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わくわく、どきどき、台風の目。

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2007年5月の記事

「キンちゃんが行く」Vol.5.

1.記録

  • 日付:2007年5月15日
  • 場所:淡島~大瀬崎(約10km)
  • 泳者:キンちゃん
  • 方法:2way solo swim
  • 記録:1st leg 淡島08:52 ⇒ 大瀬崎12:41 3時間49分
            2nd leg 大瀬崎12:41 ⇒ 淡島15:41 3時間00分
            2way 合計:6時間49分

  海洋状況

  • 天候:晴れ時々曇り
  • 水温:18~19℃
  • 気温:20~24℃
  • 波高:0.5~1.0m
  • 風:風速=1.0~6.3m 風向=北西&南西(主に西)
  • 潮:流速=0.3~0.5ノット 流向=西&東(10:00頃までは西 その後東)
  • ピッチ:64~72回/分
  • 補給品:炭水化物+果糖+お茶類(60℃、300mlを40分毎)

2.悲しい知らせ

 毎年ゴールデンウイークは「こどもの日」絡みで私の職場、和菓子製造販売業「(有)フジタヤ」は忙しい。そんな多忙な4月28日の12時46分頃、1本の電話が私に入ってきた。相手は海好き仲間で親しいKさんの娘さんからであった。
80 Kさんは地元の大手自動車メーカーに勤めるサラリーマン。今年のゴールデンウイークは何でも11連休だそうで、「伊豆大島までヨットでクルージングに出掛ける。」と準備をしていた。まあこれはいつもの光景で、帰ってくればいつものようにその土産話の報告で宴会をする。これが私たちの常で、クルージングに出掛けるKさんのことは何も心配していなかった。ヨットではベテランだし、海を良く知っているし、いつものように「行ってらっしゃい!」と声を掛けただけである。
 娘さんからの電話は震えた声で「お父さんのヨットが豊橋沖で釣人に見つけられたが、無人ヨットだったので海上保安部に通報したらしい。保安部がヨットを見つけ、お父さんのものだと分かって連絡してくれて、それでお父さんはまだ見つかっていないって・・・」とのことだった。
 信じられない出来事で私も胸がドキドキし、「まさかKさんが!」と耳を疑った。それからいろいろな電話番号を聞かれたり、知り合いの名前を聞かれたりした。娘さんもどうしたら良いのかわからない、何でも良いから手掛かりが欲しい、そんな慌てた様子が手を取るように感じていた。
 たまたまKさんの親友で私たちの仲間であるO君がゴールデンウイークを利用してサイパンにダイビングに行っている。そのO君にもサイパンへ電話して何か手掛かりになるようなことを聞いた。
 その日は、胸がドキドキして心配でたまらなかった。ただこのゴールデンウイーク、仕事から抜けられない私である。出来ることはただただ無事を祈るだけだった。
 翌日の新聞には次のように書かれていた。

無人ヨット漂流 刈谷の男性不明 豊橋の沖合

28日午前1020分頃、愛知県豊橋市小松原町沖の太平洋上で人影の見えないヨットが漂流していると、海岸で釣りをしていた人から豊橋署に通報があった。同署からの連絡で鳥羽海上保安部(三重県)の巡視船などが捜索したところ、同町沖約1㌔でヨットを発見したが無人だった。

 調べによると、ヨットは愛知県刈谷市、会社員Kさん(53)が所有する「K丸」(6.55㌧)。家族の話では、Kさんは27日朝、一人で同県碧南市のヨットハーバーを出発し、伊豆大島に向ったと言う。鳥羽海保は、Kさんが何らかの原因で海に転落したとみて捜索している。

P51500342 この頃の水温は16℃。上目に見積もっても18℃だろう。それは泳ぐ私が一番良く知っている。新聞の巡視船以外にも、ダイバー、ヨットクラブの仲間、会社の同僚、身内の方、近所の人、友達など、大勢の方がKさんを捜し続けた。きっと生きている。生きて「いやぁ~、ちょっと騒がせちゃったかな?」と笑いながら会いに来る。みんなそう信じて疑っていなかった。みんな生きていて欲しいと心から願っていた。
 しかし30日で捜索は打ち切られた。でもちょうどその30日の夕方、急に咳が出て止まらなくなった。そんな時、母親から電話があったが「今、咳が出て苦しい!」と答えておいた。苦しくて、苦しくて、その時Kさんのことを考えた。「今、苦しんでいるの?」、「海水たくさん飲んじゃったの?」、「捜索の人たちをKさんは見つけたのに、その人たちはKさんを見つけてくれなかったの?」、「他に何か私に伝えたいの?」、「別れを言いに来たなら私は断るからね!」
 普通の人だったら海で泳いで息を吸った時、海水を飲んだらすごく苦しいし、また次の波が来て海水飲んでしまったら大変だよな。今の時期、泳いでいる私でさえ寒いのに、増してや浮く状態を保つのは大変だろう。
 他にこの日、他に仕事上のことで嫌なことがあった。そしてこの嫌なことは、それが原因で生まれる次の嫌な結果を予感した。案の定その予感は的中し、私はとっても悲しかった。嫌なことばかりが起きる日である。
 Kさんは「死ぬ時は海で死にたい。」と言っていたが、それが実際の現実になるとどうなんだろう。一人ぼっちで先に行ってしまって寂しくなかったのかな? 残された私達はKさんとの思い出しか残ってない。それにまだ何処か生きているかもしれない、流されて一人ぼっちで海の中にいるかもしれない。
 そんな矢先の19時28分、私の携帯に送信エラーメールが入ってきた。それは27日19時27分にKさん宛に送信したメールだった。普通今までの経験上、送信エラーメールは出したらすぐに返ってきたが、3日後に返ってきたのだ。すぐに娘さんに状況を説明した。
 すると娘さんの話では、27日の夕方、ヨット仲間がKさんに「今、何処だ?」の返信で、「今、何処其処にいる。」とメールをしているらしい。ということは、その間に落ちてしまったのか? 今、サイパンにダイビングをしに行っているO君に、「キンさんにお土産忘れるな!」と話していたKさんを考えていると、涙が自然にボロボロと流れだし、声も出せずに泣いた。
P5150068_2 昨年の10月、「結婚30周年記念」だと、照れた顔して奥さんに花束を渡していた。そんな“愛妻家”のKさんのことだから、ご家族の方々はなおさら悲しみのどん底にいることだろう。Kさんは未だ見つかっていないのだ。
 5月3日、鳥羽の港よりK丸が碧南のマリーナまで運ばれ、4日、ヨットの整頓、掃除をしにご家族の方が行かれた。ライフジャケットは船内に置いたままだった。携帯は見つからなかったらしい。帆はちぎれてボロボロになっていたと言う。いったい洋上で何があったのか。誤って落水したのなら、自分から去り行くK丸を見て、Kさんは何を思ったのだろう。これから起こるであろう絶望的な時間に、どんな思いで対処しようとしたのだろう。どんな状態になろうとも、その時の「生き残る術を知らなかった!」なんて言わせないからね。あなたはそれだけ経験豊富で優秀な海のヨットマンなのだから。
 Kさんは私のことを「キンさん、キンさん」と呼んでくれていた。一緒にサイパンのスイムレースに参加したり、ダイビングもしたりした。忘年会、新年会、バーベキュー、その他諸々の私が企画するイベントにはいつも参加してくれた。とっても私とは仲が良く、ドーバーを泳いだ私を誇りに思ってくれており、チャレンジする時は壮行会を開いてくれた一人であり、私が成功することを心から願ってくれた一人である。
P51500482 だから私も「しょげてはいけない」と、時間が開くと10分だけでも泳ぎに行った。もしかしたら今、頑張って助けを求めているかもしれない。寒くて震えているかもしれない。そう考えると私も「一緒に頑張らなければ!」という気持ちになり、一生懸命練習した。毎日娘さんに電話して、「どうですか?」と聞いていた。お手伝いも何も出来ないが、心配で、心配で仕方がなかった。「必ず見つかる。生きている!」と信じて。
 また一緒にギヤーツク、ギヤーツク騒ぎたいな。メンバーが一人欠けるのは非常に寂しい。4月10日の海練習をブログ“「キンちゃんが行く」Vol.2.”にも「海はいろいろな場面を見ている。」と書いたが、Kさんの場合は言葉にしづらい。良い言い方もあるし、悪くて憎む言い方もある。虚しさだけが残っている。そう、むやみに「海で死にたい。」と言ってはいけないな、と感じた。
 今は応援してくれたKさんのためにも練習して、2ウエイを成功することのみを考えている。そんなKさんを想うとき、きっとKさんが私のために歌ってくれる歌がある。それは「千の風になって」である。

3.キンは行く1.

 Kさんのことが吹っ切れたわけではないが、Kさんのことを思えば想うほど私は泳がなければならない。それに私にはまだ素晴らしい仲間がいる。その菊地さん、コーチ、お母さんの気持ちが一つになって、今回も最高記録を作ろうと淡島~大瀬崎2ウエイが企画された。私としては21日ぶりの海練習だが、最近は毎日プールに行って練習しているので全力を尽くすだけであった。
 5月15日は天気も良く、半袖、長ズボン、サンダル履いての移動。これからは暑くなるだろう。
 淡島に向う船上から見る生け簀は、いつもカモメがいるが、今回は真っ黒なカラスが死んだ魚を餌にしようととまっている。聞く所によると時期的なことや、風向き、天気などで生け簀や港付近に飛んでくる鳥が違うという。漁師さんならではの見分け方である。
P51500052 淡島には朝から釣客が大勢集まり、ちょうど引き潮のせいか、海藻(ヒジキ)を取っている方もチラホラ。干潮ならではの初めてみる光景だった。
 岩がボコボコに出てビーチまで行けないので、船から降り、なるべく綺麗な岩に立って8時52分にスタートをした。水温18℃、気温22℃、西北西の風。それは、それはとても暖かい日だった。
 今までが16℃の水温だったから、私としては“寒い”というストレスがなく、「茹で豚になるかしら?」と思ったくらいだった。ドーバーを泳ぐ時も水温がある程度まで高ければ結構楽なのだが、そうもいかないのが“良さ”なのだろう。
 行きは向かい波に逆潮、私の頭の中は「4時間」がインプットされた。最近、向かい波が多く、私的には慣れたもの。息を吸いながら横目で海を見る。やはり「海は偉大だなー!」と感心する。またもや反対を見ると、コーチがメガホン持って「フレー、フレー、キンちゃ~ん!」と応援してくれている。
 補給の時に私はリクエストをする。「加山雄三の歌、歌って!」と。すると調子にのってコーチは大声で歌い出す。「海よー、俺の海よー!」と。耳栓しているので聞き取りにくいが、口元を見ながら一緒に歌う。多分菊地さんも操船に集中しながらも、心の中で口ずさんでいるに違いない。歌いながら泳いでいると結構早く40分が過ぎてしまうのだ。
 「今日は歌でも一緒に歌いながら楽しく泳ごうじゃん。」と、私の1ウエイが続く。向かい波、向かい風、逆潮は納まる事なく大瀬崎まで導く。
 2時間目、3回目の補給で前を見る。「コーチ、行きは4時間だね。」、「ああ。」まあ長めに感じて泳いで短ければ嬉しい限りである。富士山は見えない。
 反対側は山である。今はみかんの花が咲く頃で、私の鼻にはとっても良い花の香りが漂う。船を見れば菊地さんの後ろ姿。私に気を使ってタバコでも吸っているのかな? あー、コーチがオシッコしている。たまたま船の後尾を泳いでおり、一本の釣竿みたいなモノから釣り糸が垂れているような感じで見てしまった。「悪いけど私が船頭を泳いでいるときに“シーシー”してくれんかな? 恥ずかしいじゃん!」と思いつつ、ずっと目の保養をしている私だった。
P5150046_2 大瀬崎にはダイバーが「これから潜るぞ!」と言う人達3人組がフレーミングをとっていた。イントラらしき人から「お疲れ様でした。向こうの方から来たんでしょう。」、「はい、淡島から来ました!」。大瀬崎では私もかなり有名人になりましたよ。

4.キンは行く2.

 行きは向かい波だったが、帰りは追い波に変わり、リズムに乗って泳ぎだす。8時間泳のリズムと一緒のように手も足も動く。頭の中のインプットは欲を出さず4時間。イメージは伊豆のプールトレーニングと一緒で、あのピッチで泳いでいる。1分間で70~72回だが、この波にはちょうど良い。
 風向きが変わる度に、船は右についたり左についたり。スッゴク、スッゴク集中して泳いでいるのにジャンケンしてくるコーチ。何隻かの釣舟と擦れ違う。「もう釣舟の帰る時間か?」、「今15時ぐらいなのかな?」と、周りの雰囲気で時間計算も出来る。「あれー、さっきカップヌードル食べていたのに、またコーチ食べとるじゃん!」、「それ、おやつ?」、「デーブー!」、「夕食は18時からだよ。大ぐらいだな!」。
 菊地さんは大瀬崎で私が折り返ししている間に水筒のコップをひねったり飲んでいたりしているみたい。何せ操船しているときは必ず片手はハンドル握っているからね。いつも私は船の様子を見ながら泳いでいる。飽きることはない。
 18℃の水温が私にとってすごく余裕が出来、やはり気持ちの面で16℃とは大違いだ。身体の感じ方も、泳いでいる身体の変化もかなり違う。これからの海練習が少し心配になるぐらいだが、まあ焦らずマイペースな練習を続けよう。スピード練習は出来るからね。
 ドーバーでは軽く「後5時間泳げないか?」と言われる。まあ、その時は淡島の海練習を思い出しながら泳ぐだろう。
 時折、私は行方不明になったKさんのことを思い出す。この下にいるのかな?そしたら私が見つけるよ。私と一緒に水面にいるのかな? そしたら私が見つけるよ。でも私を海の中に引きずり込んじゃダメだよ。一緒に居てあげたいけれど、まだやりたいことがたくさんあるからね。ずっと私のことを見ていてよ。あなたの分まで泳ぎ、人生を楽しむから。
 海は偉大である。Kさん一人、自分の友達にしてしまった。もう私とビールも一緒に飲むことが出来ない。宴会も一緒に出来ない。思い出だけが残り、通り過ぎて行く。これからも泳ぐ度に、幾度となく思い出すだろう。
 淡島が近くになって、コーチが「1000(m)」と叫ぶが、聞こえないふりして私は遊びだす。これは水温18℃ならではのパフォーマンスである。行きは干潮、帰りは満潮。そして無事にゴールできた。
 淡島着いて私が手を上げたは良いが、何故かコーチが鳴らすフォーンが短い。もう一度私は手を上げる。またもや短い。「何で今日は短いんだ!」とプリプリしている。
P5150073_2 船に戻り、「今日は暖かかったよ。」と告げ、桟橋の釣り客に「ありがとう!」と何回もお辞儀をし、御礼をした。「頑張れよ!」と、とても嬉しい言葉が跳ね返ってくる。
 船の上では私が寒くなかろうかといろいろな工夫はされているが、今回は必要なし! 天気も良いせいか、行きから帰りまで薄着でOK。
 「コーチ、カップヌードル2個も食べたの?」と聞くが早いかコーチのパンチが早いか、後ろからゴミ袋で愛の鞭。食べた分だけ2回も頭を叩かれる。懲りずに「またデブになったね。」と言えばパンチ2回。あんまり泳いだ後に元気過ぎるのも禁物。「コーチ、寒くて死にそー、お茶が飲みたい。あー、寒、寒!」と、かわいい私の方がコーチは優しい。でもそんな言葉、私には似合わない。いつも憎たらしい言葉で話している方が私らしいよ。得に三河弁は、関東の方が初めて私と話すとビックリする。怒っていないのに、怒っている雰囲気とか、繋がらない言葉もあるんだ。
 港に着いても寒くないから荷物を船から降ろす作業も手伝えられる。いつもがしてないわけではない。余裕があるのだ。民宿ではお父さん(「桂」のご主人)が待っており、「今日はすごく暖かかったよ。18℃もあった!」と会話が弾む、弾む! 「お風呂が沸いているからゆっくり入りなさい。」、「ありがとう。」
 ラノリンが塗ってある身体はすぐにお風呂に入って取りたいものだ。これがついていると身動きできないんだ。今日は天気がよく、天気予報では「雷雨」と言っていたが陰も形もない。
 今日は暖かだったので、きっとコーチは喉が乾いていたんだろう。「ビールでも呑むか、キン!」、「コーチ18時まで後30分だよ。我慢しまい。」、「ウーン、1本だけ飲むか、でもやっぱり2本にするか!」、「時間がないで、1本にしときん」、「わかった!」。コーチはビールを1本持ってきて乾杯した。大瓶だが2人で呑むと直ぐに無くなり「もう1本呑むか!」とまた飲んでしまった。やはり運動した後のビールはおいしいな!
 18時頃、菊地さんの家に行く途中、若い男性と擦れ違いざまに「こんばんは!」と声をかけられた。顔もみたことない、しゃべったこともない、20代ぐらいの人の方からだったのでとってもびっくりした。だって全然知らない人に声をかけられたんだもん。私達も「こんばんは!」と頭を下げる。「キンが可愛いから声かけてくれたんかな?」と冗談を言い、菊地家に入り、今のことを話すと、ここら辺の挨拶は「おはよう」から「おやすみ」まで代々受け継がれた風習らしい。今の日本人には忘れているものである。
P51500772 いつもながらの美味しい手作りの料理が並び、楽しい雑談会。今日の出来事を話し合うんだ。そしてスナック「幸」に行き、カラオケをして帰った。今日は最近寝不足のせいかカラオケで寝てしまい、みんなには申し訳ないことをした。どうも夜は20時過ぎると眠たくなってしまう私なのだ。特別疲れて寝てしまったのではない。
 私達は海で泳ぐのに最善の注意を払わなければならない。Kさんを通して私は痛感した。石井コーチは次のように言っている。
 「“自己責任”とは自分自身にどのような事態が起ころうとも、その責任はすべて本人に帰するという意味ではあるが、それは『生命や財産を失っても、それを自分以外の人や団体の過失にしない』と言っているのではない。そもそも『自分の責任を持って自分の生命や財産を失わない』という“保障”ことである。」
 特に日本のオープンウォータースイマーに「安全」という言葉が“他人任せ”になりがちに思え、「自己責任」が言葉だけの空虚なイメージに感じられる。
 スイマーは海の何が人々を危険にさらしているのか、それに対する充分な予防策を講じたか、またはその危険を防ぐためにそれ以上のすべきことを慎重に調査したか、危険回避のための意識をどのくらい持っているか、適切な注意を払ったかなどなど、もっと自分が参加するスポーツの危険性について知るべきである。安全への責務が、悲しい事故を起こさせない手段となるのだから。
 二度とKさんのような人を出したくはない。

夢×挑戦ブログ挑戦報告(4月)

P42400202 4月の1週目はまだ花見シーズンのため、和菓子製造販売業「(有)フジタヤ」は多忙なため練習は出来なかった。
しかし2週目から海、プール、海と、長距離泳の練習をした。
結果は次の通りである。

1.淡島~大瀬崎2way (20km)
2007年04月10日
1st leg 淡島09:06⇒大瀬崎12:34 3時間28分
2nd leg 大瀬崎12:34⇒淡島15:43 3時間09分
記録:2way = 6時間37分
水温:16℃

2.伊豆海洋公園8時間泳
2007年4月17日
09:00~17:00
静岡県伊東市伊豆海洋公園屋外海水プール(海水:50m)
記録:23km完泳
水温:16℃

3.淡島~大瀬崎2way (20km)
2007年4月24日
1st leg 淡島08:51⇒大瀬崎11:28 2時間37分
2nd leg 大瀬崎11:28⇒淡島15:49 4時間21分
記録:2way = 6時間58分
水温:16℃

ドーバーに行くための手続きは終了した。

  • 往復航空券 OK
  • 現地、宿の確保 OK
  • サポート船との契約書 OK
  • サポート船のデポジットの送金 OK
  • 協会への申込書 OK
  • 協会への費用の送金 OK
  • 診断書の送付 OK
  • 16℃、6時間泳の証明書 OK

P42400662 残るは外貨(ポンド)両替と保険に掛けるくらいかな。
あと重要なのは自分自身のトレーニングである。
5月の予定はマイゲレンデとなった淡島~大瀬崎の2wayと、アイランドスイム(江ノ島~城ヶ島間20km)2way(40km)を行う。
他にも暇が出来れば泳ぎに行くが、現在、多忙なため他はどうなるか不明である。
手続きの準備はほぼ終了したが、残る自分自身の準備がまだ終了までが遠い。
とにかくドーバーへ出発するまでの残り時間は2ヶ月を切ったのである。
練習しなければ!!

「キンちゃんが行く」Vol.4

1.海練習「淡島~大瀬崎2way」の報告

  • 日付:2007年4月24日(火)
  • 場所:淡島~大瀬崎(約10㎞)
  • 泳者:キンちゃん
  • 方法:2way solo swim (10㎞×2 way = 20㎞)
  • 記録:1st leg = 淡島:08:51発 大瀬崎:11:28着 2時間37分
            2nd leg = 大瀬崎:11:28発 淡島:15:49着 4時間21分
            2way合計 = 6時間58分
  • 天候:曇り
  • 水温:16℃
  • 気温:13~16℃
  • 波高:0.5~1.0ⅿ
  • 風:風向 = 主に東 風速 = 3.0~6.7m/sec
  • 潮:流向 = 主に西 流速 = 0.3~0.5ノット
  • ピッチ:63~71回/分

2.オオバカ?

P42400012 普通「バカは風邪をひかない」と言うが、これは“並のバカ”を指している。“オオバカ”になるとちょっと違う。4月10日の海練習以来、今年で2回目の風邪をひいた。今回は喉が痛く、痰が何回となく出て鼻水タラタラ。それでもせっせと時間の合間にプールに通っているオオバカだ。
 4月23日、仕事が終わってまだ時間があったので、近所のロイヤルスポーツクラブ2で約1000mをゆっくり泳ぎ、お風呂にも入った。泳いでいる間も痰が絡んで、絡んで、もー大変。それなのに明日、海で泳ぐと言うのだ。信じられないオオバカである。まあ、明日は無事に泳げると良いのだが・・・。
 24日朝、少し早く起きて石井コーチのお夜食を作る。いつもはニギリメシだが、もう飽きたかもしれないと稲荷寿司を作った。初めて作ったが、母親が「キンちゃんが作った稲荷寿司おいしいね!」と言ったからタイヘン。オオバカ代表の私は木にも登る気持ちで「多分初めてにしてはマサラップ!(タカログ語:おいしい)んだろう。」と、調子に乗って作った。後はキュウリの漬物、チーズ、キムチ、豆腐、から揚げなどを用意した。なんせコーチは大ぐらいだからであるが、昔の人はうまいこと言ったと思う。「バカとハサミは使いよう」。母親に褒められなかったらこんなにたくさんは作らなかったであろう。
P4240007_2 いつもなら先に行って準備をし、石井コーチの到着を民宿「桂」で待つが、最近は仕事の多忙もあって、21時にJR三島駅でコーチと待ち合わせ、コーチのクルマに乗せてもらう。ただこの日、いつもよりは少し早めに家を出たので「コーチ、いつもより30分早い新幹線に乗ったから」とメールした。まあ、コーチが21時キッカリに来れば何処で時間を潰していても一緒だが、コーチが早く着いたら早く移動出来ると思ったのだ。また少しくらいなら三島駅の新幹線待合室でテレビ見ながら待っていようとも考えていた。
 ところがである。「次は静岡」と車内放送が入り、時計を見ると20時23分。「ギャー、30分前に着くはずが、まだ静岡? 三島に着いていなければいけないのに!」。どうも私はいつも通りの新幹線に乗ったみたいだ。「新幹線はいつも通りに着く!」とコーチに“ちゃっと”メールする。またやってしまったとんでもないミス。始めのメールを入れたお陰でコーチは東名をぶっ飛ばしてクルマを走らせたらしい。キンは遅いと文句を言うからね。案の定、三島駅ではコーチの方が早く着いており、ブツブツ叱られながら民宿「桂」へと向かった。「まあ、キンはオオバカだからね。」と開き直ると、コーチはまだぶっ飛ばした余韻が残っておるのかダッシュで走らせた。そう、泳いでいる時もゴールが近くになると自然にアクセルを踏み込んでしまうように。よく似ている・・・かな???
 民宿「桂」に着き、重たいスーツケースを右手に、ビールグラス2ヶを乗せたお盆を左手に持って三階の部屋へと運んだ。部屋の前でスーツケースを置き、部屋の鍵を開けている途中“ガッチャーン”。バランスを崩してビールグラスを落として割ってしまった。破片がバラバラに飛び散っている。後から上がって来たコーチに「コップ割れちゃった。ちょっとお母さん呼んでくるね。」と私は1階に戻り、今、御飯を食べていたお母さんに「ほうきか何かない?」と聞き、再び3階へ。コーチはガラスの破片を拾っている。「掃除機をかけますよ。」と後から上がってきたお母さん。ああ、そのほうが綺麗になるな。
 隣の部屋には泊まっている人がいるのに、夜中の22時、大迷惑。早々と民宿に着いたのに、とんでもないことをしてしまった、お騒がせなオオバカでした。部屋に入り、やっと乾杯し、その日は早々と寝た。

3.スタート

 24日、6時起床。私は栄養補給作りが始まり、コーチは昨日の残りの晩御飯を食べながらのお手伝いになる。最近は手慣れたもの、7時50分には用意が出来る。民宿「桂」のお父さんに「16時から17時の間には帰ってきます。行ってきます。」、「わかりました。今日は夕方から雨みたいだから、早く終わるといいね。」、「そうだよ、今も雲っているしね。じゃあ。」とおしゃべりをした。お父さんはいつもニコニコ笑顔で見送ってくれる。
 港に着き、船頭の菊地さんにお会いする。「おはようございます。えー、半袖ですか!? 寒くないんですか!?」、「おはようございます。おー、寒くないよ!」、私とは打って変わっての姿である。気合い入ってるなー、キンもかなり気合いは入っているが、ジャージ上下に長靴履いて、その上にスイミングコート着て、おまけにニットの帽子、もう一丁おまけに手袋までしてるんだ。自慢ではないが、陸の上では冷え症で寒がりなのだ!
P4240008_2 淡島の桟橋には釣り人が数名いる。淡島のホテルからは2組のお客さんが「船が一隻こんな所に来て、“遠泳中”の旗を掲げて、一体何が始まるのか?」と、興味津々で見つめている。私は非常に嬉しい。あんなにたくさん着ていた服を脱ぎだす。♪タンタラタンタチャンチャンチャン、タンタラタンタチャンチャンチャンチャン、タンタラタンタチャンチャンチャン(音楽「タブー」より)♪ 今度からは踊りながら脱ごう!
 ラノリン塗りが始まる。「あー、コーチ、垂れてる、垂れてる、ラノリンが。気をつけりん!」ホカロンで温められたラノリンはタラタラに溶けて温かいのだ。準備万端、菊地さんに「お願いします!」と言うと、「今日は新記録を狙いんよ!」と言われた。そうか、今日の合言葉は「新記録だ!」。6時間を切るつもりで今日の海練習に私も望んでいたので、3人とも同じ意気だ。
 さあ、海へ入ろう。釣人に私は大きく手を振ると釣人も手を降ってくれる。恐る恐る足を入れる。「大丈夫だ!」。丘へと泳ぎ出すが、藻が邪魔で、浅くなると岩石も邪魔で泳ぎにくい。ゆっくりゆっくり胸と腹が当たらないように気をつける。丘に立ち、淡島ホテルの人達に手を振り、もう一度釣人に手を振り、右手を上げ、フォーンの合図とともにスタートをした。
 8時51分、浅くなっているのに早々と泳ぎ始めてしまった。少し足を擦ったかもしれない。やばい。石と石の間をスカーリングで擦り抜け、やっと船の横に着くことが出来た。
 波は追い波、潮が私を押してくれながら結構楽チンに泳がせてくれた。小さな魚の群れが見え、「小さな魚がたくさんおる!」と叫ぶ。菊地さんは魚群探知機を見て「鰯の稚魚だ!」と言っていた。実際に目で見ている魚群探知機の私も一人なのだ。目がキラキラ光ってとても綺麗だ。この海で泳いでいて、岸辺以外は余り魚を見かけたことがない。多分、私からの距離が近いのであろう。
 コーチが黄色いメガホンを持ち出し何かを話しているが、キンは耳栓をしているので聞こえない。多分低い声で何か言っていると思うが、「聞こえないよ!」と叫んでも飽きずに何か話している。いい加減に「世界中で一番綺麗なのは、キンって言っているの?」と船に向かって叫ぶと、「バ~カ!」と口が動いているのがわかった。後から「何を話していたの?」と聞くと、「フレ~、フレ~、キンちゃーん。フレ~、フレ~、キンちゃーん!」と応援していたようだ。
P4240021_2 耳栓をして泳ぎながら何かを聞き取るのは、相手の声が高いとか低いとかの種類にもよる。「あとセーン(1000m)!」とコーチが叫ぶ声は感覚的なのか、よく聞こえるしわかる。ドーバーの時もそうだった。フランスを折り返したものの、船の中がザワザワし始め、船から「ミユキ!」と何かを聞かれているが 、英語もわからないし寒くて聞き耳が立てられなかった。やはりお互いに命をかけての遠泳に“成功”という二文字が見え隠れする行為なのだ。もう少し泳ぐ姿勢に、言葉がつながらなくても相手が何かを言っていたら真剣に聞かなければいけないなと感じた。皆が心配するからね。
 今の私はもう大丈夫。同じ失敗は繰り替えさないでしょう。大瀬崎に近付くと6人がダイビングしている姿が見えた。写真撮影をしている。「キンも撮ってくれないかな?」。波と潮に乗りながら私は今まででのベストタイム、2時間17分で大瀬崎に着いた。

4.ゴール

 今日は折り返し地点に立っても寒くないなー。身体的にも精神的のも余裕があり、手を振り回したり首を回したりしながら、早くフォーンの合図が来ないか、辺りに誰かおらんか見渡しながら右手を上げ、お腹を引っ込めた。少しはカッコ良く写真が撮れているかな? さっきのダイバーが海からちょうど出て来たが、私とは擦れ違い。トホホホホホ、お話しや手を振ったりしたかった。相手はドライスーツを着て私の泳いでいる左側で丘を目指していた。多分、気がついていると思うが、レギュレーターを銜えているから横目で見えるぐらいだろう。
P4240023_2 「さあ今から向かい波だ。泳ぐぞー!」。計算し始める。行きが2時間37分。帰りは3時間23分で6時間ちょうどだ。いつものパターンは行きが追い潮だと帰りは逆潮で1時間は余分に泳いでいる。“3時間30分”と頭にインプットして淡島へと私は泳ぐ。その間、数回の栄養補給は向かい波のせいもあったが、わざと前の淡島を見ないように後ろ向きで取った。前を見て淡島が見えると頭の中で「後どれぐらい」と距離や時間を計算してしまうし、その計算が合わないととてもショックである。
 プールの長時間泳は、8時間なら8時間泳げば終わる。その間に寝ながら泳ごうが、平泳ぎやろうが、立ち泳ぎしようが、時間が経てばそれで終りなのだ。まあ石井コーチの場合、寝ていたら起こされるし、他の泳ぎをしようもんなら「ギャーツク」、「ギャーツク」と泳いでいる横で怒鳴られるであろうが・・・。あいにく私の場合、寝ながら泳ぐことはあるが、クロール以外は泳いだことがない。
 だが海の長時間泳は私の場合というか、いつもドーバーシミュレーションの形をとっているので時間泳ではない。ここからここまで10kmあるプールだと約3時間で終わるが、海の場合は潮の流れ、風向きで泳ぎ切るのに2時間かかるか、4時間かかるかは誰にもわからない。自然はその時その時にいつも違う顔を見せる。そう四季折々でもかなり違う顔をする。時間帯によってもかなり違う。プールはほとんど一定だ。プールで24時間泳、30時間泳と、幾度となく練習をしてきた。
 2年前、失敗したドーバー2wayのチャレンジ後、私はコーチに聞いた。「キンはプールでは30時間泳げるのに、どうして海だと泳げないの?」、「海はプールと全然違うね」。答えはいつも「海とプールで泳ぎが変わってはいけない。」と言う。“水体一如”とか言って何だか難しい説教をするが、要は海の水もプールの水も、突き詰めれば同じ泳ぎになるそうだ。
 そうドーバー海峡の最狭部はイギリスのドーバーとフランスのグリネ岬間で約34kmだ。潮流は6時間毎に右から左へ、左から右への往復流で、小潮期でも潮位差は3mにもおよび、最大流速は時速5km程度と速い。当然、直線で泳ぐことは意味がなく、6時間毎の潮に乗りながら蛇行して泳ぐ形になる。
 泳ぎ+流れ=航跡(泳跡?)になるが、2005年にチャレンジした私の2wayの航跡を後から計測すると、1wayは50km程度になる。それを折り返してから船に上げられるまでの距離を合算すると、70kmぐらいになる。そう海は流れもあるのだ。この流れは泳ぎの味方にも敵にもなる。
 その潮はそのスイマーの泳力にも関係してくるが、敵になっているときに到着地点を見ながら泳ぐのは非常に辛いものがあり、始めは途中で諦める人が多いがこれも自然相手、自分自身で把握してないと難しいものが海なのである。一体いつ何が起きるかわからないのである。まあそれが海を泳ぐ醍醐味であり、石井コーチの言う“水体一如”まではいかないが、精神面で鍛えられるのは事実である。そんな魅力に疑問を持ちつ、解決しつつの繰り返しを未だにしているキンだ。
 息を吸いながら1隻の船が見えた。泳ぎを止め「コーチ、手、振っていい?」、「いいよ!」。大きく私が手を振ると、船人も大きく手を振って返してくれた。ヤッター! 嬉しいなー、見てくれて!「今度はシンクロの真似して足でも挙げてみるか!?」と、阿保なことばかり考えていた。
 いい加減予定の3時間を半過ぎても淡島には到着せず、1回だけ補給の時に前を見た。予想だと後1km地点にはいるはずだが、淡島は遥か彼方。「ハア~、今回は難儀だな~」。やはり向かい波、逆潮は、行きはヨイヨイ、帰りは恐い、そのものだ。
 行き、淡島からスタートするときの1kmは“あっ”という間に泳いでしまう気がするが、帰りの淡島着残り1kmは毎回ながら不思議と遠く感じる。コーチが「後1000」、「後900」と叫ぶが、この100がとても長く感じるのである。
 「こんだけ泳いだのにまだ? 早く次の声がかからないか?」と、そのことばかり考え、後少し、後少しと、その後少し300でもとても長く感じるのである。そういうときはプールの300の練習を思い出すが、やはり海は流れがあり、うまいこといかない。
P42400092 ゴールが目の前に見えるのに、流れが強過ぎてたどり着き難い時の何回かを思い出す。去年の今頃の時期からここの2wayは7時間がほとんどである。多分時期的な潮の流れも関係してくると思うし、潮の向きも変化してくるのだ。淡島の桟橋が見えだした。ヤッター! 釣人がまだいる! 朝からいた釣人かは知らないが元気が出てきた。
 そして淡島到着。帰りは4時間21分掛かり、15時49分着。もう夕凪で風は治まっていた。合計6時間58分であった。
 今回は行きと帰りの時間差が大きい。船に乗り、釣人に「ありがとうございました。」と大きな声で叫ぶことが出来た。そして手も振り、「頑張れよ!」と過ぎ去る私達に応援の言葉をかけてくれた。朝と一緒の人らしい。スタートするときに菊地さんが「今から大瀬崎まで行って、15時に戻って来る。」と言っていたらしいが、大幅に時間が過ぎていた。コーチはベストタイムではなかったので浮かない顔をしている。キンだって歎がからみつつも、息を吸うのを我慢したり、咳だって出たけど一度も止まらんかったし、手を振りながら楽しんで泳げたのにな! まあ一生懸命泳いだ結果だから、また頑張るね。と、24日の海練習は、無事に終わった。

5.カラオケ

Photo1_2 菊地家の晩餐会(打ち上げ)はお母さんの手料理がいつも勢揃いする。お蔭様で海練習に行っても痩せる心配はない。今日も10品以上の料理が並び、毎回旬な食材を使っている。今では、蕨、筍、薇、おまけに蟹まで出てきて、大ご馳走、散らし寿司もあった。いつも食べ切れないが、楽しみの一つになっている。そして菊地さんのお話し、お母さんとのおしゃべりもいろいろなことを話してくれ、自分自身いつも勉強している。私が負けそうになっても、「菊地さんとお母さんとコーチが最後までついているから諦めたらいかんよ!」と言ってくれる。いろんなプレッシャーはあるが、ここで話しをするとすごく落ち着くのだ。
 と、お母さんが「美幸ちゃん、1時間ばか、スナック「幸」でカラオケやろまい!」。前から「いこまい、いこまい」と誘われていたが、「また今度」ということで延び延びになっていた。お母さんさんは別の部屋に行き化粧をしだした。歌う気、満々である。菊地さんも腰を挙げ、身嗜みをしに行った。歌は音痴で下手くそな私だが、歌うことは大好きである。コーチは中学の頃からバンドを組んでいて、ライブも開くぐらいだからきっと上手いんだろう。
 菊地家を出て私は口ずさむ。「螺旋階段降りた靴音で愛されてると感じたー、扉をノックする」と、予行演習が一人で盛り上がっている。スナック「幸」は民宿「桂」の横にあり、安心して歌を歌い、呑める所だ。いつも通り過ぎりだけだが今回は足を入れた。「ウワー、こういうところ来るの久しぶり!」と席に座った途端、私はケー・ウンスクの「夢おんな」をママに頼んだ。もー、下手くそだけど歌う気満々。すごく楽しい。
 次はコーチが加山雄三の「海、その愛」を歌ってくれた。コーチの歌を私は初めて聞き、スッゴク上手で改めて「海が大好きな男の人だ」と、いつも海練習では“バカ”や“アホ”など他愛もなく会話しているが、歌を歌っている姿はとっても男らしくカッコ良かった。こんなコーチの姿は初めて見る。そう、私とコーチが会っても、こうやって遊ぶことは今までにないからである。
 4月のお花見がやっと終わり仕事の合間にプールに行って練習、火曜日は長時間泳の練習、毎日が仕事と練習に追われ、こういう余暇を余り過ごしたことがない私は、歌の詩に聞き惚れ、こうやって菊地さんがカラオケに誘ってくれてとっても幸せを感じ、涙が次から次へと止まらなかった。風邪も引いていて鼻水も何回拭いたことか! 机一面ティッシュだらけになってしまった。コーチはおしぼりを持ってきて「拭きなさい」と。自分でも緊張感が抜け“ホッ”としたこともあるけれど、やはり菊地さんやお母さん、コーチの暖かさが身に染みたのだ。
P42400982 菊地さんの歌はコーチより上手い。いつも笑顔を絶やさず歌っている。お母さんは優しい声でお上品。楽しくて、楽しくて時間の経つのも忘れ、気がついたら24時。3時間もスナック「幸」で楽しんだ。この思い出は決して忘れることはないだろう。お金では買えない人間の優しさ、温かさである。改めて私は菊地さん、コーチ、うちの会社、家族に、「私の夢実現に手を貸してくれてありがとう!」と、心の底から想い、感謝をしているのである。

キンちゃんが行くVol.3

1. 伊豆海洋公園8時間泳

  • 日付:2007年4月17日(火)
  • 時間:09:00~17:00
  • 場所:静岡県伊東市伊豆海洋公園屋外海水プール(海水:50m)
  • 泳者:キンちゃん(女性)
  • 種目:8時間泳(ソロ)
  • 結果:23km完泳(目標:22km)
  • 天候:雨
  • 水温:16℃

2. ATって?

P41700182_1 プールでの長距離泳の目的はペース配分である。極力イーブンペースで終始完結したい。今まで30時間で70km泳ぎ、24時間で60km泳いできた。これらのデータから、石井コーチは8時間で22kmのペース配分表を作ってきた。これは100m、2分05秒のイーブンペースだと可能な距離である。そこで私は100m、2分00秒でどのくらい維持継続出来るか試してみたくなった。結果、終始2分00秒のフラットなペースで8時間を泳ぐことが出来た。まあやっと出来るようになったわけだが、ここに至るまでの過去を思い出してみた。
 OWS(オープンウォータースイムレース)を知って仲間が出来た。静岡県伊東市にお住まいの伊藤さんと、東京でOWSファンなら知らない人はいないほど有名なホームページ、「泳ぐ旅人」を作っている小林さんである。3人で「練習でもしようや」と言って、伊藤さんの地元、伊東市にある伊豆海洋公園の屋外プール(50m)に教えられて来たのは確か2000年のときだったと思う。
 以来、ダイバーでもある私はここが気に入って、それからちょくちょくお邪魔するようになった。とにかく海水のプールなのと冬でも屋外で公開しているのがドーバーを目指す私にはピッタリのプールだと感じていた。確か石井コーチと知り合ったのもこの頃だったと思う。またこの頃から石井コーチは「長距離はイーブンペース!」とよく言っていた。石井コーチの言う「長距離」とは、距離なら10km以上、時間なら3~4時間以上を指している。
 確かに私も6時間くらい泳ぐ練習をここのプールで何回か行っているが、10km以降、3~4時間以降に“ガタッ”とペースダウンしてしまう。それからはいくら速く泳ごうとしても身体が動かないのである。どうしたことか。と思うが、一生懸命泳いでもペースは落ちていく一方なのである。
 この時、石井コーチから「“AT”で泳ぎなさい。」と教えられた。“ET”ならスピルバーグのSF映画と知っているが、“AT”って何だろう? クルマのオートマチック車? それなら私も免許を持っている。
 “AT”とはAnanerobic Threshold の略で「無酸素性作業閾値」だそうである。日本語で聞いてもチンプンカンプンな私。そこで日本人では唯一のOWSではプロスイマーである松崎裕子さんに聞いてみた。すると答えは「ダラダラ速く」なのだそうだ。“ダラダラ”とはゆっくり、つまり「いつまでも続けられる」の意味で、“速く”とは「その中で最も“速く”」の意味なのだそうである。つまり「いつまでも続けられるスピードの最高速」を言うらしい。
P41700052 その他に10km以上、3~4時間以上泳ぎ続けるとペースダウンする理由に、「エネルギーの枯渇(こかつ)」←(カッコつけて難しい字ばかりを使っている石井コーチだと思う私)もあるらしい。それから「泳ぎながら栄養補給をする」と知った私。「バナナが良い」と聞けばバナナを食べ、「ゼリー状の栄養物が良い」と聞けばゼリーを飲んだ。もちろん中には口に合わないものもあったし、“甘酒”など試してみたい飲み物もあった。当然試したし、失敗も成功もいろいろあったが、そのように試行錯誤することが面白かったし、何よりいろいろ知らないことをいっぱい知った。とにかくここ、伊豆海洋公園屋外プールが私の長距離泳のスタートラインだったようにも思える。
 以来サイパンへはKFCトライアスロンクラブのレースに参加したり、外の50mプールで長距離泳の練習をしたり、エーストマトでダイビングを愉しむようになって行く。私のサイパンは欲張りで忙しいのだ。

3. 花月荘

 16日(月)、14時17分三河安城発のコダマに乗り、熱海へと移動した。行く時に雨がパラパラと降っていたので傘を持って行ったが、やはり何処か抜けている私。降りる直前に「傘や携帯電話、帽子などの忘れ物が非常に多いので、十分気をつけて下さい。」と車内放送があり、そして「そうだよな。傘、忘れやすいよな。親切な放送だな。」と確認までしたのに、「まもなく熱海」と聞いた瞬間、「傘」の“カ”の字も忘れ席を立ち、ホームへと出た。歩いているうちに傘を忘れたことに気付き、恥ずかしいが駅員さんに「今、傘を新幹線の中に忘れてしまったんですが・・・」と言うと、「傘はもう東京に行っちゃいました。東京に取りに行くか、着払いで送りますけど。」と答えてくれた。しかし「あっ、そうですか。もういいです。」と傘は諦めた。
 あーあ、やっちゃった!仕方がない。熱海はザーザー雨。それから乗り継いで城ケ崎の駅で下車。駅は結構お洒落で「観光地!」と思わせる作りだった。宿泊する「花月荘」に電話をしたら、「タクシーで来て下さい」とのこと。後からやって来る石井コーチの夕食などを買うため、私はタクシーでスーパーに連れて行ってもらい買い出し、それから「花月荘」へと向かった。
 ここ「花月荘」は「キャンピングペンション」とも言っているように、一泊素泊まりが1名、2,800円と安い。しかも自炊が可能なのだ。安く練習するに、もってこいの場所である。ただし、結構奥の奥までペンションや別荘街をくねくねと通り抜けて行く。初めての人は道に迷うという感じ。もし雨が降っていなかったら歩いて行って、おそらく道に迷っていたであろう。傘忘れて良かった。何が「災い転じて福となす」か、わからない。
 ちなみに今日の宿泊は私たち2人だけ。石井コーチが来るのは22時くらいかな? それまで私はお風呂に入って、ビール飲んで、ヤッコと白菜のキムチを食べて眠くなったから横になった。そしてそのまま道に迷っているコーチのことなどすっかり忘れ、熟睡していたのだ。
P41700022 戸が開く音と同時に話し声が聞こえ、どうやらコーチが30分も道に迷いながら花月荘に着いたらしい。道案内なんか私に電話しても出来るわけがない。宿の主人と携帯でやりとりしたらしい。再び私は起きて乾杯し、夕食なしでお腹をすかせたコーチはがっついて飲み食いし、キンは思っていることがたくさんあったのでコーチに聞いてもらっていたら、気が付けば並んでいるビールの空き缶が16本。話しに夢中になると知らず知らずに時間とビールが進んでいた。やはり話し好きな飲兵衛が揃うとキリがない。次の日は8時間泳ぎ続けるというのに24時を回っていた。

4. 8時間泳は

 朝5時には目が覚め、「まだ時間があるな。」と6時まで布団の中でうつらうつらする。朝食は7時から。それまでプールに行く準備をしておく。と言っても海練習みたいに栄養補給品を作らなくてもいいから楽チン楽チン。補給品はコーチがプールサイドで作ってくれる。のんびりのんびりし、朝食はご飯、インスタント味噌汁、味付け海苔、納豆である。ちなみにこれらは花月荘のサービス。つまり無料(タダ)なのである。
 泳ぎ出すと40分毎に栄養補給が来る。だから泳ぐ前はあまり食べない私だが、この日はご飯を半分食べ、朝食を頂いた。今までの経験上、泳ぐ前日の食事内容と当日の食事内容を考えて食べないと、泳いでいる途中にトイレの問題が発生し、往生する破目になることがある。女性水着の着脱は大変だし、ラノリンも手についてしまう。しかもプールだと休憩時間に制限がある(8時間泳は回数に無関係で20分までの休憩)し、非常に気を使う。
 伊豆海洋公園のプールは、8時40分受け付け開始である。8時に花月荘を出て5分位で着いた。ああ、今日は雨か・・・。プールの近くまでクルマを付け、荷物を降ろし、クルマは駐車場へと移動する。また雨の中を歩きながら、以前の風景を思い出し、「“ダイビング用のお風呂!”、ああこのことか」と、もうすでにお湯が入っていて温かかった。
P41700092 徐々に施設や設備が綺麗にされていくのがわかる。と、プールに戻ると、しまった、少し外に出ていた食料をカラスにつっつかれていたのである。忘れていた。ここは白いポリ袋を置いとくだけで、カラスが食べ物入っていないか、あさりにくるんだ。案の定、スープと焼き海苔につっつかれた後があった。
 8時40分、受け付けの手続きを済ませ、準備万端。と、プールサイドで青い服を着た男の方の姿を見かけて走って行ったが、何処かに行って姿を見失ってしまった。そして昔、ダイビングで使っていたテーブルを見ると、ウエイトが二本置いてあった。「多分ダイブドリームの人達、今日は来られるな」、「さっきは海洋状況でも見に来られたのだろう」。ここのショップでのダイビング経験がある私は何となくわかるのである。「さあ、水着になるか!?」、「コーチ、ラノリン塗って下さい」。しまった。温めていなかったからカチカチだ。「指が折れるー!」と石井コーチ。「大丈夫?」
 石井コーチは必死であった。気温13℃、雨、風が少し吹いており、水着姿の私は寒い。「早くーっ!」と追い立てるのだ。これで時間がかかり、8時58分にやっとプールに足を入れる。「ヒェ~~~、冷たい!」。水温は16℃だが、私が弱ッチーのか、「冷たいよー!」と叫ぶ。「この前と一緒だ。大丈夫?」、と石井コーチだが、「ヒェ~~~~!」と言いながら私はスタートを切った。初めの入り(100m)が1分45秒、私にしては速いので目を疑った。次は1分53秒。出だしはまあまあである。
 ペース配分表のラップは2分05秒がズラ~~~~ッと続く。「まだまだ余裕じゃん!」。1時間で3,000m。2時間で6,000m。「順調じゃん!」、「さっき“ダイブドリームの森田さん”という方が見えたよ。キン知っとるか?」とコーチ。やっぱりさっきの後ろ姿は森田さんだ。私のこと覚えてくれていたんだ。
 でもさ、16℃だからか寒い。栄養補給は“ちゃっと”1分以内に飲んで泳いだ方が暖かい。ジッとするとすぐに寒くなるので「コーチ、もう泳いでいい?」と何回訊いたことか。だから栄養補給後の100mはだいたい1分54秒が多い。そして2分00秒のイーブンが続くのだ。毎回毎回ターンする度に私は時計を見てチェックをしている。この動作がしたかったんだ。ロングのプール練習も大好きである。
P41700142 と、栄養補給している間に1本目のダイブが終わったのか、森田さんが話し掛けてきてくれた。そして4年ぶりの再会、おそらくまだ続けて冷水を泳いで練習しているとは思ってもみなかったのだろう。そして簡単に4年間の空白な時間のいきさつを話し、今ここで泳いでいることを納得してもらえた。
 おおよそだが6時間が過ぎた。まだまだ2分00秒のイーブンが続いている。考えてみると4年前に2分00秒のイーブンペースは6時間ももたなかった。目指すは“2分を出ないように”だが、気が付くといつも2分は越してしまっていた。その頃から比べれば、やはりイーブンペースがかなり身についたと思う。
 今日はかなり良いペースで泳いでおるが、寒さが身に凍みて「早く2時間経たないかな?」と、「2時間泳げば終わる!」と、そればかり考えていた。ひとたび止んでいた雨もまた降り出した。森田さんも帰られるのか、挨拶をしに来てくれ、「施設の皆さんとでお互いに協力しあい、応援してくれる。」と言ってくれた。何よりも心強い。ここでのプール練習は久しぶりだが、また泳ぎに来たいと切望した。また2分00秒イーブンペースで終始完結することが出来、予定の22kmより1km余分に泳ぐことが出来た。

5. 嬉しい応援者たち

P41700212 プールから上がるときが大変。足がカチンカチンに固まっている。大腿部が痛い。“ちゃっと”シャワーを浴びる。コーチは可哀相だけど、一人で後片付け。駐車場からプールの近くにまでクルマを持ってきて、荷物の運搬をしている。風が“ビューッ”と吹くとシャワーのお湯もあおられて寒い。デブだからか、シャワーが身体全体にかからないのである。前を向いたり、後ろを向いたり、足だけ暖めたりで、シャワーがかかっているところは温かいがが、出ているところは寒い。コーチの後片付けが終わるまで浴びさせてもらった。
 ようやく片付けも終わってシャワーも終わり、18時近くの帰りがけに施設のスタッフもちょうど帰るころで、ちょうどフロントの前でご挨拶をした。すると「また来て下さい。掲示板にも載せていいですか?」と言われ、「よろしくお願いします。」と答えた。「ドーバーって、どういう所か検索して見ていたら、藤田さんが出てきて、今泳いでいる人だと思ってびっくりしました。」とも言われた。
 森田さんの配慮のお陰で無事に終わらせることが出来た。本当にありがたいことだ。再び私たちはここで練習させていただくことを約束し、クルマは花月荘に向かった。だがやはりすぐにはたどり着けず、道に迷いながら帰った。
 いずれにせよ今回の収穫は「“AT(ダラダラ速く)”で泳ぐ。」が身に付いたことである。ちなみに栄養と水分補給は炭水化物に果糖を加え、お茶や紅茶で味付けしたものだが、1回で約ご飯なら軽く茶碗1杯分、パンなら食パン2枚分のエネルギー補給になる。これを40分毎に採るのであるが、これさえも落ち着くまで試行錯誤があった。とにかく長距離はATを含めたトレーニングや栄養補給で、自分の身体との対話を大事にすることが必要だと実感したのである。

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