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わくわく、どきどき、台風の目。

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2011年12月の記事

津軽海峡遠泳協会

 「津軽海峡遠泳協会」を立ち上げました。

Tsugaru_logo 津軽海峡遠泳協会

 現在のところホームページは英語のみですが、近いうちに日本語のページも作ります。皆様には宜しくお願いいたします。

 この協会は「津軽海峡を泳いで渡りたい」というスイマーを相手に、サポートと公認を行います。現在、法人格を取るためにいろいろやっております。

 今年は9月に津軽海峡をオーストラリアのペニーが泳ぎました。

921 日本経済新聞(9月21日)

 現在、多くの外国人スイマーが問い合わせてきています。

231123 函館新聞(11月23日)

 皆様が当協会に問い合わせをする場合は、このブログのメッセージを書き込む欄にそのまま書き込んで送信してください。その書き込みは公開されません。宜しくお願いします。

最後に

 9月29日(木)、久しぶりに水泳教室を再開した。しかし私はひどく疲れていて、水泳教室をやる気にはなれなかった。それは昨晩まで、ペニーとクリスを成田空港から帰国する見送りまで付き合ったからだ。

 ドーバーから私たちが帰って来た9月14日に彼らはオーストラリアからやって来た。それからじゅんこさんと私は帰宅もせずに彼らと付き合った。途中、じゅんこさんが抜けたが、責任上、私は最後の最後まで彼らと付き合った。

 彼らは日本に好印象を持ったようで、別れ際に「また必ず日本にやって来る」と約束して帰って行った。やれやれである。

 気持ちは安堵になったが、精も根も尽き果てていて、正直、水泳教室を休みたかった。しかしこれ以上休むわけにもいかず、「やらなければ」と、自分自身に叱咤激励してプールに出掛けた。

 プールで待っていたのは知恵遅れの子供たちである。長らく休んでいたのに、屈託のない笑顔で私を迎え入れてくれた。その時、それまでの疲れがどこかに吹き飛んだ。同時に今までのゴゾ、デンバー、ジブラルタル、ドーバー、津軽という中身の濃い水泳と、障害を持った子供たちの水泳という違いのギャップにショックを受け、そして、少し懐かしい水泳の感覚に「戻った(帰ってきた)。今年の夏が終わった」と感じた。

 それは今までの『何とか成功させなければ』というストレスからの開放感であり、問題を抱えた子供たちを『どうやって教えていくか』の現実的なストレスの再会でもあった。

 水泳教室を通じて子供たちとの触れ合いは私にリラックスを与え、「やっぱり水泳教室が好きなんだ」と再認識し、幸せ感をよみがえさせた。

 子供たちが癒してくれる水泳教室を続けていくうちに、徐々に心身共に復帰する。すると不思議なことに、来年の遠泳計画を考えている。あれほど疲れを辛く感じていた遠泳なのに、気分転換が遠泳計画の立案。

 そんな自分が可笑しくて、「やっぱり遠泳も好きなんだ」と一人微笑んだ。

 とにかく今年の夏は例年になく多忙だった。計画実施に当たり、国内では地震が、世界ではリビア問題が心配された。マルタ(ゴゾ)やジブラルタルが近かったからだ。それでも何とかこなしてきた。

 こうして報告書を作るのは、今年を振り返り、反省をし、来年を計画する上の良い資料にするためである。したがって今の時期、私の頭は報告書と計画書が同時に進行している。

 震災のような天災、リビア問題のような人災、いずれも災害はないほうが良い。計画が台無しになってしまうからだ。

 今年を振り返ると様々な人のお世話になっていることがよくわかる。そして、それは来年もお世話にならなければ計画の実施が出来ないと知るのである。

 「いろいろありがとうございました」とお礼を言うと共に、「来年もよろしくお願いします」と依頼が同時進行で発生しているのだ。

 そんなお礼とお願いを皆さんにして、ここにペンを置くことにする。

                                  2011年11月 トラ

P7290136

Photo

 
               制作:トラジオンスイミングクラブ
               著作:海峡横断泳実行委員会
               協力:津軽海峡遠泳協会
               筆者:じゅんこ
                      トラ
                      キン
                      湘南の主
                      Penny Palfrey(翻訳:エリ)

ジブラルタル、ドーバー、津軽海峡横断泳それぞれの詳細(データ)

Japoneses20relevo_2 ジブラルタルじじぃ(リレースイム)「じじぃ、終了!」より 

P7230366 ジブラルタルキン(ソロスイム)「キンちゃん終了」より

P1000105 ドーバーキン(ソロスイム)「ドーバー泳の詳細(遅くなりました)」より

Img_1671 津軽ペニー(ソロスイム)「今、津軽海峡です。」より

 尚、ペニーの津軽泳は最後まで計測していない公表なので、ここで最後まで計測したデータを公開します。

日付:2011年9月20日(火)
場所:津軽海峡(北海道:松前半島白神岬 ⇒ 青森:津軽半島今別大泊)
泳者:ペニー(Penny Palfrey:オーストラリア)
方法:1-way solo swim
結果:北海道:白神岬 04:08 ⇒ 青森:今別大泊 18:34
   合計=14時間26分

概況:天 気 曇り時々雨
   視 界 10海里
   風 向 夜明けまでは主に北、北東 昼は南 夕方から南東
   風 速 1.0〜9.0m/sec
   気 温 15.8〜18.7℃
   水 温 22.9〜26.0℃
   波 高 0.5〜1.5m
   ピッチ 70〜76回/分(少数は片手クロール)
   補 給 主に炭水化物+いろいろ=約300ml/30分毎
   流 向 海流による東流 想定外の南流
   流 速 0.5〜1.5kn(1kn: ノット=時速1.852km)

潮汐:函館(北緯 41度47.0分 東経140度44.0分)
   日出 05:21      日入 17:39
   月出 22:02      月入 12:33
   月齢 22.0       潮名 小潮
      干潮 01:53 0.38m   満潮 08:26 0.70m
      干潮 12:20 0.63m   満潮 18:55 0.91m

「津軽海峡横断スイム」 じゅんこ

 ドーバー出発の一ヶ月前、「9月中旬にオーストラリアから来日するペニーとクリス夫妻の津軽海峡横断スイムを行なうスタッフとして、函館に来てくれないかい」とトラ先生に言われました。そこでドーバーで海峡横断スイムサポートのノウハウを教わる事を約束して、ドーバーから成田経由で函館に訪れることになりました。ドーバー海峡でキンちゃんが泳いでいる間、ずっと甲板で二人の様子見ていたのは津軽海峡横断スイムの事があったからかもしれません。

 ドーバー滞在中、ニューヨーク在住のエリさんと福井県在住のナオさんとトラ先生はポツポツとメールでやり取りしていたようです。成田に着くとトラ先生の話す内容が一気にオープンウォータースイムの現状と津軽海峡横断スイムの詳細に変化しました。

 イギリスから帰国して成田空港に到着した日、トラ先生と私はペニーとクリス夫妻を成田空港で出迎え、共に成田空港近くのホテルに泊まりました。翌日、函館に着いてからは朝の海練習から始まり、お祭礼の前夜祭、新聞の取材、安宅船長兄弟と門脇船長の打ち合わせや食事の支度など、本番までの準備やイベントで盛りだくさん。この時は正直、時差もありフラフラでした。

 安宅船長の判断で、接近している台風が来る前に津軽海峡横断スイムを決行することになりました。本番の二日前にニューヨークからエリさん、福井県からナオさんが駆けつけてくれました。エリさんとナオさんはオープンウォータースイム経験者。更にエリさんは英語が堪能。何だか二人が天使のように見えました。

P9190943_2_2 エリ、ナオ、クリス、ペニー、門脇船長、私(2011年函館の漁港にて)

 本番の前日、ペニーとクリス夫妻が泳ぐ間の栄養補給の仕方、スイマーと船の距離やスピードを確認、その他に問題点はないかなど門脇さんの船で事前調整をしました。

 宿に戻り、ペニーとクリス夫妻は泳ぐ時の栄養ドリンクなどの準備をしつつ身体を整え、私たちも本番に向けて持ち物や食べ物の準備をしました。泳ぐ直前までペニーは油ものを控えるなど食事調整もしていました。

 ペニーのサポートをするエリさんとトラ先生はその日の夕方に宿を出発し、安宅船長の船でスタート地点の近くの福島へ移動しました。クリスをサポートするナオさんと私は、翌日の午前三時に門脇船長のクルマで港に向かい、船でスタート地点の青森下北半島の佐井へ。エリさんやナオさんは私たち以上に慌ただしかったのではないでしょうか。

 朝方、スタート地点願掛岩沖合付近の船上でクリスの身体にグリースを塗り、朝六時に願掛岩の浜から戸井浜町海岸に向けてクリスはスタートを切りました。

 船上ではクリスが泳いでいる間、30分おきに栄養ドリンクを準備し、ボトルとロープを使って渡し、一時間おきに水温や気温、風速や風向、波の高さや位置、ストロークなどを計測し、船のGPSで今どこにいるかもチェックしました。

 門脇船長には波の高さや風向などを教えて頂き、ナオさんには写真を撮ってもらいながら風速も測定して頂き、至れり尽くせり。ナオさんと陽一さん(門脇船長の弟さん)がクリスや海の様子をしっかり見守っていてくれたお陰で、安心して栄養補給の準備や記録を取ることができました。皆さんには本当に感謝しています。

 しばらくすると、門脇船長が率いる船は安宅船長と無線で情報交換しながらも、前へ進まない状態が三時間続き、流木やゴミや海藻が漂ううねりに入り込みました。そのまま進んでいるとスクリューに漂流物が挟まり、船の中に水が入り動けなくなってしまいました。

 遠泳は一時中断。門脇船長と陽一さんは船の復旧に全力を注ぎました。その姿を見ていたクリスが「船の下を見てみる」と言って潜りました。上がって来たクリスは電柱よりも太い丸太を抱えていました。その丸太が船のスクリューに挟まっていたそうです。クリスのおかげでスクリューが動くようになり、船も動くようになりました。

 それまでクリスとは手を使ったサインやホワイトボードのようなカードでコミュニケーションを交わしていましたが、この時改めて今はどこにいて、このまま泳ぎ続けたら戸井浜町の海岸へ何時にたどりつけるのかなどを、門脇船長と共に確認をしました。

 クリスの頭にインプットされている地図や海の状況から判断して最後はクリス自身が辛い決断を下しました。台風が近づいている津軽海峡、クリスの体力、船の状況から見ても遠泳を中止せざるを得ませんでした。前向きな決断だったと思います。

 それは失敗ではなく、次への成果であることと信じています。

P1010555 クリスが「次への成果」とした帰り
左:クリス 右:私(2011年津軽海峡にて)

 ナオさんは海上保安部へ、私は報道への対応を一手に引き受けてくださっている戸井支所の西澤さんへ“遠泳中止”の報告をしました。

 門脇船長兄弟に荷物と共にクルマへ乗せていただき、私達は宿に戻りました。クルマの中でクリスは「素晴らしいメンバーで津軽海峡横断に挑めたことに感謝しています。」と話してくれました。クリスの津軽海峡横断スイムにサポーターとして携われたことにとても感謝しています。

 宿に戻った後、クルマでナオさんが近くの温泉旅館に連れて行ってくれました。その温泉で冷えた身体が芯から暖まり、旅館の小学生の女の子は学校で習った英語を使ってクリスへお手紙を書いてくれました。

 津軽海峡を泳ぎたい海外のスイマー増えている今日この頃、近い将来、英語が堪能な心強いがサポーターがたくさん増えると感じた瞬間でした。

 ペニーとクリス夫妻は函館に来て毎朝、戸井浜町のビーチで津軽海峡横断スイムに向けて身体の調整をしていました。普段はサーファーしか入らないビーチの目の前に住んでいる百歳のおばあちゃんは、その日から毎日窓際からペニーとクリスが泳ぐ姿をライフセーバーのように見守っていてくれました。

P1010404 百歳のおばあちゃんがペニーとクリスを見守る(2011年戸井浜町の海岸前にて)

 地元の方々の暖かさを感じながらの海練習はドーバーのビーチにちょっと似ています。本番前に地元の方々が「成功するよ、がんばってね!!」と声をかけてくださったのはとても心強かったです。

 今回、津軽海峡横断スイムに携わって、トラ先生がいつも言っている「海峡横断スイムはチーム戦。先導する船長、サポーター、コーチ、スイマーなど、誰か一人でも欠けたり、諦めたり、倒れたら、それでそのスイマーは最後まで泳ぎ切ることができない。だから諦めたらいけないよ。」という言葉の意味が少し分かった気がします。

P1010413 ナオさん、クリス、門脇船長、私
皆さんに感謝(2011年函館の漁港にて)

 そして、函館に来てから私がヘコタレそうな時にキンちゃんに電話で言われた「泳ぐまでの準備は大変だろうけれど、泳ぎ始めて泳ぎ終わったらそれで終わり。ここでしっかり踏ん張って潤子がやるべき事を精一杯やりなさい」の言葉が今でも心に響いています。

 また、トラ先生、キンちゃん、ペニー、クリス、エリさん、ナオさんだけではなく、函館で出会った安宅さんご兄弟とそのご家族、門脇さんご兄弟、戸井支所の皆さん、吉田議員さん、宿の中村さんを始め、町の方々、保安部や漁協の皆さんのご協力あっての津軽海峡横断スイムである事を知りました。本当にありがとうございました。

5.津軽海峡横断泳2011年9月20日(火) 私たち(ペニー)の訪問日記「日本の津軽海峡横断泳」より(翻訳:エリ)

 計画 ― 午前2時 起床、午前3時 旅館発、午前4時 スタート。

Img_5890 戸井浜町のビーチで練習するクリストペニー(2011年津軽にて)

 いつものことながら遠泳の直前は忙しい。目が覚めてからストレッチ運動をした後、忍び足で共同の台所にある電子レンジに、朝食のオートミールを作りに行った。

 遠泳前用のオートミールはオーストラリアから持参した。慣れた食事で遠泳に挑みたいからだ。真空パックの牛乳はクリスがスーパーで購入してくれていた。『我ながら計画的にうまくいっている』と、オートミールの一口目を口に入れる迄はそう思っていた。「何だ、この味!」、「酸っぱい、濃い、変な味!」。エリさんに「牛乳の味が変だ!」と言って、日本語が読める彼女に真空パックを渡したら、どうやらそれは牛乳ではなく、乳酸菌飲料(カルピス)だった。失敗だ。電子レンジに戻って予備で持参したオートミールを、今度は水と一緒に作った。牛乳の方が断然美味しいが、とりあえず一日の始まりの温かい炭水化物だ。“朝3時に旅館を出発予定”が、とんだ事で遅れそうになり慌ただしく荷物をまとめた。

Img_1539 北海道の福島へ船頭の安宅さんと移動する(2011年津軽にて)

 部屋を出る時にお弁当箱の山が襖の横に置いてあった。旅館のおかみさんとご主人が朝の2時に起きて、クルー用のお弁当を作ってくれていたのである。そして玄関前で遠泳成功の応援の言葉と、手を降って見送ってくれた。世界中のどこを探しても、そこまでのおもてなしをしてくれる所はそうもないだろう!

 船に乗ってスタート地点に到着する迄に軽く30分程かかったであろうか。スタート前の日焼け止め、チャネルグリース等、身体に塗る準備に丁度いいぐらいの時間だ。先頭さんが梯子を準備してくれている間に、私はインクのような黒い水中に船の横から飛び込んだ。するとそれを見た先頭さんらは驚いたようだった。スタート地点の海岸まで泳いで行き、身体が水面から完全に出てから私は腕を上げ、“スタートが出来るサイン”を送った。午前4時08分、白神岬出発。初めの30分は水温も程良く、軽いうねりがあるだけの穏やかな水面にほのかな風、実に快適とも言えた。

 暗い水面の中で私は完全にハッピーでリラックスしていた。船は丁度私の横に良い距離を保ち、ボートクルーのトラさんもエリさんも満足そうだ。

Img_1615 本番、ペニーの力泳(2011年津軽にて)

 だが、この快適なコンディションもそう長くは続かなかった。航路に入った途端に状況が変わったのだ。風は北東10ノット、潮とは丁度向かい風になり、波が荒れだしたのである。

 2時間経過、朝6時。頭の中で『クリスの遠泳が青森から始まる事』を思っていた。クリスもこの向かい風は好まないだろう。それに故障中の彼の肩が気になった。(二人のスタート地点は違っていた。私は2-wayを目指していたので青森側は丁度中間の折り返し地点なのだ。)

P9201014 栄養補給(2011年津軽にて)

 とりあえず私の最初の6時間の進行具合はなかなか良い感じだ。それは潮が好転するはずの“6時間マーク”の「まだ半分迄しか泳いでいない」と教えられる迄は。それはあまり良いニュースとは言えなかった。

 流れはまさに逆流していた。3時間程同じスポットを泳ぎ、遠くに見える景観は変わらなかった。それは私を苛立たせ、泳ぎを止めて話し合いに入った。先頭さんとクルーたちはそんな私に、「潮が変わり、今、泳いでいる潮はさらに逆流するだけだ」と。それは最悪なニュース以外の何ものでもなかった。

 先程から3時間程眺めていた「右側の方向に向かって泳ぐのはどうか」と提案したが、どうもそちらに行くと「往復泳は逆流になり出来なくなるだろう」との事だった。

Img_1671 完泳、おめでとう!(2011年津軽にて)

 数少ない選択の余地だった。コースを変更して一番近い潮の良い海岸を目指す事にした。それでも問題点は残った。それは大きな湾の入口で、湾の中で渦巻く潮が外に出て、私の行く手を少なからず阻んでいたのだ。

09_20_11_pp_swim_map 航跡図(2011年津軽)

 あれから5時間半程泳いだだろうか、やっと海岸に着いた。早朝から14時間26分、遠泳終了。腕を上げて“完泳のサイン”を送った後、ボートに戻って「OK! 泳いで戻ろう!」と皆に言った。

P1010646 齋藤戸井支所長に「完泳認定証」をいただく(2011年函館にて)

 もちろん今日この地点からの往復泳は無理であるのは私にも分かっていた。ここでは夜中の遠泳は出来ない。数多くのイカ釣船も出ている。朝の薄暗い4時に出発して、暗くなってからのシングル(1-way)完泳に安堵だ。

P9211063 吉田函館市議会議員に「花束」をいただく(2011年函館にて)

 厳しい条件の中、先頭の安宅さん兄弟を始め、クルーのトラさん、エリさんの辛抱強い仕事ぶりには本当に感謝している。その日は予測されていたいつもの潮の流れが違っていたのだ。そして我々は3時間のボートでの帰途についた。

P9211093 チーム“ペニー”
左奥:エリさん 右奥:トラさん
安宅兄さん ペニー 安宅弟さん(2011年函館にて)

 船に上がってから、クリスはどうだったか聞いてみた。彼も私と同じ様に同じスポットを5時間もあがき、7時間後には断念したらしい。途中ボートのプロペラに大木が引っかかったらしい。クリスは自己のチャレンジに後悔はないらしい。良いサポートチームに恵まれ、「またいつか津軽を泳ぎたい」と言っている。

P9211094 チーム“クリス”
左奥:ナオさん 右左:じゅんこさん
門脇兄さん クリス 門脇弟さん(2011年函館にて)

ペニーとクリスのホームページに津軽泳の報告が、Part 1: before the swimsPart 2: The swimsPart 3: After the swimsに別れて紹介されています。どうぞご覧ください。(英語)

* この翻訳は「Part 2: The swims」のみです。

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       新聞

函館新聞(9月15日)

915

北海道新聞(9月17日)

917

函館新聞(9月21日)

921

朝日新聞(9月23日)

923

函館新聞(9月24日)

924

読売新聞(9月26日)

926

函館新聞(9月27日)

927

「ドーバー海峡」じゅんこ

 去年の秋、英語の勉強をしていた私に「夏にイギリスのドーバーに行ったら色々な国のスイマーが集まっていて、その人たちとたくさん喋れるから、一緒に来たらいいよ」とトラ先生に誘って頂き、この夏ドーバーへ行くことに決めました。

P9130905 ドーバーでスイムを楽しむ(2011年ドーバーにて)

 大学生の頃、お笑いの“ウッちゃんナンちゃん”のウッちゃんチームがドーバー海峡を泳いでいる姿をテレビで観て、「いつかドーバー海峡に行って泳いでみたいね」と友人と夢物語のように語り合っていた私。社会人になって勤めた障害者スポーツセンターでトラ先生と出会い、その後トラ先生が率いるトラジオンスイミングクラブで事務の仕事をしていたのがちょうど十年前。キンちゃんがドーバー海峡横断スイムの2way達成を目指し始めた頃でした。

P8210552 ローラ(Laura Lopez-Bonilla)
ビーチボランティアと(2011年ドーバーにて)

 ドーバースイムのニール船長や、ビーチボランティアのボス、フリーダとのメールのやり取り、ドーバー海峡を泳ぐための英語書類などの和訳を母に頼んだこともありました。イギリスの雑誌に掲載されたキンちゃんの記事を母が和訳し、その記事に感動した母の後押しがあったからこそ今年の夏、ドーバーの地に足を踏み入れることができたと言ってもいいくらいです。

P9040766 ミッシェル(Michelle Toptalo)
ビーチボランティアと(2011年ドーバーにて)

 ドーバーに着いて数日後、「明日、ドーバー海峡を泳ぎますから準備しておいてください。」とニール船長から連絡がありました。そこからキンちゃんが泳ぐ間、ずっと飲み続ける炭水化物を含んだ甘い栄養ドリンクを台所で作ります。

P9100858 バリー(Barrie Wakeham)
ビーチボランティアと(2011年ドーバーにて)

 船上で過ごすための準備をし、翌日のお昼のお弁当まで作ります。

 ニール船長は潮の流れを計算してイギリスからのスタート地点へ船で向かい、そのビーチからキンちゃんは泳ぎ始めました。

P1000103 キンちゃんの面倒を見るトラ先生
後ろにはオブザーバー兼ビーチボランティアのアイリーン(Irene Wakeham)がいる。(2011年SUVA船内にて)

 ドーバー海峡をキンちゃんが泳いでいる間、トラ先生は40分に一回栄養補給の準備をして投げ渡し、気温や水温、風速や風向、天気や海の状況、波高や視界、キンちゃんの泳ぐクロールのピッチ数などをその都度計測しています。ホッと一息ついたと思ったらまた準備。入る隙もありません。

 トラ先生の栄養補給を渡すタイミングや時間は昼間も夜中もかなり正確。この技はキンちゃんが安心してドーバー海峡を泳いでいられる要因の一つではないでしょうか。傍で見ていると『トラ先生にも栄養補給が必要かも』と思ってしまうほどひっきりなしに動いています。

P1000928 ミッシェルにスイマーのナンバリング(絵)を書いてもらってご満悦(2011年ドーバーにて)

 途中、「肩が痛い!!」と訴えるキンちゃんに対して、トラ先生は「片手でも泳げる!! 泳げ!!」と勇気づけ、周りのスタッフが素早く痛み止めを準備してキンちゃんに渡す姿を見たとき、その船に乗っているみんなとスイマーと一丸となって同じゴールを目指していると実感しました。

 2wayは出来なかったものの、キンちゃんは18時間14分泳ぎ続けて無事にフランスにたどり着きました。トラ先生もすごい気力と体力で栄養補給のサポートをし続けました。その現場を体感出来た事にとても感激しています。

P8270606_2 水着一枚で泳げるようになりました。(2011年ドーバーのビーチにて)

 ドーバーは「一日の中に四季がある」と言われるほど天候や気温に変化があり、雨が降るのは日常茶飯事。夏でも半袖、短パンだけでなく長袖、長ズボン、そして雨具は必需品でした。

 ドーバーで泳ぐビーチは港内にあり、とても大きくて右の岸壁から左の岸壁までがちょうど1km。天候が悪く寒くても、おじさん、おばさん、子供達、若者、太った人、痩せた人、障害を持った人、イギリス人だけでなく海外から来たスイマーもみんなこのビーチに集まります。

P9040764 スイマーにナンバリングする。
後ろで座っているのはボスのフリーダ(2011年ドーバーにて)

 ドーバー海峡を横断した経験者もあちらこちらにいて、これから横断するスイマーの情報交換の場にもなっていました。地元の人はもちろん、海外から来たスイマーを快く受け入れる協会の体制があるのは、ドーバーに住む人々が培ってきた賜物なのではないでしょうか。日本で聞いていた海外の仲間たちにもたくさん出会い、交流することができました。

P8280642 マギー、キンちゃん、ロジャー、リズ、私、フランク(ビーチのスイム仲間)(2011年ドーバーにて)

 みんながドーバーのビーチで泳いでいるのを見て、寒そうだけれども私も泳ぎたくなりました。水温16.5℃の水風呂よりも冷たい海水で20分泳ぐとすぐに身体が冷えてきて、始めは左の岸壁にタッチして、とにかく必死にビーチへ戻りました。

 寒かろうとラッシュガードやサーフパンツ着て泳いだ私は、それが日焼け防止になっても体感温度に変化がないばかりか、邪魔であることが分かり、次のときにはラッシュガードだけ、その次の時には水着で泳いでいました。

P9070841 スイマーのマイク(Mike Humphreys)と(2011年ドーバーにて)

 晴れている時が泳ぐチャンスと、ビーチに行くたびにキンちゃんと一緒に泳いでいました。すると帰国する頃には左右の岸壁にタッチして一時間は泳げるようになっていました。これは本当に嬉しくて英会話よりも大きな収穫でした。

 今まで暖かい時期にシュノーケリングやライフセービング活動などをしていた私はもともと海が好きでしたが、太陽の光、青空や雲、カモメの動き、波のうねりを感じながら泳ぐのがとても気持ち良く、冷たい海でも驚くほど楽しく泳げる事を知り、更に海が好きになりました。

P9110863 スイマーにワセリンを塗る(2011年ドーバーにて)

 ドーバーのビーチではたくさんのスイマーたちやボランティアたちに本当にお世話になりました。週末の練習会ではボランティアスタッフとしてその活動に携われたことにとても感謝します。

 あっという間にドーバーでの生活が終わり、日本に帰国しました。「函館で何か困ったことがあったら電話してね」と心強い言葉を残してキンちゃんは成田空港経由で名古屋の自宅へ戻りました。

「ドーバー、今年の報告」(キン)

 今年、2月頃までの練習は順調でしたが、昨年11月辺りから我社で働いてもらっているパートさんが一人辞め、二人辞めと、仕事に慣れているパートさんがいろんな理由で四人も辞めてしまいました。それで仕事が忙しくなり、かつ、3月の震災のおかげで国内の海練習がしにくくなりました。だけど、すでに私の一年の練習計画は立てられています。

 4月からはこれらの計画にぼわれて(追われて)、何とか8月、メインのドーバー海峡横断泳は終わりました。

 思い起こせば日本では余り練習出来ないまま海外での練習計画。

 4月、イタリア南部のマルタ共和国、ゴゾ島でのスイムトレックに参加しました。去年、ドーバーで知り合ったスウェーデン人のアンナが誘ってくれました。英語が私は話せませんが、気が合う仲間なんでしようね。

Img_1170 ゴゾにて(アンナ:左 キンちゃん:右)(2011年)

 アンナは“HEAD”というスポンサーがついていて、とても速いスイマーですが、凄く遅いスイマーの私と一緒に練習してくれました。

 5月はまたもや去年ドーバーで知り合ったアメリカ人、デンバーに住んでいるニックを訪ね、30時間泳を試みました。

Img_1869 デンバーにて(ニック:左 キンちゃん:右)(2011年)

 彼は「水泳のコーチをしている」と聞き、私の「30時間泳がしたい」と希望に手配をしてくれ、泳ぐ状況を作ってくれました。そして、80kmを完泳することが出来ました。

 7月は2002年のドーバーリレー泳で一緒だったDr. Oに誘われて、スペインからモロッコまでのジブラルタ海峡を一人で泳ぎ、日本人初の快挙(ソロスイム)を5時間05分で成し遂げました。

P7200247 ジブラルタルにて(2011年)トミー、キン、湘南の主、Dr. O

 海外での練習は順調にことが運び、私は「必ずドーバーの2-wayは泳げる!」と思っていました。頭のコントロールはアメリカ、デンバーの練習から30時間を泳げるように設定してあり、ダッシュ5時間はジブラルタ海峡を泳いで経験しました。

P1000819 濃霧のため待機する他のスイマー(2011年ドーバーにて)

 とにかく頭の中のトレーニングはしていましたが、日本の日々のプール練習がおろそかになったのでしょうか? 初めてです。ドーバー海峡を泳ぎ始め12時間辺りで左肩が痛く成り始めたのです。

 ハーフポイントを過ぎたのは調度8時間を泳いだ時。「1-way泳ぐのに16時間はかかるだろう」とか、いろいろと頭の中で計算していました。

P8210544 ドーバーのビーチにて(ミッシェルと)(2011年ドーバーにて)

 肩が痛くなってからは左手を下にして腿にくっつけ、右手だけの片手クロールで泳ぎました。左腕を前に伸ばすと痛いんです。

P1010185 ドーバー泳の母、フリーダと(2011年ドーバーにて)

 ハッキリ言ってプルが苦手な私は余りにも進まなく、1-wayに18時間12分もかかってしまいました。

 肩が痛くて途中で止めたくなりましたが、「片手でも泳げる!」と、障害者さんに水泳を教えているトラコーチが船から叫びます。「泳げ!」、「泳げ!」と叫びます。船酔いしながらもずっと私を見続けて下さるじゅんこさんが、「がんばって!」と応援してくれます。こんなに遅くなってもパイロットは私の横でサポートしてくれています。だから私は泳ぐことが出来ました。やはりチームワークの賜物だと思います。

P9050800 じゅんこさんと(2011年ドーバーにて)

 毎年毎年、私は自分の目標に向かって泳いでいますが、“続ける”っていうことの難しさ。“いつも同じ状況ではない”ということを痛感した一年でした。

 いつも私の一年はとても忙しく、周りの皆さんには凄く迷惑をかけたと思います。でも、皆さんがいないと私は泳げないのです。凄く感謝しています。本当に、本当に、有難うございます。

Photo 認定書 ドーバー海峡横断泳の完泳証

キンちゃん日記

当ブログ「またもや」より(2回目)

更に上記URLの前後をお読みいただければ幸いです。

ここでは写真のみお楽しみ下さい。

P1000784 いつも優しいアレステアと(2011年ドーバーにて)

P1000793 今日は出られるかな?(2011年ドーバーにて)

P1000899_2 スマイルで「Next time!」と言う(2011年ドーバーにて)

4. ドーバー海峡横断泳

キンちゃん日記「ドーバー2-way」より(1回目)

更に上記URLの前後をお読みいただければ幸いです。

ここでは写真のみお楽しみ下さい。

P8200523 キンちゃん御用達、ニールのボート「スバ」(2011年ドーバー海峡にて)

Img_2984 いつも応援してくれるトラコーチ(「スバ」にて)(2011年ドーバー海峡にて)

P9120882 友だちになったヒューゴ(Hugo Rodrigues)と(2011年ドーバー海峡にて)

P1000072 (B&B) チャーチルゲストハウス(Churchill Guest House)のご主人
アラステア(Alastair Dimech)とキンちゃん(2011年ドーバーにて)

P1000105 行ってきます!!(2011年ドーバーにて)

P1000202_2 栄養補給(2011年ドーバーにて)

P1000323 「泳げ!」とトラコーチに叱咤激励され(2011年ドーバーにて)

P1000117 バンバン泳ぐ!(2011年ドーバーにて)

Img_2954 夕暮れを泳ぐ(2011年ドーバーにて)

P1000263 夜間の栄養補給(2011年ドーバーにて)

Img_3014 泳ぎ終わった私を介護するトラコーチ(SUVAにて)(2011年ドーバーにて)

「キンちゃんのジブラルタル海峡ソロ横断泳(7月23日)」 湘南の主

当ブログ第3部・キンちゃんのジブラルタル海峡ソロ横断泳よりご覧下さい。

2011_2 キンちゃんのジブラルタル海峡完泳証

Photo_3 キンちゃんのジブラルタル泳航跡図

キンちゃんの「ジブラルタル日記2011」より(ソロ)

当ブログ泳ぐ日(7月23日)よりご覧下さい。

更に上記URLの前後をお読みいただければ幸いです。

ここでは写真のみお楽しみ下さい。

P7230366 ジブラルタル海峡成功の「イェイ!」(キンちゃん)(2011年タリファにて)

平成23年9月3日(土)、「岡崎ホームニュース」より
Photo

キンちゃんの「ジブラルタル日記2011」より

当ブログリレー(7月22日)よりご覧ください。

更に上記URLの前後をお読みいただければ幸いです。

ここでは写真のみお楽しみ下さい。

Img_2271 左から湘南の主、トミー、Dr. O
右は協会代表のラファエル(Rafael Gutierrez Mesa)
下はキンちゃん(2011年ジブラルタル海峡水泳協会の事務所にて)

3.ジブラルタル海峡

湘南の主さんの「ジブラルタル海峡を泳ぐ」より

ジブラルタル海峡リレー横断泳(南欧・スペイン~北アフリカ・モロッコ間)

THE「GIBRALTAR・ZIZZY」TEAM(2011年7月22日 4時間37分で完泳)

当ブログ21・ジブラルタル海峡を泳ぐよりご覧ください。

更に上記URLの前後をお読みいただければ幸いです。

2011 その他Re新聞 日本人のジブラルタル海峡リレー横断泳成功を伝える地元の新聞

2.30時間80km泳(デンバー:「キンちゃん日記」より)

デンバー80km泳のご報告
当ブログThe Report by 80km swim in Denver, and the Kin's Swim suit collection.よりご覧ください。

尚、キンちゃん30時間(80km)泳のご報告をご覧いただくといっそう詳しくわかります。

更に上記URLの前後をお読みいただければ幸いです。

ここでは写真のみお楽しみ下さい。

Img_1911 ニックと彼女のバネッサ(Venessa Cortez)(2011年ニック宅にて:夕食風景)

P5210130 プールでイェイ!(2011年デンバーにて)

Img_1929 アメリカの朝食はボリュームタップリ!!(2011年デンバーにて)

P5210179 かわいいスイマーも一緒に泳いでくれました。(2011年デンバーにて)

P5230066 30時間泳いだ手はシワシワです。(2011年デンバーにて)

第三部 それぞれの報告 1.スイムトレック(ゴゾ:「キンちゃん日記」より)

なんとか(6時間泳)

当ブログ、こちらよりご覧下さい。

またメインイベント(4月19日)をご覧いただくといっそう詳しくわかります。

更に上記URLの前後をお読みいただければ幸いです。

ここでは写真のみお楽しみ下さい。

P4201409 ニック(Nick Adams)にオンブして泳いでもらったキンちゃん。
ニックの冠っているピンクのスイムキャップをもらいました。(2011年ゴゾにて)

20110416_gozo_week_3_123 参加者の集合写真
キンちゃんは後列右から2番目(2011年ゴゾにて)

スイムトレック、6時間泳の完泳証明書
6_2

4.オーストラリアからのお客様(津軽:9/14 - 28)

 9月14日(水)、キンちゃん、じゅんこさん、私は15時成田着の日航機でイギリスから帰国した。成田からキンちゃんはセントレア(中部国際空港)に向かう機中の人となる。

 同日の20時にオーストラリア、ケアンズからペニー(Penny Palfrey)とクリス(Chris Palfrey)夫妻が成田に到着する。到着まで少し時間があるのでじゅんこさんと私は空港近くの日航ホテルでチェックインした。そう、私たちは帰宅せず、彼らと成田で一泊してそのままパルフリー夫妻の津軽泳サポートに行く。

 成田に到着したペニーは写真よりずっとベッピンさんで、とてもお孫さんがいる年齢には見えなかった。

 彼らはとてもパワフルで、翌日はさっそく「観光に行きたい」と言う。まあ少しトラブルもあり、羽田から函館に飛ぶ飛行機を一便遅らせたことも手伝い、少し時間があったのでじゅんこさんは彼らを成田山新勝寺まで案内した。

 時差ボケと疲れでヨレヨレの私たちに比べて、季節だけで時差の少ない彼らは実にパワフルだった。

 函館空港に到着するや否や函館市戸井支所の皆さんと函館市議会議員の吉田先生に“歓迎”を受ける。本来ならそのまま「歓迎レセプションパーティー」へと招待されていたのだが、「それは泳ぎ終わってからにして欲しい」と勘弁して頂いた。

P9150936 大歓迎のペニーとクリス(2011年函館空港にて)

 偶然にも戸井では地元「宮川神社」での大祭があり、“日本の文化”としていろいろな儀式に私たちは招待された。ヨレヨレサポーターのじゅんこさんと私は、ペニーとクリスの海練習と大祭の儀式を何とかこなす。

P9160940 獅子舞に頭をガブリ!(ペニー)(2011年戸井にて)

 とにかくハードスケジュールだ。

9月
14日(水):15:00 じゅんこ、トラ、ロンドンより帰国
      20:00 ペニー、クリス、ケアンズより来日(成田合流後、成田泊)
15日(木):成田山新勝寺観光後、15:40発 羽田 17:00着 函館に移動
16日(金):午前中、ビーチ練習 夕方、大祭儀式に参加
17日(土):午前中、ビーチ練習 夕方、大祭儀式に参加
18日(日):午前中、ビーチ練習 夕方、ナオ、エリ、函館到着 打ち合わせ
19日(月):午前中、練習トライ 午後、2-way、漁船にて福島「番屋」に移動

P1010470 練習トライ(ペニー)(2011年恵山沖にて)

20日(火):2-way、02:00起床、白神埼に移動後、04:00遠泳開始

P9200965 スタート直前、脂を塗るペニー(2011年福島沖合にて)

      「第61栄幸丸」 操縦士:安宅 勉 副操縦士:安宅善春
      スイマー:ペニー オブザーバー:トラ、エリ
      1-way、03:00起床、佐井に移動後、06:00遠泳開始
      「第11宝珠丸」 操縦士:門脇賢司 副操縦士:門脇陽一
      スイマー:クリス オブザーバー:じゅんこ、ナオ

P1010530 栄養補給をするクリス(2011年佐井沖合にて)

21日(水):午前中、海練習 夕方、祝賀会

P9211064 成功祝賀会(2011年トーパス ビレッジ ムーイにて)

22日(木):ナオ帰宅 函館観光
23日(金):函館観光
24日(土):JRにて函館⇒石巻(被災地視察)仙台泊
25日(日):JRにて仙台⇒東京 エリ帰宅 あべ宅泊
26日(月):ティーセレモニー 東京観光 あべ宅泊

P9261140 ティーセレモニー(2011年東京 あべさん宅にて)
P9261164 お好み焼きを楽しむ(2011年東京浅草にて)

27日(火):東京観光 19:00よりDr. O主催によるジブラルタル解団式兼祝賀会(神田) 四谷ホテル泊
28日(水):東京観光 成田21:25発 ケアンズに帰路

 遠泳の結果はペニーが14時間26分にて1-wayを完泳。2-wayは取り消し。クリスは残念ながら失敗に終わった。原因は何と言っても予想外の潮の動き。本来なら日本海から太平洋に向けて東に向いているはずなのだが、何故かこの日は南に向く潮が強かった。だが1-wayでもペニーが成功してくれたので良かった。

 函館からの帰り、ペニーとクリスは東京への移動に「電車(新幹線)」を希望した。その大きな理由は被災地を訪れること。彼らにとっても海を愛する心から日本の津波を気にかけていたようだ。だが石巻で彼らはそのあまりにも悲惨な事態に絶句していた。当初『被災者を元気づけよう』と思っていたらしいが、事態は「そう簡単なものではない」と悟ったようだ。いずれにせよ日本を思う心がありがたい。

 最後に彼らの東京滞在はスキー仲間であるあべさんとそのご家族、彼女の友人である茶道の先生、また同じくスキー仲間にはいろいろとお世話になり助けて頂いた。本当にありがたいことである。この場を借りて、お世話になった皆様方に改めて感謝の言葉を述べたい。

3.80年ぶりの悪天候(ドーバー:8/16 - 9/14)

 日本では海峡横断泳があまりメジャーではないせいか、キンちゃんの名前はあまり知られてない。だが世界ではでは「“MIYUKI”— Japanese Channel Queen: 日本人ドーバー泳の女王)」として、その名は広く知れ渡っている。(2011年現在八回目の成功。日本人最多)

       キンちゃんのドーバー海峡横断泳履歴
~1-way solo swimは今年(2011年)で8回の成功~

  1. 2002年 8月 3日 12時間03分 (1-way relay swim)
  2. 2004年 7月24日 失敗 (以下全て1-way solo swim)
  3. 2004年 7月30日 失敗
  4. 2005年 7月14日 17時間03分
  5. 2005年 8月 2日 13時間41分 (The Gertrude Ederle Award 受賞)
  6. 2006年 7月18日 13時間34分14秒
  7. 2007年 7月10日 13時間59分
  8. 2007年 8月10日 13時間54分
  9. 2008年 7月23日 14時間02分
  10. 2009年 8月 3日 17時間18分27秒
  11. 2010年 9月 3日 失敗
  12. 2011年 8月19日 18時間14分

 キンちゃんの目標は1-wayではない。日本人初のドーバー2-way。今年も2-wayを試みたが、途中、肩の痛みを訴え、時折片腕だけで泳いで、結局1-wayで終了。記録は18時間14分と過去記録最悪となった。原因は何と言っても練習不足。

 昨年の失敗に反省したキンちゃんは冬でも地元高校の屋外プールで練習し、ゴゾやデンバーなど、海外でのトレーニングを積極的に取り入れた。これは昨年からの予定。しかし予定外の震災以降、キンちゃんの職場、有限会社「フジタヤ」(和菓子製造業)の仕事環境が激変して超多忙になってしまった。そういう意味ではキンちゃんも被災者の一人。国内での練習は激減した。生活することはドーバーを泳ぐことよりも重要だからだ。

 コーチとしての役割は、障害者の水泳指導でもそうだが、最も重要なのは「選手の環境を整えること」。そういう意味でキンちゃんの練習環境を整えたいのだが、東京と愛知という距離もあり、仕事を手伝うわけにもいかず、ただオロオロするだけのデクノボーコーチでしかなかった。

 また今年も例年通り二回申し込んでおり、一回は1-way、もう一回は2-wayだが、今年のイギリスは「80年ぶりの悪天候」だそうで、毎日テレビで報道していたほど。確かに二回目は濃霧で、9分泳いでパイロットのニール(Neil Streeter)から「中止」の決定があった。

P1000319 ボート「SUVA」のパイロット、ニール(2011年ドーバーにて)

 それ以後も悪天候が続き、結局その天候は私たちが帰る日まで続いたのでキンちゃんが再びフランスを目掛けて泳ぐことはなかった。

 ここ数年イギリスの天候はすこぶる悪い。毎年二回の申し込みで、最近二回泳いだ試しがない。でもキンちゃん、また来年に向かって泳ぎ続けます!

 今年は英語の勉強を目的に、キンちゃんのサポーターとしてじゅんこさんが同行した。じゅんこさんにとって世界中から集まるスイマーたちと、ドーバー泳を支えるボランティアに参加したことによって生まれたコミュニケーションで、その目的が少しは達成出来たのではないかと思う。

P8280644 左からエマ、じゅんこ、フリーダ、ミッシェル
いずれもビーチボランティア(2011年ドーバーにて)

 また、今年もドイツからマギー(Margit Bohnhoff)がドーバーまでやって来てくれた。彼女は2007年8月9日、11時間40分12秒でチャネルスイマーになった。この時にマギーはキンちゃんととても仲良くなって、以来、はるばるベルリンから毎年やって来てくれるのだ。今年は彼女と仲良しのフランクまで来てくれた。

P1000507_2 じゅんこさんとマギー
ドーバーの名所、「ホワイトクリフ(ドーバーの海岸線上にある“白い壁”と呼ばれる絶壁)」の上まで走って行った。(2011年ドーバーにて)

 マギーは来日を希望していてベルリンで日本語も勉強している。そして今年の7月には津軽を泳ぐ予定だった。しかし震災の影響で10月に順延した。ところがマギーの話によると、「今でもドイツ政府は国民に向かって“日本への渡航は原発事故による危険があるため控えるように”と指導している。だから、おそらく今年は日本へは行かないだろう。きっと来年には行けると思う。そしたら津軽を泳ぎたい」とのことだ。

 キンちゃんといい、マギーといい、まだ震災は終わっていない。いつになったら日本がこの八方塞がりの出口の見えないトンネルから出られるのか。
 他に私たちが滞在中にあって、印象的な幾つかのドーバー泳も報告しておこう。

P1000343 左下キンちゃん、その上ロジャー、中央はジェニー、右がリズ(2011年ドーバーにて)
記録は次の通り。
リズ(USA):2-way 24時間41分10秒
   1st leg: 13時間20分30秒
   2nd leg: 11時間20分40秒
ロジャー(南アフリカ):1-way 12時間39分
ジェニー(USA):1-way 11時間31分07秒

 キンちゃんがドーバーを泳いだ同じ日(8月19日)に、アメリカのリズ(Elizabeth Fry)が2-wayを成功させた。彼女もドーバー常連。これで八回目の水泳。

 翌20日、南アフリカのロジャー(Roger Finch)は1-wayを成功させた。 彼とは昨年来の友人。

 特筆すべきは世界新記録の誕生。イギリスのロジャー(Roger Allsopp: 70歳4ヶ月)は“世界最高齢記録”を更新した。

P1000482 左がロジャー オルソップ(UK)1-way:17時間51分
上からロジャー フィンチ、私、キンちゃん(2011年ドーバーにて)

 ロジャーは長い間船乗りをしていて、「横浜や長崎、広島に行ったことがあるよ。日本は美しい国だ」と、シワクチャの顔をさらにシワシワに笑いながら話してくれた。

2.「ばばぁ」VS「じじぃ」(ジブラルタル:7/16 - 8/3)

 今回は“泳ぐドクター”Dr. Oに依頼され、実施したジブラルタル海峡横断泳。Dr. Oは2002年のドーバーリレー泳でもサポートを依頼され、12時間03分で成功させている。そしてこのリレーチームに湘南の主さん、キンちゃんが参加していた。

013 ドーバーリレー泳のメンバー(2002年ドーバーにて)

 湘南の主さんはこのリレー泳を引き金に2006年8月6日、15時間50分でソロのドーバー泳を成功させている。この時、御年62歳。日本人最高齢チャネルスイマー(ドーバー海峡完泳者)の誕生だった。

P8070047 湘南の主さん、日本人最高齢チャネルスイマーの誕生(2006年ドーバーにて)

 キンちゃんも同じく2002年のドーバーリレー泳を機に2004年から毎年ドーバーへ出向いている。ただキンちゃんが普通のスイマーと違うのは、初めから“2-way”を目指していることだ。いちおう2年前に“もうちょっと”というところまで行ったが、未だかつて成功はしていない。

 トミーは大学時代、水球の選手だった。会社人間を卒業され、OWSで水泳界に復帰。今やOWSの世界では「向かうところ敵無し」状態の実力派だ。2013年に70歳になられる。これを機に、ドーバーのソロを泳がれるようだ。是非とも成功してもらいたいものだ。

1305090522_photo  ちなみに湘南の主さんも2014年に70歳になられ、同様にドーバーのソロを泳がれる予定。

 今回のジブラルタルは、Dr. O、湘南の主、トミーという強者どものリレーチーム、キンちゃんのソロスイムで、両者とも1-way(片道泳)になる。

 昨年(2010)9月、キンちゃんとドーバーに滞在していた折、日本人リレーチーム「織姫」と呼ぶご婦人グループが14時間22分で泳がれた。これが今年「ドーバーばばぁ」というタイトルの映画になった。泳いだのが50~60歳代のご婦人たちだからだが、これに対抗してDr. Oらジブラルタルのリレーチームは全員が60歳代の“じじぃ”である。そこでチーム「ジブラルタルじじぃ」と勝手に命名した。

 7月22日、チーム「ジブラルタルじじぃ」は4時間37分で完泳し、翌23日、キンちゃんは5時間05分で完泳した。

 ちなみにキンちゃんはジブラルタル協会公認の“日本人初ジブラルタルソロスイマー”になった。やっていることは「ジブラルタルじじぃ」も「キンちゃん」も「ドーバーばばぁ」に負けることはない快挙であると私は思っている。

第二部 オーシャンズセブン 1. オーシャンズセブン(世界海峡横断泳の動向)

 オーシャンズセブン(The Ocean's Seven: O7)とは次の通り。

The_oceans_seven                  ~難易度順~

  1. アイリッシュ(北)海峡:アイルランド~スコットランド間
       距離:33.7km  水温:12ºC  泳ぐ期間:7月〜9月
  2. クック海峡:ニュージーランド:北島~南島間
        距離:26km  水温:14~19ºC  泳ぐ期間:11月〜5月
  3. モロカイ(カイウィ)海峡:ハワイ:モロカイ島西海岸~
        オアフ東海岸間   距離:41.8km
  4. ドーバー海峡:イギリス~フランス間
        距離:34km  水温:16~18℃  泳ぐ期間:6月〜9月
  5. カタリーナ海峡:サンタカタリーナ島~ロスアンゼルス間
        距離:33.7km  水温:中央部16℃  泳ぐ期間:6月〜9月
  6. 津軽海峡:日本:本州~北海道間
        距離:19.5km  水温:16~20ºC  泳ぐ期間:7月~8月
  7. ジブラルタル海峡:スペイン~モロッコ間
        距離:14.4km  水温:18~22℃  泳ぐ期間:6月〜10月

 これはアメリカにある「世界オープンウォータースイミング協会(WOWSA: World Open Water Swimming Association)」が2008年に発表したもので、「世界のオーシャンスイマーたちがあこがれるメジャーな海峡は世界に七つあり、それを“オーシャンズセブン(Ocean's Seven)”と呼ぶ」となっている。

津軽泳を希望するスイマーたち(「」内)

Img_1628 「アンナ」とキンちゃん(2011年ゴゾにて)

P8210555 「リズ」とキンちゃん(2011年ドーバーにて)

216940_683538343745_222404903_65142 「ニック」と「サクラ」(UK)2012年2月に来日予定

P8270619 フランクと「マギー」(ドイツ)(2011年ドーバーにて)

 これはアメリカのニューヨークで発行される国際的な影響力を持つ日刊新聞、ウォール ストリート ジャーナル(The Wall Street Journal)でも紹介されている。以来、世界のオーシャンスイマーたちはO7マスターを狙うようになった。だが2011年11月現在でO7マスターはまだ存在していない。

 またWOWSAは津軽海峡の紹介で「津軽を泳ぐ高いハードルの一つに言葉の障壁がある。津軽ではほとんど英語が通じない」ともあった。

 もっと大きな問題は、「O7の中で泳ぐための協会が存在しないのは津軽海峡だけ」ということだ。したがってO7マスターを狙うオーシャンスイマーたちは各自が日本の何らかの諸団体等を探し出し、独自でコンタクトして情報を得、泳げる環境を整えていかなければならない。しかも英語が通じない日本で、そのほとんどが日本語の情報の中から必要な手続きをこなさなければならないのだ。ちなみに日本語でさえも情報は少ない。

 だから私のような英語が苦手な者へでも問い合わせをしてくるし、ニューヨークのエリさんや福井のナオさんが「津軽泳の協会を作ろう」と意欲的なのだ。

 今年、来日したオーストラリアのペニーもその中の一人。独自で私にコンタクトをしてきた。

 ペニーはノースチャネル(アイリッシュ海峡)、津軽海峡を除いて全ての海峡を制覇している。もう一つの言い方は、「津軽を成功させればO7に王手をかけた世界最初のオーシャンスイマー」になる。

 ちょっと笑えたのはゴゾで一緒だったアンナ(スウェーデン)だ。9月にペニーらが函館滞在中アンナから電話があって、「ねえ、今から日本に行ったら津軽を泳がせてくれる?」と。アンナはノースチャネルが悪天候で泳げなかったからだ。

 津軽海峡遠泳協会設立に当って函館市議会が動いた後押しには、こんなWOWSAのO7に津軽海峡が選ばれていることが大きな力になっていると思う。

5.被災地は(津軽下見:6/28 - 7/1)

 ここ数年、キンちゃんの津軽海峡横断泳で毎年、函館、青森は足を運んでいる。近年、通信機器の進歩は眼を見張るものがあるが、最終的には「顔と顔を会わせて話をする」が“最も良い方法”と信じて通っている。

 またニューヨークのエリさん、福井のナオさんが「津軽の遠泳協会を設立しよう」とせっつく。出来るかどうかはわからないが、「話しだけはしてこよう」と出掛けた。

 それに今年はオーストラリアからペニーとクリス夫妻が津軽海峡を泳ぎに来る。中でもペニーは世界的にも有名なスイマーだ。リクエストはペニーが2-way、クリスは1-way。しかも「同日に泳ぎたい」というものだ。船を二隻用意しなければならない。

 いつもキンちゃん御用達の船頭さん、函館は戸井の安宅さんに相談し、いつも私たちが滞在している函館のトーパス ビレッジ ムーイにも予約を済ませた。函館、青森両海上保安部にも届けを出す必要があった。

          キンちゃんの今までの実績(津軽海峡)
2005年8月30日 11時間36分 1-way  青森佐井(下北)⇒北海道(戸井)
2006年8月31日 37時間24分 3-way
 1st leg 11時間43分   青森小泊(津軽)⇒北海道(福島)
 2nd leg 15時間28分   北海道(福島)⇒青森下北(佐井)
 3rd leg 10時間13分   青森下北(佐井)⇒北海道(汐首)
2007年 悪天候のため泳げず
2008年 悪天候のため泳げず
2009年9月02日  津軽海峡縦横断1-way 失敗
2010年7月21日  津軽海峡1-way 失敗

 ムーイの支配人、中村さんの協力を経て、函館市議会議員の吉田先生にお会いすることが出来、この話をしたところトントン拍子で話が進む。保安部も「協会を作ってもらった方が、安全面も高くなるだろう」とご推奨をいただき、今回の企画の話もスムーズに進んだ。もう一隻の船の準備も安宅さんからのご紹介で“門脇さん”と呼ぶ船頭さんを呼んでもらった。

 このように昨年まで毎年キンちゃんの津軽海峡を泳いでいた実績がモノを言う。この点ではキンちゃんに感謝しなければならないだろう。津軽を泳ぎに来た当初と比べると雲泥の違いだ。成功した数こそ四回だけ(それでも日本人最多、世界最多ではあるが)だが、失敗した時もあった。悪天候で泳げずに帰ったことも一度だけではない。とにかく毎年訪れて、きちんと話をして、届けを提出してきた実績が高く評価されたものと思う。

 ただペニーらが「外国人だから」という理由もあるのだろうが、キンちゃんが泳ぐときはこんな歓迎ぶりを味わったことがなかった。(実は去年、ニック(イギリス:Nicholas Cederwell)も泳いで失敗しているが、それも歓迎はなかった。まあ「協会を作ろう」という努力もしなかったが・・・。 もしかするとこれも実績の一つになっていたのかもしれない)

P7230028 津軽泳を試みたニック(2010年7月)

 いずれにせよ函館、青森の下見は殊の外スムーズに話が進み、少し時間が出来た。そこで函館の帰り、どうしても行きたかった被災地、石巻に足を運んだ。

 7月1日、石巻で見たものは、悲惨な大津波による爪痕の惨劇だった。やはりここの今は「日常」ではない。

P7010221_2 一、二階部分は津波、三階部分は火災によって破壊された石巻の小学校
言葉には表せないほどの惨状だった。(2011年7月、石巻にて)

 海に近づくに連れ、建物は何もなくなった。最も悲しかったのは、廃墟とした小学校だった。3月10日まで、この小学校からどんな歓声が響きわたっていたのだろう???

 廃墟とした石巻の街を歩く。太陽は燦々と輝いているのに、心は悶々と沈んでいる。流されたお墓、流された家屋。ここにはどんな生活があったのだろう??

 しばらく歩いたが、口にすることもできないほどの惨状を眼の前にして、虚無感が私を覆い尽くした。「もう帰ろう・・・」、そう思った。

 近くを走る地元ナンバーのクルマを止めて、運転手に駅までの道を聞いた。
運「この先にセブンイレブンがあるから、そこを右に曲がって何処までも山を上がる。すると今度は山を下ることになるから、下りきった先に駅があるよ」
私「分かりました。ありがとうございました。・・・・・・・・・・・・・・・・・」

 この運転手は3月10日以前の記憶で道を教えてくれた。何故ならば、何も無くなった街にセブンイレブンなど存在しない・・・。その道案内が痛く私の胸に刺さった。余りにも悲し過ぎた。

 「ここにセブンイレブンがあった」と私の帰巣本能が教えてくれる。それに従って山、というより丘を上がる。上がるに従って街並みは「日常」に戻っているように見えた。地震はおそらく丘の上も海に近い地域も同様に揺れたのだと思う。ただ、決定的に違ったのは津波の影響だ。「津波さえなければ・・・」、そう思えるほど丘の上の住居は日常を取り戻しつつあるように見えた。

 早く「日常」に戻れることを、心よりお祈り申し上げます。

4.とんでもなく世界一周(デンバー:5/13 - 26)

 キンちゃんのドーバー泳の目標は、「日本人初の2-way」。つまり“往復泳”である。この水泳に、現在のキンちゃんの泳力では30時間以上掛かる。そこで「少なくとも30時間は泳ぎ続けたい」という願望で行われたもの。

 まあ「日本でも良いのでは?」という声も聞こえてくるが、実際、30時間も続けて貸してくれるプールが、日本にはほとんどない。

 たまたま昨年、アメリカのデンバーに住む水泳コーチ、ニック(Nicholas Levine)がドーバーを泳いだ時、彼のサポートを私が行った。そこでニックにキンちゃんの願いを言うと、彼の働くプールで可能とのこと。そこでニックに頼んでデンバーでの30時間泳とあいなった。

 毎日ニックの働くプールで練習させてもらい、当日はニックの生徒も一緒に泳いでもらった。

P9020321_2 スイムキャップのプレゼントをするニック。
2007年9月4日に12時間36分30秒、2010年9月1日に14時間53分でドーバーを泳いでいる。(2010年ドーバーにて)

 過去、キンちゃんはサイパンのプールで30時間泳を行い、70kmを泳いだ。ところが今回は皆さんの支援・応援があったからだろうが、何と80kmを泳いだ。

        キンちゃんデンバー泳の記録
日付:2011年5月21日午前9時から翌22日午後3時まで
場所:Greenwood Athletic and Tennis Club 屋外プール(25m)
結果:距 離  時  間        積  算       現 地 時 間
   1. 10km 3時間23分19秒  3時間23分19秒 09:00~12:23:19
   2. 20km 3時間30分21秒  6時間53分40秒      ~15:53:40
   3. 30km 3時間34分47秒 10時間28分27秒      ~19:28:27
   4. 40km 3時間41分17秒 14時間09分44秒      ~23:09:44
   5. 50km 4時間07分16秒 18時間17分00秒      ~03:17:00
   6. 60km 4時間18分53秒 22時間35分53秒      ~07:35:53
   7. 70km 4時間09分47秒 26時間45分39秒      ~11:45:39
   8. 80km 3時間58分19秒 30時間48分58秒      ~15:48:58
(栄養補給、トイレ等で止まった合計時間:1時間03分30秒)
天候:晴れ時々曇り  気温:7~23℃  水温:27℃
補給:炭水化物+果糖+茶類=300ml/40分毎

 さて、キンちゃんが泳いでいるとき、もう一人のデンバー在住でチャネルスイマー、クレイグ(Craig Lenning)が見学がてら、私たちに会いに来た。彼は「日本の津軽海峡を泳ぎたいのだが」と、記録を取っている私に話しかけてきた。

255004_1815421786022_1254390483_317 「津軽を泳ぎたい」と言うクレイグ(USA)

 他の白紙を出して、津軽海峡の地図を描きながら私は海流と泳ぎ方の説明をした。また彼は二通の手紙を私に手渡した。一通は英語での彼の挨拶状と、もう一通は“エリさん”という女性からの「クレイグの通訳は私がやります」というものだった。

 英語が苦手な私としてはありがたい申し出で、手紙にあったメールアドレス“NYC(New York City)”から「ニューヨーク在住の方だ」と判断できた。

 エリさんと知り合うほんの少し前、“ナオさん”という女性とも知り合った。彼女は福井県在住で、オープンウォーターのスイムレースを地元福井県の海で企画している。たまたまインターネットで知り合ったのだが、「日本海側でのOWSレースは珍しいなぁ」と思ってメールを出してみた。

 今年6月、ニューヨークでOWSの会議(グローバル・オープンウォータースイミング・コンファレンス)があった。そこにナオさんが「参加する」と言う。そこでエリさんを紹介した。エリさんとナオさんはニューヨークでそうとう盛り上がったらしい。「津軽海峡の遠泳協会を作ろう」と。

P5230064_2 デンバー30時間80kmスイム
お世話になった皆さんと(2011年デンバーのプールにて)

 津軽海峡遠泳協会の話は後にして、デンバーの話に戻そう。飛行機の話だ。

 成田からデンバーに飛ぶ直行便はない。いろいろ調べた結果、アメリカンエアが最安値だった。これは行きがダラス経由で帰りはロスアンゼルス経由となる。

 とりあえず行きはニックもデンバー空港まで迎えに来てくれており、無事に行くことが出来た。しかし帰りがそうは簡単に問屋が卸さなかった。

 帰り、ニックの家から早朝4時30分にタクシーでデンバー空港へ。デンバー06:40発、ロスアンゼルス行きに乗るためだ。5時を少し過ぎた頃に私たちはデンバー空港へ到着。チェックインを済ませ、検査を済ませて指定された搭乗口で搭乗のアナウンスを待っていた。

 「まもなく、搭乗の最終アナウンスを行ないます」と放送があって、すでに6時40分は過ぎている。『おかしいな』と思っていると、「本日予定している便は航空機不良のため出航を中止しました。お客様は機内預入荷物をお受け取りになって、再びチェックインカウンターにお越しください」と再度放送があった。

 到着したわけでもないのに預入荷物を受け取り、外に出て再びチェックインカウンターに行くと長蛇の行列が・・・。やはり最安値のアメリカンエアだったからか???

 約4時間並んで私たちの番になり、成田に飛ぶ最短コースを選んでもらうと、何と「ルフトハンザドイツ航空でフランクフルト経由が最短コースだ」と言う。つまりデンバー(アメリカ)から東に飛ぶのではなく、西に飛んでフランクフルト(ドイツ)経由で帰国するのだ。

 過去、私はニューヨーク(大西洋西岸)から大西洋を眺めた。またイギリス(大西洋東岸)から大西洋を眺めた。そして「いつか大西洋を渡ってみたい」と考えていた。そんな夢が急に叶ったのだ。

 ゴゾに行くときも予定していたスイス航空が飛ばず、ルフトハンザのフランクフルト経由で飛んだばかりだ。トランジットだが、今年は予定外にフランクフルトへ二度も飛んだことになる。ベルリンのマギーに電話でもしようと思ったが、「会いに来い」とでも言われると困るのでやめておいた。いずれにせよ大西洋横断がこんな形の世界一周として現実になるとは!!??!!

3.風評被害?(ゴゾ スイムトレック:4/11 - 24)

 最近流行の山歩きで、「トレッキング」というのをどなたも聞いたことがあるだろう。「スイムトレック」とは、海、河川、湖など、「自然の水の中を泳ごう」という企画で、ヨーロッパでは大流行である。近いうち、日本でも流行るだろう。言わば「水泳の遠足」だ。

 今回キンちゃんが参加したスイムトレックはマルタ共和国のゴゾ島で行われたもの。昨年、ドーバーで知り合ったスウェーデンのアンナ(Anna-Carin Nordin)が、「昨年参加して良かったから」と誘ってくれたものだ。

 確かに4月のゴゾは水温が16℃弱だが、海は夢のようにすこぶる美しい。こんな綺麗な海なら寒さも我慢できるだろう。まあ言うならば、「ドーバー泳を目標とした一週間の合宿」だ。

P9090457 アンナとキンちゃん
アンナは2010年9月21日、12時間00分59秒でチャネルスイマーになった。(2010年ドーバーにて)

 スタッフは何とドーバーのビーチボランティアが中心。したがって内容はドーバー泳を意識したものが中心で、最終日には“6時間泳”を行い、ドーバー泳で必要な「水温16℃以下で6時間泳いだ証明」の証明書を発行してくれる。

Img_1145 フリーダとキンちゃん
フリーダはドーバーのビーチボランティアのボス
「ドーバー泳の母」と呼ばれている。(2011年4月、ゴゾにて)

 だがスタッフがスタッフなので手の内は知れたもの。それでもマルタ島とゴゾ島の中間にあるコミノ島にも遠足に行った。

 アンナとキンちゃんはとても仲良しで、楽しいスイムトレックだった。

 さて、今回のマルタ行きは成田から飛ぶ便の最安値だった“スイス航空”で、チューリッヒ乗り換えになった。ところが4月7日、「今回の震災でスイス航空は予約した日に飛ばなくなった」と知らされた。理由は「震災で」と言うことだが、他の飛行機は飛んでいるのでよくわからない。チケットが“安物”だからか?

 マルタの空港でアンナと一緒にゴゾまで行く約束をしているので絶対に日程は崩せない。その旨をスイス航空の代理店に話すと、ドイツ航空(ルフトハンザ)でフランクフルト経由に変更してくれた。

 このチケットが4月8日に送られてきて、内容を確認すると、このルフトハンザは全日空との共同運航便なのでフランクフルトまでは全日空で行く。またフランクフルトからマルタへは、“エアーマルタ”というルフトハンザの共同運航便で行くことになる。

 チケットはルフトハンザなのだが、何だかよくわからない。ただこれによってマルタ空港ではアンナとの約束の2時間遅れになる。アンナにメールして、私たちが遅れることと、空港からホテルまでのタクシーの予約時間の変更をしてもらった。

 ちょうどこの頃「スイス航空について」も調べた。成田~チューリッヒ間は直行便のはずなのだが、“香港経由”となっている。しばらくすると、それは“中部国際空港(セントレア)経由”に変わった。

 時間通りに飛んでくれれば私としては問題ないのだが、愛知県岡崎市在住のキンちゃんにとってはセントレアで乗れた方が、時間的にも経済的にも都合が良い。そこでスイス航空の代理店に尋ねた。答えは「セントレアで乗務員の乗り換えはあるが、旅客の乗降はない」と言う。どうしてだろう???

 それはゴゾから帰ってから分かったことだが、原発事故のあった福島に近い成田空港には乗務員が行きたがらないのだそうだ。したがって香港やセントレアで日本人乗務員と交代する。私たちの出発日はその日本人乗務員の日程調整がうまくいかなかったそうだ。まさに風評被害か??

 いずれにせよ成田発の全日空便は定刻通り飛び立った。だが出発前に大きな地震があり、成田空港は安全点検のため一時閉鎖した。

 成田を発って11時間後、フランクフルトに到着。乗り継ぎのため待合室に寄ると、テレビのニュースでは「福島の原発事故はIAEA(国際原子力機関)の基準で放射能の危険度が“レベル5”から“レベル7”に上がった」と報じていた。最悪だ。スイス航空の乗務員の気持ちがわからなくもない。

 またフランクフルトのテレビも日本のテレビで最近馴染みになったこの事故関連の出演者が映し出され、何だか外国まで来た感じがしない。まあ確かに世界中の感心を集めているようだが、『もう少し明るい話題で有名になれば良いのに・・・』と思った。

 ところで私たちのゴゾ滞在中、日本では在日米国大使館、在日英国大使館、ICAO(国際民間航空機関)、IATA(国際航空運送協会)が「日本への旅客運行に対しての“安全宣言”」を出してくれた。これによって私たちのマルタからの帰りは予定通り、スイス航空、チューリッヒ経由で帰れることになった。

P4221497 トーマスとキンちゃん(2011年4月、ゴゾにて)
トーマス(Thomas W. Kofler)イタリアの銀行員
英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語と、5カ国の言葉を話すジェントルマン。
ドーバー、ジブラルタル、メッシナ海峡も泳いでいる。スイムトレックは今回を含め5回目。
ジブラルタル情報も聞いた。

 チューリッヒから成田へ向かう機中はやはり原発事故のせいか、日本に向かうスイス人は少なかった。おそらくキャンセルしたからだと思うが、とにかく機内は空いていた。

 帰国後、オーストラリアのペニーとクリス、ドイツのマギーへは「日本の安全宣言」が出た旨を知らせた。結果、ペニーとクリスからは「津軽を泳ぎに行く」と返事が来て、マギーからは「あなたたちの9月に行くドーバーへは遊びに行くが、日本へはもう少し様子を見させて欲しい」と返事が来た。

 5月から私はペニーとクリスの津軽泳準備を再開した。

2.震災の影響

 地震、津波、原発事故のトリプルパンチは、日本全体を出口の見えない暗闇へとダメージを与えた。プールはしばらく閉鎖となり、子供の唯一の楽しみである水泳を奪った。プールの使えない水泳教師は丘に上がった河童と同様で、何も出来ない。それは水泳教師と子供ばかりではなく、広義で日本国民全員が被災者となった。

 この震災は世界規模で言っても「今年の重大ニュース」の一つになるだろう。

 地震直後、世界中のスイマーたちからメールが届いた。ここ数年、ドーバー海峡横断泳でキンちゃんと一緒に私はイギリスのドーバーを訪れている。ドーバーのビーチでは世界中から腕自慢のスイマーが集い、練習をしている。そんな世界中のスイマーたちと私たちは友だちの輪で繋がっている。

 初めの方は安否確認。次はお見舞い。更に日本の復興支援のための協力メール。その量は数えきれないほどで、返事を書くのにまあ英語が苦手なこともあるが、丸一日を費やした。

 こんな事態の中で、「不幸中の幸い」と言ったら語弊かもしれないが、世界中のスイマーたちが私たちに気をかけてくれていたことは、正直、嬉しかった。

 そんな多くのメールの中で、最も心が奪われたものはアメリカ人のデービッド(David Barra)が送ってくれたメールで、「日本の復興・復旧のために、何かが出来る名誉を私に与えてください」というものだった。

P8300152_3 David Barra(USA)
2010年9月1日、14時間27分20秒でドーバー完泳(2010年ドーバーにて)

 時として被災者に向け、一般人は「何かをしてやる」、「して上げる」という上目線が私は気に入らなかった。これは障害者に対しても同様で、障害者で生まれてきたことを「不幸にも・・・」と健常者は勝手に決めてかかる。が、「しあわせは いつも じぶんの こころが きめる」。(相田みつを)

 「デービッドのような、サウイフモノニ  ワタシハ ナリタイ」(宮沢賢治「雨ニモマケズ」より一部引用)と思った。

 今年(2011)の予定はすでに昨年中に決まっていた。

            2011年の主な遠征予定
   マルタ(ゴゾ)スイムトレック   4月11日~24日
   米デンバー(30時間泳)         5月13日~26日
   北 海 道(津軽)下見         6月28日~7月 1日
   スペイン(ジブラルタル×2)    7月16日~8月 3日
   イギリス(ドーバー×2)        8月16日~9月14日
   北 海 道(津軽×2)          9月14日~28日

 本来なら3月18日に来日予定だったイギリスの知人は来年に順延。7月に来日予定だったドイツのマギーも「10月に順延する」と言ってきた。9月に津軽を泳ぐ予定だったオーストラリアのペニーとクリス夫妻も「しばらく様子を見る」と知らせてきた。やはり原発事故は、多くの外国人に“見えない恐怖”を与えた。そしてそれは今も続いているのである。

 震災直前の3月9日(水)、私たちはジブラルタル海峡を泳ぐための「結団式」を行なっていた。この日の夕方、ジブラルタルを泳ぐメンバーでもある「泳ぐドクター」ことDr. Oの医院で診断書を作っていただき、ジブラルタル水泳協会に送付する申込書、パスポートのコピーなどを徴集していた。

P3090626 2011年3月9日の結団式(東京・神田「樽や」にて)

 キンちゃんのドーバー泳の診断書も同時に作っていただき、とにかく、今年の遠征予定の下準備を一手に私が引き受けていた。そこに震災である。日本は一気に「自粛」、「節約」という“我慢”の時を迎えるのである。

 40年以上続く「親父バンド」に私は参加している。そのバンド恒例の春の旅行も取り止めになった。トラジオンの春スキーキャンプを二つ企画していたが、一つは取り止め、もう一つは参加人数が半分になった。国内も自粛モード。外国からのお客さんも来なくなった。そこでしばらく考えた。『確かに“自粛”、“節約”も大事だが、どんな状態でも夢は持ち続けていたい。予定通り決行しよう』と心に誓った。

第一部 東日本大震災 1.東日本大震災

 2011年3月11日(金)14時46分18秒、東日本大震災が発生した。この時、私は東京にある障害者専用プールで知恵遅れの子供を相手に水泳教室中だった。本震が発生する直前に余震があり、その段階で監視員の的確な判断によりプールの利用者全員に退水指示が出た。そしてちょうど全員がプールから上がった頃、本震が発生したのである。それは施設全体が、田舎のバスがでこぼこ道を走ったような感覚の揺れだった。プールの水は津波状態。大きく揺れてプールサイドに溢れた。

 プールの周囲には溢れた水を排水させるための溝があり、その排水溝には転落防止の「グレーチング」と呼ばれる格子蓋で覆われている。

002 プールのグレーチング(東京にある障害者専用プールにて)

 地震によるプールの津波はプールの排水能力を超えた水が溢れ出たものだから、グレーチングが浮き上がり、一部はプールサイドに流され、一部はプールの中に押し戻された。こんな光景は初めて見た。それこそプールサイドの水深が10cm。側にあった直径20cmくらいの丸い排水口は、“ギュルルルルゥ~”と音を立てて渦を作っていた。

 揺れが治まった頃、プールの水位は満水状態から約40cmも低下しており、コースロープは渓谷に架かる吊り橋のロープのように、ダラリとぶらさがっていた。「切れては危険」と、監視員たちは慌ててコースロープを緩めた。

 25m×13mの小さめなプールだが、単純計算でおおよそ100トン以上の水がいっきに溢れ出たことになる。100トンとは、小型乗用車約100台分の重さである。

 この時点でプールは閉鎖。まだ余震が続く中、更衣室のロッカーが転倒する危険があると判断したため、しばらくはプールサイドの柱の側(最も安全だと思われる場所)で様子をみることにした。

 しばらく待機して「そろそろ落ち着いたかな」と思った頃、子供を更衣室に連れて行って着替えさせる。この時、父兄に連絡を取りたかったがケータイがまったく繋がらず。

 着替えを済ませ、施設ロビーまで出るとロビーにある大型テレビでは津波の惨劇が映し出されていた。「窓ガラスから離れるように」と施設側から指示が飛ぶ。「こんな時はむやみに外へ出るのも危険」と思われた。

 子供の送迎をしなければならない。相変わらずケータイはまったく繋がらず、とりあえず時間通りに子供をクルマに乗せて乗降場所に向かった。父兄もこの地震で早めに乗降場所まで来てくれていたので助かる。

 しかし次の教室がある。区のプールへ知恵遅れの子供を連れて行かなければならない。その施設もこの地震で閉鎖になっているであろうことは安易に予想が出来た。だがとにかくケータイが繋がらないので父兄と連絡が取れない。しかも次の子供はプールが唯一の楽しみとしている。おそらく今日も泳ぐ気でいるだろう。

 時間通り次の乗降場所へ行くと、案の定、子供は「今や遅し」と待っていた。事情を説明しても分かってもらえるはずもなく、心配した父兄を同乗させて施設に向かう。予想通り施設は閉鎖。子供に「今日はプールに入れないこと」を理解してもらった。

 この親子を元の乗降場所まで送り、ようやく私は帰路に着く。普段、その乗降場所から我が家までクルマで1時間と掛からない。ところが“帰宅難民”と遭遇。歩道は人が、車道はクルマが溢れていた。動かない。結局、帰宅に2時間半を費やした。そして我が家で福島の原発事故を知るのである。

2011年の報告

― ゴゾ デンバー ジブラルタル ドーバー 津軽 ―

          第一部   東日本大震災

  1. 東日本大震災
  2. 震災の影響
  3. 風評被害?(ゴゾ スイムトレック:4/11 - 24)
  4. とんでもなく世界一周(デンバー 30時間80km泳:5/13 - 26)
  5. 被災地は(津軽下見:6/28 - 7/1)

          第二部   オーシャンズセブン

  1. オーシャンズセブン(世界海峡横断泳の動向)
  2. 「ばばぁ」VS「じじぃ」(ジブラルタル:7/16 - 8/3)
  3. 80年ぶりの悪天候(ドーバー:8/16 - 9/14)
  4. オーストラリアからのお客様(津軽:9/14 - 28)

          第三部   それぞれの報告

  1. スイムトレック(ゴゾ:「キンちゃん日記」より)
  2. 30時間80km泳(デンバー:「キンちゃん日記」より)
  3. ジブラルタル海峡横断泳(湘南の主さん「ジブラルタル海峡を泳ぐ」、「キンちゃん日記」より)
  4. ドーバー海峡横断泳(「キンちゃん日記」、じゅんこさん「ドーバー海峡」より)
  5. 津軽海峡横断泳(私たち(ペニー)の訪問日記「日本の津軽海峡横断泳」、じゅんこさんの「津軽海峡横断スイム」より)

       最後に

               トラジオンスイミングクラブ

                  海峡横断泳実行委員会

                    津軽海峡遠泳会

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