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わくわく、どきどき、台風の目。

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2011年11月の記事

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

第3部・キンちゃんのジブラルタル海峡ソロ横断泳

 7月23日、今日はキンちゃんのソロ横断泳挑戦の日である。昨日は私たちリレーチームが無事、横断泳に成功して気分は最高潮に達している。今日はキンちゃんの応援なので気分的にはとても楽な感じである。

 4時に起床。キンちゃんはかなり緊張した様子である、我々は軽く食事を取るが、キンちゃんはいつも泳ぐ前には食べない。6時過ぎにホテルの人のクルマが迎えに来る。ハーバーまでは10分ちょっとで着いた。

70 先行スタートを待つキンちゃん

 今日はクルーザーに協会の人が一人乗るので、「ゴムボートに二人乗ってくれ」と指示が出た。そこでトラさんと私が乗ることになった。ゴムボートはスプレー(水飛沫)を浴びるので、それなりの支度と覚悟が必要になる。でも、キンちゃんを間近で応援できるので良かった。

 ただ、このサポート船がかなりいい加減であてにならない。キンちゃんはこのサポートのゴムボートに見切りをつけて、途中からクルーザーを目指して泳いで行った。

 スタート前、キャプテンから「今日はアフリカ大陸の方の潮が悪いので、4時間で泳げ」と檄を飛ばされて、キンちゃんはスタートからかなり飛ばして泳いでいるのが分かる、キンちゃんの頭の中には「4時間でゴール」がインプットされているのだろう。

 海の状況は昨日と比べると悪いが、キンちゃんにとっては全く問題ないと思う。それもこれも、日頃の厳しい練習のお陰なのだ。もっと劣悪な状況での海練習を見聞きしているので、私としてはこの程度では全く心配していないが、ボムボートのサポートが全くお粗末なのが気に入らない。

72 ジブラルタル海峡を力泳するキンちゃん

 トラさんは「キンちゃんは状況判断がとても素晴らしく、今、どうしたら良いかを見極めて行動する」と話している。更にトラさんは「私ならならあくまでも、サポートの船について泳いで行ってしまうが、彼女は既に見切りをつけて先行するクルーザーを見ながら泳いでいる」と言っていた。

 ヘッドアップを繰り返しながら、先行する船を確認しながら泳いでいる。しかし時々逸れてしまい、進行方向の修正を指示されるが、ひたすら泳ぎ続けている。波高は1.5mぐらいあり、潮の流れはかなり速い。クルーザーやゴムボートの舳先は南西方向を向いているが、私たちの乗ったゴムボートは、東へ、東へと流されている。キンちゃんは6ビートを利かせながら、波にうまく乗りながら、ゴールへ、ゴールへと腕をブンブン回しながら泳ぎ続ける。

 昨日見た、モロッコの港に立つクレーンのキリンちゃんの大きな姿がハッキリ確認で来るようになった。我々はその近くの岩場にゴールしたのだが、今日は何処へゴール出来るのやら・・・。

 スタート時に「4時間で泳ぎ切れ」と言われていたが、泳ぎ出して4時間が経過した。しかし、未だ後1時間以上は掛かりそうな位置だ。モロッコに近づくにつれて潮の流れは速くなり、どんどん左方向(東)へ流されて行く。

 昨日はハッキリ分かった潮目だが、今日は昨日ほどはっきりしない。しかし明らかに海面の状況が潮の流れを示している。波頭の小さい、川の流れのような海面である。

 岸から500mから1kmぐらいの間が潮の流れの速いところのようだ。そこを過ぎるといつもの海面に戻っている。湾の奥のほうに小さな集落が見える。「あの奥まで行くのかな?」と思ったら、「左側にそびえ立つ大きな岩壁にタッチせよ」と指示が飛ぶ。キンちゃんの一番嫌いな場面だ。キンちゃんは必死に岩にしがみついた。ゴール。直ぐ岩から離れて船に戻る。5時間05分だった。

69 大きな岩場に取り付きゴール

 帰りはアゲンストの波風で、ゴムボートはバンバン飛び跳ねて、スプレーを浴びながらタリファの港に向けて疾走する。途中で「マンボウ」を見る。かなり大きなマンボウだった。そして帰りの途中、モロッコの沿岸警備艇に何かを手渡していた。後でクルーザーに乗っていたトミーに聞くと、Tシャツを渡したらしい。やはり 袖の下は必要不可欠な状況なのだろうか?

 ゴムボートは海面を飛ぶように走ってきたが、港へ近づくに連れて速度を落とし、後方から来るクルーザーを待っていた。そして二艇揃ったところで港へ入り、船着場へ向かう。ハーバーでは事務局のラファエルが待っていた。

 今日はゴムボートで半日揺られていたので陸に上がっても頭がフラフラ、上下に揺れている。

 それにしてもキンちゃんは凄い。ソロで5時間ちょっとで泳いでしまった。我々は三人のリレーで4時間半。海の状況を考えると今日の方がはるかに厳しい状況だったにもかかわらず、やはり普段の練習量の豊富さが結果として表れたと思う。

 この後、町のスーパーマーケットで食料品を買い求め、山の宿泊所までホテルの従業員に送ってもらう。そして今回、始めての自炊。夕食はキンちゃんの作ったカレーライスだった。

 キンちゃんお疲れ様でした。キンちゃんは本当に凄い人だ。さすが、日本のドーバー・クイーン!!

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湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

13・無事に成田へ

 離陸してから2時間ほどで機内食が出る。私はビーフを頼んだ。飛び立ってから2時間45分。スカンジナビア半島上空を飛んでいる。未だ1/4弱の飛行時間。高度11,000m、飛行速度926km/hr、外の気温―50℃、飛行方向は北東方向へ。

 キンちゃん、トラさんは機内の小さな画面で映画を観ている。Drオーとトミーは画面を観たり、眼を閉じたりして時間の過ぎるのを待っている。私は機内が暗いので眼の疲れが出るのと、画面が近いので見づらいため、飛行経路画面にして殆ど眼を瞑っていた。トイレに二度ほど立った以外は座ったままの姿勢なので、トイレに立った時に通路で足踏みをして血行を促す。

 飛行は順調で予定通り9時10分ごろ成田空港に着陸した。飛行時間11時間40分。『帰りも家までバスで帰りたい』と思ったが、入国審査で時間がどのくらいとられるか分からないので心配だった。しかし、ここからが「日本の」というより日本人の正確さ、迅速さが発揮され、入国審査、関税審査を難なく通過して、荷物のトランク受取り場所へ来たが、既にトランクがコンベアーに乗っているではないか!? 素晴らしい! 日本、日本人の仕事の速さ、正確さ。感動ものである。

 果たして私のトランクは無事に着いたのか、それが大いに心配だった。ジブラルタル空港でのトラブルで『あちらに残されているのではないか』と、最大の不安だった。見覚えのあるトランクがコンベアーに乗って流れて来た。『やった、良かった』と思わず心の中で叫んでしまった。早い10時前にトランクを受け取ることが出来た。外国では絶対にありえない速さと、正確さをつくづく感じた。

 建物の外へ出るとジワーッと蒸し暑さが襲う。日本へ帰って来たという実感が身体中を包む。

 家に電話を入れて、無事帰国出来たことを報告し、「バスで帰る」と伝える。帰りのバスも順調に走り、昼頃には我が家へ着いた。

 今回のジブラルタル海峡リレー横断泳の成功は、トラさんの献身的なサポートで飛行機の手配、泳ぐ日の日程調整、宿の手配等々、事前の計画・手配が整っていたので、我々はただ、「泳ぐ人」となっていたが、無事、成功裏に終わることが出来たとのは「トラさんのおかげである」と感謝、感謝である。

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ジブラルタル海峡横断泳を無事に終えて帰りの便を待つ

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

12・再び、イギリスへ

 無事、飛行機はイギリスのヒースロー空港に到着。今宵の宿も空港近くのホテル。タクシーで7~8分のところにあった。ホテルの上空では飛行機の離着陸が民家の屋根をかすめて飛んで行くような低空飛行である。夕方のラッシュアワーなのか、2~3分おきに着陸の飛行機が下りてくる。

315 軒先をかすめて飛んでいく飛行機

 部屋は全て個室だったが、トミーとトラさんだけは別棟になったしまった。部屋は六畳ほどの小さな部屋だったが清潔感があった。但し、シャワーとトイレは共同だった。二階建てだが、何部屋あるのか分からないくらい細かく分かれていた。それなのにシャワーとトイレが一箇所だけとは驚きだ。でも私は寝る前と朝はシャワーをしっかり浴びて汗を流した。

324 空港近くの泊まったホテル

 夕食は外へ行く。ホテルの前にあるパブは閉まっていた。暫く歩くと花一杯に飾られたパブが見えて来た。外のテーブルで食事をしたりビールを飲んだりしている店があり、その店内へ入ることにした。先ずはビールで乾杯。私はジュース。その都度払いの明朗会計だった。お腹に貯まる物を注文するが、一人前だと言うのに量の多さに驚く。三皿頼んで大人五人が腹一杯になった。

303 花に彩られたパブレストラン

 イギリス人はそれを一人前として平らげてしまうのだから、やはり日本人とはどこか違うのだろう。店内はスペインと同じく一杯のビールを30分くらい掛けて飲んでいる人が多い。日本人はせっかちなのだろうか? 老夫婦でさえちびり、ちびりとやり、会話を楽しみながら飲んでいる。

 腹が一杯になり、夫々部屋に戻る。朝が早かったのでシャワーを浴びて直ぐに横になる。タリファではかけ布団は無かったが、イギリスでは有った。やはり気温の違いだろうか? 夜中に二度ほどトイレに行く。トイレは共同なので部屋から出なければならない。ところで部屋のドアはカードキーで開閉するが、カードエラーを起こしてドアが開かない。何度やっても駄目。仕方なくフロントへ行き、「カードエラー」と告げると装置に掛けて修正してくれた。

 8月2日、6時半に目覚める。シャワーを浴びて部屋に戻るが、カードキーが又誤動作してドアが開かない。バスタオルを巻いたままフロントへ行き修正してもらう。Drオーに合う。「カップ麺が残っているので食べませんか?」と声をかけると、「後でもらいに行く」との返事だった。

 時間があるのでビデオカメラで撮影した映像をチェックした。ところが撮ったはずの映像が映っていない。モロッコ、タンジェで写した映像も途中で無くなって、スイムの画になってしまっていた。

321 ホテル近くに建つ茅葺の家

 ホテル周辺の景色を撮ろうと階下へ行くと、Drオーが椅子に座っていた。「キンちゃんも来る」と言ったので三人で外に出てホテル周辺を散策した。

 天気は良く暖かいと言うより日差しが暑い。スペインへ行く時に立ち寄った時とは大違いの天気だった。散策していると家々の間から空港の管制塔が見える。朝は離陸する飛行機が多く、次々と飛び立って行く。1時間ほど歩いて部屋に戻り、出発までウトウトしたり、ビデオを見たりして時間を過す。

 10時10分前になり、階下へ降りて行くと既に皆さん集まっており、トラさんが今回の費用の残金等についての説明をされていた。遅れて行った私のために再度説明をし直してくれた。

 外に大型タクシーが来た。空港は近いのだが空港周辺をグルグル回っている感じがする。ヒースロー空港はとても広いが、それでも10分ほどで建物に着いた。料金は54ポンド。ホテル経由で頼むと10%の手数料を取られるので、「これからは直接電話をすると良い」と運転手が言ったそうだ。

 出国のチェックは相変わらず厳しく、金属類は全て外す。今回はストレートでチェック完了。めでたし、めでたし。

 朝食を「WAGAMAMA」という名のレストランで摂る。「日本人向け」と思われるメニューがズラリ。Drオー、トミー、キンちゃんは和食を頼んだ。海外での食事の最後を、私は「イングリッシュ・ブレックファースト」で頼んだ。トラさんも同じものを頼んだ。ベーコン、トマト、ウインナー、スクランブルエッグ、トーストと、典型的なイギリスの朝食だ。

 出発まで未だタップリと時間があるのでトラさんに荷物番を頼み、キンちゃんと買い物へ行く。機内で食べるナッツ類、喉を痛めないようにキャンディーを残っていたユーロで買ったのだが、未だ残ったのでキーホルダーとチョコを二箱買い、一箱はキンちゃんに渡した。これで持ってきたポンド、ユーロのお金を全て使い切り、残りの小銭をキンちゃんに渡した。

 12時過ぎに出発ゲートが分かったので移動する。成田行きの便なので日本人に沢山合う。高校生の女子グループが集団で土産物を買いあさっていた。

 出発ゲートは地下まで降りて構内の地下鉄で移動する。それだけ「広い」と言うことだ。出発ゲートのC63へ行くと、多くの日本人が集まっている。写真を撮ったり、話しをしたりで時間を潰す。

 搭乗窓口が開かれ、一斉に並び始めた。便の出発は13時25分だが、私の隣の席が空いている。トラさんが「多分、荷物検査で引っ掛かって遅れているのではないか?」と笑いながら教えてくれた。昨日の私と同じような目に合っている人がいるのだろうか? しかし空席のまま機は動き出した。とうとう出発に間に合わない人が出たようだった。離陸は30分ほど遅れたが、何とか飛び立ちほっとする。これから11時間余りの苦行の始まりだ。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

11・何故? 何故こんなことに?

P1010363 雲に隠れるジブラルタル・ロック

 10時を回る。チェックインが始まり、カウンター前に人々が並び始めた。並んでいる人の少ない一番右側の列に我々も並んだのだが、これが大誤算。1時間待って、やっと我々の順番だと思ったら、「この列はファーストクラスのカウンターだから、隣の列に並び直せ!」とカウンターの女性に指示された。そのまま横へずれたら「それはだめ! 列の後へ並び直せ!」と言われる。後を見ると、最後尾は建物の外まで並んでいるではないか!? 仕方なく後へ回る。

 Drオーが前に並んでいる男性に「列を間違えて並び直した」と話しかけたら、彼らも「そうだ」と言っていたそうである。と言うことは、『案内板が分かり難いか、不親切なのだろう』と思った。

 この並び直しで又1時間を要し、やっと我々の番が回ってきた。今回は全員一緒ではなく、一人一人の審査。ここでトミーのトランクが重量オーバーで引っかかり、その場でトランクを開けて中から土産物の一部を手荷物のザックへ移すはめになってしまう。

 手荷物の検査も非常に厳しく、ベルトは勿論、身体に着けている金属類は全て外して籠へ入れる。やっと検査が終わり搭乗カウンターへ向かっていた時、キンちゃんがアナウンスで「イサオ・マカベと言っているよ」と教えてくれたが、私は全く気づかなかった。

 カウンターのところで名前を言うと、係の人に「インフォメーションへ行け」と指示された。今、通過した検査所を逆戻り、その度、名前を告げて外にあるインフォメーションセンターへ向かう。

 何が何だかさっぱり分からず、インフォメーションカウンターの女性に名前を告げると、チェックカウンター並びで失敗した「一番右端のドアへ行け」と指差した。チェックカウンターの女性に再度確認すると、「このドアだ」という。

 呼出しボタンを押す。空港の関係者がひっきりなしに出入りする忙しいドアだ。出てきた係の人に名前を告げると、「待て」と手で合図される。何故、呼び出されたのかさっぱり分からない、でもやましいことは全く無いので不安はあるが、何となく心には「ゆとり」のようなものを感じる。

 係の人が出入りする扉の隙間から中を覗くと、私のトランクと思われるものが机の上に乗っていた。『トランクの中身で何か怪しく見えたものがあったのかも知れない』と考えた。時間がどんどん過ぎていく。仲間の人も心配していることだろう。

 やっと私の番になり、「中へ入れ」と指示された。パスポートを見せてトランクの荷札をチェック。「イサオ・マカベ」と確認してから「トランク、オープン」と言われた。トランクを開ける。トランクの中身を細かく一つ一つチェックして「OK」と言ってくれた。トランクを開けたついでにジブラルタル海峡横断泳の認定証、新聞の記事を係の人に見せてあげた。「67歳か、凄い! ストロング!」と言って握手を求めてきた。やれやれである。

 又、手荷物の厳しい検査を通り、搭乗カウンターへ戻ると既に誰もいない。係の人が「バスをここで待て」と外まで案内してくれる。直ぐにバスは来たが中々発車しない。大きなバスに私一人だけ。でも飛行機は未だ待っていてくれたようで、とても安心したし心強く思った。

 運転手は他の人と話をしていて一向に発車の気配なし。痺れを切らして運転手に「ゴー」と言うと、「ここに座っていろ」と注意されてしまった。仕方なく発車を待っていると何と私の他に、三人も後から乗り込んで来たではないか。私と同じように荷物検査で引っかかったようだ。

 やっとバスが発車して皆さんの待つ飛行機へ乗ることが出来た。皆さんも大変心配したのだが、搭乗カウンターの係員が「行け、行け」と指示するのでどうすることも出来なかったそうである。飛行機の中では私の他にも「三人いるから」、「出発はしないから大丈夫だ」と言っていたそうである。

 後で聞いた話であるが、空港まで見送りに来たついでにTも、私の名前を盛んにアナウンスするので大いに心配したそうで、Drオーにメールが着たそうである。Drオーは「無事皆さんと同じ飛行機に乗れた」と連絡してくれたそうだ。

 本当に皆さまにはご心配をお掛け致しました。でも、何故、何が引っかかったのか、未だに全く分からない。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

10・さらば・タリファ・さらば・スペイン

 8月1日(月)、タリファを発つ日が来た。6時に朝食の予定となっている。5時半に目覚めてシャワーを浴びる。いつの間に吹き出したのやら強風が窓の外で唸っている。外は未だ真っ暗である。トミー、ついでにTも起きてきたので隣の部屋へ食事に行く。

 トミーが最後の腕を振るって朝食を作るが、朝が早いので皆さん食欲がイマイチ。しかし、素麺は口当たりが良いのか、皆さんの箸が進んでいる。残ったご飯、野菜炒めは処分するしかない。

 最後のごみ捨てに外へ出る。強風だったがアフリカ方面から吹く南東の風なので冷たくない。7時には出発の準備が整い、8時に外に出てタクシーを待つ。私たちが泊まっていたアパートに大型タクシーの運転手がいたので、「あれならいいな」と言っていたら、本当にそのタクシーだった。

 外はやっと明るくなってきたところで人通りは殆ど無い。アパートの鍵を帰しにホテルへ寄り、ジブラルタル空港へ向かう。

 走り出して暫くすると、パラパラと雨が降り出したではないか。路面を濡らすほどではないが、クルマのフロントガラスが汚れ、ワイパーを動かすと返って汚くなる。二週間いて初めての雨だった。幹線道路に出ると時間が早いためか、道路はとても空いていた。

 空は曇天、周囲の景色は霧が掛かっており良く見えない。風力発電の風車だけが勢い良く回っている。道路は山の尾根に沿って作られているようだが、景色の見えないのが残念だ。

 山を下り、家々が立ち並ぶ道路へ来ると見覚えのある海岸線に出た。空港まであと少しだ。速い。40分くらいか?

 タリファへ行く時に乗ったタクシー乗り場へ着いた。料金は何と70ユーロ。行きに乗ったタクシーは二台で300ユーロもふんだくられた。まあスペインに着いた直後なので物価と言うか、相場がわからない。ジブラルタルの空港からタリファまでのタクシー代金の相場がわかっていれば、そんなことはなかっただろう。次回はふんだくられずにタクシーを使うことが出来る。

 空港へ向かって歩いて行くと、国境警備員が「ジャポン」と言って道路を渡り、「向こうの建物へ行け」と指示される。その建物は検問所だった。パスポートを見せると「OK」と言って直ぐ通してくれた、地元の人たちもパスポートや名札を見せて通って行く。空港には9時頃着いた。未だ殆ど人はいない。

 ロンドン行きは12時45分発なのでかなり時間があるが、大きな荷物があるので待つしかない。動くに動けない。空港の売店で土産物を四箱買った。支払いを「ユーロで」と言ったら電卓で計算してくれた。

 時間はたっぷりあるのでキンちゃんに荷物番を頼み、トラさん、Drオー、ついでにTと空港を横切る道路を向こう側まで歩いて行った。滑走路の中央で止まり写真を撮る。トラさんの話によると、「滑走路を道路が横切っているのは世界でもここ、ジブラルタル空港だけ」だそうである。飛行機の離着陸時は道路の遮断機が降りて通行禁止となるのである。

P1010351 滑走路を横切る一般用の道路

 空港の側にある「ロック」は標高500mに満たない岩山だが、周りに高いところが無いのか、頂上付近は雲に覆われて見えない。『登ってみたい』と思うがそこまで時間は無かった。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

9・タリファ最後の日

 31日。今日でスペイン・タリファの町とお別れになる。朝食は冷蔵庫にある残り物を使い、ご飯を炊いて食べる。トラさんと昼食用の食料品を買いに町へ出るが、日曜日の朝ということもあり、静かで人通りも少ない。

 昼食のおにぎり用に再度、トラさんは鍋でご飯を炊いた。11時過ぎに海へ行く。週末なので家族連れ、恋人同士(?)、お年寄りなどで砂浜はかなり賑やかな状態だった。トミーは「買い物がある」と言ってどこかへ出掛けて行った。

 Drオーは「マイペーススイムで30分泳ぐ」と言っていた。キンちゃんと私は行き30分、帰り30分の4wayスイムを泳ぐ。海は静かだが、今日は何故か透明度が良くない。透明度が良くなる沖まで出て、そこから海岸線と平行に西方向へ泳ぎ出す。でも直ぐに透明度が悪くなった、今日はどうしたのだろうか?

 30分泳ぎ、折り返してスタート地点へ向かう。行きには魚に遭遇しなかったが、折り返してコースが変わったからか、魚の群れに何度か出会った。「今度は出島にタッチしてこよう」と出島に向かって泳ぐが、出島に近づくに連れて水温が下がってきた。

 出島にタッチして今度は西方向へ向かう。今日で最後なのでキンちゃんと心行くまでタリファのランセットビーチのスイムを楽しんだ。魚の群れに出会うと泳ぎを止めて眺める。又、泳ぎ出し、魚を見つけては眺める。を繰り返し多いに楽しんで泳いだ。今日は2時間15分も海に入っていた。

 トラさんの所へ戻ると、「DrオーとついでにTは町へ出掛けた」とのこと。トミーは石垣の上で横になっていた、腰が悪いのだろうか?

 シャワーを浴び、着替えてから昼用のおにぎりを三個も食べてしまった。

 キンちゃんと二人で私の家内のお土産品のショルダーバックを買いに行った。実は先日、目をつけておいたバック屋さんが旧市街地の中にあったのだ。

153 タリファの街角のおしゃれなバック屋

 アパートへ戻り、一休みしてから荷物の整理。その後、トラさんと今回の宿泊費をホテルへ支払いに出掛ける。そのついでにビールを買う。私はアイスクリームを買って食べたが、とても甘かった、何故こんなに甘くするのだろ? 夕食は皆さんの好物の素麺と五目飯。素麺は六人で10束以上も食べた。トラさんは「素麺が大好物」とかで、五目飯には一切手をつけず、素麺の「お替り、お替り」だった。

 夕食後、私は屋上へ上がり、ジブラルタル海峡の夕暮れを心行くまで眺めていた。トラさんから双眼鏡を借りて海峡を行きかうコンテナ船、貨物船、何を積んでいるのか分からない形の船等々。本当に見飽きない光景である。

P1010230 ジブラルタル海峡に浮かぶ白い岩のアビラ山

 部屋に戻り、荷物のまとめを行う。明日は6時に朝食、8時に出発の予定である。ほんとに過ぎ去ればあっという間の二週間だった。毎日のように綺麗な海で泳ぐことが出来てとても良かった。屋上から眺める景色も素晴らしいし、飽きない。

 「タリファの町は風の町だった」というのも知った。タリファの人は日本人のようにせかせかしていなし、毎日を楽しんで生活しているように見えた。『私もこのように在りたい』と思った。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

8・モロッコ国・タンジェの町へ

 30日。今日はついでにTの案内兼通訳で北アフリカ、モロッコの「タンジェ」という町へ日帰りツアーで行くことになった。Drオーは「ついでにTが来たらモロッコへ行く」と以前から言っていたので、我々も同行させてもらうことにした。タンジェの町へ行くにはタリファから1時間おきぐらいにフェリーが出ている。昨日までの強風が嘘のように収まり、今日は大西洋側から若干冷たい風が吹いている。ハーバーの手前のチケット売り場で六人分の「日帰り、昼食つき」のチケットを購入。お一人様60ユーロとかなり良い値段だった。毎日海を泳いでいるときに眺めていた双胴の高速フェリーにやっと乗ることが出来る。

Img_2742 タリファ、タンジェを結ぶ高速フェリー

 乗船券は「往路11:00発、復路は18:00の船」と書かれていた。だが出国手続きを終えた時点で11:00を回っていた。我々日本人六人は離れないようにゾロゾロと行動している。フェリーに乗ってもなかなか出航せず、45分もオーバーでやっと港を後にした。海は穏やかだが多少ウネリが入っており、ピッチングをしながらタンジェの町を目指して進む。フェリーの船体には「35分で到着する」と書かれていたが、あれは大嘘のようだ。

218 フェリーから見るモロッコ・タンジェの町

 1時間ほどでタンジェの町に到着し、フェリーから降りても観光バスが発車するまで、またまた30分以上も掛かった。どうも日本人の感覚で考えていけないようだ。

 観光バスはタンジェの町の海岸沿いを走る。海水浴客はかなり出ていた、町外れの広場でバスが停車、降りるとラクダが二頭待機していて、観光客相手にラクダに乗せたり、写真を撮らせたりしている。そして土産物売りの人たちが群がって来て、ネックレスや装飾品などを売りつけてくる。早々にバスの中へ逃げ込む。

 又、市内へ戻り、旧市街地(?)らしきところへ案内されるが、狭い道にクルマがひしめき合い、クラクションの騒音がいたるところで鳴り響いている。

 やっとバスを降り、旧市街地の中を歩くが、又、大変な町で、スペインのタリファの旧市街地よりも細く、狭く、薄暗い迷路のような道を歩かされる。地下の食品売り場(?)らしきところへ案内された時は、異様な匂いと薄暗さと狭さで息が詰まりそうだった。明るいところへ出れば、子供から老人まで押し売りのような土産物売りが我々観光客の後ろと言わず、前から、横からと、まとわり着いて離れない異様な光景が展開されている。

 昼食は名物のシシカバブ、鶏肉とパサパサなご飯、平たいパン(?)にスープだったが私は完食した。店内ではモロッコの楽器による生演奏が行われていた。太鼓、笛、ウクレレ、ヴァイオリンのような弦楽器。演奏が終わると「お金をくれ」と店内を歩いて回っている。

P7300426 モロッコ音楽を生演奏するレストラン

 食事を終えて外に出ると、これまた物売りの大攻勢。狭く、細く曲がりくねった迷路のような道をかなり歩かされる。そして絨毯売りの店、化粧品(?)、薬(?)売りの店など次々に案内される。多分、現地のガイドが契約していて観光客を案内してくるのだろが、買う人は殆どいない。土産物店で私は息子の土産を一つ買った。

 外へ出ると、待ち構えていた物売りが攻勢を仕掛けてくる本当に参った。小さな子供を見るとかわいそうになるが買ったら最後、大変なことになりそうなので無視をする。生活水準の低さを痛切に感じたのは私だけではないと思う。ここの町は一人ではとても歩けない。「怖い」という印象を持った。

P1010288 タンジェの町中風景

 旧市街地の建物もかなり古く、しかも継ぎ足し、継ぎ足しで建てられたようで、いつ崩れ落ちるか分からないような感じがした。ここは地震が起こらない所なのだろう。建築基準法など無いのかもしれない。ともかく「凄い」としか表現で出来ないモロッコ・タンジェの町だった。

 帰り際、フェリー乗り場の所でトラさんは土産物売り人が「20ユーロ」と言っていた太鼓を値切って、値切って、何と5ユーロで購入した、Drオーも同じ物を5ユーロで買った。

 帰りのフェリーの出港も30分以上遅れたが、帰りは潮に押されたのか、1時間も掛からずにタリファの港に帰港した。それでも8時半を過ぎていた。トミーが「アパートで食事を作る」と言い張っていたが、遅くなるし、皆さん疲れているので旧市街地の食堂で食べることにした。町中はとても賑やかで活気に溢れている、多分週末ということもあるのだろう。

P1010308 夜の10時頃なのに賑わうタリファの街中

 昼間は動いていないミニ遊園地が夜は家族ずれで大賑わいである屋台も出ている。夜の10時少し前だが、空は未だ明るさを残している。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

7・風の町・タリファ

 29日、昨夜も強風で一晩中隙間風によるドアのカタカタ音に悩ませられる。朝方、『多少弱くなったかな』と思ったが、外を見ると相変わらず吹きまくっている。屋上で簡易風力計を使って測ってみると、朝は8.0m/sec、昼頃は8.5m/secとなった。

 朝食後、キンちゃんとスーパーマーケットへ買い物に行く。昼はラーメンである。

 昼寝の後、ランセットビーチへ行く。週末なので、海水浴客でかなり賑わっている。

 今日はトミーも泳ぐ。ビーチに沿って西方向へ30分ほど泳ぎ戻る。トミーは「喉が痛い」と言って上がった。私の風邪が完全に移ってしまったようだ。私はかなりよくなっている。

 キンちゃんと私は同じコースをもう一度泳いだが、帰りのコースは多少時間が掛かり、今日は2時間10分ほど泳いだことになる。

 海から上がり、旧市街地のバルに寄り、喉を潤してからアパートへ戻った。

 夕食は寿司ご飯で手巻き寿司もどきを食べる。

 Drオーの息子さん、「ついでにT」が今夜タリファの町へ来ることになっている。Drオーは何度かついでにTと携帯電話で連絡を取り合っていた。ついでにTは「マラガ」という町からバスとタクシーを乗り継いで来たそうである。そのタクシー運転手は英語が全く通じず。タリファの町に到着した時、旧城門の場所が分からず、どうやらハーバーの方で降りたようだった。

062 タリファの町の象徴・城門

 Drオーと旧城門前へ行き、私はハーバーの方へ歩きながらついでにTを探して歩いた。チケット売り場の角でやっとついでにTと会うことが出来きた。マラガから4時間も掛かったようである。Drオーの待つ旧城門前に案内する。

 アパートへ戻り、ついでにTは残り物の寿司を食べながら色々と話が盛り上がった。しかし、皆さん疲れているので夫々部屋に戻る。トミーとついでにTはタリファの町へ繰り出して行った。いつ戻るのやら・・・・・

Japan To Taiwan Ocean Swim Challenge 2011

鈴木一也さんの「日台黒潮泳断チャレンジ2011」が世界オープンウォータースイミング協会(WOWSA)の「2011年オープンウォータースイミング・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀賞)」の「パフォーマンス部門」にノミネートされています。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

6・海泳ぎ・三昧

 28日、昨日の午後からの強風は一晩中吹き荒れていた。アパートのアルミサッシの窓の隙間から風が入り込み、ドアをカタカタと鳴らし続けていた。朝になっても室内から強風の音が聞こえてくる。

 トミーは昨日の朝、「ヘンリー・ハンセンの店へ買い物に行く」と出掛けた。かなり遠かったようだが、往復歩いたので相当疲れた様子だった。その後、ソファーで横になり、起き上がった時に腰の古傷を痛めたようで、腰が伸びなくなり、かなり辛そうな様子だ。今朝も未だ痛むようである。

 朝食後、一休みしてキンちゃんと二人で買い物方々、海の様子を見に行き、泳げることを確認した。スーパーマーケットで買い物をして、昼は又、素麺だが皆さんには大好評。特にトラさん、Drオーは大好物だとか。

 昼寝をして午後3時過ぎに海へ行く。午後は海水浴の人が多い。Drオー、キンちゃん、私の三人で泳ぐが、Drオーは「毎日1kmが目標だから一人で泳ぐ」と言って私達と別に泳いでいた。

Img_2738 青い空、青い海がよく似合うランセットビーチ

 キンちゃんと私は先ず、左側にある出島にタッチして、それから西方向へ泳ぐことにした。しかし出島の周辺は陸からの強風で島にタッチするのに苦戦する。やっとタッチして折り返したが、今度はフォロー気味の風と潮で速いこと、速いこと。ちょっと油断すると沖へ流されるので岸よりへ、岸よりへと泳ぐ。

 魚が沢山見える。今日も1時間進んで折り返したが、今度はアゲンストの風と波で進みが悪く苦戦する。呼吸をする度に海水が口に中に入ってくるので、飲み込まないように常に「ペッ、ぺッ」、と海水を吐き出しながら泳ぐ。

371 ランセットビーチのスイムを楽しむ

 キンちゃんは「このような海が好きだ」と言っていた。ストロークを大きく、私は一かき、一かきに力を込めて、風、波に負けないよう、気合を入れて泳ぐ。潮が西から東へ動いたようで苦戦して泳いでいた割に、帰りは50分で戻った。Drオー、トラさんが待っていてくれたので大急ぎで着替えるが、ここの海岸にはシャワーの設備があってとても助かる。帰りにいつもの店によって喉を潤す。

 夕食は昼間仕込んでおいたカレーなので直ぐ出来上がった。泳いでいる時、腹が減って仕方が無かったので、大盛りのご飯を平らげてしまった。

 夜になっても風は一向に止まない。予定では明日泳ぐチームがあると聞いていたのだがどうなることやら?

 今朝、トラさんに私の持ってきた500ユーロを渡す。1,000ユーロ用意して来たのだが、未だ、300ユーロしか使っていなかった。但し、家族への土産品は未だ買っていない。何が良いか探すのに四苦八苦している。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

5・やっと全員集合

 27日、今日からトミーと私はやっとアパートへ移れることになった。部屋はトラさんたちの隣部屋。今日も強風が吹きまくっているので、午前中は部屋でのんびりと過す。予定では今朝7時過ぎに今回の潮まわりで四人目がスタートのはず。屋上から見ると、サポートの船がかなり速いスピードで東へと進んで行った。この風の中で泳ぐのはかなり大変だろう。『私たちは本当に恵まれたなあ』とつくづく思う。トミーは私の風邪が移ったようで、喉を痛めて苦しそうである。私はかなり回復して体調も良くなってきた。

 今日はキンちゃんと二人でランセットビーチを泳ぐ。往路1時間、復路50分。海の透明度は抜群。時々イワシの群れに遭遇。又、それよりも大きな名前の分からない魚の群れに何度も遭遇する。水温が低いので暖かい海に住むカラフルな色をした魚は見当たらないが、泳いでいて実に楽しい。泳ぎだして、脇の下にラノリンを塗るのを忘れた事に気づいたが、脇の下が全然こすれなかった。多分、湘南の海は不純物が多く汚れているが、『この海はそれが無いからだろうな』と思った。

82 キンちゃんとランセットビーチのスイムを楽しむ

 昼食はハーバーの近くの安い店へ。二度目であるが、そこへ行くことにした。店の人も覚えていてくれた。今日はDrオーが「色々なものを盛り合わせて出してくれ」と頼んだので、並んでいる食べ物が少しずつ、全ての種類が出てきた。皆で少しずつ色々な味、食感を楽しみながら楽しい昼食のひと時を過す。

 店の外へ出ると誰かが、「船が帰って来た」と叫んだ。ハーバーを見ると横断泳のサポートを終えたクルーザー、ゴムボートが正に帰港したばかりであった。大急ぎでハーバーへ向かう。女性スイマーで「マリーナ」と言う名前だそうである。今日は波、風があり、かなり大変な横断泳だったようで「6時間10分掛かった」と言っていた。ビキニの水着で泳いだらしく、左肩が肩紐で摺れたようだ。大きなテープがベッタリ貼ってあった。ひとしきりお互いにエール交換をした。

Img_2767_2 Marina Basart Vendrell

 アパートへ戻り、一休みしてからいつもとは違うスーパーマーケットへ買出しに出掛けたが、品数が少なく我々の欲しいものも無く、ワインだけ買って帰る。

 夕食は素麺だった。Drオーが腕を振るってくれて、茹でたての美味しい素麺を腹一杯食べた。

 食事の後8時過ぎにいつものスーパーマーケットへ行く。町中はとても賑やかでお店も沢山開いてともかく活気があった。

 夕方は気温も下がりとても気持ちが良い時間だ。スーパーマーケットで土産物を何点か購入する。Drオーの持ってきたスペイン旅行案内に『お土産はスーパーで買おう!』と出ていたのでチェックしておいた。店員に聞いたら通じたのであるが、大騒ぎしてその品物を探してくれた。

 夜になっても強風は収まらない、明日2wayに挑戦するグループがあると聞いたのだが・・・・・

 トラさんがホテルへ寄って帰りのクルマの手配を頼んだ。というのは我々が泊まっているアパートの路上に大型タクシーが夕方になるといつも停まっている。多分、このアパートに住んでいる人に違いない。早めの手を打っておこうと言うことになったのである。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

4・タリファを楽しむ?

364 ハーバー近くのレストランで昼食を楽しむ

 26日、トミーとアパートへ朝8時前に到着。Drオーの認定証に「事務局のサインと押印が無い。泳いだ距離も記されていないことを発見した」と聞かされる。キンちゃんの認定証には確かにしっかり書かれていたが、Drオーには無かった。トミーと私の認定証にはサインと押印はあったが、距離は書かれていなかった。トラさんがラファエルに電話をして、10時に協会へ行く約束を取り付けた。

 朝食は昨夜の残りのご飯に味噌汁。やはり日本人はこれが一番のようである。のんびり歩いて10時ちょっと前に協会に着く、珍しく協会の扉が開いている。

 サインと押印をもらい、追加でスイムキャップ、Tシャツを何枚か購入した。この後泳ぐ予定だったが、朝から東よりの強風が吹き荒れていたので、泳ぎを断念して買出しに町へ出たり、食べたり、おしゃべりしたりとだらだらと過す。

 夕方、トミー、キンちゃん、私の三人で地中海側の海岸まで散歩に出掛ける。そこで対岸のロック・マウンテン「アビラ山」の写真を撮るが、霞んでいてどうもうまく撮れない。

 アパートへ戻る。トミーは相変わらずの仕切屋で、皆さん少々うんざり気味。しかし皆さん優しいので好きにやらせている。ただキンちゃんだけは何かと取り繕うようトミーにあれこれとちょっかいを出している。後で聞くと、「トラさんを爆発させないように」だそうだ。周囲はいろいろ気遣っているが、それに気付かないのはどうやらご本人だけのようだ。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

3・認定証

 25日(月)。今日の10時にジブラルタル海峡水泳協会で今回の認定証を頂けることになっていた。トミーと7時半頃、ホテルを出てアパートへ向かう。既に朝食の準備は出来ていた。昨夜の残りご飯をおじや風にしたもの。食事をしながらジブラルタルを泳いだ時の色々な話が飛び出し、いくら話しても話尽きない。認定証をもらえるので、私を含め、皆さん少々興奮気味である。

10 認定証をもらい、事務局のラファエルと記念撮影

 9時半頃アパートを出てゆっくりと協会へ向かう。それでも10時前に着いてしまい、時間になるまで周辺をウロウロして時間を潰す。そして約束の10時になると、何と、驚くべきことに10時ピッタリに協会の扉が開き、ラファエルが顔を出したではないか! 大急ぎで全員狭い扉を押しのけて中へ入る。

 お礼と挨拶を一通り済ませると、改めて新聞に載っている記事を見せてもらう。キンちゃんのソロスイムもしっかり新聞記事になっていた。そして待ちに待った認定証を一人ずつ手渡された。合わせて今回泳いだ航跡図も夫々渡された。感激ひとしお。そして協会マークの入ったTシャツ、スイムキャップをお土産に購入し、お礼を言って別れた。予定ではこのまま泳ぎに行くことになっていたのだが、大切な認定証を汚したくないので一旦アパートへ戻り、改めて海へ向かう。

 ビーチへ行く途中で五人ものスペイン人に声を掛けられた。多分、新聞を読んだに違いない。ここタリファの町に日本人は我々しかいないし、いつも集団で歩いているので目立つのだろう。

 ビーチは昨日に比べ、海水浴客がかなり多い。多分、今日は何かのホリデーなのではないかな? 昨日の日曜日は町中にも、浜にも人が少なかった。

 水温は19℃前後。四人で泳ぐがDrオーは約1.5km、三人は3kmぐらい泳いだ。昼食はハーバーの近くの店で軽く取り、夕食の食料品の買出しにトミー、キンちゃん、私の三人でスーパーマーケットへ行く。

 アパートへ戻り、又、おしゃべりしながら飲み食いしていたが、キンちゃんが「土産物を見たい」と言うのでキンちゃん、トラさん、私の三人でハーバーの方まで行く。しかしキンちゃんの思っていた土産物が見つからなかったので、そのまま旧市街地の中を散策してアパートに戻った。

 私は屋上に上がり、海を眺める。いくら見ても見飽きない。

 夕食はご飯、味噌汁、佃煮。ワイワイ言いながら食事を楽しむ。午後9時半を回っても外は明るい。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

2・又、ホテルへ

 7月24日、宿泊所を移動する日である。トミーと私はホテルへ。Drオー、トラさん、キンちゃんは近くのアパートへ。私達も明後日にはこのアパートへ移る予定になっている。10時にホテルの従業員が迎えに来てくれた。

 その従業員が、「我々の写真が掲載されているジブラルタル海峡横断泳に成功したことを伝える新聞」を見せてくれた。『ラファエルの仕業だな、中々やるではないか』。早速「その新聞を余分に取り寄せてくれ」と頼んだことは言うまでもない。

 宿泊の移動などでバタバタしていたので、家内に横断泳成功の電話をやっと入れた。すると開口一番「風邪を引いたの?」と言われた。やはり相当声がおかしいようだ。でも無事成功を伝えてホットした。

P7280390_3_2 荷物をホテルに預けてビーチへ泳ぎに行くが、昨日より風が強く吹いている。港に近い狭いビーチを三人で泳ぐ。水温が低く20℃は無い。このビーチには、「トップレスの若い女性がいる」とトミーが教えてくれたが、今日は見当たらなかった。

 身体障害者のスイマー二人に出会う。明日、二人でジブラルタルの横断泳に挑戦するそうである。

Img_2666 リレーで挑戦する障害者のスイマーと一緒に

 泳ぎ終わり、ホテルへ戻る途中、Drオー、トミーお気に入りのパン屋さんに寄って軽めの昼食を摂る。

 アパートはホテルから歩いて5分ほどのところにある。一般の人達が住んでいる三階と四階建てのアパートで、その三階の一室を借りている。部屋から螺旋階段を上がると屋上へ出られる。これがとても素晴らしい眺めで、目の前はジブラルタル海峡、その向こうには北アフリカのモロッコ、一見雪山のように白く見える岩山の「アビラ山」、右に目をやれば大西洋の海。海を見ながら暮らすのが夢の私には最高の眺めである。トラさんから双眼鏡を借りて行きかう船や、モロッコ、ジブラルタル海峡、大西洋と飽きもせず眺めていた。キンちゃんの「ご飯ですよ~」の声が掛かり、やっと階下へ降りて行く。

 夕食を食べ、一休みしてからトミーと私はホテルへ戻る。あれだけ他の人と喋りまくっていたトミーだが、ホテルへ戻ると私とは一言も喋らない。嫌っている私を感じ取っているのか。はたまた私では話し相手に不足な人間だと思っているのだろうか? 多分、後者の方であろう。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

第2部・スペイン「タリファ」滞在記

1・宿泊所の移動

 今回のジブラルタル横断泳で、宿泊場所が何回か変わることはトラさんから事前に知らされていた。スペインに到着した19日から21日まではホテル住まい、22日から24日までは山の中腹にある一軒家。そして我々おじん三人組みは又、ホテルへ移動となる。27日からトラさん、キンちゃんが借りているアパートへ移るという結構急がしい移動があった。

 22日の午後、山の一軒家はホテルの従業員にクルマで送迎をしてもらった。ここで今回初めて自炊をした。タリファの町で食料品を買い込み、夕食はキンちゃんの作ったカレーライス。炊飯担当はトラさん。鍋でとても上手にご飯を炊き上げる。食べるだけの私はせめて後片付けと、食器洗いをさせてもらう。皆さん、私を除いてアルコールが大好きな方達で、まあよく飲むこと。500mlの缶ビール一ケース24本が一晩で残り5本。その他にワインも飲んでいる。Drオーは、「明日、僕はスイムをパスします」と言っていた。

061 山の中腹にある一軒家

 この宿から眺める景色は中々良い。正面が東で南側は海が広がっている。北側は山を背にしているが、この山から緩やかに海岸まで斜面が広がっていて、その殆どが牧場になっているように見える。遠くに見える山の頂には風力発電の風車がズラリと並び、ゆっくりと回っている。この山の上にも風車が立っていてグルグルと回っていた。

051 眼下に広がる牧草地帯と風車

 夕方、宿の入り口で痩せこけた野ブタ(?)が5~6頭、餌を探しながら通り過ぎて行くのを目撃した。野山羊も見た。放し飼いで飼っているのだろうか?

 そして22日はジブラルタル海峡を泳いでここへ戻って来たが、食事は済ませていたのでシャワーを浴び、疲れもあったのでベッドで横になり一休み。

 翌23日はキンちゃんのソロスイムの日。ホテルの従業員にクルマで迎えに来てもらい、ハーバーまで行く。キンちゃんのソロスイム完泳は『日本人初の快挙』だそうである。今日は半日、キンちゃんの応援で船に乗り、海の上で過した。トラさんと私は同じゴムボートに乗って応援していたので、波に揺られ腰がかなり疲労した。

 キンちゃんのソロスイムが終わり、スペインの港へ戻る途中、クルーザーのキャプテンからゴムボートのキャプテンに何かを渡していた。そしてゴムボートは凄いスピードでクルーザーから走り去り、モロッコの沿岸警備隊の船に近づき、クルーザーから預かった物を手渡ししていた。後で聞くと、袖の下のようである。やはり国と国との微妙な駆け引きがあるのだろう。だから我々も何事もなく、無事に泳ぐことが出来たのかもしれないと思った。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

21・ジブラルタル海峡を泳ぐ

54 薄暗いタリファのハーバーでスタートを待つ

 Drオー、トミーは4時に起きて荷物の点検、朝食を取っている。私も準備と朝食を取り、出発に備える。港に6時半集合なのでホテルを6時に出て、ぶらぶら歩きでハーバーへ向かう。途中、朝帰りと思われる若い女性グループに何組か会う。

 6時半のハーバーは未だ暗く、とても静かだった。どの船か分からない。待つことしばし、ラファエルがバイクに乗ってきた。25ftぐらいのクルーザーと20ftぐらいのボムボート。このボムボートはとてもしっかりしている。泳者をサポートしながら側を走ってくれるとのこと。クルーザーは五人乗り位らしく、ゴムボートへトラさんが乗ることになった。

 空が少し明るく見始めた7時少し前、いよいよ出航となった。ラファエルに見送られながらスタート地点の灯台のある出島へ。その先端を目指してゆっくりボートは進む。風なし、波なし、正に絶好のコンディションである、ラファエルの予想がピタリと当たった。待った、待たされた甲斐があったというものだ。

32 スタートの合図を待つトミー

 一番手のトミーは準備万端、合図を待つのみ。スタートの岩場は目の前にある。トミー曰く、「スペインの『乳』に触ってスタートし、モロッコの『尻』に触ってゴール」。

 トミーが海へ入る。ゆっくり泳ぎながら岩場を目指す。岩場に取り付き登ろうとするが、波に揺さぶられてうまく登れない。トラさんから「ゴー」のサインが出る。いよいよスタート。午前7時07分過ぎ、北アフリカのモロッコを目指してトミーが泳ぎ出した。

 東の空は大分明るくなってきたが、未だ太陽は顔を出していない。スタート地点は岩場からの折り返し波で多少波立っていたが、それも収まりとても静かな海である。フォローの潮に押されているのか、タリファの町並みがどんどん離れていく。どのくらいのスピードが出ているのだろうか? 後でトラさんに確認したら、「時速4km/hr以上の速さの時もあった」と言うではないか!? リレーの泳者が乗るクルーザーは先行して進路を示し、泳者の側にはゴムボートが付き添っている。しかしよく見ていると、その付き添いもいい加減で泳者がボートをしばしば見失っている。

 キンちゃんは計時係で引継ぎ「10分前」、「5分前」と知らせてくれる。いよいよ私の番になった、海の色は深いブルーでとても綺麗。湘南の海とは大違いだ。トミーが泳いだ所は岸に近い所だったので海草が漂っていたが、私の泳いだ所は何も無くとても綺麗な海だった。とても深い海で水温は20℃だが、寒さは全く感じない。30分交代なのでガンガン泳ぐ。泳いでいる範囲で見える海面はとても滑らかで最高のコンディション。私はボートにピッタリ寄り添って泳ぐ。トラさんの仕草がよく見える。時々ヘッドアップして前方のクルーザーを見るが、かなり前を走っている。トラさんの合図でDrオーと交代する。海の中でハイタッチして、Drオーへ引き継ぐ。海から上がっても寒さは感じないが、これで終わりではないのでしっかり保温して身体を暖め次の泳ぎに備える。

P7220293 余裕のVサインで合図する私

 二回目の泳ぎの時、目の前に大きな貨物船の通過するのが見えて、思わず泳ぎを止めてしまい、船を見る。ボートのキャプテンが「行け」、「行け」とジェスチャーで合図を送ってきたので、又、泳ぎ出すが、間もなく船の大きな引き波が私を襲ってきた。でも、今日の海は最高のコンディションで、こんな海を泳げてとても良かった。私が泳いでいる間にスペイン、モロッコ間のほぼ中央、ハーフポイントを通過したようだ。泳ぎ終わって船に上がり周囲を見渡すと、スペインよりもモロッコの景色の方が大きく見えるようになっている。

 国際航路なので行きかう大型船の多いこと。次から次へと大きな貨物船、タンカー、コンテナ船が走り抜けて行く。その間を縫うようにして我々が泳いでいるのである。イルカの群れが船の近くをポンポン跳ねて泳いで行く。

 クルーザーのキャプテンが「北アフリカに近づくに連れて、海水温は低くなる」と教えてくれた。16℃前後になるそうである。確かに三回目のスイムの時は冷たくは感じたが、『16℃までは下がってはいない』と思った。Drオーと交代し、『これでゴール出来る』と思ったが、そこが「オーシャン・スイムの厳しさ、恐ろしさ」と言うべきなのだろう。残り1km当りから突如として海面の動きが変わり、まるで川の流れのような潮の流れが現れて行く手を遮る。「海流がある」とは聞いていたが、正にここがその海流であり、トラさんが「渦巻きの波が出来ている」と教えてくれた。

58 ジブラルタル海峡を力泳するDrオー

 目前のモロッコの景色がどんどん左へ左へと移って行く。中々前に進まない。Drオーは必死にこの地獄を抜け出そうと全力で泳いでいる。やっと抜け出しして穏やかな海面へ出ることが出来た。

 モロッコは目前だが、ここでトミーと交代。やはりトミーが最後を締めくくることになる。何処へゴールするのかと思いきや、すぐ前の海岸ではなく、「右前方500mぐらい先にある岩場へ行け」との指示だった。「えぇ~、潮の流れに逆らって泳げるのかなぁ~」と心配していたが、小さな湾の中で潮の反流があり、あっという間に岩場へたどり着いた。

46 泳者をサポートしてくれたボート

 やはり地元の人でなければ分からない潮の微妙な流れだ。波の流れをうまく利用してトミーが岩場に取り付いた。ボートのキャプテンから「OK」のサインが出たゴールである。4時間37分。一人三回と、トミーが7分ほど泳いだことになる。終わってみればあっけないゴール。ジブラルタル海峡横断泳の終了。何か私としては物足りない感じ。トミーも多分同じように感じているのではないだろうか?

64 泳者の先導・待機していたクルーザー

 でも、Drオーは大満足の様子だったのでとても良かったと思う。船が港へ戻るとラファエルが待っていて、三人の写真を何枚か写してくれた。私は持参した日本の土産、Tシャツをラファエル、ボートのキャプテン、ゴムボートのキャプテンに渡す。港へ戻るととても暑かった、私は防寒コートを着込んで、長袖シャツ、長いトレパン姿、道行く人は短パンTシャツ姿、とても違和感のある私のスタイル。今回は私の思わぬアクシデント、風邪症状で皆さんに大変なご心配とご迷惑をお掛けして申し訳なかったが、無事ジブラルタル海峡を泳げて良かった。

Scan001 ジブラルタル海峡リレー横断泳完泳認定証

Scan002 ジブラルタル海峡リレー横断泳で泳いだ軌跡が書かれた海図

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

20・いつ泳ぐのかな?

 泳ぎの帰りにジブラルタル海峡水泳協会に寄るが、事務局のラファエルは「13時に来てくれ」とつれない返事。で、13時に行くと、「電話をするからホテルで待機して待て」とのこと。しかし、待てど、暮らせど一向に連絡は無く、4時過ぎにこちらから連絡すると、「今日は泳がない」とのこと。「では、いつ泳ぐのか」と迫ると、「明日12時に連絡する」とのこと、「12時ならこちらから事務局へ伺う」と約束をした。

 夕食のために午後7時過ぎにホテルを出て、昨日行ったレストランへ行く。飛行機の空調で痛めた私の喉が、タリファの乾燥した空気のお陰で更に悪化して非常に辛い。Drオーに薬をもらって飲んではいるが、一向によくならない。「無理して海練習をしないで、本番に備えてくれ」とDrオーに言われたので、もし明日も「海練習」と言われても休もうと思った。

 21日、今日は昨日よりも風が強い。ランセットビーチは北寄り、地中海側は西寄りの風で、一見海面は穏やかに見えるが、沖へ出ればかなりの波があると思う。喉の具合がよくないので、私は海泳ぎを止めた。Drオーも泳がず、結局全員今日の練習はパスとなった。

 12時過ぎに協会のラファエルから連絡が入ることになっていた。Drオー、トミー、私の3人で町中を散策して、昼近くにホテルへ戻る。トラさんがラファエルと連絡を取り、12時過ぎに事務局へ行くことになった、やっとラファエルに会うことが出来た。明日、22日(金)にリレーチームが泳ぐ予定で、「ハーバーに朝の6時半に集合」の指示が出た。とうとう泳ぐ時が来た。天候が安定してくれることを願う。

 やっと挑戦の日取りが決まり、全員ホッとする。ハーバーまで行き、「どの船かな?」などと色々な思いをはせながら、ハーバー近くのレストランでのんびりとした昼食を楽しんだ。ここのレストランのママさんがとても陽気な人で、Drオーが持参した翻訳機の音声ガイドが大うけして何度も聞かせていた。

129 引裂かれたサメの腹から出た人骨

 レストラン横の窓ガラスに衝撃的な写真を発見した。サメの腹を裂いた写真で、裂いた腹から人の腕の骨、下あごの骨が見える。人食いサメがいる海を泳ぐことになるのか? 確かにイルカウオッチング、シャチウオッチングツアーの看板がハーバー近くに立っていた。サメがいても不思議ではない。まあ、サメに食べられないように静かに泳ごう。

 宿に戻り、明日の準備を進める。明日は宿が変わるので、その準備もしておかなければならない。トミーと明日の朝食、昼食等の食料品を近くのスーパーマーケットへ買出しに行く。夕方、まとめた荷物をフロントへ預け、明日の準備は万端で、早めにベッドへ入る。体調はイマイチだが、リレーなら何とかなるだろう。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

19・大西洋・地中海を泳ぐ

108 白い砂浜でとても広いランセットビーチ

 昨日、様子を見に行った海岸、ランセットビーチで泳ぐ。昨日に引き続き西よりの強風で荒れた海だが30分ほど泳いだ。水温は21℃と意外と低かった。ジブラルタル海峡の入口の西から東への潮の流れがかなりあった。泳ぎ終わった後食事に行くが、「ランチは13時からだ」と断られてしまった。

 ジブラルタル海峡水泳協会事務所へ行くことになった。宿泊しているホテルからは近い旧市街地の中にあった。予定では20日(水)か22日(金)に泳ぐはずなので確認をしたところ、20日は風が強くなるとの天気予報。そして、先ずリレーから泳ぐ予定。サポート船は二隻で一隻はクルーザー。もう一隻はゴムボート。クルーザーで先導しながら航行する大型船舶を見張り、ゴムボートで泳者のそばで伴走してくれるそうである。リレーの泳者はクルーザーで待機して順次泳ぐことになるらしい。

 中華料理店で食事をするが、メニューがスペイン語なのでよく分からない。「中国語のメニューは?」と聞くと無い。写真入のメニューも無い。やっとの思いで注文すると、出るは、出るは、次々と料理が運ばれてかなりのボリュームになった。食事の後、トミーと私は港まで行き、そのあと旧市街地を散策した。城壁があちらこちらに残っているが、その城壁を利用して人が住んでいたりして、『いったいどうなっているんだろう。日本なら遺跡は大切にされているのに』と思った。

 予定では「今日か22日(金)に泳ぐ予定」となっている。風が気になり、トミーと早朝散歩を兼ねて海を見に行く。風向きは陸から海へと変わっており、白波も立っていない。『この風向きと強さなら横断泳が出来そうだな』と思った。事務局からの連絡を待つ。

 とりあえず「みんなで軽く泳ごう」ということとなり、朝食後、全員でランセットビーチへ向かう。今日はDrオーも泳いだ、未だ多少うねりは残っているが、昨日に比べればかなり穏やかな海になっている。しかし水温は多少下がっている。四人で30分ほど泳いだが、風が次第に強くなり飛び砂が凄かった。場所を変えて港に近い海水浴場へ行ったが、更に海は荒れていたし水温はもっと低くなっていた。

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

18・タリファの町

 ホテル近くの「バル」と書かれた店へ入る。スペイン語の「バル」は「Bar」と書き、英語読みなら「バー」となる。ただ日本のバーとは異なり、食事もできるようである。だがバーなので、昼間からビールを飲んでいる年配の人達が何人かいた。何を食べようかと陳列されている物を見ていると、ビールを飲んでいた老人が私に近づき、「これとこれが美味い」とジェスチャーで教えてくれた。黄色と赤色の肉団子、その他タコの酢の物、トマトの酢の物、サンドイッチなどを頼む。先ずはビールで「お疲れさん」の乾杯。注文した料理を食べていると、大皿にトマトのスライス、ポテトフライ、何の肉か分からないが、とても美味しそうな料理を外へ運んでいくのが目に入った。「あれ、美味しそう」、「頼みましょう」ということになり、注文した。肉はマグロのほほ肉だそうである。魚料理が食べられるのはとても嬉しい。飲んで、食べて全部で60ユーロと、とても安く感じた。

059 マグロほほ肉、トマト、ポテトフライ料理

 食事の後はタリファの町の探索に出掛ける。先ずは海岸まで歩いて行く。海は西よりの強風で荒れていた。白っぽい色をした砂浜で、日光浴の人たちはいるが、海に入っている人は少ない。

 タリファの町は昔の城壁がいたるところに残されていた。城壁の内側は旧市街地、昔の町並みが残っている。石畳の細い道、白壁の家。空を見上げると、雲一つ無く澄んだ青空。映画に出てきそうな風景である。1時間ほど探索してホテルに戻り、シャワーを浴びて一休み。

 スペインの昼間は長い。緯度的にはイギリスのドーバーよりかなり下がるのだが、日の沈む時間が夜の10時過ぎである。夕食を食べに外へ出るが、19時は未だ昼間のように明るいし、町中はとても賑やかで、太陽も燦燦と降り注いでいる。

 スペイン料理の一人前は日本の1.5倍くらいのボリュームがあるので、大人五人でも三人前の量で十分だった。この国の人は毎日これだけの量を食べ続けているのだから太るのもうなずける。でも、若い女性はとても綺麗でスタイルの良い人が多いように思えた。

 飛行機に乗っていた時、空気の乾燥で喉を痛めていたが、ここスペインも湿度が低いので、痛めた喉は更に悪化してきている。Drオーにマスクをもらい、部屋にいるときはマスクを着けていた、薬を色々もらって飲んでいるが、余り回復しない。一緒にいるDrオー、トミーにうつしてはいけないと思っているのだが、ベッドに入ると咳き込んでしまう。

 スペインの昼間が長い分、朝は遅い。日の出が午前7時半ぐらいである。8時過ぎになるとやっと町中が動き出してきたなという感じがする。ホテルは食事が無しなので、朝食が食べられる店を事前に確認して近くの店に入る。出勤前の人達がポツポツと店に入ってくる。10時に仕事開始? 午後1時まで仕事? その後は「シエスタ」という2~3時間の長い昼休み時間? シエスタを取って、午後6時ごろまで仕事をして、後は日の沈む午後10時過ぎまでバルやレストランなどで食事&おしゃべり、海水浴などを楽しんでいる生活。

 日本のようにあくせくしたところは全く見受けられない。あくせくしてない最たる行動は交通ルール。町中には信号機が一基しか見当たらなかった。人優先が徹底しているようで、横断歩道に立つと必ずクルマは止まってくれる。とても素晴らしいことだ。日本ではとてもこうはいかない。いつになったら横断歩道を渡れるかな?

World Open Water Swimming Man of the Year - Yutaka Shinozaki-san

スティーブン(Steven Munatones)から

2011年世界オープンウォータースイミング・マン・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀賞)候補者発表

 米国カリフォルニア州ハンティントンビーチ市 - オープンウォーターソース社は、本年度のオープンウォータースイミング・マン・オブ・ザ・イヤー(年間最優秀賞)の候補者を本日発表しました。

 世界で急成長中のオープンウォータースポーツ愛好者数百万人の中から、9カ国中12名が選ばれました。危険、チャレンジ、美しさを内在するこのスポーツに情熱的に取り組んでいるアスリートたちばかりなので、彼らの功績、ライフスタイルに関する話は、大変面白く、魅力的で、感化されます。

 この賞は最高のアスリートに対して与えられるものとは限りません。むしろ、(1)オープンウォータースイミングというスポーツの精神を最も表現した選手、(2)オープンウォータースイマー特有の冒険心、不屈の精神、忍耐力を持っている選手、(3)2011年、オープンウォータースイミングに最も良い影響を与えた選手の栄誉を称えるものです。

 11月1日から12月31日まで、ここでオンライン投票ができます。受賞者は、1月1日に発表され、グローバル・オープンウォータースイミング・コンファレンスで表彰されます。

 オープンウォーターワールドのヒーロー情報は、こちらでご覧になれます。

World Open Water Swimming Man of the Year

Roger Allsopp (Great Britain)

Bruckner Chase (USA)

Salvatore Cimmino (Italy)

Spyridon Gianniotis (Greece)

Simon Griffiths (England)

Thomas Lurz (Germany)

Simon Murie (Great Britain)

Yutaka Shinozaki  (Japan)

Petar Stoychev  (Bulgaria)

Jamie Patrick (USA)

Stephen Redmond (Ireland) 

Doug Woodring (Hong Kong)

スティーブンミュナトネス
www.openwaterswimming.com
www.dailynewsofopenwaterswimming.com
www.openwaterpedia.com

スティーブンは「日本人だから」とYutaka Shinozakiを推奨していますが、私の予想ではロジャー(Roger Allsopp)です。

Img_3077 ロジャー・オルソップとキンちゃん

彼は今年、ドーバー海峡横断泳の最高齢記録を更新しました。おそらく本命でもあるのでしょう。

他にプライベートで私が面白いと思うのは女性の方です。

World Open Water Swimming Woman of the Year

Anna Marcela Cunha (Brazil)

Pamela Dickson (New Zealand)

Elizabeth Fry (USA)

P8210555リズことエリザベス・フライとキンちゃん

Pat Gallant-Charette (USA)

キンちゃんに「心臓病撲滅運動の日本代表になってほしい」と言ってきたパット(Pat Gallant-Charette)
(彼女は今年、ジブラルタルの情報を私に送ってきた)

Pilar Geijo (Argentina)

Her Serene Highness The Princess of Monaco

Marcy MacDonald (USA)

P7280004 今年、最初と最後にドーバーを泳いだマーシー(Marcy MacDonald)

Angela Maurer (Germany)

Anna-Carin Nordin (Sweden)

Img_1628_2 今年、キンちゃんと一緒にゴゾを泳いだアンナ(Anna-Carin Nordin)

Diana Nyad (USA)

Penny Palfrey (Australia)

Pp1 今年津軽を泳いだペニー(Penny Palfrey)

Keri-Anne Payne (Great Britain)

何だか、「知っている」と言うより、友だちが多いです!

皆さん、投票してください!

と言いつつ、誰に投票するか困った・・・。

他に面白い部分では、パフォーマンス部門で鈴木一也さんが出ていました。

Japan to Taiwan Ocean Swim Challenge (Japan – Taiwan)

皆さん受賞できると良いですね!

湘南の主の「ジブラルタル海峡を泳ぐ」

17・やっとスペインへ              

 ジブラルタル空港行きは8時発。ローカル線なので出発ゲートは遠い。ゲートを確認し、朝食をトラさん、トミー、私の三人で買出しに出掛ける。ゲートへ向かう途中、美味しそうなサンドイッチの店を見つけたのでおいたので、その店でサンドイッチを購入。

 Drオー、キンちゃんが待つところへ戻り、朝食を食べていると、ゲートが開いて並び始めた。ローカル線なのでバスに乗り、タラップで機内に入る。機は定刻に動き出したが、滑走路が込んでいるようで20分ほど待たされる。

 ようやく飛び立った。機はぐんぐん上昇を続け、イギリスの空を覆っていた厚い雲を突き抜けると、太陽の光りが燦々と輝く大空へ出た。太陽の光がとても暖かそうに見える。トラさんがホテルのテレビの天気予報で見たところ、イギリス全土は大きな低気圧に覆われ、左右に延びた前線がどっかと居座って、暫くイギリスは天候不順が続くらしい。同じようなことを空港に向かうタクシーの運転手も言っていたそうである。ジブラルタル方面は高気圧に覆われて良い天気らしいとのこと。

 イギリス領ジブラルタルには予定通り11時に到着した。この空港の滑走路は一般道路と平面交差しているで、飛行機の離着陸の際は遮断機が降りて、一般道路は通行禁止となる。とても珍しい滑走路だとトラさんが教えてくれた。確かに着陸時に外を見ていたら遮断機らしき物が降りて、クルマ、人が待機していた。

033 飛行機の離着陸のため遮断機が降りて開通を待つ車・人

 機内から外へ出ると、イギリスと大違いの気候、太陽が燦燦と輝き、南国を思わせる雰囲気。しかも日本のように蒸し暑さは全然なく、カラッとしている。温度計は33℃を示していた。

029 イギリス領 ジブラルタル空港からみるロック

 目的地の「タリファ」へ行くにはバスかタクシーを利用するしかない。ジブラルタル空港前からタクシーに乗ろうとしたが、ジブラルタルはイギリス領なので、スペイン国内は走れないようだ。「国境を越えた向こうで乗れ」とタクシーの運転手に言われ、重たいトランクをゴロゴロ引きながら国境の検問所を通過する。パスポートを見せるだけの簡単な検問だった。

 タクシー乗り場は検問所の直ぐそばにあって助かった。トラさんが交渉してタリファまで行ってくれることになった。大型タクシーが無く、トラさん、キンちゃん、私の三人組と、Drオー、トミーの二人組みに分かれ目的地へ向かう。高速道路のようだがそうでもないような、それでも結構スピードを出して走る、走る。いわゆる「ぶっ飛ばし走行」。神風タクシーのようだ。

 道沿いの建物は南国を思わせる白壁の家、オレンジ色の屋根、南国特有の木々に囲まれて、太陽が燦燦と降り注ぎ、この景色を見ているだけで何とも言えない心が和むし、心豊かになった気分である。

 途中、何箇所か渋滞にはまったが、1時間ほどでタリファの町へ到着した。タリファの町へ近づくにつれ、運転手が左側の景色を指差して「アフリカ」と教えてくれた。何処の国か分からないが、山並みが並ぶ北アフリカ大陸が霞んで見える。「アフリカ大陸」、「ジブラルタル海峡」、とても魅力のある言葉の響きだ。

 タリファの町は思っていたより大きな町で、リゾート地という感じがする。写真や映画で見る南国特有の白い壁、オレンジ色の屋根瓦、降り注ぐ太陽、町を行く人々の服装はこの景色の中にしっかりと溶け込んでいる。タクシーの運転手は二度ほどホテルの場所を確認してやっとホテルにたどり着いた。12時半を回っていた。

 タクシーの料金だがこれが結構いい加減で、メーターらしきものはあるが日本のタクシーのように金額は表示されていない。走行距離のような数字が動いていた。そして我々の乗ったタクシー運転手が後続のタクシー運転手と話をして金額を決めているようだった。一台150ユーロ、二台で300ユーロを請求された。後で判ったがこの金額がとんでもなく高いものだった。多分、二人の運転手はこの金でバカンスを楽しんだことだろう。乗る前に金額交渉をするべきだったと思った。

 ホテルは我々「おじん」三人組は一階の三人部屋だった。荷物を整理していると、午後は町が昼休みになってしまうので食事が出来なくなる。「早く、早く」とトラさんが急かすので外へ出る。

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16・ロンドンは寒かった

 入国審査の長い行列が出来ている。審査を通過するのに1時間も掛かった。幸いなことに私たちは審査を五人一緒に受けることが出来て助かった。私は一言も発すことは無かった。

 イギリスは黒人系が多いのに驚いた。中国人の傍若無人振りにも腹だたしい思いをさせられた。

 日本から高校生の修学旅行と思われる団体が二つも同乗していたようだ。女子が圧倒的に多かった。入国審査では中国系の家族、女子の一人についての審査がかなり厳しく行われているように見えた。

 今夜泊まる宿は空港近くとのことだったが、タクシーで行くことになった。しかしこれが中々うまくコンタクトが取れず、タクシー乗り場を右往左往してしまった。建物の外に出ると雨上がりで、涼しいというより寒く感じたのは私だけではなかったと思う。外気温は19℃だった。結局、タクシーを頼んだインフォメーションの男性が呼びに来てくれて何とかタクシーに乗ることが出来、無事宿に着くことが出来た。

 部屋は一人部屋でダブルベットだった。トランクは空港に預けてしまっているので手荷物だけ。着替えがない。トラさんはTシャツと短パンだけでとても寒そう。

 宿の一階にあるパブでご苦労さんの喉を湿し、他にもお客さんは居るが、皆さん顔馴染みのようで、日本で言う一杯飲み屋的感覚か? 日本と大きく違うのはビールだけ。おつまみ無し。おしゃべりを楽しみながらちびり、ちびりとビールを飲んでいる。ビールは四種類あり、水道の蛇口のようなところからグラスに注いでいる。泡は殆ど入っていない。宿の主人はインド系の人で、その仲間と思われるインド系の人が入れ替わり立ち代り顔を出す。

 宿の主人に「食事処は?」と聞くと、「この先に中華とインド料理がある」と教えてくれたのでインド料理の店へ行くことにした。

3 インド料理店の前で

 多分、私はインド料理店に入るのは初めてだと思う。店内はインド人が多く、食事の最中だった。メニューを渡されるがよく分からない。Drオーが「カレー」と言うと店員が何種類ものカレーを言っていたが、チキンは私にも分かった。三人はナンを、二人はライスを注文。ライスは昔の外米をもっと細長くしたような米だった。しかもチャーハンのように味付けしてある。カレーは程よい辛さだと思っていたが、食べているうちに段々辛くなってきた。お腹が一杯になると瞼が重くなる。

 思えば今朝、午前4時起床から機内でウトウトはしたが、28時間余り過ぎている。眠いはずだ。時計はイギリス時間に合わせ、8時間ずらす。イギリス時間の午後8時過ぎに宿へ戻り、ベッドで横になると睡魔が容赦なく襲い、アッという間に夢の中。というより夢もみない爆睡。一眠りして目が覚めて時計を見ると未だ10時だった。よほど疲れていたのだろう。それから2時間おきに目が覚めてはトイレに行ったが、朝方の3時過ぎはもう眠くはなかった。ウトウトしていると、他の人も同じようにトイレに行くドア音と足音が聞こえた。

020 ヒースロー空港近くのホテル

 今朝は5時半過ぎにタクシーが迎えに来ることになっている。身支を済ませ、成田空港で買っておいたミニカップ麺を食べて身体の中から温める。外へ出てみるがとても寒かった。ザックに着けてある温度計を見ると15℃。風もあるので体感温度はもっと低いはずだ。

 予定の時刻になってもタクシーが来ない。トラさんが連絡すると運転手は寝ていたようだった。タクシーを諦めてバスで行くことになり、バス停で待っているとタクシーが飛んできた。やれやれである。空港へ向かうが、朝の6時過ぎだというのに道路はかなりの混雑。サマータイムなので1時間早いためらしい。

 イギリスの出国審査、特に荷物検査は厳しい。身につけている金属類はベルトまで外す。「帽子も取れ」と言われた。でも心配無用、難なくパスである。

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15・苦行を乗り越えなければ

 ロンドン行きは10時55分発となっていたが45分に変更になっていた。しかし、成田空港を飛び立ったのは11時15分過ぎ。これから約11時間半、狭い座席にへばりついて座りっぱなしの苦行が始まる。これを乗り越えなければ楽しみは得られないのである。

 北極回りで行くのでロシア上空を通過して行ったが、窓から見える景色は家並みが全く見えない。たまに道らしきものが見えるが、森林の中を何処までも真っ直ぐに筋のように見える。今は緑の森林に覆われているが、冬は一面の銀世界なのだろう。

 成田を飛び立ち2時間ほどして機内食が出された、トラさんはビール、ワインを次々に注文しては飲んでいる。私の座席は30Cで窓側に面していた。しかし「日差しが入るので窓のシャッターを閉めるよう」に言われ、外の景色が見えなくなって残念だった。座席のモニターで飛行経路を表示させ、今、何処を飛んでいるかを楽しんでいた。飛び立って3時間。未だ未だ先は長い。現在の飛行速度は960km/hr、外気温は-40度、高度9,600mで飛行中とある。

 6時間経過。あと6時間。やっと半分まで来たことになる。退屈だ。トラさん、キンちゃんは座席のモニターで映画を食い入るように観ているが、画面が小さいし、画質が悪いし目が疲れるので私は見ない。長時間座ったままの姿勢でいると、「血栓が起こり易い」と言われているので、私の家の前に住んでいる方から教わった。足を動かす為の小道具、ストッキングにゴルフボールを入れたものをコロコロと足先で動かして、血行促進の足先運動をやっていた。

 機内の空気も乾燥しており、喉がとても痛くなってきた。自然環境に勝るものはない。これ以上喉が痛くならないことを願うが、ますます痛みは増してくる。他の乗客は大丈夫なのだろうか? 心配になってくる。

 出発してから9時間半。予定ではロンドンまであと2時間ちょっとのところまで来た。9時間半の間に座席を立ったのはトイレに行った三回だけ。実によく耐えている。でも私だけではない。機内にいる乗客全員が耐えているのである。何故、そこまで耐えられるのか? 第一は動きようが無いからである。北欧のスカンジナビア半島、北極に近いところではあるが、結構町があることを知った。家に帰ったら地図で見てみよう。

 やっとイギリス、ヒースロー空港に到着。しかし滑走路が混雑(?)しているとかで、上空で15分も旋回して着陸を待つ。

005 旋回中に上空から見たイギリスの住宅街

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14・いざ・出発

 7月17日(日)出発当日である。色々あったが、やっとジブラルタルへ向けて飛び立つ日が来た。午前4時に目が覚める、シャワーを浴び、りんご、ババナを食べながら朝刊に目を通す。相変わらず原発事故の問題が大きく取り上げられている、しかも「食」に関することで、原発から遠く100km離れたあたりで飼育している食肉牛からのセシウムを検出。先の見えない底なし沼のような放射能問題、目に見えぬだけに恐ろしいことだ。

 家を出る時、家内に声を掛けるが、着替えをして横になって寝入ってしまったらしい。身体を揺すり「行くよ」と再び声を掛けるとびっくりしたように目を開けた。「忘れ物はなぁ~い?」と言ったが、思いつかないし、今更あってもどうしようもない。靴を履き、改めて「行ってきます」と家内の両手を取ってサインを送る。外国ならこういう場面ではハグをするのだろう。

 途中のコンビニでおにぎり二個とサンドイッチを買う。駅前のバスターミナルは時間が早いためか誰も居ない、成田空港行きの⑥番線でバスを待つ。暫く待つと黄色のジャンパーを着て自転車に乗った人が来て、「成田空港へ行きますか?」と尋ねてきた。名前を告げると用紙をチェックして「料金は3,700円です。チケットは乗車の際、運転手に渡してください。荷物はバスのトランクに入れますので、どちらのターミナルへ行かれますか?」、「第二ターミナルです」。トランクに荷札をつけ、半券を渡してくれた。藤沢駅では私を含め七名の乗車。バスの中はゆったりしている。戸塚駅に立ち寄り、又、一名乗り込んだが、服装からしてスチュワーデス(キャビン・アテンダント)のように見えた。

 時間が早いので道路は空いており、順調に走り続け、予定では「7時50分成田着」のはずだったが、7時30分に着いた。遅れるよりは早い方が助かる。
 集合場所のBAのカウンター番号は「R・S」で建物の右端の方だったが、バスはかなり近いところに停まってくれて良かった。

P7170235 R・Sカウンターに向かってのろのろと歩いていくと、キンちゃんが手を振っている。トラさんも昨夜は成田空港の近くのホテルに泊まったので、今朝は楽だった様子である。暫くするとDrオーが息子さんのついでにTと一緒に到着。ついでにTは29日に我々が滞在するスペインのタリファへ来て、そこからアフリカのモロッコへ行くそうである。私がトイレへ行って戻ってくると、トミーも来ていた。これでメンバー全員が揃った。

 出国手続きを済ませ、出発ロビーへ移動。未だ時間はたっぷりとある。とりとめのない話しをしながら出発時間を待つ。トラさんからのメールで津軽海峡横断泳協会設立について触れていたので色々と伺った。オーシャンズ・セブンの中で、協会の無いのは津軽だけらしい。何かお手伝いできることが私にもあると良いのだが。

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13・小トラブル発生?

P1010117 海に向かって建つ要塞? 手前はトーチカか?(タリファより)

 ジブラルタル出発に先立ち、荷物の重量制限、持ち込み品の諸注意など、超多忙な日々を精力的にこなし、何とかジブラルタルへ行けるように奮闘していることなど、トラさんから連絡が入り、各自も準備が本格化して具体的な質問、問い合わせが多く飛び交っている。そしてスペインでの宿泊予定が当初の予定通りに予約されていないことが分かった。どうも予約金の送金がないためらしい。「7月22日~24日の予約が取れていないので、ホテル側が探してくれた場所は海から遠いので、トラさんがインターネットで探す」とある。

 「トラブルを呼ぶ男」と異名をとるトラさんだから何か起きても不思議ではない。そのトラブルをうまく乗り切るのもトラさん。お任せしよう。

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