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海上保安部

 初の津軽泳の新聞記事(一部)を紹介しよう。

<北海道新聞>昭和50年(1975年)8月13日(水)
やった! 津軽海峡横断
リレーの身障中高生
【福島】「やった、海峡横断に成功だ」―。東京の体の不自由な四人の中学、高校生男女と一青年が十二日、潮の流れの速い津軽海峡の約四十㌔をついにリレーで泳ぎきり、目的地の渡島管内福島町の海岸に着いた。泳ぎ続けること十二時間。ともかく完泳した。さまざまな批判があったものの、ハンディを克服してのこの快挙は彼らにとってなにものにも代えがたい“宝”になるだろう。
12時間泳ぎ抜く
体のハンディ克服でも少し怖かった」
(本文一部を除き省略)

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1975年(昭和50年)ころの思い出」にも書いたが、8月31日、東京・代々木の国立オリンピックプールで日本水泳連盟主催による「日米水泳リレー大会」が行われた。この大会に津軽を泳いだメンバーが招待された。

<毎日新聞>昭和50年9月1日
記録への挑戦空振り
日米水泳リレー大会
高校新一だけ
(本文一部を除き省略)
身陣者に希望の灯
 〇…五十㍍をみんなにはげまされて泳いだ松岡千恵さん(十六)=東京教育大桐丘養護学校・写真手前=を待っていたのは米国男子選手たち。世界一のスピードを生む手がやさしく千恵さんをかかえ、プールから引き揚げた。日米レースの合間に組み込まれた″番外レース″に、チビっ子も感激した。千恵さんは一つのとき、両下肢型整マヒとなり、今も松葉づえがたよりの生活だが、小学四年で泳げるようになり、この日いっしょに泳いだ江森三幸さんら仲間とさきごろ津軽海峡を泳ぎ、身障者に希望の灯をともした。

<報知新聞>9月1日(月曜日)
水の申し子□米国選手□疲れにかなわず
平凡な記録
世界新の声は聞けず
(本文一部を除き省略)
選手、観客も拍手々々
津軽海峡の松岡さんら奮闘
 ○…八百㍍リレーのあとのプールで足の不自由な高校生が五十㍍を泳ぎ切って観衆の大きな拍手を浴びた。教育大付属桐ヶ丘養護学院高三年の松岡千恵さん(十七)=写真中央=ら四人。四人一緒に泳ぎだしたが、先頭の一人がゴールしたとき、松岡さんはまだ半分。はかどらないペースに、プールサイドの米国勢が手を打って応援。観衆も手拍子を合わせた。拍手の中、松岡さんがラストでゴールインすると、米国選手がプールにとび込み、松岡さんを抱き上げて喜び、祝福した。一流選手にほめたたえられて松岡さんは大感激のようすだった。
 松岡さんら四人はこの十二日、津軽海峡を十二時間かかってリレー横断し、この日、日本水連に招待されていた。

 上記の記事は津軽を泳いだ事実(北海道新聞)と「日米水泳リレー大会」に招待された記事である。どちらかと言えば賞賛された記事。同じ北海道新聞の記事でも批判された内容も紹介しておこう。

<北海道新聞>昭和50年(1975年)8月13日(水)
身障者の励みに
 函館身障者スイミング・クラブ谷内雅晴会長(昨年の全国身障者スポーツ大会水泳競技優勝者)の話 成功しましたか。それはよかった。ざっと四十㌔を力を合わせて泳ぎ切ったことは、ぼくたちの励みにもなります。夢を持つことはすばらしい。だが、今度は成功したからいいが、もし失敗していたら「無謀だ」という批判の声があるのを忘れないでほしい。
他の方法を選ぶべき
 函館、青森両海上保安部の話 体力、精神力の養成を目的にしているのだろうが、あえて津軽海峡に挑戦するより、ほかの方法を選ぶべきではないか。海峡は潮流が速く、しかも船舶の通行量も多いのだから。二度と繰り返してほしくない(函館海保)。一般業務を兼ねて巡視船を出動させたが、もし事故でもあったら、とても手が回らない。その辺の事情を十分に考えて欲しい(青森海保)。

(新聞記事オリジナルをご覧になりたい方は、図書館に行くか、私までご連絡ください)

 これまたこの前のブログ
1975年(昭和50年)ころの思い出」にも書いたように 社会での障害者スポーツの認知が低い時代であったからと思う。
 また、当時のネックは海上保安部の“遠泳”に対する認知の低さ、・・・というより、官僚的、支配的、排他的姿勢が批判的な声明になったものと思う。
 当時、海上保安部でこのような行事の届出を受け付ける場所が警備・救難課だった(現在:交通課)。警備・救難課では海上における工事などの許可申請を受け付けていたのもあったのか、計画書をよく読みもせず「こんなものには許可を出せない!」と言った。
 もちろん“許可”ではない。“届”である。
 警備・救難課で私の前で工事の許可申請を行っている担当者の前でも、聞いていて嫌になるほど高圧的で、上目線からのやり取りだった。
 今も忘れない。データに伴う計算から出した完泳の予定時間であったのに、
保安官「こんなに速く泳げるわけがない!」と言う。
私「いえ、プールの練習から得たデータを基に算出しています。」
保安官「君ぃ~、ぼくは海の専門家だよ。絶対にこんなに速くは泳げない」
と、どう見ても水泳の専門家には見えない保安官に言われてしまった。
 このときはどうしても届けた計画書よりも速く泳ぐ必要があった。そして、その通り実行した。それは声を出さない保安官への反抗であった。
 もちろん、このような保安官ばかりではない。
保安官「海洋国、日本の名を世界に広めてほしい!」
と、涙が出るような嬉しいお言葉をいただいたこともあった。
 しかし、おおむねはいわゆる“お上”であった。
 ここ数年のことだと思う。保安部、ことに交通課の対応が庶民的になったのは・・・。
 ただ、今、私があるのはそれまでに鍛えられたお上の保安官があったからだと、今は感謝している。

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