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わくわく、どきどき、台風の目。

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2013年1月の記事

パットの津軽海峡横断泳(12/17)

   12. 再チャレンジ

 9月12日(水)今日は一日のんびりと過ごす。午後、石井先生から「明日、再度チャレンジする」と連絡が入った。「スタートは青森側の竜飛岬が有力だが当日の風、潮を見て決定する。第二案は北海道の白神岬だが、これはスイマーが承知するかどうか不安が残る」とのこと。午後、ミーティングだったが、いつの間にやら眠ってしまい、気が付いて石井先生の部屋へ行ったがもう話は終わりかけていた。
 「最終確認で明日、決行する。スタートは青森側の竜飛岬とする。出港は午前1時半過ぎとなる。天気予報では明日の津軽海峡は午前中西寄りの風、午後は東寄りの風に変わるそうで、早めに海峡を渡り、北海道側の東向きの潮に乗りたい」とのキャプテンのアドバイスがあったようだ。パット、アンナから「船は出来るだけ泳者の横へつけて泳がせて欲しい」と要望が出された。しかし、風向き、潮の流れによりどうなるか分からないが、「承知した」と石井先生の返事。
 先日は潮が悪く、“何とか悪い潮を乗り切ってもらおう”と船で引っ張ったが、泳者が船のスピードについてこられなかったために、結果、船から離れて泳ぐことが多くなった。そして私の乗る船には女性サポーターが二名いるが、「トイレの設備がないので何とかして欲しい」との要望も出された。安宅さんの船にポータブルトイレがあるのでそれを借りることにした。
 ミーティングの後、戸井支所へ全員で表敬訪問。支所長以下、この遠泳で色々お世話になっている役所の方が親切に対応して頂き感謝である。

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戸井支所を敬表訪問するスイマー

 安宅さんの船にトイレを借りに行き、船の手入れをしていたキャプテンの弟さん、善さんにパット、アンナの要望を伝えた。「泳者のスピードに合わせて船を動かすのは簡単だが、それではあの潮を乗り切ることが出来なかった。何とかこの横断泳を成功に導くために我々も色々と考えているんだ」と言われた。
 トイレを借りて今度は門脇キャプテンの船へ行き、トイレの設置をお願いした。門脇キャプテンにも、パット、アンナからのお願いを伝えたが、安宅さんと同じようなことを言われた。非常に難しい問題だ。泳者から言うと「船を横につけて泳ぐことは当然だ」と思っているのだが、船側から言わせるとそうとは言い切れない思いがあるようである。しかし、双方とも海峡横断泳を成功したい、させたいという思いは同じなのだが・・・・・・
 帰りにいつものコンビニへ寄ってもらい、明日の食料品などを仕入れる。ムーイの宿から5kmぐらい離れているのだが、この辺りで唯一のコンビニなので結構繁盛しているように見える。

1月20日 マラソン

 マラソンの応援に行って来ましたよ。
 主人は背が高くて細い女性ランナーを見て感動していました。
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 今日は赤ちゃんを犬屋さんに持って行く日です。
 お別れをしに皆がお家に来てくれました。
 一匹は妹の家に行きましたが、妹の子ども、マサキが犬アレルギーだから大丈夫か心配です。
 皆、犬が大好きなんだけどなぁ~
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パットの津軽海峡横断泳(11/17)

   11. 断念

 何度目かの栄養補給の際、パットから「いくら泳いでも景色が変わらず、もう止めたい。そして再チャレンジが出来ないか?」との質問が出された。パットは泳ぐ前から「私はスピードが無いので、海流に乗って泳げる青森側の小泊からスタートしたい」と言っていた。しかし「協会側としてはそこのスタートは考えていない」と断っていた。だが現在の状況を考えると『それも考慮一つかな?』と思えた。アンナのサポートをして先行している石井先生の船へ連絡。パットの現状、門脇キャプテンのアドバイス、見解等を伝えて、再チャレンジの可能性を伺った。石井先生の回答は、「それでは再チャレンジを考えますので中止してください」とのこと。
 パットを呼び寄せて「再チャレンジを認めるから、今回は中止にします」と伝えた。泳ぎ出してから3時間半、北海道側から1.5kmぐらいしか離れていないのだが、横へ流された距離は5km以上。サポート者全員ガックリと力が抜けてしまった。特に通訳を兼ねてサポートに全力を注いでいた陽子さんは、パットが泳ぐ前から何かと世話を焼き、泳ぎ出してからも大きな声で声援を送り続けており、声がガラガラに変わってしまっていた。しかしパットに言わせると「耳栓をしていた」のと、船から離れて泳いでいたので、陽子さんのあの大きな声の声援は殆ど分からなかったようである。「あぁ~悲しい!!」

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前に進まずずっとこの景色が見えていた

 船にあるGPSに映し出された航跡図を見ると、北海道側の岸沿いに進んでいる線が描かれていて前にはほとんど進んでいなかった。

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船のGPSに映し出される航跡

 気が付いたら雨は上がっていた。キャプテンに今回の横断泳の中止を正式に告げ帰路についた。風向きが東に変わっていた。こちらへ向かって走ってきた時の船のスピードは時速11~12kn(ノット:1kn=時速1.852km)だったが帰りは16~17knと1.5倍くらいのスピードアップである。それだけ潮の流れが強く速いと言う証拠かもしれない。東寄りの風に変わったので波高も1.5mを超えるうねりが入ってくる。“海流に乗るのと逆らうのではこんなにも違うのか”とビックリである。帰りは3時間弱で港へ戻った。帰航途中でアンナの状況を確認したら、「うねりはあるが何とか泳いでいる」との返事が返ってきた、アンナは頑張っているな。
 私たちは昼ごろに港へ戻れた。とても残念だが仕方ない。これが海峡横断泳の厳しさ、難しさなのだ。帰り際にキャプテンから大きな「マス」を二匹頂いた。我々にはとても大きな魚だと思ったが、漁師さんに言わせれば小さいので「市場に出せない小さな魚で悪いねえ~~」と言われた。
 宿のムーイへ戻ると中村支配人が出向かえてくれた。何故か疲れがドッと出た。13時過ぎにキンちゃんから連絡が入り、「今、函館山に向かって泳いでいます?」とのこと。意味がよく分からなかった。確認するとアンナもはやり本流の流れに乗りきれず、前に進まず、横断泳を断念。「潮の流れに乗って泳ぎたい」との本人の強い希望で、函館山を目指して泳いでいるとのことだった。やはりアンナも諦めたようである。海峡横断泳の難しさを改めて感じた。
 更に石井先生から連絡が入り、「門脇キャプテンからの連絡で、(木)か(金)に再チャレンジ出来るが、パットは泳ぐ意思があるかどうか至急確認してほしい」とこと。直ぐに陽子さんへ連絡してパットの意思を確認した、「泳ぎたいが再度船代を支払わねばならないし、その代金が高ければ出来ない」と言ってきた。パットの意思を石井先生へ伝えると、それなら「5万円ぐらいならどうか?」とのことだったのでパットに伝えると、それなら「OK」と再チャレンジが決まった。
 アンナも石井先生から「再チャレンジするから」と、函館山に向かって泳ぐアンナを説得して船へ上げたそうである。キンちゃんから「今、港へ向かって走っています。あと1時間くらいで港へ帰れます」との返事だった。我々が港へ戻る途中から青空が広がってきたが、今はすっかり晴れ上がり、暑くなってきた。雨で濡れた物を部屋の外の手摺りにズラリと並べ、乾かしにかかる。その間に昼食、風呂へ行ったが、疲れがドドッと出てきた。

1月18日 パソコン教室

 まだ今年の目標が決まらず悩んでいましたが、「46歳と同じような1年は過ごしたくない」と言うことで、“少しは自分をレベルアップしよう”とパソコン教室見学に行くことにしました。
 すると、この間コロナの湯でお会いした女性がいました。
 説明を聞き、入会してきました。
 今は携帯からブログを作成しています。
 でも少しずつですが、パソコンが使えるようになると思います。
 ご期待を!

「けだし」(冬の海の風物詩)

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2007年1月10日 駿河湾(淡島~大瀬崎間)の海練習
水面から上がる蒸気を漁師は「けだし」と呼びます。
海水温と気温の差が大きい時に生まれます。

パットの津軽海峡横断泳(10/17)

   10. 津軽を泳ぐ

 9月11日(火)12時前に目が覚めてしまい外を見ると石井先生、陽子さん、キンちゃんの部屋の明かりが点灯している。準備は私も整っているので荷物を外へ出す。私の部屋の前で若者4~5人がこんな時間に写真撮影していた。『何かの雑誌にでも載せるのか?』そんな感じの撮影風景。外へ私が出ると「すみません」と謝ってきた、多分うるさくしていたので“注意でもされる”と思ったのかもしれない。
 「いや、いいんです。これから私たちは津軽海峡横断泳に挑戦するのです」と言うと、「そういえば、先ほど三人の方が出て行きましたよ」と言った。パットたちだ。車の所へ行くと既に車に乗り込んでいた。私が乗ると直ぐスタートする。
 門脇キャプテンの船はここから4kmほど先の漁港。10分ほど走ると着いてしまう。事前に船を確認しておいたので、船の前に車を停める。門脇キャプテンの姿は見えなかったと思ったら、船の中で仮眠を取っていたようで、話し声が聞こえたらしく船から姿が現れた。P1010072
準備が整い出港を待つ門脇さんの船 第11宝珠丸

 直ぐに出港の準備を始めだした、門脇キャプテンの弟さんも一緒である。慣れたもので手際よく準備が進められて、程なく我々も乗船して午前1時には港を出ることが出来た。港を出てからフルスロットルのスピードでスタート地点へ向かう。空は暗闇、周囲も暗く海がどのような状況になっているのかあまり良く分からない。遠く街の明かりが海岸線に沿って光っている。暗い海には所々に漁をしている船の明かりに出会う。海は穏やかなように思えた、暗いのでよく分からないが、船の上下動が少ないということは波が小さいということだ。
 船は力強いエンジンの音を響かせて突っ走っている。11~12シーノット(1シーノット=1.852km/毎時)のスピードで走っても3時間以上掛かるスタート地点だ。アンナの乗る船は安宅キャプテンの船で港が違う。何処に居るのか門脇キャプテンに尋ねたら、「直ぐ先を走っているよ」と教えてくれた。
 時間が掛かるので門脇弟さんが、「船の前方にある船倉で横になると良いよ」と言って、船倉内を片付けてくれたので、陽子さんと私は潜り込んで横になった。船底から波を切る音がよく聞こえる。しかしいつの間にやらウトウトと眠り込んでいたようである。
 時計を見ると午前4時過ぎ。どの辺りか確認すると、「北海道の白神岬が右前方だ」と教えてくれた。辺りは暗くて状況が良く確認出来ないのでしばらく待機。パットは早々と準備を終えて、今か、今かと待ち構えている。P1010073
準備万端スタートの合図を待つパット

 スタート前に今回の横断泳についての注意事項、スタート、ゴールの合図の仕方等について説明をする。海岸線が確認出来る明るさになり、4時45分ごろ今回のスタート地点、小さなスリップウェイに向かって泳ぎ出すように合図をした。手前に大きな岩があり、その右側なのだが、パットは左方向へ流されている。陽子さんが大声で「右、右!」と英語で指示しているが、聞こえないようだった。が、やっと分かったようで、方向を修正して小さなスリップウェイへ向かって泳いで行く。アンナは既にスタート地点へ到達したようで、石井先生のスタート合図のフォーンの音が聞こえてきた。
 パットの姿がスリップウェイの陰に隠れて見えなくなった。石井先生の「パットが海から上がった」との声が聞こえたので、私もフォーンを思い切り鳴らした。時は午前5時00分。いよいよ津軽海峡横断泳の火ぶたが切られたのだ。
 アンナのゆったりとした泳ぎが見えてきた。風は北東の風で船の左舷方向から吹いている。なのでパットに船の左舷側すなわち風上側で泳ぐように指示するが分からないようで、そのまま右舷側を泳いでいる。パットの泳いでいる直ぐ右側に定置網の漁網が長く伸びているので引っかからないか心配していたが、どうやら潮の流れがかなり強く右から左方向へ流れているようで、網には触れずに何とかクリヤー出来た。網をクリヤー出来たので船はパットの風下側へ移動して泳ぎを見守ることになった。
 今日の津軽海峡は潮の流れが日本海側から太平洋側へかなり強く流れているようで前に進まず、横へ横へと流されているのが周囲の景色から良く分かる。雨もかなり激しく降っている。スタートから1時間毎にパットの泳ぎのデータを記入するのだが、用紙が濡れてしまいうまく記入出来ない。水温25℃、気温22℃、風は北から東寄りで最大風速5m/sec、波高1m前後と、津軽海峡としてはごくごく普通の海況だと思う。だが海流が泳者にとって最悪の流れとなっていた。岸寄りの潮の流れは元来複雑な流れを生じているのだが、今日は特に悪いようで青森側へ進む潮が真逆になり、全く前に進めないでいる。何とかこの潮の流れを脱出しようと船が少しずつスピードを上げてパットにスピードアップを促すのだが、パットはその動きに着いてこられず、直ぐに船と離れてしまう。そのような動きを何度となく繰り返して、悪い潮からの脱出を試みたが、横へ流されているだけで前にはほとんど進んでいなかった。

1月17日 母親の体操

 まだ調子がよくならず、弁当作ってから朝練に行きました。
 午前中は「煮しめ」を作ったり、「里芋の煮っ転がし」を作ったり、料理三昧をしていました。
 赤ちゃんは『静だな』と思えば寝ているし、起きていれば足をかじられるし、足の踏み場がありません。
 昼からは竜城で練習。
 お腹が痛いですが、我慢我慢。
 早く治らんかな?
 でも晩酌はいつもしています。
 母親はその横で「ヘルパーさんに教えてもらった」と体操していますよ。
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パットの津軽海峡横断泳(9/17)

   9. いよいよ泳げる

 9月10日(月)予報通り未明からかなり強い雨が降り続いている、しかし風は無い。5時半起床、カップ麺、バナナ、ヨーグルト等の朝食を摂る。
 今日は特に予定はないし、外は大雨なので気持ちがダレる。テレビをつけたままにして天気予報をチェックするが、今日は一日中雨。関東地方は未だ33℃の気温になるとのこと。こちらは丁度良い22~23℃。8時半ごろ石井先生から電話があり、「朝食が出来ました」とのこと。キンちゃんたちのいる部屋へ顔を出す。今日の朝食はチャーハン。私は味噌汁と豆腐をいただいた。再度本日の予定を確認。パットとアンナを連れて戸井支所へ挨拶に行く予定だが、議会が始まっているので会えるかどうか分からないそうだ。それから夕方、安宅さんの所へどうするか確認に行くとこになった。泳ぐには雨降りは関係ないが、出来れば雨降りは避けたいと思うのだが、どう判断されるか。もし明日決行することになればそれなりの準備が必要になる。
 9時過ぎに小降りになったので海岸まで散歩に出る。住宅地の間の細い道を海へ向かう。どの家にも庭に破砕石がひかれており、そしてコンブの乾燥室小屋が立っている。
 海へ出ると風はなく、波も小さく穏やかだが、視界が悪く青森側はどんよりと低い雲が立ち込め、下北半島は見えない。30分ほどで宿へ戻る。石井先生の部屋へ行くと先生は居なかった。キンちゃんと陽子さんが話していたので話の輪に加わり、雑談をしていると外をアンナが通りかかり、アンナはこれから海へ泳ぎに行くそうだ。キンちゃん、荒川さんも一緒に行くそうだ。私も誘われたが「泳がないけど一緒に行くよ」と言った。石井先生はキンちゃんの部屋で寝ていたそうで、先生も「行く」とのこと。車で安宅さんの家の前の海岸まで行く。スイム用のGPSをキンちゃん、荒川さんにセッティング。それに時間が掛かり、アンナは待てないと一人で泳ぎだしてしまった。キンちゃん、荒川さんは二人並んで少し沖目に出てから、海岸線と平行に右方向へ泳いで行った。何気なく左方向を見ると二人泳いでいる姿が見えた。石井先生に話すと、海岸にあるスロープに見覚えのある車が止まっていた。泳いでいるのはパットと陽子さんのようだ、パットは「今日は泳がない」と言っていたのだが、二人が泳ぐのを聞いて来たようだ。30分ほど泳いで上がってきた。P1010023
歓談するパット・アンナ・陽子

 帰りに安宅さんの家により情報収集。「明日決行する」との判断が下った。安宅さんの家のコンブ乾燥小屋の二階から安宅さん、門脇さんが顔を出した。
 アンナに「明日泳ぐよ」と告げると大騒ぎして喜んでいた。パットの車も来たので、「明日泳ぐ」と告げるとやはり大喜びしていた。陽子さんに言わせると、「パットは泳げなくてかなりストレスが溜まっており、なだめるのが大変なんだから!!」と裏話を聞かせてくれた。「スタートは北海道側の白神岬付近になると思う」とのこと。ここから船で3時間ぐらい掛かるので、港への集合は明日の午前1時ごろ。そして「集まり次第出港する」とのことだった。
 宿へ戻ると又、雨が降り出してきた。泳者は雨降りでもあまり関係ないが、サポートをする人は『勘弁してほしい』と思う。午後1時過ぎに昼食に呼ばれた。私はカップ麺のテストをしており、今朝5時過ぎに持参したポットのお湯の冷め具合、カップ麺が美味しく食べられるかを、ポットのお湯を使い試していたので、そのまま持ってキンちゃんの部屋へ行く。今日の昼食は冷麺だそうで少しだけ食べた。石井先生から「14時に最終ミーティングを行う」との指示が有った。スタートは白神岬付近とする。ゴールは一応津軽半島の何処か?「ともかく青森側の何処でも良い」とのことだった。港には午前1時集合。スタート地点まで3時間くらい掛かる。夜明けと同時にスタートする。アンナもパットもスタート地点は同じとする。「これから海上保安署へ変更届を出す」とも言っていた。
 今回私はパットのオブザーバーである。陽子さんが私の所へ来てソッと教えてくれたことは、「パットは時間にうるさい。だから早めに来てね。時間に遅れないようにお願いします」とのアドバイスだった。
 「明日の準備をする」と言ってもたいしたことは無いが、門脇さんの船へ午前1時集合となっているので、早めに夕食を摂り、横になってうつらうつらしていた。今夜のムーイは我々の他に何組かの宿泊客があり、赤ちゃんの泣き声がとてもうるさく感じた、誰かが注意をしたようで、謝っている声が聞こえた。後で分かったのだが、陽子さんが“静かにしてほしい訳”を話してお願いをしたそうである。P1010044
左からサポートのパット・泳者のパット・サポートの陽子

1月15日 蟹料理を食べに行きました。

 友だちに誘われ、東刈谷の蟹料理を食べに行きました。
 でも初めて行くお店で緊張しましたよ。
 前はよく福井県の“宇部島”と言う所で、安城マスターズの新年会で、蟹コースを頼み、1泊2日で新年会をやったものです。
 まああの時の料理の小型版って感じで、刺身、茹でたの、鍋物、茶碗蒸し、御寿司、酢の物、口取り、天ぷらと、何が出てきたか忘れましたが、12時から16時まで飲みながら喋りなから食べながら、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
 まあまだビールは飲めましたが、今度は牡蠣食べ放題に行きたいな!
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2007年1月10日 駿河湾(淡島~大瀬崎間)の海練習

2006年1月27日の湘南の主さん

「海水浴」と聞くと“夏の風物詩”、あるいは“夏の季語”という感じがする。

しかし世界のオーシャン・スイマーたちは冬の海でも練習をするのだ。

しかも海で!!!!

中には海ではないのだが、氷の湖、あるいは河川の氷を割って、あるいはプールのように四角く削って、その中を泳ぐ強者も多い。

まあそれは「寒中水泳」の部類か!!??!!

一般に多くのオーシャン・スイマーは氷が張ってないにしても、低水温の水泳練習は欠かせないもの。

ただ、冬に水着1枚で泳いでいると、コートを着て海を散歩する輩からは冷たい視線が矢のように飛んでくる。

その矢が“グサ、グサ、グサッ”と身体を貫通しても、オーシャン・スイマーは負けないのだ!

そんな湘南の主さんを紹介しよう。

数年前の今月、今夜~!!

違う、違う。2006年の本日(1月27日)、海練習の姿である。

冬の姿形だが、、、、、この姿から

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変身~~~!!!!!

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どちらの写真も同年同月同日である。

1月14日 寒中水泳

 何回、出場したのだろう?
 海練習がないときは戸惑いもなく参加していた寒中水泳。
 岡崎の乙川を泳ぐのですが、朝から大雨で寒く、用意される方も大変だっただろう。
 焚き火のジャンボ版、温かい豚汁の用意、テントの用意、泳いだ後に入るお風呂の用意、まだまだ私たち参加する人には見えない部分がたくさんあるだろう。
 御苦労様です。
 その冷たい雨が降る中で開会式が行われ、成人の方をお祝いし、寒中水泳が始まりました。
 水温6度でしたが、泳ぐ距離が去年より短くなったので、さほど冷たくありません。
 でも出た後のお風呂は温かくて出られませんでしたね!
 顔ぶれを見れば、大体毎年参加される方たちばかりです。
 だから一年に1回、寒中水泳で会う友だちに会うのも楽しみの一つですね。
 あっと言う間に終わってしまいましたが、後片付けも大変だろうと感じました。
 後から聞きましたが、クルマやらでグチャグチャになったタイヤの跡、人間の足跡など、綺麗にならしたそうです。
 いつもより1時間半も長く片付けしたそうです。
 朝から夕方まで冷たい雨が降りしきる中、本当に御苦労様でした。
 風邪など引かないように気を付けて下さい。
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2007年1月10日 駿河湾(淡島~大瀬崎間)の海練習

パットの津軽海峡横断泳(8/17)

   8. プールで泳ぐ

 昨夜から今朝にかけて大雨と強風だったが、日が出てから雨、風ともに治まってきたようだ。5時起床。気分は上々、良く眠れた証拠。カップ麺、バナナ、納豆の朝食。
 今日は予定通り函館市内の室内50mプールへ行く事になっている。「私の住んでいる所の近くには50mプールがなく、今までに一度も泳いだことがない」と言っていたパットは、とても楽しみにしている様子だった。
 プールの開場は10時からなので、今朝はのんびりである。7時ごろ石井先生の部屋へ行き打ち合わせを行う。今回私はオブザーバーとしてパットの船に乗るが、スタート前の注意事項等について私なりに考えたことを話した。

  1. スタート前は体が海から完全に出た状態になること。出たら手を挙げて合図すること。
  2. スタートは私のフォーンの合図でスタートすること。
  3. 泳いでいる間は船に触れること、船に上がることは許されない。但し、オブザーバーの指示が有るときはこの限るではないこと。
  4. 泳ぐ時間は基本的には日の出から日没までの間とする。但し、オブザーバーの判断で延長することもあるが、日没後2時間程度。

 等々が私のオブザーバーとしての基本的なところと説明して概ね了承された。
 先生と話していると、キンちゃんが「食事の支度が出来たよ~~~」と呼びに来た。私は豆腐と野菜を食べた。

 キンちゃんご夫妻は今朝4時起きして、昨日行った恵山の露天風呂「水無海浜温泉」へ行ってきたそうである。旦那さんがえらく気に入ったそうで、『キンちゃんもかなり気を使っているな』と思った。旦那さんは今日の午後便で帰る事になっている。

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キンちゃんご夫妻

 プールへ行くのはパットグループの三名とアンナ、荒川、私の六名。車2台に分かれてプールへ向かうが、途中でパットグループの陽子さんから連絡が入り、「アンナの片腕にタトゥーがあるので、日本のプールでは入れさせてもらえないのでテーピングテープが必要」とのこと。
 「それでは我々の車でテープを探してくるからプールの駐車場で待っていてください」とお願いをして、テープを探しに函館市内を走るがドラックストアーが見つからない。駅近くのデパートを見つけ、荒川さんが買いに走る。何とか入手できて一段落した。プールへ入ったのは10時過ぎになってしまった。日曜日だがとても空いている。館内の係りの青年にコース内の泳ぎ方などを確認してから泳ぎ出した。私はロングコースで2,000mを一本泳いだ、パット、アンナたちは50mプールを楽しんで泳いでいる様子だった。私は水分補給でプールから上がり、補給してから皆さんの居るコースへ合流。陽子さんが私に「アンナに私の泳ぎをチェックしてもらったら」と言った。アンナは地元で水泳のインストラクターをしているそうである。100mを泳いで見せた。アンナからは「もっとローリングを効かせて泳いだ方が良い」とアドバイスを受けた。しかし、パットは「今のままの泳ぎで変えない方が良い」と言っていた。但し、「右手が水中でハイエルボーになっておらずストレート、左手は大丈夫だ」と言っていた。彼女たちは津軽を泳ぐ前なので、「1時間泳げば良い」と言ってさっさと上がってしまった。
 プールから上がった後、函館市内へ戻り、駅前の駐車場に車を停めて昼食を摂った。アンナはベジタリアンなので肉無しのパスタを注文したが、何故か肉入りが出てきてしまい、再度作り直しとなった。パットも肉は鳥肉だけだが、他の肉が入っており、それを避けながら食べていた。二人とも食べ物にかなり神経質になっているように私には見えたのだが。
 そしてアンナは14時から近くのホテルでマッサージを予約していた。パットグループはデパ地下を見て回るとのこと。石井先生はキンちゃんを15時に空港へ迎えに行く予定。私と荒川さんは市内観光をすることにした、先ず、函館山山頂まで石井先生に車で送ってもらった。山頂からは写真で良く見る景色が目に飛び込んできた。くびれた函館の街、夜景も綺麗な事だろう。展望デッキから見る津軽海峡は『やはり広いなぁ~』と感じた。帰りはロープウェイで下る。片道650円はチョイと高いのではないだろうか? アッという間に下山した。P1010045
函館山山頂から見る函館市内

 ロープウェイを降りてそのまま更に歩いて市内へ向かう。テレビのコマーシャルなどで見かける直線の坂道の先に海岸が見える場所へ行く。何人かの観光客が写真を撮っている。私も道路の真ん中でポーズを取り、荒川さんに写してもらった。P1010055
海の見える坂道

 そのまま坂道を下り、赤レンガ倉庫群へ向かう。横浜の赤レンガ倉庫より小さいが何棟も建っているが、しかし倉庫内を通り抜けられないところが多い。ここは函館の観光スポットになっているようで、観光客、修学旅行の学生でかなりの賑わいだった。P1010056
函館の赤レンガ倉庫

 石井先生と15時15分に函館駅前で待ち合わせの約束をしていたのだが、赤レンガ倉庫での散策に時間を取られ間に合いそうもなく、赤レンガ倉庫まで迎えに来てくれるように荒川さんが電話をしてお願いしたのだが、これが中々うまくいかず、待ち合わせ場所でドッキングすることが出来なかった。結果的には多少遅れてでも歩いて駅まで行った方が早かったくらいのロスタイムで、パットやアンナのとても迷惑を掛けてしまった。
 宿へ戻る途中、私のカメラの電池を買うために更に寄り道をしたが、パットたちが「食事用のパンを買う」と言って別れた。しかし宿に戻ってみたら私たちの方が早かった。
 今夜は安宅さんの家に呼ばれているので手早く風呂に入って、18時過ぎに安宅さんの家に四人で押しかけた。色々な話を聞かせてもらう、そして7時前の天気予報を見て、津軽海峡横断泳の実行日を9月11日(火)が最有力となった。
 安宅さんが行っているウニ漁は一回2時間くらいで多いときには1トン、平均で700kgぐらい捕るそうである。そして捕る量は市場の出荷量を見ながら、「なるべく高値で売れるように毎日、市場調査をしている」とも言っていた。本格的な潜水具をつけてウニ漁をやっているのはこの近辺では安宅さんだけだそうだ。
 漁師さんは朝が早いので9時前に安宅さんの家を出たが外はかなり強い雨が降っていた、明日は特に予定無しである。

1月13日 泳ぎ三昧

 朝から張り切って“高橋トライアスロンステーション”の朝練に参加し、家に戻り、布団を干しいの、毛布やら、シーツやら、洗濯してえの、家の掃除していました。
 主人の父親が刈谷から母親の身体をマッサージしに来たり、妹の家族が犬と遊びに来たりしましたが、賑やかさも午前中で終わり、主人も寝ていることだし、昼は竜城のマスターズに参加して来ました。
 先生は矢作中学校水泳部だった時の後輩、築山先生です。
 1,500メートルを50分の中で泳ぎますが、ビシバシと泳がせてくれるので楽しいですよ。
 再び家に戻り、布団を入れて、赤ちゃん犬のご飯を買いに行き、16時からの安城マスターズの仲間たちと3,000メートル泳ぎましたが、いまいち良いタイムが出ませんでした。
 ちょっとショックかな?
 めげずに頑張ろう!

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2006年6月14日 駿河湾(淡島~大瀬崎間)の海練習

パットの津軽海峡横断泳(7/17)

   7. 海の露天風呂へ

 この後、恵山の麓にある海中露天風呂へ行くことになった。海の中にある風呂なので水着着用のため、又水着に着替えて車に乗る。30分ほど走り、露天風呂に到着。海に面して岩場に囲まれた一角で海水が入って来るところで、既に何人か浸かっていたが、男性ばかりで皆さんスッポンポンの姿。
 私たち一行は女性六名、男性三名の団体で、しかも水着姿なので、先客の方々はそそくさと出て行ってしまった。ここの海中露天風呂は潮の干満差によって風呂の場所が変わるそうだ。
 綺麗に石組みされた一段と高い場所は40℃以上の水温があり、味も海水のように塩辛くなかった。色々な場所の、色々な温度の温泉を楽しみ、そのまま海へ出て泳いだり磯遊びをしたりと、大いに楽しんだ。

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海中露天風呂を楽しむ皆さん

 1時間ほど楽しんだ後、宿へ戻り軽く昼食。一休みの後、全員でのミーティングがあり、明日、函館市内の50m室内プールへ泳ぎに行くことになった。パットは50mプールで一度も泳いだことがないそうだ。
 16時ごろ、石井先生が公募していた通訳の佐藤さんが顔を見せた。その後、ここの地元の青年の田中さんも来た。彼はこの近くに住んでいるそうだが、10月に東京へ行ってしまうそうだ。今日の午後から船で海釣りをしたそうで、ソイ、アイナメを三匹も持ってきてくれた。しばらく話をしてから、夕食前に日本人は全員、宿の隣の温泉へ行く。外国人はどうも日本のお風呂はダメのようだ。
 魚はムーイの食堂へ頼んで刺身とあらの汁を作ってもらい、夕食時に美味しく頂いた。昨夜は良く眠れなかったが、今夜は横になると直ぐ寝てしまう。人間の体は実にうまく出来ていて、寝不足の帳尻を合わせてくれるものだ。夜になって風がかなり強くなってきた。
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露天風呂を満喫しているアンナ

1月12日 大変です。

 何だか疲れきっているのか、4時半には起きたものの、家の仕事をしていたら弁当作りが間に合わず、朝練はキャンセルしました。
 取り敢えず気を入れ直し、ロイヤルで筋トレし、エアロビクスをして、竜城で泳いで、ロイヤルに戻り、足心ヨガをやり、ボディーフィーリングをやり、友だちと西表島のダイビングについて、いろいろ聞いて家に戻りました。
 最近、夜中に二回ほど赤ちゃんに起こされ、睡眠不足なんです。
 爪で引っ掛けられ、髪も引っ張られ、大変です。
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パットの津軽海峡横断泳(6/17)

   6. 北海道の海を初泳ぎ

 9月8日(土)、昨夜は良く眠れず、4時過ぎには目が覚めて起きてしまう。両膝がだるい。私の寝不足の症状である。カロリーメイト、カップ麺の朝食を摂る。5時半ごろ駐車場へ行く。今朝はアンナのテストスイム。6時に港を出て沖へ向かう。北の風で風速3~5m/sec。港の直ぐ沖合からアンナが泳ぎだす。海面はいたる所で潮の流れが確認できるほど潮目が見える。複雑な潮の流れで恐ろしいようだ。今回はキンちゃんと荒川さんがアンナのサポート役でエネルギー補給を受け持っているのだが、補給品のボトルがアンナの泳いでいるところへうまく届かない。荒川さんの投げたジェルは小さくて全然だめ。やはりテストスイムをやって正解。問題点が見つかり、ロープの交換等が必要だった。宿へ戻り、朝食の後、近くの海岸へ泳ぎに行くことになった。

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テストスイムで水上のアンナが船上のサポートを写す

 石井先生が「スイムゴーグルに装着する小さなGPSのテストをしたい」とのことで、私とキンちゃんのゴーグルに取り付けた。安宅さんの家の前は、この辺りでは珍しく砂浜の広い海岸がある。泳ぐ人は石井先生、サポートパットさん、キンちゃんの旦那さんを除くスイマーで六名。海岸線を右方向へ泳ぎだす。途中で砕ける波に遭遇したが、私はうまく潜り抜けた。ところが他のメンバーが波に転がされてしまったようでストップしていた。私はそのまま泳ぎ続けて左側にある岸壁近くまで泳いで行く。岸辺を見ると石井先生の姿が見えて、反対側、今泳いできた方向を指して手を振っている。そこで前方に見える岩場を目指して折り返し、再び泳ぎ出す。波の砕けない少し沖目を泳ぐが、透明度は抜群。しかし魚の姿は見えない。湘南の海と違って海底の波紋が小さくて浅い感じがする。大きな波が来ないからなのだろうか? 海底の砂は銀色をしている。これも湘南の海とは違っている。スタート地点へ戻るとキンちゃんの旦那さんとサポートのパットさんが立っている。私は更に岩場の方向へ向かう。岩場に近づくと突然コンブの密集したものが海面すれすれまでビッシリと生えている海面に遭遇。慌てて折り返すが、この辺りは潮が沖出しをしているようで沖へと出される。スタート地点を確認して泳ぎ出すと前方に色とりどりのスイムキャップが見えてきたので、追いかけると今度は折り返して岩場の方へ方向転換して泳ぎ出した。「後6分泳ぐと1時間になる」とアンナが言っているそうだ。泳ぎ終わって海から上がり、海に面した家の庭でシャワーを浴びさせてもらった。ラッキー!!!P1010068
泳ぎ終えて上がってくるキンちゃん

1月11日 筋トレ集中

 鏡開きというのに、、、、我が家は和菓子家だというのに、、、、お汁粉は作りませんでした。
 両刀使いの私は、お萩片手にビールbeerです。
 まあ別の日に作りましょう。
 何故ならば昨日のケーキがあるからね。

 ちょっと筋トレに励みました。
 少しずつですが、筋肉増えています。
 体重は変わりません。
 脂肪は減りました。
 肥満型から脱出するのは、いつの日かな?
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パットの津軽海峡横断泳(5/17)

   5. 全員揃ったのだが?

 宿泊先のムーイへ到着、支配人の中村さんが出向かえてくれた、石井先生の顔を見て真っ先に足の指の具合について聞いていた。「だから早く医者へ行きなさいと言ったでしょ!」とたしなめていた。

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今回宿泊した函館市の施設ムーイ

 私の部屋は1号室の和室。先生はいつものミーティングルーム。荷物を整理し着替えて、一段落してから先生の部屋へ行く。パットさんの友人兼通訳の陽子さんに会う。“おばはん”という感じの気さくな感じの方である。年齢はキンちゃんと同じ年だという。今回津軽海峡を泳ぐパットさん、友人でサポート役の同じくパットさんがミーティングルームへ来た。二人とも縦、横共に大きい方だった。一通りのご挨拶を済ませ、先ほど安宅さんに聞いた天候の状況を説明して、「この週末に泳ぐのは難しいかもしれない。従って週明けの11日か、12日頃になりそうだ」と説明。最終判断は今夜7時過ぎに決定する。スタート場所については津軽海峡のチャートを見ながら説明。「パットは北海道の福島近辺、アンナはそれよりも手前になりそうだ」ということも話す。しかしパットは何故か青森側の小泊スタートに拘っている。何故なのかと石井先生が訪ねたら、「小泊スタートの方が成功率は高いとの情報を得ている」とのことだった。多分、U・Eさんのおせっかい情報らしい。しかし「今回はそこからのスタートは難しい」と告げた。その後、パットさんが乗る船の魚港へ陽子さんと一緒に石井先生に案内してもらった。安宅さんの船の魚港より東の方向へ5kmほど行ったところにある日浦漁港だった。P9070007
さっそく海図を広げて石井先生の説明に耳を傾かるパット

 夕方、キンちゃん、旦那さん、荒川さん、それから今回津軽海峡を泳ぐアンナさんが到着。皆さんが落ち着いてから改めて全員のミーティング。今週末の挑戦は無く、週明けの11日(火)か12日(水)になることを確認した。
 最終確認のため、夜6時半過ぎに安宅キャプテンの家へ石井先生とお邪魔する。私が乗る予定にしている門脇キャプテンにも連絡を取ってくれた。NHKの夜の7時前の天気予報を聞き、改めて週末の天気の崩れを確認。11日か12日に挑戦することことなった。安宅さん曰く、「天気の良い後は必ず悪くなる。が、悪い後は必ず良くなるから、来週の火曜日か水曜日が良いだろう」とのこと。
 安宅さんの家でイカ刺がお皿に山盛りに出されたが、半分くらい頂く。ムーイで皆さんが待っているので大急ぎで宿へ戻る。再度、皆さんを集めて「今週末のトライは無し」を改めて伝える。しかし遠泳中のエネルギー補給の練習を明日の早朝6時出船で安宅さんに頼んで来たので、「テストスイムは可能」と告げたらアンナは参加、パットはやらないとのことだった。
 やっと一段落、夕食はキンちゃんご夫妻と荒川さんが作ってくれた。細めのうどんを茹でたもの。アンナも交えて大騒ぎをしながら楽しい夕食だった。アンナはベジタリアンで肉類は一切食べないそうだが、とても体格が良いし、立派なお腹をしている。パスタなどの炭水化物を良く食べているそうだ。
 食事が終わり、ムーイの隣にある函館市営の温泉へ行った。午後9時までの営業だが、何とか30分ほど入ることが出来た。風呂から上がるともう風呂場の清掃人が入ってきた。日焼けした私の体を見て、「いつ津軽を泳ぐんだい?」と聞いてきた。「いや、今回は泳ぐ人のサポートです」と返事。『この辺りでは津軽海峡横断泳について一般の方で知っている人がいるようだな』と思った。夜は何故か暑くて中々寝付かれず、一晩中うつらうつらしていたように思う。長い、長い一日だった。

1月10日 誕生日

 今日は私の誕生日。47歳になりました。
 朝から「おめでとう」メールがひっきりなし。
 海外の友だちからも電話があり、久々に声が聞け、やはり『生の声っていいなぁ~』と思いました。
 このブログを見た方からもメールがありましたよ。
 石井コーチからは世界初のクリアーイヤーが届き、松波さんからはキティグッズが届きました。
 姪っ子たちからはお手紙をもらいましたよ!
 皆さん有難うございました。
 幸せ者の私です。

 と言っても主人の誕生日に私は何もしませんでしたので、普通にビール飲んでいたら、急にデコレーションケーキが出て来てビックリ!!
 母親と主人でハッピィバースデイの歌を歌ってくれました♪
 予期もせぬサプライズだらけの一日でした。
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パットの津軽海峡横断泳(4/17)

   4. 青函トンネルに

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特急スーパー白鳥15号

 特急「スーパー白鳥15号」と言っていたが、特急列車には感じないスピードである、この列車は津軽海峡の下を通る線路を走る列車だ。各座席の背後に津軽海底トンネルの概要、通過所要時間等の表が貼ってある、トンネル通過に「30分ぐらい掛かる」と書かれていた。又、各車両の扉の上の電光掲示板に、トンネルを通過する度に、「今、何という名前のトンネル通過中」、「次は何という名前のトンネルです」と表示される。青森駅を出てしばらく走ると右手に陸奥湾の静かな海が直ぐ近くに見えた。海というより湖というくらいとても穏やかな海面だった。
 陸奥湾が見えなくなり山間を走り抜けて行くうちに、電光掲示板で「まもなく津軽海底トンネルに入ります」と表示された。トンネルに入る前に石井先生と座席を交代して、先生は駅弁を食べ始めた。津軽海峡の下を通過していると思うと何となく不気味な感じがする。トンネルは海底から更に100mほど下を通っているそうだ。トンネルを通過して又、席を替わった。函館駅には定刻通り13時44分に到着。改札を出ると今年の5月に来た時に見た、懐かしい駅前の光景が目に飛び込んできた。
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青函トンネルを通過中の特急スーパー白鳥

 函館駅では石井先生が予め連絡しておいたレンタカー店が出向かえていた。直ぐに車に乗り函館空港近くの店へ手続きに行く。車の中で「8月末に津軽海峡横断泳に成功した話があり、新聞記事が出ていましたよ」と運転手から聞かされた。「その新聞はありますか?」と尋ねたら、「一週間前なので店に残っているかも知れない」と探してくれた。小さい記事ではあるけれど新聞に掲載されていた。
 『石井先生が長年手掛けてきた津軽海峡横断泳が一般の方々にも少しずつではあるけれど浸透してきたのかな?』と嬉しくなった。レンタカーの手続きを済ませ、宿泊先のムーイへ向かう。函館市内から約30km、30分ほどの所にある宿である。宿へ向かう途中、海岸線を走っていて、「今日の海なら横断泳に良かったかも知れないな」と石井先生。私もそう感じた。それほど穏やかな海だった。途中、船のキャプテン安宅さんの家に寄るが、出掛けているとのこと。「直ぐ近くのコンブ出荷倉庫だ」と言うので立ち寄った。四角に大きく束ねられたコンブの束が倉庫に山積されている。一束が15kgあるそうだ。安宅キャプテンとは私は4ヶ月振り。石井先生は一週間振りの再会。やはり安宅さんも「今日なら良かったなぁ~」と言っていた。「明日の夕方から月曜日までは天候が崩れるから、横断泳は難しいだろうな?」と言っている。詳しくは今夜7時前の天気予報を見てから決めようということになった。

1月8日 ロイヤルで

よく着ている水着だと思うけど、4人の方に「水着が違うね! 新しい水着?!」と言われました。
身体の色も白くなり、「誰だかわからんかった」とも言われましたよ!
竜城でも「色が白い」と言われ、「私、日本人なんだけどなぁ~」
お陰様で顔の染みが目立ちますね。
本当はもうすぐサイパンに行く予定でしたが、犬の赤ちゃんがいるから今回は行けません。
だから当分、色は白いですね。

いつもならメガネザルですよ~!
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2006年5月9日、駿河湾(淡島~大瀬崎間)の練習で

パットの津軽海峡横断泳(3/17)

   3. 東北新幹線

 東北新幹線ホームへと向かう。指定席は2号車でホームの南方向となる。ホームは旅行へ行く団体や出張と思われる人々で賑やかである。2号車と書かれた案内表示まで来た。後ろを振り返ると先生の姿が見えない。ほどなく見えたが左足を引きずっているではないか? 理由を聞くと、先日、津軽海峡を泳ぎ、成功したクレイグさんのサポートをしたとき、成功して港へ戻るときの船が大きく揺れて、船の舷側のパイプとデッキの間に左足の薬指を思い切り挟まれて、非常に痛かったそうで、靴を履くとその指が当たり、とても痛むそうである。多分骨折している可能性があると思われる。

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新幹線ホームで電車を待つ先生

 新幹線は定刻通り発車した。停車駅は大宮、仙台、盛岡、新青森駅と4駅だけ。190分の乗車時間だ。車内で石井先生から津軽海峡遠泳協会の今年度の経過、問題点、今後の課題等々、6月からスタートして8月末まで四名のスイマーの経過を含めて説明を受けた。そこで分かったのはこの協会設立に尽力頂いたニューヨーク在住のU・Eさんの行動、言動に問題があるということ。今回の二人のスイマーの挑戦が終われば今年の津軽海峡遠泳協会の活動は取りあえず終了なので、今年の活動を踏まえて今後どのようにして行くか、反省会を行う必要性があると強く感じた。P9070004_2
東北新幹線 はやぶさ1号

 新幹線は定刻通りに新青森駅に到着した。ここで函館行の特急に乗り換えるのだが10分ほどしか時間がない。大急ぎで函館行のホームへと向かう。この特急は指定席が取れなかったので自由席となった。しかも自由席車両は二両しかないので座ることはできなかった。しかし2時間ちょっとの乗車時間なので問題ない。車両の中央辺りに陣取って発車を待つ。多少遅れて発車した、次の駅が在来線の青森駅だった。私が立っていた横の席の若い女性が下車したのである。ラッキー! 一人分ではあるが座れる席が確保できたのである。取りあえず年齢順ということで私が先に座らせてもらった。石井先生は車内の駅弁を買った、私は殆ど動いていないしお腹も空いていないのでパスして、函館で食べることにした。 

1月8日 充実した日

やっとトレーニングの時間が取れました♪
まずはロイヤルで筋トレ、マットサイエンス、スタンダードエアロ。
次に竜城でスイム、アクアダンス。
さらにロイヤルに戻り、プチハードに参加。その後は自己練習。
帰りは薬局で買い物をしました。
とっても充実してましたが、明日は筋肉痛かな?

そう、こないだ主人が寝ている時に犬の赤ちゃんのミルクを顔に塗ってあげた後の、赤ちゃんの舐め傷ですが、本人「何でこんな所に引っ掻き傷があるのかな?」と不思議そうだったから、写真を見せたら笑っていたよ。
全然覚えていないらしい!
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パットの津軽海峡横断泳(2/17)

   2. 函館行き

 当初の計画で私は9月7日、夕方の羽田発の空の便で函館行きの予定だったのだが、8月31日になって石井先生よりスケジュールの変更が入り、「9月7日のなるべく早い時間に現地へ行きたいので、対応できるか?」と聞いてきた。仕事は9月10日(月)~14日(金)までの休暇を取っていたが、急遽、追加の休暇願を9月3日に会社へ提出して何とか許可を頂いた。
 今回の津軽海峡を泳ぐパットさんから「9月7日~14日までの間に泳ぐことになっているのに、協会の対応が9月7日の夜では、もし、9月8日に泳げる海の状況だったら対応出来ないのではないか?」とクレームが入ったそうである。その言い分、もっともな話である。
 そこで協会としては出来るだけ早く現地入りする必要に迫られた。しかし直前でのスケジュール変更のために空の便は取れず、やむなく鉄道利用の函館行きとなった。先ずは東北新幹線で新青森駅まで行き、そこから特急「白鳥」に乗り換えて、津軽海峡海底トンネルを通って函館行きとなる。しかし、青森行き新幹線は全席指定となっており、早い時間は全て満席。東京駅8時12分発の新青森駅で特急に乗り換えても函館駅に着くのは13時44分というスケジュールである。
 9月7日(金)前日の午後から北海道行きの荷物を纏めたが、今回は自分が泳ぐ訳ではなく、オブザーバーとして泳者の泳ぎを見守るという大事な役目である。
 「夏でも冬支度、晴れても雨仕度」と言われる諺に従って、長靴、雨合羽、フリース等々かなりの量の荷物となってしまった。いつもならザック一つで足りるのだが、今回は大きなスポーツバックにも一杯の荷物である。こんなに大きくて重い荷物を持って電車で行くには大変だ。

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いつもより大きく重たい荷物が二つ

 石井先生と東京駅8時に待ち合わせなので、逆算して藤沢駅は6時半ごろの電車となる。息子から「朝早い電車は10両編成のことがあるし、混雑することがあるので調べておいた方が良いよ」とアドバイスがあった。案の定、予定していた電車は10両編成でかなりの混雑。諦めて次の電車にしたが、これが湘南ライナーの高崎行きだった。やむなく戸塚駅で東海道線の東京行に乗り換え、大きなバックとザックは横浜駅までは何とか乗車している皆さんに迷惑を掛けずに自分の横へ置けたのだが、横浜駅からドッと乗り込んで来たのでバックを立てて何とかスペースを確保できるくらいの混雑ぶりだった。が、品川駅でかなりの人が降りてくれたので少し楽になった。東京駅には7時45分ころ到着。階段の混雑を避けてゆっくり歩いて新幹線の南口改札へと向かう。そこで石井先生にメールを打つと直ぐに返信があり、「中央口の9番柱の下にいます」とのことだった。駅構内は通勤や旅行姿の人、人、人でかなりの混雑。しかも皆さん急ぎ足。驚くのは新幹線の改札口で待っていた時、新幹線利用の通勤客がかなりいるのを知った。スーツ、ネクタイ、ビジネスバック姿と、典型的なサラリーマンスタイルの人が続々と新幹線改札を抜けて、在来線ホームへと足早に通り過ぎて行く。P9070003
函館に向けて家を出る私

 指定された場所へ行くと先生がベンチに座っていた、最初は南口にいたそうだが、中央口へ来るだろうと予想されて中央口へ移動されたとのこと。なぜ私が南口へ来たのかを説明した。東海道線の車内の混雑をなるべく避けたかったので、電車の後方に乗る。すると必然的に南口になってしまうのです。

1月7日 だらだら

昨日、内の主人は飲みすぎたせいか、二日酔いで朝から仕事を休みました。
『運動しに行けれんくなった(行かれなくなった)』と内心思い、
キン「あんた寝てるんだったら私はプールへ行くよ!」
主人「ダメ!」
だって!
しぶしぶ台所に立ち、大根とレモンの皮と酢、砂糖、塩、唐辛子を入れて酢の物作り、帳面を付けていました。
昼からやっと買い物。
“ビッグママ”に連れて行ってもらい、冷蔵庫は満タンになりましたが、まだ二日酔いの模様。
また寝てしまったので、昨日から仕込んでおいたおでんを完成させました。
何せ家には白菜、大根、人参、里芋、キャベツ、ネギ、ジャガイモなど、たくさん貰ったからです。
有難い話ですね。
大根の葉っぱは茹でてみじん切りにしてゴマ油で鰹ぶしと炒め、最後に胡麻と醤油と出汁をかけて出来上がりです。
明日からのお弁当の中身に入れますよ。
今までは赤貝の佃煮(私が捕って来て作った)を入れていました。

最近、犬の赤ちゃんが動き回るので離乳食を作ってあげましたが、五匹もいると取り合いで、小さな犬たちは一番後しか食べられません。
犬小屋に赤ちゃんたちだけ入れて、閉じ込めて食べさせます。
何故なら親犬が一緒に食べちゃうからです。
食べる様子を見て、お腹いっぱいになった赤ちゃんから小屋の外に出し、一番小さな赤ちゃんもお腹いっぱいに食べられる状態に工夫しました。
言うまでもありません。
その後の処理にティッシュ片手でシッコするたびにシートへ連れて行き、掃除をしています。
『臭いなぁ~』と思えばジャッキーがウンコしている・・・。
そのウンコはトイレットペーパーで掴んでトイレへ。
かなり大変ですが、楽しんでやっています。
子供が居ない私は、『ちょっと人間と犬の赤ちゃんって、よく似ているのかな?』と感じながら育てています。

そういえば私は竜城だけで6月から12月までに10万メートル以上泳ぎ、楯をいただきました。
思ってもいないプレゼトに、とっても嬉しかったです。
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パットの津軽海峡横断泳(1/17)

      パットの津軽海峡横断泳

アメリカ人女性スイマー

パトリシア R ギャラント‐シャレット(通称「パット」:61歳)

2012年9月13日 19時間36分で完泳

        オブザーバーとして参加観戦記

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津軽海峡を横断泳中のパットの力泳

                                    報告者 湘南の主

   1. 津軽海峡遠泳協会

 肺炎で入院する前だろうか、私の遠泳のコーチであるトラジオン・スイミングの石井先生より、昨年立ち上げた津軽海峡遠泳協会のお手伝いを頼まれていた。世界のオーシャンズ・セブンに津軽海峡が選ばれてから、石井先生の所に世界のオーシャンスイマーからの問い合わせが多くなり、それならと協会を設立した次第であります。
 今年は6月から9月までに世界中に名の知られた六名のスイマーたちのエントリーがあり、特にオーシャンズ・セブンに大手を掛けたスイマーも来日。協会としてはうれしい悲鳴だが、いかんせん今年がスタート元年。百選練磨の石井先生も海外からのスイマーの受け入れとなると中々思うように行かず、悪戦苦闘の連続だったようです。
 そんな中で泳ぐ日程が重なっているスイマーが二組あった、8月はアメリカからの応援者で何とか凌いだが、9月の重なりは私がお手伝いすることになった。
 泳ぐ予定日は9月7日(金)~14日(金)までの一週間。私がサポートするのはアメリカ人女性でパトリシア・ギャラント・シャレットさん61歳、通称パットさんである。彼女はオーシャンズ・セブンを目指しているそうで、既にドーバー海峡、カタリーナ海峡、ジブラルタル海峡を成功させている。津軽海峡を泳げば四海峡制覇となる、世界的にも有名なスイマーである。又、今年の2月14日のバレンタインデーに「スイム・フォー・ユーア・ハート(“Swim for your Heart”)」というイベントを提唱して、「心臓病撲滅」を世界中に呼びかけている方でもある。

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左から、私、石井先生、パットさん、陽子さん

1月6日 朝練&新年会

弁当5人分作って高橋トライアスロンステーションの朝練に参加して来ました。
クルマのフロントガラスは凍っており、お湯を如雨露(ジョウロ)でかけましたよ!
でもちょっとぬるかったせいか、また凍り付いてしまいました。
それでも竜城に向かいました。

泳ぐ前にストレッチを15分ぐらいしますが、かなり身体がほぐれます。
今日も基本から始まりましたが、100メートル×10本を2分サークル。
この時クロールで“大きくローリングしながら”をイメージして考えながら泳ぎました。
でもなかなか上手くいきませんね。
手は伸びていますが“肩が入らない”と言うか、伸びないんですよね!
大体1分50秒ぐらいだったかな?
次は50メートル×15本1分サークル。
これはクロールで53秒イーブンだったかな?
昨日よりタイム悪いですが、仕方がないです。
また一人練習で考えます。
でも朝から練習出来て、気分スッキリです。

15時から高橋トライアスロンステーションの新年会で「わびすけ」と言う割烹料理屋さんで行いました。

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凄い盛り上がりようで、21時まで喋りまくりました。
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トライアスリートの福井選手も来ており、お話をさせていただきました。
トップの選手と話す機会はなかなかないので勉強になります。
でも質問攻めをしてしました。
そんな質問攻めでも興味深く聴いてくださり、本当に有難うございました。
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じゃんけん大会も景品が貰えました。

うちの主人はベロンベロンに酔っ払って、布団の上に大の字になって寝ていたから、私は犬のミルクを顔にかけ、赤ちゃんに舐めさせました。
大好きなイタズラの完了です。
あはははは!
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わびすけさん、たくさん飲ましてくれて有難うございます。
高橋さん、新年会に呼んでくれて有難うございました。
楽しかったです。

私は「生かされた」のか?(18/18)

   18. 復帰出来たか?

6月30日(土)
 午前5時起。いつものものように朝食を摂る。家内も5時過ぎに起きてきた。荷物は昨夜の内に纏めておいたので問題なし。藤沢駅6時43分の電車に乗ることになっているが、早めに家を出ると6時半には駅に着いてしまった。間もなく原田さんが来た。彼女も体調不良でこのところあまり練習が出来ていなかったようである。甘粕さんも見えた。改札の内側から青木さん、中川さんと、次々に集まって来た。時間になり。改札を抜けて電車のホームへ向かう。早い時間にも関わらず、ホームにはかなりの人が電車を待って並んでいた。既にホームで待っている仲間もいた。大船、横浜と大会に参加する仲間が乗り込んで全員揃い、12名集まった。
 今回の会場は埼京線の新習志野駅前の“千葉国際プール”で、「ソウルオリンピックの100m背泳ぎで金メダルを取った鈴木大地選手の偉業を称えて作られた」と聞いている。会場までは藤沢から2時間弱掛かる。今日は梅雨の中休みで朝から強い陽射しである。会場には8時半過ぎに着いたが既に開場されており、すんなりと中へ入ることが出来た。クラブごとに座る席が決まっているので“席取り”の心配もない。安心である。
001 今日は25mバタフライの一本だけ。しかも午後からのレースなのでレース前のウォーミングアップは止めた。今回は「連続出場50回の表彰」を受けることになっている、家内は15回の表彰だ。連続出場は55回の石井さん、50回は私を含め、三名もいる。石井さんが連続出場最高者かと思ったら、「第一回から出場している方もいますよ」と石井さんが教えてくれた。凄い人がいるものだ。
 プレゼンターは北京オリンピック大会800mフリーのゴールドメダリスト、“柴田愛選手”だった。私の出番はかなり後なので、仲間のタイムを記入しながらレースを観戦していた。そしたら以前、マスターズ大会で良く顔を合わせた“中部さん”を見た。彼はセントラル系のクラブではなかったはずだが、この大会に出ているということは、クラブを変えたということだ。何故、彼と知り合ったかと言うと、“眞壁(まかべ)”と“中部(なかべ)”と呼び名がよく似ており、しかも年齢区分が同じで、泳ぐ種目もフリーが主体で、レースで名前をコールされた時、彼は私と良く聞き違えたそうで、それで私に声をかけてきた。彼もセントラルなら必ず私が『出ている』と思って探していたそうである。もう10年近くは会っていなかったと思う。
 東戸塚の中村幸太郎さんが訪ねてきた。彼も50回近くは出場しているはずだが、今回から水泳を止めた、というより泳げなくなったそうである。以前、心臓の悪い時期があったのだが、会社を早期退職したらすっかり良くなったそうだ。ストレスが原因だったようだ。それで前からやりたかったトライアスロンに挑戦するためのトレーニングを始めたら、心臓病が再発。狭心症でカテーテル手術を、私が肺炎で入院していた時期に行ったそうである。退院してから少し泳いだら何とか泳げたが、泳いだ後が苦しくて死にそうだったそうで、「もう水泳は諦めた。他に何かやることを今考え中だが、金儲けのことを考えているととても楽しくなるので、“金儲けを考えようか”と思案中」だそうである。もし私が中村さんのような立場になったらどうなるのか? 考えただけでも恐ろしい。『肺炎を侮らないようじっくり回復させていこう』と心に誓った。レースは30分ほど遅れて進行している。
 私の出番が来た。今回の200mフリーは無理なので25mバタフライだけ。25mの競技は出場者が多い。招集場で私の隣に座った人が声を掛けてきた。「前回の辰巳のプールでの100mフリーでは、1/00秒差で負けた」と言う肥後さんだった。今回は200mフリーにはエントリーしていないそうである。片方の耳が聞こえなくなってしまったそうである。
 70歳に近い年齢になると、半年も経つと色々とあるものだ。私もそうだが・・・・・・
002 以前なら25mのダッシュはノーブレで泳げたのだが、今はとても無理で、途中2回も呼吸を入れた。やはりかなり体力が落ちている証拠だ。しかし何とか18秒台で泳げて三位に食い込んだ。その後のタイム制限リレーにも出させてもらった。このリレーは「100mを2分に最も近いタイムで泳いだチームが勝つ」と言う。スピードを競うレースではないので誰でも参加出来るユニークな競技で、内田さん、家内、私の三人で参加した。内田さんが50mを最初に泳ぎ、次が家内、ラストの私はバタフライ。で、ゆっくり泳いだつもりだったが、コーチが後でこっそり私のタイムを教えてくれた。「25秒で泳いでいた」と。ちょっと速すぎたかな?
 今回もリンパマッサージを受けたのだが、申し込みが遅かったので16時20分からだった。
 マッサージを受けて席に戻ると家内と奥津さんしか残っていなかった。内田さんと小林さんが50mのフリーにエントリーしていたはずなのだが、二人とも「疲れたから」と言って先に帰ったそうである。
 帰りに三人で新習志野駅前のショッピングモールで早めの夕食を済ませ、のんびりと家に帰った。家に着いたのは午後7時半過ぎ。やはりかなり疲れたが、『これで私の肺炎発症の区切りがちょっぴりついたかな?』と思った。が、『いや、やはり海泳ぎが出来るまでは未だ駄目だろうな』と思い改めた。

7月1日(日)
 5時起床。昨日のレースの疲れは全くない。家の前の県道467号線の街路樹は山桃の木で、今の時期、実を一杯につけている。朝一番で山桃の実を取りに行く。住友生命のビル前の木は沢山なってはいるが、未だ熟れていないので、向かい側で沢山実が落ちている木に狙いをつけて、釣竿を利用した伸縮自在の特性網で高いところの赤く熟れている実を重点的に採った。家に戻り、ザルに入れて水洗いし、黒ずんだ熟れた実だけを選り分けてパックに入れて冷蔵庫に保管。熟れた実は甘みがある。朝食後、家の周囲の雑草取りを昼近くまでかけて取り除いた。綺麗になり、とてもサッパリした感じである。
 昼食後一休み。パソコンの再配達を今日の午前中に届くよう依頼をしておいたのだが来ないので、再度連絡を入れたら「7月7日の配達になっています」との回答。「出来れば今日の午後にして欲しい」と再度依頼をした。折り返し連絡があり、「今日は難しいので、明日の夕方なら何とか出来る」とのことなので、明日の夕方の配達にしてもらった。
 今日は湘南の海が“海開き”の日になる。だが生憎の空模様。いつもなら海開きに合わせて泳ぎに行くところだが、毎年お世話になる西浜監視所へ差し入れだけを持って行く。しかも電車に乗って海まで行った。ついでに新しく作った私の名刺も持って行く。海の家でやたらと若いギャル達が集まっているところが何軒かあった。あの集まりは何なのだろう? 又、全く人の気配のない海の家もある。西浜監視所は毎年リーダーが変わるようで、今年のリーダーは見覚えのない青年だった。が、私を覚えているライフガードもいた。大体大学生が多いようで、中には高校生、一般社会人、消防署勤務の人たちと、多彩なメンバー構成で活動している。午後から雨が降り出してきた。

7月2日(月)
 朝は曇っていたが、10時過ぎから晴れて暑くなってきた。仕事を終えて歩いて家に戻ると、娘の麻純が来ていた。今、勉強中のエステで、家内につけまつげを一本ずつ付けていた。根気のいる手仕事だが、出来上がりはかなり良かった。
 6月分の仕事の出勤簿の提出を忘れていたので、大急ぎで記入して会社へ郵送した。
 夜、スイムトレーニングへ行く。2,900m泳いだが未だ体が戻ってこない。特に今日のメニュー、「プル+キック+スイムを50mずつの150m×6本」はとてもきつかった。その疲れが抜けないまま、100mスイム4本はタイムが1分45秒以上も掛かってしまい、『もうこのまま体力が戻らないのではないか』とかなり落ち込んだ。

7月3日(火)
 午後から小田急線湘南台駅のつのだ歯科へ行く。左上の歯がすり減って痛みを起こしてから二週間ぐらい経過。痛みは相変わらず治まらず、先週から痛み止めの薬を飲んでいるのだが、とてもつらい二週間だった。が、どうやら痛みは多少和らいできた。

7月4日(水)
 朝から暑い。九州地方では梅雨の大雨で大変な事になっているのに、関東地方は昨日降っただけで大雨ではなかった。
 仕事仲間の五藤さんから連絡があった。7月2日に会社の野村さんからFAXが入り、「仕事仲間で湘南台のマンションの管理人が死亡した」とのこと。内容は「6月29日(金)の夜9時過ぎにマンションの居住者から、“管理員室内で管理員が倒れている”と管理会社に連絡があった」そうである。考えてみれば確かに管理員は通常一人勤務で気楽ではあるが、万が一の際は手遅れになることは十分考えられることだ。しかし家族はこの事態をどう考えていたのかが分からない。勤務時間は午前中であり、その後何処かへ出かける予定がなければ、夜の9時過ぎまで何も連絡がないのはおかしいと思うはずだが、その辺りがどうなのか良く分からない。このような事例があったということを家族に話しておくことは大切なことだと思った。
 午後プールへ行く。本当は海へ泳ぎに行きたいところなのだが、いまいち泳力に自信が持てないのと、『又肺炎を発症させてしまったら』と考えると二の足を踏んでしまう。
 すっかり忘れていたが、今日は家内の66回目の誕生日だった。明日は何かをプレゼントしよう。

7月5日(木)
 今日は亡くなった兄の命日だ。昭和43(1968)年、今から44年前。もう44年も経つことになるのだ。しかも私が肺炎で入院してとても苦しんでいる時に、兄の出てくる夢を見た。普段全く忘れているというより、思い出さない兄である。その夢にはやはり亡くなった母まで居たし、私の子供も出てきた。全く訳が分からない夢だったが、家内に話をしたら、「お母さんとお兄さんが貴方を守ってくれたんでしょう。だから命日にはお墓参りに行った方が良い」と言われた。
 仕事を終えて家に戻り、昼食の後、家内が買っておいてくれた花を持って墓参りに行く。何となく心が晴れたように思った。本家ともやし屋の墓にもお線香をあげてきた。いつも墓参りに行くとお線香を上げる無縁仏の墓の線香立てに、火の消えたお線香が一杯置いてあったので、火を着け直して供養をした。だがライターの調子が悪く、中々火がつかなかったので、お線香ではなく手を焼いた。
 帰りに町内の和菓子屋松月さんに寄って、家内の誕生日祝いに和菓子の詰め合わせを作ってもらい、プレゼントした。

7月6日(金)
 午後のスイムトレーニングでは水泳復帰後、初めて上級者コースで泳いだ。泳ぎの流れがあるので非常に楽に泳げた。しかも50mダッシュでは41~42秒台で泳げた。
 家に戻ったら丁度生協が納品に来たところだった。荷物を受け取り、食事を作っていたら電話が鳴り、「パソコンのセッティングに今日行きたい」との連絡だった。「4時には出かけるから」と言ったが、「それまでには終わりますから」と言うので来てもらうことにした。しかし古いパソコンの調子が悪くデータの移行がうまくいかず、後は自分でやるしかないことになってしまった。
 4時15分過ぎに順鳳堂医院の横山先生の治療を受けに行く。「随分と良くなってきている」とのこと。特にビックリするのは右脇に下の汗疹がきれいに消えていたこと。私はとても汗かきなので、毎年夏時期になると体中汗疹だらけになる。特に脇の下はひどくなり、皮膚科へ行って付け薬をもらっていたのだが、横山先生に「何処か気になるところはありませんか?」と尋ねられた際に、汗疹のことを話したら「分かりました。治りますよ」と言われた。どうやら原因は肝機能が影響しているらしいのだが、この治療のおかげで低下していた肝機能が復活してきたようだ。
 治療が終わり、家まで歩いて帰る予定だったが、雨が降り出してきたので電車で帰ることにした。家内は今、とてもはまっている太極拳を習いにスポーツクラブへ出かけていた。

7月7日(土)
 七夕だが生憎の曇り空だ。朝からパソコンのデータ移行を行うが、中々うまくいかない。古いパソコンが直ぐフリーズしてしまうので、とても時間が掛かっている。又、バックアップ用に購入した後付のハードディスクにはデータが入っていなかった。どうもUSBコネクターの接触不良のようだった。
 午前中風間医院へ行き、来週の藤沢市の健康診断の予約を取ってきた。夜、スイムトレーニングへ行く。一番端の7コースは水中ウォーキングなどの流れが出来ており、その流れに逆らって泳ぐとガックリするくらいスピードが鈍る。でもこのコースで泳ぐと力が付きそうな気がしてきた。息切れは相変わらずで、やはり心肺機能回復がかなり遅れてきているようだった。

7月24日(火)
 二ヶ月半ぶりに海で泳ぐ。天候は曇り空。南の風で風力3、気温31度、水温27度。
 石井先生から頼まれていた、荒川さんの海泳ぎ練習の相手を今週末にしなければいけないので、そのためにも是非海で泳いでおかなければならないのである。
 既に海水浴シーズンが始まっており、片瀬西浜の遊泳エリア内で泳ぐことにした。いつものように西浜の監視所にご挨拶をしてからエリア内を二周半泳いだ。
 今の時期としては透明度が割合に良く泳ぎやすい。最初はとても不安だったが、泳ぎ出したらそんなことをすっかり忘れて海泳ぎを楽しんだ。
 5月中ごろに発症した肺炎から約二ヶ月半ぶりに海への復帰。未だ肺炎は完治したわけではないが、一応、海泳ぎが出来るまで復活できたことは本当に良かったと思う。
 もしかしたら、左肺機能が失われて水泳は不可能でも不思議ではないと思われた時もあったことを考えると、今、海を泳げるまでに回復したことに感謝である。
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2006年8月6日、ドーバー海峡完泳(15時間50分)

   船名:Seafarer 2
   パイロット:Chris Osmond
   クルー:Tony Mitchinson

 ここから先は、出来ればベートーヴェンの「月光」(Beethoven "Moonlight Sonata")でもBGMにして聴きながら読んでいただけたらありがたい。

 「何処に、何処に向かって泳げばいいんですか?」
 フランスのビーチは遠浅で、湘南の主さんをイギリスから水先案内してきたクリスの“シーファーラー 2”は、喫水(船が水に浮いたときの、水面から船体の一番下までの垂直距離)からそれ以上進めず、その動きを止めたからだ。
 そこから先はシーファーラーに積んであるシーカヤックで湘南の主さんをフランスのビーチまで案内をするのだが、チラッと見るとカヤッカーのトニー(クルー)は着替えたり腕にランプをつけたりでモタモタしている。そこでとっさに
「月! 月に向かって泳いで行ってください!」
と私は答えていた。
 すでに辺りは暗闇になっており、東の空にようやく浮かんできた満月に近い月が何とか薄く岸を見せていた。しかしすでに15時間以上泳ぎ、増して近視で海面にいる湘南の主さんに「その岸を見て」と言うのは無理だろう。
 ちょうど良い塩梅に月はフランスの向こうに上がっており、その月光の反射が海面に一筋の帯のように落とし、それはそれは美しく映し出している。もちろん残念ながらスイマーからその美景は見えないだろうが、月は多いに有効な道標となるはずだ。
 湘南の主さんが道標に従って泳ぐ。帯のような反射は泳ぎが作る引き波によって崩され、キラキラと細かい光になって広がっていく。暗闇ですでにシーファーラーから直接スイマーを見ることは出来ない。しかし湘南の主さんを追う反射の変化によって、その位置はわかるのだ。
 それはまさにハッピーエンドで終わる映画のラストシーンのような光景だった。

 62歳。“日本人最高齢チャネルスイマー(ドーバー完泳者)誕生”となった。その湘南の主さんが「70歳になったらもう一度ドーバーを泳ぎたい」と言う。そんな万年青年の湘南の主さんを、いつまでも応援したいと思う。

 藤沢市長との対談はこちら

1月5日 安城マスターズ新年会

17時より安城の「とんかつ三好弥(みよしや)」さんで、安城マスターズの新年会を開催しました。「創立30年目」に入るそうです。
これも杉浦会長がいろいろ細かい点を気配りし、毎週日曜日の練習に力を入れて、皆さんを引っ張ってくれたお陰だと思います。
豚カツ、味噌おでん、御寿司、鍋料理、刺身、唐揚げ、ポテト、スペアリブ、枝豆にシューアイス、後は何だったかな? 滅茶苦茶出てきたのにびっくりしました。
久々にメンバーが勢揃いして、「今度のJAPANマスターズのレースは混合リレーに参加しよう」と話が出ていました。
でも私、日本に居ないかも・・・。
マスターズに参加している女性は近藤先生と私しかいないから・・・、困ったな!

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2006年1月10日、駿河湾の海練習
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2007年1月10日、駿河湾の海練習
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2007年1月10日、駿河湾の海練習を終えて

2006年、2007年と、キンちゃんは自分の誕生日に泳いでいた。

私は「生かされた」のか?(17/18)

   17. 思うほどには?

6月20日(水)
 台風4号は足早に走り抜けていき、今朝は東北地方で海へ抜けていったそうである。風は残ったが、空は抜けるような青空が広がっている。プランタに植えていたトマトの苗が風で倒されていた。アジサイ、アスパラの鉢も横になっている。相当強い風が吹いたようだ。マンションの方はどうなっているのか心配だ。今日は「気温が30℃を越す」との予報である。いつもの時間に家を出て電車に乗り、鵠沼海岸駅で降りると風と波の音が聞こえてくる。とすると、マンションは凄いことになっているに違いない。
 案の定、マンション建屋周辺はどこから飛んできたのか落ち葉で一杯。玄関ドアは潮風でベタベタだし、アプローチは水浸し。駐輪場の自転車は全て倒れている。今日の仕事は建屋周辺の清掃と、ドア等の雑巾がけで終わった。
 403号室の居住者のエアコン配管用ダクトが昨夜の強風で壊れて室内に落ちてきて、そこから「雨水が入り込んで室内はビショビショになった」と連絡があった。室内を見せて頂いたが、配管用の穴をガムテープとビニールシートで塞いであり、床にはタオルや雑巾が敷き詰めてあった。早速会社に連絡。担当部署に現状報告をして早急に修理のお願いをした。
 屋上のテラスへ上がり海を観察。白波で真っ白で砕ける波が霧のようになって陸地へ降り注いでいる。メガネが直ぐに潮風で曇ってしまうくらい物凄い潮風が吹いている。この潮風の後始末の清掃には一週間は掛かってしまうだろう。
 午後プールへ泳ぎに行き、トータル2,500mほど泳ぐ。帰りにクラブの近くで、息子と同学年で私たちと一緒にマスターズクラスで泳いでいた清水さんに会う。今は結婚してお産のために実家へ来ている、そしてこの2~3日が予定日だとか。でもあまりお腹の大きさは目立たなかった。

6月21日(木)
 朝刊に昨日の台風4号のために、「逗子海岸から片瀬江の島間の海の家でかなりの被害が出ている」と報道されている。仕事の帰りに片瀬西浜へ回ってみようとカメラをバックへ入れて出勤した。が、思ったより早く10時過ぎに雨が降り出してきた。残念だけど西浜行きはあきらめた。でも昼ごろは雨がかなり小降りになってきたので「予定通り行けば良かったのに・・・」と悔やまれる。
 運動の後に飲むドリンク剤をドラックストアへ買いにいく。毎月20%引きの割引券の広告が入るので、そのたびに買いに行っている。今回はその割引券が六枚もあるので、毎日行かないと使いきれない。
 今夜は6時から小型船舶免許の更新講習会が藤沢市民会館小ホールで開催される。4月ごろに案内がきており、5月20日に申し込んでいたが、肺炎で入院してしまったので受講日程を変更してもらった。家の近くで開く講習会場所を探して何とか今日受講出来るようになった。最初に身体検査で手足を係員の指示に従って動かし、そのあと検眼となる。
 今回の講習会は“50名限定”と案内には書かれていたが、何人か空席があった。小型船舶の免許更新も自動車の免許更新と同じようで、教本から抜粋しての講義が40分程度、ビデオ映像が20分ぐらいと殆ど意味のないような内容の講習会だった。でも『これで生活している人もいるのだから』と自分に言い聞かせていた。新しい免許は10日後ぐらいに郵送されてくるそうだ。
 この講習会を受けるとき、家の前の路地で水道管の破裂があり、道路が水浸し。緊急車両が来て工事に入っていたが、私が講習会を終えて家に帰った8時過ぎ、この工事も終わったようで車両が走り去って行った。

6月22日(金)
 朝からかなり激しく雨が降っている。台風5号が熱帯低気圧に変わり、梅雨前線を刺激しているようだ。11時過ぎまで降っていたが、その後は上がって良かった。海は低気圧の通過で風は北寄りなのだがうねりが残っている。引地川の汚れた川の水が海に広範囲に流れ込んでいるのがよく分かる。あの水を飲んだら病気になりそうだと誰しも思うだろう。
 午後スイムトレーニングに行く。今日もスピード練習。距離は1,400mと少ない。しかし相変わらず私はスピードが上がらない。一緒に泳いでいる内田さんは「不整脈が出ている」とかで、スピードを抑えながらマイペースで泳いでいた。この年になると色々と体の変調が出てきて、中々自分の思うように行動できなくなるものだ。
 夕方、パソコンのモニターが入荷してきた。しかしモニターだけではどうにもならない。ダメ元で動かなくなっていたパソコンの電源を入れてみた。すると何と動いた! コンセントを抜いていたのが良かったのか? しかし動くには動いてくれたが、使用できるまでにかなり時間が掛かり、又、直ぐにフリーズしてしまう。このパソコンは何をやるにしても時間が掛かる。

6月23日(土)
 膝の具合が悪い。半ズボンで足が冷えているようだ。梅雨時は湿気が多く、「寒露」という言葉があるくらいで、意外と体が冷えているので要注意だ。そのため昨日の午後から長ズボンに変えたら冷えが和らぎ、膝の痛みも多少薄れてきたようだ。やはり冷えは体に良くない。
 今朝は地主の金井さんへ、半年毎の地代の支払いに行く。8時半ごろ電話をしたら直ぐにでた。来るのを待っていたようにも思える。体調を崩して入院したことなど話しをした。
 歯の痛みが相変わらず続いている。虫歯ではなく、歯のすり減りにより神経が出てきているようだ。常に痛みがあり、不愉快極まりない気分である。
 10時半に順鳳堂の予約が取ってあるので治療に出かける。めずらしく時間通りに治療が始まった。悪かった左の肺よりも、今は「右の肺の方が良くない」とのこと。「左肺が悪かったので、右肺に負担が掛かっているのだろう」との横山先生の説明だった。12時半ごろ治療が終わり、家まで歩いて帰る予定だったが、途中でトイレに行きたくなり、小田急の藤沢本町駅のトイレに寄った。だがここで思わぬ大失敗を演じてしまった。いつも治療で待たされることが多いので待ち時間に本でも読もうと、今日は本を持って治療に出かけた。しかしトイレに寄った時、駅の改札をパスモで通過して、本と一緒に財布を持ったままトイレにより、本と財布をトイレの棚において用を足した後、何故か本だけ持って財布を置き忘れてしまったようだ。電車に乗り、藤沢駅で改札を抜けようとポケットを探ったが財布がない。どこのポケットを探しても財布がない。おかしい? どうしたのか? 一瞬パニックに陥る。『待てよ』、と自分の行動を冷静に振り返ってみた。『財布が無い行動はどういうことだ。ポケットへ入れたつもりがポケットへ入らずそのまま落とした? 落とした所は電車の中? 駅の改札付近? 何処で落としたのかなぁ~~? あぁ~~そうだ、トイレに寄った時かもしれない。そうだ、絶対そうだ!』と思いだし、駅の紛失物等の受付窓口へ駈け込む。「財布が無くなったこと」、「どうも藤沢本町駅のトイレに忘れてしまったようだ」ということを係りの駅員に説明。「財布の色は?」、「中身は?」等々を聞かれ、「茶色で中には車の免許証、健康保険証といくらかの小銭が入っている」ことなどを知らせた。
 「少々お待ち下さい」と言って奥へ入り、電話で確認しているようだった。直ぐに戻ってきて「確かに藤沢本町駅のトイレに置き忘れで、保管されています」とのことだった。良かったぁ~! 係りの方が「どうしますか?」と聞いてきた。「直ぐこれから取りに行きます」と答え、丁度入って来た電車へ乗り、再び藤沢本町駅へと向かう。駅の窓口へ行くと、既に藤沢駅から連絡が入っており、係員から「眞壁さんですね?」と名前を尋ねられた。「はいそうです」と答えると奥から見慣れた財布を持ってきてくれた。良かった、本当に良かった。ホッとした。「お金も入っていますが、間違いありませんか?」と尋ねられ、中身を確認。「間違いありません。大丈夫です!」と返答。財布は対応してくれた駅員の方が拾っておられたそうである。だから無事に落とし主に戻ってきたのかもしれない。財布の中には1万6千円入っていたので、もし他の人だったら戻ったかどうか分からない。本当にラッキーだった。
 藤沢駅へ戻り、係りの方に再度お礼を言って、やっと駅の改札口を通り抜けることが出来た。でも、何故、財布をポケットへ仕舞わずに手に持ってトイレに寄ったのか、自分の行動が解せない。
 夜、スイムトレーニングへ行く。今月末の大会に向けてのスピード練習が主だが、私は相変わらずスピードが上がらず、息切れが激しい困ったものだ。『まぁ~、回復には半年掛かる』と思ってはいるのだが、情けない。
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2006年7月4日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

6月24日(日)
 曇り空、昨夜は天気予報を聞かなかったので、今日の空模様はどうなるのか分からなかったが、ウォーキングに出る。8時45分スタートで家に戻ってきたのが11時05分で、2時間20分、10.2kmを歩いた。藤沢橋から海へ向かい、藤沢警察署の三叉路で左方向へ進んだ。しかしその辺りからポツリ、ポツリと雨が降り出してきた。そのまま休まず歩き続けるが、降りはひどくなる一方で、路面はビショビショ、私もビショビショ。所々で店先や家の軒先で雨宿りをしているウォーカーやランナーの人を見かける。だが、海に近づくに従って雨は小降りになってきてくれた。良かったぁ~~!
 海辺へ出る。海には相変わらずサーファーが多い。波は小さいのだが、関係なく海面に漂っている。サーフビレッジ前のビーチバレーコートでは中学生か高校生の大会が行われているようで学生が集団で来ていた。
 海の家は台風4号の被害状況は見当たらなかった。海の家の進捗(しんちょく:物事の進み具合)状況は完成している家は少なく、『未だ床張り状態のところもあるな』ど、進行具合はかなりばらつきが見える。海岸には木材の残骸が沢山散らばっている。地引網も何組か来ている。西浜の監視所は未だ基礎を作っている状態だった。
 家に戻り、シャワーを浴びて昼食。午後2時過ぎに大船のショッピングセンターへ少し大きめの植木鉢を買いに出かける。休日のショッピングセンターはかなりの混雑であった。
 種無しの金柑の苗を植えた。来年は実をつけてくれるだろうか? そのあと、植木鉢の整理をしているとき、浴室の出窓の面格子に左肩をひどくぶつけて痛めてしまった。かなり痛みがある。
 夕方、パソコンが何とか動いてくれたので、津軽海峡の視察感想の報告書を纏め上げた。一ヶ月ほど続けた“トイレへ行く回数のチェック”は昨日で終了。肺炎発症前とほぼ同じ状態に戻ってきた。やれやれである。

6月25日(月)
 昨夜、雨が降った跡が見えたが、今朝はもう降ってはいなかった。昨日ぶつけた左肩の痛みは大分治まったようで良かった。でも歯の痛みは相変わらず治まらない。早く医者へ行かなくては・・・・。9時過ぎに歯医者の予約を取る電話を入れた。今日の17時15分に予約が取れた。良かった。
 今日は北風で肌寒いが、海は波が小さいのにサーファーが沢山浮かんでいる。腰高当たりの所の波を捉えてサーフィンをやっているが楽しいのだろうか?
 仕事を終えて帰りは歩いて家まで帰る。歯の痛みは強くなったり和らいだりの繰り返しだが、痛いのには変わりはない。夕方歯医者へ行き治療を受けるが、どの歯が痛いのか良く分からないくらい痛みがかなり広がっていた。取りあえず痛み止めの薬を飲んで様子を見ることになった。出来れば私も『あまり歯の治療はやりたくない』と思っている。
 夜、スイムトレーニングへ行く。息切れは大分治まったように思うのだが、筋力が戻ってこない。50mは50秒、100mは1分45秒、200mは3分45秒も掛かっている。私の好きなスイム、パドルスイムでも100mは1分35秒掛かっている。まぁ~、「元に戻るのには半年くらい掛かる」と言われているので、今のタイムなら“上出来”と言うべきなのかもしれない。

6月26日(火)
 “梅雨の中休み”で、今日は朝から太陽がギラギラと輝いている、しかし風は北寄りなので涼しいし、湿度も低いのでとても爽やかで過ごしやすい気候だ。
 午後、昼食の後、3月に更新手続きをしたパスポートを横浜の関内まで取りに行った。パスポートをもらうには印紙代として16,000円の費用が必要になるので、給料が出るのを待っていた。横浜方面へ行くのは随分久し振りとなる。山下公園前のビルの二階に神奈川県のパスポートセンターがあり、ここまで出向かなくては取得できないのである。パスポートを貰った後、帰りは海沿いを歩き、写真を撮りながら横浜駅まで歩いた。あまり絵になるような景色は少ない。
 パシフィコ横浜の横にある公園前で何年か前にオープン・ウォーター大会があり、ここの海で泳いだ記憶がある。とても汚い海で、泳いで海から上がると体中が薄汚れて、大会事務局は簡易シャワーを設置していて、そのシャワーを浴びたことを思い出した。今日の海もかなり汚れていた。今考えれば『よくこんな海で泳いだものだ』と感心する。
 夜、石井先生から電話があり、海人くらぶの「田丸さん」が“ドーバー海峡をリレーで泳ぐ”という情報が入ったので、「どんな内容か知っていたら教えてほしい」とのこと。又、石井先生の所でパートとして働いている“荒川さん”という女性が「今年、湘南オープンレースの10kmにエントリーしているので、海泳ぎの面倒を見てほしい」との依頼もあった。
 海人くらぶは以前私も入会していたこともあり、「知り合いがいるので確認してみます。荒川さんの件については了解しました」返事をした。

6月27日(水)
 今朝も良い天気である。眞壁農園で鉢植えの野菜や植木に散水をしてあげる。日中は日差しが強いので、「朝晩の涼しい時間帯に散水をした方が良い」と何かで聞いたか言われた。
 昨日の国会で“消費税増税法案等”が裁決され可決した。しかし増税に反対する与党の民主党から大量の反対がでて、大騒ぎをしている。もうどうでもいいから国民主体の政治をやってほしいものだ。
 荒川さんから早速電話があり、7月20日ごろまでは色々あるので海練習は出来ないが、それ以降なら大丈夫とのこと。土、日でなくて、平日でも大丈夫だそうである。平日なら私も午後からなら泳げるので、「荒川さんの都合の良い日の連絡をくれたら、一緒に泳げるかもしれないから連絡を下さい」と回答した。
 午後、クラブのプールで自主トレーニング。フリー200m×1、100m×1、バタフライ&バック50m×10、キック200m×2、100m×1、フリースイム500m×1、プルスイム1,000m×1の合計3,000mスイム。だが相変わらず力が入らず、バタフライも25mが精いっぱいだった。が、何とか10本は泳げたのは良かった。夕方内田マッサージ行き、筋肉の疲れをほぐす。
 小型船舶の免許が郵送されてきた。これが最後の更新になるのだろうかな?

6月28日(木)
 歯の痛みが治まらず、左顔面が少し腫れ上がってきたようにみえる。どうしたものか?
 夕方順鳳堂医院の横山先生の所へ治療を受けに行く。「肺の具合はかなり良くなってきている」と言われた。左顔面の腫れについて聞いたら、「歯の痛みより、位置からして“副鼻腔炎”の可能性がある」と言われた。そう言われるとこの2~3日よく鼻をかんでいた。歯の痛いところと副鼻腔炎とが重なっていたのか? 私はてっきり『歯の痛みで腫れているのか』と思ったのだが・・・。歯の痛みは相変わらずだが、痛みのある方で噛んでもあまり痛みを感じなくなってきている。
 「午後から雨になる」と言われていたが、とうとう降らずに過ぎたようだ。

6月29日(金)
 今朝は左顔面の腫れが大きくなってきたように見えた。早めに医者へ行った方が良さそうなので、午後行くことにした。
 午後はスイムトレーニングに参加。今日は一段とパワーが出なくて辛かった。特にキックは最悪だったが、何とかメニューはこなす事が出来て良かった。でも1,600mしか泳いでいないのに、とても疲れた。
 家に戻った時、息子の俊介が「財布を無くして家に入れないので、鍵を貸してほしい」と言って車の中から出てきた。その財布には車のキー、家のキー、車の免許証、保険証、カード類等々が入っている。その全てを落として、気が付いて探しに行ったが既に無かったそうである。私もつい先日財布を落としたが、私の場合は本当にラッキーで良く戻ってきたものだ。
 泳いだら顔面の腫れが少し引いたように思えたので、医者へ行くのは見合わせることにした。夕食後、内田マッサージへ行く。夜に行くのは初めてだったが、「今夜は患者さんが多い」と言っていた。マッサージに来る患者さんの人数はその日の天候にかなり左右されるそうだ。
 明日はいよいよセントラルマスターズ水泳大会。連続50回出場が掛かっている大会でもある。
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2006年7月4日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

1月5日 竜城フリータイム

「なんだ~、かんだ~、鼻かんだ~」、違う、違う♪
「なんだ~、かんだ~」と2時間で病院は終わり、さっそうと家に帰り、竜城に行こうとしますが、母親が「シップを貼ってくれ」と言うので慌てて張り、竜城には12時に間に合い、2時間ほど自分練習をしました。
目標は“4キロ泳ぐ”です。
アップ、水中ドルフィン、スカーリング、ドリル、キックまでで2千メートル。
次にバタフライ200メートル×2本(3分45秒、3分50秒)。
泳いでいる時、時計をチラッと見たら50メートルで53秒、100メートルで1分50秒。
『このペースで泳げば3分40秒』と期待したものの、上手くいきませんでした。
100メートルを流して、50メートル×10本(1分サークル)。
クロールを50秒イーブンで泳げました。
『“大きくゆっくり”をモットー』と考えながらのスイムです。
前はよく10本、20本、50本と50秒イーブンで軽々とやっていましたが、その時の泳ぎとは違います。
100メートルを流して、次は50メートル×10本=1分15秒サークル。
55秒前半、53秒~52秒後半で泳ぐことが出来ました。
1ストローク1ブレッシングでしたが、“前へ、前へ”を意識しましたよ!
今は「どんな泳ぎが一番良いのか」を研究しながら泳いでいます。
残りはダウンですが、ちょっと考えながらのスイムで、4キロ以上泳げました。
今度は100メートルの練習しようかな?

そうそう、昨日ロイヤルで“水素水”の会員になりました。
1月に入ると1ヶ月が無料で飲み放題。
500ミリリットル入る専用のボトルもタダでしたので入りました。
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2月からは飲み放題で1ヶ月1,000円掛かります。
そのボトルを持って竜城に行って、柴田コーチが「何、これ?」と言うので、「若返りの水素水」と答えたら「どうなるんだ?」と聞くから、「60歳が40歳になる」と答えておいた。
信じてくれたかな?
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2006年4月25日、駿河湾(淡島~大瀬崎間)の海練習

私は「生かされた」のか?(16/18)

   16. 復活だぁ~~

6月11日(月)
 夜中に雨が降ったようで、屋根、地面が濡れている。今日から仕事に復帰。5時20分頃起床。食事を摂りながら新聞に目を通し、ラジオでニュースを聞きながら食べる。昨日大阪のミナミで通り魔殺人事件があり、二名死亡と伝えていた。
 いつもの7時25分の電車に乗る。仕事仲間で管理人の菊名さんに会う。代行の木村さんは既に来ていた。今日まで代行員をお願いしてあるので、私は残りの雑草を取ることにした。今日の天気は「晴れ」と言っていたが、曇ったままだった。お蔭で何とか中庭の雑草を一掃することが出来た。
 仕事が終わり家まで歩きで帰った。夕方5時に予約してある順鳳堂医院の横山先生の所へ治療を受けに行く。今日は7時に終わった。いつもながらこの時間でも待っている患者さんもいるのだ。
 それだけ体調の悪い人が多いということだ。しかも一般の病院では治療が出来ない、よく分からない患者さんたちである。
 オープン・ウォーター・スイマーの貴田選手が『日本人初、ロンドン五輪のオープン・ウォーター種目に出場することが決まった』と新聞記事に出ていた。世界のレベルは非常に高くて、1時間に5km以上のスピードで泳ぐのである。貴田選手も湘南オープンの10kmで2時間を切って泳ぐ選手であるが、世界でどこまで通用するのか楽しみである。

6月12日(火)
 天気予報では『昼ごろから雨で夜半まで降り続く』と伝えている。気温も20℃前後と涼しいようだ。今日から本格的に仕事に取り組むことになる一人仕事だ。無理せずぼちぼちと進めよう。雨は予報よりかなり早く9時過ぎに降り出してきた。冷たい雨である。
 仕事を終えてから軽く食事を摂り、一ヶ月振りにスポーツクラブへ泳ぎに行く。サウナに入ったが、10分間がとても長く感じられた。一ヶ月ぶりのプール。筋力がかなり衰えてスピードが全く出ない。無理せずのんびりと泳ぐ。フリースイム100m2本、バックスイム100m2本、バタフライスイム25m4本、フリーキック200m1本、バックキック200m1本、個人メドレースイム100m1本、フリースイム500m1本、合計1,500m。キックは50mが1分半以上も掛かっている。スイムもフリーの50mが1分ぐらいだった。
 まぁ~初日なのでこのくらいにしておこう。
 プールへ行く前にギャラリーで水泳仲間の西村さん、小宮さん、有賀さんに会う。小宮さんはフェイスブックで私が入院していたこと、病状も知っていたが、西村さんと有賀さんは全然知らなかったそうである。確かに私が肺炎で入院していることを伝えたのは、西野幸ちゃんだけ。しかもその時点ではドクターから「肺機能が戻らないかもしれない」と言われていたので、幸ちゃんには「もしかしたら泳げなくなるかもしれないので、皆さんには言わないで。私から皆さんには話をしますから」と口止めをしていたのである。でも治療の抗生物質がうまく効いて肺機能は後遺症もなく、うまく回復してくれたので今日、こうしてプールで泳げることになったのだ。
 1,000mぐらい泳いだところで、いつもマスターズトレーニングでお世話になっている橋本コーチにお会いする。私の泳いでいるのを見てコーチ室から出てきたようだった。「今週の金曜日のトレーニングには参加しますから」と伝えた。橋本コーチは家内から私の病状を聞いているので承知している。

6月13日(水)
 昨日一ヶ月ぶりに泳いで体を本格的に動かしたせいか、夜中にトイレへ行く時間が少し遅くなった。疲れて良く眠れたためかもしれない。今朝の雨は上がったが肌寒い気候だ。
 仕事先のマンションの居住者に私が休んでいた理由を知らない方がいて、「どうしたんですか? 又、海外へでも行っていましたか?」と聞いてきた。休んでいた理由を説明。すると「それでは無理をなさらないように」とねぎらいと励ましをいただいた。
 仕事を終えてから今日もプールへ行った。今日は2,000m泳いだが、相変わらずスピードは全然上がらない。今日のメニューはフリースイム200m×2本、100m×1本、フリーキック200m×2本、フリースイム100m×1本、500m×1本、400m×1本、バタフライ25m×4本。泳ぎ終えた後に血圧測定をしたが、心拍数が100回/分を超えていた。いつもなら80~90回/分ぐらいなのに、やはり筋力、体力がかなり衰えていることの証明だろう。血圧は115/70と正常の範囲なのだが・・・・
 夕方、7月7日に行われる藤沢市の沿岸の住民を対象とした“津波避難訓練関係”の資料を、勤務先のマンション今居住者へ配布するために、必要部数をコピーしに近くのコンビニへ行く。
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2006年6月13日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

6月14日(木)
 朝から陽射しが眩しい。でも気温はちょっとひんやりで、風も北風だ。でも日中は強い陽射しで暑くなってきた。マンション正面の花壇の植木を刈り込み、落ち葉を片付けたらとてもサッパリして気持ちが良い。帰りはいつものように歩いて帰るが、今日は東海道線の“一本松”の踏切を抜けて家に戻った。
 午後は昼食を食べながらのんびりと過ごす。夕方、家の植木、鉢に散水。植えたゴーヤの苗がかなり伸びて花が咲き出し、小さいながらもかなり沢山小さな実がなっている。今年は良さそうだ。昨年は苗が多過ぎて、立てたネットが重みで崩れそうになった。
 トイレへ行く回数がかなり少なくなってきた。暑いせいなのかもしれないが?・・・・

6月15日(金) 
 今朝も眩しい陽光。一ヶ月振りのスイムトレーニングに参加する日でもある。水泳用具をバックに詰め込んで仕事へ出かける。トレーニングメニューをどの程度こなせるのか、楽しみでもあるが、不安でもある。仕事を終えてプールへ向かう。プールでは何人の人にも「しばらく見ませんでしたね」とか、「体調を崩していたと聞いていますが、大丈夫ですか?」と声を掛けられる。
 水泳大会で連続出場しているセントラルマスターズ開会が今月末に開催される。私は今回が連続50回となるので何としても出場したいと思っている。「試合が近いので、今日はスピード練習です」とコーチの説明があった。1回の泳ぐ距離は短いので何とかメニューをこなすことが出来たが、インターバル練習はきつい。特に今日はキックがきつかった。もともとキックが苦手な私だが、病み上がりで本当にきつかった。トータル距離は1,100m+300mだったが、今日はキックがきつかったぁ~~。
 夕方のテレビで「オウム真理教」の最後の手配犯人、「高橋容疑者が午前中捕まった」と報道されていた。1995年に指名手配されて以来、逃亡生活17年となるそうだ。人相も手配当時とは似ても似つかぬ顔写真で手配されていた。

6月16日(土)
 天気予報では「今日から明日の午前中まで雨」とのこと。梅雨特有の静かな雨がシトシト降り続いている。昨夜からパソコンの調子が悪い。以前と同じ現象の再発か? エラーのアラームが出て動かなくなる。いよいよ駄目か?
 石井先生から連絡が入った。「今、津軽海峡横断泳のため北海道は函館へ行っているのだが、今回泳ぐアイルランドのスティーブン選手は本日未明に津軽海峡横断泳に挑戦することになりそうだ」ということ。今の津軽海峡の水温は9~10℃だそうである。キンちゃんが先週函館で泳いだときの報告にもあったが、やはり同じように“10℃前後の水温”だったとか? 湘南の海とはあまりのも水温が違いすぎるではないか。
 今朝もパソコンの電源を入れたが、やはり同じアラームが出てしまい困り果てている。何度か電源の入力を繰り返していたら、何とか動き出したではないか! しかし動きはすこぶる悪く、文章を入力すると直ぐに固まってしまうことが頻繁に繰り返される。
 石井先生から「スティーブンが今日泳ぐ」と連絡が入った。「パソコンで泳いでいる進捗状況が見られますよ」とのこと。そのサイトを開いてチェックする。スタートが7時を回っていた。本来なら夜明けと同時ぐらいのスタートのはずなのに、遅いスタートの時間がとても気になった。スタートしてからは順調に進んでいたように見えたが、10時過ぎから動きが止まってしまった。昼ごろ一度、石井先生に「どうしたのか?」とメールを送った。そのあと私は津軽海峡視察の報告書をパソコンで入力しながら纏めていた。そして時々津軽海峡横断泳の動きをチェックしていた。やはり午前中から動きが止まったままだった。再度、15時ごろメールを送る。そうしたら石井先生から直接電話が入った。やはり中止にしたそうである。安宅キャプテンから「今日は難しいかもしれない」と事前に話があったそうで、泳ぐ準備をして全員船に乗り、函館湾内をクルージングしたそうである。しかし思ったより海が静かで「それなら」とスタート地点へ向かったので、スタート時間が遅くなったとか。スタート地点の青森県の下北半島、佐井村は下北半島に風がさえぎられてベタ凪状態。なのでとりあえずスタートを切ったという経緯があった。しかし下北半島をクリヤーする辺りから北東の強風、風速15m/sec以上の風がまともに当たり、海は大しけとなって、流石のスティーブンもギブアップして中止になったそうである。
 スティーブンはスタッフとしてスイム関係者四名、カメラクルー五名を同行させているそうで、船は二隻用意したとか。スポンサーがついており、泳ぎの撮影についてはかなり厳しい制約があったようだ。クルー以外には撮影できないようである。又、人数が多いので食事の準備も大変なようで、コーヒーなどは缶で購入しても直ぐに無くなってしまうとか。パン、バターも一箱が1回で無くなるとか。そのため「毎日ショッピングモールへ買い出しに出かけている」とも言っていた。ニューヨークから宇都宮エリさんも駆けつけているようで、私に電話を掛けてきた。明日ニューヨークへ戻るそうだ。宇都宮さんの話では、「石井先生は人が良いから何でもかんでも“OK”と言ってしまって自分で苦しんでいるから、今は私が仕切って、ここでは私が威張っているのよ」とも言っていた。『頼もしいお人だ』と思った。
 何とか津軽海峡横断泳の状況がつかめてホッとした。「後一回チャンスがあるかも知れない」と石井先生が言っていた。多分18日(月)になるはず。『何とか泳いで成功してもらいたい』と思う。
 夜、スイムトレーニングへ行く。昼間のトレーニングよりも距離を泳ぐので多少不安はある。私がスイムトレーニングを休んでいた理由を知らせたのは幸ちゃんだけ。他に林さん、内田さんが知っているだけ。だから橋場さんは私に「何処へ行っていたの?」と聞いてきた。やっとプールへ戻れてきたので、“何故休んでいたか”を一通り皆さんに説明をした。今日は一番端の7コースで内田さんの後ろで泳いだ。今月末に開催されるセントラルマスターズに向けてのスピード練習なので、泳ぐ距離は少なかった。それで何とかメニューはこなせた。しかしスピードは相変わらず全然上がらないし、息切れもあるし、まぁ~焦らず体力の回復を図ろう。
 帰りにフロントで石谷さんに会う。「お父さんには暫く合わなかったですね」と言われたので、「肺炎で二週間ほど入院していた」と報告。石谷さんも気管支炎で二週間ぐらい体調不良だったそうである。「ジブラルタル海峡横断泳の報告書は、石谷さんのお母さんのお仲間内で回し読みしているので、今しばらく戻ってきません」と言っていた。
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2006年6月13日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

6月17日(日)
 朝のうち雨が降っていたようだが、7時過ぎには止んでいた。非常に蒸し暑い朝だ。ゆっくり朝食を摂り、9時15分過ぎにウォーキングに出る。県道464号線で藤沢橋まで行き、更にそのまま直進。国道43号線を歩いて引地川まで行き、川沿いに進んで国道30号線と交差しているところから30号線に進路を変えて、134号線とぶつかる茅ヶ崎の浜須賀交差点へと出た。ここまで家から約1時間半。海沿いのサイクルロードを江の島方向の東へと向かう。海には相変わらずサーファーが大勢浮かんでいる。うねりはあるが、サーフィンにはあまり良く無い波のように見えた。江の島水族館前まで約50分で到達。水族館前に建ち始めた海の家は1/3ぐらいまで完成間近だが、まだ床板を張っている状態の家もあり、進行状況にかなりバラつきがある。地引網はどこもやっておらず、今日は中止したようだ。
 家に戻ったのは12時35分で、3時間20分歩いたことになる。距離は17.1km。やっと時速5km/hのペースで歩けるようになったみたいで、少し体力、筋力が戻ってきたように感じられた。
 パソコンがいよいよ駄目になってしまったようだ。電源を入れてもアラームが鳴ってしまい、電源が入らない。どうも湿度も関係しているように思うのだが、今日は蒸し暑いので尚更駄目みたいだ。そう云えば昨年の夏の暑い盛りには、扇風機で箱を冷やしながら使っていたっけ。そこで扇風機で風を送って冷やしながらやってみたが、はやり駄目である。
 夕食の後、駅前のビックカメラへパソコンを見に行った。録溜めの映画を見ていると、アメリカでは“DELL”のパソコンが画面によく出てくるので、『買うなら“DELL”にしよう』と思った。DELLは基本ソフト以外、別途購入してダウンロードするシステムになっているそうだ。明日、購入手続きをすることにした。

6月18日(月)
 昨夜は非常に蒸し暑かった。そのため多少寝不足気味である。石井先生の話だと津軽海峡横断泳のスティーブンの再挑戦が行われているはずだが、パソコンが壊れているので動きが分からず、石井先生にはお忙しいとは思ったがメールを打った。折り返し7時前に先生から電話があり、「今日は予定通り午前5時ごろ青森の佐井村、願掛岩をスタートしました」とのこと。水温は13度、波高は1m、南西の風4~5m/secと、まずまずのコンディション。何とか泳ぎ切ってほしいと祈る。
 午後4時過ぎに石井先生に電話を入れる。「今日も潮が悪くて進まず、“進む”というより“戻る”というくらい速い潮で、佐井村を抜け出すことが出来なかった」そうである。今年は異常気象で潮の流れも例年になく複雑で、船頭さんも頭を抱えているとか。
 16時半ごろパソコン購入のため、駅前のビックカメラさんへ行ったが、担当者が別の顧客対応に追われて中々手が空かない。やっと話をすることが出来たが、「あと20分ぐらい待ってください」とのことだった。そこで今日は諦めることにした。
 18時半ごろ石井先生から電話があり、「18時18分に津軽海峡横断泳は中止にした」と言っていた。結局、今日一日泳いだが、佐井村を離れることが出来なかったそうである、とても残念な結果だ!!
 台風4号が日本に接近。現在沖縄付近で、明後日の午前中に関東地方に接近するようだ。19時過ぎに娘の麻純が来た。家内の足の爪にネールを施すために来たそうである。「今日は父の日だ」と言って私にお小遣いをくれた。
 夜はスイムトレーニングへ行く。サウナに入り、体を温めてプールへ向かう。月曜日のトレーニングは退院以来初めてだ。今夜は珍しく参加者が10名もいた。メニューは2,500m。やはりスピードは出ない。水泳仲間は私が居なかったのは、『又、海外にでも行っていたのでは』と思っていたようだ。月曜日のメンバーには未だ話していなかったので、肺炎だったこと、体力が未だ全然戻ってきていないことなどを説明した。
 以前、セントラルで泳がれていた正木先輩から葉書が届いた。どうも練習仲間の美紀ちゃんから私の病状を聞いたらしい。

6月19日(火)
 台風4号接近のニュースが朝から流れている。関東地方は今夜半がピークのようである。「午後から雨が降る」との予報。
 マンションの屋上から湘南の海を見るが、いつもと変わらぬ静かな海で、波もさほど高くない。台風は小型なのだろうか? 風も強くはない。海では朝から台風のうねりを期待していると思われるサーファーが沢山浮かんで波待ちをしている。
 今日も仕事の帰りは藤沢駅まで歩いて帰る。台風の影響を受けているので、駅近くでチョッピリ雨の洗礼を受けてしまった。それ以降は雨が降ったり止んだりのハッキリしない天候を繰り返している。風も少し強まってきたように思う。午後3時半過ぎの天気予報では「紀伊半島辺りに上陸しそうだ」と言っていた。
 ビックカメラへパソコンの購入手続きに行く。「118,000円余りで、10日か、二週間ほど掛かります」との説明だった。
 台風4号は午後5時ごろ紀伊半島に上陸したそうである。上陸後はスピードを上げて北上。関東は真夜中頃通過で、明日の朝は東北地方へ抜けていく予報。
 正木さんへ葉書の返事を書いた。私は今、歯がとても痛む。夜9時過ぎには風雨が強まりテレビでJRの運行見合わせの発表があった。

1月5日 最近の母親の具合

母親の顔色が日ごとに明るくなり、ボーっとしている時間が少なくなりました。
今日も薬が二つ減りました。
「調子が良いから薬を減らして下さい」と母親が先生に言ったからです。
またもや私は涙ぐんでしまいました。
最近はよく喋るし、寝る時間も減ったし、昼前に寝ると夜が寝れなくなることも理解したみたいだし、まあ寝てしまうことは薬が効いているせいもあるから減らしてくれました。
もっと元気になってね!
お母さん。
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私は「生かされた」のか?(15/18)

   15. いよいよ始動だ!!

6月4日(月)
 リハビリを兼ねて今日から出勤。マンションへ8時に着くように家を出る。いつもと違い、早い時間に動き出したので多少頭がふわふわしている。
 代行員の木村さんは7時半ごろに来ているようだ。小田急線の柿生から来ているとのこと。通勤に1時間半くらい掛かるそうで、「家を6時ごろ出てくる」と言っていた。043
 マンション業務は彼に任せておいて、私は中庭の芝生の雑草取りに専念した。入院前に途中まで進めていた雑草取りだが、三週間ほど休んでいる間に雑草は驚くほど大きく成長していた。だが芝生が成長していない。とても見苦しい状態になっている。3時間ほど進めたがあまりはかどらなかった。
 帰り際に502号室の近江さんの奥さんにお会いする。「緊急入院していた」と報告。「無理しないように」とねぎらいの言葉を頂く。向かいのマンションの管理人の菊名さんにもお会いする。「月、水、金にリハビリを兼ねて来るから」と告げて、家まで歩いて帰る。暑くなったのでトイレへ行く回数が少なくなったが、逆に喉の渇きが感じられる。
 いつもの昼食を食べながら録溜めた映画を見て過ごし、夕方、鍼灸院の順鳳堂へ治療に行く。これがとても不思議な治療方法で気功、お灸、熱鍼を組み合わせた治療法である。西洋医学で治らない患者さんでいつもいっぱいである。夕方5時の予約で入ったが、治療の終わったのが19時前、実際の治療時間は1時間も掛かっていないと思う。だがベッドで横になり、待たされている時間が半分くらいはあるのではないかなと思う。行くときは電車で行ったが、帰りは家まで歩いて帰った。45分くらいだろうか? 病状はだいぶ良くなってきているとのことだった。まずは安心だ。

6月5日(火)
 台風3号が沖縄付近にあり、そこから延びる前線で曇り空。予報では午前中晴れだが、スッキリしない空模様である。9時過ぎに家を出てウォーキングに出掛ける。今日は旧一国沿いに歩き、引地川まで行く。約35分、そこから川沿いに海岸に出る。松浪交差点の大きな地下道を抜けて鵠沼海岸へ出た。台風が近づいているので南風が入っているのだが、波はあまり高くないし、サーファーは相変わらず多い。台風の波を期待して海へ来たサーファーもいるはずだが、当て外れか?
 帰りは境川沿いに北上して歩く。途中で私の通っているスポーツクラブへ寄った。11時半からマスターズのスイムトレーニングが始まるからだ。12時過ぎにクラブに到着。皆さん元気に泳いでいる。ギャラリーで見ている私を見つけて何人かの方が手を振ってくれたので、それに応えて私も手を振った。泳ぐのはもう少し辛抱、辛抱。
 昼食を作り、それを食べながらテレビの録溜めた映画を見て一休み。14時半過ぎにシャワーを浴びて汗を流し、小田急線の湘南台駅のつのだ歯科へ行く。なぜわざわざ湘南台の歯科まで通っているのかと言えば、東京の大森に勤務していた時に、職場の近くにあった歯科へ通っていた。退職する際に「藤沢方面で先生のお知り合いの歯科医はおりませんか?」と尋ねたら、「湘南台で開業している」とのことで、紹介状を書いて頂き、以来通っている。もう10年になるかな? この、つのだ歯科は技工士の腕が素晴らしい。今回は特に悪いところは無いが、2ヶ月に一度くらいの割で歯石や歯の汚れを落としてもらっている。次回は8月末の予約をした。歯科医お勧めの歯ブラシを五本購入した。
 今日は良く歩いた18kmぐらいかな?

6月6日(水)
 台風3号の接近に伴い関東地方は雨模様の予報であり、今日もリハビリを兼ねてマンションへ行く予定にしたが中止にした。
 退院後、排尿量を毎日計測していたのだが、何を間違えたのか計量の目盛が狂っていた。『カップ一杯が200ccだ』と思っていたのだが、250ccだったのだ。今まで計っていたデータに50ccをプラスする。それから見ると排尿量は正常に戻ってきたようにも思う。回数もかなり減ってきた。良いことだ。後は腎臓のダメージがどのようなものか? 今日泌尿器科へ行くので分かるはずだ。10時過ぎに平本クリニックへ行く。外は北風で冷たい。おまけに弱い雨も降っている。尿の精密検査では特に悪いものは検出されていないとのこので、先ずは一安心である。再度、採尿して調べてもらったが、まだ若干血尿が出ているそうだ。前立腺肥大の薬を28日分出してもらう。045
 目薬も無くなってきているので帰りにシティー眼科へ寄り、検査と検眼をしてもらう。今日は右目の視力が0.9まで見えた。眼圧も11~13で「良好」と先生に言われた。「白内障も進行はしていないので、まだこのままで問題なしです」とのことだった。いつも薬をもらっている駅前の湘南薬局へ行き、目薬と前立腺の薬を購入する。
 今日は午後から雨が上がるとの予報なので、午後からウォーキングの予定にした。14時半過ぎに家を出る。「午後から天気は回復する」と言っていたが、その通りだ。しかし北寄りの冷たい風がかなり強く吹いている。Tシャツで家を出てきたのは失敗だった。境川沿いにか海へ出る。台風の通過にしては波が大きくない。北風が強いためだろう。サーファーは江の島水族館前から鵠沼海岸にかけてびっしりと浮いている。サーフビレッジのトイレへ寄ったとき、毎年夏にお世話になる西浜のライフガードに方にお会いする。彼から「サーフィンをやっているときに沖を泳いでいる湘南の主さんを良く見かけますよ」と言われた。
 家に戻ったのは17時過ぎ。今日も2時間半ほど歩いたことになる。今日は外が寒かったのと、Tシャツだったので体が冷えてトイレへ行く回数が多かった。やはり冷えは厳禁だな。

6月7日(木)
 まだ北風でチョットひんやりした空気。晴れの予報だが8時過ぎはまだ雲に覆われている。庭にネーブルの苗を植えて四年目。今年は沢山花が咲き、実も沢山つけている。ゴーヤも植えて二週間ぐらい経つが、もう既に小さな実がなっているではないか。今の時期、植物は一番成長するころなのか?
 日差しがでたらウォーキングだ。9時半近くに家を出る。いつもの境川沿いに海へ向かう、今日の風は南寄りかと思いきや、海へ出たら東の風だった。多少波気があり、サーファーが海面一杯に浮かんでいる。海岸線沿いに西へ向かって歩く風は完全にフォローだった。
 西浜の海の家はほぼ完成している小屋もあれば、鉄骨の骨組みだけという小屋もあり、かなりばらけた進行状況である。いずれにしても7月1日の海開きまでには完成するはずだ。松浪交差点から引地川沿いに旧1国まで歩く。ここまでで約2時間。ここから家まで約35分なので、ほぼ予定通り。12時までに家に戻れた。シャワーを浴びてサッパリしてから昼食を作り、いつものようにのんびりと食事をする。
 夜、6時半から順鳳堂医院の治療へ行く。15分ほど待たされる。ベッドへ案内されても中々治療が始まらず、治療が終わったらなんと9時少し前、帰りは奥さんの車で家まで送ってもらった。肺炎かなり回復してきているとのことだった。

6月8日(金)
 今日は朝から太陽がギラギラと輝いている。リハビリと職場復帰を兼ねていつもの時間にマンションへ向かう。今日もマンションの中庭の芝生の雑草取りを行う。普段の業務の中では中々出来ない仕事である。今日は日差しも強いが南風も強い。庭の中でも一番広い部分の作業が残ってしまった。来週の月曜日まで代行の管理員がいるので、それまでに何とか終わらせたい。11時半ごろ作業を終了して帰りは家まで歩いて帰る。
 午後はいつものように録溜めの映画を見ながらのんびりと昼食。夕方一ヶ月ぶりくらいに近くのマッサージへ行く。来られなかった訳を説明。今日は鍼治療なしで、下半身のみのマッサージを受けた。今日は気温が高いせいかトイレへ行く回数が夕方までに6回と少なかった。
 「沖縄、九州、四国、関西方面が梅雨入りした」との気象庁の発表があった。関東地方も明日は一日雨とのことなので、多分、梅雨入り宣言も間近であろう。

6月9日(土)
 昨夜から降り出した雨が、今朝はかなり強くなったり弱まったりと降り続いている。肺炎で入院した時の生命保険の入院給付金請求の書類の診断書を入院先の山内病院へ9時過ぎ取りに行った。雨にも関わらず待合室は待ち人で一杯だった。診断書は直ぐ貰えたが、5,250円も請求された。家に戻り、必要書類に記入。“運転免許証のコピーが必要”とあり、近くのコンビニへコピーをしに行く。書類を再度確認して郵便局へ出しに行った。
 昼食は例によって録溜め映画を見ながらのんびりである。ウォーキングは雨の様子を見ながらと待つが、15時過ぎに外へ出てみる。雨は相変わらず降りやまず、傘を差し、雨靴を履いて出かける。傘、雨靴を履いてのウォーキングは初めてである。境川沿いに海へ向かう。風は北寄りで歩くのにはフォローのだ。傘が風を受けて押してくれるので楽なはずだが、100mの歩数が140歩といつもより多い。雨靴に傘の出で立ちが影響しているのかも知れない。いつも歩いている川沿いの道だが、雨降りの時に歩くのは初めてで分からなかったのだが、水溜りが道幅一杯に広がっている所が何か所もあった。水はけが非常に悪いのを初めて知った。
 海へ出るとサーファーが多いのにビックリである。ざっと人数を数えてみたが、江の島水族館前から鵠沼海岸のサーフビレッジ前までで600人近くは浮かんでいたように見える。うねりはあるが、北風なのでかなり穏やかな海になっている。もっとビックリしたのはサーフビレッジ前のビーチバレーコートで小雨の中、ビキニスタイルの女性が泥だらけになりながらボールを追いかけて練習していたこと。『そこまでやるかぁ~~』という思いがした。帰りは鵠沼海岸駅から小田急線に乗り帰ることした。約1時間半のウォーキングだった。

6月10日(日)
 雨上がりの今日は日差しが眩しい。先週末に長後のアパートへ雑草取りに行ったが、庭のレットロビンの枝おろしまで手が回らなかったので、今日やることにした。道具一式を持ち電車で行く。荷物をアパートへ置き、先に本家へトマトを買いに行った。本家の久雄さん、洋子さんご夫妻が枝豆の出荷をしていた。トマトを三袋購入。
 アパートへ戻り植木の剪定。バサバサと切り落とすが、かなりの量が出た。それを今度は小さな鋏で細かく刻んで、ごみ袋へ入れるがこれがかなり大変な作業。でも細かく刻んだおかげでごみ袋を三個に纏めることが出来た。家に戻ったのは12時半過ぎだったから3時間以上かかったことになる。
 昼食後は録溜め映画を見て過ごし、夕方、ウォーキングを兼ねてディスカウントショップまで1時間ほどかけて歩いて行った。いよいよ明日から仕事である。マンション用の小さなハイビスカスの鉢を二つ購入した。
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2006年5月16日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

1月5日 朝練開始

朝練が始まりました。初練習です。
なかなか調子が良く、もうちょっと泳ぎたかったですが、これぐらいが丁度良いのかもね。
泳ぐ前にストレッチをしますが、何だか身体は硬かったですね。
途中、城北中学の水泳部の方もプールで練習し出しました。
私たちと入れ替わり、竜城の選手コースの方たちが泳ぎ出しました。
皆さん朝から張り切って練習していますよ。
私は終わり次第、母親を病院に連れて行きましたが、果たして竜城南校の12時からのフリータイムに間に合うでしようか?
病院に9時に着いても坂野先生の予約は11番目でしたよ!
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2005年7月15日、キンちゃんのドーバー泳(3回目)
バックはイギリス(ドーバー)とフランス(カレー)を結ぶフェリー

私は「生かされた」のか?(14/18)

   14. 社会復帰のリハビリ

6月1日(金)
 今日から6月。もう半年が過ぎたことになるのか、9時前に家を出て勤務先のマンションへ向かう。昨日、会社での管理員全体集会で各マンション用のヘルメットと救急医薬品が支給されたので、マンションへ置きに行ったのだ。そして代行管理員の木村さんと1時間ほど話し込んでしまった。
 その足で長後のアパートまで行き、庭や通路の雑草の伸び具合を確認。2~3か月手入れをしていなかったので、やはりかなり雑草がはびこっていた。隣との境のブロック塀は既に撤去されていた。長後の本家へ寄り、トマトを二袋購入。丁度10時のお茶の時間だったので、従弟の久雄さん、洋子さんご夫妻と久雄さんの弟、かずみさんがいたので30分ほど話し込んでしまった。肺炎で入院していたことを話した。
 家に戻ったのは12時前。昨夜は少々食べ過ぎたので、昼食はミニカップ麺だけで済ませた。そのあとは録溜めしてあった映画を夕方まで見て過ごした。夕食も軽く済ませた。

6月2日(土)
 朝はゆっくりと起きて、いつもの朝食を食べながら新聞に目を通す。9時ごろ長後のアパートへ行き、雑草取りを始める。昨日確認したはずだが思ったより雑草が多く、時間が掛かった。特に自転車置き場の裏側は蔓(つる)草がびっしりはびこっており、手間がかかった。庭の方も雑草と植木の落ち葉でびっしり溜まっていて、大きなごみ袋が一杯になるほどだった。
 あれやこれや手入れをしていたら12時を回ってしまったので今日はこのくらいにして家に戻り、いつもの昼食を作って食べながら又、録溜めの映画を見る。夕方、ウォーキングに出て1時間半ほど歩く。しかし歩く速度が落ちているようだ。1時間で5kmを歩けなくなっていた。体を動かし始めてからか、トイレへ行く回数が大分少なくなってきたように思う。今日は11回。薬の効果が出てきたのか? しかし夜中に必ず2回はトイレへ行く。夜は1回の排尿量は250cc以上だが、昼間は100~150ccと少ないのが気になる。

6月3日(日)
 天気予報で「今日は一日中雨が降ったり止んだり」とのこと。7時現在は降っていないが・・
 朝食後、腹筋50回と腕立て伏せ50回をやる、退院後、今日で三日目の筋トレだ。
 9時15分過ぎにウォーキングに出る。天気が良い方へ変わったようで、雨の降る気配が感じられなくなったのである。薄日も射してきて汗ばむ陽気。小田急線の線路沿いに鵠沼海岸駅まで歩き、そこから海へ出る。風は北寄りで海は波も小さいのだが、休日なのでサーファーが大勢浮かんでいる。サーフビッレジ前ではビーチバレーの大会があるようで、コートが沢山設置されてテントも立っている。月初めの恒例、湘南月例マラソン大会も開催されており、朝からとても賑やかな海辺である。
 新江の島水族館近くの「との網」の地引網は盛況で4~5張りブルーテントの下で大小グループが飲食をしており、とても賑やかな風景だった。今度は境川沿いに藤沢まで戻り、奥田公園から家に向かう。マンションの近くで水泳仲間の延とも子さんに出会う。新林小学校の校庭で何とかゴルフをやってきたそうである。家に着いたのは11時30分過ぎで2時間15分歩いたことになる。帰りがけに駅によって明日から使う通勤用の定期を購入した。
 そのあといつもの昼食の支度をして、テレビを見ながらゆっくりと昼食を摂る。明日から月、水、金の三日間リハビリを兼ねてマンションの仕事をする予定。
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2006年5月16日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

1月4日 初泳ぎ

ロイヤルの投げ餅五臼を8時30分に届け、刈谷市にある高倉土日市場の店の準備をして家に戻ったら13時。
竜城の練習時間には間に合わず、ロイヤルに行き、クロール中級、バタフライ中級のレッスンに入り、一週間ぶりに泳ぎました。
口の方もよく動いていましたよ。
リラックススイムで、明日の朝練に調整しますね!
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2004年7月26日、バックの銅像はドーバー初の公認完泳者“キャプテン・マシュー・ウェッブ”

私は「生かされた」のか?(13/18)

   13. やっと退院へ

5月29日(火)
 午前1時38分、地震が発生した。昨夜、最後の点滴が22時ごろ終わり、『針も抜かれてやっと治療が終わったな』と感じた。会社、友人宛にメールで本日無事退院できることを報告した。
 体調はすこぶる快調である。入院時風間医院から借りたレントゲン写真が渡された。最後の朝食、体重は62.4kg。体脂肪も落ちたが、筋肉もかなり落ちている。元に戻すには半年ぐらいは掛かるかも知れない。
 9時半ごろに家内が迎えに来ることになっているので、荷物を纏め、着替えて退院を待つ。家内が窓口で入院、治療の支払いを済ませ、15日間で約15万円也。命との引き換えであれば安いものだ。領収書と引き換えに山内病院の診察カードが二階のナースステーションで返却された。入院費用を払わずに「ドロン」をする患者さんが時折いるそうだ。同室の患者さんや看護師さんにお礼を言って病院をあとにする。041
 二週間ぶりに外へ出る。とても気持ちが良い。やはり外の空気は新鮮だ。外の景色、家の周りは全く変化なし。やはり『我が家が最高だ!』とつくづく思った!!
 持ち帰った荷物を整理し、一段落してから泌尿器科へ行く。我が家から歩いて5分ほどの所にある。今、私の住んでいる場所は藤沢市の中心部にありながら、静かな住宅地であり、役所関係、銀行、スーパーマーケット、病院、JRの藤沢駅、小田急線等は10分以内で行けるとても便利なところである。よく「歳を取ったら田舎暮らし」と言うが、私には今の所が最高の住家だと思っている。
 泌尿器科へは一年半ほど前初めて行った。前立腺肥大で尿の出が悪いのと、頻尿が激しくなり、投薬治療で半年ぐらい通院していた。お蔭様でかなり改善されて良かった。で、もう一年くらいご無沙汰している病院ではある。肺炎で入院している間に多い日で一日20回以上トイレに行く状況になっている。一日に点滴を5~6本を二週間近く打たれれば『無理もないかな』とは思っているのだが? 先生には肺炎で二週間ほど入院、点滴をかなり打たれていた事などを説明した。採尿検査で血尿が出ていると説明を受けた。「明日、エコーで調べるからなるべくおしっこを溜めた状態で来て下さい」と指示される。
 午後は家内がテレビの録溜めしておいてくれた映画などを夕方まで見て過ごす。夜、7時半ごろ、家内が良く通って治療を受けている東洋医学鍼灸、順鳳堂医院の横山先生の所へ治療に行くことになった。先生の奥さんがわざわざ我が家まで車で迎えに来てくれた。
 ここの治療方法はとても不思議な治療で、気功、お灸、鍼、熱芯鍼等を用いて治療を行う。西洋医学で治らない、見放された患者さん(?)でいつも満員の状況。予約制だが患者さんの病状に合わせて治療をするので、具合の悪い患者さんが来ると時間が掛かり、待たされることもしばしばである。先生は私の両手首に何か所か印をつけてその印で脈をとるようにそっと指先を当てて何かを調べている。
 1時間半ぐらい治療を受けた。横山先生曰く、「肝臓は強いが、腎臓がかなり弱っています」。確かに点滴をかなり打たれているのでその影響かもしれない。肺は悪かった左よりも右の肺がかなり疲れているとのことだった。しばらくは通院することにして来週の予約を取る。
 治療を終え、又、車で送ってもらった。家に着いたら午後の10時半を回っていた。治療を受けて体が活動的になったのか? いつもなら風呂へ入った後は直ぐ寝付くのだが、今夜はなかなか寝付けなかった。しかしトイレへ行く回数は相変わらず多い。

5月30日(水)
 朝は5時前に目が覚めてしまった。ポケットラジオを聴きながらうとうとして、6時過ぎに雨戸のシャッターを開ける。着替えて二週間ぶりに我が家での朝食、納豆、めかぶ、もずく、りんご、バナナ、自家製ヨーグルト、それにチーズを加えたものが私のいつもの朝食の内容である。それらを、新聞を見ながらゆっくりと食べる。
 今日の家内はスポーツクラブのメニューが午前、午後とあるので9時過ぎには家を出て行った。私は尿を溜めて10時過ぎに泌尿器科へ行くが、どうしても我慢できず、検査する前に病院のトイレへ駈け込んでしまって失敗。受付に「午後又来ます」と言って帰ってきた。
 生命保険で入院費用の請求が出来ないか 保険会社へ行って調べてもらったが、「この保険は払い済みという手続きがされていて、特約は解除されているので入院給付金は出ません」と言われた。そういえば“払い済み”という手続きをした記憶がよみがえってきた。残念!!
 昼食はいつもの野菜の蒸し焼き? タジン鍋を使っての料理とまでは言えない代物だが。午後から再度、泌尿器科へ行く。失敗しないように早めに行き、無事にエコー検査を受けることが出来た。特に悪いところは無いようであり良かった。尿は「精密検査に出したので、一週間後に検査結果が分かるから又来てください」とのことだった。
042_2 家に戻り、2時半過ぎからウォーキングに出る。二週間振りに海へ向かう。いつもなら海を見ると『海が私を呼んでいる。泳ぎたいなぁ~』と思うのだが、今日は海を見ても『泳ぎたい』という思いが湧いてこない。変だなぁ~~~。境川を北上して家の近くまで戻り、少し寄り道をしてディスカントストアーに寄って野菜の苗木「オクラ」を二本買った。今日は2時間半ぐらい歩いたが、少々疲れたかなという程度の疲労度だった。夜、パソコンのメールを開いたら100件近くのメールが届いていた。昼間歩いたので今夜は良く眠れることだろう。

5月31日(木)
 相変わらず夜中には3回もトイレへ行く。しかし排尿量は250ccと量が多くなってきたので良い傾向だ。目覚めは5時、6時にはベッドから抜け出し、朝刊を見ながらゆったりとした朝食を摂る。食事のあと、腹筋40回、腕立て伏せ30回をやる。これは昨年の秋、体育の日から始めた筋力アップの一環として始めた運動である。何とか目標回数をこなす事ができた。
 入院したので生命保険の入院給付請求の確認を保険会社にして、書類作成して入院先の山内病院へ提出。「担当医師の記入に一週間くらい掛かる」と言われた。費用は5,250円。
 その足で勤務先のマンションへ向かう。多少頭がふらつく。私の勤務するマンションの真向いのマンションの管理人の菊名さんに会う。30分ほど立ち話をしてしまった。
 私の勤務するマンションは木村さんが代行管理員として業務を行ってくれている。休んでいた間の経過、書類等の説明を受けて、月末の報告書を作成。それを会社の担当者へFAXを送った。木村さんが日付ごとにメモを残しておいてくれたので報告書作成は大助かりであった。仕事は常にきちんと整理・整頓をしておくことの大切さを痛感した。清掃マニュアルを作成しておいて良かった。
 昼食後、勤務先の会社の期首管理員全体集会が東京の大井町の駅前ビルで開催されるので出席する。15時45分ごろ会場に到着。久し振りに仕事仲間と顔を合わせる。
 私を知っている仕事仲間の10人中10人が「鉄人が入院したんだって?」と聞かれた。そして「もう出てきても来ても良いのか?」とも聞かれた。「そう、リハビリを兼ねて、皆さんの顔を見に来たんだ」と告げる。
 今年は管理員の出席率が良く、200人以上が参加との説明があった。各担当から昨年度の業績報告、今年度の活動方針、その他お願い等々のセレモニーが約1時間40分続いた。永年勤続10年の方が四名もいた。セレモニーの後は懇親会で飲み食いの時間が約1時間あり、色々な方と懇親を深めた。19時ごろお開きとなった。多少疲れたが皆さんと話が出来、出席して良かった。
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2006年5月3日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

1月3日 コロナの湯

主人の仕事が終わり次第、安城のコロナの湯へ。姪っ子も連れて行きました。
まだ早いせいか空いていましたが、ロイヤルの会員のお友達に会い、雑談が入りました。
明日はロイヤルの餅投げに行くそうです。
ちなみにこの餅投げ用の餅は我社「フジタヤ」で作りました。
餅の袋に当たり券20枚を入れましたが、いったい何が当たるのでしようか?

帰り際、前にロイヤルの会員だった方にお会いしいろいろ話しました。
今は寒いので安城競技場のプールに通うのは辞めて、パソコン教室に通って一年になるそうです。
70歳を過ぎていますが、「凄い!」としか言いようがありません。
『私っていったい何をしているんだろう』と考えさせられました。
見習わなくては!
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2007年1月10日、海練習開始(駿河湾、淡島~大瀬崎間)

私は「生かされた」のか?(12/18)

   12. 復帰に向けて

5月28日(月)
 朝食後の体重が62.4kgと減っている。筋肉が落ちたのか、体脂肪が減ったのか? 家の体重計で測るのが楽しみだ。9時50分の検診で体温36度、血中酸素濃度97、血圧104/46心拍数60。10時30分ごろ急に採血となった。岩田さんが佐々木ドクターに進言してくれたらしい。この結果によって退院の日が決まるようだ。「ネプライザの治療も今日で終わりです」と看護師さんに告げられた。治療が一つずつ減っていくことは良いことだ。
 9時過ぎに一週間ほど前に退院した若い人が又、入院してきた。看護師さんとの会話から、どうもこの病院を出たり入ったりしている患者さんのようだ。話の様子から健康のための自己管理が出来ていない人のようで、『医療費の無駄遣い患者だ!!』と思った。
 11時半ごろ佐々木ドクターが来て、「血液検査の結果、CRP値が“0.71”まで下がったので、いつでも退院していいですよ」と言われた。それなら早いほうが良いと、明日の午前中に退院することに決めた。やっと退院することができて一安心だが、「完全に回復したわけではないので無理は絶対禁物」とドクターから釘を刺された。
 早速会社へ連絡。「一週間自宅療養の後、6月11日(月)から出勤出来ます」と連絡を入れる。
 昼前に家内が来たので「明日、退院できる」と言った。午後、娘の麻純が来た。明日は私の68回目の誕生日。だがすっかり忘れていた私に、お祝いをもらった。
 大分元気が出てきたように思う。リハビリと体力回復のため、病院内の各階を歩いていたが、各階の現状を垣間見ることが出来る。
 私が入院した山内病院は家から歩いて10分ほど。藤沢駅からは5分ほどの、とても便利な位置にある病院だ。
 又、この病院は糖尿病が専門のようであるが、寝たきりで鼻からチューブで繋がれた寝たきりのお年寄りが多く入院しているところでもある。私は二階の北側に面した四人部屋で入口に近いベッドである。同室には他に三人いるので、彼らの様子も少し紹介しよう。

Aさん
 年齢は50代半ばか? 糖尿病で再入院の様子、耳が少し遠いようで、ドクター、看護師さんとの会話が大声なので嫌でも耳に入ってくる。いつも膝上の半ズボンにTシャツ姿。口にはタバコ代わりのパイプをいつもくわえている。年老いた母親を兄と面倒をみているそうだ。面会には多分、兄と思われる人が二回ほど来ただけ。時々外出しているが、どこへ行くのかは分からない。既にインスリン注射を一日4回打っていて、「退院したら自分で打たなければならないから」と、何度も指導を受けていた。
 結局は自己管理がシッカリ出来ていないから入退院を繰り返すことになるのだろう。今回はいつまで自宅で生活出来るのであろうか? 5月25日に退院していった。

Bさん
 年齢不詳、足のふくらはぎの太さが私の腕くらいしかない細い足をしている。病名は分からないが、夜のなると熱が37~38度ぐらいに上がってくるようで、夜のなると「氷枕を作ってくれ」と要求している。岩田看護師さんに「熱が37度台なら、冷蔵庫に入っているアイスノンでいいから」と指導されていたが、彼女がいない時は氷枕を要求している。
055 私が入院している間、面会人は一人も来なかった。時々外出してスーパーの袋を下げて帰ってくるが、中身は菓子類のようだ。夜の食事が終わったあと、ゴソゴソとレジ袋を開けては夜の10時過ぎまで何かを食べている。
 看護師さんが検診に来て平熱だと「おかしいな? 体温計が壊れているんじゃ~ないか?」と言っている。ドクターの回診でもあまり話をすることがなく、ドクターも「変だなぁ~」というだけで帰っていく。私から見ると、何の病気か分からないが「病気に完全に負けている」ようで、病気を治そうという意欲が全く失せているように見えた。正に医療費の無駄遣いの人にみえる。

Cさん
 年齢は70代半ばかな? 白髪でちょっと見、亡くなった東京の春雄さんに横顔が似ている。やはり再入院らしい。今回はむくみが酷く、歩行困難になったようだ。奥さんは居ないようである。息子さんが二人いて二度ほど見舞いに来たが、「本人が思っている以上に病状は悪いらしい」とドクターとの話の内容を伝えていた。
 面会人が多く、何か、どうも詩吟の会を主催している様子で、近々大会でもあるようで、急な入院で事務方は混乱している様子。事務方と言ってもやはりお年寄りで、何人もの人が入れ替わり立ち代り訪ねてくる。あれこれ確認して帰っていくのだが、私から見るとCさんはかなりの重症に思える。が、患者が寝ているところでも構わず事務方は訪れては話し込んで帰る。歳をとると周りが見えなくなり、自分のことしか頭にないのか? 周りを気遣う注意力も失せるのか?
 Cさんは一人暮らしのために生活習慣、食生活等に問題があったようで、看護師さんから「生活指導をしますよ」と言われていた。
 Cさんの所へよく同年輩の方が訪ねて来るが、『Cさん本人は自分の体調不良が良く分かっていないのではないかな?』と思う節がある。時々外出して帰ってくると、グッタリして横になっている。が、そんなことお構いなしに、友人が訪ねてきては話し込んでいく。寝ていようと食事をしていようとお構いなしである。歳をとると自分の都合だけで行動するようになってしまうのか? 傍から見ていてお年寄りの行動に腹立たしさをおぼえてくる。「自分は絶対にそうにはなるまい!」と誓った。

Dさん
 私が入院した際に真向いのベッドにいた人で、まだ30代ぐらいの若い人だった。2~3日で退院していったと思ったら、今朝、朝食前の時間に再入院。かなり辛そうな症状だった。看護師さんとの会話で、退院して友人の結婚式に参加。「アルコールを2~3杯飲んだ」と言っていた。Bさんとは顔なじみのようで、何やら話していたが、結局は退院しても自己管理が出来ていないためによる再入院のようだ。

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2006年4月1日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

病院内の印象
 体力と筋力回復のために、病院内の各階を何度も行ったり来たりして歩いていた。病院のベッド数は二階が38床、三階は31床、四階が22床で合計91床。5月28日の入院患者数は68名となっていた。
 入院患者の大半は寝たきりのお年寄りで、しかも女性患者が圧倒的に多い。ちらっと病室内を見る限りでは“生きている”というより“生かされている”という感じがしてならない。人各々の考えがあるので一概には言えないが、私は絶対に延命治療は嫌だし、そのために入院はしないつもりだ。入院している患者さんを見ていると確かに生きる権利はあるが、『こんな状態で果たして生きている意味があるのだろうか?』と考えさせられる。
 私は絶対に嫌だ。『どのようにしたらこの世とすんなり“おさらば”出来るのかを考えておく必要があるな』と強く思った。
 人は喜怒哀楽を感じてこそ人間として生きている実感があるし、喜びがあるはず。

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2006年4月18日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

お世話になった看護師さんへの感想
 病院の特性、特徴があるかもしれないが、この山内病院は糖尿病患者と寝たきりのお年寄りの患者が多い。私のような患者は少ないように思えた。特に手の掛かるお年寄りの世話は見ているだけでも大変だと思った。しかし「看護師歴20年以上」と言っていた40代の看護師さんはこの仕事が大好きで、「出来れば病院に住み込んでお世話をしたい」と言っていた。このような方々に支えられているのかと思うと本当に頭の下がる思いで一杯だ。
 昼夜が逆転してしまうお年寄りもいるようで、ナースステーション前に車椅子に座っているお年寄りを何人も目にした。こんなに一生懸命働いているのに給料が安いという理由で辞めていく看護師さんが多いとも聞いた。どのようにしたらあの働きに対しての正当な評価、見合う支払いが出来るのだろうか???
 日本人の平均寿命は“世界一”と言われているが、“健康寿命”と言われる「自分のことは自分で出来る人」が果たして何人いるのだろうか? “少子化”と言われている時代、「子供が親の世話、面倒を見る時代は過ぎた」と言われて久しいが、その分このような病院にしわ寄せが来ているのではないか? しかしその事によって仕事、働き場所を得ている人がいることも事実だが!
 もっと基本的に健康で元気な歳の取り方についての指導をすることで、病院通いを少なくして医療費の軽減にもつながるのではないか? どのようにしたら自分の健康管理が出来るようになのだろう?
 どうも入院している人を見ると、再入院を繰り返している方が多いようだ。私も再発して再入院とならないよう、じっくりと体力の回復を図っていきたいと思った。私の入院歴を振り返ってみると、最初は20台前半の盲腸炎、42歳(男の大厄)での左大腿骨骨折、それに伴いリハビリのやり過ぎで鼠径(そけい)ヘルニア(脱腸)の左右の手術、そして今回の肺炎で5回も入院している。私の入院は外科系が多い。が、肺炎は呼吸器系だ。同室のBさんのようにどこが悪いのか分からない病が一番困りものだ。

1月2日 母の誕生日

13時より刈谷の実家でお正月です。
昼から飲みっぱなしですね!

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丁度主人の母親が誕生日で、主人の弟の嫁さんがケーキを作ってくれました。

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プレゼントは軽いシューズです。
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キンは何にもしていませんが、よく温泉連れて行きます。

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母親と父親の二人暮らしですが、弟の家の横に引っ越したので安心です。
お嫁さん、よろしくお願いいたします。
お母さん、長生きして下さいね。

私は「生かされた」のか?(11/18)

   11. 生かされたのか?

5月26日(土)
 朝一の検診。血中酸素濃度95、心拍数62、体重62kg。9時に点滴開始。点滴注入で腕に痛みが出てきた為、今日は針を差し替えるとのこと。その間にシャワーが浴びられそうだ。
 朝方に又とても変な夢を見た。建替前の古い家に亡くなった母、兄、そして家内の祐子、子供二人は小学生くらいの年齢で、古い家の居間で団欒をしている。そこへ突然、西の方角(空)、私の頭の中では平塚辺りで大爆発が起きた。それは、それは物凄い大爆発で、その火の手がどんどん家の方へ近づいてくる。家族全員何処かへ避難しないといけないと相談を始めた。すると兄が「私が家を守るからみんな早く逃げなさい」と言っている。
 どういうことだろう? 何故、亡くなった母、兄が夢の中に出てくるのか分からない。後日、仕事仲間で宗教や霊に詳しい方にその話をしたら、「それは亡くなった方が、あなたはまだ死ぬのは早い」と言っているのだとのこと。明確に西の空と記憶しているのは、西の方角は仏教を指しているそうである。無事、退院してから母と兄が眠る墓参りに行ったのは言うまでもない。
 病院内は土曜日の午後からと、日曜日はとても静かである。やっと周囲へと気が回るようになってきたみたいだ。午前中に点滴が終わり、歩行訓練で館内を40分ほど歩く。階段が一番きついが訓練にはなる。地下から五階まで一気に登る、多少息切れはあるが、なかり慣れてきた。しかし、それよりも膝の痛みが気になる。やはり油切れかな?
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 昼食の後、午後一番でシャワーを浴びる。11日振りのシャワーでとてもサッパリとした。14時ごろベッドのシーツ交換があった。入院して二回目かな? 午後も歩行練習で40分ほど歩いた。今日は5kmも歩いたことになる。
 夕方、本日三本目の点滴を受ける。針も右腕に差し替えられた。今日はトイレへ行く回数が多少、少なくなったようで、16時40分までに10回だった。歩行訓練で一階の待合室へ行ったとき、新聞を購入した。時間はたっぷりあるので、隅から隅まで目を通した。

5月27日(日)
 朝一でネプライザのよる呼吸改善の治療を受ける。朝、昼、晩と一日3回受けるが、この機器は何台あるのか分からない。が、10分動いている間に3~4分で噴霧が出なくなってしまう機器もある。そのことを看護師さんに話すと、「この病院はケチだから中々新しくしてくれないのよ」と言っていた。
 食事前に新聞を買いに一階まで降りて行く。食事の後、体を拭きに洗面所へ。そしてひげも剃り、サッパリとする。朝食後体重を計ったら62.5kg。病院食は一日のカロリー摂取量1,600kcalとなっているので静かに横になっているなら問題ないが、動くとカロリー不足になる。
 9時から点滴の「ゾジンS」と「ミノペン」の二本を受ける。点滴が終わり昼食までの時間、館内を40分ほど歩いた。呼吸はかなり楽になってきている。昼食の後、昼寝をしてしまった。失敗!! 昼寝をすると夜が眠れなくなるので寝ないように気を付けていたのだが、歩き出してからやはり疲れるのだろう。ついつい寝てしまう。14時過ぎに目覚めたので又、館内を1時間ほどグルグルと地下から四階まで何度も回って歩いた。昨日まで痛みのあったアキレス腱辺りの痛みは取れてきた。やはり運動不足のせいで痛みが出たのだろう。途中で思い出して、500mlのペットボトルを両手に持って歩いてもみた。部屋に戻り、汗をかいたので洗面所へ行き体を拭く。
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2006年4月1日、相模湾(片瀬西浜~逗子間)の海練習

1月1日 あけおめ~、ことよろ~♪

ずっと赤ちゃん犬と遊び、久々にジャッキーと散歩に行きました。
が、目を離した隙にドブに入って歩いていました。
この寒い中、大変大変。
風邪を引いているのに。
ちゃっと(さっと)家に連れて行き洗ったよ。
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私は「生かされた」のか?(10/18)

   10. 回復に向けて

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 夜中に珍しく夢を見た。嫌な夢、それも仕事先の夢だった。多分、昨日、佐々木ドクターの「回診でかなり回復している」との嬉しい情報を受けて、私の頭の中は既に次のステップが無意識に入っていたのかもしれない。夢のストーリーもかなり鮮明に覚えている。勤め先のマンションの5月の締め切り報告で、31日に私がマンションへ出向き、そこで見た代行員の仕事の進め方に呆れて、アレコレ指示を出している自分の姿があった・・・・・
 あぁ~嫌だ、やはり私は仕事人間なのだろうか?
 朝一で超音波噴霧器のネプライザの吸入。これは一日3回入院当初から続けている治療のひとつ。最初の頃は効果を疑っていたが、酸素吸入を外し呼吸がかなり楽になった今、深呼吸が出来るようになり、肺の奥まで薬が入っていくような気がしてきた。気管拡張剤が入っているそうだ。
 朝食後、体を拭きに洗面所へ行く。体を拭いていると、あまり見たことのない年配の看護師さんから「あなたは肺炎なんだから無理しないで、体を拭くならシャワー室か、体にタオルを掛けて体を冷やさないように」とバスタオルを持ってきてくれた。「岩田さんから聞いていますよ~~~」、「そぉ~ですか、冬の海も泳ぐ人ですから、今回はたまたま肺炎になってしまったのですよ」と会話を交わす。
 9時から点滴開始。ゾジンは8時間おきで一日三本。ミノパンは12時間おきで一日二本だそうである。
 10時ごろ娘の麻純が見舞いに来て30分ほど話をする。10時20分ごろ佐々木ドクターの回診があり、深呼吸をするとまだ咳き込むと話したが、「30分くらいなら外出して外の空気を吸っても良いし、シャワーもOKです」と言われた。一応現在の点滴は27日までは継続するとのこと。
 11時過ぎに点滴が終わり、昼食までの時間に少し歩いてみようと館内を歩き始めたが、やはり息苦しさがあり、それでも2kmほど歩いた。歩行訓練で地下一階から四階の各フロアーを歩いていたが、三階のナースセンター前で看護師さんに「眞壁さん?」と声を掛けられた。「市民病院に骨折で入院していた時にお世話をしていました。それからお父様かお母様が、この病院に入院されたときもお世話をさせて頂きました」と言っていた。とてもビックリである。足の骨折は今から26年前、母は9年前のことである。よく私の名前を憶えていたものだと感心した。「その節は大変お世話になりました。」とお礼を言った。
Photo_6 午後の検診では血圧110/50、体温35.9度、心拍数60、血中酸素濃度96。食後の休憩の後、階段を使い、地下一階から屋上まで一気に登ってみた。かなり息切れはしたが、何とか登ることができた。1時間ほど歩いたが、左膝の油が切れたような感じで痛みまではいかないが、疲れがでた。今日は午前、午後と合わせて80分、4.3kmほど歩いた勘定になる。
 夕方点滴を二本打つ。検診は血圧110/60、心拍数60、体温35.9度、血中酸素濃度97と良好である。
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Channel number one

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左からフレドリック(スウェーデン)、ローラ(スペイン)、キンちゃん(日本)、フリーダ(イングランド)、スティーブ(オーストラリア)。みんなドーバーの仲間!(2009)
Fredrik (Sweden), Laura (Spain), Miyuki (Japan), Freda (England), and Steve (Australia).

今日はキンちゃんの誕生日!
Today is Miyuki's birthday!

ハッピーバースデイ!!
Happy birthday!!

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Birthday swim of Miyuki. (10th January 2007, in Suruga Bay)

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2007年1月10日、海練習の後、菊池さん(船頭さん)宅にて

そこで今回はキンちゃんを世界的に有名にした雑誌の記事を紹介しよう。
Then, I will introduce this time the report of the magazine which made Miyuki famous globally.

これは2007年にイギリスの人気雑誌、「Telegraph magazine(テレグラフ・マガジン」に掲載された「Channel number one(チャネル・ナンバー・ワン)」という記事です。

ロンドン在住のフリーのジャーナリスト、トムが、キンちゃんを中心に、その年にドーバーを泳いだスイマーたちを題材にドーバー泳を紹介しています。

日本語はこちら

― Channel number one ―

                                   From "Telegraph magazine" (2007)
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    With volatile weather, powerful tides and bone-numbing temperatures, the English Channel is a formidable prospect for even the most accomplished swimmers. Tom de Castella follows hopefuls as they attempt the crossing to France. Photographs by Richard Ansett

    At Samphire Beach, a Japanese woman stands in front of Dover's white cliffs. She is dressed in a pink and blue swimming costume, yellow cap and goggles. Her back, shoulders and thighs have been basted generously with Vaseline. After a minute or so, she waves to us and begins stepping awkwardly across the pebbles and into the English Channel. It is 10 past seven on a Tuesday morning. Most people will be having breakfast or getting ready for a day at the office. Miyuki Fujita is swimming to France.

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Into the blue: Geoff Evans, Miyuki Fujita, Becky Lewis and Steve Payne

    There are six of us on the Suva, the boat that will accompany her on the 21 miles to Cap Gris Nez, the closest point to England on the French coast: pilot Neil Streeter, a co-pilot, an observer from the Channel Swimming & Piloting Federation, a galley hand, Miyuki's coach Haruyuki Ishii and me.

    We watch as Miyuki wades out through the shallows before diving under a wave. If all goes to plan she will not leave the water for another 12 hours. We will average between one and two miles an hour, bobbing around like a bath toy in this most fickle of seas.

    Swimming the Channel is one of the world's abiding natural challenges. Since merchant seaman Captain Matthew Webb first swam it – unaided – in 1875, only 900 people have successfully made it to the other side from about 7,000 attempts. There are other challenging swims around the world – the Cook Strait between New Zealand's north and south island, the Straits of Gibraltar, California's Catalina Channel. But the English Channel is the one with history, romance and global branding.

    Four things make it so tough: powerful tides, the infuriating geography of the French coast, unpredictable weather and, above all, the cold – the water rarely rises above 15C. Webb swam breaststroke, which explains why he took 21 hours and 45 minutes to reach France. But the size of his achievement can be seen in the fact that it was 36 years and 70 further attempts before anyone else made it across. Between 1875 and 1949 there were four successful swims from England to France and 16 from France to England, which is easier but has now been banned by the French authorities (who do not want to encourage swimming from their side, and by banning it can argue that all swims must be controlled by the British). The sport really took off in the 1950s, and over the ensuing years a bewildering array of feats and records have been set, from swimming it butterfly to multiple crossings. In 1961 Antonio Abertondo from Argentina became the first person to swim it both ways non-stop, in a time of 43 hours and 10 minutes. Twnty years later, John Erikson trumped that with a three-way swim in 38 hours and 27 minutes.

    Most are simply grateful to get across once. Six people have died trying. The most recent was Ueli Staub, a Swiss extreme sports enthusiast who disappeared in August 2001 on a wave in the dark just off Calais, not far from the end point. His body was found a few weeks later off the Belgian port of Ostend. It is thought he had a heart attack, perhaps caused by his caffeine-heavy feed pattern of strong coffee and flat Coca-Cola. Renata Agondi's death in August 1988 was the most controversial. The 25-year-old Brazilian died from exhaustion after her coach refused to let her leave the water. (Now the support boat's pilot, not the coach, has the final say.)

    In 1954 there was the tragi-farcical death of Briton Ted May who couldn't afford a support boat. He swam towing an inner tube with his food and drinks inside, and despite one failed attempt, which ended in rescue, he tried again a few days later. The rubber ring was found floating in the Channel the next day and his body washed up on a Dutch beach soon afterwards. Other heroic failures lived to tell the tale. Jabez Wolfe reputedly tried to swim the Channel 22 times, starting in 1906, never making it despite three times getting within a mile of France. Lord Freyberg, Governor General of New Zealand between 1946 and 1952, made a number of unsuccessful attempts as a young man. During his best effort, he was only 200 yards from land when he stopped to rest before one final push. Seeing his exhaustion, his wife leant over the side of his support boat and gave him a fortifying slug of brandy. And that was that. He went straight to sleep and had to be pulled out.

    The global cachet of the Channel is astounding, and swimmers are drawn from around the world to take it on. At a youth hostel in Dover I meet the Kedia family from Amravati in the state of Maharashtra, India – about as far from the chilly waters of south-east England as one can get. They are hoping to see their second daughter Ritu, 17, triumph over the Channel just as their eldest, Barkha, did in 2001. For Mr. Kedia, an aluminium factory owner, the swim is not just a sporting achievement, but an investment, a status symbol. Conquering the Channel helped Barkha secure a place at a good university, and even led to her being invited to Delhi to receive a National Adventure Award from Prime Minister AB Vajpayee. The cost of transporting his family to Kent for two weeks is considerable (even the Channel crossing itself costs an average of £2,100 – mostly to cover a boat and pilot), but Mr. Kedia believes it is worth it. 'It's so important to have self identity,' he explains. 'I am known in the city for my swimming girls. My dream is that both my daughters will go to great heights.'

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    Ritu recalls her sister's attempt: 'When Barkha did it in 2001 the weather was really bad and I was seasick on the boat. But I knew that I was going to do it one day. When you do it, you learn so much.'

    Part of the Channel's appeal lies in the fact that Webb's tradition has been upheld by strict rules. He was not the first man to swim the Channel: the American Paul Boyton beat him to it in an inflatable rubber suit with built-in paddles and a sail. But Webb (who later died attempting to swim the rapids and whirlpools beneath the Niagara Falls) was scornful of synthetic aids and it is his purist stance that has been kept alive. Trunks, goggles, Vaseline, a feed from time to time, and that's it. Doing it in a wetsuit doesn't count. Anyone can apply, as long as they can provide written evidence they have done a six-hour swim in water of 16C or less.

    There used to be just one governing body responsible for ensuring people abided by the rules – the Channel Swimming Association, which was founded 80 years ago. But in 1998 the committee split and half the members left to set up a rival body, the Channel Swimming and Piloting Federation (which is now by far the more popular of the two). The old guard at the CSA feel they have been betrayed and refuse to acknowledge the CS&PF's swims, unlike the latter, which recognises both its own and the Association's swims.

    Mike Oram, the honorary secretary of the Federation, says his role is far more than just a bureaucratic one; he is also one of the swimmers' chief motivators. He was piloting the support boat of Christof Wandratsch when the 38-year-old German crossed the Channel in 2005 in a record time of seven hours and three minutes. 'After four and a half hours he stopped and said he wanted to get out,' Oram says. 'We spent 15 minutes arguing – I told him my reputation was on the line. He needed me to make him mad.'

    There is one place where you can always be sure to find a handful of Channel swimmers, and that is beside the icy water itself at the Varne Ridge Caravan Park, dramatically perched on the cliffs between Dover and Folkestone. About 125 people will attempt to swim the Channel solo this year and, for many, this will be their base camp. There is a colourful mural marking the dozens of swimmers from around the world who have stayed here, with flags, dates and swim times. Here I meet Geoff Evans and Steve Payne, from Australia's Blue Mountains who have brought their families over to cheer them on.

    Evans, a 44-year-old glassmaker, says the Channel is the 'bee's knees of swimming'. His friend Payne, 47, had made two previous attempts, which failed due to sickness, and his stories inspired Evans. 'I talked to my wife and she said, "OK, you can do it – I need a holiday anyway," so we all came over.' For the past 14 months he has been averaging swims of 25km a week and has done three 24km swims in the cold (16C) waters of the Pacific at Woollongong. He has been eating well to compensate for the cold, he says, patting his belly admiringly: 'The second part of my training is going down the pub for a Guinness,' he laughs. For Payne, a firefighter from Kurrajong, it's a case of third time lucky. 'I couldn't wait to get back. I've done 28 Ironman events but I consider the Channel the biggest challenge of them all.' They have both been in Dover for three weeks, waiting for the weather to improve.

    In another caravan I meet Enrique Flores, a Mexican civil engineer hoping to raise £10,000 for children's charities. 'Not all children are as fortunate as my own,' he says. Later, I get chatting to the Lewis family from Coniston in Cumbria, who are supporting their 23-year-old daughter Becky on her first swim.

    Becky has been swimming competitively since the age of five. 'The Channel is something I have always wanted to do, even when I was tiny and didn't know exactly where it was,' says Becky, a physiotherapy student at Teesside University. 'Since becoming an open-water swimmer and competing in long swims, I realised it was within my grasp.' She has been in training since last September, often swimming eight miles a day, in Coniston Water near her house, the local pool and in the Irish Sea. She usually eats a balanced diet, but the week before her swim she bulked up on carbs with pasta and jacket potatoes. Channel swimming is one of few sports where a bit of body fat and a stocky physique are seen as a good thing.

    Miyuki Fujita is a 41-year-old housewife from Japan's Aichi province who helps out in her husband's sweet-making business. So why her obsession with the Channel? 'I don't want to be like other people. I started off swimming in the sea and it escalated, and that's how I find myself in Dover,' she says, as if it's the most natural thing in the world. She has now swum the Channel three times after two failed attempts, and is one of only 16 Japanese to have swum it.


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    At five to eight, Miyuki is thrown a bottle. She drinks underwater to avoid the waves catching her by surprise, then tosses the bottle back, all within about 10 seconds, and then she is off again, repeating the process every 40 minutes. The drink – a 300ml mixture of carbohydrate solution, vitamin B2, glucose and Japanese tea – is a far cry from the old days when swimmers refuelled on a ham sandwich, cup of warm ale, some cod liver oil, or a slug of brandy.

    Miyuki is taking it slow and steady. Whenever she drops her pace, the pilot puts the engine into neutral and we idle until she pulls ahead of us again. By half past nine she looks stronger than she did at the start, her rhythm more measured. The wind picks up sharply.

    Just after 10, we approach the first shipping lane, a one-way procession of container ships. The Channel is believed to be the busiest waterway in the world, with 5,000 people afloat at any one time, adding a man-made frisson of danger to what is essentially a battle against nature (though the pilot boats communicate on their radios with coastguards to avoid catastrophes).

    At midday, the white cliffs behind us appear to have barely receded, and ahead the low dark smudge of France seems no closer. A couple of curious gulls circle the boat and land close to Miyuki, momentarily breaking the monotony. By now, her body will have started converting fat to glycogen, which provides energy, and the pain will be kicking in (when endurance athletes talk about 'hitting the wall', that's the point at which their glycogen levels run out). Miyuki's small body is knifing its way through the grey-green seascape. The power comes from the shoulders. The kick is at first glance puny, but never misses a beat. Her face when it turns upwards for air shows an expression of confidence. Her eyes, even though she is wearing goggles, will be stinging by now, her tongue thick with salt, her feet like blocks of ice.

    I recall a conversation I had with Greg Whyte, a professor of sports science at Liverpool John Moores University, and the man who coached the comedian David Walliams to Channel-swimming glory last year. Whyte had his own Channel story, an attempt that looked to be heading for a time of under eight hours – two hours faster than Walliams – until a couple of miles off the French coast the tide got him, as it gets so many swimmers as they reach the closing stages. After two and a half hours of going nowhere he had to be pulled out. 'The cold creates a misery, which you try to psychologically park on one side,' he said. 'But it never goes away and as you start to get fatigued it allows negative thoughts to enter your head.'

    It is just gone one o'clock and it's an angry sea now, a 15-knot wind cutting across the surface. Rollers are coming over from our right – it is a sou'wester, just what every swimmer dreads. But Miyuki seems unaffected. Not for the first time, I am finding it hard to appreciate the appeal of the Channel swim. There is a miserable drudgery to it all. These people are not just physically and mentally tough – they are a bit mad, too.

    A former currency trader, Alison Streeter – Neil's sister – is the so-called Queen of the Channel, with 43 crossings to her name (more than anybody else), including a three-way that took 34 hours and 40 minutes. She sums up its attraction. 'The Channel is like a living, breathing animal and is different every single day, so every swim is unique,' she says. 'I have done plenty of other swims around the world but none has the same history or excitement.'

    Laura Mahady, a lecturer in sports psychology at the University of Aberdeen, says that extreme athletes are often conformists who use sport to express their obsessive-compulsive side. Amanda Williams, a reader in clinical health psychology at UCL and a former champion free-diver, says endurance sport is about small degrees of improvement: 'All of these things you do by increments, working up a small amount each time, all of it manageable.' For David Shearer, a lecturer in sport and exercise psychology at Swansea University, it is about focus: 'Endurance athletes tend to be very process-oriented. They focus on what they are doing and on the end goal.'

    A few weeks earlier, I had met Petar Stoychev, an intense 30-year-old Bulgarian, and a former world champion marathon swimmer. Last summer he had attempted to beat Christof Wandratsch's record, but in storm conditions he missed out by 18 minutes. He was waiting in a B&B in Dover with his coach and two Bulgarian television journalists, hoping for a break in the weather. 'This is the oldest and hardest swim in the world,' he told me. But there was something else driving him on, too – the stopwatch. 'Mine is a sport without records. During the World Cup races it is important to win, but the time doesn't matter. [Everyone swims at the same time and winning is all that counts.] But with the Channel, a world record exists.' Stoychev is tall and lean with not a pinch of fat on him, unlike most Channel swimmers. But because he swims so fast – averaging 3mph, almost Olympic speed, at his quickest – his lack of bulk is not an issue. 'Most Olympic swimmers can't do it in cold water,' Mike Oram tells me later. 'They are lean machines, used to swimming at 27C over short distances.'

    There is a rumour in Dover that the Russians are coming – two expert swimmers, Yuri Kudinov and Natalia Pankina, both highly rated and chasing the record. So is Stoychev worried- 'I'm afraid of nobody,' he says in a slightly robotic voice, with a hint of Arnie's Terminator. 'I'm just afraid of bad weather.'

    It is about four o'clock and for the first time Miyuki stops and looks disorientated. She has hit a bank of seaweed and grinds to a halt, wary of jellyfish lurking underneath. Ishii barks at her to carry on. She obeys.

    Two and a half hours later and the coast of France is lit by evening sun. I feel strangely elated, but then Neil Streeter appears on deck with bad news. The tide has turned and we're not going to make Cap Gris Nez. Sure enough, the famous lighthouse is beginning to slip away to our right as we follow Miyuki. It must be a crushing blow to any swimmer's confidence, but Miyuki ploughs on uncomplainingly. We should be half an hour away from France but rather than getting closer, the land is receding while we are swept in the direction of Calais.

    Two hours later, Ishii says we are a mile and a half away from the village of Wissant and its sandy beach. Miyuki is still going but looks tired. The end is in sight, but many others have come this far and failed. At five past nine with the pink sun setting behind us, Miyuki makes her approach to the beach. There is momentary confusion on board about how they are going to time her arrival. It's too shallow for the boat to go in any further, land is still a few hundred metres away and darkness is closing in. Ishii ends up diving into the water and trying to catch up. The pilot's assistant can't see Miyuki through his binoculars. Finally, she is spotted and her time logged at 13 hours and 59 minutes. On the beach we can see flashbulbs going off as Miyuki and Ishii celebrate with several locals. Miyuki then has to swim back to the boat as night is falling. On board, she huddles up under some blankets and goes to sleep as Streeter points us towards England. The return trip, thankfully, will take only a couple of hours.

    Two weeks later, I catch up with the swimmers. Evans and Payne, the two Australians, tell me that they failed in their attempts. Evans pulled out after four and a half hours, defeated by cramp in his left leg. 'When the pilot mentioned that I was going backwards, I lost any confidence I had and felt it was time to get out,' he says. Payne pulled out an hour later. He had managed to conquer his sickness this time, but succumbed to intense pain in his shoulder. Undeterred, they have vowed to return in two years' time.

    Becky Lewis, Enrique Flores and Ritu Kedia all succeeded, Lewis in an impressive time of nine hours, 35 minutes. 'I was really pleased with my time,' she says. 'I was very nervous and it took me two hours to settle down, but the cold didn't bother me much until the end. When I got to the beach I was too tired to get emotional. I've now got the bug and want to try again in 2009 – I know there are things I could do better.'

    I meet Miyuki and Ishii again, who are preparing to return to Japan. She is pleased that nothing went badly wrong but is disappointed with her time, and is already planning another attempt for next summer. She says she didn't feel cold, but suffered cramp in her thigh. The south-westerly wind and waves slowed her down, Ishii says. She kept herself going by singing Japanese pop songs and trying to recall the nice e-mails people had sent her. Ishii shows me a map of her swim, a sweeping back-to-front 'S' shape reflecting the tide's huge influence. Miyuki says it was choppier than last time, but at least there weren't so many jellyfish. 'The hardest bit is seeing France and not being able to reach it, seeing yourself drifting, that was the toughest.' So when did she actually know she would make it- 'Not until I was standing on the beach,' she smiles.

    Petar Stoychev was defeated by July's bad weather, but returned to Dover last month. On August 24, 132 years to the day since Captain Webb's crossing, he broke the world record with the first ever sub seven-hour swim, reaching Cap Gris Nez in six hours, 57 minutes and 50 seconds.

    Some people, it seems, just don't know when to give up. And that is what sets Channel swimmers apart from the rest of us. They understand better than anyone the true meaning of the phrase inscribed on Captain Webb's memorial stone in Dawley, Shropshire: 'Nothing great is easy.'

私は「生かされた」のか?(9/18)

   9. 快方に

Photo5月23日(水)
 昨日の午後から酸素吸入を外しての生活になったのだが、最初はとても不安だった。だが「全く問題なし」と分かると安心でき、一気に元気が出てきたような気分になった。
 今朝も全く問題なく朝を迎えた。但し、深呼吸をすると咳き込む。が、それ以外は問題なしで、劇的な回復だと思った。朝の検診で血中酸素濃度は“97”、深呼吸して計っても同じ数値だった。体重は63㎏、血糖値は“97”と低かった。
 食事の後、直ぐに体を拭きに洗面所へ行く。既に八日間も風呂に入っていない。私は毎日風呂に入っていた。プールで泳ぎ、シャワーを浴びた後でも必ず風呂には入る。風呂に入ると一日の疲れが取れるように感じるのである。病院では室温が約24度と一定に保たれ、湿度が低いのでさほど汗もかかず、汗臭さが軽減されているのかもしれない。
 午前中の検診結果は血糖値102、血中酸素濃度96。9時20分点滴開始。「ゾジン45」という点滴液が新しい抗生物質剤で、「この病院では昨年くらいから使用が開始された新しい点滴薬だ」と看護師さんから聞かされた。「血液検査結果はかなり良くなっている」とも聞かされた。入院時のCRP値は“31.4”、その後の検査では“21.4”で、今回は“4”まで下がったそうである。「CRPが“31”という数値はめったに見ることのないとても重症患者さんの値で、それが約一週間で“4”まで下がってきたことは、とても適切な治療だのではないでしょうか」とも言っていた。佐々木ドクターに感謝、感謝である。
 夕方の検診では血糖値“104”、血中酸素濃度“96”と良好。夜の点滴で看護師さんにすっかり忘れられたようで午後9時に点滴開始したが、一本目が10時過ぎにトイレへ行って終わったのを確認して、ナースコールで二本目をお願いした。しかし二本目が終わっても全く来てくれなかった。夜中の午前1時半ごろに目覚めてナースコール。チューブ内に血液が逆流して固まってしまい、チューブが使い物にならず、点滴の針を抜いた。看護師さんが「ごめんね、ごめんね」と盛んに謝っていた。
 この病院は介護を必要とする寝たきり老人が多数入院しており、昼間は看護師さんの人数もいるが、夜になると二人きりになり、それは、それは大変な思いをして寝たきりのお年寄りの世話をしている。大半が下のお世話だが、それが一番大変な事だし、世話が掛かる仕事だ。私のように元気な患者さんはついつい忘れてしまうこともあるのだろう。

5月24日(木)
 朝一で採血と点滴の針の差し替えが行われた。点滴の針は概ね72時間毎に差し替えるそうだ。ずっとそのままだと感染の恐れがあるからだそうだ、但しその人にもよるそうだ・・・。朝の血糖値は92、血中酸素濃度95。
 10日振りに髭を剃る。かなり伸びていて何回も剃刀を当てていないと剃れなかったが、とてもサッパリした。朝食後、体を拭きに洗面所へ行く。あまり汗臭さを感じない。風呂には10日も入っていないのだが?
Photo_2 9:15に点滴開始。「今日も六本ある」と言われた。10:45検診。血中酸素濃度94、体温35.8度。胸のレントゲン撮影の指示があり、入院以降初めて歩いて地下のレントゲン撮影室まで行った。やはり息切れがして、頭がクラクラする。多分、今まで横になっていて直ぐに歩いたためかもしれない。
 昼の検診では血糖値“92”で問題なし。昼食後、30分ぐらい二階の病室の通路を歩いてみた。万歩計で1km。やはり頭が多少クラクラするが、何とか歩けた。
 15:00、「採血の結果でCRP値が1.18だった」と佐々木ドクターに聞かされた。「あと一息だが、まだくすぶっているので28日までは今の抗生物質を使います」とも言われた。それで結果を見てどうするか判断するそうである。正常値は“0.3”なのであと一息かな? 点滴のステロイド剤は中止。「効果はあったが副作用もあるのであまり使いたくない」とのこと。レントゲン写真結果は、「薄い影は残っているが、ほぼ回復しているようだ」とも言ってくれた。
 良かった。夕方の血糖値は“90”と良好である。夕食後、汗をかいたので、又、洗面所で体を拭き、シャツを着替える。夜、点滴剤を二本注入。トイレに行く回数は相変わらず多い。
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2005年9月19日、ドーバー泳を目指しての初練習

The English Channel Swim Report 2009

このブログへのアクセス数は、日平均約50回である。
The accesses numbers of this blog are a day average is about 50 times.

この内の10~20%が外国からのもの。
10 to 20%, these are a thing from foreign country.
 

つまり5~10回は外国からアクセスしている。
That is, it has accessed from foreign country 5 to 10 times.

そこでたまには英語の報告を掲載しよう。
Then, I will publish an English report in rare cases.

2009年はもう少しでキンちゃんがドーバーの2-wayが成功しそうになったとき。
The Channel swam two-way of Miyuki becoming coming out to a slight degree in 2009, succeeding.

日本語は後半に掲載する。
Japanese is published in the second half.

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ー I watched priceless of the Channel swim ー

― お金で買えないドーバー泳の発見 ―

                                                           by Miyuki (キン), 2009

    I always wanted to be the best and do something unusual so I aimed to complete the two-way crossing, not just one way, as no Japanese person has ever successfully swum the two-way Channel crossing.

    On my first attempt, I had to stop after ten hours due to thigh pain and I didn’t finish even one-way. A week later, I had another opportunity to swim the one-way. I swam for 17hours 35minutes but had to give up just 3km from the French coast.

    My respect Freda then gave me some good advice, “When you swim the Channel crossing, you shouldn’t look ahead. It makes you feel as if your goal is very far away and that you still have much further to swim so it is mentally harder to keep going. Also, you shouldn’t stop because by doing this; you will be drifted by the tide and have to swim further. You shouldn’t do anything which will be disadvantageous to you. You should try the one way swim again.”  It was in 2004.
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    The next year, I began training again for the one-way swim and followed Freda’s advice. Since then, I have successfully completed the one way crossing six times.

    This year, I went back to Dover again. I felt ready for to attempt the two-way swim. I planned to stay in Dover for 35 days and waited nervously for the big day. Neil, the boat pilot, would choose the day with the best weather conditions for the swim. The other swimmers had gone to swim one after another and everybody kept asking me when I was going to swim but the days passed and I still had no idea when I would get to swim.

    I started to feel very frustrated but I could not do anything but wait and trust Neil to pick a good day. For the two-way swim, we would need two consecutive fine days. It was possible that the weather conditions would not permit me to swim because the weather was constantly changing. I told Neil that if the two-way was not possible, I still intended to swim at least one way before flying back to Japan.

    At last, one week before I was due to leave England and go back to Japan, Freda told me that I would be able to swim on the next Monday or Tuesday. I was so happy because I had been waiting such a long time for this chance and could not stop crying.

    On Monday, I was on the beach with Jenni, an observer when Neil called her to say that we should all meet at the marina at 19:00 that evening for my two-way challenge! I was overjoyed. I was going to attempt the two way swim! I was so pleased that Jenni would also be coming on the boat with me as my observer. I got my thing ready for the swim, had a massage and went to bed for a nap. At last the time for my big challenge had come!

    Our boat was called Suva. Once on board, I applied the Channel grease to my body. When the boat came close to Shakespeare Beach, Ishii, my coach farted. Everybody on the ship started to laugh and the atmosphere became very relaxed. Even when I was swimming in the dark, I remembered it and laughed. It was nice to have a funny thought to make me smile whilst I was swimming, particularly when it became dark.

    That night I started swimming from Shakespeare Beach. I was familiar with the currents around the beach from my previous swims but, for some reason, on this occasion I kept drifting so that every time I looked up I saw the same scenery. I worried that I might not be moving forward at all and was scared by a big red jelly fish that brushed my arm, stinging me.

    After about 40 minutes, saltwater filled my goggles. I had already tested the goggles in the water but the waves pushed the water in. My eyes started to sting. I knew from my previous experiences that the eyes are very important to a long distance swimmer so I changed my goggles when I stopped for my feeding.

    I am used to swimming at nigh but I still felt sleepy.  Suddenly, I was surprised by some people screaming. They were a relay team who had already finished their swim and were on the way back to Dover. Their support encouraged me a lot.

    Swimming into the French side, I started to struggle with the high waves. Some were as big as 2m. The sea always tends to be rough towards France and the currents are very fast.

    Morning came and as it got brighter, I began to wake up a bit. By this point, I was really enjoying swimming even in the rough waters but I realized that France was still far away after 14 hours of swimming. I usually swim one way in 14 hours but Ishii told me that this time I would have to swim for another four hours to reach France. I realized that I must have drifted a long way off course when I was swimming near Dover and kept seeing the same scenery.

    Consequently, it took me 17hours 18minutes to swim just one-way.  I told Ishii that it would be impossible to finish two-way because the first leg had taken too long but he encouraged me to swim a little longer. I swam for three more hours before I asked him if I could give up.  Ishii said that the weather conditions were going to become better so there would be no wind or waves so I had better keep swimming as such good conditions were very rare. He told me that I could complete the swim in just eight more hours in such favorable conditions.

    I was determined to swim for another eight hours.  I tried very hard, spurred on by the though that my dream of swimming the two-way Channel crossing was about to come true. My husband, the pilot, my colleagues, everybody would be delighted!  What would I do if TV reporters were waiting for me at Narita airport? What would I do next after my dream had come true? Maybe I could try to swim the one-way ten times! Or perhaps I should try to become the oldest Channel swimmer! Pondering over these random things, I pushed myself to continue swimming.

    My body ached and I wanted to give up many time but I kept my arms moving.

    Night came again and it became cold but I didn’t stop. I saw the lights of England as I swam closer and closer to England.

    I drank another feeding and said to the people on the boat that I could not swim any more but they told me to keep trying. I screamed and my voice echoed in the darkness over Channel.

    It was the first time that my body was chilled to my very bones and even my wrists started to ache.

    I gave up about 5 hours from England (about 4 miles). I was mentally and physically exhausted.  I could not swim the last five hours.

    I recalled my first Channel swim.  That time, I was also unable to swim the last few hours. I could see the white houses on the French coast but just could not swim. I realized that I had not followed Freda’s good advice. I had looked ahead and convinced myself that the end was too far away for me to keep swimming. If I had continued to swim very slowly, I might have been able to finish the swim but, because I was tired, I convinced myself that I could not do it.

    To be a successful long distance swimmer, you have to be mentally strong. I had swum 30hours in pool and 20hours7minutes in sea. Even though it was tough, I am glad that I did not stop after just one way and challenged myself to my limit.

    Now, I have to use this experience to aid my future training for my next Channel swim. On my first swim, I stopped after just 10 hours but now I was able to swim for about 29hours 30minutes.  I never dreamed I would be able to swim for so long.

    I am so grateful to the people who have helped me to come so far.  I could not have done all this by myself.  Thank you very much for supporting me.  I hope that I will soon be able to fulfill my dream of completing the two way swim and will continue to enjoy swimming.

    "The Channel swim was… the human mind is weak, you will inevitably experience feelings of struggle and sadness when you swim, but, hopefully, you will find happiness, too."---Miyuki

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遠泳を成功させて乗船するキンちゃん。しかし、かなり疲れている。(2007年5回目の成功)
Miyuki makes successful swimming, and on board. But, she is very tired. (2007,The 5th successful swim)

 前から私は「人と違うことをして一番になりたい!」と思っていた。そしてドーバー海峡横断泳の2-way(往復泳)は、まだ日本人では誰も泳いでいないということで、初めから1-way(片道泳)ではなく、2-wayをチャレンジした。しかし10時間で大腿部の痛みから1-wayも行かずに不成功。そしてもう一度、一週間後に1-wayにチャレンジするチャンスをもらい、17時間35分泳いだが、フランスまで後3kmという所で不成功。その後フリーダ(「ドーバー泳の母」と呼ばれている)にアドバイスを貰った。

 「ドーバーを泳ぐには前を見てはいけない。自分にとって何の得にもならない。『まだまだ着かない。』というストレスから精神力が弱くなるだけで、フランスが近付いて来るわけではないからね。途中で止まったり喋ったりしてもいけない。潮に流されるだけで泳ぐ距離が長くなるだけだよ。自分にとってマイナスになる行為をしてはいけない。もう一度1-wayから始めなさい」と言われた。それは2004年のことだった。

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 次の年からは1-wayから出直した。それからは6回も1-wayを成功するようになり、『もうそろそろ2-wayをチャレンジする時か!?』と今年もドーバーへ来た。滞在35日間の中で、毎日「いつ泳げるのか?」と緊張しながらその日を待っていた。
 後から来る皆はどんどん泳いで行く。私の番はちっとも回って来ない。そんな中を「ミユキはいつ泳ぐんだ?」と皆によく聞かれた。しかし私の泳ぐ日はパイロットのニールが天候を判断して決める。つまり私には全くわからずに帰る日が近付いていた。
 内心とても焦っていた。ただパイロットを信じて指定する日を待つしかない。特に2-wayは二日間天候が良くないと泳げない。ドーバーの天候は去年から異常気象で、良い天候は一日おき。1-wayなら一日で終わるので皆は泳いで行く。だから取り残されて行く始末なのだ。
 天候が悪ければ泳げず日本に戻っていただろう。でも「1-wayだけでも泳いで帰りたい」という願いは伝えておいた。
 日本へ帰る一週間前、土日の海練習でフリーダから「ミユキは月曜か火曜だ」と言われた時には『待っていた日がやっと来た!』と緊張がほぐれ、涙が止まらなかった。ずぅ〜っと待っていたからだ。
 しかし、肝心要のニールからはちっとも連絡が無い。そして月曜日を迎え、ビーチで仲の良いジェニー(オブザーバー:立会人)と一緒にいた時に、ジェニーの携帯にニールから電話が入り、「今日の夜19時にマリーナ、2-wayだ。ミユキが一緒だったら伝えてくれ」と言う内容の連絡が入った。
 もう「やったー!」という喜びしかない。待ちに待った日が来て、それも仲の良いジェニーがオブザーバーだ。嬉しくて嬉しくて、早速用意をして、ルイスのマッサージを受け、直ぐにベッドに潜った。いよいよチャレンジが出来るのだ。

 “スバ”(船名)に乗り、準備万端“チャネルグリース”を付けて、スタートするシェークスピアビーチが見えた途端、石井コーチがオナラをした。それがスバの中、一面に広がり、臭い臭い。ジェニーに「石井コーチ、オナラをしたよ。スティンキィー(アニメ「ムーミン」に登場する臭いキャラクター)!」と告げると、鼻を摘んで掌で扇ぎ、パイロットたちも笑いながら鼻を抑えていた。
 スタート前から笑いが飛び、泳ぎながらも思い出し、何回笑ったことやら数知れない。楽しく夜間泳ぐことは良いことだよね。
 シェークスピアビーチから出て潮の流される方は何回もやっているから知っているが、同じ景色を二回も見るのは初めてで、『進んでいないのか?』と疑問に思いながら、時折私の下を通る赤クラゲにヒヤヒヤしながら夜間泳の始まりだ。
 浮いていた大きなクラゲ、死んでいるのか傘は刺さないやつか、思い切り入水する掌で触ったが、長い足の方で刺され、痛い思いをした。

 40分泳いだ辺りで試しておいたゴーグルから海水が入り出した。試した時はフラットの海面だったので海水が入って来なかったが、今は波がある。海水が入って来て目が痛い。
 遠泳は『目が命』と言っても過言ではない。経験者はよくわかる。何回痛い目にあったかわからない。次の栄養補給の時に新しいゴーグルと交換したよ。

 夜間泳は慣れているが、眠たくなってボーっとしてしまうのが欠点だ。しかし途中、「ギャー!」、「ワー!」と叫び声が聞こえ、『何事かしら?』とビックリして泳ぎを止めると、泳ぎ終わったリレーチームがドーバーへ帰る途中、応援に駆け付けてくれたのだ。それで気分がスッキリした。

 潮止まり(スラッグ:転流時)に入り、フランス側に近付くと、今度は波高2mの波が前から押し寄せて来た。フランスに近付くと海が暴れ出す特徴のあるのがドーバーの癖だ。潮が速いのだろう。

 しかしもう明るくなってきたので目が覚め、楽しくてしかたがない。得意のラフウォーター、面白くて面白くてしかたがなかった私だけれど、だいたい1-wayは14時間で着くのに14時間泳いでもフランスは遥か彼方。『マジかい!?』と思いきや、「後4時間ぐらいは掛かる」とコーチから言われ、『やっぱりあの時に二回見た景色は流されていたんだ』と気合いを入れ直し、頭の中を「4時間」にインプットした。

 結果、17時間20分掛かり、ちょっと1-wayでは時間が掛かりすぎで、コーチに「行きにこれだけ時間が掛かってしまったら、2-wayなんて無理だよ。今回は1-wayでいいよ」と告げた。しかしコーチから「折り返してもう少し泳ぎなさい」と言われ、3時間ぐらい泳いだ所で「もういいか?」と聞いたら、「今から風も無いし波も無くなる。こんなに良い条件はめったにないから泳ぎなさい。あと8時間ぐらいだ」。

 頭のインプットは「8時間」に設定され、一生懸命泳いだよ。頭の中は『後8時間泳げば夢がかなうんだ。成田に着いてテレビ局が来ていたらどうしよう。旦那さん、お母さん、船頭さん、会社の人たち、そして回りの皆が喜んでくれる。ドーバーの仲間も泳ぐことを待っているんだ。きっと今着ている水着は記念に残されるだろうな! 祝賀会もたくさんあるかな? 夢がかなったら次は何をしようか? 私に遠泳を取ったら取り柄なんか何もないよ。ソロでは1-wayを10回は泳ぎたいよ。“60歳10ヶ月と4日”の女性最高齢記録を更新するか! もう冬の海でもロングはそんなに練習しなくて済むんだ』とか、楽しいことばかり考えていた。

 何回も何回も身体中が痛くなり、『断念しようか』と思ったが、まだまだ手が動く。一生懸命泳いだ。
 また夜間泳が入り、寒くなったが必死だ。
 イギリスの光が見え、段々近付いて来たのがわかる。
 栄養補給の時、「もう泳げない、寒い。痛い!」と告げるが、「泳げ。泳げ。ゴー! ゴー!」と、船の中の皆と私との言い合いが始まった。
 「皆からたくさんの応援メールが来とるぞ!」と大声で応援するコーチに対し、「嫌だ、泳げん!」と泣き叫ぶ私の声は夜のドーバーの海へ響き渡っていた。
 身体の芯まで冷え切ったのは初めてで、手首まで痛くなり、後5時間(直線距離4マイル)で断念した。
 身体中が痛いのと芯まで冷え切った身体に、頭のメンタルが負けてしまったのだ。後5時間が泳げない。

 そういえばドーバーを初めて泳いだ時も、『後5時間』が泳げなかった。あの時もフランスの白い建物が見えていた。「前を見てはいけない」という指導を忘れていたね。そして喋ってはいけない。時間を聞いてマイナスになったね。前を見て、『まだあれだけ泳がないかん。もう疲れているし、ピッチも遅くなるし、5時間以上は必ずかかる』と勝手に思いこんでしまい、もう泳げない自分が出て来てしまった。ゆっくりでも良いから泳ぎ続けていればいつかは着くのに、それが出来ないのだ。

 遠泳は精神力が一番強くなければ泳げない。プールでは30時間、海では20時間07分泳いだ経験がある私は、1-wayで止めなくてここまで泳げて良かった。止めていたら練習成果が全く分からないし、そこまでの人しか残らないのだ。自分がどこまで出来るかチャレンジ出来て良かった。
 次の練習に繋げることは、もちろん次のドーバー泳にも繋げることが出来るのだ。初めは10時間でリタイヤした自分が、今は28時間42分も泳げるようになった。諦めないで続けて良かった。ここまで泳げるとは思ってもいなかったからだ。
 大きな収穫だ。泳がなければわからなかったことだ。自分を試すことが出来た。
 ここまで導いて下さった大勢の皆さんへ感謝している。一人では何も出来ない。皆さんが見守ってくれるからこそ、出来ることだと思っている。たくさんの応援ありがとうございます。まだまだ年は重ねていくが、私の目標、夢は、そこまで近付づいている。楽しみながら続けて行こう。
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私は「生かされた」のか?(8/18)

   8. 更にパワーアップの治療を!!

5月20日(日)
 朝の食事前の血糖値測定は“102”と問題なしの数値。昨日のトイレの回数は18回と一昨日より2回減った。が、今朝はすでに4回も通っている。又、今朝は呼吸がかなり改善されたように感じられる。昨日からのステロイド剤の点滴効果が早くも現れたのか?
 朝食は家内が持ってきてくれた。納豆、もずく、めかぶを追加して食べる。食事は息苦しくなり、一口食べては「ハア、ハア」と呼吸を整えながら食べている。なので食事に時間は掛かるが、いくらでも時間はあるのでマイペースで呼吸を整えながらゆっくりと食べている。
 朝食の後、洗面と体拭きのために洗面所へ行き、体を拭いていたら通りかかった看護師さんから「酸素吸入をしていないと後々大変なことになりますよ」と脅され、「体拭きなどは酸素吸入のあるベッドの上でやって下さい。“必要”と言ってくれたら蒸しタオルを出しますよ」と二度も言われてしまった。
 確かに『言われればそうかもしれない』と思った。患者さんの「安全に、安全に」を考えての注意だったのだろう。それなら“なぜ”早めにそういう心遣いがなかったのか? 今日で入院五日目だが、一度たりともそのような声を掛けてくれたことはなかった。汗臭さや汚れで死ぬことはないが、『それらを気遣う心を持っているのが“人”ではないだろうか?』と強く思った。汗臭い、体の汚れも気にしなくなったら、人間の最低限の世の中で生きているという証が失われてしまう。そんな気がした。
 まぁ~、最近はどこの病院でも人手不足か? 人減らしか? 最少人数で多数の入院患者さんのお世話をしているのが分かるので、些細な愚痴はよそう。必要と感じたら自分から申し出なければいけないということだ。
 10時の検診の時、血中酸素濃度が“91”と下がっていた。どういうことか? 深呼吸が出来ていない? 痰(たん)が全く出ないのも問題だ。昼前の血糖値が156と急上昇? やはりステロイド点滴の後遺症か? インスリンの注射を打たれる。食事は注射30分後に食べて下さいと指示された。
 午後2時に「ミノパンV9」という点滴が終わる。三本も点滴を入れると3時間も掛かる。
 午後3時ごろ俊介が見舞いにきた。午後4時の検診で血中酸素濃度“92”。酸素マスクをつけて測ると“96”と数値が上がる。16時に又、点滴開始。「メゾン4.5g」という点滴剤だった。夕方の血糖値は“112”で正常値。体温は36.2度。夜に点滴を二本打たれる。

5月21日(月)
 日に日に回復してきている感はある。今日は金環日食だが残念ながら曇天。所によっては雨も降っているようだ。朝一番で採血があった。数値が良くなっていることを願っているのだが・・・・・
 ポケットラジオで「7時12分、太陽の右上が欠け始めた」と伝えている。朝食は今朝も完食だ。
 9時5分、点滴二本の開始。血中酸素濃度は“98”と良くなっている。10時過ぎに佐々木ドクターの回診があり、聴診器による胸の音はとても良くなったとのこと。息切れは「ステロイド点滴の効果があった」と言っていた。ただし肺機能の回復は良く分からない。入院されたとき、かなり進行していたので「CTスキャンでは肺の組織の破壊までは分からない」とのことだった。「血液分析を良く見てみます」と言って帰っていった。
 血圧は80/130。体温35.9度。脈拍60。「ステロイドの点滴を忘れた」と言って追加で受ける。午後、点滴の針を抜いた。18日から入れたままなので、夕方の点滴の際、「今度は右腕に入れます」と言われた。夕方、点滴の針を打ち替えたが、少し太い針になったので点滴液がグングン入っていく。
 昼の血糖値は“153”で範囲内。夕方は“130”でこれもパスである。血中酸素濃度15時では“97”。19時45分でも“97”だった。血圧は94/142。体温35.5度。心拍数62と、かなり回復してきている。

5月22日(火)
 朝の検診、血糖値104、体温35.9度、血圧76/136。血中酸素濃度は96。トイレへ行く回数は相変わらず多い。昨日は16回、夜中もほぼ1時間おきに行っている。
 病状は昨日から変わらず、少々停滞気味か? お尻から少し出血があった。水洗していたが慣れないので綺麗にならないのか? やはり慣れた紙拭きが良いのかも知れない。でも一番は風呂に入れないのが汚れの原因だと思う。早速、洗面所で体を拭くが、息切れが激しい。この調子では回復もかなり時間がかかりそうだ。
 点滴薬は「プレドニン」と「ミノパン」。それからステロイド系の「ゾジン」という品名だった。最初の頃の点滴名はどんなものだったのだろうか?
Photo_6 昼の検診は血中酸素濃度95、血糖値149、体温36度。私の部屋は四人部屋だが、私だけが担当の看護師さんが違うようだ、特別監察か要注意患者なのか? 看護師さんが聴診器で胸音を聞くと「左肺の呼吸音が弱い」と言っていた。やはり左肺組織が破壊されているのだろうか?
 14時40分、佐々木ドクターの回診があり、「酸素吸入を外して様子を見ましょう」と指示を出される。酸素吸入を外した。「やはり高熱の出ている期間が長かったので、肺の組織の一部が線維化されている可能性が大きい」と告げられた。15分後に血中酸素濃度を測ると“95”だったので、ドクターから「GOOD! しばらくそのまま酸素吸入なしを続けてみましょう」と指示された。
 15時の検診で体温35.3度、血中酸素濃度95、と良好な値が出ている。夜の点滴は時間が掛かり、21時に初めて終わったのは23時半だった。その間はうつらうつらしていた。

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2006年5月3日 「ドーバーを目指しての海練習」
どうにか泳ぎ切れるようにパワーアップした頃

REPORT of the ROTA BLUE TRIATHLON (2003.11.15)

     4.明日の向こうに

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 これで無事にレースは終わり、後はパーティーだ。18時30分よりテテト・ビーチで行われる盛大なパーティーにはいつもながらのロタ市長の演説から始まる。
 市長の演説はとてもおもしろい。「日本人が一番好きな場所は、1番ロタ、2番サイバン、3番グアム!」と話す。あの有名な名文句「ロタ・イズ・デリッシャス、ロタ・イズ・ビューティフル、ロタ・イズ・フレンドリー!」に、最近結婚式が多いので、「ロタ・イズ・ロマンチック!」が付け加えられていた。日本語もかなり覚えてきたみたいだ。
 市長の演説最長記録樹立。36分だ。主催のロ夕政庁の奥様方と思しき方々の手料理により、食べ放題、飲み放題。サイパン3人組の仮装芸、ダンスなどなど。日本人、外人なんて関係ない。
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 最近、日本人も負けすとカツラやパーティー・グッズを用意し、楽しんでいる方が多くなったような気がする。皆でワイワイ、ガヤガヤ。母親は引っ込み思案だが、外人“ラス・クイーン”の手に引っ張られながらダンスを踊り、父親は自らダンスの輪に入っていった。二人とも楽しそうで、連れてきた甲輩があった。盛り上がり過ぎ、最終のバスが迎えに来てもまだ残っていた。まあ、この日だけは大目にみてください。
 ロタの夜は空一面に星だ。本当にロマンチックだが、次の日は大雨。
 ロタ・トライアスロンに参加された世賀さんの結婚式を見に行き、白戸さんの“ワンポイント・スイム・アドバイス”に参加した。最初はフォームを見てもらい「もう少しキャッチを早く!」とのことで顔上げクロールを何回か様習し、その後クロールで泳ぎ“水を掴む感覚”を教えてもらった。10分のことだが参加して良かったと思う。
 そして最後にもう一度海で泳ぎたかったので、白戸さんにお願いをして次の日は海へ行く約束をした。レースの時は無我夢中であまり“青い”とか“ここに魚がいる”とかわからなかったが、この時だけは“ロタ・ブルー”に浸りながらエイも1匹見ることが出来、満足した。
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 白戸さん、どうもありがとうございました。
 帰りにロ夕在住の山本さんの家により、チリペッパーの木を見せてもらった。唐辛子だ。ちぎって噛んでみたが、断然大丈大。でも何回かかじっていたら口の中が辛くなり、これって後から辛くなることがわかった。
 山本さんの家は海の側の高台にあり、見晴らしの良いステキな家だった。
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 トライアスロンは私の中でいつもマイペースで笑っており、一人一人に声を掛け、コミュニケーションを取っている。元気をもらい、元気をあげ、そんな元気が明日の向こうに見えてくる。
 こんな遅い私でもレースに参加させてもらってありがとうございました。
 そして家族がこんなに満喫出来て、良い親孝行が出来たと思っている。
 大西さんを初め、協力してくださったスタッフの皆さん、良い思い出を作ることが出来ました。ありがとうございました。
 「ロタ・イズ・グレイト!」
 「ロタ・イズ・ナンバー1!」

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私は「生かされた」のか?(7/18)

   7. どうやら落ち着いてきた

5月19日(土)
 熱が下がったのでとても気分良く眠れるのだが、トイレに行く回数は夜中も変わらず多い。1時間おきにトイレに通っている。が、その間は眠っている。
 朝食後、体を拭きに洗面所へ行った。筋肉の衰えが目に見えて悲しい。元の体に復活できるかは、今の心肺機能の状態では全く分からない。もしこのまま心肺機能が低下してしまったら、今までのように水泳は当然できなくなる。何か他の道を探さなくてはならないのだろうか? 今からそんな弱気でどうする。この先の人生闇だ。もっと前向きに生きなくて!!!
 男性の看護師さんが色々と教えてくれた。血液検査で血中のCRP値が私の場合、入院直後は“31”だった。しかし18日には“22”まで下がった。
 ところでCRP値とは何か、調べてみた。「C反応性タンパク質の含有量を測定する検査」。C反応性タンパク質は、人体内で炎症性の刺激や細胞の破壊が生じると急激に増加してくるタンパク質成分である。これがどういう時に出現するかだが、多くは「身体の一部が壊れている」、「身体の内部が炎症を起こしている」という時だ。通常、健常者の血中にはこのCPRはごく微量しか検出されない。
Photo_4 だから外見上、炎症が認められない場合でも、「内部の炎症の判断に有効な検査」と言われている。そこでCPRは「炎症の強さ」、「炎症の長さ」を判断するのにとても重要な指標となっているようだ。
 健常者では通常の値は0.3以下、入院の目安はCPR値が「20以上」だとか。私の場合かなり重症の“31”という高い数値だった。
 佐々木ドクターの回診があった。「具合はどうですか?」と聞かれた。
 「息苦しい」と話すと「う~~うん、それではステロイド剤を使いますか?」と言って帰られた。「ステロイド剤を使うと血糖値が上がるので、ステロイド剤を点滴中は朝・昼・晩の食事前に血糖値を計ります」と看護師さんに言われた。昼食前の検査では“126”で正常の範囲だった。先ずは一安心。
 人間の体が40度近い高熱に一週間近くもさらされると、内臓などにどのような影響を及ぼすのだろうか? 脳みそは煮えたぎり、内臓も煮えてくるのかな? 海泳ぎで低体温症のことばかり頭にあって、高体温については考えたこともなかった。
 低体温症では人間の体は活動休止となるのは分かったが、高体温症(?)になるとそれぞれの内臓は勝手に活動し始める? それとも高熱により各臓器が破壊されていく? 私には後者のように思えたが・・・・・・
 トイレへ行く回数が非常に多くなった。今日も午後3時50分現在で13回。昨日は20回。夕方から夜にかけては30分おきになることがあるので、今日も20回以上のコースかな? 夕方、少し歩いてみたが息切れが、激しく駄目である。先ずは「回復第一」を考えて無理は禁物だ。
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2005年11月25日、
「ドーバーへ向けての海練習を開始した頃」

REPORT of the ROTA BLUE TRIATHLON (2003.11.15)

     3-3.ラン (Run 10km)

 ランド・ハウスに戻り、バイクから降りると次はランの番だ。大西さんが
大西「藤田さん 遠くなったよ! 速い! 速い!」
と教えてくれる。タイムなんて走っているとまったくわからない。言われると速くなったような気がする。
 ランシューズに履き着えていると、父が
父「ミユキ、大文夫かい? 無理するなよ。おかあさんは今トイレに行ったよ」
キン「ありがとう。後、ランだけだから。全然えらくないよ!」
と答えた。

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 このバイクからランシューズに替える時もすごく私はノロマだ。もう少し簡単に履けないものか? 「誰か発明して!」って感じなのだ。途中で紐が取れるといけないのでチョウチョ結びにして、もう1回トチンコにして縛った。これで解けることはない。
 さっそうとランへ。私の前を走っている人は見えない。“ラン”と言ってもジョギング状態の私。バイクの後だが足の疲れはない。「イチ、ニ、イチ、ニ、」と心の中で口ずさむ。左を見ると海の綺麗なこと! バイクと違って速度がゆっくりなのでウェディング・ケーキ・マウンテンも良く見え。景色を眺めながらのランだ。
P1270042ロタのメイン(向こうに見えるのがウェディング・ケーキ・マウンテン)

 前方を見るとカメラマンがいる。「痩せて見えるように撮ってください!」と相変わらず笑っている私。
 「あっ! 前に人がいる! そこまで追い付かなくては!」 “北村さん”という女性の方だ。走りながら自己紹介をしたリ、ロタは綺麗だとか、女の人が話すと長い。2kmは雑談を喋りながら走った。
 お喋りをしながらのランは初めてで、縦習でも喋ったことがない。お喋りを楽しみながら走れるのを初めて知った。
 後からすごい勢いで走ってくる男の方が
男「やっと追い着いた。サイパンでは2敗しているが、今回はオレの勝ちだ。何、その走り?」
キン「え~! 私のこと覚えていたの? 私は“ショート”は嫌いなの。がんばってね!」
キン「あっ! バイクで抜かされた鳥巣さんが歩いている!」
 鳥巣さんは先に折り返していたのですれ違ったのだが、歩いているのは見ればわかるのに、意地悪な私は
キン「鳥巣さん、何しているんですか?」
鳥巣「うん、ちょっとウォーキング」
 笑ってしまった。1勝1敗の鳥巣さん、ひょっとして今回は抜かせるかも知れない!
 5km地点で折り返し。あと半分。
 『あれ~、さっきのクリスタル、勢い良く走っている。バイクでは“ヒ~、ヒ~”言っていたのに・・・。抜かされちゃうかな?』と、その走りっぷりに見とれていた。後はすれ違う人、一人一人に私は応援の言葉をかけていた。
 日本人には「がんばって~!」、外人には“グー”をして親指を立てて「ゴー、ゴー!」と・・・。
 すれ違った人に「何でそんなにパワーがあるの?」と聞かれる。「デブだからスタミナがあるの!」と答える。マイペ―スの私、楽しんでいるのだ。
 あっ! 鳥巣さんがまだ歩いている。拡かすチャンスだ!
キン「鳥巣さん、今日は私の勝ちだね。早く追い越してね~!」
と声を掛けて、前へ、前へと走って行った。
 上野さんと“4km地点”の看板ですれ違った。マイペースで走っているみたい。何時も一緒ぐらいのゴールなので、『抜かされてしまうかな・・・』と不安になって、前へ、前へと走り続けた。ランも吉手だが、私は一人一人に応援の言葉を掛けながら走るのが好きだ。自分も苦しい時に声をかけられるとすごい励みになり、ガンバリが利く。
 フィニッシュの時、父親がカメラを持って待っていてくれた。ゴールには白いテープがひかれ、そのテープを切った瞬間、無事に完走した喜びを数倍に味わうことが出来る。大西さんが
大西「前よりもすごく速くなったね!」
と握手をしてくれた。
キン「ありかとう。コップにもらった水が非常においしかったです!」
 後は上野さんのゴールを待つばかりだ。おかしいな・・・。ずっと特っているのに来ない・・・。ランで私との差は2kmだったのに・・・。
 上野さんは私より36分遅れでゴールした。
キン「どうしたの・・・ ?」
上野「お腹が空き過ぎて気持ち悪くなり、歩いていた・・・」
キン「そうなの、大文夫?」
 朝 ウイダー1本飲んだだけだそうだ。

私は「生かされた」のか?(6/18)

   6. 熱が下がらない辛い日々!!

5月17日(木)
 朝方、インターホンでナースセンターに氷枕を作ってくれるように頼んだ。ついでに解熱剤の「ロキソニン」を一錠もらう。やはり薬の効果はてきめん、1時間ほどすると物凄い汗が噴き出てきて、一皮剥けたようにスッキリした。
 今日も何本かの点滴を受ける。夕方になると又、熱が上がる。ドクターから熱は上がったり、下がったりを繰り返すと言われていたが、正にその通り。一進一退を繰り返しているようだ。酸素吸入をやらないと苦しくて手放せない状態である。
 肺炎の具合はどうなっているのだろう??????
 夜の検診の時、「トイレの回数は?」と聞かれた。チェックはしていなかったが「10回以上は行っている」と回答。入院前からトイレへ行く回数が多くなっていたが、調べることにした。
 17時40分からチェックしてみたら、何と30分おきにトイレに行っているではないか。点滴を打っていると必ずトイレへ行きたくなる。
 20時、点滴を開始。二本続けて打つ。又、看護師さんに解熱剤をもらい飲む。熱が高ければ、高いほど汗が出るそうだが、38度くらいではあまり汗もかかない。が、それでもかなりサッパリした感じはある。
 トイレの回数は17時40分から24時までに何と8回も行っていた。かなり多い回数だ。

治療内容 点滴・朝二本 午後3時過ぎ一本 夜9時 二本
朝・昼・晩 ネプライザ¬=呼吸の改善用吸入 器酸素吸入

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5月18日(金)
 昨夜解熱剤を飲んだので、今朝は気分よく目覚めた。担当ドクターの回診の時、熱とオシッコの色、回数について聞いてみたが「分からない」とのことだった。
 午前中も熱は上がらず気分よく過ごせた。昼食後すぐに娘の麻純が見舞いに来た。熱もさほど上がらず、しかし体全体が熱っぽくだるい。横になるといつの間にやら眠っている。体が要求するのだろうか?
 目を閉じると直ぐに幻覚(?)が現れる。訳の分からぬ場面なのだが、目を開くと直ぐに消える。が、閉じるとその続き場面が出てくる。特に追われたりするものではないが、色々な所が出てくるのである。
 点滴が9時30分に二本、15時過ぎに一本。どうも点滴を始めるとトイレに行きたくなるようだ。血管に直接水分が入るためなのか? 酸素吸入を付ける。
 熱はやっと下がってくれたが頭の芯が痛い。まだ熱が体の中にこもっているのだろうと思ったがそうでもなさそうだ。
 『酸欠による頭痛ではないのかな?』と思った。簡易型で指先に挟んで測定する血中酸素濃度が普通の健康体の人で98~99%の値を示すらしいが、私が入院した直後の値は88%。今は94~95%である。そのため酸素吸入が欠かせない状況である。トイレはベッドから15mぐらい先にあるのだが、トイレに行って帰ってくると息切れが激しく咳き込む。それから何故なのか理由は分からないが、トイレに行く回数がとても多い。今日は20回も行っていた。前立腺肥大で昨年の秋から半年間薬を飲んで回復したはずなのだが、どうしたことなのだろうか?

治療内容:点滴五本 ネプライザ、酸素吸入

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2006年4月1日 「ドーバーを目指した海練習」
栄養補給(相模湾にて)

REPORT of the ROTA BLUE TRIATHLON (2003.11.15)

     3-2.バイク (Bike 40km)

 次はバイクの始まりである。とても足が軽い! さっきまでの疲れが嘘みたい。高橋コーチに教えてもらった“ギアチェンジの使い方”を思い出しながら、順調に良く走っている。でも「右に行きま~~す!」と何回抜かされたことやら・・・。シャコビッチにも「ミユキ、ゴー、ゴー!」と技かされた。
 ン・・・?? ということは・・・?  スイムはいつもライバルのシャコビッチよりも今回は私の方が速かったのだ! 『ムフフ・・・』、それだけでルンルンである。
 シャコビッチのバイクは走りを見ると、去年より速い気がする。サイパンでの練習の成果が出たのかな? 「ガンバッテネ!」と声をかけた。
 するとまた良きライバルの鳥巣さんにも拡かされ、『いつか抜き返してあげるから・・・!』と必死に漕いだ。その内に長い上り坂。上がっても、上がっても長過ぎる上り坂。「これでもか、これでもか・・・!」というぐらいの上り坂。
 何人に抜かされたことやら・・・。ところが私は初めてバイクで一緒になったグアム人女性「クローソン・クリスタル(Clawson Crystal)に会い、「がんばってね!」と声を掛けて抜かすことが出来た。このクリスタル、スイムが私よりも速かったのだ。やはりスイマーはバイクが苦手か?
 クリスタルは日本人じゃないのに英語がわからす、日本語で話している私。
 「長いね~、この坂。も~早く終わらんかな? エライね~!」
 クリスタルは相当クタバッテいた。
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 エイドステーションでは「ウォーター? シャワー?」とコップに入った水を差し出している。靴が濡れるのが嫌なので、「ウォーター!」と叫び水を飲む。しかしこの坂はバイクに乗っているより歩いた方がまだ速い。
 背中に水を掛けられ、手で擦られて、まるでオモチャ状態の私・・・。それでも皆、笑っている。もちろんこの予定外のことをされた私も、この遅さに苦笑いを隠せない。しかしまさか手で擦られるとは・・・。
 特にバイクはまだまだ末熱な私。エイドステーションでバイクに乗りながらのコップをもらうコツが未だにつかめない。速度が遅ければ良いのだが・・・。もらおうとした時、勢いでコップに指が刺さり、飲めすに恥ずかしい思いをしたこともあった。
 “行きは良い、良い、帰りは怖い~♪”、ここのトライアスロンは逆である。行きが長い上り坂。なら20kmの折り返し地点から帰りはすごく楽チンである。デプな私は上り坂だと漕いでも、漕いでも後に下がる確率は高いが、下り坂は体重の重みで速い、速い。前輪、後輪を重たいギアにチェンジして、カーブに気をつけながら、すれ違う人のえらそうな顔を見て、「がんばって~!」と声をかける。上野さんともすれ違いざまに「がんばって!」と声をかけた。そのうち『ライバルに負けてはいけない!』と私の気合が入ってきた。
 帰りの平坦なロードでは余裕がある。ロタの実晴らしい景色に見とれながら走る。
 「あっ! ガマガエルの死体だ!!」 ドエライ大きさにビックリ! もう少しでひきそうになった。これは“ヒキガエル”になるのか!?
 えっ? このジョークで“ヒックリカエル”なんて言わないで・・・。

私は「生かされた」のか?(5/18)

   5.緊急入院です!!

5月15日(火)
 今朝も熱は38.5~39度と高い状態である。がいつものように朝食をとり、仕事に出かける。何とか午前中の仕事を済ませ家に戻り、昼食を食べる。食欲の落ちないのがせめてもの慰めかな。しかし呼吸が浅くなってきた、深呼吸をすると咳き込む。そして風間医院で再度、診察を受け、肺炎と判明した。
 風間先生が入院先と連絡をとっている間、待合室で待っていたがやたらと汗がでる。先生から呼ばれて診察室へ入る。
 「山内病院と連絡が取れました。但し4人部屋ですが室料差額が1日3,675円掛かる病室なら空いています。とのことですがどうしますか?」
 「結構です。それでいいですから宜しくお願いします。入院はどのくらいの期間が必要ですか?」
 「症状、薬の効き具合にもよりますが、大体2週間ぐらいと思って下さい」
 「ありがとうございました」
 家に戻ると家内が夕食の支度をしていた。肺炎で緊急入院すると話すと、家内も「一緒に行く」と言って、着替えを持って山内病院へ向かう。家からは歩いて10分ほどのところである。母が生前、随分とお世話になったし、この病院で息を引き取ったところでもある。
051_2 病院の受付で入院することになったことを告げる。救急処置室で再度問診、採血、採尿、地下でレントゲン撮影等を受ける。レントゲン撮影のとき、「息を大きく吸って」の指示だが、咳き込んでしまい、大きく息が吸えない。
 担当のドクターは若い女医さんで佐々木先生。一通りの検査を済ませ2階の病室へ案内された。二階のナース室から水泳仲間の看護師さん「岩田さん」が飛んできて「ど~~したの? 誰が入院するの? まさか眞壁さんじゃ~ないわよね?」と大きな声で話しかけてきた。
 「しっ~~、声が大きい! 私が入院します」
 病室へ案内された205号室だったが、この病室はお年寄りばかりなのでと、直ぐ210号室へ移された。ここ病室は比較的若い人が入っていそうだ。
 病室が決まり、勤務先の会社へ連絡を入れる。担当の野村さんは生憎と会議中とのこと。肺炎を発症して緊急入院したこと、とりあえず二週間ほどの入院になりそうなので、代行管理員の手配をお願いした。続いて営業担当の川端氏へも連絡「元気の眞壁さんが、どうしたんですか?」 既に野村さんには連絡済ですと報告、二週間ぐらい入院します。「それは困ったな。丁度総会のまとめ時、誰が纏めるのだろう?」と他人事のようなことを言っている。更に仕事仲間で、私が勤務するマンションの真向いのマンションで管理人をやっている菊名さんにも連絡した。最後に今月23日に開かれる小学校の同窓会の幹事、荒木さんにも連絡する。生憎と留守だったが奥さんにことづけを頼んだ。とりあえず緊急連絡は完了したが、呼吸はかなり苦しく、動くと更に苦しい。
 ベッドに横になった途端に左腕から点滴を開始。呼吸を楽にするための酸素吸入も開始。これで呼吸が大分楽になった。熱は相変わらず高熱のままで体全体が苦しいし、だるい。
 面会時間は午後7時までなので家内は家に戻った。体の左側を下にすると非常に息苦しくなって横になれない。午後9時消灯、うつらうつらしている。相部屋の二人は高いびきでぐうぐうと気持ちよさそうに寝入っている。「失敗した耳栓を忘れた!」明日、電話をして持ってきてもらおう。

治療内容:山内病院=酸素吸入・点滴2本
体調管理・検査等:風間医院=胸のレントゲン・血液検査
               :山内病院=胸のレントゲン・血液検査・尿検査・問診

5月16日(水)
病院のベットL
 海泳ぎに行ってから一週間後に病室にいるとは全く想像できない今の状況。熱は高熱のままである。朝から点滴を受けている。しかし、こんな状態なのに食欲が落ちないのがせめてもの救いか? でも、困ったのは今回の発熱に伴い排尿回数がとても増えたこと。尿の色もとても変な色である。
Photo あまりにも熱が下がらないので午前中、看護師さんが解熱剤の「ロキソニン」を一錠くれた。1時間ほどするとものすごい汗が出て熱も下がってきた。ベッドの手入れと着替えを看護師さんが手伝ってくれ、体も蒸しタオルで拭き、とてもさっぱりとした。が、夕方になると又、熱が上がってきた。点滴は何本打ったのか良く分からない。
 熱が下がった昼間、ぐっすり眠っていたようで、家内が来て「体をゆすっても起きなかった」と言っていた。相当疲れていたのか? 寝不足だったのか?

治療内容 点滴・朝2本 午後3時過ぎ1本 夜9時 2本
朝・昼・晩 ネプライザ¬=呼吸の改善用吸入器

REPORT of the ROTA BLUE TRIATHLON (2003.11.15)

     3-1.スイム (Swim 1.5km)

 3分前。海に入った。海で嬉しくて浮かれている私に突然、足の裏に激痛が走る。「痛い!!」何かが刺さった。足の裏を見てみると黒いプツブツが・・・。ウニでも踏んだのか?
 すると横で鈴木さんが「痛ぇ~~~~~~~ !!!!!!!!」と大声で叫んだ。一緒の物を踏んだのか? 海に入ったら暗いし、何がいるかわからない。浅瀬で足を着いてはいけないことが良い経験になった。
 今回は先頭の方に行き、全力で泳ごうと思っている。スイムでガンバらければ苦手なバイクやランで抜かされるのは目に見えてわかっているからだ。
 “パァ~~~~~~~~!”とフォーンの合図と共に一斉に泳ぎ出した。ところがマイベースな私。抜かされるは、拡かされるは・・・。
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 『大文夫、そのうち追い抜くから・・・』、いろんな人と隣り合わせで泳いだ。ペースが落ちない私。いや、泳ぐうちにだんだんと速くなっていく私。いや、負けす嫌いな私。いろんな“私”を持っている自分を充分に発揮し、今度は抜かすは、抜かすは。
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 集団の前へ進み、折り返し地点でダイバーのちなみさんが水中写真を撮ってくれているので、得意のピースをして次のポールヘ。3人のバトルが続いた。再び前へ。またもや3人のバトルだ。もうずっとダッシュが続いているので非常に疲れている。でも皆、同じ状態のはずだ。ここで諦めたら負けてしまう。おもいっきリキックをし、ゴールを目指した。試泳の時のように海の魚に見とれている暇は一瞬だって無い。ようやく3人のバトルから脱出。「さようなら~!」
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 ゴールをくぐった瞬間、足の裏を切るといけないのでパイクまで徒歩で行った。周囲の人たちは「走れ!」とか「急げ!」とか応援してくれる。しかしウニのことを説明する時間も無いので「疲れた!」とボヤきながら歩いた。
 タオルで足の砂を拭いてシューズを履き、メガネをしてヘルメットを被り、ゼッケンを身体に巻き、ウニ以外は予定通りの行動が出来た。

私は「生かされた」のか?(4/18)

  4. 熱だったのか?

5月12日(土)
 仕事は休みなのでゆっくり寝ていた。体調はいまいち。家内から「熱でもあるんじゃ~ないの」と言われて体温計で計ってみたら38.7度。「なぁ~~んだ、熱があったのか?」普段、熱など出したことがないので全く分からなかった。運動のやり過ぎによる疲労だとばかり思っていたのだ。
 早速、掛かりつけの家の近くの風間内科へ行く。「咳もなし、腹の具合もよし、ただ体がだるい。熱で体の節々が痛い」症状に合わせて薬をもらい、『熱が下がるように』と、休日の2日間は外へも出ず、家でじっとしていた。お蔭で夕方には体温が37度まで下がった。普段寝込むことがない人が一日中横になっていたので腰が痛くなった。

047_25月13日(日)
 日曜日は横にならないように、テレビの録り溜めた映画を見て眠らないよう過ごす。食事は普段と変わらずよく食べられるのは幸いかな。夜寝る前に体温を計ったら37度。薬の効果が出てきたようである。明日の朝はすっきりかもしれないと思っていたのだが?

5月14日(月)
 夜中から又、熱が上がった症状を示していた。あまりよく眠れないがいつもの時間に目が覚める。食事を摂り、出勤の支度をしてから体温を計ったら38.5度。そのまま仕事に出かける、午前中の仕事を終えて家に戻り体温を計るが39度と依然高熱が続いて体がだるい。
 それからおしっこの回数がやたらと多くなったのと、尿の色が黄色を通り越して「ドス黄色」である。この色は体調がおかしくなった10日辺りからこのような色のおしっこだった。

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2006年5月16日 「ドーバーに向かって海練習」
当初、何回泳いでもうまくいかなかった。(寒さのため途中で上がってしまう)

REPORT of the ROTA BLUE TRIATHLON (2003.11.15)

   3.夢のトライアスロンの向こうに見えるもの

 11月15日、朝4時起床。5時よりロピーヘ。バスでランド・ハウスヘ行き、腕や足にナンパーリングを書いてもらう。

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 イースト・ハーバーへバィクを持ちながら海の状況を確認する。まだ薄暗い。
 いつもなのだが朝、ホテルで用を足してくるのに緊張のせいか、トイレに行きたくなってしまう。ダイブ・ロタのトイレヘ行ったが、同じ様な人で20分も待たされた。
 スッキリした後、日焼け止めロ―ションを身体に塗り、バイクの横にタオルを敷く(海から上がった後、裸足なので拭くため)。ヘルメントを置き、その中にサングラスを入れ、そしてシューズを横に置く。忘れ物がないかチェック。
キン「ウン、完璧だ!」

私は「生かされた」のか?(3/18)

   3. 頭痛が治らない?

5月10日(木)
 頭が痛い。私にしては珍しく首筋、肩に湿布薬を貼ってもらう。多少すっきりした感じである。
 夕方、マッサージへ行く。いつものように指圧してもらうが今日はとても痛みが出る。
 「何か変だなぁ~、もう少し指圧を緩めてお願いします」これで首、肩の凝りが多少取れて頭もスッキリしてきた。しかし変だったのは夜風呂へ入ったときだった。体が温まらないのである。

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2006年4月1日「ドーバーを目指した海練習」
バックの「遠泳中」の旗もポールも、A旗もすべて湘南の主さんお手製


5月11日(金)
 仕事を終えて、午後12時半からのスイムトレーニングに参加。プールに入ると水温がとても冷たく感じた。水温30℃が冷たく感じたことはなかったのに変だ。泳ぎにも力が入らない。おまけに今日はスピード練習ときている。何とかトレーニングのメニューはこなしてホッとしたが、やっぱりなんか体が変だ。
 夜は湘南ビジョン研究会の分科会の集まりがあり、夜8時半過ぎに藤沢駅近くの居酒屋へ行く。現役の若い方は忙しい日々の中、ボランティア活動とはいえ大変なことだ。
 10時30分ごろお開き。私は席を外したが他の人はまだこれからという感じだった。

REPORT of the ROTA BLUE TRIATHLON (2003.11.15)

   2.明日に向かって「試泳」

 11月13日、名古屋からサイパンヘ。サイバンで1泊し、11月14日午前8時30分ロタ着。

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 久しぶりのロタの風景。キラキラした太陽のもと、常夏の椰子の木が大きく揺れている。何だか「おかえりなさい」と歓迎され、ささやかれているようだ。ロタは人間味、風景、海など、とても魅かれるものがあり、もう今回で7回目の来島になる。
 午前中はパイクを組み立て、ロタ・リゾート周辺をパイクのテストを兼ねて足慣らし程度に漕いでみた。調子はまあまあだ。
 午後からイースト・ハーバーへ行き、選手登録がてらスイムの試泳があったので初めて多加した。4人の有名なトライアスロン選手(白戸さん、宮塚さん、松丸さん、鈴木さん)がそれぞれの泳力別に別れ、波、コースの説明などをしてもらい、海へ入る。
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 これはなかなか良い案だと思った。あまリトライアスロンのレースをよくは知らないが、今まで参加した教少ないトライアスロンのレースでは海にコースロープが張られ、波がないところが多かった。これではプールのレースに近い。だがロタ・トライアスロンのレースはオーシャン・スイムと同様、ブイや物標を目印に泳がなければならない。その日によって波の荒れ具合も変わってくるのだ。おそらくトライアスリートの中でもコースロープの無いレース経験は初めての方もおられるのではなかろうか。
 宮塚さんチーム上級者。これもネーミングが「ウサギさんチーム」なのだ。いちおう私もその仲間入りをする。
宮塚「あの三角のブイまで行きますが、途中であのポールで休憩します」
 皆いっせいに泳ぎ出した。このメンパーにサイパン在住の鳥巣さんがみえた。この方は私のライバルなのだ。
キン『試泳なのに、何? この勢い!? 皆さん宮塚さんの後にビタリとくっついて泳いでいるじゃないか!』
 これは一種のバトル状態。負けす嫌いな私は『負けてたまるか!』と次の日のレースを忘れて泳いでいる。
 三角ブイ到着。
宮塚「みんな流れがあるから、こちらに固まってください」
皆「は~い!」
キン『しかしこんなにえらい試泳あるのかな・・・?』
宮塚「次は戻ります。あの白いガツリンタンク2つを目印にしてください」
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 帰りは落ち着いて、私はもう明日のことを考え、ゆっくり青い海に感動しながら泳いだ。
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 この試泳は選手にとって、自然を目の当たりにする良い経験が出来たであろうと思う。競い合いながら、とても楽しかった。
 岸に戻るとセレナ(ダイビングションプ)で働いている友だちのちなみさんたちに会い、お喋りが止まらなかった。

私は「生かされた」のか?(2/18)

   2. いつものように

 5月9日(水)午前中の仕事を終えて、午後からは毎週楽しみにしている海泳ぎに片瀬西浜海岸へ行く。今日は曇天で視界が悪く、いつも泳ぐときの目標としている茅ヶ崎、浜須賀交差点のツイン・マンションがよく見えない。
 風、波は穏やかでまずまずのコンディション。『これで太陽が出ていたら最高なのになぁ~』と思いつつ西方向へ泳ぎ出した。午後には珍しく、しらす漁の漁船が一隻、引地川沖をゆっくりとこちらへ向かって走ってくる。
 船を避けるために泳ぎの進路を岸へ向けて船から離れる。サーファーの姿が直ぐそばに見えるところまで来たので、又、進路を西方向へ変えて泳ぐ。水温は20℃もあり寒くはない。しかし今日は潮の流れが悪いのか、いつものチェックポイントで5分ほど時間オーバー、折り返しの松浪交差点まで来た。45分やはり5~10分のオーバーだった。
 折り返してスタート地点へ向かうが、風、波がアゲンストになっている。スタートした時より多少風が吹き出したのだろう? 何とかスタート地点の江の島水族館前に戻ってきた。1時間半で往路。復路ともイーブンペースでの泳ぎだった。
 家に戻り、なぜか風呂に入りたくなった。もうシャワーで充分と思っていたのだが、いまいち体調がよくないなと感じた。
 今日は視界が悪くヘッドアップ回数が多くなり、首、肩の凝りが出て頭痛がする。湯船にゆっくり浸かると凝りが取れるはずなのだが、今日はなぜかすっきりしなかった。
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2006年4月18日「ドーバーを目指して地元相模湾での海練習」

REPORT of the ROTA BLUE TRIATHLON (2003.11.15)

新年を迎え、キンちゃんのちょっと古い原稿を紹介しましょう!

   明日に向かって「トライ!明日論」

 
  ―「ロタ・ブルー・トライアスロン」より―

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   1.ロタへの遠い道

 それは2000年の「第1回テニアン・トロピカル・スイム(午前中にトライアスロンで、午後からオーシャン・スイム。この「午後の部」)」に出場し、2001年の第2回からは土曜日にトライアスロン、日曜日にオーシャン・スイムと曜日が分かれたので、「どうせ行くなら両方に出てしまおう」と、ただただ単純に考えての参加申し込みだった。だってテニアンで見たトライアスリートはみんなとても良い表情だった。そんな表情を私もしてみたい・・・。スイムは得意だがトライアスロンはやったことが無い。そんな私の「明日に向かってトライ!明日輪」を少し紹介してみよう。
 その年の10月より水曜日の高橋希代子コーチ(元プロトライアスリート)に「バイクの乗り方」、「ランの走り方」などを教えていただき、トライアスロンは一からのスタートだった。
 「これで明日は私も“トライアスリート!”と思っていた矢先、12月にKFCから「テニアンの日程が2月の終日に変更された」と聞かされた。これで私は仕事の都合上、テニアンに行かれなくなった。そこで「少し距離は長いけれど、“サイパン・タガマン・トライアスロン”のレース(2002年5月)に挑戦しよう!」と思いを変えたのだった。私の明日は立ち直りが早いのだ。
 たまたま運良くこの“サイパン・タガマン・トライアスロン”では高橋コーチとご一緒し、キッズのクリニックを任されていた彼女とレースにも参加することが出来、私としては心強いものがあった。

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 そこで「今度(2003年)はロタだ!!」と明日に向かって歩み始めたのである。同時に「せっかくのロタだから、両親も連れて観てもらおう」と決意した。
 KFC代表の大西さんに相談したところ、「バイクを運ぶのでここを使ってくれ」と、東京にある某旅行会社を紹介してきた。この旅行会社に8月の時点から私は「名古屋から4名(私の家族)は参加するのでツアーを組んで欲しい」と頼んでいた。何故ならばその時点で8月なら飛行機運行の時間帯がまだ決まってないことを知っているし、ツアーが作れないことも如っていた。したがって東京発のツアーを作る時に「名古屋発も作って欲しい」と頼んでいたのだった。
 ところが私から見ればその旅行会社は名古屋発のことは何も考えてくれず、いくら聞いても「1週間したらわかります」の連発で、ずっと返事を待たされていた。痺れを切らした私は地元、岡崎に住んで旅行会社に勤めている友だちに飛行機の空席状態を開いた。すると「名古屋発サイパシ行きは満席だ」と知らされたのだ。慌てて東京の頼んである旅行会社に電話したところ、「満席で取れない」と断られ、「この10月の今まで待たされたのは何だったのだ!」と腹が立ってきた。こんな話ってあると思いますか?(何だったら東京の旅行会社の名前を出します!)
 「東京発か大阪発に変えてください」と言われた。名古屋空港なら片道クルマで1時間の距離だ。「バイクを持って大阪まで行くのですか? 年老いた父親と母親も連れているのです。スーツケースもあるし、お金がまたかかるし・・・。私一人なら何とかします!」
 こんなことなら最初から岡崎の友だちに頼んでいた。後から聞いた話だが、安城に住んでいる世賀さんは“大阪発”だったみたいだ。東京の旅行会社は最初から作る気なんか無かったみたいだ。この時ばかりは非常に怒った。
 この事をKFCの大西さんにすぐメールで説明し、ロタに行かれなくなったことを告げる。心の中では「こんなことやっていたんじゃKFCもつぶれちゃうよ!」と思っていた。
 この私のクレームに怒った大西さんは、「もう1回旅行会社に電話をして、必ずどんなことがあってもロタには行けるように手配しますので安心してください」とすぐに返事が返ってきた。これで少しは安心した。名古屋発の便に乗るにはもう大西さんを信用する以外にない。
 10月の終わりに大西さんから「飛行機が取れた」と連絡が入り、ようやくロタへ行くことが決定したのだ。それはトライアスロンで完走したときより安堵の時だった。
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私は「生かされた」のか?(1/18)

 泳いでいると、時折、息継ぎの時に波(水)が口に入り、それがタイミング悪く吸い込んでしまって、“ゲホゲホ”と咳き込んだ経験をスイマー各位には少なくとも一度や二度の経験はすることだろう。
 それが海水だったとき、しかも肺胞まで吸い込んでしまったら、それは厄介な病気になる。理由は浸透圧により肺胞の海水が抜けにくくなるからだそうだが、医師でもない私が上段に構えて「あ~でもない、こ~でもない」と能書きを語る能力は全くないし、詳細を知りたい場合は専門のドクターに訪ねてほしいと願う。だが、オープン・ウォーター・スイマーとして、オーシャン・スイマーとして「厄介な病気になりやすい」ということだけは知っていてほしい。
 海を泳ぐスイマーとしてベテランの湘南の主さんが肺の病気になった。その原因が“海水の吸い込み”と断定したくはないのだが、話を聞いていると疑わしい事実もあるようだ。
 とにかく原因はともあれ、肺の病気になった事実から回復するまでの一挙手一投足を知っていただきたく、湘南の主さんにはご足労をいただき、リアルな事実を書き上げていただいた。

003_2湘南の主さん、セントラルマスターズ大会連続出場50回達成のトロフィー授与

   私は「生かされた」のか?

      (細菌性肺炎を発症して)

                                     2012年7月

                         報告者:湘南の主

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    緊急入院した藤沢駅近くの山内病院
 (二階の左から三つ目の窓が私の病室でした)

   1. 緊急入院!!

 中々熱が下がらず5月15日(火)午後3時の診察開始時間を待って、再び近くの掛かりつけの風間内科医院へ行く。
 「おかしいですね? 咳もないし、ひょっとすると肺炎の可能性も考えられるので先ず、胸のレントゲンを撮りましょう。それから血液検査もやりましょう」と先生に言われた。熱は先週の10日(木)から38~39度が続き下がらなかった。
 レントゲン撮影の結果「かなりひどい肺炎です。左肺が半分以上真っ白です。これはかなり重症です。即入院が必要です。でないと左の肺が使えなくなってしまう恐れがあります。どこの病院が良いですか? 直ぐに連絡を取りますから!!」
 確かに素人目にも分かる。左肺が半分以上真っ白である。隣に写し出されているもう一枚の写真は昨年の健康診断で撮影した写真だと言われた。全然違っているではないか。
 「う~~ん、即入院ですか???」
 「考えている余裕はありませんよ!」
 「分かりました、それでは家から一番近い山内病院でお願いします」
 「市民病院でなくていいのですか?」
 「いいです」
 「まぁ~、確かに市民病院はいつも満員ですから断られる可能性もありますし、緊急を要するから近くがいいでしょう。分かりました。直ぐ連絡を取りますから、診察室の外でお待ちください」
 この肺炎発症から仕事への復帰、私の生き甲斐である水泳のマスターズ大会に出場、そして肺炎発症の原因とされている、海泳ぎが出来るようになった時を復帰出来たと考えて、その間の闘病生活、リハビリ生活等を纏めてみた。

謹賀新年

あけましておめでとうございます。

Photo
2004年ドーバーにて、Alison Streeter(アリソン・ストリーター)とキンちゃん
アリソン(1964年生:英)はドーバー泳で43回横断し、世界最多完泳者としてギネスブックにも紹介されている。
尚、キンちゃんは今までドーバーを8回横断し、日本最多完泳者の記録保持者。
現在もその記録は破られていない。世界と日本の
「Queen of the Channel」

そこでキンちゃんの今までに至る経緯を振り返ってみたい。
キンちゃんの昔の原稿を三つ紹介しよう。

1.海を泳ぐ楽しさ

2.ドーバー海峡横断泳

3.キンちゃん、手記

尚、2、3は当ブログの右にあるバナーからも見ることができます。

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