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津軽旅情

   1. タイムマシーン

 東京では満開の桜も散り始めた4月2日、私は愛車ハイエースで一人、東北道を青森へ向った。この道はまるでタイムマシーンのようだ。一ヶ月ほど遡るタイムスリップのように、景色は過去へとつながっている。満開の桜、連翹(レンギョウ)の群生、そんな春の息吹を感じながら進んでいくと、青森に着いた頃には桜の開花どころか芽さえつけてない。周囲には除雪した雪を排雪した残雪が、黒い山となっていたるところにある。ラジオを聴けば、桜の開花は4月下旬だそうだが、よくよく見れば道沿いのあちらこちらで小さなフキノトウの芽が春の訪れの歌を歌っていた。
 トラジオンでは春のスキーキャンプを妙高高原で3月29日に終わらせたが、宿泊先のペンション「ポコアポコ」の前ではやはりフキノトウが芽を出していて、採取本能丸出しの父兄が「春の味覚だ!」と言って向きになって採っていた。もちろんポコアポコには断ってあるが・・・。
 「そういえば昨日(4月1日)までキンちゃんの淡島~大瀬3-wayに行っていたが、このときキンちゃんは「ビールのつまみに」と、土筆(ツクシ)の煮たのを持ってきてくれたな・・・。そうそう、数年前の同じ時期、天候不順で海練習が出来ず、土筆採りをしたことがあった。今回も三島駅から民宿「桂」まで行く道すがら、「土筆採りをしたいなぁ~」とキンちゃんは言っていた。もう、春なんだよなぁ~。」などと思ってよくよく見ると、青森にも土筆が生えていた。しかし土筆もフキノトウも私には採っている時間がない。先を急がねば・・・。
 ちなみに数年前まで私は東京で桜の花を見ることがなかった。たいがいがスキーで、桜の芽が出る前に山にこもり、東京に戻った頃は葉桜になっている。しかし昨今のスキー人口の低下と共にスキーの仕事が減り、お陰様で(?)、最近では東京の桜を見るようになった。
 そうそう、自慢できる話ではないが、去年、私は花粉症デビューした。「この年になって・・・」と思ったが、病院で検査してもらった結果、“スギ花粉”にアレルギー反応が出た。れっきとした花粉症になったのである。ただまだ花粉症初心者で、ベテランの方々のような対応方法を知らないが、「触らぬ神に祟り無し」。東京で桜見物が出来るようになっても、花見などには行かない。
 そこで一句。お題は「桜」。

   「花見ずに 鼻水垂らす 花粉症」

お粗末!

 それにしても最近の桜の開花が早くなったように感ずるが、いかがなものだろう。一昔前の童謡「ドキドキドン! 一年生」(伊藤アキラ/作詞・桜井順/作曲[1986])の歌詞を紹介しよう。

  サクラさいたら 一年生
  ひとりで 行けるかな
  となりにすわる子 いい子かな
  ともだちに なれるかな
  だれでも さいしょは一年生(一年生)
  ドキドキするけど ドンと行け
  ドキドキドン! 一年生
  ドキドキドン! 一年生
      (2番、3番省略)

 そう、桜が満開になるのは入学式の頃だったように記憶しているが、私の入学式の写真も満開の桜の下で撮られている。5日から1週間くらい以前よりも季節が早くなっているように感ずる。
 トラジオンの冬スキーキャンプも以前は年の暮れに行っていた。しかし昨今の暖冬か、年の暮れのスキー場に雪がつかない年が増えてきた。そこで最近は正月の三が日が過ぎてからに移行しているが、ホントに最近はスキー場に雪が少ない。やはり地球は温暖化傾向にあるのか?
 だが私はあまり「地球のために」とか、環境問題において「地球規模」でモノを語りたくない。もちろん「エコ対策」などは関心もあるし、環境を良くすることが悪いことではない。が、人間が地球規模の環境までコントロールできると思う「驕り昂り(おごりたかぶり)」に問題があるように思う。もっとストレートに「人間のために」とか言ってくれた方が私は好きなのだが、いかがなものだろう。
 いずれにせよ季節は大急ぎで足早に通り過ぎて行く。桜の見ごろも3日は持たず、秋の紅葉でさえ最も良い見ごろは3日も持たないのである。「三寒四温」とか「春に三日の晴れなし」とか、天気は海の波のように行ったり来たりを繰り返しているが、確実に満ちたり干いたりするように季節は移り変わっているのである。
 きっと、秋の東北道は東京から青森に向うに連れ、季節のタイムスリップは今と逆行するのだろう。

   2. 津軽行きの目的

 季節が「あーだの」、「こーだの」と長々のたわってきたが、私にあまり季節感はない。何せトラジオンの春スキーキャンプの翌日に、キンちゃんの海練習に行っているのだ。もちろんキンちゃんは水着1枚で泳ぐ。しかし海も山も季節による“旬”があり、この季節の海の泳ぎも味わいがあるのだ。
 キンちゃんが泳いだ3月31日、この日は寒かった。雨降りで最高気温がようやく10℃に手が届くくらい。水温は16℃。気温+水温=30℃未満。これは私の経験から基づく判断基準では「イエローゾーン」に属する。
 またここのところのキンちゃんは、「海練習」と言えば「失敗!」とこだまが帰ってくるほど失敗続きでキンちゃん自身も落ち込み、ずっとスランプ状態になっていた。「足が痛い」、「寒い」、「眠い」、「-etc-」・・・。理由はいくらでもあるが、こうも失敗が続くと気力も体力も低下する。
 「今秋もダメかな・・・」という不安を裏切って、キンちゃんは見事にその30kmの遠泳を10時間36分で完泳した。良かった・・・。ホントに良かった!!
 努力したのはキンちゃんであるが、それまでのキンちゃんを知っている私にとって、キンちゃん以上に喜んだかもしれない。
 実際、今回の海練習が失敗に終わっていたら、私は津軽に向うことはなかったのかもしれない。何故ならば、こうして津軽に向ったのは昨年の企画「津軽海峡縦横断泳」が台風9号の接近により泳ぐことすらなく終わっていたのだ。そのリベンジとして同企画の下準備として津軽に向っているのだが、いろいろな事情があってキンちゃんはキンちゃん自身の意識とは別に、泳ぐ方向から逸脱された方向へと軌道修正されている。人にはそれぞれ“事情”というものがあるのだ。いくら意識としては泳ぐ方向にあっても、現実に泳げないなら泳がずに、その軌道修正された方向に切り替えた方が良い。そう勧めようと思っていた。つまり、津軽には行かずじまいで終わっていただろう。
 いずれにせよ今回の目的は青森と函館の海上保安部、それに今回の伴走をしてくれる地元漁師の安宅さんに会いに行ったのだ。
 今のご時世、インターネットはあるし電話もFAXもある。このような通信手段が発達した中で、しかも初めて泳ぐわけではない。わざわざ行かずとも用件は済みそうなものだが、現実はそうもいかない。まあ後ほど「行かなければならない理由」はじっくり述べるが、去年の「泳げずじまい」で終わったことや、キンちゃん自身の事情として今回の津軽泳はそれほど“乗り気”ではなかった。「じゃあ、今年が最後にしようね」と約束して津軽に向ったのである。「立つ鳥跡を濁さず」。最後だからこそキチンと終わりたかった。それが津軽行きの決め手となる大きな理由だった。
 ちなみにキンちゃんの近年の実績は、

  2005年7月14日 ドーバー海峡1Way 17時間03分(英→仏)
  2005年8月02日 ドーバー海峡1Way 13時間41分(英→仏)
  2005年8月30日 津軽海峡1Way   11時間36分(青→北)
  2006年7月18日 ドーバー海峡1way 13時間35分(英→仏)
  2006年8月31日~9月04日 津軽海峡3way   37時間24分
       1st leg 2006年8月31日   11時間43分(青→北)
       2nd leg 2006年9月02日   15時間28分(北→青)
       3rd leg 2006年9月04日   10時間13分(青→北)
  2007年7月10日 ドーバー海峡1way  13時間59分(英→仏)
  2007年8月10日 ドーバー海峡1way  13時間54分(英→仏)

と、ドーバーは5回、津軽は4回成功させていて、日本では最多のドーバーと津軽の完泳者になっている。ドーバーでは“Queen of the Channel in Japan.”と呼ばれているし、津軽でも“津軽クィーン”であろう。
 しかしキンちゃんの目標はドーバーの2-way。それも今年ではなく、来年(2009)なのだ。そしておそらくこの来年がキンちゃんにとって最後の遠泳となるだろう。泣いても笑っても最後なら、笑って終わらせたい。
 今年はドーバーの1-wayを2回泳ぐ予定だ。来年に向けて、津軽も笑わせて終わらせたい。これが私の願いであり、あまり積極的ではなかったキンちゃんへの説得をさせた原動力だった。
 きっと事情がまた変わり、キンちゃんが気持ちと一緒に海を泳ぐ泳者に戻れるなら、再来年以降も泳ぎ続けると思うし私もそれを望むのだが、現実はかなり難しいだろう。

   3. 経緯

 津軽行きはいろいろ時間や経済性を考慮して、最も効率の良い方法が
  ① 愛車ハイエースで東京~青森間の往復をする。
  ② 青森~函館間は電車を利用する。
  ③ 函館はレンタカーにて移動する。
となったのである。
 もともと津軽の企画はドーバー泳のシミュレーションであった。
 2005年、津軽1-way、ドーバー1-way、ドーバー2-wayと、三段跳びの要領で、ホップ、ステップ、ジャンプと泳がせたかった。しかし5月の津軽は悪天候のため泳げず。7月のドーバー1-wayは17時間03分で成功させるが、8月のドーバー2-wayでは13時間41分でフランスを折り返したものの、合計17時間33分泳いだところでオブザーバーから“危険”と判断され、涙を飲む。
 こうして泣き崩れるキンちゃんに自信を復活させようと、5月に泳げなかった津軽の1-wayを8月の下旬に企画した。そして「くよくよするな!」と叱咤激励し、ドーバーのビーチで津軽泳の練習をさせていた。
 この津軽泳が大成功で、キンちゃんの泳ぐ気持ちが喪失しそうなとき、首の皮1枚で切れずに済んだのである。しかも翌年の3月にはダメだったドーバーの2-wayに対して、ドーバー泳を公認するイギリスの団体“CS&PF”より、その努力に対して「ガートルード・エーダリ賞」が受賞されたのである。これによってキンちゃんの元気は100倍になった。
 だがキンちゃんの目標であるドーバー2-wayは、2007年だった。そこで2006年はさらに自信をつけさせようと、私は100kmを越す遠泳を企画した。それは「足摺岬~室戸岬」までの120km。いや黒潮に乗って24時間泳げば、もしかすると200km以上先の潮岬まで泳げるかもしれないという壮大なものだった。
 実際、1993年にトラジオンの塚田が足摺岬~室戸岬間を16時間で泳いでいる。このときの企画では「予定が24時間泳」だった。黒潮に乗ると信じられないくらい速く泳げる。その時の船頭さんが「24時間泳いだら潮岬ぐらいまで行けてしまうのではないか」と言っていたので、まんざらでたらめな話ではない。
 この快挙に気を良くして調子に乗って、翌年私は塚田に「種子島から黒潮に乗って24時間泳ぐ」企画を実行させた。結果、上手く黒潮に乗ることができず、塚田本人の泳力である24時間泳の70km地点、都井岬(宮崎県)沖合までしか泳げなかった。なかなか黒潮に乗るのも難しい。そんな落ちで終わったのだが・・・。
 キンちゃんはプールだが、24時間どころか30時間泳も数回こなしている。したがって泳力的には問題がなかったし、私も泳がす自信があった。しかし時代の変化と共に泳ぐ人為的な環境が変わった。法律も替わり、全てがうるさくなった。下準備で四国にも行ったが、どうも思うようにことが進まない。そんな私の姿を見てキンちゃんは「私の目標はドーバーの2-wayなのだから、ドーバーに行って練習する!」と言い出したのだ。これには2つ驚いた。一つは“それは正しい”と、もう一つは“私に苦労をさせたくない”という気遣いだった。
 キンちゃんの気遣いに甘んじてこの年はドーバーでの練習になったが、ガートルード・エーダリ賞を受賞させたドーバーのCS&PFの方が“練習”では済まさせなかった。キンちゃんはドーバーの1-wayを13時間35分という自己ベストで完泳させたのだった。
 私とてキンちゃんに甘えてばかりいられない。100km以上の泳ぎ、「津軽3-way」を企画するのだった。これは「100km以上泳ぐ」という意味のみならず、「折り返す」、つまり目標のドーバー2-wayには必ず折り返しがあるので、その経験をさせたかったからである。
 ところが日本の「海峡」と呼ぶ名の海は、夜間泳を嫌がられる。「危険」という理由だからだが、ドーバーでは普通に行われているし、ドーバーと津軽との環境を比較してみても、非常に類似しているところが多い。特に海上交通においては海峡を横断、あるいは縦断する船舶はどちらも頻繁に往来しているし、“見た目”なので確たるデータがあるわけではないのだが、どちらかと言えばドーバーの方に交通量は軍配が上がるほどだ。
 昨今「津軽では“なっちゃん”と呼ぶ高速船が就航したから」と言われたが、ドーバーにも類似したカタマラン(双胴船)タイプの“シーキャット”と呼ぶ高速船がかなり前から就航している。
 おそらくこの差、つまり夜間泳が可能か否かの差は「海峡横断泳」に対する“認知度”と、“国民性”、“海峡の事情(漁業問題など)”などであろう。津軽で夜間泳をやって出来ないわけではない。予想される危険因子を排除すれば良いだけの話であるが、「そこまでやる必要があるか?」という自問自答の中で、夜間泳は断念し、「昼間に、3日間に分けて行う。」と計画を変更した。しかしどうだろう・・・。津軽の3-wayを一気に泳ぐのと、1-wayずつ3日に分けて行うのとでは、どちらがハードだろうか??
 いずれにせよこの3日に分けて昼間に行う津軽の3-wayは大成功で終わらせることが出来た。そして昨年(2007)の津軽海峡縦横断泳(青森⇒北海道+日本海⇒太平洋)へと企画はつながっていったのである。「120kmを、16時間(昼間)で終わらせる」企画へと。
 「卵が先か、鶏が先か」の問答があるが、「法律が先か、船が先か」もある。海の法律も船舶の持つ能力も日進月歩している。ちょうどこの企画を実施する頃、安宅さんは新船に変えようとしていた頃にぶつかっていた。自分達の企画の泳ぐ範囲が広域だったため、旧船では「航行区域の変更」が必要だった。
 2006年の四国は足摺岬から室戸岬までの泳ぐ企画では、新しい法律に合った船舶なら泳ぐことも可能だったが、古い船舶で合法的な船を見つけることは出来なかった。法律で認めても、現実には“一気に100km以上泳ぐ”という行為には「合法的な船がない」という理由で封印されてしまっていた。
 しかし安宅さんの新船ではこの新しい法律に合法的なのだ。つまり「航行区域の変更」などの手続きなどしなくても、そのままで伴走が可能になる。新船デビューでキンちゃんの遠泳サポートなので、それはラッキーだと思っていた。
 だが安宅さんの新船でスタート地点の青森県は津軽半島にある小泊まで行ったのだが、台風9号の接近により泳げずにそのまま安宅さんの新船は北海道まで帰ったのであった。そればかりか我々が宿泊している宿が台風の接近により“危険”となり、生まれて初めての“非難”を経験した。そして台風9号はキンちゃんの変わりに津軽海峡を横断して行ったのであった。
 普通は「北海道には梅雨もなければ台風も来ない。」と言われているのだが、“嵐を呼ぶ女”キンちゃんの本領発揮したのだろうか?
 泳げなかったことがショックだったキンちゃんは泣いた。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて・・・。それほど津軽に対する期待感は大きかったのである。以来、「それほど津軽を泳ぎたいとは思わなくなった。」がキンちゃんの大きな理由であった。

   4. 組織の仕事(行かなければならない理由)

 函館海上保安部に行く。
担当者「毎年の恒例にするのですか?」
石井「いや、たぶん今年が最後です。」
こんな会話が飛び交う。去年と同じ企画。ここ数年届けている企画。前にも書いたが、通信手段が発達した現代社会で“わざわざ北海道まで出向かなくても・・・”という理由はいくらでもありそうだ。ところがそうもいかない。
 過去、私は神奈川県三浦半島の突端にある城ヶ島で、“泳いで城ヶ島を1周するレース”、「城ヶ島ロングディスタンススイミング大会」を企画実行していた。大会として10年、その準備段階として6年の歳月を費やした。この合計16年の月日で城ヶ島に通わなかった年はない。しかも必ず複数回は出掛けていた。
 もちろん“前年回の反省”があるから、「まったく同じ企画を毎年続けている」というわけではない。それでも少しずつは改良していたのだ。同じように、協力してくれる組織も毎年同じではない。相手側組織内の構造改革があったり、人事異動があったり・・・。法律までもが季節並みの速さで大急ぎに変わっていく。つまり「毎年が初めて」なのだ。どんなに時代は便利になろうと相手先担当者とじかに会ってお話しする。これが「最も安全に企画を遂行するベーシックな行為だ」と私は信じて疑っていない。
 過去において私は「日本が四面を海で囲まれていながら海洋レジャーが発達しないのは、海に係わる人々の人為的な環境の悪さだ。」と言ってきた。そこには“法律”と呼ぶ名の足枷(あしかせ)もあった。今でも「法律は正義ではない。悪法も法だ」と思っている。そこでそんな理不尽な法を改正すべく努力もしてきた。これでも少しは日本の海で泳ぎやすくなるように法を変えたつもりである。
 しかし今はやっていない。何故ならば大きな問題は「日本の国民性」、「日本人の持つ意識」だと気付いたからだ。日本では“法改革”のみではダメで、“意識改革”も必要であった。ただおそらく昨今の通信手段の発達と共にその意識改革は徐々に進み、いつかは日本の海でも泳ぎやすい環境が生まれるであろうと想像している。だがそうなるまで私は生きていない。むしろ“生きているうちにやっておきたいこと”が山積している。今はそちらの方を選んでいるのだ。とりあえず今は今の日本の環境に合った泳ぎ方をしなければならない。だから北海道までも行かなければならないのだ。
 そしてこれは現代日本のオーシャンスイマーたち、これからのオーシャンスイマーたちに大声で言いたい。「もっと、もっと日本の海の環境と現状を勉強しなさい。」、「どのように泳ぐのが良い方法なのかを考えなさい。」と。

   5. 目標(18時間、40km+α)

 キンちゃんの目標は来年(2009)のドーバー2-wayであって、今年ではない。今年はドーバーの1-wayを2回行う予定だ。そこで1回はイギリスからフランスへ、もう1回はフランスからイギリスへと考えた。しかし時代は変化し、今では“1-way”と言えば、「イギリスからフランスへ」のみになっている。その理由はフランス側に問題があるとか・・・。いずれにせよ詳しいことはわからないが、それが今のドーバーなら従うしかない。結局「イギリスからフランスへ」を2回やることになったが、今年の津軽泳も含め、全ては来年のドーバー2-wayのためである。
 少し2007年までのデータを見ながら考えてみよう。過去の私の経験で、連続して泳ぎ続ける“最長”は次のようになる。(キンちゃんとの比較も含む)

 [距離]
   塚田吉彦              1996年 16時間00分 120km
   足摺岬⇒室戸岬(四国)
   *藤田美幸(予定)         2008年 16時間00分 120km
   青森(日本海)⇒北海道(太平洋)(津軽海峡)

 [時間]
   増岡 尚              1988年 27時間30分  52km
   対馬(日本)⇒釜山(韓国)(対馬西水道)
   藤田美幸              2006年 30時間00分  72km
   *プール
   藤田美幸              2007年 17時間46分  38km
   城ヶ島~江ノ島2-way 1st leg:9時間50分、2nd leg:7時間56分でリタイヤ

 参考までに近年の日本人チームによる2-wayリレーの記録は次のようになる。

 [ドーバー2-wayリレー](“CSA”より)
   Fujiyama Girls 2000        2000年 23時間18分  64km
   英⇒仏 10時間57分 + 仏⇒英 l2時間2l分
   *CST Japan Team(サポート石井)  2001年 28時間44分  64km
   英⇒仏 13時間44分 + 仏⇒英 l5時間00分
   Half Moon             2002年 25時間16分  64km
   英⇒仏 11時間37分 + 仏⇒英 13時間39分
   Umihime Channel Relay       2005年 22時間34分  64km
   英⇒仏 10時間37分 + 仏⇒英 12時間 08分

 ついでに近年の2-wayソロの記録は次のようになる。

 [ドーバー2-wayソロ](CS&PFより)
   Marcella MacDonald(女性)     2001年 21時間19分 USA
   英⇒仏 09時間53分 + 仏⇒英 11時間26分
   Anne Cleveland(女性)       2004年 28時間36分 USA
   英⇒仏 11時間51分 + 仏⇒英 16時間45分
   Marcella MacDonald(女性)     2004年 23時間00分 USA
   英⇒仏 11時間14分 + 仏⇒英 11時間46分

 さてもう一度私のサポートした「最長記録」を列記しよう。

  • 距離では塚田の120km
  • 時間では増岡の27時間30分
  • プールではキンちゃんの30時間、72km
  • リレーではCST Japan Team(トラジオン)の28時間44分

 海でのキンちゃんの最長記録(海)は次のようになる。

  • 城ヶ島~江ノ島2-way 17時間46分 38km(リタイヤ)
  • ドーバー2-way 17時間33分 38km(リタイヤ)

 まあ他に17時間台は何回かあるが、距離は30km強である。
 確かに12時間未満、30km未満の練習なら豊富だが、ドーバー2-wayを目指すなら私のサポート最長記録を全て更新してもらわなければならない。
 ちなみにキンちゃんの実績であるが、近年の記録からドーバー1-wayは13時間台で泳いでいる。が、ドーバーと同じような低水温の状況下(海)では、連続して18時間以上、40km以上泳いだ経験がない。
 上記“ドーバー2-way(ソロ、リレーを含む)”データから言うと、1st leg(英⇒仏)より2nd leg(仏⇒英)の方に時間が掛かっている。したがってキンちゃんのドーバー2-wayの完泳予想時間は“30時間以上”である。
 プールでは30時間を泳いでいるが、海に比べればかなり状況が良く、やはりそれ以上の時間泳、距離泳が期待される。
 だが今年(2008)に入ってからの練習記録は“リタイヤ”続きである。

  • プール80km(35時間)泳=22時間24分31秒、50.8kmでリタイヤ
  • 城ヶ島~江ノ島1-way=6時間30分でリタイヤ
  • 淡島~大瀬崎3-way=8時間00分でリタイヤ

 こうしてスランプになってしまったわけだが・・・。
 今回、ようやく「淡島~大瀬崎3-way」を10時間36分で成功させて、「スランプ脱出か!?」と思っているが、ホントにそうなって欲しいと願っている。
 今のところ、当面の目標は“海で18時間、40km泳”。特に“夜間泳”、「睡眠グ」にならない練習。具体的には次のような練習が良いと思っている。

  • 淡島~大瀬崎2日で6-way
  • 城ヶ島~江ノ島2-way
  • 淡島~大瀬崎4-way
  • プール35時間80km泳

 こうして口に出す、ペンで書くのは簡単だが、実際に行うのは難しい。まあ多忙もあるし、思うように練習が出来ないのはわかっているが、やはりもう少し練習がしたい。
 今回、北海道にきてキンちゃんの伴走をしてくれる漁師の安宅さんと会い、キンちゃんの近況報告をした。すると、「そろそろ油が切れてきたんじゃないの?」と言って笑った。“42歳”という年齢、確かに油が切れ掛かっているのかもしれない。

   6. 下見が終われば

 4月に下見に行く。これは先にも書いたように日本の主な大きな組織は3月に人事異動がある。つまり3月以前に届けても、人事異動で担当者が変わる可能性がある。またトラジオンでも春のスキーキャンプが終われば春休みになる。このチャンスを利用しての津軽行きだが、そのアポイントを取る電話で「ああ、トラジオンの石井さんですね?」と向こうから言ってくる。つまり保安部の担当者に私は知られているのである。「ならわざわざ行かなくとも・・・」と思うのだが、やはり行って直接対面することに価値がある。そう思って出掛けた。
 函館はほぼ順調に用件が済み、次はどちらかと言うと“うるさい”青森である。しかしちゃんとアポイントを取ったにも関わらず、担当者は不在だった。まあ仕方がない。ちゃんと「出頭した」ということに意味があるのだ。
 あとから知ったことだが、このときはちょうど青森のホタテ漁漁船が遭難した事故の時間と一致している。担当者はそちらに忙しかったのであろう。去年ここに来たときは、「あ、また来ましたね!」とフレンドリーな係官に挨拶された。やはりみんな海が好きなのだ。好きだからこそ“海の安全を守ろう”としている。増してやスポーツは利害関係がない。誰だって応援したくなるだろう。ちゃんと安全が守られているならば。
 あとは帰るのみだが、山形在住に私の学生時代の先輩、田中さんがいる。学生時代にはたいへんお世話になった先輩で、田中さんは「石井の影響だ!」と言いながら障害者を相手にスキーや水泳を教えている。過去、田中さんは水泳で国体選手を何人も育て上げた人だ。私のところの遠泳にも「佐渡~新潟間」で参加してくれたことがある。
 東北を旅するときは「関所」みたいなところで、私は避けて通るわけにはいかないのだ。青森から山形へは無性に海(日本海)が見たかったし、まだ通ったことのない「秋田道」も走ってみたかった。
 青森や秋田の山の峰々にはまだ多くの残雪が見え、道路沿いのあちらこちらにはフキノトウが顔を出している。「春遠からず」なのだろう。
 秋田から山形への日本海沿いを走る。遠くに飛島が見える。「ああ、キンちゃんを飛島から山形まで泳がせてみたいな・・・」。やはり“対岸”が見えると「泳いでみたい」と思う気持ちがどうしても湧いてしまう。実際にここを泳いだ人を知らないわけでもない。
 山形で田中先輩に会う。話は尽きないが、「明日(4/5土)、蔵王で障害者のスキーを手伝いに行くが、お前も来い」と言う。6日から私は仕事なので、「それまでに帰る」ということでお付き合いした。
 山形道の月山も積雪5~6mはまだある。春スキーを楽しむスキーヤーが大勢いた。蔵王もまだまだ雪深く、スキーを滑るには申し分ない。
 「山形身障スキークラブ」恒例の練習会らしい。「見るだけ」と思っていたが、ウェアも用具も「タダで貸してくれる」と言うのでその言葉に甘えた。
 蔵王山頂に上がると天気も良く、ものすごく気持ちが良かった。「やはりオレは海や山、自然が好きなんだ」と思う。
 思いがけずのスキーを楽しみ、ひと時の想い出を残すと愛車ハイエースで東京に向う。途中、「そうだ、海(太平洋)が見たい」と郡山から常磐道へ入る。それは秋田で日本海を見たからもあったが、日立の方には冷たい海を求めてキンちゃんと泳ぎに来たこともある思い出の場所なのだ。
 実際は夜中で太平洋を見ることは出来なかった。しかし潮の香りが「海」を想像させ、地名を見るたびにそこそこのビーチが思い出と共に脳裏に浮かんでくる。何度も来ているからだ。
 こうして私は東京に戻った。愛車ハイエースの走行距離は今回の津軽往復で1,600kmを越した。
 思い起こせば3月23日から「大人のスキー」で妙高へ出掛けた。このときは中央道を使って行ったので、東京⇒神奈川⇒山梨⇒新潟⇒長野となる。帰りは関越道を使ったので群馬⇒埼玉が加わる。
 26日からは「トラジオン春のスキーキャンプ」で再び妙高へ出掛けたが、往復とも関越道を使ったので増える県はなし。だが30日から「キンちゃんの淡島~大瀬崎3-way」に行ったので静岡が加わる。
 そして今回の津軽行き。茨城⇒福島⇒宮城⇒岩手⇒青森、ここでクルマを置いて私だけ電車で北海道まで行く。北海道ではレンタカー。帰りは青森から秋田⇒山形が加わり、さらに常磐道を使ったので栃木⇒千葉が加わる。
 つまりこの2週間で私の通過した都道県は18。関東甲信越から北側を全て通過したことになる。愛車ハイエースの走行距離も3,000kmを越した。よく走るよ。
 このハイエースは13年前に新車で購入したもの。その間、私を乗せて北海道は稚内から九州は佐多岬まで行っている。四国を始め、おそらく日本の都道府県は全て走ったであろう。
 現在の走行距離は34万kmを越した。ちょうど30万kmを越したとき、「おお、地球を7.5周。光のスピードでも1秒は掛かる」と思った。今は地球を8.5周。地球から月までが38万kmなので、あと地球1周すれば月まで到達である。きっと月まで行ければ「残り2万kmで40万km(地球10周)。そこまで走ろう」と思うだろうな・・・。
 とりあえず今は月まで行きたい。地球10周はそれから考えよう。とにかく私は“長距離”が好きなのだ。

   7. キンちゃんへ

 スランプに入り、「また一からの出直しだ」とキンちゃんは言っていたね。どうにか今回の「淡島~大瀬崎3-way」が上手くいって嬉しかった。
 今までの“ダメ続き”を無駄にしないためにも、一つずつの課題を確実にこなしていくことだね。これから“リベンジ”をやっていくけど、「80km泳」は良い顔をせず、「もっと海で練習がしたい」と言った。でもね。日本の海では夜間泳が難しいのだよ。必要なのは「夜だけ泳ぐ」というのではなく、「連続して泳ぐ中に“夜間”がある」という状態にしなければね。
 おそらく津軽は今年で最後。ドーバーも来年で最後になる。今や「ドーバー2-way」は「夢」ではなく「目標」なのだよ。とりあえず今は今年の「ドーバー1-way」が2回、津軽の縦横断が1回あるけど、その一つ一つの企画を確実にこなしていくこと。
 とにかく「登山」に例えると「エベレスト登頂を2回続けて行うようなもの」。富士山登山でギブアップしているようじゃダメなんだ。でもよく二人三脚でここまで来たね。まだまだ先は遠いが「ドーバー2-way」の目標も具体的に見えてきたことだし、笑ってみんなの祝福を受けることだけを考えよう。
 マイナスな気持ちはダメだよ。全て「プラス思考」でね。それがキンちゃんを応援する人への答えなのだから。

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コメント

お疲れ様です。藤田さん、元気にしていますでしょうか?
ブログみました。本当に体験していないと書けない様な
とても。読み応えがある内容で、私自身勉強になりました。

時間とか、記録とか、勉強不足で内容が分かっていません。だけど
藤田さん、凄い。すごいなぁ。と思うばかりです。

内容も、面白いから。私はいつも更新を楽しみにしています。
そして、この内容は目で見てみたいので
機会を作って、キンちゃんに会いに行きたくなりました。
私も、海を泳げる。そんな季節がやってきたので・・・。

是非、一度キンちゃんお泳いでいる状況を見てみたく、応援に行きたくなりました。

藤田さんと出会ったのは、4年前?
覚えていますか?吉良の海でのBBQです。BBQの時に貸してくださった。
水着は、ボロボロではありませんでした。ブカブカでもなく、
心地よい感じ。今でもあの水着は印象に残ってます。
確か、あのまま、私。貰ってしまったのでは??とはっきり覚えていませんが。
吉良の海は、今でも忘れていません。
藤田さんに出会えた事で、こんなにも影響されて、励まされているように
いつも、いつも最終的には感謝の気持ちになっています。
うまく、言えませんが。
一度、途切れた出会いが、最近こうしてまた、復活できる事になり
よっしゃー。と自己満足で。嬉しく思います。

藤田さんのブログを読んでるとね。甘えん坊の私が一瞬「ハッ」とする。
いつも、本当に甘えてるな。私・・・。
ホント、自分が甘甘。甘えん坊。誕生日が来て26歳になりました。
26歳になり、友達は結婚&出産。
結婚して・出産・・・。こんな幸せもあるけど。まだ、自分の好きなことしていたいな。
藤田さんは好きな事を通り越して、藤田さんは大きな舞台でパフォーマンスしてる人みたい。

藤田さん、今度一緒に泳げませんでしょうか?
海でもいいですよ。平日はどこで泳いでいますか?
同じ県内で直ぐ近くに居るのに、一緒の空間に居られないのがもったいなく感じてきました。
藤田さんのエネルギー&パワーにあやかりたい。
もし、よろしければ平日はどこで、何時ごろ泳いでいるのか?教えていただけませんか?

私の知らない事や知らない世界をいろいろと教えてください。

妙高高原、私も知ってます!今年の冬に行きました。友達はスキーして私は近くのプールで
泳ぐ・走る。を毎週のように、長野地方へ行ってました。
妙高は、新潟?雪がサラサラしてました。寒かったです。
長野には6回今シーズン行ってます。毎週毎週あのアルプスの山を見るのが私の癒しでした。

投稿 mm | 2008年5月15日 (木) 12時47分

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