「キンちゃんが行く」Vol.5.
1.記録
- 日付:2007年5月15日
- 場所:淡島~大瀬崎(約10km)
- 泳者:キンちゃん
- 方法:2way solo swim
- 記録:1st leg 淡島08:52 ⇒ 大瀬崎12:41 3時間49分
2nd leg 大瀬崎12:41 ⇒ 淡島15:41 3時間00分
2way 合計:6時間49分
海洋状況
- 天候:晴れ時々曇り
- 水温:18~19℃
- 気温:20~24℃
- 波高:0.5~1.0m
- 風:風速=1.0~6.3m 風向=北西&南西(主に西)
- 潮:流速=0.3~0.5ノット 流向=西&東(10:00頃までは西 その後東)
- ピッチ:64~72回/分
- 補給品:炭水化物+果糖+お茶類(60℃、300mlを40分毎)
2.悲しい知らせ
毎年ゴールデンウイークは「こどもの日」絡みで私の職場、和菓子製造販売業「(有)フジタヤ」は忙しい。そんな多忙な4月28日の12時46分頃、1本の電話が私に入ってきた。相手は海好き仲間で親しいKさんの娘さんからであった。
Kさんは地元の大手自動車メーカーに勤めるサラリーマン。今年のゴールデンウイークは何でも11連休だそうで、「伊豆大島までヨットでクルージングに出掛ける。」と準備をしていた。まあこれはいつもの光景で、帰ってくればいつものようにその土産話の報告で宴会をする。これが私たちの常で、クルージングに出掛けるKさんのことは何も心配していなかった。ヨットではベテランだし、海を良く知っているし、いつものように「行ってらっしゃい!」と声を掛けただけである。
娘さんからの電話は震えた声で「お父さんのヨットが豊橋沖で釣人に見つけられたが、無人ヨットだったので海上保安部に通報したらしい。保安部がヨットを見つけ、お父さんのものだと分かって連絡してくれて、それでお父さんはまだ見つかっていないって・・・」とのことだった。
信じられない出来事で私も胸がドキドキし、「まさかKさんが!」と耳を疑った。それからいろいろな電話番号を聞かれたり、知り合いの名前を聞かれたりした。娘さんもどうしたら良いのかわからない、何でも良いから手掛かりが欲しい、そんな慌てた様子が手を取るように感じていた。
たまたまKさんの親友で私たちの仲間であるO君がゴールデンウイークを利用してサイパンにダイビングに行っている。そのO君にもサイパンへ電話して何か手掛かりになるようなことを聞いた。
その日は、胸がドキドキして心配でたまらなかった。ただこのゴールデンウイーク、仕事から抜けられない私である。出来ることはただただ無事を祈るだけだった。
翌日の新聞には次のように書かれていた。
無人ヨット漂流 刈谷の男性不明 豊橋の沖合
28日午前10時20分頃、愛知県豊橋市小松原町沖の太平洋上で人影の見えないヨットが漂流していると、海岸で釣りをしていた人から豊橋署に通報があった。同署からの連絡で鳥羽海上保安部(三重県)の巡視船などが捜索したところ、同町沖約1㌔でヨットを発見したが無人だった。
調べによると、ヨットは愛知県刈谷市、会社員Kさん(53)が所有する「K丸」(6.55㌧)。家族の話では、Kさんは27日朝、一人で同県碧南市のヨットハーバーを出発し、伊豆大島に向ったと言う。鳥羽海保は、Kさんが何らかの原因で海に転落したとみて捜索している。
この頃の水温は16℃。上目に見積もっても18℃だろう。それは泳ぐ私が一番良く知っている。新聞の巡視船以外にも、ダイバー、ヨットクラブの仲間、会社の同僚、身内の方、近所の人、友達など、大勢の方がKさんを捜し続けた。きっと生きている。生きて「いやぁ~、ちょっと騒がせちゃったかな?」と笑いながら会いに来る。みんなそう信じて疑っていなかった。みんな生きていて欲しいと心から願っていた。
しかし30日で捜索は打ち切られた。でもちょうどその30日の夕方、急に咳が出て止まらなくなった。そんな時、母親から電話があったが「今、咳が出て苦しい!」と答えておいた。苦しくて、苦しくて、その時Kさんのことを考えた。「今、苦しんでいるの?」、「海水たくさん飲んじゃったの?」、「捜索の人たちをKさんは見つけたのに、その人たちはKさんを見つけてくれなかったの?」、「他に何か私に伝えたいの?」、「別れを言いに来たなら私は断るからね!」
普通の人だったら海で泳いで息を吸った時、海水を飲んだらすごく苦しいし、また次の波が来て海水飲んでしまったら大変だよな。今の時期、泳いでいる私でさえ寒いのに、増してや浮く状態を保つのは大変だろう。
他にこの日、他に仕事上のことで嫌なことがあった。そしてこの嫌なことは、それが原因で生まれる次の嫌な結果を予感した。案の定その予感は的中し、私はとっても悲しかった。嫌なことばかりが起きる日である。
Kさんは「死ぬ時は海で死にたい。」と言っていたが、それが実際の現実になるとどうなんだろう。一人ぼっちで先に行ってしまって寂しくなかったのかな? 残された私達はKさんとの思い出しか残ってない。それにまだ何処か生きているかもしれない、流されて一人ぼっちで海の中にいるかもしれない。
そんな矢先の19時28分、私の携帯に送信エラーメールが入ってきた。それは27日19時27分にKさん宛に送信したメールだった。普通今までの経験上、送信エラーメールは出したらすぐに返ってきたが、3日後に返ってきたのだ。すぐに娘さんに状況を説明した。
すると娘さんの話では、27日の夕方、ヨット仲間がKさんに「今、何処だ?」の返信で、「今、何処其処にいる。」とメールをしているらしい。ということは、その間に落ちてしまったのか? 今、サイパンにダイビングをしに行っているO君に、「キンさんにお土産忘れるな!」と話していたKさんを考えていると、涙が自然にボロボロと流れだし、声も出せずに泣いた。
昨年の10月、「結婚30周年記念」だと、照れた顔して奥さんに花束を渡していた。そんな“愛妻家”のKさんのことだから、ご家族の方々はなおさら悲しみのどん底にいることだろう。Kさんは未だ見つかっていないのだ。
5月3日、鳥羽の港よりK丸が碧南のマリーナまで運ばれ、4日、ヨットの整頓、掃除をしにご家族の方が行かれた。ライフジャケットは船内に置いたままだった。携帯は見つからなかったらしい。帆はちぎれてボロボロになっていたと言う。いったい洋上で何があったのか。誤って落水したのなら、自分から去り行くK丸を見て、Kさんは何を思ったのだろう。これから起こるであろう絶望的な時間に、どんな思いで対処しようとしたのだろう。どんな状態になろうとも、その時の「生き残る術を知らなかった!」なんて言わせないからね。あなたはそれだけ経験豊富で優秀な海のヨットマンなのだから。
Kさんは私のことを「キンさん、キンさん」と呼んでくれていた。一緒にサイパンのスイムレースに参加したり、ダイビングもしたりした。忘年会、新年会、バーベキュー、その他諸々の私が企画するイベントにはいつも参加してくれた。とっても私とは仲が良く、ドーバーを泳いだ私を誇りに思ってくれており、チャレンジする時は壮行会を開いてくれた一人であり、私が成功することを心から願ってくれた一人である。
だから私も「しょげてはいけない」と、時間が開くと10分だけでも泳ぎに行った。もしかしたら今、頑張って助けを求めているかもしれない。寒くて震えているかもしれない。そう考えると私も「一緒に頑張らなければ!」という気持ちになり、一生懸命練習した。毎日娘さんに電話して、「どうですか?」と聞いていた。お手伝いも何も出来ないが、心配で、心配で仕方がなかった。「必ず見つかる。生きている!」と信じて。
また一緒にギヤーツク、ギヤーツク騒ぎたいな。メンバーが一人欠けるのは非常に寂しい。4月10日の海練習をブログ“「キンちゃんが行く」Vol.2.”にも「海はいろいろな場面を見ている。」と書いたが、Kさんの場合は言葉にしづらい。良い言い方もあるし、悪くて憎む言い方もある。虚しさだけが残っている。そう、むやみに「海で死にたい。」と言ってはいけないな、と感じた。
今は応援してくれたKさんのためにも練習して、2ウエイを成功することのみを考えている。そんなKさんを想うとき、きっとKさんが私のために歌ってくれる歌がある。それは「千の風になって」である。
3.キンは行く1.
Kさんのことが吹っ切れたわけではないが、Kさんのことを思えば想うほど私は泳がなければならない。それに私にはまだ素晴らしい仲間がいる。その菊地さん、コーチ、お母さんの気持ちが一つになって、今回も最高記録を作ろうと淡島~大瀬崎2ウエイが企画された。私としては21日ぶりの海練習だが、最近は毎日プールに行って練習しているので全力を尽くすだけであった。
5月15日は天気も良く、半袖、長ズボン、サンダル履いての移動。これからは暑くなるだろう。
淡島に向う船上から見る生け簀は、いつもカモメがいるが、今回は真っ黒なカラスが死んだ魚を餌にしようととまっている。聞く所によると時期的なことや、風向き、天気などで生け簀や港付近に飛んでくる鳥が違うという。漁師さんならではの見分け方である。
淡島には朝から釣客が大勢集まり、ちょうど引き潮のせいか、海藻(ヒジキ)を取っている方もチラホラ。干潮ならではの初めてみる光景だった。
岩がボコボコに出てビーチまで行けないので、船から降り、なるべく綺麗な岩に立って8時52分にスタートをした。水温18℃、気温22℃、西北西の風。それは、それはとても暖かい日だった。
今までが16℃の水温だったから、私としては“寒い”というストレスがなく、「茹で豚になるかしら?」と思ったくらいだった。ドーバーを泳ぐ時も水温がある程度まで高ければ結構楽なのだが、そうもいかないのが“良さ”なのだろう。
行きは向かい波に逆潮、私の頭の中は「4時間」がインプットされた。最近、向かい波が多く、私的には慣れたもの。息を吸いながら横目で海を見る。やはり「海は偉大だなー!」と感心する。またもや反対を見ると、コーチがメガホン持って「フレー、フレー、キンちゃ~ん!」と応援してくれている。
補給の時に私はリクエストをする。「加山雄三の歌、歌って!」と。すると調子にのってコーチは大声で歌い出す。「海よー、俺の海よー!」と。耳栓しているので聞き取りにくいが、口元を見ながら一緒に歌う。多分菊地さんも操船に集中しながらも、心の中で口ずさんでいるに違いない。歌いながら泳いでいると結構早く40分が過ぎてしまうのだ。
「今日は歌でも一緒に歌いながら楽しく泳ごうじゃん。」と、私の1ウエイが続く。向かい波、向かい風、逆潮は納まる事なく大瀬崎まで導く。
2時間目、3回目の補給で前を見る。「コーチ、行きは4時間だね。」、「ああ。」まあ長めに感じて泳いで短ければ嬉しい限りである。富士山は見えない。
反対側は山である。今はみかんの花が咲く頃で、私の鼻にはとっても良い花の香りが漂う。船を見れば菊地さんの後ろ姿。私に気を使ってタバコでも吸っているのかな? あー、コーチがオシッコしている。たまたま船の後尾を泳いでおり、一本の釣竿みたいなモノから釣り糸が垂れているような感じで見てしまった。「悪いけど私が船頭を泳いでいるときに“シーシー”してくれんかな? 恥ずかしいじゃん!」と思いつつ、ずっと目の保養をしている私だった。
大瀬崎にはダイバーが「これから潜るぞ!」と言う人達3人組がフレーミングをとっていた。イントラらしき人から「お疲れ様でした。向こうの方から来たんでしょう。」、「はい、淡島から来ました!」。大瀬崎では私もかなり有名人になりましたよ。
4.キンは行く2.
行きは向かい波だったが、帰りは追い波に変わり、リズムに乗って泳ぎだす。8時間泳のリズムと一緒のように手も足も動く。頭の中のインプットは欲を出さず4時間。イメージは伊豆のプールトレーニングと一緒で、あのピッチで泳いでいる。1分間で70~72回だが、この波にはちょうど良い。
風向きが変わる度に、船は右についたり左についたり。スッゴク、スッゴク集中して泳いでいるのにジャンケンしてくるコーチ。何隻かの釣舟と擦れ違う。「もう釣舟の帰る時間か?」、「今15時ぐらいなのかな?」と、周りの雰囲気で時間計算も出来る。「あれー、さっきカップヌードル食べていたのに、またコーチ食べとるじゃん!」、「それ、おやつ?」、「デーブー!」、「夕食は18時からだよ。大ぐらいだな!」。
菊地さんは大瀬崎で私が折り返ししている間に水筒のコップをひねったり飲んでいたりしているみたい。何せ操船しているときは必ず片手はハンドル握っているからね。いつも私は船の様子を見ながら泳いでいる。飽きることはない。
18℃の水温が私にとってすごく余裕が出来、やはり気持ちの面で16℃とは大違いだ。身体の感じ方も、泳いでいる身体の変化もかなり違う。これからの海練習が少し心配になるぐらいだが、まあ焦らずマイペースな練習を続けよう。スピード練習は出来るからね。
ドーバーでは軽く「後5時間泳げないか?」と言われる。まあ、その時は淡島の海練習を思い出しながら泳ぐだろう。
時折、私は行方不明になったKさんのことを思い出す。この下にいるのかな?そしたら私が見つけるよ。私と一緒に水面にいるのかな? そしたら私が見つけるよ。でも私を海の中に引きずり込んじゃダメだよ。一緒に居てあげたいけれど、まだやりたいことがたくさんあるからね。ずっと私のことを見ていてよ。あなたの分まで泳ぎ、人生を楽しむから。
海は偉大である。Kさん一人、自分の友達にしてしまった。もう私とビールも一緒に飲むことが出来ない。宴会も一緒に出来ない。思い出だけが残り、通り過ぎて行く。これからも泳ぐ度に、幾度となく思い出すだろう。
淡島が近くになって、コーチが「1000(m)」と叫ぶが、聞こえないふりして私は遊びだす。これは水温18℃ならではのパフォーマンスである。行きは干潮、帰りは満潮。そして無事にゴールできた。
淡島着いて私が手を上げたは良いが、何故かコーチが鳴らすフォーンが短い。もう一度私は手を上げる。またもや短い。「何で今日は短いんだ!」とプリプリしている。
船に戻り、「今日は暖かかったよ。」と告げ、桟橋の釣り客に「ありがとう!」と何回もお辞儀をし、御礼をした。「頑張れよ!」と、とても嬉しい言葉が跳ね返ってくる。
船の上では私が寒くなかろうかといろいろな工夫はされているが、今回は必要なし! 天気も良いせいか、行きから帰りまで薄着でOK。
「コーチ、カップヌードル2個も食べたの?」と聞くが早いかコーチのパンチが早いか、後ろからゴミ袋で愛の鞭。食べた分だけ2回も頭を叩かれる。懲りずに「またデブになったね。」と言えばパンチ2回。あんまり泳いだ後に元気過ぎるのも禁物。「コーチ、寒くて死にそー、お茶が飲みたい。あー、寒、寒!」と、かわいい私の方がコーチは優しい。でもそんな言葉、私には似合わない。いつも憎たらしい言葉で話している方が私らしいよ。得に三河弁は、関東の方が初めて私と話すとビックリする。怒っていないのに、怒っている雰囲気とか、繋がらない言葉もあるんだ。
港に着いても寒くないから荷物を船から降ろす作業も手伝えられる。いつもがしてないわけではない。余裕があるのだ。民宿ではお父さん(「桂」のご主人)が待っており、「今日はすごく暖かかったよ。18℃もあった!」と会話が弾む、弾む! 「お風呂が沸いているからゆっくり入りなさい。」、「ありがとう。」
ラノリンが塗ってある身体はすぐにお風呂に入って取りたいものだ。これがついていると身動きできないんだ。今日は天気がよく、天気予報では「雷雨」と言っていたが陰も形もない。
今日は暖かだったので、きっとコーチは喉が乾いていたんだろう。「ビールでも呑むか、キン!」、「コーチ18時まで後30分だよ。我慢しまい。」、「ウーン、1本だけ飲むか、でもやっぱり2本にするか!」、「時間がないで、1本にしときん」、「わかった!」。コーチはビールを1本持ってきて乾杯した。大瓶だが2人で呑むと直ぐに無くなり「もう1本呑むか!」とまた飲んでしまった。やはり運動した後のビールはおいしいな!
18時頃、菊地さんの家に行く途中、若い男性と擦れ違いざまに「こんばんは!」と声をかけられた。顔もみたことない、しゃべったこともない、20代ぐらいの人の方からだったのでとってもびっくりした。だって全然知らない人に声をかけられたんだもん。私達も「こんばんは!」と頭を下げる。「キンが可愛いから声かけてくれたんかな?」と冗談を言い、菊地家に入り、今のことを話すと、ここら辺の挨拶は「おはよう」から「おやすみ」まで代々受け継がれた風習らしい。今の日本人には忘れているものである。
いつもながらの美味しい手作りの料理が並び、楽しい雑談会。今日の出来事を話し合うんだ。そしてスナック「幸」に行き、カラオケをして帰った。今日は最近寝不足のせいかカラオケで寝てしまい、みんなには申し訳ないことをした。どうも夜は20時過ぎると眠たくなってしまう私なのだ。特別疲れて寝てしまったのではない。
私達は海で泳ぐのに最善の注意を払わなければならない。Kさんを通して私は痛感した。石井コーチは次のように言っている。
「“自己責任”とは自分自身にどのような事態が起ころうとも、その責任はすべて本人に帰するという意味ではあるが、それは『生命や財産を失っても、それを自分以外の人や団体の過失にしない』と言っているのではない。そもそも『自分の責任を持って自分の生命や財産を失わない』という“保障”ことである。」
特に日本のオープンウォータースイマーに「安全」という言葉が“他人任せ”になりがちに思え、「自己責任」が言葉だけの空虚なイメージに感じられる。
スイマーは海の何が人々を危険にさらしているのか、それに対する充分な予防策を講じたか、またはその危険を防ぐためにそれ以上のすべきことを慎重に調査したか、危険回避のための意識をどのくらい持っているか、適切な注意を払ったかなどなど、もっと自分が参加するスポーツの危険性について知るべきである。安全への責務が、悲しい事故を起こさせない手段となるのだから。
二度とKさんのような人を出したくはない。
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