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わくわく、どきどき、台風の目。

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2011年7月の記事

スペインの新聞

スペインの新聞
「ジブラルタル じじぃ」がスペインの新聞記事になりました!

キンちゃん終了

キンちゃん終了
2011年7月23日(土)、ジブラルタル海峡横断泳(1-way solo swim)をキンちゃんが試み、5時間05分(未公認)で成功しました。
07:08、タリファ(スペイン)をスタートしたキンちゃんは、昨日の「ジブラルタル じじぃ」より弱冠風波が強い中、北アフリカのモロッコを目指しました。
そして12:13、アフリカ大陸(モロッコ)、タンジェの東(「ジブラルタル じじぃ」の到着点より更に東約10km)に到着しました。
天気は曇り。水温18〜22℃。気温20.9〜22.4℃。西の風3.2〜4.4m。波高1.0〜1.5m。
おそらく日本人では初の公認ソロスイマーです。
キンちゃんWell done!!!

スタート

スタート
昨日に引き続き、キンちゃんがソロスイムのスタートをしました。
7月23日(土)07:08、タリファ(スペイン)からアフリカ大陸(モロッコ)に向かって泳いでいます。
天気は曇り、昨日の方が好天です。水温はスタート時で18℃。気温は21℃。南西の風3.2m。波高1.0m。
「11時までに着かないと難しい。(4時間で泳ぐ)」と言われ、少しピッチが速いです。

じじぃ、終了!

じじぃ、終了!
7月22日(金)07:10にジブラルタル海峡の横断泳を試みた60歳オーバーの日本人リレーチーム「ジブラルタル じじぃ」は、4時間38分で無事モロッコ側、タンジェの東側に到着しました。
天気は薄曇り。水温は18〜22℃。気温は21.3〜24.3℃。ほぼ南東の風0.1〜2.8m。波高1.0〜1.5m。
絶好の遠泳日和でした。

スタート

スタート
TOMMY、湘南の主、泳ぐDr.の順番で、7月22日07:10にTOMMYがタリファ(スペイン)をスタートしました。
ジブラルタル海峡の向こう、アフリカ大陸のモロッコが見えています。
朝日が昇るジブラルタル海峡を、平均年齢60歳オーバーのチーム「ジブラルタル じじぃ」がジブラルタル海峡を泳いで横断しようとしています!

ジブラルタル じじぃ

ジブラルタル じじぃ
明朝(7/22)06:30(スペイン時間)、タリファ(スペイン)の港に集合です。それからリレーを試みます。

リレーチームの名前は「ジブラルタル じじぃ」。3名のじじぃがリレーでジブラルタル海峡横断泳を試みます。

今日の昼、港に近いレストランで昼食を楽しみました。
レストランの女性御主人もノリノリで、踊りながら私たちの水泳を応援してくれました。

TOMMY 語る

TOMMY 語る
今日、本来はリレーの泳ぐ予定でした。しかし、風が強く、金曜日以降に予定が以降しました。そこで、スペイン語の勉強です。

泳ぐための禁酒が解禁した途端、猛勉強したのはバーレストランのウェイトレスとの会話を楽しんだTOMMYでした!

初練習

初練習
ジブラルタルのビーチで初練習をしました。
水温20℃。
風が強く、かなり荒れていました。

ジブラルタルです。

ジブラルタルです。
ジブラルタル海峡に到着しました。 海の向こうにはハッキリとアフリカ大陸が見えています。

ジブラルタルに行って来ます!

ジブラルタルに行って来ます!
ジブラルタル海峡横断泳に行って来ます!
写真は今回のメンバーです。

2nd leg

2nd leg
キンちゃん、2nd legは6時間28分。2-way合計で11時間02分でした。
3rd legは、時間と栄養補給品の関係上、取りやめにしました。
2nd legは風と潮が逆向きのため、ずっと岸寄りを通ってきました。
泳いだ功績のラインを図に書くと、沿岸の形になるほどです。

キンちゃんは40分毎に栄養補給を捕りますが、この際にデータを取ります。
途中、40分で進んだ距離が200mのこともありました。
この時間とコースなら、3-way泳いだのと同様でしょう!

1st leg

1st leg
キンちゃん、1st legは4時間34分で大瀬崎を折り返しました。
天候は急速に快復して晴れて暑くなってきました。ただ、時折南の強い風(10m/sec近く)が吹きます。
潮は行きも帰りもよくありません。

3-way

3-way
本日、キンちゃん、淡島〜大瀬崎の3-wayです。
淡島を06:12にスタートしました。
天候は曇り時々豪雨。西の風7m。波高は1.0m。水温25℃。
海はかなりチョッピーでキンちゃん好み!
菊地さんは「波が高い」とかなり岸寄りのコースを取りました。

本日の概況
内浦三津
北緯 35度01.0分
東経138度53.0分

2011/07/05(火)
日出 04:35
日入 19:02
月出 08:33
月入 21:28
月齢 3.8
潮名 中潮
干潮 01:50 0.75m
満潮 07:27 1.53m
干潮 14:02 0.23m
満潮 20:40 1.63m

被災地(石巻)に行ってきました。

 2011年7月1日、東日本大震災の被災地、石巻に行ってきました。そこで見たものは、悲惨な大津波による爪痕の実態でした。

P7010221 小学校

3月10日まで、この校庭や校舎から、どんな歓声が流れていたのだろう? それを思うとあまりに悲しい!

 今年の9月、OWSでは世界的に有名なペニーとクリス夫妻が津軽海峡を泳ぎに来ます。その準備で私は北海道、青森を巡ったのですが、もう毎年のこともあってトントン拍子に話が進み、予定よりかなり早く仕事が終わりました。そこで残った時間を使って前から行ってみたかった被災地(石巻)に行くことにしました。

P7010204 一階の部分が破壊されている。

 津軽海峡横断泳は津軽海峡で管区が分かれます。つまり青森海上保安部は第二管区海上保安本部(塩釜:東北方面)の管轄で、函館海上保安部は第一管区海上保安本部(小樽:北海道方面)の管轄です。したがって当初、私は一管本部、二菅本部にも計画を届け、お願いをしてきました。まあ今ではそこまでしなくとも良くなりましたが、塩釜はよく思い出に残っています。それ以外にも旅行で、日本三景の一つ、松島は翌思い出に残っています。

P7010205 一階の部分が完全に崩壊された家屋

 JR仙台駅に降りると、駅前の大きなビルに掲げてある大きなテレビのような画面に、「意味もなく被災地に出掛けるのは止めましょう。(警察署)」と書かれているのが目に入りました。

 それはそうでしょう。被災者は見世物ではないのです。おそらく私のような野次馬根性の持ち主に自粛を求める言葉のように受け止められました。増してや私はボランティアではありません。仙台に友人はいますが、無事なのは確認済みです。そんな私が被災地を訪れるのは、きっと、被災者の気持ちになるととんでもない行為のような気もします。罪悪感も有りました。しかし私はどうしても行きたかった。それはテレビやマスコミで見聞きするのではなく、実際の被災地を見聞したかったのです。

P7010207 傾いた家屋(中はゴチャゴチャ)

 JR仙石線(仙台~石巻間)は線路が途中で寸断されているので、仙台からは松島海岸からJR代行バスになります。このバスが1時間に1本の運行。

P7010208 ビルの谷間に漂着したヨット

 JR仙石線本塩釜付近まで来ると、何となく「被災地」という感じがしてきます。電気は来ていると思うのですが、信号機が光らずに交通巡査による手信号になっています。駅前の商店には「ありがとう。ボランティア!」の文字が目に入ります。ますます罪悪感が・・・。

 松島海岸に近付くと、国道と線路の間のスペースに小型レジャーボートが傾いて放置されています。おそらく津波によって流されてきたのでしょう。ここから先は、地震+津波の被災地のようです。

P7010209 反対側から見たヨット

 JR松島海岸の駅前は、観光客相手のホテル送迎バスが走っていました。「日本三景」のひとつになっている松島です。観光客取得に懸命のようです。何となくそれを見た私は心の何処かで“ホッ”としているし、それなりに観光客もいるようですが、震災前のように、心の底からもろ手を上げて喜べないでしょう。ほとんどの観光客が、「観光することが復興につながる」と考えているのかもしれません。そう思う自分の心の何処かで“辛さ”があるのです。

P7010210 路上によこたう観光船?

 それに以前に来た松島と何処かが違う・・・。そう、海面が高いのです。いや、海面が高いのではなく、地盤沈下によって地面が下がったのです。駅前の駐車場が一部、海面に沈んでいます。港の桟橋より海面が高い。ですから小型船が道路よりも高い位置に浮かんでいるのです。道路のあちらこちらにも海水が路面を占拠している・・・。「こういうところで観光もなぁ~・・・」とも思いました。

 バスに乗って石巻に向かう・・・。途中、海岸線に沿って走る線路の送電線の電信柱が傾いている。震災以来動いていないであろう電車が悲しげに止まっている。信号機が完全に倒れている。・・・ああ、被災地なんだ・・・。

P7010211 民家に接岸?

 時折、田舎の田畑に「何でこんなところに???」と思わせる場所にクルマが置いてあったりする。それは時たま震災には無関係に見る光景だ。そんな感覚で田畑に瓦礫やクルマがある。これは完全に津波によって流されてきたものだ。中でも“震災とは無関係”同様な感覚で家の屋根だけが田畑に放置されている。もちろん津波によって流されてきたものだが、この“屋根だけ”というのが少なからず私にはショックだった。

P7010232 プラットホームだけになった東名(とうな)駅

 バスはそんな景色を私に見せつつ進んで行く。途中、「東名(とうな)」というJRの駅の上を立体交差で横断して行く。この駅は・・・、プラットホームだけだった。

 約1時間半バスに揺られて石巻に着く。駅前の商店街は半壊状態の商店を除いて営業している店が多かった。みんな一生懸命なのだ。駅前の観光タクシーも沢山並んでいたし、皆さん「日常」を取り戻そうと必死になっているのが感じ取れる。それでも半壊状態の商店は手つかずで残っているのが悲しげだし、道路はあちらこちらがうねっている。やはりここの今は「日常」ではないのだ。

P7010214 陸に上がった漁船

 駅前の地図を見て、私は川沿いに海まで出ることにした。それは、「怖いもの見たさ」ではないのだが、「それが津波による被災の最も効果的な見聞」と考えられたからだ。もうこの頃は「罪悪感」など消し飛んでいた。「津波の爪痕が見たい」、それだけが私を動かしていた。

P7010213_2 瓦礫の山に「自由の女神像」が・・・。

 途中、ヨットが民家の脇に鎮座していた。道路沿いに観光船と思しき船も横たわっている。川の向こうでは漁船が・・・。瓦礫の山の向こうでは「自由の女神像」が立っている。先日、ニューヨーク、「マンハッタン島一周スイムレース」が終わったばかりだ。これはリバティ(自由の女神像)の前、マンハッタン島最南端のバッテリーパークがスタート(ゴール)地点なのだ。石巻のリバティは何を見たのだろう???

 途中、道路脇の側溝の汚泥を排除しているボランティアグループにあった。排除したあとは白い粉を撒いている。おそらく虫がわかないようにする薬であろう。

P7010212 泥出しのボランティアたち

 道路脇に警察官が2名立っている。
警「こんにちは」
私「こんにちは」
チラッとパトカーを見ると神奈川県警だ。
私「神奈川からですか!? ずいぶん遠くから来ましたね!!??!!」
警「いやぁ~、まだ近いほうですよ・・・」
 そう言われてみると、街中を走る警察車両は「福岡」とか「大分」とか・・・、他県ナンバーが多い。地元の警察車両は津波で流されてしまったのだろうか??

P7010215 もう海に帰れないのか? 船も水に帰りたがっている。

 海に近付くに連れ、建物は何もなくなった。最も悲しかったのは、廃墟とした小学校だった。3月10日まで、この小学校からどんな歓声が響きわたっていたのだろう???

P7010222_2

P7010223   学校

 廃墟とした石巻の街を歩く。太陽は燦々と輝いているのに、心は悶々と沈んでいる。流されたお墓、流された家屋。ここにはどんな生活があったのだろう??

 歩いている人は私以外誰もいない。野良の犬猫さえ見当たらない。時折道路工事の工夫であろうヘルメットを被ったおじさんが立っているが、何をするわけでもない。

P7010216 河口にある瓦礫の山

 遠くを走る観光タクシーにお客さんが乗っている。駅前の観光タクシー案内で確認した上では被災地を通るコースが存在しない。それはお客さんがリクエストしたのか、運転手がサービスで走らせているのか不明だが、そんな観光タクシーを何台か目撃した。

P7010217 すべてが流された街

 虚無感が私を覆い尽くした。「もう帰ろう・・・」、そう思った。

 東京生まれ、東京育ちの私だが、地下に入ったり高層ビルの間に迷い込んだりではとても方向音痴なのだ。しかし何もないところでは帰巣本能というか、石巻の駅がどの方向にあるのか“方向”はよく分かる。

P7010218 ここに何があったのだろう??

 それでも道路上でどのように行くか、前から友人に「迷ったら聞けば良いのに!!」と言われている。それは東京の場合だが、私は近くを走るクルマを止めてその運転手に聞いた。

私「石巻の駅まで行きたいのですが、どのように行ったら良いですか?」
運「石巻の駅か・・・。遠いよ。乗っていくか?」
私「いや結構です。歩いて行きますから・・・」
運「この先にセブンイレブンがあるから、そこを右に曲がって何処までも山を上がる。すると今度は山を下ることになるから、下りきった先に駅があるよ」
私「分かりました。ありがとうございました。・・・・・・・・・」

P7010219 お寺も基礎が潰れている。

 この運転手は3月10日以前の記憶で私に道を教えてくれたのだ。何故ならば、何も無くなった街にセブンイレブンなど存在しない・・・。その道案内が痛く私の胸に刺さった。余りにも悲し過ぎた。

P7010220 何を見たのかお地蔵さん。笑っているような・・・。

 「ここにセブンイレブンがあった」と私の帰巣本能が教えてくれる。それに従って山、、、というより丘を上がる。上るに従って街並みは「日常」になっていった。地震はおそらく丘の上も海に近い地域も同様に揺れたのだと思う。ただ、決定的に違ったのは津波の影響だ。「津波さえなければ・・・」、そう思えるほど丘の上の住居は日常を取り戻していた。

 ほぼ丘を上りきった辺りでひとりのおばあちゃんが道路で座り込んでいた。熱中症かもしれない。それを3人のヘルメットを被ったボランティアたちが介護をしていた。確認のため、私はそのボランティアに石巻の駅に行く道順を聞いた。やはり私の帰巣本能に間違いはなかった。

P7010224 何も無くなった・・・。

私「写真を撮っても良いですか?」
ボ「何に使うんですか?」
私「皆さんの活躍を私のブログに紹介したいのです」
ボ「勘弁してください」
 愚問を投げかけてしまったようで反省した。

P7010225 何処までも続く被災地

 石巻の駅前まで戻るとタッチの差で松島海岸行きのバスは出発した後だった。あと1時間はバスがない。

 石巻で歩くことを予想できた私は仙台で腹ごしらえをしていた。そのせいもあるのだろう。決して空腹ではないのだが、残った1時間で私は駅前の食堂に入った。サービスランチは3時まで。「悪いね」と言いながら3時ちょっと前に入り、ビールと魚定食を注文した。魚は地のものであろう、とても美味しかった。ただ、ビールはおそらくいくら飲んでもここでは酔えないであろう・・・。

P7010226 いつになったら日常に戻る??

 帰りのバスは通学の高校生が多かった。一見、電車が動かないだけで彼らは明るく元気に見えた。まあ表面には出てこない心の深い傷が、いつかは癒せるのだろう。そんな期待が彼らの明るさから感じ取る私だった。

P7010227 早く「日常」に戻れることを、心よりお祈り申し上げます。

津軽海峡の海流

日付:2011年6月29日

場所:北海道函館市潮首岬付近

流方:右(日本海側)→左(太平洋側)

かなり速く流れています。

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北海道函館の潮汐

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