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わくわく、どきどき、台風の目。

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第一部 東日本大震災 1.東日本大震災

 2011年3月11日(金)14時46分18秒、東日本大震災が発生した。この時、私は東京にある障害者専用プールで知恵遅れの子供を相手に水泳教室中だった。本震が発生する直前に余震があり、その段階で監視員の的確な判断によりプールの利用者全員に退水指示が出た。そしてちょうど全員がプールから上がった頃、本震が発生したのである。それは施設全体が、田舎のバスがでこぼこ道を走ったような感覚の揺れだった。プールの水は津波状態。大きく揺れてプールサイドに溢れた。

 プールの周囲には溢れた水を排水させるための溝があり、その排水溝には転落防止の「グレーチング」と呼ばれる格子蓋で覆われている。

002 プールのグレーチング(東京にある障害者専用プールにて)

 地震によるプールの津波はプールの排水能力を超えた水が溢れ出たものだから、グレーチングが浮き上がり、一部はプールサイドに流され、一部はプールの中に押し戻された。こんな光景は初めて見た。それこそプールサイドの水深が10cm。側にあった直径20cmくらいの丸い排水口は、“ギュルルルルゥ~”と音を立てて渦を作っていた。

 揺れが治まった頃、プールの水位は満水状態から約40cmも低下しており、コースロープは渓谷に架かる吊り橋のロープのように、ダラリとぶらさがっていた。「切れては危険」と、監視員たちは慌ててコースロープを緩めた。

 25m×13mの小さめなプールだが、単純計算でおおよそ100トン以上の水がいっきに溢れ出たことになる。100トンとは、小型乗用車約100台分の重さである。

 この時点でプールは閉鎖。まだ余震が続く中、更衣室のロッカーが転倒する危険があると判断したため、しばらくはプールサイドの柱の側(最も安全だと思われる場所)で様子をみることにした。

 しばらく待機して「そろそろ落ち着いたかな」と思った頃、子供を更衣室に連れて行って着替えさせる。この時、父兄に連絡を取りたかったがケータイがまったく繋がらず。

 着替えを済ませ、施設ロビーまで出るとロビーにある大型テレビでは津波の惨劇が映し出されていた。「窓ガラスから離れるように」と施設側から指示が飛ぶ。「こんな時はむやみに外へ出るのも危険」と思われた。

 子供の送迎をしなければならない。相変わらずケータイはまったく繋がらず、とりあえず時間通りに子供をクルマに乗せて乗降場所に向かった。父兄もこの地震で早めに乗降場所まで来てくれていたので助かる。

 しかし次の教室がある。区のプールへ知恵遅れの子供を連れて行かなければならない。その施設もこの地震で閉鎖になっているであろうことは安易に予想が出来た。だがとにかくケータイが繋がらないので父兄と連絡が取れない。しかも次の子供はプールが唯一の楽しみとしている。おそらく今日も泳ぐ気でいるだろう。

 時間通り次の乗降場所へ行くと、案の定、子供は「今や遅し」と待っていた。事情を説明しても分かってもらえるはずもなく、心配した父兄を同乗させて施設に向かう。予想通り施設は閉鎖。子供に「今日はプールに入れないこと」を理解してもらった。

 この親子を元の乗降場所まで送り、ようやく私は帰路に着く。普段、その乗降場所から我が家までクルマで1時間と掛からない。ところが“帰宅難民”と遭遇。歩道は人が、車道はクルマが溢れていた。動かない。結局、帰宅に2時間半を費やした。そして我が家で福島の原発事故を知るのである。

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