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わくわく、どきどき、台風の目。

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2007年12月の記事

「キンちゃんが行く」Vol.11

 1. 三保~戸田(:約20km)2-way

  • 日付:2007年11月26日(月)
  • 場所:静岡県静岡市清水区三保~同県沼津市戸田(駿河湾)
  • 泳者:キン(美幸)ちゃん
  • 方法:2-way solo swim
  • 記録: 10時間17分
      1st leg: 04:18三保発 ⇒ 13:58戸田着 9時間40分
        2nd leg: 13:58戸田発 ⇒ 14:35大腿部痛のためリタイヤ 37分
  • 天候:曇り、晴れ
  • 気温:12.0~19.8℃
  • 水温:19.1~20.0℃
  • 波高:0.5~1.0m
  • 風向・風速:主に北東 0.0~5.9m/sec
  • 流向・流速:主に南西 0.0~0.5kn
  • ピッチ:62~65回/min
  • 補給品:炭水化物、果糖、お茶類

 2. 忘れ物と忘れてはいけないこと

 「恐れるなかれ、侮るなかれ。」、これは石井コーチの座右の銘である。大自然の海を泳ぐ心構えとして、“常に謙虚に。そして勇気を持って事に当たれ。”という意味だ。なかなか的をついた良い言葉だと私も思っている。当然それらは実行しなければならない泳者の義務でもあるのだ。
Img_01462 遠泳は「危険」と言う大きなリスクがある。いつも石井コーチの言うことは、「“危険だからやめる。”ではなく、危険だからこそ“どうやったら安全に出来るか。”が人間の英知である。」とのことだ。つまり1番恐ろしいのは“慣れっこ”になること。自然界では「いつもはこうだから」とか「普段はああいうふうになっている」とかは通用しない。そこでコーチの言うことは、必ず「荷物表作り」から始まり、今、書いているような報告原稿を書かされる。それも毎回、毎回だ。
 もちろん今回も荷物表を作ってコーチにはFAXで知らせた。しばらくするとコーチからメールが来た。今回の荷物表に記載されていない荷物オン・パレード・・・。何でこんなに荷物の記載を忘れたのだろうか・・・。この事実は今の私にとってかなりショッキングな出来事であった。
 話は前後するが、11月15日からロタへ行った。目的は11月17日にKFCトライアスロンクラブを通じて開催される「第14回ロタブルー・トライアスロン」に参加するためである。まあこの話は後ほどすることにしよう。
 とりあえずこのレースを終えて11月19日の朝にサイパンまで戻った。サイパンからの名古屋便は翌朝にしかない。したがって19日の午後にはダイビングで楽しむことにしていた。そしてサイパンでは決まって「エーストマト」と呼ぶダイビングショップを拠点に潜っている。ここエーストマトの代表者「ボス(通称)」はダイビングのプロで、とても厳しく優しい。
 エーストマトでは別のお客さんと午前中はファンダイブである。まあこのお客さんも常連で私も知っている日本人。しかも海については“プロ”の方である。そのプロのお客さんが午前のファンダイブでレギュレターを忘れた。当然、午前中は潜れない。午後になって私たちと合流したときはショップに戻っているので忘れ物は元に戻ったが、午後のダイビングではボスがウェットスーツを忘れた。まあ裸で潜る破目になったが、この日は大雨で南国のサイパンもけっこう寒かった。その寒さに震えながらボスは潜っていた。
 海のプロ、ダイビングのプロでもこのような忘れ物をする。これらの原因のほとんどは“慣れ”から生まれる。慣れは怖い。今年ダイバーでヨット乗りの友人がヨットの遭難で亡くしている。これもおそらく“慣れ”から来る心の隙間に死に神が潜入したと思われる。

 3. 初心忘れるべからず

Img_00342_2 話はまだ脱線しているが、ロタのレースのことを少し話しておこう。ロタと言えば「第1回ロタブルー・トライアスロン」が開催されることを雑誌から知り、このレースに参加したことがきっかけになって毎年私はロタに通いつめている。「ロタブルー」と呼ばれる透明度60mの海に私は取りつかれているのだ。レース中にエイを観たり、イルカ8頭と共に泳いだりでビックリしたことがある。まさに「夢の海」なのだ。
 まあこのレースで競り合いながらも一緒に泳いでいたのは今も尊敬しているN女子である。あれ以来、今もとっても仲良くして下さって、今でもたいへんお世話になっている。
 北マリワナ諸島の中でも私はロタが最も好きで、信号がない。タクシーが少ない。あるのはダイナミックな大自然である。そんな大自然をバックにハーフマラソン、オーシャンスイム、トライアスロン、etcが開催され、その当時は私もこれらのレースに参加していた。しかし今はトライアスロンのスイムのみにしか参加しない。ドーバーを目指すようになって、耐寒能力を上げるために自分自身を太らせたのだ。おかげで今は身長150cmのチビに対し、体重は60kgの巨漢となった。今の私の体型では陸上で動くのも難儀。これで走れば捻挫間違いない。
 初めて私が海のレースに参加したのは、1998年の熱海で行われた3.2kmのOWSレースである。生まれて初めてのOWSレース。胸がワクワク、ドキドキした。そして「ヨーイ ドン!!」の号砲でスタートを切り、バシャバシャと走って海に飛び込み、泳ぎ始めた瞬間、「何よ、これぇー!!」とビックリした。隣を泳ぐ選手とぶつかるのだ。殴る、蹴る、バトル。中には隣の選手のスイミングゴーグルやスイムキャップを剥ぎ取る人まで出る始末・・・。
 プールで行なわれるレースは1レーンに入る選手の数は1名で、隣同士の選手がレース中に接触などするわけがない。ところがOWSでは当然レーンやコースロープなど張ってあるわけもなく、時には100名以上の選手が入り乱れての同時スタートになるのだ。スタートからして肌と肌が触れ合う・・・。もっと驚いたことに、泳いでいるときは肉体と肉体がぶつかり合う、まさに「肉弾戦」のスイムレースなのだ。
 ビックリはしたが、OWSレースの初体験、知り得なかった自分自身の発見、そしてライバル。このとてもおもしろいレースを知ってから、「OWS」と見聞きすると何故か胸が“ムズムズ”するようになったのだ。以来、私はOWSレースのトリコになった。
0043 中でも印象的だったのはグアムのレースだ。ココスからグアムまで(3.5km)のレースで、ゴール地点で私は最終スイマーの到着を待ちながら、完泳し、上がってくるスイマーたちにねぎらいの声を掛けていた。そして最後に感動したドラマが待っていたのだ。それは最終スイマーが仲間のスイマーに連れ添われながらゴールしたシーンだった。
仲間「最後まで一緒に泳ぐと約束したじゃないか! よくがんばったね! おめでとう!!」
最終スイマー「本当に完泳できて良かった! ありがとう!」
 2人は抱き合い、そして泣きながら喜んでいた。もう“もらい泣き”で私も涙が溢れ、そのシーンがにじんでよく見えない・・・。「本当に良かったね。おめでとう!!」と、うらやましさと同時に素直に最終スイマーを称えることの出来る自分がそこにはいたのだ。
 今年のドーバーでも同様の感動を味わった。ボランティアのクリフが女性スイマーをサポートしていた。その女性はフラフラになり、ガクガク震えながらもビーチに上がってきたのだ。
クリフ「やったじゃないか! 6時間泳達成おめでとう!!」
 チャネルスイマーへの登竜門。「16℃の水温における6時間泳」に挑戦し、成功させたのだ。疲れた中にも、その表情や眼つきには輝きと希望に満ちていた。忘れかけていた感動だった。
 さて、ロタのレースでは1周1マイルのコースを2周する。もちろん「“ロタブルー”の海を満喫する。」という意味合いもあるが、「最終泳者と泳いでその感動を共有したい。」との考えもあり、私は大西さん(KFC代表代表)に相談した。
Img_00452キン「大西さん、ロタの海はとてもきれい。透明度60mのロタブルーを速く泳いだらもったいないです。今日は最終泳者と共に伴泳しながら泳いでも良いですか?」
大西「ああ美幸ちゃん、良いですよ。それでは美幸ちゃんが帰ってきたら最終ですね。宜しく。」
 ヨッシャー! ロタブルーの海を楽しむことが出来、最終泳者と感動を共有するんだ。忘れてはいけないあの感動を!!

 4. ボランティア

 今年、私はドーバーのビーチでもボランティアをしていた。世界のチャネルスイマーと親睦を深めていたのだ。そして今回は泳いでいる皆さんを誘導しながらの「ロタスイムレース」に参加する形になった。
 丘ではスタート時間になっても海には入れず、並んでいる人たちで賑わっていた。まあノンビリしていると言えばノンビリしているのだが、おそらくバトルを避けるためだと思われる。すでに私は海に入り、スタート地点でカウントダウンと共にゆっくりしていた。見ると入水地点は港の船揚場のスロープを使用しているのだが、足場が悪いためみんなゆっくりになっている。それでも時間が来ればスタートは切られる。
 後から後から、次から次へと泳者の大群が押し寄せてきた。後続の人たちは早く前へ行かないと、スタートは切られているよ。
 始めの三角ブイまで団体と一緒に泳いでいたが、それから次のブイまでは距離が長い。徐々にてんでバラバラになり、うねりも入ったせいか、前を見ても波の谷間では目標のブイが見えず、方向確認が困難な泳者が大勢出てきた。まあ前方確認が得意な誰かの後に付いて泳げば問題ないが、人それぞれ速さが違う。始めから「一緒に泳ごう。」と決めているなら簡単で心細くもないだろうが、一人だとやはり泳ぎを止め、止まったり平泳ぎに変えたりで方向確認をする泳者が多かった。
Img_01472 特に泳ぎを突如変えたり、一定のペースで泳げなかったりする泳者の後ろに付くと、自分も戸惑い、追突する危険性も高くなる。方向確認は波の山頂で少し頭を上げ、目標を確認したら素早く元の泳ぎに集中して欲しいものだ。まあ普段の練習で取り入れている泳者には問題ない技だが、普段からそのような習慣がない泳者には難しい技かもしれない。
 2番目のブイの下にはいつもながら“セレナ(ロタのダイビングショップ)”の林さんが水中写真を撮っており、私はピースのポーズと手を振るポーズをしながら楽しんでいた。
 次のブイまでもかなり遠いが、陸上の白い建物を目標にして泳げば問題なし。
 最近のOWSレースは、小耳に入った情報によるとプールのようなコースラインが海底に引かれてあったり、コースロープ区切られたりしていて、いたれりつくせりのレースもあるようだ。しかしこれがOWS? 自然の開かれた海を泳ぐには、それなりの泳者の技量も要求される。このロタトライアスロンのスイムレースが“海のレース”なのだと思う。だからけっこう沖合の透明度の高い海面の上を泳がせてくれるのだ。
 日本国内でこんなレースが開催されるだろうか? このような自然の中で存分に楽しませてくれる楽しさに引かれ、KFCの仲間たちに引かれ、私は毎年ロタトライアスロンに参加しているのだ。

 5. 実態は

 ロタのレースなどの脱線話ばかりで、本家本元の報告を忘れそうなので、ここからは話を戻すことにしよう。まあ脱線話が長いのは、本家本元の報告は「あまり良くなかった。」と思って頂いて良い。
 11月27日午前4時18分、静岡県静岡清水区三保から同県沼津市戸田までの2-wayを私は泳ぎ始めた。
 空はまだ暗く、気温は11度。水温は19度。久しぶりに寒い海を満喫した。
 満月を少し過ぎたところで、明るい月と星と少しの雲が私を後押しする。揺籠のような波に揺られ、私は暗闇に見えぬ戸田を目指して水飛沫を上げて行った。
Img_0173_2 駿河湾の潮は普通岸にそって半時計回りに廻っている。しかし今日は何故か時計回りに廻っていた。潮が時計回りにとか、半時計回りとか、そんなことに関わらず、私は泳がなければならない。とりあえず伴走船「光星」の脇をひたすら泳ぎ続けていた。
 じきに東の空が明るくなり、北側には富士山が見え始めた。朝焼けの陽の光は私の頭上の雲をオレンジ色に染め、赤富士を期待した私は富士の姿が黒かったのでビックリしていた。
 まだ暗いうちはスピードがゆっくりだったようだが、明るくなってからは潮に乗ったのか、サブパイロットは始めの4時間よりその後の2時間の方が進む距離が長いのでビックリしていた。
 調度お昼過ぎたころか。距離も戸田までの半分を越し、北東の風、風速5~6mは、伊豆半島に押さえられて風速2~3mの静かな海面に変身させていた。
 空は晴れたり曇ったり、水温は20℃弱、前半は波高が1.0mあったが、後半は伊豆半島で押さえられた風のため0.5mになり、ベタナギになった。
 海の色は前半より後半の方が黒くなったような気がする。透明度はすこぶる良し。だから「黒潮」と言うのか? 時折クラゲを見る程度で、「カラフルな魚が来ないかなぁ~。」と思いながら泳いでいた。
 雲のせいか気温は20℃より上がらない。「寒いなぁ~。」と思い始めると先週まで行っていたロタの海と大きな違いを気付き始めた。
 寒さは徐々に足の痛みへと変化していった。戸田の港が目の前に見える。いつもの練習で感覚的には「後40分だ。」と判断が出来た。しかしそれからは泳いでも、泳いでも景色は横へ、横へ移動するだけ。先程見た折り返す白灯台が見えない。大潮のせいか潮が速く流されているのか?でもそんなこと考えても泳ぐしかない私。心は自分の頭の計算から外れショックを受けていた。何回も何回も「折り返し地点は何処?」と聞きたかったが、それを聞いても仕方のないこと。ひたすら横に見える景色と伴に泳ぎ続ける。
 時間は始めの「後40分!」と言われてから、40分毎の栄養補給を何回したことやら…。
 当初戸田港のビーチに上がる予定だったが、戸田港の外のテトラに上がるように指示された。伴走船「光星」がそれ以上岸に近寄れないところまで来ると、私は残り100mを、一人戸田を目指して泳いで行った。時間は13時58分。三保を出て9時間40分。ようやくその1-wayは終了した。
 戸田を折り返し、三保を目指したが、右足の大腿部が痛み始め、何度も悲鳴を上げていた。痛みの増加は泳ぐ気力をどんどん奪いさっていく。何度も止まり、足のストレッチングをした。「この足の痛みから逃れる方法はないのか…?」痛みを逃れる方法がこの泳ぎを辞める決断を下すのに、そう時間はかからなかった。それは調度石井コーチがお昼ご飯を食べようとしている時で、私が「上がりたい。」と言うと露骨に嫌な顔をした。しかしながら右大腿部の激痛のため、14時35分、戸田を折り返して37分後、私は伴走船「光星」につかまったのだ。
 泳ぐのを止めたのは私だが、慣れないパイロット。もう少し潮を読んで欲しかった。GPSばかり頼り、潮に乗ろうとしてくれなかった。コース取りミスが大半であった。

2003年に参加した「ロタブルー・トライアスロン」の報告⇒「file2003.PDF」をダウンロード

「キンちゃんが行く」Vol.10

1.淡島~大瀬崎(:約10km)3way

  • 日付:2007年10月23日(火)
  • 場所:静岡県沼津市(駿河湾)
  • 泳者:キン(美幸)ちゃん
  • 方法:3-way solo swim
  • 記録: 9時間43分
        1st leg: 06:45淡島発 ⇒ 09:37大瀬崎着 2時間52分
        2nd leg: 09:37大瀬崎発 ⇒ 13:06淡島着 3時間29分
        3rd leg: 13:06淡島発 ⇒ 16:28大瀬崎着 3時間22分
  • 天候:曇り、薄曇、晴れ
  • 気温:16.0~22.6℃
  • 水温:20.0~21.1℃
  • 波高:0.5m
  • 風向・風速:主に北 0.0~3.4m/sec
  • 流向・流速:主に西 0.0~0.5kn
  • ピッチ:62~66回/min
  • 補給品:炭水化物、果糖、お茶類

2.過密スケジュールと風邪

 何だか10月は個人的にスケジュールがいっぱいで忙しい。と言っても遊びや練習で忙しく、家業「フジタヤ」(和菓子製造業)の方はお祭り行事の注文が入る程度で、そう眼が回るほどではない。
Pa2300022 9日にギャル4人組で練習した後、次の週は「たまにはダイビングでもしに行こうか!?」と、結婚25周年の“銀婚式”ではないが、主人と一緒にサイパンへ出掛けた。
 そして今月23日は「淡島~大瀬崎間3-way」予定が入っている。まあ連続して海には入っているものの、あまり練習はしていない。しかし気持ちはサイパンにいるときから高めていた。が、主人が2日目くらいから風邪をひいてしまい、40℃くらいの熱で寝込んでしまった。もうダイビングどころの騒ぎではなく、氷枕を作る程度の看病しか出来なかったが、おかげで帰国してから私に風邪が移ったみたいで喉が痛く、声が出なくなってしまった。
 “あせった、あせった!”3-wayの練習スケジュールが入っている。早く治さなくては!!
 日本に戻ったのが20日(土)。病院は休みであり、この日と翌日21日(日)は栄養ドリンクと家にある風邪薬を飲みつなげていたものの、一向に回復の気配はなく、22日(月)の3-way練習出発当日に、朝一番でかかりつけの「西岡崎クリニック」に出掛けた。ここのクリニックは私がドーバーへ行く前によく健康診断を受診したところで、ドクターは私がどういう人かということがカルテに記載されているので話は早い。
キン「土曜日から喉が痛く、明日、海で泳ぐ練習が入っています。今の状態ではクロールで泳いでいるときに呼吸が困難です。先生、私の身体を万全にして下さい。そしてこれ以上ひどくならないようにお願いします。とにかく私は元の普通の身体に戻りたいのです。」
先生「ああ、喉がかなり炎症していますねぇ~。お薬出しておきましょう。」
 少し“ホッ”とした。『薬を飲めば治るのか・・・?』、まあ頼りになるのはもう薬を飲むしかないと思った。

3.旅は世につれ

 その足で家に戻り、荷造りをすると私は一人お昼過ぎの新幹線に乗って三島に向った。今日は三津浜(静岡県沼津市)の民宿「桂」まで一人で行かなければならない。三島で“伊豆箱根鉄道駿豆線”に乗り換えようと、重たいスーツケースをゴロゴロ転がしながら、『相変わらず重たいなぁ~・・・。』と独り言をブツブツ言いながら移動した。
 『さあ、次は何処までの切符を買えばよかったんだっけ・・・?』と、行き先をど忘れした私が少し考え込んでいたら、隣で切符を買おうとしていた年齢は70代と思しきご婦人がお金を入れた様子で、販売機の掲示板の光は全て点灯しているものの、おどおどして困っている様子。後は行き先のボタンを押すだけで良いのだが・・・。
Pa2300522キン「どうかなさったんですか?」
婦人「切符が出てこない・・・。」
キン「ボタンは押されましたか?」
婦人「はい。」
キン「じゃあもう一度押してみて下さい。」
と、ご婦人はもう一度ボタンを押すと、切符とお釣りが出てきたのである。
キン「押す力が弱かったんですね。良かったですね。」
婦人「ありがとう。ああ良かった。」
 『そうそう、自分の切符も買わなくっちゃ!』、そうこうしているうちに思い出した。『伊豆長岡駅まで買えば良いんだ!』と、こちらも無事切符を買うことが出来た。
 仕事で私も70代の女性とご一緒しているが、水道の蛇口をひねるにしても、よく“チョロチョロ”と出ていることが多く、毎回気をつけている。押しているつもり、廻しているつもりがだんだんと力が弱くなってきているのだと思う。
 電車の中では人間見物したり、原稿を読んだりで飽きることはない。夢中になり過ぎて降りる駅を間違えないように注意すればよいのだ。
 伊豆長岡で降り、再び独り言の文句を言っている。『もう移動は疲れるんだよなぁ~・・・。ハァ~、今から階段上って下るんだ・・・。スーツケース持たないかんなぁ~・・・。よし、気合を入れるか!?』と、心の中で『いち、に、いち、に』と一段ずつ階段を踏んで行くと、前方にまたご年配のご婦人が大きくて重そうなバッグを下げ、重そうな足取りで階段を上がっていた。
キン「すいません。バッグを持ちましょうか? 重たいでしょ!?」
とご婦人を振り返ると、
婦人「あら、さっきの方。すいません。宜しくお願いします。」
キン「は~い!」
 気合を入れ直し、私は右手にスーツケース、左手にご婦人のバッグを持つ。
『何だぁ~、軽いじゃん!』(内心“ホッ”としているのだが・・・)
Pa230004_2婦人「私は伊豆(沼津)の出身だが、今は富山に住んでいて、今日は電車で来たもののもうクタクタで・・・、でもみんなに会えることが楽しみで仕方がない。お宅は何処から?」
キン「はい、私は愛知県です。愛知県でも遠いと思っていましたが、富山県はもっと遠いですね。私は三津(みと)シーパラダイスまで行って、明日、海で泳ぐんですよ。
婦人「ああ、それで色が黒いんですね。何かスポーツでもしていらっしゃる方かとは思っていました。こんなに親切にしてもらって、本当にありがとうございます。」
キン「いえいえ、このぐらいのことなら任せて下さい。」
 いつもの本当の私なら『男の人にはもてないが、荷物なら持てますので安心して下さい。』と、ギャグの一つでも飛び出すところだが、今日はおとなしく、おとなしく。
 改札口まで行き、切符も機械に差し入れて一緒に伊豆長岡駅を出た。
キン「これからどうやって行かれますか?」
婦人「ハイヤーです。」
キン「ではあそこがハイヤー乗り場です。」
婦人「ああ、あそこですね。今日は本当にこんなに親切にして下さって、ありがとうございました。」
 伊豆長岡駅でご婦人と私はそれぞれの行く方向へと別れて行った。
 “人は世につれ、世は人につれ”と人は言う。しかし私は“旅は世につれ”とも思っている。「遠泳」と言う名の“旅”で多くの人と知り合った。これから行く民宿「桂」も、漁師の菊地さんも水泳の石井コーチも、もし私が遠泳をやらなければ知り合えることはない。ドーバーも津軽も遠泳を通して素晴らしい友に巡り合うことが出来た。そんな遠泳に私は感謝をしている。
 昔の知人と会うために遠く富山から来たご婦人が、『素晴らしい想い出が出来ますように』と祈り、ご婦人の後姿を見送った。

4.第二の故郷はあわただしく

 伊豆長岡駅から伊豆三津シーパラダイス行きの伊豆箱根バスに乗り民宿「桂」に向う。だいたい16時20分のバスに乗るのだが、帰宅する学生さんとちょうど時間が重なるようだ。本当に普段着のバスに乗り、その道中はバスの中といい、外の景色といい、もう何回となく通っている道すがら。「でも久しぶりだな。5ヶ月ぶりかな? ・・・懐かしい・・・。」
 最近は第二の故郷ではないが、「桂」に泊まり、淡島を見ると「帰ってきた~。」と安心するのである。家から桂までは新幹線に乗って約3時間の道のり。生まれも育ちも岡崎(愛知県)だが、故郷っていいな・・・。
Pa2300052 だがいつまでもセンチメンタルに浸っていられない。これからがあわただしいのだ。桂はいつもの3階「冨士の間」で、ここのご主人にいつも熱湯の入ったポット3本と電気ポット1本を用意してもらっている。スーツケースを開け、栄養補給品作りに専念する。3-wayだと15個は作らなければならない。今回は紅茶味を多くしよう。紅茶味9個、ほうじ茶味3個、緑茶味3個にした。さあ、補給品作りも終わったし、菊地さん(船頭さん)のところに挨拶に行こう。
キン「ごめんください。」
奥さん「は~い。何だ美幸ちゃん。声が違うから誰かと想ったよ。大丈夫?」
キン「大丈夫ですよ。身体はどうもないが、喉が痛いだけで・・・。明日は6時港スタートでよいですか? 3-wayですが・・・。」
菊地さんが出てきて
菊地「美幸ちゃん大丈夫か? 明日は6時に港でいいよ。天気も良いし、凪だな。」
キン「はい、わかりました。明日は宜しくお願いします。」
 ロイヤル(いつも練習しているスポーツクラブ)の仲間も石井コーチも菊地さんも口をそろえて「明日は天気が良く凪だ。」と言っていた。滅多にない3-wayのチャンス。必ず泳ぎきろう。「風邪がな~んだ。」、「泳げば治るよ~。」と、今日は早めに布団に入って明日を待った。夜な夜な石井コーチは来たようだが、夢見心地でコーチの顔を見たような気がする。

5.癒しの海

 朝5時に起床。あわただしく遠泳の準備を終え、6時に港を出発し淡島に向かう。案の定天気は良く、凪であった。それはここのところの私生活でいろいろあって、少し病んでいた私の心を見透かしたように富士山までクッキリ見え、沼津の海は優しく私を迎えてくれたのであった。
 淡島の桟橋では若い男性が今着いたかのように釣りの準備を始めている。「初対面の釣り師だなぁ~。」と、私はここの番人になったような気分で人間チェックを始めている。淡島のホテルでは始め二部屋からしかベランダに出て外を眺めている人はいなく、少しガッカリしていた。まだ7時前、まだみんな寝ているのであろうか?
Pa2300832キン「コーチ、スタートの合図、まだ寝ている人がいるといけないので、ホーンではなく、手の合図でお願いします。」
コーチ「おお、わかった!」
 3-wayもあってか、コーチがラノリンをベッタリと塗り始めた。
キン「ちょっと、つけすぎとちゃう?」
コーチ「いいんだ、いいんだ。」
 まあこのラノリン、塗られるのも慣れたものだがなかなか手に入らない貴重なもの。大切に使わなければならない。
 今回の3-way、私にとってはいろんな想いを秘めている。それは過去のこと、現在のこと、そして未来のこと。今年のドーバーが終わっていろんなことがあり、いろんなことを思った。まだその混沌とした気持ちから抜け出せたわけではないが、“ありのままを受け入れよう。”と言う気持ちになりつつある。だからドーバーでも津軽でも、淡島~大瀬崎でも、3-wayを何回泳いでもそれは一つの泳ぎである。一つしかない泳ぎ、思い切り泳ごうと決心していた。
 今日は天気も良く凪である。おまけに富士山も見える。菊地さんの話によるとこの時期富士山が見えるのは珍しいと言う。ついでにホテルからの観客が7部屋に増えた。名前も知らない方々だが、私は思いきり“ニコッ”と笑顔を振りまき、思いきり手を振った。すると宿泊客からも心が通じたのか、手を振り返してくれた。大勢の人たちに見守られ、淡島を6時45分にスタートしたのである。
 久しぶりの水泳。そう、私は1週間以上も海の中にいたものの、泳いではいない。どんなものかとマイペースで手を動かしていた。「いまひとつ波に乗れないなぁ~・・・。」
Pa2300492 淡島を出て15分くらいで咳が出て止まらなくなった。苦しい。水中での咳。喉が痛い。「3-way、大丈夫か?」 こういう体調でもドーバーだったら泳ぎ続けなければならない。ストローク3回に1回のブレスが乱れ、弱気になっていく自分と強気になっていく自分が入り乱れる。
 コーチに飴をもらおう。そうすれば喉の痛みは癒され、咳も落ち着くかもしれない。
キン「コーチ、飴~!!」
と叫ぶとカバンから飴を取り出し、船の隅から手に飴を握り締め、私に差し出してくれた。泳ぎながら私は飴を受け取り、素早く飴を口に入れた。泳ぎが止まることはない。「今日はちょっと飴を舐めながら泳ぐかな!?」。
 普段コーチからは「ケチケチキン!」と呼ばれているが、別にケチンボであるわけではない。「節約上手」と言って欲しいが、このときばかりはたくさんの飴を持ってきて“ホッ”とした。幾分かは咳も治まりだし、「良かった~!」と思ったのも束の間、30分くらい泳いだところでクラゲに刺され始めた。
 どうもクラゲの軍団がいるところを突入して泳いでいるようで、「エエ~、まだおるの~?」、「9日もいたけど、もうはい(こんなにも)刺されるんかい!」。我慢しながら泳ぐ。
 透明で細いピアノ線が容赦なく“ピッ! ピッ! ピッ!”と叩いてくる。「痛い、痛い!」、「船からこのクラゲが見えんのか?」、「コーチ、私の泳ぐ前にタモでもかけてクラゲをすくってよぉ~!!」。
 スイムキャップとスイムゴーグルの間にクラゲが入り込み、流れてくれない。くぼみに入ったようで、なかなかどいてくれないのだ。手で触って取れるものなら取りたいが、素手だから自分の手をやられてしまうので触るに触れない。あまりにも頭に来た私。
Pa230050_2キン「コーチ、クラゲにいっぱい刺されたよ。船からは見えんの?」
と怒鳴る。すると
菊地・コーチ「そうかな?」
と辺りを見回し、
菊地・コーチ「ワハハハハハハハハ!!!!」
と笑うだけだ。どうも船からは見えないらしい。
 青い海は夢の海。本当はクラゲだらけだ。ドーバーを終えてから自分自身の周囲が急変した。そんな最中、泳ぎながら自問自答をしたかった。まだ精神状態が不安定なので、少し癒して安定させたかったのもある。しかしきっと海の神様はクラゲを使ってさらに修行をさせたかったのであろう。西遊記の三蔵法師ではないが、“天竺”は夢の海のさらに向こうにあるようだ。

6.楽しく泳がにゃ、遠泳じゃない!

 「西遊記」と言えば私が孫悟空で、コーチは猪八戒、菊地さんは沙悟浄かな。そんな気持ちで船の上を見ているとコーチは豚に、菊地さんは河童に見えてくるから面白い。おっと、失礼!! 叱られる前に話を元に戻そう。
 風も波もなく順調に大瀬崎を目指して泳ぐ。逆に言えば追い波や追い風、向かい波や向かい風もないので、さらの自分の実力だけで泳がなければならない。「2時間半は無理だなぁ~。2時間40分を目指して泳ごう!!」
 マイペースで泳ぎ続け、何回もクラゲに刺されながら「クラゲがいっぱいおるよぉ~!」と何回も文句を言い、4回目の補給、2時間40分が来てしまった。
キン「ああ~、コーチ、今2時間40分じゃん。もぉ~~!!!」
と私は怒っている。
コーチ「そうだ。3時間を切るぞ!」
菊地「美幸ちゃん、3時間切るよ!」
 自分自身、遅い私に怒りながら、それでも2時間52分で泳ぐことが出来た。
 ダイビングのメッカ、大瀬崎のダイバーは一人ちょうど海から上がってきたところでお辞儀をしておいた。
 しかしまあ本当に何回も思うが変な風景だ。方やボンベ背負ってドライスーツ。方や水着1枚のビーチである。想像しても変。
 ゴーグルが古いのか、だんだんと曇ってきたので、いつもは途中ではずすことのないゴーグルをはずし、ゆっくりと海水で洗ってから眼に付けスタートした。時間にして9時37分であった。
 今頃の時間帯、普段の私はバリバリに仕事をしている。だが今はこうして海を泳いでいる。こうして海を泳いでいられるのも主人や仕事場の仲間の理解と声援があるからだ。だから失敗は許されない。どんな体調になろうと私は負けない。咳は止まることを知らず、飴をもらっては舐める、の繰り返しだ。それでも明日の夢や希望に向って私はひたすら泳ぎ続ける。
 行きがこの時間だと追い波である。いくら“凪”とはいえ、帰り(2nd leg)はたいへんだとわかっている。いちおう「3時間30分」を頭にインプットした。いやいや私は2-wayで6時間を切ろうと泳いでいたのである。であるならば3時間8分を切らねばならぬ。『ちょっとずうずうしいかな?』、でも気持ちは凪だし、風はないし、真っ直ぐ船は淡島へと導いてくれると信じている。
 帰りはあまりクラゲに刺されなかったが、けっこう時間が長く感じた。栄養補給の間の40分を“1セット”とし、3セットで2時間。この2時間を“1単位”と考え、何単位泳いだかを考えると大まかな時間はわかるのだ。つまり2-wayは3単位を切らなければならない。ところがこの1単位が長い。
 『早く着かんかなぁ~・・・。』と考え、ちょうど1粒の飴を舐め終わるまでに40分掛かる。だから飴を舐め終われば『次の休憩かな?』とかわかるのだが、だんだんとつまらなくなってきた。
Pa2300802 以心伝心か、コーチがジャンケンをして遊んでくれたりする。ところが陽の光の加減でだんだん船の中の様子がわからなくなってきた。そこでゴーグル交換にした。それも黒のゴーグルだ。途端
キン「おかし~い。コーチがカッコよく見えるよ!」
と言うと船上は爆笑の渦である。
 補給にしてもだんだん飲めなくなり、口いっぱいに入れた補給品をクジラの噴水のように“ピューッ”と噴出してやると
コーチ「こらぁ~、もったいない。全部飲めぇ~~!!」
とお叱りを受けるのである。
 笑って私は泳いでいるが、あんまり真面目なのは面白くないのである。もちろんドーバーでは絶対にしないけどね。

7.ムズムズ(*注意:食事中の方は読まないで!)

 だんだん淡島の桟橋に近付き、釣り客が増えているのを確認。たぶん『いつもの人たちが釣りをしている。』と思うと元気が出てきた。と同時にお尻がムズムズしてきた。『やばい、元気と一緒にウンコまで出てきた・・・。朝、ちゃんとしてきたのに・・・。こんなに観客が大勢いる前でウンコタイムなんて出来るわけない!』。必死でこらえて何とかゴール。
 到着時刻は13時06分。2nd legの泳いだ時間は3時間29分。2-wayの合計タイムは6時間21分だ。う~ん、速くも遅くもない。普通の平均タイムだ。
Pa230104_2 ホテルのビーチで折り返す私を待っている菊地さんは、止めた船の上から桟橋の釣り客と話している。
菊地「今日は朝早くスタートしたんだ。また大瀬まで戻る。3-wayだよ。」
やはりいつもの人たちだ。
菊地「美幸ちゃん、釣り客が応援しているよ。」
キン「あっ、ホントだ。」
大きく私が手を振ると、6人の釣り師たちも大きく手を振り返しながら
釣り師「がんばれよぉ~!!」
と声援してくれた。
 ここ淡島は、入島して釣りを楽しむには年間の許可証が必要らしい。しかも島までは渡し船かケーブルカーに乗ってこなければならないし、おまけに入島料もいるらしい。だからちょっとやそっとでは釣りが出来ないのだ。だから私が泳ぐ火曜日には決まって同じ人が多いのである。でも私はここの釣り師に会うのも楽しみの一つになっている。
 そうこうしているうちに私のムズムズは治まった。
 さあ次は3rd leg、最後の泳ぎである。時間的には1st legが2時間51分だから、3時間を頭にインプットしてスタートした。もうダッシュで泳いでいる。出来れば最後はベストタイムを出したい。そう、私はマイペースで泳ぐ能力は人一倍練習しているので、かなり高いと自負している。2-wayを6時間21分で泳いだが、まだ余力は充分に残っている。「飛ばさなければ!」と力を入れた瞬間、忘れていた“ムズムズ”が復活した。“時折”の間隔が短くなってきたのである。『どうしよう。ちゃんと朝、トイレには行ったのに・・・。仕方が無い。』と私は止まって船には
キン「ちょっと先に行っていて下さい。じゃあね、バイバイ!」
と、淡島から充分に離れたことを確認してから言った。
 菊地さんは『どうしたんだ?』と変な顔をしている。コーチはわかっている。ウンコをしたくなった私のことを。船にはしばらく先に行ってもらって、私はウンコタイムに入った。泳ぎながらのオシッコなら得意中の得意(プールではしてないことを宣言します!)だが、海のウンコの動作は泳ぎながら出来る技ではない。まあこんな動作、滅多にないが、いつも止まってやっている。
 もう天然水洗のトイレである。まあスッキリしたが、だからと言ってゆっくりは出来ない。素早くウンコタイムを終了させ、前に行ってしまった船を追い掛けて泳ぎ出し、ベストタイムを狙って大瀬崎に向った。

8.3-way

 プールで30時間泳いだときもそうだった。予定の距離、70kmが最後の方で到達しそうもなくなった。なんせ夜間は寝ながら泳いだから、スピードがガタガタに落ちてしまったのである。空が明るくなって眼が覚めたとき、残り時間は4~6時間だった。それからダッシュである。「30時間、70km」が目標だったのでバンバン飛ばし、ようやくその目標を達成したのである。飛ばさないと後からコーチにウダウダと説教を喰らう。だから残り時間を計算して飛ばすのだ。おかげで3時間くらいのダッシュはお手の物となった。
 頭の中を私は「40分×5本」のインターバルに切り替え、必死で泳いだ。
 咳が出る。飴を舐める。クラゲに刺される。手に絡みついたピアノ線を振り払いながら泳ぐ。この繰り返しである。
 いつだかクラゲの触手は短いので、薄手の何か1枚でも着ていれば、その上からクラゲに刺されることは無いと何処かで聞いたことがある。しかし「それは嘘だ!」と確信した。何故なら水着の上からもクラゲに刺されたからである。
 水着に被った私のお尻には、強烈なクラゲが襲い、とっても痛く、ひどい痕が残った。後でコーチに言って見せたら、
コーチ「あっ、本当だぁ~!」
と言っていた。
Image18100 クラゲに刺され通しの私の小さな身体は痛々しく痕跡が残り、それでも泳ぎ続けていると、感覚が麻痺してきたようにも感じていた。2nd legではあまり刺されなかったのに、3rd legでこんなに刺されるとは夢にも思わなかった。津軽を泳いだときのクラゲと刺され方が違う。
 泳ぎの方は何回目かの栄養補給のとき、
コーチ「キン、さっきよりピッチ数は多いが進んでないよ。」
キン「わかった。ゆっくり泳ぐわ。」
コーチ「バカ、ちゃんと泳げ!」
そう、がむしゃらに手を回し、大きくしっかりかくのを忘れていたのである。最近、少しフォームを変えて練習していたのが出たのかもしれない。
 結局そんなこんなで 3rd legは3時間22分で完泳。1st legより30分遅れたが、2nd leg”より7分速かったので「○」にしておこう。3-wayの合計、9時間43分。今まで泳いだ3-wayの中ではベストタイムが出たのだ。
 コーチは
コーチ「キン、泳ぎが速くなったよ。でも途中、スタミナ切れしていたが・・・。」
キン「ありがとう。ちょっとロングの練習をあまりしていないからね。少しずつ取り入れていくよ。」
少し褒めてくれたのが嬉しかった。
 菊地さんも私の泳ぎをずっと見ていてくれて伴走してくれ、とても嬉しかった。
 やはり遠泳は一人では出来ない。コーチ、船頭さん、泳者の3人で1チーム。そして晩御飯を作ってくれたり、お風呂の用意をしてくれたりするお母さんや「桂」の人たち。陰で遠泳を支えてくれる人たちも含めてみんなでチームなんだとつくづく感じた。ホントに皆さん、どうもありがとうございました。

9.泳ぎ終われば

Image17600 船に上がり、お湯で口をうがいする。喉が痛くて仕方がない。何回も何回も濯いでは喉を潤す。
キン「コーチ、飴。」
と、また私は飴を舐めだす。検査着を着て、首にはタオルを巻いて港へと向った。
 やはり今日は天気が良い。上着を着ることもなく、検査着1枚で帰ることが出来た。とても私は元気である。
 桂に戻って
キン「お父さん、ただいま~!」
主人「今日は遅かったじゃないか。」
キン「うん、3-wayだからね。天気が良かったし、気持ちが良い。お風呂に入るね。」
主人「ああ、ごゆっくり。晩御飯は菊地さんのお母さんが旅行でいないから、今日はここで18時30分からね。」
キン「は~い、ありがとう。」
と私はシャワーを浴び、ラノリンを取り、洗い物をしたのである。
 『やっぱり泳いだ後でお風呂に入れるのは最高だ。ドーバーではシャワーだけだからなぁ~。ぬるい湯では疲れが取りにくいよなぁ~』とブツブツ言っていた。
 夕食は菊地さんとコーチと私の3人だけである。またもや食べ切れんばかりのご馳走でとても美味しかった。
 毎回毎回そうだが、菊地さんと話していると元気をもらうし、私の意見に対してハッキリと物事を言ってくれる。『なかなかこんな話を聞いてもらえないだろうな?』と言う話でも、ちゃんと意見として言葉が返ってきて、いつでも相談に乗ってもらえる人である。
Pa2300972_2 少し私は反省している。この前までは勝手に考え、『もう夢は諦めよう。』と独りで決めていたが、今は一人では辞められないことに気付いた。それは私だけの夢ではない。コーチ、菊地さん、ロイヤル(スポーツクラブ)の仲間たち、主人、家族、会社の人たち、その他たくさんの人たちの夢になってきているのだ。だからみんなが協力してくれる。
 今回、菊地さん、コーチと話していてようやく鈍感な私は気付いたのである。まだまだ「夢」に到達するまでどれほどの時間が掛かるかわからない。しかし地道に努力を重ねようと、私は新たな決意をした。

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