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わくわく、どきどき、台風の目。

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8月16日 しつこく国連へ リバティ島一周スイム

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リバティ(自由の女神)

 今日は「リバティ島一周スイム」の当日である。レースのスタートは何と午後6時以降だから驚く。理由は島を行き来するフェリーの運航が終了してからのレースになるからだが、まあ日本ではあまり考えられない。これは大会運営の安全を図るためであり、フェリーの最終便が運行された後にリバティ島に残るのは大会関係者とスイマーのみになるのだ。何だか「世界の観光名所“リバティ島”を貸し切り状態にする」というのが嬉しい。もちろん残されたスイマー、ビジター、関係者は大会終了後のチャーター・フェリーで帰ることになる。
 ここでスケジュールを紹介しておこう。

  • 午後5:45:受付終了(リバティ島)
  • 午後6:15:スタート地点に整列
  • 午後6:20:スタート開始
  • 午後6:30:スタート完了
  • 午後6:45:バーベキュー開始
  • 午後7:00:ゴール完了
  • 午後7:10:バーベキューで授賞式
  • 午後8:15:バーベキュー終了
  • 午後9:00:チャーター・フェリー出発

 ちなみに大会前日に送られてきた最後のメールでは「最初のチャーター・フェリーが19:15に出発します。このフェリーに乗る人は授賞式とバーベキューを欠場することになります。云々」。このメールが届く前に私たちは“バーベキュー参加”の意思を大会主催者に伝えているが、早く帰れるフェリーがあるなら私たちはそれに乗りたい。何故ならば私たちのアパートはマンハッタンでも北の方にある“ハーレム”だからだ。いくら「おじさんs」とは言えど、マンハッタンで“犯罪率ナンバー1”の地域を夜中に歩きたくはない。
 すでにバーベキュー料金の一名に付き2ドルを支払い済みであるが、2ドルくらいならまあいっか!

 さらにその前のメールでは「リバティ島に上陸できる人数は“500名まで”と決められており、バッテリーパークから出るフェリーに乗れない場合は泳ぐことが出来ない。云々」のメールもいただいている。つまり“早めに来なさいよ”という意味であろう。
 そうせかされると落ち着いていられない我らがおじさんs。お昼過ぎにはフェリー乗り場へ行こうと決めた。

 だが午前中に時間が出来た私は、どうしても湘南の主さんを国連に連れて行きたかった。土日(明日、明後日)はガイドツアーが休みだし、日曜日には帰国する。チャンスはどうしても今日しかないのだ。パソコンで何とか午前11時からの日本語ガイドツアーの予約をゲット。ところがこの時点で午前10時過ぎ。慌てて国連へ行くが受付で「遅過ぎ!」と一括!
 それでも“遅刻者用”の短いツアー(英語)に参加することが出来た。まあ湘南の主さんに対しては満足できなかったであろうし、焦らせて申し訳ないことをしたと反省している。
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国連にて(世界中の武器が楽器になったら良いのに・・・)

 国連を出てフェリー乗り場へ向かうが、相変わらず地下鉄で迷う。要は降りる目的の駅に快速が止まるとか、止まらないとか・・・。降りるはずの駅を通り越したり戻ったり・・・。はぁ~、まだまだダメだな・・・。
 それでも何とかフェリー乗り場へ。すると長蛇の列。『この人たちがみんなリバティ島へ行くのか!?』と驚く。だが考えてみればアメリカ人のおのぼりさんもいるわけで、その人たちが並んでいるのだ。
 しかし何処かに大会受付があるはず。そこで私たちはフェリー切符をもらわなければならない。
 あった。大会のテントが立っていて、マンハッタンリレーの時のスタッフがそこにいた。たまたまマンハッタンの大会で事務局の連中よりも早くおじさんsは集合場所にいたので、スタッフの方々は私たちの顔を覚えていてくれた。
 柵をちょっと開けて中に入れてくれ、フェリー切符をもらった。そしてそのまま長蛇の列の割り込みをさせてくれる。何だか後ろに並ぶ人たちに申し訳ないし、私たちはお昼がまだだったので列から外れ、近くの屋台で売っていたホットドッグをパクつく。あまり美味くなかったな・・・。

 日本を走行するトラックで荷台のところにジョークで“最大積載量:積めるだけ”というのがある。マンハッタンからリバティ島に向かうフェリーもまさに“乗船定員:乗れるだけ”という感じで、人数を数えている気配は何処にもない。係員が「このくらい(おそらく500名:乗船定員?)かなぁ~」という“丼勘定”のところで閉められ、残った人は次のフェリーへとなる。いずれにせよ“ピストン輸送”をしているのですぐに次のフェリーが来る。『でもたしか、、、リバティ島に上陸できる最大人数は“500名”じゃなかったっけなぁ~???????』

 リバティ島に上陸。私たちおじさんsは左回り(時計回り)で島を一周することにした。自由の女神像と海上の様子を見たかったからだ。
 島は風がけっこう強く、体感風速計では7m/secくらいか? 島の風下は島で波が消されているが、風上は風による波と、その波が島に当たった返し波とが重なって、波高は1mくらいだが細かな波で泳ぎ辛そう!

 ほぼ島を一周したところに大会事務局のテントがあり、私たちはそこで受付を済ませ、受付に近い木陰で休む。
 だがどう見ても焦って来るようなところではない。島にはどう見ても500名以上の人がいるし、6時以降に始まるレースで2時には会場にいるのだ。こんなことなら国連の日本語ガイドツアーで午後の部に間に合ったのに・・・。
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大会事務局のテント

 受付に行って、私はロジャー・フィンチが受付を完了したかどうか確認した。来ている。この島の何処かにロジャーは来ているのだ。ロジャーは南アフリカのオーシャンスイマー、2010年、2011年とドーバーで会っている。二年ぶりの再会になるし、ロジャーは津軽を泳ぎたがっている。

 自由の女神像の裏に公園のような木々が立っているところがある。そこをうろつくといた。ロジャーがいたのだ。彼はニュージャージーに住んでいるタイの女の子と一緒に来ていた。その女の子は30歳くらいか? じゅんこさんより華奢で、でも明るく笑顔の可愛い女の子だった。ロジャー好みかな?
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自由の女神像の裏で

 久しぶりの再会を私たちは抱き合って喜んだ。
 ロジャーに湘南の主さんを「日本人最高齢チャネルスイマー(ドーバー海峡完泳者)だ」と紹介した。するとロジャーは、「今、南アフリカの74歳になるスイマーがドーバーを泳ごうとドーバーに滞在している」と教えてくれた。もしこれが成功したら“世界最高齢”になる。
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南アフリカと日本のチャネルスイマー

 成功すればその朗報は私にも届くであろうし、届けばこのブログにも紹介しよう。

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2011年9月 左:ロジャー・オルソップ(イギリス:世界最高齢チャネルスイマー:70歳4ヶ月)
上からロジャー・フィンチ(南アフリカ)、私、キンちゃん(ドーバーにて)

 ロジャーと津軽の話をしている時に集合が掛かった。受付前にある国旗掲揚ポールの前に集まり、大会の注意事項などがスタッフにより話された。ただ英語なので内容はよくわからないが、パソコンによる“前日会議”より効果的だと思うのだが、どんなものだろう???
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国旗掲揚ポールの前で行われた大会説明会(これで充分?)

 さていよいよレースだ。“105”は私のナンバー。ロジャーも湘南の主さんも“300番代”。おそらく遅い順に並べているのだろう。ところが、、、(後述)。
 水着になった選手たちは“101”からズラ~~~~~~~~~~~~~~っと一列に並ばされる。申込人数333名。その内の一割が休んだとしても300名のスイマーが一列に並ぶとかなりの長蛇になるし圧巻だ。その行列がスタート台に向かって行進する。列の周囲では拍手やカメラのシャッター音が・・・。
 ちなみに101はアメリカ人女性、102は欠場、103は日本人男性(トライアスリート)、104はアメリカ人男性(トライアスリート)、105私、106はアメリカ人男性、107はアメリカ人女性、108もアメリカ人女性・・・と並ぶ。
 そう、私の一人開かせて前に日本人男性がいたのだ。その男性と話した。
男「どうして私はこんな前なのでしょうねぇ?」
私「遅い順じゃないの?? 1500mをどのくらいで申告したの?」(事前に大会事務局に申告することになっている)
男「29分です」
私「えっ、そんなに遅くないじゃん! 他に何か大会に出ている?」
男「去年の湘南OWS10kmを3時間30分で完泳しました」
(決して速くはないが、遅くもない)
私「そうなんだ・・・。じゃあ“遅い順”じゃないかもね・・・」

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コースは反時計回り

 101からフェリーの桟橋先端近くまで行く。先端ではクレーン船が来てスタート台を設置している。この作業に時間が掛かった。とにかく波がバシャバシャあるのでうまく固定が出来ない。スタート台が低い浮桟橋だからだ。
 行列の先頭の方、つまり私たちはその作業を目の前で見ているからスタートできない理由はわかるが、ロジャーや湘南の主さんの並んでいる300番代後方は「何をやっているのか」とイライラしたであろう。
 スタートできない説明でスタッフが行列の後方まで走る。とにかくこの“スタート台設置作業”でスタートが小一時間遅れた。
 この時、説明に歩いたスタッフが104の前でピタリと止まった。104はトライアスリートで、着ている水着の生地がウェットスーツの生地だからだ。まあ普通にある膝上までの海水パンツだが、生地は明らかにウェットスーツ。
 スタッフは盛んに私の水着に指を指し、「こういう水着じゃなきゃダメだ!」と言っているようだ。ちなみに私の水着は昔ながらの競泳用ビキニパンツ(ブーメランパンツ)。オリンピックにだって問題なく参加できる水着だ。ところがスタッフと104の会話が速過ぎてよくわからなかったが、結局は104に押し切られた形になった。だが今後も“水着問題”は生まれるのだろうな。いずれにせよ「白黒ハッキリしないグレーな水着は着ない」が良いだろう。。。。。。。。。

 午後7時過ぎ、ようやくスタートが始まった。スイマーの足には記録を計測するチップが着いている。計測用アンテナの前を通過するとストップウォッチのスタートが入り、再びアンテナの前を通過するとストップウォッチが切れる仕組みだ。それらはすべてパソコンに記録される。
 通過の時にいちいち“ピー”、“ピー”とピー音がする。スタッフはそのピー音を聞いて確認をしている。
 だいたい1分に10名くらいのスイマーが5~6秒間隔で海に飛び込み泳ぎ出す。その中に私の姿がある。しかも先頭近くでスタートしたため、葉山の大会のように前を泳ぐスイマーが居ないので嬉しい。
 例によって“他力本願寺ご本尊”の私はヘッドアップするスイマーにくっついて泳ごうと思ったが、すぐに『リバティ島に並行して泳げばよい』と気付き、マンハッタンの摩天楼と自由の女神像を眺めながら泳いだ。
 水は“葉山の大会”同様に汚いが、ニューヨークの摩天楼とリバティを眺めながらのスイムはなかなか出来ない。しかもスタートが遅れたせいもあるのだが、日差しがほぼ真横から照らすので、自由の女神像の光と影がハッキリしている。それを眺めながらのスイム。何とも贅沢な時間だ。

 1974年6月、ジブラルタル海峡を泳いで横断するために私はスペインのマラガに滞在していた。(ゲッ、もう40年近くも前の話だ!)
 マラガでは闘牛があってそれを観に行くことにした。闘牛場はそれこそ夕方、日差しが闘牛場を光(ソル)と影(ソンブレ)と半々に分かれたときに闘牛が始まる。闘牛士(マタドール)はその光と影の間で牛と戦うのが“美”とされているのだ。
 その時も日差しが強かった。強い日差しの中で六頭の牛が殺された。その時の日差しと自由の女神を照らす日差しが似ている。。。。。。。。。
 『それにしても、どうして40年程も前の記憶が昨日のことのように覚えていて、昨日のことは簡単に忘れてしまうのだろう』と思いながら泳いでいると、いきなり「痛ぇ!」と私に何かが当たった。
 スイマーを監視しているボートだ。何回も注意したらしいのだが、私が気付かずに真っ直ぐ泳いで行ってしまう(島に沿って曲がらなければいけないところ)からボートの船体で私の行く手を阻んだようだ。
 左直角に曲がって島に向かってしばらく泳ぐ。すると今度はカヤッカーから「島に近づき過ぎ!」と注意された。相変わらずジグザグ蛇行する癖は治っていないようだ。
 島から見て風上の、ちょうどチャッピーな波の泳ぎ難い箇所は私が“闘牛の妄想”にかられていたのできつくはなかったが、ゴール地点に向かってはあちらこちらからスイマーが集まって来るので集団になり、その中は例によって蹴られたり蹴ったり、、、それが一番辛かった。。。。。。。。。。。。
 でも偶然にもゴールはロジャーと一緒だった。300番代のロジャーはいったい何人のスイマーを抜かしてきたのだろう。いやいやノロい私がいったい何人のスイマーに抜かされたのだろう。きっとそれは両方だろう。
 ゴールの桟橋から大会事務局のテントに向かってロジャーと歩く。
私「ロジャー、シャワー浴びたくない?」
ロジャー「ああ、浴びるさ!」
私「何処で?」
ロジャー「こっちだよ」
 事務局のテントには飲料用のペットボトルに入った水が山積みされている。それをお互いに持って蓋を開け、お互いの頭の上からジャバジャバジャバ。。。
 アッハッハ、、、ロジャーらしいシャワーだ。

 ちゃっと着替えて湘南の主さんのお迎えに行こうと思ったのだが、湘南の主さんが泳ぎ終わられて事務局テントにやって来た。湘南の主さんも速かったのだ!

 この時すでに午後8時近く。ニューヨークの日没はこの日、午後7時40分頃。着替え終わったころの空は明るさよりも暗さの方が増していった。早く帰る予定の私たちはフェリーの桟橋に行くが、桟橋では8時を過ぎた暗い中でも“ピー”、“ピー”とチップがアンテナの前を通ると鳴るピー音が鳴り響いていた。そして、私たちと反対方向、つまり事務局テントに向かって歩く水着姿のスイマーがいた。暗くなってもまだ泳がせているのだ。これは信じられない。

 当然、19:15のフェリーなど運行するわけない。フェリーが動かないならバーベキューが食べたい。料金は支払ってあるのでバーベキュー会場へ行くが、大会受付でバーベキューはキャンセルしていたので食べさせてくれなかった。
 何と言うか、スタートの遅れもスイマーたちは吹き曝しの路上で水着一枚、寒い中を1時間も我慢していた。アメリカ人がよく文句を言わなかったと思う。それに引き替え融通性のないスタッフたち。もちろん私の言葉の問題(英語が出来ない)もあるのだが、聞けば103の日本人スイマーは“この大会に参加するために来た”のだそうだ。日本のOWS大会が「この大会より優秀だ」と言いたくはないが、遠く日本からこのレースのためにだけを目的に来るスイマーの居ることを知って欲しいし、臨機応変に対応して欲しい。
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夕暮れの摩天楼(リバティ島から見たマンハッタン)

 夜、リバティ島から眺めるマンハッタンの夜景はとてもきれいだった。『夜でも泳がせるなら、もっと安全にスイマーにケミカルライトでも着けて泳がせて、そうすればスイマーのキラキラがリバティ島の周囲を輝かせ、それこそ“自由の女神の首飾りスイム”とでも名付ければ見ている人には綺麗だろうな』などと、勝手に企画などを考えていた。
 それにしても腹減ったな・・・。

 125stの地下鉄駅で降りてハーレムの街を我らがアパートに向かって歩く。時間は午後11時ころだろうか。確かに酔っ払いというか、変な黒人たちはたくさんいたが、すでに私たちおじさんsも“変な日本人”である。“怖い”と思う気持ちは少なくなっていた。
 アパートに戻ると湘南の主さんは「今、食べると、明日の朝、胃がもたれるから」と夕食をキャンセルした。『食べないと餓死してしまう』と、腹減らしの私はサッと素麺を茹でる。
 そういえば昔、、、、、ロンドンでテロ事件があり、その日にヒースローに到着したキンちゃんと私は、、、、、這う這うの体でドーバーのアパートに到着した。すでに真夜中で、、、、この時キンちゃんが素麺を作ってくれて、、、あれは旨かったなぁ~~~・・・。
 ビールを飲み、素麺を食べながら思い出に浸っていた。

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