただきました!!!
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キリンビールのベースボールキャップ(帽子は大好きです!!)

 Akiさん、ダイちゃん、皆さんありがとう!!
 これから運気が上向きになるように、厄払いに行ってきます!!!!!!!
 あまりに嬉しいのでしばらくこのページをトップに飾っておくことにしますねぇ~!

追伸:
 クルマの運転中、ラジオから流れていました♪

 凹んだ私の気持ちを癒してくれましたよ。皆さんもいかがですか?

倉庫の引っ越し

午前中は台風22号の接近で大雨。『こんな時に引っ越しなんて嫌だなぁ』と思いつつも仕方が無い。
荷物をまとめ上げ、外に出るとあらラッキー!
雨は止んでいました。
そればかりではなく、空には虹が!
なんだか得した気分になりました。

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In Cold Water

マイク・ハンフリーズはドーバーで知り合ったアメリカ人男性。チャネル・スイマーで来日経験もあります。
その彼が本を書きました。タイトルは「In Cold Water」。
その中にはキンちゃんや私のことも書かれています。
出版されてすぐに申し込んでようやく我が家に到着!
トラジオンの誕生日プレゼントかな?

欲しい方はこちらからどうぞ!

トラジオン40歳の誕生日

 昭和48(1973)年10月1日、トラジオンスイミングクラブが誕生しました。当時、私は二十歳(はたち)で体育学科に通う大学三年生。元々は大学の卒業論文のためにスイミングクラブを作ったのです。
 多感な思春期を送る身体障害児に海を泳がせることによって、将来、社会に出たときに出会うであろう困難を乗り切る精神力を養うために行いました。水泳を通して目標を持つ素晴らしさ、苦難を乗り越えたときに味わえる達成感を知ってもらいたかったのです。
 ただ、当時は身体障害者が公共のプールに入ることも「危険」という理由でまかり通らない時代でしたし、実際、足や手がない子ども、奇形な身体をした子どもたちをプールに入れると、それまでプールに入っていた健常児たちは気持ち悪がって出て行ってしまう現状もありました。障害者に対する理解がなかったのですね。
 まあ健常児にとっては自分と違う身体をした障害児を見るのは初めてでショックだったであろうし、プールの水が媒体となって『うつる』という子どもらしい不安(実際はうつらない)があったのだと思います。それにまだまだ“障害者=日陰者の存在”というイメージがあったようにも思えます。それを打開するためにも海を泳ぐことによって“障害者でも泳げる”ということを社会に証明する必要がありました。
 身体障害児が海を泳ぐ企画を広くマスコミに周知し、スポンサーを捜し歩きました。ちょうどその頃、日本では“オイルショック”で大騒ぎしている時で、そうは簡単にいきませんでしたが、私にしては水泳以外の面で大きな社会勉強が出来たと思っています。今、思い起こしてもよくやっていましたね。きっと若かったので怖いもの知らず、無謀なこともへっちゃらで出来てしまったのでしょう。
 エッ、「卒業論文はどうしたか?」って、、、エッヘッヘ、、、担当教授の古橋先生(故古橋廣之進:元日本水泳連盟会長)から「これは論文ではなく、長い報告書だな」と言われ、追加論文を書く羽目になりました。成績は最悪。。。。。。。。。

 翌昭和49(1974)年8月、静岡県の初島から熱海まで身体障害児たちに泳がせたのですが、協力していただいた静岡県「福祉会」の方々も別チームとして泳いでいただきました。
 それは当時、人気のあったNHKの朝の情報番組、「スタジオ102」に紹介され、厚生省(現:厚労省)の政務次官室に招待され、次官には『障害者スポーツの発展』をお願いしてきました。
 当時、“障害者の水泳大会”の企画を役所に持って行くと、受付では「水泳大会だから社会体育課でしょう」と言われ、社会体育課に持って行くと「障害者だから福祉課でしょう」と言われ、福祉課では「水泳大会だから社会体育課でしょう」と、たらい回しをされた時代でしたからね。まだまだ障害者スポーツに理解がなかったのだと思います。
 実際、毎年行われる国体の終了後に、その施設を使って「全国身体障害者スポーツ大会」が開催されていましたが、「広く障害者にスポーツの機会を与える」という理由で、一度参加した障害者はもう参加できないルールになっていました。まだまだ“スポーツ優位”というよりも“福祉優位”というイメージが強く、『障害者スポーツとしては広く社会には知られるようになってはいない』と私は感じていました。
 ちなみに静岡県の福祉会では初島~熱海の遠泳を期に、翌昭和50(1975)年は熱海市の海を使って水泳大会を開催します。それは今で言う“オープン・ウォーター・スイミング大会”なのですが、それはその会でお終い。水泳大会は海からプールへと移りました。そしてそれは「静岡県身体障害者水泳選手権大会」となり、ひいては「日本身体障害者水泳選手権大会」と発展するのです。それは「一生に一度しか出られない」という“福祉優位”の大会ではなく、「速いスイマーは何度でも出られる」という“スポーツ優位”の大会として生まれたのでした。
 現在では「ジャパン・パラリンピック」と呼んで他のスポーツと統合され、パラリンピックに参加するための必須条件となっている大会もありますし、大小さまざまな水泳大会が開催されるようになりました。ただ各々の大会でその障害区分が「日本基準」とか「世界基準」とか少し複雑になり問題もあるのですが、水泳においてはその導火線の火付け役になれた企画を開催したことに私は嬉しく、誇りに思っています。

 障害者専用の施設においては昭和49年(1974)5月に大阪で日本初のスポーツセンターが誕生しました。その後、東京では昭和59年(1984)5月に多摩で、昭和61年(1986)5月に北区で生まれました。
 特に北区の「東京都障害者総合スポーツセンター」は、トラジオンスイミングクラブに近いので嬉しく思いましたよ。
 でもトラジオンでは「将来、社会に出たときに出会うであろう困難は何も障害者ばかりではなかろう」と、身体障害児ばかりではなく、健常児でも知的障害児でも大人、子どもの区別なく受け入れるようになります。そして広く海の泳ぎを周知するために「海峡横断泳実行委員会」を設立します。この実行委員会の事業は次の四つです。

  1. 遠泳フォーラム:学識経験者・海峡横断泳実施者に講演してもらって、海の自然を学習したり、体験談を聞いたりして知識を広める。
  2. 12時間泳大会:普段練習しているプールで12時間泳を行い、長距離泳を経験してもらう。
  3. 城ケ島ロングディスタンススイミング大会:実際の海、城ケ島一周(6km)を泳いで海の泳ぎを経験してもらう。
  4. 海峡横断泳の実施及びサポート:ドーバー海峡、津軽海峡など、海峡横断泳の実施及びサポートを行う。

 この事業は平成18(2006)年まで続けましたが、1、2、3の事業は幾多の理由があって現在は終了しました。現存しているのは4の“海峡横断泳の実施及びサポート”のみです。

 トラジオンスイミングクラブが誕生して10年、20年、30年の節目にいろいろと考えてきました。時代背景の中でどのようにトラジオンが変わってきたかを思い起こすと面白いのですが、それを紹介するのは別の機会にしましょう。取り敢えず40周年を迎え、ここまで続けてこられたことはひとえに皆々様のおかげです。感謝、感謝と多謝満載でここは終わりにしておきましょう。ありがとうございました。

 追伸:2020年に東京でオリンピック・パラリンピックが招致されました。大会名に「パラリンピック」が出るほど障害者スポーツが周知されたことだと思います。良い時代になりましたね。

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平成16(2004)年 第10回 城ケ島ロングディスタンススイミング大会

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