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トラジオン40歳の誕生日

 昭和48(1973)年10月1日、トラジオンスイミングクラブが誕生しました。当時、私は二十歳(はたち)で体育学科に通う大学三年生。元々は大学の卒業論文のためにスイミングクラブを作ったのです。
 多感な思春期を送る身体障害児に海を泳がせることによって、将来、社会に出たときに出会うであろう困難を乗り切る精神力を養うために行いました。水泳を通して目標を持つ素晴らしさ、苦難を乗り越えたときに味わえる達成感を知ってもらいたかったのです。
 ただ、当時は身体障害者が公共のプールに入ることも「危険」という理由でまかり通らない時代でしたし、実際、足や手がない子ども、奇形な身体をした子どもたちをプールに入れると、それまでプールに入っていた健常児たちは気持ち悪がって出て行ってしまう現状もありました。障害者に対する理解がなかったのですね。
 まあ健常児にとっては自分と違う身体をした障害児を見るのは初めてでショックだったであろうし、プールの水が媒体となって『うつる』という子どもらしい不安(実際はうつらない)があったのだと思います。それにまだまだ“障害者=日陰者の存在”というイメージがあったようにも思えます。それを打開するためにも海を泳ぐことによって“障害者でも泳げる”ということを社会に証明する必要がありました。
 身体障害児が海を泳ぐ企画を広くマスコミに周知し、スポンサーを捜し歩きました。ちょうどその頃、日本では“オイルショック”で大騒ぎしている時で、そうは簡単にいきませんでしたが、私にしては水泳以外の面で大きな社会勉強が出来たと思っています。今、思い起こしてもよくやっていましたね。きっと若かったので怖いもの知らず、無謀なこともへっちゃらで出来てしまったのでしょう。
 エッ、「卒業論文はどうしたか?」って、、、エッヘッヘ、、、担当教授の古橋先生(故古橋廣之進:元日本水泳連盟会長)から「これは論文ではなく、長い報告書だな」と言われ、追加論文を書く羽目になりました。成績は最悪。。。。。。。。。

 翌昭和49(1974)年8月、静岡県の初島から熱海まで身体障害児たちに泳がせたのですが、協力していただいた静岡県「福祉会」の方々も別チームとして泳いでいただきました。
 それは当時、人気のあったNHKの朝の情報番組、「スタジオ102」に紹介され、厚生省(現:厚労省)の政務次官室に招待され、次官には『障害者スポーツの発展』をお願いしてきました。
 当時、“障害者の水泳大会”の企画を役所に持って行くと、受付では「水泳大会だから社会体育課でしょう」と言われ、社会体育課に持って行くと「障害者だから福祉課でしょう」と言われ、福祉課では「水泳大会だから社会体育課でしょう」と、たらい回しをされた時代でしたからね。まだまだ障害者スポーツに理解がなかったのだと思います。
 実際、毎年行われる国体の終了後に、その施設を使って「全国身体障害者スポーツ大会」が開催されていましたが、「広く障害者にスポーツの機会を与える」という理由で、一度参加した障害者はもう参加できないルールになっていました。まだまだ“スポーツ優位”というよりも“福祉優位”というイメージが強く、『障害者スポーツとしては広く社会には知られるようになってはいない』と私は感じていました。
 ちなみに静岡県の福祉会では初島~熱海の遠泳を期に、翌昭和50(1975)年は熱海市の海を使って水泳大会を開催します。それは今で言う“オープン・ウォーター・スイミング大会”なのですが、それはその会でお終い。水泳大会は海からプールへと移りました。そしてそれは「静岡県身体障害者水泳選手権大会」となり、ひいては「日本身体障害者水泳選手権大会」と発展するのです。それは「一生に一度しか出られない」という“福祉優位”の大会ではなく、「速いスイマーは何度でも出られる」という“スポーツ優位”の大会として生まれたのでした。
 現在では「ジャパン・パラリンピック」と呼んで他のスポーツと統合され、パラリンピックに参加するための必須条件となっている大会もありますし、大小さまざまな水泳大会が開催されるようになりました。ただ各々の大会でその障害区分が「日本基準」とか「世界基準」とか少し複雑になり問題もあるのですが、水泳においてはその導火線の火付け役になれた企画を開催したことに私は嬉しく、誇りに思っています。

 障害者専用の施設においては昭和49年(1974)5月に大阪で日本初のスポーツセンターが誕生しました。その後、東京では昭和59年(1984)5月に多摩で、昭和61年(1986)5月に北区で生まれました。
 特に北区の「東京都障害者総合スポーツセンター」は、トラジオンスイミングクラブに近いので嬉しく思いましたよ。
 でもトラジオンでは「将来、社会に出たときに出会うであろう困難は何も障害者ばかりではなかろう」と、身体障害児ばかりではなく、健常児でも知的障害児でも大人、子どもの区別なく受け入れるようになります。そして広く海の泳ぎを周知するために「海峡横断泳実行委員会」を設立します。この実行委員会の事業は次の四つです。

  1. 遠泳フォーラム:学識経験者・海峡横断泳実施者に講演してもらって、海の自然を学習したり、体験談を聞いたりして知識を広める。
  2. 12時間泳大会:普段練習しているプールで12時間泳を行い、長距離泳を経験してもらう。
  3. 城ケ島ロングディスタンススイミング大会:実際の海、城ケ島一周(6km)を泳いで海の泳ぎを経験してもらう。
  4. 海峡横断泳の実施及びサポート:ドーバー海峡、津軽海峡など、海峡横断泳の実施及びサポートを行う。

 この事業は平成18(2006)年まで続けましたが、1、2、3の事業は幾多の理由があって現在は終了しました。現存しているのは4の“海峡横断泳の実施及びサポート”のみです。

 トラジオンスイミングクラブが誕生して10年、20年、30年の節目にいろいろと考えてきました。時代背景の中でどのようにトラジオンが変わってきたかを思い起こすと面白いのですが、それを紹介するのは別の機会にしましょう。取り敢えず40周年を迎え、ここまで続けてこられたことはひとえに皆々様のおかげです。感謝、感謝と多謝満載でここは終わりにしておきましょう。ありがとうございました。

 追伸:2020年に東京でオリンピック・パラリンピックが招致されました。大会名に「パラリンピック」が出るほど障害者スポーツが周知されたことだと思います。良い時代になりましたね。

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平成16(2004)年 第10回 城ケ島ロングディスタンススイミング大会

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