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わくわく、どきどき、台風の目。

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2007年7月の記事

ホワイトホース

ホワイトホース
7月30日、月曜日。今日は朝から穏やかな日だ。水温は相変わらず16℃だが、気温は20℃を大幅に越すだろう。風は緩やかに西風が吹き、今日、泳げば順風満帆な遠泳になるだろう。ビーチに行くと、今までいたオーストラリア人ソロスイマーたちがいない。おそらく今ごろフランスの大地を目指して水飛沫を上げているのか!?
その代わりビーチには次の潮で泳ぐ予定のスイマーたちが集まり始めていた。石川麻美ちゃんらを代表とするオーストラリア人のリレーチームやソロスイマーたち。メキシコ人スイマー、アメリカ人スイマーらがやって来て、新旧の交替の頃らしい。こうしてドーバーのビーチには世界中のスイマーたちが集まって来るのだ。
悪天候続きが難点だが、自然相手だから仕方がない。それでも今日のこの日のような好天が続くことを願って止まない。
今日、ビーチに行けばその新しく来たオーストラリア人スイマー2名と会った。男性と女性だが、この2名もここドーバーのビーチでたった今、知り合ったようだ。そしてキンちゃんはこのオーストラリア人2名と一緒に泳ぎに行くことにした。キンちゃんの今日の泳ぐ予定時間は3時間。肩の具合と相談しながらの泳ぎになる。ところがオーストラリア人スイマーたちはそんなキンちゃんとは無関係に飛ばして泳ぎ、1時間ちょっとで上がってしまった。キンちゃんは一人ぼっちになった。
本来なら私がカヤックで伴走する予定なのだが、カヤックはちょうど構造上最も複雑な部分でパンクが直らず、結局もう一度修復にチャレンジするが、それで直らなかったらドーバーに捨てて帰ることにする。
キンちゃんは予定通り3時間泳ぎ、帰って来た。相変わらず使い捨てカイロで患部を暖めているが、だいぶ痛みは引けたようだ。
今、入った新しい情報だが、アメリカ女性ソロスイマーの1wayは、11時間11分で成功したらしい。また同じ仲間の2wayソロスイムは、1wayを11時間33分でフランスを折り返したものの、帰りの2wayの途中、疲労のため断念した模様。また1wayソロスイムに挑戦したイギリスの男の子17歳は、12時間10分で成功させた模様だ。
他に1wayリレーが何チームかいたが、リレーはすべてが成功したらしい。尚すべてのスタート時間は前日の夜中23時頃で、風は順風満帆、波高は1.0〜1.5m、潮汐は大潮に近いので潮流はかなり速かったらしい。まあ今までの天候からは想像出来ないくらい良いお天気だったので、ほとんどが上手くいったのだろう。
全員お昼頃には終わっていたので、夕方にはドーバーに戻っていた。何人かのスイマーにお会いしたが、全員元気だった。まあ2wayのアメリカ人を除いて「ウェルダーン!」&「コングラッチュレーション!」
ところでドーバーに来るようになって10年以上が経過し、今回が10回目のツアーになるが、そんな私でも知らなかったドーバーのスポットがあった。それはパブ「ホワイトホース」である。ホワイトホースの壁は何処でもチャネルスイマーなら自分のサインをしても良く、店内の壁という壁、天井にまでサインで埋め尽くされている。まあドーバー泳ファンなら知っている名前が必ず見つかるだろう。
場所はキャッスル ヒル ロード、すなわち丘の上に建つドーバー城に上がる坂道に入ると、約50mで斜め右に入る路地がある。目印は路地の入口に「キャッスル クリニック」と書いてある青い扉が見えたら合っている。そのキャッスル クリニックは湘南の主さんやキンちゃんがマッサージを受けたクリニックである。この路地に入って30mほど先の左側にホワイト ホースがある。ちなみにキャッスル クリニックの道路反対側が我々の宿。我々の宿からホワイト ホースまでは100mほどと近い。ドーバーのスイミングプールの裏手になるので、わからない場合はプールの場所を尋ねると良いだろう。
先ほど始めて行ってみたが、すでに成功したリレーチームが宴会で盛り上がっていた。夜の9時にはアメリカ女性スイマーたちも集まるらしい。チャネルスイマーになれなくとも、一見の価値はある気がする。
いちおうスペースを見つけ、キンちゃんのサインを入れた。湘南の主さんのサインは私で申し訳ないが、別の場所にサインをしてきた。
写真はそのキンちゃんのサイン。
どうも明日もドーバー泳は幾つか行われるようで、「朝4時に出発だ!」と我々の隣の部屋に滞在するスペイン人ボランティア、モンセラが意気揚々と出て行った。またアメリカ女性ソロスイムの3wayも明日行われるようだ。皆、上手く泳げることを願っている。

石川さんと

石川さんと
7月29日、日曜日。
どうもキンちゃんは昨日の一件からビーチに行く時間を早めにしたがっている。夜中に降り続いていた雨は、夜明けには止んでいたし、天気予報でも「今日は晴れる」と言っている。朝食を早めに済ませ、8時30分に外へ出ると、体感温度は13℃くらいで吐く息が白い。おまけに重い雲は冷たい風を吹かせていた。30mくらい歩いたところで「やはりコートを取って来るわ!」とキンちゃんが宿に戻った。
ビーチに着くといつもの道路脇の高いところから低いところへテントを移動している最中だった。フライシートを風避けにし、やはり彼らだって寒いと感じていることがわかる。
スコットランドに住む元ボクシングチャンピオンのトムが、キンちゃんのためにスコットランドのお菓子を買って来てくれた。彼の仕事は船乗りで、日本にも行ったことがあるらしい。片言の日本語を話しながらユーモラスにその大きな身体を動かす。何でも近いうちにまた航海があるようで、日本の長崎と沖縄に寄港するようだ。とにかく親日家でキンちゃんを可愛がってくれている。
テントの設営を終え、いつものようにフリーダが椅子に腰掛けるとスイマーはフリーダの前に並んで何時間泳ぐか、何時間泳いだら良いか話し合って決める。そして3時間未満の栄養補給のないスイマーは黄色のスイムキャップ、3時間以上の栄養補給のあるスイマーは赤いスイムキャップが配られる。各スイムキャップにはナンバリングがしてあり、フリーダは番号の入った名簿の横にスイマーの名前と泳ぐ時間を記入するのだ。
キンちゃんは今日2時間泳ぐから黄色のスイムキャップで1番。トムは今日6時間泳ぐので赤で5番のスイムキャップ。こんなような区別の仕方で各々はそれぞれの時間を泳ぐ。
「ビッグ エマ」と言うあだ名の身体の大きな女性、エマが泳ぎ始めた。エマも今日は6時間泳ぐ。このエマに続いてキンちゃんも泳ぎ始めた。
キンちゃんが泳ぎ始めた頃にようやく青空が広がり、辺りは暑くなってきた。
2時間後、上がって来たキンちゃんの第一声が「調子が良い! このまま泳ぎ続けたいが、調子に乗ると今夜が恐いから今日はこの辺にしておくわ!」と笑顔で上がって来た。とりあえずまだ“ヒビキ”は残っていそうだが、ほぼ復調したようである。
キンちゃんは上がるとボランティアに転じた。
昼食のお弁当も食べて一息ついていると、オーストラリアのリレーチームの若い男女が到着した。その中に石川麻美ちゃんが入っていたのだ。彼女は女子チームの一員として参加する。他に男子チームも一チームあって、選手の他に担任の先生、カメラマン、コーチなど数名を引き連れた大所帯だ。
先ほど到着したばかりで、身体馴らしに一泳ぎしに来たらしい。キンちゃん以外の人と久しぶりに話す日本語である。
そのチャーミングな笑顔からおそらく学校でも相当の人気者だと想像出来る。
フリーダは「日本の女の子にいろいろ教えて上げなさい。」と言うし、当のフリーダも担任の先生の紹介で挨拶していた。
見た目まだ10代の若者たちだ。全員まだスマートで線が細いのと、ドーバー泳についてまだあまりわかっていないようだが、これから学習し、若さで細い線を吹き飛ばしてくれるだろう。オーストラリアの若いリレーチームたちに乾杯!

写真は世界のチャネルクィーン、アリソンと日本のチャネルクィーン、キン

百波千波

百波千波
7月28日、土曜日。今朝は5時にキンちゃんに叩き起こされた。どうも朝食後の片付けに私が時間を掛かり過ぎるのを逆算しての起床時間らしい。確かにライフボートステーションまでは歩いて15分くらい掛かる。8時30に集合だから8時10分に出ればちょうど良いだろうと思うのだが、キンちゃんは「8時ちょうどには出るよ!」と言うのだ。
それと言うのは撮影が終わってからキンちゃんはビーチでの練習に合流するつもりで、そのための弁当やお茶、キンちゃんが練習後にかぶるお湯5リッター、それに撮影シーンを撮影する私のカメラ類…、などなど合わせると、私のリュックの重さは軽く10kgは越していた。それでビーチいるであろうフリーダたちにビーチで使う荷物の番を頼む魂胆だ。「練習は9時からだよ。こんなに早く行っても誰も居ないよ。」と言う私の背中を後押しして、何と7時50分には宿を出たのである。
ところがビーチを覗くとフリーダたちはすでにビーチで設営に入っている。彼らスタッフは8時にビーチ集合らしい。ちょっと驚いた。そして事情を話して荷物の番を頼んだのである。
ライフボートステーションに着く前にオーストラリア人たちに会った。彼らはクルマでこちらまで来た。なぜなら彼らの宿泊場所は、ドーバーと隣街、フォルクストンの中間にあるトレーラーハウスに滞在しているからだ。
一足先に我々は集合場所のライフボートステーションに到着していた。ところが時間になっても誰も来ない。9時になっても誰も来ないので腹の立って来た我々はカメラマンの家に電話した。ところが留守番電話である。頭に来てトムとカメラマンの会社の担当者に「約束が守られていない!」とメールした。それから10分もしないうちに一人の女性が走って現われ、「撮影場所はこちらだ!」と言う。
ブツブツ文句を言いながら後を着いて走るとビーチで撮影されていた。どうもオーストラリア人ともう一人の女性、イギリス人とカメラマンたちは偶然にライフボートステーションに着く前に会ったらしく、撮影場所を勝手にそこのビーチに変えてしまったらしい。
どうも私は腹が立つと顔に出るらしく、「スマイル、スマイル!」とキンちゃんに言われてしまった。
まあ無事に撮影に入る。
ところで「百波千波」…、いや「千波百波」だったかな…。ご存じだろうか? これは古くから日本の漁師さんたちが使っている言葉で、「100回の波があるうちの1回はそれまでの1.5倍の大きさの波が来て、1000回に1回はそれまでの2倍の大きさの波が来る。」と言う格言だ。これは現在の統計と確率からも、100回に1回は1.6倍。1000回に1回は1.9倍と、かなり正しいらしい。
ちなみにサーファーの格言に「八小三大」と言うのがある。意味は「連続する11の波のうち、8回は小さい波が続き、3回は大きな波が続く。」と言うものだ。確かにこれも海を見ていると当てはまる。
ドーバーの波は日本の10秒前後に1回来る波の周期と違って、5〜6秒に1回と周期が短い。すなわち百波千波は日本より短い周期でやって来るのだ。
しかもドーバーにおける潮汐の潮高差は大瀬で7m、小潮でも3mにも及ぶ。つまりそれほど「潮流は速い」と言うことになり、「みるみるうちに海面の高さは変わる!」と言うことだ。
ちょうど撮影は高潮時に入っていた。打ち寄せる波はどんどん乾いた波打ち際を濡らして行く。もちろん撮影開始時には充分波から遠い場所に荷物を置いていたのだが、百波千波の千波が押し寄せて来た。波打ち際には三脚でフラッシュライトが立ててあり、撮影助手の人がレフ板を持っている。そこに千波の第一波が来た。続いて5〜6秒で第二波が。この時フラッシュライトが倒れそうになったのを一人のオーストラリア人が走りながら素早く拾う。もちろん全員が置いた荷物も波はさらって海に帰そうとしている。慌てて各自自分の荷物の回収に走る。もちろん我々の荷物も例外ではない。第三波が来た時にはキンちゃんの靴やサンダルが波間に行き来し始めた。
最も私が心配したのは電子機器の類いである。自分のカメラなどは自分で持っているから問題無し。問題はキンちゃんのケータイである。もし服のポケットにでも入れていたら非常にやばい。聞けば「何処に入れたかわからない。」と言う。偶然にもバッグの中に入っていたので難は逃れたが、オーストラリア人たちはしっかりやられたみたいでビーチの上には乾かす服と一緒にあちらこちら蓋の開いた電子機器が干されていた。
それでも10時には撮影も終わり、解散となった。キンちゃんはフリーダたちの待つビーチに戻り、1時間泳の開始である。
どうやらかなり復活したようだか、まだ息継ぎの時に痛むようである。「恐いのは明日の朝だ。」と言う。それでもゆっくりだが確実に復活に向けて歩み始めたようだ。
その後、キンちゃんも私もビーチで他のスイマーのお手伝いをする。片付けも終わった頃、ビーチから空を眺めていたクリフがポツリとはくように言った。「今日の朝は良い天気だったが、今になると風が強くなって海が荒れ出す。1日とて落ち着いた日が続くことはないよなぁ〜…。」と…。

写真は撮影中のキンちゃんとその仲間。

臨時ニュース

臨時ニュース
7月29日、日曜日。
ドーバーのビーチにオーストラリアからパースの高校に留学中の石川麻美さんが到着しました。彼女はそのオーストラリア、パースの高校チームの一員で、女子と男子のリレーチームで泳ぐようです。
ご両親にはこのブログのことは話されているようで、ちゃんとチェックされているようです。
麻美ちゃんのお父さんとお母さん、先ほどコンビニの前で会った時、「日本に電話するカードを探している。」と言っていました。まもなく本人から電話があると思います。楽しみにお待ち下さい。チームにも溶け込んでいましたし、チームのビデオカメラマンが我々のことも撮影してくれました。頑張っていましたよ!
彼女らはオーストラリアで練習していたようで、今のオーストラリアは冬です。冬のオーストラリアの海で練習してきた彼女は16℃のドーバービーチの海水を「温かい!」と喜んでいました。きっと上手く泳いで素敵な思い出を作るでしょう。
尚、湘南の主さん、彼女は鎌倉出身だそうです。
湘南の海は未来が明るいか!?

復活の兆し

復活の兆し
7月27日、金曜日。今日のドーバーも晴れてはいるものの風は強く、「ドーバー泳を試みる船は出ていない」と一目でわかるような天気だった。
今日は11時45分にバリーの奥さんが我々をカンタベリーの診療所までクルマで送迎してくれる。しかしこの「11時45分」というのが中途半端である。朝食後、洗濯するにも掃除をするにも「遅れたら…」というストレスが次の行動を起こす原動力にブレーキを掛けている。
ビーチに行く気もせずダラダラと昼食を作る下拵えをしていた。それでも11時30分には宿の前に出て日向ぼっこをしながらバリーの奥さん、イレーヌの到着を待っていた。
イレーヌは時間通りに来て我々をクルマに乗せてくれた。高速道路をぶっ飛ばし、細い田舎道に入った頃、「道、覚えている?」とイレーヌが聞いて来た。彼女も始めて診療所に行くようで、メモを見ながら私たちに聞いたのである。見覚えのある道になると、「ああ、ここ通ったよ。」と教えたのが良いのかどうか不明だが、とにかくバリーよりかなり早く診療所に到着したのである。
診療所の医師ディビッド・ホプキスは前の患者さんがちょうど終わったばかりで、我々をすぐに診療室に通してくれた。
「どうかね? 容態は…、泳いだ?」と言いながら問診が始まった。「右向いて…、はい、次は左…。ここは痛い? こちらは?」と言いながら触診をする。そして例によってタイガーバームを指につけるとマッサージが始まる。そして「はい、力を抜いて…」、“バキバキ”、“ボキボキ”、“バキボキ”とキンちゃんの肩と首から悲鳴のような音が出た。
このカイロプラクティックが効いたのか、帰りにキンちゃんは「すっごく肩と首が軽くなった!」と言って喜んでいた。
帰りにイレーヌは「家でお茶でも飲む?」と誘ってくれたが、「昼食を取りたいので…」と言って遠慮した。
宿に戻って昼食を済ませ、洗濯と買い物がてらビーチに行く。ビーチではオーストラリアのソロスイマーと会った。例のあの陽気なオーストラリア人たちだ。家族で来ているらしく、奥さんと子供たちを紹介してくれた。どうも話によるとロンドンに住む記者トムは、キンちゃんの他にこのオーストラリア人たちを取材したらしく、明日の朝の撮影も一緒だと言う。昨日のメールによる最終確認で、「ミユキの他に3名のスイマーがいる。」と書いてあったが、これで2名のスイマーはわかった。
キンちゃんは今日まで泳がず、明日は1時間、明後日は2時間と、肩と首と相談しながら徐々に泳ぎを慣らしていく予定だ。
ディビッド・ヒプキスの診療所には、「いつでも連れて行って上げるから。」と言ってくれるバリーとイレーヌがいる。この行為に節度ある甘えをしようと思っている。

写真はキンちゃんの4回の成功を、シャンパンを開けて祝ってくれたフランス人スイマー。彼は4回チャレンジしてまだ1回も成功したことはないと言う。
アリソンから送信してもらった写真。

メール

メール
7月26日、木曜日。今日は朝からいつにも増して風が強い。重い雲が辺り一面を暗くし、時折降る雨は横殴りになって、傘の機能を失わせてしまう。それでもビーチに行けば、明日の好天を願うスイマーたちが絶えず練習をしている。港の出入口から外の海峡に眼を転じれば、港の外では白波立った波頭からウサギが飛んでいた。
「ハァ〜…」と溜め息を一つ吐きながらビーチに座る。雨がいきなり横殴りに降り出したので、急いで屋根付きベンチに非難した。
キンちゃんが「メールをしてもいいよ。」と言う。本来この意味は、「私は金曜日にマッサージを受けたいので、送迎をお願いするバリーに“金曜日の都合はいかがですか?”というお伺いメール書きなさい。」なのだ。
電話では留守番電話だったのでメールにしたが、最近英語メールがやたらに増えた。トム、カメラマン、アリソン、バリーなどに英語メールを図々しく出している。もちろん電子辞書を駆使してのメールになるが、何故か話すより通じる。まあ発音が悪いのだと思う。日本で外人に「イシカワグチは何処ですか?」と聞かれたことがある。「イシカワグチ?」といろいろ聞くと、「西川口」なのだ。頭に“N”があるかないかだけでまったくわからなくなってしまう。きっと同じことのような気がしている。
ドーバーは国境の港街。日本なら横浜か、新潟か、博多か…。いやいやそのどれよりも小さいし、津軽海峡の函館や青森よりさらに小さな港街に感ずる。それでも日本の漁港のように魚を売っている店はないし、磯臭くも魚臭くもない。なのに昼間ならここドーバーとフランスのカレーとを結ぶフェリーがほぼ45分未満に1本の割合で運行されていて、国道には右ハンドルや左ハンドルの大型トラックなどが往来する。中にはイギリスの左側通行におぼつかないクルマもあるので注意を要する。このようにユーロトンネルが開通された今でも重要な交通の拠点なのだ。
フェリーの埠頭から鉄道駅まではバスで結んでいる。バスの運賃は確か1ポンドくらいだったと思うが、その1ポンドを惜しんだバックパッカーなどが歩いて行き来する。あきらかに東洋人、すなわち“旅行者”とわかる我々に、駅までの道を聞かれるのは珍しいことではない。
火曜日の気晴らしでロンドンからの帰り、ドーバーの駅から多くのバックパッカーが降り立った。キンちゃんは降りるやいなや駅前の地図に首ったけになるバックパッカーたちに「私が道を教えて上げるよ。」と言うくらい旅行者は多くいる。ところがほとんどの旅行者はドーバーが経由地で目的地ではない。それでもドーバーで一息入れる旅行者も少なくはないのだ。
そんなお客さんを招くドーバーの人達は慣れているようで、言葉(英語)が話せない旅行者の扱いも心得ていて親切だし人懐こい。まあハッキリ言って「サンデイ(日曜日)」を「サンダイ」と発音するくらい方言はきついが、しゃべれない私がとやかく言う資格もない。
いずれにせよ「しゃべれないから話さない」は通用せず、しゃべれなくとも図々しく思ったことを口にした方が良い。キンちゃんは私より遥かに人気があるし、いろいろと気を使ってもらっている。
とにかく図々しくメールを出すと、「金曜日12時30分に予約が取れた。11時45分に妻のイレーヌがあなた方を迎えに行くので、時間になったら外で待っていてください。」とバリーからメールが来た。
ホントにいろいろと親切にしてもらって幸せであり、有り難いことである。
また雑誌に掲載する写真について、最終打ち合わせメールも入ってきた。まあ英語は話せないより話せた方が良い。ま、当たり前の話だが…。

写真は明日カメラマンと打ち合わせをするライフボートステーション。バックに写っているのがライフボート。

ドーバーの日々

ドーバーの日々
7月25日、水曜日。イギリス上空に居座った低気圧は相変わらず動きそうもない。テレビニュースでも相変わらず水害の報道を流している。まあここイギリスでも東南部に当るケント州は水害がないようだが、天候はコロコロ変わり、ビーチでは天候待ちのスイマーが空を見上げては溜め息をついていた。
噂では同じヨーロッパの国で40℃を越す猛暑のため、かなりの人々が亡くなっているらしい。ドーバーでは気温が20℃も上がらない日が続いていると言うのに…。
キンちゃんは1wayの泳ぐ期間(小潮)から次の2wayを泳ぐ期間までに、一潮開けている。そして今がその泳がない中間の潮の期間なのだ。すでに多くの外国からスイマーが集結し、明日の好天を待っている。
平日のビーチは閑散としているのに、今日のビーチは午前中に15名ものスイマーを数えた。アメリカからは別のリレーチームが到着したし、イタリアのソロスイマー、インドからもソロスイマーがやって来ていた。ちなみに月曜日に未完に終わったアメリカ女性ソロスイマーたちは再チャレンジで残っている。噂では来週の月曜に泳ぐらしいが、この天候で多くのスイマーたちが順番を待っている。当然、残ったスイマーが終わってから彼女らの順番になるのだろうし、そう考えるといつ泳げるのかは不明である。
キンちゃんは少しの間、練習を休ませる予定だ。なぜならば肩の患部にシコリを感じるようになったからだ。別名「凝り」と言うのかも知れない。
昨日ロンドンに住むトムから連結があり、土曜日にドーバーでキンちゃんの撮影をすることになった。当日はプロカメラマンが来て撮影するらしい。まあそのプロカメラマンと打ち合わせをして欲しいと言うのだ。
本日、言われたように連結を取ると、他に3名のスイマーの撮影もあるようで、集合する時間(8.30amより)や場所(ライフボートステーション前)を聞いて確認を取った。この撮影時間は1時間30分くらい掛かるらしい。
まあそれまでキンちゃんの練習はしなくとも良いだろう。
一旦昼食で宿に戻り、再びビーチに出た。相変わらず風が吹きまくっている。雲が足速に通り過ぎる間に、地面は忙しく日向と日陰が繰り返している。その日向の間は暑く、日陰の間は寒く感じる不思議な感覚を味わっていた。日本のように空気に湿度が高いと出来ない現象だと思う。
そんな空の下、スイマーは明日のドーバー泳を夢見て練習をしている。皆が上手く泳げますようにと願って止まない。
ようやくビーチのスイマーも数える程に減った頃、一人の女性スイマーがビーチに上がって来た。それをクリフが両手を上げて歓迎している。どうやらドーバーをソロで泳ぐための登龍門、「16℃以下の水温での6時間泳」らしい。これで彼女もドーバーをソロで泳ぐための資格を手に入れたのだ。「おめでとう!」、「よくやったね!」と言うと、震える身体を丸めながらも笑みを浮かべ、「ありがとう!」と答えていた。
この光景を目の当たりにしたキンちゃんは、かなり感動したらしい。
こんな日々が続くドーバーの1日であった。そういえばキンちゃんはイタリア人ソロスイマーの方から声を掛けられていた。やはり4回も泳ぐと諸外国のスイマーたちからも少しは有名になっているらしい。
キンちゃんのこの感動は「KFCトライアスロンクラブ」のホームページに掲載されている。

写真はビーチでイカダを組んで遊んでいた少年たち。彼らは風に流され、後にエンジン付きゴムボートに救助されていた。もちろんゴムボートにはあらかじめ救助の依頼は済ませていたようだが…。

気晴らし






7月24日、火曜日。

今日は天気予報で「風は強いが晴れ」と言っている。「気晴らしに何処かに行きたい。」と言うキンちゃんのリクエストに答えようと、「フランス1デイツアー」を考えた。晴れた日にちょっとおフランスに行ってリッチなランチなどお洒落である。

前はキンちゃんが2wayで折り返したフランスのヴィサンビーチに行って砂を取って来た。今年もヴィサンでゴールしたから、また砂でも取って来るかな…。と思っていたのである。

いくら天気が良けりゃ見えるフランスでも、一応は時差もあるし言葉も違う外国である。往復のフェリーの中では免税店が並んでいるし、大きなフェリーの中は日本のものより遥かに豪華に出来ている。外国旅行の雰囲気満点である。まあ実際に外国旅行ではあるのだが…。

それにしては日帰り往復のチケットが驚くほど安いのだ。幾らだか忘れたが、とにかく物凄く安かった記憶だけはある。日本も少しは見習った方が良い。

ただフランスでの問題はカレーからヴィサンまで行くバスの便数が少ないことだ。確か1日に4往復くらいしか運行していない。しかも時間も守られていない…。

まあ以上の理由からフランスはやめてロンドンに切り換えた。

ロンドンは我々の場合「経由地」で、目的地はドーバーなのだ。まあロンドンでも東京でもパリでもニューヨークでも、都会は物価が高く、人々は冷たく、治安が悪いという三拍子揃った相場が決まっている。

だがキンちゃんの場合すでに5回もイギリスに来ているのに1度もロンドン見物なんかしていない。「少しは都会の匂いを嗅いで来るか…。」と、ロンドン行きが急遽決まった。

ちなみにドーバーからロンドンまでの電車1日往復切符に、ロンドンの地下鉄1ゾーン(ロンドン市内観光なら1ゾーンで間に合う)がついて、平日ならかなり安い!

もし、これからドーバーに行く予定がある方ならこういった安いチケットが結論あるので探すと良いだろう。ドーバー市内でも3ポンド(だったかな?)で1日乗り放題のバスのチケットが買える。ちょっとした買い物や観光に便利である。

ロンドン観光の話に戻そう。今回、たまたま数年前に買ったイギリスガイドブックを持って来ていた。あまり都会を好まないので私なのでロンドン観光なんてしたことがない。したがってこのガイドブックが頼みの綱だ。

まあ厚さ1cmほどでポケットサイズの本に、イギリス1国の情報をすべて入れてしまおうと言う企画に無理はあるが、そこはそこ、お上りさんは高見の見物が出来ればそれで良いのだ。

行きの電車の中で、バッキンガム宮殿の衛兵交替式、ウェストミュンスター寺院、ビッグベン、そして大英博物館と「お上りさんフルコース」の予定を組んでみた。

まずはバッキンガム宮殿の衛兵交替式。まあ世界のお上りさんが集う場所だ。人、人、人でごった返し、キンちゃんなんて150cmしかないから、周囲の人が手を上げて撮影しているカメラの「液晶画面を見ている方が良く見える!」と言う。

続いてウェストミュンスター寺院にビッグベン。これでドーバーのマリーナ入口に建つ時計台を私が「スモールベン」と言った理由がキンちゃんにもわかったであろう。

ここで昼食になるのだが、結局のところヴィクトリア駅構内にある「バーガーキング」でハンバーガー、フライドポテト、コーラのセットを頼む。この1セットの価格が4.99ポンド。二人で約10ポンドだ。ちなみに今回のドーバーでの生活で、二人の予算は1日の食費3回分が10ポンド。もちろんビール代は除いているが、1日分の食費を1回で食べてしまったことに、「とても高価なモノを喰ってしまった…。」と言う反省の念が残ってしまった。ちなみにビール1日分の予算も10ポンド。これが惜しくない心境はいかがなものか?

次は私が最も行きたかった大英博物館である。1999年に、やはりドーバー1wayリレーで訪れた帰りに寄ったものだが、2003年に大英博物館開業250周年記念事業で全面屋根付きになっていた。だから前に来た時とだいぶ装いを変えていた。

それに1999年に来た時は、何と日本で「大英博物館展」をやっていて、主な展示物は何と日本に出張中で見られなかった。また今回この大英博物館に来た折りに特集として、「日本展」で「生け花」をやっていたのは何か因縁めいたものを感じた。またもう一つ驚くことは、この素晴らしい展示物に無料で拝むことが出来ることだ。キンちゃんは「エジプトのミイラが面白かった。」と言っていた。

こうしてロンドン1日お上りさんツアーは終わったのである。

ドーバーから行きはヴィクトリアではなくチャーリングクロスに出た。帰りもチャーリングクロスからの電車に乗った。それはアッシュフォードで乗換えだが、途中、何処かの駅でキンちゃんは「アッ、ウサギだ!」と喜んでいた。やはり我々は都会より田舎が会っているのかもしれない。



それからキンちゃんの肩だが、たまたま我々は使い捨てカイロを150枚持って来ている。この使い捨てカイロはキンちゃんの遠泳で栄養補給品を温めるのに使用する。これはたまたま日本酒をお燗出来る缶入りの酒をヒントに考えたモノだ。だいたい60℃くらいまで温めることが出来て都合が良い。

50枚は1wayで使い、100枚は2wayで使う予定だった。実際の1wayは40枚しか使っていないので、10枚余っている。これをキンちゃんの肩を温める目的で使用する。すなわち、本来の目的に戻ったわけだ。

ただこの使い捨てカイロを英国航空では機内持ち込みを禁止しているかもしれない。どうも“発熱”が気に入らないらしい。まあ「ダメ元」で持ち込んで、引っ掛かったらあきらめるしかない。しかしながら、いちおう日本国政府と国連が定めた「運搬における条例」で、安全基準に達した商品である証明書は持って行った。そんな「カイロ持ち込み事件」も面白いかもしれないが、いずれチャンスのある時にすることにしよう。



写真はキンちゃんとビッグベン。

結果は






7月23日午前1時、アメリカ女性ソロスイマーたちは、1way、2way、3wayを同時にスタートさせた。しかしながら誰一人1wayのフランスまで着くことなく、全員が戻って来たと言う。やはりドーバー泳は、「運」も味方につけなければ到達出来ない海峡なのか…。

アメリカ女性ソロスイマーの話しももう少し時間が掛からないと詳しくはわからないが、まあわかる範囲のキンちゃんの肩の状態についての話に変えよう。

この日テレビの天気予報では「朝から雨が降り続く」の予報が的中し、最高気温が17℃の寒い日になった。キンちゃんは朝からベッドに潜り込んだまま、何かを考えているのか寝ているのか…。

ここのところ朝食は私が作る役になっている。昼食と夕食はキンちゃんの役だが、夕食のほとんどはビールのつまみなので、「食事」という感覚が無いままに酔い、寝てしまう。

今日のキンちゃんは朝食を取ってから「お腹がいっぱいだから昼食は要らない。」と言って再びベッドに潜り込んでいたものの、昨日の昼食のパスタを私が温め、少しだけだがちゃんと食べさせた。

午後2時15分にバリーが自分のクルマで迎えに来てくれた。これからキンちゃんはフリーダの言う「神の手を持つ名医」デイヴ・ヒプキスのところに行くのだ。フリーダの言うデイヴは、「イギリスでも5本の指に入る名医だ!」と言う。

バリーは我々を乗せるとドーバー城に上がる丘の道を超え、高速道路を直走りに走って行った。この時にアメリカ女性ソロスイマーの全滅を聞いたのだ。「ここのところ天気が良くないからな…。」とこぼすようにバリーが言うと、「パイロットたちも大変ね。舵輪と一緒にスイマーの夢も握っているんだから…。」と、つぶやくようにキンちゃんが言った。

それでもキンちゃんはクルマに乗るといつもの「おしゃべりキンちゃん」に戻り、陽気なバリーとの間で下手くそな私の通訳が楽しく続くまま、クルマは地方の狭い道にとハンドルを切って行った。

丘を渡る幾つもの細い道。どちらかと言うと私は高速道路よりこういった生活の匂いがする細い道の方が好きだ。またバリーも初めて行く場所のようで、メモを見ながら行ったり来たりを何回か繰り返した後、ようやくそのクリニックに着くことが出来た。

デイヴは陽気な大男で、我々を診療室に通すとさっそく問診に入った。そして打診。「右向いて…」、「左向いて…」、「痛いところは?」、「ここは痛い?」、「こうすると痛い?」などなど…。それから治療に入る。キンちゃんの話では治療はカイロプラクティックで、「ボキボキ」と骨を鳴らしながら歪んだ身体を治す方法と、日本の揉むマッサージに似ていると言う。我々の宿の前のクリニックでは擦るマッサージだが、「私は揉むマッサージの方が合っている。」とキンちゃんは言う。

デイヴは「“タイガーバーム”って知っているかい?」と言って小さな容器を見せてくれた。それは六角形に虎の絵のある何処かで見たことのある容器だ。友達がプレゼントでくれたことがある。

「こいつが良いんだよ〜。香港や台湾なら安く出回っているようだが、イギリスではとても高価なモノなんだ。」と言いながら、ほんの少しのタイガーバームを指に付け、実際に塗りながら私にキンちゃんの肩と首のマッサージの方法を教えてくれた。

「患部を暖めておくように。(Tシャツ1枚のキンちゃんを指差して)こんなTシャツ1枚ではダメだ。特に今日のような雨の日に濡らして冷やしてはいかん。今日は泳いではいかん。数日様子を見て、痛みが無くなったらゆっくり少しだけ泳いで、徐々に慣らして行きなさい。また何かあったら来院するように。ドーバーからここまで来るのに公共のバスで来れるが、バスだとかなり時間が掛かる。それこそ弁当持って、バスの中で食べながら来なければならないくらい時間が掛かる。だからここにいるバリーに頼みなさい。バリー、良いだろう?」

「問題ない!」とバリーは言ってくれた。

「来る前に電話をしてね。」とくれた名刺の住所は“カンタベリー”になっていた。遠いわけだ。

帰る道すがらバリーは「行ったことがあるかい?」と聞きながら、もう一つのドーバーを案内してくれた。そこは大きな公園で、大きな池には白鳥が羽を休めていた。緑が深く、静かな公園はバリーの好きな場所の一つかも知れない。

その後バリーは自分の家に我々を招いた。バリーの家も清楚な彼らしい住まいだ。そこはドーバーの丘陵の途中にあり、Xmasにそこから眺める光景は、さながら夢のような景色になり、テレビは来るし、4000人の人がここを訪れると彼は言う。バリーの家に入るとイギリス人らしい品格のある庭が広がり、そこにはみ出したバルコニーの部屋の椅子に座り、お茶をいただきながら楽しむ会話は、ちょっとお洒落なイギリスの香りを味わいだった。あっと言う間の2時間が過ぎていた。

雨の中、宿まで送ってもらうとバリーは「いつでも送るから、電話をしてね。」と言って帰って行った。

今日は英国のジェントルマン精神に触れた気がした一日だった。



写真はバリーとキンちゃん。バリーの誕生日プレゼントに日本語で「楽勝」と書いてあるタオルをプレゼントした。頭に逆さハチマキになっている。

ボランティア






7月22日、日曜日。ドーバーの天候は夜中の3時頃に雷雨。朝になったら小雨になったが肌寒く、相変わらず好天は望めそうもない。朝食を取りながらテレビニュースを見ていると、イギリス各地で洪水が発生している。これは日本のマスコミでも報道されているのだろうか。気象予報師と司会者が今年の天候と水害について話している。まあ日本でも長雨が続くと天気予報以外の番組で気象予報師が出て来て天気の解説をするが、まさにそんなシーンで馴染みはある。

キンちゃんの肩がまだ回復していないので、本日は1日中ボランティアをすることに決めた。09:00、ビーチに到着。雨天のためか、集まったスイマーの数は30名弱と少ない。それでも時間になると各々は準備が出来た順から海の中へと身を踊らせて行った。水温は推定15℃。曇天のためか、冷たく感ずる。

午前中、曇天は小雨を通り越し、一時的に強くなった。我々はポンチョを持参していたので着ていたが、ポンチョでは済まされないほどの大雨になった。そこで例の「屋根付きベンチ」に非難した。ビーチ練習の始めの栄養補給は2時間後。すなわち11時頃までは暇なのだ。

屋根付きベンチの中はさすが国境の街、ドーバー。英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語、そして日本語…。いろいろな言葉が飛び交う。

その中でフランス人はチャネルスイマーの友達でもあるらしく、クリフと親しそうに英語で話し始めた。そのうちこのフランス人はシャンパンを開けるとクリフたちに振る舞った。また我々の存在に気が付いたクリフは、「そう、ここにいるミユキはドーバーを4回も泳いでいる。今回は2wayを泳ぎに来ているが、今、ちょっと肩を壊していて、明日、治療することになっている。」と紹介した。すると途端にベンチの中はキンちゃんが花になった。フランス人はキンちゃんにシャンパングラスを渡し、振る舞ったのである。

何でもこのフランス人、4回もドーバー泳にチャレンジし、すべて“後1〜2マイル”というところで涙を飲んだそうだ。だから4回も泳いじゃったキンちゃんには余計に敬意を払ったのであろう。

今までの私の少ない経験ではあるが、失敗するスイマーの多くが出発して2〜3時間経過した頃と、フランス人のようなゴールの手前、2〜3マイルの位置である。前者は低水温で続行する気力が奪われ、後者は泳いでも泳いでも横に流されるだけの潮に気力を奪われる。2004年にキンちゃんはドーバー泳を2回チャレンジし、2回ともフランスの手前2〜3マイルで失敗している。ドーバー泳の大敵は低水温と速い潮なのだ。

昨日のインタビューでも、「いつ頃“これで成功した”と確信されましたか?」という質問に、「足がフランスの地面に着いた時。」とキンちゃんは答えていたが、まさにドーバーとはそういうところだ。

その低水温と速い潮に打ち勝つために、今日もスイマーは練習をする。そのサポートに今日はやって来たのだ。スイマーに喜ばれるサポートをしたい。ちょうどその頃、驟雨に変わって青空が広がり始めた。さあ我々もビーチに戻ろう!

サポートをしていて感ずる事だが、やはり男性より女性の方が強い。1時間くらいでガクガク震えて上がって来るスイマーは必ず男性だし、7時間も泳いで、その後も仲間と水遊びしたりTシャツ1枚で食い物にパクつくスイマーは必ず30台の女性である。もちろんすべての女性が強いと言うわけではないが、おしなべた相対は男性の方が弱い。

本日はバリーも休みで、フリーダやスイマーからもたいへん喜ばれた。やって良かった。



帰り道、ドーバーのインド料理屋で働くバングラデッシュ人に話し掛けられた。去年、我々は一度だけインド料理を食べに行った。その一度だけでバングラデッシュ人はキンちゃんのことを覚えているのだ。まあ我々も彼がインド料理屋で働くバングラデッシュ人と知っているのもおしゃべりキンちゃんのなせる業。恐るべしキンちゃん!

ちなみに今回はまだ外食をしていない。調理可能な宿なので、しっかり和食も食べている。そんな話とドーバーの街の様子について書こうと思ったが、眠くなったので今日はこの辺にする。そのうちチャンスがあったら書こう。



写真は皆が練習するビーチで、足を骨折したらしく、動けなくなったカモメ。何もこんなところで休まなくても良いのに…。人間を恐れてビッコひきひき逃げていた…。

トム






7月21日、土曜日。今日のドーバーの天候は午前中小雨、午後は晴れの予報だ。09:15よりキンちゃんの取材でインタビューがある。場所はビーチの前にあるチャーチルホテルの喫茶室。このホテルはおそらくドーバーで最も豪華なホテルであろう。1999年に日本の芸能人が「ドーバー海峡横断部」を作ってリレーで泳いだ時に利用したホテルである。前から一度は入ってみたかった夢のホテルだ。また、キンちゃんにとってはこの芸能人のドーバー泳が、今回に至るまでのスタート地点でもあったのである。

トムはロンドンに在住するフリーの記者で31歳。とある雑誌の「ドーバー泳についての取材依頼」を受け、数あるチャネルスイマー志願者からキンちゃんを選び出した。もちろん取材はキンちゃんだけではなく、チャネルチャンピオンでクィーンのアリソンなど、複数のチャネルスイマーから立体的にドーバー泳の姿を捕らえようと取材する考えだ。キンちゃんの場合は“遠い国の日本、その異文化スイマーがどのようにドーバー泳を捕らえているか”のテーマで抜擢された。ただ、10日の1wayでトムも船に乗って取材しているので、記事の大半はキンちゃんのことになるらしい。その雑誌は8月下旬に発売されるらしいが、是非とも出来上がったら拝見してみたい。

トムは我々があまり言葉が出来ないことを知っており、そこでロンドンに在住する彼の友達の日本人を通訳に、わざわざロンドンから連れて来てくれてのインタビューになった。

トムはあらかじめ10日の1wayを見てからインタビューの質問事項を作っており、過去から現在に至るまで、ドーバー以外の日本での遠泳経験、キンちゃんを取り巻く環境について、何故ドーバーなのか、普段の練習時間は、実際に泳いでいる時に何を考えているのか、スポンサーは、などなど、インタビュー内容は多岐に亙り、取材時間は軽く2時間を超えていた。

朝の天気予報では「午前中は小雨」と言っていたものの、このチャーチルホテルに到着するまでは「いつ雨粒が落ちて来てもおかしくない天気」だったが、取材を受けている最中に外はスコールのような大雨になった。今日は土曜日、ビーチでは多くのスイマーが練習しているはず。「彼らはこの大雨の中、ちょっと辛い練習になっているのだろうな…。」などと少し心配をしていた。

取材が終わったお昼頃、外は風が強いものの、青空が顔を出していた。急いでビーチに行くとテントが張ってあり、中ではフリーダが彼女自身の腕時計に指を指しながら、「あんたたち、今、何時だと思っているの?」と怒った顔をしている。「いや、今、取材があって…。」と私が言う前に、他のボランティアが「ミユキは肩を痛めているから今日は泳げないよ!」と言ってくれた。おしゃべりキンちゃんが役に立っている。

ボランティアの中にはキンちゃんが通ったクリニックのマッサージ師もおり、フリーダはそのマッサージ師にキンちゃんの容態について詳しく聞くと、怒った顔は心配の顔に早変わりした。しばらくフリーダは周囲のボランティアたちと話した後、「素晴らしい名医がいる。でも少し遠いので、バリーにクルマで連れて行ってもらおう。月曜の午後2時30分、バリーが迎えに行くから一緒に行って来なさい。」と言ってくれた。かくしてキンちゃんは“肩の治療に名医”の御墨付きの付いた医者に診てもらうことが出来るようになったのである。

まあ私事で恐縮だが、すでに30年以上水泳コーチとして多くの人と接している中で、“目立つ人”と“目立たない人”、どちらも一長一短あるものの、「損得の計算」をすると、必ず“目立つ人”に軍配が上がる。だから目立った方が良いのだ。出来れば「良い方向」で目立つのが更に良い。

キンちゃんは普段“スイマー”であり、“ボランティア”は「される方」であった。キンちゃんはかねてから「ボランティアを“する方”をやってみたい!」と言っていたので、今日はキンちゃんのその夢が叶った。栄養補給で上がって来るスイマーに、栄養補給品を渡す役だ。

ちなみに昨日はバリーの誕生日。プレゼントにたまたま持っていた「楽勝」と日本語で書いてあるカオルを上げた。また皆の寄せ書きで一言「おめでとう!」と書かせてもらった。この国では「寄せ書き」が好きなようである。



写真はボランティアで栄養補給品をスイマーに渡しているキンちゃん。

再発






7月20日の金曜日早朝、再びキンちゃんが「痛い、痛い、肩が痛い!」と騒ぎ始めた。昨日の1時間泳がいけなかったのだろうか。本日のドーバーの天候は午前中が雨。午後から回復する予報だ。キンちゃんには前と同様、弛緩鎮痛剤を飲ませ、患部にはバンテリンを塗ってテーピングで保護をした。どうやらやはり、夜間から明け方に掛けて痛みが出るようだ。午前中は様子を診て、午後になって天気が回復したら、マッサージのクリニックではなく、ちゃんとしたドクターのいる診療所に連れて行こう。したがって今日の海練習はOffにした。

去年、キンちゃんの足にジンマシンが出て、診療所に連れて行ったが、あそこは内科だけだったかな。とりあえず大家さんに整形のある診療所の場所を聞いておこう。

まあお昼近くに雨が上がると、キンちゃんは「ビーチまで散歩に行きたい。」と言い出した。両替や買い物の用事もあるし、気分転換もあるので同意して、ビーチまで散歩することにした。雨はいつまた降り出してもおかしくないほど、雲が低空飛行で足速に飛び去って行く。「こんな日に泳ぐスイマーはいないよ。」と言った私の予想通り、ビーチには誰もいなかった。また帰りの買い物途中にまた雨が降り出した。いちおう傘とポンチョを持参していたが、急ぐ理由もないので銀行と買い物の続きは後回しにして帰ることにした。

昼食を終え、天気が回復し、重い雨雲がちぎれ雲に変わった頃、キンちゃんはあまり「痛い!」とは言わなくなった。同時に私もキンちゃんを診療所に連れて行くことを忘れ、部屋の中を整理していた。キンちゃんは移り行く天気の様子や街の景色などを一人、大きな窓から眺めていた。その時「あっ!」と言ってキンちゃんは外に飛び出して行った。それは例のアメリカ女性ソロスイマー集団のリーダーらしき女性が、我々の宿の前を歩いて通り過ぎようとしていたからである。キンちゃんは挨拶しに外へ出て行ったのだ。

この積極性だ。物怖じしないその性格。キンちゃんは片言の英語で肩が痛いことや、自分の宿がここであること、また皆さんと泳ぎたいことなどを一生懸命に話した。「以心伝心」とは上手く言ったもので、それでも通じるからたいしたものだ。

最近感じることだが、ドーバーの街を歩いていて挨拶なしで過ごすことはない。それほどキンちゃんは積極的に人に話しかけ、友達を増やしていた。例えばビーチを散歩して、我々と同じ海図を持っている男性を発見するなり、「あなたはチャネルスイマーですか?」と平気で話し掛けてしまう。驚いたその男性は、「いや、私ではなく、息子がチャネルを泳ぎに来ました。」と会話が始まる。息子さんの年齢は?(40歳)、何処から来たのか?(オーストラリア)、いつ泳ぐ予定なのか?(次回の潮)、などなど、同じ海図を持っているだけでどんどん会話が広がっていく。それだけキンちゃんの周囲を見るアンテナは研ぎ澄まされているし、私などおそらく同じ海図を持った男性など気が付きもしないだろう。

部屋の整理も終わり、一段落したところで再びビーチまで散歩することにした。銀行や買い物の続きもあったからである。

ビーチでは晴れてはいたものの、強風が吹き荒れていた。それでもインド人らしき女性が2名泳いでいた。

我々はビーチを見下ろす通りのベンチに座り、海の様子を眺めていた。するとビーチ沿いで散歩を楽しむキンちゃんの友達に会うこと会うこと…。協会のボランティアには肩のテーピングをチラリと見せて、「今、肩が痛いんだ。」とか、昨日ビーチに来なかったオーストラリア人に会うと「昨日は何をしていた?」などと会話を弾ませるのだった。ちなみに昨日、子連れスイマーの彼女は12時間30分でドーバー泳を成功させたようである。このオーストラリア人たちは、それに同行して見に行ったようである。しばらく楽しい会話は続いた。

キンちゃんを診療所に連れて行くことなどすっかり忘れ、銀行や買い物の続きをやって帰ったのである。

それにしても恐るべし、キンちゃんの友達作り!



写真は雨の日に練習するスイマーが愛用するビーチ沿いにある屋根付きベンチ。

泳いでいるモノは






7月19日、木曜日。本日のドーバーは日本で言う「梅雨の中休み」。朝から穏やかに晴れ、久しぶりに真夏のドーバーの装いになった。こんな日に泳がない手はない。

キンちゃんの肩や首も順調に回復しているようで、夜間から朝に掛けては少しは痛むようだが、今は肩や首の捻転運動をさせながら気分はすでに海の上のようだ。

ビーチに到着する。辺りを見渡すがオーストラリア人たちや子連れスイマーファミリーはいない。「直に現れるだろう。」とあまり気に止めなかったが、気に止まったのは海上を泳ぐトラックだった。

このトラック、日本のダットサンクラスの大きさで、荷台の煽りには結論大きなホンダの船外機がついている。また荷台の両脇の外側にドラム缶を抱えているが、これは船外機の重量に対する浮力の向上と、海上におけるトラック全体のバランスを取るためだと思われる。どこから来たのか不明だが、どうも我々がいるビーチに上がりたいらしい。

トラックの周辺には大きなビデオカメラを構えたゴムボートが数隻周辺を囲み、陸上からも大きなレンズを付けたカメラが数台このトラックの行方を追っている。我々も側まで行ったのだが警備員らしき人に「下がって!」と注意をされてしまった。

洋上を進む姿はやはりトラックで、当然前から来る水の抵抗など考慮されたアレンジはない。それを大きな船外機で無理矢理進ませているから後ろに出て行く推進力の水飛沫は激しいものの、実際のスピードはあまりない。

タイヤが地に着くだろう浅瀬に来て、これからが陸に上がるクライマックスだと思いきや、動力輪の後輪が地面を捕らえるのに充分な重力を得られないのか、船外機で“ガァーッ”と押しているものの上手く上陸出来ないようだ。挙句の果ては車輪を回すエンジンが止まってしまった。可哀相にトラック君、波の崩れる辺りでは波が車内に打ち込んで来るので、少し沖に出たところまで下がってからボンネットを開けられ、修理と相成った。

結局のところ、揺れる海上ではエンジンの修理が完了出来ず、クライマックスは迎えることなくトラック君は船外機で海上を退散することになった。まあ見ている分には充分面白かったし、ビルジ弁がトラックの扉のカギ穴を使っているようで、時折そこから水が“ピューッ”と吹き出しているのがわかる。なるほど創意工夫は見られるが、元来陸上用に作られたトラックを、海上で走らせるアイディアに問題があるのではないかなと思った。

いやいやそういう日本的な固定概念は良くない。もっと自由な発想と、それが出来る環境が日本にも必要なのだ。そう言えばドーバーを泳ぐ目的で動画をパソコンで検索したら、乗用車を改造して海上でも乗れるようにし、ドーバー海峡を横断しているビデオを観た。お暇な貴兄は検索してみると良いだろう。確かGoogle系列の動画検索エンジンで、「channel crossing」辺りを検索していただければヒットすると思う。ドーバー海峡横断泳は人間だけが泳いでいるわけではないのだ。

しかしまあ人間の方に話を戻そう。おそらくオーストラリア人たちがいないのは、今日辺りの天候なので、たぶん今ごろ海峡の真ん中を泳いでいるのではないだろうかと想像した。確かに潮回りは良くないし、泳ぐ期間でもない。だがパイロットのホワイト夫妻は予約したスイマーが溜っていたし、今日のこの好天を使わない手はない。なぜならば週間天気予報は“今日だけ”良い天気で、後は雨など悪い予報ばかりだったからである。それに海に出ない日は毎日ビーチにやって来るホワイト夫妻を今日はまだ見ていない。トラック君が海上でボンネットを開けて修理をしている頃、ビーチには女性リレーチームが現れた。キンちゃんは彼女らと泳ぐことを決めたのである。

ところが「女性リレーチーム」と勝手に決め付けていたのは私の方で、実際はアメリカ女性のソロスイマー集団だったのだ。中にはすでに2wayは経験済みで、3wayを狙うマルセラ・マクドナルドや、1wayは経験済みで、2wayを狙う者など、ツワモノ揃いのエリート集団なのだ。キンちゃんが「私は日本のミユキです。」と挨拶すると、「ああ、あなたが2wayを泳ぐミユキなのね。宜しく!」と挨拶された。すでに有名なキンちゃんは「今日は肩が痛いのでゆっくり泳ぎますが、宜しく!」と言うと、アメリカ人特有のフレンドリーな態度でキンちゃんを迎えてくれた。それにしてもたいへんな連中と泳ぐことになった。無理しなければ良いのだが…。

岸から見ていても、彼女らは群を抜いて速かった。それでも後からゆっくり追いかけるキンちゃんを待っていてくれる。気立ての優しいアメリカ人女性集団なのだ。

キンちゃんはものの1時間ほど泳いだところで戻って来た。キンちゃんと一緒に2名の女性スイマーも戻って来てくれた。ビーチに上がってスイムキャップを取り、ブロンドの髪をなびかせながらサングラスを掛けた容姿は、さながらスクリーンからそのまま飛び出した映画スターのようだった。足は長いしスタイルは抜群!

今日はビーチでとても良い眼の保養をした。

ちなみに写真は余儀なく退散したトラック君。何処から来て何処へ行ったのか、未だに不明だが…。

経過






7月18日、水曜日。ドーバーの天候は相変わらず風が強く、晴れたり、曇ったり、雨が降ったりの忙しい天気が続く。

テレビニュースではイギリスの地方によって水災害が出ているようだ。日本でも「床下浸水」とか「床上浸水」とかマスコミを賑わしている時季だと思うが、今年はどうなのだろう。

キンちゃんは「完治まで後30%。」と言うが、どう見ても首は回らないし肩も痛そうにしている。まあ快復度50%かな。

午前中に再び両替、買い物がてらにビーチまで散歩した。ビーチでは小さなお子さんを連れたスイマーと、そのご両親らしきお二人の計4名がいた。おそらくこのご両親は孫の面倒を見るためにここまで来たのだろう。娘さんはどうしてもチャネルスイマーになりたくて、ご両親を旅行がてらドーバーに連れて来て、孫の面倒を見てもらっている。おそらくそう見てもらって100%間違いない。キンちゃんはそのカワイイお孫さんに♪ゲンコツ山のタヌキさん、オッパイ飲んで寝んねして〜♪と日本語で歌いながら踊っている。これでまたこの子にウケルのだから面白い。

日本人から見たらこのご一家の光景をどう捕らえるだろ。「羨ましい!」だけだろうか?

大なり小なり彼女は自分がチャネルスイマーになるためのあらゆる努力をして来ているのだと思う。それが実を結び現実化している。それだけのような気がするのだが、皆さんはどう感じられるだろうか。えっ、「何が言いたいのか?」ですって…?



キンちゃん曰く

「ドーバーに来るために私は様々な努力をしています。もちろん応援してくれる人もいますが、批判する人の方が数は上回っています。しかし時折私は学校に頼まれて“夢を追う素晴らしさ”などをテーマに講演させていただいています。“子供に夢を持たせ、実現させる。”ところが実際の大人の社会では夢を追うとパッシングが多くなる。まるで“夢は夢で終わらせるから夢なんだ!”と言わんばかりに…。」

夢を実現させるには、かなりのエネルギーとモチベーションを必要とする。確かに「やりたくとも出来なかった方」は存在するし、否定はしない。だが本当に「やりたくとも出来なかった方」は、そのようなでも自分に言い訳する前に「出来るチャンスを大事にしろ!」と応援してくれる。批判的な方の多くは自分に甘く、他人に厳しい。

ドーバーに来るようになって多くの欧米人と知り合うようになったが、彼らは1〜2ヶ月も平気でバケーション休暇を取る。「1〜2ヶ月も休んだところで何をしてよいのか分からない。」という族には仕事をすれば良いが、それがあたかも「貴い」と思うのは大間違いだ。単に「夢のない寂しい方々」としか私には言えない。同時に私は欧米並みの生活水準を日本の中に溶け込ませようと思っているが、多くの場合仕事しか知らない“仕事人間”に潰されてしまう。仕事が大事であることを否定しているのではない。仕事同様に「夢追い」も大事であることを提唱しているのである。



愚痴はこの辺にしてドーバービーチの話に戻ろう。

しばらくすると昨日のオーストラリア人2名がやって来て、このママと3名で泳ぎ始めた。昨日まで見ていた3人組のスイマーはこの3名だったのだ。しかし1時間も泳ぐと上がって来てしまい、程なくやって来たホワイトと話していた。

ビーチには他に女性リレーチームだと思われるメンバーが泳ぎに行ったが、ものの20〜30分で帰って来てしまった。

キンちゃんとしては明日から泳ぐ仲間を物色している模様。盛んに自分の泳ぐスピードに合うスイマーを探していた。

午後になってクリニックへ。クリニックのマッサージ師は、明日からなら1時間まで泳いで良いと言ってくれたので、練習解禁となった。まずはやれやれ。



写真はキンちゃんとビーチにある水泳のモニュメント。バックにはドーバー城も見える。

肩痛






7月16日、火曜日早朝、突然ベッドでキンちゃんが「肩が痛い、痛い!」と叫び始めた。

泳ぎによる右肩の関節痛かと思いきや、ちょうど肩凝りが発生するところの筋肉痛であった。起き上がれないほど痛がっている。触ってみると、患部に炎症が診られるわけではなし、健常側と比較してもこれと言った差異を診ることは出来なかった。

患部にバンテリンを塗ってテーピングし、弛緩鎮痛剤を一粒飲ませて様子を診ることにした。

ところがどうやら患部は一ヵ所だけではないらしい。首も痛がっているのだ。頸椎を触った感覚では何も分からないが、あきらかに首は関節痛である。おそらく寝違えたのだろうと判断した。キンちゃんは首を回すことも出来ない。

このWパンチで今日は泳ぎに行くことをあきらめた。キンちゃんはキンちゃんが知っている整体師の卵のところにメールして対処法を聞き出している。この時、時差は便利である。イギリスの午前7時は日本の午後3時、じきにその整体師の卵君から返事が来た。内容は肩の稼動域を広げるためのストレッチングであった。まあこれで右肩の稼動域が広がり、痛みが取れればいうことはない。試してみると確かに稼動域は拡大し、痛みは軽減したようだ。しかし完治には程遠い。

宿の前のクリニックでマッサージを受けさせようと電話した。しかし予約が取れたのは午後2時からであった。

ただ当の本人は「泳ぎに行けるかなぁ」と、まだ泳ぎに行くつもりでいる。まあ「痛くなったら痛くなったで、患部の状況に対応した泳ぎをしなければいけない。」と話してはあるが、それは“泳いでいる最中に痛くなったら”の話である。「今日は泳いじゃいかん!」と苦言した。

朝食を済ませ、このまま寝かせているのも気分転換にならないと、銀行の両替、買い物ついでにビーチまで散歩に連れ出した。

ノンビリ、ノンビリ、ビーチまで歩いた。ビーチではリレーチームと思われる女性5名がこれから海に入ろうとしているところだった。「しかしまあ外人ってどうしてあんなに足が長いんだろう?」と思うくらいその5名の女性の足は長かった。

他に海では3人組と単独のスイマーが泳いでいた。そのうち3人組がビーチ向かって泳いで来る。そのうちの2名がビーチに上がって来た。リレーの女性チームの連中とも話したがっていたキンちゃん(チームはチームで固まってしまう傾向があるので話難い)、ここで黙っていられる性格ではない。増してや相手は男性である。上がって来るスイマーにサンダルを渡すのをきっかけに話始めた。この積極性がキンちゃんの素晴らしいところだが、いかんせん言葉が追い付かない。そこで私が呼ばれるのだが、私がそんなに喋れるわけでもない。苦心惨憺会話する。

どうやらこの2名はオーストラリアから来たソロスイマーで、ホワイト夫妻の船で予約しており、今回の潮で、順番は1番目と2番目ということだ。「ああ、この人たちがホワイト夫妻の困っていた4人の中の2人か…!」。「天候待ちで練習している。」と言う。「どのくらい泳いだの?」と聞くと「40〜50分。今日は荒れているからね。」と答えてきた。“嵐を呼ぶ女”としてラフウォーターには慣れ親しんだキンちゃんにとっては「これで???」と怪訝な顔をした。

噂をすれば何とやら…、帰る道すがら正面からホワイト夫妻がやって来る。「こんにちは。今、ビーチであなた方の船で予約したスイマーに会ってきましたよ。」、「ありがとう。 天気がこんなだろう。だからまだ泳げないないって言いに行くところなんだ。」

地元のスイマーならまだしも、遠く外国からやって来るスイマーには、そう簡単に日程を変えられない。まあ“自然現象”なので仕方がないが、お互いが困っているのだろう。キンちゃんが泳げたのは、実にラッキーだった。もしかしたら“好天を呼ぶ女”に変わったのかも知れない。

銀行の両替、買い物を済ませ、昼食を取る。それからキンちゃんはマッサージのクリニックへ。いちおう症状は説明してどんな具合か診てもらった。ここのマッサージ師は東洋医学を勉強したようで、中国の針灸や ツボの本が並んでいる。拝見させていただくと、中国語の下に英語の解説があり、両方を読むとだいたい何が書いてあるかわかる。結論面白かった。

また診療室のボードには、このクリニックに来院したチャネルスイマーの記録が貼ってある。キンちゃんの記録もあるし、湘南の主さんの記録もある。 ドーバーで知り合った友達の名前も、顔と名前が一致しないが、知っている名前がたくさんあった。皆よくやったなぁ〜。

特に印象的だったのは、去年一緒に練習した南アフリカから来た女性である。彼女は間違いなく口から生まれている。誰もがそう思うくらいおしゃべりだ。一人でドーバーに来て、毎日友達を作っては泳いでいた。

ここのマッサージ師の話によると、夏は泳げずに帰って再びドーバーに訪れたらしい。彼女の名前はMichelle Santilhano。記録は19時間08分で11月17日に泳いだとなっている。11月にどうやって泳いだかわからないが、すでに冬に近い時季に19時間も泳いでいたのだからスゴイ!

他にロシアから来た青年と仲良くなったが、彼はそんなに恵まれた体格ではなく、2時間くらい泳ぐとビーチに上がって震えていた。湘南の主さんのチャレンジが終わって、日本から持参して余った使い捨てカイロを上げたらたいへん喜んでくれた。彼の名前はPavel Kuznetsov。記録は14時間33分で泳いでいる。あの体格でたいしたものだ。そして、彼はロシア人では初めてのチャネルスイマーになった。

ちなみに南アフリカから来た女性もロシア人青年も、何回も名前を聞いたが覚えることが出来なかった。しかしクリニックのマッサージ師に確認を取ったので彼らに間違いはない。

他に湘南の主さんが泳いだ前日に11時間弱で成功させたイゴ(Igor Nenko)がいる。彼とはその後メル友になり、今回、キンちゃんと同じ潮で泳ぐことになっていた。ビーチでも顔を見ないし、どうしたのかなと思ってメールしたら、診断書で引っ掛かってしまい、今年はその治療に専念するのでドーバーには行かれないとのことだった。

それぞれがそれぞれの行き方をしているんだなぁ〜。

キンちゃんのマッサージは短時間で終了し、「様子を見て」とのことだった。泳ぎに行くなんてとんでもない。24時間の安静を言われた。寝る時は枕を取って、フラットにして寝ること。それから明日の午後1時にもう一度見せに来て、マッサージを受けて下さい。とのことだった。

かくしてキンちゃんはそれからトイレ、食事以外はベッドの中におとなしくしていなければならなくなったのである。たまには静かで良いかな…。

ちなみにこの日の朝は起き上がることも、寝返りをすることも出来なかったのに、そのくらいは出来るようになっていた。とりあえず完治に向かっている。



写真はクリニックに貼ってあったキンちゃんの記録。「Japan」の文字が踊っている。

寝て曜日






7月16日、月曜日。

早朝より「新潟県上中越沖地震は、10時13分、新潟県柏崎市、長岡市、刈羽村、長野県飯綱町が震度6強で…」という情報が日本の知人から入って来た。

とりあえず被災地に近いキンちゃんと私の知り合いは無事であることを確認した。でも、被災された皆さんにはホントにお見舞いを申し上げます。

このニュースは遠くイギリス、ドーバーでも報道され、我々もテレビで柏崎の潰れた家屋や、安部首相が視察でヘリコプターに乗る様子などが写し出されているところを観ていた。テレビから流れ出る言語以外、それは日本にいる錯覚を起こすくらいリアルで時差を感じさせない報道だった。

まあ日本にいた時でさえ、イギリスのテロ事件がほぼリアルタイムに報道される時代なのだから不思議ではない話ではあるのだが、凄いなぁ〜…、と感じる。

それにしても、世界を巡る大きなニュースなら理解出来ないこともないが、こうして私が日本のブログにドーバーからケータイで投稿することが出来、それがやはりドーバーにいるキンちゃんのケータイでも閲覧出来る時代になったのだからもっと「凄いなぁ〜!」と思うのだ。ケータイで国際電話が簡単に出来る時代。34年前、私はジブラルタル海峡を泳ぐためスペインはマドリッドにいた。まだ学生で、どうしても家と連絡を取らなければいけないため、自宅まで電話したことがあるが、電話局に行って結構たいへんな思いをして電話したのを覚えている。時代は変わったものだ。

だが、「報道」や「通信」という「ハード」は進化が進行形なのに、「平和」という「ソフト」は何故に充実感が無いのだろう?

感覚は人によってまちまちだからだろうか?

少なくともドーバー泳を目指す人達は、「平和の礎」を前提に成り立っているし、イデオロギーなどドーバー泳には通用しないのだ。

スポーツが国境を超え、人類に感動を与えることは、あまりにも多くの方々に知られている事実である。ある意味これは「地震」など自然災害の力にも似て、ボーダーレスで伝わって行くのだ。まあ「被災」と「スポーツ」を同列にして語るのは語弊があろうが、被災に対しては、「人道」や「奉仕」といったボーダーはない行為があるはずなのだが…。



まあこれ以上深入りすると、私のオツムでは無理なので、ドーバーの話に戻そう。

ドーバーに到着してから10日を超え、そろそろ身体もイギリス時間になってくれないと困るのだが、ここにきて気が付いたのは、地球の位置の大幅な短時間移動による“時差ボケ”ではなく、生活そのものの時差が存在するということなのだ。つまりキンちゃんと私の生活時間の差。ちなみにキンちゃんは日本での生活は朝4時に仕事を開始している人なのだ。比べて私の朝は10時までに事務所に到着すれば良いのでゆっくり出来る。つまりお互いに世間様を対象にした仕事をしているのは一緒だが、世間様よりキンちゃんは「早め」で、私は「遅め」の仕事なのだ。この違い、生活のリズムの時差はおよそ6時間もある。

ドーバーに来てイギリス時間でもキンちゃんは「早め」の方を選択するし、私は「遅め」が身体に合っている。この辺は各々の楽な時間帯だから仕方ないのだろう。お互いに歩み寄る気持ちはあるのだが、身体がいうことを利かないのである。通りで私の時間はモスクワ辺りで止まってしまったわけだ。

いずれにせよ「新潟県上中越沖地震」のBBCニュース番組に「天気予報」のコーナーがあり、かなり予報を解読するのも慣れてきて、そして本日のドーバーの天気は午前中は晴れ、午後からは雨の予報だ。洗濯物も溜っているし、昨日が日曜(休み)だったから買い物もしなくてはならない。とにかく今日の海練習はOffにした。

朝食後、洗濯物をリュックに詰め込んでコインランドリーへ。標準サイズの£3の洗濯機ではなく、最も大きい£5の洗濯機に全ての洗濯物をぶち込む。それからビーチに行ってスイマーを確認する。今日は3名のグループと単独のスイマー、合計4名が泳いでいた。平日でも少しは増えてきているのか、少し嬉しい。

銀行で両替し、商店街を物色しながらコインランドリーに戻る。洗濯物を乾燥機に移し£3を投入。今度は耳栓を買いにスポーツ店へ。日本から持参したシリコンの粘土状耳栓がキンちゃんの耳に合わないのか、新しい耳栓を欲しがっていたのでバリーに売っている店を聞いておいたのだ。ところがこのスポーツ店、粘土状耳栓が無くて、他の薬屋に売っていると言う。今度は薬屋で探すがシリコンではなく、蝋(ロウ:WAX)の耳栓なのでやめた。

乾燥が終わると洗濯したCS&PF(ドーバー泳の公認団体)のパーカーに刺繍をしてもらいに服屋に行く。このパーカーは私のドーバーを泳いだ記録が刺繍されている。今回のドーバー泳の記録を刺繍してもらおうと思ったのだ。ところがこの服屋さんの刺繍職人が他の店に出張で出ていて仕上がりは2週間後だという。我々にとってはこのパーカーも貴重な普段着として愛用しているので、刺繍職人が戻る2週間後に再び持って来る。と言って帰った。それから買い物。何処で何が安く売っているか、地元の人よりキンちゃんの方が詳しいかも知れない。そんな買い物をして宿に戻ると今度は昼食。

お腹の皮が張ると弛むのは瞼である。それにしてもキンちゃんはよく寝る。「寝る子は育つ。」という諺があるが、150cmしかないキンちゃんの何処が育つというのだろう。もしかしたら2次元的にな縦方向の成長ではなく、3次元的な横方向の成長なら分からないこともない。いずれにせよ本日は寝て曜日だった。



写真は部屋の窓からキンちゃんが愛用するマッサージのクリニックの屋根。

イギリス風の煙突がミュージカル映画「チム・チム・チェリー」を連想させ、その煙突のテッペンによく泊るカモメは、ドーバーを連想させる。

泳ぎが好き!






我々の滞在している宿の住所は「キャッスル ヒル ロード11番地」、ちょうどドーバー城の建つ丘に上がる通りの入口に入ったすぐ左側にある古いアパート?である。入口の扉を開けるとすぐ右の部屋が我々の部屋(あじと)。1階で道路に面した部屋は少しうるさいが、大きな窓には光と風がふんだんに入って来る。少し古くてお世辞にも“きれい”とは言えないが、自炊が可能な安宿なので、まあ満足はしている。ちなみにキンちゃんが時折行くマッサージのクリニックは、道路をはさんで真向かいにある。

7月15日日曜、朝6時に起床。今日の朝食、お昼のお弁当、海練習の準備など、忙しく動き回っていたら、窓の外がいつもより暗い。「外が暗いね。」とキンちゃんに言いながらカーテンを開けると、案の定雨の降り出しであった。

時間と共に我々の準備は進むが、その気を無くすのに充分な暗さが、時間と共に進行し、雨粒は大きくなっていった。そのうち稲光が。雷鳴と稲妻の閃光の間隔が短くなると共に、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降ってきた。部屋の前は坂道で、そこを流れ下る雨水は、すでに滝のような激流の河川へと変身させていた。キンちゃんは雷鳴が接近した折りに、すでに「キャー!」とか叫んでベッドに潜り込んでしまっていた。

「今日の練習はあるかな…?」、誰もがそう思うであろうし、常識的な神経の持ち主なら今日の練習は中止と判断するだろう。それでも海練習に行く準備は一様に済ませ、我々は朝食を取りながら外の様子を伺っていた。

朝食が終わる頃にはピークを越したのか、雷鳴や雷雨は遠のき始めたので、「雨が止んだら、いちおう行くだけ行ってみようか…。」などと話していた。そして重い腰を上げて宿を出たのは、すでに10時は越していたのである。

「オオ、テントが張ってある。」、ビーチに着いた時に出た第一声である。すでに数名のスイマーは泳いでおり、バリーやフリーダらがいつものようにスイマーの面倒をみていた。慌ててキンちゃんは着替え、海の中にその身を沈ませていったのである。

キンちゃんが泳ぎ始めてから遅刻のスイマーが続々と集まってくる。いずれも考えは同じなのであろう。

フリーダやバリー、アリソンは「ミユキ、3時間くらいにしておきなさい。」と言っていたので、まあ3〜4時間ということにして出て行った。

キンちゃんが泳ぎに出て、栄養補給に戻る間、私はつぶさに彼らの行動を観察している。

このビーチで泳ぐ全てのスイマーが特に優れたスイマーであることはない。同時に耐寒能力が優れた者だけが泳いでいるわけでもない。泳ぎを見ても、「もう少し泳ぎを直してから来た方が良いのでは…。」と心配してしまうような方もいれば、ビーチからは一人で上がれずに、人に助けて上げてもらって、陸に上がるとそのまま震えて倒れる者まで現れる始末。「これでドーバー海峡を泳いで渡ろうというのだろうか?」と、余計な心配までもが出て来る。まあ余計なお節介はやめておこう。

もちろん6〜7時間も素晴らしい泳ぎを観せながら、震えもせずにそのままTシャツ、短パンで何ごともなかったように帰って行く豪傑もいる。ビーチには「千差万別・百人百用」のスタイルがある。

ただボランティアたちは、それら全てのスイマーが安全に成功するよう、分け隔てなくバックアップしているだけなのである。

それは「泳ぎたい!」という気持ちと、「泳がせたい!」という気持ちのなせる業なのだ。羨ましい一コマであるなと感じていた。



日本を出る前に、協会のセクレタリー、マイケル・オラムから「天気が悪いので、泳ぐ日程の変更を希望する者はパイロットに相談するように。」と異例な通達があったのは前のブログにも書いた通りだが、その時、心配になった私はイギリスの天気図とにらめっこをした。

低気圧から伸びる前線は、南側で「温暖前線」と「寒冷前線」と二つに分かれる。これは まるで漢字の「人」という字に似ている。イギリス上空は、この「人」の文字が5つも書いてあるのである。「こりゃ天気が悪いはずだ…。」、そう思っていた。

ドーバーに来てテレビで天気予報を観るが、私お得意の天気図がない。「どこそこは雨」とか「どこそこは曇り」とか、時間の経過と天気の変動の予測はあるが、出来るなら私は天気図が見たい。いずれにせよドーバーの天気はよく変わる。

キンちゃんが泳ぎ始めて2時間が経過した頃、辺りの空気はやたらと冷たくなり湿気を帯びてきた。「ン? 前線の通過かな?」と思っていると、案の定雨がポツポツ降ってきた。風が強くなり、ビーチは非難する人々が行き来する。持参したポンチョを上から羽織ると、キンちゃんのポンチョで荷物を覆った。

風はビーチに着いた時、北東の風5m/sくらいだったが、ほぼ風は北寄りに変わった。「こんな時に上がって来る奴は、気温が低くて可哀想だな…」と思っている矢先、キンちゃんは栄養補給で上がって来たのである。「さすが“嵐を呼ぶ女”だ…。」と感心しているが、さすがの“嵐を呼ぶ女”はいつものことだからか鈍いのか、まったく気にもせず栄養補給を取り、再び海に戻って行った。

天気は私の予想通り「前線の通過」だった。キンちゃんが海に戻ると、空は急速に青空が見え始め、気温はグングン上昇し始めた。温度計で計測したわけではないが、前線の通過直前の気温は15℃くらい、通過後は23℃くらいまで上がったと実感する。いずれにせよビーチの人々は、寒そうなレインコート姿から、暑そうなハダカあるいはTシャツ姿に変身した。ただ…、スイマーに栄養補給を渡す役のボランティアは、寒くてもTシャツ、短パンで平気なんだよなぁ〜。この辺が不思議。

“嵐を呼ぶ女”の幸か不幸か、キンちゃんはこのビーチ周辺の気温が上昇してから4時間が経過した。いちおう寒がってはいるが、時期に太陽はキンちゃんを暖めてくれるだろう。面倒で脱がなかった私も、とうとうガマン出来なくなって、Tシャツ1枚になった。

とにかくこの気候の変動が激しいドーバーで、水温16℃で泳ぐスイマーに「精神修行の場」とも見えるのだが、結局皆泳ぐことと泳がすことの好きな連中が結集しているのだなと、今更ながら気付いた次第である。

パソコンからなら






お願いがあります。

キンちゃんがドーバーのWebサイトに掲載されているようなのですが、持参のケータイからは観ることが出来ません。代わりに観ていただいて、感想をお伺い出来れば幸いです。

たぶん次のURLです。

www.doverlife.co.uk

検索では

dover life miyuki channel swim

で出ると思います。

それ以外は

http://jig10.mobile.ogk.yahoo.co.jp/fweb/0715wGCGIWhHlhwT/0?_jig_=http%3A%2F%2Fwww.doverlife.co.uk%2Fchannelswimming%2Fcrossings.php&_jig_keyword_=dover%20life%20miyuki%20channel%20swim

をご覧になったみて下さい。

よろしくお願い致します。

公式記録






7月14日(土)午前9時、ドーバーハーバーのビーチの天気は薄曇り。気温はようやく20℃、風は南西、5m/s程度。水温は16℃だというのに、40名以上のスイマーが集まったいる。

「はい、注目!」と、いつものようにクリフが道路側の柵のところに立って皆を集合させた。

ビーチの泳ぐガイダンスをするのかと思いきや、「ミユキ!」、「ミユキ!」と叫ぶ。キンちゃんはすでに耳栓をしていてよく聞こえないようだが、ようやく気がついて手を上げた。

クリフ「ミユキは10日の火曜日、ドーバーの1wayを13時間59分で成功させた!」

皆「オオオオー!」

クリフ「彼女はすでに4回のドーバー泳を成功させているが、次回はドーバーの2wayに挑戦する!」

皆「オオオオー!」

ガイダンスはそれだけだった。しかしキンちゃんは周囲のスイマーから、「Well done!」、「Well done!」と何回も祝福を受けていた。

今、キンちゃんは6時間泳ぎに海に出ている。ドーバー泳相談役のフリーダに「6時間泳ぐ。」と言ったら驚いていた。ドーバーキング(ドーバーを30回以上泳いだ)のケビンに、「6時間も泳ぐのか!? それなら明日にでももう一度ドーバーを泳げるよ!」と言って驚いていた。

今日はキンちゃんの懐かしい友達、ケイトも泳ぐと言う。きっと思い出深い楽しい練習になるだろう。

とりあえずキンちゃんの公式記録は13時間59分です。

写真は自分がスマートに見えるようにとキンちゃんが作戦を練ったスタート風景です。

始動






今朝のドーバーは曇ったり小雨。重い雲が視界を悪くしています。今のドーバーは日本の季節で言うと、桜が散り終わった頃と入梅が重なったような天気で、気温は20℃まで上がらず、シトシトと降る小雨が続き、寒いです。

キンちゃんは練習復活で泳ぎに行きました。しかしこの曇天。波はありませんが、気温18℃、水温16℃、小雨が降りしきる中、カヤックが3艇遊んでいる程度で他にスイマーはいません。

明日、明後日は、土日なので少しはスイマーでこのビーチも賑わうことでしょう。

しかし、8月の今頃の2wayを目指し、キンちゃんは今日から始動しました。



尚、午後になると天気が一変し、夏の太陽が顔を出し始めました。

旅人のコートを風とお日様、どちらが脱がすことが出来るかの童話のように、私たちは着重ねた服を脱ぎ始めました。

午後はキンちゃんの欲しがっていたアーミーナイフを買いに出ましたら、レンタカー屋でアルバイトをしているボランティアのバリーに会いました。

彼はすでにキンちゃんがドーバーの1wayを成功させたことを知っており、「Well done!(よくやった!)」と出て来てくれました。

写真はその時のバリーと撮った1枚です。キンちゃんはまだお日様に負けない服を着ていますが、この後すぐにお日様に負けました。

休息日






10日に泳ぎ、11日は休息日。後片付けや洗濯、キンちゃんはマッサージに行きました。幸か不幸か時差ボケがまだまだ続き、疲れてはいるものの、寝たのか、眠れなかったのか…、ウトウト状態とダラダラ状態の繰り返しが続き、まあ他にやることもないので寝たり起きたり、食べたり飲んだり…。

日本で忙しくしている方々には申し訳ない気持ちです。

ビーチに行ってもスイマーはおらず、こんな閑散としたドーバーも珍しい状態でした。



12日、朝から小雨、昼過ぎから晴れ、夕方は曇り。しかし気温は20℃まで届かず、風も強く、ビーチにスイマーはいませんでした。

キンちゃんは年齢を自覚したのか、今日になって「肩が痛い!」と痛がっています。まあこれで不死身ではなく、普通の婆さんの身体だと自覚することでしょう。

昨日のウトウト、ダラダラ状態が継続し、寝たり起きたり、時々散歩がてら買い物。

忙しい日本の皆さん、ごめんなさい!



写真は散歩でビーチの前に立つ、マシュ・ウェッブの像とキンちゃんです。

ドーバー1wayの記録






2007年7月10日午前7時10分、イギリスはドーバーとフォルクストンの中間辺りにあるアボッツクリフから、フランスを目指してキンちゃんが泳ぎ始めました。

本日はキンちゃんを含めて7名(チーム)のスイマーがフランスを目指して泳いでいます。

本日、朝のドーバーの天候は曇り。水温は16.0℃、気温17.5℃、波高1.5m、潮は東南方向へ1ノット以上のスピードで流れています。

風はほとんどなく、見る見る間にキンちゃんはこの潮に乗り、シェイクスピアビーチやドーバーの港の沖合を通過して行きました。

約3時間でクォーターポイントを通過。6時間を過ぎた頃にはハーフポイントにまで到達していましたから、順調なら13時間を切るスピードで泳いでいると言えます。

しかし海は“クセモノ”、予定通りにいかないのが遠泳です。

でもまあ残りのクォーターポイントまでは結構“順調”と言っても良いでしょう。もうフランスのグリネ岬まで5kmくらいの地点までに10時間ほどで来ていました。

普通なら残り2時間あれば余裕で到達出来る距離ですが、ここがドーバーの面白い(?)ところ。動き始めた潮流は、容赦なくキンちゃんを襲い流して行きます。

グリネ岬沖は“張り出しの潮”と呼ばれる沖に向かう潮があり、これに向かって真っ向から四つになって力比べをしたのですが、やはり潮に軍配が上がってしまいました。

キンちゃんはほぼ3ノットの潮で北東方向に流されて行き、ようやく4時間後にグリネ岬からは7kmほど離れた「ヴィサン」と言う名の町の前にあるビーチに着くことができました。

一般にドーバーを泳ぐ場合、パイロットはここヴィサンを目指します。なぜならヴィサンにはフランス側のボランティアがたくさん来てくれるからです。

一昨年(2005)、キンちゃんがドーバーの2wayチャレンジで折り返したところでもあります。この時は夜中で、それでも大勢のフランス人が応援してくれ、折り返しを見送ってくれました。

この時も同様、多くのフランス人がキンちゃんを迎えてくれました。

泳ぎ着いた先が「言葉が違う!」というのはなかなか出来ない経験です。

2005年の思い出も含めて、キンちゃんにとってヴィサンはいろいろな面で思い出深い地なのです。

ちなみに今回の伴走船「スバ」に乗船しているスタッフは、石井コーチ、パイロットのニール、サブパイロットの名前を聞くのは忘れましたが前にもお世話になったことがある男性の方、またオブザーバーも同様、今までにお世話になったことのある女性の方、アシスタントは2005年にキンちゃんが「エートルード・ガーダリ賞」を受賞したときに成田までそのクリスタルトロフィーを持って来てくれたリック、他にトム。彼は前半、船酔いで散々でしたが、後半はしっかり持ち直しているから「“記者魂”がある!」と言えるでしょう。立派です。

以上が今回のオールキャストです。

この14時間の気象・海象は、午前中が晴れたり曇ったり雨。まあほとんどお日様は出なかったように思います。

水温はビーチ寄りの16.0℃からすぐに下がっていき、お昼くらいは14.3℃まで下がりました。

気温は15〜18℃。

波高、1.5〜2.0m。

風は朝に無風だったものの、10時頃からほぼ南の風が最大で6.9m/s。

潮は11時くらいまで東南方向に1〜2ノット、その後はスラッグ(転流)。

クロールのピッチは64〜68回/min。

午後から夕方までは、天候、晴れ。

水温はずっと15℃台。

気温、13.5〜17.8℃。

波高、1.5〜2.0m。

風は南から西で4.2〜6.5m/s。

潮は南で0.5〜1.5ノット。

ピッチは62〜66回/min。

18時以降は天候、晴れ。

水温は15℃台からフランスのビーチに近付いて16.5℃。

波高は1.5〜2.0m、ヴィサン前の湾に入って1.0m。

風は南から西で2.7〜5.4m/s。

潮はヴィサン前を除き、北東へ1.0〜3.0ノット。



ピッチは62〜66回/min。

栄養補給は全て40分毎に炭水化物+果糖+お茶類またはブラックカレント(果物のジュース)。20ヶ使用。



キンちゃんがスタートする前に、目標が「完泳」ではなく、「新記録」と言った途端、パイロットは「10時間で行こう!」と言い出しました。

実際はキンちゃんのドーバーベストタイムが昨年の13時間35分ですから、いちおうは13時間くらいは狙っていたものの、海では何が起こるか分からない。だからやはり「完泳」を目指していました。

ほぼ同時スタートでシェイクスピアビーチから出発したスイマーの船が、ほぼキンちゃんと並列して進んでいました。10時間後のグリネ岬の前では向こうの船の乗組員までも確認出来るほど近寄りましたが、向こうはヴィサンに向かい、こちらは最短距離のグリネ岬に向かったのです。

もしキンちゃんがもう少し速く泳げれば10時間でドンピシャにグリネ岬に着いていたでしょう。しかしグリネ岬に向かって潮と四つの力相撲をとっている間、向こうはヴィサンに約13時間で到達していたのでした。

ですからキンちゃんが向かう先をグリネ岬ではなく、ヴィサンにしていれば新記録の13時間が出たと思います。

でもこのような「たら、れば」は良くありません。やはり海は何が起こるか分からない。その場の総合的な判断で進むものです。

でもまあキンちゃんにとっては失敗も含めて6回目のトライ。日本の練習も含めれば数知れずのトライ。もう「準備は万端」と言うか、緊張感はまったくなく、いつものように泳いでいました。

そのためか、船のスタッフにも緊張感がなく、リラックスした雰囲気で進めたのは良かったものの、「せっかく完泳出来たのに、誰も船から出てくれなかった。」と文句を言っていました。

まあゴールのヴィサンビーチまでは、石井コーチが一緒に泳いでくれたのですがね…。

最後に今、公開している記録は石井コーチが取った記録で公認ではありません。公認記録はもう少しお待ち下さい。

写真はフランスを目前にして力泳するキンちゃんです。











完泳!






キンちゃんが14時間でフランスに到着しました。

ドーバー1way






イギリスを泳ぎ始めて12時間が経過しました。

フランスまであと3kmほどです。

到着したら、また報告します。

キンちゃん






イギリス時間07:10、アボッツクリフよりドーバー海峡横断1wayをスタートさせました!

パンク






本日のドーバーの天候は午前中、曇り、お昼過ぎに雷雨、夕方は晴れ、夜は曇り+雷でした。まあ忙しい天気だこと…。

午前中、視界が良かったので、遠くフランスが見えました。距離にすると直線で約34km。

東京を巡る山手線の距離が34.5kmですから、ほぼ山手線一周を真っ直ぐに伸ばした距離がドーバー海峡です。皆さんは「長い」と感じますか?

それとも「短い」と感じますか?

オーシャンスイマーならそれほど「長い」とは感じないでしょう。

しかし水温が16℃、加えて速い潮が行くてをふさぎます。

明日、キンちゃんがここの1wayを泳ぐことが決まりましたら。

明日の朝、06:00に集合です。おそらく06:30頃、泳ぎ始めるでしょう。

潮回りは次のようです。



7月10日

01:12 1.7m

06:45 5.6m

13:41 1.9m

19:11 5.8m

11日

02:21 1.7m

06:45の高潮から潮に乗ってフランスを目指します。

上手く行けば15〜16時間で到着するでしょう。



写真は今日、練習で伴走しようと思ったカヤックです。

修理したはずですが、まだ空気漏れがありました。

接着剤で修理して乾燥しているところです。

真面目な(?)練習






本日のドーバーの天候は晴れ。気温20℃。南西の風、3.2m/s(最大)。水温16℃。絶好の日和であった。

それは今までの天気が悪かったらしいが、「嵐を呼ぶ女」、「トラブルを呼ぶ男」の名前を返上するかのようにドーバーの天候は良くなった。

朝の9時、ビーチに集合したスイマーは約40名。クリフ(ボランティア)の説明(諸注意)を聞いて09:05に練習開始。

キンちゃんは赤の33番のキャップ。ちなみに赤のキャップはロング、すなわち「栄養補給有り」の目印で、黄色のキャップはそれほどロングではない「栄養補給無し」の目印になる。

近日中にドーバー1wayを泳ぐ予定のキンちゃんは、本番前の調整なので「3時間泳ぐ。」と言っていたが、フリーダから「4時間泳ぎなさい!」と先に言われ、急遽4時間泳になった。

「予定外だ…。」とブツブツ言いながら、それでも40名のスイマーと一緒、ドーバーの海水に身を沈め、泳いで行ったのである。

始めの2時間は泳ぎ続け、栄養補給(チェック)。次からは1時間毎に栄養補給(チェック)となる。

でもキンちゃんの今までの栄養補給は40分毎。「1時間」の感覚が鈍く、50〜55分で帰って来てしまう。ところが他のスイマーたちは計ったように同じ時間に戻って来るからビックリ。だから栄養補給の時間になるとビーチのボランティアたちは戦争状態になる。

幸か不幸かキンちゃんの時間感覚のズレからキンちゃんがこの戦争状態に巻き込まれる事はないが、なぜあれだけ時間通りに帰れるのか他のスイマーにあとで聞いたら、マリーナの入口に建っている時計台(ロンドンにある「ビッグベン」に対抗して、「スモールベン」と私が命名した。)を見ているからだそうだ。

時間ズレでもキンちゃんは4時間を泳ぎ、特に最後はクリフから「残り30分!」と言われ、「わかった!」と言い換えしながら泳ぎ、そして元気に戻って来た。



ドーバーのビーチではスイマーたちが「まったく平気な人」、「ガクガク震えて倒れこむ人」、いろいろであった。

倒れこむ人をフリーダが覗きこみ、スイマーにアドバイスする。ドーバーでは水温との戦いでもあるのだ。

キンちゃんの耐寒能力は、ここでは“並”かな?

耐寒能力の高い人は信じられないくらい高い。5時間泳いだ栄養補給に、フリーダがナメていたソフトクリームをナメるスイマーもいるのだ。そもそも泳がずとも気温20℃程度でソフトクリームをナメようと思うフリーダにさえ少し驚くのに、水温16℃で5時間泳いでソフトクリームなんて、感嘆な声しか出なかった。



そんなこんなの練習を終え、午後は洗濯大会をやった。

キンちゃんのドーバー1wayの日取りはまだわからない。また私たちの時差ボケがまだイギリス時間になってない。まあ1way泳ぐにはまだ早いかな?

写真は栄養補給の風景。

初練習






本日のドーバービーチでの天候は晴れ。気温、18.3℃。風は最大で南西の風、6.8m/s。水温、16℃。スイマーは30名程度。ボランティアは10名程度である。

1年振りに会う顔、顔、顔。ビーチのボランティアたちは相変わらずチャネルスイマー志願者の面倒をよく見ている。

しかし連続4年目を迎えるキンちゃんには、「特別」なのか「慣れ」なのか、勝手に泳いで行って勝手に帰って来ても「問題無し」だった。

普通はナンバリングの付いたスイムキャップに「1時間に1回は上がってチェックを受けろ!」と言われるのに、キンちゃんの場合は何も聞かれないし、何も注意されない。これを「無視」と言うのではなく、「特別」に相応しい“挨拶”がボランティアたちと交しているからだ。まあ何も注意はされない。それより「泳ぐ心構え」など、質問の方が多いからビックリである。

キンちゃんは「3時間泳いでくる。」と言って海に入って行った。

他に6〜7時間泳ぐスイマーが10名くらいいるから驚きだ。

キンちゃんの「1wayを泳ぐ潮の期間」はすでにスタートしている。泳ぎ終わっていたならいつでも6〜7時間に付き合おう。

我々がドーバーに到着する前の天候は、毎日が雨だったそうである。ボランティアのバリーに言わせると「狂った天気」だそうだ。

ボランティアのフレッドさんが病気でカンタベリー病院に入院している事は前のブログで紹介したが、先ほどフレッドさんに渡す寄せ書きにキンちゃんも私も一言書かせていただいた。

ビーチではクルマのレースの「ピットイン」のように、次から次へと1時間を泳いだスイマーが上がってくる。

「上がる」と言っても波打ち際までで、そこで栄養補給の飲み物と食べ物を取り、ボランティアはその間にキャップのナンバーをチェックし、一言二言会話をしてスイマーの調子を確認する。まあおよそ1分でスイマーは海に帰って行く。

10分でも早く上がろうものなら、ボランティアに「まだ上がるには早い!」と追い返させられる。

こんな光景をうらやましく思いながら、キンちゃんの予約した伴走船のパイロット、ニールに電話で様子を伺った。

「天候が今まで悪かった。それにまだ天気予報でも天気が落ち着いていない。もう少し待ってくれ。」とのことである。

したがってキンちゃんの泳ぐ日程はまだ決まっていない。



話は変わるが今日土曜日はドーバーの街で「朝市」がある。野菜や果物が露店で売られているのだ。キンちゃんはこの「朝市」を待っていたように野菜を買い込んでいた。

また今日は年に一度の「ドーバーカーニバル」で、街の中を鼓笛隊や「ミス○○」などがパレードをしていた。また街の中央にある噴水広場では、噴水の周辺に乗り物の遊具が置かれ、「さながら遊園地」に変身していた。

夜は夜で花火大会があったようだ。

しかしまだ日本時間が抜け切れていない我々は、夕食後に爆睡し、花火の音で眼を覚まし、慌てて外に出た頃はすでに花火が終了した後だった。



付け加えると、ボランティアのバリーが「去年来た湘南の主は、今年は来ないのか?」と聞く。「今年は来られない。」と答えると、バリーは残念そうな顔をした。

みんな我々のことをよく見てくれている。

ドーバー到着






成田発のヒースロー行き直行便は、ヒースローから成田に来て再びヒースローに折り返すブリティッシュエアウェイズのボーイング747(ジャンボジェット)だ。

テロの影響なのかはわからないが、すでに成田へ来る便が1時間以上遅れているから、ヒースローへ行く便が定刻通りに出られる訳がない。

その分、湘南の主さんとはゆっくりお話が出来たが、その先は全て遅れるということを意味していたのである。

10:30出発予定のヒースロー便が成田を飛び出したのは、もう12:00を過ぎていた。それから12時間の空の旅。ズゥ〜っと昼間の中を飛び続け、同日のイギリス時間16:00頃ヒースローに到着。荷物が出て来て外に出られたのは17:00を過ぎていた。

ヒースローからは地下鉄ピカデリーラインでグリーンパークへ。そこでヴィクトリアラインに乗り換えヴィクトリア駅へ。19:04発のドーバー行きの電車に揺られ、ドーバーへ。

ドーバーでは小雨の降り頻る寒い中、タクシーを待ち、ようやく宿に着いたのは21:30だった。

宿は日本で言うウィクリーマンション。台所に調理器具や食器が揃っている。それでも長旅の疲れから二人は外に食べに行くことに決めた。

だが小雨と寒い風が吹きすさぶ中、あまり遠くに行きたくはない。確か22:00までやっているゴールデンパレスの中華料理のテイクアウトにしようと決めたのだが、22:00を過ぎたためゴールデンパレスは閉店したばかりであった。仕方なくコンビニのオールディズに行き、ビールと水を買い、宿で日本から持参した素麺を茹でて食べた。

二人のエネルギーはここで事切れ、片付けも無しでベッドに潜り込んだのである。



イギリス時間の08:00に起床。これは日本の16:00に当る。何だか目覚めがスッキリしない。時差ボケか?

とにかく着替え、今日は泳がずに買い物など、準備に徹底する事にした。なぜならば、明日から潮回りで泳ぐ予定期間が始まる。いつスタートしても良いように、その準備は万端に整えておくのだ。

朝シャンして銀行に行き、T/Cを現金にする。

09:00からはビーチで練習しているはずなので行ってみた。若者が3名いたが、スイマーらしき人は1名。しかし海上に泳いでいるスイマーの姿は見る事が出来なかった。ドーバーに来る前に「7月6日にドーバーに着くから宜しく!」とアリソンにメールしていたら、「天気が悪いので、そのつもりで来るように」と、異例な通知が来てからだが、確かにそんな天気だった。

天気は晴れ、風が強く、ちぎれ雲が足速に飛び去って行く。あくまでも「感覚で」だが、気温は20℃程度であろう。ちょっと海に触った感覚では、水温16℃程度であろう。

ちなみに風は南から西、陸でこれだけ強いなら、海上では10m/sec以上とかなり強いはずだ。

ビーチでスイマーと一言二言会話をすると、我々は海図を買いにビーチを出た。

海図購入から始まり、水、栄養補給の炭水化物Maximや果糖のGlucoseを買い、しかも驚くなかれ、キンちゃんはボールペンとメモ用紙を持参しての買い物なのだ。いや正確に表現しよう。メモ用紙には欲しい物品リストがあり、その価格が店によって弱冠の違いをチェックしているのである。

いちおうにチェックが終わると安い店に再び訪れ、初めて買い物をする。それの見定めはスーパーマーケットから商店街の安売りはもちろんのこと、専門店から一般の小売店にまで及ぶ。したがってキンちゃんの買い物は時間が掛かる。

しかしこれで街の小売店情報を把握していたのであった。

いずれにせよ買い物が終わって宿に戻った時の私には、リュックと両手の荷物の総重量は30kg近くまで達していたのである。

それから初めて朝食兼昼食作りが始まる。いつだかキンちゃんがドーバーを泳いでいる時、クルーが作ってくれた炒飯が美味しかったのを思い出し、それをキンちゃんにも食べさせたいと冷凍の「ベジタブル&ライス」を買って作ってみたが、期待ほどの味ではなかった。

何故か食事が終わると再び仮眠。まだイギリス時間には慣れていないようだ。

「笊が欲しい」とキンちゃんが言う。笊を英語で「ざる【笊】[英]a (bamboo) sieve」だと言う。まあケータイでこんな事まで調べられるから便利だが、そんな事知らなくてもキンちゃんは笊探しに夢中だ。

帰ると夕食作り。肉屋の手羽が10本で£1。これを買って愛知県風にキンちゃんが調理する。手羽10本で£1は安いなぁ〜!

そんなこんなのドーバー生活初日であった。



日本の夏を過ごされている方には申し訳ないが、ドーバーは湿度が低く、気温は最高で20℃くらいかな?

半袖の「夏スタイル」の人がいると思いきや、ジャンパーを着た「冬スタイル」の人もいる。こんな混在が“変ではない”と言うのが「西岸海洋性気候」のヨーロッパでの特徴なのであろう。

写真はキンちゃんのスタイル。夏向きか冬向きかは観た方に決めていたたきたい。ちなみにバックの丘の上に建っているのがドーバー城である。

行って来ます!






成田空港ではロンドンから来た飛行機が遅れているため、折り返しの出発便も遅れています。でも、とりあえず「旅立ちの日」を迎えました。

成田空港には湘南の主さんも見送りに来ていただき、湘南の主さんパワーをもらいました。

またN先生からも「夢が叶うお守り」をいただいています。

では元気に張り切って行って来ます!

フレッド・ハモンド

 今シーズン、ドーバービーチの主「フレッド・ハモンド(Fred Hammond)さん」が肺と心臓の問題でカンタベリー病院に入院しました。
 彼は80歳を越しても元気で、去年までは毎日(冬でも)ドーバービーチで泳いでおりました。ドーバー泳を目指す人たちにボランティアを始め、情報通なことと、的確なアドバイスで助かったスイマーもたくさんいるはずです。
 またけっこう親日家で、日本のスイマーのこともよくご存知でした。今までにドーバーを泳ぎに行かれた方ならおそらくご存知だと思います。彼に快気を祈って下さい。
 フレッドには4人の娘と8人の孫がいると聞いています。
 フレッドは子供の頃、水球の選手でした。
 戦争中は海軍で、あるとき彼の家に爆撃が落ち、その被害が原因で家族は散りました。
 その後は何年も市場の青果商をしていました。
 それから去年までは新たな彼女を作って、楽しげに毎日ドーバーのビーチで泳いでいました。
 とても世話好きな彼は、本当の英国紳士です。

060802_183748_2写真は、1999年に岡山のリレーチームが泳いだときにいた女性選手が、結婚し、出産し、「その報告をもらった。」と、大事そうにカバンから出して見せてくれたところ。(2006)

「夢×挑戦ブログ挑戦報告(6月)」

1. ロンドンテロ

 まず「6月の報告」をする前に、今月出発するイギリス行きに当たって、昨今マスコミを賑わしている「ロンドンテロ」について「心配メール」や「心配電話」をたくさん頂戴している。
 まあ一昨年はテロがあった日にロンドンへ到着した。地下鉄もバスも動いていない。そんな最中を潜り抜けて、何とかロンドン経由でドーバーまで行った。その時見たロンドン市内の光景は、やはり尋常ではなかった。
 我々は目的地がドーバーなので、ロンドンは経由地だったからまだ良かったが、目的地をロンドンとしていた人たちは、さぞかし大変な思いをしたであろう。それほどロンドン市内は雑然としていたのでP7210081_3_2 ある。
 ドーバーの名所、丘の上に立つ“ドーバー城”は1番高いところにいつも旗を翻しているが、それからしばらくは「半旗」の状態になっていた。大勢の人々が犠牲になり、イギリスの新聞はしばらくこの「爆弾テロ事件」がトップ記事になっていた。
 このドーバー城に翻す旗は、今でもドーバー海峡横断泳をサポートする水先案内船のパイロットが海峡の風を占う参考にしているし、我々も天気を予測する“観天望気”として毎日眺めている。
 去年、ちょうど成田に到着した日にヒースローでやはり「爆弾テロ未遂事件」があった。つまり我々がヒースローを出発した翌日にこの事件が起きたのである。だがこの帰国する日でも、ヒースローでは防弾チョッキに自動小銃を持った大男の警察官(?)がうろうろしていて緊張感が溢れていた。
 以来液体もチューブに入ったネリ状の物も制限が加わった。持物に関しては機内に持ち込む荷物も預ける荷物も厳しい検査が行われるようになった。事実、今回も厳しい荷物検査の規制の上で渡航しなければならない。早く地球全体が、人類が平和な生活が送れるよう希望してやまない。
 ちなみに持って生まれた星の元なのか、私が飛行機に乗るとこういったトラブルが多い。オーバーブッキングなんて数え切れないほどあるし、飛行機が故障して飛ばないときや、飛んでいる最中に毀れてしまったことすらある。
 お蔭様で予定外の国で観光が出来たこともあるし、24時間監視に付かれたこともある。まあ普通はなかなか経験できないことなので、「よし」ということにしているが、これは「そう考える方が気楽」という結論に達したからである。それは、その結論に達するまでの試練がある。出来るならストレスのないスムースな旅を楽しみたい。本音は誰でもそうであろう。
 こう書くと「それは飛行機に乗る回数が多いから」と言われがちだが、決してそのようなことはない。確率から言っても多いから私の知人は心配するのである。まあきっと今まで無事であるから、これからも無事であろうと思う。
 自分の意図とは無関係にこのような経験が豊富になったので、まあ何とか無事に帰って来る。とにかく、私と同行する人には、こういった“星の元に生まれた”ことを非常に気にするが、“嵐を呼ぶ女”キンちゃんとの同行なので気にすることはない。

2. 異常気象?

 昨今、イタリアでは“ラニーニョ現象”か、40℃を越す猛暑で死者が続出しているとのことである。そういった被害に会われた方には申し訳ないが、ドーバーの海水温が高いのなら、泳ぐ我々にはラッキーである。
 しかしドーバー泳を公認する団体から「ここのところ天気が良くないので、泳ぐ日程の変更を希望する者は、水先案内船の船頭に相談するように」と、異例な通知メールが舞い込んできた。
 やはり“嵐を呼ぶ女(キンちゃん)”の仕業か?
 隣国のヨーロッパ諸国、あるいは地元イギリスならまだ知れず、遠く日本から行くとなると“飛行機のチケット”、“宿の予約”などからそう簡単に日程の変更は出来ない。まあ日程には少し余裕を持っているのでそれを頼みにするしかない。
P61200412 いずれにせよシリーズ「キンちゃんが行く」をお読みいただいた方にはお気付きだと思うが、とにかく嵐を呼ぶキンちゃんである。俗に「雨女」などの言葉は時折聞くが、“雨”程度なら我々は泳ぐ。濡れるのは一緒なのだから・・・。
 ところが“雨”程度では収まらない。秘密を明かすと淡島~大瀬崎間がホームゲレンデになる数年前は、初島~熱海間が“マイゲレンデ”だったのだ。ところが初島が嵐に弱いこと。=せっかく手間隙掛けて泳ぎに行ったのに、泳げずに帰ることが多い。=時間もお金も無駄になることが多い。=少しの嵐でも練習が出来るところへの変更希望。の理由で場所を変更したのである。
 ちなみに駿河湾で停泊している大型船舶は、台風が接近すると淡島付近に避難してくる。そんな避難した大型船舶の近くを泳いでいると、当直の船乗りたちが泳いでいるキンちゃんをみにデッキまで出て来る。中には操舵室から双眼鏡で覗いている者すらいるのである。
 お蔭様で風波のため短縮した遠泳練習はあったものの、中止に至るまでの荒れた海にはならなかった。これは我々の英知の結晶だと思っている。
 こんな“トラブルを呼ぶ男”と“嵐を呼ぶ女”の「名(迷?)コンビ」で近々ドーバーに出発する。もしかしたらその報告は、「飛行機のトラブルでドーバーに行くのもヨレヨレ状態、海は嵐でドンブラコ状態、我々はヨロヨロ状態での帰国」となるかもしれない。笑えない予想である。

3. 6月の報告

P61900462_1 今年のドーバー、津軽に向っては、最終練習になった。

  3-1.淡島~大瀬崎2way

  • 日付:2007年6月12日(火)
  • 方法:2wayソロ
  • 記録:1st leg: 淡島07:46 ⇒ 大瀬10:45 2時間59分
       2nd leg: 大瀬10:45 ⇒ 淡島13:54 3時間09分
        2-way合計: 6時間08分(ベストタイム)
  • 天候:曇りのち晴れ
  • 水温:19.5~21.8℃
  • 気温:21.4~26.4℃
  • 波高:0.5~1.0m
  • 風向:主に午前中は南、午後は西
  • 風速:1.2~5.4m/sec
  • 潮:流向(流速):主に午前中は東(0.4kn)、午後は南(0.3kn)
  • 泳法:クロール(左右呼吸=3ストローク1ブレッシング)
  • ピッチ:62~74回/min
  • 栄養補給:40分毎 炭水化物+果糖+茶類

  3-2.アイランドスイム(江ノ島~城ヶ島間:約22.5km)2way

  • 日付:2007年06月19日(火)
  • 場所:神奈川県三浦半島西岸(相模湾)
  • 泳者:キンちゃん
  • 方法:2-way solo swim
  • 記録:17時間46分
         1st leg: 04:14片瀬西浜⇒14:04城ヶ島着 9時間50分
           2nd leg: 14:04城ヶ島⇒22:00残り7.5km地点でリタイヤ 7時間56分
  • 天候:曇りのち晴れ
  • 気温:22.3~24.6℃
  • 水温:20.0~22.0℃
  • 波高:0.5~2.5m
  • 風速:0.7~6.8m/sec
  • 風向:午前中主に北、午後は南西
  • 流向:午前中主に西向0.5kn、午後は北東向0.3~0.6kn
  • ピッチ:58~68回/min
  • 補給品:炭水化物、果糖、お茶類

4. 今後の予定

  1. 7月:ドーバー1way
  2. 8月:ドーバー2way
  3. 9月:津軽縦横断1way

以上である。

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「キンちゃんが行く」Vol.8

1. アイランドスイム(江ノ島~城ヶ島間:約22.5km)2way

  • 日付:2007年06月19日(火)
  • 場所:神奈川県三浦半島西岸(相模湾)
  • 泳者:キンちゃん
  • 方法:2-way solo swim
  • 記録:17時間46分
           1st leg: 04:14片瀬西浜⇒14:04城ヶ島着 9時間50分
           2nd leg: 14:04城ヶ島⇒22:00残り7.5km地点でリタイヤ 7時間56分
  • 天候:曇りのち晴れ
  • 気温:22.3~24.6℃
  • 水温:20.0~22.0℃
  • 波高:0.5~2.5m
  • 風速:0.7~6.8m/sec
  • 風向:午前中主に北、午後は南西
  • 流向:午前中主に西向0.5kn、午後は北東向0.3~0.6kn
  • ピッチ:58~68回/min
  • 補給品:炭水化物、果糖、お茶類

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2. ホテルと寂しい湘南の主さん

 前回(5月24日)の“アイランドスイム”で「何かが欠けている」と感じた。その気持ちを修復しようと今回のチャレンジを考えたが、先週(6月12日)の“淡島~大瀬崎2way”で痛めた肩の完全回復には未だ至っていなかったので、無理せず、疲労を蓄積させるようなことがないように泳いでみようと考えた。何故ならば本番のドーバーが眼の前に控えている。(7月5日成田発)
 今回のメンバーは船頭の畑中さん、石井コーチ、私の3人組。
 アイランドスイム前日の18日、我愛知県岡崎市(三河安城)から新幹線で小田原へ。そこからはJRの普通電車に乗り換え藤沢へ。藤沢からは小田急に乗り換え片瀬江ノ島へ。と石井コーチからのメールによる指示ではそう書いてあった。藤沢までは順調に行ったのだが、何故か江ノ電に乗り換え江ノ島に行った。以前に湘南の主さんと待ち合わせた「片瀬江ノ島駅に着く。」と思っていたのに「何だ、違うじゃないか!」と思った。
 まあ前回ここに来たときに、石井コーチと買い物で江ノ電の江ノ島駅付近を歩いたので記憶があり、問題なくホテルに行き着くことが出来てはいるが、何か腑に落ちない。それは我が家からの移動はけっこう時間が掛かるのに、それも重い荷物を持っての移動だから石井コーチはなるべくシンプルな移動方法を考えてくれていたと思ったのに、“藤沢で江ノ電までの距離が長い。”、“江ノ電の江ノ島駅からホテルまでの距離が長い。”が腑に落ちない理由だった。
 だってデカイ(100cm×90cm×30cm)スーツケースを持っての移動だ。スーツケースだけで7kgもあるのに、増してや中身が詰まっている。まあ小田原駅や藤沢駅ではエレベーターがあるから助かったものの、「どうしてもっとホテルに近い小田急の片瀬江ノ島駅を教えてくれなかったのだろう。」とブツブツ思っていた。
 後でキンが間違えていることに気が付くのだが、まあ無事に着けたから“○”ということにしておこう。(“アハハハハハ” と笑ってごまかす!)
 今書いたように、ホテルから小田急の片瀬江ノ島駅は近い。もちろん江ノ電の江ノ島駅も遠くはない。ちなみに乗ったことはないが、モノレールの湘南江ノ島駅もさほど遠くない。海にも近いし、コンビニ、薬屋さん、飲食店、お土産屋さん、他にもいろいろなお店がそろっている。観光地としては1番良い立地条件をそろえているんじゃないかな。
 部屋は今回904。前回の909より広く、和洋室になっている。小さな台所もあり、自炊も出来る。トイレ、浴室、洗面所、まるでコンドミニアムのようだ。大きなスーツケースを広げるには、広い部屋のほうが便利が良い。
P62000682 湘南の主さんから電話が入る。
湘南の主「何だか今日は朝から風が吹いてきたね。」
キン「湘南の主さん、呼んだでしょう。明日は呼ばないでくださいよ。」
湘南の主「オレじゃないよ。オレは明日、仕事なんだから。明後日、仕事が終わってから夕飯でも食べに行こうよ!」
キン「いいよ。宜しくね。」
 前回は来てくださったのに、今回は仕事で来られない湘南の主さん。ちょっと今回は寂しいかもしれない。

3. いつも寝不足、石井コーチ

 ホテルに着いてやることは栄養補給品作り。せっせっせっと作りたいが、部屋にある電気ポットが小さいのでけっこう時間が掛かってしまう。ようやく17時頃に終わり、スーパーへ買出しに。石井コーチが食べる今夜の食事と、明日の船で食べる食料を買い込む。買い物途中で雨がパラパラパラ・・・。早く買い物して帰ろう!!
 でもさあ、岡崎を出るときは雨。こちらに来て風が吹いていたものの、晴れていたのに今は雨。本当に私は天候に恵まれないなぁ~。天気予報では明日(19日)が晴れ、明後日(20日)は傘マークが。早くこの風が治まって、明日泳ぎたいなぁ~。と考えながら明日の準備を終わらせ、つまみをつまみながらビールを飲んでいた。
 畑中さんの話だと「明日は大丈夫。朝の天気を見て風が強かったら明後日にしましょう。」とのことだった。もしかしたら「嵐を呼ぶ女」かもしれない私は、明日の天気を信じて早めに寝ることにした。日頃から朝の早い仕事(午前4時には仕事開始)なので、午後8時にはすでに爆睡している。
 ちなみに石井コーチはいつものように月曜の仕事を終えてからやって来る。ホテル到着が午後9時頃。知らないときにやって来て、知らないうちにビールと食事を飲食し、知らない間に寝ている。明日は午前3時起床。船の上で寝ていたら、また私が水を掛けて起こしてあげるからね。
 そうそう、加えれば私が夜中にトイレで眼が覚めたとき、石井コーチは栄養補給品にカイロを貼り付ける作業の準備途中で寝てしまったようだ。「そんな格好で寝ると身体に良くないよ。布団に入って寝な。」と布団に入れてやった。

4. アイランドスイム2way

  4-1.距離と時間
P61900022 19日早朝3時半、港に集合。3時に起きて、眠たい眼をこすりながら水着を着る。コーチには「無駄!」と言われている日焼け止めを塗って、その上に服を着る。コーチがクルマを取りに行っている間に補給品にカイロを貼る。準備完了で港に行くと、畑中さんは「まだか、まだか」とばかりに待っていた。
 10分の遅刻で遠泳機材を船に積み込み準備する。この遠泳準備はお手の物。畑中さんも慣れた手つきで「遠泳中」の旗や「A旗」を取り付ける。しかもいつも漁で聞いているのであろうデッキに取り付けてあるラジオのスイッチも入れてくれ、「オールナイトニッポン」を聴きながら作業は進められた。
 “アッ”という間に準備完了。船が離岸して港を出ると、スタート地点である隣の片瀬西浜のビーチ、新江ノ島水族館の沖合に行く。そこまでの距離はたいしたことがないので、水温計のセット、補給品を結ぶロープのセットなどでコーチがバタバタする。いつもの遠泳前の風景である。急いで私も服を脱ぎ、スイムキャップ、ゴーグル、耳栓を身につけ、最後にラノリン塗り。「コーチ、お願い、早く、早くー!」と背中などにラノリンを塗ってもらった。
P61900032 東の空がうっすらと明るくなる中、畑中さんお手製のはしごで海に入る。水温は約20℃、寒くない。というより心地良い水温の中で、スタート地点(新江ノ島水族館前のビーチ)まで泳いで行って上陸する。するとそこでは若者らしき人たちが花火を上げていた。「寝てないのかな?」、元気であった。
 「プォ~~~~~・・・!」のフォーンの合図で入水する。やはり遠浅、100m近くまで歩いて進み、お腹より深くなったところでゆっくりと泳ぎ出した。
「ここを泳ぐのは今回で2回目。どんな展開がするのだろう?」とワクワクする。
「今日は真面目に泳ごう。あまりしゃべっちゃいかん!」と叱咤した。
P61900052 江ノ島周辺を過ぎて“アッ”という間の40分。最初の補給品はまだ温まっていなかった。しかし海水温も低くないし、まだ泳ぎ始めたばかりなのでへーチャラであった。
 次の補給、つまりスタートして80分のときに約4km地点を通過。辺りを見渡すと遥かに江ノ島を通り過ぎている。なかなか良いペースかな?
 補給の回数で私は時間経過を把握している。40分に1回ごとの補給は、例えば1回目の補給は「1の1」と命名し、2回目の補給は「1の2」とする。「1の3」まで数えると、それは2時間経過したことになり、これを「1セット」と呼ぶ。次は2セット目なので「2の1」、「2の2」、「2の3」と数える。つまり2時間で1セットなのだ。
 ウ~ン、スタートして1セット(「1の3」)を過ぎた辺り、つまり2時間を経過した頃からか、とっても魚臭く、魚釣りの船が見え出した。1隻の船に3名くらい乗っており、竿が6本くらい出ている。しかも船は1隻のみではなく、何十隻という軍団でその海域を埋め尽くしていた。しかもどう見てもレジャーの釣船ではなく、漁師、つまりプロの釣師の船である。この軍団の合間を縫って泳ぎ進む。どうやら目的はサバ漁で、この周辺がポイントらしい。

  4-2.Kさんの供養
 泳いで2時間というと“6km地点”と計算して、江ノ島付近からならこの船で20分くらいで来られるかな? 岸からさほど遠くないし、ここでの漁ならそれほど燃料代もかからないだろう・・・。などと考えていた。
 こんなことを考えるようになったのは、ヨット乗りの友人“Kさん”を海で亡くしてからであった。(「キンちゃんが行く」Vol.5参照)
 いつも私は「ロイヤルスポーツクラブ2」で練習しているが、ここで知り合った友人“Uさん”はこのブログ「キンちゃんが行く」Vol.5を読んで、「Kさんが落水した付近へ供養にいこまい。」と誘ってくれた。
070617_145535_2 Uさんは釣好きで素潜りのベテラン。クルーザーも持っている。そこでここに来る前の17日(日)に、Uさんのクルーザーで出掛けたのである。Kさんが遭難した場所は遠州灘だが、あいにく誰が呼んだか風が強く、Uさんも私も「遠州灘に出るのは危険」と判断したため、クルーザーの母港である州崎港から20ノットで50分くらい走った位置、伊良湖岬の先端より少し先まで私とKさんと私の共通の友人を連れて行ってくれた。本当はもっとKさんの落水現場に近付いて欲しかったが、残念ながらその願いは叶えられなかった。
 ただ伊良湖岬の先まで行った理由は、潮が流れてKさんの落水現場である遠州灘まで花束を運んでくれるからだ。だから私たちはそこで花束を投げ、Kさんの大好物だったビールを流して供養した。花束の周りを3周し、「成仏してください。」と願い、帰ってきた。このような行為は亡くなった私の海好きな父の供養以来だった。
 このような行動は船がなければなかなか出来ない。Uさんには17日の供養クルーズに連れて行っていただき、感謝この上ない気持ちである。本当にありがとうございました。お蔭様でちょっと寂しいけれど、気持ちの上では一つの区切りがつきました。花束を投げた瞬間を、私は一生忘れないだろう。
 話は脱線してしまったが、遠泳を始めるようになってから、洋上から見た陸地までの距離感で、「泳いだら何分」という感覚が身についた。しかしこの時以来「クルーザーなら何分」、「漁船なら何分」、「ヨットなら何分」と、泳ぎ以外でも時間感覚を頭の中で測るようになっていた。17日の供養クルーズも今回も、何となく頭の中で測量している。それが何の役に立つかは未知数だが、決してマイナスになることはないと信じている。

  4-3.遠泳は楽しみながら
P61900072 遠泳は相変わらずサバ釣漁船軍団の中を進んでいる。操業中の漁師さんたちは「何事か?」と、“遠泳中”の旗のひらめく船を眺めてくる。いつもなら愛想良く手を振って、愛嬌を振り撒きながら通過して行きたいところだが、「今回は真面目に泳ごう!」と決めていたので止めといた。
 しかしどーもおしゃべりな私は1回目の補給だけは何もしゃべらなかったが、2回目以降になると我慢が出来ない。2セット目に入る頃にはちょっとだけ「ぬるいなぁ~」とか、「魚臭い!」程度だった。だが、だんだんエスカレートしていって、3セット目くらいになると、「憧れのハワイ航路」(歌:岡晴夫 作詞:石本美由紀 作曲:江口夜詩/昭和23年)の替え歌で、♪晴れた空~ そよぐ風~♪の部分を♪ハゲ頭~ 白い髪~♪と歌いながら石井コーチの頭を指差してやった。イヒヒヒヒヒヒヒヒ・・・。すると「バカ、さっさと泳げ!」と怒鳴られた。
 やっぱり楽しみながら泳がなければ面白くない。でもさあ、ドーバーでこんなおしゃべりしていたら「今、ミユキは何をしゃべった?」と、オブザーバーからチェックが入るから気をつけないとね。
 前回ここの海を泳いでいるので、頭の中は“10時間30分”がインプットされている。何時間泳いだかは栄養補給の回数でわかっている。ここは直線距離で約23km。朝は凪だが、昼頃から風が出てくるのがいつものパターン。江ノ島付近を通過している頃は追い潮、追い波、追い風でまさに“順風満帆”、順調に進んだ。しかし昼頃になると潮、波、風が変わり、城ヶ島が見え始めた頃は進みが悪くなってしまった。
P6190027_2 前回の経験上、前回のコースよりやや沖合を通っていたのだが、早めに丘寄りの城ヶ島を目掛けて下りて行った。ホント泳ぎながら位置確認をしていたが、7~8時間泳いだ辺りから「残り2時間で着くだろう。」と思いきや、なかなか前に進まないのがよくわかる。始めに黄色の浮標が見え、次に油壺に行く城ヶ島の観光船の通過が見え、「ああ、もうすぐかな。」と思ってから長いこと、長いこと。
 確かこの前は緑の灯浮標を過ぎると城ヶ島だった。でもこの前より遥かかなたに黄色の浮標が見えた。それもそのはず前回のコースより沖合から下りてきているのだ。緑の灯浮標がこれまた遠くに見える。「何~だ、写真が撮れんじゃん!」
 「ギャー、何? この魚の大群! 小さな魚の群れはヒコイワシかな?」、5分くらいはこの大群による眼の保養が出来た。船に向って「魚がいる! 魚がいる! まだまだいっぱいおるよ!」と、まるで子供がはしゃぐように叫んでいた。コーチも船から覗くが見えなかったらしい。しかし畑中さんはコクリ、コクリとうなずいていた。
 もうすぐ城ヶ島。ああ、赤灯台。釣客も見える。ここの釣客とも顔馴染みになってお話したいな。でもまだこのコースを泳ぐのは2回目。もう少し何回か泳がなければ無理だろう。

  4-4.城ヶ島の思い出
 遠泳デビューの頃、この城ヶ島を3周とか4周とかしたな。その時お世話になったペン宿「ひこや」の女将さんは元気かな。気さくで優しい女将さん、その節はお世話になりました。どうもありがとう。
 あの頃は栄養補給もまだ手探り状態で、お粥とかぜんざいとか甘酒とか・・・、いろいろ試したな。そして今になったのだ。とにかく試さないとわからない私。病人食のお粥なら良いかと思いきや、梅、鮭など塩味はタブーだとわかった。何故ならば口の中は海水ですでに塩味になっているからだ。
 いろいろなことを思い出す。この城ヶ島は私にとって思い出深い場所なのだ。
 ドーバーを意識した練習が始まった。ドーバーを泳ぐには16℃以下の水温による6時間泳の証明が必要なのだ。そこで3月にここ城ヶ島でその証明書を作ろうと泳いだ。1周6kmを2時間で泳ぎ、3周する。まあここまではわかるが水温はこの時13℃だった。大腿部に痛みが走り、手足もしびれて、2周、4時間泳いだところで上がってしまった。自分で「泳ぐ!」と決めて、初めての“挫折”であった。
P6190021_2 落ち込んだ気持ちを素直にアリソン(ドーバーを今までに43回泳いで横断した世界記録の持ち主)にメールした。「それは冷た過ぎる。もう少し水温が高ければ泳げるよ。」ともらった返事にホッとした。
 ドーバー1way、3回目のチャレンジだった。夜間泳が入ってしまい、この時の水温が12℃まで下がってしまった。とっても寒く、40分毎の栄養補給を20分毎にしてもらってその遠泳は続いた。「寒い! 寒い!」と叫ぶが、船からの合図は「Go! Go!」であった。
 石井コーチが言う。「そう、あの時の13℃の練習は、この時に生きていた。」と。

  4-5.折り返し
 城ヶ島(三崎港)の東側の岸壁に5m程の幅の間が開いている。船外機で駆動するような小船なら通過できるが、船内機で駆動する船はちょっと無理。だがそこを通過すれば、最短で港の船揚場に到着することが出来る。
コーチ「今日はあそこの狭い通路を通って船揚場に上陸しなさい。通路は小船も通過することがあるし、岸壁で見通しが悪いのでこの船は少し沖合で待機する。今も言ったように通路は小船も通過することがあるので、注意して通るように。わかったか?」
キン「あ~、あ~、あそこね。わかった!」
P6190029_2 泳いでいる途中、海底の砂、石、岩、海草の上をいくつか通過した。砂の上で「立てるかな?」と試したが、身長150cmの私、立つことは出来なかった。通路を通過して船揚場の前まで来たが、干潮のせいか、貝の付いた船揚場のコンクリートが足を切りそうで怖い。少しウロウロして安全な岩を発見し、その上に立って手を上げた。
 フォーンの返事が来たので今度は江ノ島目掛けて泳ぎだした。するとすぐに補給の時間となった。「5の3」、10時間が経過したのである。そこで私は頭の中の測量計をリセットした。「今からスタート」と考えるために。
 実際は9時間50分で泳いだが、前回同様ビーチまで泳いで行ったら10時間20分は掛かっていたかもしれない。
 三崎港から出るとまた1.5~2.0mの波が押し寄せてくる。でも再びヒコイワシの大群と遭遇する。
キン「また魚がおったよ! スゴイよ! まだまだいっぱいおる!」
そう叫ぶと畑中さんの顔が笑っていた。
コーチ「そんなにおるのか!?」
と水面を覗いていた。
 しばらくして油断をしたつもりはないのだが、左手を伸ばし、ちょうど息を吸っている最中にクラゲの先制パンチを喰らった。畑中さんの足のような長い触手が左腕に巻きつき、離れていったのだ。「ああ、やられたー!」と周りを見渡し、「お返しパ~ンチ!」を喰らわそうかと思ったが、すでにクラゲの姿は見えなかった。すっごく痛かった。ヒリヒリしてこの痛みが治まることはない。
 「クラゲに刺された~!」と叫んだが、この荒波の中、聞こえているのか、いないのか、コーチはうなずくだけだった。
 もっと優しくしてよ~。「大丈夫か~」とか「よしよし」とかさあ。こっちは痛くて、痛くて、おまけにこの荒波の中で泳いでいるのになぁ~。まあこの荒波も“慣れっこ”になってしまってはいるけれど・・・。

  4-6.チェック
 そうそう、今日は何を数えたか、見ていたか、というと、畑中さんが何を食べていたか。
 たぶん初めはコンビニおにぎり。次は中に何が挟んであるのか、長~いロールパン。その次は奥さんが握ってくれたようなおにぎり。後から合っているか聞こうとチェックしていた。
 今日は畑中さん、けっこうコーチと話をしている姿を見かける。どうやら帰りのコースの意見の不一致らしい。
 状況を、時計を使って説明しよう。真北を時計の「12時の方向」と仮定する。江ノ島は城ヶ島から見て「11時の方向」にある。今、潮、風、波は、「8時の方向から2時の方向へ」と流れている。つまり目的方向に向って、直角左から潮、風、波がやって来ているのである。
 畑中さんの考えでは「11時の方向に進むには、10時くらいの方向に船を向けなければならない。」とのことである。
 これに対して石井コーチの考えでは「10時の方向では潮、風、波に逆らった形になる。むしろ12時の方向に船を向け、潮、風、波に乗った形の方が良いのではないか。確かにこの方法だと船は1時の方向(東)に流されるが、東には“三浦半島”があるので、そこに当った潮はおそらく北に、反時計回りに流れる。それに乗った方が良いのではないか。」
 これに対して畑中さんは「北に上がるにはその方が速いかもしれないが、江ノ島付近にこの潮、波、風があった場合、泳いでは西に向うことが出来ない。」とのことだった。
P61900362 実際、この問題の地点。つまり相模湾の北側(江ノ島の東側)付近の潮は、湘南の主さんの度重なる「江ノ島~逗子間(約10km)」の往復泳でも、ほぼ西に流れていることが判明している。
 しかし畑中さんは漁師であり、万事全てがそのように流れていないことも熟知している。
 結局のところ「畑中説」のコース取りで泳いではいるが、まあこれは両人の説のコースを実際に泳いでみないとわからない。これからの課題として経験して行こう。
 どうも私の泳ぎは左に曲がる癖があるらしく、船が右につくとどんどん船から離れてしまい、また船に向って泳ぎだすのが度重なる。当初キンは「風で船が右に流されている。」と思っていたが、どうもそうではないようだ。船は10時の方向に走って、真っ直ぐ江ノ島に向って進んでいる。しかしキンが知らぬ間に左に曲がり、気が付くと修正のために船に向って泳ぐ。つまり蛇行しているのだ。この蛇行はまったく無駄になる。前から言われていたが、やっと納得した。
 そう、「リラックス整体院」の院長にも、
「美幸さん、右のふくらはぎの方が太いよ。ぜんぜん違う。これは右の方が強いから、泳いだら左に曲がってしまうんじゃないの?」
との言葉を思い出した。
 そう、ここは泳ぎ終わった後にお世話になっている整体院だが、先生は
「美幸さんの身体を揉むときは、普通の人の2倍も力がいるよ。割増料金もらわなきゃ!」
とよく冗談を言われる。
 それほど泳いだ後は凝っているらしい。
P6190047_2 今、城ヶ島を出て4時間が経過した。残り6時間、私は先週の淡島~大瀬崎(約10km)2wayを思い出す。6時間08分のベストタイムで泳いだのだ。そして泳ぎながら40分経ったらそう、1時間20分であそこでああだった。と思い出し、今、アイランドスイムを泳いでいる。淡島~大瀬崎を泳いでいる気持ちが重なり合いながら、「そうすれば私には泳げる!」という自身につながっていくのである。
 このときはブログ「キンちゃんが行く」Vol.7の下書きが途中まで書け、泳ぎながらその先のストーリーを考えていた。それが気晴らしにもなる。やはり今までの練習はいろいろな面で役立っている。本番のドーバー泳では何を考えるのか、楽しみになってきた。
 それはそうとドーバーではオブザーバーが「蛇行泳ぎ」と判断すると、「意識障害」⇒「危険」となってその泳ぎは中止させられる恐れがある。泳者のことを絶えずチェックしているからだ。気をつけなければ・・・。

  4-7.ケミカルライト
 暗くなる前に、補給品と一緒にクリヤーゴーグルを渡された。片瀬江ノ島をスタートしたときもクリヤーゴーグルだが、好天なので途中で色の濃いゴーグルに替えていた。それを再び戻すのである。
 次の補給時間になると、補給品と一緒にケミカルライトが2本飛んできた。普通、1本はゴーグルのゴムに挟んで頭部へ。もう1本は水着の肩紐につけて背中にまわす。つまり背中と頭を光らすのである。まあ見ている分なら“ホタル”のようできれいだが、泳ぐ分にはちょいと邪魔になる代物だ。
 さてケミカルライトを装着する段になると、ケミカルライトの端にあるはずのフックが見当たらない。水着の肩紐にはこのフックで掛けて背中にまわす。「おかしいなぁ~」と思っていると船がどんどん風に押されて離れて行く。「ああ、船が・・・」と思って2本のケミカルライトを持ちながら泳いで船に近付いた。
コーチ「頭に2本ともつけなさい。」
キン「何だ~、早く言ってよ~!」
P6190059_2 頭には鬼の角のようにはならないよう、ウサギの耳のように可愛く2本つけて泳ぎだした。どーもケミカルライトのメーカーによってフックの形状が違うようだ。水着の肩紐には引っかからない代物は、その袋を開けて中身を見ない限り石井コーチにもわからなかったようだ。
 それからは補給品につないだロープにもケミカルライトがつけられ、暗くとも補給品が何処に落ちたかわかるようになっていた。船にも明かりが灯り、夜間泳らしくなってきた。
 その頃の船が江ノ島に向うスピードが1~2km/h。畑中さんは「長期戦になるなぁ~。」と操船に真剣であった。

  4-8.贅沢(ワガママ)睡魔ー(スイマー)
 20時を過ぎてからか、眠気が私を襲ってきた。あくびは出るわ、眼は瞑れてきちゃうわ、睡魔がスイマーを襲っているのだ。
キン「コーチ! 飴ちょ~だい!!」
 飴をなめながら泳ぐ訓練は出来ている。これは歯茎の奥とホッペの内側に飴を入れてなめるのだ。慣れないと水中に落とすか、下手をすると喉に飴を引っ掛けるので注意をしたほうが良い。いずれにせよ眠気覚ましに飴が欲しい。
 コーチはこの飴をどうやって私に渡すか考えた。泳者は泳中、船にも人にも触ってはいけないのだ。小さな飴しかなかったので飴を袋からは出さず、レジ袋に入れ、それが投げた途中で開かないように絞りに絞る。絞った飴入りレジ袋をロープにくくりつけ、重り代わりに補給品もつけ、私に向って投げてくれたのだ。ところが船から私へは逆風の中で、コーチの意に反して(予想通り?)レジ袋は“バッ”とパラシュート状態になり、あえなく船の側の海上に落水。それを取りに行った私に
コーチ「早くー! 飴が袋から落ちる前に出せー!」
キン「わかった!」
 風と波と共に逃げるレジ袋を追いかけ、やっとこ膨らんだレジ袋を捕まえ、中に手を入れて飴を探す。
キン「何処にあるのかな? 小さな飴は・・・」
キン「あった、あった、こんなところにあったよー!」
 この間にも船は流され離れて行く。
コーチ「飴のゴミはレジ袋の中に入れろー!」
キン「ええええ、飴が入ったこの小さな切れ端を、またわざわざレジ袋に入れるのぉ~、なんちゅ~人?????」
 シブシブレジ袋の口を捜しゴミを入れ、再びレジ袋の口を縛った。
 何でこんな荒波の中でやらないかんのか、ああ、これも今後の課題だな。
① 風波の中で、飴を泳者に渡す方法
② 泳者が素早く、簡単になめられる状態にする方法
③ しかもゴミを出さない。
 ウ~ン、飴玉をデカクして網の袋に入れれば解決か・・・。ちょっとやってみるかな・・・。
 4粒あった飴の2粒を口に入れ、残りの2粒は水着の中にしまっておいた。でも一向に眠気が覚めない。
キン「コーチ、コーヒーが飲みたい!」
 何ともまあうるさい泳者である。飴の次はコーヒーか!? また荒波の中で湯を沸かし、コーヒー味を作らなければならない。周囲が囲まれた操舵室の安全な場所でバーナーに火を点け、やかんでお湯を沸かす。それでも揺れるのでバーナーの上からやかんが落ちないように持ちながら湯を沸かす形になる。
 それなのに
キン「コーチ、ま~だ~? 早くー!!」
と催促する。本当に意地悪なんだ!!!
 でもねぇ~、すっごく眠たくて、眠たくて仕方がないんだもん。
 と、やっとコーヒー味を渡された。
P6190062_2 飲んだら今度は胃が痛くなって、気持ち悪くなってきた。徐々に足も痛みが走るようになり、
キン「コーチ、もう上がるねぇ~。」
と言ったら
コーチ「早く泳げ!」
と怒鳴る。
 しょうがないなぁ~と泳ぎ続けるが、見てはいけない遥かかなたの江ノ島を見てしまった。頭の中は計算している。おかしい、帰りも10時間くらいで帰れるはずが、まだ残り4時間以上は掛かる。大腿部痛、眠気、そして最も大きな理由として、本番のドーバーが眼前に控えている。
 またここを泳ごう。
キン「コーチ、上がる!」
ともう一度言い、私は終止符を打った。石井コーチも本番のドーバーが近いので、この大きなトドを船に上げたらしい。
 城ヶ島を出て7時間56分。時間にして22時ちょうどだった。直線距離にしてスタートした新江ノ島水族館前のビーチまで残り7.5kmの地点。15kmくらいは泳いだのかな?
 船に上がるとデッキではラジオが聞こえていた。石井コーチに言わせると、出発したときの「オールナイトニッポン」から始まって、朝の番組、昼の番組、午後の番組、プロ野球中継(ロッテVS巨人交流戦)も終わってそろそろ深夜番組に移行しようとする時間帯だった。

5. わかったこと

 別に私は後悔なんかしていない。一生懸命泳いだし、今までにない17時間46分という時間を泳いだからだ。
P61900532 徐々に私はこのアイランドスイムがわかってきた。そう、石井コーチも畑中さんもいろいろなことに気がついたと思う。コース選択は、やはり何回か泳いで経験して少しずつ出来上がってくるものだと思う。1度くらい泳いだだけで「これで良い。」ということはない。何回も、何回も泳いで段々と上手になっていく。そう、海はいつもいろんな顔をしている。だから“泳ぎがい”がある。何がいつ起きるなんて、神様しかわからない。
畑中「海の神様は女である。キンちゃんも女の神様を味方につけないといけないね。」
キン「そう、キンは男の人にはもてるけど、女の友達はなかなか少ない。海の神様はきっと私にやきもちを焼いて、いつも風や波や潮を遣って私をいじめているのではないかなぁ~。だって入梅のころのここの海は、いつも静かな凪らしい。でも私が泳ぐときだけ風は強いし荒波なんだ。ちくしょ~、キンは負けないからね!」
 アイランドスイムが終わって1週間後の6月26日、湘南の主さんからメールが入った。
タイトル「梅雨時の海は」
本文「今晩は、やっと梅雨らしい空模様になりましたね。午後、海練でしたが風、波なし、まるでプールのようでした。水族館前から西に向けパドルを着けて1時間泳ぐ辻堂公園前迄、約3.5kmと今までの最長距離だ。潮留まりも有った、帰りは1時間10分も掛かった。やはり潮は西に流れているようです。キンちゃんも今日の海の条件なら江ノ島~城ヶ島2way完泳間違いなしだったなぁ~と感じました。今まではから梅雨だったので、気候が安定しなかったのかも知れませんね。   湘南の主」
 やはり海の神様は“女”なのであろう。
 今回は2回目のアイランドスイム。今、思えばなかなか楽しかった。城ヶ島~江ノ島間、約10時間(1way)。ドーバーを目指しているあなた、お勧めですよ~!!
 もっと早く気付いていれば、ドーバーに行く前にもう何回か泳いでいたかったなぁ~・・・。
 畑中さん、石井コーチ、そして心配して何回となくメールを下さった湘南の主さん、今回も完泳こそ出来ませんでしたが自分なりには一生懸命泳ぎました。
 また私はここ、「アイランドスイム2way」を泳ぎに来ます。そう、その時は女の神様を味方につけて待っていて下さい。
 そして長~い、長~い遠泳に協力して下さり、ありがとうございました。心より御礼申し上げます。
 このとっても良い経験をドーバーで生かし、活躍してきます。良い報告が堂々と出来ますように。

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