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わくわく、どきどき、台風の目。

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2007年10月の記事

「キンちゃんが行く」Vol.9

1. 淡島~大瀬崎(:約10km)2way

  • 日付:2007年10月09日(火)
  • 場所:静岡県沼津市(駿河湾)
  • 泳者:キンちゃん ノリちゃん チエちゃん kiyoshinoさん
  • 方法:2-way 団体(ギャル4人組) swim
  • 記録: 6時間57分
       1st leg:淡島発09:25⇒大瀬崎着12:05 2時間40分
          2nd leg:大瀬崎発12:05⇒淡島着16:22 4時間17分
  • 天候:曇り、雨
  • 気温:19.6~23.8℃
  • 水温:21.0~22.4℃
  • 波高:0.5m
  • 風向・風速:主に東南 2.4~6.8m/sec
  • 流向・流速:主に西 0.3~0.5kn
  • ピッチ:64~66回/min(キンちゃん)
  • 補給品:炭水化物、果糖、お茶類(キンちゃん)

2. メンバー

Pa0900082 今回の海練習、一匹狼のキンは、地元(愛知県)岡崎の水泳コーチ達とギャル4人組で淡島~大瀬崎2-wayを計画した。海で泳ぐ経験が少ないメンバーだが、1時間で4500m泳ぐツワモノ勢揃い。方や私は1時間で3000mしか泳げないのんびりスイマー。条件は私のペースに合わしてもらい、固まって泳ぐということだ。船頭の菊地さんにあまり迷惑を掛けたくない。栄養補給は自分の好みを各自で用意し、石井コーチに伝えるということにした。ベテランの菊地さん、石井コーチ、ほかって(ほおって)おいても大丈夫なキンがついていれば出来る技なのだ。

3. 泳ぐ意思

 ノリちゃん、チエちゃん、kiyoshinoさんらは岡崎からクルマで沼津インターまで行き、私は三島まで新幹線。そこからはクルマで来た石井コーチに乗せてもらう。帰りも同じバターンにした。何故ならノリちゃんが風邪をこじらせ、当日まで行けるかどうかわからなかったからである。まあメールでは「せっかくのチャンスだから、泳ぐ、泳がないは別として、行けばクルマもあることだし、別の方向で余暇を過ごすことも出来るから、行く方向で検討して下さい。」としといた。まあ私のことに気を使って考えるより、本人達の「泳ぎたい」という意思が1番大切だと思う。

4. 準備

 10月8日(月)15時、沼津インターを降りたところで待ち合わせをしていたが、三島から沼津インターまで行く道のりが渋滞していたため、急遽待ち合わせ場所を変更し、合流。民宿「桂」に着いたのは16時であった。いつもの3階、「富士の間」と「駿河の間」の2部屋。広いベランダがあり、外の景色にみんな見とれている。「あれが淡島。その向こうに天気が良けりゃ富士山が見える。ちょっとここからは見えないが、ホテルの前のビーチからスタートだよ。そうあれが港。私達がお世話になる船だよ。」と説明し、少し落ち着いてから、栄養補給作り。みんなが何を用意したか確認。受け渡し方法などを打ち合わせし、なんだぁ~、かんだぁ~、しているうちに夕食になってしまった。
 初めてのメンバーの泊まり込みは、おしゃべりな石井コーチの雑談から入り、講演へと移り、盛り上がっている。昨日余り寝てない私は石井コーチの相手はみんなに任せ、早めに寝てしまった。まあクルマの中で、嫌というほど雑談したから問題ない。

5. トラブル

 朝6時30分起床。栄養補給品に使い捨てカイロを貼り付け、他のスイマーに指導。またもや本日の日程、その他準備などの確認をしあい、7時40分には港に到着した。8時出港。大勢なので、増えた荷物を船に積んだり、“A旗”、“遠泳中”の旗を表示したりなどで、用意することはたくさんあるのだ。
 小雨が降っている。やはり私は雨女か・・・。何だか暑い。船に乗るや否や水着1枚になり、淡島に着くまでの間、スイムキャップも耳栓もつけておいた。雨に濡れてもちょうど良い格好である。
Pa0900062 ちょうどそれは船が遠泳スタート地点の淡島ビーチ手前500mに差し掛かったときである。船のエンジンが異常になったときに知らせる赤いランプが点灯し、「ピー音」が鳴り出した。どうもラジエター内の水温が上がり過ぎたらしい。急遽、船は港に戻り、菊地さんは家からペットボトルに水を入れて来てエンジンルームに潜り込みゴソゴソしていたが、どうやらラジエターの水漏れではなく、ウォーターポンプを駆動させるベルトが切れたことが原因らしい。
 修理の電話はしたものの、今、船を長時間船動かすことは出来ない。まあ菊地さんは昨日の終業点検で問題なかったものだから、それでも申し訳なさそうにしていた。「今度は私、運がないのかな?」、「またやっちゃったかな?」、「海で泳ぐということは、いろいろなことが噛み合わなければ泳げない。仕方がないな。友達には申し訳ないけどな。」と、「こういうときもあるんだ。それが遠泳なんだ。」と半分あきらめていた。
 ところが菊地さんは漁師仲間に電話して船を借りてくれた。「キンちゃん大丈夫だよ。別の船を借りられたから。向こう岸まで移動して、また荷物を積み替えるよ。」、「ハ~イ!」
 スタートは遅れたものの、1日はまだ長い。「菊地さん、遠泳の途中で故障しなくて良かったよ。まだスタート前でね。」と、私は安心して言った。

6. 前に進む気持ち

 さあ淡島へ。水着姿でいた私は石井コーチのパーカーを着て移動。雨は止むことを知らなかった。淡島の桟橋にいる釣客にはもう私の顔を覚えられている。その釣師に向かってギャル4人が手を振ると、釣客も手を振ってくれる。きっと「今日は大勢だな。」と思っているに違いない。
 ビーチの前で船は止まり、ラノリンを身体に塗りだす。石井コーチは私の身体にベッタリとつけ、他のスイマーは身体の右半分にラノリン、左半分にワセリンをつけ、どちら側が気持ち良く泳げるか試すことにしていた。
 すると水着2枚を重ね着していたkiyoshinoさんが水着1枚脱ぎだした。「どうした?」、「2枚じゃ少しきついし、私、完泳したいからウェット着る。これは主人のウェットで初めて着るんだけどね。」
Pa090009_2 そう、kiyoshinoさんはガリガリに痩せている。水温22℃はきっと堪えると思って「2枚着りな(着な)。」と言っておいた。昨日から泳ぐか、泳ご(ぐ)まいか迷っていたが、やはり「完泳したい。」と決断し、ウェットを着たことに、「泳ぐ気になってくれてありがとう。」、そして「“完泳したい!”という気持ちになってくれてありがとう。」と思った。それというのはやはり「何々がしたい!」という本人の気持ちが「最も重要だ!」と常々私は思っている。
 ノリちゃんは風邪をひきながらも「海で泳ぎたい!」という気持ち。だから前に進むのだ。一緒にいながら反対に私が“やる気”をもらった気がする。

7. 貫禄で泳がなければ

Pa0900212 さあ私はベテランさんなんだ。リードしなくては・・・。船から梯子を一段ずつ降りて行く。22℃は私にとって温かいが、みんなはどう感じるだろう・・・。菊地さんに「飛び込んでも大丈夫?」と確認して飛び込んで来る者。そおっと海に下りて来る者。それでも「キャッ、キャッ、キャッ!」と楽しそうに叫びながら一人ずつ降りてきたのである。
 「浅瀬は石、岩、ウニなどに気をつけて泳いで下さい。」、「は~い!」
 ビーチにギャル4人組は立ち並び、右手を上げ、船からカメラのフラッシュ、ホーンの合図と共にスタートした。
 「みんな気をつけてね。初めは船の右側について下さい。それからは風を見て船が移動します。」と言い、いっせいに船を目掛けて泳ぎ出した。
 今回のギャル4人組。釣客の目にはどうやって映ったことでしょう。

8. クラゲのウェルカムキッス

 海の状況は凪。初めての方々にはちょうど良い。
 海練習には安くてお手頃な“ビーチ練習”と、ドーバー海峡横断泳の本番のようなシミュレーションが出来る“ボート練習”とがある。普通はビーチ練習が主で、これは岸に平行に泳ぐか、近くの岩や島をターゲットにして周回するかなどである。しかし私はそういうビーチ練習をしない。いつもボート練習である。伴走船をつけて沖まで出て、いつも6時間以上泳ぐ練習である。
 その練習にまだ海を泳いだことのない人を泳がすには難題かもしれないが、私たちには出来る自信があった。始めに4人が固まって泳ぐように指示しておいたし、本当、船の横で2人対2人、もしくは4人並んで泳いでいた時もあって、「一人じゃない。」というのが気を楽にしたであろう。
 それにしても今回は出だしからクラゲに刺される。淡島でこんなにクラゲに刺され続けるのは初めてだ。細くて透明のやつ。目に見えない釣糸のようなものが容赦なく顔や手に当たってくる。「痛っ、痛っ!」、海で泳ぐの慣れていても、クラゲは大嫌いだ。他の泳者も感じているのか?
 1回目の補給
チエ「クラゲに刺された。キンちゃん、クラゲに刺されたらどうするの?」
キン「我慢している。」
Pa090018_2 そう、我慢するしかない。海で泳いでいるのだから・・・。心の中で「チエちゃん、プールとは違うんだよ。」と慰めている。
kiyoshino「キンちゃん、やっぱりウェットは良いよ。泳ぎやすい!」
キン「良かった!」
 「一緒に最後まで泳ごう!」と心の中でつぶやいている。
 潮は追い潮で順調に進んでいた。
 2回目の補給
チエ「手がブツブツに腫れてきた。」
石井「あとからね。」
キン「あとで薬、塗ってあげるから。」
ノリ「顔に刺された。」
と、1時間20分経っても刺され続けていたのだ。
 何だか細かいブツブツが顔に当たる。何だか分からないが「魚の餌かな?」と私は思っていた。kiyoshinoさんは手ですくって「何かの幼虫じゃないの?」と言っている。とにかくいろんなものが当たった。
 今までここを泳いでいてそんなことを感じたことはなかったが、昨日は強風で海はウサギも飛んでいた。「そのせいか?」とも考えてしまった。

9. 行きはよいよい、帰りは?

 とにかくみんなで一緒にゴールしたかった。1-wayだけでも泳がせたかった・・・。だからkiyoshinoさんが途中で船に上がってしまった時は、その光景は目に映らず、言葉を掛ける余裕がなかった。それからはギャル3人組になってしまった。
 ノリちゃんは速いから常に先頭を泳いでいる。波は後ろから押し寄せ身体を乗せてくれる。この調子だと行きは2時間30分コース間違いない。と確信した。3回目の栄養補給で初めて前を見た。「ヨッシャ~、これなら行ける!」
 多分みんなこの追い波で楽しみながら泳いでいるに違いない。でも行きがこんな波だと帰りが思いやられるだろう。
 チエちゃんと私は抜きつ、抜かれつ。時たまチエちゃんの平泳ぎの足にぶつかりながら、楽しんでいた。と、kiyoshinoさんが船から降りて来てまた泳ぎ始めた。「やったぁ~、ギャル4人組で大瀬崎に着けるんだ!」
 「あと1000m!」と石井コーチが言い出した。普段、一切前を見ない私は、この言葉で距離感をつかんでいる。
Pa090050_2 大瀬では岸辺に3人のダイバーがちょうど上がってきたところである。青い魚があちらこちらに見られ、眼の保養をしていた。一人のダイバーが「お疲れ様です。」と声を掛けてきた。ビーチにいた人たちには「淡島から来ました。そしてまた戻ります。」と頭を下げ、私たちはまた一列に並び、右手を上げ、ホーンの合図と共に泳ぎ始めた。
 その時ノリちゃんは「寒い、寒い!」と言っており、kiyoshinoさんは「寒いだけでまだ泳げるなら、ウェットを着なさい。」と指示し、ノリちゃんとkiyoshinoさんは船に上がってしまった。
 すぐにウェットを着たノリちゃんだけが戻ってきた。ノリちゃんはとっても速いので、泳いでは止まって、泳いでは止まってを繰り返している。寒くなるのも無理はない。「ごめんね。キンのスピードに合わしてもらって・・・。これが海練習の条件だったからね。」
 そういうやり取りの中、船は少しの間だけ止まっていたが、私の泳ぎはこのメンバーの中で最も遅いので先に泳ぎ出していた。多分、船内では「キンならほかって(ほおって)おいても大丈夫だ!」と思っているだろう。

10. 苦戦の波酔い

 泳ぎ始めてすぐに船が近付いて4回目の栄養補給を取った。4回目と言うことは今のバタバタも考慮し、大瀬崎の折り返しは2時間40分前後だとわかった。良いペースではあったが、やはり帰りはバシャバシャの向かい波、泳ぎにくい波である。自然にみんなが疲れてきたのか、離れて泳ぐようになってきた。
 船に寄って固まっていたいが、ノリチャンは寒さと競泳用の速さで船の前まで行っては止まって、ラッコのように上向きに浮いていたり足を上げたりして待っていてくれる。チエちゃんは私と一緒くらいのペースで近付いたり離れたりしているが、時折船の後方の菊地さんの視界に入らない舷の近くに寄り過ぎるため、スクリューに巻き込まれないか菊地さんは心配したらしい。
 そう、何をしているのかと思えば、船の後方にぶら下がっている黄色いフェンダーにつかまってkiyoshinoさんと何かをしゃべっている。何をしゃべっているかはわからないが、補給時間以外はあまり止まっていたくない。潮で流されてしまうからだ。ノリちゃんと私は前へ前へと進む。
 5回目の栄養補給。補給品をあまり口にしないノリちゃんがそのまま船に戻すと、「全然飲んでいないじゃないか!」と石井コーチが叫ぶ。ノリちゃんは「気持ち悪い。波酔いした・・・。」と言っていた。「コーチ、波酔いしたんだってぇ~!」。本当に辛そうだ。相変わらず波は前からザブザブと押し寄せてくる。
Pa0900332 ノリちゃんは船に少し乗っただけでも船酔いするタイプだそうだ。そりゃあこの波は行きと違って凪ではない。このバシャバシャ波なら酔うであろう。しかし私は「泳いでも酔うし、船に乗っても酔う。同じ酔うなら泳ごう!」と声を掛けた。案の定泳ぎ出し、「みんなで完泳しよう!」、「波酔いもわかるが、ここで負けたらいかん!」。船酔いも波酔いもしたことのない私は簡単に言っているが、当の本人、エライと思うよ!
 こんなバシャバシャ波で酔った人もいるし、必死になって泳いでいると、石井コーチがカップラーメンをおいしそうにみせびらかしながら食べ始めた。知らないうちに作ったんだ・・・。するとkiyoshinoさんも、あれは“ドンベエ”かな? 食べ出した。私は「いらないよ~!」と「アホ~!」とで手を振り、叫んだ。良かった。この波でジャンケンされたらどうしようかと思ったよ。まあ相手はしてあげるけどね。

11. 苦難の向こうに見えるもの

 6回目の栄養補給。ノリちゃんはまだ気持ち悪そう。そこで私は「さっきは少ししか飲んでいないから、今度はたくさん飲んで。じゃないと力尽きるよ!」と言った。「そうだね!」と無理やり飲み、「あと2時間泳ごう。」とインプットさせた。今までの私の経験上、行きが2時間40分であれば、帰りは3時間40分の予定で泳ぐのだ。それで速ければ言うことないし、遅ければ「あと1時間。」と予想を立て直してこの“淡島~大瀬崎2-way”をいつも泳いでいるのである。まあピッタシカンカンではないが・・・。
 ノリちゃんが「飴が舐めたい!」と言い、kiyoshinoさんがカバンからさばくり(探し)出すが、「もういらない!」と泳ぎ出す。しかしまた止まっていて、それは遅い泳ぎの私に気を使っているのか、波に酔ってしまったのかはわからないが、とにかくこの時、ノリちゃんの栄養補給の入れ物はチエちゃんがタモ網の中に入れていた。さっきまでは泳ぎの速いノリちゃんがチエちゃんの入れ物をタモ網に入れていたが、困っている時はお互い様なのである。ちなみにこの栄養補給の入れ物は、タモ網を持っている石井コーチが回収している。
Pa090046_2 徐々にチエちゃんのペースが遅くなり始めた。先頭からノリちゃん、私、後方にチエちゃんと離れ離れになってきた。でも時折チエちゃんの姿はクロールではなく、平泳ぎや背泳ぎをしているのがわかった。前から波が来ているので、海水を飲んでしまわないか、少々不安になった。「あとどのくらい?」と前方を見て確認している姿も不安を増す要因になっていた。
 7回目、8回目の栄養補給が終わり、9回目の補給でチエちゃんの様子をうかがっていると、船の横で石井コーチとkiyoshinoさんとに何かを話している。ずっと見ていた私には、
石井「もう少しだよ。あそこにゴールが見えるでしょ!」
kiyoshino「もう少しがんばりなさい!」
と言っているように見えた。そして菊地さんまで操舵輪を捨て、様子を伺いに来た。それを見ていた私は「チエ、泳ぐよ。おいで!」と手で招いて、止まっているチエちゃんを導いた。その時私は涙を浮かべていた。「チエ、あと少し。一緒に泳ぐから、一緒に完泳しようよ。私、気がつかなくてごめんね。今からはずっと横で泳ぐから。」

12. 感動を共有

 何だか私は原点に戻った気がした。そう、あれはもうかれこれ10年くらい前になるが、初めての海外レースで目撃したフィニッシュの場面だ。グアムのココス島からグアム本島まで泳ぐレース。最後にゴールした女性スイマーに付き添った男性スイマーは、二人で手を上げてゴールした。そして女性スイマーは「ありがとう。ありがとう。」と何べんもお礼を言いながら涙を流していた。一方男性の方は「一緒にゴールするって約束したじゃないか!?」と言いながら、二人は抱き合って喜んだ。
 そう、今はチエちゃんが残り1670mというところで止めようとしている。「一緒に泳ごう。」、「隣で泳ごう。」、「チエちゃんを導いて、喜びの感動を共有しよう。」と考えた。
 人間は弱い。目の前に見えているものが、海では見た目通りに泳げないのが常である。泳いでも、泳いでも近付かない。それが海である。この苦しさを私はドーバーで嫌と言うほど経験している。チエちゃんも同じ状態に陥っているかもしれない。いつかは「泳げば着く!」という気持ちに変化させなくてはいけない。方向確認は常に船が担当している。距離確認で前を見ることは、マイナスになってもプラスになることは何もない。だから、船だけを見つめながら泳ぎ続けなければならない。そのことを理解させなければ。そう思っていた。
 しかし相変わらずチエちゃんは時折平泳ぎになっては前を見た。10回目の栄養補給で「チエ、止まらずにまっすぐクロールで泳ぎ続けなさい。」と私は忠告した。もちろん「もう目の前だからね。」とやさしい言葉もかけていた。船からも何かを叫んでいる。ノリちゃんがチエちゃんに近付き、チエちゃんの飲んでいた栄養補給の入れ物をタモ網に入れてくれた。やはり「持ちつ、持たれつ」なのだ。

13. 感謝の完泳

 そう、あの時・・・。2005年、初のドーバー完泳の時だった・・・。夜間泳。「もう泳げん。寒い!」と叫んでは止まって、「もう止めよう・・・。」と私は何度も思い巡らせていた。それが船の中にいたみんなが「Go! Go! Miyuki!! Go! Go!」と、石井コーチは「クロール、クロール。泳げ!」と後押ししてくれた。その光景を走馬灯のように横切っては思いを巡らせていた。
 それからは先頭を切ってノリちゃんが泳ぎ出し、チエちゃんと私は後を追って再び泳ぎ始めた。物標のホテルが徐々に近付き、船が止まる。あとはビーチを目掛けて泳いで行くだけだ。多分みんな感じていただろう。浅瀬に近付き、岩が身近になった時、「到着したんだ・・・。」と「やったぁ~!」という達成感がジンワリと湧いてくることを。
Pa090068_2 満潮に入っていたせいか、砂浜が少ししかなく、みんなはそこを目指して泳いだ。上陸するとみんなで抱き合い、そして淡島のホテルから4~5室の泊り客がベランダから観て下さり、私たちに拍手喝采を浴びせてくれた。私たち3人は手を振り続け、頭を下げた。次に3人並んで右手を上げ、石井コーチの撮影、ホーンの合図と共に船に戻った。
キン「みんな、オシッコしたい時は、今のうちにするんだよ。船に乗ったら出来ないから。それから船にはみんなが先に乗って下さい。私は最後に乗るから。」
みんな「OK牧場!」
 私たちは今日一日無事完泳出来たことに感謝しながら船へと泳ぎ出した。
 ノリちゃんが船の梯子がついていない方向へ泳ぎ出し、みんなで「こっち、こっち!」と叫んだのが印象的だった。
 最後に私が梯子を使って船に上がろうとするが、体重が重いので「コーチ、助けてぇ~!」と叫んで甘える。石井コーチは必ず助けてくれるのだ。(ウシシシシシシシ・・・。)
 そして菊地さんに「ありがとうございました!」とお礼を言った。

14. 泳ぎ終われば

 船に上がり、kiyoshinoさんがみんなに検査着を着させている。これは私の大好きな人からいただいたもの。最後にkiyoshinoさんは私にその検査着を着させてくれたが、何かおかしい。
石井コーチ「もう、“こうやって着せるんだよ。”って言ったでしょ!」
Pa0900362 やっぱり裏表反対に着させているのか!?
 多分あせっているから仕方がない。
 石井コーチは熱いお湯をキンに渡した。でも私はノリちゃんとチエちゃんに「お先にどうぞ。」と渡した。
 水温が22℃もあれば私的にはまだまだ余裕があり、気配りも自分なりに出来て良かったと思う。もちろん帰りの船上でも泳ぎ終わった後の自分にとって、遠泳では少しなりでも役に立つことが出来るんだなと実感した。

15. お世話

 港に着き、いつものように荷物運びをするが、ノリちゃん、チエちゃん、kiyoshinoさんには「先にお風呂に直行するように」言い、石井コーチとキンは遠泳用品の後片付け。それから荷物を民宿「桂」まで運び、その足でお風呂に直行してみんなの様子を見た。身体のラノリンがついた状態を見ると、けっこう取れているので取り方のアドバイスの必要はなし。キンは遠泳用品の洗い物がたくさん溜まっているので、自分もお風呂に入りながら“チャッ、チャッ、チャッ”と片付け、自分についたラノリンも落としていった。
 ちょうどお風呂から上がるとギャル3人組がおり、洗い物の運搬と干すのを手伝ってもらい、とっても楽チンに終えることが出来た。

16. 心の拠り所

 それからは夕食兼反省会。18時より民宿「桂」に菊地さんご夫妻を招いて、今日の遠泳についていろいろうかがう。話が尽きず、美味しい料理とアルコールがいっそう盛り上げる。しかしいつも菊地さんは本当に良い話を聞かせてくれる。
Pa0900382 「桂」の料理は数えると10品以上。津軽以来、久しぶりの美味しい料理だ。そう、私の体重は7月より4kg以上痩せてしまった。来年のドーバーに向け、太らなくてはいけない。6週間もドーバーに滞在すると、食生活も変わったかもしれない。
 それからはカラオケタイム。あんまり歌を聴かない私。なかなかないチャンスの時間。「桂」の隣のスナック「幸」でカラオケを満喫する。その時いつも、いつも応援してくれる菊地さんの奥さんに、今までの思いの全てを打ち明けた。次から次へと心の底から流れ出る私の思いは、涙と共に溢れていた。少しの間、連絡が途絶えたことも心配してくれていたようだが、非常に落ち込んでいた私は誰にも連絡はせずにいた。まあ現在も全てが全て脱皮が出来たわけでもなく、これを乗り越えるには、もう少し時間が必要であろう。

17. スナック「幸」とカラオケ

 最近、海練習の後にスナック「幸」で歌っているせいか、顔馴染が増えた。いつも“五番街のマリー”を歌う女性にお会いし、初めて少し話し込んだ。この方の歌は忘れることが出来ないくらい上手で、「今日は歌って下さい。」とお願いをした。「今日の私はいつもより酔ってるよぉ~。」と言いながら歌ってくれたが、良い歌だ。
 菊地さんは新しい歌が多く、ノリノリでテンポ良く歌っている。奥さんは「ああやって歌うから次の日疲れるんだ。」と言うが、遠泳のサポートの後で「どこにあのエネルギーがあるのか!?」と思うほど歌って踊って元気が良い。見習わなくてはいけない。
 負けずにkiyoshinoさんが歌う。“異邦人”。石井コーチも加山雄三の“海、その愛”と、ビートルズの“ミッシェル”を英語で歌う。すると負けず嫌いのkiyoshinoさんがカーペンターズの“遥かなる影(Close to you)”を英語で歌う。良い歌、歌っているじゃん!
 kiyoshinoさんは私と同じ世代。若いと思いつつも、ついつい手拍子が・・・。おまけに口ずさんで歌っている。やはりその時、その時の巡り合わせを大切にしていかなければいけないと、つくづく感じた日でもあった。
 エッ? 私・・・? そりゃテレサ・テンに決まってるじゃん!! 十八番(おはこ)だよ!

18. 元気をもらって

 今年を振り返って「良い夏だった!」とあまり言えない自分の中で、少し前まで“閉じこもり”の傾向にあった。巡り合わせや環境が、自分の意志とは無関係に一人歩きしていたからだ。その一人歩きが私にとってマイナスの方向へ動いていた。それはもちろんそうならないように手立ては打っていたつもりだが、やはり“甘さ”もあるし、見通しと違う結果が出てしまったこと、思わぬ大きな事件が発生してしまったことなどがあった。でもそれは・・・、その全てを含めて“遠泳”であり、“人生”なのだ。決して“順風満帆”とはいかない。それを望む方が誤りなのかもしれない。
Pa0900702 ドーバー1-wayの私の成功率は約71%(7回中5回の成功)。津軽は約67%(6回中4回の成功)。ドーバー2-wayは0%(3回中0回の成功)。トータルすると5割を少し越したくらいかな・・・。野球のバッターは打率3割を越すと「強打者」と呼ぶらしいから、そういう意味からも、そろそろ“ベテランさん”と呼んで良いころだろうと判断している。
 ただそこには“運”、“不運”がある。長時間のマラソン(遠泳)の中では眼に見えない上り坂や下り坂、凸凹道もあって、緩やかな下り坂では「運が良い!」と思いながらも気が付かないうちに下がっていて、あとからショックを受けることがある。逆に緩やかな上り坂では苦しさから「不運!」と思いがちだが、結果的にラッキーだったこともたくさんあるのだ。
 マラソン(遠泳)は人生にオーバーラップすることが多い。
 そのことにようやく気がついてきた昨今、再び「一から出直したい!」という気持ちになった。どちらかと言えば今までが人生の緩やかな“下り坂”だったのであろう。「ラッキー!」と思いながらもその後に大きなショックを受けた。しかし今はこれからが上り坂かもしれないが、あえてその坂道を登って行こうという勇気が湧いてきたのだ。
 皆さん、“キン”こと「藤田美幸」は生まれ変わります。皆さんの元気と一つ一つの励ましで、もっともっともっともっと自分の夢に近付いていきます。
 応援、宜しくお願いします!!!!!

19. 諸先輩からの応援歌

 いつも私が練習しているロイヤルスポーツクラブでの話。初めてお話しする70歳くらいのご婦人。ヘルスメーターの使い方がわからず、私に聞いてきた。そこで少し話し込んだ。そのご婦人の話しによると、家を出るとき主人に「もう私たちは先が長くないのだから、私たちが亡くなってから若い者が困らないように、要らない物はどんどん捨てましょう。」と話したそうだ。そこで私の「生まれ変わろうと思った勇気」の話しをしたら、「今日はロイヤルに来て良かったよ。良い話しを聞いて元気をもらった。ありがとう!」と言ってくれた。ただ、今の自分を話しただけだが、これほどに喜んでくれる人がいることに、「泳ぐことをあきらめずに良かった。」と、これほど思ったことはなかった。
Pa0900712 一方同じくらいの年齢だが、私の最も尊敬するN先生は、とある海を2年がかりで泳ぎ終えた。その心境を報告する手紙が届いたので少し紹介する。
 「先日はTelありがとう。以前のあなたの声になっていて安心しました。
 <泳法について書かれているが、ここでは省略>
 泳ぐことは出来るけど、教えるのはうまくない方々が、時々“ハッ”とするような良いことを言ってくれます。人任せではなく、自分で考えるのが良いと思います。
 <中略>
 ○●(海)を泳ぎ終えて一番嬉しかったのは、燃え尽きなかったことです。「これで終わり」ではなく、これからもずっと努力して、より高い目標に向かって泳ぎ続ける気力が湧いてきたことです。」
 素晴らし~~~~~~~~~~~~い!!!!!!!!!!!

20. 今回を振り返って

Pa090072_2 今回は今までと違う。一人ではなく、ギャル4人組だ。菊地さん、奥さん、石井コーチ、民宿「桂」さん。わがままな私たちの希望を聞いて協力して下さり、心から御礼申し上げます。いろいろ気を使わせてしまい、私自身、頭の下がる一方だ。
 しかしお蔭様で私は泳ぐ気力がこれまで以上に湧いてきた。N先生の手紙も含めて「生きることの素晴らしさ。」、「目標を持つ素晴らしさ。」、「夢を追い掛けることの素晴らしさ。」、これらは幾つになっても忘れてはいけない。
 一日一日を大切に、コツコツとやっていれば、遠い遥か彼方の難しい私の夢にも、少しずつでも近付けるのではないかと最近思えるようになった。やって行くうちに「カンタンじゃん!」と思える日が、夢の2-wayがかなう日が、いつかは必ずやって来ると信じている。
 最後に残念ながら10月18日に、“ミミ”の愛称で親しまれた日本水泳連盟理事の木原光知子さんが、くも膜下出血のため59歳で亡くなられた。彼女は1964年の東京オリンピック、競泳に16歳で出場し、その後はタレント業に入り、「ミミスイミングクラブ」で水泳の普及に貢献されたことは記憶に新しいことだろう。その彼女の言葉を紹介しよう。
Pa0900452 「老いることは怖くない。目的がなくなることが怖い。何でもいいから、好きなことを見つけることが大事。」

 木原光知子さんには心から哀悼の意を表しますと共に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
 安らかに御永眠されますよう・・・。

ドーバーと津軽の海峡横断泳報告(2007)Vol.04(最終回)

今年を振り返って

P71000272 ドーバーでの“6週間”という長いような、短いような生活の中で、初体験をかなりしたと思います。ふと思い起こせば2002年のリレーから5年もの歳月が経ち、その中での毎年のドーバー行き。毎日のプール練習、冬の海練習、津軽行きなど、言葉では言い表せないほどの夢に向って、日々の生活をまっしぐらに走って来ました。

 今回は1-wayを2回泳いだ形になりましたが、「夢の2-way」は私にとって遥か彼方・・・。水平線の向こうのそのまたさらに向こうということを、今回は嫌というほど気付かされた次第です。

 ドーバーに行く直前の日本の海練習で、「アイランドスイム2-way(城ヶ島~江ノ島間約20km×2)」を2回行いましたが、2回とも「あと3時間くらいで到着」という地点でリタイヤしました。ドーバー2-wayを実現させるには、「アイランドスイム4-wayが泳げないと無理だなぁ~。」と痛感させられたのです。

 さてさて4-wayになるとまだまだ無理のようです・・・。

 ドーバーの1-wayなら「泳げるようになった!」と確信しています。いちおうはもうベテランさんに入ったつもりで、「モチベーションをどうやって持っていったらよいか。」、「遠泳中、どういう考えに持っていったらよいか。」などが分かりました。

 そこで今回の1回目のドーバー1-wayは「ベストタイム」を目指しましたが、なかなかどうして・・・。足が痛くなってもキックを続け、一心不乱に泳ぎ続けましたがドーバーの神様は、そうは簡単に問屋が卸してくれませんでした。

 次の2-wayは天候で泳げるかどうか分からないまま船に乗り、とりあえずは2-wayの準備をして望んだのです。波が高く、その日に泳いだ私以外の泳者の全てはその波で止めてしまったそうです。でも私的にはけっこう泳ぎやすい波で、“乗り乗り”で泳いでいました。しかし徐々に足が痛くなり、1-wayで止めてしまいました。

 フランスを折り返してから「まだ泳げ!」と言われたら泳げます。でも「2-way」と考えると私の足は持ちません。結局私は1-wayで止めましたが、皆さんはどう感じることでしょう?

 今の私の実力で、ドーバー2-wayはまだまだ無理です。

 今回のドーバー滞在中、主人が事故に遭いました。帰りたくとも帰れない状況。3日後、日本に戻り、その足で病院に駆けつけました。その後は津軽が2週間入っており、どうしたら良いのか、ずっと悩んでいました。「こんな状況で行って良いのか?」と。

 半年前から決められていたこの計画に、周囲の皆さんも私が津軽で泳げるように手配してくれています。「どうしよう・・・」と考えている間に時間は過ぎ、主人も退院しました。そこで主人に相談すると、「1週間だけなら行っても良いよ。」と許可をもらうことが出来ました。

 そして津軽に臨みましたが、あいにくの台風9号で泳ぐことすら出来ず家に帰りました。
 家を出るときから台風が接近しているのは分かっていたことでしたが、自然相手ですからその後どうなるかは分かりません。しかし私が家を出るときから遠泳に関して批判的な人達から「こんなんで泳げるわけがない。」と言われていました。でも私は泳ぐことしか脳裏にありません。ですから帰宅すると非難轟々で、泳げずに終わって落ち込んでいる私の気持ちに、さらに鉛の重りを鋼鉄の鎖で結び付け、そのまま奈落の底に落とされたよう気持ちになりました。

 2-wayが遥か彼方の夢。津軽も泳げず・・・。この5年間、絶えず批判的な人達から非難を浴び、「もうそろそろ私も遠泳を止める潮時かな・・・。」と思うようになりました。

 お蔭様で1-wayを5回成功させることが出来ましたが、どれとて簡単なことではありません。いくら気持ちやモチベーションの持って行き方が分かったところで、トレーニングは継続しなければなりません。冬の海練習も必要となるので、仕事も休まなければなりません。時間を作る。お金も必要。またこの先、石井コーチにも頼まなくてはならない。いろんなことが私の脳裏を横切り、主人に「もう、海で泳ぐのを止めます。」と言ったら、「ボクは応援しているから、2-way泳いだら止めたら。」と言ってくれました。

 それに仕事場の仲間達はいつも私が安心して泳ぐことが出来るようにバックアップしてくれており、これらの行為に対して私の気持ちはいつも感謝が絶えません。本当にありがたいことです。もちろん石井コーチは私から遠泳を止めさせることはないと思います。毎回、毎回サポートをしてくれ、ワガママな私にブツブツ言いながらも応援してくれます。そして岡崎のコーチ。私が通っているロイヤルの仲間達。まだまだたくさんの友達達が応援してくれています。

 批判的な人達とは対照的に、「目標を持って生きていることがうらやましい。」と言われます。時折頼まれる講演でも、「夢を追い駆ける素晴らしさ」を話してきました。人生は一度しかありません。「あの時こうしておけば良かった・・・。」と後悔しないように、落ち込んでいた私は再び前向きに泳いで行こうと決意したのです。泳いでいる時も諦めてはいけないが、日常生活で出会う困難においても諦めてはいけないと思いました。こんな恵まれた環境があるのですから!

 ドーバー、津軽でお世話になった皆さん、本当にありがとうございました。これからも私は泳ぎ続けます。よろしくお願いします!!

ドーバーと津軽の海峡横断泳報告(2007) Vol.03

Telegraph magazine (テレグラフマガジン翻訳)

Channel number one

Last Updated: 12:01am BST 22/09/2007Page 1 of 3

 その気まぐれな天気とパワフルな潮流のため、英仏海峡は最も熟練したスイマーにとっても手ごわい相手であろう。トム・デ・キャステラ(記者)はフランスへの横断スイムを達成させるという大きな志をもった人たちと同行している。写真はリチャード・アンセット(ココでは石井の撮影したものを採用)

 サンフィア・ビーチ、一人の日本人女性がドーバーの白い崖の前に立っている。彼女はピンクとブルーの水着を着て黄色のキャップとゴーグルをつけている。彼女の背中、肩、太ももには、ワセリンがたっぷりと塗られている。1~2分後、彼女は私たちに手を振り、慎重に小石を踏み越えて英仏海峡へと歩み始めた。時刻は火曜日の朝7時10分過ぎ。多くの人は朝食を食べているか、出勤の準備をしているころだろう。ミユキ・フジタはフランスへと泳ぎ始めた。

P72801272左から: ジェフ・エヴァンス、ミユキ・フジタ、ベッキー・ルイス、そしてスティーブ・ペイン

 私たち6名はスバ(伴走船名)にいる。私たちのボートはイギリスに最も近いフランス側の海岸グリ・ネ岬までの21マイル(約32km)を彼女に同行する。6名とはパイロットのニール・ストリーター、副パイロット、チャネル・スイミング&パイロッティング・フェデレーションの監視者、船の漕ぎ手、ミユキのコーチであるハルユキ・イシイ、そして私だ。

 私たちはミユキが波の中に潜るまでの間、彼女が浅瀬を歩み渡るのを見ていた。計画通りに進むと、彼女はこの先12時間は水中に居続けるのだ。私たちは1時間に平均1~2マイル(約3km)進む予定である。この最もきまぐれな海の中でお風呂の人形のようにプカプカ浮きながら。

 チャンネル・スイミングは世界の自然へのチャレンジの中でも最も長い歴史を持つものの一つである。商船の船乗りキャプテン・マシュー・ウェッブが1875年、何の助けも無しに初めて英仏海峡を泳ぎ切ってから、900名が他岸へのスイムを成功させてきた。他方7,000名の人々がチャレンジを試みた。世界にはその他のチャレンジ・スイミングもある。-ニュージーランドの北島と南島の間のクック海峡、ジブラルタル海峡、カリフォルニアのカタリーナ海峡。しかし、英仏海峡は歴史、ロマン、世界的な知名度の点で一番なのだ。

 英仏海峡スイムは4つの点で非常にタフである。強い潮の流れ、人を憤慨させるようなフランスの海岸線、予測出来ない天候、そして取り分けその寒さ-水温は15℃以上になることはほとんどない。ウェッブは平泳ぎで泳いだ。これで彼がフランスまで泳ぐのに21時間45分掛かったことが説明出来る。彼が36歳であったこと、そしてそれまでに70以上の横断チャレンジがあったことを考えると、彼の業績がいかに大きなものであるかがわかるであろう。1875年から1949年の間に、イギリスからフランスに4回のスイムが、そしてフランスからイギリスには16回のスイムが成功している。フランスからイギリスの方が易しいのだ。しかし、今はフランス当局によって禁止されている。(フランスはフランス側からのスイムを奨励したくないのである。それを禁止することは、全てのスイムがイギリスによってコントロールされなければならない、ということを示している)。このスポーツは1950年代に実際人気が出始めた。そしてそれに続く年月の間に、驚き、呆れるほどの偉業と記録が整然と記録されている。そしてそれは単なるスイミングから、多様な横断スイミングへと軽々と変わっていったのであった。1961年アルゼンチンのアントニオ・アバートンボが 初めてノンストップで2-wayスイムを達成させた。タイムは43時間10分。20年後、ジョーン・エリクソンが3-wayを38時間27分で泳ぐという切り札を勝ち取った。

 ほとんどの人は感謝の気持ちで一度の横断をするが、6名の人がその途中で亡くなった。最も近い過去ではスイスの熱狂的スポーツマン、ウエル・スチューブの死だ。彼は2001年8月、目的地から程近いカレー(フランス)沖の闇の波に消えた。彼の遺体は数週間後、ベルギーの港、オステンド沖で発見された。彼の死因はカフェインによる心臓発作だと思われる。強いコーヒーと気の抜けたコカ・コーラの取り過ぎによるものなのだ。1988年8月のレナタ・アゴンディの死は最も論争を呼んだ。25歳のブラジル人女性は疲労困憊の末、亡くなった。彼女のコーチが「それ以上彼女を海に入れておけない。」と判断した後のことである。(現在はコーチではなく、サポート・ボートのパイロットが最終判断を下している。)

 1954年にはブリトン・テッド・メイの悲劇的、かつ茶番的な死があった。彼はサポート・ボートを雇う余裕がなかった。彼は浮き輪の内側に食料と飲み物を入れ、それを引っ張って泳いだ。そして1回失敗して救助されたにもかかわらず、数日後、再トライをした。浮き輪は翌日海峡で浮いているのが発見され、彼の遺体はほどなくオランダの海岸で打ち上げられた。その他の英雄の失敗にも物語がある。ジャベッツ・ウォルフは1906年から22回繰り返しチャンネル・スイミングにチャレンジした。3度はフランスから1マイルのところまで達したにもかかわらず、一度も泳ぎ切ることは出来なかった。1946年から1952年までのニュージーランドの知事、ロード・フレイブルグは若い頃成功はしなかったが、何回もトライしている。彼が最もがんばった時には岸まで200ヤードという、もうひとふんばりというところで休憩した。彼の疲労ぶりを見た妻がサポート・ボートの側面にもたれ、彼に活力を与えるブランデーを一杯与えたのだ。そしてそれでおしまい。彼はそのまま眠ってしまい、海から引き上げられたのだった。

 世界的な優良マークを持つ英仏海峡にはビックリ仰天させられる。スイマーたちは思い切ってチャネル・スイムに挑戦するために世界中から引き寄せられて来るのだ。ドーバーのユース・ホステルで私はインドのマハラシュトラ洲のアムラバティ-イギリス南東部の冷たい海水からは程遠い-から来たケディア一家に会った。彼らは2001年に長女がチャンネル・スイミングに成功したように、17歳の次女リツが同じことを達成させるのを望んでいる。ケディアさんはアルミニウム工場のオーナーで、彼にとってチャンネル・スイムは単なるスポーツの功績ではなく、投資であり、ステータス・シンボルでもあるのだ。チャンネル・スイムを成功させたことで、バークハは良い大学に籍を置くことが出来るようになったし、それだけでなく、首相のAB バジャパイから全国冒険賞(National Adventure Award )を授与されるために、デリーに招待されたのだ。彼の家族を2週間ケント州(ドーバーの街がある州)に送り込む費用はかなりのものだ。(チャンネル・スイムだけでも平均2,100ポンド掛かる。-ほとんどはボート代とパイロットの費用に当てられる)。しかしケディアさんはそれだけの値打ちがあると信じている。「自己の独自性を持つことが重要だ。」と彼は説明する。「私はスイミングする娘たちのお陰で町では有名人だ。私の夢は二人の娘たちが素晴らしい高位に上り詰めることなのだ。」

2 続く

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 リツは姉のチャレンジを思い出す。「バークハが2001年にチャンネル・スイムを成し遂げたとき、天気は最悪で、そして私はボートの上で船酔い状態だった。けれども私はいつか同じチャレンジをするだろうと思っていた。チャンネル・スイムをやり終えたとき、人は多くのことを学ぶのだ。」

 チャンネル・スイムの魅力のある部分は、ウェッブの伝説による厳しいルールによって支えられているという事実にある。彼はチャンネル・スイムを始めて成功させた人間ではない。アメリカ人のポール・ボイトンがチャンネル・スイムで彼を負かしたのだ。そのときポールは水掻きと背びれを組み込んだ(空気などで)膨らますことの出来るゴムのスーツを着ていた。しかしウェッブは(その後ナイアガラの滝の下の急流と渦巻きの中を泳ごうとして亡くなったが)、人工的な補助器具を冷笑していた。そして、それは今も生き続ける彼の純粋主義的姿勢なのだ。トランクス、ゴーグル、ワセリン、時々摂る食料、それだけだ。ウエット・スーツで泳ぐことは認められていない。誰でも申し込むことが出来るのだ。16℃か、それ以下の水中で「6時間泳いだ。」という書面さえ用意すれば。

 ルールを守る人々を確保することに責任を持つ管理団体はただ一つだけあった。-80年前に設立されたチャネル・スイミング・アソシエーション(CSA)である。しかし1998年に委員会は分裂し、メンバーの半数が去り、別の団体を立ち上げた。チャネル・スイミング・アンド・パイロッティング・フェデレーション(CS&PF)(これは現在もう一方の団体よりもはるかに人気がある。)だ。CSA の古いガードは裏切られたと感じていて、CS&PFのスイムを認めようとしない。一方でCS&PFのスイムはCS&PFのスイム自身と旧CSA(現在CSAは会社組織になっている。)のスイム両方を承認している。

 連盟の名誉事務局長マイケル・オラムは「自分の果たすべき役割は単なる官僚的なものだけに留まらず、スイマーたちのチーフ・モテベーターの一人である。」と述べている。彼は2005年、38歳のドイツ人が英仏海峡を7時間03分という記録で横断したとき、クリストフ・ヴァンドラッシュのサポート・ボートを巧みに導いていたのだ。「4時間半経ったとき、彼は泳ぎを中断して“もう止めたい。”と言った。」とオラムは言う。「私たちは15分間口論した。-私は自分の名誉をかけてやっているのだ。と言った。私は彼をがむしゃらにさせる必要があった。」

 いつでも数名のチャンネル・スイマーを見つけられるところがある。そこは、ドーバーとフォルクストンの間にある断崖の上、ドラマチックなまでに高いところに位置し、氷のように冷たい海水それ自体に接したバーン・リッジ・キャラバン・パークにある。今年は約125名のスイマーがソロ・スイムに挑もうとしており、その殆どの人がここをベースキャンプにしている。そこにはカラフルな壁面装飾がある。ここを訪れた数多くのスイマーたちが国旗や訪れた日、スイム・タイムなどを書き記したものだ。ここで私はジェフ・エヴァンスとスティーブ・ペインに会った。彼らはオーストラリアのブルー・マウンテンから応援の家族と共に来ていた。

 44歳のガラス職人であるエヴァンスは「チャンネル・スイムは“最高のスイミング”ですよ。」と言っている。彼の友達である47歳のペインは今までに2度チャレンジしているが、気分が悪くなり失敗した。そしてそのペインの話がエヴァンスの心を鼓舞したのだ。「私は妻に話した。すると彼女は“いいわよ。あなたなら出来ると思うわ。とにかく休暇を取らなきゃね。”と言ったんだ。そうして僕たちはここに来たんだよ。」これまでの14ヶ月間、彼は1週間平均25km泳ぎ、太平洋のウーロンゴングの冷たい(16℃)海水で24kmスイムを3回トライした。そして寒さ対策として、たくさん食べた。彼はお腹を軽くたたきながら誇らしげにこう言った。「僕のトレーニングの第二部はビールを飲むためにパブへ行くことなんだよ。」そして笑った。クラジョングから来た消防士であるペインにとって、今回は3回目の幸運だ。「ここに戻って来る日を、待ち切れなかったよ。僕は28回アイアンマン・レースを体験したけれど、チャンネル・スイミングはその中でも最大のチャレンジだよ。」彼らは天候の回復を待って、3週間ここに滞在している。

 他のキャラバンで私はメキシコから来た民間エンジニア、エンリック・フローレスに会った。子供たちのためにチャリティとして10,000ポンドを工面したいと思っている。「すべての子供たちが私のように幸せではないのだ。」と、彼は言っている。その後、私はイギリス北西部のカンブリア州コニストンから来たルウィス・ファミリーと話した。彼らは23歳の娘、ベッキーの始めてのスイムをサポートしているのだ。

 ベッキーは5歳のときから競泳をしてきた。「チャンネル・スイムは私がずっとチャレンジしてみたかったことです。まだ本当に小さくて、それが正確に何処にあるのかわからないときでさえそう思っていたのです。」と、彼女は言っている。彼女はティースサイド大学で理学療法を学ぶ学生だ。「オープン・ウォーター・スイムを始め、遠泳競技をするようになってから、私はチャンネル・スイムが私の手の届くところにあると思ってきたのです。」彼女は昨年の9月からトレーニングしてきた。自宅近くのコニストン海、地元のプール、そしてアイルランドの海で、彼女は一日たいてい8マイル泳いだ。普段はバランスの良い食事をしているが、スイムの1週間前になると、彼女はパスタや皮付き茹でジャガのような炭水化物を山のように食べる。チャンネル・スイムは少しの贅肉と、ガッチリした体格が良いことと考えられる数少ないスポーツだ。

 ミユキ・フジタは日本の愛知県から来た41歳の主婦で、夫が経営する菓子事業を手伝っている。何故彼女はチャンネル・スイムにこだわるのだろうか? 「私は他の人たちのようになりたいとは思っていません。私が泳ぎ始めたのは海でした。それがエスカレートし、今、私はドーバーにいるのです。」と彼女は言い、まるでそれが世界で一番自然なことであるようだ。彼女は2回の失敗の後、今、3回のチャンネル・スイムを泳いだ。そしてチャンネルを泳ぎ切った、たった16名の日本人の一人になったのだ。

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 8時5分前、ミユキは投げられたボトルを受け取った。彼女は突然襲う波を避けて水中でそれを飲み、ボトルを投げ返す。その間10秒と掛からない。そして再び彼女は泳ぎ始める。この行為を40分毎に繰り返している。そのドリンクは300mlで、炭水化物の溶液、ビタミンB2、ブドウ糖と日本茶が入っている。それは昔のスイマーたちが、燃料の補給として摂っていたハムサンド、一杯の温かいエール(麦芽醸造酒)、タラの肝臓のオイル、あるいはグラスー杯のブランデーなどとは遥かにかけ離れたものだ。

 ミユキはそのドリンクをゆっくり落ち着いて摂る。彼女がペースを落とす度にパイロットはエンジンをニュートラルにし、彼女が再び我々の前を泳ぎ始めるまで船を漂わせる。9時半までには彼女はスタート時よりも力強くなったように見えるし、リズムはより規則正しくなっている。突然風が強くなる。

 10時を少し過ぎた頃、我々は始めて航路に近づく。同方向に向かう何隻ものコンテナ船。ドーバー海峡は世界で最も往来の激しい航路だと思われる。常に5,000人の人々が水中におり、避けて通れない自然との闘いに加え、人工的な危険に対する身震いするような恐怖もある。(パイロット・ボートは大惨事を避けるため無線で沿岸警備隊と交信しているが)

 正午、我々の背後の白い断崖が、かろうじて遠退いたように見える。そして行く手には近づいているようには見えないが、フランスが低い位置に暗くぼんやりと見えてくる。好奇心の強いカモメが数羽ボートの周囲をグルグルと回っている。そして一瞬、それまでの単調さをやぶり、ミユキにぶつかりそうになる。その時までに彼女の身体は脂肪をグリコーゲンに転化し始めていただろう。グリコーゲンはエネルギーを供給する。そして痛みが身体をキックしているだろう。(耐久レースのアスリートが“壁にぶつかっている”と表現するとき、それはグリコーゲンの濃度が尽き始めていることを意味するのだ。)ミユキの小さな身体は灰色がかったグリーンの海の景色の中をナイフのように切り進んで行く。そのパワーは両方の肩からきている。そのキックは最初、チラッと見たとき弱々しく見えたが、足の蹴りは決してミスすることがない。息継ぎのために顔を上げたとき、彼女の表情は自信に満ちている。ゴーグルをかけてはいるが、彼女の目はこのときまでに(海水でしみて)刺すようにヒリヒリしていることだろう。そして舌も塩辛くなり、両足は氷の塊のようだろう。

 私はリバプール・ジョーン・モーリス大学のスポーツ科学教授であるグレッグ・ホワイトとの会話を思い出す。彼は昨年コメディアンのデヴィッド・ワリアムスをチャネル・スイミングの栄光へと導いた人物である。ホワイトには彼自身のチャンネル・ストーリーがある。それは8時間スイム-ワリアムスより2時間遠い-も可能と思われたチャレンジだった。フランス海岸から数マイルのところで潮流が彼にぶつかってくるまでは、多くのスイマーたちが最終段階に入ったときにぶつかるのと同じように。2時間半漂った後、彼は引き上げられるしかなかった。「寒さは精神的苦痛を引き起こす。人は心理的にそれを無視しようとする。」と彼は言った。「しかしそれは決して消えない。そして疲労困憊するにしたがって、消極的な考えが頭によぎるのを許してしまうのだ。」

 1時過ぎ、海が荒れ始め、15ノットの風が海面を横切って行く。我々の右手から大きなうねりが現れてくる。それこそ全てのスイマーたちが恐れる南西の風である。しかしミユキの様子に変わりはない。私にとってチャンネル・スイムは初めてではないので、その魅力を正しく理解するのが難しくなっているのだと思う。チャンネル・スイムに至るまでには地味で単調な作業の積み重ねがあるのだ。チャンネル・スイマーたちは単に身体的、精神的にタフなだけではない。彼らはある意味、何かにとりつかれているのだ。

 元通貨トレーダー、アリソン・ストリーター-ニールの姉-は、いわゆるドーバー海峡の女王である。彼女は他の誰でもなく、自分の財産として43回の横断をした。その中には34時間40分をかけて3-wayを泳いだことも含まれている。彼女はその魅力を次のように要約している。「ドーバーは生命をもって呼吸する動物のようであり、日ごとに違う顔を見せる。したがって全てのスイムが独特のものである。」と。そしてこうも言っている。「私は、世界中で多くのスイムを経験してきたが、ひとつとして同じ歴史、同じ興奮のものはなかった。」

 アバディーンの大学でスポーツ心理学の講師をしているローラ・マハディによると、耐久レースのアスリートの多くは、彼らが何かにとりつかれ、引き込まれている側面を、スポーツを通して表現している順応主義者である。と言っている。UCL臨床健康心理学助教授であり、フリー・ダイバーの元チャンピオン、アマンダ・ウィリアムスは次のように述べている。「耐久レースは小さな進歩の積み重ねであり、徐々に強くなること。毎回少しずつ努力すること。あるいはそれら全ての誰もが取り組めることの総称である。」と。スウォンジー大学のスポーツ&エクササイズ心理学講師、デヴィッド・シアラーにとって耐久レースは集中である。「耐久レースのアスリートたちは経過をとても重視する傾向がある。彼らは自分たちがしていることと、最後のゴールに集中している。」

 数週間前、私はペーター・ストイチョフに会ったが、彼は強烈な印象を与える30歳のブルガリア人であり、マラソンスイムの元世界チャンピオンである。昨夏、彼はクリストフ・ヴァンドラッシュの記録に挑んだ。しかし暴風雨のために18分遅れ、記録を破ることは出来なかった。彼はコーチ、二人のプルガリア・テレビ局員と共にドーバーのB&B(日本で言う“民宿”のような宿)で天候の変化に望みをかけていた。「ドーバー海峡スイムは世界で最も古く、厳しいスイムだ。」と彼は私に言った。しかし他にも何か彼を駆り立てるものがあった。-ストップ・ウオッチである。「私がやっているスポーツはタイムが記録されない。ワールド・カップにおいても勝つことは重要だが、タイムは問題ではない。[全ての人が同時に泳ぎ、勝つことだけが問われる。]しかしドーバーには世界記録が存在する。」ストイチョフは背が高く、ひとつまみの脂肪も身体についていない。他のほとんどのチャンネル・スイマーと違って。彼は非常に速く-最適平均時速3マイル(約5km/h)というオリンピック並みのスピード-泳ぐ。「身体が大きくないということは問題ではない。ほとんどのオリンピック・スイマーたちは、冷水でそのタィムは出せない。」とマイケル・オラムは後で私に言っている。「彼らはマシンに頼り、27℃の水で短距離を泳ぐことに慣れている。」

 ドーバーにロシア人が来るという噂がある。-それは二人の水泳エキスパート、ユーリー・クーディノフとナターシャ・パンキーナで、二人とも高く評価されており、記録を追い求めている。ストイチョフはこの二人のことを心配しているのだろうか?「私は誰も恐れていない。」彼は少しロボットのような、アーニーのターミネーターを思い出させる声で言う。「私が恐れるのは悪天候だけだ。」

 4時頃、初めてミユキが泳ぎを止める。何かにとまどっているようだ。彼女は海草の固まりにぶつかり、足元に潜んでいるクラゲにうんざりして、動きを止めている。イシイはがんばって続けるようにと、大声で怒鳴る。ミユキはそれに従う。

 2時間半後、フランス沿岸がタ日に照らされる。私はそれを見て、不思議にワクワクしてくる。しかしその時、ニールがデッキに現れ、悪い知らせをもたらす。潮の流れが変わり、我々はグリ・ネ岬に着くことは出来ないだろうと。確かに我々がミユキに付き添っている間に、有名な灯台が我々の右手へと滑るように行き過ぎて行く。これはどんなスイマーの自信をも打ち砕く決定的なショックに違いない。しかしミユキは愚痴もこぼさず波を切り、泳ぎ続ける。我々はフランスから1時間半ほどの位置にいるはずだ。しかし我々がカレーの方向へ押し流されている間に、海岸は近づいてくるというよりは、むしろ遠ざかっていく。

 2時間後、我々は今、ヴィサンの町とその砂浜から1マイル半のところにいると、イシイが言う。ミユキはずっと泳ぎ続けているが、少し疲れているように見受けられる。ゴールはすぐそこだ。しかし多くのスイマーたちがここまで来て、そして失敗している。9時5分過ぎ、ピンクの太陽が我々の背後に沈むころ、ミユキが海岸に近づく。一時船上は、彼女の到着時間をどのように記録するかで混乱する。浅過ぎて船はこれ以上進むことが出来ない。岸まではまだ数百マイルある。しかし夕闇はせまっている。ついにイシイは海に飛び込み、ミユキを追いかける。アシスタント・パイロットは双眼鏡を通しても、ミユキを確認することが出来ない。ついに彼女の姿が確認され、彼女のタイムは13時間59分と記録される。海岸ではフラッシュがたかれ、ミユキとイシイが地元の人たちと喜びあっている様子が見える。日が暮れようとしているので、ミユキはすぐに泳いでボートに戻らなければならない。ストリーターが我々を乗せ、イギリスを目指す一方で、船上のミユキは毛布にくるまり眠りにつく。ありがたいことに、帰路は数時間しか掛からないだろう。

 2週間後、私はその後の様子を聞くためにスイマーたちに話しかける。エヴァンスとペイン、この二人のオーストラリア人は、彼らのチャレンジが失敗に終わったことを話してくれる。エヴァンスは左足に痙攣を起こし、4時間半後、撤退した。「パイロットに、後退していると言われたとき、私は全ての自信を失い、海から上がるときが来たと思った。」と彼は話す。ペインはその1時間後、撤退した。彼は、今回は胸のむかつきは何とか克服したが、激しい肩の痛みに負けた。くじけることなく、彼らは2年ほどしたら戻って来ると誓った。

 ベッキー・ルイス、エンリック・フローレス、リツ・ケディアは三人とも成功した。ルイスは9時間35分という堂々のタイムだった。「私は自分のタイムにとても満足している。」と彼女は言っている。「私はピリピリして、気持ちを静めるのに2時間掛かった。けれど寒さは最後までそれほど苦痛ではなかった。海岸にたどり着いたとき、私は疲れきって感動する余裕すらなかった。でも今はもう情熱を持って、2009年に再びトライしようと考えている。-上達するためにすることはわかっている。」

 私は日本への帰り支度をしているミユキとイシイに会っている。彼女は、大きな問題はなかったが、タイムにはガッカリしている。そしてすでに来夏再びチャレンジする計画を立てていると、嬉しそうに語る。彼女は、「寒くはなかったが太ももが痙攣を起こした。」と言う。「南西の風と波が彼女のペースを落とした。」とイシイは言う。彼女は日本のポップスを歌い、素敵な人たちが彼女に送ってくれたE-メールを思い出しながら自分の泳ぎを続けた。イシイが彼女の泳ぎがたどった線の地図を見せる。それは前へ後へとS字を描き、巨大な潮流の影響を示している。「去年よりも波が大きかったが、少なくともクラゲはそれほど多くなかった。」とミユキは言う。「最もきつかったのは、フランスが見えていて、それでいてたどり着けないこと。自分が漂っている。とわかっていることだった。それが一番耐えがたいことだった。」それでは実際彼女はいつゴール出来ると確信したのだろうか?「海岸に立つまで確信出来なかった。」と彼女はニッコリ笑う。

 ペーター・ストイチョフは7月の悪天候で失敗したが、先月ドーバーに帰って来た。8月24日、キャプテン・ウェッブの横断から132年目のまさに同じ日、初めて約7時間という記録で世界記録を破った。6時間57分50秒でグリ・ネ岬に着岸したのである。

 ある人々は、ただ、いつ諦めるかを知らないだけと思われる。しかしそれこそが、チャンネル・スイマーと他の我々とを隔てるものなのである。彼らはシュロップシャのダウリーにあるキャプテン・ウェッブの記念碑に刻まれた言葉の本当の意味を誰よりも理解している。「偉大なことで、簡単に手に入るものは何もない。」

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「夢×挑戦ブログ挑戦報告(9月)」

津軽海峡の報告

P90400032 結論から言って、今年の津軽海峡は台風9号の接近のため泳げなかった。
 そこで計画のみを掲載させて、終わることにする。

津軽海峡縦横断泳計画

P90500152  場 所

青森県 ⇒ 北海道 & 日本海 ⇒ 太平洋

  予定日

2007年9月3日~9月7日(好天の日)

  方 法

  1.動機及び目的
P90500192 2005年7月から本年(2007)8月までに、ドーバー海峡横断泳(英→仏)を5回成功させている(日本人最多記録)。また、2005年8月に津軽海峡横断泳(青森小泊→北海道戸井)を成功させ、2006年9月に同海峡横断泳(3Way:青森県小泊→北海道福島→青森県佐井→北海道戸井)を成功させている。そこで本年(2007)9月に同海峡断泳(青森県小泊→北海道戸井)を実施する。

  2.津軽海峡を日本海から太平洋へ、青森から北海道へ縦横断する。
(04:00スタート 20:00ゴール予定 完泳予定時間:16時間)
(日出:05:00頃 日没:18:00頃)

  3.スイマーは藤田美幸の独泳であり、サポートは石井晴幸ですべてをサポートする。

  4.伴走船:青森県(小泊) → 北海道(戸井)
 汽船「第61栄幸丸」(4.9トン):船長「安宅 勉」(戸井町)

  5.伴走船に船長以外、副操縦士等が乗船する。しかし船の持つ定員数を越すことは無い。

  6.天候により、予定日、予定時間は前後する。

  7.ルールは、ドーバー海峡横断泳者を公認する団体、「CHANNEL SWIMMING & PILOTING FEDERATION」のルールに沿って、護衛船舶の横(5~10m)を、完泳するまで泳ぐ。(泳中は船舶に触れない)

  8.スイマーは40分毎に水分と栄養補給をする。

  9.スタートは、身体のすべてが水から出た状態から出発し、ゴールは身体のすべてが水から出た状態を到着とする。

10.合宿場所:トーパス・ビレッジムーイ
 期間 平成19(2007)年9月1日~9月8日(7泊8日)
 遠泳前日:民宿「柴崎」 佐藤金芳

11. 実 施 者:海峡横断泳実行委員会(トラジオンスイミングクラブ内)
    責 任 者:石井晴幸

ドーバーと津軽の海峡横断泳報告(2007) Vol.02

 ドーバー海峡(イギリス⇔フランス間:最短距離約34km)を、イギリスでは「チャネル(The English Channel:英仏海峡)」と呼ぶ。そしてここを泳いで横断した人を「チャネル・スイマー(The Channel Swimmer)」と呼ぶのだ。ここの横断泳は世界的にも有名で、今も毎年100名以上のスイマーが世界各地からやって来る。昨今の成功率はソロ(独泳)で60%くらい、リレー(6名)で90%くらい。今年もキンちゃんを初め、多くのスイマーが挑戦した。そこにはそれら多くのスイマーを支えるボランティアたちもいた。そんな世界のスイマーやボランティアたちを紹介しよう。

(写真集)お世話になった方々と友達たち

P70800042 キンちゃん(藤田美幸)
この報告書の主人公
イギリスでは「ミユキ」と呼ばれていた。
ドーバー海峡横断泳(ソロ)の記録は「日本人最多(5回)」を持っている。
(Queen of the Channel in Japan)
(日本のドーバー泳の女王)

Image097_2 石井コーチ(石井晴幸)
障害者を対象に海を泳ぐことを目的として活動しているトラジオンスイミングクラブの代表者。
ドーバー泳のサポート歴では日本人最多(15回)。
成功率:ソロ=67% リレー=100%
キンちゃんのよろず引き受け役。
イギリスでは「日本の大将」と呼ばれていた。

P7130059_2 像:マシュ・ウェッブ(Matthew Webb)
1848年1月19日~1883年7月24日:イギリス人
世界初のチャネルスイマー。
今もドーバーのビーチを見下ろす高台に立っている。
彼は1875年8月24~25日、イギリスからフランスへ21時間45分で泳いだ。2回目の挑戦で成功。泳いだ距離は50マイル(約80km)。泳法は平泳ぎ。

P72101152_2 左:アリソン(Alison Streeter MBE)
ドーバーは3-wayを1回、2-wayを3回、1-wayを34回、合計43回泳いでいる女王。ギネスブックにも載ったチャネルチャンピオン。
今はオブザーバーやビーチでのボランティアをしている。
キンちゃんとは姉妹のよう?

070715_204136 ケヴィン(Kevin Murphy)
ドーバーは2-wayを3回、1-wayを28回、合計34回泳いでいる。
"King of the Channel"
ドーバー泳を公認する団体、“CS&PF”の代表もしている。

P81202702 右:フリーダ(Freda Streeter)
アリソンの母親であり、水泳のコーチでもある。
ドーバーのビーチでは全てのスイマーの世話役。
「ドーバーの大将」と呼ばれている。

P81202642 左:マイク(Michael Oram)
CS&PFのセクレタリー
本人もパイロットをやっており、二人の息子もパイロット。
実質上、CS&PFの実務はほとんど彼がやっている。

P71100572 右:ニール(Neil Streeter)
フリーダの息子、アリソンの弟。
キンちゃんご用達のCS&PF公認パイロット。
本人、スイマーでもある。
二人の幼い息子がいて、長男は将来のチャネルスイマー。

P7150078_2 クリフ(Cliff Golding)
ドーバーのビーチでボランティアをしている。
本人自身もチャネルスイマー。
頼めばドーバーのビーチで一緒に泳いでガイドまでしてくれる。
今年ラウラ(Laura Lopez:ボランティア)と婚約した。

P71300672 左:バリー(Barrie Wakeham)
ビーチのボランティア
ビーチ練習でスイマーにワセリンを塗ったり、栄養補給をしたりしている。
息子がチャネルスイマー

P71100522 右:リック(Rick Selway)
ドーバー泳のオブザーバー
2005年にキンちゃんが「エートルード・ガーダリ賞」を受賞したとき、成田空港までそのクリスタルトロフィーを持って来てくれた。

P81202562 左:アイリーン(Irene Wakeham)
ビーチのボランティア
バリーの奥さん
スイマーの使うキャップの保守管理をしている。
スイマーのチェックをしたり、裏方の仕事をしたりしている。

070705_092652 右:眞壁さん(眞壁 功)
去年、チャネルスイマーになり、日本人最高齢記録を起てた。(62歳:15時間50分)
今年は成田空港まで送迎してくれた。
現在も湘南で黙々と泳いでおり、72歳になったら再びドーバーで泳ぎたいと言う。

P81202552 左:マッサージ師(キャッスルクリニック)
ほとんどのチャネルスイマーが、彼女のマッサージのお世話になっている。
もちろんキンちゃんも眞壁さんも。
キャッスルクリニックの掲示板には、彼女がマッサージしたチャネルスイマーの名前が全て貼ってある。

Image1301_22 左:ディヴィッド(David Hipkiss)
イギリスでは5本の指に入るというカイロプラティックの名医。
キンちゃんが泳ぎ過ぎて、肩を壊したときにお世話になった。
クリニックはカンタベリーに有り、いつもバリーかアイリーンがクルマで送迎してくれた。

P71000252 右:トム(Tom de Castella)
ロンドンに住むフリーのジャーナリスト
ドーバー泳の記事を書くため、キンちゃんのドーバー泳を取材に来た。


P80201852 左:マギーッ(Margit Bohnhoff)
今年最も仲良くなったドイツ人スイマー
彼女は8月9日、11時間40分でチャネルスイマーになった。

Dsc000771_22 右から2番目:パーベル(Pavel Kuznetsov)
去年、ロシア人初のチャネルスイマーになった。
今年は彼が世話役でロシア人トップスイマーを連れて来て世界記録を狙った。しかし惜しくも世界記録にはならなかった。
(右はロシア人水泳コーチ)

P81202652 左:ダミアン(Damian Westray)
地元イギリス人スイマー
彼は8月7日、18時間57分でチャネルスイマーになった。
強面だがとても優しい。

P72901602 左:ホワイト夫妻(Dave Whyte)
ホワイト夫妻はCS&PFの公認パイロット。
ダミアン(右から2番目)の伴走をした。
ダミアンは16℃の海水で6時間泳ぎ、その後気温18℃の外で、そのままの水着姿でソフトクリームを舐めていた。
寒さは感じないのか??

P72901422 左:トム(スコットランド)
トムは元ボクサーでスコットランドのチャンピオン。
現在は船乗りで、時折日本にも来ているというスイマー。
片言の日本語を話す。

070729_221629 左:マミちゃん(石川麻美)
彼女はオーストラリアの高校に留学中。
留学先の水泳部でドーバーをリレーで泳ぐことになり、その一員としてドーバーにやって来た。
このヤングチームは8月5日、11時間27分で成功した。
マミちゃんは5番目の順番だった。

P72701242 左右:オーストラリア人
左:Becky Lewis 右:Geoff Evans
いずれもスロスイマー
トムによる雑誌の取材で彼らと一緒になった。
明るく楽しい連中だった。

P73001762 左:オーストラリア人
中央:アメリカ人
彼らも今年のドーバーの天候の悪さでずっと日延べをしていた。
しかし二人とも無事、チャネルスイマーになった。

P80301862 サイパンから来たリレーチーム
ミクロネシアからドーバーにやって来るのは珍しい。
彼らは8月7日に成功した。
左下の彼はその後ソロにも挑戦し、無事、チャネルスイマーになった。

P80701992 マギーッとそのサポーターたち(ドイツ人)
マギーッの仲間は皆トライアスリートだった。
毎朝と夕方走って、昼は泳いでいた。
皆デカイ!!

P81102402 インドから来たソロチャネルスイマー
左から、今年友達になったアキシャ
キンちゃん
去年友達になって、今年もやって来た女の子。(ソロチャネルスイマー)
右、彼らの仲間。

P71300652 鳩のおばちゃん(ダッセルバ)
彼女は毎日ビーチに来て、日光浴と海水浴を楽しんでいる。
とても明るく朗らかでおしゃべり好き。
いつも鳩に餌を上げている。
日本では見なくなった光景だ・・・。

P81400022 大家さん(Dimech夫妻)
左から、Rodney、キンちゃん、Elizabeth、石井コーチ
6週間、お世話になった。


P81202612 ボランティアをするキンちゃん
イギリス人男性スイマーの身体にワセリンを塗る。
けっこううける。


P9010001_2 右:安宅さん(安宅 勉)
新艇「第61栄光丸」。
この船で津軽を泳ぐ伴走をしてもらえる予定だった・・・。

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