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わくわく、どきどき、台風の目。

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2008年4月の記事

津軽旅情

   1. タイムマシーン

 東京では満開の桜も散り始めた4月2日、私は愛車ハイエースで一人、東北道を青森へ向った。この道はまるでタイムマシーンのようだ。一ヶ月ほど遡るタイムスリップのように、景色は過去へとつながっている。満開の桜、連翹(レンギョウ)の群生、そんな春の息吹を感じながら進んでいくと、青森に着いた頃には桜の開花どころか芽さえつけてない。周囲には除雪した雪を排雪した残雪が、黒い山となっていたるところにある。ラジオを聴けば、桜の開花は4月下旬だそうだが、よくよく見れば道沿いのあちらこちらで小さなフキノトウの芽が春の訪れの歌を歌っていた。
 トラジオンでは春のスキーキャンプを妙高高原で3月29日に終わらせたが、宿泊先のペンション「ポコアポコ」の前ではやはりフキノトウが芽を出していて、採取本能丸出しの父兄が「春の味覚だ!」と言って向きになって採っていた。もちろんポコアポコには断ってあるが・・・。
 「そういえば昨日(4月1日)までキンちゃんの淡島~大瀬3-wayに行っていたが、このときキンちゃんは「ビールのつまみに」と、土筆(ツクシ)の煮たのを持ってきてくれたな・・・。そうそう、数年前の同じ時期、天候不順で海練習が出来ず、土筆採りをしたことがあった。今回も三島駅から民宿「桂」まで行く道すがら、「土筆採りをしたいなぁ~」とキンちゃんは言っていた。もう、春なんだよなぁ~。」などと思ってよくよく見ると、青森にも土筆が生えていた。しかし土筆もフキノトウも私には採っている時間がない。先を急がねば・・・。
 ちなみに数年前まで私は東京で桜の花を見ることがなかった。たいがいがスキーで、桜の芽が出る前に山にこもり、東京に戻った頃は葉桜になっている。しかし昨今のスキー人口の低下と共にスキーの仕事が減り、お陰様で(?)、最近では東京の桜を見るようになった。
 そうそう、自慢できる話ではないが、去年、私は花粉症デビューした。「この年になって・・・」と思ったが、病院で検査してもらった結果、“スギ花粉”にアレルギー反応が出た。れっきとした花粉症になったのである。ただまだ花粉症初心者で、ベテランの方々のような対応方法を知らないが、「触らぬ神に祟り無し」。東京で桜見物が出来るようになっても、花見などには行かない。
 そこで一句。お題は「桜」。

   「花見ずに 鼻水垂らす 花粉症」

お粗末!

 それにしても最近の桜の開花が早くなったように感ずるが、いかがなものだろう。一昔前の童謡「ドキドキドン! 一年生」(伊藤アキラ/作詞・桜井順/作曲[1986])の歌詞を紹介しよう。

  サクラさいたら 一年生
  ひとりで 行けるかな
  となりにすわる子 いい子かな
  ともだちに なれるかな
  だれでも さいしょは一年生(一年生)
  ドキドキするけど ドンと行け
  ドキドキドン! 一年生
  ドキドキドン! 一年生
      (2番、3番省略)

 そう、桜が満開になるのは入学式の頃だったように記憶しているが、私の入学式の写真も満開の桜の下で撮られている。5日から1週間くらい以前よりも季節が早くなっているように感ずる。
 トラジオンの冬スキーキャンプも以前は年の暮れに行っていた。しかし昨今の暖冬か、年の暮れのスキー場に雪がつかない年が増えてきた。そこで最近は正月の三が日が過ぎてからに移行しているが、ホントに最近はスキー場に雪が少ない。やはり地球は温暖化傾向にあるのか?
 だが私はあまり「地球のために」とか、環境問題において「地球規模」でモノを語りたくない。もちろん「エコ対策」などは関心もあるし、環境を良くすることが悪いことではない。が、人間が地球規模の環境までコントロールできると思う「驕り昂り(おごりたかぶり)」に問題があるように思う。もっとストレートに「人間のために」とか言ってくれた方が私は好きなのだが、いかがなものだろう。
 いずれにせよ季節は大急ぎで足早に通り過ぎて行く。桜の見ごろも3日は持たず、秋の紅葉でさえ最も良い見ごろは3日も持たないのである。「三寒四温」とか「春に三日の晴れなし」とか、天気は海の波のように行ったり来たりを繰り返しているが、確実に満ちたり干いたりするように季節は移り変わっているのである。
 きっと、秋の東北道は東京から青森に向うに連れ、季節のタイムスリップは今と逆行するのだろう。

   2. 津軽行きの目的

 季節が「あーだの」、「こーだの」と長々のたわってきたが、私にあまり季節感はない。何せトラジオンの春スキーキャンプの翌日に、キンちゃんの海練習に行っているのだ。もちろんキンちゃんは水着1枚で泳ぐ。しかし海も山も季節による“旬”があり、この季節の海の泳ぎも味わいがあるのだ。
 キンちゃんが泳いだ3月31日、この日は寒かった。雨降りで最高気温がようやく10℃に手が届くくらい。水温は16℃。気温+水温=30℃未満。これは私の経験から基づく判断基準では「イエローゾーン」に属する。
 またここのところのキンちゃんは、「海練習」と言えば「失敗!」とこだまが帰ってくるほど失敗続きでキンちゃん自身も落ち込み、ずっとスランプ状態になっていた。「足が痛い」、「寒い」、「眠い」、「-etc-」・・・。理由はいくらでもあるが、こうも失敗が続くと気力も体力も低下する。
 「今秋もダメかな・・・」という不安を裏切って、キンちゃんは見事にその30kmの遠泳を10時間36分で完泳した。良かった・・・。ホントに良かった!!
 努力したのはキンちゃんであるが、それまでのキンちゃんを知っている私にとって、キンちゃん以上に喜んだかもしれない。
 実際、今回の海練習が失敗に終わっていたら、私は津軽に向うことはなかったのかもしれない。何故ならば、こうして津軽に向ったのは昨年の企画「津軽海峡縦横断泳」が台風9号の接近により泳ぐことすらなく終わっていたのだ。そのリベンジとして同企画の下準備として津軽に向っているのだが、いろいろな事情があってキンちゃんはキンちゃん自身の意識とは別に、泳ぐ方向から逸脱された方向へと軌道修正されている。人にはそれぞれ“事情”というものがあるのだ。いくら意識としては泳ぐ方向にあっても、現実に泳げないなら泳がずに、その軌道修正された方向に切り替えた方が良い。そう勧めようと思っていた。つまり、津軽には行かずじまいで終わっていただろう。
 いずれにせよ今回の目的は青森と函館の海上保安部、それに今回の伴走をしてくれる地元漁師の安宅さんに会いに行ったのだ。
 今のご時世、インターネットはあるし電話もFAXもある。このような通信手段が発達した中で、しかも初めて泳ぐわけではない。わざわざ行かずとも用件は済みそうなものだが、現実はそうもいかない。まあ後ほど「行かなければならない理由」はじっくり述べるが、去年の「泳げずじまい」で終わったことや、キンちゃん自身の事情として今回の津軽泳はそれほど“乗り気”ではなかった。「じゃあ、今年が最後にしようね」と約束して津軽に向ったのである。「立つ鳥跡を濁さず」。最後だからこそキチンと終わりたかった。それが津軽行きの決め手となる大きな理由だった。
 ちなみにキンちゃんの近年の実績は、

  2005年7月14日 ドーバー海峡1Way 17時間03分(英→仏)
  2005年8月02日 ドーバー海峡1Way 13時間41分(英→仏)
  2005年8月30日 津軽海峡1Way   11時間36分(青→北)
  2006年7月18日 ドーバー海峡1way 13時間35分(英→仏)
  2006年8月31日~9月04日 津軽海峡3way   37時間24分
       1st leg 2006年8月31日   11時間43分(青→北)
       2nd leg 2006年9月02日   15時間28分(北→青)
       3rd leg 2006年9月04日   10時間13分(青→北)
  2007年7月10日 ドーバー海峡1way  13時間59分(英→仏)
  2007年8月10日 ドーバー海峡1way  13時間54分(英→仏)

と、ドーバーは5回、津軽は4回成功させていて、日本では最多のドーバーと津軽の完泳者になっている。ドーバーでは“Queen of the Channel in Japan.”と呼ばれているし、津軽でも“津軽クィーン”であろう。
 しかしキンちゃんの目標はドーバーの2-way。それも今年ではなく、来年(2009)なのだ。そしておそらくこの来年がキンちゃんにとって最後の遠泳となるだろう。泣いても笑っても最後なら、笑って終わらせたい。
 今年はドーバーの1-wayを2回泳ぐ予定だ。来年に向けて、津軽も笑わせて終わらせたい。これが私の願いであり、あまり積極的ではなかったキンちゃんへの説得をさせた原動力だった。
 きっと事情がまた変わり、キンちゃんが気持ちと一緒に海を泳ぐ泳者に戻れるなら、再来年以降も泳ぎ続けると思うし私もそれを望むのだが、現実はかなり難しいだろう。

   3. 経緯

 津軽行きはいろいろ時間や経済性を考慮して、最も効率の良い方法が
  ① 愛車ハイエースで東京~青森間の往復をする。
  ② 青森~函館間は電車を利用する。
  ③ 函館はレンタカーにて移動する。
となったのである。
 もともと津軽の企画はドーバー泳のシミュレーションであった。
 2005年、津軽1-way、ドーバー1-way、ドーバー2-wayと、三段跳びの要領で、ホップ、ステップ、ジャンプと泳がせたかった。しかし5月の津軽は悪天候のため泳げず。7月のドーバー1-wayは17時間03分で成功させるが、8月のドーバー2-wayでは13時間41分でフランスを折り返したものの、合計17時間33分泳いだところでオブザーバーから“危険”と判断され、涙を飲む。
 こうして泣き崩れるキンちゃんに自信を復活させようと、5月に泳げなかった津軽の1-wayを8月の下旬に企画した。そして「くよくよするな!」と叱咤激励し、ドーバーのビーチで津軽泳の練習をさせていた。
 この津軽泳が大成功で、キンちゃんの泳ぐ気持ちが喪失しそうなとき、首の皮1枚で切れずに済んだのである。しかも翌年の3月にはダメだったドーバーの2-wayに対して、ドーバー泳を公認するイギリスの団体“CS&PF”より、その努力に対して「ガートルード・エーダリ賞」が受賞されたのである。これによってキンちゃんの元気は100倍になった。
 だがキンちゃんの目標であるドーバー2-wayは、2007年だった。そこで2006年はさらに自信をつけさせようと、私は100kmを越す遠泳を企画した。それは「足摺岬~室戸岬」までの120km。いや黒潮に乗って24時間泳げば、もしかすると200km以上先の潮岬まで泳げるかもしれないという壮大なものだった。
 実際、1993年にトラジオンの塚田が足摺岬~室戸岬間を16時間で泳いでいる。このときの企画では「予定が24時間泳」だった。黒潮に乗ると信じられないくらい速く泳げる。その時の船頭さんが「24時間泳いだら潮岬ぐらいまで行けてしまうのではないか」と言っていたので、まんざらでたらめな話ではない。
 この快挙に気を良くして調子に乗って、翌年私は塚田に「種子島から黒潮に乗って24時間泳ぐ」企画を実行させた。結果、上手く黒潮に乗ることができず、塚田本人の泳力である24時間泳の70km地点、都井岬(宮崎県)沖合までしか泳げなかった。なかなか黒潮に乗るのも難しい。そんな落ちで終わったのだが・・・。
 キンちゃんはプールだが、24時間どころか30時間泳も数回こなしている。したがって泳力的には問題がなかったし、私も泳がす自信があった。しかし時代の変化と共に泳ぐ人為的な環境が変わった。法律も替わり、全てがうるさくなった。下準備で四国にも行ったが、どうも思うようにことが進まない。そんな私の姿を見てキンちゃんは「私の目標はドーバーの2-wayなのだから、ドーバーに行って練習する!」と言い出したのだ。これには2つ驚いた。一つは“それは正しい”と、もう一つは“私に苦労をさせたくない”という気遣いだった。
 キンちゃんの気遣いに甘んじてこの年はドーバーでの練習になったが、ガートルード・エーダリ賞を受賞させたドーバーのCS&PFの方が“練習”では済まさせなかった。キンちゃんはドーバーの1-wayを13時間35分という自己ベストで完泳させたのだった。
 私とてキンちゃんに甘えてばかりいられない。100km以上の泳ぎ、「津軽3-way」を企画するのだった。これは「100km以上泳ぐ」という意味のみならず、「折り返す」、つまり目標のドーバー2-wayには必ず折り返しがあるので、その経験をさせたかったからである。
 ところが日本の「海峡」と呼ぶ名の海は、夜間泳を嫌がられる。「危険」という理由だからだが、ドーバーでは普通に行われているし、ドーバーと津軽との環境を比較してみても、非常に類似しているところが多い。特に海上交通においては海峡を横断、あるいは縦断する船舶はどちらも頻繁に往来しているし、“見た目”なので確たるデータがあるわけではないのだが、どちらかと言えばドーバーの方に交通量は軍配が上がるほどだ。
 昨今「津軽では“なっちゃん”と呼ぶ高速船が就航したから」と言われたが、ドーバーにも類似したカタマラン(双胴船)タイプの“シーキャット”と呼ぶ高速船がかなり前から就航している。
 おそらくこの差、つまり夜間泳が可能か否かの差は「海峡横断泳」に対する“認知度”と、“国民性”、“海峡の事情(漁業問題など)”などであろう。津軽で夜間泳をやって出来ないわけではない。予想される危険因子を排除すれば良いだけの話であるが、「そこまでやる必要があるか?」という自問自答の中で、夜間泳は断念し、「昼間に、3日間に分けて行う。」と計画を変更した。しかしどうだろう・・・。津軽の3-wayを一気に泳ぐのと、1-wayずつ3日に分けて行うのとでは、どちらがハードだろうか??
 いずれにせよこの3日に分けて昼間に行う津軽の3-wayは大成功で終わらせることが出来た。そして昨年(2007)の津軽海峡縦横断泳(青森⇒北海道+日本海⇒太平洋)へと企画はつながっていったのである。「120kmを、16時間(昼間)で終わらせる」企画へと。
 「卵が先か、鶏が先か」の問答があるが、「法律が先か、船が先か」もある。海の法律も船舶の持つ能力も日進月歩している。ちょうどこの企画を実施する頃、安宅さんは新船に変えようとしていた頃にぶつかっていた。自分達の企画の泳ぐ範囲が広域だったため、旧船では「航行区域の変更」が必要だった。
 2006年の四国は足摺岬から室戸岬までの泳ぐ企画では、新しい法律に合った船舶なら泳ぐことも可能だったが、古い船舶で合法的な船を見つけることは出来なかった。法律で認めても、現実には“一気に100km以上泳ぐ”という行為には「合法的な船がない」という理由で封印されてしまっていた。
 しかし安宅さんの新船ではこの新しい法律に合法的なのだ。つまり「航行区域の変更」などの手続きなどしなくても、そのままで伴走が可能になる。新船デビューでキンちゃんの遠泳サポートなので、それはラッキーだと思っていた。
 だが安宅さんの新船でスタート地点の青森県は津軽半島にある小泊まで行ったのだが、台風9号の接近により泳げずにそのまま安宅さんの新船は北海道まで帰ったのであった。そればかりか我々が宿泊している宿が台風の接近により“危険”となり、生まれて初めての“非難”を経験した。そして台風9号はキンちゃんの変わりに津軽海峡を横断して行ったのであった。
 普通は「北海道には梅雨もなければ台風も来ない。」と言われているのだが、“嵐を呼ぶ女”キンちゃんの本領発揮したのだろうか?
 泳げなかったことがショックだったキンちゃんは泣いた。泣いて、泣いて、泣いて、泣いて・・・。それほど津軽に対する期待感は大きかったのである。以来、「それほど津軽を泳ぎたいとは思わなくなった。」がキンちゃんの大きな理由であった。

   4. 組織の仕事(行かなければならない理由)

 函館海上保安部に行く。
担当者「毎年の恒例にするのですか?」
石井「いや、たぶん今年が最後です。」
こんな会話が飛び交う。去年と同じ企画。ここ数年届けている企画。前にも書いたが、通信手段が発達した現代社会で“わざわざ北海道まで出向かなくても・・・”という理由はいくらでもありそうだ。ところがそうもいかない。
 過去、私は神奈川県三浦半島の突端にある城ヶ島で、“泳いで城ヶ島を1周するレース”、「城ヶ島ロングディスタンススイミング大会」を企画実行していた。大会として10年、その準備段階として6年の歳月を費やした。この合計16年の月日で城ヶ島に通わなかった年はない。しかも必ず複数回は出掛けていた。
 もちろん“前年回の反省”があるから、「まったく同じ企画を毎年続けている」というわけではない。それでも少しずつは改良していたのだ。同じように、協力してくれる組織も毎年同じではない。相手側組織内の構造改革があったり、人事異動があったり・・・。法律までもが季節並みの速さで大急ぎに変わっていく。つまり「毎年が初めて」なのだ。どんなに時代は便利になろうと相手先担当者とじかに会ってお話しする。これが「最も安全に企画を遂行するベーシックな行為だ」と私は信じて疑っていない。
 過去において私は「日本が四面を海で囲まれていながら海洋レジャーが発達しないのは、海に係わる人々の人為的な環境の悪さだ。」と言ってきた。そこには“法律”と呼ぶ名の足枷(あしかせ)もあった。今でも「法律は正義ではない。悪法も法だ」と思っている。そこでそんな理不尽な法を改正すべく努力もしてきた。これでも少しは日本の海で泳ぎやすくなるように法を変えたつもりである。
 しかし今はやっていない。何故ならば大きな問題は「日本の国民性」、「日本人の持つ意識」だと気付いたからだ。日本では“法改革”のみではダメで、“意識改革”も必要であった。ただおそらく昨今の通信手段の発達と共にその意識改革は徐々に進み、いつかは日本の海でも泳ぎやすい環境が生まれるであろうと想像している。だがそうなるまで私は生きていない。むしろ“生きているうちにやっておきたいこと”が山積している。今はそちらの方を選んでいるのだ。とりあえず今は今の日本の環境に合った泳ぎ方をしなければならない。だから北海道までも行かなければならないのだ。
 そしてこれは現代日本のオーシャンスイマーたち、これからのオーシャンスイマーたちに大声で言いたい。「もっと、もっと日本の海の環境と現状を勉強しなさい。」、「どのように泳ぐのが良い方法なのかを考えなさい。」と。

   5. 目標(18時間、40km+α)

 キンちゃんの目標は来年(2009)のドーバー2-wayであって、今年ではない。今年はドーバーの1-wayを2回行う予定だ。そこで1回はイギリスからフランスへ、もう1回はフランスからイギリスへと考えた。しかし時代は変化し、今では“1-way”と言えば、「イギリスからフランスへ」のみになっている。その理由はフランス側に問題があるとか・・・。いずれにせよ詳しいことはわからないが、それが今のドーバーなら従うしかない。結局「イギリスからフランスへ」を2回やることになったが、今年の津軽泳も含め、全ては来年のドーバー2-wayのためである。
 少し2007年までのデータを見ながら考えてみよう。過去の私の経験で、連続して泳ぎ続ける“最長”は次のようになる。(キンちゃんとの比較も含む)

 [距離]
   塚田吉彦              1996年 16時間00分 120km
   足摺岬⇒室戸岬(四国)
   *藤田美幸(予定)         2008年 16時間00分 120km
   青森(日本海)⇒北海道(太平洋)(津軽海峡)

 [時間]
   増岡 尚              1988年 27時間30分  52km
   対馬(日本)⇒釜山(韓国)(対馬西水道)
   藤田美幸              2006年 30時間00分  72km
   *プール
   藤田美幸              2007年 17時間46分  38km
   城ヶ島~江ノ島2-way 1st leg:9時間50分、2nd leg:7時間56分でリタイヤ

 参考までに近年の日本人チームによる2-wayリレーの記録は次のようになる。

 [ドーバー2-wayリレー](“CSA”より)
   Fujiyama Girls 2000        2000年 23時間18分  64km
   英⇒仏 10時間57分 + 仏⇒英 l2時間2l分
   *CST Japan Team(サポート石井)  2001年 28時間44分  64km
   英⇒仏 13時間44分 + 仏⇒英 l5時間00分
   Half Moon             2002年 25時間16分  64km
   英⇒仏 11時間37分 + 仏⇒英 13時間39分
   Umihime Channel Relay       2005年 22時間34分  64km
   英⇒仏 10時間37分 + 仏⇒英 12時間 08分

 ついでに近年の2-wayソロの記録は次のようになる。

 [ドーバー2-wayソロ](CS&PFより)
   Marcella MacDonald(女性)     2001年 21時間19分 USA
   英⇒仏 09時間53分 + 仏⇒英 11時間26分
   Anne Cleveland(女性)       2004年 28時間36分 USA
   英⇒仏 11時間51分 + 仏⇒英 16時間45分
   Marcella MacDonald(女性)     2004年 23時間00分 USA
   英⇒仏 11時間14分 + 仏⇒英 11時間46分

 さてもう一度私のサポートした「最長記録」を列記しよう。

  • 距離では塚田の120km
  • 時間では増岡の27時間30分
  • プールではキンちゃんの30時間、72km
  • リレーではCST Japan Team(トラジオン)の28時間44分

 海でのキンちゃんの最長記録(海)は次のようになる。

  • 城ヶ島~江ノ島2-way 17時間46分 38km(リタイヤ)
  • ドーバー2-way 17時間33分 38km(リタイヤ)

 まあ他に17時間台は何回かあるが、距離は30km強である。
 確かに12時間未満、30km未満の練習なら豊富だが、ドーバー2-wayを目指すなら私のサポート最長記録を全て更新してもらわなければならない。
 ちなみにキンちゃんの実績であるが、近年の記録からドーバー1-wayは13時間台で泳いでいる。が、ドーバーと同じような低水温の状況下(海)では、連続して18時間以上、40km以上泳いだ経験がない。
 上記“ドーバー2-way(ソロ、リレーを含む)”データから言うと、1st leg(英⇒仏)より2nd leg(仏⇒英)の方に時間が掛かっている。したがってキンちゃんのドーバー2-wayの完泳予想時間は“30時間以上”である。
 プールでは30時間を泳いでいるが、海に比べればかなり状況が良く、やはりそれ以上の時間泳、距離泳が期待される。
 だが今年(2008)に入ってからの練習記録は“リタイヤ”続きである。

  • プール80km(35時間)泳=22時間24分31秒、50.8kmでリタイヤ
  • 城ヶ島~江ノ島1-way=6時間30分でリタイヤ
  • 淡島~大瀬崎3-way=8時間00分でリタイヤ

 こうしてスランプになってしまったわけだが・・・。
 今回、ようやく「淡島~大瀬崎3-way」を10時間36分で成功させて、「スランプ脱出か!?」と思っているが、ホントにそうなって欲しいと願っている。
 今のところ、当面の目標は“海で18時間、40km泳”。特に“夜間泳”、「睡眠グ」にならない練習。具体的には次のような練習が良いと思っている。

  • 淡島~大瀬崎2日で6-way
  • 城ヶ島~江ノ島2-way
  • 淡島~大瀬崎4-way
  • プール35時間80km泳

 こうして口に出す、ペンで書くのは簡単だが、実際に行うのは難しい。まあ多忙もあるし、思うように練習が出来ないのはわかっているが、やはりもう少し練習がしたい。
 今回、北海道にきてキンちゃんの伴走をしてくれる漁師の安宅さんと会い、キンちゃんの近況報告をした。すると、「そろそろ油が切れてきたんじゃないの?」と言って笑った。“42歳”という年齢、確かに油が切れ掛かっているのかもしれない。

   6. 下見が終われば

 4月に下見に行く。これは先にも書いたように日本の主な大きな組織は3月に人事異動がある。つまり3月以前に届けても、人事異動で担当者が変わる可能性がある。またトラジオンでも春のスキーキャンプが終われば春休みになる。このチャンスを利用しての津軽行きだが、そのアポイントを取る電話で「ああ、トラジオンの石井さんですね?」と向こうから言ってくる。つまり保安部の担当者に私は知られているのである。「ならわざわざ行かなくとも・・・」と思うのだが、やはり行って直接対面することに価値がある。そう思って出掛けた。
 函館はほぼ順調に用件が済み、次はどちらかと言うと“うるさい”青森である。しかしちゃんとアポイントを取ったにも関わらず、担当者は不在だった。まあ仕方がない。ちゃんと「出頭した」ということに意味があるのだ。
 あとから知ったことだが、このときはちょうど青森のホタテ漁漁船が遭難した事故の時間と一致している。担当者はそちらに忙しかったのであろう。去年ここに来たときは、「あ、また来ましたね!」とフレンドリーな係官に挨拶された。やはりみんな海が好きなのだ。好きだからこそ“海の安全を守ろう”としている。増してやスポーツは利害関係がない。誰だって応援したくなるだろう。ちゃんと安全が守られているならば。
 あとは帰るのみだが、山形在住に私の学生時代の先輩、田中さんがいる。学生時代にはたいへんお世話になった先輩で、田中さんは「石井の影響だ!」と言いながら障害者を相手にスキーや水泳を教えている。過去、田中さんは水泳で国体選手を何人も育て上げた人だ。私のところの遠泳にも「佐渡~新潟間」で参加してくれたことがある。
 東北を旅するときは「関所」みたいなところで、私は避けて通るわけにはいかないのだ。青森から山形へは無性に海(日本海)が見たかったし、まだ通ったことのない「秋田道」も走ってみたかった。
 青森や秋田の山の峰々にはまだ多くの残雪が見え、道路沿いのあちらこちらにはフキノトウが顔を出している。「春遠からず」なのだろう。
 秋田から山形への日本海沿いを走る。遠くに飛島が見える。「ああ、キンちゃんを飛島から山形まで泳がせてみたいな・・・」。やはり“対岸”が見えると「泳いでみたい」と思う気持ちがどうしても湧いてしまう。実際にここを泳いだ人を知らないわけでもない。
 山形で田中先輩に会う。話は尽きないが、「明日(4/5土)、蔵王で障害者のスキーを手伝いに行くが、お前も来い」と言う。6日から私は仕事なので、「それまでに帰る」ということでお付き合いした。
 山形道の月山も積雪5~6mはまだある。春スキーを楽しむスキーヤーが大勢いた。蔵王もまだまだ雪深く、スキーを滑るには申し分ない。
 「山形身障スキークラブ」恒例の練習会らしい。「見るだけ」と思っていたが、ウェアも用具も「タダで貸してくれる」と言うのでその言葉に甘えた。
 蔵王山頂に上がると天気も良く、ものすごく気持ちが良かった。「やはりオレは海や山、自然が好きなんだ」と思う。
 思いがけずのスキーを楽しみ、ひと時の想い出を残すと愛車ハイエースで東京に向う。途中、「そうだ、海(太平洋)が見たい」と郡山から常磐道へ入る。それは秋田で日本海を見たからもあったが、日立の方には冷たい海を求めてキンちゃんと泳ぎに来たこともある思い出の場所なのだ。
 実際は夜中で太平洋を見ることは出来なかった。しかし潮の香りが「海」を想像させ、地名を見るたびにそこそこのビーチが思い出と共に脳裏に浮かんでくる。何度も来ているからだ。
 こうして私は東京に戻った。愛車ハイエースの走行距離は今回の津軽往復で1,600kmを越した。
 思い起こせば3月23日から「大人のスキー」で妙高へ出掛けた。このときは中央道を使って行ったので、東京⇒神奈川⇒山梨⇒新潟⇒長野となる。帰りは関越道を使ったので群馬⇒埼玉が加わる。
 26日からは「トラジオン春のスキーキャンプ」で再び妙高へ出掛けたが、往復とも関越道を使ったので増える県はなし。だが30日から「キンちゃんの淡島~大瀬崎3-way」に行ったので静岡が加わる。
 そして今回の津軽行き。茨城⇒福島⇒宮城⇒岩手⇒青森、ここでクルマを置いて私だけ電車で北海道まで行く。北海道ではレンタカー。帰りは青森から秋田⇒山形が加わり、さらに常磐道を使ったので栃木⇒千葉が加わる。
 つまりこの2週間で私の通過した都道県は18。関東甲信越から北側を全て通過したことになる。愛車ハイエースの走行距離も3,000kmを越した。よく走るよ。
 このハイエースは13年前に新車で購入したもの。その間、私を乗せて北海道は稚内から九州は佐多岬まで行っている。四国を始め、おそらく日本の都道府県は全て走ったであろう。
 現在の走行距離は34万kmを越した。ちょうど30万kmを越したとき、「おお、地球を7.5周。光のスピードでも1秒は掛かる」と思った。今は地球を8.5周。地球から月までが38万kmなので、あと地球1周すれば月まで到達である。きっと月まで行ければ「残り2万kmで40万km(地球10周)。そこまで走ろう」と思うだろうな・・・。
 とりあえず今は月まで行きたい。地球10周はそれから考えよう。とにかく私は“長距離”が好きなのだ。

   7. キンちゃんへ

 スランプに入り、「また一からの出直しだ」とキンちゃんは言っていたね。どうにか今回の「淡島~大瀬崎3-way」が上手くいって嬉しかった。
 今までの“ダメ続き”を無駄にしないためにも、一つずつの課題を確実にこなしていくことだね。これから“リベンジ”をやっていくけど、「80km泳」は良い顔をせず、「もっと海で練習がしたい」と言った。でもね。日本の海では夜間泳が難しいのだよ。必要なのは「夜だけ泳ぐ」というのではなく、「連続して泳ぐ中に“夜間”がある」という状態にしなければね。
 おそらく津軽は今年で最後。ドーバーも来年で最後になる。今や「ドーバー2-way」は「夢」ではなく「目標」なのだよ。とりあえず今は今年の「ドーバー1-way」が2回、津軽の縦横断が1回あるけど、その一つ一つの企画を確実にこなしていくこと。
 とにかく「登山」に例えると「エベレスト登頂を2回続けて行うようなもの」。富士山登山でギブアップしているようじゃダメなんだ。でもよく二人三脚でここまで来たね。まだまだ先は遠いが「ドーバー2-way」の目標も具体的に見えてきたことだし、笑ってみんなの祝福を受けることだけを考えよう。
 マイナスな気持ちはダメだよ。全て「プラス思考」でね。それがキンちゃんを応援する人への答えなのだから。

グランプリ受賞!!

Pc1700682 みずほ銀行の「みずほHAPPY旅フォトコンテスト」に、キンちゃんの海練習の写真が見事“グランプリ”を受賞しました!

 商品の「ANA旅行券50万円分」は、来年の“ドーバー2-way”の交通費として使わせていただきます。

 ありがとうございました。

「キンちゃんが行く」Vol.17

1. 淡島~大瀬崎3-way(約10km×3)

  • 淡島~大瀬崎間3-way(約10km×3-way)
  • 日付: 2008年3月31日(月)小潮
  • 場所: 静岡県沼津市三津淡島~同県同市大瀬崎(駿河湾)
  • 泳者: キンちゃん
  • 方法: 3-way solo swim
  • 記録: 10時間36分
       1st leg: 06:32 淡島 ⇒ 09:16 大瀬崎 2時間44分
       2nd leg: 09:16 大瀬崎 ⇒ 13:41 淡島 4時間25分
       3rd leg: 13:41 淡島 ⇒ 17:08 大瀬崎 3時間27分
  • 天候: 雨時々曇り
  • 気温: 7.2~10.4℃
  • 水温: 16.0~16.8℃
  • 波高: 0.5~1.0m
  • 風向・風速: 主に東南 2.1~7.4m/sec
  • 流向・流速: 主に西 0.0~0.5kn
  • ピッチ: 63~67回/min
  • 補給品: 炭水化物+果糖+お茶類=300ml(40分毎)

2. 「猫の手隊」の助け

 和菓子屋である我社「(有)フジタヤ」にとって、3月は繁盛期である。まずお雛祭りに始まり、お彼岸、お花見と多忙な日々が続く。まあ前回の海練習はそのお雛祭りとお彼岸の隙間に入れたのだが、ここのところ続いているスランプの絶頂期であったのかもしれない。途中で泳ぐ気力がなくなり、リタイヤで終わったのである。とにかく私にとって“死ぬの生きるの”とまではいかないが、遠泳を“やめるか続けるか”の瀬戸際まできていた。そのリタイヤの反省もあるし、「このままではいけない」、「極力早いうちにリベンジを」と考えていた。しかし仕事が・・・。シェイクスピアの「ハムレット」にある名台詞、"To be, or not to be, that is the question." (生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ)に近い、“To do, or not to do, that is the question.”(やるべきか、やらざるべきか、それが問題だ)状態になっていた。
Image0581_2 仕事は猫の手も借りたいほどの多忙を極めていた。繁盛期の助っ人である「猫の手隊」のパートさんたちには全員召集させて、この難局を乗り切ろうとしている。その中での外出は後ろ髪を引かれる思いがある。しかし3月も終わりに近付くと、この多忙な出口も見えてくる。猫の手隊の皆さんもすでに軌道に乗り、リズム良く順調に仕事をこなしてくれている。そこで思い切り私のワガママを聞いてもらうことにした。
 3月30日は朝からお墓掃除、岡崎公園への「ジャンボ花見団子」の配達もあり、それを終えてから三島に向うことにした。
 ちなみに「ジャンボ花見団子」でネット検索していただきたい。そこに出てくる写真などは、ほとんどが当社「(有)フジタヤ」の人気売れ筋商品である。まあジャンボ花見団子を作っている会社は当社フジタヤと他にもう一社あるが、他社は1本1,500円に対し、当社は1本1,000円で販売している。普通の花見団子12本分の大きさがあり、以前は嘘かホントかは知らないが「ボブ・サップも食べた!」などと書いてあった。今は「ホワイトデイの少し遅れたお返しに」と書いてある。また何処かのホームページには「最近“メガ”という言葉が流行しているが、ジャンボ花見団子は“メガ”が流行る前から“メガ級”の大きさだ」と書いてあった。とにかく“デカイ”ので一見する価値はある。是非、写真だけでもご覧いただいて、話の種にでも買っていただければ幸いである。ただ季節商品なので今は作ってない。欲しい方にはお知らせいただければ配送もするが、来年の花見のシーズンまでお待ちいただかなければならない。
 このくらいコマーシャルをすれば、私のワガママも勘弁してくれるかな??
Image0351_2 最寄りの新幹線の駅、三河安城までは、当然、会社の人が送ってくれるわけがない。しかしたまたま日曜日だったためか、義弟のI 君(キンも入っている地元のスイミングクラブ「安城マスターズ」では、いつもレースに出ては金や銀のメダルを取り、種目はフリー。毎週日曜日のマスターズ練習には、休んだことがない。しかも最近はブレストにも挑戦している。)が子供たちを連れて我が家に遊びに来ていた。ちょうど子供達は新幹線を見たがっていたのが幸いした。I 君と甥や姪たちとで三河安城まで送ってもらうことにした。
 12時30分くらいから天気予報どおりに雨がパラパラ降ってきた。風が吹き、半袖では寒いが、甥や姪たちは新幹線が通るたびに黄色い線まで行き、覗いていた。こうやって海練習に出掛けるのに、見送られるのは初めてかもしれない。
 新幹線の中では日曜日か、春休みか、子供連れの家族で賑わっていた。しかし私は多忙の疲れが出たのか、ウトウトと眠ってしまった。
 気がつくとすでに新富士。いけない、いけない、三島を通り越してしまう。
 石井コーチはすでにクルマで来ていて三島駅のホームで待っていた。
石井コーチ「メールをしても、ちっとも返ってこん!」
キン「ゴメン、ゴメン、寝とった」
石井コーチ「ホントにも~!」
キン「お昼、食べた?」
石井コーチ「まだ」
キン「私も。ウナギが食べたい!」
 ということで、三島では有名な“行列が出来る老舗の鰻屋さん”元祖「うなよし」に連れて行ってもらい、グルメなキンは特上鰻丼と肝焼きを食べ、肝吸いを飲んで明日の3-wayへの体調を整えた。

3. 夢か幻か現実か

 いつもの民宿「桂」に到着。船頭さんの菊地さん宅へ挨拶がてら明日の打ち合わせに行く。それからお風呂、夕食、栄養補給品作りへと続いていく。最近、私の味付けは「お~いお茶」と「紅茶」の2種類まで的は絞られてきた。その補給品に使い捨てカイロを貼って加温する。ところが最近、石井コーチが用意したカイロは安物で、“温まりにくい”、“破れやすい”の欠点があった。いつもなら栄養補給の容器「プラティパス」1つに、カイロ2枚でサンドするのだが、石井コーチは4枚も貼り付けていた。
キン「もったいないから2枚でいいよ!」
と言うのに、断固としてコーチは4枚ずつ貼り付けていた。
キン「も~!」
と私は怒っている。怒りながらもカイロの接着面のテープを剥がしていた。
P42201082 10時間分(15個)の栄養補給を作るのに、1時間は掛かってしまう。
石井コーチ「料理と一緒で時間をかけて、心を込めれば美味しい栄養補給品が出来るでしょ!」
と言う。確かに同じ材料なのに、石井コーチが作ってくれたもの方が私のものよりダンゼン美味しいのである。(ヨイショ、ドッコイショ!)
 19時30分に寝た。何故か夢を見た。津軽海峡の横断泳をするときにお世話になっている船頭さんの安宅さんと、会社の猫の手隊隊員1名が港に船を着岸させ遠泳の迎えに来てくれたのである。しかし朝方で暗く、石井コーチは足を踏み外して海に落ちてしまい、泳ぎながら船に乗ったのだが・・・。
 そう、この夢を見て思い出した。3年位前か、初島~熱海2-wayを泳いだあとのこと、初島の船頭さん、田中さんの食堂(めがね丸)でご飯を食べていた。このとき石井コーチは「船に忘れ物をした!」と言って、夜、寒くて暗い中、取りに行ったのである。ところがちっとも帰ってこない。痺れを切らした田中さんと私見に行くと、この寒く、暗い港の中で誰かが泳いでいる。「まさか・・・」と思いながらも見に行くと、やはり石井コーチであった。
 船に乗り移ろうと港の岸壁から船に足をかけると、船が“スーッ”と岸から離れたらしい。そこで足の短い(?)石井コーチはその場で落水。冬だったのでバカナガ(腰まである長靴)を履いていて、その中に海水が入り、泳ぐのに難儀をしたらしい。今、思えば笑い話である。
 が、どうして安宅さんが夢に出てきたのだろうか? わからないが、たぶん「頑張れ!」と応援に来てくれたのだろう。そう、3-wayなんて何回も泳いでいるのに、私は不安でいっぱいだからである。

4. リベンジ

 朝6時に出港。さすがに“嵐を呼ぶ女(私)”、朝から雨、雨、雨。泳ぐ私は雨でも構わないが、船上の菊地さんや石井コーチは「冷たいだろうなぁ~」と思う。淡島までのキンの服装はスイミングコートの上にポンチョをはおり、長靴を履いてニット帽を被っている。まあ暖かい服装だが菊池さんたちは操船や記録取りなどの作業があるため、これほど厚着はしていない。
 雨なので今回はビデオもデジカメもクルマの中に置いてきた。石井コーチのケータイカメラで雨から隠れるように撮影してくれたが、リベンジの私の姿をもっとちゃんと撮ってもらいたかった・・・。が、仕方ない。
 淡島ホテルには家族連れや夫婦など、3つの部屋から私のスタート風景を見てくれていた。いつもいる桟橋の釣客は、雨のせいか一人もいない。
 船から海水を触ると気温が7.2℃と低いせいか、生温く感じる。菊地さんも「だいぶ温かくなったよ」と教えてくれるが、キンはあえて水温は聞かなかった。聞けばまた頭の中でゴチャゴチャ考えてしまうからだ。しかし船の梯子から海に下りると私の体感水温計は“16℃”を指していた。おそらく本物の水温計と私の体感水温計の誤差は±1℃未満であろう。
 岸へ泳いで行くとやけに海草が多い。掻き分け、掻き分け泳いで行ったよ。そして岸に上がると船の方に振り返り、胸を張って右手を上げたよ。すると石井コーチから“○(丸)”のサインが出て泳ぎだしたんだ。
 6時32分、天候は雨。少しだけホテルから「誰か見てくれている人はいないかな?」とチラチラ見ながらね。だって誰かにキンを見ていて欲しいもん。
080331_113549 泳ぎ始めたのはいいが、「ええ~、何これ~。クラゲの大群さんいらっしゃ~い状態じゃん!」。雨天のため海の中は暗く、クラゲが見難いには見難いが、たぶんかなりの量で固まっている。こういうのはかえって見えない方が良いので雨天に感謝をしたが、“ツルッ! ピッ! ツルッ! ピッ!”の連続。「何でこの時期にもうはい(ものすごく)クラゲがいるの?」信じられない。昨年はこんなことなかったよ。それに前回(3月11日)は水温が14℃。「2℃も上がるなんて、どうなっているのかなぁ~?」と、そんなことを気にしながら泳いでいた。
 時折赤クラゲが私の腿の横を通り過ぎる・・・。「ギャー!」と叫んだせいか、刺されはしなかった。「良かった。いつ現れたんだろう? 下ばかり気にしていたからか? ちっとも気付かなかったなぁ~」。
 カモメが私の泳いでいる上空をグルグルと回りながら飛んでいる。息継ぎをしながら私も「今、あそこだ!」、「今度はここか?」とカモメと遊んでいた。きっとバチャバチャ泳いでいる私を「餌なのか?」、「何なのか?」と不思議そうに見ていたに違いない。それにしてもクラゲが多過ぎる!
 大瀬崎の折り返しが9時16分。1st legが2時間44分。まあまあの出来かな。いつも“2時間30分を切ろう”と心掛けているのだが・・・。
 「ああ、これから3時間44分以上は必ず掛かる。向い潮だし、向かい波。仕方がない」と、頭の中の設定時間を“2nd legは4時間”に切り替える。それにもう前は見ない。栄養補給もわざと後ろを向いて摂った。足が痛くなりそうなときは泳ぎを少し変えた。すると痛くなりそうな気配が遠退いた。
 大瀬崎ではイワシの稚魚(ヒコイワシ)の大群に出くわした。キラキラ光ってとてもきれい。その中を私は泳いでいるのだ。その大群が通り過ぎるまで、1分くらいは掛かったであろう。
 船を見れば石井コーチが、カップラーメンを食べている。これで4つ目だ。種類も何を食べているか、私は泳ぎながらチェックをしているのである。そう、用意したサンドイッチをクルマに置いてきちゃったんだもんなぁ~。でもこの雨の中、よく食べるなぁ~。大波の中でも雨の中でもよく食べる。毎回コーチの食べる姿を見るやいなや、そう思っていたよ。それにしても雨降りの中で船に乗っている人たちはたいへんだよなぁ~。でもこういう経験がないよりも、少しはあった方が人間、強くなると思う。
 相変わらず時折、足が痛くなりそうになるが、臀部を少し持ち上げ気味に泳ぐと痛くなりそうな気配が遠退く。そればかりか力も抜ける感じがして調子が良い。知らないうち(?)、いや長かった。2nd legの淡島までは、4時間25分も掛かったのである。1st legと比較すると、1時間45分も余計に掛かった。「小潮での向い潮、向かい波の影響は大きいなぁ~」と思ったのである。
 淡島の折り返し。やはり雨降りで釣客も居ないし、ホテルから見てくれる人もおらず、何回も周りを見ながら泳ぎ始めた。3rd leg、だいたい3時間が目安である。
 時折、船が先に行ってしまう。「どうしてだろう? いつも真横につけてくれるのに・・・、おかしいなぁ~。菊地さんは3時間を切ろうとしているのか?」必死で私はついて行く。あとから聞くと、少しピッチが弱まったため、“頑張れ!”の意味で速度を少し上げたらしい。
 津軽を泳いでいたときもそんな場面があったなぁ~・・・。そう、早く別な海流に乗せないと、太平洋まで流されてしまうので、船の速度が上がったんだ。まあ自然が相手、いろいろな条件の中で泳者は泳ぐのだ。それに順応できる泳者が“完泳”の文字をつかむことが出来る。
080331_160402 そう思っていると今まで雨天だった天候が一変して晴れてきた。まさに大瀬に着く20分くらい前である。遠くには富士山も真っ白な姿できれいに見えて、それはあたかも今までスランプの中でもがき苦しんだ私の、「スランプ」と呼ぶ名の雲が去り、晴れ渡る日差しが眩しく新たな出発への迎光のように思えた。
 3rd legは3時間の予定が3時間27分も掛かってしまった。3-way合計でも10時間の予定が10時間36分も掛かった。しかし今は完泳出来た喜びの方が大きい。久しぶりの成功に船に上がれば
菊地さん「美幸ちゃん、よく頑張ったね!」
石井コーチ「キン、よく泳いだじゃないか! オレは心配で、心配でたまらなかったぞ!」
と喜んでくれた。
 失敗するとみんなで悲しみ、成功すればみんなで喜ぶ。そう、みんなの心が一致団結したんだ。誰もリタイヤなんかしていない。みんなの愛に囲まれ遠泳が出来て、私は幸福者だよ。
 今回は栄養補給のとき、私は一言もおしゃべりはしていない。スゴク真面目に3-wayを泳ぐことが出来た。
 大瀬ではダイバーが数人、私の方を見ていたが、それすら祝福してくれているように感じたほどだった。

5. 渡る世間に奇遇有り
20080422170811s_2 ドーバーを目指すようになって私は耐寒能力を上げるため、身体を太らせた。今では身長150cmに体重60kg。まさに「チビデブちゃん」になったのだ。そこでそれまでの服は全て着られなくなった。まったく不経済な身体に変身してしまったわけだが、着るのがきつくなったのは服ばかりではない。ダイビング用のウェットスーツがきついのだ。そこで最近は主人のウェットスーツを借りてダイビングに行くのだが・・・、花見(繁盛期)が終わる4月の第1か第2日曜から、次の繁盛期、5月のゴールデンウィーク直前まで、その間を狙って主人とサイパンにダイビングに行くことになった。(もちろん「海練習」の予定も入れてあるが)、つまり主人のウェットスーツを借りるわけにはいかなくなったのだ。そこで私のウェットスーツを新調することになった。
 刈谷(愛知県)にある“ソットマリノ”と呼ぶダイビングショップへウェットスーツを作りに行ったら、色は黒いしジャージで行ったものだから、
店員「何かスポーツでもしていらっしゃるんですか?」
キン「海を泳いでいます。」
携帯の待ち受け画面に写っている、白い富士山をバックにして私が泳いでいる写真を見せ、
キン「淡島から大瀬崎の間をよく泳いでいるよ。」
店員「あああああ、見たことあるぅ~!!! 丘から船が来たので見ていたら、隣で泳いでいる人がいたぁ~!!!」
100_00982_411_2 世間は狭い。やはりダイビングスポットの大瀬崎、地元のダイビングショップの方々に私は見られていたのである。
 いずれにせよ今回のチャレンジは3-wayを結果として成功で終わらせた訳だが、まだまだドーバーの2-wayに向っては多くの問題が山積している。しかし一応はこの長かったスランプを脱出出来たとように思う。その間、前回のような非常に悔しい思いをし、多くの涙を流し、長く苦しい思いをたくさん重ねてきた。そこには石井コーチや菊地さんご夫婦のご協力がある。励まされ、ご厄介になりながらここまで来た。そしてそのバックでは家族、猫の手隊の面々の暖かい温もりや支えがある。そればかりではない。多くの友達に励まされ、会社の仲間からも支えがあった。こういった方々みんなに私は感謝している。
 やはり遠泳は一人では出来ない。それに今までが苦しかったからこそ、こうして私は笑顔でペンを握ることが出来ている。
 普通「一歩一歩進む」と言うが、私の場合は「10分の1歩、100分の1歩、1,000分の1歩」くらいしか進めない。非常に進みがのろいのだ。それでも諦めず応援してくれる皆さんに感謝。お蔭で立ち直ることが出来ました。ありがとうございました。

「キンちゃんが行く」Vol.16

 1. 淡島~大瀬崎3-way(約10km×3)

  • 日付: 2008年3月11日(火)
  • 場所: 静岡県沼津市三津淡島~同県同市大瀬崎(駿河湾)
  • 泳者: キンちゃん
  • 方法: 3-way solo swim
  • 記録: 8時間00分 3rd legにてリタイヤ
            1st leg: 06:44 淡島 ⇒ 09:30 大瀬崎 2時間46分
            2nd leg: 09:30 大瀬崎 ⇒ 13:27 淡島 3時間57分
            3rd leg: 13:27 淡島 ⇒ 14:44 リタイヤ 1時間17分
  • 天候: 曇りのち晴れ
  • 気温: 8.5~18.5℃
  • 水温: 14.0~15.1℃
  • 波高: 0.5~1.5m
  • 風向・風速: 主に北西 0.0~5.6m/sec
  • 流向・流速: 主に西 0.0~0.5ノット
  • ピッチ: 64~67回/min
  • 補給品: 炭水化物+果糖+お茶類=300ml(40分毎)

 2. スランプ

 またもやリタイヤしてしまった。何故、リタイヤしてしまったか? きっとスランプなのだと思う。
 「スランプで悩んでいる選手は自分を知らない。スランプとは自分の心が起しているのである。」(ホームページ「大和部屋」より)
P31100022 ここのところ仕事が多忙であり、仕事以外でも考えなければならないことが山積し、練習不足(身体面)や精神面の方が弱くなりつつある実感がある。本来スポーツは日常生活の健康の増進と体力の向上(身体面)、楽しく明るい生活を営む態度の育成(態度面)、行動を起こす意欲(精神面)を作ることが主要になっているはずだが、意欲を起こす、モチベーションを高めるなど、そういったことが億劫になっているのだ。
 こういったことを人は「スランプ」と呼ぶのだろう。石井コーチは「マイナスなことを考え始めたことに気付いたら、“ストップ!”と叫んで考えるのをやめること。“プラス思考”で考えること。」と言ってくれるが、実際はどうして、なかなか上手くいかない。どうしても“八方塞(はっぽうふさがり)”の方向に進んでしまう。
 まあ家業が「和菓子屋」というのもあって、3月のお雛祭りが過ぎ、猫の手も借りたいようなてんてこ舞いだった日々も終わったが、練習不足と睡眠不足が続いていた。普段なら「モチベーションを高く」とか「どうやって泳ごうか」とか、いろいろ前もって考えてから臨むのだが、ハッキリ言って「3-way泳ぐ」としか頭にはなかった。「モチベーション」とか「どうやって」とか・・・、そんなことより「ゆっくり寝てから3-wayに臨みたかった」が本音であった。
 もし沼津に出掛ける日が仕事で多忙だったら・・・、2-wayに替わっていたかもしれない。何故ならば2-wayなら約7時間、3-wayなら約10時間掛かることはわかっている。その3時間の差を睡眠時間に当てたかったからだ。ところが当日、仕事の流れを見ながら「3-wayと心の中で決めた以上、このくらいの仕事量なら抜けられる!」と早引きし、3-wayを泳ぐには最終便である新幹線に飛び乗って沼津に向った。

 3. 何故、リタイヤしてしまったか(1)

 気温、水温、天候など、泳ぐための条件はけっこう恵まれていた。普通のように淡島に着き、普通のように着替え、普通のようにはしごに向う。ところがそのはしごに向う途中、涙が出てきて止まらなくなった。そう、ドーバーの2-wayを泳ぐ前と一緒である。不安だったのだろうか? 目頭が突如熱くなり始めたのだ。気付かれないようにすぐさまゴーグルをかけてはしごを降りて行った。
P3110003_2 「冷たい、冷たい!」と叫びながら降りて行く。そう、船で「水温14℃」と聞いた瞬間、「え~、14℃。冷たいじゃん。もっと温かいと思ったよ。我慢して泳がないかんじゃ~ん!」と弱気な私がそこにいる。海練習なんだから、自然相手なんだから、何℃の水温だろうが気にしてはいけない訓練をされているのに、今日は文句を言っている。
 頭の中で「1st legは3回補給して2時間。あと1回の補給で大瀬崎付近」とインプットして泳いでいた。水温14℃は相変わらず冷たいが、今回は気温が高いせいか、唇が悴む(かじかむ)、手が悴むということはなかった。「栄養補給はスムーズに出来た」と自分では納得しているが、息継ぎをするとき、たまに海水が口に入ってしまうのが難点であった。泳いでいても、滅多に海水を飲むことのない私であるが、何でなんだろう?
 40分毎の栄養補給。この“40分”が非常に長く感じたなぁ~。何を考えてた? まあ今回の報告の内容を少し考えたり、友達が応援してくれていることかな? おお、最近クルマでよく聞いている桂銀淑(ケー・ウンスク)の歌を思い出していた。でも最近、泳ぎながら考えるとすごく疲れてしまうので、あまり何も考えないようにしている。特に“冷たい”とか“寒い”とかは。
 順調に大瀬崎を折り返し泳ぎ始めると、ウツボが泳いでいるのを発見しビックリした。「まあ“海”だから、ウツボが泳いでいて不思議ではないのだが、出来ればかわいらしい小魚が良いな!」などと贅沢なことを考えながら泳いだ。そういえば“大瀬崎”と言えば有名なダイビングスポットだ。そこで私は何本もダイビングをしたことがある。初めてダイビングした時にウツボがそこら中におり、ビックリしたことがあった。あまりの多さに「それが普通だ」と思っているイントラは、ウツボがいても通り過ぎるだけでウツボに対してのガイドは何もない。多分、ウツボが少ないスポットではお客さんを楽しませるためにあるだろうが・・・。だが今回は泳いでいる時に見たので“ドキッ”とし、しばらくは眼の保養をさせてもらった。
 「今度は5~6回の栄養補給で淡島に着くな」と頭の中を切り替える。栄養補給5回で3時間20分。6回で4時間だ。
 今日の潮周りは“中潮”だし、だいたいいつものパターンである。栄養補給のときも、まあガスっていたせいもあるが、前を見ないように摂った。何故なら前を見ると気分がめいってしまうからだ。
 途中、海蛇のような長いものが私の下で泳いでいるのを見かけ、“ドキッ”とした。こんなこと初めてだ。
P31100042 それにしても頭の中で“40分”をインプットしてあるものの、その“40分”がまたもや長く感じたなぁ~。寒くても我慢しながら一生懸命泳いでいたよ。よくわからないが、今回は足も痛くならなかった。
 が、6時間目の補給を過ぎた辺りから足が動かなくなった。
キン「コーチ、足が痛い!」
と叫ぶ。
石井コーチ「泳げ!」
の一言である。わかってるよ。我慢して泳がないかん(泳がなければならない)ことは・・・。
 潮は逆潮、追い波であったが泳ぎにくい、泳ぎにくい。キックをしても横に流されていくのがわかる。何だかフォームが崩れていくのもわかる。だんだん、だんだん泳ぐのが嫌になってきた。「まだあと1-wayあるのか。いやあと1-wayだけだ。あと3時間で終わる。」そう考えて自分を叱咤激励した。しかし2nd legの淡島到着1時間前は、やる気なさそうに泳いでいた。気持ちもめいっているので身体も動かない。
石井コーチ「あと1,000(m)!」
石井コーチ「900(m)!」
と叫んでいるが、私の耳には“何となく”しか聞こえてない。
石井コーチ「今、引き潮だから、泳げるところまで行って折り返しなさい!」
と言っているのがようやく聞こえ、“ハッ”とすると淡島のホテルの前。
 そう、そこは岩だらけ。引き潮のせいか良く見え、私はなるべく波に負けないように立てる浅瀬の、平らでウニのいないきれいそうな岩を見つけ、そこに立ち、到着の合図である手を上げた。
 何となく桟橋では3人くらいの釣客が見えた。菊地さんも釣客と何か話しているようだったが、やはり私には聞こえていない。

 4. 何故、リタイヤしてしまったか(2)

 もう、ここからが大変。「もう2-wayしか無理だ」と考え、「残りの3rd legは泳げない」と船に上がりたかった。が、釣客が見ていたら上がれないことに気付き、気持ちを持ち上げ、再び3rd legにチャレンジしていった。
 そう、14℃の水温で3-wayは初の試み。泳いでみたかった。この釣客のお蔭で持ち直したようなものだ。またもや手を動かし、足を動かしていつものようにクロールで泳ぐ。
P31100082 今度は向い波だが、私としては泳ぎやすかった。束の間を楽しんでいる私がそこにいた。潮は追い潮である。普通、向い波なんて嫌うだろうけどね。
 またもや足が動かなくなり始め、止まってしまう。「いけない、いけない」と動かす。「諦めちゃいけない、諦めちゃいけない」と。
 友達の顔を思い浮かべる。泳いで自慢したい自分がいる。凄く寒くて辛い自分がいる。もう泳げない自分がいる。まだ泳ぎたい自分がいる。「ここで失敗したら、立ち直れないだろうな」と思う自分がいる。泳ぎながら私は葛藤していた。
 しかし淡島を折り返して1時間20分経ったところでギブアップしてしまった。この間、石井コーチには「もう泳げない!」、「もう限界!」と、泳いでは止まり、止まっては叫び、叫んでは再び泳ぐが、また泳いでは止まり、止まっては叫びを繰り返していた。
 「大瀬崎まで泳ぐんだぁ~!」、「止まるなぁ~!」、「早く泳げぇ~!」と怒鳴っている石井コーチがいる。
P31100102 でも集中力の切れてしまった私はもう泳ぐ気力がなくなり、泳がなかった。ちょうど補給時で、投げられたプラティパス(補給品の容器)にくくりつけているロープをつかんだまま離さなかった。そのままコーチに引っ張られ、船に上がった。船に上がったのはいいけれど、私は寒くて、寒くて震えているのにコーチは怒っている。怒りながら船の上に広げられた遠泳用品を片付けている。いつもならいの一番にキンの介護をしてくれるのに、今回は片付けを優先している。片付けてからキンの介護をしてくれた。
 最近のキンはいつもこうだ。今日はコーチが泳ぐよう導いてくれたが、自分から泳ぐことを破棄してしまった。敗北した自分。初チャレンジのドーバー1-wayで、10時間くらい泳いで足が痛くなり、泳ぐのをやめたときの自分によく似ていた。
 船上の後片付け、キンの介護が終わると、船は港に向って速度を上げていった。その間、ひっきりなしに涙が出てくる。止まらない。
 自分のした行動に反省はしているものの、今までは泳げないとき、「コーチが泳げるように導かないからいけないんだ!」と、何度も「導け!」、「導け!」と言ってきたものだが、やっと気付いたよ。今までの練習、泳げなかったことに対し、石井コーチにいろいろ文句を言ってきたが、そうじゃないんだ。最終的には自分が泳ぐんだよな。自分の意思が「泳ぐ!」と言う考えを持ち続けなければ、最後まで泳げるわけがないよ! 何か忘れていたものを思い出す。
 以前から口がすっぱくなるほど「遠泳は一人ではない。船頭さん、コーチ、泳者の3人で成り立っているんだ。」と私は言ってきた。誰かが一人でもさじを投げたらそれで終わってしまう。そう、最近の私は自分で勝手にやめてしまう。「もう泳げない!」とか、なんだ~、かんだ~、の理由をつけて。どうしてこうなっちゃったんだろう・・・。特に今日の遠泳はひどく醜い。だから泣けてくるのであろう。

 5. 暖かな眼差し

 夜の反省会兼晩餐会。ありがたいことに、いつも船頭さんの菊地家で行ってもらえる。宴の席ではいつものように奥さん手料理の豪華な皿が並ぶ。
菊地さん「“限界”と言っても梯子まで泳ぎ、一人でさっさと船に乗り込んできたじゃないか。そんなのは限界じゃないよ。」
 そう、菊地さんも石井コーチもわかっている。菊地さんが更に言う。
菊地さん「キンちゃんなら今日みたいに凪で、気温も高く、水温はまあ低いにしても、泳げる実力は充分に持っているよ。ほら、いつだかの3-wayで真っ暗になっても淡島目掛けて泳いでいたのを覚えている? あの時に比べれば今日はずっと条件がいいよ。今日のは限界じゃない。こんなんで船に上がったら、2-wayはもちろん、1-wayだって泳げないよ。まあ、甘えと慣れが出てきたんだろうなぁ~。」
P31100252 更に
菊地さん「まあ人間、誰にでも失敗はある。反省して、挫折して、遠回りして、遠回りして、いろんなことがあっても続けなさい。」
キン(心)『私、導こうとした二人に、何てことをしてしまったんだろう・・・』
菊地さん「まあ美幸ちゃん、気分転換にカラオケでも行こまい(行こう)。」
 誘われるがままにスナック「幸」に行った。こんな敗北した私が歌を歌うなんて、罰が当たりそうだったよ。でも菊地さんはいつもキンを暖かく見守ってくれているんだ!

 6. 揺れる心の光と影

 最近の遠泳に対し、私は「途中でやめてしまう自分」、「弱気になってしまう自分」、「続けることが出来ない自分」、「今までと何処かが違う自分」に、どうやって脱出するかをずっと考えていた。それには石井コーチしかいないと思い、
キン「今まで“導け”、“導け”と言ってきたが、今回は自分からやめている。どうしたらいい?」
と訪ねた。
 暗い部屋には街路灯の光が街路樹の影を、窓越しの障子に映し出していた。その影は風に揺れている。暗い部屋で感じない風も、影の木の葉が揺れることで「外には風が吹いている」とわかるのだ。
石井コーチ「キンちゃん、窓の障子を見てごらん。ホラ、木の葉が風に揺れているのがわかるでしょう。影は“そのまま”を映すんだよ。風に吹かれれば揺れちゃうんだ。わかるかい?」
キン「うん、わかる。」
とうなずいた。
 コーチにはわかっているんだ。風に揺れる私の心、遠泳に対する私の気持ちが何らかで揺れていることを。その原因までも。だから今の自分が泳げないことに。
 ずっと私は泣いている。朝になっても泣いている。自然に涙が出てきて止まらない。帰りの新幹線に乗っても止まらなかった。でもずっと考えていた。もう一度リベンジしようと。じゃなかったら、きっと立ち直れないだろうなぁ~と。
 今回はコーチに「もう、遠泳をやめたら?」とも言われた。その言葉を聴いた瞬間、今まで揺れていた私の心は言葉にならず、頭も眼も伏せ、出てくるのは涙だけ。それは私には遠泳しかないことに気付かされた瞬間であった。そう、遠泳は3人で一チーム。コーチが抜けたら私はもう泳げない。何てことしてしまったのだろうと、再び泣きじゃくった。
キン(心)『ゴメンね、コーチ。もう一回やり直すよ。キンにもう一度チャンスを下さい。』
と心の中で叫んだ。
P3110027_2 だから早くもう一度リベンジしたかった。今の気持ちを忘れないためにも、無理やり次の海練習の日程をお願いした。
キン(心)『ありがとう。こんな私をまたもや海練習に導いてくれて。ありがとう。』
と言うしか今はない。
 とにかく今の環境を忘れないためにも、この冷たい水温、寒い時期にリベンジしたい。
 まあ、あいにくお彼岸が迫っていて多忙にはなるが、私はそれ以降にチャレンジが待っている。
キン(心)『ありがとう。ありがとう。本当に周りのみんなにありがとう。』
感謝しか言いようがないが、次の新たなるチャレンジに私は歩いている。

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北海道函館の潮汐

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