7月16日(キン&tora)
ニールからの電話
キン
今日もドーバーは泳ぐことが出来ず、またビーチで泳いでいました。アイスランド人のベンディは、ボートが出たようでいません。
あと、アメリカ人のクリスチャンもビーチにいないので、ボートが出た様子です。
他のアイスランド人たちがいて、リレーにチャレンジするみたいで「明日泳ぐ」と言っていました。
一時間泳いで私がビーチでのんびりしていたら、インド人たちが「ミユキ、帰るよ」と誘われ、一緒に帰ってきました。
インド人たちの部屋は1階と地下。私たちの部屋は3階で一緒のハウスだからです。
インド人たちの部屋で、インド人が食べるお菓子をいろいろ食べ、お土産を交換して帰りました。
ドーバーの気温は22℃、水温は16℃でした。
tora
朝起きてビーチへ行く。とりあえずビーチに行けば、いろいろなスイマーに出会えて情報が入るからだ。アイスランドのリレーチームスイマーたちが居た。どうやらベンディは朝の8時32分にフランスを目指し、泳ぎ始めたようだ。天気が良いとは言えないが、上手く行ってくれることを願うばかりだ。
他にビーチにシアトルから来たアメリカ人、マイケルの荷物がポツリと置いてある。雨避けに黒いビニール袋に入れてあり、その上にタオルが置いてある。沖を見ると一人のスイマーが力泳を見せている。そのタオルといい、あきらかにマイケルだ。
ちなみにドーバーのビーチにやって来るスイマーは驚くほど軽装だ。盗難の心配もあるのだろうが、一人で来るスイマーはまるでプールにでも行くようなスタイルでビーチにやって来る。まあむしろ我々日本人が異常に重装備過ぎるのかもしれない。
とりあえず「西岸海洋性気候」のドーバーは空気が乾いており、海自身が日本ほど潮臭くないので、そのままタオルで身体を拭くだけでも日本ほどベタベタせずに済んでしまう。
マイケルだけを例えれば、彼は海水パンツの上にズボン、上は長袖のシャツのみでビーチにやって来る。持ち物はタオル、スイムゴーグル、スイムキャップのみ。泳ぐときは靴と衣類をドーバーのゴミ袋(黒いビニール袋)に入れて、その上にタオルを置いて泳ぎに行く。
初めて彼に会ったとき、「飛行機に預入手荷物が届かなくって着の身着のままでビーチに来た」と言っていたが、すでにその荷物は「やっと届いた」とは言うものの、初対面のときのスタイルとあまり変わらない。
海水パンツには栄養補給品が忍ばせてあり、パンツの紐には部屋の鍵が結ばれている。
泳ぎ終わるとそのままタオルで拭いて、そのまま服を着て帰る。
日本の海水浴場のように海の家があり、シャワーがあり、荷物預かりがあり、監視員が居る場所ではない。すべて泳いでいる間の荷物管理まで自己責任なのだ。もちろんお互いが水泳仲間だからビーチに居る人間が荷物管理はしてあげるが、一人で来たスイマーはそのほとんどが自己管理。そして意外にも一人でやって来るスイマーは多い。
まあマイケルほどではないにしても、多かれ少なかれドーバーにやって来るスイマーは軽装で、男も女もビーチで更衣する。もちろんビーチに更衣室などあるわけではなく、タオルを身体に巻いて更衣をする。すなわち、すべてのスイマーが“何処でも更衣室”が出来なければならないし、自己管理が出来なければならない。
インド人スイマーたちは、もう一度チャンスを貰ったようで再チャレンジに相成った。キンちゃんが水着に着替え、海に入ろうとするとインド人スイマーたちが現れた。キンちゃんが「一緒に泳ごう」と誘い、インド人たちも同意してくれたのだが一向に着替えようとしない。痺れを切らしたキンちゃんは「先に行くわ」と言って泳ぎに行った。インド人スイマーたちは、遅れてくるもう一人のスイマーを待っていたのだ。
1時間きっかり泳いでキンちゃんは上がってきた。ビーチでは風が強く、雲が足早に通り過ぎて行く。西岸海洋性気候は日当たりがあるところは暑いくらい暖かく、日が陰ると寒くなる。忙しい天気が通り過ぎて行った。
ベンディはどうしていることか・・・?
ビーチに鳩のおばちゃんダッセルバが現れた。彼女ならフレッド・ハモンドの情報を知っている。ダッセルバにもフレッドの状態を聞いてみた。彼女の話しによるとフレッドの病気はほとんど完治し、毎日家の周りを歩いているらしい。元気になってくれたようなのでホッとした。
ほどなく遅れて泳ぎ出したインド人スイマーたちも上がって来る。そして彼らは我々をお茶に招待してくれた。このインド人たちの一行は、キンちゃんと同い年の水泳コーチ(去年泳いだアキシャの水泳コーチでもある)、その娘、アキシャと同じく生徒の3名がスイマーで、水泳コーチの弟が一行の面倒を見ている。またそこに“謎のおじいさん”が同行していて、合計5名のグループであった。
この“謎のおじいさん”、インドの仙人“ダイバ・バッタ”に似ていることからここでは「ダイバ・バッタ」と名付けておこう。ダイバ・バッタは2006年に我々に会っていると言う。そう言えば2006年には東欧から来た青年、イゴや、ロシアから来た青年(ソ連のチャネルスイマー第1号になった)と友達になった年であった。その中にインドから来た兄弟もいて、お姉さん(リツ)がけっこう速いスイマーであった。彼女は11時間でチャネルスイマーになったが、「8時間でフランス手前3km地点まで行けたが、残りに3時間もかかった。」とこぼしていた。確かにドーバー海峡をイギリスからフランスに渡る3km手前には魔物が住んでいる。
まあ“魔物”の話は後でしよう。とりあえずダイバ・バッタはその2006年のときに居たらしい。そう言えば見たことがあるかもしれない。その兄弟で泳ぎに来たインド人スイマーたちを私は覚えているが、決して彼らの親ではない。何故ならそのときに親はいて、その兄弟の親ならまだ私も覚えている。しかしそれほど印象がないのは何故なのだろう。何をしに来たのか、何故居るのか聞いてみたが、残念なことに私の英語力不足。貿易関係の仕事をしていてインドネシアに30年滞在していた。来年は東京に行くと言うが、それとドーバー泳とどんな因果関係があるのかわからないままになってしまった。もう少し英語を勉強して、来年、このダイバ・バッタが東京に来たときに聞いてみるか!?
このインド人のお姉さん、リツは、去年、アキシャが居たときにもあとからやって来た。だからダイバ・バッタはアキシャも知っているのだ。もしかしたら、やはり仙人なのかもしれない。
ちなみにインド人ご一行様は私たちの宿の地下に滞在している。我々は最上階(3階)。去年は私たちが1階だった。そのときアキシャたちは確かユースホステルに滞在していたと思う。そのユースホステルも昨年で閉鎖してしまった。何だか城ヶ島の大会を思い出してしまう・・・。
インドのおやつ3種類を我々は貰ってきた。彼らは宗教の理由から牛や豚の肉は食べないし、酒類も飲まない。しかしこのおやつがビールの相性に抜群に良い。インド人は人生の楽しみを少し無駄にしていると思った。で、最も私の気に入ったものは米から作るおやつだ。昔、「爆弾」とか言って大砲のような筒に米を入れ、“ドッカ~ン!”と音が鳴ると米のおやつがパラパラと落ちてくる。おそらく製法は同じだと思う。しかし味付けが違うのだ。インドの香辛料タップリで、これでビールを飲まないインド人が私にはわからない。
そうそう、“魔物”の話もしておこう。マギーットがまだ我々の宿の隣に滞在し、毎日楽しく私たちの部屋に遊びに来てくれていた時に、よく水泳の話をした。彼女も昨年11時間でチャネルスイマーになったのだが、やはりフランス手前約3kmの魔物について熱心に話していた。特にキンちゃんは2004年にドーバーを2回チャレンジしているが、1回目は大腿部痛のため、2回目はこの魔物にはまって流されて、フランス3km手前でリタイヤをした。
マギーットはキンちゃんの成功話より、こういった失敗談の方に大きく耳を傾けていた。
2006年に湘南の主さんがドーバーにやって来たとき、同じ年に泳いだ先ほどのインド人女性スイマー、リツの話をした。その話を熱心に聞いた湘南の主さんは、「3km手前まで8時間で行って、残りを3時間もかけて泳ぐ・・・。私には絶えられるかな?」と言った。そのことは湘南の主さんの報告書に詳しく書かれている。
ドーバーを泳いで渡ってみようと思っている貴兄には肝に命じた方が良いかもしれない。
この日、ようやくニールが電話をよこしてきた。明日の朝10時、ビーチで待ち合わせをしていろいろと話そうと言うのだ。日程も迫ってきた。天候も良くないし、止むに止まれぬ事情もあるのだろう。とりあえず明日、キンちゃんのチャレンジについてジックリ話そうと思った。
| 固定リンク
「スポーツ」カテゴリの記事
- 「湘南の主も行く」Vol.05(2009.06.17)
- 「キンちゃんが行く」Vol.29(2009.06.03)
- 5th leg(2009.06.10)
- 4th leg(2009.06.10)
- 3rd leg(2009.06.10)


コメント