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わくわく、どきどき、台風の目。

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月の記事

生涯スポーツ

 今まで書いてきたように、ヒトは生まれてから亡くなる直前まで水泳を楽しむことが出来る。そこには障害の有無に関係なく、老若男女誰もが楽しめるスポーツとして、他のスポーツにはない水泳の特徴がある。
 歴史的に見ても水泳は狩猟、戦いの手段として生まれ、競技として発達してくる。昨今においてはスポーツやトレーニングとしては元より、レジャー、美容、健康、医療、リハビリ、教育、療育など、求められる範囲は大きく広がりつつあって、それは現在進行形でもある。
 幅と奥行きがさらに広がる水泳において、誰しもが気軽に手軽に楽しめるのだが、実を言うとハードウェアであるプールの設備が追い付いていないのが現状。ほとんどが競技用プール、レジャープールであって、昨今、ようやく「歩行用プール」が出来つつあるが、まだまだ足りない。
 もちろん現存するプールでも多岐にわたるニーズに対応するため、創意工夫しているのは認めるところだが、キャパシティに変化がないのでどうしても窮屈になる。だがこれらも徐々に解決していくことであろう。それを私は待つことにする。
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2011年7月 タリファ(スペイン)のアパートの屋上からジブラルタル海峡を望む。対岸はモロッコ(アフリカ)だ。(キンちゃん写真集より)

50代以降は

 「筋力トレーニングは80代であっても効果があった」と報告されている。つまり何歳になってもトレーニング効果はあると考えられる。ただしこれには“科学的裏付けのあるトレーニング”、“本人に適したトレーニング”が必須であって、ただ「やれば良い」ということではない。
 特に加齢はすべての機能において老化が進むので、スポーツを行うには充分なウォーミングアップ、クーリングダウンを欠かすことは出来ない。
 同時にスポーツは日常のストレスを解消する目的もあるので、大会などに参加してストレスを溜めるのはいかがなものかと考える。もちろん“楽しみ”として参加するのはまったく問題がないのだが、勝敗に拘ったりすると途端にストレスが溜まる。無理せず参加することが肝要であろう。

 自分の体力・体調と相談して無理のないスポーツを楽しむこと。そのためには日頃の運動(トレーニング)が欠かせないものとなる。良いトレーニングのポイントは、緩やかな運動を長めに行なうことである。
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2011年7月 風の名所、タリファ(スペイン)に並ぶ風力発電の風車(キンちゃん写真集より)

30~40代のスポーツ

 ヒトの成長はすべてが並行して発達するのではなく、特に“10歳児”は“二十歳(はたち)”の成人の至った発達を100パーセントとすると、神経系は80パーセントと早熟で、筋力系は50パーセントと晩熟だ。つまり10歳児の特徴は二十歳の成人と比較して「動きは良いが、力はない」ということが出来る。まあヒトの成長(発育・発達)は各々にバラつきがあると言いたいのだ。
 ただたまたま10歳児を二十歳の成人と比較するために“成人の至った発達を100パーセントとすると”と書いたが、あくまでもこれは“仮定”であって、二十歳までで成長過程のすべて「ピーク(100パーセント)に達した」というわけではない。
 成長のピークはバラつきがあって、二十歳前にピークに至ってしまうものから30代になってもピークに達しないものもまである。まあ個人差はあるものの、相対的には「25歳がピーク」とは前にも書いたとおりだ。
 ただ、やはり30代になると幾多の面で老化が始まる。ところが社会的に見ると結婚、出産を迎え、仕事が多忙になる。さらに40台になると老化は進み、いろいろと自覚症状も出てくるが、社会的には子どもの成長、会社での中間管理職など、責任と多忙で必要なスポーツからさらに遠くなる。

 厚労省が行った調査(2006)の結果、どの世代も20 年前に比べ、一週間のスポーツをする時間が顕著に長くなっていることがわかっている。さらに30〜40 代の男女に比べ、60 代の男女の方がスポーツをしている時間が長いことが明らかになった。男女30〜40 代には、定年後の60 代に比べ、一日を仕事の時間で占める割合が多く、運動を行う時間を確保することの困難が原因として考えられた。

 過去のスポーツ選手が引退すると、運動は少なくなるのに食欲は変わらない。という現象が現れる。かくいう私も現役の頃は60㎏、40歳の頃は80㎏近くまで増えた。現在は70㎏前後で推移しているが、「年を取ったら少しメタボ気味の方が良い」と聞いているのでそのままにしている。だがもうちょっと減らした方が良いかな???
 いずれにせよ「メタボ」は成人病予備軍の中に入る。ただスポーツの種目によっては体重が優劣になることもあるので医療面とスポーツは分けて考えなければならないが、「スポーツ中心」として考えるのは現役の頃で、引退後は「医療」という考え方をプラスした方が得策であろう。
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2011年7月 ジブラルタル海峡リレー横断泳(キンちゃん写真集より)

オリンピック選手の平均年齢

 スポーツ選手には身体的、精神的に最も充実した絶頂期がある。その絶頂期は一流であるなしにかかわらず、一般のアスリートでもほぼ一致する。そこで絶頂期の平均年齢からスポーツ種目の特徴を考察した。

 水泳の場合、2008 年には男子22.8±1.7 歳、女子22.0±3.0歳と出ているが、1992 年大会以降、男女ともに平均年齢が顕著に高くなっている。したがって水泳競技の場合、20 代前半が絶頂期と言えるだろう。
 いろいろな競技を大きく分けて平均年齢が10 代〜20 代前半、20 代後半〜30 代以降と二つに分類した結果、平均年齢が低い競技は、体操、新体操、水泳、フィギュアスケート、陸上短距離などであり、平均年齢が高い競技はゴルフ、陸上長距離などであった。
 その中でも平均年齢の低い競技と高い競技の共通点を調査した結果、平均年齢の低い競技は、関節や身体全体の高い可動性が必要であること。平均年齢の高い競技では、技術とともに経験が大きく求められることなどが考えられた。
 このようにそれぞれの競技に必要な能力の優先順位によって、その競技の平均年齢にも大きな影響を与えることが明らかになった。しかし大半のスポーツの平均年齢は25 歳前後であることも明らかになったことから、20代は「そのヒトの一生の中で心身ともに最も充実したパフォーマンスを発揮できる年代」ということが出来る。そしてこれは一般のヒトにも同様であることが言える。
 ただ10代、20代、30代でオリンピックメダリストを調査した結果、個人差はあるもののどの選手にもそれぞれの年齢に適したトレーニングを行い、高いパフォーマンスを維持することでメダルに繋がったと考えられた。
 したがってどんな年代であっても適したトレーニングが選手寿命を延ばすと考えられる。実際、どの競技も一流選手の低年齢化と同時に競技寿命の長期化があることも事実で、トレーニング方法や技術の向上によって、その競技の平均年齢が変動する可能性は大きいと考えられる。10 年後、20 年後に同じ調査を行ってみるとまた違った結果がでるかもしれない。ただこれも個人差があり、一概にこの考えが全ての場合に通用するとは言い切れない。

 オリンピック選手の中には“中学生”という特別な例もあるが、普通は青年期が終了した18歳くらいからになる。本格的トレーニングの開始はこの頃からで、“スポーツ学習”というよりも“トレーニング”がメインになる。ただ水泳年齢が低いのは、「ゴツゴツとした身体より、丸い体系の方が水の抵抗が少ないからだろう」という説がある。が、この説に科学的裏付けはない。
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2011年7月 ジブラルタル海峡の日の出(キンちゃん写真集より)

青年期

 青年期とはヒトが子どもから大人に変わるころを言う。

<青年前期(身体変化)>
 代表的なもので女の子なら“初潮”、男の子なら“変声”を経験する。経験年齢は女の子が12歳で、男の子は14歳が最も多く、女の子の方が少し早い。だがこれには“個人差”が大きいので注意を要する。(後述)
 いずれにせよ身長が伸びるピークが終わったころに現れ、これを経験すると女の子なら体型がふっくらと丸く女性らしくなり、男の子は骨格筋が発達して身体がゴツゴツと男性らしい体型になる。いわゆる“横”の成長が始まるのだ。
 トレーニングの開始はこの頃からで、それでもスポーツ学習が半分、トレーニングは半分以下に抑えるべきである。

<青年中期(自我の目覚め)>
 「喜怒哀楽」とはヒトが生まれてからすぐに発達するさまざまな感情である。子どもの頃はこの感情に支配されているが、15歳くらいになると“自我の目覚め”からこの感情をコントロールしようとする心理が生まれる。
 例えば駅の階段で滑って転んで痛いのに、痛そうな顔をするのが“恥ずかしい”と思い、「笑ってその場を過ごす」というような行為だ。この“恥ずかしい”が本来の喜怒哀楽の感情表現をコントロールしているのだが、スポーツ学習の上では往々にしてこの心理が邪魔をする。(後述)
 ちなみに本来、ヒトにある喜怒哀楽のような感情を私は「セルフ1」と呼んで、そのセルフ1をコントロールする心理を「セルフ2」と呼んでいる。セルフ2が誕生すると常に自分自身を客観視しており、他人から見られた自分自身をも意識するようになる。つまり“おしゃれ”や“格好”を気にするようになる年齢だ。ただしセルフ2はそのほとんどが“否定的”という特徴がある。
 子どもの頃の“将来、なりたい職業”も「ケーキ屋さん」とか「プロ野球の選手」といった夢物語のようなものではなく、客観的に「自分とはこんな存在で、こんなふうに生きていこう」(自分らしさ・アイデンティティとも言う)というテーマに着手し始め、選択職業も具体的になる。ただこれは難問で、これから先もこのテーマはずっと続くことになる。いわゆる“青春のモジャモジャ”が始まる年代なのだ。
 この頃に「何かに熱中できるもの」があると良い。その“熱中できるもの”を通していろいろ学習し、自我への確立につながるからだ。
 いずれにせよ“自我の目覚め”は自分にばかりではなく、それまで『偉大だ』とか『絶対だ』と感じていた両親や教師が『それほどでもない』と気付くようになる。そしてそれまでの価値体系を拒絶,否定,無視,激しい怒りの感情を表出したり,破壊的・暴力的な行動をひきおこしたりすることが目立つ時期、いわゆる“反抗期”へと移行する。
 一般的に反抗期は“困り者”の代名詞のように扱われるが、心理学上では「人間の成長・発達過程には,いずれも自我意識の発達に伴う自立・独立の欲求の高まりがその背後にある正常な現象であり,人格発達上重要な意義をもつもの」とされている。

<青年後期(社会)>
 社会が「もう子どもではない」と認め始める時期だ。16歳でバイクの免許が、18歳でクルマの免許が取得できる。そして成人式が「大人」として認める。

<思春期>
 ちなみに“青年前期”、“青年中期”をひっくるめて「思春期」と呼び、心と身体に大きな変化がある。ただしこれには“個人差”が大きいので注意を要する。特に知的障害の場合、「セルフ2が生まれない」(重度)、あるいは「生まれても深さがない」(軽度)ことが多い。

<青年前期のスポーツ>
 仮に同じ「中学二年生」としても身体の成長に大きな個人差がある。片やまだ“子ども”でも、一方ではもう“大人”というケースがあって普通の年代だ。それでも「同学年だから」という理由で同じスポーツ内容を行うのはいかがなものだろうか。
 スポーツ、特にトレーニングは医療の“薬”にも似て有効に「適量」がある。運動強度が強すぎても弱すぎても効果は半減するし、時として逆効果も生まれかねないので要注意である。

<セルフ2について>
 青年期で生まれた“セルフ2”は、ヒトがスポーツをしている間のほとんどに現れ、自分自身に話しかけている。例えば水泳なら“スタートが遅れた”、“タイミングが合わない”、“ターンを失敗した”、“足がつりそうだ”、“どうしよう困った”、“ああまた失敗した”、“下手クソ”、“恥ずかしい”、“情けない”などなど。泳いでいる間、片時も休むことなく自分に話しかけてくる。その否定が水泳を楽しめないようにし、泳ぎを消極的にする。
 セルフ1でスポーツが出来た子どもの頃は全身でそのパフォーマンスを楽しんでいるので自分を否定しないし、上達が楽しいので積極的になる。否定の原因となる評価、結果の予測、失敗の恐れがないからスムーズな運動が出来る。結果や勝敗を考えないで泳ぐことが出来るからだ。結果は後から付いてくる。
 セルフ2対策としてはセルフ2を消すことだ。

<セルフ3>
 昔の私ごとで申し訳ないのだが、学生時代、レースに参加して“無心になれた”ことがある。もっと言うと頭が真っ白になって真空のようになってしまったのだ。それは何回か経験しているのだが、どのようにすればそうなるのかはわからない。だが無心になったときの成績は良かった。
 水泳指導員になっていろいろ考えて結論づいたのは“セルフ3”だ。セルフ3はセルフ1やセルフ2をコントロールする自分自身。
 セルフ1は生まれてすぐに誕生する感情。セルフ2は思春期に生まれ、セルフ1をコントロールする心理。これは正常な成長と共に誰もが発達する。しかしセルフ3は誰しもに生まれ、発達する意識ではなく、自分で気づき、鍛えないと生まれてこない。いわゆる“修行”が必要なのだ。
 ある意味、この修業は無意識にやっている方もいて、“セルフ3”という意識はないかもしれないが、あきらかにセルフ1、セルフ2をコントロールしている。よくよく観察していると、一流のスポーツプレーヤー、一流の芸術家に多い。
 日々、このセルフ3で水泳指導をしたいと考える私だが、まだ修業が足りないのであろう、なかなか思うように水泳指導が出来ない。
 この話も面白いのだが、長くなるので別の機会にしよう。

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2011年7月 スペイン、タリファのビーチにて(キンちゃん写真集より)

子どもの身体特徴

 子どもは大人の小さくしたものではない。走行が可能になる幼児期に、「10秒の全力疾走をさせるとオリンピック陸上100m走選手とほぼ同じ歩数の40歩を走る」と前に書いた。しかし実際のスピードはまったく違う。それはストライドが全く異なるからだ。
 仮にある短距離選手が100mを10秒、40歩で走ったと仮定する。すると平均時速は36kmで、1歩の平均距離は2.5mになる。幼児はこの4分の1から5分の1程度。つまり10秒での歩数は同じでも、距離は20~25mしか走れない。これは“力”がないからだ。
 10歳の子どもの50m走全国平均は約10秒で歩数は40歩と変わらないから、計算上ではオリンピック短距離走選手の半分。もっと言うと、10秒で40歩走れる=神経系は早熟型。歩数は同じだがスピードはない=筋力系は晩熟型となる。
 実際、二十歳(はたち)の成人で「発育・発達が100パーセント完成した」と仮定して、10歳の児童では神経系が80パーセント、筋力系では50パーセントほどの完成度しかない。つまり10歳児童の特徴は二十歳成人と比較して、“動きは速いが力はない”ということになる。
 したがってこの頃の運動は神経系の発育期であるから、バランスや俊敏性、感覚など、遊びの中から経験する例えば水泳、スキー、自転車、野球、テニス、サッカーなど、いろいろなスポーツが良い。ただし“遊びだから”と言っていい加減でも良いのではなく、これからの“基礎”となるのでキチンとしたスポーツ学習をしてもらいたい。
 逆にやってはいけないのが一種目のスポーツに偏ること。水泳の世界で言うと、10歳くらいの児童に大人顔負けのトレーニングを行っていることを時折見ることがある。トレーニングは筋力の発達する青年期からで充分。TV漫画「巨人の星」の“大リーグボール養成ギブス”なんてとんでもない話なのだ。
 ↑これを読んで「あはは」と笑った貴兄、プールに行くと「星飛雄馬の父?」と勘違いするご両親は意外に多いのですよ。子どもは同年代の子どもに比較して筋骨隆々。子どもらしい体格ではないのです。確かにその時は速くなるでしょう。でもね、スポーツの成熟期は“大人”です。その成熟期にピークを持っていくことがもっと重要な気がするのですが、どうなんでしょうね。

 そうそう、上記以外に子どもの発育・発達は体格。「第一次成長期」、「第二次成長期」でご存知と思うが、体格の成長には波があるのが特徴。いずれにせよこの頃は俗にいう“縦(身長)”の成長期。“横(力)”の成長期は青年期以降になるので慌てることはない。
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タリファ(スペイン)のビーチ(キンちゃん写真集より)対岸にモロッコの山が見える

幼児の遊び

 幼稚園のお遊戯室にお邪魔して、子どもたちの“遊び”を観察しているのはおもしろい。元気な子どもたちが思い思いの遊びに興じている。しかしよくよく眼を凝らして観察すると、ある特徴が発見できる。

<年少さん(3~4歳児)>
 年少さんの遊びの特徴は“一人遊び”だ。積み木やお人形、お絵描きやおもちゃなど、一人で遊んでいる。もちろんお遊戯室にはほかに友だちもいるし先生もいる。同じ部屋で何人もの幼児が遊んでいるのだが、内容は“一人遊び”なのだ。

<年中さん(4~5歳児)>
 年中さんになると“対人遊び”が出来るようになる。「ジャンケン」など、勝敗のルールを覚えるのもこの頃だ。遊びの動きも大きくなって、かなり動的な遊びを好むようになる。子ども向けTV番組の「○×レンジャー」のヒーローになりきってしまうこともよくある。

<年長さん(5~6歳児)>
 年長さんになると“グループ遊び”が出来るようになる。「鬼ごっこ」など、“ルール”が存在する遊びをするようになるのだ。つまりイメージの共有、役割の理解と判断など、より高度な遊びを好むようになる。初歩的なスポーツに対する動機づけに良い年齢と言えるだろう。

 ちなみに知的障害児の水泳教室で、知的レベルを判断するのに私は「ジャンケン」をよく使う。ジャン、ケン、ポンは、リズムが良いので比較的、反応してくれるのだ。

  • 反応が無い場合は1~2歳程度の知的レベル(最重度)
  • 反応があっても勝敗が理解できない場合は2~3歳程度の知的レベル(重度)
  • ジャンケンの勝敗が理解できる場合は3~4歳程度の知的レベル(中等度)
  • 条件付きジャンケンが可能な場合は4~5歳程度の知的レベル(軽度)

 この“条件付きジャンケン”にもレベルがある。まずは簡単なものから

<逆ジャンケン>
 ご存知「負けるが勝ちよ、ジャンケンポン!」と言うやつだ。要するに勝敗が逆になる。

<答えジャンケン>
 「今からジャンケンするよ。グーを出すからね。みんなは勝ってよ」と言ってジャンケンポン。もちろん私はグーを出す。ほとんどの子どもはパーを出すが、中には“グーと言うのは嘘かも”と思う知恵者がパー以外を出す。しかし何回かやって私が裏切らないことを知ると、ほとんどの子どもが勝てるようになる。

<グー、ナシ、ジャン>
 これは“グー”が無いのだ。「グーが無いからね。ちゃんと勝ってよ」と言い、少し時間を与える。チョキとパーしかないから勝つには(答えは)チョキだ。もちろん私はパーを出すが、“グーを出してはいけない”というルールがわからない連中はグーやパーを出す。

 障害者スポーツ指導者養成講習会で「知的障害の水泳指導」の担当講師をしている私はよくこのジャンケンを講習中に行なう。すると一般(健常)の受講生でもよく間違える。知的レベルが低いのかな??
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タリファ(スペイン)のビーチ(キンちゃん写真集より)対岸はアフリカ大陸(モロッコ)

三つ子の魂百まで

 海の水泳を題材にしているこのブログだが、“水泳指導”という仕事柄、ヒト(子ども)の成長には大きな興味がある。特に障害児を相手にするとき、“成長”というのは大きな課題でもあって、多くの場合は健常児の成長と比較することで多くのヒントが発見できる。そのヒントは水泳指導に役立つのだ。ちょっとそんな世界をご紹介したいので、お付き合いいただければ幸いだ。
 まあ「子どもの成長」と言ってもどの視点から述べるかで大きく違ってくるのだが、たまたま“水泳”=“スポーツ”という立場から、子どもの運動特性、そして身勝手ながら私の興味を持ったモノを簡単に考察してみたい。

<歩行・言語>
 ヒトが生まれてから歩くようになるまで、約12ヶ月の時間が必要だ。言語においては、「言葉」として認められるようになるには歩くようになった(12ヶ月)以降に発達する。その過程は次のようになる。()内は支配する器官(主に脳)

生後

  1. 約1ヶ月:手足をバタバタ動かす(延髄と脊髄)
     産声と泣き声
  2. 約2.5ヶ月:うつ伏せや腹這いが出来る(脳橋)
     危険に反応して生命維持の泣き声をだす
  3. 約7ヶ月:這い這いが出来る(中脳)
     意味のある音声を発する
  4. 約12ヶ月:ヨチヨチ歩きが出来る(発生期皮質)
     2語の単語を自発的に意味をもたせて使える
  5. 約18ヶ月:しっかりとした歩行(ヨチヨチ歩きではない)ができる(原始皮質)
     単語10~25語と2語から成る文や句を理解し、話すようになる。
  6. 約36ヶ月:歩行、走行が可能になる(初期皮質)
     単語2,000語と簡単で短い文を理解し、話すようになる。
  7. 約72ヶ月:一貫して脳の優勢半球と対応する側の脚を器用に使う(成熟皮質)
     完全な語彙と適切な文構造を身につける

 歩けるようになるまでの12ヶ月で、特筆すべきは支配する器官が各々に別々であるということだ。ところが別々であるにもかかわらず関連性があって、どこかに問題があると他は正常であっても歩くようにはなれない。
例)脳橋に問題があってうつ伏せや腹這いが出来ないと、中脳や皮質が正常であっても這い這いは出来ないし、歩けるようにもならない。

 言語においては皮質が支配している。したがって皮質に何らかの問題があると、「あー」、「うー」など、音声としては出てきても言語にはならない。

 さて、ちょっと話を変えて、皆さんはオリンピック陸上競技100m走をご存知であろう。男子なら100mを約10秒で走ってしまう。そこで問題。ロンドンオリンピック (2012年) 陸上競技、男子100m走で優勝したジャマイカのウサイン・ボルト選手に全力で10秒走ってもらったら、いったい何歩になるでしょう?

 答えは約40歩

 次の問題。幼稚園年少さん(3~4歳児)女の子に10秒間を全力で疾走してもらったら、いったい何歩になるでしょう?

 答えは何と約40歩

 そう、ウサイン・ボルト選手も年少さんの園児でも、10秒間で走る歩数は約40なのだ。
 逆に言えば3歳児(36ヶ月)で脳は成人の80パーセントまで完成し、それから先の人生の性格や能力を決定する。つまり「三つ子の魂百まで」は正しいと言えるのだ。
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タリファ(スペイン)のビーチ(キンちゃん写真集より)

可愛かったじゅんこさん

 先日、2006年11月3日の我らが“親父バンド”ライブの写真を眺めていたら。その時のじゅんこさんの写真を発見!!
 今よりこの時の方がポッチャリして可愛かったなぁ~・・・。
 女性が太ってもいないのに「ダイエット」と言って痩せたがる心理は理解できない。

 今日も腰が痛いのでブログはお終い!
 (ああ、痛ぇ~~・・・)

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2006年11月3日のライブから ポッチャリして可愛かったじゅんこさん

9月19日 腰痛で1,600mだ。

 「首を寝違える」というのはたまに聞く話だが、どうも“腰を寝違えた”らしい。今日の練習は1,600mで終了!
 腰が痛いのでブログもこれでお終い!
 (誰だァ、喜んでいる奴は!!!)
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2011年7月31日 モロッコ、タンジェのビーチ(キンちゃん写真集より)

スイミングクラブの歴史

 1964年、日本で東京五輪が開催された。これを期に我が国のスポーツに対する認識が大いに変わったと私は思っている。東京五輪前の日本人スポーツ認識は、いわゆる“勝つ”ことを目的とした「チャンピオンスポーツ」だ。それに対する五輪後の認識は「大衆スポーツ」になった。その代表が“ママさんバレー”や“スイミングクラブ”の誕生だ。
 ここでは“スイミングクラブ”のみを取り上げて話を進めよう。
 もともとスイミングクラブは東京五輪で日本の“お家芸”であった「競泳競技」の不振だった反省から、1965年に誕生した。初期は全国の有望選手、特に子どもの英才教育を施すことを目的としており、「(①)競泳用プールで競泳の泳法を教え、トレーニングを行う組織・施設」を指していた。
 ところがこれに人気が出て当初のスイミングクラブでは入会希望者で溢れた。そこに着目した民間企業が営利目的としても成り立つだろうと開催をすると、それは大当たりで全国に民間のスイミングクラブが爆発的に誕生した。

 1970年ころになると、スイミングクラブには子どもの入会希望者で溢れ、“入会待ち”をした子どもも少なくない。この頃に子どもだった方々は、ご記憶にある方もいるであろう。

 ところが1980年ころになると、「シンクロナイズドスイミング」の誕生を筆頭に、いわゆる「(②)競泳目的以外の水泳」、“ニュースポーツとしての水泳”が多く生まれるようになる。(まあ私としては「遠泳」と聞くと古来の“日本泳法”にもあるように、隊列を作って「エーンヤコ~ラー!」などと大声を出しながら海を長く泳ぐ水泳をイメージされがちだが、海峡横断泳など、いわゆる“ハードな達成目的”とした水泳をこの中に入れたい!)

 1990年ころは「(③)健康志向の水泳」の時代になる。つまり水泳が“老若男女、誰もが楽しめるスポーツ”として普及され始め、それこそ「ゆりかごから墓場まで」ではないが、マタニティスイミング、ベビースイミングから大人向け(高齢者を含む)のマスターズスイミングまで、つまり“生まれる前からこの世を去る直前まで”をシェアに入れるようになる。
 特に国(厚労省)においては増大する“医療保険費用”の改革で、上昇をできる限り抑制するため取り組みが必要となった。その取り組みのひとつとして病気と健康の境にいる“病気予備軍”に対し、健康に引き戻すための手段が“保険適応”となる。つまり病気になってからの高額な保険料に対し、安い保険料で病気にならないようにする方が得策という考えだ。
 そこで生まれたのが「健康運動指導士」。医師の処方箋をもとに指導すると保険料で賄えるのだが、その療法の中で“水中運動”に大きな成果が期待されている。
 他にも水泳を除く水中トレーニング、ケガをしたスポーツ選手のリハビリ、高齢者向けの水中歩行、健康目的としたアクアビクスなど、何と健康、医療を目的とした「泳がない水泳」が誕生するのだ。

 2000年ころになるとかねてからの社会問題になっていた「少子化」がスイミングクラブ経営にも圧迫をし始める。一般社団法人「日本スイミングクラブ協会」でもこの対策として「もはや子どもを対象にしている時代ではない」と言い始め、特にこれから増加するであろう“団塊の世代”の退職に着目し、対象を「(④)大人の水泳」にシフトするようになる。

 2010年ころになると「高齢化」が社会問題になって、スイミングクラブでもこういった高齢者に対する「福祉対策」として更衣室やプールなど、施設・設備で改善が必要となってくる。まあ更衣室においては以前にこのブログにも紹介した「プール更衣室への提言」にも書いたが、今のところ日本でこのようなプール更衣室を見たことはない。
 いずれにせよ水泳の範囲は「(⑤)福祉の水泳」と範囲を増やすのだ。

 まとめてみよう。

    ① 競泳用プールで競泳の泳法を教え、トレーニングを行う組織・施設
    ② 競泳目的以外の水泳
    ③ 健康志向の水泳
    ④ 大人の水泳
    ⑤ 福祉の水泳

 スイミングクラブ誕生は“競泳目的”だった。その後、爆発的にスイミングクラブが増えると、子どもにはいわゆる“お稽古ごと”として広がるようになる。
 その後、競泳目的以外の水泳が生まれ、“水泳枠の広がり”を見るようになる。加えて日本国民の健康志向から医療やリハビリ、生まれる前からこの世を去る直前まで、泳がない水泳までが誕生し、“対象枠の広がり”はさらに大きくなった。施設も「競泳用プールだけ」では済まされなくなってきた。
 社会の流れは少子化、高齢化が大きな社会問題になって、スイミングクラブではこれに対応すべく動きを見せ、“奥行きの深まり”が感じられるようになった。

 このように水泳に期待される枠は立体的な広がりを見るようになるのだが、これに対応すべくスイミングクラブはまだまだ追い付いていないのが現状だ。そこには水泳指導員に要求される負荷も大任になるし、施設・設備の面も追い付いているとは言えない。
 同時に社会ではスポーツやレジャーの広がりから、その中で「水泳」を選択するユーザーの減少も大きな問題となっている。したがって施設ではプールのみではなく、トレーニングジムの増設など、単一施設から総合施設へと変貌も見せている。
 まあ増設可能な大きな資本がある企業なら可能だが、小さなスイミングクラブでは対応できない。
 また同時に国(文科省)でも“スポーツ振興くじ(サッカーくじ)”の収益から総合スポーツ施設の増設を考えており、すでに青写真は完成している。

 まあ、ますますトラジオンのような弱小スイミングクラブは生きにくくなっていくのだ。

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2011年7月27日 スペイン、タリファのビーチ(キンちゃん写真集より)

2006年10月15日 くじけない心(トラ)

 先日、キンちゃんが卒業した中学校からキンちゃんへ「ドーバー海峡や津軽海峡を泳いだ話から“くじけない心”をテーマにした講演を全校生にして欲しい」と頼まれ、その「構成や内容を考えて欲しい」とキンちゃんから私へ依頼があった。それを聞いた途端、「くじけても良いんじゃないかなぁ~、人間だもの・・・」と即座に答えていた。「とにかく頼む!」と言うことで引き受ける羽目になったが、まあ「文科省のお偉いさん(?)、学校長(?)、担当の教員(?)は多感な中学生を理解しているのか?」と疑いたくなるようなテーマなので、「目的を持って」と言うタイトルに変えさせてもらった。が、その後ちょっと考えて主題は「ドーバー2-wayを目指して」とし、副題を「目的を持って」にしてもらった。

 内容はキンちゃんがドーバーを目指すようになる経緯や失敗談から始まり、現在に至るまでの過程、これからドーバーを目指す気持ちなどで締めくくった。まあお決まりのドーバー海峡の位置や気候から始まり、過去、現在、未来と行く中で、潮流や海流を科学的メスで解説した文章も入れたが、キンちゃん自身が「理解不能!」と言うことで却下。まあ相手が中学生なので、英語や日本語、化学や物理、数学(却下)、地理や歴史、社会なども取り入れ、バラエティ豊かに幅と奥行きを持たせたつもりだ。特に最後は世相風刺として現在の日本社会が取り巻くオーシャン・スイマーの現状を、柔らかい頭の中学生に聴いて欲しかった。が、現実は講演時間がなくなり、これは話さずに終わってしまったのが残念だった。

 後々中学生から感想を聞くと、「駄洒落があって面白かった」とか「身体全身で表現して面白かった」など、まあ“ゴマすり”もあるのだろうが、好評だったことはホッとした。取り敢えず駄洒落は私得意の“親父ギャグ”なのだが・・・。
 この講演終了後の質疑応答で女子中学生からこんな質問があった。「私はいろんなことをやってもすぐにくじけちゃうんですが、どうやったらくじけないようになりますか?」 このような質問が中学生の方から出るのは良い。しかし教員側から作ったような「くじけない心」は良くない! てっきり私は「前を見てはいけない!」みたいなことを答えるのかと思ったら、キンちゃんの「一度息を抜いて頑張るのをやめ、また0(ゼロ)から始めなさい。」との回答で驚いた。この回答に校長先生も絶賛で、私もそう思った。頑張るのは良くない。日本人は頑張りすぎだと思う。

 日本のスポーツマン、特にプロスポーツでもインタビューに「頑張ります!」の答は何とかならないものかと思ってしまう。プロなのだから頑張るのは当たり前! もう少し建設的な意見は言えないものなのだろうか?
 その点、野球のイチロー選手やゴルフの宮里愛選手、サッカーの中田選手などはしっかりとした考えと意見を持っているので安心する。プロスポーツばかりではなく、アメリカなどでは街頭インタビューでも一般の人々がしっかりした考えや意見を持っているのに驚かされる。そうかと言って私に街頭インタビューのマイクが回ってきたらちゃんと答えられるか自信があるわけではないのだが、自分の意見や考えなどはしっかりと持っていたい。

 中学の頃に結成し、かれこれ40年も続いているバンドに私も入っている。今度は11月3日にライブがあり、その練習が最近頻繁にある。まあビートルズやベンチャーズ、加山雄三が中心だったバンドも、最近はジャズに変化しているから時の流れを感じる。いずれにせよライブでは同世代が集まるからそれに合わせてビートルズやベンチャーズ、加山雄三が演奏ジャンルになるのだが、我らがバンドは「40年来誰も減っていないし増えてもいない」、と言うのが唯一の自慢のへっぽこバンドである。

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11月3日のライブ

 中学卒業のときからそれぞれの人生に切り替えられ、それでもそれぞれの視点で屈託の無い会話が出来るのは嬉しい。自分の意見や考え、彼らの意見や考えが楽曲の話の合間によく出る。お互いが損得ないし、昔から知っているので、まあ「褒める」ことは決して無いが、「けなす」ことばかりでよくも40年も続いている。お互いに遠慮容赦はしないが、どこかで理解しあって重要なヒントがよく出されている。私にとっては大事なバンドなのだ。ちなみに私はベースを担当している。「オレのことを“ベーシスト”と呼べ!」と叫んでいるが、誰もそう呼んでくれたためしは無い。

 現在はドラム担当が「ドラムスクール」に通っている。ギターとボーカルは一時プロになったが今やコンピューター会社の社長と八百屋の親父である。「おい、お前もベーススクールに通って来いよ!」とはみんなによく言われることだ。なぜなら高校、大学と私はスポーツに没頭し、あまりバンド練習には参加していなかった。しかし今もベーススクールに通えるほど時間はあまり無い。そろそろ時間を作らないと・・・。
 いずれにせよバンドの連中は“お人よし”だから「やめろ!」とは言わないし、そんな彼らに甘えながらバンドのレベルを私が足を引っ張るのも許してくれている。(ホントは許されていないが・・・)

 バンドでも遠泳でも「頑張らない」が「くじけない」に通じていると思う。だから私は水泳指導でも頑張らない。いつだか水泳雑誌の取材で私の教室を記者が観に来た。私の指導は「飴」でも「鞭」でもない。生徒の口の前においしい「水泳(環境)」をそっと置くだけだ。すると彼らは自分からパクついてくる。それだけなのだ。そんな姿を記者は「マジック」と呼んだ。少し嬉しかった。湘南の主さんにもキンちゃんにも私は「ドーバー」と呼ぶご馳走をそっと口の前に置いただけなのだ。

9月16日 母の誕生日(隠していた父の思い出)

 今から90年前の9月、母は生まれた。そう、今年で“卒寿”になる。そこで子ども、孫が全員そろってお祝いをした。
 「敬老の日」に台風18号が接近する中、「電車が動いていない」事件もありながら、何とか全員集合が出来た。
 初孫は30歳を超すのに未だ結婚の見込みはない。末孫も25歳になり、6名全員の孫は社会人になった。
 我らが兄弟は時折会っているが、兄弟の子ども、つまり母にしてみれば孫になるが、私自身久しぶりに会う子どももいる。
 思い起こすと孫たちの小さいころはよく会っていたが、大きくなって自立するようになるとほとんど会うことはなくなった。まあ小さかったのに、今や男の子のほとんどは私より大きい。
 社会人になり、皆さん忙しそうだ。
 母もまだまだ元気だし、4人兄弟で末っ子の私としては、まだまだ甘えようと思っている。
 「親孝行」という一般の考えには反するかもしれないが、母は私の甘えが最も嬉しそうな表情をする。心配をかけるのは最もいけないが、ダメな子ほど可愛いらしい。そう、兄弟で私が最もダメな子なのだ。

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 昔、父が82歳で亡くなって我らが兄弟は父の思い出話になった。その時、初めて私は父との秘密を打ち明けた。それは生まれて初めてお寿司屋さんに連れて行った貰った時のことである。
 まだ私が小学生だったときである。夜に眠れずに布団の中でゴロゴロしていた。すると父が来て
父「おう、ちょっと出かけるぞ」
と私に言う。同じ部屋で寝ている兄たちを起こさないように私はそっと着替えて父と一緒に外へ出た。
 何だか父を独り占めしているようで妙に嬉しかった。
 父は私を近所のお寿司屋さんに連れて行った。
 初めて座るカウンター。それだけでもどうしたら良いのかわからずドキドキ!
父「好きなもの、食っていいんだぞ」
エ~~~~~~っと有頂天の私。
 カウンターの前にあるガラスケースの中のネタを端から頼む。するとその握りが二つずつ出てくるのだ。『その一つは父の分』と思っている私。
父「二つ食っていいんだぞ」
ヒェ~~~~~~っと天にも昇る気持ち。
 とにかく幸せいっぱいの私だったし、帰っても寝ている兄たちには『絶対に秘密!』と思って眠りについたのだ。
 それが初めで最後。以来、ずぅ~~~~~~~っと秘密にしていた私。それはとても私が幸せになれる秘密なのだ。
 大人になった兄弟で亡くなった父の思い出話をしている中で、初めて私は兄弟にその秘密を打ち明けた。
 そしたら姉が一言。
姉「あんた、一回だけ?」
 ハァ~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!

9月15日 解団式(嵐を呼ぶ女)

 昔、石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」という映画(1957年)があった。同名のも裕次郎が歌って有名になったので、ご記憶にある方も多いだろう。いやはや、それにしても裕次郎はカッコイイ!!
 昔、バイクに乗っていた頃はテレビドラマ「白バイ野郎ジョン&パンチ」のテーマ曲を口遊んでいた。だが急ぐときは当然「太陽にほえろ!(ボス役に石原裕次郎)」になる。(古いなぁ~・・・。知っている人がいるんだろうか???)

 話を元に戻そう。我々の仲間には「嵐を呼ぶ女」がいる。「男」なら裕次郎のようにカッコイイのだが、「女」は困ったものだ。9月14日は「マンハッタン島リレースイム」のチームの「解団式」なのに、台風18号を呼んでくれた。。。。
 今年3月15日に「結団式」を行い、僭越ながら私がリーダーをさせていただいた。もちろんその進行はまっとうに行くわけでもなく、随所にミス、失敗、失策のオンパレード。最終的には私自身が自分のチームの船に乗れない事態まで行ってしまう。
 まあ周囲の方々が優秀なので、それでも全く問題なく進行し、完成させてしまうところがスゴイのだが、“蚊帳の外”の私は『存在の必要性さえないなぁ~・・・』と思いながらも一応は“締め”として「解団式」はやりたかった。
 ところが、、、、、台風18号が接近し、解団式に訪れたのはオー先生と湘南の主さん。そう、「無彩なおじさんs」のみだ。まあ台風だから仕方がないのだが、『これもまっとうな仕事も出来ない私自身への回答でもあるよなぁ~・・・』と反省しきりなのだ。

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湘南の主さんとオー先生

 だが取り敢えず「解団式」を終了させていただいたので、心の中では“句読点”が打てた。気持ちを前向きに持っていかなければならないのは分かっていることだが、しばらくは何もやりたくはない。気が付くと、“最近、腹の底から笑った”ことがない。少し、“心の休暇”が必要なのだ。きっと。。。。。。。

9月12日 2,500m、腹減った! 仕方ないかな?

 いつも行く練習用プールはホントに混んでいる。近くのプール(教室用に私が使用している)の天井崩落事故があって、今も再開していないし、そこの常連スイマーの多くがこちらに移ってきているからだ。
 混んでいるのでフリーコースに入りストレッチをする。そして毎時の10分間休憩後、イの一番で完泳コースに入って泳ぎ出すのだ。しかし泳ぎ出してすぐに気が付いた。『腹減った・・・』。
 そう。今日の仕事(水泳教室)が終わった後、『腹減ったな。今日はカレーが食いたいな・・・』と思っていたのだ。ところがそこから練習用プールに移動中(クルマの運転中)、考え事をしていてついうっかり忘れてしまったのだ。腹の減ったことを・・・・・。
 いつもなら移動中にカロリーメイトとかウィダーinゼリーとか食べるのに、それさえも忘れていた。それでプールに入ってしまった・・・・・・。
 『しまった!』と思ってももう時遅し。泳ぎ出している。
 “不眠”とか“空腹”とかいろいろあるストレスの中で、“空腹”が最も弱い私なのだ。『餓死しちゃう・・・』と思っちゃう・・・・・。

 泳ぎ出して少し経つと他のスイマーがたくさん入ってくる。と言っても4名だが、完泳コースで4名はギュウギュウ状態。レベルは私よりかなり速いスイマーが2名に私よりちょっと遅いかなと感ずるスイマーが1名。
 速いスイマーに迷惑が掛からないように、遅いスイマーのタイミングに合わせてインターバルで泳ぐ。普段ならノンストップで泳ぐ私だが、空腹がインターバルに妥協させているのだ。

 休憩時間の終わりから次の休憩時間の開始まで、つまり50分で50mを45本。
 アップ・ダウンでもう少し泳いでいるのでトータルで2,500mかな。
 空腹と水温の高過ぎで、これで限度。。。。。
 ま、私としてはこんなものかな???
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9月11日 超高層とランチと映画

 知り合いから“お呼ばれ”があって、新宿に乱立する超高層ビルの一つ、○×ビルの49階でランチを食べてきました。
 ご存知の通り私はあまり高いところが好きではないのですが、ニューヨークで摩天楼に上がった私としましては、「エイ! ヤッ! ター!」と覚悟を決め、日本の超高層ビルに上がりました。でも下から見る日本の超高層ビルは、、、、、「低いな・・・」というのが印象でした。

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新宿の超高層ビル群

 当然、49階だろうと窓越しには近づかない私。。。。でも遠目に見る景色も「低いな・・・」が印象でした。
 食事の話をしながらで恐縮ですが、ニューヨークにあるロックフェラーのビル“トップ・オブ・ザ・ロック”に登った時です。このビルの最も高いトイレに入ってきました。そこは65階。65階からの用足し(ウン○)は、何とも不思議な感覚と快感を覚えました。
(お食事中の方には失礼しました。話を変えましょう!)

 マンハッタンの展望台としてはエンパイア・ステート・ビルがより高層で、ビルの86階(320m)にある屋外展望台からは窓越しではなく、直接ニューヨークの街を360度一望することができます。そこから比べると日本の超高層は低い。。。。。
 エンパイア・ステート・ビルに上がった時に映画「キング・コング」(1933年アメリカ)を思い出していました。私たちの子供の頃には“エンパイア・ステート・ビル”が世界一の高さを誇っており、“自由の女神”同様、“アメリカの象徴”のような気がしたからです。
 日本では映画「モスラ」(1961年日本)が東京タワーに繭(まゆ)を作りましたね。
 でもエンパイア・ステート・ビルにはもっと多くの映画が作られています。
 中には当時世界最高の展望台を持つので、映画「めぐり逢い」(1957年アメリカ)では、ニッキー(ケーリー・グラント)が出会ったテリー(デボラ・カー)とはお互いにすでに婚約者がいながらも恋に落ちる。そして六カ月後にエンパイア・ステート・ビルでの再会を約束して二人は別れる。
<このシーンの名台詞>
テリー「エンパイア・ステート・ビルのてっぺんって、どんなところ?」
ニッキー「そこは天国に一番近い場所」
(カァ~~、こんなセリフをいっぺんでいいから言ってみたい!)

 あまりに素晴らしいので、この映画を題材に別な映画が作られました。映画「逢いたくて」(2002年フランス・カナダ・スペイン合作)です。主演はカトリーヌ・ドヌーヴ(ファネット役)、パリで働く美貌のキャリアウーマン、ファネットが、映画「めぐり逢い」を観ることによってどうしても忘れられない男の面影を重ねながらニューヨークへ行く。そこでマットという魅力的な男性に出会ってしまうのだ。。。。。。

 新宿の超高層ビル49階でいただいたランチは“高知県”の料理。高地と言えば“カツオ”。土佐のカツオはとてもおいしくいただきました。そして水泳関係で言えば足摺岬から室戸岬までの遠泳(120km)。
 何かこのブログでも書いたことのあるような・・・・・?????
 この話は又にしましょう。今日はランチからビルの話、映画の話になりました。水泳の話はお休み。。。。。。。期待した方にはごめんなさい。

キューバからフロリダまでの水泳

 すでにご存じの方も多いと思いますが、ダイアナ・ナイアド(Diana Nyad:64歳:アメリカ人女性)がキューバからフロリダまでの110マイル(177km)を泳ぎました。(CNNより:日本語)

 彼女は8月31日にキューバの首都ハバナを出発し、9月2日午後2時前(日本時間3日午前3時前)にゴール!! 何と約53時間も続けて泳いでいました。

 成功後の彼女のコメントです。
「言いたいことが三つある。
 ひとつは決してあきらめてはいけないということ。
 二つ目は、年を取っても夢を追うのに遅すぎたりはしないということ。
 三つ目は、孤独な競技のように見えてもこれはチームプレーだということだ。」

 このニュースをいち早く教えてくれたのはオーストラリアのペニー(Penny Palfrey)でした。彼女は2011年に津軽を泳ぎ、2012年に同じキューバからフロリダまでを挑戦し、40時間以上泳ぎ続けましたが失敗しました。ペニーにしたらよほど気になっていたのでしょう。

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2011年9月26日 東京の下町、浅草の
染太郎で下町の味、「お好み焼き」を楽しむペニーとクリス夫妻。

 そして現在ドーバーの最遅記録を持つジャッキー(Jackie Cobell: 1-way 28時間44分:60歳:イギリス人女性)が「次は私が泳ぐ」と宣言しています。

 皆さんスゴイですね。いつも前向きに楽しく生きていかないといけないですね。「70歳までに何かをするぞ!」と私も誓いました。

9月7日 順番を守る子、守ることが出来ない子(都合)

 このタイトルは、言い方を変えると「追い越せない子、追い越さないと気が済まない子」の意味でもある。
 水泳教室をやっていると、泳ぐ速さの順番にスタートさせる。もちろん「25mプール(往復50m)」を行ったり来たりして練習するのだが、ちょっと長い距離を練習すると初めにスタートした生徒が最後にスタートした生徒に追い付いてしまう。
 普通ならそこで速い生徒は遅い生徒を追い越して行くのだろうが、知的障害児にはこれが難しい場合が多い。つまり遅い生徒にスピードを合わせて追い越そうとしないのだ。すると、そこが団子状態になる。。。。。。。。

 逆に順番を守ることが出来ない子もいる。例えばスキーキャンプに行ったとしよう。リフトに並ぶ。ところがこの順番を守れない。前のスキーヤーをどんどん追い越し、さっさとリフトに乗ってさっさと滑っている。もちろん迷子になる。そして私たちスタッフが真っ青になるのだ。

 きっとこの子たちの心理には、「都合によって“追い越せ”、都合によって“順番を守れ”って、、、、、、その“都合”というのがわからないんだよ!」と言っているようだ。

 それは見えない子に「見ろ!」と言っているように、聞こえない子に「聞け!」と言っているように、つまり“視聴覚”という感覚器が無いのと同様に“都合”という感覚器がないのだ。その子たちに「追い越せ!」とか「順番を守れ!」とか、、、、、、それは“馬の耳に念仏”の気がしてならない。

 ところが彼らはとても平和主義者たちで、私たちの“都合”ということを振り返させられるチャンスをくれる。

 映画「春男の翔んだ空(1977年/出演:永 六輔/障害者教育に生涯をささげた実在する教師、“野杉春男”の伝記映画。彼はモスクワの日航機墜落事故で死去)」のポスターは、雨の日、女の子が長靴を履いて傘を持って、反対の手にはジョウロを持って学校の花壇に咲くチューリップに水を上げているのだ。雨の日に水を上げる。。。。。。。これが彼らの行動だ。“チューリップに水を上げる”は習慣で、“雨降り”という都合は考えられない。
 またこの映画の最後に、この映画の最も言いたい部分がある。それは「運動会」のシーンだ。“ヨーイ ドン!”のかけっこ。競争だから当然、速い子、遅い子が出る。ところが遅い子は途中で転んでしまう。それを見た速い子は途端にUターンし、遅い子を助けて一緒にゴールするのだ。

 現在、すべてにおいて“順番”を押し付けられている現代っ子。社会でさえ“順位”がマスコミにでも踊っている。『1番になったら偉いのか?』、『“順位”って何だ?』 何もが“評価”で右往左往している社会を、彼らはまったく別の位置で暮らしている。そんな彼らから学ぶ点は大きい。

 ちなみにかけっこの“ヨーイ ドン!”で「スタートが出来る」。スタート後、「ゴールに向かって走ることが出来る」。これはけっこうレベルが高い。順番を守ってしまう子たちは「スタート」も「ゴール」もそれほどわかっていない。そんな彼らが私の生徒だが、彼らから学ぶことが多いのでやめることが出来ないのだ。
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9月6日 リズ、津軽泳の意思表示

 リズ・フライ(Liz Fry)ことエリザベス・フライ(Elizabeth Fry:52歳)はアメリカ、コネチカット州在住の女性。ドーバーで知り合った水泳仲間(ドーバー2-way参照)だ。彼女のドーバー泳履歴はスゴイ!

  • 26 August 2001   9:07 Special Category Swim: "Arundel Breakfast Club"
  • 20 August 2003   9:05 Solo Swim
  • 29 July 2007  + 1 11:11 Solo Swim
  • 15 August 2008   12:01 Solo Swim
  • 19 August 2009   13:36:18 Relay Swim: "Chanel No. 51"
  • 19 August 2011  + 1 24:41:10 Solo Swim (2 Way)

上記の中で2003年には“2003: The Eurotunnel Trophy for the fastest CS&PF swim of the year”(ユーロトンネル賞:2003年にCS&PFで最も速く泳いだ)を、2008年には“2008: The Gertrude Ederle Award for the most meritorious CS&PF swim by a woman”(ガートルード・エーダリ:2008年の女性で最も印象的だった水泳)を受賞している。ちなみに2005年にキンちゃんも “ガートルード・エーダリ賞”を受賞している。

 これら以外にも先日、私たちも行ったマンハッタンでは「エーダリ・スイム」を4回、「マンハッタン島一周スイム(ソロ)」を2回泳いでいる。

 ちなみに今年、リズは私たちがニューヨークへ訪れることを知っており、特に私の“リバティ・スイム”に注目をしていたようで、「ガンバレー!」みたいなメールを私が泳ぐ前によこしてきた。(たいした記録じゃなくて恥ずかしい・・・・・。でもコネチカットからニューヨークまでならそんなに遠くない(東京から藤沢くらい?)し、来れば良かったのに!!)

 そのリズが「来年、津軽を泳ぎたい」と言ってきた。大歓迎だ!!!
 だがそのメールの最後が憎たらしい。「特にキンちゃんにヨロシク!」だと!!! (フン、どうせオレはノロいスイマーさ!!!)

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リズ(
Elizabeth Fry)とノラ(Nora Toledano Cadena)2011年8月18日、ドーバーで

ノラはメキシコシティ在住のメキシコ人女性(44歳)。キンちゃんが“日本のチャネル・クィーン(ドーバー泳8回)”ならノラは“メキシコのチャネル・クィーン(ドーバー泳6回:内1994年に2-wayを成功させている)”だ。また「マンハッタン島一周スイム(ソロ)」には2回泳いでいる。
ちなみに私たちが今年ニューヨークに到着する三日前までノラはニューヨークに滞在していた。まさにニアミス。会えなくて残念!!!

PS)リズやノラ、マーシーらは、仲良し水泳仲間だ。リズの影響を受けてノラやマーシーも津軽へ来るかな???

9月5日 熱過ぎ! プール

 8月末の短期水泳教室からずっとプールには入っている。しかしそれは仕事で。。。。。。。。9月3日の病院(肩)でも医師に「リハビリは続けるように」と言われている。ま、“医師に言われたから”でもないのだが、久々に「練習しよう」という気になり、練習用のプールに出掛けた。
 プールに一言。「混み過ぎ!」
 近くにあるもう一つのプール(教室用プール)の“天井崩落事故”から未だに公開されていないのもあるのだろうが、マンハッタンのプールから比べると公立のプールなのに値段が高い! 混んでいる!
 それでも『まあストレッチでもしよう』とプールに入る。ところが水温が異常に高い! 監視員に向かって
私「水温、何度あるの? 異常に高いよ」
監「33.5℃前後あります」
私「何で?」
監「給水はしているのですが、水温が下がらないんですよ」
と渋い顔をして答えた。
 まあストレッチには暖かい方が良いかもしれない・・・・・・・。

 1時間ごとにある10分間の休憩後、いち早く“完泳コース”に入って泳ぎ始めた。ところが熱い、暑い、アツい!!! 背中のあせもが痒くてたまらなくなる。そう、マンハッタンから帰ってからこの酷暑で私の身体にはお腹、背中、お尻にあせもがタップリとできているのだ。
 泳ぎながらあせもが痒くなったのは初めてのことだ。1,000mも泳いだろうか、、、もう我慢できずに泳ぎ続けることをやめてしまった。
 再びプール内でストレッチをしていると、常連の長距離スイマーが入ってきて泳ぎ始めた。ところが、、、、やはり30分も持たなかった。熱過ぎるのだ。

 ところでストレッチをしながらプール内をウロウロしている時、どこかで見たことのあるようなお嬢さん二人組がいた。年齢なら30歳くらいかな? 彼女らは私をチョロチョロ見ている。いや、『どこかで会ったような・・・』と思っているから私がチョロチョロ見ているせいか・・・? とにかく可愛らしい彼女らだった。
 『もしかしたらじゅんこさんの友だち?』 そう思いながらも『見ず知らずの人かもしれない』と挨拶もせず出てきてしまった。
 出てからじゅんこさんに電話をする。無礼があってはいけないからだ。だがじゅんこさんの返事は「私の友だちでそちら方面のプールに行く人はいません」とのこと。いったい彼女らは誰だったのだろう???
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マンハッタン

9月4日 今年の夏を振り返って(ハプニングの連打)、そして反省

 9月2、3日と病院に行った。2日は交通事故による右手中指の骨折、3日はストレッチのやり過ぎによる左肩亜脱臼の治療。
 交通事故は今年3月9日のもので、そろそろ半年が経つ。交通事故なので“自動車保険”で治療を行っているが、そろそろ結果を出さなければならない。まあ結果を出すまでもなく、中指はグーもパーも出来ない。それで「症状固定」なのだ。つまり「これ以上は治らない」と医師に太鼓判を押された。
 同時に「“後遺障害”としても認定されづらいだろう」との医師の話。「まあ保険会社と話し合ってください」とのこと。このことは私の場合、弁護士に依頼しているので弁護士との話し合いになる。まあこの問題はこれからだ。
 左肩の亜脱臼はすでに一年を超す。今年4月からリハビリがてらマンハッタンの水泳目的もあって泳ぎ始めた。それが効果あったのか、今ではだいぶ肩の可動域が広がった。だが未だ痛みが取れたわけでもなく、可動域が元通りになったわけでもない。
医師「またヒアルロン酸注射でもしますか?」
私「いや、あれは注射後24時間くらいなら効果があるが、それ以降は無くなります」
医師「まあ、そんなものです」
私「じゃ、やめておきます」
 そんな会話をして痛み止めの薬と湿布薬をもらって帰ってきた。

 まあ今夏を振り返ると3月9日の“交通事故”⇒“予期せぬ出来事”⇒“ハプニング”は、今年の夏を占っているようだ。
 第一のハプニングは津軽の遠泳だ。今年はドイツの選手がお盆前の潮で泳ぐ予定。これの準備で7月初旬には青森と北海道に行って泳げるようにしてきた。ところがこの選手は「ボーデン湖(ドイツ南部にある湖)の水泳が予定に入ったので、次の潮(お盆)にして欲しい」と言ってきた。
 当初から私はドイツの水泳選手に渡したプランに“お盆の潮”は外してある。推奨したのはお盆後の潮。ところが本人から「お盆前の潮」をリクエストしてきたのでそうしたのだが、予定変更を希望してきた。
 「私の知らせたプランに“お盆の潮”はない。したがってその潮で泳ぐことは出来ない」と知らせると、津軽の遠泳はキャンセルになった。

 「ならば」と仕事(水泳教室)を入れる。すると第二のハプニングが発生した。いつも使っている水泳教室用のプールに“天井崩落事故”が発生。夏休み直前の事故である。プールからは「8月いっぱいに公開予定はない」と伝えられ、他のプールを捜す羽目となる。
 ちなみにこのプールの9月現在でも「9月いっぱいの公開予定はなく、公開日については未定」と発表されている。

 第三のハプニングは8月になり、マンハッタン行も近づいたころだった。我が家の近所の電柱(トランス付)に落雷があり、我が家の家電品の多くが壊れた。保険会社に聞いたが、当家の入っている火災保険に「家財は補償に入っていない」とのこと。交通事故の時もそうだが、保険の約款は『よく読まないといけない』と反省した。
 たまたま当家のパソコン、電話は電源元に“落雷対策”がしてあり免れたが、ファックスが壊れた。これが最も困った。とにかく夏の短期水泳教室の申し込みはすべてファックスによるものだったからだ。
 電話連絡、家電品の交換など、頭がバカになるほど(すでにバカだが)忙しかったし、ホントにお金が出て行く、出て行く! 「これでホントにマンハッタンになんて行けるのかなぁ~」と心配になるくらい忙しくてお金が出て行った。
 ちなみにこのころマンハッタンを泳がせる団体から連絡があり、頭がバカになった状態で通訳、連絡係りをお任せしていたファルマウスミーさんにはかなりご迷惑を掛けた。

 だがマンハッタンでもリレーで我日本人チームのボートに私が乗れなかったのは「ハプニング」と言えよう。

 帰国後、東北三県(被災地)を巡ったが、家財購入のお金の問題で至急帰らなければならず、いったん東京に戻り、それから再び旅を続けた。それは夏前にホテルの予約などを終了していたからだが、何だかズゥ~~っと「クルマの運転をしていた」という感じだった。

 8月末の短期水泳教室ではプール閉鎖の問題もあり、初級から上級までの生徒たちを私一人で一気にやらなければならず、個人的には「満足のできる教室は出来なかった」と反省している。

 取り敢えず9月になったので平常に戻らなければ・・・・・。お陰様で海外の水泳仲間から多くの元気な報告が届いている。このような海外の水泳仲間が出来たことについてはキンちゃんにホントに感謝している。

 とにかく今は、お金の問題は何とかしなければならないが、「前向きに」と「楽しく」をエッセンスに『気持ちを切り替えよう』と思っている。目線を、もう少し上の方に持っていかなくちゃ!!
 逆に言えば、今年の足りなかった点は、「前向き」と「楽しく」なのだ。これは多いに反省しなければならない。

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思い出深いリバティスイム(自由の女神像の前で)「もっと目線を上に!」

8月31日 40年ぶりの再会

 1972年(昭和47年)夏、まだ19歳で大学二年生だった私は海を泳ぐことにハマり始めた頃だった。三重県の鳥羽から愛知県の伊良湖岬までの20kmを泳ぐ。当時、「海上交通安全法」が施行された年だった。
 泳ぐ予定コースに“伊良湖水道”がある。ここは海上交通安全法により「伊良湖水道航路」としてこの海域に適用されるものとなった。手っ取り早く言えば「船舶交通の激しいところを“航路”として規定し、交通管制をしますよ」という意味だ。もっと言うと、「そんな場所を泳ぐなんてとんでもない!」ということだ。したがって今では出来ない。いや、泳いではいけない!
 まだまだ「海上交通のルール」なんて何もわからない私だったし、たまたまこの企画がこの法例の施行前に提出していたのでどうにか泳ぐことが出来たが、海上保安部の巡視船がずっとこの遠泳に付き合ってくれて、この“伊良湖水道航路”の横断1,200mは「現在、大型船の接近がない。急いで横断してください」との指示があり、「はい」とは返事をしたものの、『そんなに速くは泳げない』と思いながら泳いでいたのを思い出す。30分くらい掛かったか??
 それは神島通過直後のことだったので、今でもよく覚えている。

 同じ頃、私は赤十字のボランティアとしても活躍していた。その中で「赤十字の三大講習(救急法 水上安全法 家庭看護法)」の広報としてモデルになったこともあるのだ。
 今なら当然“動画”だろうが、当時は“スライドショー”。時代を感じるなぁ~・・・。

 結婚を約束したカップルが海辺へデートに来る。すると二人はとんでもないモノを発見するのだ!
カップル「アッ!!!!! 子どもが溺れている!!!!!」
 そこにひとりの青年(私)が現れて、ダーーーーーーーーっと走って海に入ると溺れた子どもを目掛けて真っ直ぐらに泳ぐ。
 子どもを救助してビーチまで泳いで連れて来ると、
青年「呼吸停止!」
と言い、人工呼吸を開始する。
青年「医者を、医者を呼んで来て下さい!」
カップル「わかりました!」
 カップルが医師を現場まで連れて来る。人工呼吸もうまくいってその子どもは助かった。

カップル「スゴイ人命救助ですね。何処で覚えたのですか?」
青年「赤十字です」
 青年はカップルに赤十字の三大講習を説明し、スライドショーは三大講習の案内へと移る。そしてカップルの彼の方は救急法と水上安全法を、彼女の方は救急法と家庭看護法を結婚までに習うことを決めた。

 そんな海の泳ぎや赤十字のボランティアをやっていた1973年(昭和48年)夏、赤十字では毎年、千葉県の一ノ宮で「肢体不自由児の水泳教室」が行われていた。それに私もスタッフとして参加することになった。
 初めて肢体不自由児に会う。「きっと大変なんだろうなぁ~」と思う私の心配をよそに、何でも出来てしまう肢体不自由児たちに驚き、それはそれは楽しくそのキャンプ生活を送ることが出来た。
 当時二十歳(はたち)、大学三年生だった私は「そろそろ卒業論文」という頭があった。そこでひらめいた。「そうだ。肢体不自由児たちに海を泳がせよう!」

 「将来、社会に出たときに出会うであろう困難を乗り切る精神を養うと共に、肢体不自由児の健康増進とリハビリテーションを含み、海を泳ぐことを目的に云々」というのが私の卒論の冒頭である。それは「トラジオンスイミングクラブ誕生」へとつながった。

 そんな一ノ宮の連中が再会の場を作ってくれた。オリンピックではないのだが、四年に一度の頻度で「一ノ宮の会」がある。だが私は多忙で今まで参加したことはなかった。ホントに40年ぶりの再会である。みんな元気で良かった。

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40年前はみんな青年であり児童だった

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トラジオンスイミングクラブ一期生

彼らも50代になり、子どもらがすでに大学生だと言う。

 昭和48年、、、、「オイルショック」の年である。トイレットペーパーを奪い合い、何もが“値上がり”、“値上がり”の年だった。たまたま去年の今頃、、、、わけあって過去の津軽海峡の遠泳(昭和50年に泳いだ)の資料を集めていた。そんな津軽を泳いだメンバーが次の写真である。時代は大きく変わろうとしていた。

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昭和50年、津軽海峡を泳いだ

 そんな時代背景を去年、このブログに書いている。ご用とお急ぎでない方は是非ご覧ください。

良い世の中になった(より慎重に、より大胆に)

1975年(昭和50年)ころの思い出

8月30日 パット、ノースチャネルに挑む

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 去年、津軽へ泳ぎに来たパット(61歳:Pat Gallant-Charette:アメリカ人女性)が、2013年8月30日(金)午前5時07分(アイルランド時間)、ノースチャネル(アイリッシュ(北)海峡)横断泳のため、アイルランドのドナガーディー(Donaghadee)から泳ぎ始めた。気温は15~16℃。パットには充分に暖かい温度だった。
(ノースチャネル(アイリッシュ(北)海峡:アイルランド~スコットランド間:距離:33.7km 水温:12ºC 泳ぐ期間:7月〜9月)は「オーシャンズセブン」の中でも“最も難しい”とされる海峡である。)

 パットが泳ぎ始めて5分以内に「北幽霊水母(キタユウレイクラゲ)」、別名「Lion’s mane jellyfish(ライオンのたてがみクラゲ)」に刺された。パットの見た最大のクラゲはディナープレートほどの大きさのドームと、その触手の長さが5フィート(約1.5m)程度。それが海面下3フィート(約1m)のところで、それこそ親クラゲ、子クラゲ、孫クラゲと、いろいろなサイズのクラゲを見た。クラゲはきれいだし可愛かったけれど、パットはあらゆるサイズのクラゲに刺されて痛い思いをした。
(今年の春、CS&PF(ドーバー泳公認団体)から「今年はイギリス付近の海域に“ライオンのたてがみクラゲ”が大量発生しているので要注意」との警告が発令されていた。)

 次に泳ぎ出して数時間、パットは自分の泳ぐ下に大きな灰色の物体を見てビックリ!! それは突然に素晴らしいスピードでパットに向かった好奇心旺盛でフレンドリーなアザラシだった。パットとアザラシの間は約2フィート(60cm)の対面だったが、パットはアザラシに微笑んで「さよなら」をした。

 その後、ボートのエンジンから出るディーゼル煙の臭いから吐き気と嘔吐が始まり、そこでパットは背泳ぎに変えた。

 当初、海流は順調に流れてくれたが、徐々にコースから外れ、押し戻されるようになった。
 16時間後、パットは自分の指の痙攣から低体温症の始まりに気が付いた。しかしパットはこのような冷水の中でも泳ぐ充分な訓練をしている。だがボートクルーたちは“これ以上続けるのは危険”と判断し始めた。パットの「泳ぎ続ける」とボートクルーの「危険」は口論になったが、潮の流れも変わり、パットには不利な後方へと流れ始めた。
 結局、泳ぎ始めて16時間43分後、その水泳は終了になった。それはスコットランドのフィニッシュラインから1.3マイル(約2km)手前だった。

 パットの次回はニュージーランドでクック海峡を泳ぐ予定だ。

 パットの念願である“オーシャンズセブン達成”を応援します!!!

  詳細はパットのホームページから“Results on my North Channel swim”を参照

8月28日 マーシーの夢

 8月28日、マーシー(Marcy MacDonald:アメリカ)ことマルセラ・マクドナルド(Marcella MacDonald)から彼女の水泳仲間にメールが届きました。もちろん私にも届きましたよ。
 内容は「ドーバーの3-wayを泳ぐので、応援して欲しい」とのこと。彼女はいつも「チャンスとあらば、3-wayを泳いでやる!」ともくろんでいました。

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<マーシーの経歴(ドーバー)>

  1. 1994年 6月30日   10時間33分      Solo Swim
  2. 1997年 7月23日   12時間57分      Solo Swim
  3. 2000年 8月 7日    9時間42分      Solo Swim
  4. 2001年 7月27日   21時間19分      Solo Swim (2-Way)
  5. 2003年 7月 6日   11時間27分      Solo Swim
  6. 2003年 7月20日   20時間18分      Relay Swim: "Force Six America" (2-Way)
  7. 2004年 9月 3日   23時間00分      Solo Swim (2-Way)
  8. 2007年 7月31日   13時間25分      Solo Swim
  9. 2009年 8月 2日   11時間31分      Solo Swim
  10. 2011年 6月26日   10時間34分34秒  Solo Swim
  11. 2011年10月 2日   11時間51分      Solo Swim

 水温の上がる8月下旬から9月上旬に標準を合わせ、ようやく8月29日、マーシーのご用達パイロットであるマイクことマイケル・オラム(Mike Oram)が操船するガリバン(Gallivant)で試みました。しかし、残念ながら2-wayでやめてしまいました。

  • イギリス⇒フランス=11時間55分
  • フランス⇒イギリス=12時間21分
    合計:24時間16分15秒

Mm

 マーシーの報告によると、良い天候が長くは持たなかったようです。また多くのクラゲが彼女の行く手を阻みました。
 それでもまだ彼女は彼女の夢を捨てていません。
 彼女のメールの最後には必ず「夢」、「準備」、「成功」と結んでいるのです。
Dream, Prepare, Succeed
...and Thank you,
Marcella

とか
Dream, prepare, succeed
Marcy

など。。。。。。。。。。
 きっと、近い将来にマーシーの夢は叶うでしょう。

8月24、25日 偉大な記念日に

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今もドーバーのビーチを見下ろすマシュー・ウェッブの像(“Nothing great is easy.”「偉大なことで簡単なことは何もない」ウェッブ)

 1875年8月24日、マシュー・ウェッブ(Matthew Webb: イギリス:1848年1月19日~1883年7月24日)はドーバー海峡横断泳を試み、21時間45分後(25日)にその遠泳は成功した。彼は“水着のみ”で泳いで渡った世界第一号になった。(ドーバー海峡横断泳の歴史参照)

 それから138年後、この偉大な記念日に、ニックとサクラ(日系人)の結婚式がロンドンで行われた。もちろん、両名はチャネルスイマー(ドーバー海峡完泳者)だ。
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 ニック(Nick Adams:正しくは“Nicholas Adams”)はロンドンの高校で数学の教諭をしながらCS&PF(ドーバー泳を公認する団体)のボランティアをしている。おそらく近い未来にこの団体の代表者となろう。

Nicksakura2
 サクラ(Sakura Hingley)はロンドンの病院に勤める小児科医。ニック同様CS&PFのボランティアをしている。現在は“サクラ・アダムス(Sakura Adams)”になった。
Nicksakura3
 両名とも津軽を泳ぎたがっているし、ドーバー(CS&PF)でも今後に期待されている。同様に周囲の友だちからは「赤ちゃん誕生」が期待されている。

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2012年2月15日、ニックとサクラは来日し、神奈川県茅ケ崎で泳いでいる。左から湘南の主さん、鈴木一也さん、サクラ、ニック

Happy wedding Nick and Sakura!!

 マシュー・ウェッブの伝説がルールになり、今でもドーバーの横断泳は“標準的な水着のみ”とされている。これはドーバーのみではなく、『すべての海峡横断泳で適用されるべき』と私は考えている。

8月22日 東北三県(被災地)を巡ってきました。

 2011年7月1日、被災地(石巻)に行ってきた。以来、その後の被災地がどうなったか、ずっと気になっていた。
 ニューヨークから帰った翌日から被災地に出掛けた。それは“早目に時差ボケを治す”という意味も含まれている。途中、急用が出来て東京に戻ったりした。お陰様で新しく愛車になった“ヴォクシー”の走行距離は2,500km近く。時差ボケなど初日のみで後は眠さとの戦いの旅行だった。平均一日600km走った。東京からだと大阪くらいまでかな? これを四日間続けると被災地に行くのが目的なのか、クルマの運転が目的なのかわからなくなる。だが取り敢えず時差ボケは何処かにすっ飛んだ。
 ちなみにニューヨークのJFK空港と東京の羽田空港との距離は10,884kmで、南北で言うと極地から赤道を少し越したくらい。これを約13時間で飛ぶ。被災地を巡った距離は、飛行機なら3時間分くらいか? 取り敢えず北海道と沖縄くらいまでの距離はある。よく走った。。。。。。。。。。

 2年前に行った時(石巻)の写真で比較してみよう。

 上:2011年7月 1日
 下:2013年8月22日

小学校

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がんばろう!石巻

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何もない
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 2011年の時はあまりにも悲惨で声も出なかった。今年(2013年)はまだ少しの瓦礫は残っていたものの、復興は始まったように感じた。ここに住んでいた人たちは“高地移転”が義務付けられているようで、「もうここには住めない」と地元の人がこぼしていた。

 だが今回の旅行で最も悲惨だったのは、福島県の南相馬に行ったことだ。“非常警戒区域”ギリギリまで行った。それは2011年3月11日から時間が止まったような光景だった。「一時帰宅」が許されたせいか、家などはシッカリしているのだが、畑も田圃も放置してあり、瓦礫やクルマなどもそのままだった。
 昨今の東電の失態。ますます旗が立つ!

8月21日 Epic swim(エピック・スイム)

 8月21日午前7時過ぎ(イギリス時間)、ウェンディ・トレヒョウ(Wendy Trehiou:ジャージー)はドーバーの2-wayを目指してイギリスのシェークスピア・ビーチをスタートしました。
 泳ぎ始めて17時間08分後、彼女はフランスのヴィサンを折り返し、更に22時間01分後、イギリスのサンファイヤ・ホーにゴールをしました。合計39時間09分の水泳でした。
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 ボートはキンちゃんご用達のSUVA。もちろんパイロットはニール・ストリーター。ちなみに移動距離(泳いだ距離ではない)は次のようになります。

  • イギリス⇒フランス=72km(17時間08分)
  • フランス⇒イギリス=89km(22時間01分)
  • 合計:161km(39時間09分)
  • 泳いだ距離は約80km

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 ウェンディは癌患者でした。癌から生還するための強い意志を、ドーバーの往復泳をすることで証明しました。キンちゃんが泳いだら、同程度の記録で泳げたと思います。
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<エピック(Epic)について>
 羽田空港⇔JFK空港はアメリカン航空を利用しました。この時、飛行機の中で私は映画4本立てをやっていました。その中で『面白いなぁ~』と思ったのが“エピック(英語版)”。
 単純に意味だけでしたら名詞で「叙事詩」になりますが、“国の誕生”のような長い物語の叙事詩が「Epic」となるようです。形容詞で使うとすると「叙事詩のような」とか「大作のような」とか・・・。(まさに映画のよう・・・)
 スラングとしては「素晴らしい」とか「最高」とかいう意味もあるようですが、裏側では「大規模な」とかの意味合いも含まれているようです。(詳しくはこちら
 エピック・スイム、遠泳にはそれぞれのドラマ(エピック)があると思います。

2006年 キンちゃんの津軽海峡 3-way solo swim(ウンの付き)3rd leg

日付:2006年9月4日
場所・方法:津軽西口・3-way(3rd leg) ソロ(青⇒北)
出発時間・場所:04:50・下北半島佐井村佐井港
到着時間・場所:15:03・函館市戸井汐首岬
記録:10時間13分
公認:海峡横断泳実行委員会
船名:第31栄幸丸
パイロット:安宅  勉
コメント:汐首から太平洋側は波が高いため、浜町到着はあきらめて汐首に到着した。
 汐首を挟んで東側と西側は、驚くほど気象も海象も違う。

 9月4日、青森⇒北海道3-way目。04:50発、青森県下北郡佐井村から北海道函館市戸井町に向かう。天候は薄曇り。津軽の波も穏やかで、潮もすこぶる良かった。それにここは去年泳いだコース。船頭の安宅さんらとも親しい関係が出来上がっている。もう何も心配することは無い。私はひたすら泳げば良いのだ。安宅さんは石井コーチがマグロ・ウォッチングをしたのを聞いて、釣り道具を準備していた。確かに佐井沖合ではマグロが跳ねているらしい。とは言ってもそんなに簡単に釣れるわけは無い。ちなみに函館沖合ではブリの群れにも遭遇したらしい。しかし釣果は0(ゼロ)。魚だって捕られるために生きているのではない。そして15:03、北海道函館市戸井町汐首港着。記録は10時間13分だった。夜は安宅さん宅で歓迎会をしてもらった。これが一番嬉しかった。

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今からスタート

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力泳!

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安宅さんの操船は優しい

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絶好調!

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完泳させようよ!

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バックは函館山

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そして到着

 9月5日、今日はOffにした。身体をいたわってゆっくりした。

 9月6日、使用した機材や荷物を自宅に配送。また安宅さんにクルマを借りて福島の福地さん宅へお礼に行った。北海道の最南端、白神岬にも行った。途中、ずっと泳いだ海を眺めていたが、今日だったら泳げないと思った。それほど風が強く天気が悪い。ホントに私は今回、「ウンが付いた」と思った。

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海は大荒れ、、、、、

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今日じゃ泳げなかったと思う。。。。。。

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白神岬で

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いつも優しい安宅さんご夫婦

2006年 キンちゃんの津軽海峡 3-way solo swim(ウンの付き)2nd leg

日付:2006年9月2日
場所・方法:津軽中央・3-way(2nd leg) ソロ(北⇒青)
出発時間・場所:04:15・松前半島福島町浦和
到着時間・場所:19:43・下北半島佐井村佐井港
記録:13時間03分
公認:海峡横断泳実行委員会
船名:藤   丸
パイロット:福士  敏嗣
コメント:佐井の沖合3kmの地点で逆潮に会い、約3時間進めなかった。
 佐井の沖合にはマグロが飛び跳ねている。さすがにマグロの名所だ。

 9月2日、北海道⇒青森2-way目。04:15発、北海道松前郡福島町から青森県下北郡佐井村に向かう。天候良し。潮もすこぶる良かった。しかし佐井手前5マイルの地点から逆潮をくらって2時間ほど立ち往生した。それからも逆潮を逆らった形が継続する。2時間も同じ場所で泳いでおり、目の前はもう佐井が見えているのに補給をするたびに後ろに下がるらしい。まあこういう経験は何回でもしているけど泳がないと着かないから、私はクラゲに刺されようが流されようが泳ぐだけなんだ。それを乗り越えれば必ず成功する。それでも19:43佐井に着。記録は15時間28分。石井コーチは佐井沖で遭遇したマグロの飛び跳ねる姿を見て「マグロ・ウォッチングが出来た!」と喜んでいた。また佐井の民宿「みやの」では大勢のダイバーが宿泊しており、到着した際にはものすごい歓迎ぶりだった。こんな歓迎も初めてだった。

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船頭の福士さんと

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朝日の中を泳ぐ

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絶好調!!

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力泳!

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逆潮で進まなくなった。見に来た佐井のイカ漁師に潮について聞いた。

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そのうちに夕陽がキンちゃんを包む。

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到着が遅くなってしまった。

 9月3日、最後の船頭さん、安宅さんから「天候が悪くなりそうだから4日に順延。」と昨晩、連絡をいただいていた。この日の午前2時半ごろ、外はピカピカと稲光が走り、ゴロゴロと雷の音が低く窓ガラスを揺らしていた。朝は雨。やはり船頭さんの経験による天気予報はスゴイのだ。こんなお天気がご機嫌ななめな日は泳ぎません。遠泳はOffにして洗濯などをした。午後に石井コーチが海で落とした水温計を求めて民宿「みやの」のご主人と大間に行く。大間では「本州最北端の地」があり、そこから津軽海峡を眺めて昨日までに泳いで来たコース、明日泳ぐ予定コースを眺めた。ウ~ン・・・、あっちの水平線からこっちの水平線まで泳いだと泳ぐのだが、自分でやっておきながら「すごいなぁ~。」とまるで他人事みたいに思った。

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