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2005年8月30日 津軽海峡単独横断泳の報告(3/4)

3.夢のような津軽の泳ぎ
 水温は24℃だが、相変わらず水が重たい。進んでいるのは沖合で待つ第31栄幸丸までたどり着いたからだが、「いつものマイペースで泳いで行こう」と心に決めた。佐井の景色、船上スタッフの顔を見ながら泳ぐ。大間付近の強風は頭にインプットされている。地形を見ながら肌で波を感じ、「来た、来た、来た、来た、これだぁ~!」と息を吸いながら、「次はこの波だぁ~!」と楽しんで泳ぐ。「嵐を呼ぶ女(私)」の波はハンパじゃないのだ。
 それにしても私はつくづく「贅沢なスイマーだ」と感じている。スタッフに見守られ、多くの応援者に支えられながら、今、津軽海峡を泳いでいるのだ。どうやら風も潮も味方してくれているようで、佐井の景色は遠のき、北へ北へと私を運ぶ潮に乗れたらしい。時折、石井コーチの姿が見えなくなるが、これは私のための栄養補給でお湯を沸かすため、船室に入ってしまうからだ。小さなガスコンロにやかんを乗せてお湯を沸かすが、揺れる船内ではコンロから落ちないよう、お湯が沸くまでやかんを持ったままでいなければならない。後から聞いた石井コーチの話では、「オレがお湯を沸かそうとすると波が荒くなり大きく揺れる。まったく"嵐を呼ぶ女"なんだから!」だそうだ。いずれにせよこの贅沢なスイマーはこういった暖かい人の心の上で泳がせてもらっている。本当に多謝、多謝なのだ。
 栄養補給は40分に1度、石井コーチから投げ渡される。これはドーバー泳のルール同様にやっているため、船上から投げられた栄養補給品を水中で摂ることになる。スイマーは泳中、船に上がることも触れることも許されていないのだ。ちなみに脂類を身体に塗ることは許されているものの、ウェットスーツなど標準的な水着以外の着用は禁止だ。そしてスタートは身体の全てが水から出た陸上からで、ゴールは対岸の陸上に身体の全てが水から上がった状態になる。この間、人の手を借りてもいけない。
 佐井からほとんど西に進路を取り、ある程度来たところで北に向かう。そしてそろそろ本命の主流、津軽海峡のベルトコンベアに乗るのだ。そう思った途端、急に非情な冷水が・・・。「冷たい!」と叫ぶと同時に、今までにないメチャクチャな波が・・・。「何だろう?」と右を見ると、「これぐらいだ!」と安宅さんが両手を広げて教えてくれる。「ああこれぐらいの幅は、こういう状態が続くのか?」と下を見ると渦が! どうやらスカーリングをすると出来る渦(「カルマン渦」と呼ぶらしい)の、そのまた巨大な親玉渦の中で泳いでいるようだ。『ここは鳴門海峡か?』と思ったほどだ。しかし渦を見た次の瞬間、波が穏やかになり水温も上がってきた。船上からは安宅さんに「〇(丸)」のサインをもらった。後から聞いた話では第31栄幸丸も回ったらしい。始めて泳ぐ渦の中、おもしろい!!
 波は穏やかだったり、後ろから押してきたりの繰り返し。ドーバーで習ったように「前を見ない」、「止まらない」、「喋らない」、「クラゲを怖がらない」を私は守った。それでも船上スタッフとジェスチャーなどによる会話は楽しめる。石井コーチがジェスチャーで私を笑わせると、他のスタッフもおもしろがって私を笑わせてくれた。こういうコミュニケーションが私は大好きだ。そんな余裕の泳ぎでも、海峡の本命ベルトコンベアは平均時速8km/hの流泳で私を移動させた。ちなみに100mを50秒で泳ぐオリンピック級のスプリンターは、平均時速7.2km/hである。もちろんベルトコンベアに乗っているから出来る業ではあるが、世界一のスプリンターより私は速く泳いでいると思うと愉快になる。「ワッハッハッハ・・・、世界のスプリントスイマーよ、束になってかかって来なさい!」なんてネ。
 最初、『ゴーグルの中に海水がチョロチョロ入ったかな?』と思ったくらいであまり気にも止めなかったが、だんだんと眼が痛くなり、海水を出しても何故かまた入ってくる。痛くて左眼が開けられなくなったが、泳ぎの方は後ろから押し寄せる波に「私を函館まで連れてってー!」と叫び、とても楽しんでいた。ところがこれが楽しみ過ぎた。大間と汐首を結ぶ線(最狭部)から太平洋側に出てはいけないものの、調子に乗ってベルトコンベアに乗り過ぎたのか、汐首まであと2マイル地点で線の太平洋側まで押し出されてしまったのだ。そしてそのまま流され北海道は遠のいて行った。
 ドーバー泳の前だったらここで音を上げていたかもしれない。しかし今の私は違う。ドーバーで習った「前を見ない」、「止まらない」、「喋らない」、「クラゲを怖がらない」が、いつか必ず北海道に着けると言う自信につながっていた。
 同時に地元の漁師、安宅さんは汐首の先でも岸に近ければ"反流"があることを知っていた。つまりベルトコンベアを通り越せば、むしろ北海道に向かう反時計回りの潮(向岸流)に、私を乗せようと考えていたのである。この頃から第31栄幸丸が私より先に行くようになった。ずーっと真横にいてくれた船が私を置いて行く。「どうして?」、泳いでも泳いでも追いつかない。「もっと速く泳がないと流されてしまうのか?」、私は必死である。後から聞けば、ベルトコンベアから脱し、早く反流に乗せようと安宅さんも必死だったらしい。
 北海道に近づくに連れ水温は19℃と低くなり、持病の大腿部痛が心配になってきたが、どうにかキックは打てている。そんな折、船上スタッフ全員が前方を見つめている。「もしや・・・」と思った予感が的中した。安宅さんの弟、善春さんが仕事を終え、自分の船で駆けつけてくれたのである。絶対に来てくれると私も信じていた。善春さんは「ミユキ、お前は俺を親父だと思え」と言ってくれる。今回も「ミユキ、俺はお前の泳ぎを見たとき、感動の涙で前が見えなくなったぞ」と言ってくれた。おそらく数多い善春さんファンの私も一人である。その善春さんの応援が、私の大腿部痛の心配を吹き飛ばしてくれた。
 暗くなる準備でカラーゴーグルをケミカルライトのついたクリアゴーグルに取り替えた。この時すでに左眼はほとんど見えず、片眼で泳いでいた。ゴーグルを替えても症状の変化は無し。すると突然船が止まった。第31栄幸丸はそれ以上接近できないほど岸の近くに寄ったことを私は知らない。すると善春さんの船(喫水が浅い)が「こっち、こっち」と言わんばかりに岸よりで誘導してくれた。右眼でその先を見ると、岸では20人くらいの人が私を待ってくれている。見える眼からも見えない眼からも自然と涙が溢れる。念願の、念願の津軽海峡を泳いだのだ。岸寄りの波をあまり好まない私だが、人前ではわざと威風堂々の姿にしてビーチに上がった。函館市浜町の到着時刻は18時15分。佐井を出発して11時間36分後のことだった。
 「皆さん、夢の津軽、津軽海峡を泳ぐことが出来ました。ありがとう!」と、御礼の挨拶をした。知らせを聞いて駆けつけてくれた安宅さんの親戚から花束を受け取る。こんな経験は初めてだ。端っこの方に安宅さんの奥さんも双眼鏡を首から下げて嬉しそうに立っている。縁の下の力持ち、陰の立役者のお母さんと握手をした。それから出迎えてくれた人に「ありがとう、ありがとう」とお礼を言いながら握手をし、ふと海を見ると・・・、到着の合図でケミカルライトを振るのを忘れている!慌てて船に向かって手を上げケミカルライトを振った。私らしいドジだった。

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こんなもんかな?

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そんなもんだ!

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よっしゃ―!!

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津軽の海は・・・

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フラットな海と、、、

P8300069
チョッピーな波が、、、

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次々とやって来る。。。。。。。

P8300073
だから面白い!!!

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船頭さんの弟さん(漁師)が迎えに来てくれた。

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もう少しだ!

P8300082
よし、オレについて来い!!

P8300083
わかった!

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