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わくわく、どきどき、台風の目。

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2009年11月の記事

津軽泳の詳細

Simage072日付:2009年 9月 2日(火)
場所:津軽海峡<青森⇒北海道+日本海⇒太平洋>(距離120km)
泳者:藤田美幸(キンちゃん)
方法:1-way solo swim(縦横断泳)
出発:小泊半島権現崎(青森)
到着:函館市戸井(北海道)
結果:03:44⇒20:29 16時間45分 リタイヤ
概況:天気 晴れ時々曇り
   視界 10海里(20km)
   風向 主に東
   風速 1.3~12.0m/sec
   気温 18.6~23.9℃
   水温 20.5~23.0℃
   波高 0.5~2.0m
   ピッチ 59~67回/分
   補給 炭水化物+果糖+茶類=300ml/40分毎
   流向 北東および東北東方向(海流)
   流速 0.0~4.0kn(0.0~7.4km/h)
潮汐:函館(北緯 41度47.0分 東経140度44.0分)
   日出 05:03       日入 18:09
   月出 16:53       月入 02:19
   月齢 12.7        潮名 中潮
   満潮 01:29 0.92m    干潮 08:35 0.29m
   満潮 15:21 0.85m    干潮 20:31 0.56m
船名:第61栄幸丸(4.9㌧)
船頭:安宅 勉
船頭:安宅善春
監督:石井晴幸

  • 津軽海峡の主な流れの成分は「海流」であって、日本海から太平洋に向かって流れている。この海流に対し、「山背」などの主な風は東風が多く、特に竜飛(青森県津軽半島最北端)は“風の名所”として有名で、風力発電の風車がいくつも見られる。
  • 今回は竜飛の風速が10m/sec以下で実施した。津軽海峡内の風が竜飛の風以下だと想像できたからだ。ただ風向きが西ならもっと良かった。

壁になった波が攻めてくる(4/4)

 午後4時頃から潮はほとんど動かなくなり、北東風が山背になって吹き始めた。この山背が波を呼び、第61栄幸丸はキンちゃんの側で伴走することが困難になってきた。安宅さん兄弟と協議し、到着地点を戸井から函館山に変更した。ところがこれもドーバー同様スイマーは蚊帳の外。キンちゃんは何も知らずに「景色が変わらん!」と文句を言っている。
 安宅(兄)さんが第61栄幸丸の船首に陣取り、舷から身を乗り出して大きく腕を振り、キンちゃんの進路を誘導する。しかしこれも明るいうちは良いのだが、暗くなると見えない。そこで安宅(兄)さんはライトで合図を送るのだが、あとでキンちゃんに聞くと「あれは応援のためのライトだと思っていた」とのこと。
 一般に船はスロー(エンジンをアイドリング状態でクラッチをつなぐ)でもスイマーのキンちゃんよりスピードは速い。したがってエンジンをアイドリング状態にしてクラッチをつないだり切ったりしてスピードをスイマーに合わせる。無風のときはこれで問題ないが、山背のような強風が吹いている中で、しかも風向きとは異なる方向へ進路を取りながらの操船は困難を極める。
 つまりアイドリングでもクラッチをつないでいれば船は舵が取れる。しかしクラッチを切った途端に船は一番風の抵抗が受けやすい方向に向きを変える。だから船は“アイドリングでコース修正をして”と“風で向きを変えられて”を繰り返すので、ジグザグ進む蛇行走行となる。ちなみに水に浮いている小型船舶と、そのほとんどが水に没しているスイマーと比べると、風の影響は断然小型船舶に軍配が上がる。
 夜になって山背は更に強さを増して吹き付けてくる。第61栄幸丸とキンちゃんとの距離が更に広がる。キンちゃんを誘導させるための有効な対策を練り始めた。それが「いさり火誘導」である。津軽海峡には夜になるといくつものイカ釣船がでる。そのイカ釣船にはどれも「集魚灯」と呼ばれるものすごく明るい電気を灯してイカを釣るのだ。その明るさは空まで届くように明るい。だから水面からでも見えると思ったのだが、いくつもある集魚灯の「最も左の明かりを目指せ!」と指示出しをした。しかし風波の中で泳いでいるキンちゃんにとって、その物標である明かりはやはり波間で見えたり見えなかったり・・・。
 メガホンを使って指示をするが、耳栓をしているキンちゃんには波の音、風の音が邪魔してうまく聞こえない。更に追い討ちをかけるように「進んでいない」という気持ちがキンちゃんの「継続させよう」という気持ちを奪っていく。万事休すである。GPSでは実際に進んでいないわけではない。だが“時速10km以上”の最大スピードに比べれば、現在の“時速1km”という10分の1以下のスピードは、誰しもが「進んでいない」と感ずることだろう。
 キンちゃんは泳ぎを止めては方向を確認し、泳いでは再び止まって確認しを繰り返した。そのうち「もう泳げん!」が始まった。ドーバーと一緒である。どこかで気力の糸がプツリと切れてしまったのだ。
Image060 夜⇒見えない。風⇒進まない。波⇒聞こえない。マイナスな要因はいくらでもある。しかしこれが海なのだ。何が起こるかわからない。しかしそこに醍醐味や面白さがある。当然苦しさや辛さもあるのだ。それを乗り越えたとき、真の感動が味わえる。今回は次回にその感動を味わうための序章としておこう。
 ちなみに函館山までは残り4.5マイル(約8.3km)だった。

壁になった波が攻めてくる(3/4)

 しばらく続いたこの暴れ海も11時頃には通り過ぎ、いきなり海は静かで穏やかになった。海が穏やかになって潮が時速12kmで押してくれれば申し分ないのだが、そうは問屋が卸してくれない。潮は弱くなり、しかも南に向きを変え始めた。第61栄幸丸はこの南向きの潮に逆らうかのようにやや北寄りに進路を取った。
Simg_0046_2 それでも正午頃までは順調だと言って良いだろう。知内にある発電所の煙突がみるみる見えるようになった。函館山は沖合から見ると鯨の形に似ているが、それもハッキリ視認出来る。
 午後2時頃、いつもお世話になっている宿泊施設「トーパスヴィレッジ・ムーイ(函館市戸井ウォーターパークオートキャンプ場)」の支配人、中村さんから電話が入った。
中村「何時頃戸井に着きますか?」
石井「そうですね、GPSによりますと後8時間。午後10時頃に到着予定です」
中村「わかりました。戸井町の放送で町民に迎えに出るよう放送しますので」
『ウ~~~ン・・・、GPS通りに行くかな???』

壁になった波が攻めてくる(2/4)

 日はとっくに昇った6時頃、第61栄幸丸はようやく北に向けて進路を取った。するとGPSが戸井に向かい始めたことを知らせるように「到着時刻」を表示し始めた。が、まだまだそんなものは当てにならない。
 それから少しずつ第61栄幸丸は北東方向へ進路を取りつつ、9時30分頃津軽海峡西口を、コース上は予定通りに中央部で通過。遠くに東口(大間崎~汐首岬)がうっすら見える。その向こうまで行くのだ。
 ただ「予定通り」と言えないのは進み具合だ。水温21℃、風も無く波も無い。絶好の遠泳日和と言いたいが、肝心要の潮(海流)までほとんど無い。本来ならば午前8時前に西口を通過していなければならないのに、進み具合は予定より1時間以上遅れている。
 第61栄幸丸が矢越(北東)に向けて進路を取った10時頃、『おや、北東風が吹き始めたなぁ~』と思ったら、海がいきなり暴れ始めた。風は山背となり、潮は今までの遅れを吐き出すように速く流れ始めた。潮と風がぶつかり合い、鬩ぎ合っているのだ。
Image040  仮に波と風が同一方向へ進む場合は波頭が丸くなる。しかし波と風が逆方向へ進む場合は波頭が尖って三角波になるのだ。「三角波」と言うと皆さん形は「正三角形」とか三角定規の「二等辺三角形」を想像すると思うが、ここの三角形はそんなものではない。第61栄幸丸から見たその波はまるで水の壁だ。眼前に立ち上がる高さ2mの水壁を、“グワーン”、“グワーン”と次から次へ粉砕しながら進む。その度に大揺れに揺れ、まるでジェットコースター状態。
 このときに『面白いなぁ~』と思った光景は、数十羽のウミツバメ(海鳥)が「海に浮いている」と言うよりも、「壁にくっついている」状態なのだ。まあ船が近付けばいっせいに飛び跳ねて逃げるのだが、次の水壁がやって来ると、その壁にウミツバメがくっついている。落ちないのが不思議なくらいに・・・。こんな光景を見たのは生まれて初めてだ。
 こんな状態でキンちゃんを第61栄幸丸の横に付けるのは困難なのと危険なため、キンちゃんは船の前を泳がせることにした。こんなときにキンちゃんは強い。状況の判断力に優れているのだと思うが、「私に着いていらっしゃい!」とでも言いたげに波高2mの壁に突っ込んで行く。まあ「突っ込んで行く」というよりも、壁に昇って行くときはキンちゃんの後姿が立ち上がって見え、壁の向こうに落ちるときは何も見えなくなると表現したほうが正しい。
 まあラフウォータースイムを得意とするキンちゃんだから私に心配は無いのだが、慎重な安宅さんは相談してきた。「いつやめようか」と。
石井「いや、まだ大丈夫です!」
 このときGPSを見て驚いた。何とスピードが時速12km。「ヒェ~~~、ランニングの速さだ!!」

壁になった波が攻めてくる(1/4)

Image034 9月2日午前3時44分、小泊半島の先端にある権現崎沖合100m。キンちゃんは私手作りのチャネルグリース(ラノリン〔羊毛から抽出される脂〕80~90%+ワセリン〔石油から精製される脂〕20~10%)をタップリと塗り込んだ身体を真っ暗な空と海の中に沈め、120km離れた戸井を目指して泳ぎ始めた。
 スタート後、第61栄幸丸は北西に舵を取る。それはあたかもゴール地点の戸井とは遠ざかる進路なのだが、慎重な安宅さんは津軽海峡西口(竜飛崎~白神岬)中央を通過したかったのだ。まるで日本テレビの「津軽海峡横断リレー リベンジ!」のサンプルになるような福島に向かうコースである。
 ちなみに日テレのコースは我々先導船が北西に進路を取ったとき、本部船の番組ディレクターから「もっと北に進路を取るように」と指示された。先導船は船頭さんを含め私も猛反対したが、「責任は私が取りますので」というディレクターには逆らえず、「雇われた身だから指示には従うが、これじゃ“先導”の意味がないな」と、船頭さんは文句を言いつつ渋々北に進路を取った。
 結果かなり竜飛崎に寄り過ぎ、そのコース取りの誤りに痺れを切らした私は先導船に乗っているADの無線機を借りて、「これじゃ函館に着くかもしれないが、福島には着かないよ」とディレクターに言った。GPSから予定コースより大幅に流されていることを気付かせたのだ。慌てたディレクターは「もっと西に進路を取ってください!」と。船頭さんには「よく言ってくれた」と感謝されつつも、「今頃遅いんだよ!」とご立腹。「これからコース修正をしますので、速い連中を泳がせてください」と私。
 こういうときにオリンピック競泳メダリストたちがいるのが羨ましい。徐々にコースは修正され、それから一切ディレクターは我々のコース取りに口を挟むことは無くなった。
 そんなことを思い出しつつも、『もう少し竜飛に近いコースでも良いのでは・・・』などと私は考えてしまうのだが、安宅さん兄弟はあくまでも慎重なのだ。そして地元漁師のコース取りに楯突くようなことを私はしない。

津軽の神様 VS キンちゃん(3/3)

 しかし思いのほか台風11号は足早に過去って行ったので、翌日は台風一過になると予想が出来た。そこでキンちゃんに聞いた。
石井「滞在日を1日延ばせば泳げる可能性は高いよ」
キン「・・・・・・・・・・」
 どうもキンちゃんは浮かない表情だ。
 今回の船頭さんである安宅さんのお宅に伺って意見を求めた。
安宅「ああ、2日の天気なら大丈夫だよ」
 この言葉でキンちゃんのご機嫌が直った。
Image033 速攻で今日(1日)の午前中、海上保安部など関係各所に連絡を取り、帰りの飛行機の予約変更、延泊手続きなどを手早く行い、午後に第61栄幸丸(4.9㌧)はスタート地点である小泊へ向かって戸井港を出港したのである。
 小泊港に面した民宿「柴崎」に到着するや否やキンちゃんは栄養補給品作りに専念し、外では安宅さんご兄弟が「遠泳中」の横断幕を第61栄幸丸に張るなどの準備が進められていた。否が応でも緊張というか、何とも言えない雰囲気になり、身震いがする。明日は津軽の神様が微笑んでくださいますように!

津軽の神様 VS キンちゃん(2/3)

 8月24日(月)函館着。泳ぐ期間は27日(木)から9月1日(火)まで。ただ8月29日(土)から31日(月)までは日本テレビ放送網で放映される「24時間テレビ」(30日放送)、「津軽海峡横断リレー リベンジ!」の企画が入っているため使えない。我々としてはこの企画の前に泳ぎ終わっていたかった。しかし27、28日と風が強く、泳ぐことは出来なかった。
 データ上では29日が最も良い日なのだがこの日も風が強く、テレビ局の方も予定していたリハーサルが出来なかったようだ。
Image025 ところが30日当日は絶好の遠泳日和で、まあ語ればいろいろ出てくるのだが、結果的には“奇跡”と言っても良いような大成功だった。
 ただこの日台風11号は午前3時に父島の北東約380kmにあって、北西へ毎時35kmで進行中だった。そして午前6時には八丈島の南東約490kmにあって、翌31日午後3時には房総半島に上陸し、北海道方面へと北上していた。
 つまり31日に東京へ帰るテレビ局の人たちは、バッタリと東京上空付近でこの台風11号と遭遇しているのだ。お疲れ様。
 我々は函館(戸井)に戻ったが、台風11号は急速に速度を上げて北上して来たので、9月1日、すなわち日程最終日のトライは不可能になった。
 「今年もまた泳げずに帰るのか・・・」という暗い気持ちがキンちゃんと私を包んだ。

津軽の神様 VS キンちゃん(1/3)

Image030 この企画を立案したのは2007年だった。2006年のときに3-way(青森:津軽半島小泊⇒北海道:松前半島福島⇒青森:下北半島佐井⇒北海道:亀田半島)を泳いだのがきっかけで、津軽海峡を青森から北海道へという横断にとどまらず、日本海から太平洋へと縦断も含めた壮大な企画だった。総計距離は120km。これをソロ(独泳)で泳ぐ。
 この距離が三桁の数値は以前からキンちゃんに泳がせたかったもので、1993年に私は四国(高知)の足摺岬から室戸岬まで120kmを独泳で成功させたことがある。したがって無理とも思わないし、必ず成功させる自信はあった。
 しかし「嵐を呼ぶ女」のキンちゃんと「災いを呼ぶ男」の私という凸凹コンビが行うのだから津軽の神様はなかなか微笑んでくれなかった。天気が悪いのである。年に2回泳ぎに行って、2回とも天候が悪いといささか腹が立つ。決して日程も「○月△日」というようなピンポイントではない。「●月▲日から■日までの天候の良い日」と、小潮期の5日間くらいで余裕を持たせているが、天候は悪く、なかなか泳がせてもらえなかった。
 いい加減キンちゃんも私も“諦めムード”というか、「今年で泳げなかったらもう津軽は諦めよう」と考えていた。

津軽の報告2009(9/9)

函館山
 凪になった。さっきまでの荒波が信じられないぐらいである。多分『本流に乗った』と確信しながら泳ぐ。何処を泳いでいるかは全く分からないが、いつもの練習している淡島から大瀬崎を意識しながら泳いだ。
 10時間は“あっ”という間に過ぎたが、頭にインプットしていた函館山は一向に近づかない。心細くなってきた。私の頭に入れてある2005年と2006年の佐井(青森下北半島)から浜町(北海道函館市)まで泳いだコースが10時間泳いで程遠いのである。『後2時間ぐらい泳げば函館山が見えるだろう』と期待したが、全然見えない。一瞬『大きな函館山が見えた』と思ったが、勘違いした。
 全く近づかない函館山。3時間は動かず、段々と東の風が強まり、辺りは暗くなってきた。逆潮に向かい波、船から離れる。どちらに進んだら良いか分からない。
 と、「前方、一番左のイカ釣船(集魚灯で明るい)を目指せ」と指示が出る。だが波でなかなか前が見えない。風で船の声が聞き辛い。「後4時間泳げ」と聞こえた。「コーチ、進んでないよ。こんなに荒れていて、もう無理だよ」と私は諦めていた。ドーバーで29時間泳いだ人間がギブアップしてしまった。恥ずかしい話しであるが、津軽がこんなに大変だとは、甘く見すぎたよ。心を入れ替え出直してきたいと思った。

 船に上がってからは、戸井港まで2時間ぐらいかかっただろうか? 熟睡してしまい、港では北海道新聞の記者、石井さんから取材を受けた。「もう22時を回っていたのに。待っていてくれて有難う」
 「藤田さん、家で早くお風呂入りなさい」の安宅さんの優しい言葉に甘え、お風呂に入り、お母さんの美味しい料理をいただいた。スッゴク美味しかった。
Simg_0068_2 今年は完泳出来なかったが、今回泳いで感覚が掴め、そしてドーバーよりも面白く楽しい波だと感じた。ここの海はスリルがある。そして人間味がある。
 もうここ戸井には何回足を運んだことだろう。皆さんはとても親切で優しくて、いい人ばかりにめぐり合えた。いろいろとお世話になり、有難うございました。

 権現崎からスタートし、本流に乗るまで5時間、本流に乗って函館山まで5時間、函館山から戸井まで5時間というコース設定をしていたが、そうは問屋が卸さないのが現実で、だからこそ自然が物語ると感じた一日だった。

津軽の報告2009(8/9)

荒波

Simg_0054 急に風が強くなり、東の風が風速13mまでになり、波高2.5m。前から横から後ろから、もー無茶苦茶な波に襲われた。船は右左に揺れ、操船に難儀している間に私は船の前方を泳ぐことになり、まるで私が船を伴走しているみたいであった。
 呼吸をしたときに船がどちらに向いているか確認しながら、それでも方向を間違えて泳いでいると、安宅さんが手招きで教えてくれたのがとても役にたった。
 確か4時間ぐらいかかった所だったか? 荒波が大好きな私は楽しくて仕方がない。途中ゴーグルが擦れたりして何回も直したよ。でもこの荒波で中止にしたくない。船に上がらせられるといけないので、一生懸命船の前方を泳ぎ、『追い付いてくるな!』という気持ちで泳いでいた。
 船では「中止にするか!」という話しが出ていたらしいが、こんなに楽しい波で泳げるのは津軽しかないから、『お願いだからもっと泳がせて欲しい』という気持ちで一杯だった。どれだけ続いたかは分からないが、急に凪になってしまった。潮が変わったのであろう。この時に時速12km出ていたらしい。

津軽の報告2009(7/9)

ゴーグル

 安宅さんは、「明日は凪だよ」と言った通り、スタートから何時間だろうか? 凪は続いた。昨日船から見た波を思い出しながら泳ぐ。
 急にゴーグルが気になりだした。前からの波や横波のせいか、海水が少しずつ入ってきだし、それが両方入るようになり、何回もゴーグルをかけ直していたら、今度は曇り止めが取れ、ゴーグルをかけても曇って何も見えなくなり、コーチに曇り止めを頼んだが、聞こえているのかいないのか、一向に素振りなし。「曇っちゃって船が見えないよ!」とまた叫ぶと、次の栄養補給の時に交換しようとしたらしく、新しいゴーグルと交換してくれた。
Simg_0053 文句が多い私は「曇り止めって言ったじゃん!」と怒鳴ったが、新しいゴーグルに替えると良く見える。『この違いは何だろう?』と思うぐらいによく見えた。「コーチ、よく見える。かっこよく見える」と冗談を言い始めた。どちらかと言えば、お喋りな私は冗談を言いながら遠泳をするのが好きなのである。
 岡崎のヤマナミさんでゴーグルを買いに行ったところ、私がいつも使うゴーグルが売ってなく、今はプールでの競泳用の小さなゴーグルばかりであった。目が大きな私にとって、小さなゴーグルはストレスが溜まってしまうし、目が入っても開けられない。だから行きに東京(上野)のアメ横に寄り、購入したのである。

OWSレース中にサメが出現!

今年オーストラリアで700名も参加するOWSレース中に、サメ(ハンマーヘッド)が出現して大騒ぎになりました!

ニュース(英語です)

津軽の報告2009(6/9)

ライト

 ドーバー以来、一ヶ月ぶりに海を泳ぐ。身体の故障や仕事でプール練習も“スピード練習は入れず”というより、“スピードが出ない”のでロング練習と仕事に追われていた。
Image052_2 津軽の海は身体が軽く、信じられないぐらい快調に泳いでいた。ちょうど二回目の補給の時、辺りが明るくなったので頭に付いていたフラッシュライトを取り、ロープに付けようとしたら、海水に沈んで行くのが分かり、『落としてたまるか!』と、三回ぐらい拾い損なったが“四度目の正直”拾うことが出来、苦しかった。なんせ私の身体は脂肪か多く浮輪なのだ。これを沈めるのは至難の技であった。まあ、拾えたからラッキー!

津軽の報告2009(5/9)

スタート

Simg_0040_2 権現崎は東の風であった。船の明かりにイカがよってくるのがわかる。とてもかわいらしい。魚は見えなかったな~。ゴーグルを民宿で洗ったはずだが、まだ曇り止めが残っている感じで安宅さんに「お水ありますか?」と聞いたところ、海水を汲んでくれ、手を入れると温かい。『温泉だ』と思い水温を聞くと“25℃”だった。やはり異常気象である。暗いせいもあり、権現崎が岩場だったせいもあって、船からスタートした。

津軽の報告2009(4/9)

スッキリ

 次の日(2日)の朝9時頃だったか? 安宅さんから再び電話が入り、「船は出られるが、どうする?」と聞かれると、モヤモヤした気持ちが吹っ切れ、「行きます!」と返事をした。それからは計画書や飛行機の変更、海上保安部への連絡など、バタバタ状態であらゆる手続きをクリアにし、12時に浜町の港を出て4時間ぐらいかけて青森の小泊に移動した。途中、南の風で波を見ながら、景色を見ながらの船の移動は快適だったが、着いてからも準備でバタバタ状態は続いていた。
 やっとここまできたが、まだ明日にならなければ天候がどう変化するかわからない。不安を抱えながら眠れずにいると、隣ではコーチのいびきがうるさい。3時港集合だったが、2時でもいい感じだよ。いや「一睡も出来ないならもっと早くてもいい感じかな? “1時スタート”でも構わない」と思ったぐらいだ。どうせ寝むれないんだから。
Simg_0036 しかし予定通り3時港集合。東奥日報の記者から取材を受けたあと、スタート地点の権現崎へ向かった。

津軽の報告2009(3/9)

モヤモヤ

Simg_0033 30日の24時間テレビの津軽海峡横断リレーは無事に成功し、翌31日に函館へ戻ると台風は小笠原付近。昼頃から東京を通過するとテレビは言っていた。
 9月1日の朝、安宅さんに連絡すると「今日は船が出ない」と言われ、『またもや泳げなく帰るのか!』の予想が『また今年も泳げないんだなぁ~』の現実に変わり、『予定通り3日に帰るもんだ』と思っていた。何故なら飛行機の予約がしてあるからだ。石井コーチは「台風の足が速いからもう一日帰るのを遅らせるか」と言うが、毎日台風と母親のことで頭が一杯になっていた私は本当に泳げるかどうか分からないし、「台風のうねりが残るのでは?」と、「帰る」の一点張りだった。
 宿泊場所の“ムーイ”に戻ってから昼ご飯を食べ、あまり寝ていなかったので休憩していると、安宅さんから「晩御飯を食べにおいで」と電話が入った。重い腰を上げながら安宅さんの家に行く。そこでは安宅さんも安宅さんの奥さんもコーチの意見同様、「天候は回復する。もう一日帰る日を延ばさないか」と言われた。「台風は速度が速く、函館は影響がない」とも言っていたが、まさか安宅さんの方からこんな言葉が出るとは予想もできず、ただまだ半信半疑の私は思わず「私の頭は泳ぐことにまだ切り替えがつかず、考えます。」と言い残し、ムーイへと戻った。

津軽の報告2009(2/9)

不安な日々

Simg_0043_2 8月25日函館到着。“夕方”と言っても、早寝早起きの仕事をしている私的には夜だが、安宅家(船頭さんの家)に挨拶がてら立ち寄ると晩御飯が出された。お腹が空いている私たちはぱくついたよ。安宅さんの奥様は料理がとても上手。いつも私は「これ何ですか?」と聞いている始末で、食べたことがない料理もたくさん出てくる。思いもよらない料理に感動し、話しも明日、青森移動でも良いように「早く泳ぎたい」ことを伝えたが、天候はどうも悪天候ばかりのようだった。
 泳ぐ期間は8月27日から9月1日までだが、その中で8月29日から31日は、「24時間テレビ」の「津軽海峡横断リレー」のサポートに行くことになっていた。つまり泳げるチャンスは8月27、28日、9月1日の3日間しかない。前半の27、28日は悪天候で泳げずじまい。残るチャンスは9月1日しかない。
 ところで私の母親は毎日何回も電話をよこす。この日も朝電話が入るはずなのに掛かってこず、主人に電話すると救急車で母親を病院へ運ぶ途中とか!?「何があったんだろう」とパートさんに電話すると、どうも常用薬の飲み過ぎらしい。たまに飲み過ぎるが、かなりの量を間違えて飲んだみたいで、点滴などをして主人と家に戻ったみたいだが、私の留守中にこんなことがあると心配である。
 いつ船が出るのか分からずの天候待ち。母親が救急車で病院に運ばれたという連絡。加えて台風が来ているという情報もあり、トリプルパンチというか、29日は重い気持ちを引きずりながら青森、小泊への移動となった。

津軽の報告2009(1/9)

Simg_0038_2 多分、この函館市浜町(旧:戸井)を訪れて5年の月日が流れたと思う。まあ毎年訪れても充実していたが、今年も毎日が凄く充実し、かつ毎日がとても忙しかった。ただ例年では天候が悪く、泳げない年の方が多かったような気もする。それでもここ浜町に来ると、“第二の故郷”のような気持ちになって落ち着くのだ。泳げた、泳げなかったにかかわらず、思い出を書くといくらでも出てくるが、紙面の関係上、ここでは今年のみに絞って紹介していくことにする。

ドーバー泳の詳細(2009)

090801_145805日付:2009年 8月 3日(月)~ 5日(水)
場所:ドーバー海峡<イギリス~フランス間>(最短距離34km)
泳者:Miyuki Fujita キンちゃん
方法:2-way solo swim(往復独泳)
出発:Shakespeare Cliff(イギリス)
折返:Calais(フランス)
結果:1st leg: 19:48⇒翌13:08 17時間20分(公式: 17時間18分27秒)
   2nd leg: 13:08⇒翌00:30 11時間22分(公式: 12時間12分)リタイヤ
   合計=28時間42分(公式: 29時間30分)
概況:天気 晴れたり曇ったり
   視界 10~15海里(20~30km)
   風向 前半:南、南東、東  中半:南、西  後半:北東、東
   風速 1.1~10.5m/sec
   気温 16.7~22.6℃
   水温 16.0~18.0℃
   波高 1.0~2.0m
   ピッチ 58~67回/分
   補給 炭水化物+果糖+茶類=300ml/40分毎
   流向 南西および北東方向へ6時間毎に転流(潮流)
   流速 0.0~4.3kn(0.0~8.0km/h)
潮汐:ドーバー港
 8/3 月齢 12.4        潮名 中潮
       干潮 04:18  1.96m    満潮 09:26  5.76m
       干潮 16:45  1.75m       満潮 21:50  5.81m
  8/4  月齢 13.4               潮名 中潮
    干潮 05:07  1.73m       満潮 10:10  6.02m
       干潮 17:28  1.50m       満潮 22:31  6.00m
  8/5  月齢 14.4               潮名 大潮
    満潮 05:48  1.55m    干潮 10:46  6.23m
       満潮 18:06  1.34m       干潮 23:04  6.14m
船名:SUVA
パイロット:Neil Streeter
クルー:Adrian Piddock
オブザーバー:Jenni Payne (他男性1名)
コーチ:Haruyuki Ishii

「キンちゃんが行く」Vol.30

「キンちゃんが行く」Vol.30
 最近の私の海練習は「淡島〜大瀬崎間(10km)4-way」を自分のモノにしたく、朝暗いうちから夜暗くなるまで、淡島と大瀬崎の間を行ったり来たりしている。
 今回の練習は潮の干潮に合わせて4時30分港集合、5時08分に淡島をスタートした。気温の方が水温より低いので、水が温かく感じられる。そのせいか、1-way目からチョウチンクラゲの団体さんいらっしゃい状態。その量はラーメン丼の中を箸が横断するときに箸が麺を避けられないのと同じように、突進あるのみ! まあ刺さないクラゲだからね。
 たまに細いピアノ線(?)、「釣り糸」の方がいいか!? フラァ〜っと私の身体を触ってくるのである。その時はヒリヒリして痛いが、触ると他の箇所まで痛くなるので、そのまま我慢して泳ぐしかない。
 いつも下を見て泳いでいるのだが、スイムキャップとスイムゴーグルによくこの「釣り糸」が入り、取れずに固まり、ずっと痛い。首を振っても落ちないし・・・、我慢するしかないのである。
 越前クラゲも3匹いたよ。駿河湾まで進出ですね!

 いずれにせよ最近は4-wayが楽に泳げるが、最後の1-wayで精神面が崩れだす。これを克服したい。多分5-wayになっても最後の1-wayで精神面の崩れが来ると思う。崩れてくると、「よく29時間もドーバーで泳いだなぁ〜」と感心してしまうし、これからの冬の海練習がゾッとしてくる。その気持ちを何とか克服させたい。
 そこで何点か課題を上げてみよう。

1.練習とアフターケア
 前回、二週間前に4-wayを泳ぎ、また4-wayは、身体的にも気持的にも、泳いでいて何処も痛くならないようにとお祈りしながら、心配しながら泳いだ。もちろん気分的に前の疲れも取れているか心配もあった。
 しかし最近は水泳練習同様に泳いでからのアフターケアにも力を入れている。もちろん仕事も朝5時からやっていながらのハードな日々が続いている。たまの休みくらいおとなしくしていればいいのに、わかるかな? 「プールが私を呼んでいるのだ」!
 たまの休みは一日3回、プールに足を運ぶのだ。アクアダンスしたり、歩いたり、泳いだり、その時の気分、メンバーを見てね。
 こんな感じでケアをしながらも、最近、水曜日の朝練習の高橋コーチの指導により、前より泳ぎが変わり、船頭さんもコーチも「貫禄がある泳ぎに変わった」という。「フィッシュ」と呼ぶドリル練習で、全身を使った泳ぎばかりやっていたら変わりだしたのだ。自分では楽に泳いでいる感じがする。この泳ぎがロングに繋がるといいな!

2.環境を整える
 4-wayともなると少なくとも14時間分の栄養補給品を作らなければならず、民宿「桂」にお借りするポット(2.2リットル×4本)と電気ポット1本、そして大鍋2つ(紅茶味とお茶味を分けて作るため)と、結構な量になる。
 出来上がった補給品はプラティパス(愛用している柔らかい水筒)18個(12時間分)と、入らない分(残り2時間分)はペットボトルに入れてある。
 そう、いつも民宿「桂」の御主人さんにはポット、鍋、ペットボトルを部屋にまで用意してもらい、大変助かっているのだ。またついでに言えば、遠泳道具も衣装ケース2つに入れて置きっぱなしにしてもらっている。
 まあ月2回の海練習で使う道具の内容はほぼ一緒なので、我が家(岡崎)から静岡まで同じ物を何往復も運ぶ手間を省かせてもらった。
 いつもスーツケースで移動していたが、結構重たいのである。重たい荷物と片道4時間の道のりから、泳ぐ前から肩を痛めたくなかったので、頼んで置かせてもらっているのである。
 他にもいろんな面で「桂」の御主人さんには面倒を見てもらっている。
 船頭の菊地さんはよく、「いくら4-wayといっても距離ではない。時間との戦いなんだよ」と口癖のように指導してくれる。菊地さんも私のコーチの一人である。70歳なんだが私より元気だ。私がリタイアした日は、雷(菊地さんの説教)が「ドカーン!」と落ちてくるし、そのフォローは菊地さんのお母さんがしてくれる。ホントに良い人たちに恵まれている。
 ドーバーは完泳出来なかったが、またこうして沼津で練習できて、とても嬉しい。
 そして、私がこうして泳げるのもコーチや周りの人たちなど、与えていただいている環境に対してとても有り難く感謝している。有難う。

3.最近の課題
 最近母親の足腰が大分弱くなり、散歩も二人でするようになった。長く歩く時は手を繋いで歩いている。パチンコ屋まで歩いて5分ぐらいだけだが「クルマでのして(乗せて)ってくれ」と言う。「一緒に歩いて行こう」と私はゆっくり手を繋いで途中休憩入れながら歩かせる。
 「ゼーゼー」、「ハーハー」、足も段々上がらなくなってくる。だから転びやすいんだ。でも歩かせないと、もっともっと悪くなってしまう。一年前はプールで1時間半歩けたのに、今は15分歩いたら倒れそうである。
 また少しずつ一緒に歩こうね。そしたらまた、少しずつ歩けるようになるよ。
 母と同じように、私も少しずつ進歩している。今、母親と手を繋いで歩くのが、私はとても楽しみである。長生きしてくださいね。

 遠泳は、悲しくて厳しくて楽しいんだよ。課題も同じ、楽しみながら進めて行こう。

4th leg

4th leg
4th legは、キンちゃん4時間を切れませんでした。記録は4時間38分、4-way合計で14時間42分。19:50に終了しました。
お疲れ様でした。

3rd leg

3rd leg
3rd legは3時間14分。何と1st legと同タイムでした。
3-way迄の合計は10時間04分。4-way合計で14時間を切れるでしょうか!?
4th legが3時間56分を切れれば良いわけですから可能性は大です!!

2nd leg

2nd leg
2nd legは、キンちゃん3時間36分でした。これで2-way合計が6時間50分。
朝、05:08にスタートしましたので、11:58に折り返し、ちょうど午前中で前半が終わりました。
水温は21.0℃、気温は22.2℃まで上がりました。
キンちゃんは越前クラゲを見たそうです。
暖かいわけだ・・・。

1st leg

1st leg
1st legは3時間14分でした。
ちなみに私の予想は
1st leg :3時間
2nd leg :4時間
3rd leg :3.5時間
4th leg :3.5時間
4-way合計が14時間です。
はたしてどうなるでしょう!?

4-way

4-way
4-way
おはようございます。本日はキンちゃん4-way(淡島〜大瀬崎間10km)です。
05:08に淡島をスタートしました。
本日の海の概況は次の通りです。

内浦三津
北緯 35度01.0分
東経138度54.0分

2009/11/10(火)
日出 06:13
日入 16:42
月入 12:38
月齢 22.9
潮名 小潮
干潮 04:55 0.49m
満潮 12:17 1.38m
干潮 18:31 0.95m
満潮 23:43 1.21m

ちなみに水温は20.2℃、気温は16.4℃、南の風、風速0.4m、波高0.5m、天候は晴れです。
富士山が見えています。

スイマーは蚊帳の外(7/7)

Ssmalp8020117_2 ちなみに今年(2009年)9月20日、リサ・カミンズ(Lisa Cummins)は、アイルランド人初の2-wayチャネルスイマー(ドーバー完泳者)になった。
 時間は35時間20分、史上20人目の記録である。キンちゃんもやはり同じ女性として、35時間くらいは我慢して泳げるようになっておかなければならないのかもしれない。

 <参考資料>(2009年までの記録から)
 イギリス人のキャプテン・マシュー・ウェッブ(Captain Matthew Webb)が1875年8月24~25日、21時間45分で何の助けも無しに初めてドーバー海峡を泳ぎ切った。つまり史上初のチャネルスイマーになったわけだが、それから今年まで134年の歳月の中で、約7,300名のスイマーがウェッブと同じ方法でチャレンジし、今年ようやく成功者が1,000名を越した。
 そして同じ方法で2-wayを成功させた初のチャネルスイマーはアントニオ・アバートンボ(Antonio Abertondo:アルゼンチン)で1961年、43時間10分(最遅)で成功させた。最速はフィリップ・ルッシ(Philip Rush:ニュージーランド)で1987年、16時間10分。女性の最速はスージー・マロニー(Susie Maroney:オーストラリア)で1991年、17時間14分。ちなみにフィリップは3-wayでも最速で、同じ1987年に28時間21分で完泳させている。
 女性の3-way第1号はアリソン・ストリーター(Alison Streeter イギリス)で1990年に34時間40分で完泳。これでアリソンは“MBE(大英帝国の正式な会員:日本で言う「国民栄誉賞?」)”の称号をもらっている。更に3-wayを1回、2-wayを3回、合計43回もドーバー海峡を泳いで横断していて「世界最多ドーバー完泳者」としてギネスブックにも紹介されている。
 ちなみにアリソンのお母さんはドーバー泳の世話役「フリーダ」で、弟はキンちゃんのボートパイロットである「ニール」。
 話は戻って1-wayは最速がペーター・ストイチョフ(Petar Stoychev:ブルガリア)で2007年、6時間57分50秒。最遅はヘンリー・サリバン(Henry Sullivan:アメリカ)で1923年、26時間50分。
 まあ上には上があると言うか・・・、速いのも遅いのも長いのも別々な意味で「スゴイなぁ~」と思ってしまう私だが、何とかしてキンちゃんを史上21人目、日本人初の2-wayチャネルスイマーにしたいと願っている。日本の“Queen of English Channel”なのだから。

スイマーは蚊帳の外(6/7)

Ssmalp8050200 フランスを折り返したときは晴れていたのに、再び曇り空に変わると、ドーバー海峡は深い闇夜に包まれていった。すると一通のメールが私のケータイに飛び込んできた。ドーバーのビーチで一緒に練習していた水泳仲間からである。内容はキンちゃんへの応援メッセージだが、『エーッ、まだハーフポイントまで来ていないんだがなぁ~・・・』と思っていた。ところがこの応援メッセージは5分毎くらいにジャンジャン入ってくる。みんなキンちゃんを応援しているのだ。
 21時38分頃ハーフポイント通過。泳ぎだしてから25時間50分経過。折り返してから8時間30分を要している。まあ行きよりも30分は早いが、決してニールの予想ほど速い潮ではないし、キンちゃんのペースがそれほど遅いわけでもない。
 それからもひっきりなしにケータイには応援メッセージのメールが飛び込んでくる。それは私のケータイばかりではなく、ニールのケータイにも同様に飛び込んできていた。
ニール「イシイ、イギリスではプレスも含めて500人くらいの人がミユキを迎えに出るらしい」
『ヒェ~~、そいつは簡単にやめさせるわけにはいかなくなったなぁ~~・・・』
 そんなことは何も知らないキンちゃんは、ひたすら大腿部痛と戦いながら泳いでいる。それは誰しもが“苦痛の中で泳いでいる”と理解できる泳ぎになっていた。
 泳ぎだしてから27時間経過。
キン「あと何時間?」
 GPSでは“残り4時間30分”となっていた。先ほど「あと8時間」と答えてから3時間経過したので、まあ少しは潮に乗れて進んだのであろう。だが、
石井「あと5時間」
と答えておいた。何故ならばスイマーにとって残り時間が短縮されたなら問題はないが、延長されたときほどの苦痛はない。したがって先ほど答えた「あと8時間」から算出した時間を答えたのだ。するとキンちゃんが怒り始めた。
キン「さっき『残り8時間』と言ったのだから、あと2時間のはずじゃない!」
石井「アホ! さっき『残り8時間』と答えてからまだ3時間しか経っていない。『残り5時間』で間違いない!」
ジェニー「今、何て言ったの?」
石井「ミユキは『あと2時間で着くはずだ』と言ってきた。だから『違う、残り5時間だ』と答えた。すでにミユキの思考カイロは疲労と苦痛と寒さで壊れかけている」
 残り5マイル(約9㎞)。すでにいつも練習していた淡島~大瀬崎1-wayの距離まで来ている。もうここで終わらせたくはなかった。
 それから「もう泳げん!」、「もうやめる!」と言うキンちゃんに対して、「駄目だ!」、「もっと泳げ!」と言う私との口論が、30分に1回くらいの割合で始まった。
 日は越して8月5日(水)になった。キンちゃんの「もう泳げん!」、「もうやめる!」の声は雄叫びから悲鳴に変わって泣き始めた。その大きな泣き声は夜のドーバー海峡に響き渡った。
 ニールが出てきて「やめる決定権はスイマーにある」と言ったとき、この遠泳は終わった。イギリス時間0時30分。フランスを折り返して11時間24分。泳ぎ始めて28時間42分泳いだ。その時点でイギリスまで4マイル(約7.4㎞)、“残り4時間”とGPSには記してあった。
 実際にキンちゃんがスバに収容されたのは風波の影響もあっててこずり、29時間以上ドーバーの海に入っていたことになる。公式記録では“29時間30分”となっているが、ジェニーが何処でストップウォッチを止めたのかは、私には定かではない。
 スバに上がって横になったキンちゃんは、芯まで冷え切って全力を尽くした身体がそこにあり、私も全力を尽くした充足感がそこにあった。それからスバはドーバーマリーナへ向かったが、そこからの記憶がハッキリ覚えていない。ただスバがマリーナに到着するまでの時間がやけに長く感じたのと、そんな時間にもかかわらずスティーブが迎えに来てくれたこと。マリーナへタクシーを呼んでもらってスティーブ、ジェニー、キンちゃん、私の4人で帰ったこと。帰るなりキンちゃんは入浴して、それからベッドに潜り込んだときは窓の外が白みかけていたことなどがポツリ、ポツリと断片的に記憶にある。
 何時間寝たかは定かではないが、朝9時には起床して朝食を取った。そして11時にはビーチへ向かったのである。何故ならば午前中ならビーチで練習している仲間がいる。その仲間にキンちゃんは会いたかったのである。「あいたた」、「あいたた」と手で身体を擦りながらゆっくりとビーチへ行った。
 ビーチの仲間はすでにみんなキンちゃんのことを知っており、「残念だったね」なんて言うものは一人もおらず、「よく泳いだね」とか「考えられない」とか「伝説の人になったよ」とか「ミユキは我々の誇りだ」とか、「サムライヒロイン」、「大和魂を持った女性」などと賞賛の声ばかりだった。

スイマーは蚊帳の外(5/7)

Ssmalp8040196 イギリスを泳ぎ始めて24時間(フランスを折り返して約6時間40分後)が経過した頃、
キン「あと何時間?」
と聞いてきた。
石井「あと8時間」
と答えた。
 GPSは2002年のリレー2-wayで成功させたドーバーの3本アンテナの下にあるホワイトクリフの下のビーチをポイントしてある。そこまでの完泳予想時間が8時間なのだ。
キン「もうやめたい・・・」
石井「駄目だ。さっきニールは『これから天気も良くなり、波も無いし、潮もイギリスに向かう潮に乗れる』と言ったんだ。見てごらん、天気は良いし、波も無いだろう。もう少し続けるんだ。イギリスが見えたらまた元気になるから」
 天気と波はニールの予想通りだったが、潮はニールの言うほど速くはない。何故ならばキンちゃんはフランスを折り返してすでに6時間以上泳ぎ続けているのに、ハーフポイントはまだ先だった。
ジェニー「今、何て話したの?」
石井「ミユキが泳ぎだして24時間経ったでしょう。それでミユキは『もうやめたい』と言っている。でも天気が良くなったので、『駄目だ』と私は答えたんだ。ミユキは恐れている。これから夜のやってくることを。夜の寒さはミユキの大腿部痛の原因になっているから・・・」
ジェニー「・・・・・・・・」

スイマーは蚊帳の外(4/7)

 折り返し直後、
ニール「イシイ、補給を次からダブルマキシムにしろ。その次はトリプルマキシムだ。他は全てダブルマキシムにしておけ!」
と口から泡を噴きながらしゃべった。キンちゃんの泳ぐ決定権を自分にしてしまった責任感からであろう。しかしマキシムはすでに30時間分作ってあり、これから飲ますマキシムはすでにプラティパスに入って日本製の使い捨てカイロまで張って暖めてある。それを今から作り直すのは厄介だ。
ニール「夜間の補給は40分毎ではなく、30分毎にしろ!」
とまで言ってきた。これにカチンときた私は
石井「夜間泳の補給間隔についてはミユキと話し合っている。そして、その決定権はスイマーのミユキにある」
と言ってやった。
 その分、難解なマキシムの作り直しに私は四苦八苦するのだが・・・。もちろんグルコースもマキシムの量と平行して濃度を濃くしなければならなかった。
Ssmalp8040427 そのトリプルマキシムをキンちゃんが飲んだとき、それは私も見ていたのだが、キンちゃんは確かに変な顔をした。まあ時折見せる表情なので私はあまり気にもしなかったが、ニールはものすごく気にして
ニール「イシイ、どうしてミユキはあんな顔をしたんだ?」
石井「トリプルマキシムが不味かったんじゃないの?」
と言ってやった。ちなみに後からキンちゃんに聞くと、「別に、美味しかったよ」と答えている。まあニールの取り越し苦労と言うものだが、
ニール「次からはノーマルマキシムで良い」
と言ってきた。
石井『エエーーッ、もう大半をダブルマキシムにしちゃったじゃないか!?』

スイマーは蚊帳の外(3/7)

 グリネ岬を船首に向かって10時の方向に見たときに、私は「ヴィサンに着けるか?」とニールに聞いた。「とんでもない。今からカレーの方まで流される!」と怒鳴るように言った。ヴィサンはグリネ岬に近い街で、だいたいのスイマーが到着する地点である。キンちゃんも何回かヴィサンに着いているし、わざわざヴィサンにビーチの砂を取りに行ったこともある。
 もうGPSの目的地、グリネ岬からは離れる一方なので、到着予想時間は当てにならない。それにしても毎回のことだがグリネの沖合は荒れている。流れが速く、波もあるので「難所」と言われている場所だ。波高は最大で2mくらいまで成長したが、ラフウォーター好きのキンちゃんにとっては心配がない。しかしニールの言ったとおり、真横に流れる潮の速さには驚いた。船首に向かって10時の方向に時速8㎞くらいの速さで流されて行く。ほどなくカレーの街のシンボル“時計台”も見えてきた。
 カレーはドーバーと結ぶフェリーの港町である。イギリスとフランスを結ぶ海上交通の拠点として、フェリーでドーバー海峡を渡ったことがある人は、おそらく全員がこの時計台を見ているはず。
 確実に完泳時間が18時間を大幅に切れることが誰も疑わなくなるくらいまでフランスに近付いた頃、ニールが口を開いた。
ニール「イシイ、ミユキをフランスで休ませるな。すぐに折り返せば天気は良いし、次のイギリスに向かう潮に乗って行ける。すぐに折り返させろ!」
『ハァァァーーーッ、決定権はスイマーにあるんじゃないのぉ~~~???』
 もちろんニールに悪気はない。伴走するボートの舵輪を握る責任者として、何とかしてキンちゃんを成功させたいと思いと天候や潮などを総合的に判断した結果から出た言葉なのだと思うが、あまりにも先に言った言葉とはかけ離れているので、私としては唖然としてしまったのである。
Ssmalp8040193_2 まあ潮のお陰かどうかは不明だが、GPSの予想、19時間より1時間以上早い17時間20分(公式記録:17時間18分)、イギリス時間13時06分(フランスとの時差1時間)でカレーに近いビーチをキンちゃんは折り返した。誰が決定権を持っているかなんて知る由もないキンちゃんは、今度はイギリスに向かって泳ぎ始めたのだ。
 ちなみにフランスのビーチは遠浅で、喫水の関係上ボートはビーチに近付けない。
ニール「イシイ、またミユキと一緒に行くか?」
石井「今回は腰痛で泳げない」
 まあ普通ならゴムボートなどを出してスタッフがビーチまで伴走するのだが、ニールはそれが面倒なのであろう。
石井「ジェニー、いつもならね、私がミユキを伴泳してビーチまで行くんだ。そして二人でフランスのビーチに立ったとき、抱き合って喜ぶんだよ」
ジェニー「へぇー、いいなぁ~・・・」
 ジェニーは旦那さんのスティーブが完泳して自分と抱き合って喜ぶシーンを想像したに違いない。
 今回はサブパイロットのアドリアンがキンちゃんの伴泳をして戻って来た。

スイマーは蚊帳の外(2/7)

Ssmalp8040153 朝5時。朝日と一緒に雲が出始めた。「何だよ、放射冷却の夜の後は曇りの昼間かよぉ。お日様の暖かい恩恵を受けられないじゃん。ついてないなぁ・・・」と一人ポツリと呟いた。そんな中でようやくハーフポイントの通過を確認した。
 ドーバー海峡の中央には国境と思われる灯標が国境に沿って約5マイル(約9㎞)毎に設置されている。これを私たちは「ハーフポイント」と読んでいる。これは航路標識にもなっていて、ドーバー海峡を航行する大型船舶はこのハーフポイントの右側通行となっている。したがってドーバー海峡を横断するスイマーは大型船が左右どちらから来るか見れば、フランス側にいるのかイギリス側にいるのか判断できる。
 イギリスを泳ぎ始めてハーフポイント通過までが9時間。いつもなら6時間で通過し、約14時間で完泳しているのだ。今回はやけに遅い。1-wayならまだしも2-wayとなると不安がよぎる。
 それだからというわけでもないのだが、泳ぎ始めて10時間目の栄養補給でイブプロフェンとルミナールを飲ませた。
 同じ不安をキンちゃんも感じ取ったのだろう。14時間目の栄養補給でまだまだ遥か彼方のフランスを見てこう聞いてきた。
キン「あと何時間?」
石井「あと5時間だ」
 GPSに到着地点として私はイギリスに最も近いグリネ岬にセットしてある。現在のスピードが維持されているならば、グリネ岬までは「残り5時間」とGPSは算出している。このような質問があるとき、私は正直に答える習性を持っている。
キン「1-wayでいいよ。2-wayは無理だ」
石井「駄目だ。折り返しなさい」
キン「お金がもったいないから1-wayでいいよ」
石井「アホ! お金は2-way分を先払いで支払ってある。出来るところまでで良いから泳ぎ続けなさい」
 確かに2-wayは1-wayより1,000ポンド(約20万円)余計に支払わなければならない。しかし実際、2010年と2011年のデポジットを支払ったときに、今年の2-way分の料金も支払っていたのだ。
『せめて20時間は泳がせよう。待てよ、19時間で折り返してたったの1時間で1,000ポンドは確かに高い。せめて24時間は泳がせよう』
 キンちゃんではないが、『2-way』という考えはほとんどなく、『何処まで行けるか』ということが私も焦点になっていった。
ジェニー「今、何て話したの?」
 オブザーバーとして、ジェニーは逐一ストーリー(内容)に記入していた。日本語がわからないので聞いてきたのだ。だからといって「お金がもったいないから1-wayでやめたがっている」とは言えない。
石井「ミユキは昨夜から足を痛がっていた。そして今までなら14時間くらいで完泳しているのだが、今日は14時間経ってもフランスまではまだ遠い。だからミユキは『1-wayでやめたい』と言ったんだ。しかし私は『駄目だ、折り返しなさい。少なくとも24時間は泳ぐんだ』と言った。何故ならばミユキはプールで最長30時間泳ぎ続けた経験があるのだが、海では20時間が最長なんだ。その記録を更新させたい。ミユキに自信をつけさせるためにね」
と、お金のこと以外は正直に答えた。
 ジェニーは私のしゃべったことをそのままニールに伝えた。するとニールがやって来て、
ニール「ミユキが1-wayで終わらせるのも24時間泳ぐことも、それはいくら水泳コーチであったとしてもイシイが決めるべきではない。決めるのはスイマーのミユキ自身だ。だからいくつかの選択肢を与えよう。一つはこのままフランスまで着いたらボートでドーバーまで引き返し、翌日もう一度フランスまで泳ぐんだ。これは2-wayではなく1-wayが2回だが、これが一つの案。もう一つはこのままフランスまで着いたら少し休憩をして、それから泳げば良い。これも2-wayにはならないが、それでも良い。つまりいろいろな選択肢からミユキが選べば良いのだ」
 船の中ではこんな会話をしているのに、当のキンちゃんは何も知らずに泳ぎ続けている。

スイマーは蚊帳の外(1/7)

Ssmalp8040133 イギリスの白夜は20時前にスタートしたキンちゃんを暖かく見守ってくれたが、21時を過ぎると闇夜は音も無く忍び寄ってきた。満点の星空だ。このような夜は放射冷却で寒くなる。「夜は曇り空の方が良いのだがなぁ・・・」、一人ポツリと呟いた。
 案の定キンちゃんの泳ぎが変わる。これは冷水で泳ぐと出てくる持病の大腿部痛の泳ぎだ。これは初めにキンちゃんが知り、次に私が知り、徐々にニールやジェニーにまで知れ渡ることになる。そしてとうとう深夜2時(4日)に「足が痛い」と言ってきた。
 船上のニールやジェニーは「イブプロフェン(鎮痛解熱剤)でも飲ませれば」と言ってくれたが、「なるべく薬には頼りたくない」と言うキンちゃんの言葉を思い出し、薬は与えないでいた。
 ちなみにドーバー泳では抜き打ちにドーピング検査がある。だが、イブプロフェン(日本名:ブルフェン)とルミナール(筋弛緩剤)はドーピングに引っかからない薬物で、日本の泳ぐドクター、O先生から処方してもらって手にしている。尚、この薬は日本の法律で医師の処方箋がないと手に入らない。しかしイギリスでは薬局で誰でも簡単に手に入る。
 そんな時、フランスの方から小さな船の灯りがユラリユラリと揺れながらこちらに近付いてくるのが見えた。「何だろう?」と思って見ていると、それは1-wayを泳ぎ終えたアメリカのリレーチームがドーバーに帰る途中、私たちの船へエールを贈るために立ち寄ってくれたのである。“ピー、ピーッ”と指笛を鳴らし、「イェイ、イェーイ!!」と、静まり返ったドーバーの海に打ち上げられた大きな花火のように賑やかになった。
 それまで痛み、寒さ、眠さと戦っていたキンちゃんはビックリし、遅くなっていたストロークのピッチがいきなり元に戻った。しばし泳ぎの苦痛ストレスを忘れさせてくれたようだ。しかしその打ち上げ花火船も長く併走することもなく、エンジン音を上げると再びドーバーに向かって疾走して行った。
 静寂な海が戻ってしばらくすると東の空が明るくなり始めた。気温は夜明けに最も低くなる。その中を再びストレス泳法に戻ったキンちゃんが泳いでいる。

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