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わくわく、どきどき、台風の目。

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2007年2月の記事

淡島~大瀬崎2wayの報告

P20600322  2007年2月6日(火)、静岡県沼津市の淡島~大瀬崎間(約10km)において、キンちゃんが2way(約20km)を泳ぎました。結果は次の通りです。

   記録

  • 淡島(07:18)⇒大瀬崎(09:58)=2時間40分
  • 大瀬崎(09:58)⇒淡島(14:40)=3時間42分
  • 往復合計記録:6時間22分

   海上コンディション

  • 天候:晴れ
  • 水温:12.5~15℃
  • 気温:9~20℃
  • 波高:0.5m
  • 風向:西ないし東
  • 風速:0~3m/sec
  • 潮向:西流
  • 流速:0.5ノット

P2060004_2  キンちゃんの素晴らしいところは、回復力の早さです。1月30~31日にサイパンで24時間60km泳を終わらせた1週間後、ここ沼津に現れています。一般にフルマラソン(42.195km)を走った後は、約1ヶ月はそのダメージは消えないと言われていますが、まあ一方ではトレーニングを積むとダメージは軽減されるので、それほどダウンすることもないとも言われています。しかしいずれにせよスゴイことに間違いはありません。これは日頃の鍛練がモノを言っているのでしょう。

 またサイパンでもそうでしたが、昨今の練習のテーマは「マクロからミクロへ」に変更しています。先月(1月9日)に泳いだ今回と同企画においても、長めの3wayではなく、2wayでスピードを上げる練習をしています。今回もスピードを上げる練習なのです。

 当日は風もなく晴れたので絶好の日和になりましたが、泳いだキンちゃんにはいかがだったでしょう。キンちゃんの報告を聞いてみましょう。

P20600012  この日は、朝から少し緊張していた。なぜだかわからない。前日に栄養補給を作ったものの、ビールを飲んで20時には寝てしまい、石井コーチが来られる21時には熟睡をしていた。栄養補給品にホカロンを貼る作業は、石井コーチが私の寝ている間にやってくれたようだ。早寝早起き。これが私の生活パターンだが・・・。

 風もなく凪である。淡島の桟橋には釣客一人いない。「水温が低いのかな? きっと魚が釣れないんだろう。」石井コーチは水温計を見るとびっくりした顔つきに変わり、「冷たいよ!」とニヤニヤしている。「何度? 12月が16℃、1月が18~19℃だから14℃ですか?」と私が尋ねると、「12.5℃度だよ。」だって!「マジかい!」と思っても泳ぐしかない。13℃は3時間泳いだことがあるし、10℃だって30分泳いだことがある。やるだけ泳ごう。ドーバーの夜間泳だと思えばいいんだ。

 ホテルの客室からは、3部屋のカーテンが開き、「何をしているんだ?」と見てくれている。ある人はビデオ撮影をしていた。たくさんの人に見てもらうほうが、私は好きである。別に宣伝とか報道とか、そういう意味合いではない。海練習をする時の一つの光景として好きなのである。それは見られて「ばっかじゃないの?」とか「すっごいじゃん!」とか、何を話しているかはわからない。しかしそんなことはどうでもいい。見ていてくれるのが嬉しいのだ!

P20600032  スイミングゴーグルを海水で洗いながら水温を確かめる。「冷たいじゃん! 温かくないよ。菊地さん(船頭さん)触ってみん!」と言う。「ホントだ。冷たい。」こういう水温もみんなで触って感じた方が良い。みんなで一緒に泳ぐんだから。「よろしくお願いします!」と言い、ハシゴをゆっくり降りて行く。

 いつもなら「温かいじゃん!」と思うはずが、「冷たいなぁー!」と感じ、少しずつ身体を海水に慣らしながら入る。上向きになり、「冷たいよ!」と子供が水遊びをするようにゆっくりしていた。これは一つのパフォーマンスである。せっかくみんなが見ていてくれるから、早く岸まで泳いでスタートしたらもったいない。まあ3分ぐらいゆっくりしてからスタート地点まで泳いで行こう。

 ホテルから見てくれている皆様方に手を振る。そして右手を挙げ、ホーンの合図と共に泳ぎ出した。ちょうど満潮だったため、お腹や胸に刺さるかもしれないウニを気にする必要はなかった。7時18分、水温12.5℃、気温9度、西の風が緩やかにふいている。そんな状態であった。

 とにかく体が冷えてきた。顔が冷たい。足の裏はものすごく冷たい。でも今日はスピード練習。ベストタイムを狙っている。だから始めから飛ばして行った。補給をする度に菊地さんが「冷たいか?」と聞く。「唇がかじかんできた!」と告げる。「良いペースだよ。頑張れ!」と応援してくれる。そう泳がなければ! 弱気になっている私を励まし、早く大瀬に着くことを願ってくれている。

 この「唇がかじかむ」ということは、硬直してしまうというか、動かなくなるのだ。口を閉じているはずが少し開いてしまう。感覚がないのだ。だから栄養補給を飲む時も、唇が閉じることが出来ないため、横からこぼれてしまう。とっても不自由なのだ。こうなることは私自身とてもよくわかっている。それは冷たいプールで、たとえ30分でも泳いだからだ。「耐寒精魂に注ぎ、我、寒中に挑む!」そんな経験が「何も怖くない!」という自信に代わっている。

P20600132  だいたい2時間泳いでところで急に水温が上がった。非常に温かい。「マジ?」、「ずっと続くのか?」、「今だけか?」、「この水温でずっと続いてくれ!」と願う。船上では菊地さんが「海流が変わった!」と言い、石井コーチが水温を確かめに行った。15℃である。12.5℃でずっと我慢して泳いでいたかいがあった。温泉である。やはり海って何がいつ起きるかわからない。「途中で諦めてはいけない!」とつくづく思った。

P2060015_2  1way2時間40分。結構良いペースである。大瀬崎ではダイバーが休憩をしていた。外は風もなく暖かい。水温14.5℃。気温13℃。時間は9時58分である。

 さあ残り半分。ダッシュがまた始まった。必死で私は泳ぐ。ベストタイムを狙っているんだから。いつもの経験上、帰りは逆潮、時間がかかる。もちろん今回の行きも追い波だった。帰りは当然逆潮だが、波は追い波である。波さんも私を応援しているようだ。

 徐々に気温は上がり、20℃まで上がった。石井コーチ達が服を脱ぎだした。旅人のコートを、太陽と風、どちらが脱がせるかの童話を思い出していた。そんな船上にいるみんなの顔を見たいが、泳いでいる私には逆光が眩しくて見えない。スイミングゴーグルを交換したが、よけいに見えなくなった。でも鼻は敏感である。石井コーチが何を食べているか、すぐにわかる。「あっ!今ハンペンたべたわ!」そう、油の臭いがするのだ。家で私はおにぎりを6個握ってきた。石井コーチはそのおにぎりをぱくついている。朝ごはん食べてないからね!

P20600432  石井コーチが私と遊ぼうとするが、残念ながら眩しくて見えない。相手にしてあげられない。今日はダッシュなんだ。「後3時間40分か?」、「頑張ってみんなの期待に答えるんだ。」、「疲れはない。」、淡島目掛け、みんなの心は一つになった。

 そして14時40分、淡島に到着。6時間22分。ベストタイムであった。船に上がり、最初の一言。「タイムは?」よっぽど気にしていたんだと思う。でも私、一生懸命飛ばして泳いだのに、この前より5分しか違わなかった。これに少しショックを受けていた。石井コーチが作ってくれたお手製の服を着て、港に向かった。

P20600462  いつものように民宿「桂」のお風呂で温まり、いつものように菊地さんのお宅で海の幸をご馳走になる。この「いつものように」が本当は違う。この予定は私の仕事上、都合が悪くなり変更してもらったのだ。この企画に携わる皆さんには、私のわがままで日程を変更したことを深くお詫びしたい。それでも皆さんは何の文句も言わず、ただ私の成功に向けて骨を折ってくれている。この支えの上に私がいることを私は絶対に忘れない。「いつものように」のありがたみに、それに応えるには私自身の努力しかないのだ。水平線の向こうの、そのまた向こうまで泳ぎたいから。

P20600482_2

By キン

サイパン24時間 60km泳

 2007年1月30日(火)10:00から翌31日(水)10:00まで、サイパン唯一の50m公認プールにて、キンちゃんが24時間60km泳に挑戦しました。そして見事にこの目的を達成しました。まずはおめでとうございます。
 今回はこの報告です。

   1.1月30日

P13000202  朝、6時に起床。サイパンの外はまだ暗い。ハファダイホテルの私たちの部屋から見えるきれいな十三夜の月は、濃紺の静かな海にその身を沈ませていった。準備万端整えて外に出ると、今度はタポチョ山(標高476mのサイパン一高い山)の山並みの向こうから登る太陽で、空が藍色に染まり始めた。新しい一日の始まりである。
 このハファダイホテルにはサイパン一の高層ビルであるタガタワーがある。タポチョ山の山陰がこのタガタワーに当たり、まるで温度計が下がっていくように、いや、砂時計の上層部の砂が落ちて下がるかのように日向と日陰の境は落ちていった。この「光と影のショー」は、太陽が地球の正確な「時」を刻んでいるのだ。月は東に沈み、日は西から昇る。毎日起こっている現象だろうに・・・、それでも速い地球の自転と時間を新鮮に感じた一瞬でもあった。
 サイパンの50m公認プールはサイパン島北部にあるマリアナリゾートホテルにしかない。ハファダイからマリアナまではタクシーで。8時30分に到着したのにライフガードのガーリーが見当たらない。プールにはカギも掛かっているので中に入ることも出来ず、ドタバタしている間に「寝坊した!」とガーリーが現れた。プールサイドにはテントのみを張って用意はしてあるものの、他のテーブルとか椅子は倉庫から持って来て、慌てて準備をした。栄養補給の際に私が立つステップバンも今回は3つ用意され、調理で使うガスコンロの風避けボックスも用意されていた。
 来る度にお互いに頭を使い、泳ぎ易くなっていく。もちろん水も、毎回ガーリーが5ガロン買ってきてくれて用意されてある。足りない場合は頼むとすぐに用意される。サイパンの水道水は塩分と石灰分が多いので飲料には適さない。毎回な事だがありがたいことだ。
 9時にスタート予定で、その10分前にハプニングは起こった。泳いでいるときの擦れ止めにラノリンを私は身体に塗っていた。石井コーチはテーブルに筆記用具やストップウォッチ、栄養補給品などを準備していたときだった。
 「あ、記録用紙がない!」
P13000052_1  この記録用紙には石井コーチによる24時間で60kmを泳ぐプランの予定ラップが100m毎に書かれている。これは泳ぐ私の道標にもなっているのだ。
 「コーチ、申し訳ありませんが、1時間遅らせましょう。そしてホテルに戻って記録用紙を取ってきて貰えませんか? その間、私は栄養補給を作り準備を進めておきます。」
 「そうだな、それが良い。1時間以内に戻ってくる。」
 「ガーリー、忘れ物したからホテルに行きたい! クルマを用意して下さい。」と私は頼み、それからコーチが戻ってきたのは9時50分だった。これで何とか1時間遅れだが、始めることが出来た。

   2.10時スタート

P13000082  今日は12時から15時までの一般開放がない。一人で黙々と50mプールの往復をする。友達はスタート台にぶら下げた時計一つ。100m毎にいつもにらめっこをしている。だいたい最近の始めの100mの入りは130秒ぐらいであり、「こんなもんかな?」と思っていたが、今回は入りが113秒。「やったー!」と思い、「これはいつもの自分とは違う!」と、このピッチで泳ぎ続けた。しかしまだまだ身体が硬い。軽い泳ぎではないのだ。「まあ115から125秒イーブンで22回目までの休憩まで続けば問題ない。まあ、どれくらい続くか楽しみである。」などと考えながら、泳ぎの感触を楽しむように努めていた。
 1回目の補給。めちゃくちゃ甘い!一体誰が作ったんだ?そうそう私。しまった!海と同じ配合で作ってしまった。2回目の補給の時に、「コーチ、甘くて飲めない!」と告げる。なんせ海練習の補給作りは慣れているが、プラティパス(海で泳ぐときに使う栄養補給品を入れる水筒)を使わない栄養補給作りは初めてである。大・小の水筒とペットボトルを利用して作成するが、作りながら「やり方、間違えた!」と思っていたものだ。泳ぐだけの私。もう少しコーチに作り方を聞いておけば良かったと反省した。
P13000192_1  1時間、2時間経ってもなかなか調子が出ず、5時間くらい過ぎた辺りから自分のペースになってきた。やはり私は130秒イーブンペースが合っている。
 そんな中で私は過去から現在に至るまでの経緯を思い出していた。初めて来たこのサイパンのプールでの練習。ガーリーとの出会いなども思い出していた。長距離泳はテンションを上げ過ぎても下げ過ぎてもいけない。ある一定のレベルで保持していなければならないのだ。難しいことを考えるのは困難だが、昔のことを回想するにはちょうど良い。そのくらい時間はタップリとある。

   3.夢の履歴

 今回の企画は私がドーバーでソロの2wayを泳ぎたくて実施しているが、ここに至るまでの主な記憶に残る出来事を時系列で表してみた。

  • 2002年8月3日 ドーバー1wayリレーを12時間03分で成功させる。
  • 「夢のドーバー」が終わってトライアスロンに転向する。
  • それまでやっていたダイビングもあり、伊豆海洋公園の50mプール(海水使用)で長距離泳の練習を開始する(6時間泳)。また、ダイビングでサイパンを訪れたりもしていた。
  • 2003年1月 サイパンで行われた10kmマラソンに参加。この時、かねてから聞いていたサイパンにある50mプールの詳細を知る。そして26日に、初めてこのプールで7時間20km泳に挑戦し、20kmを7時間03分31秒で泳いだ。
  • 同年5月15日 同プールで12時間泳。記録は30.360km。この頃の日記に「私の目標“ドーバーソロ”」と書いた。
  • 同年7月5日 大阪府立茨城高等学校(屋内プール50m 水温23℃)で、「チャレンジ24」(24時間耐久水泳大会)に参加。53.275km泳ぐ。
  • 以降、12時間泳やOWSに参加し、自信を深め、2003年にはドーバーソロが、1wayから2wayへと夢は昇格した。
  • 2004年7月24日 ドーバー2wayソロに挑戦するが、1wayも行く前に謎の大腿部痛でリタイヤ。
  • 同年7月30日 もう一度チャンスをもらってドーバー1wayソロにチャレンジするが、今度は潮に流され、ゴール直前でリタイヤする。
  • 以降、サイパンのプールでは「30時間70km泳」まで記録を伸ばす。
  • 2005年7月13日 17時間03分で初のドーバー1wayソロを成功させる。
  • 同年8月2日 2Wayを目指す。順調に13時間41分でフランスを折り返すが、疲労と寒さと眠気と持病の大退部痛のため断念した。17時間33分。
  • 2006年7月17日 練習としてドーバー1wayソロを泳ぐ。13時間35分。

 これら以外にも津軽の1way(2005年)や3way(2006年)、他の海も泳いで来た。練習でいつも泳がせてもらっている淡島~大瀬崎も忘れられない。それらの思い出が走馬灯のように出ては消えていった。

   4.課題

P13000282_1  ドーバー海峡の最狭部は直線距離で34km。ここの1wayの私の記録は13時間台なので、2wayにかかる時間は「30時間以上」と予想している。泳ぐ距離も実質70kmを越すであろう。そこで「30時間70km泳」となるわけだが、これらを実施している間に具体的な問題点が見えてきた。それは「睡眠」と「スピード」である。やはり夜間も寝ないである程度のスピードを維持して泳ぎ続ける。これが課題なのだ。
 したがって過去数回のサイパン30時間70km泳の反省から、今回は時間を短くし、24時間イーブンペースを自分のものにしたく、まだ24時間で出したことがない60kmを目標に望んだ。12時間泳では100mを130秒イーブンペースで回すことが出来るので、24時間泳ではどうなるか試してもみたかった。もうひとつは泳ぎながら寝ないこと。今まではかなり泳ぎながら寝てしまう時間が多かったので、クルマのドライバーが眠気防止にガムを噛むのをヒントに飴でも舐めながら泳ごうと思った。泳ぎながらのガムは落ちてしまうからだ。
 いずれにせよ練習は全体像の「30時間70km泳」から「24時間で寝ない。スピードを上げる。」などと言った部分的なものに変化してきている。まあこのような課題で泳いでいるが、早寝、早起きで習慣をつけている私。交感神経が働いている昼間は安定して泳げるようになったが、夜間泳の副交感神経が働き始めると眠り始め、“パタッ”とスピードが落ちる。そればかりではなく、目を瞑り、蛇行して泳ぐようになる。プールならコースロープや壁があるし、まあぶつかってもコブたん作る程度で済む。しかし海では危険きわまりない。2005年のドーバー2wayも、この意識が落ちたときに“危険”と判断され、リタイヤにつながってしまったのだ。そこで考えたのが今回の「24時間60km泳」だった。

   5.ハイスクール

P13000132  午後になるとスイミングスクールの生徒さんたちが集まり始め、だんだんと賑やかになり、子供達やアメリカ人のコーチがゾロゾロと姿を現した。たまたま休憩に入り、私は手を振り「こんにちは!」と叫ぶと、アメリカ人のコーチも「こんにちは!」と叫んでくれる。後から聞くと、石井コーチに「今日は何しにきた?」、「何を飲んでいる?」、「あの“ソーレー!”は、なんの意味だ?」とかいろいろ聞いていたらしい。“ソーレー!”は私がターンするときにコーチが怒鳴る掛け声だが、そう英語が上手ではないコーチも、日本人の父兄を捕まえては通訳してもらっているらしいが、結局“ソーレー!”は英語に翻訳が不可能だったみたいである。
 見ているとこのスクールは基礎練習やダッシュなどいろいろなメニューが加われているが、とっても速い人でも競泳用の水着を着ているわけではない。海で着るような海水パンツの人も多いのだ。なぜならサイパンにはホテル以外の唯一のプールはこのマリアナリゾートホテルの関連している50mプール1つだけなのだから。もちろん学校にもプールはない。地元の人の水泳は一般に海だし、だから競泳用水着は需要が少ないのであろう。
 そんなこんなの賑やかで私の目の保養をしてくれたスクールも、日暮れと共に終了し、三々五々、子供たちも帰宅して行った。これから夜中の「本日のメインイベント」が行われる。明朝5時にはマスターズ練習の人たちがプールに来るが、それまではまた一人ぼっちで泳ぎ続けなければならない。いろいろ考え事をして寝ないようにしなければ・・・。
 10時間目、18時くらいに太陽は西に沈み、満月に近い月が東から昇り始めた。暗くなると私の練習だけのためにライトアップされる。18時40分からは暗くて自分の時計が見えないので、石井コーチに「掛け声の替わりに何秒で泳いでいるかタイムを言って欲しい!」と頼む。ダラダラ泳がないためにも毎回自分のペースを知ることは必要である。そして空には星も見え出してきた。
 そう、ガーリーとの出会いを思い出そう。ガーリーはここマリアナリゾートホテルのプールのライフガードとして働くフィリピン人。ポリオで右足と左足の太さが違うが、スイマーとしてもかなりのスピードで泳ぐ。サイパンのOWSにも参加しており、この辺が気の合う仲間なのかもしれない。

   6.ガーリー

P13100582  初めてガーリーに会ったのは2003年1月25日のことである。この年、サイパンで行われたマラソン大会の「10km」に私は出場していた。この大会で友達になった現地の女性「バネッサ(トライアスリート)」に、「あなたの練習に良いプールがある。私も練習しているよ。」と聞いていた。大会終了後、自分の水泳練習をしようと出掛けたのである。
 プールを確認しようと北行きのバスに乗り、母親と雨の中を出発した。降りる場所は「マリアナリゾートホテル」。でもいつもながらおっちょこちょいの私、間違えていることも気付かず「アクアリゾートホテル」で降りてしまい、このホテルのレストラン、トイレ、海、プールはどうなっているか、調査をしながら母親に説明していた。これは母親がトイレやお腹がすいたら困るのでそうしていたのだ。
 ホテルに着いたがすごい雨が降っている。小雨になるのを待ちながら、どうなっているか時刻表を見た。ここでやっと“間違えた”ことに気がついたのだ。次のバスは15分後。その間ガードマンと言葉を交わし(自慢ではないけど私のこと「23歳に見える」と彼は言っていた。)、バスに乗り、「よし! これで行けるぞ~!」とマリアナリゾートヘ。目標の50mプールはマリアナの反対側の道沿いにある。ホテルからプールまでは長い距離なので、本当は入口で降ろして欲しかった。しかし何分にも初めてなので、とにかくホテルまで行ってトイレとレストランの説明をし、小雨になるのを確認しながらプールまで歩いて行った。
 15分くらいはかかる。私は良いのだけど、母親を雨の中、長い距離を歩かせたくなかった。ホテルに停まっているタクシーに頼んだが、近すぎてだめだった。途中、1台のタクシーがプールの前で昼ごはんを食べていた。これが運転手「ジョー」との始めての出会いだった。
ジョー「どこへ行く?」
キン「そこのプール。」
ジョー「ホテルはどこに泊まっている?」
キン「ハファダイホテル。」
ジョー「だいぶ後から歩いてくる人は、あなたのお母さん?」
キン「そうだよ。」
ジョー「こちらを横切って歩きなさい。」
キン「ありがとう。」
 馬の糞がところどころに落ちている。その中を早々と歩いていった。
 プールの柵は閉まっていた。「なぜだろう。もう11時なのに、土曜日だし。」
キン「エクスキューズミー!」
 するとライフガードのガーリーが出てきて話を交わした。ジョーも母親と一緒に来てプールの説明を受けた。
ガーリー「この看板を見て。ここのプールは12時から15時までしか使えないんだよ。もし、今からプールに入りたければ、マリアナリゾートの支配人(渡辺さん)と交渉してください。」
キン「わかりました。」
 荷物と母親をプールに置き、私はジョーとホテルへ。
 これがガーリーとの初対面であり、私のサイパン長距離泳練習のスタートでもあった。支配人の渡辺さんにドーバーをソロで泳ぎたいこと、7時間で20km泳ぐ目的で来たこと、3日間泳ぎたいことを話した。渡辺さんは好意的に理解してくれ、話がまとまり、プールで泳ぐことが出来るようになった。
ガーリー「良かったね。今、渡辺さんから電話が入りました。さあ、プールヘ。今日は何時まで泳ぎますか? 明日は?」
キン「今日はだいたい4kmぐらい?」
 つたない英語の私だが、ガーリーとはとても話が合った。
P13000302  日本人の私をガーリーは何も知らない。ガーリーに私の泳ぎを見せ、明日の7時間20km泳をわかってもらいたく、マイペースで4km泳いだ。
ガーリー「バタフライは、泳げますか?」
キン「はい、今から25mだけ泳ぎます。」
ガーリー「ベーリーウエル!」
 少しは、納得してくれたみたいだった。
 雨が降り続いており、運よくジョーがいたので帰りは送ってもらった。

   7.7時間泳は

P13100352  1月26日当日、雨が土砂降りで止むことはなかった。大雨なので母親をハファダイホテルに残し、一人マリアナリゾートに向かった。
 「グッドモーニング!」の挨拶をガーリーと交わし、まだ私が泳ごうとする7時間泳に半信半疑なガーリーと、片言の英語の私との打ち合わせが始まった。
 日本にいるときは、火傷にならないか心配であったが、今度は雨で体温が失われていく方が心配だった。バナナ、ウインダーなどの食料と、雨に濡れても良いダイバー用のボードをプールサイドに置き、時計を手すりにつけ準備をした。

  • 9時38分入水 10時38分計画実施
  • 2km〈11時14分〉~~~~~~~36分
  • 4km〈11時55分20〉~~~~41分20
  • 6km(12時36分17〉~~~~40分57
  • 8km〈01時22分04〉~~~~45分47
  • 10km〈02時4分21〉~~~~43分17
  • 12km〈02時47秒54〉~~~~43分33
  • 14km(03時31秒46)~~~~43分52
  • 16km(04時16秒25)~~~~44分39
  • 18km(05時00分40)~~~~44分15
  • 20km(05時41分47)~~~~41分07
  • 合計7時間03分31(休憩含む)

 長距離泳のプログラムについては前から石井コーチの指示があった。それまでの伊豆海洋公園のプールで泳いだ6時間泳は、特に4時間目以降が“ガクッ”とペースが落ちる。イーブンペースで泳がなければならない。もちろんこの頃は石井コーチなど来てくれない。石井コーチが来てくれるようになったのは私が24時間を泳げるようになってからだ。
 この頃の課題は栄養補給にかかりすぎる時間だ。ウインダーの蓋をひねり全部飲みほすことは、1分40秒ぐらいかかってしまい遅すぎる。休憩に1分以上使うのは良くない。今度はもう少し早い動作をしなければ。飲む量を半分にしたらスムーズに出来たが、天気が良かったら脱水症状が出てしまうだろうか?
 10km通過が3時間26分21秒。10kmだけの泳ぎなら私のベストは3時間05分だ。遅すぎる。後半はほとんど栄養補給もせずに泳ぎ続けた。
 長距離を泳ぐには燃費の良い泳ぎをしなければならない。中半はキックをあまり打たない泳ぎもしてみたが、スピードは出なかった。そのうち「このままでは7時間以内に20kmは終わらない」と焦り始めた。プールを借りている時間がそれまでだからだ。「叱られても良い!」、「途中では止められない!」、「途中で止めたら悔いが残る!」、「7時間を過ぎても必ず20kmを泳いでやる!」と言う気持ちだけで泳ぎ続けた。すると不思議にキックも打てたしスピードも上がった。
 その気持ちや態度がガーリーにも伝わったのか、最後まで泳がせてもらい、7時間03分31秒でフィニッシュした。
ガーリー「ユーアービッグストロング!」
 握手を交わし、その日のチャレンジは終わった。

   8.スイマー(睡魔)

P13100372  12時間目、22時で32400m。まだ眠たくない。なかなかいいペースである。それでも「テストだ!」と言って、石井コーチはコーヒー飴を私の口に放り込んだ。飴は落ちないようにホッペと歯茎の間に入れる。こうすると口を開けて息継ぎしても落ちないし、喉の奥にも入らない。それでもコーヒーの味はするから不思議だ。
 そうだ、この次はその年(2003)の5月15日に泳いだ12時間泳を思い出そう。これは12時間で30kmを目標に泳いだんだ。
 朝4時30分起床で5時30分にはプールに着いた。するとシャコビッチ(サイパンのトライアスロンではボス的存在)の生徒さん5~6名がすでに練習をしていた。学校に行く前に早朝練習をしているのだ。
 シャコビッチに「よろしくお願いします。」と挨拶をし、2週間前に名古屋でスイムキャップをもらっていたので、そのお返しに日本のお土産(歌舞伎のTシャツ)をプレゼントした。「シャコビッチ! このカオと同じカオをしているよ。」と言ったら、「NO!セイム!」と笑った。泳ぐ前から少し緊張感が足りない私だ。
 シャコビッチにもらったスイミングキャップをがぶり、予定より早い5時53分に泳ぎ始めた。
 石井コーチに言われた通りのメニューでこなそうと、最初の6km立て続けに泳ぎ、それからは2時間毎に5分の休憩を入れながら泳ぎ続ける。5分の休憩はガーリーと話が出来るほどゆとりがあった。また次の泳ぎはかなり身体が復活しているので楽に泳げるようになった。
 途中スコールが来たが、その後に綺麗な虹を見た。しかしいつものことだがマイペースで泳いでもだんだんと腰が痛くなってくる。他のことを考えよう。7時間泳いでも肩が痛くならないのは、7時間泳のときよりゆっくり泳いでいるからかな? まずい! “痛み”ではなく、他のことを考えよう。
 12時から一般の人が入ってくる。「ここぞ!」とばかりに他の人の観察をして気を紛らわせた。14時の休憩では真由美さんが来て5分の休憩でおしゃべりをした。けっこうまだ元気な私である。そのうちに鈴木さんも見え、横で泳ぎながら応援をしてくれた。16時になると大西さんとヒーちゃんが様子を見に来てくれた。嬉しくて涙が出る。
 何だかわからなくなってきた・・・・・。とにかく、石井コーチの言われたメニューがすごく役に立っていた。17時53分に30,360mで12時間泳を終え、この時再び生徒を連れて来ていたシャコビッチに「おめでとう!」と誉められた。想像以上に歩けたが、この倍の24時間泳はどうなるかと思った。しかし私は生きている素晴らしさと健康であることの誇らしさをつくづく感じていた。
 眠い・・・。考えることも、眼を開けていることも億劫になってきた。意識が遠のいていく。泳いではいるが、思考力は低下し、眠っているのだ。
P13100452  時折コースロープや壁に当たって目が覚めるが、このときは「まずい!」と思い、再び過去のことを思い出す。なぜ「過去」なのか。ドーバーを泳ぐ心得として、ドーバー泳のアドバイザー、フリーダの言葉を思い出す。
 「ミユキ(キン)、泳ぎながら前を向いてはいけない。前を見ても気の遠くなるような距離のフランスが見えるだけ。これはあなたに何のプラスも与えない。考えることは過去から今に至るまでの努力。その努力を信じれば、必ずあなたをフランスまで導いてくれるから・・・。」
 この時以来、泳いでいるときは過去を振り返る癖がついたような気がする。泳いでいないときは「夢のドーバー2wayソロ」なんて考えているが・・・。
 次の12時間泳を思い出そう。早朝このプールに来ると、まだガーリーはおらず、一人プールの扉の前で待っていた。「野良犬が来ないといいな・・・」。
 昼間はガーリーが、私のプールサイドに置いた栄養補給品を、スタート台の日陰に移してくれる。・・・・・眠い。
 思考は断片的であったり、壊れたレコードのように同じ場面が何回も浮かんだりしている。後は何も考えていない。ほとんど寝ているのだ。

   9.愛の説教

P13100472  休憩時間に石井コーチはコーヒー飴を4粒私の口に放り込んだが眠い。15時間目から段々目を閉じて泳ぐようになり、145秒で泳ぐところが150秒までに落ちてしまった。眠い眠い。17時間目からはガタ落ち!40分で900から1,000mしか泳げない。100mを180秒こす時もしばしば。夜中の遠泳は苦手である。
 普段の生活は、20時30分には寝てしまう私である。今日は生活パターンが狂っている。石井コーチが私を起こそうと光をチカチカ、「パァ~~~~~ッ」とホーンを鳴らす。しかしクロールを泳ぎながらも目を瞑り、手を動かし息を吸っている私にはビクともしない。頭の中は寝ているのだ。時たまターンの時、壁にぶつかり起きるか、石井コーチに頭を叩かれて起きるのだ。目を瞑りながら真っ直ぐ泳いでいるつもりがジグザグと蛇行するらしい。そんな状態が朝の7時まで続き、痺れを切らしたコーチから説教が始まる。「今、何分で泳いだら良いか知っとるか? 150秒イーブンだぞ! もっと速く泳げんのか!」、「眠いよぉ~」私はちょっと気を取り直し、少しピッチを上げていった。
 7時45分より石井コーチから愛の説教が飛ぶ。「いいから泳ぎながら聞きなさい。今日は24時間で60km泳ぐんだからね、今は54km。今のペースは40分で1,000mしか泳いでない。わかるか?」私は泳ぎながら考え出した。「後6kmか・・・」。
 例え「24時間泳」と言っても24時間泳いで終わらしてくれるコーチではない。60kmは最低でも泳がなければプールから出してくれないのは知っている。今のペースで泳いでいたら終わるのは12時。12時まで泳ぎたくない。残り40分が3回で5,600mを泳がなければいけない。3で割れば1,800m、1,900m、1,900m か。っていうことは始めのスタートのピッチに戻さなければならない。2時間ダッシュか!? 私には出来る。コーチに言われたことは必ずやってやるのだ。やらないと後からの説教が永遠に続き、コーチのガッカリする顔が思い浮かぶのだ。やるだけやるよ。「私なら出来る!」と心に誓い、私は残り40分3セットに集中しだした。
P13100512  1本目の入りは140秒。さっきより20秒は縮めたがまだまだである。やるだけやると、最後の入りは122秒までに縮めた。段々調子が乗ってきた。
 1本目1,600m終了。「後4,000mか?」時計は私の友達だが、コーチの言葉も耳に入らない。ただ私は泳ぐだけ。今のピッチならいける。それだけを信じている。「私なら出来る!」、「やらなければならない!」と。
 すると昨日今日と出していない113秒を出しているではないか! いいじゃん。いいじゃん。アベレージ120秒で2,000m終了。残り1本泳ぐだけだ。40分で2,000m泳げば調度24時間で60km泳が完泳出来る。「必ず泳げる!」と私は信じている。コーチが落ち込む顔、永遠に続く説教の顔など見たくない。私は泳ぐ。ターンをしながら100m、200mと数える。負けない。私には出来る。集中、集中、集中。私には、出来ることしかわからない。手を回す。キックなんて得意中の得意。誰にも負けない。コーチの声もガーリーの声も高らかになってきた。そしてホーンの合図で終了。
 私の24時間60km泳は無事に終了し、幕を閉じた。

   10.反省点と決意

P13100542  私に涙は必要ない。私には出来るんだ。私の顔は笑美しかない。泣く時は思い通りに泳げなかったときだけ。反省している面は、今回寝ないで泳ごうと思ったが寝てしまったこと。前の30時間泳に比べればあまり寝てないけどね。後、始めから最後までイーブンペースで泳ぎたかったがまだまだ修業が足りない。とにかく寝なければ何とかなる。難しい課題が今現在直面している。薬は絶対に飲みたくない。どうすればいいんだろう?
 それでもやっとここまできた。まだまだ自分の物にしたい課題は山ほどある。でもやっとここまできた。どんなにか計り知れない人達の協力を得て。私は人よりのろいかもしれない。頭の回転ものろいかもしれない。でも出来るだけのことは楽しみながら、感じながら泳ぎ続けている。私は泳ぐよ。みんなに見守れながら。諦めないよ。ゼロになるまで泳ぎ続けるよ。
P13100552  今回の24時間泳まで私の遠泳に協力して下さった全ての皆さん、ありがとうございました。また来週の海練習に向けてこれからも練習に励んで行きます。これからも応援をよろしくお願いします!
 長い長い文章を毎回最後まで読んで下さる皆さんありがとう。これからも応援をよろしくお願いします!

          By キンちゃん

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