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わくわく、どきどき、台風の目。

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2012年8月の記事

8月21日 北上旅館

 福井県敦賀市の北上旅館さんはうちのお得意様で、ウイロやらプリン饅頭をいつも大量に買って頂けます。

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 我が家(フジタヤ)の和菓子はさっぱりして美味しいんですよ!
 何でも近所の方々から注文をたくさん取っていただけるみたいです。

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 毎年夏に家族で海水欲に来ます。今年も無事に来られましたよ!
 若狭湾、日本海の海は綺麗ですね。海は青く、下まで魚が泳いでいるのが見えます。子どもたちは大喜びでウミウシを見つけていました。

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 妹もシュノーケルつけて「ウワー、別世界!」と興奮していましたが、『ダイビングしたらもっと違う世界が見られるんだろうな』と感じました。
 釣りで遊ぶ友だちはベラとカワハギ釣っていました。

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 蟹を捕ろうとした私でしたが、一匹も見当たらず残念!!
 3メートル辺りを素潜りしていましたよ。やはり下の方は綺麗でダイビングしているみたいでした。とっても素敵な場所です。

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8月20日 料理奮闘

 散歩が終わり、朝から料理奮闘です。肉じゃが、冬瓜煮て、カボチャ煮て、きんぴらごぼう作って、那須とピーマン煮て、肉巻きと唐揚げの下ごしらえ、等等、張り切りました。
 でも、「なんだ~」、「かんだ~」と言いつつなくなりました。
 義母は料理が得意で美味しいので、いつも作り方を聞いていますよ!

8月19日 マサラップと旦那さんと

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 海練習が終わり、岡崎の家に戻り、主人とマサラップを連れて再び寺部海岸へ行きました。蟹取りです。
 昨日、蟹を捕った時に入れる網を叔父さんに頼んでいたのが出来上がり、それを使ってみましたよ! 調子良い、調子良い!! 30杯の渡り蟹とモガニです。
 駐車場の叔父さんに上げたら早速茹でてくれ、頂きました。スッゴク美味しかったです。

8月19日 高橋トライアスロンステーション 海練習

 6時よりサポートで寺部海岸へ行って来ました。
 プールでならまだしも、海で初めて泳ぐ方が多く、『こんなにも皆さん緊張するんだな!』と言うことに初めて実感しました。

  • 「足がつかないと怖い」
  • 「下が見えないと怖い」
  • 「鮫が出てきたらどうしよう」

などなど・・・。頭の中でいろいろ考えているみたいです。
 このような不安をすべて「パニック」と呼んでいます。パニックとは理由の無き恐怖。つまり、今まで経験の無い環境下に置かれ、自分で如何したら良いか分からない。もっと言うと、いらない情報(パニック映画のような)を思い起こしてしまう。。。。などなど。
 この対処には、一つ一つの原因を取り除いていくこと。

  • 「足がつかない」⇒「水深2mでも20mでも200mでもつかない」
  • 「下が見えない」⇒「“見えた”ら“見えた”の恐怖がある」
  • 「鮫が出てきたら・・・」⇒「海の危険生物は鮫だけじゃない」

 う~ん、これじゃアドバイスにならないかなぁ~・・・。
 でもとりあえず、経験していくことです。経験は自信につながるからです。
 またパニックになったら、その対処法を知っておくべきです。
 パニックになったら、必ず「ショック」になります。ショック症状とは、血圧の低下から顔面蒼白になり、唇はチアノーゼになります。意識は混濁(朦朧)し、時に意識不明になります。そして最悪は「ショック死」と呼んで、死に至ることもあります。つまりパニックとは、それだけで危険な状態なのです。
 こうなる前に、「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせ、周囲の状態を把握することから始まります。“溺れる者は藁をも掴む”状態では落ち着いていると認められません。
 自分が置かれている状態がどのようなものか把握し、そこから脱する具体的な方法を見出さなければなりません。
 まあほとんどの人がプールでは充分に泳げる人たちですから、ゆっくりと泳げば必ず陸に辿り着きます。それは船が沈没したときは別にして、おそらくほとんどは岸に近いところにいますから、「ゆっく~り、ゆっく~り」とでも言い聞かせながら泳げば必ず生還できます。

 さて「足がつかない」ということで、岸近くで言いますと、、、、う~、私だったら前にロタでオープンウォーターのレースに参加し、水中スタートでたまたまウニを踏んでしまい、痛い目にあったことがあります。
 その時は違う方も刺されて「痛ー、ウニに刺された!」と大声を張り上げて叫んでいらした人もいました。だから私は経験上、余り足がつく所は苦手です。
 まあこの経験だけではないのですが、「早く立とう」と思う意識はとても危険です。立てないと“ショック”になるからね。とにかく慌てるとパニくる要因はいくらもありますので、落ち着いて行動すること。
 他にも足場が悪いところは怪我をしやすいので、それこそ手がつくまで、胸がつくまで、お腹がつくまでの浅瀬まで立とうとしてはいけません。
 また、足が立てるところで急に立つと、今まで泳いでいた状態(寝ている)から急に立った状態に身体が移行しますから、血流の変化によって必ず“フラフラァ~”っと目眩(めまい)のような状態になってフラつきます。このときに足場が悪いと必ず怪我をします。
 岩場、石、貝類などのあるところは特に危険です。皮膚がふやけていますと切れやすいのです。
 不恰好でも“これ以上泳ぐことができない浅瀬まで泳ぐこと”が重要です。そして四つんばいになって、這い這いしながら海から身体のすべてが出るところまで行って、そこでゆっくりと立ち上がりましょう。
 それでも貝殻を踏んだり、海藻を踏んだり、時には蟹を踏むのは『当たり前のことだ』と思って海に入りましょう。ウニを踏んだら『運が悪かった』と思いましょう。
 まあ四つんばいでの入退水ならこんなことは無いはずだけどね。
 そういえば、湘南の主さんはスペインで道端やら、ビーチやらを歩いていて、犬のウンコを踏んでいました。それも2回も!
 だから何かあったときは、「運がついていなかった」ということで・・・。

 話がズレたので元に戻しますが、とにかく海では足がつかないのが当たり前。足のつく場所は地球すべての海の1パーセントにも過ぎません。残りの99パーセントは足がつかない。つまり足がつかないのが当たり前の世界です。何てったって海ですから!!

 「下が見えないと怖い」・・・う~ん、これはそうだね、「見えるから怖い」と言う人もホントにいるし・・・。
 「見えないから怖い」と言う人のほとんどは、「青い海は夢の海、ホントは黒だ。下から何が出てくるのか、深さはどのくらいあるのか、見えない。怖い・・・」という感覚じゃないかな?
 でも見える人は見えたで、「海草と一緒に女性の長い髪が揺れているような気がする」とか、「地面に手が届きそう」とか、「岩場の陰から何か怖いものが出てくるんじゃないか」とか。。。。。。。
 言い換えると見えても見えなくとも別の意味で怖いんだよね。先ほども言ったけど、これを“パニック”と言います。
 ただね、未経験だからそのほとんどは想像上の不安で、リアルな問題としては見えないと泳いでいて手の先が見えなく、岩にぶつかるとか、、、。
 見えるところでもしクラゲが沢山いて、それも有害クラゲだったらとても怖いし、綺麗な魚が沢山泳いでいて見ながら泳ぐのはとても楽しいし・・・、どうなんでしょう?
 ただ、しっかりしたリーダーなら初心者をそんな危険なところには連れて行かないだろうし、比較的プールに近い水面の海域を選ぶだろうから、そんなに心配は無いんじゃないかな・・・。
 問題は直面する海がリアルであるか想像であるかの問題。。。。
 そうそう、ちょっとリアルな体験談を書かせてもらうと、前に駿河湾での練習で、海は赤潮、見たことのない頭から触手の先までの長さが3mくらいあるクラゲがうじゃうじゃの中を泳ぎました。
 そのときの様子を書いた覚えがあるのですが、このブログの中で見つかりません。その感想を書いたのは発見したのですが、、、、、、、、、、、(「キンちゃんが行く」Vol.33
 このときは刺されるのが怖いから「まだまだ泳げるけど、クラゲが怖いから止めたい」と、夜な夜なこのブログを更新しているコーチに言ったところ、「泳げ、泳げ!」の一点張り。我慢して泳ぎましたが、どうせ泳ぐなら『嫌だ、嫌だ』と思って泳ぐより『楽しんで泳いだ方が良い』と気付き、「今、私は水族館にいてクラゲを見ているんだ! そして誰も見たことがないクラゲを独り占めしているんだ!!」と考えたら楽しくなっちゃって、クラゲを見ながら泳ぐのが好きになりました。

 テレビ番組「24時間テレビ」の中で“津軽海峡横断リレー”というコーナーがあって、以前、私もお手伝いに行きました。このときの芸能人スイマーににしおかすみこさんが参加していらっしゃって、彼女のブログ「にしおかすみこのすっぴんブログ」にもリアルな体験談が載っており、これも面白いですよ。参考になさってください。

 「鮫が出てきたらどうしよう」・・・まあ怖いけど、怖いのは鮫だけじゃないし、泳いでいて海鳥と衝突したこともあります。鮫に襲われる可能性は、、、、、三河湾で岸近くですと、その可能性は1パーセント以下です。
 街を歩いていて、交通事故にあう可能性より低いです。それでも街を歩くのは怖くなく、海で泳ぐのは怖いですか?
 一番怖いのはそういった自然動物との遭遇、すなわち天災より、人間の作った船とか水上オートバイとか、、、人災の方が怖いです。
 まあ天災で私が一番怖いのは、一番身近なクラゲです。
 鮫は“いるとき”と“いないとき”があるけれど、出くわす確率は先ほども言ったようにかなり低めです。まだ私は一度もお会いしたことがありません。イルカやアザラシはありますが、、、、、、、
 どうしても“鮫”にこだわるのなら、ダイビングでは会ったことがあります。

 と、いろんな不安を抱えている方と一緒に泳ぎましたが、何のその! 海に入って泳ぎ出せばさっきの質問は何処やら? 先頭切って泳いでいましたね。
「何やっとる! 早くクロールで泳ぎん!」だって!!! 笑っちゃいました。
 海練習3回目のあなた、大分慣れて来て、皆さんと一周(約400メートル)を泳ぎましたね。おめでとうございます。
 全員で13名ぐらいいたでしようか?
 またよろしくお願いします。
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8月18日 病院巡り

 今日も海に行きたかったです。
 友だちが「10時から寺部で泳ぐ」って言っていたからなぁ~。
 今日は母の通う病院2ヵ所へ行かなくてはなりませんので仕方がない。

 2ヵ所目の病院で母は、物凄く沢山の薬を出されて飲んでいます。薬を飲むと直ぐに寝てしまい、動かなくなってしまうので、私は先生に「薬を減らしてもらえるよう」、前から頼んでいました。
 それでもなかなか減らしてもらえず、今日まで来てしまいました。
 が、今日は何故だか母が自ら「薬を減らして欲しい」と先生に頼んだので、少々減ることになりました。

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 まさかそんな言葉が母の口から出るなんて・・・、涙が出てきましたよ。
 早速、妹に報告しなくては。

8月17日 姫島

 まだ行ったことがない姫島に行って来ました。
 姫島は“漁業権”がない島で、何を捕っても叱られないそうです。
 海中は岩と石ころだらけ。何がいるか、興味津々で潜っていました。
 巣潜りですが、ダイビングしているみたいで、風景が“探検隊”をしている感じで面白いです。
 蟹やら、ニシやら、赤貝やら、たくさんいましたよ。
 アサリは10個だけだけど、たくさん捕れた赤貝は佃煮にするから問題なし。寺部のよりデカイです。
 その後、梶島に移動しましたが、丁度お昼でお弁当を食べている時に、密漁監視の漁師が視まわりに来て、「貝を捕ったらいかんぞ!」と、海に入っている人たちに注意をしていました。
 梶島の海水は汚かったです。姫島の方が綺麗でした。

函館に着きました

無事、函館に到着しました。

今回サポートするスイマーはクレイグ(アメリカ)とクリストフ(ドイツ)です。

特にクリストフは2007年までのドーバー記録保持者で、7時間02分で泳いでしまいました。

津軽も“記録”を狙って来ています。

すでにスイマーは昨日から函館入りしていて、今日、さっそくビーチで泳いできたそうです。

明日の午後、船頭さんたちとミーティング。

予想では明後日の月曜日に泳ぎそうです。

Img_02791キンちゃんと湘南の主さん(湘南にて)

で、キンちゃんたちも無事に湘南OWSが終わったようです。

富士山が見えて綺麗だったとか。

ところで今、北海道(函館)で地震が起きました。

クリストフが慌てて私の部屋に来て、
クリストフ「今のはなんだ?」
私「地震だよ」
クリストフ「よく起こるのか?」
私「ウ~ン、時々ね」
クリストフ「心配ないのか?」
私「今のは小さいから問題ないよ」
クリストフ「・・・大丈夫なのか?」
私「大丈夫!」
クリストフ「おやすみ」
私「おやすみ」

地震情報によると、2012年8月25日23時6分頃
震源地は十勝地方南部
M5.9 深さ約50㎞ 最大深度:5弱
津波の心配はありません。

だそうです。

地震の経験がない人たちにはビックリでしょう。

8月16日 男川やな

 海練習が終わり、11時より主人の弟ファミリー、私の妹ファミリーと私たちで「男川やな」に行って来ました。
 鮎が流れて来て、手で掴み捕りです。

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 一人三尾まで持って帰れますが、全部焼いて食べました。
 本当は私、ずっと寺部海岸で遊んでいたかったけど仕方がない。

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 子どもたちは川で遊びやバーベキューをして楽しそうです。

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 言うまでもありません。私はビールを飲んでいました。

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 しかも生ビール注文時、店員さんに「泡はいらないから! ビールをジョッキスリスリに入れて!」と頼んだら、ちゃんと入れてくれましたよ。

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 時折、日本人には“ビールの泡”について講釈をする方も拝見しますが、だいたい海外では泡がないからね。

朗報ぞくぞく

P7300036 キンちゃんとローラ(2009年ドーバーにて:持っている人形はマーシー(米)が持ってきたもの)

スペインのローラ(Laura Lopez-Bonilla)がアメリカのカタリーナ海峡(Catalina channel)の横断泳に成功しました。

P2151275 湘南の主さんとニック(湘南にて:湘南の主さんは、日本人では大きい方です。ニックがデカイ!)

イギリスのニック(Nick Adams)が、4時間18分でスペイン~南アフリカのジブラルタル海峡(Gibraltar Straits)横断泳に成功しました。

昨日、ドーバーを泳いだマイクの情報は入ってきていません。

エッ? キンちゃんですか???

キンちゃんは明日、湘南のOWS(10km)に参加します。

また本日、津軽を泳ぎにドイツの選手、アメリカの選手が函館に入っています。

明日、私も函館行きです!

8月16日 渡辺さんグループと海練習

 フィリピン人グループと蟹取りの後、渡辺さんたちと8時より練習です。
 今日は「村越さん(消防士:ベテラントライアスリート)に付いて行こう」と必至で泳ぎました。
 一周400メートルの周回コースを5周します。

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 2週半したぐらいで前に泳いでいた村越さんのピッチが落ちて来て、わざと足の裏触りまくりました。
 でも5周目で村越さんがピッチを上げ、差が出てしまい悔しかったです。
 村越さんは私よりウンと速い方です。疲れていたのかな?

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 それから“海の泳ぎ方”について話していましたが、私は多分プールの泳ぎと変わらないと思います。
 この辺はベテランオーシャンスイマーにもいろいろ意見があって、“変わる”、“変わらない”で揉めるところですが、石井コーチも「究極の水泳はプールも海も変わらない」と言います。
 でももしプールと海の泳ぎが違っていたら、それは“浮力”という物理的な作用(海はプールより浮く)が違うだけで、実際は「海では涙を感じながら自然に変わる(海もプールも泳ぎが違っていないことに気付く)」としか言いようがないです。
 海でもプールでも、なるべく大きいストロークでしっかりかいて泳ぎたいですね。

マイクのドーバー泳

本日10:38(イギリス時間)、シェイクスピアビーチ左方からキンちゃんの友だちであるマイク(Mike Humphreys:USAシアトル在住)がマイケル・オーラムのボート「Gallivant」でフランスに向かい、スタートしました。

彼の航跡はこちら。
(左の方のラインがマイクのようです)

この写真はマイケル・オーラムが送ってくれたスタート直後の写真。

Photo

マイクの写真の最新版を探したら、去年のアルバムには見当たりませんでした。

探したところ、キンちゃんと写した写真がこちら。

P71000342

ウ~ン、こちらは2008年の写真ですが、去年はもうちょっと太っていたなぁ~。

ドーバーを泳ぐために太ったとさ!

Go! ゴー! ごー! 5ー! マイク!!!

8月16日 6時半より 寺部海岸蟹取り

 朝の8時から渡辺さんグループと海練習をする予定でしたが、取り敢えず私は朝から休みだったので、6時半に寺部海岸へ行き、蟹取りをし出しました。
 ここのところ寺部海岸はメチャクチャ汚い!
 『いつもの蟹がおらんじゃん』と探していたら、フィリピン人の男性が私の方を見ていたので、
私「何か取れた?」って聞いたら、
フィリピン人「蟹はこっちの方がたくさんいるよ。海も綺麗だよ」と、
私「分かった。今そっちに行くよ」と、
テトラの反対側に行くと、フィリピン人の団体(10名以上)がいました。

私「マガンダ、ウマガ(おはよう)」と話し掛け、いきなり蟹2匹をゲット。
私「ダラワ、ダラワ(2匹、2匹)」とバケツを指差し、フィリピン人が持って来たバケツに入れてあげました。
私「マラミン、サラマポ(有り難う)」と私、蟹取る人。
 フィリピーナ(フィリピン女性)は蟹を捕った後、バケツを私の所へ持って来る人。と協力しあって、15匹は捕まえたと思います。
 全部あげたけど、ココナツミルクと煮るそうです。
 そうなんです。ピーマンやら、カボチャやら、ナスやらを入れますが、スッゴク美味しいですよ。

子曰。過而不改。是謂過矣。

 8月19日の日曜日、私は久しぶりに実家へ帰りました。実家にはテレビ好きの母がおり、相変わらず付けっぱなしのテレビの前でコクリ、コクリと舟を漕いでいました。
 最近はどれを観てもあまり面白くない番組ばかりでそれほどテレビ好きにはなれない私ですが、チャンネルを変えてNHK教育にすると、「こどもロンゴ」という番組をやっていました。これでも私、NHK教育はけっこう好きです。
 この番組は3歳から8歳までの子どもが「素読(そどく)」という日本生まれの学びの型で「論語」を唱えます。
 先生は若い女性で“安岡定子先生”と呼ぶそうです。
先生「はい。お背中を伸ばして」
(子どもたちは背筋を伸ばす)
先生「子曰わく、」
子どもたち「し、のたまわく」
と続ける・・・。

 いつだか「お寺のご住職の息子さんは、父(住職)が読む朝のお経を、意味も分からずにその経典のすべてを暗記してしまう」と聞いたことがあります。
 この安岡定子先生も「字の読めない子も『論語』を学ぶことができます。とにかく声を出すことに集中します。小さな子ほど無心になれるので、元気な声がでます。体に染み込んだ章句は、年を経てある時意味がわかるようになるのです」とおっしゃっているようです。
 「素読」とはある意味「暗記」のような気もしますが、水泳指導の最も初歩的なものに「模倣(もほう)」があり、それに似ているような気もします。
 「模倣」とは、よく子どもに「水泳、教えてくれよ」と頼むと、「こうやってやるんだよ」とお手本を見せてくれます。“この手本にそって真似をしろ”という「真似」です。特に言葉の通じない知的障害者の水泳指導などに使います。
 素読も模倣も初歩学習の一つだと思われますが、驚くのは子どもの集中力。大きな口をパクパク開けて、すぐに覚えてしまうのです。また「そのしぐさが可愛い」と母も起きてきてニッコリ。

 と、次の瞬間、このような論語が出てきました。
先生「子曰わく、」
子どもたち「し、のたまわく」
先生「過ちて改めざる」
子どもたち「あやまちてあらためざる」
先生「是を過ちと謂う」
子どもたち「これをあやまちという」

 これを聴いた瞬間、今回、このブログを更新し続けようと思った原動力に、過ちの遠泳を、過ちと認めない方がいて、もしかしたら『このブログを読むかもしれない』というかすかな期待から始めていた自分を思い出しました。
 ただその方は日本人ではないので、ここに原文と英文の二つと、その意味を紹介しておきましょう。

原文「子曰。過而不改。是謂過矣。」
英文「Confucius said, "Not to correct one's own errors, this is an error."」
意味「人はだれでも過ちを犯すが、過ちを犯したことに気づきながらも改めようとしない、これこそ本当の過ちである。」

 刑法では知らずに犯す過ちを「過失」と言い、知って犯す過ちを「故意」と言います。罪は“過失”より“故意”が重く、今回の過ちの遠泳はまったくの“故意”です。
  過っても、それに気づかない
  過ちに気づいても、否を認めない
  過った後に、誠実に対応しない
これでは
  過ちをおかしても、その後何も変わらない
となるのです。
  過っても、悪かった所を改めれば、いい経験になる
と思うのですがね・・・。

 ただ、「そんなに偉くもないのに偉そうなことを・・・」と思う自分が別にいて、その私が哲学者“ソクラテス”の「無知の知(むちのち)」を元の私に叩きつけてくるのです。「お前は“海を知り尽くした”なんて言えないだろ」と。

無知の知
「自分自身が無知であることを知っている人間は、自分自身が無知であることを知らない人間より賢い」、「真の知への探求は、まず自分が無知であることを知ることから始まる」という考え方。

 ハァ~~~・・・・。
♪ソ、ソ、ソクラテスかプラトンか、ニ、ニ、ニーチェかサルトルか
みんな悩んで大きくなった♪ってか!!!
suntory gold akiyuki nosaka

 こんなCMを覚えていますか? 「サントリーゴールド900」(1976年)の野坂昭如さんが出るCMです。
 この頃が最も血気盛んな頃だったかなぁ~・・・。今じゃ野坂さんも脳梗塞で入院、リハビリ中だし・・・。

 ところでこの日、母の孫(私の姉の娘)は“ネールアート”みたいなことをやっていて、お婆ちゃん(私の母)の爪を何だかやっていました。
 奔放初公開! まもなく90歳になる母を紹介します!!

Photo_2 母とよく行くウナギ屋さんにて

 綺麗になった爪を見て思わずニッコリの母。母である前に、女性なんですなぁ~・・・。

8月15日 すたみな太郎

 お盆最終日、忙しかったけれど追加注文も無いようなので昼過ぎに仕事が終わり、バイキング(食べ放題)の「すたみな太郎」に行って来ました。
 出掛け際、Tシャツなんてたくさん持っているのに「キンちゃんと、お揃いのTシャツがいい!」と主人が騒ぎまくり、探した、探した。
 まあ直ぐにあったけど、昨日もお揃いでした。
 とにかく運動したい私だけれど、主人に付き合ってお昼ご飯食べてビール飲んで寝ました。
 ストレスが溜まります。明日は海に行こっと!

幸せって何だっけ?(QOL)

 QOLとは「クオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)」の文字を取ったものです。クオリティとは「高品位な」とか言う意味で、ライフは「人生」。直訳で言えば「高品位な人生」とでも訳せましょうか。
 さて、今から100年以上昔になります。イギリスの文化人類学者(名前を忘れました)が低賃金労働者層の生活を見て、「ライフサイクル(Life Cycle)」と言い始めました。このサイクルとは「回転する」とかの意味です。
 つまりイギリスに住む低賃金労働者層は、“一生が回転して元に戻る”と言う考えです。これは今の時代と比較するととても興味深いことが見えてきます。
 ちょっと日本の昔も見てみましょう。♪夕焼小焼の、赤とんぼ♪でお馴染みの童謡「赤とんぼ」(1921年 三木露風作詞・山田耕筰作曲)の3番に出てくる歌詞です。♪十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き♪
 そうです。この時代は15歳で嫁に行くのが普通(?)の頃です。まあ15歳が早いにしても、二十歳前に嫁に行くのは普通でした。
 ちょっと「厚生労働省ホームページ」のホームページ、「平均寿命の国際比較」の下の方、「図3 主な諸外国の平均寿命の年次推移」をご覧下さい。平均寿命が右肩上がりに上がっています。逆を言えば、100年前をザックリと表現して“人生50年”と仮定して、低賃金労働者層で見てみましょう。

  1. 誕生(下降期):両親は子どもの誕生によって母親の労働力を失い、経済的には下降期に入る。
  2. 10歳(上昇期):子どもが母親の手から離れ、母子共に労働力に加わるので経済的には上昇期に入る。
  3. 20歳(下降期):親からの独立、結婚、出産によって労働力が失われ、経済的には下降期に入る。
  4. 30歳(上昇期):嫁、子が労働力に加わり、上昇期に入る。
  5. 40歳(下降期):子が独立し、労働力を失うと同時に、老化による衰えで経済的には下降期に入る。
  6. 50歳:没

 上記の人生は、100年位前の低賃金労働者層を対象にした行き方のサンプルで、だいたいこのような生き方を繰り返し、繰り返し行ってきたことから「ライフサイクル」と名付けられたようです。

 100年前の日本人女性、A子さんの人生を見てみましょう。

  1. 誕生
  2. 10歳で家庭の労働力として働き出す。
  3. 18歳で結婚、第一子出産
  4. 28歳までに第五子まで出産
  5. 38歳まで子育てに奮闘
  6. 40歳にして再び労働力として働く
  7. 55歳で定年を迎える
  8. 60歳で死去

 現在の日本人女性、B子さんを見てみましょう。

  1. 誕生 幼稚園、小、中、高、短大を出る。
  2. 20歳で労働者として働き出す。
  3. 28歳で結婚、第一子出産
  4. 30歳までに第二子まで出産
  5. 40歳まで子育てに奮闘
  6. 42歳にして再び労働力として働く
  7. 65歳で定年を迎える
  8. 85歳で死去

 このA子さんとB子さんを比べると、第一子出産から子育て完了までがA子さんの方が長く、労働の開始から完了までは同じ時間で、それ以外はすべてB子さんの方が長い時間を与えられています。
 特に定年後から死去に至るまでは、何と4倍も長く時間が与えられているのです。つまり自由に使える時間が長くなった。この使える自由時間の増大で、それぞれの生き方が出来るようになったので、もはやこれは「ライフサイクル」ではなく、「ライフコース」として名をつけるようになりました。
 このような自由時間の増大、ライフコースとして、高品位な生き方、つまり「クオリティ・オブ・ライフ(QOL)」が騒がれるようになったのです。

 古くから水泳を嗜んでいらっしゃる方は、「最近、プールにお年寄りが増えたなぁ~」とお感じになっていらっしゃる方も多いのではないかと・・・。
 またA子さん、B子さんの比較でも分かるように、最近では“少子化”が進んでいます。
 1964年(昭和39年))の東京五輪の反省で、「子どもの水泳を強化しよう」と生れたのがスイミング・クラブです。1970年頃になると、爆発的人気となり、“入会待ち”をする子どもたちも出たくらいですが、近年のように少子化が進むと、「子どもを相手にしていたら商売にならない。定年後の時間とお金を持った人を対象にしないと」と、スイミング・クラブ協会でも高齢者層を相手にしたプログラムがどんどん開発され、それは国の行っている「健康増進」にもつながって、現在に至っています。

 こんなこと、わかっちゃいるんですがね。残された子どもたちはどうするのか。絶対的大多数には入れない障害者たちはどうするのか。そちらの方が気になって仕方の無い私です。海峡横断泳だって大多数では出来ない企画ですしね。
 まあ、これが私の“QOL”かもしれません。

 最後に2,500年も昔に生きていた中国の孔子の有名な“論語”を一つ紹介しておきましょう。孔子は74歳で没していますが、2,500年も昔と考えると、かなり長生きをした人になるでしょう。

『子の曰く、吾れ
  十有五にして学に志す。
  三十にして立つ。
  四十にして惑わず。
  五十にして天命を知る。
  六十にして耳順がう。
  七十にして心の欲する所に従って、
  矩を踰えず。』

8月14日 矢作南小学校盆踊り大会

 朝から雨が降っており、今日の盆踊りで「プリン饅頭」を売ることになっていたが、どうなるのか?
 主催者側からは「雨が降っても開催する」と言っていたのですが、雨の“降る”、“降らない”で集まるお客さんの数も変わるので、やきもきしながら晴れるのを待っていましたよ。
 案の定、昼過ぎから晴れましたよ。ラッキー!!!

 朝、散歩に行けなかったジャッキーを連れて1時間半歩きましたが、実は私の運動していないストレスが溜まっていたので、ジャッキーに付き合ってもらいました。

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 昼過ぎは暑かったです。ジャッキーも暑くて急に田んぼの中に入って歩き出しました。

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 さすがうちのジャッキーですが、家に帰ってから、主人に「ジャッキーを殺す気か?」と叱られました。アハハハハ

残暑見舞

 東京では毎日30℃を越す日々が続いていますが、皆さんのお住まいの地域ではいかがですか? この夏を楽しみましたか?
 皆様が良き夏季休暇を取られたことを私は望んでいます。

 さて私は久しぶりにドーバーへ行かない日本の夏を感じています。
 毎日プールに通う私ですが、プールに行くまでの間に私の衣服は汗でビショビショになっています。
 プールから出るとき、シャワーを浴びるせいもあって身体はリフレッシュされるのですが、私の汗をタップリ吸った衣類はロッカーの中で良い塩梅に熟成され、その臭いは「再びその衣類を着よう」という気にはさせてくれません。
 そこで私は毎回プールに行くとき、水着と一緒に着替えの衣類を持つようになりました。
 しかし私が帰宅する時、再び衣類は汗でビショビショになってしまいます。
 そこで家で、再び私は着替えをします。
 そのために洗濯物はとても溜まります。

 そんな毎日を繰り返しているうちに、パンツ(下着:水着ではありません)のゴム紐の部分に汗が溜まるのか、お腹から腰にかけてアセモが出るようになりました。
 慌てて家ではシッカロールを毎日パンパンやるようになりましたが、アセモは徐々にその面積を広げ、胸部、背部、臀部、大腿部の裏などに侵食しました。
 「これは不味い」と思った私はお盆休みのときに、“アセモ、しっしん、痒みに効く”という薬湯に入ることにしました。
 毎日2回、私は辛抱強く、そのお風呂に入り続けました。
 するとようやく3日目にアセモは無くなりました。
 しかし、汗をかくと背中のそれまであったアセモの部分(たぶん汗腺)がチクチクというか、痒くなりました。つまりアセモが完治したわけではなかったのです。
 ところが私のお盆休暇は終わりです。
 現在、私は仕事に戻って毎日プールに入り続けていますが、まず初めに2日目で大腿部の裏側(毎日クルマの運転をしているからでしょう)が痒くなり、次に腹部、腰部と急激に痒みの部分(アセモ)が広がり始めました。
 またまた毎日シッカロールをパンパンしなくては!

 皆様、お住まいの地域ではいかがですか?
 何気なく今日もクルマの運転をしていると、何処からか秋の虫の鳴き声が聞こえてきました。
 ようやくというか、もうすぐ秋ですね。
 暑さに逃げ腰の私ではなく、いつも前向きなキンちゃんのような生活をしなくちゃいけません。
 それに残り少なくなった夏を楽しまなければ!!

 ハッピー サマー!!
 皆様にとって、良い夏が過ごされることをお祈りします。

8月13日 同窓会

 32年ぶりの矢作中学校三年生の時の同窓会を、岡崎ニューグランドホテルで行いました。
 企画して下さった幹事さん、有り難うございます。
 同窓会のハガキが来たのは、ちょうど今から半年ぐらい前でしようか?
 何だか“アッ”という間にこの日が来たような・・・。もうこの歳では一年が新幹線の「のぞみ」のように過ぎて行きますね。

 待ちに待った同窓会ですが、普段着と言えば水着とジャージの私。そう、水着なら50枚ぐらい持っています。
 身体は一つですが、1日に3回も4回もプールや海に出たり入ったりしますので、プール用、海用と水着を分けていたら、こんな数になってしまいました。
 だからプールでも海でも、いつもファッションショーをやっているかもしれません。
 皆さんに「これ初めて着た?」とか、「見たことない!」とよく言われます。
 ところで水着は伸びるから良いですよね。取り敢えず手の長さ足の長さなど関係なく、お尻と胸が入れば着られちゃうんだから。
 まあ蛙の柄の水着を着て、ガマガエルに見えてしまうのは仕方がありませんが・・・。

 そうそう、話がズレました。
 着て行く服を買いにイオンまで行きましたが、とにかく服なんて買ったことがない私。「ヘリーハンセン(HELLY HANSEN)」が好きでスポーツ系の服ならありますが、女性らしい格好なんて、何を買ったら良いのやら・・・。アドバイザーとして妹も一緒に連れて行きましたよ。
 でも妹、LL(エルエル)と3L(スリーエル)のサイズを売っているお店屋さんに私を連れて行ってくれたのだけれど、このクロンボに似合う服なんていろいろ試着したけれど無くて、スカートなんてそれどころじゃなくて、諦めました。
 で、結局、更衣室の無いビーチで着替える時の、ゴムとボタンが付いているバスタオルだけを買って帰って来ました。「何処でも更衣室」が出来る大きめの物です。

 同窓会は一応ホテルでやりますが、自分らしいいつもの格好、“スポーティー”が一番似合っていると思うので、地で行きましたよ。
 えっ!? 「じゃあ水着で行ったのか?」ですって?? それは違います。行き先がプールや海じゃない・・・。ああ、同窓会の会場がプールや海なら良いのか!!??!! それは良いアイディアですね! さっそく次回の幹事さんに言っておかなくちゃ!
 で、結局はやっぱり暑いから半ズボンに運動靴になりました。こちらの方が楽で良いですね。飾らなくてもいいや!

 会場はホテル三階の部屋で丸テーブル。部屋に入った途端に「ブイマン(中学の頃の私のあだ名)、ここに座りん!」と呼ばれて嬉しかったです。
 ここで失敗したこと。それはビールの飲み始めが遅れたことですね。
 テーブルにはビールが置かれ、男性陣が座っていたテーブルではすでに飲んでいました。
 『もう少し早く来れば良かった!』と反省。いきなり私はビールの栓を開け、私たちが座っているテーブルの女性陣に注ぎ、慌てて乾杯しましたよ。男性陣に追い付かなくっちゃ!
 暑くて喉が乾いていたので、宴が始まる前からジャンジャン飲みました。だからか、何だか私たちのテーブルだけが、宴開始前からやけに盛り上がっています。
 と、「おい藤田、お前花束贈呈やるだぞ!」と言われ、急に緊張!
 『酔わなくては!』と、乾杯が終わってからはいろんなテーブルにビールやお茶やらを注ぎに行きました。
 すると「あなたの名前を知らないのですが・・・。」と、注ぎに行った相手の方から言われ、確かにそのはず、名札を見て、私も分からない人が結構いましたね。
 「いいよ、私も知らんで!」と私。
 宴の席ですから楽しくやらなくちゃ~ね!

 で、ビールを取りに行く度に「ブイマン!」とお声が掛かり、嬉しい悲鳴で自分のテーブルでゆっくり食事どころではありませんでしたよ。
 とにかく皆さん元気そうで、良かったです。

 そして水泳部でお世話になった恩師、牧野先生にお会い出来、お話を伺うことが出来て、嬉しくて、嬉しくて、涙、涙です。
 あの頃の練習があったからこそ、今の自分があるのだと思っています。
 飲みまくり、しゃべりまくりで喉が痛くなったよ。

 時間って“アッ”という間に過ぎ、二次会、三次会と仲の良かった旧姓、高松治子さんと共に行動していました。
 驚いたのは「藤田さんに会いたかった!」と涙を流す男性がおり、私の横でずっと飲んでいましたね。
 まあ“好かれる”っていうことは良いことでしよう。
 今日は昼過ぎから一日中ずっと飲みっぱなしで楽しく、“アッ”という間に時間が過ぎ去りました。
 幹事さん、御苦労様でした。そして、お疲れ様でした。そして。そして、皆さんありがとうございました。
 次回も今回同様、皆さんの元気な姿が拝見できることを、スッゴク楽しみにしておる私でありまぁ~す!!!

ドーバー泳スタート風景

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この写真はOWS大会ではありません。
2012年8月18日のドーバー泳スタート風景です。
写真は少しファイルを大きくしておきましたので、写真をクリックしていただけますと、大きな写真でご覧いただけます。
大きな写真でご覧いただいて、左側の方のボートの前でビーチにスイマーが立っています。
1人(1チーム)の前のボートがエスコートボートで、1チームにつき1艇のボートがつきます。
スタートの準備が完了すると、ボートからホーンが鳴り、スタートになります。
場所はドーバーの隣町、フォルクストンに近いサンガッタのビーチのように思えますが、この写真を送ってくれた友だちはシェークスピア・ビーチの近くに住んでいるので、シェークスピアかもしれません。
ボートが6艇。すべてリレーの6チームです。このうち5チームは6名のリレー、1チームは2名のリレーです。
ちなみに正式なリレーチームは6名が原則です。2名のチームはスペシャルカテゴリとして登録されますが、公式には公認されません。
また、この写真に写っているすべてのチームはイギリスの糖尿病患者に対するチャリティで行われているそうです。(目標50,000ポンド)
そしてすべてのチームが完泳したそうです。
おめでとう!!
Very WELL DONE TO YOU ALL!!

色々と

 うりを9本貰ったので初めて漬物にしました。
 桶も重石も持っていません。寝ながら『どうしようか』と悩んでいました。
 「そうだ!! 桶はバケツでいいか? 重石はそこら辺の石でいいか? 後は重石の下に敷く丸いのは鍋の蓋でいいか!」と、知恵が沸いてくる、沸いてくる。
 やってみましたよ! バッチgood!!です。
 塩漬けにしたあと、きゅうりのキューちゃん漬けにしました。
 結構手間がかかっています。でも「冷蔵庫で一年はもつ」と聞きました。
 どなたか、要らない野菜あったら下さい。調理します。
 そしてニシの佃煮、赤貝の佃煮。取ってきた蟹の味噌汁と台所仕事をしましたよ。
 また唐揚げと肉巻きの準備もやりました。快感です。

良い世の中になった(より慎重に、より大胆に)

 トラジオン・スイミング・クラブは障害者を対象に海を泳ぐことを目的に、1973年(昭和48年)10月、東京で生まれた。前にも書いたが当時、障害者は公共施設であるプールにも“危険だから”という理由でなかなか入れない時代であった。
 この「障害者=危険」は管理者側の便宜上で、実際は“障害者を知らない”が正しいのではないかと思う。

 遠泳も同様で、「海は危険だ」と言う人に対して、『それは海をよく知らないからだ』と思っていた。ところが海の管理者である海上保安部にも「危険だ」と言われると、『海を知らないのは私自身か?』と、徐々に疑心暗鬼になっていった。
 だが、「海を知るためには海を泳ぐことが必要だ」と思った。それは障害者を理解し、危険な存在ではないと理解する必要性にも似ていた。(より慎重に・・・、より大胆に・・・)

 1980年代に入ると「国際障害者年」も始まり、1990年代以降になるとようやく障害者スポーツも市民権を得たようで、今の公共のプールでは“スロープを設ける”とか、“障害者の利用は無料”など、ハード面、ソフト面を含めて施設利用がかなり楽になった。
 同じ頃、「四方を海に囲まれた日本でありながら、日本の海洋レジャーが発達しないのは、管理者である海上保安部がうるさすぎるからではないか」と社会からの批判が起こった。
 つまり海上保安部に対して不満を持つ者は私だけじゃなく、他にも多くいたのが嬉しかった。おそらく財団法人「日本海洋レジャー安全・振興協会」が出来たのも『この頃じゃなかったか』と記憶している。(ただしこの協会に“遠泳”は含まれていない)

 時代はスポーツばかりではなく、「五体不満足」の著者“乙武洋匡氏”が自動車の運転免許を取得できる時代になっていったのである。
 これには自動車自体が“オートマ車”の普及により、免許枠の拡大(障害者でも運転免許が取得しやすくなった)によるもので、障害者の足として生活の枠が広がったのである。
 だが、おそらくオートマ車の開発は、障害者の自動車免許取得枠の拡大を目的としたものではなく、いわゆる“モータリゼーション”の拡大を狙ったものと思われる。ただその“簡単”、“楽”は“人にやさしい”という発想につながり、その“人にやさしい”という考えは、いわゆる“ユニバーサルデザイン”として進化していく一方で、障害者に当たっては「ウェルキャブ」(トヨタ)とか「ライフケアビークル」(日産)といった名称で、“福祉車両”として独自の開発がされていった。(“ドライバーとして”、“旅客として”を含む)

 このような時代の流れ、障害者の社会参加の中で、障害者が海洋レジャーへの進出があるのもごく自然の姿であった。そのためには“船舶免許枠の拡大”、“ユニバーサルデザイン(海洋レジャー)の開発”などが急務であった。
 そんな中、法改正(規制緩和)やユニバーサルデザイン船の開発に私も一役かうことが出来たのは幸せなことであった。だが、まだ陸上の福祉車両のような福祉船舶は出来上がっていない。

 いずれにせよ福祉車両(船舶)の研究開発はそのままユニバーサルデザインとして健常者に還元されることも多く、障害者の社会参加が進む一方で、知らぬ間に社会全体が進化している。
 障害者も遠泳も、より慎重に、より大胆に行えば必ず全体が進化すると信じている。

 まったく良い世の中になったものだと思う。

8月12日 渡部さんグループ

 ロイヤルのタダケン(無料入場券)が手に入ったので渡部さんに上げようと、寺部海岸へ行きました。
 8時の待ち合わせでしたが、7時頃には行き、蟹を探していました。
 『やはり蟹でしょう!』と期待して行きましたが、余りいませんでしたね。
 トライアスロンの渡部さんグループと三キロぐらい一緒に泳ぎました。
 途中、止まって私がアドバイスしていると、背中が“チクッ”と!!
 魚に食われたのか? 痛かったよ。

知っておきたい海上交通の法律

 1997年の映画「タイタニック」を知っている方はけっこう多いと思う。これは実際にあった当時世界最悪の海難事故で、今からちょうど100年前(1912年)、当時“不沈船”と信じられていた世界最大の豪華客船「タイタニック号」がイギリスのサウサンプトンからアメリカのニューヨークへと向けた処女航海中、4月14日の深夜、北大西洋のニューファウンドランド沖にて氷山と接触し、翌日未明にかけて沈没した事故に、ラブロマンスを加えて映画化されたものであった。
 この事故をきっかけに世界では船舶・航海の安全性確保について、条約の形で国際的に取り決めようという動きが起こり、1914年1月「海上における人命の安全のための国際会議」が行われ、欧米13カ国が参加、「1914年の海上における人命の安全のための国際条約」(The International Convention for the Safety of Life at Sea,1914)として採択された。この“the Safety of Life at Sea”の頭文字をとって「SOLAS(ソーラス)条約」となった。我が国日本では1935年9月11日、本条約を発効した。
 この条約は船舶及び航海技術の革新、社会情勢等を考慮し改正され、2011年(平成23年)2月8日現在では“テロ対策”として「国際船舶・港湾保安法に基づく埠頭保安規程等の承認について」(全国規制エリア総合一覧【国土交通省港湾局】)と、長たらしい名前の法律が加わった。
 まあスイマーは国際船が出入りするような大きな港湾・埠頭の近くは寄らない方が良いだろう。

 で、上記は「国際法」。「日本の法律」はというと、

  • 海上衝突予防法(すべての海域に適用)
    (後に詳しく)
  • 海上交通安全法(下記の航路に適用)
    東京湾2ヶ所:浦賀水道航路  中ノ瀬航路
    伊勢湾1ヶ所:伊良湖水道航路
    瀬戸内海8ヶ所:明石海峡航路  備讃瀬戸東航路  宇高東航路  宇高西航路  備讃瀬戸北航路 備讃瀬戸南航路  水島航路  来島海峡航路
    (上記の航路を泳いで横断するなどといった行為は慎むべし)
  • 港則法(港湾に適用)
    (港則法が適用されるような特定港【大きな港】の港湾・埠頭及びその付近で泳ぐことは慎むべし)
  • 都道府県条例等
    「海とみなとの相談窓口」のホームページを参照して各自調べるべし)

などである。

 さて、「海上衝突予防法」は日本の法律だが、その骨子となっているのは国際法の「1972年の海上における衝突の予防のための国際規則に関する条約 (COLREGS)」(The International Regulations for Preventing Collisions at Sea 1972 (COLREGS))から出来ている。
 問題なのは英語を直訳した文章を法律用語で並べ立てているところで、なかなかわかりづらい。それを法律の専門家がわかりやすいように解説してくれているのが「海と法律の仕組み」というホームページ。海難審判の判例が記載されているところはさすがだ。

 ただ実際問題、海上保安部(行政)と私が口論になるのはこの法律の解釈である。まだまだ微妙なところはたくさんあり、安全を守ろうとする私と法律を守らせようとする海上保安部の口論で、最終的には「違法ではあるが罰則はない」などと私の主張が保安官にもわかっていて、「これらは司法にもっていかないと無理かな・・・。増してや国際法となると・・・」と考えてしまうのである。
 常識で考えればわかりそうなことなのだが、私が非常識なのかもしれない・・・。
 いずれにせよスイマーは、ことに引率する立場にあるリーダーはこういった法律問題と日本の常識である「海は誰のもの?」を読んでいただき、ルールを守って事故の無いよう海の水泳を楽しんでもらいたい。

8月10日 調子が良い

 またもや1,000メートルを計りました。
 17分58秒、いい感じですね。
 ロイヤルでトライアスロンの友達、伊藤さんに会い、「明日、寺部で泳がないか?」と誘ったら、オーケーの返事をもらいました。
 さあ、蟹でも掴みに行くか!!!
 違う、違う! 海練習ですよぉー!!!
 (でも蟹もいいな・・・)

おかしなイルカに万歳!

 自分の履歴を思い出すにあたって、インターネットや図書館を利用するのは変な気分だ。それほど有名なわけでもないのに、いろいろなところからヒントが出てくるのが不思議に思えた。かすかな記憶とこのヒントを引金に、その時代が走馬灯のように思い出された。当時、障害者スポーツや遠泳(海峡横断泳)の市民権を得ようと必死になっている自分がいた。
 資料によると2回目の津軽海峡横断泳は1982年(昭和57年)で、記憶では小学校の高学年男子をリレーで青森の小泊から北海道の福島まで泳がせている。ただ3回目の津軽泳は年代の記憶があいまいで、おそらく1993年(平成5年)ころに、小学生や障害者のリレーによる遠泳で、コースはそれまでの西側から東側、青森の佐井から北海道の戸井(実際には流されて恵山)までを泳いでいる。ちなみに年代以外の記憶は確かである。
 4回目は2005年(平成17年)に、ご存知キンちゃんが佐井(青森)から戸井(北海道)までを泳いでおり、これが現在の私たちのスタンダードコースになっている。(詳細は「キンちゃんが行く」Vol. 1の“14.2005年の思い出”を参照)

 さて障害者スポーツの方はというと、1974年(昭和49年)5月、大阪(大阪市東住吉区・長居公園内)で日本初の障害者のためのスポーツ施設「大阪市長居障害者スポーツセンター」が設立された。これを皮切りに東京では「東京都多摩障害者スポーツセンター」が1984年(昭和59年)5月に、「東京都障害者総合スポーツセンター」が1986年(昭和61年)5月に設立された。
 当時、当トラジオンSCの指導員だった増岡尚(ポリオによる片下肢障害)は、東京都障害者総合スポーツセンターの屋内プールで練習して、1988年(昭和63年)8月、日本人初の対馬(日本)から釜山(韓国)までの単独泳に成功させた。

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 今回、当方の履歴を調べているうちに、『日本の戦後はアメリカにどう伝えられていたのか』(ハル A.ドレイク 持田鋼一郎[訳] PHP研究所)に「おかしなイルカに万歳!」というタイトルで、“対馬~釜山単独泳”について紹介されている。
 この遠泳は確か、対馬の郷土史などを書かれた本を、筆者である地元、対馬のジャーナリストが私に送ってくれた。それは有難いことだし送っていただいた筆者にはたいへんに申し訳ないことだが、この本も事務所移転の際の処分品に含まれていた。図書館で調べた上では新聞に記載されていたが、この本は何処にも見当たらなかった。

 ただ、この『日本の戦後はアメリカにどう伝えられていたのか』という長いタイトルの本の「おかしなイルカに万歳!」という文章の中で、“波の荒い対馬海峡を横断するといったもっと人目を引く例証が必要だった。”と書いてある。

 ちなみにキンちゃんが初めて泳いだ津軽泳の2005年(平成17年)に、彼女はドーバーを泳いで“その年の最も印象的な女性による水泳”として、「ガートルード・エーダリ賞」を受賞している。“ガートルード・エーダリ”とはアメリカの女性スイマーで、世界初のドーバー完泳者である。
 「人々は『女性がドーバー海峡を泳ぐことは出来ない。』と言いましたが、私は自分自身で泳ぎきれることを立証しました。」――エーダリ
 その後も彼女の偉業はスポーツにおける女性の可能性が無限にある証拠として常に役立っている。

 同様に増岡の水泳は障害者のスポーツが特別なものではなく、障害者の可能性が無限にあることを立証するために必要な水泳だった。

8月9日 運動満喫曜日

 “木曜日”と言えば運動が満喫出来る日です。
 一日中身体を動かしていましたが、今日は1,000メートルを計ったら、18分10秒でした。
 前に計った時より速くなっています。

海は誰のもの?

 日本は世界でも屈指の水産資源を“消費する(食べる)”国民性を持っている。それこそ最近では“捕る漁業”から“育てる漁業”に変貌しているといっても良いだろう。
 そこで出てくる「漁業権」。この“漁業権”をめくってダイバーや釣り師など、海の利用する人々との権利論争。これは裁判まで起こっている。
 当ブログ「海上保安部」にも掲載したが、管理者となったとたんに“権利”を行使し、“支配的”、“排他的”になる傾向が、日本人にはあるように思える。それは「危険だからやめろ」という日本人的発想に対して、欧米諸外国の海軍省(日本の海上保安部に当たる)などでは「周囲の安全は俺たちが守ってやる。だからお前たちは泳ぐことに集中しろ」と言われたのでは、泳ぐ立場にとってはどちらが嬉しいか、言うまでのことはない。おそらくフロンティアスピリットの違いだとは思うが、『海を愛し、日本の海の安全を守ろう』という映画“海猿”的、高い志を持って海上保安部を自分の職としたのだろう。それがいつの間にやら“特権を持っている”という間違った思想に移り行く傾向があるのは、同じ海を愛する者として寂しい限りである。

 さて、今年6月3日、キンちゃんらと私は北海道の旅行に出掛けた。(小樽見学、そして函館へ
 札幌から小樽に移り、少ない時間の中、要領良く観光をするために“観光タクシー”を利用した。そのタクシードライバーは当たり前のように小樽観光の定番「小樽市鰊(にしん)御殿」に私たちを連れて行った。そして近くにあった「石狩挽歌:(昭和50年)/唄:北原ミレイ/作詞:なかにし礼/作曲:浜 圭介」の碑に連れて行ってくれたのである。

 時代が明治に入り、日本は欧米の“法律”を盛んにコピーして近代日本を作り上げていったようだが、こと「海」に関しては、欧米の海産資源の需要が日本ほどでもなかったためか、さほど“漁業権”に対する法はなかったようである。
 ウィキペディア“鰊御殿”にも「第二次世界大戦前、とりわけ大戦景気までの時期に、北海道の日本海沿岸で隆盛を極めたニシン漁で財を成した網元達が、競って造った木造建築物である。」とあるように、日本の慣習として権威を持った“網元”の利権がそのまま“漁業権”となって法制化され、現在に至ったようである。
 つまり“海の利用”というものが、昨今の“レジャー”という発想がないままに法制化され、結果、問題が起きたのである。「海はいったい誰のものか?」と。

 この問題については「海って誰のものだろう?」の“海は誰のもの?釣りと漁業”をお読みいただくと上手にまとめられています。
 また、このような海の問題に対する「海は誰のもの?新聞記事資料」をお読みいただくと、国がどのように対応しているのかがわかります。

 昨今、日本でも新たなスポーツとしてOWSが普及しつつある中で、リーダー的立場にある指導者の「海は誰のもの?」という、日本独特の環境を知ってほしいし、海外のOWS環境が「そのままでは日本に通用しない」ということを理解してほしい。

海猫が鳴くから ニシンが来ると
赤い筒袖の ヤン衆がさわぐ
雪に埋もれた 番屋の隅で
わたしゃ夜通し 飯を炊く
あれから ニシンはどこへ行ったやら
破れた網は 問い刺し網か
今じゃ 浜辺で
オンボロロ オンボロボロロー
沖を通るは 笠戸丸
わたしゃ涙で にしん曇りの
空を見る

燃えろ篝火 朝里の浜に
海は銀色 にしんの色よ
ソーラン節に 頬そめながら
わたしゃ大漁の 網を曳く
あれから ニシンはどこへ行ったやら
オタモイ岬の ニシン御殿も
今じゃ さびれて
オンボロロ オンボロボロロー
かわらぬものは 古代文字
わたしゃ涙で 娘ざかりの
夢を見る

8月8日 寺部海岸 蟹との格闘

 母を病院に連れて行ったあと、暑いから姪子二人を連れて寺部海岸へ行きました。入り始めは少し冷たいですが、入ってしまえば慣れてしまいます。
 今日は初めての体験、蟹取りをしましたよ。海に入った途端に蟹を見つけゲットしました。
 タモ網だけで掬い上げましたよ。立て続けに三尾ゲット。『私って蟹取り名人かな?』と思ったほどです。
 姪子と蟹探しもコミュニケーションが取れて良かったです。
 ところで母の実家は岡崎市八帖町でロープやら網のを売っています。
 今はゴミの上に被せるカラス避けネットも製造しており、毎日忙しそうです。
 その経営者である叔父さんに頼んでタモ網と別の網を作って貰いました。
 始めの三尾ゲットはスムーズにいきましたが、それからが困難。
 蟹との格闘で何とか七匹ゲットしましたが、もう蟹との睨み合いで根気勝負でしたよ。
 でも凄く面白くて仕方がないです。
 蟹は駐車場の叔父さんに上げましたが、直ぐに茹でて食べていましたね。
 帰り際、駐車場の叔父さんに「軍手を二枚はめて蟹を掴めば痛くないよ!」って言われ、今度は軍手をはめて蟹取りをしようと思いました。

海上保安部

 初の津軽泳の新聞記事(一部)を紹介しよう。

<北海道新聞>昭和50年(1975年)8月13日(水)
やった! 津軽海峡横断
リレーの身障中高生
【福島】「やった、海峡横断に成功だ」―。東京の体の不自由な四人の中学、高校生男女と一青年が十二日、潮の流れの速い津軽海峡の約四十㌔をついにリレーで泳ぎきり、目的地の渡島管内福島町の海岸に着いた。泳ぎ続けること十二時間。ともかく完泳した。さまざまな批判があったものの、ハンディを克服してのこの快挙は彼らにとってなにものにも代えがたい“宝”になるだろう。
12時間泳ぎ抜く
体のハンディ克服でも少し怖かった」
(本文一部を除き省略)

 この前のブログ
1975年(昭和50年)ころの思い出」にも書いたが、8月31日、東京・代々木の国立オリンピックプールで日本水泳連盟主催による「日米水泳リレー大会」が行われた。この大会に津軽を泳いだメンバーが招待された。

<毎日新聞>昭和50年9月1日
記録への挑戦空振り
日米水泳リレー大会
高校新一だけ
(本文一部を除き省略)
身陣者に希望の灯
 〇…五十㍍をみんなにはげまされて泳いだ松岡千恵さん(十六)=東京教育大桐丘養護学校・写真手前=を待っていたのは米国男子選手たち。世界一のスピードを生む手がやさしく千恵さんをかかえ、プールから引き揚げた。日米レースの合間に組み込まれた″番外レース″に、チビっ子も感激した。千恵さんは一つのとき、両下肢型整マヒとなり、今も松葉づえがたよりの生活だが、小学四年で泳げるようになり、この日いっしょに泳いだ江森三幸さんら仲間とさきごろ津軽海峡を泳ぎ、身障者に希望の灯をともした。

<報知新聞>9月1日(月曜日)
水の申し子□米国選手□疲れにかなわず
平凡な記録
世界新の声は聞けず
(本文一部を除き省略)
選手、観客も拍手々々
津軽海峡の松岡さんら奮闘
 ○…八百㍍リレーのあとのプールで足の不自由な高校生が五十㍍を泳ぎ切って観衆の大きな拍手を浴びた。教育大付属桐ヶ丘養護学院高三年の松岡千恵さん(十七)=写真中央=ら四人。四人一緒に泳ぎだしたが、先頭の一人がゴールしたとき、松岡さんはまだ半分。はかどらないペースに、プールサイドの米国勢が手を打って応援。観衆も手拍子を合わせた。拍手の中、松岡さんがラストでゴールインすると、米国選手がプールにとび込み、松岡さんを抱き上げて喜び、祝福した。一流選手にほめたたえられて松岡さんは大感激のようすだった。
 松岡さんら四人はこの十二日、津軽海峡を十二時間かかってリレー横断し、この日、日本水連に招待されていた。

 上記の記事は津軽を泳いだ事実(北海道新聞)と「日米水泳リレー大会」に招待された記事である。どちらかと言えば賞賛された記事。同じ北海道新聞の記事でも批判された内容も紹介しておこう。

<北海道新聞>昭和50年(1975年)8月13日(水)
身障者の励みに
 函館身障者スイミング・クラブ谷内雅晴会長(昨年の全国身障者スポーツ大会水泳競技優勝者)の話 成功しましたか。それはよかった。ざっと四十㌔を力を合わせて泳ぎ切ったことは、ぼくたちの励みにもなります。夢を持つことはすばらしい。だが、今度は成功したからいいが、もし失敗していたら「無謀だ」という批判の声があるのを忘れないでほしい。
他の方法を選ぶべき
 函館、青森両海上保安部の話 体力、精神力の養成を目的にしているのだろうが、あえて津軽海峡に挑戦するより、ほかの方法を選ぶべきではないか。海峡は潮流が速く、しかも船舶の通行量も多いのだから。二度と繰り返してほしくない(函館海保)。一般業務を兼ねて巡視船を出動させたが、もし事故でもあったら、とても手が回らない。その辺の事情を十分に考えて欲しい(青森海保)。

(新聞記事オリジナルをご覧になりたい方は、図書館に行くか、私までご連絡ください)

 これまたこの前のブログ
1975年(昭和50年)ころの思い出」にも書いたように 社会での障害者スポーツの認知が低い時代であったからと思う。
 また、当時のネックは海上保安部の“遠泳”に対する認知の低さ、・・・というより、官僚的、支配的、排他的姿勢が批判的な声明になったものと思う。
 当時、海上保安部でこのような行事の届出を受け付ける場所が警備・救難課だった(現在:交通課)。警備・救難課では海上における工事などの許可申請を受け付けていたのもあったのか、計画書をよく読みもせず「こんなものには許可を出せない!」と言った。
 もちろん“許可”ではない。“届”である。
 警備・救難課で私の前で工事の許可申請を行っている担当者の前でも、聞いていて嫌になるほど高圧的で、上目線からのやり取りだった。
 今も忘れない。データに伴う計算から出した完泳の予定時間であったのに、
保安官「こんなに速く泳げるわけがない!」と言う。
私「いえ、プールの練習から得たデータを基に算出しています。」
保安官「君ぃ~、ぼくは海の専門家だよ。絶対にこんなに速くは泳げない」
と、どう見ても水泳の専門家には見えない保安官に言われてしまった。
 このときはどうしても届けた計画書よりも速く泳ぐ必要があった。そして、その通り実行した。それは声を出さない保安官への反抗であった。
 もちろん、このような保安官ばかりではない。
保安官「海洋国、日本の名を世界に広めてほしい!」
と、涙が出るような嬉しいお言葉をいただいたこともあった。
 しかし、おおむねはいわゆる“お上”であった。
 ここ数年のことだと思う。保安部、ことに交通課の対応が庶民的になったのは・・・。
 ただ、今、私があるのはそれまでに鍛えられたお上の保安官があったからだと、今は感謝している。

8月7日 身体がウズウズ

 身体が運動したくてウズウズ。“全身使いたい!”、“泳ぐしかない!”と言うことで、1,000メートル計りました。何と18分10秒。身体が乗りに乗っています。
 ところで最近友だちになったあゆさんは高校生。その彼女とインターバルやりましたよ。
 今日は心地好い疲れですね。

1975年(昭和50年)ころの思い出

 今年、津軽海峡遠泳協会を発足したが、ヒョンなことから自分の過去を思い出す気になった。初の津軽海峡横断泳は1975年(昭和50年)のことである。
 ところで今から数年前、事情でそれまで事務所だった場所から自宅へ事務所を移すことになった。ただでさえ狭い我が家に事務所そのままの移転は無理なので、過去の資料など約80%を処分した。もちろん10年以上前の横断泳の資料も処分の中に入っていた。
 蜘蛛の糸より細くなった記憶の糸をたどり、図書館や新聞記者さんのご協力により、当時の世相からもいろいろなことが思い出された。
 そこで皆さんも1975年ころへタイム・スリップ!!

 昭和50年(1975年)8月12日(火)、トラジオンスイミングクラブに通う身障中高生4名と私とで、青森県小泊の権現崎から北海道福島の女郎岬まで約40㎞をリレーで12時間かけて泳いだ。
 この遠泳は後程このブログで紹介するが、社会からは“絶賛”と“批判”が同時進行で行われた。何故ならば、身障者が一般の公共施設であるプールに、自由に入れない時代だったからである。今では“差別”と社会問題になりそうな事態だが、当時は“障害者”=“危険”という認識が一般的で、そんな“危険”な人間が“危険”な津軽海峡を泳ぐ、といった行為が批判を浴びたのである。
 一方、“絶賛”という部分では、“身陣者に希望の灯”と新聞にも称えられるように、障害者に市民権が得られるための導火線になったようにも思える。どうしても私には批判覚悟の上での“障害者の認識向上”に、津軽海峡横断泳は必要な行為であった。ま、もちろん“22歳”という若さの暴挙に取られても仕方のない年齢でもあったが・・・。

 この年8月31日、東京・代々木の国立オリンピックプールで日本水泳連盟主催による「日米水泳リレー大会」が行われた。この大会のキャッチ・コピーは「世界記録への挑戦」だったのだが、実際は大阪で行われた「日本学生選手権」でアメリカ水泳陣が招待された後だったこともあったのか、疲れもあったようで平平凡凡な記録に終わった。
 しかしそれがラッキーだったのかもしれない。津軽を泳いだメンバーはこの大会に招待され、大会中のデモンストレーションとして50mを泳いだ。むしろ50m完泳後、アメリカの選手たちが飛び込んできて抱き上げる姿の写真が新聞に紹介され記事となった。それは本命のリレー大会よりも大きく紹介されたように思う。
 昭和50年11月1日(土曜日)に日本水泳連盟ではこの年の報告書を作っており、“◆日米水泳リレー大会裏方記”として紹介している。
 特筆すべきはもちろん津軽泳の私たちではない。この日、オリンピックプールには8千人の観衆で埋まり、水泳競技会としては東京オリンピック以来の盛況となったことである。
 これには三つの大きなねらいがあった。
 第一は、これを“日米対抗水泳”復活の足掛かりとすることだった。当時、世界の第一線から後退した日本水泳界の不振ぶりに、再び世界のレベルに追い付いて“米国に挑戦状をたたきつけたい”という願い。
 第二にようやく上げ潮になってきた水泳界の基礎を、更に下から盛り上げて、外国に勝てるムード作りをすることにあった。そのためには、とにかくプールサイドを満員の観客で埋め、熱っぽい雰囲気をかもし出すことが、泳ぐ選手の力が入る行為とつながると気付いたところであった。
 このために“1万人動員作戦”が行われ、“世界記録への挑戦”のキャッチ・コピー、テレビの全国中継、エージグループの対抗レースなどなど・・・。
 第三は“新しい形式による水泳競技会”の工夫追及。
 エキシビション(公式記録としない公開演技や模範試合。勝ち負け抜きで行われる特別実演)を入れたり、当時ブラウン管の人気者であった元オリンピック選手、木原美知子をインタビューアとしてプールサイドに引っ張り出したりした。
 当時、アマチュア規定が緩んできたにしても、演出の上では新たな試みでもあった。実際のレースでも記録は不振で、むしろチビッ子の日米対抗の競り合いのほうが盛り上がり、脇役が主役を食ってしまったような形になった。

 たまたま今年はロンドンでオリンピックが行われている。
 そういえば1972年、第11回札幌冬季五輪までIOC(国際オリンピック委員会)会長をやっていた第5代ブランデージ会長(1952-72年:米国)は、原理主義的なアマチュアリズムを唱え、「ミスター・アマチュア(リズム)」と呼ばれた。
 札幌五輪ではアルペンスキーの板が真っ白に塗り替えられ、勝者はテレビに映る前に自分のはいたスキーの板は取り上げられてしまった。今では当たり前になった“滑る広告塔”として「私はこの板をはいて滑りました」というのが信じられない時代であった。
 IOC会長が6代目のキラニン(英国)に交代して早々の1974年のIOC総会で、ついにオリンピック憲章からアマチュア規定が削除されるに至った。
 日米水泳リレー大会でも日本水泳連盟はそんな時代背景を背負っていたのかもしれない。
 更に1980年代からサマランチ会長(スペイン)の時代になると、第14回冬季サラエボ大会(1984年、当時ユーゴスラビア)のアイスホッケーを皮切りに、プロ選手の導入が始まり、夏季大会のテニス、サッカー、自転車、バスケットボール、野球などにもプロが登場。今日ではアマチュア規定があったことさえ知らぬスポーツファンが当たり前になった。

 今回はスポーツ、ことにアマチュアリズムが主体になってしまったような気がする。障害者スポーツや遠泳のことを取り上げたいのに・・・。しかし障害者スポーツや遠泳を取り上げるにしても、そういった共通の時代背景を認識してもらうことが、より理解を深め、わかりやすくなるものと思い、あえて出した。退屈な文章に付き合っていただけたことに感謝します。

8月6日 必死の運動

 やっとロイヤルに顔を出すことが出来ました。必至に運動をしました。
 竜城で1,000メートルを計ったら、18分27秒。良い感じかな?

水泳指導と泳法指導

 先日、ご近所にお住まいのご婦人から相談を受けました。
ご婦人「小学校2年生と4年生の孫が近くのスイミング教室に通っているんですけど、ちっとも昇級しないんです。」
私「ほう・・・。」
ご婦人「2年生の孫の友だちなんか、後から入会したのにすぐに孫を追い抜かして、今は上級のクラスにいるんですよ。」
私「ふん、ふん・・・」
ご婦人「何だかねぇ~。孫たちには水泳の才能が無いんじゃないかと思って・・・。」
私「どうですかねぇ~・・・。」
ご婦人「それに月謝を私が払っていると思うと、何だかお金をドブに捨てているような気がして・・・。」
私「なるほど・・・。それでお孫さんたちの反応はいかがなんですか? 例えば“もうやめたい”とか・・・、そんなことは言わないのですか?」
ご婦人「いえいえ、孫たちはもうスイミングが大好きで、“絶対に休まない”と言うし、楽しくて、楽しくて仕方が無いみたいだから悩んでいるんです。」
私「分かりました。それは良いコーチに出会いましたね。どうぞお続けなさい。別に慌てて昇級する必要は無いじゃないですか。子どもにはその子、その子のペースがあって、急いで昇級したから“偉い”というものじゃありませんし、問題は “水泳といかに付き合っていくか”ということです。
 生涯の楽しみとして水泳があるならば、それはその子の人生にとってどんなに豊かなことでしょう。逆にどんなに速く(早く)泳げるスイマーになったとしても、水泳が苦痛で“水泳嫌い”の子どもになってしまっては、“不幸”と言う以外にありません。」

 現在、ほとんどのスイミングクラブでは“アッセンブリ・ライン・メソッド”と呼ぶ方式をとっています。“アッセンブリ・ライン・メソッド”とは、アメリカで開発された水泳指導法で、“最小限の労力で、最大の効果が発揮できる”と言うものです。
 要するに“級”を決め、多数の子どもたちを同じレベルの級に小分けし、同じ時間レッスンをした後にテストを受け、合格した子どもは上の級に昇級します。もちろん、テストに合格しなかった子どもは再び同じクラスでレッスンを受けることになります。
 一般的にいうと、初級の場合は水慣れ(顔付けなど)から始まって呼吸(息継ぎ)、浮く(クラゲ浮き、伏し浮きなど)、進む(板キック、蹴伸びなど)に進み、徐々にクロールの形にもっていきます。
 中級はクロール、背泳ぎ、平泳ぎと進み、上級はバタフライ、スタートとターン、個人メドレーと進みます。
 その先は選手コース。タイム、タイム、タイムでひたすら右肩上がり。
 ほとんどの場合、選手コースに上がる子どもはごく一部で、“たしなみ程度”と考えている親のほとんどが上級の卒業がスイミングの卒業になります。
 もっとも、「1級(最上級)に合格したら、“もうスイミングやめていい”ってお母さんに言われているんだ」と、スイミングをやめる目的で1級合格に目指す子どももいるので、『この子はいったいスイミングで何を習ってきたのだろう・・・』と、水泳指導の在り方に疑問を持ちます。

 確かにアッセンブリ・ライン・メソッドは優れた水泳指導法ですが、ともすると“昇級”、“昇級”、“昇級”と目的が“昇級”になってしまい、本来あるべき姿の“水泳指導”が見え難くなってしまう欠点があります。
 残念ながら現在の水泳指導員のほとんどは水泳指導をせず、泳法指導をしています。何故ならば目的が“昇級”ですから・・・。
 これは初めに書いた、私のところへ相談に来たご婦人なども一緒で、本来なら水泳の持つ素晴らしさを教えなければならないのに、誤った指導者の下につき、誤ったスポンサー(親権者など)の下では優秀な選手も育たないわけで、それは指導者を養成している私どもの責任でもあるのかな、と反省しきりなのです。
 もちろん泳法指導は水泳指導の骨子ですから間違いではないのですが、同等の重要性を持つ水泳の持つ素晴らしさも教え忘れてはいけないのです。

8月5日 消防団家族慰安

 主人は消防団の部長を終え、今は顧問をやっています。消防団を支えて16年、お疲れ様でした。
 ところで今時分の私はいつもドーバー。岡崎には居なくて、家族慰安にはいつも主人が一人で参加していました。

120805_115140_2

 でも今年はキンちゃんが岡崎にいますので、バス一台を借りて消防団の家族の方々と駒立のブドウ狩りに行って来ました。
 まだ少し青いみたいだから、よく色付いたのを見分けて取った方が良いみたい。

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 今のブドウ狩りって凄いですよ。ブドウ畑の横には釣堀、アスレチック、プール、バーベキュー、子どもの遊具、耕運機に乗ってのゴーカート、おまけにパンやら、ピザを焼く釜まである。
 今年津軽を泳ぎに来日するドーバー泳の友だち、スウェーデンのアンナが私に会いに岡崎へ来たら、ブドウ狩りに一緒に行こうと思っています。

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 ちなみに私はブドウ一房しか食べていません。
 ビールを飲んで、バーベキューを頂いていました。そして御座の上で寝ていました。

キンちゃんムービー、ベスト3!!!

 キンちゃんファンに送る!!!

 今までにYouTubeで公開したキンちゃん動画で本日(8月11日)現在、人気のあった動画ベスト3を公開します!!

 ではまず第三位。(ガチャガチャガチャガチャ、ジャジャーン!!!)
再生回数 234 回
「2010年11月16日、淡島~大瀬崎間海練習」 1:47
 美しい富士山を眺めることが出来る駿河湾で、強風の中、力泳するキンちゃんに人気が集まったようです!!
16th November 2010 Miyuki swim in the Suruga bay

 続いて第二位。(ガチャガチャガチャガチャ、ジャジャーン!!!)
再生回数 252 回
「栄養補給」 0:36
 オーシャンスイマーが泳ぎながら採る水分&栄養補給は、その水泳が上手くいくかどうかの鍵を握っています。
 その中でほぼ10秒以内で補給を済ませる神業に人気が集まったようです!!
The Feeding

 栄えある第一位は!!(ガチャガチャガチャガチャ、ジャジャーン!!!)
再生回数 269 回
「海鳥と激突」 0:16
 昔のデジカメで撮影したため、音声もありませんし画像も綺麗ではありません。しかしながらその衝撃的なシーンは、誰もが「もう一度見たくなる」こと請け合いです!!!
 ちなみに衝突した鳥の名前は“ミズナギドリ”と呼ぶ渡り鳥で、5月頃駿河湾に飛来します。
Seabird and accident

 この他、上位に入っているのは津軽泳やドーバー泳なのですが、ベスト3はすべて駿河湾での練習です。
 この駿河湾に、私たちはたいへん感謝をしております。

8月4日 花火大会

 いろいろな物の後片付けをして、母を病院に連れて行って、竜城スイミンググラブに行ったらお休みでした。(ガックリ)
 今日は岡崎の花火大会で、消防団の友だちの家で見る予定だったので、オードブルを作りました。
 買い物行ったらオードブルとお寿司の山積みでしたが、私はお料理大好き人間。材料を仕入れました。
 唐揚げ、卵焼き、魚のたつた焼き、肉巻き、ニシの佃煮、ポテトサラダなど、いろいろ作りましたよ。
 その友だちはマンションの11階に住んでいるので、風通しが良くクーラーが要りませんね。おまけに蚊もいない。
 見晴らしも良く、花火がよく見えましたよ。双眼鏡を持てば、覗きも出来るかもね。

今日(昨日)のドーバーの写真

 今朝(もう昨日の朝)、ドーバーの天気の話をしたら、大ちゃんやドーバーに住む友だちからたくさん写真を送ってくれました。
 どうやらドーバー泳も多くのスイマーが成功したようです。
 ではさっそく見てみましょう。

120810_000701 これはドーバー城に上がる坂道の入口。右にある建物が私たちの定宿、B&Bの“チャーチルゲストハウス”です。(大ちゃん)

120810_020301 これはドーバー市内にあるパブ、“エイトベル”の店内ですね。ビールが旨そう!(大ちゃん)

Photo_4 これはシェークスピアビーチ。ドーバーを泳いで渡るときによくスタート地点になるところです。
キンちゃんもここから何回スタートしただろう・・・。(ドーバーの友だち)

Photo_5 今日のスタートもシェークスピアビーチだったようです。(ドーバーの友だち)

Photo_6 日出と共にスタートが良いですね。これはドーバーの日出。日没ではありません。(ドーバーの友だち)

Photo_7 シェークスピアビーチをスタートして2~3時間経ったところでしょうか。
この写真を送った友だちも「まるでプールのようだ」と言っています。イイナ・・・。(ドーバーの友だち)

Photo_8 海峡中央部を泳ぐスイマー。ホントに波が無いですね。
今日、泳いだスイマーはホントにラッキーです!(ドーバーの友だち)

Photo_9 これはドーバー海峡(かなりフランスに近い)の夕日。日出ではありません。(ドーバーの友だち)

Wissant_2 これはフランスの到着予定地点、ヴィサン付近のスイマーと夕日。
まもなく到着です。Well done!!(ドーバーの友だち)

PS:朗報
 キンちゃんが多忙の中、このブログの書き込みを始めてくれました。明日から公開します。キンちゃんファンの方はお楽しみに!
 少し私も書き込むようにします。

ドーバーの天気

 お盆を目の前にして、キンちゃんの家業である和菓子製造業“フジタヤ”は大忙しになってきたようです。
 ここでキンちゃんはしばらく仕事に集中しそうなので、お盆の終わるまで@トラにバトンタッチ!
 キンちゃんファンの方は少々お待ちください。

 さて、キンちゃんがスーツケースを買ったカバン屋さん“大野カバン店(東京世田谷三軒茶屋)”の大ちゃんはサッカーが大好きで、現在、ロンドンへ日本チームの応援に行っています。
 その大ちゃんがわざわざドーバーまで行って、普段キンちゃんが練習しているビーチを見てきてくれました。
 昨日(8月9日22時頃)、「ドーバーは天気が良く、ロンドンより暑いですよ~! 今日ならキンちゃん、フランスまで泳げるんじゃないかなぁ~」と電話をくれました。
 確かにそのはず! 本日、“CS&PF”からは次のボートがスイマーをサポートしてフランスを目指しています。

  • Suva:キンちゃんご用達
  • Anastasia
  • Sea Leopard
  • Sea Satin
  • Gallivant
  • Pace Arrow
  • Rowena

 みんな成功してくれると良いなぁ~・・・。

 大ちゃんにはしばらくドーバー市内について私が説明をして、1日ドーバー観光を楽しんでくれたようです。
 そしてわざわざビーチの写真までメールで送ってきてくれました。

120809_230001

120809_230002

 ただ電話によるとフランスは見えないそうで、少しモヤがあるのかもしれません。
 大ちゃん、どうもありがとう!!

8月3日 梶島

 ギャオ~!!!
 梶島で泳ぐ練習をしましたよ! 気持ち良いです。
 日焼け止めを忘れました。真っ黒です。
 ・・・って、白いときはないですけど・・・。

8月2日 梶島

 今日は梶島です。最近、毎日海で遊んでいます。8月というのに海水は綺麗です。
 自分で撮った写真です。非常に不細工です。

120802_144624

 水着の肩紐の日焼けの跡を取るために、ギリギリの所まで私は水着を下げています。
 皆さんに「そんなもの見たくない!」と言われるのは覚悟の上で・・・。
 皆さんには“目の毒”かも知れませんね。ごめんなさい!!

イギリスの天気予報(8月7日から1週間)

 ロンドンでオリンピックも開催されている中で、イギリスの天気は気になるところです。
 室内競技ならまだしも、屋外競技になると天気の影響がそのまま成績につながるケースも多いからです。
 ドーバー海峡を泳ぐとなると、天気の影響がさらに強くなることは言うまでもありません。
 イギリスの天気は“1日の中に四季がある”と言われるほど天候の変化が激しく、それは日本の天候とは比較にならないほどです。
 今年、ジェット・ストリームがイギリス上空に停滞し、落ち着かない天候でドーバー泳を夢見てきたスイマーに、涙の雨を降らせたのも情報として入ってきています。
 そこで、今日から先のイギリスの天気予報を少し覗いて見ましょう。ただし、あまりにも天候の変化が激しいので、的中率は日本の天気予報ほどではありません。

<週間天気予報(8月7日~13日)>
 6時間毎の予報によると、接近する高気圧の気象パターンから、海上では最大瞬間風速18.1ノット(1ノット=1,852m)の南南西の風が短い時間(約5秒)で吹くでしょう。
 その後、風速20ノット以上の風が24時間吹き続けます。
 風はその後減衰し、10ノット未満で夜通し吹くことでしょう。
 一旦、高気圧が離れれば次の3~4日間は曇ったり晴れたりで風も弱いでしょう。
 おそらく木曜の午後から金曜日には太陽も顔を出すでしょう。
 風は土曜の午後から再び短期間に吹くでしょう。

<沿岸水域>(ドーバー海峡付近:沖12マイル)
【8月7日(火)18:00から8月8日(水)18:00までの24時間予報】
風 -- 南西 風力3あるいは4、時々東で風力5
海況 -- それほど荒れることはありません。
天候 -- 晴れ時々曇り。
視界 -- 10~20マイル。

次の24時間:
【8月8日(水)18:00から8月9日18:00(木)までの24時間予報】
風 -- 南西 風力3あるいは4、時々風力2あるいは3。
海況 -- 海面は滑らか。
天候 -- 霧。
視界 -- 1~3マイル。

8月8日(水)12:00(イギリス時間)の予想天気図
Fsxx00t_36_2

8月9日(木)12:00(イギリス時間)の予想天気図
Fsxx00t_60

8月10日(金)12:00(イギリス時間)の予想天気図
Fsxx00t_84

8月11日(土)12:00以降については、良い天気に恵まれるようです。
土曜、日曜、月曜日は高気圧の動きにもよりますが、おおむね良い天気でしょう。
火曜日以降は、高気圧の動きによって再び風が吹き始めるでしょう。
あるいは下図の左側にある低気圧の動きによって、来週、雲っても風が無いかもしれません。
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8月1日 散歩

 またまた話が前後します。「7月31日 篠島」の続き。
 7月31日は午後からみんなで海水浴。

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 この日の夕食は子供たち用に可愛いタコが出ました。

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 大人用はこちら。(海の幸の船盛+ビール)

120731_180010_3

 翌8月1日朝5時より篠島散歩。山歩きをしましたよ。
 途中、蟹は現れる。蜘蛛の巣には引っ掛かる。蝶々が現れ、子供たちは“キャー、キャー”騒ぎまくり・・・。

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 その中、先頭を切って歩いているのはキンです。

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 途中、黒い細い蛇が現れ、キンも大きな声で“ギャー!”と喚く始末。
 久し振りに“女性らしく?”叫んだかも!??
 いや、“ガキ大将”が正しい表現かも???

7月29日 日間賀島

 今日は主人がソフトボールの試合でいないため、お墓掃除に出掛けてから、ロイヤルのメンバー7人で日間賀島へ昼食食べに行きました。

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 さすが土曜日はビーチにパラソルが目立ちますね。

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 民宿もシートが引いてあり、海水浴客が濡れて入っても良いようにしてあります。

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 初めてロイヤルの方たちと出掛けましたが、たまには良いですよ。楽しいです。

7月28日 梶島

 話は前後しますが、急遽、海の散策で梶島へ行くことになりました。良いポイント見つけましたよ。
 潜って3メートルの地点です。最近、海で遊ぶことが大好きになりましたよ。

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7月31日 篠島

 藤田家恒例、“夏の篠島旅行”に出かけましたよ。

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 翌朝、甥っ子、姪っ子たちと散歩です。

野沢温泉から松本へ

 朝4時半に起床! 温泉に行った時ぐらいゆっくりすればいいのに・・・、いつもとかわらない。増してや商売人ばかりの集まりである。皆も一緒のように起き、お風呂場へと足を運ぶのてある。
 隣の部屋も、私たちの部屋も五人ずつ入っている。隣の部屋の人に頼まれて、私はモーニングメールを送ったよ。と言っても後から聞けば、三時から起きてたらしい!

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 お風呂から部屋に戻ればテレビを見ながらビール三昧。良い感じをしながらまたもや御風呂に行くっというと、マッサージ機は男性集に先に使われていましたよ。残念です。

 観光は松本城。お昼ご飯は創作肉料理の肉処“藤倉屋”で頂きました。一人一万円なり。

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 いつもお肉は膳に上がる直前に切ってお客さまに出すらしい! 何故ならば、そうしなければお肉の油が溶けてしまうらしい。
 こういう所の食事はやはり、皆と来ないと行けれない(行かれない)場所ですね。
 後は帰るだけ。
 先は長いです。。。。。 皆さんお疲れ様です!

7月24日 野沢温泉

 刈谷の土日市場の職場仲間で野沢温泉“さかや”に行って参りました。

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 朝からビール3本も飲んでしまいました。

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 野沢温泉では紫陽花が満開。岡崎ではとっくのとうに終わっていますが・・・。
 硫黄の温泉、肌がツルツルになって気持ち良いですね。

7月23日 バタバタ

 もうはい(早くも)7月も終わりに近づいてきましたね。明日、明後日と旅行に出かけるため、今日はてんてこ舞いの大忙しです。
 まずは前から美味しく作りたかったアサリご飯とアサリのパスタとニシ(貝)の酢味噌あえ。
 赤貝が少々あり、佃煮を作るほどでもなく、『どうやって調理しようか』と考えました。
 赤貝の身はアサリよりも二倍から三倍も厚く、噛むと甘味があり、歯ごたえもあります。
 だからちょっと『アサリご飯と混ぜて作ると美味しいかも知れない』と思い、チャレンジ精神で作りました。それが私の感とドンピシャで、むちゃくちゃ美味しいアサリご飯が出来ました。
 次はアサリのパスタ。オリーブオイルに赤唐辛子、白ワインがあれば直ぐに出来ます。よくアサリは日本酒を使って酒蒸しにしますが、白ワインの酒蒸しも甘味が出て美味しいことに発見しました。
 こりゃまた美味しい“アサリのパスタ”の出来上がりです。
 まだニシが六個ぐらいあったので、茹でて身を取り、残りのアサリも茹で、そのうちの味噌汁の分だけ取り、残りは身を取り、横着ですがニシとアサリで酢味噌あえにしましたよ。
 これで何とかアサリも全部使いきりました。
 後は我社“フジタヤ”従業員の給料関係で大忙しです。銀行員とのやり取りで時間が掛かり、『そろそろロイヤルに行こう』と思えばお客様が来られ、支払いをしました。当座に回しといたので良かったです。
 ロイヤルでは今日から体組成測定をしており、やってみました。
 脂肪は落ち、筋肉量は増えてきていましたので、身体は締まってきた訳ですね。毎日の努力です。
 時間も時間だったのでプールへ。
 初めて見る方でしたが色が私よりも黒い!『ちょっとお話しするか!』
キン「こんにちは!」
相手「あっ!」
と指を指され、私は見たことないのですが、矢作南小学校の先生でした。
 矢作南小学校は私の母校で何回も講演をしており、先生は覚えていてくれました。
 その先生の色が黒いのは、マラソンランナーだからです。何でもトライアスロンに参加したいとか・・・・!
 クロールが苦手だそうで、少しだけ教えてあげました。頑張ってね!
 私も負けちゃあおれんけど、次ぎから次ぎへとお喋り三昧をして、結局泳げませんでした。
 でもちょっと腰が痛かったので良かったです。
 暑いけど、皆さま熱中症には気をつけて下さいね。

7月22日 高橋トライアスロンステーション海練習

 朝の6時より寺部海岸で高橋トライアスロンステーションの方たちと海練習を行いました。
 前日にアサリ採りに行って、疲れていたのか?
 4時半には起きられず、50分まで寝て何とか起き、我社“フジタヤ”従業員の弁当を作り、海練習の用意をし、6時20分には家を出ました。
 寺部では皆さん緊張したようにお喋りをしていましたが、サッサッと私は着替え、ビーチへ。
 今日は海水が綺麗なこと綺麗なこと、水曜日とは大違い。雲ってはいたが、気持ちが良くて仕方がない。
 いつものコースを私が泳いで一周した頃に皆さんは体操を終え、高橋コーチの説明が入るところでした。

 まずは水慣れから。
 “25メートル泳いで止まり、また岸に戻る”を繰り返す。そんなスタート練習をしているうちにバトルが始まり、スッゴク面白くて。。。。。
 すいません。そんな光景を私一人で楽しんでいました。皆さん必至なのにね。
 後ろから見ていましたが、それぞれのトライアスリートにいろんなクセがあるのが分かりますね。
 右に曲がりながらも曲がって泳いでいるのが分からない人。もう少し前を見ながら泳いで下さいね。せっかく泳いでいるのにもったいないですよ。

 そうそう、二週間前に「プールでも前を見ながら泳ぐ練習をしてください」と私はとあるトライアスリートへ帰り際に言いました。その方の今回は練習の成果が現れ、真っ直ぐに泳いでいましたね。
 プールでは泳ぐ両サイドにコースロープがあるし、下にはコースラインもあるからクロールで横向きの息継ぎでも真っ直ぐに泳げるのですが、海で泳ぐ問題はクロールの場合(ほとんどの方がクロールで泳ぐ)、コースロープもコースラインも無い。つまり“物標”と呼ばれる目標物を見ながら泳がなくては、曲がってしまうのである。
 息継ぎは横でも良いが、物標を確認するために目だけを水面から前方に上げる必要が出てくる。
 この時(物標の確認時)、息を一緒に吸おうものなら前から来た波で海水を飲んでしまう恐れが出てしまう。
 したがって息継ぎと物標確認は別々の行為。(一緒にやらないほうが良い)
 時折、前の波で物標が確認できなくとも、慌てずに次に確認すれば良い。重要なことは泳ぎを止めないこと。
 まあ経験がモノを言うと思うのだが、息継ぎの時、私は瞬間的に“この波では吸っても良い”、“この波で吸ってはいけない”と判断が出来る。だから泳いでいて海水は飲んだことがない。
 ・・・とは言いつつ、まあたまには波にいたずらされて飲むこともありますが・・・・・・。
 それから皆さんといつものコースを泳いで一周しましたが、初めて泳ぐ方もいるので近くで見ていました。
 この時、私は自分自身のドーバーでの海練習を思い出していましたよ。潤子は私よりも少し遅いですが、いつも気にしながら泳いでいました。
 今年はドーバーへ行く予定がありませんが、まだまだ2-wayの夢を諦めたわけでもありません。
 いずれにせよ懐かしい思い出がよみがえり、途中、疲れて止まっているアスリートにも、私は“物標を確認しながら泳ぐ重要性”を教えていました。
 実際に泳がせてみて出来た人、まだまだな人、いろいろですが、実践が大切です。とにかく理屈ではなく、何回もいろんな状況で練習して身につけて下さい。何と言っても自然相手ですからね。

 海練習は何とか無事におわりました。皆さんはクラゲをすくって遊んでいました。もう大丈夫。ミズクラゲは刺さないことがわかったので、泳いでいて現れても大丈夫です。でもアカクラゲなどは触手に毒を持っているので触らないよう注意してくださいね。
 と、そんなこんなで楽しい時間でした。

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